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シビュルティオス

索引 シビュルティオス

シビュルティオス(希:Σιβύρτιος、ラテン文字転記:Sibyrtios、紀元前4世紀、生没年不明)はアレクサンドロス3世に仕えた家臣である。 シビュルティオスはクレタの人である。アレクサンドロス3世の東征時の紀元前326年、シビュルティオスはカルマニア太守に任命されたが、ゲドロシア太守トアスの死、彼の後任者となったアラコシア太守メノンの直後の死によって、アラコシアとゲドロシアの太守に転任した。 アレクサンドロス死後のバビロン会議にて、シビュルティオスは太守位を維持し、二度目のトリパラディソスの軍会でも同様であった。紀元前317年、メディア太守ペイトンがパルティアに侵攻した時は、ペルシス太守ペウケスタスらと共に団結してペイトンと戦い、彼を破った。同年、ペウケスタスがエウメネスにスシアナで合流した時、シビュルティオスもそれに同行した。シビュルティオスはペウケスタスと親友同士であったが、このことがペウケスタスと指揮権を争っていたエウメネスとの軋轢を生み、敵対者を威圧して指揮権を完全に掌握しようとしたエウメネスはシビュルティオスを裁判に引き立ようとしたが、シビュルティオスは逃走し、おそらくエウメネスの敵アンティゴノスの許に走った。

目次

  1. 35 関係: 岩波文庫京都大学学術出版会ペイトンペウケスタスチャンドラグプタ (マウリヤ朝)バビロン会議メノン (アラコシア太守)メディア王国メガステネスラテン文字トリパラディソスの軍会プロジェクト・グーテンベルクパルティアファールス州アレクサンドロス3世アレクサンドロス東征記アンティゴノス1世アッリアノスインドエラムカルディアのエウメネスギリシア語クレタ島シケリアのディオドロスセレウコス1世セレウコス朝サトラップ紀元前303年紀元前317年紀元前326年銀楯隊西洋古典叢書森谷公俊歴史家河出書房新社

  2. アレクサンドロス3世の将軍

岩波文庫

岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。

見る シビュルティオスと岩波文庫

京都大学学術出版会

一般社団法人京都大学学術出版会(きょうとだいがくがくじゅつしゅっぱんかい、英称:Kyoto University Press)は、京都大学の出版部に当たる一般社団法人で、大学出版部協会の会員。主として京都大学における学術的成果を出版活動を通じて公表・普及することを目的とする。現会長は湊長博、理事長は足立芳宏。同会の出版活動に対して、第17回梓会新聞社学芸文化賞、梓会出版文化賞第20回記念特別賞、2011年度地中海学会賞が授与された。また、本出版会から刊行された多くの書籍が、各種の学会賞を受賞した。

見る シビュルティオスと京都大学学術出版会

ペイトン

ペイトンあるいはピトン(希:Πείθων / Πίθων, ラテン文字転記:Peithon / Pithon, 紀元前355年頃 - 紀元前316年)はアレクサンドロス3世に仕えたマケドニアの将軍で、ディアドコイの一人である。

見る シビュルティオスとペイトン

ペウケスタス

ペウケスタス(希:Πευκεστας、ラテン文字転記:Peucestas、紀元前4世紀)はアレクサンドロス3世(大王)に仕えたマケドニアの将軍である。彼はアレクサンドロス(大王とは別人)の子であり、マケドニアのミエザの生まれである。

見る シビュルティオスとペウケスタス

チャンドラグプタ (マウリヤ朝)

チャンドラグプタ(चन्द्रगुप्त मौर्य 転写: Chandragupta maurya、漢:旃陀羅堀(掘)多、月護王、紀元前340年頃 - 紀元前298年頃)は、古代インドのマガダ国に栄えたマウリヤ朝の初代ラージャ(在位:紀元前317年頃 - 紀元前298年頃)。ギリシア人の史料にはサンドロクプトス(Σανδρόκυπτος 転写: Sandrókuptos)またはサンドロコットス(Sandrokottos)として記録されている。

