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古田織部美術館

索引 古田織部美術館

古田織部美術館(ふるたおりべびじゅつかん)は、京都市北区にある古田織部(古田重然)ゆかりの茶道具、古美術、歴史資料等を展示する美術館。.

27 関係: つくばい古田重然太閤山荘宮帯出版社宮下玄覇山上宗二丿貫下間頼照京都市京都市営地下鉄烏丸線京阪電気鉄道佐久間信栄北山駅 (京都府)北山通北区 (京都市)出町柳駅灯籠織田信長織部賞美術館鷹峯茶人人物一覧茶道具武将本阿弥光悦2014年2016年

つくばい

安寺のつくばい 東福寺常楽庵のつくばい つくばい(蹲踞、蹲)とは日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置される。茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。 もともと茶道の習わしで、客人が這いつくばるように身を低くして、手を清めたのが始まりである。茶事を行うための茶室という特別な空間に向かうための結界としても作用する。.

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古田重然

織部作と伝わる南宗寺庭園(国の名勝) 古田 重然(ふるた しげなり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。.

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太閤山荘

太閤山荘 入口 太閤山荘(たいこうさんそう)は京都市北区鷹峯北東部にある山荘で、古田織部美術館館長・宮下玄覇の別邸であり、茶道教室などに使われている。その下方には広大な池に面した外苑「紅葉谷庭園」がある。山荘は戦前に、人絹商として財をなした川村湖峯の本宅として建造された。現在は、古田織部が御咄衆として仕えた太閤秀吉の顕彰を目的として、江戸時代前期の茶室・戦前の数寄屋建築の母屋・石庭のほか、土蔵とともに整備された。 母家前の内苑は各所に巨石を配し、滝の石組みとともに豪壮な造りである。建物は1934年(昭和9年)建造の数寄屋建築であり、天然の北山杉のほか、現在では入手が難しい銘木が使われている。また敷地の一角には、小堀遠州作で日本一窓が多い後藤覚乗の茶室「擁翠亭」(十三窓席)が移築されている。これは江戸時代前期に、上京区の「擁翠園」にあったものである。 300坪の内苑と2000坪の外苑には紅葉の木が多くあり、紅葉の名所でもある。.

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宮帯出版社

株式会社宮帯出版社(みやおびしゅっぱんしゃ)は京都府京都市上京区にある出版社。主に歴史、茶道、美術、刀剣・甲冑書を発行している。.

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宮下玄覇

宮下 玄覇(みやした はるまさ、1973年 - )は日本の実業家、編集者、研究家。古田織部美術館館長。宮帯文庫長。月刊刀剣春秋新聞発行者。商社宮帯・宮帯出版社代表取締役社長。日本甲冑武具研究保存会評議員。 東京都・神奈川県出身。京都市在住。先祖は信濃国の郷士宮下帯刀で、伊東潤の小説『武田家滅亡』『天地雷動』(角川書店)に登場している。母方の先祖は木曾義仲四天王の今井兼平で、親族に今井登志喜がいる。 古美術品の鑑定を得意とするほか、マイナーな歴史・甲冑・茶道書を企画・出版して啓蒙活動を続け、これまで大徳寺や高台寺などで戦国武将茶人を追悼する「戦国武将追善茶会」などのイベントを主宰。江戸時代の茶書などを収蔵する宮帯文庫、2014年の「古田織部四百年遠忌」を機に、京都に古田織部美術館を創設。また、荒廃していた鷹峯紅葉谷庭園を整備した。さらに2015年には、江戸時代前期に小堀遠州が造り、解体されてから140年間古材が眠っていた、日本一窓が多い茶室「擁翠亭」(十三窓席)を鷹峯太閤山荘内に復原した。.

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山上宗二

山上 宗二(やまのうえ そうじ、天文13年(1544年) - 天正18年4月11日(1590年5月19日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の豪商(町衆)、茶人。なお忌日は2月27日(新暦になおすと4月1日)という説もある。屋号は薩摩、号は瓢庵。本姓は石川氏。子は山上道七。.

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丿貫

丿貫(へちかん、べちかん、生没年不詳)は、戦国時代後期から安土桃山時代にかけての伝説的な茶人。名の表記は、丿恒、丿観、別貫などとも。なお「丿(ヘツ、ヘチ)」は、カタカナの「ノ」ではなく、漢字である。 京都上京の商家坂本屋の出身とも、美濃の出とも言われる。一説に拠れば医師曲直瀬道三の姪婿だといい、武野紹鴎の門で茶を修めたという。山科の地に庵を構えて寓居し、数々の奇行をもって知られた。久須見疎安の『茶話指月集』(1640年)によれば、天正15年(1587年)に豊臣秀吉が主催して行われた北野大茶湯の野点において、丿貫は直径一間半(約2.7メートル)の大きな朱塗りの大傘を立てて茶席を設け、人目を引いた。秀吉も大いに驚き喜び、以後丿貫は諸役免除の特権を賜ったという。 江戸時代中期に成立した藪内竹心の『源流茶話』によれば「丿貫は、侘びすきにて、しいて茶法にもかかはらず、器軸をも持たず、一向自適を趣とす」「異風なれ共、いさぎよき侘数奇なれば、時の茶人、交りをゆるし侍りしと也」と書かれており、当時盛行していた高額な茶器などは用いず、独自の茶道を追求していたようである。同じく久須見疎安の『茶話指月集』には、丿貫が手取釜1つで雑炊も煮、茶の湯も沸かしたなど、清貧ぶりを伝えている。いっぽうで、当時の茶人・数寄者との交流もあり、特に千利休とは親交していたという。ただし江戸後期の柳沢淇園『雲萍雑誌』には、利休と茶道を争い、世間に媚びることの多い友・利休の茶風を嘆いたとも書かれている。巷間では、千利休を自庵へ招待した際、庵の前に落とし穴を設けて利休を陥れ、沐浴させて新しい着物を供したなどとの逸話も伝えられているが、伝説の域を出ない。 晩年は薩摩へ下ったという。薩南学派の南浦文之の詩文に丿貫との交流を伺わせる詩句がある。同地で没したと思われ、『三国名勝図会』鹿児島郡西田村に「丿恒石」なる塚が記されている。 表千家の良休宗左(随流斎)の記述によれば、露地で履く雪駄は、元は丿貫の意匠から出たものだという。.

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下間頼照

下間 頼照(しもつま らいしょう、永正13年(1516年) - 天正3年(1575年))は、日本の戦国時代の武将。官位が筑後守であったことから、通称は筑後法橋という。 下間氏は親鸞の時代から本願寺に仕えた一族で、頼照はやや傍流にあたるが、顕如によって一向一揆の総大将として越前国に派遣され、『朝倉始末記』の記述やその発給文書から実質的な越前の守護、あるいは守護代であったと認識されている。 名は頼照のほかに頼昭、述頼(じゅつらい)。幼名は源次、法名は理乗。下間頼清の子で仲孝の父。.

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京都市

京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.

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京都市営地下鉄烏丸線

烏丸線(からすません)は、京都府京都市左京区の国際会館駅から同市伏見区の竹田駅までを結ぶ京都市営地下鉄の路線である。ラインカラーはグリーン、路線記号はK。.

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京阪電気鉄道

京阪電気鉄道株式会社(けいはんでんきてつどう、英称:Keihan Electric Railway Co., Ltd.)は、大阪府・京都府・滋賀県に路線網を持つ日本の大手私鉄。京阪ホールディングスの子会社である。通称は京阪電鉄または京阪電車で、略称は京阪。 本社事務所は大阪府大阪市中央区大手前一丁目7番31号 大阪マーチャンダイズ・マートビル(OMMビル)内、登記上の本店所在地は大阪府枚方市岡東町173番地の1である。営業キロ程は91.1 km(2008年10月19日現在)。 京阪電気鉄道と、その子会社75社(有価証券報告書への記載義務のある連結子会社および有価証券報告書への記載義務のない非連結子会社を合わせた全子会社数)、および持分法適用関連会社3社から構成されている京阪グループの中核企業である。.

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佐久間信栄

佐久間 信栄(さくま のぶひで)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。佐久間信盛の長男。剃髪後は不干斎と号した。諱は正勝(まさかつ)とも伝えられるが、信頼できる史料は信栄としている。.

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北山駅 (京都府)

北山駅(きたやまえき)は、京都府京都市北区にある、京都市営地下鉄烏丸線の駅、駅番号はK03。.

