184 関係: 加藤弘之、原田一道、千家尊福、南郷茂光、吉井友実、吉田清成、坂本政均、堀江芳介、壬生基修、大久保一翁、大給恒、大鳥圭介、大迫貞清、天皇、奈良原繁、宍戸たまき、宮本小一、官吏、安場保和、安保清康、安田定則、安藤則命、寺島秋介、小原重哉、小畑美稲、尾崎三良、山口尚芳、山尾庸三、山田顕義、岡内重俊、岩山敬義、岩崎小二郎、岩下方平、岩村定高、岩村通俊、岸良兼養、島惟精、巌谷一六、上野景範、上杉茂憲、帝国議会、中島佐衡、中島信行、中島錫胤、中島永元、中井弘、中村博愛、中村孝禧、中村弘毅、中村正直、...、丸山作楽、三浦安、三浦梧楼、九鬼隆一、平岡通義、平松時厚、久我通久、五条為栄、井上廉、井上馨、井田譲、建野郷三、伊丹重賢、伊集院兼寛、伊東祐麿、佐々木高行、佐野常民、作間一介、何礼之、後藤象二郎、土肥謙蔵、土方久元、内閣総理大臣、児玉少介、元老、元老院 (日本)、前島密、前田献吉、前田正名、勝海舟、勅任官、国司順正、四条隆平、四条隆謌、石丸安世、石井忠亮、石井邦猷、石田英吉、玉乃世履、神山郡廉、神田孝平、福原実、福岡孝弟、福羽美静、秦郁彦、秋月種樹、税所篤、穂波経度、立木兼善、箕作麟祥、籠手田安定、細川潤次郎、綿貫吉直、田中不二麿、田中光顕、田中芳男、田辺太一、田辺良顕、由利公正、町田久成、鍋島幹、鍋島直大、鍋島直彬、華族、青山貞、西周 (啓蒙家)、西村貞陽、調所広丈、高崎五六、議員、谷森真男、貴族院 (日本)、鳥尾小弥太、鶴田皓、鷲尾隆聚、黒田清綱、辻維岳、蜂須賀茂韶、船越衛、関口隆吉、藤井希璞、醍醐忠敬、野村素介、重野安繹、金井之恭、長岡護美、長谷信篤、長谷部辰連、長與專齋、長松幹、陸奥宗光、柳原前光、柳楢悦、柴原和、林友幸、東久世通禧、東京大学出版会、松岡時敏、松本鼎 (政治家)、村田保、森山茂、楠田英世、楠本正隆、楫取素彦、槇村正直、橋口兼三、橋本実梁、水本成美、永山盛輝、河田景与、河瀬真孝、河鰭実文、河野敏鎌、沖守固、津田出、津田真道、渡辺驥、渡辺洪基、渡辺清 (政治家)、渡邊昇、渡正元、清岡公張、湯地定基、濱尾新、木梨精一郎、本田親雄、有栖川宮熾仁親王、明治、海江田信義、浅野長勲、斎藤利行、日本、時任為基、1890年。 インデックスを展開 (134 もっと) »
加藤弘之
加藤 弘之(かとう ひろゆき、1836年8月5日(天保7年6月23日) - 1916年(大正5年)2月9日)は、日本の政治学者、教育家、官僚。位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。学位は文学博士(1888年)、法学博士(1905年)。旧名弘蔵(こうぞう)。 外様大名の出石藩の藩士の子に生まれ、出石藩藩校弘道館で学んだ後、済美館や致遠館でフルベッキの門弟として学ぶ。学門一筋で精進し幕臣となり、維新後は新政府に仕える身となる。明六社会員。外務大丞、元老院議官、勅選貴族院議員などを歴任、獨逸学協会学校の第2代校長、旧東京大学法・理・文3学部の綜理を務め、のち帝国大学(現・東京大学)第二代総長を務めた。大日本教育会名誉会員。その後男爵、初代帝国学士院院長、枢密顧問官。.
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原田一道
原田 一道(はらだ いちどう / かづみち、文政13年8月21日(1830年10月7日) - 明治43年(1910年)12月8日)は、江戸幕府旗本、幕末・明治期の兵学者、日本陸軍軍人。陸軍少将正二位勲一等男爵。.
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千家尊福
千家 尊福(せんげ たかとみ、弘化2年8月6日(1845年9月7日) - 大正7年(1918年)1月3日)は、日本の宗教家、政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。 出雲大社宮司、神道大社教管長(初代)、元老院議官、貴族院議員、埼玉県知事(第4代)、静岡県知事(第4代)、東京府知事(第17代)、司法大臣(第14代)、東京鉄道株式会社社長などを歴任した。.
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南郷茂光
南郷 茂光(なんごう しげみつ/もちてる、1838年8月19日(天保9年6月30日) - 1909年(明治42年)12月11日)は、幕末の加賀藩士。明治初期の海軍官僚(文官)、海軍軍人。最終階級は主計大監(大佐相当官)。別名・浅津 富之助(あさづ とみのすけ)。.
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吉井友実
吉井 友実(よしい ともざね、文政11年2月26日(1828年4月10日) - 明治24年(1891年)4月22日)は、日本の武士・薩摩藩士、官僚。正二位勲一等伯爵。通称を仁左衛門、中介、後に幸輔。変名を山科兵部。.
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吉田清成
吉田 清成(よしだ きよなり、弘化2年2月14日(1845年3月21日)- 明治24年(1891年)8月3日)は、幕末の薩摩藩士、明治初期の官僚(外交官・農商務官僚)。元の名は巳之次。通称は太郎。留学中の変名は永井五百助。.
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坂本政均
坂本 政均(さかもと まさひら『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』467-472頁。、1831年12月7日(天保2年11月4日)- 1890年(明治23年)1月15日)は、幕末の幕臣、明治期の司法官。元老院議官。旧姓・赤井、通称・三郎。「阪本」と表記される場合がある『明治過去帳』新訂初版、294頁「阪本政均」。。.
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堀江芳介
堀江 芳介(ほりえ よしすけ / ほうすけ、1845年4月9日(弘化2年3月3日) - 1902年(明治35年)3月27日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。元老院議官、衆議院議員、錦鶏間祗候。.
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壬生基修
壬生 基修(みぶ もとおさ基修を「もとなが」と記すものもあるが、「もとおさ」が正しい。、天保6年3月7日(1835年4月4日) - 明治39年(1906年)3月5日)は、幕末から明治にかけての公卿、政治家。庭田重基の三男で、壬生道吉の養子。室は重子(四辻公績の四女)。.
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大久保一翁
大久保 一翁(おおくぼ いちおう) / 大久保 忠寛(おおくぼ ただひろ)は、幕末から明治時代にかけての幕臣、政治家。東京府知事、元老院議官を務めた。栄典は従二位勲二等子爵。.
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大給恒
大給 恒(おぎゅう ゆずる)は、日本の大名、政治家、華族。三河奥殿藩の第8代藩主、のちに信濃田野口藩(竜岡藩)の藩主。奥殿藩大給松平家10代で最後の藩主。江戸幕府の老中格、老中、若年寄。明治維新後は伯爵となる。日本赤十字社の創設者の一人として知られる。旧名は松平 乗謨(まつだいら のりかた)。.
大鳥圭介
大鳥 圭介(おおとり けいすけ、天保4年2月25日(1833年4月14日) - 明治44年(1911年)6月15日)は、日本の西洋軍学者、幕臣、軍人、官僚、外交官。正二位勲一等男爵。家紋は鶴の丸。.
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大迫貞清
大迫 貞清(おおさこ さだきよ、1825年6月22日(文政8年5月7日) - 1896年4月27日)は、幕末の薩摩藩士、明治の官僚・政治家。元老院議官、貴族院議員、子爵。.
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天皇
天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.
奈良原繁
奈良原 繁(ならはら しげる、天保5年5月23日(1834年6月29日) - 大正7年(1918年)8月13日)は、日本の武士、官僚である。静岡県令、沖縄県知事(第4代)、貴族院議員、元老院議官、錦鶏間祗候、日本鉄道会社(のち甲武鉄道会社、両毛鉄道会社、水戸鉄道社長兼任)の社長など。男爵。.
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宍戸たまき
宍戸 璣(ししど たまき、文政12年3月15日(1829年4月18日) - 明治34年(1901年)10月1日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家・官僚。子爵)。前名の山県半蔵でも知られる。.
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宮本小一
宮本 小一(みやもと こいち、1836年4月15日〈天保7年2月30日〉 - 1916年〈大正5年〉10月18日『官報』第1269号「帝国議会」、1916年10月23日。)は、日本の官僚。元老院議官。錦鶏間祗候。貴族院勅選議員。旧名:小一郎。.
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官吏
官吏(かんり)とは、公法上の任命行為に基づいて任命され、官公庁や軍などの国家機関に勤務する者を指す。憲法により指す内容が異なる。「官人胥吏」の合成語。 大日本帝国憲法の下では天皇の官制大権および文武官の任免大権(大日本帝国憲法10条)によって任免される者を指し、軍務に服する武官とそれ以外の文官を包含する。 日本国憲法の下では公務員または国家公務員を指す(日本国憲法7条5号、73条4号)(高級官吏および各国の官吏については官僚の項目を参照のこと)。 また、天皇が認証する官吏を認証官という。.
安場保和
安場 保和(やすば やすかず、天保6年4月17日(1835年5月14日) - 明治32年(1899年)5月23日は、近代日本草創期の男性官僚・政治家。明治維新に功があり、華族に列して男爵となる。 肥後細川藩出身で薩摩・長州の藩閥政府と微妙な距離を保ちながらも、東北・北海道地方の開発と近代化、草の根からの人材発掘に生涯を捧げる。福島県の安積疏水をオランダの技師、ファン・ドールンの招聘によって進めたのはその典型。当初の構想である東北地方を横貫して阿武隈川から猪苗代湖にいたり阿賀野川に抜ける大運河構想を破棄し鉄道建設に取って代わらせ、疏水方式による通航が出来ない通水のみの機能に絞って実現した。それにより、現在の郡山地方周辺の開発に土台を築いた功績は大きい。また、十綱橋の福島県費を使った建設をも行うなど、人心の慰留につとめた。.
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安保清康
安保 清康(あぼ きよやす、1843年1月30日(天保14年1月1日) - 1909年10月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。男爵。旧姓、林。通称、謙三。海軍の先覚者の一人『広島県大百科事典』、中国新聞社、1994年、36頁。.
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安田定則
安田 定則(やすだ さだのり、1845年7月6日(弘化2年6月2日) - 1892年(明治25年)3月8日『幕末維新大人名事典』下巻、591-592頁。)は、幕末の薩摩藩士、明治期の官僚・政治家。官選茨城県知事、元老院議官、貴族院勅選議員。通称・泰助『明治過去帳』新訂初版、349-350頁。.
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安藤則命
安藤 則命(あんどう そくめい『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』89頁。 / のりみち『明治維新人名辞典』50頁。、1828年4月19日(文政11年3月6日) - 1909年(明治42年)11月23日)は、幕末の薩摩藩士、明治期の警察官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。通称・十郎。.
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寺島秋介
寺島 秋介(てらしま あきすけ『平成新修旧華族家系大成』下巻、124頁。 / てらじま あきすけ『明治維新人名辞典』645頁。 / てらじま しゅうすけ『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』141頁。、1842年11月17日(天保13年10月15日『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』508-518頁。『明治維新人名辞典』645頁では「天保11年10月15日」。)- 1910年(明治43年)7月30日『明治過去帳』新訂初版・1174頁では「7月28日」、『明治維新人名辞典』645頁では「7月29日」。)は、幕末の長州藩士、明治期の官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、男爵、錦鶏間祗候。諱・直方、通称・秀之助。.
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小原重哉
小原 重哉(おはら しげや『明治維新人名辞典』255頁。 / しげちか、1834年9月11日(天保5年8月9日)「〔岡山県士族小原重哉履歴書〕」 - 1902年(明治35年)5月28日)は、日本の司法官僚、内務官僚。貴族院勅選議員。初名は澄太郎、号は米華。.
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小畑美稲
小畑 美稲(おばた うましね、1829年10月22日(文政12年9月25日) - 1912年11月12日)は、幕末の土佐藩士、明治の裁判官・政治家。元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候、正二位、男爵。幼名・孫二郎または孫次郎。.
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尾崎三良
尾崎 三良(おざき さぶろう、天保13年1月22日(1842年3月3日)- 大正7年(1918年)10月13日)は、日本の官僚。男爵。諱は盛茂、別名・戸田 雅楽(とだ うた)。京都郊外の西院村で代々里長を務める家に生まれる伊藤(2001)p.103。「憲政の神様」と呼ばれた明治・大正・昭和にわたって活動した政治家・尾崎行雄は女婿にあたる。.
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山口尚芳
山口 尚芳(やまぐち ますか / なおよし、天保10年5月11日(1839年6月21日) - 明治27年(1894年)6月12日)は、日本の武士(佐賀藩士)、官僚、政治家。父は山口尚澄。通称は範蔵(はんぞう)。.
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山尾庸三
山尾 庸三(やまお ようぞう、天保8年10月8日(1837年11月5日) - 1917年(大正6年)12月22日)は、幕末から大正時代の長州藩士、官僚。子爵。長州藩重臣で寄組繁沢氏の給領地庄屋であった山尾忠治郎の二男。周防国吉敷郡二島村(現・山口県山口市秋穂二島)出身。木戸幸一(太平洋戦争時の昭和天皇側近)の外祖父(長女の寿栄が木戸の母)に当たる。.
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山田顕義
山田 顕義学術誌、研究書、文部科学省検定教科書における歴史人物としての表記は「山田顕義」、新聞報道や『職員録』など存命中の印刷物における表記は「山田顯義」、御署名原本(法令などの天皇署名の原本)における山田本人の署名は「山田顕義」である。-->(やまだ あきよし、顯義、天保15年旧暦10月9日(西暦換算1844年11月18日) - 明治25年(1892年)11月11日)は、日本の幕末の武士、長州藩士、明治時代の政治家、陸軍軍人。諱ははじめ顕孝、のち顕義と改めた。幼名は市之允(いちのじょう)。号に養浩斎(ようこうさい)・狂痴(きょうち)・韓峰山人(かんぽうさんじん)、不抜(ふばつ)、空斎(くうさい)など。山田 空斎(やまだ くうさい)としても知られる。階級は陸軍中将、正二位勲一等、伯爵。 明治維新期の軍人として新政府に貢献するとともに、新日本の設立者として、近代日本の法典整備に力を尽くした、ため「法典伯」と呼ばれた。 長門国出身。吉田松陰が営む松下村塾に最年少の14歳で入門、最後の門下生となる。25歳の時に戊辰戦争で討伐軍の指揮をとる。その際、西郷隆盛から「あの小わっぱ、用兵の天才でごわす」、見事な軍才から「用兵の妙、神の如し」との名言がある。岩倉使節団の一員としてフランスを訪問した際、ナポレオン法典と出会い、「法律は軍事に優先する」ことを確信し、以後一貫して法律の研究に没頭する。約9年間にわたり司法大臣として近代国家の骨格となる明治法典を編纂した。.
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岡内重俊
岡内 重俊(おかうち しげとし、1842年5月11日(天保13年4月2日)- 1915年(大正4年)9月20日『明治時代史大辞典 第一巻』378頁。『大正過去帳 物故人名辞典』73頁・『海を越えた日本人名事典』新訂増補184頁では「9月19日」。)は、幕末の土佐藩士、明治期の司法官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、男爵、錦鶏間祗候。通称・俊太郎。.
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岩山敬義
岩山 敬義(いわやま たかよし、天保10年10月(1839年) - 明治25年(1892年)1月13日)は、日本の官僚。宮崎県知事、石川県知事、駒場農学校初代校長、下総御料牧場の初代場長、農務局長を歴任。正四位・勲三等。日本農政、特に牧羊の貢献者。薩摩藩家老岩山八郎太の子。姉糸子(いと)が西郷隆盛に嫁いでおり、隆盛にとっては義理の弟にあたる。著書に『西洋農学法教養』。幼名岩山壮太郎、壮八郎『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』9頁。。通称・直樹。.
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岩崎小二郎
岩崎 小二郎(いわさき こじろう、弘化3年1月(1846年) - 1895年(明治28年)6月22日)は、幕末の大村藩士、明治期の大蔵・内務官僚、政治家。県知事、元老院議官、貴族院議員。旧姓・朝山。.
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岩下方平
晩年の岩下方平 岩下 方平(いわした みちひら / ほうへい『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』1頁。、文政10年3月15日(1827年4月10日) - 明治33年(1900年)8月14日)は、日本の武士(薩摩藩士)、政治家。勲一等子爵。通称は左次右衛門、左二。.
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岩村定高
岩村 定高(いわむら さだたか、1828年(文政11年11月12日)- 1899年(明治32年)1月7日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』99頁。)は、明治期の官僚、政治家。三重県令、元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。旧名・右近「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 岩村定高」。.
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岩村通俊
岩村 通俊(いわむら みちとし、天保11年6月10日(1840年7月8日) - 大正4年(1915年)2月20日)は、日本の武士、官僚、政治家。鹿児島県令や初代北海道庁長官などを務めた。貫堂と号し、素水を俳号とする。栄典は正二位勲一等男爵。.
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岸良兼養
岸良 兼養(きしら かねやす、天保8年8月(1837年)- 明治16年(1883年)11月15日『日本人名大辞典』602頁。)は、幕末の薩摩藩士、明治時代の司法官。元老院議官、大審院長。通称・七之丞。.
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島惟精
島 惟精(しま いせい)1834年5月9日(天保5年4月1日) - 1886年(明治19年)5月11日)は、幕末の府内藩士、明治期の内務官僚、政治家。初代岩手県令、元老院議官。通称は唯蔵。.
巌谷一六
巖谷 一六(いわや いちろく、天保5年2月8日(1834年3月17日) - 明治38年(1905年)7月12日)は、近江国(滋賀県)出身の書家、官僚、漢詩人。本名は修(しゅう)(幼名は辨治、ついで迂也)、字は誠卿。特に書家として名高く、一六(一六居士)はその号で、別号に迂堂・古梅・金粟道人などがある。日本近代児童文学の創始者と評される巖谷小波はその三男。.
