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冷泉為満

索引 冷泉為満

冷泉 為満(れいぜい ためみつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿・歌人。正二位権中納言・冷泉為益の子。官位は正三位・権大納言。上冷泉家9代当主。.

38 関係: 堂上家大納言天正宝寿院祐心尼安土桃山時代山科言経中納言今城家後陽成天皇冷泉為益公卿元和 (日本)勘事四条隆昌遠州流顕如顕尊誠仁親王鷹司教平興正寺藤谷為賢楠木正辰正三位正二位正親町天皇歌人永禄江戸時代本願寺慶長1559年1585年1599年1619年2月14日 (旧暦)3月29日4月25日 (旧暦)5月31日

堂上家

堂上家(とうしょうけ、どうじょうけ)は、公家の家格の一つ。御所の清涼殿南廂にある殿上間に昇殿する資格を世襲した家柄。また、公卿になれる家柄。同時に上級貴族とも呼ばれる。 中級貴族である地下の官人を除く公家を指す。江戸時代末期には137家があった。.

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大納言

大納言(だいなごん)は、太政官に置かれた官職のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「おほいものまうすのつかさ」。唐名は亜相または亜槐。丞相・槐門(いずれも大臣のこと)に次ぐ者であることからいう。官位相当は三品・四品または正三位。.

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天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

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宝寿院祐心尼

宝寿院祐心尼(ほうじゅいん ゆうしんに、永禄8年(1565年) - 元和2年2月2日(1616年3月9日))は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけての女性。諱は為子。権中納言冷泉為益の三女。初め誠仁親王の女房となり、典侍局と称する。後に興正寺第17世顕尊の内室となる。『言経卿記』には親王女房の頃は御局、興正寺に嫁した後は西方(にしのかた)などと記される。.

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安土桃山時代

安土桃山時代(あづちももやまじだい)は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代である。2人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいう。 なお、美術史では1615年(慶長20年)の豊臣氏滅亡までを「安土桃山時代」と称するのが一般的である。.

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山科言経

山科 言経(やましな ときつね)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての公卿。正二位権大納言・山科言継の子。官位は正二位・権中納言。山科家13代当主。『言経卿記』の著者。.

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中納言

中納言(ちゅうなごん)は、太政官に置かれた令外官のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「すけのものまうすつかさ」あるいは「なかのものまうすつかさ」。.

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今城家

今城家(いまきけ)は、羽林家の家格をもつ藤原北家花山院流の公家である。江戸時代前期の中山冷泉家、権中納言中山冷泉為尚の息子・今城定淳(冷泉為継)を祖とする。家格は羽林家。江戸時代の石高は181石。家職は和歌・有職故実。明治維新後は、定徳が子爵に叙せられた『公家事典』340-341頁。。なお、前身の中山冷泉家を始まりとすることがある。.

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後陽成天皇

後陽成天皇(ごようぜいてんのう、元亀2年12月15日(1571年12月31日) - 元和3年8月26日(1617年9月25日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての第107代天皇(在位:天正14年11月7日(1586年12月17日) - 慶長16年3月27日(1611年5月9日))。諱は初め和仁(かずひと)、慶長3年(1598年)12月に周仁(かたひと)と改めた。.

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冷泉為益

冷泉 為益(れいぜい ためます)は、戦国時代の公卿・歌人。上冷泉家8代当主。.

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公卿

公卿(くぎょう)は、公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位、すなわち太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議ら(もしくは従三位以上(非参議))の高官(総称して議政官という)を差す用語である。平安時代に公卿と呼ばれるようになった。.

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元和 (日本)

元和(げんな)は日本の元号の一つ。慶長の後、寛永の前。1615年から1624年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川秀忠、徳川家光。.

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勘事

勘事(かんじ/こうじ)とは、上官の譴責を受けて出仕の差し止めなどの処分を受けること。勘当とも称した。天皇からの勘事の場合は、特に勅勘(ちょっかん)と称した。.

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四条隆昌

四条 隆昌(しじょう たかまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿。冷泉為益の長男。官位は左近中将。四条家15代当主。.

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遠州流

遠州流(えんしゅうりゅう)は小堀政一(遠州)に始まる小堀家本家に伝わる武家茶道の一派である。宗家は東京都新宿区にあり、財団法人として小堀遠州顕彰会、同門組織として茶道遠州会がある。また小堀遠州流(こぼりえんしゅうりゅう)は遠州から弟の小堀正行に分かれた流派で、家元は東京都練馬区にあり、同門組織は松籟会という。.

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顕如

顕如(けんにょ、顯如)は、戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第11世宗主、真宗大谷派第11代門首。石山本願寺住職。 顕如は号で、諱は光佐(こうさ)、法主を務めた寺号「本願寺」を冠して本願寺光佐(ほんがんじ こうさ)とも呼ばれる。院号は信楽院(しんぎょういん、信樂院)。法印大僧正、准三宮。父は第10世宗主の証如、関白内大臣九条稙通の猶子。室は左大臣三条公頼三女の如春尼。長男に真宗大谷派第12代門首の教如、次男に真宗興正派第17世門主の顕尊、三男に浄土真宗本願寺派第12世宗主の准如がいる。 神仏をないがしろにし武力による天下統一を狙う織田信長を仏敵とみなし、全国の本願寺門徒に信長打倒を呼びかけて決戦を挑んだ。軍事的にも経済的にも圧倒的に有利な織田軍相手に、調略を巡らせて信長包囲網を築き10年以上にわたって激しい攻防を繰り広げたことで知られる。.

