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匂宮

索引 匂宮

匂宮(におうみや、におうのみや)は、。

目次

  1. 57 関係: 夕霧 (源氏物語)奥入女三宮孟津抄室町時代宿木宇治の中君宇治十帖宇治八の宮与謝野晶子平安時代幻 (源氏物語)今上帝 (源氏物語)弘安源氏論議弄花抄匂宮三帖和歌冷泉帝出家六の君六条院兵部省光源氏秋好中宮竹河紫の上紫明抄細流抄紅梅 (源氏物語)総角 (源氏物語)為氏本源氏物語系図白造紙花散里鎌倉時代落葉の宮蜻蛉 (源氏物語)藤典侍若菜 (源氏物語)雲居の雁柏木 (源氏物語)正嘉本源氏物語系図水原抄江戸時代河海抄渋谷栄一源氏供養源氏物語源氏物語古系図源氏物語巻名目録... インデックスを展開 (7 もっと) »

夕霧 (源氏物語)

夕霧(ゆうぎり)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第39帖。巻名は、夕霧(下記)が落葉宮に詠んだ和歌「山里のあはれをそふる夕霧に立ち出でん空もなき心地して」にちなむ。また『源氏物語』に登場する架空の人物。夕霧大将(ゆうぎりのたいしょう)とも。光源氏の(世間から見た)長子。母は葵の上。夕霧の名は彼が中心人物になる巻の名に因んで後世の人がつけたもの。

見る 匂宮と夕霧 (源氏物語)

奥入

大橋本奥入(左側) 『奥入』(おくいり)は、藤原定家によって著された『源氏物語』の注釈書である。『源氏物語奥入』ともいう。1233年(天福元年)頃の成立と見られ、『源氏物語』の注釈書としては最古とされる藤原伊行の『源氏釈』に次いで古いものであり、後世において重要視された。全1巻。

見る 匂宮と奥入

女三宮

女三宮(おんなさんのみや)は、。

見る 匂宮と女三宮

孟津抄

『孟津抄』(もうしんしょう)は、戦国・安土桃山時代の関白・九条稙通が著した『源氏物語』の注釈書。

見る 匂宮と孟津抄

室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代を指す。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。

見る 匂宮と室町時代

宿木

「宿木」(やどりぎ)は、『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ。第49帖。第三部の一部「宇治十帖」の第5帖にあたる。 巻名は、薫と弁の尼が詠み交わした和歌「やどりきと思ひ出でずは 木のもとの旅寝もいかにさびしからまし」「荒れ果つる朽木のもとをやどりきと思ひおきけるほどのかなしさ」に因む。この「やどりき」はツタの異名(ヤドリギ)と「宿りき(かつて宿った)」の掛詞。

見る 匂宮と宿木

宇治の中君

宇治の中君(うじのなかのきみ)は、紫式部の『源氏物語』の登場人物。五十四帖中、第三部「宇治十帖」の「橋姫」から「蜻蛉」まで登場。匂宮の妻。 宇治八の宮と北の方の間に生まれた次女。母北の方は中君を出産後に死去、父八の宮の手で二歳上の姉大君と共に宇治で育てられた。姉妹共に美しいが、姉の大君が物静かな性格の優雅で気高い女性であるのに対し、妹の中君は可憐さで優るとされる。 八の宮を慕って薫が宇治を訪れ始めたことから、薫と親しい匂宮に興味を持たれ文を交わすようになる。八の宮の死後、大君は自分に求婚する薫を中君と結婚させたいと願うが、あくまで大君を望む薫の手引きで思いがけず匂宮と結ばれる。その後匂宮の訪れがなかなかないことで、大君が心労から病篤くなりついに死去、一人残された中君は悲嘆に暮れたが、明石中宮の許可が下りたことで京の二条院へ迎えられる。薫の親身な後見に支えられ、また夫匂宮も中君を熱愛したが、やがて匂宮と夕霧の娘六の君の縁談が持ち上がる。匂宮も立場上これを拒否できず、衝撃を受けた中君は一時は宇治へ帰りたいと薫に懇願したりもしたが、匂宮の長男を出産したことで世間からも重んじられる立場となり、姉妹の中でただ一人幸いを得た。

