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ケックスホルム県

索引 ケックスホルム県

ックスホルム県(‐けん、Kexholms län、Käkisalmen lääni)は、1634年から1721年まであったスウェーデン統治下のフィンランドの県。その大部分は大北方戦争の結果、ニスタット条約によりロシア帝国へ割譲された。県都ケックスホルム(フィンランド語名 カキサルミ)は現在のプリオゼルスクに当たる。フィンランド語では、カキサルミ州と呼ばれる。 県域は北はリエクサ、東はヒュルシュラに達した。ヴィボリ・ニュースロット県に隣接する。ロシア帝国への割譲後、スウェーデン側に残った領地は、ヴィボリ・ニュースロット県を再編したキュメネゴルド・ニュースロット県に編入された。 元ケックスホルム県域は、1812年に「古きフィンランド」の一部としてフィンランド大公国の一部となり、ヴィープリ州となった。しかし県の最北部は、1808年から1809年にかけての第二次ロシア・スウェーデン戦争(フィンランド戦争)までスウェーデン領に残っていた。.

19 関係: 大北方戦争リエクサロシア帝国ヴィープリ州ヴィボリ・ニュースロット県プリオゼルスクフィンランド大公国ニスタット条約カルヤラ (伝統州)キュメネゴルド・ニュースロット県スウェーデンスウェーデンの県スウェーデン=フィンランド第二次ロシア・スウェーデン戦争1634年1721年1808年1809年1812年

大北方戦争

大北方戦争(だいほっぽうせんそう、、、、、、、1700年 - 1721年)は、スウェーデンと反スウェーデン同盟(北方同盟)を結成した諸国とがスウェーデンの覇権をめぐって争った戦争であり、近世の北欧、中欧、そして東欧における重要な画期となった。.

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リエクサ

リエクサ(Lieksa)は、フィンランド、北カルヤラ県のクンタ(行政区画)。ピエリセン・カルヤラ郡に属する。人口14,396人(2003年)、面積4,067.72km2。水域面積642.94km2。人口密度3.5人/km2。公用語はフィンランド語のみ。.

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ロシア帝国

ア帝国(ロシアていこく、 ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、外満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。.

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ヴィープリ州

ヴィープリ州(Viipurin lääni、Viborgs län)は、かつて存在したフィンランドの州。1812年から1945年まで存在した。現在は、州域の多くがロシア領である。.

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ヴィボリ・ニュースロット県

ヴィボリ・ニュースロット県、ヴィボリ及びニュースロット県(Viborgs och Nyslotts län、Viipurin ja Savonlinnan lääni)は、かつて存在したスウェーデン統治下のフィンランドの県。1634年から1721年まで存在した。フィンランド語では、ヴィープリ・サヴォンリンナ州、ヴィープリ及びサヴォンリンナ州と呼ばれる。 1634年に、カレーレン県 (Karelens län、Karjalan lääni)として成立。1641年に、カレーレン県からニュースロット県 (Nyslotts län、Savonlinnan lääni)が分離して成立。この後から、カレーレン県はヴィボリ県 (Viborgs län、Viipurin lääni)と呼ばれるようになった。1658年、ヴィボリ県とニュースロット県が合併し、元の県に戻る。この時、県名はカレーレン県ではなく、2つの県名を合わせたヴィボリ・ニュースロット県となった。 大北方戦争の結果、ヴィボリ・ニュースロット県南部は、ケックスホルム県の大部分と共にロシア帝国に割譲される。そして、この2県のロシア帝国に割譲されなかった部分で、キュメネゴルド・ニュースロット県が設立された。この県は、ハット党戦争で結ばれたオーボ条約によって、1743年に県域の大部分がロシア帝国に割譲されて崩壊している。 ヴィボリ・ニュースロット県とケックスホルム県のロシア帝国に割譲された部分は、最初サンクトペテルブルク県に編入された。しかし、1744年に、ヴィボルグ県に再編された。この県は、Old Finlandとして知られるようにもなった。 オーボ条約によって崩壊したキュメネゴルド・ニュースロット県のうちスウェーデンに残された領土は、ニューランド・タヴァステフス県の一部と共に、サヴォラックス・キュメネゴルド県として再編された。 第二次ロシア・スウェーデン戦争の結果、1809年に結ばれたフレデリクスハムンの和約によって、フィンランドがロシア帝国に割譲され、フィンランド大公国が建国される。その後、1721年と1743年にロシア帝国に割譲された土地が、1812年にフィンランド大公国に割譲され、ヴィープリ州が設立された。同州は、ソビエト連邦に占領される1945年まで存続した。.

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プリオゼルスク

プリオゼルスクのランドマーク、コレラ要塞 プリオゼルスク(, 1948年までの旧称:(キャキサルミ)または (ケグズゴリム)、フィンランド語:Käkisalmi(カキサルミ)、スウェーデン語:Kexholm(ケックスホルム))は、カレリア地峡にあるロシア連邦レニングラード州の町。ラドガ湖の南西岸の島の中央、ヴオクサ川の北の支流の河口に位置する。サンクトペテルブルク=ヒートラ鉄道のプリオゼルスク駅がある。人口は20,506人(2002年)。.

