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プロレタリア文学

索引 プロレタリア文学

プロレタリア文学(プロレタリアぶんがく)とは、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、虐げられた労働者の直面する厳しい現実を描いたものである。.

76 関係: 労農芸術家連盟大正デモクラシー太陽のない街宮嶋資夫宮地嘉六宮本百合子宮本顕治小田切秀雄小牧近江小林多喜二岡本唐貴岩藤雪夫中野重治世界革命文学選世界恐慌三・一五事件平林たい子平林初之輔伊藤永之介佐多稲子佐々木孝丸徳永直アメリカ合衆国オクラホマ (曖昧さ回避)カリフォルニア州ジョン・スタインベック出エジプト記全日本無産者芸術連盟前衛芸術家同盟種蒔く人窪川鶴次郎築地特別高等警察階級芥川龍之介蟹工船革命文学青野季吉高倉輝谷口善太郎鹿地亘転向黒島伝治関東大震災藤森成吉葦牙葉山嘉樹蔵原惟人金子洋文柳瀬正夢...林房雄東京大学東京左翼劇場松田解子村山知義梅川文男武井昭夫治安維持法活動家集団思想運動本庄陸男戦旗新左翼新日本文学会文芸戦線日本労働組合総評議会日本プロレタリア作家同盟日本プロレタリア芸術連盟日本プロレタリア映画同盟日本プロレタリア文化連盟日本プロレタリア文芸連盟日本民主主義文学会旧約聖書怒りの葡萄1910年代1920年代1930年代 インデックスを展開 (26 もっと) »

労農芸術家連盟

労農芸術家連盟(ろうのうげいじゅつかれんめい、略称は労芸)は、1920年代から30年代にかけてのプロレタリア文学団体。 1926年に日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)が結成され、プロレタリア文学の書き手たちは運動としての展開を志す様になったものの、間も無く『無産者新聞』に掲載された鹿地亘の「所謂社会主義文芸を克服せよ」という論文を切っ掛けとして、プロレタリア芸術と社会変革の実践運動との関係を巡って意見対立が表面化。これには当時日本共産党内で主導的な役割を果たした福本和夫らの影響もあり、芸術を運動に従属させるべきだと主張する鹿地や中野重治らと、これに批判的な蔵原惟人や葉山嘉樹らとの対立は日を追うごとに激しくなっていった。 結局、1927年6月に鹿地や中野らプロ芸主流によって蔵原・葉山らは除名され、除名された蔵原・葉山や小堀甚二・前田河広一郎らは同年7月に労農芸術家連盟を結成。雑誌『文芸戦線』に拠って機関誌とした。この分裂は全国に及び、当時小樽に住んでいた小林多喜二は労芸に加わって、地元でプロ芸に残留した人物と論争などをしている。 しかし、その年の11月、『文芸戦線』の編集にあたっていた山田清三郎が依頼した山川均のエッセイが、27年テーゼへの反批判だったため、その掲載をめぐって、掲載を認める葉山・小堀・前田河・青野季吉らと掲載を否とする蔵原・山田・藤森成吉・村山知義らが対立。蔵原らは結局労芸から脱退し前衛芸術家同盟(前芸)を結成し、労芸は山川ら労農派の影響を受けることとなる。 労芸は、その後のプロレタリア文学の組織の合同にも消極的な態度を取り、1928年3月に蔵原惟人の提唱で発足した日本左翼文芸家総連合やプロ芸と前芸とが合同して発足した全日本無産者芸術連盟(ナップ)にも批判的であるなど距離を置き続けた。その結果、社会民主主義的な傾向の団体として自らを規定するようになる。その一方で『文芸戦線』誌上にも伊藤永之介や岩藤雪夫らの新進が登場するも、岩藤が他人に小説を代作させて発表させたことが発覚したことから小堀や平林たい子・今村恒夫らが脱退。更に人間関係のもつれから同人間で傷害事件が起きるなど風紀上好ましくない事態もおこり、こうした傾向に不満を抱いた黒島伝治らが離脱。〈文戦打倒同盟〉を結成してその後ナップに移籍するに至った。そうしたことからプロレタリア文学の中でも主導権を失うなどしたことから、1932年に解散した。 雑誌『文戦』(1931年に『文芸戦線』から改題)は、しばらくは『レフト』『新文戦』と更に改題して活動を継続したものの1934年に廃刊し、文戦に拠った側と対立した日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)も前後して解散に追い込まれるなどプロレタリア文学運動は組織としての体をなさなくなった。.

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大正デモクラシー

大正デモクラシー(たいしょうデモクラシー)とは、日本で1910年代から1920年代にかけて(概ね大正年間)に起こった、政治・社会・文化の各方面における民本主義の発展、自由主義的な運動、風潮、思潮の総称である。信夫清三郎『大正デモクラシー史』(1954年)がこの言葉の初出である。.

