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パゼッヘ族

索引 パゼッヘ族

パゼッヘ族(Pazeh、中国語:巴宰族、巴則海族)は台湾原住民の一つであり、平埔族の一支族に分類される。元来は台中県豊原、神岡付近の内陸部を中心に分布していた。今は主に南投県埔里に居住している。 16世紀には岸裡社、烏牛欄社、朴仔籬社、阿里史社などの集落を形成しており、1699年には岸裡社が清朝に協力し呑霄社の叛乱に後見している(呑霄社事件)。 パゼッヘ族は豊原以東の巴宰本族及び以西のカハブ族(朴仔籬社)に分類される。その言語や文化は類似しており、伊能嘉矩などは同一民族として扱っている。言語は独自のパゼッヘ語を有し、米を中心とした耕作、採集、狩猟、漁業などを行う。社会組織は男子会所制度による年齢階級を備えた母系社会である。.

14 関係: 埔里鎮南投県台中県台湾原住民中国語平埔族伊能嘉矩パゼッヘ語カハブ族神岡郷豊原市1699年16世紀

埔里鎮

埔里鎮(ほりちん)は、台湾南投県の鎮。.

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南投県

南投県(なんとうけん)は、台湾中部の県。台湾本島では唯一の内陸県である。県政府所在地は南投市。.

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台中県

台中県(たいちゅうけん)は、台湾の中西部に存在した県。2010年12月25日に台中市へ統合され消滅した。.

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台湾原住民

thumb 台湾原住民の女性と子供(1871年) 台湾原住民(たいわんげんじゅうみん)は、中国大陸からの移民が盛んになる17世紀以前から居住していた、台湾の先住民族の呼称。台湾政府(中華民国)の定める中華民国憲法により、「原住民族(, Indigenous Taiwanese / Taiwanese aborigine)」の存在が謳われている。 中文で「先住民」と表記すると、「すでに滅んでしまった民族」という意味が生じるため、この表記は台湾では用いられていない。しかし日本語では「原住民」が差別的な意味を含むとする考え方もあり、日本のマスコミでは基本的に「原住」を「先住」と言い換えている。ただし「現地の呼称や少数民族の意見を尊重」するため、と注釈を付けたうえで「原住民(族)」を使う例もある。.

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中国語

記載なし。

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平埔族

平埔族(へいほぞく)は、台湾原住民のうち西部の平野部に住む民族を指す総称である。清朝の統治下には「平埔蕃」、「熟蕃」などの蔑称が用いられていた。山地に住む原住民である高山族と区別されるが、これは居住地域から便宜的に用いられるものであり、正確な民族系統を反映したものとはいえない。 元々は、台湾の平野部全域に居住していた。しかし、明代以降、特にオランダが漢人を労働力として移入させてから、漢人との通婚や漢化が進んだ。特に清朝は政策として漢化(漢文化化)を推し進めた。そのため、徐々に平埔族を名乗る者は減少していった。日本統治時代に平埔族についての研究が始められたが、既に大多数は漢人化していた。第二次世界大戦後、中国国民党が台湾を支配した後は、再び漢化政策が行われ、エスニックグループとしての意識が希薄化し、また政府も原住民として認定しなかった。 民主化後、エスニックグループに関する研究が盛んになると、社会や学会などの注目を集めるようになった。現在、サオ族とクバラン族のみが政府から原住民族としての認定を受けている。その他にもケタガラン族など、認定を受けていないグループが多い。.

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伊能嘉矩

伊能 嘉矩(いのう かのり、慶応3年5月9日(1867年6月11日) - 大正14年(1925年)9月30日)は、日本の人類学者・民俗学者。 明治時代においていち早く人類学を学び、特に台湾原住民の研究では膨大な成果を残した。郷里岩手県遠野地方の歴史・民俗・方言の研究にも取り組み、遠野民俗学の先駆者と言われた。梅陰という筆名での著作も多数ある。.

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パゼッヘ語

パゼッヘ語(-ご)は、台湾の南投県埔里鎮で使用されていた、原住民パゼッヘ族の言語。漢字では巴宰語、巴則海語で表記される。 パゼッヘ族はサオ族と同様に漢化が進み、台湾語を生活言語に用いるようになった。最後の母語話者である潘金玉(1914年7月21日生)が2010年10月24日に亡くなったことで、言語学でいう死語になった。.

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カハブ族

ハブ族は台湾先住民に属する民族である。平埔族に分類される。漢字で噶哈巫族と表記される。台湾の台中市と南投県に分布している。台湾諸語のカハブ語を話す人もいる。。1732年まで存在した大肚王国の構成民族。.

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神岡郷

岡郷(しんこうきょう).

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豊原市

豊原市(とよはらし)は、日本の領有下において樺太(南樺太)に存在した唯一の市である。 樺太庁及び豊原支庁が置かれ、日本領有下における政治・経済・文化の中心であった。市街地は、札幌市と同様、駅を中心とした「碁盤の目」状の都市計画によって建設され、市内には運動場を併設した公園や競馬場を有していた。住居表示は東西が「条」、南北が「丁目」となっていた。ほぼ東西に走る真岡通り(現:サハリーンスカヤ通り)とほぼ南北に走る豊原大通り(現:レーニナ通り)との交点が座標平面の原点に当たる。 人口の増加に伴い、空港の建設等を含む更に大規模な都市整備が計画されていたが、太平洋戦争の勃発により実現しなかった。1937年の市制施行により豊原市は旭川市に代わって日本最北の市となり、樺太が内地に編入された1943年以後を含めて、日本最北端の行政中核都市として機能していた。 当該地域の領有権に関する詳細は樺太を、現状に関してはユジノサハリンスクおよびサハリン州を参照の事。 豊原市 空撮画像 真岡通り.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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1699年

記載なし。

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16世紀

16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀。 盛期ルネサンス。歴代ローマ教皇の庇護によりイタリア・ルネサンスの中心はローマに移動した。画像はこの時代に再建がなされたローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部。 カール5世。スペイン王を兼ねイタリア各地やネーデルラントも支配したが周辺諸国との戦いにも明け暮れた。画像はティツィアーノによる騎馬像(プラド美術館蔵)。 「太陽の沈まない帝国」。カール5世の息子フェリペ2世の時代にスペインは目覚ましい発展を遂げ貿易網は地球全体に及んだ。画像はフェリペ2世によって建てられたエル・エスコリアル修道院。ここには王宮も併設されておりフェリペ2世はここで執務を行った。.

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