目次
32 関係: 中央公論美術出版、建築家、モダニズム建築、ユーゲント・シュティール、ヨーゼフ・ホフマン、ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ、リングシュトラーセ、ブルク劇場、フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)、ファサード、アール・ヌーヴォー、ウィーン、ウィーン分離派、ウィーン美術アカデミー、ウィーン楽友協会、エクスナレッジ (出版社)、オーストリア、オーストリアの議会、グスタフ・クリムト、ゴットフリート・ゼンパー、第一次世界大戦、美術史美術館、設計競技、鹿島出版会、都市計画家、SD選書、樋口清、歴史主義建築、新古典主義建築、新建築社、4月11日、7月13日。
- 19世紀オーストリアの建築家
- 20世紀オーストリアの建築家
- ウィーン分離派の建築家
- 歴史主義建築家
中央公論美術出版
株式会社中央公論美術出版(ちゅうおうこうろんびじゅつしゅっぱん)は、美術・建築関連を中心とする学術出版社。1956年に、戦前・戦後の旧中央公論社の幹部だった栗本和夫が創業。現在の中央公論新社(読売新聞社の出版部門)は株主ではあるが、編集上の関係はない。
建築家
建築家(けんちくか、architect)は、建築の設計や監理、その他関連業務など建築関係のプロフェッショナルサービスを提供する職業、あるいはその専門家。
モダニズム建築
モダニズム建築(モダニズムけんちく、Modern Architecture)または近代建築(きんだいけんちく)は、機能的、合理的な造形理念に基づく建築である。産業革命以降の工業化社会を背景として19世紀末から新しい建築を求めるさまざまな試行錯誤が各国で行われ、1920年代に機能主義、合理主義の建築として成立した。19世紀以前の様式建築(歴史的な意匠)を否定し、工業生産による材料(鉄・コンクリート、ガラス)を用いて、それらの材料に特有の構造、表現をもつ。 20世紀の建築と都市計画に影響を与えた建築家は、ル・コルビュジエ、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ、ヴァルター・グロピウス、フランク・ロイド・ライト、アルヴァ・アアルトなどである。
ユーゲント・シュティール
雑誌『ユーゲント』表紙(1896) ユーゲント・シュティールまたはユーゲントシュティール様式または青春様式 は、1896年に刊行された雑誌『ユーゲント』() に代表されるドイツ語圏の世紀末美術の傾向を指す。ユーゲントは若さ、シュティールは様式を意味するドイツ語で、アール・ヌーヴォーと意を同じくし、「青春様式」と表記されることもある。19世紀末から20世紀の初頭にかけて展開し、絵画や彫刻のほかにも、建築、室内装飾、家具デザイン、織物、印刷物から文学・音楽などに取り入れられた。 アウグスト・エンデルらによって、この様式はベルリンやミュンヘンで広く人々の心を掴んだが、ヒトラーによって退廃芸術として弾圧された。
ヨーゼフ・ホフマン
ヨーゼフ・フランツ・マリア・ホフマン(Josef Franz Maria Hoffmann、 1870年12月15日 - 1956年5月7日)は、オーストリアの建築家、デザイナー。ウィーン分離派の中心メンバーの一人。20世紀始めにウィーン工房を主宰した。
ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ
セセッション館 結婚記念塔 ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ(Joseph Maria Olbrich, 1867年12月22日 - 1908年8月8日)は、19世紀末から20世紀始めに活躍したオーストリアの建築家。
リングシュトラーセ
リングシュトラーセ建設時のウィーン(1858年) リングシュトラーセ(Ringstraße)またはリング通りは、オーストリアの首都ウィーンの中心部にある環状道路。1857年に放棄された市壁と堀の趾に造られた。
ブルク劇場
ブルク劇場(ブルクげきじょう、Burgtheater)は、オーストリアのウィーンにある、ドイツ語圏で重要な劇場である Encyclopedia of Austria, Aeiou Project, 1999。
フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)
