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トロ王国

索引 トロ王国

トロ王国 (Toro) は現在のウガンダ南部のバントゥー系の伝統的な王国の一つ。1830年頃にブニョロ=キタラ帝国のオムカマ(王)ニャムトゥクラ・キェバンベ3世の息子カボヨ・オリミ1世が自立して西部に建国したのが始まりで、1876年にはブニョロ王国に併合され、イギリスの軍事力を借りて1891年にイギリスの保護国として「再独立」した。首都はカバロレであったが、度々改名されフォート・ポータルとされた。主要な民族は東部がトーロ族、西部が北にアンバ族、中にブウィシ族、南にコンジョ族である。北にアルバート湖、北東にニョロ王国、東にブガンダ、南にアンコーレ王国、ジョージ湖、エドワード湖を挟みキゲジ、西にコンゴ北キヴ州、イトゥリ州と接する。 ウガンダ独立時には連邦の準構成国としてある程度の自治権を持ったが、1963年2月には西部のルウェンゾリ山地のコンジョ族とアンバ族がルウェンズルル王国として独立を宣言し、第一次ミルトン・オボテ政権時の1967年には他のブガンダ、ブニョロ、ブソガなどと並んで王制を廃止された。イギリス植民地時代以降イギリス人の入植が進んだが、イディ・アミン政権時に追放された。1993年に儀礼的な王制が復活され、1995年以降世界最年少の王ルキディ4世(1992年生まれ)が在位している。.

14 関係: 北キヴ州ミルトン・オボテバントゥールウェンゾリ山地ブニョロフォート・ポータルアンバ族イトゥリ州イディ・アミンイギリス帝国ウガンダエドワード湖キゲジジョージ湖 (ウガンダ)

北キヴ州

北キヴ州 (Nord-Kivu) はコンゴ民主共和国東部の州。州都はゴマ。北にイトゥリ州、ヴィルンガ山地の東にウガンダのルウェンゾリ山地及びエドワード湖を経てキゲジ地方、南東にルワンダの北部州、西部州、キブ湖、南に南キヴ州、南西にマニエマ州、北西にツォポ州と接する。.

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ミルトン・オボテ

アポロ・ミルトン・オペト・オボテ(Apollo Milton Opeto Obote, 1924年12月28日 - 2005年10月10日)はウガンダの政治家。 1962年ウガンダ独立時の首相。1966年クーデターで終身大統領に就任する。基幹産業の国有化を目指して社会主義独裁体制を樹立する。しかし、1971年1月イギリス連邦首脳会議に出席している際に、アミン参謀総長の指揮するクーデターで失脚する。アミン失脚後の1980年に大統領に返り咲いたが、1985年またもや、クーデターで失脚しタンザニアに亡命する。その後、ザンビアの首都ルサカで亡命生活を送っていたが、2005年10月10日南アフリカ、ヨハネスブルグの病院で80歳で死去。.

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バントゥー

バントゥー(Bantu)には、以下のような用法が存在する。.

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ルウェンゾリ山地

ルウェンゾリ山地(ルウェンゾリさんち、Ruwenzori Mountains)は、アフリカ中部、ウガンダとコンゴ民主共和国の国境に位置する山地。小規模ながらも壮観な眺めを持つ。最高峰の標高は5109mである。ルウェンゾリの山頂付近は赤道直下にもかかわらず万年雪を冠しているが、アフリカ大陸で万年雪を戴くのはキリマンジャロ山とケニア山、そしてこのルウェンゾリだけである。ルウェンゾリ山地のほとんどは、「ルウェンゾリ山地国立公園」(ウガンダ)、「ヴィルンガ国立公園」(コンゴ民主共和国)として世界遺産に登録されている。.