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太陽のない街

『太陽のない街』(たいようのないまち)は、徳永直による1929年の日本の小説。1930年に藤田満雄、小野宮吉脚色、村山知義演出で舞台化。1954年6月には日高澄子主演で、山本薩夫監督によって映画化された。.

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宮嶋資夫

宮嶋 資夫(みやじま すけお、1886年8月1日-1951年2月19日)は、小説家、僧侶。初期プロレタリア文学としての大正労働文学の担い手であった。 東京出身。本名は信泰。小学校高等科卒。職を転々とし、大杉栄、荒畑寒村らを知ってアナーキストとなる。1915年『近代思想』発行人となる。1916年初の小説「坑夫」を発表するが発禁処分となる。1930年思想的悩みから出家、法名は蓬州。弟に宮島啓夫。.

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宮地嘉六

宮地 嘉六(みやち(みやじ) かろく、1884年6月11日 - 1958年4月10日)は佐賀県出身の小説家。戦前は無産派文学の旗手として知られた。.

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宮本百合子

宮本 百合子(みやもと ゆりこ、1899年(明治32年)2月13日 - 1951年(昭和26年)1月21日)は昭和期の小説家、評論家。旧姓は中條(ちゅうじょう)、本名はユリ。日本女子大学英文科中退。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場、天才少女として注目を集め、その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダー、左翼運動家として活動した。日本共産党元委員長宮本顕治の妻で、宮本と共に投獄、執筆禁止などを繰り返した。.

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宮本顕治

宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年(明治41年)10月17日 - 2007年(平成19年)7月18日)は、日本の政治家、文芸評論家。通称ミヤケン。 戦前の非合法政党時代からの日本共産党の活動家であり、戦後、1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した。参議院議員(2期)を務め、日本共産党書記長、同委員長、同議長を歴任。国会に議席を持つ国政政党の党首でありながら、国会議員ではなかった時期がある。.

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小田切秀雄

小田切 秀雄(おだぎり ひでお、1916年(大正5年)9月20日 - 2000年(平成12年)5月24日) は、日本の文芸評論家、近代文学研究者。.

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小牧近江

小牧 近江(こまき おうみ、1894年(明治27年)5月11日 - 1978年(昭和53年)10月29日)は、秋田県の土崎港(つちざきみなと、現在の秋田市土崎港)生まれのフランス文学者、翻訳家、社会科学者・社会運動家。法政大学教授。本名、近江谷駧(おうみやこまき)。 父は秋田港築港・秋田県初の火力発電などで地元の経済基盤作りに貢献した実業家・衆議院議員の近江谷栄次。長男は近江谷左馬之介(元九州大学教授、マルクス経済学)。.

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小林多喜二

下川沿駅前の生誕碑 小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日戸籍上の日付。なお、従来いわれてきた『10月13日』は、1903年12月1日の旧暦での日付にあたる。 - 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。.

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岡本唐貴

岡本 唐貴(おかもと とうき、1903年12月3日 - 1986年3月28日)は、プロレタリア画家、洋画家。本名・岡本登喜男。 生涯芸術活動に身を染め、ダダイスム、シュルレアリスムなどの影響を受けた絵画、写生画を数多く残す。 長男は漫画家の白土三平(本名・岡本登)、長女は絵本作家の岡本颯子。.

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岩藤雪夫

岩藤 雪夫(いわとう/いわふじ ゆきお、1902年4月1日 - 1989年8月28日)は、日本の小説家である。プロレタリア文学の分野で活躍した。本名は岩藤俤。 父は映画弁士の岩藤思雪。永田町小学校(現:千代田区立麹町小学校)などを経て、早稲田工手学校卒業。1920年代後半から労農芸術家連盟に所属し雑誌『文芸戦線』を主な発表舞台とする。葉山嘉樹に影響を受け「ガトフ・フセクダア」(1928年)「賃金奴隷宣言」(1929年)など労働者の状況を精細に描いていたが、「工場労働者」「訓令工事」が他人の手による代作だったという告発があり結果として労芸の内紛から小堀甚二や平林たい子らの脱退を招いた。 戦後は横浜市鶴見区に住み、熱田五郎らとともに、雑誌『京浜文学』の中心として、地域の文学運動の発展に力をつくした。1989年、第1回横浜文学賞受賞。 本姓は「いわとう」、 1931年『新青年』に3作品を発表した。そのうちの1作である「人を喰った機関車」は、近年刊行された鉄道ミステリーのアンソロジーにもしばしば収録されている。.

