目次
司徒
司徒(しと)は、かつて中国にあった官職の一つである。金文では司土と作る。
見る 元弼と司徒
字
字(あざな、)とは、中国など東アジアの漢字圏諸国で使われる人名の一要素である。昔、中国で成人男子と女子が実名以外につけた名。日本でも学者・文人がこれを用いた。
見る 元弼と字
宣武帝
宣武帝(せんぶてい)は、北朝北魏の第7代皇帝。
見る 元弼と宣武帝
宗室
宗室(そうしつ)とは、中国・朝鮮・ベトナムにおける、広義的な皇族に対する呼び方である。
見る 元弼と宗室
尚書令
尚書令(しょうしょれい)とは、前近代中国の官職で、尚書台、およびその後身である尚書省の長官である。
見る 元弼と尚書令
建義 (北魏)
建義(けんぎ)は、南北朝時代の北魏において、孝荘帝の治世に使用された元号。528年4月 - 9月。
見る 元弼と建義 (北魏)
侍中
侍中(じちゅう)は、皇帝の側近で皇帝の質問に備え、身辺に侍する役職である - goo国語辞書。 中国においては秦代に始まり、丞相の属官として殿中の奏事を司り、漢代に入ると加官(本職の他の兼任専用の役職)となって皇帝の乗輿・服飾をも扱った。漢から魏にかけて荀彧が守尚書令に侍中を兼ね、続いて太尉司馬懿と大将軍曹爽が侍中を兼ねている。 魏以後は、専任の侍中も設置され、概して4名が置かれた。枢機に参与する重職となった。南朝の梁や北朝の北魏では、宰相と同等の官となった。 隋代には納言と改称されたが、唐代に旧に復した。唐以後は門下省の長官を兼ねて2名が任命され、事実上の丞相となる。だが、時代の変遷に伴って、その権限は縮小された。門下省は貴族勢力の権益を代表して皇帝権と対抗する部局であったが、唐の中期以降は帝権が強まるにつれて門下省の権威は低下し、中書省に吸収されるに至る。
見る 元弼と侍中
北史
『北史』(ほくし)は、中国の北朝について書かれた歴史書。李大師により編纂が開始され、その子の李延寿によって完成された。二十四史の一つ。 全100巻で、本紀12巻、列伝88巻の構成となっている。 南北朝時代(439年 - 589年)の北朝にあたる王朝、北魏・西魏・東魏・北斉・北周・隋の歴史を記している。詔令や上奏文の多くを削って叙事に重きを置き、記述の総量は断代史である『魏書』・『北斉書』・『周書』・『隋書』を合わせた分量の半分ほどであるが、断代史の4書に見られない記述も少なくない。特に『魏書』の記さなかった西魏の人物についての増補部分が大きい。
見る 元弼と北史
北魏
北魏(ほくぎ、、386年 - 535年)は、中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。前秦崩壊後に独立し華北を統一して、五胡十六国時代を終焉させた。 国号は魏だが、戦国時代の魏や三国時代の魏などと区別するため、通常はこの拓跋氏の魏を北魏と呼んでいる。また三国時代の魏は曹氏が建てたことからこれを曹魏と呼ぶのに対して、拓跋氏の魏はその漢風姓である元氏からとって元魏(げんぎ)と呼ぶこともある(広義には東西分裂後の東魏と西魏もこれに含まれる)。さらに国号の由来から、曹魏のことを前魏、元魏のことを後魏(こうぎ)と呼ぶこともある。
見る 元弼と北魏
嵩山
嵩山(すうざん、)は、中国河南省登封市にある山岳群である。五岳の1つの中岳に数えられる。最高峰は標高1440mの太室山である。
見る 元弼と嵩山
元誕 (済陰王)
元 誕(げん たん、生没年不詳)は、中国の北魏の皇族。済陰静王。字は曇首。
見る 元弼と元誕 (済陰王)
元鬱
元 鬱(げん うつ、462年 - 491年)は、北魏の皇族。済陰王。字は伏生。
見る 元弼と元鬱
元麗
元 麗(げん れい、生没年不詳)は、北魏の皇族。字は宝掌。
見る 元弼と元麗
元暉業
元 暉業(げん きぎょう、生年不詳 - 551年)は、北魏・東魏の皇族。字は紹遠。北魏の景穆帝拓跋晃の玄孫にあたる。
見る 元弼と元暉業
諡
、あるいはは、漢字文化圏において、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。
見る 元弼と諡
魏書
『魏書』(ぎしょ)は、中国北斉の魏収が編纂した北魏の正史である。『北魏書』、『後魏書』とも。二十四史の一。構成は、本紀14巻、列伝96巻、志20巻で、全130巻からなる紀伝体。本紀と列伝の部分は、554年(天保5年)に、志の部分は、559年(天保10年)に成立した。
見る 元弼と魏書
永安 (北魏)
永安(えいあん)は、南北朝時代の北魏において、孝荘帝の治世に使用された元号。528年9月-530年10月。
見る 元弼と永安 (北魏)

