ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

ダライ・ラマ1世

索引 ダライ・ラマ1世

ダライ・ラマ1世(1391年 - 1474年)は、初代のダライ・ラマ。略名はゲンドゥン・ドゥプパ。 チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパ大師の直弟子であった。 後、ゲルク派の高僧スーナム・ギャツォ(1543年-1588年)がモンゴルのアルタン・ハーンから「ダライ・ラマ」の称号を奉られ、ダライ・ラマの制度が始まった。その際、スーナム・ギャツォは自らをダライ・ラマ3世とし、ゲンドゥン・ドゥプパを追諡してダライ・ラマ1世とした。 Category:1391年生 Category:1474年没 Category:チベットの僧.

7 関係: チベット仏教ツォンカパダライ・ラマダライ・ラマ2世ダライ・ラマ3世1391年1474年

チベット仏教

チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が保存されていることが特徴である。 ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、ややもすると、仏教とは異質な宗教と見なす向きもあったが、その実態が一般の認識を得るにつれ、ラマ教という呼称は不適切だとして、現在では使用されなくなっている。.

新しい!!: ダライ・ラマ1世とチベット仏教 · 続きを見る »

ツォンカパ

ツォンカパ( 、1357年 - 1419年)はチベット仏教最大の学僧であり、代々のダライ・ラマの所属する宗派ゲルク派(黄帽派)の開祖。本名はロサン・タクパ()。アムド地方ツォンカ(湟中・クンブム・チャンパーリン寺(タール寺)の所在地)の地に生まれる。ツォンカパとは「ツォンカ(湟中)の人」という意味で出身地の地名にちなんだ通称である。ツォンカと言う地名の語源は葱()石濱裕美子 の地()であり、人()を加えると「葱畑の人」という意味ともなる。守護尊(イダム)は文殊菩薩とヴァジュラバイラヴァ。.

新しい!!: ダライ・ラマ1世とツォンカパ · 続きを見る »

ダライ・ラマ

ダライ・ラマ (Dalai Lama, ཏཱ་ལའི་བླ་མ་, taa-la’i bla-ma) は、チベット仏教ゲルク派の高位のラマであり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマの名跡である。その名は、大海を意味するモンゴル語の「ダライ」と、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせたものである。 ダライ・ラマは17世紀(1642年)に発足したチベット政府(ガンデンポタン)の長として、チベットの元首の地位を保有し、17世紀から1959年までの間のいくつかの特定の時期において、チベットの全域(1732年以降は「西藏」を中心とする地域)をラサから統治するチベット政府を指揮することがあった。現ダライ・ラマ14世は、チベット動乱の結果として1959年に発足した「チベット臨時政府(のち中央チベット行政府、通称チベット亡命政府)」において、2011年3月14日に引退するまで政府の長を務めていた。現在のチベット亡命政府では、「チベットとチベット人の守護者にして象徴」という精神的指導者として位置づけられている。.

新しい!!: ダライ・ラマ1世とダライ・ラマ · 続きを見る »

ダライ・ラマ2世

ダライ・ラマ2世(、、1475年 - 1542年)は2代目のダライ・ラマである。法名ゲンドゥン・ギャツォ()。ゲンドゥン・ギャンツォ、ゲンドゥン・ギャムツォとも表記される。 ただし、生前にダライ・ラマを名乗ったわけではない。後にゲルク派の高僧スーナム・ギャツォ(1543年-1588年)がモンゴルのアルタン・ハーンから「ダライ・ラマ」の称号を奉られ、ダライ・ラマの制度が始まった。その際、スーナム・ギャツォは自らをダライ・ラマ3世とし、ゲンドゥン・ギャツォを追諡してダライ・ラマ2世とした。.

新しい!!: ダライ・ラマ1世とダライ・ラマ2世 · 続きを見る »

ダライ・ラマ3世

ダライ・ラマ3世(1543年-1588年)は、第3代のダライ・ラマ。略名はスーナム・ギャツォ(ソナムギャムツォ)。 モンゴルのアルタン・ハーンは、青海へ遠征した際にチベット仏教に感銘を受けた。そして、青海でゲルク派の転生僧であるスーナム・ギャツォと面会し、転輪聖王号を授かった。一方で、スーナム・ギャツォはアルタン・ハーンから「ダライ・ラマ」という称号を贈られた(従って、彼はダライ・ラマ3世とされるが、この称号を用いた最初の人物である)。 この両者の結びつきは、13世紀のクビライ以来再びモンゴルでチベット仏教が盛んになる契機となり、アルタン・ハーンの死後も教典のモンゴル語訳が続けられるなど交流は続いた。.

新しい!!: ダライ・ラマ1世とダライ・ラマ3世 · 続きを見る »

1391年

記載なし。

新しい!!: ダライ・ラマ1世と1391年 · 続きを見る »

1474年

記載なし。

新しい!!: ダライ・ラマ1世と1474年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »