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タルトゥース県

索引 タルトゥース県

タルトゥース県(Tartus Governorate, アラビア語: مُحافظة طرطوس, Muḥāfẓat Ṭarṭūs )は、シリアの14ある県の一つ。面積は1,890平方kmとする資料や、1,892平方kmとする資料がある。人口は750,000人(2007年の推計)。県都は港湾都市タルトゥース。.

17 関係: 十字軍地中海地中海性気候マルガット城ハマー県バニヤースラタキア県レバノンホムス県アラビア語シリアシリアの行政区画シリア騒乱タルトゥースサフィータ2011年2013年

十字軍

1回十字軍によるアンティオキア攻囲戦 十字軍(じゅうじぐん、cruciata、crusade)とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。 一般には、上記のキリスト教による対イスラーム遠征軍を指すが、キリスト教の異端に対する遠征軍(アルビジョア十字軍)などにも十字軍の名称は使われている。 実態は必ずしも「キリスト教」の大義名分に当て嵌まるものではなく、中東に既にあった諸教会(正教会・東方諸教会)の教区が否定されてカトリック教会の教区が各十字軍の侵攻後に設置されたほか、第4回十字軍や北方十字軍などでは、正教会も敵として遠征の対象となっている。また、目的地も必ずしもエルサレム周辺であるとは限らず、第4回以降はイスラム最大勢力であるエジプトを目的とするものが多くなり、最後の十字軍とされることもある第8回の十字軍は北アフリカのチュニスを目的としている。.

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地中海

地中海(ちちゅうかい、Mare Mediterraneum)は、北と東をユーラシア大陸、南をアフリカ大陸(両者で世界島)に囲まれた地中海盆地に位置する海である。海洋学上の地中海の一つ。.

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地中海性気候

地中海性気候(ちちゅうかいせいきこう)とはケッペンの気候区分における気候区のひとつで温帯に属する。記号はCsa,Csb,CscでCは温帯、sは夏季乾燥(sommertrocken)を示す。 フローンの気候区分における亜熱帯冬雨帯(記号:PW)に相当する。またアリソフの気候区分でも地中海性気候と呼ばれることのある気候帯4-3.亜熱帯西岸気候に相当する。.

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マルガット城

マルカブ城(Marqab、フランス語: le Margat, アラビア語: قلعة المرقب Qal‘at al-Marqab、「見張り塔の城」)は、シリアに築かれた十字軍時代の代表的な城。クラック・デ・シュヴァリエとならぶ聖ヨハネ騎士団の本拠の一つであった。 マルカブ城は、地中海に面した海抜500mほどの山の上にそびえる。この山は遠い昔に活動を停止した火山であり、南のトリポリと北のラタキアの間の街道沿いにある。海岸からは2km、バニヤースの町の約6km南にあたる。 おそらくフェニキアや東ローマ帝国の頃より砦があったと思われるが、現存する最古の遺構は1062年にアラブ人領主が作ったものであり、第1回十字軍を経て十字軍国家アンティオキア公国が周囲に建設された後もアラブ人領主が持ち続けた。1104年、ハッラーンの戦いでアンティオキアがムスリムに敗北を喫すると、東ローマ帝国は弱みに付け込みアンティオキアとその周囲に対する影響を強め、その際にこの砦をアラブ人から奪った。数年後、アンティオキアの摂政タンクレードがこの砦を奪いアンティオキア公国に編入した。 1170年代、アンティオキアのルノー2世マゾワール(Reynald II Mazoir)がトリポリ伯国の封臣としてマルカブ城を支配した。この城は非常に巨大だったため、宮廷のさまざまな係や役人、下位の封臣団を独自に持っていた。彼の息子ベルトランは1186年、マゾワール家の力では城の維持費を賄いきれなくなったため聖ヨハネ騎士団に城を売った。聖ヨハネ騎士団は補修や増築を施して、これをシリアにおける拠点のひとつとした。騎士団の守る14の塔はどれも難攻不落と思え、1188年にサラーフッディーン(サラディン)がマルカブ城に対する攻囲戦を行ったときも結局落せなかった。マルカブ城は、サラーフッディーンによるシリア遠征の後に西洋人の手に残る数少ない領地のひとつとして、その後100年近く持ちこたえた。 13世紀はじめには、聖ヨハネ騎士団は城の周囲の土地や道路を支配下に置き、そこを通行する旅人、商人、巡礼らから大きな利益を得た。東ローマ帝国下のキプロス太守だったイサキオス・コムネノス(Isaakios Komnēnos、Isaac Komnenos)は、第3回十字軍の際にイングランド王リチャード1世に捕らえられキプロスを奪われた後、聖ヨハネ騎士団に引き渡され1194年までマルカブ城に幽閉された。近くの町ヴァレニア(Valenia、現在のバニヤース)の司教も、1240年ごろ以降は守りの堅いマルガット城に拠点を移した。マルカブ城は聖ヨハネ騎士団の砦や城の中でも格段に大きく、これより大きな城は南の内陸部にあるクラック・デ・シュヴァリエしかなかった。 エジプトのマムルーク朝のスルタン・カラーウーンは1285年4月25日からマルカブ城の包囲に取り掛かった。工兵が北の城壁に穴を掘り、1ヵ月後に城は陥落した。カラーウーンは城の巨大さと騎士団の勇気に感心し、騎士団に対し、持てる物を全て持って安全に撤退できるよう取り計らった。カラーウーンは落とした砦は取り壊してきたが、この城に関してはマムルークの駐屯地として使い続けた。.

