ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

壺絵

索引 壺絵

壺絵(つぼえ)とは、本来実用品である陶器の壺の表面に、装飾として描かれた絵。三次元曲面上に描かれた絵であって、壺の表面を立体的に装飾加工したものとは区別される。 古代ギリシアにおいては、実用道具として数種類の形式の陶器の壺が作られ、それぞれ分類された名前が付けられている。(例:アンフォラ・スキュフォス・レキュトス……等)この壺の外側に(平たい杯状のものでは稀に内部にも)、神話や英雄物語などの主題の絵が描かれた。 モノクロの線描画が主流で、背景が黒いベタとなるものと、その逆に人物等が黒くなり背景が土色(または白色)となるものとの二種類が見られる。描線は細くしなやかで格調高く、様式化も高度に洗練されたものとなっている。彫刻とはまた別の古代ギリシア人の感性を知ることが出来る。これらは、イタリア半島南部のギリシア植民地やイタリア半島中北部のエトルリア人などにも輸出された。 アジアやヨーロッパにおいても、陶磁器の上に絵を描くことはなされたが、それらは壺全体の芸術性を高めることが主目的であり、「壺絵」として、絵が壺本体から独立した芸術であるという認識をされることがあるのは古代ギリシアの壺絵のみと思われる。.

13 関係: 古代ギリシア古代ギリシアの陶芸三次元曲面レキュトスアンフォラエトルリアスキュポス神話絵画英雄陶磁器植民地

古代ギリシア

この項目では、太古から古代ローマに占領される以前までの古代ギリシアを扱う。.

新しい!!: 壺絵と古代ギリシア · 続きを見る »

古代ギリシアの陶芸

バイリンガル陶器のアンフォラ。絵付けはアンドキデス。紀元前520年ごろ(ミュンヘン) 古代ギリシアの陶芸(こだいギリシアのとうげい)では、古代ギリシアにおける陶芸について解説する。 陶芸作品は比較的耐久性があるため、古代ギリシアの考古学的記録の重要な部分を占めている。また数が多く(Corpus Vasorum Antiquorum には約10万点が記録されている)、我々の古代ギリシア理解に不釣合いなほど大きな影響を及ぼしている。例えば古代ギリシア絵画は日用品である陶器の絵以外ほとんど現存していないため、この派生的な芸術形態からギリシア美術の発展を追跡する必要がある。また、紀元前1千年紀に廃棄されたり埋められたりした陶器の破片は、古代ギリシア人の普通の生活や精神を知る手がかりでもある。.

新しい!!: 壺絵と古代ギリシアの陶芸 · 続きを見る »

壺(壷、つぼ)は、主として、食糧の貯蔵や水や酒などの飲料の運搬という用途に用いられる器である。焼き物が多いが、ステンレス鋼製(医療用などに)やプラスチック製もある。 一般的に丸い袋状で、通常は、器体に頸の部分を伴う開口部(口縁部)や注口を持ち、人間が1人で運搬可能な大きさの器のことを壺と呼ぶ。.

新しい!!: 壺絵と壺 · 続きを見る »

三次元曲面

三次元曲面(さんじげんきょくめん)は、図学の用語であり、平面を変形させることによって成立させることの出来ない(乃ち可展面でない)曲面を指す。 曲面は数学の解析学によって定義されている概念であり、平面を含む概念である。曲面の定義は、 というようになされている(新数学事典、大阪書籍、1986年参照)。 要するに、3次元空間の中で、2つの独立したパラメータで定義される図形である。3つのパラメータだと立体になってしまう。 ここからが図学の領域であるが、この曲面の中で、円筒面や円錐面は、平面を伸び縮みさせることなく丸めることで作れる。そのような曲面を「可展面」と呼ぶ。 それに対し、球面のようなものは平面を伸び縮みさせなければ作ることが出来ない。そういった可展面でない曲面を「三次元曲面」と呼ぶ。 数学の用語の二次曲面(二次「元」ではないことに注意)としばし混乱が見られるが、代表的な3次元二次曲面(二次曲面#3次元二次曲面を参照)には可展面もあれば、そうでない曲面もある。従って、三次元曲面である二次曲面もあれば、そうでない二次曲面もある。 ファイル:Quadric Cone.jpg|可展面である(三次元曲面でない)二次曲面の例。錐面 ファイル:Quadric_Ellipsoid.jpg|可展面でない(三次元曲面である)二次曲面の例。楕円面 Category:曲面 Category:数学に関する記事.

