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ソシエテ諸島

索引 ソシエテ諸島

テ諸島 ソシエテ諸島(ソシエテしょとう、Îles de la Société)は南太平洋にある諸島。フランス領ポリネシアの一部。海洋探検家ジェームズ・クックが王立協会にちなんで名付けた本来の英語名ソサエティ諸島(Society Islands)で呼ばれることもある。 ソシエテ諸島はウィンドワード諸島とリーワード諸島からなる。ウィンドワード諸島にはマイアオ島、タヒチ島、モーレア島、テティアロア島が、リーワード諸島にはフアヒネ島、ライアテア島、タハア島、ボラボラ島、マウピティ島、ツパイ島がある。 この諸島は1843年にフランスの保護国となり、1880年に植民地となった。 面積1,590km²、人口227,807人(2007年)。最大都市はタヒチ島のパペーテ。 Flag of the Society Islands.svg|ソシエテ諸島の旗 File:Tahiti ISS007 14626.jpg|タヒチ島 File:Papeete - Marina Taina.JPG|フランス領ポリネシアおよびタヒチ島の首都パペーテ File:Moorea - Vue avion (1).JPG|モーレア島 File:Bora Bora ISS006.jpg|ボラボラ島 ファイル:Bora Bora.jpg|ボラボラ島 File:A view from the AR 72 airplane (Over Society Islands - French Polynesia).jpg|ライアテア島 File:Huahine.JPG|フアヒネ島 * Category:フランス領ポリネシアの島 Category:太平洋の諸島 Category:フランス語圏.

20 関係: 南太平洋島嶼保護国マウピティ島モーレア島ライアテア島リーワード諸島 (ソシエテ諸島)ボラボラ島パペーテツパイ島テティアロア島フランスフランス領ポリネシアフアヒネ島ウィンドワード諸島 (ソシエテ諸島)ジェームズ・クックタハア島タヒチ島王立協会植民地

南太平洋

南太平洋(みなみたいへいよう).

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島嶼

バルト海の島々 島嶼(とうしょ)とは大小さまざまな島のこと。中国語では「島」とは別に小島を意味する「嶼」という言葉があり、これらをつなげて様々な大きさの島を意味する言葉ができた。常用外であることもあり、しばしば「島しょ」と表記される。 狭い地域に集中する2つ以上の島嶼の集まりを「島嶼群」、島嶼群の集まり、もしくは大規模な島嶼群を「諸島」という。諸島のうち列状に並ぶものは「列島」、塊状の形状をなすものは「群島」と呼ばれる。.

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保護国

保護国(ほごこく、protectorat、protectorate)とは、保護を名分とした条約により、他国に干渉、とくに外交処理を代わりに行う国家を指す。保護される国家は被保護国、両国の関係を保護関係という。単に保護国といった場合、被保護国を指す場合もある。近世以来、帝国主義国家が植民地を支配するときにとった統治形態である。被保護国は条約で定められた範囲でのみ拘束され、それ以外では相手国とは独立した関係にある点で付庸国とは異なる。また対象となる地域に国家が存在しない場合は「保護領」とも呼ばれるが、英語・フランス語などでは特に区別されない。.

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マウピティ島

マウピティ島(Maupiti)は、フランス領ポリネシアに属する島。リーワード諸島に属し、ボラボラ島の西37kmの地点に位置する。人口1200人(2007年)、面積11km。マウピティ島は実際には裾礁であり、中央にあるヌウウプレ山を中心とする山岳のある主島と、それを取り巻く環礁からなり、両者の間には礁湖が広がっている。.

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モーレア島

モーレア島クック湾。 モーレア島(モーレアとう)は、フランス領ポリネシア、ソシエテ諸島の島の一つである。.