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ブニョロ

ブニョロの旗 2001年から2005年のブニョロと県境 ブニョロはウガンダ西部の歴史的地域で、バントゥー系のニョロ族の国を意味し、かつてのブニョロ=キタラ帝国(:en:Empire of Kitara)の直轄地の北西部に当たる。ブニョロ=キタラ帝国は神聖な王(オムカマ)により治められ、ナルバーレ(後のヴィクトリア湖)北西岸一帯を勢力圏としたが、ブガンダ王国(現ブガンダ)がバナナ栽培や象牙交易で繁栄すると勢力を削がれ、1830年代には南部がトロ王国として分裂し、イギリス勢の到来と共に南部をブガンダに奪われて、1896年にイギリスのに組み込まれた。当時のブニョロ王のカバレガは再興を目指して度々蜂起し1876年にはトロを再併合するなどしたが、セメイ・カクングルらに敗れ1899年ブガンダのカバカ(王)ムワンガ2世と共にセイシェルに流された。ブニョロの領域は「アルバート湖」東岸のみとなったが、ウガンダ独立後の住民投票によりムベンデ地方西部(後のキバレ県)はブニョロに返還された。首都はホイマからマシンディ、ムパロへと移された。ブニョロの北はアチョリ地方、東はランゴ地方、東南はブガンダ領となった。 ミルトン・オボテ政権時の1967年にブニョロは他の王国と共に王制を廃止された。ブニョロの北部はマーチソン滝国立公園が置かれていたが、イディ・アミン政権時代にカバレガ国立公園に改名された。1993年には文化的指導者としての王制が復活され、1994年にソロモン・ガフビサ・イグル1世が第49代(ビト朝第27代)オムカマに即位した。.

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フォート・ポータル

フォート・ポータル (Fort Portal) はウガンダ西部の町。伝統的なトロ王国の首都でカバロレ県の県庁所在地である。 元の名はカバロレであったが、1891年にオムカマ(王)のカサガマがブニョロ王国からの保護を求めフレデリック・ルガードと協定を結びイギリス帝国の保護国とされ、イギリス=エジプト領スーダンの赤道州総督となったエミン・パシャの遠征により砦のラインが築かれた。カサガマはこれを歓迎してイギリス人の入植を認めた。1893年にはルガードの命でロディ・オーウェン大佐がムパンガの丘に壁を築いた。イギリスの高等弁務官ジェラルド・ポータル卿に因みフォート・ゲリーに改名され、町には彼の像が建てられていた(2010年現在、諸事情で撤去されている)。カサガマが洗礼を受けると一時ベツレヘムに改名され、1900年の協定でイギリス特使のハリー・ジョンストンによりフォート・ポータルに改名された。 1914年頃にはイギリス人の入植地が拡大し、砦跡はゴルフ場のクラブハウスとなったり、コーヒーや茶の農園が広がった。これはイディ・アミンに追放されるまで続いた。 ルウェンゾリ山地やキバレ国立公園、クイーンエリザベス国立公園、火口湖やセムリキ川にも近い。1993年に文化的復興が行われた。カランビ墓地はトロ王家の墓所である。.

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アンバ族

アンバ族(アンバぞく、Amba)は、ウガンダおよびコンゴ民主共和国に住む部族。.

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イトゥリ州

イトゥリ州(仏: Ituri province)はコンゴ民主共和国北東部の州。面積は65,658 km²で、2006年までの東部州の東南部に位置し、コンゴ川の支流アルウィミ川の上流部イトゥリ川の流域で一帯はイトゥリの森と呼ばれ、西部マンバサの大半はオカピ野生生物保護区に指定されている。北に高ウエレ州、西にツォポ州、南に北キヴ州、北東に南部スーダン及びウガンダの西ナイル地方、東はムウィタンジゲ(アルバート湖)の対岸にブニョロ、南東にセムリキ川を挟みトロ王国(ルウェンズルル)と接する。1962年から1966年にはキバリ=イトゥリ州が置かれていた。中南部にバントゥ系の遊牧民ヘマ、東部に中央スーダン系の農民レンドゥ、北東部に西ナイル地方と同系の民族、中西部に狩猟採集民のムブティなどが主な住民で、西部にバントゥ系のブドゥ、ンダカ、ビラなどもいる、地域の共通語はスワヒリ語である。アルバート湖の石油や金などの資源を巡り篠田英朗「アフリカにおける天然資源と武力紛争 −内戦の政治経済学の観点から−」pp.161-167,『』IPSHU研究報告シリーズ Vol.35, 広島大学平和科学研究センター、2005年11月。、2度のコンゴ戦争などを通じてウガンダ、ルワンダの軍や武器などが流入し、ウガンダ軍のジェイムズ・カジニ司令官がヘマを優遇してキバリ=イトゥリ州を再設、コンゴ民主連合を使いレンドゥを襲撃澤田昌人「」『立命館言語文化研究』17巻3号 2006年2月。するなどして、イトゥリ紛争と呼ばれる争乱が続いている。州都は南東部のブニアで、東部にはウガンダのネビからマハギ、ファタキ、ジュグ、ブニアを通り北キヴ州のベニへ至る幹線道、南部にブニアからマンバサを経てキサンガニ方面へ向かう幹線道が走る。 2000年代においても、ペストの発生がWHOに報告されている。2009年の患者数は、2001年以降最も低い発生報告数であったものの患者618人、うち死亡者27人となっている。.