新しい!!: 壺絵と三次元曲面 · 続きを見る »

レキュトス

テーセウスとマラトンの雄牛。白地技法のレキュトス。紀元前500年ごろ。アテネ国立考古学博物館 レキュトス(、lekythos)は、油の貯蔵に使われた古代ギリシアの陶器の一種で、特にオリーブ油を貯蔵した。ほっそりした形状で、首の部分に取っ手が1つ付いている。レキュトスは主に亡くなった未婚男性の遺体に油を塗布するのに使われ、墓から出土するものが多い。レキュトスには日常生活や儀式を描いたものが多い。葬式で使われることが多いため、葬式の情景や死去の情景を描いたものもよく見られる。概略的な絵が一般的で、全く無表情で陰鬱な印象を与える。最盛期は紀元前5世紀ごろだが、紀元前700年ごろのものも多数出土している。 レキュトスは次の5種類に分類される。.

新しい!!: 壺絵とレキュトス · 続きを見る »

アンフォラ

トルコ、ボドルム城に展示されたアンフォラ アンフォラもしくはアンポラ(amphora、複数形は amphorae もしくは amphoras)とは陶器の器の一種で、2つの持ち手と、胴体からすぼまって長く伸びる首を有する。 アンフォラは最初、紀元前15世紀ごろのレバノンからシリアの海岸に現れて古代世界に広まり、古代ギリシア・ローマにおいては、ブドウ、オリーブ・オイル、ワイン、植物油、オリーブ、穀物、魚、その他の必需品を運搬・保存するための主要な手段として用いられた。 ドレッセル 1B タイプのアンフォラ1: 縁 2: 首 3: 持ち手 4: 肩 5: 胴 6: 脚 アンフォラはギリシア時代から産業として生産され、地中海世界で7世紀ごろまで使用された。その後、木や皮の容器がアンフォラにかわって使用されたようである。 海洋考古学者にとってもアンフォラは有益である。沈没船のアンフォラからは、しばしば難破した船の時代や国籍を知ることができるのである。それらは時折、もとの内容物がまだ残るほどの、たいへんよい保存状態で発見される。そこから、古代地中海の人々の食習慣や売買システムなど、貴重な情報を得ることができるのである。 アンフォラには2種類のタイプが存在する。ひとつは首と胴体とが鋭い角度で接続するネック・タイプ、もうひとつは首と胴体とが連続して湾曲線を描くワンピース・タイプである。 後期幾何学様式のアッティカの大きなアンフォラ。紀元前725年 – 紀元前700年 ネック・タイプのアンフォラは、古代ギリシア時代の初期には一般的に用いられたが、紀元前7世紀ごろから徐々にワンピース・タイプへと切り替わっていった。ほとんどのアンフォラは底部を尖った形に作ってあり、柔らかい地面に突き立てることによって真っ直ぐに保つことができる。 アンフォラの高さにはさまざまな種類がある。大きなタイプで1.5メートルの高さがあるかと思えば30センチ以下のものもあり、最も小さなタイプは「amphoriskoi(小さなアンフォラ)」と呼ばれた。多くのものは45センチの高さである。いくつかの種類に重要な規格統一が見られる。一例として、ワインのアンフォラはおよそ39リットルの容量を標準とし、ローマ帝国では「アンフォラ (amphora quadrantal)」という単位が生まれた。全体では、約66種類のアンフォラが確認されている。 高度な装飾が描かれたアンフォラが、社会的・儀礼的目的のため数多く生産された。その図案は、他の実用的な種類のものとはかなり異なる。例えば、広い口と丸い基部を持ち、表面が艶出しされて、人物像や幾何学的紋様で装飾されている、といったものである。こういった「パナシナイコ・アンフォラ (現代ギリシャ語:Παναθηναϊκός αμφορέας)(Panathenaic Amphorae)」は、しばしば賞与の品とされた。「我はアテネよりの賞与なり」の銘を刻まれたアンフォラが残っているが、これは、紀元前6世紀から紀元前2世紀にかけて行われたパナシナイコ・フェスティバル (Panathenaic Festival) のトロフィーである。 装飾アンフォラは、葬儀にも用いられた。主に葬儀に用いられたのは、アンフォラの一種ルートロフォロス (loutrophoros) である。アンフォラが死者の遺灰の容器として使われる一方、特大の花瓶も墓碑として用いられた。 ギリシアのアンフォラ。女神アテナが描かれている。 「アンフォラ」という言葉はラテン語で、ギリシア語の「 Αμφορέας 」に由来する。これは「両側に」を意味する「amphi-」と、「pherein(運ぶ)」から派生した「phoreus(運搬器)」とが結合してできた語である。.