見る シビュルティオスとチャンドラグプタ (マウリヤ朝)

バビロン会議

バビロン会議(バビロンかいぎ)は、紀元前323年のアレクサンドロス3世(大王)死後間もなく開催された、大王の遺将たち(ディアドコイ)による領土分割を決定した会議である。

見る シビュルティオスとバビロン会議

メノン (アラコシア太守)

メノン(メノーン、希:Mενων、ラテン文字転記:Menon、? - 紀元前325年)は、マケドニア王アレクサンドロス3世の家臣であり、彼によってアラコシア太守に任じられた人物である。 アレクサンドロス3世の東征中、メノンは王によって紀元前330年にドランガイ人、ガドロソイ人、アラコタイ人の太守に任じられ、歩兵4000と騎兵600と共に残された。紀元前325年にメノンは死に、その地位はシビュルティオスによって引き継がれた。

見る シビュルティオスとメノン (アラコシア太守)

メディア王国

メディア王国(メディアおうこく、Media、、、アッカド語:Mādāya)はかつて存在した古代イランの王国である。 メディア地方は現在のイラン北西部、ハマダーン周辺を中心とする地域であり、前1千年紀にはインド・ヨーロッパ語を話す人々が居住するようになっていた。この中からメディア人と呼ばれるようになる人々が登場する。メディア人は当時の西アジアの大国アッシリアの記録で初めて歴史に登場し、前612年頃のアッシリアの滅亡の後には新バビロニア、エジプト、リュディアと共に古代オリエント世界の大国を形成したと言われている。 主としてヘロドトスなどギリシア人作家の記録によってメディアの歴史が伝えられているが、メディア人自身による歴史記録が存在せず、考古学的調査も不十分であるため、その実態についてわかっていることは少なく、実際に「王国」と呼べるような組織として成立していたのかどうかも定かではない。前550年にハカーマニシュ朝(アケメネス朝)のクル2世(キュロス2世)によって破られその帝国に組み込まれたと考えられるが、メディア人の制度・文化は後のイラン世界に大きな影響を残したと想定されており、また地名としてのメディアは後の時代まで使用され続けた。

見る シビュルティオスとメディア王国

メガステネス

メガステネス(Μεγασθένης・Megasthénēs、生没年未詳、紀元前4世紀末頃)は、セレウコス朝に仕えたギリシア人。セレウコス朝とマウリヤ朝の間で協定が結ばれた後、使者としてマウリヤ朝へ赴き、当時のインドの内情を記した『』(Indika、Ἰνδικά|、Indica)を著した。

見る シビュルティオスとメガステネス

ラテン文字

ラテン文字(ラテンもじ、、、ラテンアルファベット)とは、ラテン語や英語などの子音か、または母音の表記に用い、アルファベットに類する文字である。元来、ラテン語の文字であり、古代ラテン人つまり、広義のローマ人が用いたことからローマ文字(ローマもじ)、ローマ字(ローマじ、、)とも呼ばれる。今日、人類社会で最も使用者人口が多い文字である。なお日本語においてローマ字といえば、転じて日本語のラテン文字による転写を指すことが一般である。

見る シビュルティオスとラテン文字

トリパラディソスの軍会

トリパラディソスの軍会(トリパラディソスのぐんかい、Pacto de Triparadiso)は、紀元前321年にシリアのオロンテス川近くの都市トリパラディソスにて行われたアレクサンドロス3世(大王)の遺将たち(ディアドコイ)の権力分割の協定である。それは紀元前323年に大王の死後に開かれたバビロン会議での決定を修正したものであった。