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中野重治

中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月25日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の小説家、詩人、評論家、政治家。福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。 四高時代に窪川鶴次郎らを知り、短歌や詩や小説を発表するようになる。東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年に転向する。 戦後再び日本共産党に入り、また『新日本文学』の創刊に加わった。平野謙、荒正人らと「政治と文学論争」を引き起こし、戦後文学を確立させた。1947年から50年まで参議院議員を務める。 しかし1964年には日本共産党と政治理論で対立をして除名された。神山茂夫とともに『日本共産党批判』を出版している。 代表作に小説『歌のわかれ』『むらぎも』『梨の花』『甲乙丙丁』、評論『斎藤茂吉ノオト』、詩集『中野重治詩集』など。 詩人の中野鈴子は実妹、女優の原泉は妻。.

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世界革命文学選

世界革命文学選(せかいかくめいぶんがくせん)は、1962年から1970年にわたって日本共産党中央委員会文化部が編集し新日本出版社が刊行した、日本語の叢書である。 その後、小B6判並製だった判型を四六判上製に改め〈世界の革命文学〉シリーズとして1970年代前半に再刊されたものもある。また、1970年代後半から80年代にかけては、新日本文庫に収録されたものもある。 以下、通巻番号、著者国籍、書名、著者名、訳者名、刊行年月、主題・キーワードの順に記す。.

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世界恐慌

世界恐慌(せかいきょうこう)とは、世界的規模で起きる経済恐慌(world economic crisis/panic)である。ある国の恐慌が次々と他国へと波及し、世界的規模で広がる事象を世界恐慌という。 世界初の例は、クリミア戦争が終結した時に穀物価格が急落したことにより1857年に起こった1857年恐慌である。 戦間期に重要な位置を占めるものとして、通史的には1929年に始まった世界大恐慌をさす。大恐慌とも。この記事は通史でいう世界恐慌を述べている。.

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三・一五事件

三・一五事件(さん・いちごじけん)は、1928年3月15日に発生した、マルクス主義を忠実に実践するため非合法の無産政党の設立および第三インターナショナルの日本支部を目的として設立された日本共産党等の活動員数千名を検束、検挙された者が約300名、治安維持法に問われただちに市ヶ谷刑務所に収監された者が30名ののぼった事件である。 永井哲二 国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号:24,25 北一夫 国立国会図書館デジタルコレクション コマ番号:19.

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平林たい子

平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年(明治38年)10月3日 - 1972年(昭和47年)2月17日)は、日本の小説家。本名、平林タイ。.

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平林初之輔

平林 初之輔(ひらばやし はつのすけ、1892年11月8日 - 1931年6月15日)は、日本の作家・推理作家・文芸評論家。プロレタリア文学運動の理論家として知られる。.

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伊藤永之介

伊藤 永之介(いとう えいのすけ、1903年11月21日 - 1959年7月26日)は、日本の小説家である。.

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佐多稲子

佐多 稲子 - 窪川 稲子(さた いねこ - くぼかわ いねこ、1904年(明治37年)6月1日 - 1998年(平成10年)10月12日 本名:佐多イネ)は、日本の小説家である。.

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佐々木孝丸

佐々木 孝丸(ささき たかまる、1898年1月30日 - 1986年12月28日)は、日本の俳優、プロレタリア作家、演出家、劇作家。北海道川上郡標茶町出身キネマ旬報1979、p.239。 戦前のプロレタリア演劇運動の中心人物であり、演出家・俳優として先駆座・前衛座・東京左翼劇場に参加。落合三郎の筆名でフランス文学の翻訳や『筑波秘録』などのプロレタリア戯曲も執筆しており、革命歌「インターナショナル」の日本語訳詞者としても知られている。亡くなるまで熱心なエスペランティストであった。戦後は映画・テレビドラマで脇役俳優として活躍した。著書に『風雪新劇志 わが半生の記』など。.

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徳永直

徳永 直(とくなが すなお、1899年(明治32年)1月20日 - 1958年(昭和33年)2月15日)は、熊本県飽託郡花園村(現熊本市西区)生まれの小説家。.

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アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

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オクラホマ (曖昧さ回避)

ラホマ (Oklahoma).

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カリフォルニア州

リフォルニア州(State of California、Estado de California、中:加利福尼亚州、加州)は、アメリカ合衆国西部、太平洋岸の州。アメリカ西海岸の大部分を占める。州都は、サクラメントである。.

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ジョン・スタインベック

ョン・アーンスト・スタインベック(John Ernst Steinbeck, 1902年2月27日 - 1968年12月20日)は、アメリカの小説家・劇作家。.

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出エジプト記

『出エジプト記』(しゅつエジプトき、、)は、旧約聖書の二番目の書であり、『創世記』の後を受け、モーセが、虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語を中心に描かれている。モーセ五書(トーラー)のひとつであり、ユダヤ教では本文冒頭の言葉から『シェモース』と呼ぶ。全40章から成る。.