新しい!!: 壺絵とアンフォラ · 続きを見る »

エトルリア

トルリア(Etruria)は、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群。ギリシア語ではテュッレーニア。 各都市国家は宗教・言語などの面で共通点があり、統一国家を形成することはなかったものの、12都市連盟と呼ばれるゆるやかな連合を形成し、祭祀・軍事で協力することもあった。 古代ギリシアとは異なる独自の文化をもっていた。当時としては高い建築技術をもち、その技術は都市国家ローマの建設にも活かされた。王政ローマの7人の王の最後の3人はエトルリア系である。 鉄を輸出し古代ギリシアの国家と貿易を行っていた。 夫婦と思われる男女の横たわる石像が残っており、男女平等の考えをもつ稀な民族だった。.

新しい!!: 壺絵とエトルリア · 続きを見る »

スキュポス

鳥が描かれたコリント式スキュポス。紀元前740年から730年ごろ。ルーヴル美術館 重装歩兵が描かれたアッティカ式スキュポス。紀元前490年から480年ごろ スキュポス(σκύφος、skyphos)は古代ギリシアの陶器の一種で、取っ手が2つ付いた深めのワイン用酒杯であり、輪状の脚部が付いている場合もある。取っ手は縁から水平に突き出た耳のような親指を通す穴のあるもの(コリントスおよびアテナイの型式)や低い位置から立ち上がっている形状のもの、縦にループ状に突き出ているものなどがある。特に glaux(フクロウ)と呼ばれる型式のスキュポスは、一方が水平でもう一方が垂直な取っ手になっている。 初期のスキュポスは幾何学様式時代から作られ始めた。コリントスで生まれ、アテナイが追随した。装飾の様式は時代と共に変化したが、形状は変わらなかった。 貴金属製のスキュポスも作られている。例えばウォレン・カップと呼ばれる銀のスキュポスがある。ゲティ美術館にはローマ帝国時代のカメオグラス製スキュポスがある。 取っ手のある酒杯の形状には他に次のようなものがある。.

新しい!!: 壺絵とスキュポス · 続きを見る »

神話

日本神話のイザナギとイザナミの国産み。創造神話の典型。 神話(しんわ、、)は、人類が認識する自然物や自然現象、または民族や文化・文明などさまざまな事象を、世界が始まった時代における神など超自然的・形而上的な存在や文化英雄などとむすびつけた一回限りの出来事として説明する物語であり、諸事象の起源や存在理由を語る説話でもある世界神話事典 pp.24-46、大林、総説。このような性質から、神話が述べる出来事などは、不可侵であり規範として従わなければならないものとして意義づけられている。 英語の(ミソロジー)には「物語としての神話」と「神話の研究」のふたつの意味がある。例えば「比較神話学」()は異なる文化圏の神話を比較研究する学問でありLittleton p.32、一方で「ギリシア神話」()とは古代ギリシアの神話物語の体系を指す。単語「」は口語にてしばしば「誤った根拠」を指して使われるEliade、''Myth and Reality'' p.1が、学問的に使われる場合は、その真偽を問うことは無いDundes, ''Introduction'' p.1。民俗学では、神話とは世界や人類がいかにして現在の姿となったかを説明する象徴的な物語と定義されるDundes, ''Binary'' p.45Dundes, ''Madness'' p.147が、他の学問分野では単語「myth」の使い方が異なり、伝統的な説話を広く包括する意味合いを持たせている。 比喩的な用法では根拠も無く絶対的事実だと思われている事象を例えて用いる言葉にも使われ、「日本の『安全神話』()が崩れた」といった例で使われる場合もある。これらは、現実が隠蔽され、人々の考え方や行動が何かしら誤った方向に固定化してしまった「常識」とも言える。.

