16 関係: かぶき者、中山直守、幡随院長兵衛、伝馬町、侠客、火付盗賊改方、獄門、貞享、極付幡随長兵衛、歌舞伎、水野成之、江戸時代、明暦、旗本、1655年、1686年。
かぶき者
かぶき者(かぶきもの。傾奇者、歌舞伎者とも表記)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年~1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。.
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中山直守
中山 直守(なかやま なおもり、寛永10年(1633年) - 貞享4年7月2日(1687年8月9日))は江戸時代の旗本。中山直定の嫡男。通称は勘解由。官位は従五位下丹後守。中山照守の孫。正室は大久保教隆の娘。子に直房、直安、直大、直温。甥は上野沼田藩主の黒田直邦。遠縁に常陸松岡藩主の中山信吉がいる。 大身旗本・中山直定の嫡男として生まれる。父・直定の代に武蔵、上総、下総の三国に3,000石得て、直守の代に1,000石加増された。正保2年(1645年)、先手組弓頭であった父直定が没し、13歳でその遺跡を継ぐ。小姓組番士、徒頭を歴任し、寛文3年(1663年)に先手組鉄砲組頭に任じられる。天和2年(1682年)、500石を加増される(のちに4,000石を知行)。家譜によれば、天和3年(1683年)1月23日より、直守は幕府から盗賊追捕の役(盗賊改)に転じられ、「鬼勘解由」とあだ名されて恐れられたという。また同日、息直房は、火付人を召し取る役(のちの火付改)に任ぜられた。その後、直房が直守の遺跡を継ぎ、「勘解由」と称したことから、「鬼勘解由」は直房との説もある。貞享元年(1684年)12月3日、直守は兼務していた先手組頭から大目付となり、同年12月26日に従五位下丹後守に叙任。貞享3年9月(1686年)に大小神祇組を取り締まった。翌、貞享4年(1687年)7月2日、没。享年55。.
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幡随院長兵衛
江戸時代後期に描かれた幡随院長兵衛のイメージ。歌川国芳「国芳もやう正札附現金男・幡随長兵衛」 幡随院長兵衛夫妻の墓 (源空寺) 幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ、元和8年(1622年) - 慶安3年4月13日(1650年5月13日)あるいは、明暦3年7月18日(1657年8月27日)とも)は、江戸時代前期の町人。町奴の頭領で、日本の侠客の元祖ともいわれる。『極付幡随長兵衛』など歌舞伎や講談の題材となった。本名は塚本 伊太郎(つかもと いたろう)。妻は口入れ屋の娘・きん。.
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伝馬町
伝馬町(てんまちょう)とは、江戸時代の城下町に置かれた町。伝馬役と呼ばれる領主(幕府・藩)のための伝馬およびそれに関連した夫役を負担していた。 今日でも「伝馬町」と称される地名が日本各地に残されている。.
侠客
侠客(きょうかく)とは、強きを挫き、弱きを助ける事を旨とした「任侠を建前とした渡世人」の総称。.
火付盗賊改方
火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)は、江戸時代に主に重罪である火付け(放火)、盗賊(押し込み強盗団)、賭博を取り締まった役職。本来、臨時の役職で、幕府常備軍の御先手弓・筒之頭から選ばれた。御先手頭の職務との兼役なため「加役」(かやく)とも呼ばれ、時代劇などでは「火盗改」(かとうあらため)、或いは「火盗」(かとう)と略して呼ばれることがある。.
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獄門
(ごくもん)とは、江戸時代に庶民に科されていた6種類の死刑の一つで、斬首刑の後、死体を試し斬りにし、刎ねた首を台に載せて3日間(2晩)見せしめとして晒しものにする公開処刑の刑罰。梟首(きょうしゅ)、晒し首ともいう。付加刑として財産は没収され、死体の埋葬や弔いも許されなかった。 こうした刑罰は平安時代後期から存在し、平安京の左右にあった獄の門前に斬首された罪人の首を晒した事が「獄門」の語源であると言われている。また当時は斬首した首をただ晒すだけでなく、矛で貫いて京中の大路を練り歩くことも行われたという。以後も同様の刑罰は存在したが、本格的に刑法体系に取り入れたのは江戸幕府であったとされている。 獄門の刑罰を科される犯罪は、強盗殺人、主人の親類の殺害、地主や家主の殺害、偽の秤や枡の製造などであった。また獄門に市中引き回しが付与されることもあった。 明治時代に至っても初期には梟示(きょうじ)と名を改めて引き続き行われていた。1871年、明治政府を激しく批判していた旧米沢藩士雲井龍雄や、1874年、佐賀の乱の首謀者の一人である前参議兼司法卿の江藤新平への処刑が有名である。1879年の明治12年太政官布告第1号により廃止された。なお、斬首は1882年1月1日に施行された旧刑法により廃止されるまで残る(梟首を伴わない斬首が最後に行われたのは1881年)。.
貞享
貞享(じょうきょう)は日本の元号の一つ。天和の後、元禄の前。1684年から1688年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇、東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.
極付幡随長兵衛
『極付幡随長兵衛』(きわめつき ばんずい ちょうべえ)は歌舞伎の演目。河竹黙阿弥作の世話物で、通称「湯殿の長兵衛」(ゆどのの ちょうべえ)。1881年(明治14年)10月東京春木座で初演。1891年(明治24年)6月、歌舞伎座で上演の際、弟子の三代目河竹新七らによって、序幕に「公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい)」が加えられるなど大幅に改訂された。現在は三幕五場の構成となっている。.
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歌舞伎
歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.
水野成之
水野 成之(みずの なりゆき)は、江戸時代前期の旗本。通称の十郎左衛門(じゅうろうざえもん)で知られ、旗本奴の代表的人物の一人に挙げられる。.
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江戸時代
江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.
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明暦
明暦(めいれき)は日本の元号の一つ。承応の後、万治の前。1655年から1658年までの期間を指す。この時代の天皇は後西天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱。.
旗本
旗本(はたもと)は、中世から近世の日本における武士の身分の一つ。主として江戸時代の徳川将軍家直属の家臣団のうち石高が1万石未満で、儀式など将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格を持つ者の総称。旗本格になると、世間的には「殿様」と呼ばれる身分となった。旗本が領有する領地、およびその支配機構(旗本領)は知行所と呼ばれた。 元は中世(戦国時代)に戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味しており、主家からすると最も信頼できる「近衛兵」の扱いであった。.
1655年
記載なし。
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1686年
記載なし。
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