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キュリクス

索引 キュリクス

ウエルギデスの画家 (Euergides painter) によるキュリクス(紀元前500年ごろ)。ロンドン大英博物館 シンポシオンで少年が笛を吹いている場面を描いたキュリクス(紀元前490年ごろ)。ルーヴル美術館 キュリクス(、kylix)はワイン用酒杯の一種で、比較的浅く広がった形状で脚がついており、縁の両端に対称かつ水平の取っ手が出ていることが多い。内側のほぼ平らな円形の部分をトンド(円形の絵画)と呼び、紀元前6世紀や紀元前5世紀の黒絵式陶器や赤絵式陶器では主にそこに絵を描いていた。ワインを注いだ状態では絵が隠れており、飲み干さないと全体を見ることはできない。そこでそれを踏まえ、飲む人を驚かせたり興をそそるような場面を描いたものが多い。その名称はギリシア語でカップを意味し、ラテン語では calix に対応する。英語の "chalice"(聖爵)の語源でもある。.

20 関係: 古代ギリシア古代ギリシアの陶芸大英博物館土器ミケーネ文明ラテン語ワインテラコッタディオニューソスエトルリア人ギリシア神話ギリシア語シンポジウムサテュロス聖爵黒絵式赤絵式釉薬酸化鉄(II)陶磁器

古代ギリシア

この項目では、太古から古代ローマに占領される以前までの古代ギリシアを扱う。.

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古代ギリシアの陶芸

バイリンガル陶器のアンフォラ。絵付けはアンドキデス。紀元前520年ごろ(ミュンヘン) 古代ギリシアの陶芸(こだいギリシアのとうげい)では、古代ギリシアにおける陶芸について解説する。 陶芸作品は比較的耐久性があるため、古代ギリシアの考古学的記録の重要な部分を占めている。また数が多く(Corpus Vasorum Antiquorum には約10万点が記録されている)、我々の古代ギリシア理解に不釣合いなほど大きな影響を及ぼしている。例えば古代ギリシア絵画は日用品である陶器の絵以外ほとんど現存していないため、この派生的な芸術形態からギリシア美術の発展を追跡する必要がある。また、紀元前1千年紀に廃棄されたり埋められたりした陶器の破片は、古代ギリシア人の普通の生活や精神を知る手がかりでもある。.

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大英博物館

大英博物館(だいえいはくぶつかん、British Museum)は、イギリス・ロンドンにある博物館である。.

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土器

中国の仰韶文化期の土器 土器(どき)は、土を練り固めて成形し、焼き固めることで仕上げた器である。.

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ミケーネ文明

ミケーネの獅子門シュリーマンによって発見された。 ミケーネ文明(ミケーネぶんめい)またはミュケナイ文明(ミュケナイぶんめい)は、エーゲ文明のうち、ペロポネソス半島のミケーネ(ミュケナイ)を中心に栄えた青銅器文明である。.

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ラテン語

ラテン語(ラテンご、lingua latina リングア・ラティーナ)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派の言語の一つ。ラテン・ファリスク語群。漢字表記は拉丁語・羅甸語で、拉語・羅語と略される。.

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ワイン

ワイン(vin、wine、vino、Wein)とは、主としてブドウの果汁を発酵させたアルコール飲料である。葡萄酒、ぶどう酒(ぶどうしゅ)とも。通常、単に「ワイン」と呼ばれる場合には他の果汁を主原料とするものは含まない。日本の酒税法では「果実酒」に分類されている。.

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テラコッタ

テラコッタで作られたヒンドゥー教の神ハヌマーン テラコッタ (terra cotta) とはイタリア語の「焼いた (cotta) 土 (terra)」に由来する言葉。以下のような意味をもつ。.