新しい!!: 壺絵と神話 · 続きを見る »

絵画

絵画(かいが)は、物体の形象を平面に描き出したもの広辞苑。 日本語では類語の絵が幅広く用いられ、絵画という語は、特に芸術作品としての絵を指す場合がある。ただし、絵と絵画を区別して用いるとは限らない。また画を後ろにつけて描写の技法や対象を示す用語もある(水墨画、静物画など)。 フランス語の peinture(パンチュール)、英語の painting(ペインティング)、日本語の雅言的表現で絵と呼ぶこともある。 文字などを「書く」ことより早く、絵画を「描く」行動は幼少期から見られる行動である。発達心理学などの分野では、14歳から18歳程度で完成期と呼ばれる時期を迎え、多くの人はその頃から、ほとんど描かなくなる。子どもの絵に関する社会科学的研究は豊富だが、大人の絵に関する同様の研究は少ない。その一方で、多くの人が描かなくなる年齢を過ぎても活動的に絵を描く人々が居る。歴史的に代表的なのは画家であると言えるが、現代ではより多くの業種に見出される傾向である。なお、人間の発達には個人差があり、柔軟な姿勢が必要である。.

新しい!!: 壺絵と絵画 · 続きを見る »

英雄

英雄(えいゆう)とは、才知や武勇などがすぐれ、普通の人には出来ないような事柄を成し遂げる人。別称は「ヒーロー」。詳細はヒーローの項を参照のこと。古い歴史と文化を持つ民族では、長い歴史のうちに内外の敵との激しい戦いなどを体験した。その中で卓越した指導力を発揮して強く勇敢に生き抜いた先祖の伝説を吟遊詩人や語り部の力を借りて伝承することで民族意識の高揚と連帯感の維持に努めた。こうした人間主義と現世主義に裏打ちされた英雄伝説は世界的に存在していた(ユダヤのモーゼ、ギリシャのヘクトル・オデュッセウス、インドのラーマ王・ナラ王、北欧のジークフリート・ベオウルフ、日本の神武天皇・日本武尊など)。ロマン主義以後の時期になると、反近代文明・反絶対王政・反民主主義の観点から天才的・自己超越的な指導者を待望する考えが高まった。ニーチェが考えた超人もその具体的な像の1つである。合理的・科学的な生活に生きる現代人は、英雄の持つ普遍性や理念性を見失って、具体的な政治指導者や著名人を英雄として扱う風潮が強い。エーリヒ・フロムはこれを「ネクロフィラスな集団的ナルティシズム」と評した。--曖昧リスト内の説明としては長すぎるので要約が必要。残す必要な情報があれば「ヒーロー」の記事に移せばよい。-->.

新しい!!: 壺絵と英雄 · 続きを見る »

陶磁器

野々村仁清『色絵藤花茶壺』(国宝) 陶磁器(とうじき、pottery and porcelain)は、セラミックの一種で、土を練り固め焼いて作ったものの総称。やきもの。 陶磁器に使われる粘土には、加熱することでアルミニウムやカルシウムなど他の物質と化合しガラス化する珪酸を主成分とする石英などが含まれる。成形後に加熱することで、土粒子の間に溶けて流体となったガラスが入り込み、冷めると固体化し土粒子同士をくっつける。『古陶磁の科学』の著者内藤匡は、この過程をおこしに喩えている。おおまかに言えば、陶器と磁器の違いはこのガラスになる成分と量の違いである。.

新しい!!: 壺絵と陶磁器 · 続きを見る »

植民地

植民地(しょくみんち、殖民地とも)とは、国外に移住者が移り住み、当事国政府の支配下にある領土のことで統治領(とうちりょう)とも呼ばれる。 古代史にはフェニキアや古代ギリシアにも見られるが多くは植民元との関係は維持しつつ独立した体制となっており、侵略によって獲得した海外領土の類型は古代ローマに見られる。近年はヴェネチアなどが行った東地中海における植民地経営をそれ以降の植民地支配と連続した流れと考える向きもある。 以下では16世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が侵略によって獲得した海外領土を主として扱う。近現代においては、本国政府の憲法や諸法令が原則として施行されず、本国と異なる法的地位にあり、本国に従属する領土を植民地という。 また、植民地に対して従属させて、それらを所有している本国のことは「宗主国」と呼ばれる。.

新しい!!: 壺絵と植民地 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

壷絵

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »