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ソユーズ3号

索引 ソユーズ3号

ユーズ3号 (Союз 3 / Soyuz 3) はソビエト連邦において、宇宙飛行士のウラジミール・コマロフが死亡したソユーズ1号の事故後はじめて行われた、ソユーズ宇宙船の有人宇宙飛行である。コールサインは「アルゴン」。 数々の災難に見舞われたソユーズ1号の飛行目的は、そもそもは無人のソユーズ2号とランデブーとドッキングを行うことであったが、この時は2号の打ち上げは中止されている。飛行士ゲオルギ・ベレゴヴォイが搭乗した3号は、当初の目的を達成するための二度目の飛行であり、2号は3号の前日に打ち上げられた。 地上の管制官は、ベレゴヴォイ飛行士が操縦桿を取る前にすでに両者(2号と3号)を200mまで接近させることに成功していた。しかしながらドッキング操作は地上との交信ができない状態で行わなければならず、ベレゴヴォイは機体を1mまで接近させることはできたが、ドッキングは3回続けて試みたものの達成することはできなかった。結局、操縦用の推進剤のほとんどを消費してしまったため、当初の目的は放棄せざるを得なくなった。失敗の原因は、ベレゴヴォイの操縦にあったとされている。結局ベレゴヴォイは、このフライトのみで退役することとなった。 またベレゴヴォイがこの計画のための訓練をしている最中に、史上初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンが飛行機事故で死亡した(3月27日)。.

21 関係: 協定世界時宇宙飛行士バイコヌール宇宙基地ユーリイ・ガガーリンランデブー (宇宙開発)ロケットエンジンの推進剤ウラジーミル・コマロフウラジーミル・シャタロフゲオルギ・ベレゴヴォイソユーズソユーズ1号ソユーズ2号ソユーズ4号ソビエト連邦軌道傾斜角近点・遠点有人宇宙飛行10月26日10月30日1968年3月27日

協定世界時

時間帯で色分けされた世界地図 協定世界時(きょうていせかいじ、UTC, Coordinated Universal Time, Koordinierte Weltzeit, Temps Universel Coordonné本来は「調整された世界時」の意だが、多数の国で法定常用時の基礎に採られており、日本語では協定と意訳する。)とは、国際原子時 (TAI) に由来する原子時系の時刻で、UT1 世界時に同調するべく調整された基準時刻を指す。国際原子時に調整を加えて作られた世界時で、国際協定に基づき人為的に維持されている時刻系である。.

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宇宙飛行士

ユーリイ・ガガーリン アポロ計画でのニール・アームストロング NASAでの毛利衛 MMU) を使用して宇宙遊泳を行なっている。 宇宙飛行士(うちゅうひこうし、、ソ連/ロシアの飛行士はコスモノート カスマナーフト kosmonavt、中国の飛行士は宇航員や太空人と呼ぶのが通例)とは、宇宙船による大気圏外の飛行を行なうよう選ばれた人のこと。.

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バイコヌール宇宙基地

バイコヌール宇宙基地(バイコヌールうちゅうきち、Космодром Байконур、Космодром Байқоңыр、Baikonur Cosmodrome)は、カザフスタン共和国のチュラタムにあるロシアのロケット発射場である。現在、ロシア連邦宇宙局が管理している。.

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ユーリイ・ガガーリン

ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン(Юрий Алексеевич Гагарин、ラテン文字転写:Yuri Alekseyevich Gagarin、1934年3月9日 - 1968年3月27日)は、ソビエト連邦の軍人、パイロット、宇宙飛行士。最終階級は大佐。 1961年、世界初の有人宇宙飛行としてボストーク1号に単身搭乗した人物である。.

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ランデブー (宇宙開発)

ランデブーまたはランデヴー(rendezvous)とは、宇宙空間において2機以上の宇宙船、または宇宙船と宇宙ステーションなどが速度を合わせ、同一の軌道を飛行し、互いに接近する操作のことである。両者が結合するドッキング操作を含める場合も、含めない場合もある。また、宇宙探査機が小惑星などに速度を合わせ、同一の軌道を飛行することもランデブーと呼ぶことがある。.

