目次
名家 (諸子百家)
『公孫龍子』白馬非馬を述べた箇所 名家(めいか)は、古代中国戦国時代を中心に活動した諸子百家の一派。主な人物に恵施と公孫龍がいる湯浅邦弘編『概説 中国思想史』ミネルヴァ書房、2010年、ISBN 9784623058204。22頁。弁者(辯者)などとも呼ばれる。 人間の言葉についての思索(言語哲学)を背景に、「白馬は馬ではない」(白馬非馬)、「亀は蛇より長い」(亀長於蛇)、「鶏は三本足」(鶏三足)、「今日越に行って昨日着く」(今日適越而昔来)などの奇怪な学説を説いた。また、政治哲学として非戦論などを説くこともあった。 秦漢以後に学派は断絶したが、明治期の日本や民国初期の中国において、西洋の論理学や哲学・パラドックスと類似視され「中国における論理学」とみなされて以来、再評価されるようになった。しかし現存する文献が乏しいため、実態は不明な点が多い。
見る 兒説と名家 (諸子百家)
字
字(あざな、)とは、中国など東アジアの漢字圏諸国で使われる人名の一要素である。昔、中国で成人男子と女子が実名以外につけた名。日本でも学者・文人がこれを用いた。
見る 兒説と字
孔子
孔夫子の像 孔子(こうし/くじ、、공자 、 、紀元前552年または紀元前551年 - 紀元前479年)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子は尊称である。ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の名で知られている。読みの「こうし」は漢音、「くじ」は呉音。釈迦、キリスト、ソクラテスと並び四聖人(四聖)に数えられる。 有力な諸侯国が領域国家の形成へと向かい、人口の流動化と実力主義が横行して旧来の都市国家の氏族共同体を基礎とする身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなした。孔子の死後約400年かけて孔子の教えをまとめ、弟子達が編纂したのが『論語』である。
見る 兒説と孔子
宣王 (斉)
宣王(せんおう、? - 紀元前301年)は、中国の田斉の第5代の君主(在位:紀元前319年 - 紀元前301年)。姓は嬀、氏は田、諱は辟彊。学問を奨励して諸国から学者を集め(稷下の学士)、商工業を糧に富国に成功している。また、孟子の献策で燕を制圧したことがあったが、これは失敗に終わっている。父の威王と並び名君とされ、弟の靖郭君田嬰とその子の孟嘗君を重用して覇権を握り続け、西方の雄秦と2大大国時代を現出させた。
見る 兒説と宣王 (斉)
宋 (春秋)
宋(そう、紀元前1100年ごろ-紀元前286年)は、中国に周代・春秋時代・戦国時代に亘って存在した国である。都は商丘。
見る 兒説と宋 (春秋)
岩波文庫
岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。
見る 兒説と岩波文庫
中国
中国(ちゅうごく、中國)は、ユーラシア大陸(アジア大陸)の東部を占める地域、及びそこで成立した国家をさす用語。日本では、1972年の日中国交正常化以降、中華人民共和国の略称としても使用されている。 中国統一問題を参照)。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。
見る 兒説と中国
平凡社
株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が漢字の八のように末広がりになった旧字体「異体字セレクタを用いたUnicodeの符号位置はU+5E73,U+E0101またはU+5E73,U+0103」を用いる(大正末期創業のため)。
見る 兒説と平凡社
公孫竜
公孫 竜または公孫 龍(慣用音: こうそん りゅう、漢音: こうそん りょう湯浅邦弘編『概説 中国思想史』ミネルヴァ書房、2010年、ISBN 9784623058204。22頁、、紀元前310年代頃 - 紀元前250年代頃)は、古代中国戦国時代の思想家。諸子百家の名家の筆頭。「白馬非馬説」「堅白論」などの奇怪な学説をといた。趙の平原君の食客だったが、陰陽家の鄒衍より排撃を受けて趙を去った。著作として『公孫龍子』が伝わる。字は子秉(しへい)。
見る 兒説と公孫竜
