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グアラニーのイエズス会伝道所群

索引 グアラニーのイエズス会伝道所群

アラニーのイエズス会伝道所群(グアラニーのイエズスかいでんどうしょぐん)は、ブラジルとアルゼンチンにまたがるユネスコの世界遺産登録物件。.

19 関係: 世界遺産世界遺産センターリオグランデ・ド・スル州ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレートヌエストラ・セニョーラ・デ・サンタ・アナブラジルプランテーションパラグアイアルゼンチンイエズス会イエズス会伝道所カルロス3世 (スペイン王)キリスト教グアラニー族サン・ミゲル・ダス・ミソンイスサン・イグナシオ・ミニサンタ・マリア・ラ・マジョール国際連合教育科学文化機関福音伝道

世界遺産

世界遺産(せかいいさん、World Heritage Site)は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リスト(世界遺産一覧表)に登録された、文化財、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産が対象となっている。なお、慣例的な用法として、その中の文化遺産を世界文化遺産、自然遺産を世界自然遺産と呼ぶことがある。 なお、世界遺産の制度では正式な文書は英語とフランス語で示され、日本語文献では英語が併記されることがしばしばある一方、フランス語が併記されることは普通ないため、以下では参照しやすさを考慮して、などに依拠して、主たる用語には英語を併記しておく。.

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世界遺産センター

世界遺産センター(せかいいさんセンター、The World Heritage Centre)は、国際連合教育科学文化機関 (ユネスコ) の世界遺産委員会の事務局として機能している組織である。ユネスコ世界遺産センター(ユネスコせかいいさんセンター、The UNESCO World Heritage Centre)とも。ユネスコの文化セクターに属し、1992年にユネスコの文化遺産部から独立する形で、パリのユネスコ本部に設置された。.

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リオグランデ・ド・スル州

リオグランデ・ド・スル州(Estado de Rio Grande do Sul)は、ブラジルの最南端に位置する州である。北にサンタ・カタリーナ州、南にウルグアイ、西にアルゼンチンと国境を接しており、東は大西洋に面する。州都はポルト・アレグレ。ブラジル国内での発音は「リオグランジ・ド・スウ」 ガウーショ(牧童)によるブラジルを代表する料理シュハスコと、航空会社ヴァリグ・ブラジル航空の発祥地であり、ワインの生産も盛んである。略称は「RS」であり、州名はポルトガル語で南の大きな川を意味する。日系ブラジル人による現地日本語媒体による表記は「南大河州」である。 逆に「北の大きな川」を意味する名前のリオグランデ・ド・ノルテ州(Rio Grande do Norte)がブラジル北東部にある。略称は「RN」。.

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ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート

ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート伝道所 (Reducción de Nuestra Señora de Loreto) は、アルゼンチン・ミシオネス州カンデラリア県にあるイエズス会伝道所跡のひとつ。グアラニー族のキリスト教化などを目的として1610年に建造されたものであり、1767年のイエズス会退去令の後に放棄された。 1984年に「グアラニーのイエズス会伝道所群」の一つとしてユネスコの世界遺産に登録されたが、現在は植物が生い茂っている遺跡となっていて、サン・イグナシオ・ミニなどと比べると、保存状態が良いとはいえない。.

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ヌエストラ・セニョーラ・デ・サンタ・アナ

ヌエストラ・セニョーラ・デ・サンタ・アナ (Nuestra Señora de Santa Ana) は、スペイン植民地時代にアメリカ大陸に多く作られたイエズス会伝道所の遺跡のひとつ。現在のアルゼンチン・ミシオネス州カンデラリア県にある。 一連の伝道施設は1633年に県都サンタ・アナからわずか2kmのところに建設されたものである。類似の施設であるサン・イグナシオ・ミニからもそう遠くない。 1984年に「グアラニーのイエズス会伝道所群」の一つとして、ユネスコの世界遺産に登録された。.

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ブラジル

ブラジル連邦共和国(ブラジルれんぽうきょうわこく、República Federativa do Brasil)、通称ブラジルは、南アメリカに位置する連邦共和制国家である。南米大陸で最大の面積を占め、ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ(つまりチリとエクアドル以外の全ての南米諸国)と国境を接している。また、大西洋上のフェルナンド・デ・ノローニャ諸島、トリンダージ島・マルティン・ヴァス島、セントピーター・セントポール群島もブラジル領に属する。その国土面積は日本の約22.5倍で、アメリカ合衆国よりは約110万km2(コロンビア程度)小さいが、ロシアを除いたヨーロッパ全土より大きく、インド・パキスタン・バングラデシュの三国を合わせた面積の約2倍に相当する。首都はブラジリア。 南アメリカ大陸最大の面積を擁する国家であると同時にラテンアメリカ最大の領土、人口を擁する国家で、面積は世界第5位である。南北アメリカ大陸で唯一のポルトガル語圏の国であり、同時に世界最大のポルトガル語使用人口を擁する国でもある。公用語はポルトガル語ではあるがスペイン語も比較的通じる。ラテンアメリカ最大の経済規模であり、同時に世界で7番目の経済規模でもある。 ブラジルは全体的に低緯度(北部は赤道直下)で、尚且つ海流等の影響もあり気候は大変温暖であり、ポルトガルによる植民地支配が厳格化する17世紀半頃までは、ほとんどの原住民は男女とも全裸に首飾り等の装飾品を付けた状態で生活していたという。.