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ライアテア島

ライアテア島(ライアテアとう、Raiatea)は、フランス領ポリネシアに属する島。リーワード諸島に属し、リーワード諸島の主島である。北のタハア島とは同じラグーンに属し、きわめて近接している。人口12024人(2007年)、面積167.7km。ソシエテ諸島でもタヒチ島に次ぐ面積を持ち、ウィンドワード諸島の主島であるタヒチ島に対抗するソシエテ諸島第2の島である。中心となる都市(コミューン)はウツロア。ウツロアにはリーワード諸島を管轄する官庁や企業が集まっており、リーワード諸島の中心となっている。他にタプタプアテアとTūmāra'aの2つのコミューンを有する。 ライアテア島は山がちな島であり、最高峰のテファツア山は標高1017mに達する。このためライアテア島の海岸は海に急に落ち込んでおり、遠浅の海岸が存在しない。そのかわり、周辺に点在する小島には砂浜が広がっており、観光客が多く訪れる。 ライアテア島は神話ではポリネシア人発祥の地とされており、ここからポリネシア人は各地へ移住していったとされる。ライアテア島は伝統的に反中央意識が強く独立心が旺盛とされ、タヒチを中心とするポマレ王朝がフランスに滅ぼされたのちも最後まで抵抗をつづけたのがライアテア島だった。 産業としてはバニラ栽培や黒真珠の養殖のほか、最近では観光産業も育ちつつある。良港が多いため、ヨットの寄港地として知られている。.

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リーワード諸島 (ソシエテ諸島)

リーワード諸島(リーワードしょとう、Leeward Islands、îles Sous-le-Vent)は、南太平洋に位置する諸島。フランス領ポリネシアの一部であり、ウィンドワード諸島とともにソシエテ諸島を構成している。 リーワード諸島を最初に発見したヨーロッパ人は、金星の太陽面通過を観測するために訪れたジェームス・クックらのイギリスの探検隊で、1769年4月12日のことであった。クックはこの最初の航海(後に、二度リーワード諸島を訪れることとなる)において、王立協会(Royal Society)に敬意を表して一帯をソサエティ諸島(Society Islands)と命名し、このうち北西部をリーワード(Leeward:風下の意)諸島、南東部をウィンドワード(Windward:風上の意)諸島と名づけた。その後、ウィンドワード諸島から8年遅れて1888年にフランスの居留地となり、多くの苦難の経て1897年に併合された。 リーワード諸島は、山がちで火山岩の好例となっており、粗面岩、粗粒玄武岩、玄武岩で覆われている。サンゴ層によって山が持ち上げられているほか、溶岩を様々な形で見ることができる。リーワード諸島の火山活動は長年にわたって活動をしていないため、噴火口は侵食によってほぼ完全に消えてしまっている。 リーワード諸島で見られる植物として、パンノキ、パンダナス、ココナッツ、ココヤシがある。陸上動物は限られており、野生のブタ、ネズミ、トカゲ程度である。また、魚類については、陸上こそわずかな種類の淡水魚が存在しているのみだが、島を取り囲むサンゴ礁には数多くの種類が棲息している。リーワード諸島の主な特産物は、コプラ、砂糖、ラム酒、真珠母貝、バニラなどがある。観光業も島の経済に非常に重要となっている。.

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ボラボラ島

ボラボラ島(タヒチ語:Bora Bora)は、フランス領ポリネシアのソシエテ諸島にある島である。.

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パペーテ

パペーテ(Papeete)は、南太平洋ポリネシアにある、フランス領ポリネシアおよびタヒチ島の首都である。タヒチ島に位置する。.

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ツパイ島

国際宇宙ステーションから撮影したツパイ島 ツパイ島(L'île de TUPAI)(Tupai)は、フランス領ポリネシア・ボラボラ島の北側に位置する島。上空(島の東側)から見るとハートの形をしており、その神秘的な美しさと島の形から、旅行のパンフレットなどに掲載される事もある。 しかしながら、この島は無人島であるため、船・航空機などの定期便や航路は無い。天候が良ければ、パペーテ・タヒチ国際空港からボラボラ島に到着する航空機の機内から見る事ができるが、飛行航路や天候などの影響が大きいため、必ずではない。 一方、最も近いボラボラ島から、ヘリコプターでの遊覧飛行があり、これを利用する観光客も多い。ただし、ボラボラ島からは約20km離れているため、30分以上の時間が必要である。.

