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伯耆国分寺跡

索引 伯耆国分寺跡

伯耆国分寺跡(ほうきこくぶんじあと)は、鳥取県倉吉市国分寺にあった伯耆国の国分寺跡。国の史跡に指定されている。.

9 関係: 史跡伯耆国伯耆国庁跡国分寺倉吉市続左丞抄鳥取県1970年948年

史跡

特別史跡「姫路城跡」(兵庫県姫路市) 史跡(しせき、非常用漢字:史蹟)とは、貝塚、集落跡、城跡、古墳などの遺跡のうち歴史・学術上価値の高いものを指し、国や自治体によって指定されるものである。この語は一般には遺跡全般と同義で現在においてもその意味で使用される場合も多いが、日本においては1919年(大正8年)の史蹟名勝天然紀念物保存法以降、特に法律で指定保護されている遺跡を指すようになり、現在では狭義の「史跡」は文化財の種別の一つとして文化財保護法第109条第1項に規定されている。.

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伯耆国

伯耆国(ほうきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.

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伯耆国庁跡

伯耆国庁跡(ほうきこくちょうあと)は、鳥取県倉吉市国府・国分寺に所在する、律令制下の地方行政の中心的施設の跡である。国の史跡に指定されている(史跡「伯耆国府跡」のうち)。 本国庁跡は、標高40メートルほどの丘陵に位置し、同一丘陵の東側には国分寺跡と法華寺畑遺跡がある。.

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国分寺

国分寺(こくぶんじ)は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。 正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」。なお、壱岐や対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられた。.

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倉吉市

倉吉市(くらよしし)は、鳥取県中部の市。当市は鳥取県中部の玄関口としての役割もある。 市内には打吹玉川地区をはじめ土蔵が多く、白壁土蔵の街として知られている。 当市を含めた中部の市や町は、「とっとり梨の花温泉郷」を形成している。生活文化や慣習、方言については鳥取市など県東部の影響を強く受けているところが多い。 2016年(平成28年)10月21日、県中部を震源とするM6.6の鳥取県中部地震があり、倉吉市では震度6弱を観測した。.

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続左丞抄

『続左丞抄(ぞくさじょうしょう)』は、太政官の史を世襲した壬生官務家(小槻氏)に伝来していた太政官符や宣旨を編纂した書物。 元は、元禄年間に壬生季連が天暦2年(948年)から元禄7年(1694年)までに出された太政官関連の古文書270通余を書写し『新写古文書』と題して4冊にまとめたもので、「禰家(でいけ)古文書」とも呼ばれつつ流布していた。ただし、その出典は壬生家の官文庫などに保管された膨大な文書にあったために、原本を探すことが困難であった。明治維新後、壬生家の文書が宮内省図書寮に継承されたが、明治21年(1888年)に新写古文書の出典となった原本を整理して『壬生家新写古文書底本』128軸を作成したが、200通余りしか出典を確定できず、その後の調査で一部が民間に流出したもしくは行方不明になっていることが判明した(京都大学文学部にある「狩野亨吉氏蒐集文書」の中に流出した出典のいくつかが所蔵されている)。その後、明治33年(1900年)になって新写古文書を『国史大系』の1冊として刊行した際に、平安時代後期に編纂された小槻氏の古文書の集成である『左丞抄』(『類聚符宣抄』)の続編という意味で、新たに続左丞抄の名が与えられて定着した(ただし今日では、『左丞抄』については小槻氏以外の者の編纂とする説もある)。.

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鳥取県

鳥取県(とっとりけん)は、日本の県の一つである。中国地方の日本海側、いわゆる山陰地方の東側を占め、東は兵庫県、西は島根県、南は中国山地を挟んで岡山県・広島県に隣接し、西日本または中国地方有数の豪雪地帯でもある。また鳥取県は全国47都道府県中面積は7番目に小さく、人口は最も少ない。市の数も最も少なく、4市である。県庁所在地は県東部の鳥取市である。.

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1970年

記載なし。

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948年

記載なし。

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