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プランテーション

プランテーション (plantation) とは、大規模工場生産の方式を取り入れ、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、単一作物を大量に栽培する(モノカルチャー)大規模農園またはその手法をさす。 先住民や黒人奴隷などの熱帯地域に耐えうる安価な労働力を使う場合が多いが、現代では途上地域などの現地雇用を主な働き手とする場合が増えている。経営主体は、国営/企業/民間など様々である。経営する側をプランターと呼ぶ場合もある。生産国の経済を支え、日本を含め諸国が安価な輸入品を享受できる一面を持ちながら、後述の問題をはらんでいる。.

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パラグアイ

パラグアイ共和国(パラグアイきょうわこく、、)、通称パラグアイは、南アメリカ中央南部に位置する共和制国家である。東と北東をブラジル、西と北西をボリビア、南と南西をアルゼンチンに囲まれている内陸国である。首都はアスンシオン。 なお、パラグアイの国旗はデザインが表と裏とで異なる(パラグアイの国旗を参照)。.

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アルゼンチン

アルゼンチン共和国(アルゼンチンきょうわこく、República Argentina)、通称アルゼンチンは、南アメリカ南部に位置する連邦共和制国家である。西と南にチリ、北にボリビア・パラグアイ、北東にブラジル・ウルグアイと国境を接し、東と南は大西洋に面する。ラテンアメリカではブラジルに次いで2番目に領土が大きく、世界全体でも第8位の領土面積を擁する。首都はブエノスアイレス。 チリと共に南アメリカ最南端に位置し、国土の全域がコーノ・スールの域内に収まる。国土南端のフエゴ島には世界最南端の都市ウシュアイアが存在する。アルゼンチンはイギリスが実効支配するマルビナス諸島(英語ではフォークランド諸島)の領有権を主張している。また、チリ・イギリスと同様に南極の一部に対して領有権を主張しており、アルゼンチン領南極として知られる。 2005年と2010年に債務額を大幅にカットする形で債務交換を強行し、9割以上の債務を再編した。これはアメリカ合衆国との国際問題に発展した。.

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イエズス会

イエズス会(イエズスかい、)は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設され、1540年にパウルス3世により承認された。世界各地への宣教に務め、日本に初めてカトリックをもたらした。なおイエズスは、中世ラテン語による (イエス・キリスト)の古くからのカトリックの日本語表記。.

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イエズス会伝道所

イエズス会伝道所(イエズスかいでんどうしょ、西:Reducciones jesuíticas, 葡:Missões)は、16世紀後半から18世紀にかけて、スペイン領アメリカ南部とポルトガル領ブラジルの一部(現在のボリビア東部、パラグアイ、ブラジル南部、アルゼンチン北東部にわたる地域)で、イエズス会宣教師によって、先住民(主にグアラニー族)の定住とキリスト教化を目的に建設された拠点村落。独自の共同生活や音楽教育に特徴を示し、最盛期には10万人以上の人口を抱えたが、18世紀後半のイエズス会追放令(1759年ブラジルから、1767年スペイン領から)にともない、その多くが放棄された。「布教村」「教化村」「布教区」などとも訳される。.

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カルロス3世 (スペイン王)

ルロス3世(Carlos III, 1716年1月20日 - 1788年12月14日)は、ナポリ・シチリア王(カルロ7世および5世、在位:1735年 - 1759年)、のちボルボン(ブルボン)朝のスペイン王(在位:1759年 - 1788年)。スペインの啓蒙専制君主と言われる。.

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キリスト教

リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.

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グアラニー族

アラニー族 (Guarani、Guaraní, (複数形)Guaraníes) とは、アメリカ州の先住民族の一つで、主にパラナ川からパラグアイ川にかけてのラ・プラタ地域(現在の地域でアルゼンチン、ボリビア東部、パラグアイ、ウルグアイ)と、ブラジルに住んでいたが、純粋な民族としては非常に人口が少なくなっており、グアラニー語を話せる者の多くはメスティーソになっている。.

