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ペルディッカス1世

索引 ペルディッカス1世

ペルディッカス1世(希:ΠερδίκκαςΑ'、ラテン文字転記:Perdikkas IもしくはPerdiccasI、在位:紀元前700年 - 紀元前678年)は、アルゲアス朝のマケドニア王である。 エウセビオスによれば、ペルディッカスはトゥリマスの次の王であり、ヘロドトスによれば最初のマケドニア王である。また、ペルディッカスはテメノスの末裔であり、兄弟のガウアネス、アエロポスと共にイリュリアに逃れてさらに上マケドニアのレバイアという町にたどり着いた。彼らはこの町の王に雇われ、一人は馬、もう一人は牛、そして末弟のペルディッカスはその他の小家畜を飼って働いた。なぜかペルディッカスのパンだけ焼く時に二倍の大きさに膨れ上がるのを見た王はこれを不吉な予兆と思い、兄弟に国外退去を命じた。その時彼らは賃銀を支払ってもらってから国を出るのが当然だと主張したが、それに逆上した王は部屋に差し込んでいる日の光を指して「お前らには相応の、これを賃銀に払ってやろう」と言った。二人の兄は呆気に取られて立ちすくんでいたが、幼い少年のペルディッカスだけはそれを戴くと言って小刀で日光の形を隈どって三度繰り返し日光を懐に汲み入れる仕草をして、兄と共に立ち去った(これは王位と領土を自分のものにするということを象徴的に示したものとされる)。彼らが去った後にこのペルディッカスの行為はとんでもない事だという部下の意見を聞いた王は彼らを殺すべく追っ手を差し向けたが失敗し、兄弟はマケドニアの「ミダスの園」と呼ばれる場所の近くに住み着いた。そして彼らはこの地を拠点としてマケドニアやその他の地方を征服した。 ペルディッカスの次の王位には子のアルガイオス1世が就いた。.

13 関係: 岩波書店ミダースマケドニア王の一覧トゥリマス (マケドニア王)ヘロドトステーメノスアルガイオス1世イリュリアエウセビオスギリシア語紀元前7世紀松平千秋歴史 (ヘロドトス)

岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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ミダース

ナサニエル・ホーソーン版による神話におけるミダース王。王が娘に触ったとき、娘は彫像と化した。1983年発行版のウォルター・クレインによる絵。 ギリシア神話の中でミダース(Μίδας, Midās)は、プリュギア(Phrygia)の都市ペシヌス(Pessinus)の王統治者名ミダースとゴルディアースは、歴史上のプリュギアでは逆になる。ヘロドトスはクロエススの宮廷での「ミダースの息子ゴルディアースの息子」アドラストゥスの逸話を語っている(i.14)。。長母音を省略してミダスとも表記される。触ったもの全てを黄金に変える能力("Midas touch")のため広く知られている。 ミダースは子供の頃にゴルディアース(Gordias)と彼を夫とする女神キュベレー(Cybele)の養子となった。ミダースは、快楽主義者、そして優れたバラの庭師バラは他にはギリシア神話に現れないので、これはヘレニズム時代の改変に違いない。バラの庭は、ペルシアを手本として取り入れられた。バラはロドス島とキュプロスのアフロディーテーと結びつけて考えられた。 として知られていた。また彼には残忍に人を殺したリテュエルセース(Lityerses)という一人の息子がいた。しかし、神話の中には、代わりにゾエ(Zoë)「生命」という娘がいたとするものもある。 童話『王様の耳はロバの耳』で、耳がロバになってしまった王様としても有名。 神託の命令に従って人々に迎え入れられ、王とされた貧しい農夫ゴルディアース(Gordias)の神話については、:en:Gordiasを参照。.

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マケドニア王の一覧

マケドニア王の一覧では、マケドニア王国の国王の一覧を示す。.

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トゥリマス (マケドニア王)

トゥリマス(希:Τυρίμμας, ラテン文字転記:Tyrimmas)は、アルゲアデス朝第3代のマケドニア王(在位:紀元前8世紀)である。 トゥリマスは先代の王コイノスの子である。トゥリマスは28年間王位にあり、彼の次の王位にはペルディッカス1世が登った。.

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ヘロドトス

ヘロドトスの胸像 ヘロドトス(ヘーロドトス、Ἡρόδοτος, Hēródotos、羅:Herodotus、紀元前485年頃 - 紀元前420年頃)は、古代ギリシアの歴史家。今日まで伝承されている最初の歴史書、『歴史』の著者であることから、「歴史の父」とも呼ばれる。.

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テーメノス

テーメノス(Τήμενος,, Temenus)は、ギリシア神話に登場する人物である。長母音を省略してテメノスとも表記される。ヘーラクレイダイの1人で、アリストマコスの息子。クレスポンテース、アリストデーモスと兄弟。ヘーラクレースの玄孫であり、ヘーラクレイダイ一族によるミュケーナイへの五度目の攻撃及び最終攻撃を指揮した。彼は後にアルゴスの王となり、カラノス、パルセス、アグラエウス、ケイソス、ヒュルネトの父となった。カラノスは後にマケドニア王国の創設者となり、アルゲアス朝の始祖となった。アルゲアス朝は紀元前356年にアレクサンドロス大王を生み、彼がヘーラクレースの血筋を主張するのも、テーメノスの息子であるカラノスが祖先だからである。.