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北山通

北山通、叡山電鉄叡山本線修学院駅付近、京都市左京区 北山通(きたやまどおり)は、京都市の主要な東西の通りの一つである。.

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北区 (京都市)

北区(きたく)は、京都市を構成する11区のひとつである。住宅地を中心とした平野部と、北部の山間地で構成される。区内には金閣寺や大徳寺、上賀茂神社といった洛北の寺社のほか、立命館大学、佛教大学、大谷大学、京都産業大学などいくつかの大学がある。北大路駅付近と北野白梅町駅付近に商業施設が多い。.

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出町柳駅

出町柳駅(でまちやなぎえき)は、京都府京都市左京区にある、叡山電鉄・京阪電気鉄道の駅。駅番号は京阪電気鉄道がKH42、叡山電鉄がE01。 「出町柳」で鴨川左岸(東側)の当駅周辺の地名として定着しているが、元は出町と柳の二つの地名を合わせた駅名である。出町は鴨川右岸(西側、上京区側)の河原町今出川付近一帯を指す俗称、柳は鴨川左岸(東側、左京区側)の当駅周辺の字である(なお、叡山電鉄側の現所在地が「左京区田中上柳町」、京阪電鉄側の現所在地が「左京区田中下柳町」である)。.

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灯籠

篭(香川県/琴平町)1865年(慶応元年)完成で三階建て。重要有形民俗文化財 灯籠(とうろう)は、日本の伝統的な照明器具の一つ。「灯」を旧字体で「燈」、「籠」を異体字で「篭」と表記する場合もある。本項では固有名詞以外は「灯籠」の表記で統一する。.

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織田信長

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。 尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏(斯波武衛家)をも凌ぐ力をつけて、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令した。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼして、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉に道筋をつけた。 しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自刃し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。.

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織部賞

織部賞(おりべしょう)は、美濃国出生の安土桃山時代の大茶人・古田織部の「織部」の名を冠した賞である。 第一次織部賞は岐阜県が主体となり、創造的発想を現代に甦らせるがコンセプトの下、古田織部が審査員だったら何を選ぶかを発想し最も織部らしい成果の観点から選考される。ジャンルを問わず、創造的事業に尽力した人物、グループを顕彰する国際賞であった。1995年から始まった「オリベプロジェクト」の一環として1997年より隔年で開始されたが、2009年、県の財政悪化から第一次織部賞は休止された。 2016年より京都の古田織部美術館において第二次織部賞が再開されることとなった。しかし、コンセプトは変更され、古田織部の名を広めるような功績のあった人、特筆すべき織部に関する研究をした人、織部好みの茶陶の再現に成功した人などを対象に隔年で顕彰するものとなった。.

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美術館

美術館(びじゅつかん、Art museum)とは、博物館の一種 であり、美術作品を中心とした文化遺産や現代の文化的所産を収集・保存・展示し、またそれらの文化に関する教育・普及・研究を行なう施設である。.

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鷹峯

鷹峯街道と町並み 鷹峯現在、公的な表記には「鷹峯」のみ用いられるが、かつては「鷹峰」「鷹ケ峰」「鷹ケ峯」などが混在していた。(たかがみね)は、京都市北区の鷹峯街道(京都府道31号西陣杉坂線)を中心に広がる地域名であり、その西南方に連なる丘陵の名称でもある。本項では同地域にかつて存在した愛宕郡鷹峯村(たかがみねむら)についても述べる。.

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茶人人物一覧

茶人人物一覧(ちゃじんじんぶついちらん)は、茶人(茶道に通じた人)の一覧。.

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茶道具

茶道具(ちゃどうぐ)とは、茶道に用いる道具類の総称。.

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武将

武将(ぶしょう)とは、軍勢を統率する将軍、特に武道に秀でた将のこと。 日本の戦国時代においては、武士や農民・町人から徴用された足軽たちを統率する戦国大名やその家臣を指すことがある(戦国武将)。なお、部隊を率いる将を部将と呼ぶ。 明治政府が当時の事象や日本の歴史について文献に基づきまとめた古事類苑に「武将」の文言は見られない。.

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本阿弥光悦

本阿弥光悦 本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年) - 寛永14年2月3日(1637年2月27日))は、江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。.

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2014年

この項目では、国際的な視点に基づいた2014年について記載する。.

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2016年

この項目では、国際的な視点に基づいた2016年について記載する。.

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