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上野景範
上野 景範(うえの かげのり、1845年1月8日(天保15年12月1日) - 1888年(明治21年)4月11日)は明治時代の日本の外交官。 薩摩国鹿児島出身。英学に明るく、明治維新後にハワイの元年者移民問題などに当たり、駐米・英・墺などの全権公使を歴任。後に元老院議官となった。趣味は油絵。明治6年(1873年)5月、内閣に提議した李氏朝鮮との修好条約締結問題における意見書は、征韓論の端緒となり、明治六年政変を引き起こすこととなる。.
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上杉茂憲
上杉 茂憲(うえすぎ もちのり、- )は、出羽国米沢藩最後の(13代)藩主。12代藩主・上杉斉憲の長男。母は於盤。維新後は正二位伯爵に叙せられ、沖縄県令、貴族院伯爵議員、侍従、錦鶏間祗候を歴任した。.
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帝国議会
帝国議会(ていこくぎかい)は、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法(明治憲法)発布から1947年(昭和22年)の日本国憲法への改正まで設置されていた日本の議会である。公選の衆議院と非公選の貴族院から成る。「議会」もしくは「国会」と略称された『事典 昭和戦前期の日本』(吉川弘文館) 36頁。。1890年(明治23年)11月29日開会の第1回議会から、1947年(昭和22年)3月31日閉会の第92回議会まで行われた。今日の国会との連続性を持つ。.
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中島佐衡
中島 佐衡(なかじま すけひら、1837年(天保7年12月)- 1889年(明治22年)6月13日『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』312-316頁。)は、幕末の長州藩士、明治期の海軍軍人・官僚・政治家。海軍大佐。元老院議官。旧姓・石川。通称・四郎。.
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中島信行
中島 信行(なかじま のぶゆき、弘化3年8月15日(1846年10月5日) - 1899年3月26日)は、日本の政治家。男爵。通称は作太郎。長男は中島久万吉。最初の妻は陸奥宗光の妹の中島初穂(1877年死去)で、後妻は女性解放運動家の岸田俊子。.
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中島錫胤
中島 錫胤(なかじま ますたね、1830年1月2日(文政12年12月8日) - 1905年(明治38年)10月5日)は、幕末の徳島藩士、明治時代の内務・司法官僚、裁判官。官選県知事を歴任、元老院議官・貴族院議員。錦鶏間祗候、華族(男爵)。 またの名を中島永吉、直人『平成新修旧華族家系大成』下巻、p.232。明治維新後に錫胤と名乗る。号は可庵、無外。.
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中島永元
中島 永元(なかじま ながもと / えいげん、1844年8月29日(弘化元年7月16日) - 1922年(大正11年)11月10日)は明治時代の日本の文部官僚。旧佐賀藩士。明治初年までの名は秀五郎。 辻新次とともに一貫して明治前期の中央教育行政にたずさわり、明治中期以降は大学分校、第三高等中学校(いずれも京都大学の前身の一つ)の校長、元老院議官、貴族院議員を歴任した。.
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中井弘
中井 弘(なかい ひろし / ひろむ『中井桜洲 明治の元勲に最も頼られた名参謀』(屋敷茂雄)には読み方はひろしではなく「ひろむ」が正しいと書かれているが、他の多くの文献は「ひろし」をとっている。、天保9年11月29日(1839年1月14日) - 明治27年(1894年)10月10日)は、日本の武士(薩摩藩士)、外交官、政治家である。号は桜洲(桜州山人)。別名:横山休之進、鮫島雲城、後藤休次郎、田中幸介、中井弘蔵。書家としても知られる。鹿鳴館の名付け親でもある。著書に『合衆国憲法略記』『西洋紀行航海新説』『魯西亜土耳其漫遊記程』などがある。逸話が多く、明治の怪傑、奇人、滑稽家として知られた。.
中村博愛
中村 博愛(なかむら ひろなり / ひろやす『幕末維新大人名事典』下巻、216頁。、1844年2月17日(天保14年12月29日『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』333-337頁。) - 1902年(明治35年)10月30日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』147頁。)は、幕末の薩摩藩士、明治期の外交官・官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。旧名・宗見、変名・吉野清左衛門『海を越えた日本人名事典』新訂増補、507頁。。.
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中村孝禧
中村 孝禧(なかむら こうき、天保10年3月26日(1839年5月9日)『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』366-371頁。 - 1917年(大正6年)3月12日)は、幕末の長州藩士、明治期の内務官僚。元老院議官。旧名・芳之助。.
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中村弘毅
中村 弘毅(なかむら こうき / ひろたけ『明治維新人名辞典』713-714頁。、天保9年(1838年)11月-明治20年(1887年)7月3日)は、幕末の土佐藩士。明治政府において太政官内閣書記官長・元老院議官などを歴任した。通称は小文次・幹之助・禎助。.
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中村正直
中村 正直(なかむら まさなお、1832年6月24日(天保3年5月26日) - 1891年(明治24年)6月7日)は明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。英学塾・同人社の創立者で、東京女子師範学校摂理、東京大学文学部教授、女子高等師範学校長を歴任した。通称・敬太郎、敬輔。号は敬宇。.
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丸山作楽
丸山 作楽(まるやま さくら、1840年10月27日(天保11年10月3日) - 1899年(明治32年)8月19日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』166頁。)は、明治時代の外交官・実業家・政治家。別名:正虎、正路、佐久良。号:神習処・素行・磐之屋。.
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三浦安
三浦 安(みうら やすし、文政12年8月18日(1829年9月15日) - 明治43年(1910年)12月11日)は、日本の幕末から明治時代の武士(紀州藩士)、政治家。.
三浦梧楼
三浦 梧楼(梧樓)(みうら ごろう、弘化3年11月15日(1847年1月1日) - 大正15年(1926年)1月28日)は、日本の武士、陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。栄典は従一位勲一等子爵。号は観樹。.
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九鬼隆一
九鬼 隆一(くき りゅういち、嘉永5年8月7日(1852年9月12日)? - 昭和6年(1931年)8月18日)は、明治時代から昭和初期にかけての日本の官僚、政治家。旧綾部藩士。男爵。号は成海。 摂津国三田出身。慶應義塾に学んだのち文部省に出仕し、若くして文部少輔(現在の事務次官)にまで栄進。1884年(明治17年)、駐米特命全権公使に転じ、1888年(明治21年)に帰国すると図書頭、臨時全国宝物取調委員長、宮中顧問官、帝国博物館総長を歴任。美術行政に尽力した。また貴族院議員、次いで枢密顧問官を兼任。1900年(明治33年)に総長を退いてからは枢密顧問官を長く務めた。1914年(大正4年)には郷里に三田博物館を設立し、自らの美術コレクションを展示・公開している。四男は哲学者の九鬼周造。.
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平岡通義
平岡 通義(ひらおか みちよし、1831年9月20日(天保2年8月15日『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』596-601頁。)- 1917年(大正6年)4月2日『幕末維新大人名事典』下巻「平岡通養」348頁。)は、幕末の長州藩士、明治期の官僚・政治家。元老院議官、錦鶏間祗候。旧名・兵部。.
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平松時厚
平松 時厚(ひらまつ ときあつ、1845年10月11日(弘化2年9月11日)- 1911年(明治44年)8月22日『平成新修旧華族家系大成』下巻、420-422頁。)は、幕末の公家、明治期の官僚・検察官。新潟県令、元老院議官、貴族院子爵議員、錦鶏間祗候。.
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久我通久
久我 通久(こが みちつね、天保12年11月28日(1842年1月9日) - 大正14年(1925年)1月10日)は幕末の公卿、明治・大正時代の華族、政治家。侯爵『人事興信録.
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五条為栄
五条 為栄(ごじょう ためしげ、1842年5月1日(天保13年3月21日)- 1897年(明治30年)7月16日『明治維新人名辞典』398-399頁。)は、幕末の公家、明治期の陸軍軍人・内政官僚・政治家。陸軍少将、元老院議官、貴族院子爵議員、錦鶏間祗候。.
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井上廉
井上 廉(いのうえ きよし『徳川幕臣人名辞典』93-94頁。 / れん『幕末維新大人名事典』上巻、167-168頁。、1846年5月15日(弘化3年4月20日 )- 1914年(大正3年)2月18日)は、幕末の幕臣、明治期の官僚。元老院議官。諱・直義、通称・廉八(れんぱち)、維新後に廉と改名。.
井上馨
長州五傑 井上 馨(いのうえ かおる、天保6年11月28日(1836年1月16日) - 大正4年(1915年)9月1日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家、実業家。本姓は源氏。清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む安芸国人毛利氏家臣・井上氏の出身で、先祖は毛利元就の宿老である井上就在。首相・桂太郎は姻戚。同時代の政治家・井上毅や軍人・井上良馨は同姓だが血縁関係はない。 幼名は勇吉、通称は長州藩主・毛利敬親から拝受した聞多(ぶんた)。諱は惟精(これきよ)。太政官制時代に外務卿、参議など。黒田内閣で農商務大臣を務め、第2次伊藤内閣では内務大臣など、要職を歴任した。栄典は従一位大勲位侯爵、元老。.
井田譲
井田 譲(いだ ゆずる、1838年11月8日(天保9年9月22日) - 1889年11月29日)は、日本の大垣藩士、陸軍軍人、官僚、外交官。最終階級は陸軍少将。元老院議官・正三位・勲一等・男爵。字・子載、通称・五蔵『明治維新人名辞典』82頁。。号・雷堂、梧窓。.
