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中康

索引 中康

中康(ちゅうこう)は、夏朝の第4代帝。啓の子。相の父。 『竹書紀年』によると、兄の太康が狩猟と酒に溺れ、諸侯の離散を招き、有窮氏の后羿に斟鄩を追われて洛水の南で亡くなったために、后羿がパトロンとなって即位した。 『竹書紀年』によれば中康5年(秋9月庚戌朔)、『通鑑前編』によれば中康元年に日食があり、羲氏と和氏が酒色に溺れたため、羲氏と和氏の職務である天文を廃し、暦を乱したので、胤(胤国の侯)がこれを攻めた。なお、『書経』胤侯によると、羲氏和氏は夏に忠義があり、羿に対して不満を持っていたともされている。

目次

  1. 17 関係: 夏 (三代)太康 (夏)庚戌二里頭遺跡パトロン竹書紀年羿相 (夏)諸侯通鑑前編河南省洛河有窮氏日食書経

  2. 夏の君主

夏 (三代)

夏(か、拼音: Xià、紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃紀元前2000年頃からとする説もある。)は、史書に記された中国最古の王朝。夏后氏ともいう。夏・殷・周を三代という。『史記』『竹書紀年』などの史書には、初代の禹から末代の桀まで14世17代471年間続き、殷の湯王に滅ぼされたと記録されている。

見る 中康と夏 (三代)

太康 (夏)

太康(たいこう)は、夏朝の第3代帝。『竹書紀年』によれば、斟鄩に都し、在位年数は4年であった。 政治を省みないで狩猟に明け暮れていたという。そのために羿によって反乱を起こされ、権力を失い、河南(洛水の南側)の陽夏において死亡した。

見る 中康と太康 (夏)

庚戌

庚戌(かのえいぬ、こうきんのいぬ、こうじゅつ)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの47番目で、前は己酉、次は辛亥である。陰陽五行では、十干の庚は陽の金、十二支の戌は陽の土で、相生(土生金)である。

見る 中康と庚戌

二里頭遺跡

二里頭遺跡1号宮殿の基壇図 1号宮殿の復元図 二里頭遺跡(にりとういせき、二里头遗址、、アーリィトウ・イージィ)は、中国の河南省洛陽市偃師区翟鎮二里頭村で発見された新石器時代末期から青銅器時代にかけての都市・宮殿遺跡である。1988年に全国重点文物保護単位に指定された。

見る 中康と二里頭遺跡

パトロン

パトロン(patron)は、後援者、支援者、賛助者、奨励者、または特権を持つ人や財政支援をする人をいう。現代でのパトロンは、必ずしも金銭援助に限るわけではなく、パトロンの人脈や影響力によって貢献するケースもある。後援、支援、賛助、奨励の行為そのものは、パトロネージュ(パトロネージ/パトロネッジ/パトロネジ/パトロナージュ)(patronage、patronage)と呼ぶ。 美術史や音楽史においてのパトロネージュは、王や教皇、資産家が、音楽家、画家や彫刻家等に与えた支援を指す。また、教会聖職禄授与権、得意客が店に与えるひいきや愛顧、また守護聖人を指すこともある。

見る 中康とパトロン

啓(けい)は、夏朝の第2代帝。子に帝太康および帝中康がいるほかに、少なくとも5人の男子がいる。『墨子刊誤』によると、元々は開という名であったが、漢代に諱を避けて啓と呼ばれるようになったという。 『竹書紀年』によれば、39年間帝であり、78歳で没したという。 禹はもともと帝位を益に譲ろうとしていた。禹の死後、益は帝位を受けずに、啓を帝にしようとした。諸侯も、益のもとを去り、啓のもとに行ったため、啓は帝位に就いた。しかし、益が実際に帝位に就いたが、啓が益を殺して、帝位に就いたという説も有る。 啓の在位中、諸侯であり異母兄の有扈氏が従わなかったため、甘において、有扈氏と戦って勝利した。この戦いの前に、啓は六卿の前で、「甘誓」を披露した。この「甘誓」は『書経』に残されているが、本当に啓が作ったものなのかは非常に疑わしい。有扈氏は実は益の支持者であったという説もある。

見る 中康と啓

竹書紀年

『竹書紀年』(ちくしょきねん、拼音:Zhúshū Jìnián)は、中国の編年体の歴史書。伝説時代から戦国時代の魏の襄王に至るまでを著述しており、『史記』と共に中国古代史研究の重要資料。竹簡に書かれていたことからこの名で呼ばれるが、発見場所から汲塚紀年(繁体字:汲冢紀年、拼音:Jí Zhǒng Jìnián)とも呼ばれる。 作者、制作年共に不明だが、漢代には既に散逸しており、西晋の太康元年(280年)、汲郡(現在の河南省北部)にあった魏の安釐王の墓を盗掘した際、大量の文字を記した竹簡(汲冢書)が出土し、書籍として編纂された。『史記』に記載されていない話も見えており、同書の年表における誤りの修正が為されている。