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全日本無産者芸術連盟

全日本無産者芸術連盟(ぜんにほんむさんしゃげいじゅつれんめい)は、プロレタリア文学・芸術運動の組織である。略称(エスペラント表記Nippona Artista Proleta Federacioの頭文字をつないだもの)のNAPF(ナップ)でも知られる。 1927年、プロレタリア文学運動の組織は、分裂した3団体(プロ芸・労芸・前芸)がお互いに対立していた。この状況を打破しようと、1928年、蔵原惟人は、組織はそのままでの連携を呼びかけ、日本左翼文芸家総連合が、3月に結成された。しかし、その直後、三・一五事件と呼ばれる日本共産党への弾圧が起きると、共産党と距離をおいていた労芸は、連携に消極的になった。一方、プロ芸と前芸とは、逆にこの弾圧をきっかけに、分裂状態の解消に動き、組織を合同して、全日本無産者芸術連盟を結成した。 ナップは、機関誌『戦旗』を刊行し、プロレタリア文学の雑誌として、広く読者を獲得した。 その年12月、組織形態を少し改め、名称を全日本無産者芸術団体協議会(略称ナップはそのまま)とし、以下の分野別の組織を充実させる方向をとった。.

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前衛芸術家同盟

前衛芸術家同盟(ぜんえいげいじゅつかどうめい)は、1920年代の、日本のプロレタリア文学運動の団体である。 1927年、当時のプロレタリア文学運動は、山川イズムや福本イズムの影響を受け、文学と階級闘争との関係をめぐって、さまざまな議論がたたかわされていた。その中で、組織も分裂するようになってしまった。1927年11月、蔵原惟人たちは、機関誌『文芸戦線』に山川均の論文を掲載するかどうかをめぐって意見の相違を生じ、所属していた労農芸術家連盟(労芸)から脱退し、前衛芸術家同盟を結成し、機関誌『前衛』を発刊した。雑誌『前衛』には、橋本英吉「棺と赤旗」蔵原惟人訳・ファジェーエフ「壊滅」などが掲載された。 1928年3月、三・一五事件による弾圧に対抗するなかで、日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)との合同が成立し、全日本無産者芸術連盟(ナップ)が結成され、前衛芸術家同盟は発展的解消をとげた。 Category:日本のプロレタリア芸術文化団体.

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種蒔く人

蒔く人(たねまくひと)は、1921年(大正10年)から1923年(大正12年)にかけて、小牧近江・金子洋文・今野賢三らが中心となり、反戦平和・人道主義的革新思想を基調として発行された同人雑誌である。全部で24号が刊行され、小牧の出身地である秋田県土崎港町で「土崎版」と称される1 - 3号までが発行され、半年間の休刊の後、印刷を東京に移して「東京版」と称される1 - 20号が発行された。官憲による4回の発禁を受けながらも1923年(大正12年)まで刊行が続けられたものの、同年9月に発生した関東大震災によって廃刊となった。震災発生後に刊行された『帝都震災号外』および『種蒔き雑記』は、震災後の混乱に乗じて横行した朝鮮人への迫害・虐殺および甘粕事件・亀戸事件といった社会主義者への弾圧を強く告発し抗議する内容となっている。 『種蒔く人』の刊行は小牧が渡仏中に影響を受けた反戦運動『クラルテ運動』の種を日本で蒔くという趣旨に基づくものであるが、『種蒔く人』は文芸雑誌であると同時に世界革命を志向した思想雑誌であり、その活動は日本のプロレタリア文学に先鞭をつけるものであるとされる。また、『種蒔く人』廃刊後、多くの同人が再結集して創刊された『文芸戦線』はこれに後続するものである。.

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窪川鶴次郎

川 鶴次郎(くぼかわ つるじろう、1903年2月25日 - 1974年6月15日)は、日本の文芸評論家。.

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築地

築地(つきじ)は、東京都中央区の地名で、旧京橋区にあたる京橋地域内である。現行行政地名は築地一丁目から築地七丁目。郵便番号は104-0045。.

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特別高等警察

特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ、Special Higher Police, SHP)は、国事警察として発足した高等警察から分離し、国体護持のために無政府主義者・共産主義者・社会主義者、および国家の存在を否認する者や過激な国家主義者を査察・内偵し、取り締まることを目的とした日本の政治警察である。内務省警保局保安課を総元締めとして、警視庁をはじめとする一道三府七県北海道庁警察部、警視庁、神奈川県警察部、長野県警察部、愛知県警察部、京都府警察部、大阪府警察部、兵庫県警察部、山口県警察部、福岡県警察部に設置されたが、その後、1928年に全国一律に未設置県にも設置された。略称は特高警察(とっこうけいさつ)、特高(とっこう)と言い、構成員を指しても言う。第二次世界大戦後の1945年に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指示により廃止された。.

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階級

階級(かいきゅう).

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芥川龍之介

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。本名同じ、号は、俳号は我鬼。 その作品の多くは短編小説である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。.

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蟹工船

蟹工船(かにこうせん).