見る シビュルティオスとトリパラディソスの軍会

プロジェクト・グーテンベルク

プロジェクト・グーテンベルク(Project Gutenberg、略称PG)は、著者の死後一定期間が経過し、(アメリカ著作権法下で)著作権の切れた名作などの全文を電子化して、インターネット上で公開するという計画。1971年創始であり、最も歴史ある電子図書館。印刷の父、ヨハネス・グーテンベルクの名を冠し、人類に対する貢献を目指している。

見る シビュルティオスとプロジェクト・グーテンベルク

パルティア

パルティア(Parthia、紀元前247年 - 紀元後224年)は、古代イランの王朝。王朝の名前からアルサケス朝(アルシャク朝)とも呼ばれ、日本語ではしばしばアルサケス朝パルティアという名前でも表記される。古代中国では安息と呼称された。 前3世紀半ばに中央アジアの遊牧民の族長アルサケス1世(アルシャク1世)によって建国され、ミトラダテス1世(ミフルダート1世、在位:前171年-前138年)の時代以降、現在のイラク、トルコ東部、イラン、トルクメニスタン、アフガニスタン西部、パキスタン西部にあたる、西アジアの広い範囲を支配下に置いた。前1世紀以降、地中海世界で勢力を拡大するローマと衝突し、特にアルメニアやシリア、メソポタミア、バビロニアの支配を巡って争った。末期には王位継承を巡る内乱の中で自立したペルシスの支配者アルダシール1世(在位:226年-240年)によって滅ぼされ、新たに勃興したサーサーン朝に取って代わられた。

見る シビュルティオスとパルティア

ファールス州

ファールス州(ファールスしゅう、استان فارس Ostān-e Fārs)はイランの州(オスターン)。州都はシーラーズ。面積は122,400km²。ペルシア人の故地であり、2016年現在、人口は4,851,274人。

見る シビュルティオスとファールス州

アレクサンドロス3世

アレクサンドロス3世(Ἀλέξανδρος Γ'、紀元前356年7月20日 - 紀元前323年6月10日)、通称アレクサンドロス大王(Ἀλέξανδρος ὁ Μέγας)は、古代ギリシャのアルゲアス朝マケドニア王国のバシレウス(王)(在位:紀元前336年 - 紀元前323年)である。また、コリントス同盟(ヘラス同盟)の盟主、エジプトのファラオも兼ねた。 ヘーラクレースとアキレウスを祖に持つとされ、ギリシアにおける最高の家系的栄誉と共に生まれた。ギリシア語ではアレクサンドロス大王であるが、ドイツ語風に読んでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。アラビア語やペルシア語ではイスカンダルと呼ばれている。

見る シビュルティオスとアレクサンドロス3世

アレクサンドロス東征記

『アレクサンドロス東征記』(Anabasis Alexandri、Ἀλεξάνδρου ἀνάβασις )は、2世紀にアッリアノスにより書かれた、アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)の東征の記録である。 ギリシャ語 anabasis は、海辺から内陸までの遠征を指すので(これに対し katabasis は「内陸から海辺への旅」を意味する)、原題の字義通りの意味は『アレクサンドロスの内陸への遠征』である。 著者アッリアノスは、アレクサンドロス3世の軍の指揮官で彼の後継者の一人であるプトレマイオス1世の書いたアレクサンドロス3世の伝記『アレクサンドロス大王伝』などの資料をもとに本書を記した。本書は、アレクサンドロス3世の遠征に関して現存する数少ない完全な報告書の一つであり、アレクサンドロス3世に関する評伝の中で最も重要なものと評されている。ただし、本書は軍事的記述を中心とする歴史書であり、アレクサンドロスの私生活やギリシャの政治における彼の役割などに関してはほとんど記載されていない。