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ハマー県

ハマー県(ハマ県、Hama Governorate, アラビア語: مُحافظاة حماة, Muḥafaẓat Ḥamā)は、シリアの14ある県の一つ。面積は8,883平方kmSyria - City Population - Cities, Towns & Provinces - Statistics & Map とする資料や、8,844平方kmとする資料もある。人口は1,491,000人(2007年推計)。県都はシリア第4位の都市ハマー(ハマ)。.

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バニヤース

バニヤース(バーニヤース、Baniyas、アラビア語表記:بانياس)はシリア北西部・タルトゥース県北部にある港湾都市。カルアト・エル=マルカブ(Qal'at el-Marqab)の丘のふもとに広がり、ラタキアの55km南、タルトゥースの35km北に位置する。人口は約42,000人。 地中海に面し、古くから背後の山岳部や農村から出荷される果実および木材の輸出を行ってきた。またイラクからの石油パイプラインが伸びているため、製油所や石油積出港のほうが有名になったが、イラン・イラク戦争や湾岸戦争、その後の経済制裁など中東情勢の影響を受けている。 町の周囲には、緑の丘に囲まれたシトラスの果樹園が広がる。また丘のうちのひとつには、十字軍時代の聖ヨハネ騎士団の要塞マルガット城(Margat)があり、黒玄武岩の石材でできた堂々とした姿を見せている。.

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ラタキア県

ラタキア県(ラータキーヤ県、ラディキーヤ県、Latakia Governorate, アラビア語: مُحافظة اللاذقية, Muḥāfaẓat al-Lāḏikiyya)は、シリアの14ある県の一つ。面積は2,437平方kmとする資料や、2,297平方kmとする資料がある。人口は943,000人(2007年の推計)。県都は港湾都市ラタキア(ラディキーヤ)。.

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レバノン

レバノン共和国(レバノンきょうわこく、)、通称レバノンは、西アジア・中東に位置する共和制国家。北から東にかけてシリアと、南にイスラエルと隣接し、西は地中海に面している。首都はベイルート。.

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ホムス県

ホムス県(ヒムシュ県、Homs Governorate, アラビア語: مُحافظة حمص, Muḥafaẓat Ḥimṣ)は、シリアの14ある県の一つ。面積は42,223平方kmSyria - City Population - Cities, Towns & Provinces - Statistics & Map とする資料や42,226平方kmとする資料もあるが、シリアの県では一番大きい。人口は1,647,000人(2007年推計)。県都はシリア第3位の都市ホムス(ヒムシュ)。.

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アラビア語

アラビア語(アラビアご、اللغة العربية, UNGEGN式:al-lughatu l-ʻarabīyah, アッ.

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シリア

リア・アラブ共和国(シリア・アラブきょうわこく、)、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。.

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シリアの行政区画

リアの行政区画 シリアは14の県(ムハファザ、muhafazat、単数形:muhafazah)に分かれる。それらはさらに60の郡(manatiq、単数形: mintaqah )に分かれる。.

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シリア騒乱

リア騒乱(シリアそうらん)は、シリアで2011年3月15日より始まり、現在も続く反政府運動およびシリア政府軍と、シリアの反体制派及びそれらの同盟組織による武力衝突である。後述のとおり、国際連合などにより事実上の内戦状態と認識されていることからシリア内戦の名称が使われることが多いが、ISILなど勢力範囲がシリアに留まらない武装組織の影響も大きいことなどから名称には議論もある事実上の内戦状態としながらも「騒乱」の言葉を用いる報道機関もある。。シリア内戦、シリア騒乱以外にも、シリア危機などの表現を使うメディアもある。 内戦と呼ばれることが多いため、シリア国民同士の紛争と思われがちだが、実際にはシリア国外からの参戦も多い。また、当初はアサド政権派のシリア軍と反政権派勢力の民兵との衝突が主たるものであったが、ジハード主義勢力のアル=ヌスラ戦線とシリア北部のクルド人勢力の間での衝突も起こっている。現在は反政権派勢力間での戦闘、さらに混乱に乗じ過激派組織ISILやアル=ヌスラ戦線、またクルド民主統一党 (PYD/Partiya Yekitiya Demokrat) をはじめとしたシリア北部のクルド人勢力が参戦したほか、アサド政権の打倒およびISIL掃討のためにアメリカやフランスをはじめとした多国籍軍やロシアやイランもシリア領内に空爆を行っており、内戦は泥沼化している。また、トルコ、サウジアラビア、カタールもアサド政権打倒のために反政府武装勢力への資金援助、武器付与等の軍事支援を行い内戦に介入している。 また、実態として西側諸国が穏健派と断定する反政府武装勢力やアルカイダ系組織とISILの間に明確な線引きをするのは難しく、各勢力が強固な組織を基盤としているわけではない。さらに、いずれも反アサド政権・反世俗主義・反シーア派・反少数派イスラム教(アラウィー派・ドゥルーズ派等)、反キリスト教のスンニ派のイスラム主義組織であるという共通点があることから、資金力の増減や戦況の良し悪しによって戦闘員の寝返りや武器交換も相互に行われているため、あくまでもISILも反政府武装勢力のうちの一つととらえた方が実態に近く、イスラム国の残虐性だけが突出しているわけではない。さらに、シリア政府側に立つ組織もシリア軍の他にシーア派民兵やヒズボラやイランのイスラム革命防衛隊なども参戦しており、これもまた統率が取れているわけではない。 シリアで内戦が激化している理由として、主に4つがあげられる。まずは、トルコやアラブ・イスラム世界の中で敵対関係にあるイスラエルなどと国境を接しているという地政学的事情。次にシリアバース党政権が一貫した親露、親イランである一方、親欧米・親NATO諸国であるサウジアラビアを中心としたスンニ派の湾岸諸国とは激しく対立している点、3つ目としては、トルコ政府と対立するクルド人の問題。さらに4つ目はアサド大統領がシーア派の分派でありキリスト教の影響も強いアラウィー派で、イスラム色の薄いスンニ派も含めた世俗派主体に支持者が多いのに対し、反政府勢力はスンニ派イスラム主義勢力が多く、世俗主義とイスラム主義の対立や宗派対立の様相も呈していることにある。.

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タルトゥース

衛星写真でみたタルトゥース。北に新しい港湾、西の沖合(赤い矢印)にアルワード島が浮かぶ タルトゥース(タルトゥス、タルトス、ローマ字表記:Tartus、Tartous、アラビア語: طرطوس)は、シリア(シリア・アラブ共和国)西部の地中海に面したラタキアに次ぐシリア第二の港湾都市で、タルトゥース県では最大の都市。タルトゥース県の県都。人口は2007年時点でおよそ93,000人と見積もられている。ロシア海軍の補給処があることでも知られている。.

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サフィータ

フィータ(Safita、アラビア語: صا فيتا、Ṣāfītā)はシリア北西部タルトゥース県にある都市。地中海岸のタルトゥースからは南東の内陸部に位置し、世界遺産クラック・デ・シュヴァリエの北西にある。人口は33,000人ほど。シリアの海岸部を南北に貫く山脈の中にあり、三つの丘の上とその間の谷間にまたがっている。十字軍の重要な拠点都市で、トリポリ伯国の一部であった時代には、三つの丘のうちのひとつに城塞「」(Chastel Blanc)が建てられテンプル騎士団が守っていた。.

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2011年

この項目では、国際的な視点に基づいた2011年について記載する。.

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2013年

この項目では、国際的な視点に基づいた2013年について記載する。.

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