フランツ・ヨーゼフ1世(、1830年8月18日 - 1916年11月21日)は、オーストリア皇帝(在位:1848年 - 1916年)。ハンガリー国王などを兼ねた。 全名はフランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン()。ハンガリー国王としてはフェレンツ・ヨージェフ1世()、オーストリア帝国内のベーメン国王としてはフランティシェク・ヨゼフ1世()である。 68年に及ぶ長い在位と、国民からの絶大な敬愛から、オーストリア帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)の「国父」とも称された。晩年は「不死鳥」とも呼ばれ、オーストリアの象徴的存在でもあった。皇后は美貌で知られるエリーザベトである。後継者となった最後の皇帝カール1世は統治期間が2年に満たなかったため、しばしばオーストリア帝国の実質的な「最後の」皇帝と呼ばれる。
見る オットー・ワーグナーとフランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)
ファサード
ランス大聖堂 ファサード(façade)は、建築物正面部のデザインを指す語句である。フランス語に由来し、英語のfaceと同根である。建築物で最も目立つため都市景観の形成に影響が大きく、建築設計で重要視される。 ファサードは、建物の格式や性格も示し、ゴシック建築のランス大聖堂など内部空間を率直に表現するものや、ルネサンス建築のアルベルティによるセントアンドレア教会など内部空間と有機的なつながりなしに造形されるものがある。側面や背面が装飾的に造形されている場合などもファサードと称する場合がある。
アール・ヌーヴォー
アール・ヌーヴォー(Art nouveau)とは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐にわたった。 第一次世界大戦を境に、装飾を否定する低コストなモダンデザインが普及するようになると、アール・デコへの移行が起き、アール・ヌーヴォーは世紀末の退廃的なデザインだとして美術史上もほとんど顧みられなくなった。しかし、1960年代のアメリカ合衆国でアール・ヌーヴォーのリバイバルが起こって以降、その豊かな装飾性、個性的な造形の再評価が進んでおり、新古典主義とモダニズムの架け橋と考えられるようになった。
ウィーン
ウィーン日本語表記では主に「ウィーン」が用いられるが、標準ドイツ語でのWの発音は であり、「ヴィーン」の表記が近い。バイエルン・オーストリア語では'''Wean'''(ヴェアン、ドイツ語#方言を参照)と発音される。(標準Wien 〈ヴィーン〉、Wean〈ヴェアン〉、Vienne 〈ヴィエンヌ〉、Vienna 〈ヴィエナ〉)は、オーストリアの首都。9つの連邦州のひとつで、都市州である。漢字による当て字では維納と表記される。 2017年1月1日時点での人口は186万7582人。ヨーロッパ有数の世界都市である。 第一次世界大戦までは、オーストリア=ハンガリー帝国の首都として、ドイツ帝国を除く中東欧の大部分に君臨し、さらに19世紀後半までは神聖ローマ帝国やドイツ連邦を通じて、形式上はドイツ民族全体の帝都でもあった。
ウィーン分離派
ヴィルヘルム・リスト、エミール・オルリック(座った姿勢)、マクシミリアン・クルツヴァイル(つば無し帽着用)、レオポルド・シュトルバ、カール・モル(横たわった姿勢)、ルドルフ・バッヒャー。 ウィーン分離派(ウィーンぶんりは、 Wiener Secession, Sezession) とは、1897年4月3日にウィーンで画家グスタフ・クリムトを中心に結成された新進芸術家のグループをいう。正式名称は、オーストリア造形芸術家協会(Vereinigung bildender Künstler Österreichs)。 なお、「分離派(セセッション)」とは、19世紀の歴史絵画や伝統芸術からの分離をめざしたドイツ語圏の芸術家の動きである池内・南川(1987)p.19。
ウィーン美術アカデミー
オーストリア=ハンガリー帝国時代以前は帝国美術アカデミーとも呼ばれた。
ウィーン楽友協会
グローサーザール ウィーン楽友協会(Wiener Musikverein ヴィーナー・ムジークフェライン)は、1812年に設立された、オーストリア・ウィーンにあるクラシック音楽関係者による団体()およびその本部の建物。団体の正式名称はDie Gesellschaft der Musikfreunde in Wien。日本では「楽友協会」と呼ばれることが多い。 大ホールは、通称「黄金のホール」と呼ばれ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として知られる演奏会場である他、同じ建物に資料室や出版社、ベーゼンドルファー(ピアノメーカー)などが同居している。