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ロケットエンジンの推進剤

ットエンジンの推進剤(ロケットエンジンのすいしんざい)の記事では、ロケットエンジンないしロケットによる打上げのシステムにおける推進剤(プロペラント)に関する事項について述べる。.

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ウラジーミル・コマロフ

ウラジーミル・ミハイロヴィチ・コマロフ(ロシア語:, ラテン文字転写:Vladimir Mikhaylovich Komarov, 1927年3月16日 - 1967年4月24日)は、ソビエト連邦の宇宙飛行士。 モスクワ出身。15歳で初めて飛行機の操縦を経験し大学で航空学を専攻の後に空軍入り。空軍では戦闘機の技術者やテストパイロットとして従事していた(階級は大佐)が、1960年に最初に選ばれた宇宙飛行士たちの一人となり親友の間柄となるユーリイ・ガガーリンともこの時初めて同僚となる。 コマロフは宇宙飛行士にはなったものの、ボストーク4号の飛行を予備クルーとして支援にまわり、その後ボスホート1号で自ら初めて宇宙飛行を体験した。その後ソユーズ計画が始まりコマロフもガガーリンと共に計画に携わるが、開発時点から様々な問題点が指摘され現場からは計画の中止を具申する意見まで出たが、ロシア革命50周年の記念すべき年のメーデーでその偉業を世界に示したいソ連当局は半ば見切り発車の形で打ち上げを強行した。 1967年4月23日にコマロフが搭乗するソユーズ1号の打ち上げが行われたが、宇宙空間に入ると事前に指摘されていた欠陥が露呈しコマロフはたった一人でそれらのトラブルに対処しなければならなかった。管制室と当局の押し問答の末ソユーズ1号の大気圏再突入が決定したが、帰還カプセルのパラシュートが絡まって開かず地面に激突。機体は炎上し消火活動が行われたものの、コマロフは炭化した遺体が一部発見されただけだった。40歳没。 コマロフは世界で最初に宇宙事故の犠牲となったパイロットだった。その遺灰は赤の広場のクレムリンの壁に埋葬された。.

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ウラジーミル・シャタロフ

ウラジーミル・シャタロフ(Vladimir Aleksandrovich Shatalov、ロシア語:Владимир Александрович Шаталов、1927年12月8日 - )は、カザフ・ソビエト社会主義共和国ペトロパブル出身のソ連空軍の少将、宇宙飛行士で、ソユーズ4号、ソユーズ8号、ソユーズ10号で3度の宇宙飛行を行った。ソ連邦英雄を2度受章している。 1971年から1987年にかけ、彼は宇宙飛行士訓練センターで勤め、1991年まで施設長を務めた。 Category:ソビエト連邦の宇宙飛行士 Category:ソビエト連邦の空軍軍人 Category:ソビエト連邦英雄 Category:祖国功労勲章受章者 Category:レーニン勲章受章者 Category:十月革命勲章受章者 Category:ソ連軍勤務時祖国奉仕勲章受章者 Category:ソビエト連邦国家賞受賞者 Category:友好勲章受章者 (ロシア連邦) Category:第9回ソビエト連邦最高会議の代議員 Category:第10回ソビエト連邦最高会議の代議員 Category:カザフ・ソビエト社会主義共和国の人物 Category:ペトロパブル出身の人物 Category:1927年生 Category:存命人物.

