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元匡

索引 元匡

元 匡(げん きょう、生年不詳 - 525年頃)は、北魏の皇族。済南文貞王。字は建扶。

目次

  1. 28 関係: 孝明帝孝昌孝文帝宣武帝宗室尚書令平州 (河北省)代州北史北魏北斉刺史元澄兗州光禄大夫神亀 (北魏)熙平青州 (山東省)高聡高肇魏書霊太后茹皓洛陽市拓跋洛侯拓跋新成

孝明帝

孝明帝(こうめいてい)は、北朝北魏の第8代皇帝。宣武帝の次男。

見る 元匡と孝明帝

孝昌

孝昌(こうしょう)は、南北朝時代の北魏において、孝明帝の治世に使用された元号。525年6月-528年正月。

見る 元匡と孝昌

孝文帝

孝文帝(こうぶんてい、467年10月13日 - 499年4月26日)は、北朝北魏の第6代皇帝(在位:471年9月20日 - 499年4月26日)。諱は宏。孝文帝の時代に北魏宗室の姓は拓跋から元に改められた。

見る 元匡と孝文帝

字(あざな、)とは、中国など東アジアの漢字圏諸国で使われる人名の一要素である。昔、中国で成人男子と女子が実名以外につけた名。日本でも学者・文人がこれを用いた。

見る 元匡と字

宣武帝

宣武帝(せんぶてい)は、北朝北魏の第7代皇帝。

見る 元匡と宣武帝

宗室

宗室(そうしつ)とは、中国・朝鮮・ベトナムにおける、広義的な皇族に対する呼び方である。

見る 元匡と宗室

尚書令

尚書令(しょうしょれい)とは、前近代中国の官職で、尚書台、およびその後身である尚書省の長官である。

見る 元匡と尚書令

平州 (河北省)

平州(へいしゅう)は、中国にかつて存在した州。北魏から金代にかけて、現在の河北省秦皇島市一帯に設置された。

見る 元匡と平州 (河北省)

代州

代州(だいしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から民国初年にかけて、現在の山西省忻州市一帯に設置された。

見る 元匡と代州

北史

『北史』(ほくし)は、中国の北朝について書かれた歴史書。李大師により編纂が開始され、その子の李延寿によって完成された。二十四史の一つ。 全100巻で、本紀12巻、列伝88巻の構成となっている。 南北朝時代(439年 - 589年)の北朝にあたる王朝、北魏・西魏・東魏・北斉・北周・隋の歴史を記している。詔令や上奏文の多くを削って叙事に重きを置き、記述の総量は断代史である『魏書』・『北斉書』・『周書』・『隋書』を合わせた分量の半分ほどであるが、断代史の4書に見られない記述も少なくない。特に『魏書』の記さなかった西魏の人物についての増補部分が大きい。

見る 元匡と北史

北魏

北魏(ほくぎ、、386年 - 535年)は、中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。前秦崩壊後に独立し華北を統一して、五胡十六国時代を終焉させた。 国号は魏だが、戦国時代の魏や三国時代の魏などと区別するため、通常はこの拓跋氏の魏を北魏と呼んでいる。また三国時代の魏は曹氏が建てたことからこれを曹魏と呼ぶのに対して、拓跋氏の魏はその漢風姓である元氏からとって元魏(げんぎ)と呼ぶこともある(広義には東西分裂後の東魏と西魏もこれに含まれる)。さらに国号の由来から、曹魏のことを前魏、元魏のことを後魏(こうぎ)と呼ぶこともある。

見る 元匡と北魏

北斉

北斉(ほくせい、550年 - 577年)は、中国の南北朝時代に高氏によって建てられた国。国号は単に斉であるが、春秋戦国時代の斉や南朝の斉などと区別するために北斉・高斉と呼ぶ。

見る 元匡と北斉

刺史

刺史(しし)は、中国に前漢から五代十国時代まで存在した官職名。当初は監察官であったが、後に州の長官となった。州牧(あるいは単に牧)とも。日本では国守の唐名として使われた。