見る 匂宮と宇治の中君

宇治十帖

宇治十帖(うじじゅうじょう)は、『源氏物語』の最末尾にあたる第3部のうち後半の橋姫から夢浮橋までの十帖をいう。

見る 匂宮と宇治十帖

宇治八の宮

宇治八の宮(うじはちのみや)は、紫式部の『源氏物語』の登場人物の一人。『源氏物語』五十四帖中、第四十五帖「橋姫」で登場し、第四十六帖「椎本」で死去する。宇治八宮、八の宮、桐壺帝八の宮、とも称される。

見る 匂宮と宇治八の宮

与謝野晶子

与謝野 晶子(よさの あきこ、正字:與謝野 晶子、1878年〈明治11年〉12月7日 - 1942年〈昭和17年〉5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。本名は与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓は鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名から取ったもの。夫は、同じく歌人の与謝野鉄幹。 雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となった。

見る 匂宮と与謝野晶子

平安時代

平安時代(へいあんじだい、、延暦3年(784年)/延暦13年(794年) - 12世紀末)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都・現京都府京都市)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。広義では延暦3年(784年)の長岡京遷都からの約400年間を指す。 通常、古代の末期に位置づけられるが、中世の萌芽期と位置づけることも可能であり、古代から中世への過渡期と理解されている。近年では、荘園公領制が確立した院政期を中世初期に含める見解が有力になり、学校教育においてもこれに沿った構成を取る教科書が増えている。さらに遡って、律令制から王朝国家体制に移行する平安中期(900年頃以降)を中世の発端とする意見もある。平安時代を古代と中世のどちらに分類するかはいまだに議論があり、中立的な概念と古くから主に文学史の世界で使われてきた「中古」という語を用いることもある。

見る 匂宮と平安時代

幻 (源氏物語)

「幻」(まぼろし)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第41帖。出家を前にした光源氏の心情を四季のうつろいを通して描く。 巻名は光源氏が紫の上を想って詠んだ歌「大空をかよふまぼろし夢にだに見えこぬ魂(たま)の行く方たづねよ」(大空を自由に行き交う幻術士よ。夢にさえ姿の見えないあの人の魂の行方を捜しておくれ)に因み、白居易『長恨歌』の後半をモチーフとしている。 この歌は光源氏の物語の始まりである第1帖「桐壺」で、源氏の父桐壺帝が亡き桐壺更衣を偲んで詠んだ和歌「尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」と呼応するものとなっている。 また、源氏が故紫の上(旧暦八月十五日に火葬)の手紙を焼くエピソードは、『竹取物語』で八月十五日に月へ帰ったかぐや姫から贈られた不死の薬を帝が焼く話から着想したと思われる。

見る 匂宮と幻 (源氏物語)

今上帝 (源氏物語)

今上帝(きんじょうてい・きんじょうのみかど)は、『源氏物語』に登場する四番目の帝(在位:「若菜下」 - )。架空の人物。朱雀帝の第一皇子で、母は承香殿女御(髭黒の姉妹。今上帝即位前に没、即位後皇太后を追贈)。物語終了時をもって在位中のため、便宜的に今上帝と呼ばれることが多い。

見る 匂宮と今上帝 (源氏物語)