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フィンランド大公国

フィンランド大公国(フィンランドたいこうこく、フィンランド語: Suomen suuriruhtinaskunta、)は、1809年から1917年まで現在のフィンランドにあった国家である。首都はヘルシンキ。.

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ニスタット条約

ニスタット条約(、)は、大北方戦争の後、1721年9月10日(旧暦で8月30日)にロシアとスウェーデンのあいだで結ばれた講和条約。現在のフィンランドのウーシカウプンキ(Uusikaupunki、スウェーデン語でニュスタード)において結ばれた。.

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カルヤラ (伝統州)

ルヤラ、もしくはカルヤラ州(Karjala、Karelen)は、フィンランドの伝統州。また、英名のKareliaから、カレリア、カレリア州と呼ばれることが多い。更に、ロシア側の東カレリア(ロシアン・カレリア)に対して、西カレリアやフィンニッシュ・カレリアと呼ばれる地域もほぼ同一の地域を示す。ただし現在、西カレリアの地域の北西はフィンランド領であるが、南東はロシア領である。この西カレリアの地域は、2千年紀の間、支配、宗教、政治において西洋の影響下にあった。東カレリアはノヴゴロド公国によって支配されており、その後もその後継国によって支配されており、西カレリアとは分かれていた。 カルヤラは、北でポフヤンマー、西側の大部分でサヴォ、南西の一部でハメ、ウーシマーの各伝統州と接している。また東側でロシアと接し、南側でフィンランド湾に面している。.

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キュメネゴルド・ニュースロット県

ュメネゴルド・ニュースロット県、キュメネゴルド及びニュースロット県 (Kymmenegårds och Nyslotts län、Savonlinnan ja Kymenkartanon lääni)は、かつて存在したスウェーデン統治下のフィンランドの県。1721年から1747年まで存在した。フィンランド語では、サヴォンリンナ・キュメンカルタノ州、サヴォンリンナ及びキュメンカルタノ州と呼ばれる。 大北方戦争後の1721年に、ニスタット条約によってヴィボリ・ニュースロット県南部とケックスホルム県はロシア帝国に割譲された。割譲後、スウェーデン領として残された領土を県域としてキュメネゴルド・ニュースロット県が設立された。ハット党戦争が1743年に終結し、オーボ条約によって県庁所在地のヴィルマンストランドを含む県の南部がロシア帝国に割譲される。この割譲によって、県庁所在地が失われたキュメネゴルド・ニュースロット県はサヴォラックス・キュメネゴルド県に再編された。この再編について、ニューランド・タヴァステフス県から一部がサヴォラックス・キュメネゴルド県に移管されている。.

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スウェーデン

ウェーデン王国(スウェーデンおうこく、スウェーデン語: )、通称スウェーデンは、北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島に位置する立憲君主制国家。首都はストックホルム。西にノルウェー、北東にフィンランドと国境を接し、南西にカテガット海峡を挟んでデンマークと近接する。東から南にはバルト海が存在し、対岸のロシアやドイツとの関わりが深い。法定最低賃金は存在しておらず、スウェーデン国外の大企業や機関投資家に経済を左右されている。.

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スウェーデンの県

ウェーデンの県(スウェーデンのけん)は、第1レベル区分の地方自治体であり、役割の異なる2種類の行政組織、レーン (län)とランスティング (Landsting)からなる。前者は国会と政府の出先機関であり、後者は県民の代表である。レーンの総数は21で、ランスティングの数は20となっている。狭義に県は、レーンのみをさしている。 行政上、コミューンを第一次コミューン (primärkommun)、ランスティングを第二次コミューン (sekundärkommun) とする呼称もあり、法的にランスティングはコミューンの集合体とされている。 ランスティングの境はレーンの境とほぼ一致し、名称も「イェムトランド県ランスティング」などとレーンの名前を関したものが多いため、ランスティングをコミューンの一種とすることは日常的にはない。ゴットランド県は島という地理的性格上、レーンがランスティングの役割も担っているので、ランスティングの数はレーンよりも一つ少なくなっている。.

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スウェーデン=フィンランド

伝承のスウェーデン.

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第二次ロシア・スウェーデン戦争

二次ロシア・スウェーデン戦争(だいにじロシア・スウェーデンせんそう、1808年 - 1809年)は、「ナポレオン戦争」に準ずるロシア帝国とスウェーデンとの戦争を指す。フィンランド戦争ともいう。フィンランドを戦場にし、スウェーデンのホルシュタイン=ゴットルプ家とロシアのホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家が開戦したこの戦争を、1788年-1790年の第一次戦争に次ぐ第二次戦争とも呼ぶ。第一次と第二次はまとめてロシア・スウェーデン戦争とも呼ばれている。.

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1634年

記載なし。

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1721年

記載なし。

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1808年

記載なし。

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1809年

記載なし。

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1812年

記載なし。

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