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名字拝領

索引 名字拝領

名字拝領(みょうじはいりょう)とは、近世日本において、家臣が主君の名字・家名を賜って公的に名乗るのを許されること。 元々は、一字拝領(主君から見れば一字書出・名字書出)によって諱のやりとりをすることで主君と家臣の間に擬制的父子関係を結んだことの派生であると考えられ、一代限りではなく子孫にわたる恩典であることから一字拝領以上の名誉と考えられるようになった(名字拝領を受けられる家は既に代々一字拝領を受けられる待遇を得ている家であることが多く、一字拝領の儀式は改めて名字拝領の事実を再確認する場ともなった)。また、武士社会では家中内部で婚姻や養子縁組が繰り返されたことで、他の家名を名乗ってはいても実は主君と血縁関係を持つという事例が珍しくなくなり、主君側も名字を与えることへの抵抗感が減少したのも背景にあったと考えられている。 名字拝領を大規模に行った人物として豊臣秀吉が知られ、天正13年(1585年)に関白就任以降、諸大名に家名である「羽柴」を与え、特に重要な家には本姓である「豊臣」を授けた(本姓を与えた例は秀吉以外にはほとんどみられない)。 他に安土桃山時代で名字拝領を行った大名として蒲生氏郷が有名である。蒲生郷成、蒲生郷舎、蒲生頼郷は、九州平定で武功を挙げたことにより蒲生姓および「郷」の偏諱を賜ったものである。 徳川家康以降の徳川将軍も有力な外様大名などに徳川の旧家名である「松平」を授け、諸大名の間でも重臣などに家名を授けることが増加するが、形式的手続として家臣側の出願を受けて賜与する体裁を取ることが多かった。.

23 関係: 名字名字書出天正外様大名家名一字書出九州平定徳川家康徳川将軍家徳川氏羽柴氏豊臣秀吉豊臣氏近世蒲生頼郷蒲生郷舎蒲生郷成蒲生氏郷松平氏本姓日本1585年

名字

名字(みょうじ、苗字)は、家(家系、家族)の名のこと。法律上は氏と呼ばれ(民法750条、790条など)、一般には姓ともいう。.

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名字書出

名字書出(みょうじのかきだし)は、武士の子弟が元服時に烏帽子親が発給した文書。名字折紙・加冠名字状などの別名がある。 本来、烏帽子親が元服する者(烏帽子子)の諱を定める際には口頭で伝えてきたものをあえて証拠とするために書出の形で文書化したものである。そのため、料紙(用紙)が一定ではない等決まった形式は存在しないものの、元服した者の苗字・仮名・本姓・諱および発給した元服の年次と日付、発給した烏帽子親の諱と花押が具備されていた。 元服の儀を経ることで武士の子弟はその所属と身分が認められて社会参加が許されたこと、烏帽子親(主君や一族の惣領)と元服した者の間に擬制的な父子関係が生じることから、それらを証明する文書としての意味合いもあった。.

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天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

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外様大名

外様大名(とざまだいみょう)は、譜代大名に対して、関ヶ原の戦い前後に新しく徳川氏の支配体系に組み込まれた大名を指す。.

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家名

家名(かめい)とは、父から子に父系に代々継承される永続性を持った個々の家に付けられた名称のこと。原則的には嫡男が家産・家業とともに継承するものとされている。.

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一字書出

一字書出(いちじのかきだし/いちじかきだし)とは、武士の元服の時に烏帽子親もしくは主君が元服をする者に諱の一字(偏諱)を授ける際に、その一字を与えることを記した文書。名字書出の一種である。一字状とも。 なお、主君からの一字書出の発給(偏諱の授与)と元服する者の一字拝領(偏諱の拝領)は対の関係となっている。 武士の元服において、主君は烏帽子親にはならなくても儀式に招かれて臨席するケースもあり、その場においてその諱の一字を授けることは家臣にとっては最高の待遇とみなされて重臣の家格の象徴とされるとともに、烏帽子親との擬制的父子関係よりも重いものと認識された。 現存する最古の一字書出は室町幕府将軍足利義晴の手によるものであり、以降の足利将軍や徳川将軍にも継承され、諸大名の家中でも行われた。また、明治維新後も旧主家との間で行われたケースがある。 料紙(用紙)・書式は不定であり、与える偏諱の一字と年月日・主君の署名と花押および宛所(元服する者の苗字と通称)が記されたものが基本的であるが、単純に与える偏諱の一字のみだけを記したものもある。これに対して元服する者の諱の二字を記した書状は名字書出として扱われるが、これについては元服した者の諱の選定に関して形式的な関与と実質的な関与の違いではないかとされている。.

