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三八式十五糎榴弾砲

索引 三八式十五糎榴弾砲

三八式十五糎榴弾砲(さんはちしきじゅうごせんちりゅうだんほう)は、日本陸軍が1911年(明治44年)に制式制定した榴弾砲。.

34 関係: 大阪砲兵工廠大正大日本帝国陸軍大日本帝国陸軍兵器一覧奉天会戦三八式十二糎榴弾砲三八式十糎加農砲三八式野砲ルソン島フランス語フィリピンクルップ四年式十五糎榴弾砲四式十五糎自走砲第二次世界大戦青島の戦い榴弾砲漢字明治昭和日中戦争日露戦争攻城砲15cm sIG331904年1911年1914年1918年1935年1937年1939年1942年1944年1945年

大阪砲兵工廠

1945年頃の大阪陸軍造兵廠の敷地図(赤色の部分。道路・鉄道は現在のもの) 大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)は、大阪府大阪市にあった大日本帝国陸軍の兵器工廠(造兵廠)。太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦まで、大口径の火砲を主体とする兵器の製造を担ったアジア最大規模の軍事工場であった。また、戦前中の日本では重工業分野においてトップクラスの技術や設備を持っていたため、官公庁や民間の要望に応えて兵器以外のさまざまな金属製品も製造していた。最終時の名称は大阪陸軍造兵廠(おおさかりくぐんぞうへいしょう)。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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大日本帝国陸軍

大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん、だいにほんていこくりくぐん、旧字体:大日本帝國陸軍)は、1871年(明治4年) - 1945年(昭和20年)まで日本 (大日本帝国) に存在していた軍隊組織である。通常は、単に日本陸軍や帝国陸軍と呼ばれた。解体後は、陸上自衛隊との区別などのため旧日本陸軍もしくは旧帝国陸軍という名称も使用される。.

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大日本帝国陸軍兵器一覧

大日本帝国陸軍兵器一覧(だいにほんていこくりくぐんへいきいちらん、英:List of Imperial Japanese Army Equipment)は、第二次世界大戦終結にかけ大日本帝国陸軍が保持していた兵器・武器の一覧。.

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奉天会戦

奉天会戦(ほうてんかいせん)は、1905年2月21日から3月10日にかけて行われた、日露戦争最後の会戦である。 奉天は現在の中華人民共和国遼寧省の瀋陽。双方あわせて60万に及ぶ将兵が18日間に亘って満州の荒野で激闘を繰り広げ、世界史上でも希に見る大規模な会戦となった。しかしこの戦いだけでは日露戦争全体の決着にはつながらず、それには5月の日本海海戦の結果を待つことになる。 参加兵力は大日本帝国陸軍24万人、ロシア帝国軍36万人。指揮官は日本側大山巌(実質的には参謀長の児玉源太郎)、ロシア側アレクセイ・クロパトキン。.

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三八式十二糎榴弾砲

三八式十二糎榴弾砲(さんはちしきじゅうにせんちりゅうだんほう)は、日本陸軍が1911年(明治44年)に制式制定した榴弾砲。.

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三八式十糎加農砲

三八式十糎加農(さんはちしきじっせんちかのん)は、大日本帝国陸軍が明治44年(1911年)に制式制定したカノン砲。.

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三八式野砲

三八式野砲(さんはちしきやほう)は、1900年代中期に開発・採用された大日本帝国陸軍の野砲。本項では、三八式野砲の改良型である改造三八式野砲(かいぞうさんはちしきやほう)についても詳述する。.

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ルソン島

ルソン島(ルソンとう、呂宋島、フィリピン語:Luzon)は、フィリピン諸島のうちで最も面積の大きな島。面積はおよそ10万4688km2。フィリピンの総面積の35%を占め、世界で17番目に大きな島であり、世界で4番目に人口が多い島でもある。首都マニラやフィリピンで最も人口が多いケソン、およびそれらを包括する首都圏メトロ・マニラが同島に所在しており、フィリピンの政治・経済で特に重要な位置を占めている。.

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フランス語

フランス語(フランスご)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語。ロマンス諸語のひとつで、ラテン語の口語(俗ラテン語)から変化したフランス北部のオイル語(またはウィ語、langue d'oïl)が母体と言われている。日本語では、仏蘭西語、略して仏語とも書く。 世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ2番目に多くの国・地域で使用されている言語で、フランス、スイス、ベルギー、カナダの他、かつてフランスやベルギーの領域だった諸国を中心に29カ国で公用語になっている(フランス語圏を参照)。全世界で1億2,300万人が主要言語として使用し、総話者数は2億人以上である。国際連合、欧州連合等の公用語の一つにも選ばれている。このフランス語の話者を、'''フランコフォン''' (francophone) と言う。.

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フィリピン

フィリピン共和国(フィリピンきょうわこく、Republika ng Pilipinas、Republic of the Philippines、) 通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本とパラオ、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んで中国およびベトナムと対する。フィリピンの東にはフィリピン海、西には南シナ海、南にはセレベス海が広がる。首都はマニラで、最大の都市はケソンである。国名のフィリピンは16世紀のスペイン皇太子フェリペからちなんでいる。.