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ディオニューソス

ヘレニズム時代の原物を模した2世紀のローマのディオニューソス像 ディオニューソス(ΔΙΟΝΥΣΟΣ, Διόνυσος, )は、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神である。この名は「若いゼウス」の意味(ゼウスまたはディオスは本来ギリシア語で「神」を意味する)。オリュンポス十二神の一柱に数えられることもある。 聖獣は豹、虎、牡山羊、牡牛、牡鹿、蛇、イルカ、狐、ロバで、聖樹は葡萄、蔦であり、先端に松笠が付き葡萄の蔓や蔦が巻かれたテュルソスの杖、酒杯、豊穣の角もその象徴となる。また、アメシストとの関係も深い。 日本語では長母音を省略してディオニュソス、デオニュソスとも呼ぶ。別名にバッコス(Βάκχος, Bakkhos)があり、ローマ神話ではバックス(Bacchus)と呼ばれ、豊穣神のリーベルと、エジプトではオシリスと同一視された。.

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エトルリア人

トルリア人(Etrusci)は、イタリア半島中部の先住民族。インド・ヨーロッパ語族に属さないエトルリア語を使用していた。エトルリア文化を築いたが、徐々に古代ローマ人と同化し消滅した。 初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされ、ローマ建築に特徴的なアーチは元々、エトルリア文化の特徴であったといわれる。また、初期の王制ローマの王はエトルリア人であったとも言われ、異民族の王を追放することによってローマは初期の共和制に移行した。.

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ギリシア神話

リシア神話(ギリシアしんわ、ΜΥΘΟΛΟΓΊΑ ΕΛΛΗΝΙΚΉ)は、古代ギリシアより語り伝えられる伝承文化で、多くの神々が登場し、人間のように愛憎劇を繰り広げる物語である。ギリシャ神話とも言う。 古代ギリシア市民の教養であり、さらに古代地中海世界の共通知識でもあったが、現代では、世界的に広く知られており、ギリシャの小学校では、ギリシャ人にとって欠かせない教養として、歴史教科の一つになっている。 ギリシア神話は、ローマ神話の体系化と発展を促進した。プラトーン、古代ギリシアの哲学や思想、ヘレニズム時代の宗教や世界観、キリスト教神学の成立など、多方面に影響を与え、西欧の精神的な脊柱の一つとなった。中世においても神話は伝承され続け、その後のルネサンス期、近世、近代の思想や芸術にとって、ギリシア神話は霊感の源泉であった。.

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ギリシア語

リシア語(ギリシアご、現代ギリシア語: Ελληνικά, または Ελληνική γλώσσα )はインド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派(ギリシア語派)に属する言語。単独でヘレニック語派(ギリシア語派)を形成する。ギリシア共和国やキプロス共和国、イスタンブールのギリシア人居住区などで使用されており、話者は約1200万人。また、ラテン語とともに学名や専門用語にも使用されている。省略形は希語。.

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シンポジウム

ンポジウム (symposium) は、「研究発表会」「討論会」をさす言葉。.

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サテュロス

ウィリアム・アドルフ・ブグロー作『ニンフとサテュロス』(1873年) サテュロス(Σάτυρος, Satyros, Satyrus, Satyr)、複数形サテュロイ(Σάτυροι, Satyroi) は、ギリシア神話に登場する半人半獣の自然の精霊である。ローマ神話にも現れ、ローマの森の精霊ファウヌスやギリシアの牧羊神パーンとしばしば同一視された。「自然の豊穣の化身、欲情の塊」として表現される。その名前の由来を男根に求める説がある。.