建野郷三
建野 郷三(たての ごうぞう、1842年1月12日(天保12年12月1日) - 1908年(明治41年)2月16日)は、幕末の小倉藩士、明治期の官僚・外交官・実業家。大阪府知事、元老院議官。旧名・牧野弥次左衛門。.
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伊丹重賢
伊丹 重賢(いたみ しげかた、文政13年11月17日(1830年12月31日) - 明治33年(1900年)7月15日)は、日本の男爵。志士、貴族院議員、大審院判事、錦鶏間祗候、従五位。通称、蔵人、右近大進。子に伊丹春雄、伊丹二郎。.
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伊集院兼寛
伊集院 兼寛(いじゅういん かねひろ、天保9年1月2日(1838年1月27日) - 明治31年(1898年)4月20日)は、日本の武士・薩摩藩士、軍人、官僚である。薩摩藩出身。通称は直右衛門。諱は兼寛。明治期に海軍少輔・元老院議官・貴族院議員を歴任。子爵。 実姉の須賀が嘉永5年(1852年)に西郷隆盛に嫁いでいる(安政元年(1854年)に離婚)。.
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伊東祐麿
伊東 祐麿(いとう すけまろ、1832年9月19日(天保3年8月25日) - 1906年2月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将。元老院議官、貴族院議員、子爵。.
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佐々木高行
佐々木 高行(ささき たかゆき、文政13年10月12日(1830年11月26日) - 明治43年(1910年)3月2日)は、日本の江戸時代末期(幕末)から明治時代の武士(土佐藩士)、政治家。爵位は侯爵。幼名は万之助、通称は三四郎。初名は高喜(たかあつ)、高春(たかはる)と称し、高行(たかのり)と改名した後に現在の呼称に変えた。佐佐木高行とも書かれる。土佐三伯の1人(他に板垣退助・後藤象二郎)。日記『保古飛呂比』の著者でもある。 藩士と郷士の身分が確立されている土佐藩の中で上士の板垣退助や谷干城と同じく、郷士に対し寛大だった人物として有名。明治政府高官の中でも保守派を代表する1人であり、明治天皇の信任を楯に政治体制を巡り伊藤博文らと争った。.
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佐野常民
佐野 常民(さの つねたみ、1823年2月8日(文政5年12月28日) - 1902年(明治35年)12月7日)は、日本の武士(佐賀藩士)、政治家。日本赤十字社の創始者。官職は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長。勲等は勲一等。爵位は伯爵。「佐賀の七賢人」の1人。名は栄寿、栄寿左衛門。子は佐野常羽。.
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作間一介
作間 一介(さくま いちすけ『増補 近世防長人名辞典』123頁。、1846年(弘化3年1月『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』457-460頁。)- 1884年(明治17年)9月20日)は、幕末の長州藩士、明治期の官僚・政治家。元老院議官。諱・正臣『明治過去帳』新訂初版、192-193頁。。旧名・直養、正之助。号・介堂、蕭生。.
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何礼之
何 礼之(が のりゆき(れいし)、天保11年7月13日(1840年8月10日) - 大正12年(1923年)3月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した日本の翻訳家、幕臣、官僚、教育者。通称は礼之助。姓は「か」ではなく「が」と読む。.
後藤象二郎
後藤 象二郎(ごとう しょうじろう、天保9年3月19日(1838年4月13日) - 明治30年(1897年)8月4日)は、日本の幕末から明治時代の武士(土佐藩士)、政治家、実業家。栄典は正二位勲一等伯爵。土佐三伯の1人(他に板垣退助・佐々木高行)。 幼名は保弥太、良輔。象二郎は通称。諱は正本(まさもと)、後に元曄(もとはる)。字は日曄、暢谷、雲濤、不倒翁など。雅号に暘谷、雲濤、光海、鷗公など。.
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土肥謙蔵
土肥 謙蔵(どひ けんぞう、文政10年(1827年) - 明治33年(1900年)3月20日『山梨百科事典』増補改訂版、667頁。)は、江戸時代後期の儒学者で鳥取藩士。旧名・田村晋三。号・石斉。別名・土肥實匡(さねまさ)。安政元年(1854年)藩儒土肥氏の養子となる。土肥氏は桓武平氏良文流で源頼朝の武将であった土肥実平の一族とされる。.
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土方久元
土方 久元(ひじかた ひさもと、天保4年10月12日(1833年11月23日) - 大正7年(1918年)11月4日)は、日本の武士(土佐藩士)・政治家である。爵位は伯爵。幼名は大一郎。通称は楠左衛門。号は秦山。.
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内閣総理大臣
内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん、prime minister of Japan)とは、日本国において行政権の属する内閣の首長たる国務大臣である(憲法第66条1項)。したがって、日本国における政府の長である。文民(憲法第66条2項)かつ国会議員の中から国会の議決で指名され(憲法第67条)、これに基いて天皇によって任命される(憲法第6条)。略称は総理大臣ないしは総理。一般的には首相、またはまれに宰相とも言う。現任は安倍晋三。.
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児玉少介
児玉 少介(こだま しょうすけ、1836年(天保7年10月)- 1905年(明治38年)11月14日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』123頁。)は、幕末の長州藩士、明治期の官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員。名・真咸、字・士常。通称・吉太郎、少輔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』501-507頁。。号・奎海。.
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元老
元老(げんろう)は、大日本帝国において、天皇の輔弼を行い、内閣総理大臣の奏薦など国家の重要事項に関与した重臣である。大日本帝国憲法は元老についての規定を明記しておらず、また定義した法律も存在しないため、憲法外機関とされる。.
元老院 (日本)
元老院(げんろういん)は、明治初期の日本の立法機関。新法の制定と旧法の改定を行うこととしたが、議案は天皇の命令として正院(後に内閣)から下付され、緊急を要する場合は事後承認するだけになるなど権限は弱かった。構成者は元老院議官と称した。.
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前島密
前島 密(まえじま ひそか、天保6年1月7日(1835年2月4日) - 大正8年(1919年)4月27日)は、日本の官僚、政治家。号は「鴻爪(こうそう)」。日本の近代郵便制度の創設者の一人で1円切手の肖像で知られる。「郵便」や「切手」、「葉書」という名称を定めた。その功績から「郵便制度の父」と呼ばれる。 前島は晩年を別荘「如々山荘」で過ごした。この別荘は三浦半島西海岸にある浄土宗寺院、浄楽寺の境内にあった。前島夫妻の墓所も浄楽寺境内にある。郵政民営化を断行した小泉純一郎の選挙区(神奈川県第11区)内である。.
前田献吉
前田 献吉(まえだ けんきち、1835年12月14日(天保6年10月25日)『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』446-451頁。 - 1894年(明治27年)12月21日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』162頁。)は、幕末の薩摩藩士、明治期の官僚・外交官・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。旧名・正穀。.
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前田正名
前田 正名(まえだ まさな、嘉永3年3月12日(1850年4月23日) - 大正10年(1921年)8月11日)は、明治期日本の官僚。男爵。明治政府の殖産興業政策の政策立案と実践した中心人物である。.
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勝海舟
勝 海舟 / 勝 安芳(かつ かいしゅう / かつ やすよし、文政6年1月30日〈1823年3月12日〉 - 明治32年〈1899年〉1月19日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の武士(幕臣)、政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。 山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。.
勅任官
勅任官の位置づけ 勅任官(ちょくにんかん)は明治憲法下の官吏区分で、高等官の一種であった。奏任官の上位に位置し、広義には親任官と高等官一等と二等を総じて勅任官と呼んだが、狭義には高等官一等と二等のみを勅任官といった。親任官と勅任官に対しては、敬称に閣下を用いた。.
国司順正
国司 順正(くにし よりまさ、1842年2月20日(天保13年1月11日『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』408-413頁。) - 1890年(明治23年)12月18日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。元老院議官、貴族院勅選議員。.
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四条隆平
四条 隆平(しじょう たかとし、1841年6月10日(天保12年4月21日)- 1911年(明治44年)7月18日『平成新修旧華族家系大成』上巻、713-714頁。)は、幕末の公家、明治期の内政官僚・政治家。第一次奈良県令、元老院議官、貴族院男爵議員、錦鶏間祗候。.
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四条隆謌
四条隆謌卿之墓(妙傳寺) 四条 隆謌(しじょう たかうた)は、江戸時代後期から明治時代にかけての日本の華族、陸軍軍人。官位は陸軍中将正四位勲二等侯爵に昇り、元老院議官・貴族院議員を務める。権大納言四条隆生(たかあり)の二男で、醍醐輝久の孫。安政勤王八十八廷臣の一人。.
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石丸安世
石丸 安世(いしまる やすよ、天保10年(1839年) - 明治35年(1902年))は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけての佐賀藩士、官吏、政治家。通称は虎五郎。工部省の初代電信頭として東京-長崎間の電信開通を担当した。鉄道の井上勝、郵便の前島密、電話の石井忠亮と並ぶ「逓信四天王」の一人。.
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石井忠亮
石井 忠亮(いしい ただあきら / ただすけ『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』39頁。、天保11年7月7日(1840年8月4日) - 1901年(明治34年)1月1日)は、幕末の佐賀藩士、明治時代の政府高官。位階勲等は従三位勲二等。日本国営電話事業の創始者。旧逓信省初代電信局長、錦鶏間祗候。鉄道の井上勝、郵便の前島密、電信の石丸安世と並ぶ「逓信四天王」の一人。通称・貞之進。.
