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上毛野田道

索引 上毛野田道

上毛野 田道(かみつけの の たぢ、生年不詳 - 仁徳55年)は、仁徳朝の武人。大荒田別命の子で、兄に竹葉瀬がいる。 仁徳53年に新羅が朝貢を怠ったため、まず兄の竹葉瀬を詰問使として遣わし、続いて田道が兵を率い遣わされ新羅の兵を撃破した。またその時、四つの邑の住民を捕虜とし連れ帰っている。 仁徳55年、蝦夷が反乱を起すと田道が遣わされるが敗れ伊峙水門(いしのみと)で戦死した。従者は田道が手に巻いていた遺品の玉を妻に与えた。妻は悲しみ縊死した。後に蝦夷が田道の墓を掘り起こすと、その中から大蛇が現れ次々と噛み付きほとんどの者が死亡したという。.

8 関係: 奈良別上毛野氏仁徳天皇竹葉瀬荒田別蝦夷新羅375年

奈良別

奈良別(ならわけ)は、古代日本の人物。表記は「奈良別王」とも。 下毛野君の祖で、豊城入彦命(崇神天皇皇子)の子孫とされる。.

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上毛野氏

上毛野氏(かみつけのうじ/かみつけぬうじ江戸時代から近年まで、「かみつけの」は「かみつけぬ」とも呼ばれたが、これは誤読との説もある(「毛野#「毛野」の由来と読み」参照)。)は、「上毛野」を氏の名とする氏族。 第10代崇神天皇皇子の豊城入彦命を祖とする皇別氏族で、「上毛野君(公)」のち「上毛野朝臣」姓を称した。 『日本書紀』には豊城入彦命に始まる氏族伝承が記載されており、上毛野氏以外にも伝承を共有する諸氏族がある。本項では、それらの氏族全般についても解説する。.

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仁徳天皇

仁徳天皇(にんとくてんのう、神功皇后摂政57年 - 仁徳天皇87年1月16日)は、日本の第16代天皇(在位:仁徳天皇元年1月3日 - 同87年1月16日)。善政を敷き、大規模な土木事業を行ったと伝わる。 名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)・大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)・聖帝(『日本書紀』)・難波天皇(『万葉集』)。.

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竹葉瀬

竹葉瀬(たかはせ)は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の人物。表記は「多奇波世」「竹合」とも。また氏の名を冠して「上毛野竹葉瀬」「上毛野竹合」とも。 上毛野君の祖で、仁徳天皇(第16代)の時に朝鮮へ派遣されたという武将である。.

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荒田別

荒田別(あらたわけ)は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の人物。表記は「荒田別命」「大荒田別」等とも。 上毛野君の遠祖で、神功皇后・応神天皇(第15代)の時に朝鮮へ派遣されたという武将である。.

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蝦夷

蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)などに住む人々の呼称である。 中央政権の地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道・樺太・千島列島・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指す。 大きく、「エミシ、エビス(愛瀰詩、毛人、蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。.

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新羅

新羅(しらぎ/しんら、前57年- 935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。当初は「斯蘆」(しろ)と称していたが、503年に「新羅」を正式な国号とした。朝鮮半島北部の高句麗、半島南西部の百済との並立時代を経て、7世紀中頃までに朝鮮半島中部以南をほぼ統一し、高麗、李氏朝鮮と続くその後の半島国家の祖形となった。内乱や飢饉で国力を弱体化させ、高麗に降伏して滅亡した。 朝鮮の歴史区分では、新羅、高句麗、百済の3か国が鼎立した7世紀中盤までの時代を三国時代、新羅が朝鮮半島唯一の国家であった時代(668年-900年)を統一新羅時代、新羅から後高句麗と後百済が分裂した10世紀の時代を後三国時代という。.

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375年

記載なし。

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