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フォンタンカ川

索引 フォンタンカ川

フォンタンカ川(フォンタンカがわ、、)はロシアのサンクトペテルブルクを流れる川。フォンタンカ運河とも呼ばれる。主要河川であるネヴァ川左岸の夏の庭園から発し、市の中心部を流れて、ネヴァ川が大・小ネヴァ川に分かれた後の大ネヴァ川のすぐ南で、共にフィンランド湾へ流れ込む。フォンタン()は噴水の意味で、この川の水が夏の庭園の噴水に使われたことに由来するという 。 全長は6.7km、川幅は最大で70mに達する。夏の庭園を過ぎたところの右岸からモイカ川が分流する。全部で15の橋が架けられていて、目抜き通りのネフスキー大通りがその上を通るアニーチコフ橋がつとに有名である。夏季には観光船が行き来する。また、ドストエフスキーなどの小説にも登場する 。.

12 関係: 小説ネヴァ川ネフスキー大通りモイカ川ロシアフョードル・ドストエフスキーフィンランド湾アニチコフ橋グリボエードフ運河サンクトペテルブルク噴水

小説

小説(しょうせつ、fiction(総称)、novel(長編)、story(短編)、roman(長編)、nouvelle(中編)、conte(短編))とは、文学の形式の一つである。.

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世界最長の川であるナイル川 世界最大の流域面積を有する川であるアマゾン川 日本最長の川である信濃川 日本最大の流域面積を有する川である利根川 川(かわ)は、絶えず水が流れる細長い地形である。雨として落ちたり地下から湧いたりして地表に存在する水は、重力によってより低い場所へとたどって下っていく。それがつながって細い線状になったものが川である。河川(かせん)ともいう。時期により水の流れない場合があるものもあるが、それも含めて川と呼ばれる。.

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ネヴァ川

ネヴァ川の位置 ネヴァ川の流路 ネヴァ川(ロシア語:Нева )は、ロシア北西部のラドガ湖からカレリア地峡を経てサンクトペテルブルク市内を流れ、フィンランド湾に注ぐ全長約74kmの川である。.

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ネフスキー大通り

ネフスキー大通り(ロシア語:(ニェーフスキイ・プラスピェークト))は、ロシアのサンクトペテルブルクにあるメインストリートである。ネフスキー大通りは、ピョートル1世(大帝)によって、ノヴゴロドとモスクワへの街道として建設が計画された。「ネフスキー」の名は「ネヴァ(川)」が、ロシア語の文法規則により語尾変化したものである。現在のネフスキー大通りは、旧海軍省、アレクサンドロフスキー公園からモスコーフスキー駅(モスクワ駅)のある蜂起広場を経て、アレクサンドル・ネフスキー大修道院に至る。 沿道には、ペテルブルクを代表する建築が立ち並ぶ。主なものとしては、建築家バルトロメオ・ラストレッリによるストロガノフ宮殿、ペテルブルクにおける巨大な新古典主義建築として知られるカザン聖堂、アール・ヌーヴォー様式の「本の家」(ジンガー書店)、18世紀に建立された6つの教会や、啓蒙専制君主として名高い女帝エカテリーナ2世の記念碑など歴史的、宗教的施設の他、ゴスチーヌイ・ドヴォールと呼ばれる18世紀のショッピングセンター、パサージュ百貨店(The Passage)や、グランド・ホテル・ヨーロッパ、ネフスキー・パレスなどのホテルが林立している。この他、文教施設としては、ロシア国立図書館がある。ネフスキー大通りのほぼ真ん中をフォンタカ運河が横切るが、ここに掛けられているアニーチコフ橋は馬の銅像とともに有名である。 ネフスキー大通りは、ペテルブルクを舞台とするロシア文学、小説に頻繁に登場する。ゴーゴリは、ペテルブルクの喧噪を『ネフスキー大通り』などの小説に書き表している。19世紀ロシア文学の黄金時代を築いた文豪たちが通ったカフェ・レストランが「文学カフェ」としてこの通りに面して残っている。 ロシア革命後、ソビエト政権が樹立すると、1918年から1944年までの間、ロシアで起きた最初の革命的出来事であるデカブリストの乱を記念する「十月二十四日大通り」の名で呼ばれた。 今日、ネフスキー大通りは、サンクトペテルブルクの目抜き通りとして都市機能の中枢を担っている。繁華街として昼夜を分かたず、多くの市民の生活の中心であり、高級な商店、住宅などが存在または建設中である。「日本センター」もカザン聖堂近くのこの大通りに面したビル内に設置されている。 また、金融街としても注目されている。.

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モイカ川

ネフスキー大通りが通る緑の橋から見たモイカ川 青橋。後方はマリインスキー宮殿 モイカ川(モイカがわ、、はロシアのサンクトペテルブルクの流れる川。主要河川であるネヴァ川の左岸にある夏の庭園のところからフォンタンカ川が始まり、この庭園を過ぎるとすぐ右岸からモイカ川が分流して、しばらくするとモイカ川の左岸からグリボエードフ運河が分流し、モイカ川はさらに西へ市の中心部を流れて、ネヴァ川が大・小ネヴァ川に分かれた後の大ネヴァ川へ流れ込む。 モイカは()は原住民であるイングリア人のイングリア語で泥水の意味という。 川の全長は約5.0kmで、川幅は40mに達するところもある。全部で10個の橋が架けられていて、目抜き通りのネフスキー大通りがその上を通る緑の橋(Green Bridge)、イサク広場のある青の橋(Blue Bridge)などがある。モイカ川に沿った河岸通りには、ミハイロフスキー城、オランダ総領事館、フランス総領事館、日本総領事館、プーシュキンの家と博物館、ケンピンスキー・ホテル、ストロガノフ宮殿、マリインスキー宮殿などがある。 ネヴァ川クルーズはモイカ川から出発するものもある。.