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ゲオルギ・ベレゴヴォイ

ルギ・ベレゴヴォイ(Georgy Timofeyevich Beregovoy、Гео́ргій Тимофі́йович Берегови́й、Гео́ргий Тимофе́евич Берегово́й、1921年4月15日 - 1995年6月30日)は、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ポルタヴァ州出身の宇宙飛行士である。ソユーズ3号で宇宙飛行を行った。 彼は1941年にソ連空軍に入隊し、すぐにIl-2による地上攻撃部隊に配属された。第二次世界大戦では185回出撃し、急速に昇進して最終的には大尉で部隊長にまでなった。ソ連邦英雄を受章している。 戦後、彼はテストパイロットになり、16年間で60種類以上の飛行機に乗って大佐に昇進した。1962年には宇宙飛行士の訓練を受けることになった。 ベレゴヴォイは1968年10月にソユーズ3号で宇宙に飛び立ったが、予定されていたソユーズ2号(無人機)とのドッキングに失敗し、彼はその後のミッションには選ばれなかった。1969年1月22日、ベレゴヴォイはレオニード・ブレジネフの暗殺未遂事件に遭遇した。彼はその後宇宙飛行士訓練センターに勤務し、1972年には施設長になった。 引退後、ベレゴヴォイはドンバス地域選出のソビエト連邦議会議員になった。彼はヴィクトル・ヤヌコーヴィチが新しい生活を始めるのを手助けしたと言われている。2000年代には、ヤヌコーヴィチは新しく独立したウクライナの首相となった。 彼は1995年に病気で死亡し、モスクワのノヴォデヴィチ墓地に葬られた。 ベレゴヴォイは2度のレーニン勲章、2度の赤旗勲章、聖アレクサンドル・ネフスキー勲章、祖国戦争勲章、2度の赤星勲章他、多くの勲章を受章した。.

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ソユーズ

ユーズ(Союз)は、ソビエト連邦およびロシア連邦の1 - 3人乗り有人宇宙船である。2人乗りボスホート宇宙船に続くもので、ソ連の有人月旅行計画のために製作されたが、結局有人月旅行計画は実現されなかった。 当初はソ連の宇宙ステーション「サリュート」や「ミール」への連絡に使用され、登場から40年以上経た21世紀でも、国際宇宙ステーション (ISS) へアクセスする唯一の有人往復宇宙船、およびステーションからの緊急時の脱出・帰還用として、現役で使用されている。 名称の「ソユーズ」は、ロシア語で「団結、結合」という意味で、ほかに「同盟」、「連邦」、「連合」、「組合」という意味も持つ。ロシア語本来の読みは「サユース」が近い。.

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ソユーズ1号

ユーズ1号 (Союз-1 / Soyuz 1) は1967年4月23日に打ち上げられたソビエト連邦の有人宇宙船である。コールサインは「ルビーン」(ルビーの意味)。打上げは現地時間の午前3時35分に行なわれた。これは有人宇宙船の打上げが夜間に行なわれた最初の例であった。 宇宙飛行士としてウラジーミル・コマロフが搭乗していたが、地球帰還時に死亡した。彼は有人宇宙飛行の歴史における、最初の飛行中の事故による死者である。.

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ソユーズ2号

ユーズ2号 (Союз-2 / Soyuz 2) は1968年10月25日に無人で打ち上げられたソビエト連邦の宇宙船である。翌日に有人で打ち上げられたソユーズ3号とドッキングする予定だったが、失敗した。.

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ソユーズ4号

ユーズ4号(Союз 4、ソユーズは『団結』『統合』の意)は、1969年1月14日にソビエト連邦が発射した宇宙船である。発射時の搭乗員は宇宙飛行士のウラジーミル・シャタロフ1名のみであった。計画の目的はソユーズ5号とランデブーとドッキングを行い、2名の飛行士を移乗させ地球に連れ帰ることだった。ドッキングはそれ以前のソユーズの飛行でも試みられたが、すべて様々な理由で失敗していた。 4号の識別信号は「アムール(Amur)」、5号は「バイカル(Baikal)」であった。これは当時建設中だったシベリアを横断するバイカル・アムール鉄道(第二シベリア鉄道)に由来しており、この飛行にはおそらくは建設計画に従事する労働者たちを鼓舞する意味合いも込められていた。.

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ソビエト連邦

ビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、Союз Советских Социалистических Республик)は、1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における共和制国家である。複数のソビエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもある。首都はモスクワ。 多数ある地方のソビエト共和国の政治および経済の統合は、高度に中央集権化されていた。.

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軌道傾斜角

軌道傾斜角(きどうけいしゃかく、英語:inclination)とは、ある天体の周りを軌道運動する天体について、その軌道面と基準面とのなす角度を指す。通常は記号 iで表す。 我々の太陽系の惑星や彗星・小惑星などの場合には、基準面は主星である天体、太陽の自転軸に垂直な平面つまり太陽の赤道面である。衛星の場合には基準面として主星の赤道面を採る場合と主星の軌道面を採る場合がある。人工衛星の場合には主星である地球の赤道面を基準とするのが普通である(人工衛星の軌道要素を参照)。 軌道傾斜角 iは0°≦i≦180°の範囲の値をとる。i.