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革命文学

革命文学(かくめいぶんがく)とは、19世紀以降の、社会主義思想による社会の進歩をねがう立場から書かれた文学作品の総称。.

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青野季吉

青野 季吉(あおの すえきち、1890年(明治23年)2月24日 - 1961年(昭和36年)6月23日)は日本の文芸評論家。.

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高倉輝

倉 輝(たかくら てる、1891年(明治24年)4月14日 - 1986年(昭和61年)4月2日)は、日本の劇作家、小説家、政治家、著述家。.

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谷口善太郎

谷口 善太郎(たにぐち ぜんたろう、1899年10月15日 - 1974年6月8日)は日本の小説家、政治家である。衆議院議員(6期)。小説家としては、ペンネームの須井一(すい はじめ)・加賀耿二(かが こうじ)で知られることも多い。愛称は「谷善(たにぜん)」。.

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鹿地亘

鹿地 亘(かじ わたる、本名:瀬口貢(せぐち みつぎ)、1903年5月1日 - 1982年7月26日)は、日本の小説家。大分県西国東郡岬村(現・豊後高田市)出身。東京帝国大学国文科卒業、東京帝国大学大学院博士課程修了。.

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転向

転向(てんこう)」とは今までの方向、方針、進路、職業、好みなどから変えること。また思想や政治的な主張や立場の変更、特に弾圧により共産主義や社会主義の立場を放棄すること。ここでは主に後者について述べる。 また、同義語は「変節(へんせつ。守ってきた節義を変えること。転向することへの批判的な意味で用いられる)」。「変節」した者への批判・非難、あるいは侮蔑的な表現として「変節漢(へんせつかん)」がある。.

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黒島伝治

黒島 伝治(くろしま でんじ、1898年12月12日 - 1943年10月17日)は、日本の小説家である。 香川県の小豆郡苗羽村(現在の小豆島町)に生まれた。壺井栄は隣村(現在は合併で同じ町になっている)の出身である。上級学校への進学はかなわず実業補習学校を卒業して醤油工場に勤務、学資を貯めて上京し早稲田大学予科の選科生となる。このため徴兵猶予の対象とならず1919年には兵役の召集を受け姫路の連隊に在営、シベリア出兵に看護卒として従軍した。この体験が、彼の代表作である『渦巻ける烏の群』『橇』などの〈シベリアもの〉とよばれる日本文学史上稀有な戦争文学として結実することとなる。 兵役を終えた後に小説を書き始め、1925年に貧困のために合格した中学への進学を断念させる家庭の姿を描いた「電報」で世に知られるようになる。当時のプロレタリア文学はほとんどが労働者を題材にしていたなかで、農村を舞台にした黒島の作品は好感をもって迎えられた。この傾向の作品としては、差し押さえに抵抗する農民を描いた『豚群』が有名である。1930年には済南事件に取材した日本と中国との関係をえぐった長編『武装せる市街』を書き下ろしで刊行するが、即座に発禁となる。 『文芸戦線』同人だったものの、母体の労農芸術家連盟の粛正を要求して離脱。更に全日本無産者芸術連盟(ナップ)へと参加するものの、1930年代始め頃に肺病に罹患して故郷・小豆島に隠棲。特別高等警察の監視下に置かれながらも作品の発表もせぬまま、1943年に生涯を閉じる。遺稿・書簡の類は夫人の手によってその多くが焼却されたものの、軍務についていた頃の日記は消滅をまぬかれ『軍隊日記』として戦後に刊行。『武装せる市街』も戦後出版が計画されたもののGHQの検閲で実現に至らず、講和条約の発効後にやっと陽の目を見るに至った。 郷里には文学碑が建てられている。 没後、全集が2回(筑摩書房、勉誠出版)刊行された。.

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関東大震災

関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒頃(日本時間、以下同様)に発生した関東大地震によって、南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害である。.

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藤森成吉

藤森 成吉(ふじもり せいきち、1892年8月28日 - 1977年5月26日)は、日本の小説家、劇作家。.

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葦牙

葦牙(あしかび)とは、1984年11月に創刊された総合文芸雑誌である。「文学と思想を科学する雑誌」とも名乗っている。発売元は最初はみずち書房、その後、田畑書店をへて、現在は株式会社同時代社となっている。 1983年に、日本共産党中央と日本民主主義文学同盟の一部の党員たちの間で対立(「『民主文学』四月号問題」)が起き、何人かの同盟員が退会したことが発刊のきっかけである。退会した複数の元同盟員は、文学同盟に所属しつづけている複数の同盟員とともに、〈葦牙同人〉を構成し、雑誌『葦牙』を創刊したのである。なお、創刊当時文学同盟に在籍していた同人は、その後同盟を自発的に退会していった。 その後『葦牙』は、日本共産党の党内民主主義の虚構性を主張する宮地健一(かれは創刊当時の同人ではない)の論文を掲載するなど、日本共産党への批判をふくむ編集をはじめ、『葦牙』同人たちは離党あるいは除籍という形で党から離脱していった。現在でも、日本共産党の党員研究者が執筆することがある。 『葦牙』は当初は季刊誌であったが、刊行頻度を下げながら、現在も年1回発行され、宮本顕治特集や丸山眞男特集などを組んでいる。ただし、創刊の頃に小説を寄稿していた中里喜昭をはじめとする小説家たちは、その後は小説を掲載しなくなり、2015年現在では、文芸というよりも、論壇誌に近くなっている。(2015年現在、41号まで発行).