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聖爵

聖爵(コストロマのイパチェフ修道院のもの・セルゲイ・プロクジン=ゴルスキーにより1911年撮影) 聖爵(せいしゃく、ポティール、Άγιο Ποτήριο, Потир, Chalice)とは、正教会の聖体礼儀において用いられる金属製の杯。イイスス・ハリストス(イエス・キリストの現代ギリシャ語・スラヴ語読み)の聖体・尊血となるパンと葡萄酒がここに入れられる。西方教会の聖杯(カリス、チャリスとも)に相当する。 一応、聖爵との漢字表記が存在し、「せいしゃく」とも読めるが、日本正教会ではスラヴ語からそのまま転写して「ポティール」と呼ばれる事がより一般的であり、明治時代の文献にも「聖爵」の字に「ポティール」とのルビが付けられている。 聖爵には領聖時に信徒が接吻するのを除き、神品 (正教会の聖職)以外には触れる事は許されていない。 聖爵には十字架やイコンが彫り込まれて装飾されている事が多い。 尊血となる葡萄酒のみを聖杯に入れる西方教会とは異なり、正教会では聖爵に聖体となったパンも入れられる(信徒の領聖に先立つ神品の領聖時には、まだ聖体は聖爵には入れられず、別途手を使って領聖される)。信徒の領聖にあたっては、主教もしくは司祭が聖爵に入れられた聖体を聖匙(せいひ、ルジーツァ)と呼ばれるスプーンのようなさじを使って尊血ごと掬い、これを信徒の口に入れ、信徒がこれを受ける。 聖体礼儀終了後、聖体と尊血となったパンと葡萄酒は、司祭もしくは輔祭によって余さず領食(りょうしょく)される。聖体を食べ尽くす任に当る司祭もしくは輔祭には、熱湯を用いて聖爵の内側に残った聖体尊血をきれいに溶かし込み、これを領食する事が義務付けられ、一片一滴も残すことは許されていない。 聖体礼儀の時に使用される時以外には、聖爵は聖堂・至聖所内の奉献台に置かれ、「太気(たいき)」と呼ばれる布で覆われる。.

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黒絵式

黒絵式(くろえしき black-figure)は、紀元前7世紀からあらわれた古代ギリシア陶器の壺絵の技法の一つである。黒像式(こくぞうしき)とも呼ばれる。 黒絵式の時代は、特に紀元前7世紀から5世紀の間とされるのが一般的だが、紀元前2世紀頃と遅い説もなされている。技法のスタイルは、黒絵式より先に起きた東方化様式と続いて起こる赤絵式の時代と区別された。素焼きの明るい地の上に黒色を主とする装飾画が描かれるのでこの名称がある。焼成前に人物像などを黒色の平塗りで形をとり、細部は針で引っ掻いて白や赤線で描かれるので、きびきびとした描線を特色とした。紀元前7世紀のコリントスで発明され、アッティカ(アテナイ)に伝わった。重要な生産拠点としてラコニア(スパルタ)、ボイオーティア、エウボイア島のエレトリア、東部ギリシア、エトルリアなどに広まっていった。.

