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ドクトリン

索引 ドクトリン

ドクトリン (doctrine) とは、政治、外交、軍事などにおける基本原則をいう。元々の意味は「教理」、「教え」。原義は「前提とするもの」。軍事では、戦闘教義(略して単に「教義」)ともいう。 現在の日本の政治では、公約を使用して基本原則を明らかにすることが多いので、用語「ドクトリン」はほとんど用いられない。.

24 関係: 吉田ドクトリン大統領外交安倍ドクトリン一般教書演説マニフェストハルシュタイン原則モンロー主義トルーマン・ドクトリンブッシュ・ドクトリンニクソン・ドクトリン制限主権論アメリカ合衆国エアランド・バトル福田ドクトリン軍事電撃戦橋本ドクトリン戦闘教義日本政治教理教義所信表明演説

吉田ドクトリン

吉田ドクトリン(よしだドクトリン)は、日本国憲法の制限の中で安全保障の多くをアメリカ合衆国に担ってもらい、日本政府は経済成長と経済発展を最優先課題とする、軽武装・経済外交に基づく国家方針・国家戦略。戦後、内閣総理大臣としてこの方針を打ち出した吉田茂にちなんで呼称される。 吉田の狙いは、国力の全てを第二次世界大戦後の疲弊した日本の経済復興に充て、その間の国防をアメリカ合衆国に担わせることにあった。アメリカ合衆国は朝鮮戦争勃発後になって日本の軍事費を増加させるよう再三要求したが、吉田率いる日本政府は日本国憲法のうち第9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めた条文を盾に、警察予備隊と海上警備隊から保安隊・警備隊、最終的に1954年に陸上自衛隊と海上自衛隊を創設したが、歳出を占める軍事費の割合を増やすことを拒んだ。 結果的に、貿易および技術革新に焦点をあわせたこの国家方針をとることにより、日本は軍事費をかけずに平和と安定を享受しながら奇跡的な経済復興を遂げ、世界の大国としての地位を回復することが出来た。 吉田は晩年には憲法改正による国防軍の保持を主張した。日本は既に世界第3位の経済大国に成長し(吉田の死の翌年、1968年に西ドイツを抜いて2位)、経済復興の目的は達成しており、吉田ドクトリンは役目を終えたと判断していたからであった。 このように、元来吉田がとったこの外交方針は平和主義に基づくものではなく、むしろ明治維新以降の日本で主流となっていた、国際関係に対する現実的なアプローチであった。この方針の元来の目標は、国際情勢をうまく利用し、国際社会における日本の存在感を増すことであった。 吉田ドクトリンは、冷戦期を通じて日本の主流な外交政策の基本とされた。.

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大統領

大統領(だいとうりょう、President)は、共和国の元首の呼称の一つ。 国によって、正式には共和国大統領や連邦大統領と称することもある。また、例外的に、国家元首たる合議体の議長や政府の長の呼称として用いられることもある。.

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外交

外交(がいこう、diplomacy)とは、国家間の国際関係における交渉のことで、関連するさまざまな政治活動を指す。一般に、外交官や首相などの国家の代表と、外国の代表とが国際社会における問題に対応している。 外交戦略に基づき立案される政策を外交政策、または実際に二国間ないし多国間で行われる具体的な国家間交渉を外交交渉という。.

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安倍ドクトリン

安倍ドクトリン(あべドクトリン)とは、2013年1月18日に内閣総理大臣安倍晋三が東南アジア歴訪の最後の訪問地ジャカルタで発表した対ASEAN外交5原則。 安倍はアルジェリア人質事件への対処のため予定を切り上げて帰国したため、当初予定されていた会見での表明は見送られ、文書の形でその内容が公表された。中国の海洋進出に対し、米国との同盟を基軸として日本とASEANの関係を強化し、経済とエネルギー・海洋安全保障分野での協力を促進していくことが盛り込まれている。.

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一般教書演説

一般教書演説(いっぱんきょうしょえんぜつ、State of the Union Address)とは、アメリカ合衆国において、大統領が連邦議会両院の議員を対象に行う演説で、国の現状 (State of the Union) についての大統領の見解を述べ、主要な政治課題を説明するものである。年頭教書ともいう。 「予算教書」「大統領経済報告(経済教書)」と合わせて三大教書と呼ばれることもある。.