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テティアロア島

テティアロア島(Tetiaroa)は、フランス領ポリネシアに属する諸島。.

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フランス

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランス(France)は、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌ(本土)は地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がる。 2、人口は6,6600000人である。-->.

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フランス領ポリネシア

フランス領ポリネシア(Polynésie française)は、南太平洋にあるフランスの海外共同体(Collectivité d'outre-mer、略してCOM:英語:overseas collectivity、海外準県)であり、その中でも海外領邦(仏語:Pays d'outre-mer、略してPOM:英語:Overseas Country)という特別な地位を有している。ポリネシアのいくつかの諸島からなる。 ソシエテ諸島のタヒチ島は、リゾート地として最も有名な島で、フランス領ポリネシアの中心地でもある。タヒチの面積は1,608kmの火山島でオロヘナ山(2,237m)が最も高い山。人口も最大であり、行政所在地パペーテがある。コプラ、ノニ(ヤエヤマアオキ)、真珠母貝、黒蝶貝真珠(黒真珠)、バニラ、果汁、マグロなどを産出する。.

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フアヒネ島

フアヒネ島(フアヒネとう、Huahine)は、フランス領ポリネシアに属する島。リーワード諸島に属し、フランス領ポリネシアの主島であるタヒチ島はここから南東170kmの地点にある。人口5999人(2007年)、面積74.8km。フアヒネ島は北のフアヒネ・ヌイ(大フアヒネ)島と、南のフアヒネ・イティ(小フアヒネ)とに分かれており、両島の間は砂州でつながっている。.

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ウィンドワード諸島 (ソシエテ諸島)

ウィンドワード諸島(ウィンドワードしょとう、Windward Islands)は、フランス領ポリネシアに属する諸島。リーワード諸島とともにソシエテ諸島を構成している。人口194,623人 (2007年)、面積163km。フランス領ポリネシアの主島であるタヒチ島はこの諸島に属している。 ウィンドワード諸島には、マイアオ島、タヒチ島、モーレア島、テティアロア島、メヘティア島の5島が存在する。.

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ジェームズ・クック

ェームズ・クック(、 1728年10月27日 - 1779年2月14日)は、イギリスの海軍士官、海洋探検家、海図製作者。通称キャプテン・クック (Captain Cook)。 一介の水兵から、英国海軍の (Post Captain) に昇りつめたネルソンの時代(1800年前後)の英国海軍には、水兵から士官(海尉と航海長を指すと思われる)に這い上がった男が120人存在し、そのうちの22人が勅任艦長となり、22人のうちの3人が提督、最終的には海軍大将まで上り詰めた(「風雲の出帆 - 海の覇者トマス・キッド 1」、ハヤカワ文庫、2002年、508頁、訳者の大森洋子によるあとがき)。1814年、ナポレオン戦争が終わろうとしていた年、最大規模にあった英国海軍は、戦列艦99隻、フリゲイト以下505隻を現役で運用し、乗組みの下士官兵は20万人を超えていたと思われる。指揮する士官は、将官が220名、勅任艦長が860名、海尉艦長が870名、海尉級の士官が4,200名を超えていた(「セーヌ湾の反乱 - 海の男ホーンブロワーシリーズ 9」ハヤカワ文庫、2008年15刷、410頁、訳者の高橋泰邦によるあとがき)。。 太平洋に3回の航海を行い、オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し(第2回航海)、ニューファンドランド島とニュージーランドの海図を作製した。史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航を成し遂げた(第1回航海)。 10代を石炭運搬の商船船員として過ごした後、1755年に英国海軍に水兵として志願し、七年戦争に加わった。船員としての能力を認められたクックは1757年に士官待遇のに昇進し当時の英国海軍では、現在の海軍に通じる、『艦長(勅任艦長 Post Captain、海尉艦長 Commander、軍艦を指揮する海尉 Commanding Lieutenant)→ 海尉 Lieutenant → 士官候補生 Midshipmen → 下士官兵』の指揮系列と、『航海長 Master → 航海士 Master's Mate → 下士官兵』の指揮系列が併存していた。航海長は、複雑極まる帆船の操船、海図の管理の責任を持ち、艦長らの正規海軍士官を戦闘に専念させるための職であった。航海長は、正規の指揮権を有さないものの、艦内での待遇や俸給は海尉と同等であった。現代の海軍とは異なり、航海長の方が艦長より年長で、海上勤務年数が長いことが珍しくなかった。 、英国軍艦Solebay号の航海長として、セントローレンス川の河口域を綿密に測量し海図を作成した。クックの作成した海図はウルフ将軍のケベック奇襲上陸作戦(1759年)の成功を導き、クックの存在は英国海軍本部と英国王立協会に注目されることとなった。クックは南方大陸探索の命を受けて、英国軍艦エンデバー号を指揮し、1766年に第1回航海に出帆した。 クックは多数の地域を正確に測量し、いくつかの島や海岸線をヨーロッパに初めて報告した。クックの幾多の偉大な功績をもたらしたのは、卓越した航海術、すぐれた調査と地図作成技術、真実を確かめるためには危険な地域も探検する勇気(南極圏への突入、グレートバリアリーフ周辺の探検など)、逆境での統率力、海軍省の指令の枠に納まらない探検範囲と気宇の壮大さ、これらのすべてであったと言えよう。また壊血病の予防に尽力し表彰されている。 第3回航海の途上、ハワイ島で先住民との争いによって1779年に落命した。 かつてニュージーランドで発行されていた10シリング(1940年 - 1955年)、5ポンド・10ポンド紙幣(1956年 - 1967年)に肖像が使用されていた。.