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赤絵式

酔っ払いと娼婦」エウフロニオス作。紀元前500年ごろ(大英博物館) 赤絵式(red-figure)は、紀元前6世紀末にアテナイで生まれたギリシア陶器の壺絵の一つのタイプである。赤像式ともいわれている。技法は黒絵式のような線刻ではなく、絵付けの段階で、画像の部分だけを残し、壺の地全体を塗りつぶすのが特徴である。塗り残した部分の土は、焼成とともに赤みを帯びるのでこの名前が生まれた。細部は筆で直接描きこむようになり、いっそう自由な表現の幅が広がった。赤絵式の初期の絵付師は、黒絵式の絵も描いたしシックステクニックと呼ばれる技法や白地技法も使った。白地技法は赤絵式と同時期に開発された。しかし約20年もすると、Pioneer Group は人物像を主題とする陶器には常に赤絵式を使うようになり、黒絵式は初期の花模様にのみ使うようになった。彼らは偉大な芸術家だったというだけでなく(特にエウフロニオスとエウテュミデス)、何らかの価値観と目標を共有して意識的に活動していたという意味でも注目に値する。ただし、彼らが作品以外に何かを書き残したというわけではない。John Boardman は「彼らの経歴、共通の目的、競争を解き明かしたことは、考古学の成果ということができる」としている。 武装競走の選手を描いたアンフォラ。紀元前480年ごろ(ルーヴル美術館) 次の世代のアルカイク期後期の絵付師(紀元前500年から480年)は、自然主義的な作風を増大させ、横顔の目の描き方にもそれが現れている。この時期には絵付師が大型陶器を専門とする者と小型陶器を専門とする者に分化していった。大型陶器の絵付師としては「ベルリンの画家 (en)」と「クレオフラデスの画家 (en)」がおり、小型陶器の絵付師としてはドゥーリス (en) やオネシモス (en) がいた。 紀元前480年から紀元前425年にかけて、赤絵式は様々な流派に発展していった。ミュソン (en) の工房と結びつけて見られるマンネリストと呼ばれる絵付師たちや「パンの画家 (Pan Painter)」などは、衣服の描き方やポーズが古風で誇張された身振りを伴っていた。対照的にベルリンの画家の後継と見られる「アキレスの画家 (en)」は自然なポーズを好み、黒い背景または白地のレキュトスに人物像を1つだけ描くのが普通だった。「ニオベの子の画家 (en)」の流派にはポリュグノトス (en) や「クレオフォンの画家 (en)」が含まれ、その作品には主題や構成にパルテノン神殿の彫刻の影響が見られる。 紀元前5世紀末にかけて、アテーナー・ニーケー神殿に見られるような彫刻の影響が陶器の絵に見られるようになり、髪の毛や宝石など細部を緻密に描くようになっていった。この作風の絵付師としては「メイディアスの画家 (en)」がいる。 アテネでは紀元前330年から紀元前320年、アレクサンドロス3世の支配下に入ったことで陶器生産が中断し、アテネの政治的地位の低下と共に衰退していった。しかし、南イタリアのギリシア植民地では紀元前4世紀から紀元前3世紀にかけても陶器生産が続き、地域別(アプリア、ルカニア、シチリア、カンパニア、パエストゥム)に5種類の様式が生まれ、赤絵式に多彩色を加えたものが発展した。黒海沿岸の植民地パンティカパイオンでは、ケルチ様式 (en) という豪華な様式が生まれた。この時代の有名な絵付師としては「ダリウスの画家 (en)」や「冥界の画家」がいる。彼らは紀元前4世紀後半に活動し、それまでの絵付師には見られない感情表現を試みた複雑な多色の場面を描いた。.

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釉薬

釉薬(ゆうやく、うわぐすり、釉、上薬、)とは、陶磁器や琺瑯の表面をおおっているガラス質の部分である。陶磁器などを製作する際、粘土等を成形した器の表面にかける薬品のこと。粘土や灰などを水に懸濁させた液体が用いられる。.

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酸化鉄(II)

酸化鉄(II)(さんかてつ に、Iron(II) oxide)は酸化第一鉄(さんかだいいちてつ、ferrous oxide、ferrous iron)とも呼ばれる、酸化鉄の一種である。 酸化鉄(II)は黒色粉末で組成式はFeOで表され、元素の鉄は酸化数2をとり酸素と結合している。鉱石としてはウスタイトが知られている。 酸化鉄(II)と錆とを混同してはならず、錆の場合は大抵、酸化鉄(III)の水和物から構成される。常温常圧で黒色の固体。発火性がある。酸化鉄(III) に比べて表面が密なので、鉄固体の表面をこの物質で覆うことによりさらなる酸化を防ぐことができる。鉄棒などの表面にさび止めとして使われている。脆く電気を通さない。 酸化鉄(II)は不定比化合物の代表例であり、鉄原子の欠損により元素の鉄と酸素との比は試料によりFe0.84OからFe0.95Oの幅を持つ。.

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陶磁器

野々村仁清『色絵藤花茶壺』(国宝) 陶磁器(とうじき、pottery and porcelain)は、セラミックの一種で、土を練り固め焼いて作ったものの総称。やきもの。 陶磁器に使われる粘土には、加熱することでアルミニウムやカルシウムなど他の物質と化合しガラス化する珪酸を主成分とする石英などが含まれる。成形後に加熱することで、土粒子の間に溶けて流体となったガラスが入り込み、冷めると固体化し土粒子同士をくっつける。『古陶磁の科学』の著者内藤匡は、この過程をおこしに喩えている。おおまかに言えば、陶器と磁器の違いはこのガラスになる成分と量の違いである。.

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