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葉山嘉樹

葉山 嘉樹(はやま よしき、1894年(明治27年)3月12日 - 1945年(昭和20年)10月18日)は日本のプロレタリア文学の作家である。福岡県京都郡豊津村(現・みやこ町)出身。.

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蔵原惟人

蔵原 惟人(くらはら これひと、1902年(明治35年)1月26日 - 1991年(平成3年)1月25日)は、日本の評論家である。ペンネームは古川荘一郎。駄じゃれが好きという一面もある。.

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金子洋文

金子洋文(かねこ ようぶん、1893年4月8日 - 1985年3月21日)は、プロレタリア文学の小説家、劇作家、日本社会党参議院議員。 秋田県生まれ。本名・吉太郎。秋田工業学校卒。1921年、社会主義思想の文芸雑誌『種蒔く人』を創刊。『解放』に発表した「地獄」が出世作となる。24年からは『種蒔く人』の後継誌『文藝戦線』を創刊。戯曲、脚本も書いた。 戦後、1947年、社会党の参議院議員(全国区)を一期務めた。その後、商業演劇の脚本家となり、松竹歌舞伎審議会専門委員、また『劇と評論』編集委員。『金子洋文作品集』がある。.

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柳瀬正夢

柳瀬 正夢(やなせ まさむ、1900年1月12日 - 1945年5月25日) は、美術家、画家、デザイナー、舞台美術家。本名は正六、別名は夏川八朗。.

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林房雄

林 房雄(はやし ふさお、1903年(明治36年)5月30日 - 1975年(昭和50年)10月9日)は、日本の小説家、文芸評論家。大分県大分市出身。本名は後藤 寿夫(ごとう ひさお)。戦後の一時期の筆名は白井 明。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『妻の青春』などを出版し舞台上演され流行作家となった。.

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東京大学

記載なし。

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東京左翼劇場

東京左翼劇場(とうきょうさよくげきじょう)はかつて存在した日本の劇団。 単に「左翼劇場」ともいう。前身は前衛芸術家同盟傘下の「前衛劇場」と日本プロレタリア芸術連盟傘下のプロレタリア劇場。.

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松田解子

松田 解子(まつだ ときこ、本名:大沼 ハナ、1905年(明治38年)7月18日 - 2004年(平成16年)12月26日)は、日本の小説家である。秋田県仙北郡荒川村出身。長男は記録映画作家の大沼鉄郎。 三菱鉱山経営の荒川鉱山に育った彼女は、大盛小学校を卒業すると、鉱山の事務所でタイピストなどをしながら、文学に触れていた。1923年に秋田女子師範(本科第二部、一年制)に入学、卒業後母校の大盛小学校に赴任する。1926年に職を辞して上京した。上京後、労働運動に参加し、その中で大沼渉と結婚する。結婚、子育てのなかの体験が、初期の作品のなかに生かされている。1928年、読売新聞の女流新人短編募集に応じた「産む」が入選し、1929年には『女人芸術』に「乳を売る」が掲載される。また、この年、同誌が応募した「全女性進出行進曲」にも入選し、山田耕筰の作曲でレコードにも吹きこまれた。戦後、新日本文学会に参加し、その後日本民主主義文学会にいたるまで、1966年から、自分の母親の生涯に材をとった長編『おりん口伝』の連載を始める。この作品で田村俊子賞、多喜二・百合子賞を受賞する。その後、『おりん母子伝』『桃割れのタイピスト』とつづく三部作で、母と自らの生活をとおして、20世紀初頭の日本の資本主義の発展の一側面と、その中での社会革新の動きを書いた。.

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村山知義

村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。 息子の村山亜土は児童劇作家。.

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梅川文男

梅川 文男(うめかわ ふみお、1906年4月9日 - 1968年4月4日)は日本の政治家・プロレタリア文学者・労農運動家。三重県松阪市の第6代市長(在任期間、1957年3月30日 - 1968年4月4日)。 飯南郡松阪町大字新町(現・松阪市新町)に生まれる。旧制・三重県立宇治山田中等学校(現・三重県立宇治山田高等学校)卒業。田村元(元衆議院議長・自民党最高顧問)の先輩にあたり、小津安二郎(映画監督)の後輩にあたる。また、「堀坂山行」の筆名で多くの詩やエッセイを発表している。.

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武井昭夫

武井 昭夫(たけい てるお、1927年1月29日 - 2010年9月2日)は、日本の文芸評論家、全学連初代委員長。.

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治安維持法

治安維持法(ちあんいじほう、昭和16年(1941年)3月10日法律第54号)は、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。当初は、1925年に大正14年4月22日法律第46号として制定され、1941年に全部改正された。 とくに共産主義革命運動の過激化を懸念したものといわれているが、やがて宗教団体や、左翼活動、自由主義、市民運動等へも対象が拡大されていった。.

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活動家集団思想運動

活動家集団思想運動(かつどうかしゅうだんしそううんどう)は、日本におけるコミュニスト・グループの1つ。文芸評論家で全日本学生自治会総連合(全学連)初代中央委員長の武井昭夫らを中心に結成された。スタンスは「反『反ソ連』」(「親ソ連」とイコールではない)であり、ブランキスト的新左翼とも、議会内的構造改革派とも一線を画している。.

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本庄陸男

本庄 陸男(ほんじょう むつお、1905年2月20日-1939年7月23日)は、日本の小説家である。北海道石狩郡当別町出身。.

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戦旗

'''戦旗'''1930年2月号。エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)所蔵品。 『戦旗』(せんき)は、1928年5月から1931年12月にかけて刊行されていた日本の文芸雑誌である。全41号。プロレタリア文学の作品の重要な発表舞台となっていた。 1928年、当時プロレタリア文学の陣営は、いくつかの団体が乱立していた。その中で、日本共産党の影響を強く受けていた、〈日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)〉(中野重治たちが所属)と、〈前衛芸術家同盟(前芸)〉(蔵原惟人たちが所属)とは、3月15日のいわゆる〈三・一五事件〉の弾圧をきっかけに、組織の合同をはかり、全日本無産者芸術連盟(ナップ)を結成した。その機関誌として発行されることになったのが雑誌『戦旗』であった。 『戦旗』は、小林多喜二の「一九二八年三月十五日」「蟹工船」、徳永直の「太陽のない街」などの話題作を次々と掲載し、プロレタリア文学の代表的な雑誌となった。発禁処分もしばしば受けたが、処分が出る前に定期購読者への直接頒布や、発売と同時に購入する読者たちに支えられて、発行を継続できた。1931年に、日本プロレタリア文化連盟(コップ)へと、組織が発展する中で、雑誌は『プロレタリア文化』・『コップ』へと発展的解消をとげた。 別冊から発展した姉妹誌として、『少年戦旗』『婦人戦旗』も刊行された。.

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新左翼

新左翼(しんさよく、ニューレフト、New Left)とは、第二次世界大戦後の1960年代に、欧米や日本などの先進国において、急進的な革命を志向し、主に大学生や大学院生や青年労働者から構成された左翼的な政治運動や政治勢力のこと。.

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新日本文学会

新日本文学会(しんにほんぶんがくかい)は、1945年から2005年まで存続した、日本の文学者の職能団体である。.

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文芸戦線

『文芸戦線』創刊号の表紙 『文芸戦線』(ぶんげいせんせん)は、1920年代から30年代にかけてのプロレタリア文学の雑誌である。 雑誌『種蒔く人』が関東大震災の影響もあって1923年(大正12年)に廃刊したのち、新しいプロレタリア文学の書き手たちの同人誌として1924年(大正13年)6月に出発した。当初は、関係者の頭文字をつなげて〈ココラキョウ〉というタイトルも考えられたが、あまりにふざけすぎだという意見が出て、シンプルな〈文芸戦線〉になった。。 創刊当初は、平林初之輔、青野季吉らが論陣をはり、プロレタリア文学の理論化にちからをつくした。また、葉山嘉樹、黒島伝治、平林たい子たちが作品を発表し、プロレタリア文学の有力な発表舞台として認められるようになった。新感覚派の雑誌『文藝時代』とともに、新しい時代のさきぶれとして、当時の作家をめざす若者に人気があった板垣信著・福田清人編『川端康成 人と作品20』(センチュリーブックス/清水書院、1969年)羽鳥徹哉「年譜」(『作家の自伝15 川端康成』)(日本図書センター、1994年)。 1925年(大正14年)、日本プロレタリア文芸連盟(プロ連)発足の際には、実質的に機関誌として機能した。その後、プロ連が発展して日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)が結成されると、そのなかの福本イズムに影響された鹿地亘や中野重治から批判を受け、それをひとつのきっかけとして、労農芸術家連盟(労芸)が結成されると、その機関誌として位置づけられた。 1927年、山川均の論文掲載をめぐって、蔵原惟人たちが労芸を脱退、前衛芸術家同盟(前芸)を発足させると、『文芸戦線』は労芸に残った、いわゆる労農派と呼ばれる人たちの根拠地となり、社会民主主義的傾向をもつようになった。1928年のプロ芸と前芸の合同による全日本無産者芸術連盟(ナップ)結成と、雑誌『戦旗』創刊に対しても、距離をおき、独自のプロレタリア文学を追求した。この時期には、伊藤永之介、岩藤雪夫らが活躍した。 しかし、プロレタリア文学の主流が『戦旗』にあるとは衆目の一致するところであり、そうしたことや、労芸内部での親分子分の関係のもつれなどから、何度も脱退者がでて、二度にわたって〈文戦打倒同盟〉が結成されるなどの、内部の問題もあり、雑誌名をその後『文戦』『レフト』『新文戦』と改名しながらもちこたえたが、弾圧もあり、1932年(昭和7年)には労芸は解散、雑誌も1934年(昭和9年)に廃刊した。.