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九州平定

九州平定(きゅうしゅうへいてい)は、天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月にかけて行われた、羽柴秀吉(1586年9月9日、豊臣賜姓)と島津氏など、九州諸将との戦いの総称である。秀吉の「九州攻め」、「島津攻め」、「九州の役」「九州の役」の呼称は参謀本部(1889-1945)編集『日本戦史』による。、「九州征伐」などの名称で呼ばれることもある(詳細は#呼称と開始時期について参照)。.

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徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

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徳川将軍家

徳川将軍家の略系図 徳川将軍家(德川將軍家、とくがわしょうぐんけ)は、江戸幕府の征夷大将軍を世襲した徳川氏の宗家(徳川宗家、とくがわそうけ)。明治維新後の1884年(明治17年)には公爵の爵位を授けられて徳川公爵家となった。華族制度廃止後は、単に徳川宗家と呼ばれる。.

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徳川氏

徳川氏(とくがわし/とくがわうじ、)は、徳川家康が創始した日本の氏族。新田氏系得河氏・得川氏の末裔を称した際に嘉字を用いて徳川と称したことが始まりとなり、江戸幕府将軍家と親族の家名とした。しかし『徳川家譜』に記される家系に関しては『尊卑分脈』の該当記録に似通った流れはあるものの、当代史料による検証がならず、得川氏と家康の家系との同一性は実証できていない。.

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羽柴氏

羽柴氏(はしばし/はじばうじ)は、日本の戦国大名・天下人の家系及びその名字である。創始者は羽柴秀吉。.

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諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

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豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.

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豊臣氏

豊臣氏(とよとみし/とよとみうじ)は、日本の氏(ウジ)のひとつ。姓(カバネ)は朝臣。豊臣政権下での官位叙任では優先的にこの豊臣姓が使用され、源平藤橘など既存の他姓に優越して扱われた。.

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近世

近世(きんせい、英語:early modern period)とは、歴史学における時代区分のひとつ。中世よりも後で、近代よりも前の時期を指す。.

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蒲生頼郷

蒲生 頼郷(がもう よりさと、不詳 - 慶長5年(1600年))は、安土桃山時代の武将。諱は真令(さねのり)とも。通称、喜内。備中守を名乗った。.

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蒲生郷舎

蒲生 郷舎(がもう さといえ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。父は蒲生郷成(兄とも).

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蒲生郷成

蒲生 郷成(がもう さとなり、? - 慶長19年(1614年))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。父は坂勝則。蒲生郷喜、蒲生郷舎(実弟とも)らの父。蒲生氏の家老。通称は源左衛門。.

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蒲生氏郷

蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。 蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(やすひで)または教秀(のりひで)。キリシタン大名であり、洗礼名はレオン(またはレオ)。子に蒲生秀行。.

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松平氏

松平氏(まつだいらし)は、室町時代に興った三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の在地の小豪族であり、後に江戸幕府の征夷大将軍家となった徳川氏の母体である。室町時代は伊勢氏の被官として活躍した。江戸時代は徳川将軍家の一門、あるいは将軍家と祖先を同じくする譜代の家臣の姓となり、あるいは将軍家が勢力・格式ある外様大名に授けた称号としての役割をも果たした姓である。.

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本姓

本姓(ほんせい)は、日本において、古代以来の氏族名。氏を参照。名字(苗字)や家名とは異なる「本来の姓」という意味である。単純に姓(せい)とも言うが、「姓(かばね)」のことではない。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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1585年

記載なし。

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