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石井邦猷
石井邦猷(いしい くにみち、天保8年6月13日(1837年7月15日) - 明治26年(1893年)2月3日)は、幕末から明治にかけての官僚。通称は虎雄。.
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石田英吉
石田 英吉(いしだ えいきち、天保10年11月8日(1839年12月13日) - 明治34年(1901年)4月8日)は、幕末の土佐藩士、明治の政治家、男爵。変名を伊吹周吉(終吉とも)、のち伊吹慶良という。.
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玉乃世履
玉乃 世履(たまの よふみ、文政8年7月21日(1825年9月3日) - 1886年(明治19年)8月8日)は、日本の裁判官。、「明治の大岡」と賞賛された。.
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神山郡廉
山 郡廉(こうやま くにきよ、1829年2月16日(文政12年1月13日) - 1909年(明治42年)8月20日)は、幕末の土佐藩士、明治期の内務官僚・政治家。県令、元老院議官、貴族院男爵議員、錦鶏間祗候。通称・左多衛。雅号・郡風、君風『明治維新人名辞典』392頁。。.
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神田孝平
孝平(かんだ たかひら、1830年10月31日(文政13年9月15日) - 1898年(明治31年)7月5日)は、江戸時代末期から明治時代にかけての日本の洋学者、政治家。男爵。号は淡崖。元は諱を孟恪、通称を孝平(こうへい)と名乗っていた。 兵庫県令、文部少輔、元老院議官、貴族院議員を歴任した。.
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福原実
福原 実(ふくはら みのる、1844年11月24日(天保15年10月15日) - 1900年9月24日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。貴族院議員、沖縄県知事、男爵、錦鶏間祗候。.
福岡孝弟
福岡 孝弟(ふくおか たかちか、天保6年2月5日(1835年3月3日) - 大正8年(1919年)3月7日)は、日本の幕末から明治時代の土佐藩士、政治家。五箇条の御誓文を加筆、政体書を起草した人物である。通称は藤次、雅号は南蘋。栄典は勲一等子爵。.
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福羽美静
福羽 美静(ふくば びせい、「よししず」とも天保2年7月17日(1831年8月24日) - 明治40年(1907年)8月14日)は日本の武士・津和野藩士、国学者、歌人。通称は文三郎、号は木園、硯堂。子爵。貴族院議員、錦鶏間祗候。.
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秦郁彦
郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、日本の元官僚、歴史学者、現代史家。元日本大学法学部教授。法学博士(東京大学、1974年)。.
秋月種樹
秋月 種樹(あきづき たねたつ)は、幕末・明治期の政治家。日向国高鍋藩の世嗣。貴族院議員、参与、明治天皇侍読。詩文に優れ、書家としても知られた。.
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税所篤
所 篤(さいしょ あつし、文政10年11月5日(1827年12月22日)- 明治43年(1910年)6月21日)は、日本の武士(薩摩藩士)、官僚。子爵。内国事務権判事、西日本各地の県知事・県令、元老院議官、宮中顧問官、枢密顧問官等を歴任した。通称は喜三左衛門、容八、長蔵。号は巌舎、鵬北。初名は篤満、後に篤信とも名乗った。剛直をもって知られ、旧幕時代は王事に奔走し、一時は西郷隆盛、大久保利通と共に薩南の三傑と並び称された薩摩閥の重鎮である。.
穂波経度
波 経度(ほなみ つねのり、1837年12月9日(天保8年11月12日 『明治維新人名辞典』877-878頁。)- 1915年(大正4年)10月『平成新修旧華族家系大成』下巻、498頁。『公家事典』561頁では「1912年4月10日」。)は、幕末の公家、明治期の官僚・政治家。元老院議官、錦鶏間祗候。.
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立木兼善
立木 兼善(たちき かねよし、天保5年8月(1834年) - 明治42年(1909年)12月24日)は、日本の政治家。旧姓杉浦、林。正四位。.
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箕作麟祥
箕作 麟祥(みつくり りんしょう / あきよし、1846年9月19日(弘化3年7月29日) - 1897年(明治30年)11月29日)は、明治時代の日本の洋学者、法学者、官僚。男爵、法学博士。 元老院議官、司法次官、貴族院勅選議員、行政裁判所長官、和仏法律学校(現・法政大学)初代校長を歴任し、民法・商法編纂委員、法律取調委員会委員、法典調査会主査委員を務めた。.
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籠手田安定
手田 安定(こてだ やすさだ、1840年4月23日(天保11年3月21日) - 1899年(明治32年)3月30日)は、平戸藩士、剣術家、政治家。旧名は桑田源之丞。 滋賀県知事、元老院議官、島根県知事、新潟県知事、貴族院議員を歴任した。心形刀流と一刀正伝無刀流の免許皆伝の腕前を持ち、山岡鉄舟から一刀流正統の証の朱引太刀を授けられた。.
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細川潤次郎
細川 潤次郎(ほそかわ じゅんじろう、1834年3月11日(天保5年2月2日) - 1923年(大正12年)7月20日)は、幕末の土佐藩藩士、明治・大正時代の法制学者・教育者。男爵。幼名は熊太郎、諱は元(はじめ)。十洲と号した。 政治的要職としては司法大輔・貴族院副議長位であったが、日本の近代法導入の功績に関しては江藤新平と並んで高く評価されている。また、福沢諭吉に明治新政府に出仕するよう最後まで説得にあたった。.
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綿貫吉直
綿貫 吉直(わたぬき よしなお、天保2年(1831年)1月 - 明治22年(1889年)6月24日)は、幕末の柳河藩士、明治の大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。警察官、元老院議官。通称は敬太郎。石高は7人扶持10石。家格は徒士。.
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田中不二麿
中 不二麿(たなか ふじまろ、弘化2年6月12日(1845年7月16日) - 明治42年(1909年)2月1日)は、日本の幕末・明治期の武士、官僚、政治家。位階爵位は正二位子爵。号は夢山。名前は「不二麻呂」とも表記され、幕末には寅三郎(とらさぶろう)、国之輔と称した。明治維新期の著名人物としては非常に稀少な尾張藩士の一人。 尾張国名古屋城下出身。慶応3年12月(1868年1月)、新政府の参与となる。明治4年(1871年)、文部省出仕と同時に岩倉使節団理事官となり、欧米に渡って教育制度の調査に当たった。帰国後は文部大輔まで進み、学制実施と教育令制定を主導したが、明治13年(1880年)に司法卿に転じた。以後、参事院副議長、駐伊特命全権公使、駐仏特命全権公使、枢密顧問官、司法大臣を歴任し、晩年は再び枢密顧問官を務めた。 明六社会員。島崎藤村の長編小説『夜明け前』や、井上ひさしの戯曲『國語元年』に登場する。.
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田中光顕
中 光顕(たなか みつあき、1843年11月16日(天保14年閏9月25日) - 1939年(昭和14年)3月28日)は、日本の武士・土佐藩家老深尾氏家臣、官僚、政治家。栄典は従一位勲一等伯爵。初名は浜田辰弥。通称を顕助、号は青山。フリーカメラマンの田中光常は孫。.
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田中芳男
中 芳男(たなか よしお、天保9年8月9日(1838年9月27日) - 大正5年(1916年)6月22日)は、幕末から明治期に活躍した博物学者、物産学者、農学者、園芸学者、錦鶏間祗候、男爵。 明治期に動物園、植物園を構想し、上野で実現。「博物館」という名称を生み出し、殖産興業の指導に尽力、基礎博物学の啓蒙につとめた。パリで行われた第4回万国博覧会、ウィーン万国博覧会に責任者として派遣される。元老院議官、貴族院議員、大日本山林会会長、日本園芸会副会長を歴任している。.
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田辺太一
辺 太一(たなべ たいち(やすかず)、天保2年9月16日(1831年10月21日)- 大正4年(1915年)9月16日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した武士(幕臣)・外交官である。通称は他に定輔など。号は蓮舟。錦鶏間祗候。.
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田辺良顕
辺 良顕(たなべ よしあき、1834年5月9日(天保5年4月1日)- 1897年(明治30年)2月8日)は、幕末の福井藩士、明治期の内務官僚。高知県知事、元老院議官、錦鶏間祗候。通称・平学、字・士順。.
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由利公正
由利 公正(ゆり きみまさ(こうせい)、文政12年11月11日(1829年12月6日) - 明治42年(1909年)4月28日)は、日本の武士(福井藩士)、政治家、財政家、実業家。子爵、麝香間祗候。旧姓は三岡。通称を石五郎、八郎。字を義由、雅号に雲軒など。.
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町田久成
久成(まちだ ひさなり / ひさすみ、1838年1月27日(天保9年1月2日) - 1897年(明治30年)9月15日)は明治時代の日本の官僚、僧侶。旧薩摩藩士(島津氏庶流)。通称・民部、号は石谷。 慶応元年(1865年)、他の18名と共にイギリスへ留学。東京国立博物館の初代館長となる。後に出家して三井寺光浄院の住職となり、僧正となる。実弟に小松清緝(改名前は町田申四郎実種)。小松清廉の妻の千賀は叔母にあたる。.
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鍋島幹
鍋島 幹(なべしま みき、1844年10月23日(天保15年9月12日) - 1913年9月1日)は、幕末の佐賀藩士、明治期の官僚・政治家。元老院議官、貴族院議員、男爵。幼名・道太郎。諱は貞幹、のち幹に改めた。.
鍋島直大
鍋島 直大(なべしま なおひろ)は、幕末期の大名。肥前国佐賀藩第11代(最後の)藩主。明治・大正時代の政府高官。侯爵。 佐賀藩第10代藩主・鍋島斉正(直正)の長男。初名は直縄(なおただ)で、明治維新以前(藩主在任中)は将軍徳川家茂の偏諱を冠し茂実(もちざね)と名乗っていた。.
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鍋島直彬
鍋島 直彬(なべしま なおよし)は、肥前鹿島藩の第13代(最後の)藩主。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の甥。.
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華族
華族(かぞく)は、明治2年(1869年)から昭和22年(1947年)まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家の堂上家に由来する華族を堂上華族、江戸時代の大名家に由来する華族を大名華族、国家への勲功により華族に加えられたものを新華族(勲功華族)、臣籍降下した元皇族を皇親華族と区別することがある。.
青山貞
青山 貞(あおやま ただす、文政9年9月3日(1826年10月4日) - 明治31年(1898年)11月22日)は、明治時代の内務官僚、華族、貴族院議員。通称、小三郎。.
西周 (啓蒙家)
西周 西周 西 周 (にし あまね、文政12年2月3日(1829年3月7日) - 明治30年(1897年)1月31日) は、江戸時代後期から明治時代初期の日本の哲学者、教育家、啓蒙思想家、幕臣、官僚である。貴族院議員、男爵、錦鶏間祗候でもあった。西 周助ともいう。.
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西村貞陽
西村 貞陽(にしむら さだあき『幕末明治海外渡航者総覧 第2巻 (人物情報編)』176頁。、1846年1月3日(弘化2年12月6日)- 1886年(明治19年)9月6日『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』95-101頁。)は、幕末の佐賀藩士、明治期の開拓使官僚・政治家。元老院議官。旧名・新助『札幌人名事典』234頁。。.
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調所広丈
調所 広丈(ちょうしょ ひろたけ、1840年5月2日(天保11年4月1日)- 1911年(明治44年)12月30日)は、幕末の薩摩藩士、明治期の官僚・政治家。官選県知事、元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候、男爵。姓の元の読み「ずしょ」を「ちょうしょ」に変更した。.
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高崎五六
崎 五六(たかさき ごろく / いつむ、1836年4月4日(天保7年2月19日) - 1896年(明治29年)5月6日)は、江戸時代末期の薩摩藩士、明治時代の官僚、錦鶏間祗候。爵位は男爵。仮名を猪太郎または兵部と名乗り、のち諱を友愛。高崎正風は従兄弟にあたる。.
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議員
議員(ぎいん)とは、国や地方公共団体に設置されている議会、及びその他の議決機関を組織し、その議決に加わる資格を有する者。以下、本記事では、特記がない限り、議会の議員について述べる。 原則として議員の選出は公選制であり、その国の法律の定めるところの選挙権を有する有権者による選挙によって選出される。なお、日本の公職選挙法の第10条では、被選挙権は日本国民が有するものと定められている。.
谷森真男
谷森 真男(たにもり まさお、1847年6月29日(弘化4年5月17日)「谷森真男特旨叙位ノ件」 - 1924年(大正13年)12月10日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』139頁。)は、明治・大正期の官僚、政治家。官選香川県知事、元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。.
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貴族院 (日本)
貴族院(きぞくいん)は、大日本帝国憲法下の日本における帝国議会の上院である。1890年(明治23年)11月29日から1947年(昭和22年)5月2日まで存在した。貴院と略称された。衆議院とは同格の関係にあったが、予算先議権は衆議院が持っていた『事典 昭和戦前期の日本』 37頁。。 非公選の皇族議員・華族議員・勅任議員によって構成され、解散はなく、議員の多くが終身任期であった。その一方、有識者が勅任により議員となる制度が存在していた。.
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鳥尾小弥太
鳥尾 小弥太(とりお こやた、弘化4年12月5日(1848年1月10日) - 明治38年(1905年)4月13日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸軍中将正二位勲一等子爵。諱は照光、のち敬高(孝)。幼名は一之助。通称は百太郎、鳳輔など。号は得庵居士、不識道人など。.
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鶴田皓
皓(つるた あきら、天保6年12月26日(1836年2月12日)明治21年(1888年)4月15日)は、明治時代の法制官僚。元老院議官。字は玄縞、通称は弥太郎、号は斗南。佐賀藩多久邑出身。父は多久家家臣鶴田斌。東京帝国大学法学部講師。諸法典編纂に参加。正三位勲二等。実業家・炭鉱技術者の高取伊好は弟。.
鷲尾隆聚
鷲尾 隆聚(わしのお たかつむ、1843年1月25日(天保13年12月25日) - 1912年(明治45年)3月4日)は、幕末から明治期の公家。.
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黒田清綱
黒田 清綱(くろだ きよつな、1830年4月13日(天保元年3月21日) - 1917年(大正6年)3月23日)は、幕末の薩摩藩士。明治期期の官吏・歌人・正二位・勲一等・子爵。薩摩藩士黒田清直の嫡男。母はお守(小倉氏)。通称は新太郎・嘉右衛門・嘉納。雅号は滝園。庶子に黒田清秀・養嗣子に黒田清輝(弟の実子)。同じ薩摩藩出身の黒田清隆との直接の血縁は無い。.
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辻維岳
辻 維岳(つじ いがく、男性、文政6年(1823年)7月 - 明治27年(1894年)1月4日)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した武士・官僚である。 安芸国(現在の広島県西部)出身の広島藩士で、維新後は男爵。通称は初め勘三郎で、のち将曹(しょうそう / 「近衛府の四等官」を意味する)と改め、専らこの名前でよく知られている。号は僊風(せんぷう)。.
蜂須賀茂韶
蜂須賀 茂韶(はちすか もちあき)は、江戸時代末期の大名、明治・大正時代の華族。阿波国徳島藩の第14代(最後)の藩主。文部大臣、東京府知事、貴族院議長を歴任した。.
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船越衛
船越 衛(ふなこし まもる、天保11年6月15日(1840年7月13日) - 大正2年(1913年)12月23日)は、広島藩出身の明治期の官僚・貴族院議員。男爵。父は広島藩の財務官僚として名高かった船越昌隆(八百十郎)。幼名は洋之助。号は松窓(松操、しょうそう)。子に船越光之丞、弟に加藤隆義がいる。.
関口隆吉
関口 隆吉(せきぐち たかよし、天保7年9月17日(1836年10月26日) - 明治22年(1889年)5月17日)は、幕末の幕臣で、明治時代の政治家、初代静岡県知事。静岡女学校(後の静岡英和女学院)の創立者の一人。字は艮輔(ごんすけ)。号は黙斎。.
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藤井希璞
藤井 希璞(ふじい きぼく、1824年(文政7年7月『明治維新人名辞典』848-849頁。)- 1893年(明治26年)6月27日)は、幕末の神職・地下人・有栖川宮家家士、明治期の宮内官僚。元老院議官。旧姓・生源寺。通称・少進、別名・神崎少進、神崎献吉。.
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醍醐忠敬
醍醐忠敬(だいご ただゆき、1849年11月18日(嘉永2年10月4日) - 1899年(明治32年)5月23日)は、幕末・維新期の公家。忠順の次男。兄弟には、兄の醍醐忠告と、弟の一条忠貞、醍醐忠直がいる。子に醍醐忠重、為子(浅野忠純妻、後に小倉英季妻)、信子(水野忠亮妻)、静子(木辺孝慈妻)がいる。.
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野村素介
野村 素介(のむら もとすけ、1842年6月26日(天保13年5月18日) - 1927年(昭和2年)12月23日)は、幕末から昭和初期にかけての日本の武士(長州藩士)、官僚、政治家、書家。正二位勲一等 男爵。幼名は範輔、字は絢夫、号は右仲、素軒。.
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重野安繹
重野 安繹(しげの やすつぐ、1827年11月24日(文政10年10月6日) - 1910年(明治43年)12月6日)は江戸時代末期から明治初期に活躍した漢学者、歴史家。日本で最初に実証主義を提唱した日本歴史学研究の泰斗、また日本最初の文学博士の一人。通称は厚之丞。字は子徳、号は成斎、曙戒軒鞭。安繹は「あんえき」とも。.
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金井之恭
金井 之恭(かない ゆきやす、天保4年9月18日(1833年10月30日) - 明治40年(1907年)5月13日)は幕末期の志士、明治期の官僚、書家。通称は文八郎。字は子誠。号は金洞(きんどう)・梧楼・錦鶏など。長女は弁護士で政治家の小川平吉に嫁ぐ。錦鶏間祗候。.
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長岡護美
長岡 護美(ながおか もりよし)は、明治期の外交官・華族(子爵)・貴族院議員。錦鶏間祗候、麝香間祗候。肥後熊本藩主・細川斉護の六男。.
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長谷信篤
長谷 信篤(ながたに のぶあつ、文化15年2月24日(1818年3月30日) - 明治35年(1902年)12月26日)は、幕末・明治期の公卿・華族(子爵)・政治家。京都府知事(初代)、元老院議官、貴族院議員などの要職を歴任した。長谷信好の子。母は猪熊慶礼の娘(正室)。後の正室は坊城俊政の娘梓子。子に長谷信成がいる。.
