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ザンベジ州

索引 ザンベジ州

ンベジ州(Zambezi Region)は、ナミビアの州。南にボツワナ、北にアンゴラとザンビアが接する。州都はカティマ・ムリロ。後述のように、2013年8月8日にそれまでのカプリビ州から改称された。州名は国境を流れるザンベジ川にちなむ。.

19 関係: 南西アフリカ人民機構中央アフリカ時間ナミビアバントゥースタンロジ族ンゴマ (ナミビア)ボツワナヘルゴランド=ザンジバル条約ドイツ領南西アフリカアンゴライギリスカプリビ回廊カティマ・ムリロザンビアザンベジ川ジンバブエ国道B8号 (ナミビア)第一次世界大戦1890年

南西アフリカ人民機構

南西アフリカ人民機構(なんせいアフリカじんみんきこう、South-West Africa People's Organisation、SWAPO)は、ナミビアの政党。もとはナミビアがドイツ領であった第一次世界大戦中に独立運動を行っていた勢力が、大戦後に勢力を結集してできた武装組織。1960年代に強硬派武装組織から大衆組織へと改組され、合法的手段で(時に武力を用いることもあったが)独立を求めるようになった。 ナミビア北部に居住するオバンボ人中心の組織で、ドイツ撤退後の南アフリカによる統治にも反抗し、国際社会に人権状況を訴えるなどした。1966年からザンビアを拠点にナミビア独立戦争を開始し、1973年の国際連合総会でナミビア代表として認められた。 闘争当初はオバンボ人とオヴィンブンド人が文化的に近かったこともあり、隣国アンゴラの独立勢力の一派だったオヴィンブンド人主体のアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)と親密な関係にあったが、アンゴラ独立後にUNITAが冷戦を背景に国際化するアンゴラ内戦の文脈の中で、SWAPOの仇敵の南アフリカとの同盟を図るとSWAPOとUNITAの関係は冷却化し、SWAPOは南アフリカと戦うアンゴラ解放人民運動(MPLA)との友好関係を強化して1976年6月にアンゴラの首都ルアンダに本拠地を移転した。 SWAPOはアンゴラを拠点に、アンゴラに展開していたキューバ軍やアンゴラ政府軍と共に南アフリカ国防軍やUNITAと戦った。1988年にキューバ軍のアンゴラ撤退とナミビアの独立をリンクさせるリンケージ政策がアンゴラ、南アフリカ、キューバ政府の間で認められたこともあり、1991年7月までの間にキューバ軍が撤退することとナミビアの独立を認めることが承認された。 1990年にナミビアが独立を達成すると、SWAPO議長のサム・ヌジョマが初代大統領に選出され、SWAPOは政党となった。同国では独立以来ヌジョマSWAPO政権が続いた。また中道左派・社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルに加盟した。 2004年11月15日から16日に行われた大統領選で、ヌジョマの指名したSWAPO候補としてヒフィケプニェ・ポハンバ土地相が当選。また同時に行われた議会選でも改選72議席中55議席を獲得し、SWAPO政権の続投が確定した。 2014年11月28日、大統領3選禁止の規定に伴い、ポハンバを除いた大統領選が行われた。2012年から二度目の首相職を務めていたSWAPO副代表のハーゲ・ガインゴブが当選し、さらなるSWAPO政権の長期化が決定した。ガインゴブの任期は2015年3月21日から開始され、後任の首相にはサーラ・クーゴンゲルワが就任した。同時にガインゴブがSWAPO議長代行に就任し、2017年11月に正式にSWAPO議長に選出された。.

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中央アフリカ時間

中央アフリカ時間(ちゅうおうアフリカじかん、Central Africa Time - CAT)は、協定世界時 (UTC) を2時間進ませた標準時(UTC+2)で、東ヨーロッパ時間と同じ時間帯にあたる。 中央アフリカ時間は、アフリカ大陸の中部、南部で使用されている。 この時間帯を採用している国が赤道付近の地域なので、年間を通じて日の長さの大きな変化はない。したがって、サマータイムは採用していない。 中央アフリカ時間は次の国々によって使用されている。.

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ナミビア

ナミビア共和国(ナミビアきょうわこく、Republic of Namibia)、通称ナミビアは、アフリカ南西部に位置する共和制国家である。北にアンゴラ、北東にザンビア、東にボツワナ、南に南アフリカ共和国と国境を接し、西は大西洋に面する。なお、地図を一見すると接しているように見えるジンバブエとは、ザンビア、ボツワナを挟んで150メートルほど離れている。首都はウィントフック。イギリス連邦加盟国。 当初ドイツ(一部イギリス)が植民地とし、植民地時代の名称は南西アフリカ。第一次世界大戦以後は南アフリカ連邦の委任統治下に置かれていたが、第二次世界大戦後の国際連盟解散を機に国際法上違法な併合を行った。南アフリカの統治時代には同様の人種隔離政策(アパルトヘイト)が行われ、バントゥースタン(ホームランド)が置かれた。その後1966年にナミビア独立戦争が始まり、1990年に独立を達成した。.

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バントゥースタン

バントゥースタン()とは、かつて南アフリカ共和国に存在した自治区および「独立国」。南アフリカ政府によってホームランド()と呼ばれた。.

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ロジ族

族(-ぞく)はザンビア西部に住む民族。ザンビア西部州に多い。 ザンベジ川上流の氾濫原、バロツェ平原に約50万人が住んでいる。王はリトゥンガと呼ばれる。土地や家畜を初め、すべてのものが王の物とされている。 ロジ人は19世紀にロジ王国を建設し、ザンベジ川上流域に勢力を伸ばした。1890年6月27日に英国とバロツェランド協定を結び、ロジ王国は英国の保護下に入ったものの、間接統治を受け、ある程度の独立性を保ち続けていた。1964年にザンビアが独立した際、バロツェランドの自治は廃止されたが、1990年の民主化とともに再び分離・自治要求が起きている。現在でも王国組織は存在しており、リトゥンガが乾季の王宮から雨季の王宮へと移動するクオンボカ祭りはザンビアでもっとも大きな祭りである。.

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ンゴマ (ナミビア)

ンゴマ(Ngoma)は、ナミビアのザンベジ州にある村。 クワンド川にかかるンゴマ橋周辺の集落で、ボツワナとの国境地帯にあたる。カティマ・ムリロの約61km南にあり、両者は国道B8号で結ばれている。.

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ボツワナ

ボツワナ共和国(ボツワナきょうわこく)、通称ボツワナは、南部アフリカの内陸に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。南を南アフリカ共和国、西と北をナミビア、東をジンバブエ、北をザンビアに囲まれた内陸国である。なおザンビアとの国境は約150mしかなく、世界で一番短い国境線である。 首都はハボローネで、南アフリカ共和国を構成する一民族でもあるツワナ系の人々が多く住む。.

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ヘルゴランド=ザンジバル条約

ヘルゴランド=ザンジバル条約(Helgoland-Sansibar-Vertrag、Heligoland-Zanzibar Treaty)は、1890年に当時のイギリス帝国とドイツ帝国の間で結ばれた条約。イギリス側の名称でヘリゴランド=ザンジバル条約と記されているものもある。 ドイツが、東アフリカのザンジバルと北海のヘルゴラント島を交換したかのように誤解されることが多い。正確には、ドイツは北海のヘルゴラント島とカプリビ回廊(現在のナミビアのザンベジ州)、及びドイツ領東アフリカの核となるダルエスサラームの海岸を獲得した(後のタンガニーカ、現在のタンザニアの本土部分)。 ドイツは条約でケニア海岸沿いにある小さな保護領ウィトゥランド(Wituland、スワヒリランド Swahililand とも)の権益をイギリスに譲与しイギリス領東アフリカの一部とすることを認めた。その場所はイギリスにとって決定的なもので、ビクトリア湖に至る鉄道を建設するために必要だった。また、イギリスがザンジバルに関して取る行動について、ドイツは干渉しないことを約束した。 その後、1890年にイギリスはザンジバル・スルタン国の保護国化を宣言し、1896年のイギリス・ザンジバル戦争によって、以後実効支配した。 そのうえ、条約はドイツが関心を持っていたドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア)の権益を確定させ、ドイツ領トーゴラントとイギリス領ゴールドコースト植民地、およびドイツ領カメルーンとイギリス領ナイジェリアの国境問題を解決した。.

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ドイツ領南西アフリカ

ドイツ領南西アフリカ(ドイツりょうなんせいアフリカ、、略称:DSWA)は、かつてのドイツ植民地帝国内の植民地。1884年から1918年まで存続し、その後南アフリカ連邦に占領され南西アフリカという名称に変更、1990年にナミビアという国名で独立を果たした。面積は835,100平方キロメートルであり、当時のドイツ帝国の面積の1.5倍であった。.