稷下の学士
稷下の学士(しょくかのがくし)は、中国の戦国時代、斉の国都である臨淄に集まった学者たちである。臨淄の城門のひとつである「稷門」の近くに住んだことから、この名がある。
見る 兒説と稷下の学士
田嬰
田 嬰(でん えい、生没年不詳)は、中国戦国時代の斉の公族、政治家。姓は嬀、氏は田、諱は嬰。諡号は靖郭君。威王の末子。子は孟嘗君(田文)ら。
見る 兒説と田嬰
田斉
田斉(でんせい)は、中国の戦国時代、紀元前386年に田氏が姜姓呂氏の斉(姜斉または呂斉)を滅ぼして新たに立てた国。国号は単に斉であるが、西周・春秋時代の姜斉と特に区別する場合に嬀斉または田斉と呼ばれる。戦国時代中期には、湣王の頃に東帝を称するまでになるほど強盛を誇り、戦国七雄の一つにも数えられる。首都は姜斉の時と変わらず臨淄であった。
見る 兒説と田斉
白馬非馬
白馬非馬(はくばひば)は、古代中国の学説。「白馬非馬説」「白馬非馬論」「白馬は馬にあらず」「白い馬は馬ではない」とも呼ばれる。論理学または詭弁の説。兒説や公孫竜らによって唱えられた。解釈は諸説ある。
見る 兒説と白馬非馬
韓非子
『韓非子』(かんぴし)は、中国戦国時代の法家である韓非の著書。内容は春秋戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言えるものである。
見る 兒説と韓非子
食客
食客(しょっかく、しょっきゃく)は中国の戦国時代に広まった風習で、君主たちが才能のある人物を客として遇して養う代わりに、主人を助けるというもの。門客(もんかく)とも言う。 彼らの中には任侠の志を持つ者が多く、場合によっては、命を差し出すこともあった。逆に主人を裏切り殺害することもあった。 多数の食客を抱えたことで有名な人物は、戦国四君(斉の孟嘗君、 趙の平原君、魏の信陵君、楚の春申君)、秦の呂不韋などがいる。彼らの食客は俗に三千人と言われた。 食客は、その土地に封土を有さないため、諸侯などの「館(『官』が原字)」に起居し、「官」の起源となった。また、生計を封土からの収穫ではなく、その特別な技術・才能からの報酬により立てたので、「論客」「剣客」「刺客」等の語源ともなる。
見る 兒説と食客
論語
朱熹『論語集注』八佾 『論語』(ろんご、)は、孔子とその高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録した書物である。儒教の経典である経書の一つで、朱子学における「四書」の一つに数えられる。 その内容の簡潔さから儒教入門書として広く普及し、中国の歴史を通じて最もよく読まれた本の一つである。古くからその読者層は知識人に留まらず、一般の市民や農民の教科書としても用いられていた。
見る 兒説と論語
金谷治
金谷 治(かなや おさむ、1920年2月20日 - 2006年5月5日)は、日本の東洋学者。専門は、中国哲学、特に中国古代思想史)。2003年勲二等瑞宝章受章。
見る 兒説と金谷治
戦国策
『戦国策』(せんごくさく)は、戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に分類し、編集した書物(全33篇)。前漢の劉向の編。「戦国時代」という語はこの書に由来する。
見る 兒説と戦国策
戦国時代 (中国)
中国の戦国時代(せんごくじだい、、紀元前5世紀 - 紀元前221年)は、中国の歴史の時代。 戦国時代の開始は7説ある。一般的には周の敬王44年(紀元前476年)『史記』に記述されている紀元前403年以前の重大な歴史事件は紀元前473年の越王勾践が呉を滅ぼしたことと、紀元前403年の三家分晋が挙げられる。、周の定王16年(紀元前453年)晋陽の戦いで趙氏・韓氏・魏氏が智氏を滅ぼし、晋を分割した年。、周の威烈王23年(紀元前403年)韓・魏・趙が諸侯に認められた年。この説がよく知られている。の3説が有名である。秦始皇26年(紀元前221年)秦が斉を滅ぼし、中原統一したことで終わりを告げる。現在では東周の前半を春秋時代、後半を戦国時代というようになった。東周は赧王59年(前256年)秦によって滅亡した。戦国時代には各諸侯国が戦争を続けたため、後世では「戦国」と呼ばれた。「戦国」の名は前漢の劉向の『戦国策』に由来する。
見る 兒説と戦国時代 (中国)