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長谷部辰連
長谷部 辰連(はせべ たつつら / ときつら、1844年(天保15年5月)- 1910年(明治43年)6月12日)は、幕末の福井藩士、明治期の官僚・政治家。官選山形県知事、元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候。.
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長與專齋
長與 專齋(新字体:長与 専斎、ながよせんさい、天保9年8月28日(1838年10月16日) - 明治35年(1902年)9月8日)は、日本の医師、医学者、官僚。本姓は藤原氏、号は松香、諱は秉継。.
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長松幹
長松 幹(ながまつ つかさ『平成新修旧華族家系大成』下巻、243頁。 / みき『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』329-332頁。、1834年2月9日(天保5年1月1日)- 1903年(明治36年)7月16日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』148頁。)は、幕末の長州藩士、明治期の歴史学者・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、男爵、錦鶏間祗候。諱・文仲、字・子固『明治維新人名辞典』706頁。。通称・大蔵、文助、文輔。号・秋琴。.
陸奥宗光
奥 宗光(むつ むねみつ、天保15年7月7日(1844年8月20日) - 明治30年(1897年)8月24日)は、日本の政治家、外交官、武士(紀州藩藩士)。明治初期に行われた版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正に大きな影響を与えた。また、カミソリ大臣と呼ばれ、伊藤内閣の外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった。江戸時代までの通称は陽之助(ようのすけ)。 正二位・勲一等・伯爵。家紋は仙台牡丹。.
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柳原前光
柳原 前光(やなぎわら さきみつ)は、幕末から明治時代にかけての公家。華族。伯爵。柳原家21代当主。大正天皇の伯父。.
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柳楢悦
柳 楢悦(やなぎ ならよし、天保3年9月15日(1832年10月8日) - 明治24年(1891年)1月15日)は、日本の海軍軍人・和算家・数学者・測量学者・政治家。最終階級は海軍少将。錦鶏間祗候・元老院議官・貴族院議員。 江戸(現・東京)生まれ。津藩の下級藩士・柳惣五郎の長男。嘉納治朗作希芝(嘉納治五郎の父)の娘を後妻としている。.
柴原和
兵庫県たつの市小宅寺にある柴原和の墓 柴原 和(しばはら やわら、天保3年2月7日(1832年3月9日)- 明治38年(1905年)11月29日)は、幕末期播磨国龍野藩出身の志士。明治維新後は新政府に出仕して、初代の千葉県令や貴族院勅選議員などを務める。字は士節。幼名は宗吉、後に順治。雅号は靖盧・此木山。子に翻訳家・弁護士の柴原亀二がいる。.
林友幸
林 友幸(はやし ともゆき、文政6年2月6日(1823年3月18日) - 明治40年(1907年)11月8日)は、日本の武士、政治家。元老院議官、貴族院議員、枢密顧問官を歴任。通称は周次郎、半七。栄典は勲一等旭日桐花大綬章伯爵。林博太郎の祖父。.
東久世通禧
東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ、天保4年11月22日(1834年1月1日) - 明治45年(1912年)1月4日『平成新修旧華族家系大成』下、384-385頁。)は、日本の江戸時代末期から明治時代にかけての公家、政治家。 七卿落ちで長州に逃れた尊王攘夷派公卿の1人。王政復古後は外国事務総督を務め、発足したばかりの新政府の外交折衝にあたる。神奈川府知事、開拓長官、侍従長などの要職を歴任し、後に貴族院副議長・枢密院副議長に至った。華族(伯爵)。号は竹亭、古帆軒。.
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東京大学出版会
一般財団法人東京大学出版会(とうきょうだいがくしゅっぱんかい、英称:University of Tokyo Press)は、東京大学の出版部に当たる法人。東京大学総長を会長とし、東京大学の活動に対応した書籍の出版を主に行う。.
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松岡時敏
松岡 時敏(まつおか ときとし、1815年2月4日(文化11年12月26日)- 1877年(明治10年)11月6日『三百藩家臣人名事典 6』 546頁。)は、幕末から明治期の土佐藩士、法制学者、文部官僚。元老院議官。初名・敏『明治過去帳』新訂初版、111頁。。字・欲訥『明治維新人名辞典』 913-914頁。。号・毅軒、毅堂。通称・七助。.
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松本鼎 (政治家)
松本 鼎(まつもと かなえ、1839年(天保10年4月)- 1907年(明治40年)10月20日)は、幕末の長州藩士、明治期の内務官僚・政治家。和歌山県知事、衆議院議員、貴族院議員、元老院議官、男爵。通称・鼎造。.
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村田保
村田 保(むらた たもつ、天保13年12月9日 - 1925年(大正14年)1月7日)は明治時代の法制官僚、政治家。幼名は虎之助大水(1919) p.9-10。元老院議官、貴族院勅選議員、水産伝習所二代目所長、大日本水産会副総裁、大日本塩業協会初代会長、大日本缶詰業連合会初代会長。 父は肥前唐津藩・小笠原氏の家臣の浅原耕司。本因坊秀哉は甥(兄の息子)。.
森山茂
森山 茂(もりやま しげる、天保13年9月25日(1842年10月28日) - 大正8年(1919年)2月26日)は、日本の外交官、政治家。外交官の時には朝鮮との外交交渉に携わり、退官後は元老院議官、富山県知事、貴族院議員などを務めた。錦鶏間祗候。.
楠田英世
楠田 英世(くすだ ひでよ、文政13年11月19日(1831年1月2日) - 明治39年(1906年)10月22日)は、日本の武士、官僚。第一次新潟県知事、元老院議官、男爵。通称は十佐衛門、十助。.
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楠本正隆
楠本 正隆(くすもと まさたか、天保9年3月20日(1838年4月14日) - 明治35年(1902年)2月7日)は、肥前大村藩の武士、明治期の政治家。男爵。大久保利通の腹心として知られた。.
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楫取素彦
楫取 素彦(かとり もとひこ、文政12年3月15日(1829年4月18日) - 大正元年(1912年)8月14日)は、幕末の長州藩の志士、明治時代の官僚、政治家。錦鶏間祗候正二位勲一等男爵。通称は久米次郎または内蔵次郎。小田村家の養嗣となって小田村伊之助(おだむら いのすけ)と改め、後に文助・素太郎といい、慶応3年(1867年)9月に藩命により、楫取素彦と改名した。諱は希哲(ひさよし)、字は士毅、号は耕堂彜堂・晩稼・棋山・不如帰耕堂など。 幕末を代表する人物である吉田松陰とは関係が深く、また松陰の次妹の寿と結婚し、寿に先立たれた後の明治16年(1883年)、久坂玄瑞の未亡人であった末妹の美和子(文)と再婚している。最初の妻・寿との間に希家(小田村家を継ぐ)、道明(久坂家を一時継ぎ、のち楫取家の籍に入る、芝山巌事件で殺害された)の二男がいる。曾孫(希家の養孫、道明の外孫)に小田村寅二郎、小田村四郎らがいる。.
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槇村正直
槇村 正直(まきむら まさなお、天保5年5月23日(1834年6月29日) - 明治29年(1896年)4月21日)は日本の官僚、政治家。貴族院議員、男爵。幼名・半九郎。.
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橋口兼三
橋口 兼三(はしぐち けんぞう、1828年8月24日(文政11年8月15日『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』76-81頁。) - 1900年(明治33年)2月25日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』152頁。)は、幕末の薩摩藩士、明治期の裁判官・検察官・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。旧名・与一郎。.
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橋本実梁
橋本 実梁(はしもと さねやな、天保5年4月5日(1834年5月13日) - 明治18年(1885年)9月16日)は、攘夷派の公卿。橋本家19代当主で橋本実麗の養子。戊辰戦争でも戦った功臣で、のち式部寮に籍を置いた。晩年に伯爵に叙勲され、元老院議官となる。幣原内閣で大蔵大臣を務めた澁澤敬三は孫にあたる。.
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水本成美
水本 成美(みずもと なるみ、1831年6月24日(天保2年5月15日)- 1884年(明治17年)7月28日『明治過去帳』新訂初版、190頁。)は、幕末から明治期の薩摩藩士、律令学者、法制官僚。元老院議官。字・君之、号・樹堂、通称・保太郎「明治法制史上における水本成美」 64頁。。明治初期法曹界の卓越した律令学者であり復古的法学派の総帥『明治時代史大辞典 3』 531頁。。.
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永山盛輝
永山 盛輝(ながやま もりてる、1826年9月16日(文政9年8月15日) - 1902年(明治35年)1月18日)は、幕末の薩摩藩士、明治期の官僚・政治家。新潟県令、元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候、男爵。通称・清右衛門、左内、正蔵『明治維新人名辞典』719頁。。.
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河田景与
河田 景与(かわた かげとも、文政11年10月18日(1828年11月24日) - 明治30年(1897年)10月12日)は、日本の武士(鳥取藩士)、政治家。幕末期に尊王攘夷の志士として活動し、明治維新後は鳥取県権令(初代)、元老院議官、貴族院議員を歴任した。名(諱)は初め祺景。通称は左久馬(佐久馬)、権次郎。号は研田。爵位は子爵。.
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河瀬真孝
河瀬 真孝(かわせ まさたか)、天保11年2月9日(1840年3月12日) - 大正8年(1919年)9月29日)は日本の武士(長州藩士)、官僚。はじめ石川新五郎、石川 小五郎(いしかわ こごろう)と称したが、のちに河瀬真孝、河瀬安四郎と改名。位階勲等は正二位勲一等、爵位は子爵。.