見る 元匡と刺史

元澄

元 澄(げん ちょう、467年 - 519年)は、北魏の皇族。任城文宣王。字は道鏡。

見る 元匡と元澄

兗州

兗州(えんしゅう)は、中国にかつて存在した州。 初出は『尚書』禹貢篇で、九州のひとつに挙げられた。黄河と済水のあいだの地であり、黄河の九の支流が集まって雷夏沢を形成したとされる。 前漢のとき、兗州刺史部が置かれ、東郡・陳留郡・山陽郡・済陰郡・泰山郡・城陽国・淮陽国・東平国を管轄した。 後漢の兗州は、陳留郡・東郡・東平郡・任城郡・泰山郡・済北郡・山陽郡・済陰郡を管轄した。 西晋の兗州は、陳留国・濮陽国・済陰郡・高平国・任城国・東平国・済北国・泰山郡を管轄した。 北魏の兗州は、泰山郡・魯郡・高平郡・任城郡・東平郡・東陽平郡を管轄した。南朝では南兗州が僑置された。 583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、兗州の属郡は廃止された。

見る 元匡と兗州

光禄大夫

光禄大夫(こうろくたいふ)は、中国の前漢以降の官職である。 前漢においては、元は中大夫と呼ばれ、論議を職務とし、郎中令(光禄勲)に属していた。武帝の太初元年(紀元前104年)に中大夫を光禄大夫と改称し、秩禄を比二千石とした。 後漢においても秩禄は比二千石で定員は無かった。顧問応対を職務としており、決まった仕事はなく、詔によって派遣されるのみであった。 後代には散官の一つとなった(唐・宋の例では従二品、元では従一品)。

見る 元匡と光禄大夫

神亀 (北魏)

神亀(しんき)は、南北朝時代の北魏において、孝明帝の治世に使用された元号。 518年2月 - 520年7月。

見る 元匡と神亀 (北魏)

熙平

熙平(きへい)は、南北朝時代の北魏において、孝明帝の治世に使用された元号。516年旧正月 - 518年旧2月。

見る 元匡と熙平

青州 (山東省)

青州(せいしゅう)は、中国にかつて存在した州。

見る 元匡と青州 (山東省)

、あるいはは、漢字文化圏において、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。

見る 元匡と諡

高聡

高 聡(こう そう、452年 - 520年)は、北魏の官僚・文人。字は僧智。本貫は渤海郡蓨県。

見る 元匡と高聡

高肇

高 肇(こう ちょう、? - 515年)は、北魏の外戚。字は首文。文昭皇太后高照容(宣武帝の生母)の兄で、宣武帝の皇后高英の叔父である。本貫は渤海郡蓨県。

見る 元匡と高肇

魏書

『魏書』(ぎしょ)は、中国北斉の魏収が編纂した北魏の正史である。『北魏書』、『後魏書』とも。二十四史の一。構成は、本紀14巻、列伝96巻、志20巻で、全130巻からなる紀伝体。本紀と列伝の部分は、554年(天保5年)に、志の部分は、559年(天保10年)に成立した。

見る 元匡と魏書

霊太后

霊太后(れいたいごう、? - 528年)は、北魏の第7代皇帝宣武帝の充華(側室)であり、第8代皇帝孝明帝の実母である。姓は胡氏で、父は司徒の胡国珍。霊は諡で、夫の諡を重ねて宣武霊皇后とされた。霊太后胡氏、胡太后とも称される。宣武帝の崩御後、皇太后となってから北魏の実権者となったため霊太后として知られる。

見る 元匡と霊太后

茹皓

茹 皓(じょ こう、生年不詳 - 504年)は、北魏の宣武帝の寵臣。字は禽奇。本貫は呉郡。

見る 元匡と茹皓

洛陽市

洛陽市(らくようし、、)は、中華人民共和国河南省西部に位置する地級市。 中国史上、しばしば関中の長安と並んで中国王朝の首都となった。

見る 元匡と洛陽市

拓跋洛侯

拓跋 洛侯(たくばつ らくこう、生年不詳 - 461年)は、北魏の皇族。広平殤王。

見る 元匡と拓跋洛侯

拓跋新成

拓跋 新成(たくばつ しんせい、生年不詳 - 470年)は、北魏の皇族。陽平幽王。

見る 元匡と拓跋新成