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アンゴラ

アンゴラ共和国(アンゴラきょうわこく)、通称アンゴラは、アフリカ南西部に位置する共和制国家。東にザンビア、南にナミビア、北にコンゴ民主共和国と国境を接し、西は大西洋に面している。コンゴ民主共和国を挟んで飛地のカビンダが存在し、カビンダは北にコンゴ共和国と国境を接する。首都はルアンダ。 旧ポルトガル植民地であり、1961年からアンゴラ独立戦争を戦い、1975年に独立を達成した。独立後も1975年から2002年まで内戦が続いたが、内戦終結後は石油やダイヤモンドなどの豊富な資源を背景に急激な経済発展を続けている。しかし、1000万を越える敷設地雷や首都ルアンダの物価が世界一高い2009年8月28日閲覧など課題も多い。ポルトガル語諸国共同体、ポルトガル語公用語アフリカ諸国の加盟国であり、アフリカ最大のポルトガル語人口を擁する国である。.

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イギリス

レートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国で構成されている。 また、イギリスの擬人化にジョン・ブル、ブリタニアがある。.

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カプリビ回廊

プリビ回廊(カプリビかいろう、ドイツ語:Caprivizipfel、英語:Caprivi Strip)は、ナミビア共和国の東部に450km(280マイル)あまり細長く飛び出した領土。南側はボツワナ共和国に、北側はアンゴラ共和国とザンビア共和国に接し、西部でナミビアのカバンゴ州につながっている。また、クアンド川(Cuando)・リニヤンティ川(Linyanti)・チョベ川(Chobe)・ザンベジ川(Zambezi)に接している。地域で最も大きな集落は、カティマ・ムリロである。 また、行政上この地域は東側をザンベジ州に、西側をカバンゴ州に分かれている。.

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カティマ・ムリロ

ティマ・ムリロ(Katima Mulilo、ロジ語: quenches the fire、近くのザンベジ川の急流に由来)は、ナミビア北東端のカプリビ回廊に位置する町で、ザンベジ州(旧:カプリビ州)の州都。カティマ・ムリロ地方部とカティマ・ムリロ都市部の2つの選挙区からなる。略してカティマとだけ呼ばれることもある。人口は2001年で2万2134人だが、2010年には2万8100人まで増加していると推定される。ザンベジ河岸の国道B8号沿いにあり、熱帯の鳥類やサルの棲む青々とした植生が広がる。年間降水量は平均654mm。 最も近いナミビア領の町は、500km離れたルンドゥである。およそ40km東のブカロ村で、ボツワナへの道とンゴマへの道が分岐する。.

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ザンビア

記載なし。

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ザンベジ川

ンビア北西部ザンベジ近郊でのザンベジ川 ジンバブエ共和国内の主な考古遺跡と川の位置図。インゴンベ=イレデの町と初期のモノモタパ王国は、ザンベジ川を利用した交易が繁栄の契機となった。 ザンベジ川(Zambezi River)は、アフリカ南部を流れインド洋に注ぐ河川である。全長は2,750km。ナイル川、コンゴ川、ニジェール川に次ぐアフリカで4番目の長さの川である。.

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ジンバブエ

ンバブエ共和国(ジンバブエきょうわこく)、通称ジンバブエは、アフリカ大陸の南部に位置する共和制の国家である。首都はハラレ。内陸国であり、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ共和国に隣接する。なお、地図を一見すると接しているように見えるナミビアとは、ザンビア、ボツワナを挟んで150メートルほど離れている。2003年に脱退するまでイギリス連邦の加盟国だった。 初代首相、2代目大統領を務めたロバート・ムガベは1980年のジンバブエ共和国成立以来、37年の長期に渡って権力の座につき、その強権的な政治手法が指摘されてきたが、2017年11月の国防軍によるクーデターで失脚した。.

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国道B8号 (ナミビア)

国道B8号(こくどうビーはちごう、The B8、Nationalstraße B8)は、別名ゴールデンハイウェイ(Golden highway)として知られるナミビア北東部の国道。またトランスカプリビハイウェイ・トランスカラハリハイウェイの一部としても機能している。ウィントフーク方面とカプリビ回廊とを結んでいる。オタビ・トライアングルで国道B1号から分岐し、カプリビ回廊を東進してルンドゥ経由でカティマ・ムリロ東方、ンゴマ付近のザンビア国境に至る。.

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第一次世界大戦

一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称WWI)は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて戦われた世界大戦である。.

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1890年

記載なし。

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