弘安源氏論議

『弘安源氏論議』(こうあんげんじろんぎ)は、1280年(弘安3年)に源具顕によって著された『源氏物語』の注釈書である。単に『源氏論議』と呼ばれることもある。

見る 匂宮と弘安源氏論議

弄花抄

『弄花抄』(ろうかしょう)は、『源氏物語』の注釈書である。

見る 匂宮と弄花抄

匂宮三帖

匂宮三帖(におうみやさんじょう)とは、源氏物語における匂宮、紅梅、竹河の三帖をいう。

見る 匂宮と匂宮三帖

和歌

和歌(わか)とは、短歌型式の古典詩。古典短歌。広義には『万葉集』に所収される歌体の総称。 「和歌」の訓は「やまとうた」である。「和」の代わりに「倭」の字が、「歌」の代わりに「謌」「哥」の字が宛てられることもある。なお、歌謡と混同されるおそれがない文脈においては「歌」「うた」と表記され、呼ばれることもある。 長連歌、俳諧、俳句、狂歌、川柳風狂句は定型の古典詩であるが、一般には和歌には含めない。 長歌と短歌を合わせて和歌という分類方法もある。原則的に日本語で作成したものを指し、英語俳句のような外国の短歌は和歌には含めない。 明治の和歌革新家とその後継者の短歌作品、すなわち近現代短歌は「短歌」と称し「和歌」とは称さないことがある。

見る 匂宮と和歌

冷泉帝

冷泉帝/冷泉院(れいぜいてい・れいぜいのみかど/れいぜいいん)は、『源氏物語』に登場する三番目の帝(在位:「澪標」~「若菜下」。治世18年間は光源氏の全盛期であった)。架空の人物。五十四帖中「紅葉賀」から「橋姫」まで登場。 桐壺帝の第十皇子ということになっているが、実は光源氏と藤壺中宮の不義の子。朱雀帝の東宮となり、11歳で即位。今上帝に譲位するまで18年、世を治めた。譲位後は冷泉院に住まったことから「冷泉帝」の通称で呼ばれる。 母藤壺の崩御後に夜居の僧から出生の秘密を知らされ驚愕、父の源氏を臣下としておくことに悩んだが、源氏に帝位を譲ろうとして強く固辞される。その後は源氏の養女秋好中宮を立后させ、また源氏40歳の御賀に准太上天皇位を贈るなどして、陰ながら孝養を尽くそうとした。

見る 匂宮と冷泉帝

出家

出家(しゅっけ、pabbajjā、प्रव्रज्या ) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教コミュニティ(僧伽)に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。帰依する者(信者)の中では在家(Upāsaka; ざいけ)と対比される。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。 インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん,サマナ)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行に勤しんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。仏教における出家の伝統はこれに由来する。

見る 匂宮と出家

六の君

六の君(ろくのきみ)とは、源氏物語に登場する架空の人物。

見る 匂宮と六の君

六条院

六条院(ろくじょういん、ろくじょうのいん)は、紫式部作の『源氏物語』に登場する架空の建築物。主人公・光源氏の中年以降の邸宅。転じて准太上天皇となって以降の源氏のことも指す。モデルとして源融の河原院を始め、東三条殿や土御門殿など実在した邸宅が挙げられる。

見る 匂宮と六条院

兵部省

兵部省(ひょうぶしょう、つわもののつかさ)とは、律令制下の八省の一つ。内外の武官の人事考課、選叙(叙位及び任官)諸国の衛士の管理、武器の管理など、軍事防衛関連事項の一切を司る。令制では五司、後に一司(隼人司)を管掌する。しかし、鎌倉時代以降は、征夷大将軍に実権が移り、職務は限られた。

見る 匂宮と兵部省

光源氏

は、紫式部の物語『源氏物語』の主人公。平安時代の公卿。一世源氏。近衛中将、大将、大納言、内大臣、太政大臣、准太上天皇を歴任。広大な四町の邸宅を造営し六条院と呼ばれる。『源氏物語』五十四帖中第一帖「桐壺」から第四十一帖「幻」まで登場する。 なお「光源氏」とは「光り輝くように美しい源氏」を意味する通称である。