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マニフェスト

マニフェスト(manifesto)とは.

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ハルシュタイン原則

ハルシュタイン原則(ハルシュタインげんそく)は、東方外交が始まる前の、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)における主要な外交方針である。ハルシュタイン・ドクトリンともいい、1955年9月22日に西ドイツのコンラート・アデナウアー首相により表明された。名称は、当時の西ドイツの政治家であるヴァルター・ハルシュタイン(欧州経済共同体初代委員長もつとめた)の名前に因む。.

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モンロー主義

モンロー主義(モンローしゅぎ、Monroe Doctrine)は、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す。第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、1823年に議会で行った7番目の年次教書演説で発表した。モンロー宣言と訳されることもあるが、実際に何らかの宣言があったわけではないので、モンロー教書と訳されることも多い。この教書で示された外交姿勢がその後のアメリカ外交の基本方針となった。原案はアメリカ合衆国国務長官ジョン・クィンシー・アダムズが起草した。.

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トルーマン・ドクトリン

トルーマン・ドクトリン(Truman Doctrine)とは、アメリカ合衆国が「武装少数派、あるいは外圧によって試みられた征服に抵抗している、自由な民族」を支援するとした、当時のアメリカ合衆国大統領、ハリー・S・トルーマンによる共産主義封じ込め政策(Containment)である。 トルーマン大統領は、議会への特別教書演説で1947年3月12日に宣言を行った。それはギリシャ内戦(1946年 - 1949年)を始めとする共産主義に抵抗する政府の支援を特に目指した。トルーマンは、もしギリシャとトルコが必要とする援助を受けなければヨーロッパの各地で共産主義のドミノ現象が起こるだろうと主張した。 トルーマンは1947年5月22日法律に署名し、トルコとギリシャへの軍事と経済援助で4億ドルを与えた。.

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ブッシュ・ドクトリン

ブッシュ・ドクトリン(Bush Doctrine)とは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けて登場した新戦略思想の通称。テロリストおよび大量破壊兵器を拡散させかねない「ならず者国家」に対し、必要に応じて先制的自衛権を行い得るというもの。時のアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュが「世界各地の全ての国々は、今、決断しなければならない。アメリカ側につくのか、テロ側につくかのいずれかだ」と叫んだことが、その性格を端的に表している。.

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ニクソン・ドクトリン

ニクソン・ドクトリンは、1969年7月25日にリチャード・ニクソン米国大統領がその原型をグアム島での記者会見で表明した。彼は、アメリカ合衆国が今後南ベトナム自身による自国の軍事防衛を期待すると述べた。これはベトナム戦争の「ベトナム化」の始まりだった。そのドクトリンは同盟国との間で平和の追求のために議論された(但し、内容的には歴代の大統領が言ってきた「彼ら(ベトナム)自身の戦争だ」と大して違いはない)。 ニクソンの言葉(ベトナム戦争中、1969年11月3日の一般教書演説).

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制限主権論

制限主権論(せいげんしゅけんろん;ロシア語 Доктрина ограниченного суверенитета、英語 The doctrine of limited sovereignty)とは、1968年にソビエト連邦がチェコスロバキアに対する軍事介入(プラハの春事件)を正当化するために持ち出した論理であり、「社会主義陣営全体の利益の為には、そのうち一国の主権を制限しても構わない」という考え方のことである。すなわち、内政不干渉の原則(1648年のウェストファリア条約に遡り、1945年の国連憲章第2条第7項でも再確認された)を尊重しつつも、社会主義陣営全体の利益の護持を目的とする場合に限っては例外的に武力介入を伴う内政干渉が許容される、という論理である。この時のソ連指導者レオニード・ブレジネフの名前からブレジネフ・ドクトリン(ロシア語 Доктрина Брежнева、英語 The Brezhnev Doctrine)とも称される。1979年のアフガニスタンへの侵攻でもこの論理が用いられた。 やがて1980年代後半に入り、ミハイル・ゴルバチョフが新思考外交を展開するなか、新ベオグラード宣言で制限主権論を否定し、東欧各国の自主性を認めた。これはフランク・シナトラの曲「マイ・ウェイ」にちなんでシナトラ・ドクトリンと言われることもある。これによって東欧諸国はソ連からの干渉を気にせずに共産党体制の改革を進めることができ、やがて体制転換をもたらした東欧革命につながった。.