エクスナレッジ (出版社)
株式会社エクスナレッジは、日本の出版社。月刊誌『建築知識』をはじめとして建築分野では日本最大規模。建築・住宅・インテリア分野の雑誌・書籍の刊行を主とするが、医療・健康・資格分野にも出版領域を広げている。
オーストリア
オーストリア共和国(オーストリアきょうわこく、、)、通称オーストリアは、中央ヨーロッパに位置する連邦共和制国家。首都はウィーン。 西側はリヒテンシュタイン、スイスと、南はイタリアとスロベニア、東はハンガリーとスロバキア、北はドイツとチェコと隣接する。基本的には中欧とされるが、歴史的には西欧や東欧に分類されたことがある。
オーストリアの議会
オーストリアの議会(オーストリアのぎかい)は、連邦制であるオーストリア共和国の立法機関。定数183の国民議会と、定数61の連邦議会の両院制をとっている。 国民議会の任期は5年で、総選挙で選出される2007年の選挙法の改正を受けて、2008年に実施された第24回以降の国民議会総選挙で選出された国民議会の任期は従来の4年から5年となった。また選挙権が与えられる年齢も、従来は18歳以上であったがこの改正で16歳以上に引き下げられた。。ドイツの連邦議会とは異なり、国民議会には解散の規定がある。国民議会は、実質的にはオーストリアの連邦法の立法を独占して担っている機関である。 連邦議会は1920年に設置され、連邦州の議会が議員を選出し、その議員数は各州の人口に応じて定められている。連邦議会は国民議会の決議に対して、審議を行わないというやり方で拒否権を有している。
グスタフ・クリムト
グスタフ・クリムト(, 1862年7月14日 - 1918年2月6日)は、帝政オーストリアの画家。
ゴットフリート・ゼンパー
ゴットフリート・ゼンパー(Gottfried Semper、1803年11月29日 - 1879年5月15日)は、19世紀ドイツの建築家。代表作であるドレスデンの歌劇場(ゼンパー・オーパー)などの設計で著名である。
第一次世界大戦
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称:WWI)は、1914年(大正3年)7月28日から1918年(大正7年)11月11日にかけて、連合国と中央同盟国間で行われた世界規模の戦争である。 7000万人以上の軍人(うちヨーロッパ人は6000万人)が動員され、世界史上最大の戦争の一つとなった。第二次産業革命による技術革新と塹壕戦による戦線の膠着で死亡率が大幅に上昇し、ジェノサイドの犠牲者を含めた戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死亡した。史上死亡者数の最も多い戦争の一つである。 戦争が長引いたことで、各地で革命が勃発し、4つの帝国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国)が崩壊した。終戦後(戦間期)も参戦国の間に対立関係が残り、その結果21年後の1939年に第二次世界大戦が勃発した。
美術史美術館
美術史美術館(びじゅつしびじゅつかん、)は、オーストリア・ウィーンにある美術館。美術史博物館(びじゅつしはくぶつかん)とも呼ばれる。古代から19世紀に至るヨーロッパ各地の美術品を収蔵している。自然史博物館と対になる施設として建てられ 、1891年に開館。現在は組織上ウィーン大学の一部局である。ルネサンスとバロックを中心とする絵画コレクションはヨーロッパ屈指の質と量を誇り、多数の傑作が所蔵されている。
設計競技
設計競技(せっけい きょうぎ、)とは、モニュメント(記念碑)や建造物などの建設に際して(設計の段階で)、複数の(設計の)提案を募り、行われる競技(コンペティション)日本大百科事典「設計競技」。設計コンペ、もしくは競技設計ともいう 国土交通省日本において競技設計の名称は、建築分野でも広く使用されている(例えば、安土城・摠見寺再建 学生競技設計、(滋賀県近江八幡市、2008年)、愛媛県内高校生建築競技設計審査会、全国工業高等競技設計(日本建築協会主催)、福岡市3世代住宅競技設計、沖縄の住まい競技設計、奈良市民会館競技設計、日本建築士会競技設計、盛岡駅沿線街並みデザイン誘導競技設計、浦添市主催商工業研修等施設競技設計、「真の日本のすまい」提案競技設計、新潟県建築士会競技設計『新潟建築賞設計コンペ』、全国高専建築シンポジウム競技設計、日本建築学会競技設計、クボタアーバンデザイン競技設計、京の町家街区への提案―競技設計 (1984年、京都府建築士会)、などで採用されており、浅口市では、浅口市建物等競技設計事務処理要綱を制定している。) なおデザインと設計は同義語であるが、2005年に行われた仙台市高速鉄道東西線広瀬川橋りょうデザイン選定委員会(第3回)における事務局は、「デザイン設計競技」というのは「デザイン」と「設計競技」で、コンペという言葉を日本語で使う場合に「設計競技」と言っている、と説明しており、「具体的に構造まで踏み込んだ全ての設計ではないという意味で「デザイン」という言葉入れたという程度」とも説明している。したがって、日本で行われる設計競技の中には、デザイン設計競技という名称のものも多くある。