見る シビュルティオスとアレクサンドロス東征記

アンティゴノス1世

アンティゴノス1世(Αντίγονος Α'、Antigonus I、紀元前382年 - 紀元前301年)は、古代マケドニアのアレクサンドロス3世(大王)に仕えた将軍。その死後は後継者(ディアドコイ)の一人となり、アンティゴノス朝を開き初代の王となった(在位:紀元前306年 - 同301年)。また隻眼であった(戦傷によるものといわれている)ため、モノフタルモス(Μονόφθαλμος、Monophthalmos、隻眼の意)とあだ名された。コインの肖像が右向きのことなどから、左目を失っていたと推測されている。

見る シビュルティオスとアンティゴノス1世

アッリアノス

ルキウス・フラウィオス・アッリアノス・クセノフォン(Ἀρριανός、Lucius Flavius Arrianus Xenophon)は、2世紀のローマのギリシア人の政治家、歴史家である。アリアノスまたはアリアヌスとも表記する。アレクサンドロス3世(大王)の東征研究の一級の史料『アレクサンドロス東征記』(Ἀλεξάνδρου ἀνάβασις/Alexandrou anabasis、直訳すれば『アレクサンドロスのアナバシス』)の著者として有名である。

見る シビュルティオスとアッリアノス

インド

インド(भारत、India)インド憲法上の正式名称。 またはインド共和国(インドきょうわこく、भारत गणराज्य、Republic of India)ヒンディー語の名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ)を日本語訳したもの。 は、南アジアに位置し、インド亜大陸の大半を領してインド洋に面する連邦共和制国家。首都はデリー(ニューデリー)、最大都市はムンバイ。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、ミャンマー、バングラデシュと国境を接する。海を挟んでインド本土がスリランカやモルディブと、インド洋東部のアンダマン・ニコバル諸島がインドネシアやタイ南部、マレーシアに近接している。

見る シビュルティオスとインド

エラム

エラム諸王朝の領域 エラム(Elam)は、古代オリエントで栄えた国家、または地方の名。紀元前3200年頃から紀元前539年までの間、複数の古代世界の列強国を出現させた。

見る シビュルティオスとエラム

カルディアのエウメネス

エウメネス(, 紀元前362年? - 紀元前316年)は、マケドニア王国のアレクサンドロス大王に仕えた古代ギリシアの人物。 出身は(今日のトルコ領ゲリボル半島)の都市国家カルディアで、書物などでしばしばカルディアのエウメネス(英語ではEumenes of Cardia)と呼称される。

見る シビュルティオスとカルディアのエウメネス

ギリシア語

(Ελληνικά、または Ελληνική γλώσσα)は、インド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派(ギリシア語派)に属する言語。 単独でヘレニック語派(ギリシア語派)を形成する。 ギリシャ共和国やキプロス共和国、イスタンブールの居住区などで使用されており、話者は約1200万人。 また、ラテン語とともに学名や各分野の専門用語にも使用されている。 漢字に転写し希臘語、さらにそれを省略し希語などと記される なお、ヘブライ語(希伯来語)も希語と省略しうるが、現状、希語は、もっぱらギリシア語の意味で使われる。。 諸地域における共通言語の一つとして3000年以上もの間、日常言語、あるいは文学作品や公式記録、外交文書の言語として重要な役割を果たしている。

見る シビュルティオスとギリシア語

クレタ島

クレタ島(クレタとう、Κρήτη / Kriti; Crete)は、ギリシャ共和国南方の地中海に浮かぶ同国最大の島。古代ミノア文明が栄えた土地で、クノッソス宮殿をはじめとする多くの遺跡を持つ。また、温暖な気候や自然景観から地中海の代表的な観光地でもある。 クレタ島は島全体で、ギリシャ共和国の広域自治体であるペリフェリア(地方)を構成する。首府はイラクリオ(イラクリオン)。

見る シビュルティオスとクレタ島

シケリアのディオドロス

シケリアのディオドロス (Διόδωρος Σικελιώτης, Diódôros Sikeliôtès, ディオドーロス・シケリオーテス, ラテン語名 Diodorus Siculus, ディオドルス・シクルス, 紀元前1世紀)は、シケリア(シチリア)島で生まれた古代ギリシアの歴史家である。

