ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

ポルトベロ

索引 ポルトベロ

ポルトベーロ(Portobelo)は、パナマのコロン県の港町である。パナマ地峡の北部に位置する。かつてはプエルト・ベージョ(Puerto Bello)という名だった。 パナマ運河の地図。ポルトベロは地図の上の端にある ポルトベーロの建設は1597年のことだった。18世紀まではスパニッシュ・メインのヌエバ・グラナダ副王領における銀の重要な積出港で、スペインインディアス艦隊の寄港地の一つだった。 ポルトベーロの町は、ヘンリー・モーガン船長の悪名高い略奪行為の犠牲になったこともあった。モーガンは1668年に私掠船の船団を率いて、450人でポルトベーロを攻略した。ポルトベーロは優れた要塞をもっていたにもかかわらず、モーガンは14日に渡り占領し、略奪行為に及び、金目のものはほとんど根こそぎ奪い去って行った。 1739年11月21日に、港町は再びイギリス艦隊の襲撃を受け、占領された(ポルトベロの戦い)。ジェンキンスの耳の戦争中のことで、この時はが率いていた。彼は3週間かけてポルトベーロの要塞など主だった建造物を爆破した。 ヴァーノンは1741年にカルタヘナ・デ・インディアスで撃退されたが、この戦いがスペイン貿易体制の脆弱性をはっきりと示したことから、その抜本的な変化が行われた。スペイン人は、少ない港に大型船を寄港させるやり方から、様々な港に小型船を寄港させる交易に切り替えたのである。さらに、西海岸での貿易を模索し、ホーン岬周辺を巡るようになった。こうした転換は、主要港であったポルトベーロの経済に深刻な影響を及ぼし、パナマ運河建設まで立ち直ることはなかった。 今日のポルトベーロは人口5000人にも満たない(2010年時点の人口は4559人 (.xls).

22 関係: 世界遺産ポルトベロの海戦ヌエバ・グラナダ副王領ヘンリー・モーガンパナマパナマのカリブ海側の要塞群パナマ地峡パナマ運河ホーン岬インディアス艦隊カルタヘナ (コロンビア)コロン県 (パナマ)ジェンキンスの耳の戦争スパニッシュ・メイン国際連合教育科学文化機関私掠船要塞11月21日1597年1668年1739年1980年

世界遺産

世界遺産(せかいいさん、World Heritage Site)は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リスト(世界遺産一覧表)に登録された、文化財、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産が対象となっている。なお、慣例的な用法として、その中の文化遺産を世界文化遺産、自然遺産を世界自然遺産と呼ぶことがある。 なお、世界遺産の制度では正式な文書は英語とフランス語で示され、日本語文献では英語が併記されることがしばしばある一方、フランス語が併記されることは普通ないため、以下では参照しやすさを考慮して、などに依拠して、主たる用語には英語を併記しておく。.

新しい!!: ポルトベロと世界遺産 · 続きを見る »

ポルトベロの海戦

ポルトベロの海戦(ポルトベロのかいせん、Battle of Portobello)、またはポルト・ベロ海戦(ポルト・ベロのかいせん、Battle of Porto Bello)は1739年11月22日、グレートブリテン王国とスペイン帝国の間の海戦。ジェンキンスの耳の戦争の一部であったこの戦いでは、イギリス海軍がパナマのポルトベロの占領を企図して成功した。この戦いはイギリスで大いに宣伝された。.

新しい!!: ポルトベロとポルトベロの海戦 · 続きを見る »

ヌエバ・グラナダ副王領

ヌエバ・グラナダ副王領(ヌエバ・グラナダふくおうりょう、Virreinato de Nueva Granada)は、スペインが中南米の植民地化の間に作った副王領のひとつである Encyclopadia Britannica.

新しい!!: ポルトベロとヌエバ・グラナダ副王領 · 続きを見る »

ヘンリー・モーガン

ヘンリー・モーガン(Henry Morgan, 1635年 - 1688年8月25日)は、17世紀にカリブ海で活躍したイギリス出身の海賊である。彼は、海賊を引退した後、ジャマイカ島代理総督などの、国家の役職につき、海賊を取り締まる立場になった。 なお、モーガンの生涯は、作家ジョン・スタインベックが『黄金の盃』に、元海賊船の船医だった作家ジョン・エスケメリングが『アメリカのバカーニア』(日本では「カリブの海賊」として出版されている)に書いている。.

