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佐竹義つま

索引 佐竹義つま

佐竹 義諶(さたけ よしつま(よしみち)、 天保8年1月5日(1837年2月9日)- 明治3年4月16日(1870年5月16日))は、出羽秋田新田藩(岩崎藩)の第8代藩主。陸奥相馬中村藩主・相馬益胤の四男。通称は東直五郎、求馬。官位は従五位下壱岐守、播磨守。正室は熊川氏(秋田藩士・佐竹義茂の養女)。子は長男佐竹義脩(久保田藩主・佐竹義堯養子)ら三男一女がある。養子に佐竹義理。.

26 関係: 壱岐国天保定府家督安政庄内藩佐竹義堯佐竹義理佐竹義脩出羽国相馬中村藩相馬益胤陣屋陸奥国東京都板橋区戊辰戦争明治播磨国慶応1837年1870年1月5日 (旧暦)2月9日4月16日 (旧暦)5月16日

壱岐国

壱岐国(いきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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定府

定府(じょうふ)とは、江戸時代において参勤交代を行わずに江戸に定住する将軍や藩主およびそれに仕える者の状態を示す。.

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家督

家督(かとく)とは、家父長制における家長権を意味する。鎌倉時代に家督の嫡子単独相続、遺産の分割相続が原則とされた。室町時代に両者とも嫡子相続を原則としたが、現実には完全な制度として確立しておらず、内紛が発生した。のち江戸幕府の絶対的な権力を背景として、家督の嫡子単独相続が確立した。 なお、主に武家においては、断絶した家名を他氏の者が相続することを名跡を継ぐといい、実子または血縁者が相続する場合の家督継承と区別された。主な例としては平姓畠山氏を源氏の足利義純が相続し、源姓畠山氏に変わった事などが知られている。 また、鎌倉時代には家督権は財産権とあわせて跡職(跡式)・跡目と称して嫡子が継いだが、庶子に分割する相続財産をも跡職と称した。その後、江戸時代には先代の死亡にともなう相続の場合を跡目相続、先代の隠居による場合を家督相続と呼び分けた。 明治憲法下においても家制度の一環として法制度として存続したが、日本国憲法施行直後の民法大改正によって廃止された。とはいえそれから70年以上経った今日でも家督を重んじる社会通念が西日本を中心に残っている。.

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安政

安政(あんせい)は日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1855年嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。.

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庄内藩

庄内藩または荘内藩(しょうないはん)は、江戸時代の日本で、出羽国田川郡庄内(現在の山形県鶴岡市)を本拠地として、現在の庄内地方を知行した藩である。 譜代大名の酒井氏が一貫して統治した。明治時代初頭に大泉藩(おおいずみはん)と改称した。 藩庁は鶴ヶ岡城。枝城として酒田市に亀ヶ崎城を置おいた。支藩に大山藩・松山藩がある。.

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佐竹義堯

佐竹 義堯(さたけ よしたか)は、出羽岩崎藩の第7代藩主。後に出羽久保田藩第12代(最後)の藩主となった。.

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佐竹義理

佐竹 義理(さたけ よしただ(よしさとの説もある)、安政5年9月4日(1858年10月10日) - 大正3年(1914年)4月26日)は、出羽秋田新田藩(岩崎藩)の第9代(最後)の藩主。陸奥相馬中村藩主・相馬充胤の三男。正室は佐竹義堯の娘。幼名は常丸。子に佐竹義立、佐竹義種。 慶応2年(1866年)2月1日、秋田新田藩主佐竹義諶との養子縁組の話が持ち込まれる。同年2月5日、中村を出発、同年2月13日、江戸の中村藩邸に到着。同年3月2日、秋田新田藩主佐竹義諶の養子となる。佐竹義理は佐竹義諶の甥に当たる。同年3月28日、江戸の秋田新田藩邸に移る。戊辰戦争では養父義諶と行動を共にした。そのため、戦後に恩賞として2000両を与えられた。明治2年(1869年)5月25日、養父義諶の隠居により家督を継ぐ。同年6月に版籍奉還で知藩事となり、居館を岩崎村(湯沢市)に移して藩を岩崎藩と改めた。明治4年(1871年)、廃藩置県で免官された。 明治9年(1876年)9月、司法省から法学生徒を命じられた。明治10年1月、病気を理由に法学生徒を辞退する。明治17年(1884年)7月、子爵を授けられた。同年7月、学習院別則研修科を卒業。明治23年(1890年)7月、貴族院議員に選ばれた。また。国光生命保険会社社長となり、実業家として活躍した。大正3年(1914年)4月26日、57歳で死去。墓所は東京都板橋区小豆沢3丁目の総泉寺にある。.

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佐竹義脩

佐竹 義脩(さたけ よしなお、嘉永7年7月1日(1854年7月25日) - 明治26年(1893年)12月22日)は、佐竹氏の第31代当主。出羽久保田新田藩(岩崎藩)主佐竹義諶(中村藩の重臣・熊川長顕)の長男。初名は義紀。通称は幸之助、亀丸、次郎。官位は従四位下侍従、修理大夫。爵位は男爵。.

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出羽国

出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。.

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相馬中村藩

中村藩(そうまなかむらはん)は、江戸時代の日本で、旧陸奥国の標葉郡から宇多郡まで(現在の福島県浜通り北部)を治めた藩である。藩主の姓から相馬藩(そうまはん)、本拠地名から中村藩(なかむらはん)とも呼ばれるが、外の「中村藩」と区別する際には「相馬中村藩」や「陸奥中村藩」という。 藩政府は中村城(相馬市、旧中村町)であった。藩主は一貫して相馬氏で、家格は柳間詰め外様大名、後に帝鑑間詰め譜代大名に列せられる。.

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相馬益胤

相馬 益胤(そうま ますたね、寛政8年1月10日(1796年2月18日) - 弘化2年6月11日(1845年7月15日))は、江戸時代後期の大名。相馬氏第27代当主。陸奥相馬中村藩第11代藩主。第9代藩主・相馬祥胤の四男。正室は松平頼慎(水戸藩支流)の娘。子は、充胤(長男)、佐竹義典(次男、佐竹義致養子)、佐竹義堯(三男)、佐竹義諶(四男)、岡田泰胤(五男)、娘(青山幸礼継室のち織田信学正室)、糸子(織田信学継室)、娘(相馬胤就室)、維子(松前崇広室)、娘(相馬胤真室)。従五位下、長門守。 文化10年(1813年)9月22日、兄である相馬樹胤の養子となる。同年10月15日、将軍徳川家斉に拝謁する。同年11月10日、養父樹胤の隠居により、第11代藩主に就任した。なお、樹胤の生母は側室、益胤の実母は正室であった。同年12月16日、従五位下長門守に叙任。文化14年(1817年)から藩政改革に着手し、財政建て直しを図った。天保6年(1835年)3月7日、隠居し、家督を長男・充胤に譲った。弘化2年(1845年)死去。 ますたね ますたね Category:1796年生 Category:1845年没.

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陣屋

復元された兵庫県佐用郡佐用町乃井野の旧三日月藩政庁三日月陣屋 兵庫陣屋絵図/神戸市立博物館蔵 陣屋(じんや)は、江戸時代の幕藩体制における、大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷、また徳川幕府直轄領の代官の住居および役所が置かれた建物のことである。.

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陸奥国

奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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板橋区

板橋区(いたばしく)は、東京都の特別区のひとつ。旧武蔵国豊嶋郡。 郵便番号(上3桁)は、173・174・175。.

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戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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播磨国

播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陽道に属する。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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1837年

記載なし。

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1870年

記載なし。

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1月5日 (旧暦)

旧暦1月5日(きゅうれきいちがついつか)は旧暦1月の5日目である。六曜は大安である。.

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2月9日

2月9日(にがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から40日目にあたり、年末まであと325日(閏年では326日)ある。.

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4月16日 (旧暦)

旧暦4月16日(きゅうれきしがつじゅうろくにち)は、旧暦4月の16日目である。六曜は先勝である。.

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5月16日

5月16日(ごがつじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から136日目(閏年では137日目)にあたり、年末まではあと229日ある。誕生花はイキシア。.

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