見る 匂宮と光源氏

秋好中宮

秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)は、紫式部の物語『源氏物語』に登場する架空の人物。作中では前斎宮であることから斎宮女御(さいぐうのにょうご)、また梅壺を局としたことから梅壺女御(うめつぼのにょうご)とも呼ばれる。

見る 匂宮と秋好中宮

竹河

「竹河」(たけかわ)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第44帖で匂宮三帖の第3帖。髭黒太政大臣亡き後の北の方玉鬘の奮闘を描く。巻名は薫と藤侍従の和歌「竹河のはしうち出でしひとふしに深きこころのそこは知りきや」および「竹河に夜をふかさじといそぎしもいかなるふしを思ひおかまし」に由来する。

見る 匂宮と竹河

紫の上

は、『源氏物語』の登場人物。光源氏の妻のひとり。光源氏に次ぐ主要な人物である。容姿とともに知性・性格・才芸などでも理想的な女性として描かれる。

見る 匂宮と紫の上

紫明抄

『紫明抄』(しめいしょう)とは、鎌倉時代に作られた河内方による『源氏物語』の注釈書である。

見る 匂宮と紫明抄

細流抄

『細流抄』(さいりゅうしょう)は、『源氏物語』の注釈書である。永正7年(1510年)から永正10年(1514年)の成立とみられる。『公条公聞書』、『源氏細流』、『源氏物語聞書』、『源氏物語抄』、『源氏物語注』、『源氏物語細流抄』、『細流』、『三条西家抄』、『三抄』、『帥源氏聞書』、『秘抄』などとさまざまな名称を持つ。

見る 匂宮と細流抄

紅梅 (源氏物語)

紅梅(こうばい)は、。

見る 匂宮と紅梅 (源氏物語)

総角 (源氏物語)

「総角」(あげまき)は、『源氏物語』五十四帖の巻の一つ。第47帖。第三部の一部「宇治十帖」の第3帖にあたる。巻名は薫が八の宮一周忌法要に事寄せて大君に詠んだ和歌「あげまきに 長き契りをむすびこめ おなじところに よりもあはなむ」(あなたが縒り結んでいる総角結びのように、あなたと私が長く寄り添えるようになりたいものだ)に因む。

見る 匂宮と総角 (源氏物語)

為氏本源氏物語系図

為氏本源氏物語系図(ためうじほんげんじものがたりけいず)は、古系図に分類される源氏物語系図の一つ。二条為氏による書写と伝えられるため、この名称で呼ばれる。ただし、本書の書体は為氏風の書風であるとはいえるものの、二条為氏の真筆であるかどうかは不明である。

見る 匂宮と為氏本源氏物語系図

白造紙

『白造紙』(はくぞうし)は、平安時代の故実書『簾中抄』(本項にて併説)の一異本とされる文書である。

見る 匂宮と白造紙

花散里

花散里(はなちるさと)は。

見る 匂宮と花散里

鎌倉時代

蒙古襲来絵詞 鎌倉時代(かまくらじだい、、12世紀末 - 正慶2年/元弘3年〈1333年〉)は、幕府が鎌倉(現・神奈川県鎌倉市)に置かれていた約一世紀半の時代を指す日本の歴史の時代区分である。鎌倉時代は、京都の朝廷と並んで相模国鎌倉に置かれた鎌倉幕府が全国統治の中心となり、日本史上で本格的な武家政権による統治が初めて行われた時代である。鎌倉時代には、二度の元寇(蒙古襲来)という未曾有の国難のほか、地震、飢饉、疫病が多く発生し、50回もの元号改元(そのうち災異改元が30回)が行われ、仏教(鎌倉仏教)が広く庶民と武家にまで広まった。 始期については、各種歴史教科書で記述されていた3つの諸説(1192年の源頼朝征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、鎌倉「幕府」の成立とは必ずしも一致はせず、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力)がある。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照。)。