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サン・ミゲル・ダス・ミソンイス

ン・ミゲル・ダス・ミソンイス (São Miguel das Missões) は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州北西部の小さな町サン・ミゲル・ダス・ミソンイス市にある、イエズス会伝道所跡。1983年に「サン・ミゲル・ダス・ミソンイス遺跡」の名で、ユネスコの世界遺産に登録された(翌年に世界遺産「グアラニーのイエズス会伝道所群」に組み込まれた)。 南米に多くあるイエズス会伝道所の一つである。イエズス会は、グアラニー族をキリスト教化することや、彼らをスペインやポルトガルの奴隷商人たちから保護する目的で、1735年から1745年にこの伝道所を建設した。しかし、イエズス会の努力にもかかわらず、奴隷商人は跋扈し、1767年にカルロス3世が出したアメリカ大陸からのイエズス会退去令の後には、伝道所は廃れてしまった。.

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サン・イグナシオ・ミニ

ン・イグナシオ・ミニは、スペイン植民地時代に南アメリカ大陸に築かれたイエズス会伝道所の1つ。アルゼンチンのミシオネス州にある。 現在でいうブラジル、アルゼンチン、パラグアイなどに30箇所築かれたイエズス会伝道所の中では、保存状態の良さという点で、このサン・イグナシオ・ミニが抜きん出ている。この遺跡は、グアラニー・バロック様式として知られる建築上や彫刻上の細部を現在まで良く伝えている。同時に、打ち棄てられて廃墟となった伝道所も少ないのに対し、この遺跡は、現在のサン・イグナシオ村の中にあることから、アクセスしやすいことで観光客に人気がある。 1897年に再発見され、詩人レオポルド・ルゴネスが探検隊を引き連れてきた1903年以降に有名になったが、修復工事は1940年代まで行われなかった。遺跡には、まだ危険な場所もある。それらの場所は親指の痛くなる足場に支えられており、それのせいで組み合わせの妙味はぼかされてしまっているが、個々の特徴には影響していない。 サン・イグナシオ遺跡で中心的な建造物は、イタリア人建築家ジュアン・ブラサネッリ (Juan Brasanelli) の手になる記念碑的な教会である。幅2mの赤い砂岩の壁と陶製タイルの床をもつ長さ74m、幅24mの教会で、グアラニー族の芸術家たちによって飾られた広場を見渡せる。この教会は、この種の建造物の中では最良の遺跡である。隣接する施設には、調理場、食堂、教場、作業場などがある。 この伝道所には、修道士たちの地区や共同墓地などもあり、広場の周辺には200人のグアラニー人が暮らしている。かつては、1733年のピークには4000人が暮らしていた。 現在では、サン・イグナシオ・ミニ・イエズス会博物館 (Museo Jesuítico de San Ignacio Miní) が設置されている。 1984年に、ミシオネス州の他のイエズス会伝道所やブラジルのサン・ミゲル・ダス・ミソンイス伝道所遺跡とともにユネスコの世界遺産に登録された。.

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サンタ・マリア・ラ・マジョール

ンタ・マリア・ラ・マジョール伝道所 (Reducción de Santa María la Mayor) は、アルゼンチン・ミシオネス州カンデラリア県にあるイエズス会伝道所跡のひとつ。グアラニー族のキリスト教化などを目的として1626年に建造された。 1744年には993人が暮らしていたが、1767年のイエズス会退去令の後に放棄された。 サン・イグナシオ・ミニなどとともに、1984年に「グアラニーのイエズス会伝道所群」の一つとしてユネスコの世界遺産に登録された。.

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国際連合教育科学文化機関

フランス、パリのユネスコ本部庁舎と平和の庭園(日本庭園) 日本ユネスコ国内委員会が入居する東京都の霞が関コモンゲート東館(右側) 国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん、Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la culture、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization, UNESCO ユネスコ)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関である。 1945年11月に44カ国の代表が集い、イギリス・ロンドンで開催された国連会議 "United Nations Conference for the establishment of an educational and cultural organization" (ECO/CONF)において11月16日に採択された 「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された。 分担金(2016年現在)の最大の拠出国はアメリカ合衆国(22%)、2位は日本(9%)である(米国は拠出金支払いを全額停止しているため、実質的に最大の拠出国は日本であるなおアメリカは2018年12月31日付でのユネスコ脱退を表明している。)。.

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福音伝道

福音伝道(ふくいんでんどう、)は伝道活動を意味し、本来ギリシア語であるが、今日ではキリスト教の用語を指す場合が多く、本項目ではこれについて述べる。.

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