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ツール・ド・フランス1977

索引 ツール・ド・フランス1977

ツール・ド・フランス1977は、ツール・ド・フランスとしては64回目の大会。1977年6月30日から7月24日まで、全22ステージで行われた。.

15 関係: ハニー・クイパーヨープ・ズートメルクラルプ・デュエズルシアン・バンインプツール・ド・フランスディートリヒ・トゥーラウフィアットドーピングベルナール・テブネエディ・メルクスジャック・エスクラサンジョアキン・アゴスティーニョ1977年6月30日7月24日

ハニー・クイパー

ハニー・クイパー(Hennie Kuiper。1949年2月3日- )はオランダの元自転車競技選手。 アマチュア時代、1972年のミュンヘンオリンピックの個人ロードを制し、翌73年プロ入り。1975年にはオランダ国内選手権及び世界自転車選手権を制したが、この年を境にクイパーはプロ選手として本格化する。 1976年にはツール・ド・スイスで総合優勝。そしてツール・ド・フランスにおいて、総合優勝寸前のところまで来たケースは2回あった。1977年の大会では総合優勝のベルナール・テブネにわずか48秒差。1980年はベルナール・イノーの途中棄権により、絶好のチャンスかと目されたが、同郷のヨープ・ズートメルクに山岳ステージで引き離された。他にもツールではラルプ・デュエズの区間を連覇するなど活躍したが、惜しくも総合優勝には届かなかった。 ツールで2度2位を経験した後はクラシックレースで大活躍。当時、オリンピック金メダリストはプロ入りしてからは大成しないというジンクスがあったが、クイパーはそれを打ち破った。「モニュメント」では4勝したが、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュだけは制覇できなかった。 現役引退後はモトローラ、ラボバンクでチームスタッフの仕事に就き、その傍ら、オランダチームのコーチも兼任した時代もあった。 1995年のツール・ド・フランスでファビオ・カサルテッリの死亡事故が起こったとき、所属チーム、モトローラの監督をしていたのがクイパーである。1972年オリンピックの個人ロード金メダリストは、20年後のオリンピックの個人ロード金メダリストを目の前で失うという悲劇に見舞われた。.

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ヨープ・ズートメルク

ヨープ・ズートメルク(Gerardus Joseph ("Joop") Zoetemelk。1946年12月3日- )はオランダ生まれの元自転車競技ロードレース選手。 1968年に行われたメキシコオリンピックのロードチームタイムトライアルでオランダに金メダルをもたらし、翌年プロ入り。1970年のツール・ド・フランスでは初出場ながらもエディ・メルクスに続く総合2位に入る。 しかし、メルクス、さらにベルナール・イノーの壁が厚く、ツール・ド・フランスでは総合2位の回数が6回を数えたことから、「万年2位」と言われたこともあった。さらに1974年にはレース中の大怪我に見舞われたことが原因で選手生命を脅かされたり、また、1977年、1979年のツールでは、ドーピング検査で陽性反応が出たこともあった(当時は今とは違って、区間記録は取り消されたものの、総合記録は完走時間記録に10分間のペナルティーが課せられるだけだった)。 だが1980年のツールでは、イノーの途中棄権に助けられたとはいえ10回目の出場にして悲願の総合初優勝を果たし、その後も38歳で世界自転車選手権(1985年)、40歳でアムステルゴールドレース(1987年)を制するなど、1987年に引退するまで、長期間に亘って第一線で活躍を続けた。また、1979年にはブエルタ・ア・エスパーニャでも総合優勝を果たしている他、数多くのステージ、クラシックレースを制覇した。ツール・ド・フランス出場16回ならびに完走16回は大会記録である。 引退後、1996年から2006年のブエルタまで、ラボバンクチームの監督を務めた。.

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ラルプ・デュエズ

ラルプ・デュエズ(L'Alpe-d'Huez)は、フランス・イゼール県にあるアルプス山系の高原リゾート地である。冬季はスキー場が開設される。 麓からここにつながる道路は急勾配となっており、1952年に自転車ロードレースのツール・ド・フランスのコースに初めて組み込まれて以来、同レースの看板とも言える名所となっている。 頂上までに全部で21のカーブがあり(下から21番・20番…最上が1番)、それぞれのカーブにはステージ優勝者の名前入りパネルが立てられているが、そこにはファウスト・コッピ、ベルナール・イノー、マルコ・パンターニなど、そうそうたる面々が名を連ねている。.

