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ロック・クライミング・クラブ

索引 ロック・クライミング・クラブ

ック・クライミング・クラブ (Rock Climbing Club, RCC) は、1924年(大正13年)に結成された、日本初のロッククライミングを目的とする山岳会。 藤木九三が中心になって、神戸市で発足した(会員であった水野祥太郎の文章によれば、結成されたのは雪彦山)。六甲山の、藤木が命名した芦屋ロックガーデンなどの岩場をゲレンデとして活動し、日本の登山界に初めてロッククライミングを紹介する役割を果たした。 1925年(大正14年)、北穂高岳の滝谷を初登攀している。また、藤木が『岩登り術』という専門書を自費出版し、後年には水野祥太郎も同名の著書を発刊している。加藤文太郎も所属していた。 1933年(昭和8年)に解散した。.

14 関係: 加藤文太郎大正ロッククライミング六甲山神戸市穂高岳第2次RCC芦屋ロックガーデン藤木九三雪彦山昭和1924年1925年1933年

加藤文太郎

加藤 文太郎(かとう ぶんたろう、1905年(明治38年)3月11日 - 1936年(昭和11年)1月5日)は日本の登山家。大正から昭和にかけて活躍した。兵庫県美方郡新温泉町出身。兵庫県立工業学校夜間部卒業。 複数の同行者が協力し、パーティーを作って登るのが常識とされる山岳界の常識を覆し、単独行によって数々の登攀記録を残した。登山に対する精神と劇的な生涯から、小説(新田次郎著『孤高の人』、谷甲州著『単独行者 アラインゲンガー 新・加藤文太郎伝』)やドラマのモデルとなった。              .

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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ロッククライミング

ッククライミング フィッツロイ山で登山, アルゼンチン ロッククライミング(rock climbing)もしくは岩登り(いわのぼり)は、岩壁をよじ登ること。岩壁登攀(がんぺきとうはん)ともいう。.

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六甲山

六甲山(ろっこうさん)は、兵庫県南東部、神戸市の市街地の西から北にかけて位置する山塊。瀬戸内海国立公園の区域に指定されており、また日本三百名山、ふるさと兵庫50山の一つでもある。 一般に「六甲山」は大小の山を含む六甲山系全域(狭義には中央部から東部)を指し、最高峰は特に六甲(山)最高峰と称される。山域は神戸市のほか、芦屋市、西宮市、宝塚市に属す。 山系は南北に狭く、東西方向に長さ数十kmにわたって市街地の北側直近に迫っており、その山並みは神戸や阪神間また大阪市内を含む大阪府内からも天然のランドマークとして機能している。また裏六甲側からの山系も高い山地に遮られないこともあり、三田市や三木市、天気が良ければ小野市・加東市・加西市・加古川市などの兵庫県中部、姫路市などの兵庫県南西部などからも望むことができる。古くから交通路や観光施設の開発が進められ、多くの観光客や登山客を集める。 以下、本項では六甲山系およびその最高峰について述べる。北西に位置する丹生山系を含む六甲山地全体は六甲山地を、山系に属する個々の山、施設は:Category:六甲山地を参照。.

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神戸市

戸市(こうべし)は、兵庫県南部に位置する兵庫県の県庁所在地である。垂水区・須磨区・長田区・兵庫区・中央区・灘区・東灘区・北区・西区から構成される政令指定都市である。日本の市で6番目の人口を有する。.

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穂高岳

岳(ほたかだけ)は、中部山岳国立公園の飛騨山脈(北アルプス)にある標高3,190mの山。日本第三位の高峰。日本百名山『日本百名山』 深田久弥(著)、1982年、朝日新聞出版、pp209-213、ISBN 4-02-260871-4、新日本百名山及び花の百名山に選定されている。.

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第2次RCC

2次RCC(だい2じRCC)は、第二次世界大戦前に存在した日本初のロッククライミング同人であったロック・クライミング・クラブの登攀を継承発展する目的で1958年(昭和33年)1月31日に設立された山岳会である。本部は東京に置かれ、設立の発起人は奥山章であった。奥山の懇願によってRCCの創立者であった藤木九三が最高顧問に就任している。 国内においては、『日本の岩場』という岩場のルート図集を発刊し、各ルートのグレード(RCC II)を公にし、また、未登のルートを開拓している。海外では、アルプス三大北壁(アイガー、マッターホルン、グランド・ジョラス)や、ドリュー北壁などの難壁の登攀に成功する。 1973年(昭和48年)には、当時未登であったエベレスト南壁(現・南西壁)に、総勢48名という大規模な遠征隊を送った。森田勝や重広恒夫がこだわった南西壁ルートは天候の急変によって8,380mの当時の最高到達点までで登頂を断念するが、10月26日、東南稜ルートから石黒久・加藤保男がポスト・モンスーン期(秋季)初登頂を果たした。なお総指揮として橋本龍太郎やサポート隊として長谷川恒男も参加している。.

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芦屋ロックガーデン

Bケン跡から望む岩場と芦屋浜 芦屋ロックガーデン(あしやロックガーデン)は、兵庫県芦屋市・芦屋川上流 - 神戸市東灘区の六甲山中に存在する岩場、ロック・クライミングのゲレンデである。日本のロック・クライミングの発祥地として知られている。命名者は、日本のロック・クライミングのパイオニア的存在である藤木九三。.

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藤木九三

藤木九三レリーフ(兵庫県芦屋市高座の滝の近く) 藤木九三(ふじき くぞう、1887年(明治20年)9月30日 - 1970年(昭和45年)12月11日)は、日本の登山家であり、ロック・クライミング・クラブの創設者である。.

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雪彦山

千畳平(標高570m)から望む雪彦山 雪彦山(せっぴこさん)は、兵庫県姫路市にある山である。 弥彦山(新潟県)、英彦山(福岡県・大分県)と共に日本三彦山として知られる修験道の地。日本百景、ひょうごの森百選、兵庫50山、関西百名山、近畿百名山に選定されている。ロッククライミングの名所として知られている。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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1924年

記載なし。

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1925年

記載なし。

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1933年

記載なし。

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