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河鰭実文
河鰭 実文(かわばた さねふみ)は、日本の公家、政治家。位階は従二位。爵位は子爵。 元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候などを歴任した。.
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河野敏鎌
河野 敏鎌(こうの とがま、天保15年10月20日(1844年11月29日) - 明治28年(1895年)4月24日)は、明治時代初期の藩閥政府の政治家。子爵。幼名は万寿弥(ますや、旧字体:萬壽彌)。.
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沖守固
沖 守固(おき もりかた、1841年8月13日(天保12年6月27日) - 1912年10月7日)は、幕末の鳥取藩士・絵師、明治の内務官僚、政治家。元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候、男爵。幼名は鶴、貞一郎、探(丹)三。号は九皐。.
津田出
津田 出(つだ いずる、天保3年2月1日(1832年3月3日) - 明治38年(1905年)6月2日)は、幕末期から明治前期にかけて活躍した武士・官僚、陸軍軍人。明治新政府に先駆けて紀州藩藩政を改革して徴兵制を施行するなど、テストケースとして廃藩置県及び徴兵令に影響を与えた。官位は錦鶏間祗候陸軍少将従二位勲一等。通称は又太郎。号は芝山。 津田家は河内国交野郡津田城主楠木正儀の後裔であり、戦国期に紀州に移り、藩祖入国以前からの住人として、代々紀州藩に仕えていた。家禄300石の布衣以上の頭役の父・信徳(三郎右衛門)の長男として紀州藩(現在の和歌山県和歌山市)で生まれる。弟は初代和歌山県知事の正臣。.
津田真道
津山洋学資料館の津田真道像 津田 真道(つだ まみち、文政12年6月25日(1829年7月25日) - 明治36年(1903年)9月3日)は、日本の武士(幕臣)、官僚、政治家、啓蒙学者。福澤諭吉、森有礼、西周、中村正直、加藤弘之、西村茂樹らと明六社を結成。岡山県出身。.
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渡辺驥
渡辺 驥(わたなべ すすむ、天保7年9月9日(1836年10月18日) - 明治29年(1896年)6月24日)は、幕末の松代藩士、明治期の検事。元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。通称は左太郎。.
渡辺洪基
渡辺 洪基(わたなべ ひろもと / こうき、1848年1月28日(弘化4年12月23日) - 1901年(明治34年)5月24日)は明治時代の日本の官僚、政治家。幼名・孝一郎、号は浩堂。 学習院次長、元老院議官、工部少輔、東京府知事、帝国大学(東京大学の前身)初代総長、駐オーストリア公使、衆議院議員、貴族院議員を歴任し、東京統計協会(日本統計協会の前身の一つ)、国家学会、日本建築学会、工業化学会(日本化学会の前身の一つ)など多数の学会会長を務めたほか、工手学校(工学院大学の前身)、大倉商業学校(東京経済大学の前身)の設立に関わった。.
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渡辺清 (政治家)
渡辺 清(わたなべ きよし、天保6年3月15日(1835年4月12日) - 明治37年(1904年)12月30日)は、江戸時代末期の大村藩士、明治時代の官僚、政治家。元は諱を武勝、通称を清左衛門と名乗った。号は東山。 福岡県令、元老院議官、貴族院議員、福島県知事を歴任した。また華族に列し、男爵に叙された。.
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渡邊昇
渡辺 昇(わたなべ のぼる / のぼり、天保9年4月8日(1838年5月1日) - 大正2年(1913年)11月10日)は、江戸時代末期の大村藩士、、明治時代の政治家、また剣術家。元は諱を武常と名乗った。号は東民、其鳳。位階勲等は正三位勲一等。華族に列し、子爵に叙された。剣道の称号は範士。 肥前国大村に生まれる。江戸の神道無念流剣術道場・練兵館に入門し、桂小五郎の後を受けて塾頭を務める。尊王攘夷、倒幕運動の志士として活動し、坂本龍馬の依頼で薩長同盟を周旋した。明治政府では、大阪府知事、元老院議官、会計検査院長、貴族院議員を歴任した。また、大日本武徳会商議員を務め近代剣道の発展に尽力し、最初の剣道範士号を授与された。.
渡正元
渡 正元(わたり まさもと、1839年3月8日(天保10年1月23日 『幕末・明治期の日仏交流 中国地方・四国地方篇 2 (山口・広島・愛媛)』105-107頁。) - 1924年(大正13年)1月29日)は、日本の官僚、政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、正三位・勲二等、錦鶏間祗候。旧姓・田中、諱・正範、旧名・六之助、六之介『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』180-187頁。。安芸国(現広島県)出身。.
清岡公張
清岡 公張(きよおか ともはる、1841年8月26日(天保12年7月10日) - 1901年(明治34年)2月25日)は、幕末の武士、明治時代の官僚。従二位勲一等子爵。通称は半四郎、号は東望。.
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湯地定基
湯地 定基(ゆち / ゆじ さだもと、1843年9月27日(天保14年9月4日)- 1928年(昭和3年)2月10日)は、幕末の薩摩藩士。明治から昭和期の開拓使・内務官僚、政治家、農業経営者。根室県令、元老院議官、貴族院勅選議員。通称・治右衛門、治左衛門『明治維新人名辞典』「湯地治左衛門」1055頁。。変名・工藤十郎。.
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濱尾新
濱尾 新(はまお あらた、1849年5月12日(嘉永2年4月20日) - 1925年(大正14年)9月25日)は明治時代から大正時代にかけての日本の教育行政官、政治家。旧豊岡藩士。子爵。 文部省専門学務局長、元老院議官、東京帝国大学(東京大学の前身)総長、文部大臣、高等教育会議議長、東宮大夫、貴族院議員、枢密顧問官、枢密院副議長・議長、内大臣を歴任した。.
木梨精一郎
木梨 精一郎(きなし せいいちろう、弘化2年9月9日(1845年10月9日) - 明治43年(1910年)4月26日)は、日本の内務官僚、陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍歩兵中佐。男爵、錦鶏間祗候。別名を恒準、号は宮圃。.
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本田親雄
本田 親雄(ほんだ ちかお、文政12年9月6日(1829年10月3日) - 明治42年(1909年)3月1日)は、幕末から明治時代にかけての武士、官僚。薩摩藩士。.
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有栖川宮熾仁親王
有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう、天保6年2月19日(1835年3月17日) - 明治28年(1895年)1月15日)は、江戸時代後期~明治時代の日本の皇族、政治家、軍人。号は初め「泰山」、後に「霞堂」。階級・勲等・功級は陸軍大将大勲位功二級。 有栖川宮幟仁親王の第1王子で、幼名は歓宮(よしのみや)。生母は家女房の佐伯祐子。官職は任命順に、大宰帥、国事御用掛、政府総裁、東征大総督、兵部卿、福岡藩知事(のちに県知事、県令)、元老院議官(後に議長)、鹿児島県逆徒征討総督、左大臣、陸軍参謀本部長、参謀総長、神宮祭主。 和宮親子内親王と婚約していたことで知られる#三島由紀夫のニ・ニ六事件76-77頁。だが和宮との婚約は徳川幕府の権力失墜に伴い公武合体を余儀なくされた幕府が公武合体を国内外に誇示するための実績として和宮は降嫁し、徳川将軍第14代徳川家茂と結婚した。主旧水戸藩主・徳川斉昭の娘で徳川慶喜の妹の徳川貞子を、明治維新後に最初の妃として迎える。貞子は婚儀の2年後、熾仁親王の福岡赴任中に23歳で病没。明治6年(1873年)7月に旧越後新発田藩主・溝口直溥の七女・董子と再婚した。 明治維新後は陸軍軍人として明治天皇を支え、王政復古による天皇中心の明治政府樹立において、政務を統括する最高官職である三職の総裁を務めた。明治28年(1895年)に61歳で薨去。有栖川宮は跡を継いだ異母弟の有栖川宮威仁親王の代で断絶した。.
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明治
明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.
海江田信義
海江田 信義(かいえだ のぶよし、天保3年2月11日(1832年3月13日) - 明治39年(1906年)10月27日)は、日本の武士(薩摩藩士)、政治家。通称は武次(たけじ)。幕末期は有村俊斎の名で活動。雅号は黙声、静山、孤松。.
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浅野長勲
浅野 長勲(あさの ながこと)は、日本の江戸時代末から昭和初期の大名、政治家、外交官、実業家、社会事業家。 安芸広島新田藩第6代藩主、のち広島藩第12代(最後の)藩主。浅野宗家13代当主。勲等爵位は勲一等侯爵。.
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斎藤利行
斎藤 利行(さいとう としゆき、1822年2月2日(文政5年1月11日)- 1881年(明治14年)5月26日)は、幕末の土佐藩家老。明治政府に出仕して刑部大輔・参議・元老院議官を務めた。旧名は渡辺 弥久馬(わたなべ やくま)。同藩士・斎藤利成の子。.
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日本
日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.
時任為基
時任 為基(ときとう ためもと、天保13年5月(1842年) - 明治38年(1905年)9月1日)は、日本の内務官僚、政治家。府県知事、元老院議官、貴族院議員。通称・静吉。.
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1890年
記載なし。
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