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顕尊

顕尊(けんそん、永禄7年1月22日(1564年3月5日) - 慶長4年3月3日(1599年3月29日))は、戦国時代の浄土真宗の僧。興正寺第17世門主。諱は佐超。本願寺第11世門主顕如の次男。母は三条公頼の三女の如春尼。兄に教如、弟に准如。内室は冷泉為益の三女の祐心尼(元誠仁親王女房)。子に准尊。幼名は阿古丸。号は花恩院、諡号は往還院。 4歳で興正寺16世証秀の養子となる。永禄11年(1568年)養父の死により興正寺を継承し、翌永禄12年(1569年)正親町天皇より脇門跡とされる。天正3年(1575年)に実父顕如を戒師として正式に得度すると、直ちに法眼に任じられた。但し幼年のため、下間頼亮が補佐役を務めた。 石山合戦では、外部から父の籠る石山本願寺を支えて、安芸の毛利輝元と図って兵糧を石山本願寺に運び入れる工作を行う。これが縁で顕尊の死後、息子の准尊が輝元の養女を妻に迎えている。 父が石山本願寺を退去するとこれに従い、紀伊鷺森・和泉貝塚・摂津大坂、天満と移り住む。天正17年(1589年)に権僧正となり、2年後に父が豊臣秀吉の斡旋で京都七条に本願寺を再興すると、その南隣に土地を与えられ興正寺を再建した。 父の死後の後継者争いでは、異母弟の准如を支援して自分の娘の阿古をその内室とした。.

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誠仁親王

誠仁親王(さねひとしんのう、天文21年4月23日(1552年5月16日) - 天正14年7月24日(1586年9月7日))は、安土桃山時代の皇族。正親町天皇の嫡男でありながら皇位につくことなく早世したが、遺児である和仁親王(後陽成天皇)が皇位につくと、天皇の実父として太上天皇の尊号を追贈された。上皇としての諡(追号)は陽光院である。.

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鷹司教平

鷹司 教平(たかつかさ のりひら、慶長14年1月10日(1609年2月14日) - 寛文8年10月3日(1668年11月7日))は江戸時代の公卿。父は鷹司信尚。母は後陽成天皇第三皇女清子内親王。正室は文智女王。側室に冷泉為満の娘がいる。子に鷹司房輔、九条兼晴、鷹司信子(徳川綱吉正室)、鷹司房子(霊元天皇の中宮)、俊海(九条兼晴猶子)らがいる。号は一致院。一字名は雲・謙・公。権大納言左大将。従一位(1655年(承応4年)1月29日叙)。.

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興正寺

興正寺(こうしょうじ)は、京都府京都市下京区にある浄土真宗の寺院。山号は円頓山(えんとんざん)。西本願寺の南隣に位置する。 かつて西本願寺の脇門跡であったが、明治9年(1876年)に真宗興正派として独立した際に、同派の本山となる。住職は門主の華園家。本山だけあって大伽藍であるが、壮大な西本願寺の南に隣接しているため、一見西本願寺の伽藍の一部と見まがう。また西本願寺の御影堂があまりに大きいため、興正寺の伽藍が比較的小さく感じられるが、実際には堂々とした規模である。.

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藤谷為賢

藤谷 為賢(ふじたに ためかた)は、江戸時代前期の公卿。権大納言・冷泉為満の次男。官位は従二位・権中納言。藤谷家の祖。.

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楠木正辰

楠木 正辰(くすのき まさたつ)は、江戸時代の軍学者。楠木正虎の子、楠木不伝の父親。.

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正三位

正三位(しょうさんみ)とは、位階及び神階のひとつ。従二位の下、従三位の上に位する。日本では「おおいみつのくらい」とも読む。.

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正二位

正二位(しょうにい)は、日本の位階及び神階における位の一つ。従一位の下、従二位の上に位する。.

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正親町天皇

正親町天皇(おおぎまちてんのう、永正14年5月29日(1517年6月18日) - 文禄2年1月5日(1593年2月6日))は、第106代天皇(在位:弘治3年10月27日(1557年11月17日) - 天正14年11月7日(1586年12月17日))。諱は方仁(みちひと)。.

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歌人

歌人(かじん)とは、和歌または短歌を詠む人物のことをいう。歌詠み(うたよみ)ともいう。.

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永禄

永禄(えいろく)は、日本の元号の一つ。弘治の後、元亀の前。1558年から1570年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝、足利義栄、足利義昭。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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本願寺

本願寺(ほんがんじ)は、寺院の名称である。 各地に同名の寺院があるが、一般には本願寺系の浄土真宗(真宗)各派の本山である「本願寺」を指すことが多い。浄土真宗における寺号の由来は、13世紀に親鸞の廟堂に対して亀山天皇より下賜された「久遠実成阿弥陀本願寺」(くおんじつじょうあみだほんがんじ)であるとされる。16世紀末期に東西に分裂、東側は20世紀後期に発生したお東騒動の影響で更に分裂した。東西分裂前の本願寺については本願寺の歴史を参照のこと。.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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1559年

記載なし。

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1585年

記載なし。

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1599年

記載なし。

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1619年

記載なし。

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2月14日 (旧暦)

旧暦2月14日は旧暦2月の14日目である。六曜は先負である。.

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3月29日

3月29日(さんがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から88日目(閏年では89日目)にあたり、年末まであと277日ある。.

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4月25日 (旧暦)

旧暦4月25日は旧暦4月の25日目である。六曜は仏滅である。.

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5月31日

5月31日(ごがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から151日目(閏年では152日目)にあたり、年末まであと214日ある。5月の最終日である。誕生花はルピナス。.

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