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クルップ

ルップ(Krupp)は、ドイツのエッセンにある長い歴史を持つ重工業企業である。1999年にティッセン社と合併し、ティッセンクルップが誕生。巨大な工業コングロマリットとなっている。.

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四年式十五糎榴弾砲

四年式十五糎榴弾砲(よねんしきじゅうごせんちりゅうだんほう)は、日本陸軍が大正4年(1915年)に制式制定した榴弾砲。.

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四式十五糎自走砲

四式十五糎自走砲(よんしきじゅうごせんちじそうほう)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の対戦車自走砲。.

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第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

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青島の戦い

青島の戦い(チンタオのたたかい、Battle of Tsingtao, 1914年(大正3年)10月31日 - 11月7日)は、第一次世界大戦中の1914年(大正3年)に、ドイツ帝国の東アジアの拠点青島を日本・イギリス連合軍が攻略した戦闘である。 日本の戦争で最初に航空機が投入された戦いであり、航空機同士の空中戦や都市への爆撃も実施され、飛行機に対抗する高射砲も運用された。また兵站や装備が充実しつつあった日本陸軍は、日露戦争までの犠牲を顧みない歩兵突撃による肉弾戦ではなく、「優秀で強力な火力を有する敵要塞に対しては、それを上回る量と質の火砲の破壊力と、十分な弾薬の補給によって粉砕する」というより近代的な戦法をようやく成功させることができた。 しかし、大量の装備の上陸や輸送路の確保に慎重を期し、山東半島上陸から青島砲撃までに2か月もの時間を要したものの砲撃後1週間で決着がついた戦いは、国民に「弱いドイツ軍相手にだらだらと時間をかけた」という誤った印象を与え、メディアなどからは「神尾の慎重作戦」と揶揄されたが結果的にこの戦いを短期間で決着に持ち込めたのは補給路や装備の十分な確保により断続的な飽和攻撃を敵に与える事が出来た事によるものである。 この戦争で日本は満洲-大連-芝罘間通信線の所有/運用権を譲り受けた。.

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榴弾砲

榴弾砲(りゅうだんぽう、りゅうだんほう)は、 火砲(大砲)の一種。基本の定義は同口径のカノン砲(加農砲・カノン・加農)に比べて砲口直径(口径)に対する砲身長(口径長)が短く、低初速・短射程であるが軽量でコンパクト、高仰角の射撃を主用する(定義)。しかしながら、概ね冷戦後の現代は火砲の進化(榴弾砲の長砲身化)による砲種の統廃合(榴弾砲の統一)により、榴弾砲とカノン砲の区別は無くなっている(歴史)。旧日本陸軍による呼び名は、りゅうだんぽうである。.

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漢字

漢字(かんじ)は、中国古代の黄河文明で発祥した表語文字。四大文明で使用された古代文字のうち、現用される唯一の文字体系である。また史上最も文字数が多い文字体系であり、その数は10万字を超え、他の文字体系を圧倒する。古代から周辺諸国家や地域に伝播して漢字文化圏を形成し、言語のみならず文化上の大きな影響を与えた。 現代では中国語、日本語、朝鮮語の記述に使われる。20世紀に入り、漢字文化圏内でも日本語と中国語以外は漢字表記をほとんど廃止したが、なお約15億人が使用し、約50億人が使うラテン文字についで、世界で2番目に使用者数が多い。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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日中戦争

日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(民国26年、昭和12年)から1945年まで、中華民国と大日本帝国の間で行われた戦争である。日本政府は、勃発当時は支那事変としたが、1941年12月の対英米蘭との開戦に伴い、支那事変から対英米蘭戦までを大東亜戦争とした。中華民国側は、抗日戦争と呼称している。.

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日露戦争

日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война 、Russo-Japanese War、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。.

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攻城砲

攻城砲(こうじょうほう: siege artillery, siege gun)とは、城郭や要塞・砲台等を攻撃するための大口径の大砲。重砲(じゅうほう:heavy gun)とも呼称されるが、この場合は要塞砲等の固定砲や野戦で用いられる大型砲を含むより広い範囲のものを指す。 近代的な重砲、カール.

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15cm sIG33

15 cm sIG 33(schweres Infanteriegeschütz 33、重歩兵砲33年型)は、ナチス・ドイツが第二次世界大戦で使用した歩兵砲である。歩兵部隊を火力支援する榴弾砲として1927年、ラインメタル社によって開発が始められ、1933年に制式化された。歩兵連隊の歩兵砲中隊に2門ずつが装備された。歩兵部隊自体が装備する火砲としては最も大口径かつ強力であり、厳重に防護された敵拠点の制圧に威力を発揮、1945年の終戦間際まで生産が続けられた。しかし一方で、短い射程と比べて重量がかさむため、戦車車台に搭載された自走砲も各種開発・運用された。.

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1904年

記載なし。

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1911年

記載なし。

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1914年

記載なし。

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1918年

記載なし。

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1935年

記載なし。

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1937年

記載なし。

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1939年

記載なし。

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1942年

記載なし。

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1944年

記載なし。

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1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

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38式15cm榴弾砲

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