見る 匂宮と鎌倉時代

落葉の宮

落葉の宮(おちばのみや)は、『源氏物語』に登場する架空の人物。 朱雀帝の第二皇女(女二宮)で、母は朱雀帝の更衣であった一条御息所。異母妹・女三宮を得られなかった柏木を哀れんだ父の致仕の大臣が朱雀院に嘆願し、柏木の正室として降嫁する(「若菜下」)。しかし依然女三宮に懸想する夫に省みられることはなく、妹の女三宮に比べると落葉のようにつまらない人だと蔑む歌を詠まれる(このため彼女は後世の読者により「落葉の宮」と呼ばれた)。 夫・柏木が女三宮との過ちの果てに早世し、その後、死の床で柏木に後事を託された親友・夕霧の訪問を度々受けるようになる(「柏木」)。そのうちに夕霧は物静かで奥ゆかしい彼女に思慕の念を抱くようになり、母御息所の死後、夕霧の手によって半ば強引に隠棲していた小野山荘から本邸の一条宮に移されて求婚され、初めは拒んだが結局は結婚を余儀なくされてしまう(「横笛」~「夕霧」)。

見る 匂宮と落葉の宮

蜻蛉 (源氏物語)

「蜻蛉」(かげろう)は、『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ。第52帖。第三部の一部「宇治十帖」の第8帖にあたる。巻名は薫が宇治の三姉妹との因縁を想い詠んだ和歌「ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えしかげろふ」に因む。

見る 匂宮と蜻蛉 (源氏物語)

薫(かおる)は、紫式部の物語『源氏物語』に登場する架空の人物。光源氏亡き後のいわゆる第三部「宇治十帖」の中心人物の一人。薫の君(かおるのきみ)、薫大将(かおるだいしょう、かおるのたいしょう)とも。「薫」は本名ではなく、生まれつき身体にえもいわれぬ芳香を帯びていたことに因む通称。 表向きは光源氏の次男(実は柏木の長男である可能性が高い)。母は源氏の正妻・女三宮。朱雀帝は祖父にあたる。また、本当の父が柏木である場合は頭中将も祖父にあたる。

見る 匂宮と薫

藤典侍

藤典侍(とうのないしのすけ)とは、源氏物語に登場する架空の人物。

見る 匂宮と藤典侍

若菜 (源氏物語)

「若菜」(わかな)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第34帖。本巻は源氏物語中最長の巻であり、現在では通常本文の存在しない「雲隠」を除いて「若菜上」(わかな じょう)および「若菜下」(わかな げ)とし、それぞれ第34帖、第35帖とされていることが多い。源氏の絶頂期であり、同時に衰運の始まりとなる時期である。

見る 匂宮と若菜 (源氏物語)

雲居の雁

雲居の雁(くもいのかり、雲居雁、雲井の雁)は、紫式部の物語『源氏物語』に登場する架空の人物。

見る 匂宮と雲居の雁

柏木 (源氏物語)

柏木(かしわぎ)は、。

見る 匂宮と柏木 (源氏物語)

正嘉本源氏物語系図

正嘉本源氏物語系図(しょうかほんげんじものがたりけいず)は、古系図に分類される源氏物語系図の一つ。鎌倉時代中期になる正嘉2年(1258年)夏の書写とする奥書を持つために「正嘉本」の名称で呼ばれている。

見る 匂宮と正嘉本源氏物語系図

水原抄

『水原抄』(すいげんしょう)は、鎌倉時代に河内方によって著されたとされる『源氏物語』の注釈書である。『原中最秘抄』の奥書のように「水原鈔」(「抄」の手偏が金偏になっている)と表記しているものもある。「水原」とは『源氏物語』の「源」の一文字を「偏(サンズイ)=水」と「旁=原」に分割したものであるとされる。

見る 匂宮と水原抄

江戸時代

江戸時代(えどじだい、)は、日本の歴史の内江戸幕府(徳川幕府)の統治時代を指す時代区分である。他の呼称として徳川時代、徳川日本、旧幕時代、藩政時代(藩領のみ)などがある。江戸時代という名は、江戸に将軍が常駐していたためである。