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日本労働組合総評議会

日本労働組合総評議会(にほんろうどうくみあいそうひょうぎかい)は、かつて存在した日本における労働組合のナショナルセンター。略称、総評(そうひょう)。.

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日本プロレタリア作家同盟

日本プロレタリア作家同盟(にほんプロレタリアさっかどうめい)は、昭和戦前期に存在したプロレタリア文学の団体である。略称はナルプ。.

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日本プロレタリア芸術連盟

日本プロレタリア芸術連盟(にほんプロレタリアげいじゅつれんめい、略称はプロ芸)は、1920年代のプロレタリア文学の団体である。.

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日本プロレタリア映画同盟

日本プロレタリア映画同盟(にほんプロレタリアえいがどうめい、エスペラント語:Japana Prolet−Kino Unio)は、かつて存在した日本の映画製作・上映団体。略称「プロキノ」。.

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日本プロレタリア文化連盟

日本プロレタリア文化連盟(にほんプロレタリアぶんかれんめい)は、1930年代のプロレタリア文化運動の組織である。略称はコップ(Federacio de Proletaj Kultur Organizoj Japanaj、の頭文字をとったもの.

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日本プロレタリア文芸連盟

日本プロレタリア文芸連盟(にほんプロレタリアぶんげいれんめい、略称プロ連)は、1920年代のプロレタリア文学運動の団体である。 1925年、それまでいろいろな同人組織などはあったが、きちんとした運動体を持たなかったプロレタリア文学の陣営の、大きなまとまりをもった組織を作ろうという意図で組織された。12月に『文芸戦線』を中心に、『戦闘文芸』『原始』『解放』などのプロレタリア文芸雑誌、劇団先駆座、個人で江馬修、林房雄らが参加して発足した。1926年11月には中野重治、亀井勝一郎、鹿地亘らマルクス主義芸術研究会のメンバーが加入する。 きちんとした機関誌は決めなかったが、事実上雑誌『文芸戦線』が機関誌として機能していた。葉山嘉樹「淫売婦」、黒島伝治「豚群」などの作品が掲載され、運動に活気がもたらされた。 演劇においては、共同印刷争議を支援したトランク劇場の活動など、新しい演劇創造にも力を入れた。 1926年9月に「文芸戦線」に掲載された青野季吉「自然生長と目的意識」の中で、プロレタリア文学はマルクス主義運動としても位置付けを与えられ、共産主義系でないアナキスト系連盟員を排除して、新しく日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)として再出発した。 Category:日本のプロレタリア芸術文化団体 Category:日本の文学団体.

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日本民主主義文学会

日本民主主義文学会(にほんみんしゅしゅぎぶんがくかい)は、日本の文学者の職能団体である。機関誌『民主文学』を月刊誌として編集・発行している。.

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旧約聖書

旧約聖書(きゅうやくせいしょ)は、ユダヤ教の聖典であるタナハを元に書かれたキリスト教の正典である。また、イスラム教においてもその一部(モーセ五書、詩篇)が啓典とされている。「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての『新約聖書』を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」である。そのためユダヤ教では旧約聖書とは呼ばれず、単に聖書と呼ばれる。『旧約聖書』は原則としてヘブライ語で記載され、一部にアラム語で記載されている。.

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怒りの葡萄

『怒りの葡萄』(いかりのぶどう:The Grapes of Wrath)は、アメリカ合衆国の作家ジョン・スタインベックによる小説である。初版は1939年。この小説により、スタインベックは1940年にピューリッツァー賞を受賞した。後のノーベル文学賞受賞(1962年)も、主に本作を受賞理由としている。.

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1910年代

1910年代(せんきゅうひゃくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1910年から1919年までの10年間を指す十年紀。.

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1920年代

1920年代(せんきゅうひゃくにじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1920年から1929年までの10年間を指す十年紀。.

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1930年代

1930年代(せんきゅうひゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1930年から1939年までの10年間を指す十年紀。.

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