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イディ・アミン

イディ・アミン・ダダ(Idi Amin Dada、1925年ブリタニカ、エンカルタ、コロンビア等の百科事典は出生日不詳で1925年頃にコボコかカンパラで生まれたとしている。マケレレ大学のフレッド・グウェデコは1928年5月17日であると主張している。これには議論があり、死後の混同も含まれる。医師がアミンが80歳で死亡したと語ったため1923年生まれとする例もある。1920年代生まれであることは確実である。 - 2003年8月16日)は、ウガンダの軍人、政治家、第3代大統領。元帥、法学博士の肩書も持つ。身長193cmの巨漢で、東アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンや1975年にはアフリカ統一機構議長になったこともある。.

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イギリス帝国

イギリス帝国(イギリスていこく、British Empire)は、イギリスとその植民地・海外領土などの総称である。大英帝国(だいえいていこく)ともいう。 帝国は時代ごとの性質により、以下のように区分できる。.

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ウガンダ

ウガンダ共和国(ウガンダきょうわこく)、通称ウガンダは、東アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にケニア、南にタンザニア、南西にルワンダ、西にコンゴ民主共和国、北に南スーダンとの国境に囲まれた内陸国である。首都はカンパラ。アフリカの中でも難民受入れに積極的である。 ナイル川(白ナイル)の始まるヴィクトリア湖に接している。旧イギリス植民地。.

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エドワード湖

ドワード湖(エドワードこ、Lake Edward)は、アフリカのコンゴ民主共和国とウガンダ共和国の国境に存在する湖。双方の国の国立公園の一部となっている。コンゴ側はヴィルンガ国立公園、ウガンダ側はクイーン・エリザベス国立公園。 過去には独裁者イディ・アミンの名にちなんでイディ・アミン湖、イディ・アミン・ダダ湖とも呼ばれた。アルバート湖とはセムリキ川で、ジョージ湖とはカジンガ運河でつながっている。深さは最大112m、総面積は約2150km2。 エドワード湖では漁業が盛んであるが、コンゴ民主共和国のヴィルンガ国立公園側ではカバが激減している為、それに伴う漁業への悪影響が心配されている。.

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キゲジ

と2001年7月から2005年7月の県 キゲジ (Kigezi) はウガンダ南西部の伝統的地域。北にエドワード湖を挟みトロ王国(ルウェンズルル)、東にアンコーレ王国南にルワンダ東部州及び北部州、西にコンゴ民主共和国北キヴ州と接する。キゲジの主な住民はバントゥー系のキガ族で、最南部にフンビラ族と少数のトゥワ、北部にホロロ族が周辺国のように階層社会を形成したが、キガ族はそうでなく、雑穀などを栽培しながらウシなどを飼育する農耕社会であった。 イギリス植民地時代にブニョロとイギリス及びブガンダの戦争に巻込まれ住民にも被害が出た。イギリス及びブガンダに「解放」されるまでキゲジはブニョロの従属的地域であった。キゲジ県が置かれ、イギリスは他の地域同様にコーヒなどを商品作物として栽培させようと試みたが、この地域では食料が商品作物となった。ルワンダ紛争に伴い難民が流入した。イディ・アミン政権時代の1974年に南北に分割され、1980年に南部がカバレ県、北部がルクンギリ県に改称された。ヨウェリ・ムセベニ政権時に地方が廃止され、西部地域の一部とされた。1991年5月にカバレ県西部がキソロ県に分割された。フンビラ族はルワンダ人に等しく、キゲジはルワンダ愛国戦線のルワンダ侵攻の拠点となった。2001年7月にルクンギリ県西部がカヌング県に分割された。またキブ紛争の難民も流入した。人口密度が比較的高く、近隣地方に移住したキガ族が土地紛争などで海外に流出する例も多い。.

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ジョージ湖 (ウガンダ)

ジョージ湖(ジョージこ、Lake George または Lake Dweru)は、ウガンダの南西部にある湖である。総面積は250km²で、アフリカ大湖沼地域にあるが大湖沼には含まれないとされている。周辺の他の湖と同様に英国王室にちなんだ名前が付けられており、ジョージ湖はジョージ5世に由来する。ジョージ湖からはカジンガ水路を通って南西にあるエドワード湖に流出している。 Category:ウガンダの湖 Category:ナイル川水系 Category:ウガンダのラムサール条約登録地.

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