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タハア島

タハア島(Tahaa)は、フランス領ポリネシアに属する島。リーワード諸島に属し、リーワード諸島の主島であるライアテア島とは同じラグーンに属し、きわめて近接している。人口5003人(2007年)、面積90km。タハア島はバニラの栽培で知られ、バニラ・アイランドとの通称もあるほか、黒真珠の養殖やコプラの生産も行われている。.

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タヒチ島

タヒチ島(タヒチとう、Tahiti)は、南太平洋フランス領ポリネシアに属するソシエテ諸島にある島。首都はパペーテ。面積1,048 km、人口約17万人(2002年推計)。南太平洋有数のリゾート地として知られる。冒険家ヘイエルダールの逸話や、画家ゴーギャンが晩年移り住んだ島としても有名。かつてオタハイト島(Otaheite)とも呼ばれた。標準時UTC-10。.

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王立協会

イヤル・ソサイエティ(Royal Society)は、現存する最も古い科学学会。1660年に国王チャールズ2世の勅許を得て設立された。正式名称は"The President, Council, and Fellows of the Royal Society of London for Improving Natural Knowledge"(自然知識を促進するためのロンドン王立協会)。日本語訳ではロンドン王立協会(-おうりつきょうかい)、王立学会(おうりつがっかい)など。 この会は任意団体ではあるが、イギリスの事実上の学士院(アカデミー)としてイギリスにおける科学者の団体の頂点にあたる。また、科学審議会(Science Council)の一翼をになうことによって、イギリスの科学の運営および行政にも大いに影響をもっている。1782年創立の王立アイルランドアカデミーと密接な関係があり、1783年創立のエジンバラ王立協会とは関係が薄い。.

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植民地

植民地(しょくみんち、殖民地とも)とは、国外に移住者が移り住み、当事国政府の支配下にある領土のことで統治領(とうちりょう)とも呼ばれる。 古代史にはフェニキアや古代ギリシアにも見られるが多くは植民元との関係は維持しつつ独立した体制となっており、侵略によって獲得した海外領土の類型は古代ローマに見られる。近年はヴェネチアなどが行った東地中海における植民地経営をそれ以降の植民地支配と連続した流れと考える向きもある。 以下では16世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が侵略によって獲得した海外領土を主として扱う。近現代においては、本国政府の憲法や諸法令が原則として施行されず、本国と異なる法的地位にあり、本国に従属する領土を植民地という。 また、植民地に対して従属させて、それらを所有している本国のことは「宗主国」と呼ばれる。.

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