新しい!!: ポルトベロとヘンリー・モーガン · 続きを見る »

パナマ

パナマ共和国(パナマきょうわこく、)、通称パナマは、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の境に位置する共和制国家である。北西にコスタリカ、南東にコロンビアに接し、北はカリブ海、南は太平洋に面する。首都はパナマシティー。 南北アメリカと太平洋、大西洋の結節点に当たる地理的重要性からスペイン人の到達以来貿易や人の移動や国際政治において大きな役割を果たす場所となっており、その役割の重要性のため、中米地峡を貫くパナマ運河が通っている。また、いわゆるパナマ文書が注目を浴びている。.

新しい!!: ポルトベロとパナマ · 続きを見る »

パナマのカリブ海側の要塞群

パナマのカリブ海沿岸の要塞群は、パナマにあるユネスコの世界遺産登録物件の一つで、パナマの世界遺産の中では最初に登録されたものである。ポルトベロに残る5つの要塞跡と、サン・ロレンソ要塞の遺構が登録対象となっている。.

新しい!!: ポルトベロとパナマのカリブ海側の要塞群 · 続きを見る »

パナマ地峡

パナマ地峡 パナマ地峡(パナマちきょう、Istmo de Panamá、Isthmus of Panama)は、中央アメリカのカリブ海と太平洋との間、パナマ中部にあり、南北両アメリカ大陸を結ぶ帯状の地峡。およそ300万年前の鮮新世に形成されたことで、アメリカ大陸間大交差を起こした。パナマ共和国やパナマ運河がある狭い陸地で、幅はわずか64キロメートル。最狭部はサンブラス地峡。他の多くの地峡と同様、戦略的に重要なポイントである。.

新しい!!: ポルトベロとパナマ地峡 · 続きを見る »

パナマ運河

パナマ運河(パナマうんが、Canal de Panamá 、Panama Canal)は、パナマ共和国のパナマ地峡を開削して太平洋とカリブ海を結んでいる閘門式運河である。 パナマ運河の規模は全長約80キロメートル、最小幅91メートル、最大幅200メートル、深さは一番浅い場所で12.5メートルである。マゼラン海峡やドレーク海峡を回り込まずにアメリカ大陸東海岸と西海岸を海運で行き来できる。スエズ運河を拓いたフェルディナン・ド・レセップスの手で開発に着手したものの、難工事とマラリアの蔓延により放棄。その後パナマ運河地帯としてアメリカ合衆国によって建設が進められ、10年の歳月をかけて1914年に開通した。長らくアメリカによる管理が続いてきたが、1999年12月31日正午をもってパナマに完全返還された。現在はパナマ運河庁 (ACP) が管理している。国際運河であり、船籍・軍民を問わず通行が保証されている。 2002年の実績によれば、年間通航船舶数は13,185隻。通航総貨物量は1億8782万トン(いずれもパナマ運河庁調べ)。.

新しい!!: ポルトベロとパナマ運河 · 続きを見る »

ホーン岬

ホーン岬 ホーン岬の位置 ホーン岬(ホーンみさき、英: Cape Horn)またはオルノス岬(スペイン語 Cabo de Hornos)は、南アメリカ最南端、ティエラ・デル・フエゴ諸島最南に位置するオルノス島最南端の岬である。ドレーク海峡に面している。.

新しい!!: ポルトベロとホーン岬 · 続きを見る »

インディアス艦隊

インディアス艦隊 インディアス艦隊(インディアスかんたい、Flota de Indias)は、スペイン帝国が植民地と本土を結ぶために、1566年から1790年まで採用した輸送システムである。農産物、材木、工具などの工業製品、種々の金属、日用品、香辛料、砂糖、タバコ、絹や有名な金、銀、宝石、真珠などの財宝、珍重品などが大陸からスペイン本土へ運ばれた。その逆に移民は本土から大陸へ運ばれた。イギリスでは「スペイン財宝艦隊」(Spanish treasure fleet)と呼んだ。.

新しい!!: ポルトベロとインディアス艦隊 · 続きを見る »

カルタヘナ (コロンビア)

ルタヘナ(Cartagena)は、コロンビアの都市である。ボリーバル県の県都。人口107万5千人(2006年)。 カリブ海に面した港町で、「カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群」が世界遺産に登録されている。国内きっての観光地である。.