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ロシア

ア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家。.

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フョードル・ドストエフスキー

フョードル・ドストエフスキー(ヴァシリー・グリゴリエヴィチ・ペロフ画) フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(p、1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕)は、ロシアの小説家・思想家である。代表作は『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』など。レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。 その著作は、当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教、ことに正教に基づく魂の救済を訴えているとされる。実存主義の先駆者と評されることもある。反ユダヤ主義者としても知られる。.

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フィンランド湾

フィンランド湾(フィンランドわん、Suomenlahti、Soome laht、Finska viken、p)は、バルト海東部にある湾。北のフィンランド、東のロシア、南のエストニアに囲まれた東西約400kmの細長い湾である。 この湾に面する主要都市は、北岸にフィンランドの首都ヘルシンキ、南岸にエストニアの首都タリン、湾の東奥にロシアのサンクトペテルブルクがある。東のネヴァ川はフィンランド湾に注いでいる。湾の東部はロシア領であり、など重要な港がある。フィンランド湾はサンクトペテルブルクへの航路となっているため、ロシアにとっては戦略上の要地である。.

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アニチコフ橋

アニチコフ橋(''Аничков мост''.)とはロシア、サンクトペテルブルクのフォンタンカ川にかけられた最初の橋である。現在の橋は1841-1842年に建てられ、1906-1908年に再建されたもので、シンプルな外観のなかに凝った装飾もみられる。4つの馬の彫刻(1849-1850)も知られているが、この鉄橋はペテルブルクでも有数の美しい高欄で名高い。またこの建物はプーシキン、ゴーゴリ、そしてドストエフスキーの作品でも言及されている。 ピョートル大帝の命により最初の橋が1715-1716年に建造され、技術者のミハイル・アニチコフにちなんで名前がつけられた。複数スパンの木橋がフォンタンカ川の真上にある支持杭にそって建てられている。意匠はドメニコ・トレジーニの手になるものだったが、いまでは最初の橋は面影もない。 街が大きくなり交通量も増えると、1721年に新しい跳ね橋をつくる計画が公開される。18世紀後半にフォンタンカ川を渡して建てられた3スパンの石造りの跳ね橋は7本あるが、アニチコフ橋はその一つであり、ほかにもロモノーソフ橋やカリンキン橋が現存している。当時からアニチコフ橋はネフスキー大通りの呼び物としてつとに有名であり、挿絵や絵画などの題材としても人気があった。 1840年代にはそれまでの18世紀の意匠、とくにその大きな橋塔が、ネフスキー大通りを通ってアニチコフ橋を通る人の数が増えている現状にあわないと判断された。1841-1842年に大通りの幅に見合うより広い橋が陸軍中将のA.D.ゴットマンの監督のもと、同所に建てられている。新しい橋は石造りで、なだらかに傾斜したアーチに区切られて3つのスパンがもうけられた。素朴で簡潔なつくりはアニチコフ橋を縁取る重厚な鋳鉄製の柵とよくあうが、これはもともとベルリンの宮殿橋のためにカルル・フリードリッヒ・シンケルが設計したものである。しかし石造りのアーチには問題も多く、1906年から1908年にかけて橋はもう一度建て直され、アーチ部分も補強された。.

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グリボエードフ運河

リボエードフ運河の夜景。後方に血の上の救世主教会 グリボエードフ運河に掛かる銀行橋。後方はサンクトペテルブルク財政・経済学大学 グリボエードフ運河(グリボエードフうんが、、)は、ロシアのサンクトペテルブルクの町中を流れる運河。モイカ川の左岸から分流し、市中を通り、フォンタンカ川へ合流する。 名称はロシアの外交官・作家・作曲家のアレクサンドル・グリボエードフ(1795~1829)から取っている。ドストエフスキーの小説にも登場する。 運河の全長は約5.0kmで、川幅は32mに達するところもある。全部で21の橋が架けられていて、カザンスキー橋(ネフスキー大通り)、銀行橋、ボズネセンスキー橋(ヴォズネセンスキー通り)などである。グリボエードフ運河に沿った河岸通りには、血の上の救世主教会、カザン聖堂、サンクトペテルブルク財政・経済学大学などがある。.

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サンクトペテルブルク

'''サンクトペテルブルク周辺の人工衛星写真'''ラドガ湖から南西に流れ出したネヴァ川は北西に流路を変え、フィンランド湾最深部に流れ込む。サンクトペテルブルクの街はネヴァ川河口の三角州を中心に発達した。 サンクトペテルブルク(Санкт-Петербург,, IPA: )は、バルト海東部のフィンランド湾最東端に面するネヴァ川河口デルタに位置するロシア西部の都市、レニングラード州の州都。1917年までロシア帝国の首都であった。 都市建設ののち、第一次世界大戦まで(1703年 - 1914年)はペテルブルク(Петербург)、第一次世界大戦開戦以降(1914 - 24年)はペトログラード(Петроград)、ソビエト連邦時代(1924 - 91年)はレニングラード(Ленинград)と呼ばれた。.

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噴水

噴水(ふんすい)とは、池や湖などに設けられる水を噴出する装置、またはその噴出される水そのもののことである。広場や庭園、公園の装飾的設備として設けられることが多い。.

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