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ルシアン・バンインプ

ルシアン・バンインプ ルシアン・バンインプ (Lucien Van Impe。1946年10月20日- )は、ベルギー・フレミング出身の元自転車競技選手。ツール・ド・フランスでは6度に亘り山岳賞を獲得するという実績を誇り、まさしく、キングオブマウンテンの名に相応しい山岳スペシャリストであった。近時、原語表記に近い、ルシアン・ファンインプと明記する自転車競技関連Web、雑誌もある。 長らくエディ・メルクスの壁が厚く、ツールでは山岳賞こそ獲得するものの、総合成績ではベストテンの常連でありながらもなかなか優勝まではたどり着けなかった。しかしメルクスが出場しなかったとはいえ、1976年のツール・ド・フランスでは、ラルプ・デュエズのステージで首位に立ち、ピレネー超えステージで他を圧倒したことも手伝って、7度目の出場にして初めて総合優勝を果たした。また翌1977年のツール・ド・フランスではラルプ・デュエズにて伴走者と接触したことが影響し、惜しくも総合3位に終った。 ツールにおける6度の山岳賞獲得は、スペインのフェデリコ・バーモンテスと並ぶタイ記録であったが、2004年にフランスのリシャール・ビランクが7度目の山岳賞を獲得し、2人の記録を塗り替えた。 ちなみにバンインプはジロ・デ・イタリアでも2度の山岳賞を獲得しており、またツールでは15回の完走を果たしている。ツールにおける15回の完走記録は、ヨープ・ズートメルクの16回に次ぐ記録で、後にヴィアチェスラフ・エキモフが達成した。また、バンインプが1976年に優勝して以降、ベルギー国籍の選手がツール・ド・フランスにおいて総合優勝を果たしたケースはない。 なお、引退後の2001年、自らが発起人となって、ツール・ド・フランスのレース中に非業の死を遂げたトム・シンプソンの記念館をオープンさせた。.

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ツール・ド・フランス

ツール・ド・フランスまたは(ル・)トゥール・ド・フランス(Le Tour de France、以下「ツール」)とは毎年7月にフランスおよび周辺国を舞台にして行われる自転車プロロードレースである。1903年から開催されている。主催は傘下にスポーツ新聞レキップや一般紙ル・パリジャンなどを抱えるフランスの大企業・アモリ・スポル・オルガニザシオン (ASO, Amaury Sport Organisation)。 名称はフランス語で「フランス一周」を意味する。フランス語による同様の名称のレースには、スイスで行われるツール・ド・スイスなどがある。単にル・ツール(Le Tour:ル・トゥール)と称されることもある。.

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ディートリヒ・トゥーラウ

ディートリヒ・トゥーラウ(Dietrich Thurau、1954年11月9日 - )は、ドイツ、フランクフルト出身の元自転車競技選手。.

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フィアット

フィアット(FIAT S.p.A.)は、イタリアの自動車メーカーである。現在は、持株会社であるフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)の一部門を構成する。.

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ドーピング

ドーピング(doping)は、スポーツおよびモータースポーツの競技で運動能力を向上させるために、薬物を使用したり物理的方法を採ること、及びそれらを隠ぺいしたりする行為。オリンピック、競馬など多くの競技で禁止され、違反行為となる。俗称であるが、「競技会時検査」の事をドーピングと呼ぶ場合(例:あの競技会ではドーピングがある)も有る。.

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ベルナール・テブネ

ベルナール・テブネ ベルナール・テブネ(Bernard Thévenet。1948年1月10日- )はフランス・ソーヌ=エ=ロワール県のサンジュリアン・ド・シヴリ出身の元自転車競技選手。1975年、1977年のツール・ド・フランス総合優勝者である。もみあげが長い風貌が特徴の選手でもあった。.

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エディ・メルクス

ディ・メルクス(Eddy Merckx, 1945年6月17日 - )は、ベルギー、出身の自転車プロロードレースの選手。また、この人物の名前に由来する高級スポーツ自転車のブランド。本項ではその両方について説明する。なお、ベルギー人なので「エディ」はエドワードの愛称ではなく、本名である。.

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ジャック・エスクラサン

ャック・エスクラサン(Jacques Esclassan、1948年9月3日 - )は、フランス、カストル出身の元自転車競技(ロードレース)選手。.

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ジョアキン・アゴスティーニョ

ョアキム・フェルナンデス・アゴスティーニョ(Joaquim Fernandes Agostinho、1942年4月7日-1984年5月10日)は、ポルトガルの元自転車競技選手。.

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1977年

記載なし。

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6月30日

6月30日(ろくがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から181日目(閏年では182日目)にあたり、年末まであと184日ある。6月の最終日である。誕生花はビヨウヤナギ、ヘリオトロープ。.

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7月24日

7月24日(しちがつにじゅうよっか、しちがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から205日目(閏年では206日目)にあたり、年末まであと160日ある。誕生花はエンレイソウ、オシロイバナ。.

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