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アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

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エアランド・バトル

アランド・バトル(AirLand Battle)とは、アメリカ陸軍が1982年から1990年代後期に渡り編み出した欧州での戦闘教義(warfighting doctrine, ウォーファイティング・ドクトリン)を基礎とする概念的枠組みの総体である。エアランド・バトルは積極的機動防衛を担う地上戦力と、敵軍の前線へ補給を行う後方部隊への攻撃を担う航空戦力とを緊密に連携させることに重点を置く。エアランド・バトルは1976年に誕生した「積極的防衛」("Active Defense")ドクトリンを置き換えたが、のちに「ネットワーク中心の戦い」("Network-centric warfare")という概念に取って代わられている。 発端となったのは、1973年に新設された陸軍内("United States Army Training and Doctrine Command", TRADOC)の司令官として赴任した(William E. DePuy, 「デピュイ」とも)による、ワルシャワ条約機構軍への対抗を目的とした陸軍改革である。1977年にデピューの後任となる(Donn A. Starry)はこれを補完する「拡張型戦場」("extended battlefield")という概念を発表している。 アメリカ海軍もこれに触発されてエアシー・バトル(AirSea Battle)という戦略を発表しており、オバマ政権下の2010年の4年毎の国防見直し(Quadrennial Defense Review)においても対中戦略の一環としてこのエアシー・バトルが挙げられている。エアランド・バトルはベトナム戦争敗北後のアメリカ軍内における対反乱作戦(COIN)への失望と同時にソ連との軍事的対決を意識させるものとして生み出されたとの見解もある。.

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福田ドクトリン

福田ドクトリン(ふくだドクトリン)とは、1977年8月に当時の日本国内閣総理大臣である福田赳夫が東南アジア歴訪の際に、フィリピン・マニラで表明した東南アジア外交3原則の事。.

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軍事

軍事(ぐんじ、Military affairs、Res militaris レース・ミーリターリス)とは戦争、軍人、軍隊などに関する事柄の総称であるこの定義は決して厳密なものではない。。.

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電撃戦

電撃戦(でんげきせん、、 ブリッツクリーク)とは、一般に機甲部隊の高い機動能力を活用した戦闘教義である。.

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橋本ドクトリン

橋本ドクトリン(はしもとドクトリン)は、1997年1月、当時の日本の橋本龍太郎首相が東南アジアを歴訪し、最終地であるシンガポールにおいておこなった政策演説である。この政策では、以下の3点での日本と東南アジア諸国連合との関係強化を意図したものであった。.

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戦闘教義

戦闘教義(せんとうきょうぎ、battle doctrine)とは作戦・戦闘における軍隊部隊の基本的な運用思想である。 戦闘ドクトリンとも言う。旧日本軍では戦闘教義ではなく、白兵主義や火兵主義などのように主義という言葉を用いていた。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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政治

本記事では政治(せいじ)とは何かについて解説していく。.

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教理

教理(きょうり、doctrina, doctrine、ドクトリン)は、宗教上の教え。ここではキリスト教における「教理」(doctrine)の語義とその指す内容とを、おもに教派別に扱う。「教義」(dogma)と同義の場合もあれば、異なる意義を持つ場合もある。キリスト教における「教理」の語義は、教派や時代によって異なっている。 近年のキリスト教関連の著作物では、dogmaに「教義」を、doctrineに「教理」を当てているが、日本の和英辞典では特に使い分けをしていないものもある。本項では、訳語「教理」「教義」が、"doctrine" "dogma" に対応して使い分けられている用例を中心に概念整理をした上で、各教派における理解につき詳述する。.

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教義

教義(きょうぎ、、ドグマ)とは、宗教の教えを体系化したもの。多岐に亘る宗教があり、そのいずれにも独自のこれが存在し、各々の宗教を信奉する人が、これに則って物事を理解したり判断する助けとなるものとされる。教理とは相違がある。転じて、一定集団の中においてのみ支持されているルールや考え方も、比喩的に教義と呼ばれることがある。また教義を絶対化する、あるいは固執する傾向を教条主義()という。.

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所信表明演説

所信表明演説(しょしんひょうめいえんぜつ)とは、政府の長が自分の考え(所信)を述べる演説である。 以降は日本の国会におけるものについて説明する。議会を持つ自治体は、概ねこれに似たような形式で行われる事が多い。.

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