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アルガイオス1世

アルガイオス1世(希:Ἀργαῖος Αʹ, ラテン文字転記:Argaios I, 在位:紀元前678年-紀元前640年)はアルゲアス朝のマケドニア王である。 アルガイオス1世は先代の王ペルディッカス1世の子であり、次代の王ピリッポス1世の父である。ポリュアイノスによれば、アルガイオスの治世においてタウランティオイ人がマケドニアに侵入してきたが、アルガイオスは奇策によって戦わずして彼らを退けた。.

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イリュリア

イリュリアの位置 イリュリア(イリリア、Ἰλλυρία、Illyricum)は、古代ギリシア・ローマ時代に現バルカン半島の西部に存在した王国。 イリュリア語を話すイリュリア人によって建国され、共和政ローマによって滅ぼされた。 イリュリアの正確な姿は、現在の歴史家にも十分にはわかっていない。 イリュリア人の勢力範囲とイリュリア王国の領域とは必ずしも一致せず、さらに、 イリュリア王国の国境線はあいまいな部分がある。 例えば、ダルマティアは言語的にはイリュリア人に分類されるが、イリュリア王国には短期間しか所属していない。.

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エウセビオス

レアのエウセビオス カエサレアのエウセビオス(Ευσέβιος, Eusebios, 263年ごろ - 339年5月30日)は、ギリシア教父の一人であり、歴史家にして聖書注釈家。314年前後からカエサレア・マリティマの司教(主教)を務めた。その師パンフィロスとともに正典の確定に関わり、『福音の論証』『福音の備え』『福音間の矛盾について』といった、聖書テキストの研究を残す。またとりわけ歴史著述において、彼をして後世「教会史の父」と呼ばわしめた代表作『教会史』が知られるほか、『パンフィロスの生涯』『年代記』『パレスティナ殉教者列伝』といった業績がある。自ら「パンフィロスの(息子)エウセビオス」を名乗ったといわれる。日本正教会ではエウセウィと転写される。.

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ギリシア語

リシア語(ギリシアご、現代ギリシア語: Ελληνικά, または Ελληνική γλώσσα )はインド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派(ギリシア語派)に属する言語。単独でヘレニック語派(ギリシア語派)を形成する。ギリシア共和国やキプロス共和国、イスタンブールのギリシア人居住区などで使用されており、話者は約1200万人。また、ラテン語とともに学名や専門用語にも使用されている。省略形は希語。.

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紀元前7世紀

アッシリアの世界帝国。強力な軍事力と過酷な統治体制でアッシリアは最初の「世界帝国」を樹立した。画像は都ニネヴェの北宮殿を飾っていたアッシリア王アッシュールバニパルの浮き彫り(ロンドンの大英博物館蔵)。 第25王朝の崩壊とともにエジプトを離れ故地へと南下したヌビア人はこの地に幾つものピラミッドを造営した。 スパルタ。第二次メッセニア戦争でメッセニア人に勝利したことでスパルタは厳しい軍律を定める国民皆兵の社会を確立した。画像は現在のスパルタで、前景に古代の遺跡を、中景に新市街スパルティを、後景にタイゲトス山を望むことができる。 騎馬民族スキタイ。スキタイはユーラシア中央部に拠点を持ち交易や略奪を通じてオリエント諸国に大きな影響を与えた。画像はアゼルバイジャンのミンガチェヴィルで発見された黄金製動物意匠のベルトの留め金。 神武天皇。『日本書紀』『古事記』の神武東征の記録によると日向高千穂から出立し瀬戸内海を経て大和に入り、橿原宮で即位し初代の天皇になったとされる。画像は月岡芳年『大日本名将鑑』の金の鵄(とび)を従えて敵を圧倒する神武天皇。 紀元前7世紀(きげんぜんななせいき、きげんぜんしちせいき)は、西暦による紀元前700年から紀元前601年までの100年間を指す世紀。.

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松平千秋

松平 千秋(まつだいら ちあき、男性、1915年9月13日 - 2006年6月21日)は、古代ギリシア文学者(西洋古典学者)で、多数のギリシア文学原典訳を行った。.

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歴史 (ヘロドトス)

''Historiae'' 『歴史』(れきし、, ラテン文字転記: (ヒストリアイ))は、ハリカルナッソスのヘロドトスが記した歴史書である。この書を著したことにより彼は「歴史の父」と呼ばれる。 紀元前5世紀のアケメネス朝ペルシアと古代ギリシア諸ポリス間の戦争(ペルシア戦争)を中心的主題とし、ペルシアの建国および拡大、オリエント世界各地の歴史、風俗や伝説をちりばめた地誌でもある。紀元前443年、アテナイによる南イタリア(マグナ・グラエキア)のトゥリオイ市の殖民にヘロドトスは参加し、この地で記した。イオニア方言で記述されている。 ヘロドトスは古代世界を旅し、各地の話を集めて行ったと思われる(それゆえか疑わしい話も少なからずある)。10世紀後半に東ローマ帝国で編纂されたスーダ辞典によれば、ヘロドトスは統治者へのクーデターへ参加した為にハリカルナッソスから追放されたとある。旅はこの機会に行われたと見られている。 ギリシアとペルシアの諍いの原因として、ヘロドトスは、絶対的権力を持つペルシア王と民主的行政府を持つギリシアのイデオロギーの相違が原因であると言及している。有名なマラトンの戦いは第6巻に含まれている。.

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