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近点・遠点

近地点と遠地点の位置関係 近点・遠点(きんてん・えんてん、periapsis and apoapsis) とは、軌道運動する天体が、中心天体の重力中心に最も近づく位置と、最も遠ざかる位置のことである。両者を総称して軌道極点またはアプシス(apsis) と言う。 特に、中心天体が太陽のときは近日点・遠日点(きんじつてん・えんじつてん、perihelion and aphelion )、主星が地球のときは近地点・遠地点(きんちてん・えんちてん、perigee and apogee )、連星系では近星点・遠星点(きんせいてん・えんせいてん、periastron and apastron)と言う。地球を周回する人工衛星については英単語のままペリジー・アポジーとも言う。主星が惑星の場合、例えば木星の衛星や木星を周回する探査機(ジュノーなど)の軌道の木星に対する近点・遠点は近木点・遠木点(きんもくてん・えんもくてん、perijove and apojove)、土星ならば近土点・遠土点(きんどてん・えんどてん、perichron and apochron)と表現することもある。 中心天体の周りを周回する天体は楕円軌道を取るが、中心天体は楕円の中心ではなく、楕円の長軸上にふたつ存在する焦点のいずれかに位置する。このため周回する天体は中心天体に対して、最も接近する位置(近点)と最も遠ざかる位置(遠点)を持つことになる。遠点・近点および中心天体の重力中心は一直線をなし、この直線は楕円の長軸に一致する。 中心天体の重力中心から近点までの距離を近点距離(近日点距離、近地点距離)、遠点までの距離を遠点距離(遠日点距離、遠地点距離)といい、それぞれ軌道要素の1つである。軌道長半径、離心率、近点距離、遠点距離の4つの軌道要素のうち2つを指定すれば、軌道の2次元的な形状が決まる。通常、軌道長半径と離心率が使われるが、放物線軌道・双曲線軌道(特に、彗星の軌道)については通常の意味での軌道長半径を定義できないので、近点距離と離心率が使われる。なお、人工衛星については近地点高度・遠地点高度という言葉もあるが、これらは地球の海面(ジオイド)からの距離である。 他の天体による摂動、一般相対論的効果により、近点は(したがって遠点も)少しずつ移動することがある。これを近点移動(近日点移動、近地点移動)という。.

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有人宇宙飛行

ェミニ4号でアメリカ人初の宇宙遊泳(船外活動)を行った。(1965年) 有人宇宙飛行(ゆうじんうちゅうひこう)とは、宇宙船に人が乗り、宇宙を飛行することである。宇宙飛行を行うために特に訓練された者を宇宙飛行士と呼び、そうでない者が宇宙飛行を行う場合、特に宇宙旅行と呼ぶ。 宇宙ロケットに人間が乗り込むことには、依然安全上の大きなリスクがあり、実際に宇宙開発においては、惑星探査などその多くをロボットが担っているが、人間が行わなくてはならない活動も少なくない。宇宙船内での高度な実験、宇宙ステーションの建設などを行うことは、すなわち宇宙開発の主導権を握ることを意味する。現在建設中の国際宇宙ステーションでは有人飛行実績の高いロシアとアメリカが、主導的な立場を担っている。 有人宇宙飛行に成功しているのはロシア連邦(1961年4月 当時はソビエト連邦)、アメリカ合衆国(1961年5月)、中華人民共和国(2003年10月)の3か国となっている。.

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10月26日

10月26日(じゅうがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から299日目(閏年では300日目)にあたり、年末まであと66日ある。.

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10月30日

10月30日(じゅうがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から303日目(閏年では304日目)にあたり、年末まであと62日ある。.

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1968年

記載なし。

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3月27日

3月27日(さんがつにじゅうななにち、さんがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から86日目(閏年では87日目)にあたり、年末まであと279日ある。.

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