見る 中康と竹書紀年

羿

羿(げい、)は、中国神話に登場する人物。后羿(こうげい、)、夷羿(いげい)とも呼ばれる。弓の名手として活躍したが、妻の嫦娥(姮娥とも書かれる)に裏切られ、最後は弟子の逢蒙によって殺される、悲劇的な英雄である。 羿の伝説は、『楚辞』天問篇の注などに説かれている太陽を射落とした話(射日神話、羿射九日)が知られるほか、その後の時代に活躍した君主である后羿を伝える話(夏の時代の羿の項)も存在している。名称が同じであるため、前者を「大羿」、後者を「夷羿」や「有窮の后羿」と称し分けることもある。その大羿は中国神話最大の英雄の一人である。 日本でも古くから漢籍を通じてその話は読まれており、『将門記』(石井の夜討ちの場面)や『太平記』(巻22)などに弓の名手であったことや9個あった太陽の内8個を射落としたことが引用されているのがみられる。

見る 中康と羿

相 (夏)

相(しょう)は、夏朝の第5代帝。少康の父。 帝丘に都し、その後即位9年目に斟鄩に遷都し、15年目に帝丘にもう一度遷都したと言われている。 政治を省みなかった暴君であったという。有窮氏の后羿が反乱を起こし、后羿の家臣であるによって殺される。結果、夏の帝室の権力は大いに損なわれた。また、このことで、夏が一旦滅びたという説もある。 『竹書紀年』によると、相元年(戊戌の年)に淮夷を討ち、相2年に風夷・黄夷を討ったという。また、相7年に干夷が訪れ、相8年に寒浞が后羿を殺し、相28年には寒浞と子の澆の手で殺された。

見る 中康と相 (夏)

諸侯

諸侯(しょこう)とは、主君である君主の権威の範囲内で一定の領域を支配することを許された臣下である貴族のことである。

見る 中康と諸侯

通鑑前編

『通鑑前編』(つがんぜんぺん)は、南宋の金履祥(号は仁山)によって編まれた歴史書。

見る 中康と通鑑前編

暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。 細分すると、。

見る 中康と暦

河南省

省都の鄭州市。 河南省の老君山。 河南省(かなんしょう、河南省、、Henan Province)は、中華人民共和国の省の一つ。地域の大部分が黄河の南にあるため河南と称された。古の豫州があったことから、略称は豫である。省都は鄭州市。古代の中原の中心地であり、中国のなかでも歴史のある地域とされている。

見る 中康と河南省

洛河

洛河(らくが、 )は黄河の支流の一つ。古くは洛水の名で知られる。華山西南部の陝西省洛南県を源とし、東の河南省に流れ込み、河南鞏義で黄河に入る。全長420キロメートル。洛河は非常に長くて大きい河川ではないが、中国中部の歴史上最も重要な地区を流れているため、中国国内では非常に有名な河川である。洛河周辺の重要な都市は盧氏、洛寧、宜陽、洛陽、偃師、鞏義などがある。三国時代の曹植作の有名な「洛神賦」は洛水の女神に仮託して故人の情懐を述べ表している。 なお、渭河の支流にもという川があるが、この川とは別である。 Category:黄河水系。

見る 中康と洛河

有窮氏

有窮氏(有穹氏、ゆうきゅうし)は、中国の歴史書に見える夏の時代の氏族。『路史』による姓は偃とされるが不明。本貫は鉏(現在の河南省安陽市滑県の東)。先祖代々弓矢を得意とした。主な出身人物に后羿がいる。 始祖の名は『路史』によると皋陶であるとされる。『帝王世紀』には「嚳、賜以彤弓素矢」とあり、嚳・堯・舜の時代の羿である可能性もある。また、嚳の時代の羿と堯舜の時代の羿はまた別人である可能性がある。 后羿は子供の頃に親とともに山へ薬草を採取に出かけたが山中ではぐれてしまい、楚狐父(そこほ)(『帝王世紀』では吉甫(きつほ))という狩人によって保護される。楚狐父が病死するまで育てられ、その間に弓の使い方を習熟した。その後、弓の名手であった呉賀(ごが)からも技術を学び取り、その弓の腕をつかって羿は勢力を拡大していったとされる。

見る 中康と有窮氏

日食

2006年3月29日のトルコでの皆既日食 2012年5月21日に茨城県鹿嶋市で観測された金環日食 日食をかなり簡易に描いた図。陰の頂点に当たる地域では皆既日食という天文現象が見られる。頂点の周辺(灰色部分)は部分日食が見られる範囲である。 日食(にっしょく、solar eclipse)とは太陽が月によって覆われ、太陽が欠けて見えたり、あるいは全く見えなくなったりする現象である。 日蝕と表記する場合がある。 朔すなわち新月の時に起こる。

見る 中康と日食

書経

『書経』(しょきょう)は、中国古代の歴史書で、伝説の聖人である堯・舜から夏・殷・周王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されている。『尚書』または単に『書』とも呼ばれ、儒教の重要な経典である五経の一つでもある。 内容に違いがある2種類の本文が伝わっており、それぞれを「古文尚書」・「今文尚書」と呼んで区別する。現代に伝わっている「古文尚書」は由来に偽りがあることが断定されているので「偽古文尚書」とも呼ばれる。もともとの「古文尚書」は失われており、現代には伝わっていない。

見る 中康と書経

参考情報

夏の君主