見る 匂宮と江戸時代

河海抄

『河海抄』(かかいしょう)は、室町時代初期に成立した『源氏物語』の注釈書である。

見る 匂宮と河海抄

渋谷栄一

渋谷 栄一(しぶや えいいち、1951年9月 - )は、日本の国文学者。高千穂大学名誉教授。 専門は、中古文学。藤原定家や『源氏物語』注釈について研究。

見る 匂宮と渋谷栄一

源氏供養

源氏供養(げんじくよう)とは、源氏物語およびその作者紫式部を供養するという、日本の中世に見られた文化である。 また、それを題材にした「源氏供養」という題の作品が、能を始め、いくつかある。それらについても解説する。

見る 匂宮と源氏供養

源氏物語

江戸時代の絵師 土佐光起(1617-1691)筆『源氏物語画帖』よりhttps://syuweb.kyohaku.go.jp/ibmuseum_public/index.php?app。

見る 匂宮と源氏物語

源氏物語古系図

源氏物語古系図(げんじものがたりこけいず)とは、『源氏物語』の登場人物を実在の人物と同様に系図の形式で書き表した源氏物語系図のうち、実隆本源氏物語系図以前のものをいう。 源氏物語系図のうち、古系図に限らない一般の記述については源氏物語系図を参照。

見る 匂宮と源氏物語古系図

源氏物語巻名目録

源氏物語巻名目録(げんじものがたりかんめいもくろく)は、『源氏物語』の巻名をその巻序に従って並べた文書である。

見る 匂宮と源氏物語巻名目録

源氏物語巻名歌

源氏物語巻名歌(げんじものがたりかんめいか)は、『源氏物語』の巻名を詠み込んだ和歌、あるいはそのような和歌を集めた歌集を言う。源氏物語巻名和歌、あるいは単に巻名歌や巻名和歌などとも呼ばれる。

見る 匂宮と源氏物語巻名歌

源氏物語表白

源氏物語表白(げんじものがたりひょうびゃく)とは、源氏供養の場において唱えられた表白文である。 「源氏供養表白」、「源氏表白」、「仮名表白」などと呼ばれることもある。

見る 匂宮と源氏物語表白

源氏物語願文

源氏物語願文(げんじものがたりがんもん)は、源氏供養のための漢文体の願文(表白文)である。

見る 匂宮と源氏物語願文

源氏釈

『源氏釈』(げんじしゃく)は、『源氏物語』の注釈書である。藤原伊行(ふじわらのこれゆき)によって平安時代末期に著された現存する最も古い『源氏物語』の注釈書であり、『弘安源氏論議』においても『源氏物語』の注釈の始まりは「宮内少輔が釈」と呼ばれている本書であるとされている。これに続く『源氏物語』の注釈書である藤原定家の『奥入』においても『源氏釈』は非常に重要視されており、数多く引用されている。但し常に従っているわけではなく、批判を加えている部分もある。

見る 匂宮と源氏釈

明石の姫君

明石の姫君(あかしのひめぎみ)は、『源氏物語』の登場人物である。 作中で「明石の~」と冠して呼ばれることはなく、巻によって「姫君」「若君」などと表されている。五十四帖中「澪標」から「手習」まで登場。

見る 匂宮と明石の姫君

浮舟 (源氏物語)

浮舟(うきふね)は、。

見る 匂宮と浮舟 (源氏物語)

早蕨

「早蕨」(さわらび)は、『源氏物語』五十四帖の巻の一つ。第48帖。第三部の一部「宇治十帖」の第4帖にあたる。巻名は、中君が詠んだ和歌「この春は誰にか見せむ 亡き人の形見に摘める 嶺の早蕨」に因む。

見る 匂宮と早蕨

源氏物語巻名歌源氏物語表白源氏物語願文源氏釈明石の姫君浮舟 (源氏物語)早蕨