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ネケプソス

索引 ネケプソス

ネケプソス(Nechepsos: 文献に記録された古代ギリシア語に由来する表記)、ないし、ネカウバ(Nekauba: 当時のエジプトで用いられた語形に由来する表記)は、エジプト第26王朝の起源となったサイス朝の初期の王のひとりとして、マネトの断片的記述に統治が6年間に及んだと記されている人物。ただし、それ以外のことはほとんど何も伝えられていない。実際に王であったのかどうかも、当時の記録から確認されておらず、その存在自体が第25王朝末期のサイス朝の統治者たちによって、自らの王権の正統性を強めるために創作された架空のものである可能性も高い。マネトの記述によれば、ネケプソスは第26王朝の始祖ステフィナテス(Stephinates、おそらくはテフナクト2世のこと)の跡を継いで即位し、その王位は有名なネコ1世(ネカウ1世)、すなわち第26王朝の初代ファラオとなったプサメティコス1世(プサムテク1世)の父に継承された。ネケプソスが実際にサイス一帯の局地的な王として独立した統治を行なっていたのだとすると、それはヌビア朝治下の紀元前678年から前672年のことと考えられる(後掲の Priese を見よ)。そうではないとすると、彼はネコ1世の即位に先立つこの期間に、単にサイスの町の長の地位にあったということかもしれない。 エジプト学者のケネス・キッチンは、ネケプソスの統治を6年間ではなく16年間であったとする見方を提案しているが、このように曖昧な存在である統治者の治世をそのように見積もることは、かなり大胆なことに思える。マネトの言葉を文字通りに解して6年間という短い期間の統治であったと考える方が、より合理的であるようだ。このことは、プサメティコス1世の統治から、ネコ1世の即位までの時間は、さほど長くはなかったことを意味している。 ネケプソスとネコ1世が、2人ともテフナクト2世の息子であり、兄弟であった可能性は高い。ネケプソス(ネカウバ)という名は、ネコ(ネカウ)とよく似ている。.

10 関係: マネトネコ1世プサムテク1世ファラオエジプト学エジプト第25王朝エジプト第26王朝ケネス・キッチンサイス紀元前7世紀

マネト

マネト(Manetho、生没年不詳)は紀元前3世紀の古代エジプトの歴史家、神官。 プトレマイオス朝に仕えたエジプト人であり、ギリシア語で著作を行った。歴史書『アイギュプティカ』で示した時代区分は、 現代もエジプト年代学の基礎となっている。.

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ネコ1世

ネコ1世(Necho I、? - 紀元前664年)は、エジプト第26王朝の祖となったサイスの王ないし統治者(在位: 紀元前672年 - 前664年)。第26王朝に連なるサイスの王として実在が確認されている最初の人物である。.

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プサムテク1世

プサムテク1世(Psamtik I)はエジプト第26王朝の初代ファラオ(在位: 前664年 - 前610年)。サイス王家の当主としては5代目にあたる。古代ギリシャ読みのプサメティコス1世(PsammeticusまたはPsammetichus)の名でも知られる。アッシリアとヌビアのクシュ王国の宗主化から独立した政権を築き、土着のエジプト人による最後の繁栄の時代をもたらした。.

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ファラオ

ファラオ(英語:Pharaoh)は、古代エジプトの君主の称号。しばしば王と和訳される。.

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エジプト学

プト学(エジプトがく、英語:Egyptology、フランス語:Égyptologie)とは、古代エジプトとその遺跡や遺物についての科学的な研究である。東洋学の一分野であり、アッシリア学と並ぶ(古代)オリエント学の中心である。また古代史学・考古学とも関係があり地域性やテーマ性を帯びている。研究者はエジプト学者と呼ばれる。.

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エジプト第25王朝

紀元前700年のエジプト第25王朝の勢力範囲 エジプト第25王朝(紀元前747年 - 紀元前656年)は、第3中間期の古代エジプト王朝。複数の王朝が並立していたエジプトに侵入してこれを統一した達の王朝を指し、クシュ朝と呼ばれることもある。1世紀近くエジプトを支配したが、最後はアッシリアのエジプト侵入によってヌビアへと引き上げた。.

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エジプト第26王朝

プト第26王朝(紀元前664年 - 紀元前525年)は、第3中間期、または末期王朝時代の古代エジプト王朝。アッシリアがエジプトを征服した後、エジプトの管理を委ねられたサイスの王家による王朝を指す。このためサイス朝と呼ばれることもある。後にアッシリアの弱体化に乗じて独立を達成し、オリエントの四大国 の1つとして大きな影響力を発揮した。美術面ではサイス・ルネサンスと呼ばれる古王国を手本とした伝統回帰の動きが見られた。最後は新たにオリエント世界の覇者として現れたアケメネス朝の侵攻を受けてその支配下に入った。.

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ケネス・キッチン

ネス・アンダーソン・キッチン(Kenneth Anderson Kitchen,1932年-)は、イギリスの言語学者、聖書学者である。現在リヴァプール大学のエジプト語とコプト語の教授である。K.A.キッチンと表記されることが多い。.

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サイス

イス遺跡の地図。1828年、ジャン=フランソワ・シャンポリオンが遠征中に作成 サイス(、Sais)は古代エジプトの町で、ナイル川河口付近の三角州西側に位置していたMish, Frederick C., Editor in Chief.

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紀元前7世紀

アッシリアの世界帝国。強力な軍事力と過酷な統治体制でアッシリアは最初の「世界帝国」を樹立した。画像は都ニネヴェの北宮殿を飾っていたアッシリア王アッシュールバニパルの浮き彫り(ロンドンの大英博物館蔵)。 第25王朝の崩壊とともにエジプトを離れ故地へと南下したヌビア人はこの地に幾つものピラミッドを造営した。 スパルタ。第二次メッセニア戦争でメッセニア人に勝利したことでスパルタは厳しい軍律を定める国民皆兵の社会を確立した。画像は現在のスパルタで、前景に古代の遺跡を、中景に新市街スパルティを、後景にタイゲトス山を望むことができる。 騎馬民族スキタイ。スキタイはユーラシア中央部に拠点を持ち交易や略奪を通じてオリエント諸国に大きな影響を与えた。画像はアゼルバイジャンのミンガチェヴィルで発見された黄金製動物意匠のベルトの留め金。 神武天皇。『日本書紀』『古事記』の神武東征の記録によると日向高千穂から出立し瀬戸内海を経て大和に入り、橿原宮で即位し初代の天皇になったとされる。画像は月岡芳年『大日本名将鑑』の金の鵄(とび)を従えて敵を圧倒する神武天皇。 紀元前7世紀(きげんぜんななせいき、きげんぜんしちせいき)は、西暦による紀元前700年から紀元前601年までの100年間を指す世紀。.

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