見る シビュルティオスとシケリアのディオドロス

セレウコス1世

セレウコス1世(、紀元前358年 - 紀元前281年)は、セレウコス朝の創始者(在位:紀元前312年 - 紀元前281年)。ニカトール(Νικάτωρ、勝利王)と綽名された。

見る シビュルティオスとセレウコス1世

セレウコス朝

セレウコス朝(セレウコスちょう、Αυτοκρατορία των Σελευκιδών、紀元前312年 - 紀元前63年)は、アレクサンドロス大王のディアドコイ(後継者)の一人、セレウコス1世ニカトルがシリア、バビロニア、アナトリア、イラン高原、バクトリアに跨る地域に築いた王国。プトレマイオス朝やアンティゴノス朝と共に、いわゆるヘレニズム国家の1つとされる。セレウコス朝シリア、シリア王国とも。

見る シビュルティオスとセレウコス朝

サトラップ

サトラップは、古代メディア王国・アケメネス朝ペルシア王国及び、その政治体制を受け継ぐ諸国で用いられた州の行政官を指す称号である。サーサーン朝やヘレニズム要素の強い帝国でも用いられた。太守、総督とも訳される。 サトラップは古代ペルシア語の xšaçapāvan(フシャスラバーワン、州の守護者)から来ている。 xšaça が領域や州を示す言葉で、pāvan が守るものという意味である。この語をギリシア語に借用した σατράπης (サトラペース)から語尾を抜いてサトラップという言葉になった。現代ペルシア語でもساتراپ(サートラープ)と表記される。 現在では、超大国・覇権国の動向に極めて強い影響を受ける指導者のことを比喩的に「サトラップ」と呼ぶことがある。

見る シビュルティオスとサトラップ

紀元前303年

紀元前303年(きげんぜん303ねん)は、ローマ暦の年である。 当時は、「セルウィウス・コルネリウス・レントゥルスとルキウス・ゲヌキウス・アウェンティネンシスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元451年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前303年と表記されるのが一般的となった。

見る シビュルティオスと紀元前303年

紀元前317年

紀元前317年(きげんぜん317ねん)は、ローマ暦の年である。 当時は、「ブルトゥスとバルブラが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元437年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前317年と表記されるのが一般的となった。

見る シビュルティオスと紀元前317年

紀元前326年

紀元前326年(きげんぜん326ねん)は、ローマ暦の年である。 当時は、「ウィソルスとクルソルが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元428年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前326年と表記されるのが一般的となった。

見る シビュルティオスと紀元前326年

銀楯隊

銀楯隊(ぎんじゅんたい)、またはアルギュラスピデス(希:Αργυράσπιδες, ラテン文字表記:Argyraspides)は、マケドニアおよびその後継国家で編成された歩兵部隊である。

見る シビュルティオスと銀楯隊

西洋古典叢書

西洋古典叢書(せいようこてんそうしょ)は、京都大学学術出版会で出版している、西洋古典(ギリシア語・ラテン語著作 - 京都大学学術出版会)の翻訳叢書。1997年に刊行開始。

見る シビュルティオスと西洋古典叢書

森谷公俊

森谷 公俊(もりたに きみとし、1956年 - )は、日本の歴史学者。帝京大学文学部名誉教授。

見る シビュルティオスと森谷公俊

歴史家

歴史学者(れきしがくしゃ)は、歴史を後世に残すべく、叙述(文章化)する人のことである。また、残された史料を元に歴史を研究し、その成果を論文や著作として著す人の事も指す。

見る シビュルティオスと歴史家

河出書房新社

株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本の出版社である。 本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にあるが、2024年3月に移転(5月7日より新宿区東五軒町2-13)が公表された。 3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1 - 3(短歌研究社、2004年 - 2006年)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。

見る シビュルティオスと河出書房新社

参考情報

アレクサンドロス3世の将軍