鹿島出版会
株式会社鹿島出版会(かじましゅっぱんかい)は、建築学・建築史関連を中心とした日本の出版社。創立者は、鹿島建設社長・会長を務めた鹿島守之助。系列会社に八重洲ブックセンターがある。
都市計画家
都市計画家(としけいかくか)は、都市計画に従事しその作業を行う専門家の呼称である。他国ではウルバニスト(urbaniste)、英語圏ではアーバンプランナーとよび、この他にアーバンデザイナーという職能も兼ねる。
SD選書
SD選書 は鹿島出版会で出版されている建築・建築史を軸とした選書シリーズ。1965年に発足、国内外の建築家・都市研究者の論考・伝記を広く紹介する役割を果たしている。芸術学・美術史関連もある。創刊時から20数年間は、箱入りだったが、現在は再版も含めカバー装での刊行。
樋口清
樋口 清(ひぐち きよし、1918年 -2018年8月10日)は、日本の建築家。東京大学教養学部教授等を歴任。フランク・ロイド・ライトなどの著作を訳した。
歴史主義建築
歴史主義建築(れきししゅぎけんちく)は、19世紀から20世紀はじめごろの時期に、西洋の過去の建築様式を復古的に用いて設計された建築のこと。 18世紀の新古典主義建築と20世紀のモダニズム建築に挟まれた時期に現れた、特定の傾向の建築を指す。類似する用語に折衷主義があるが、両者の違いは、歴史主義が過去の建築様式のリヴァイヴァルを本旨としているのに対し、折衷主義は特定の様式にとらわれず、いわば「いいとこ取り」をして建築家の作意により複数の様式を組み合わせて造形することにある。たとえば、ゴシック・リヴァイヴァルの建築はゴシック様式に基づいて設計されていることから「歴史主義」ではあるが、複数の様式を組み合わせてはいないので「折衷主義」ではない。
新古典主義建築
新古典主義建築(しんこてんしゅぎけんちく、Neoclassical Architecture)は、18世紀後期に、啓蒙思想や革命精神を背景として、フランスで興った建築様式。ロココ芸術の過剰な装飾性や軽薄さに対する反動として荘厳さや崇高美を備えた建築が模索されたが、やがて19世紀の歴史主義、様式濫用の中に埋没した。 パンテオン たんなる古代の復興にとどまらず、当時の政治情況とも関連していた。ルイ15世の時代を中心に展開したロココ様式の官能性や通俗性に対し、論理的で厳粛な、啓蒙的性格をもつ様式におきかえようとする動きが広がっていった。その後、革命運動をへてフランスとアメリカに共和国が樹立されると、古代ギリシャや共和政時代の古代ローマ民主主義との結び付きから、新政府の指導者たちは公式の美術として新古典主義を採用した。しかしナポレオンがフランスで権力の座につくと、この様式はナポレオンの宣伝効果をあげるためのものに変質する。またロマン主義の台頭にともない、個人的な表現に対する好みが固定的な理想的価値観にもとづく美術にとってかわることになった。
新建築社
株式会社新建築社(しんけんちくしゃ)は、建築専門の出版社。
4月11日
4月11日(しがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から101日目(閏年では102日目)にあたり、年末まではあと264日ある。
7月13日
7月13日(しちがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から194日目(閏年では195日目)にあたり、年末まであと171日ある。
参考情報
19世紀オーストリアの建築家
- オットー・ワーグナー
20世紀オーストリアの建築家
- オットー・ワーグナー
- ゲルハルト・ハナッピ
- バーナード・ルドフスキー
- ルドルフ・シュタイナー
ウィーン分離派の建築家
- オットー・ワーグナー
- ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ
- ヨーゼフ・ホフマン
歴史主義建築家
オットー・ヴァーグナー 別名。