新しい!!: ポルトベロとカルタヘナ (コロンビア) · 続きを見る »

コロン県 (パナマ)

ン県(Provincia de Colón)は、パナマ北部の県。県都はコロン。パナマにおいてコロン県は、商業的に重要な場所であるが、サンゴ礁や熱帯雨林などの観光用の天然資源にも恵まれている。 スペイン植民地時代、パナマの商業の中心であり、取引相手はほとんどがすべてがスペインであった。スペイン人が多くの黒人奴隷を連れてきて、ここで働かせたり、中南米の他のスペイン植民地に送った。 パナマの中でも黒人の人口に占める割合が最も高い県である。 1840年代にカリブ海地域や西インド諸島より多くの黒人が移住し、パナマ運河やパナマ地峡鉄道の建設に従事した。.

新しい!!: ポルトベロとコロン県 (パナマ) · 続きを見る »

ジェンキンスの耳の戦争

ェンキンスの耳の戦争(ジェンキンスのみみのせんそう、War of Jenkins' Ear、Guerra de la oreja de Jenkins)とは、1739年に起こったグレートブリテン王国(イギリス)とスペインの海上権争覇の戦争であり、スペイン当局に拿捕されて耳を切り落とされたという商船船長の名に由来する。やがて大陸のオーストリア継承戦争に拡大し、ヨーロッパ全土にわたる大戦に発展した。これらの戦争は1748年のアーヘン和約まで続き、ひいては1756年に始まる七年戦争に連なる契機となった。.

新しい!!: ポルトベロとジェンキンスの耳の戦争 · 続きを見る »

スパニッシュ・メイン

パニッシュ・メイン(Spanish Main)は、大航海時代におけるカリブ海周辺大陸沿岸のスペイン帝国地域をイギリスが呼んだ名称。範囲はフロリダ半島からメキシコ、中米に南米北岸まで。 16世紀から18世紀にかけて、スパニッシュ・メインから、金銀、宝石、香辛料、木材、毛皮、その他の莫大な財宝が運び出された。有名なインディアス艦隊が財宝をスペインに運んだ。スパニッシュ・メインには、それをねらう海賊と私掠船が出没した。.

新しい!!: ポルトベロとスパニッシュ・メイン · 続きを見る »

国際連合教育科学文化機関

フランス、パリのユネスコ本部庁舎と平和の庭園(日本庭園) 日本ユネスコ国内委員会が入居する東京都の霞が関コモンゲート東館(右側) 国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん、Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la culture、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization, UNESCO ユネスコ)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関である。 1945年11月に44カ国の代表が集い、イギリス・ロンドンで開催された国連会議 "United Nations Conference for the establishment of an educational and cultural organization" (ECO/CONF)において11月16日に採択された 「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された。 分担金(2016年現在)の最大の拠出国はアメリカ合衆国(22%)、2位は日本(9%)である(米国は拠出金支払いを全額停止しているため、実質的に最大の拠出国は日本であるなおアメリカは2018年12月31日付でのユネスコ脱退を表明している。)。.

新しい!!: ポルトベロと国際連合教育科学文化機関 · 続きを見る »

私掠船

私掠船(しりゃくせん、Privateer, )とは、戦争状態にある一国の政府から、その敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可、私掠免許を得た個人の船をいう。.

新しい!!: ポルトベロと私掠船 · 続きを見る »

要塞

堡式城郭の例。オランダのブールタング 要塞(ようさい)とは、外敵等から戦略上重要な地点を守る為に築かれた構築物。とりで(砦、堡、塞)、城砦(じょうさい)、城堡(じょうほ)ともいう。.

新しい!!: ポルトベロと要塞 · 続きを見る »

11月21日

11月21日(じゅういちがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から325日目(閏年では326日目)にあたり、年末まであと40日ある。.

新しい!!: ポルトベロと11月21日 · 続きを見る »

1597年

記載なし。

新しい!!: ポルトベロと1597年 · 続きを見る »

1668年

記載なし。

新しい!!: ポルトベロと1668年 · 続きを見る »

1739年

記載なし。

新しい!!: ポルトベロと1739年 · 続きを見る »

1980年

この項目では、国際的な視点に基づいた1980年について記載する。.

新しい!!: ポルトベロと1980年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »