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ウェランド運河

索引 ウェランド運河

ウェランド運河(Welland Canal)は、カナダのオンタリオ州にある全長43.4 km の運河。エリー湖のポートコルボーン(Port Colborne)とオンタリオ湖のポートウェラー(Port Weller)を結んでおり、五大湖と大西洋を結ぶセントローレンス海路の一部でもある。名前はウェランド川からつけられた。 この運河により、ナイアガラの滝を迂回してエリー湖とオンタリオ湖の間を船が行き来できる。年間約4000万トンの貨物がこの運河を通り運ばれる。また、工業用水や小規模の発電用の水も供給している。 ポートコルボーンとポートウェラーの間の標高差は99.5 mあり、8個の閘門がある。 現在の運河は4代目で、1913年から1932年にかけて建設された。1967年から1973年にかけて、船の速度を上げるため、また従来の運河を渡る自動車交通の軽減を図るため、ウェランドの東に運河が作られた。この運河はウェランドバイパスと呼ばれる。さらに5代目の新運河計画もあるが実現していない。 最初の運河はウィリアム・メリット(William Hamilton Merritt)により1824年から1829年にかけてオンタリオ湖とウェランド川までの間が建設され、エリー湖までの延伸区間が1833年に完成した。しかし貧弱な構造は問題を引き起こし、何度か決壊した。この運河は有益なものとはならなかった。そして結局運河会社は1837年の恐慌に巻き込まれ、1839年にアッパー・カナダ植民地政府に買収された。アッパー・カナダも運河経営の失敗や内乱などで消耗し、1840年の合同法で解消しカナダ連合へとなった。 Category:カナダの運河 Category:オンタリオ州の地理 Category:オンタリオ州の交通.

24 関係: 大西洋工業用水道五大湖ナイアガラの滝ポートコルボーンアッパー・カナダウェランド (オンタリオ州)エリー湖オンタリオ州オンタリオ湖カナダセントローレンス海路運河閘門1824年1829年1833年1837年1839年1840年1913年1932年1967年1973年

大西洋

大西洋(たいせいよう、Atlantic Ocean、Oceanus Atlanticus)は、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、アメリカ大陸の間にある海である。なお、大西洋は、南大西洋と北大西洋とに分けて考えることもある。おおまかに言うと、南大西洋はアフリカ大陸と南アメリカ大陸の分裂によって誕生した海洋であり、北大西洋は北アメリカ大陸とユーラシア大陸の分裂によって誕生した海洋である。これらの大陸の分裂は、ほぼ同時期に発生したと考えられており、したがって南大西洋と北大西洋もほぼ同時期に誕生したとされる。.

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工業用水道

工業用水道(こうぎょうようすいどう)とは、工場などの事業所に人体と直接接しない目的で用いる雑用水を供給するものである。地方公営企業の事業として整備されることが多い。.

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五大湖

五大湖(ごだいこ、Great Lakes)は、アメリカ合衆国及びカナダの国境付近に連なる5つの湖の総称。そのうち4つの湖上を両国の国境線が通る。水系は接続しており、上流から順にスペリオル湖、ミシガン湖、ヒューロン湖、エリー湖、オンタリオ湖の5つの湖からなる。塩湖以外では世界最大級の面積である。また、五大湖・セントローレンス川水系は世界最大級の淡水水系である。「内陸の海」、「アメリカの北海岸」、「北米の地中海」などと称されることがある。.

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ナイアガラの滝

ナイアガラの滝(ナイアガラのたき、Niagara Falls 、Les Chutes du Niagara )は、エリー湖からオンタリオ湖に流れるナイアガラ川にあり、カナダのオンタリオ州とアメリカのニューヨーク州とを分ける国境になっている。カナダのトロントから南南西に120km(75mi)、アメリカのバッファローから北北東に27km(17mi)の両国とも同名のナイアガラフォールズ市(オンタリオ州側、ニューヨーク州側)に位置する。滝は豊富な水力資源と景観の美しさで知られる。 ナイアガラの滝はによって、カナダ側の国境を挟んだカナダ滝とアメリカ側のアメリカ滝からなる。アメリカ側はさらにルナ島を挟んでブライダルベール滝がある。最終氷期(最後の氷河期)の後退期に形成され、五大湖の水流がナイアガラ崖線を経て大西洋に流れ込む過程にある。 滝の高さはあまりないが幅が広く、単独で流れる滝の水量では北米で最も規模が大きい。最大毎分168,000m³、平均毎分110,000m³の水量が流れている。.

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ポートコルボーン

ポートコルボーン(英:Port Colborne)は、カナダ・オンタリオ州のナイアガラ地域にある都市である。五大湖のひとつエリー湖に面しており、ウェランド運河の南端に位置する。人口は約18.4千人(2011年)。街は運河周辺で発展をみせ、オンタリオ湖から上ってきた最後の水門がある。この水門は世界で最も長い水門のひとつで420mある。 街の名は初代ウェランド運河(First Welland Canal)が開通した当時、アッパーカナダの副総督であったジョン・コルボーン(John Colborne)に由来する。.

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アッパー・カナダ

アッパー・カナダ(Upper Canada)は、現在のカナダ、オンタリオ州にあったイギリスの植民地である。公式には1791年から1842年まで存在し、領域は大まかに現在の南オンタリオに一致した。アッパーという名前は緯度ではなく、川の上流と言う意味(海抜と言う言い方も出来る)から来ており、ローワー・カナダからはセントローレンス川の上流(upper)に位置した。 今日の南オンタリオの地域が最初にヨーロッパの支配下に入ったのは、ヌーベルフランスの一部としてだった。1763年のパリ条約でフランスからイギリスへ割譲され、1774年のケベック法でに組み込まれた。アッパー・カナダは1790年にイギリスの議会を通過した (Constitutional Act)によって1791年12月26日に一つの政体となった。この法はケベック植民地をアッパー・カナダとローワー・カナダにわけて、それぞれの統治のやり方を定めたものだった。この区分によって、アッパー・カナダに住む王党派アメリカ開拓者とイギリスからの移民はイギリスの法律と機構に組み込まれ、フランス語話者の多いローワー・カナダはフランスの市民法とカトリックの信仰を続けることができた。 植民地の統治は、副総督と行政委員会および立法議会によって行われた。初代副総督はジョン・グレイブス・シムコーであった。1796年2月1日、アッパー・カナダの首都はニューアーク(今日のナイアガラオンザレイク)からヨーク(今日のトロント)に移された。これはアメリカ合衆国からの攻撃に耐えやすいと判断したためであった。 アッパー・カナダの地方政府は「地区」が基本であった。1788年に4つの地区が置かれた。.

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ウェランド (オンタリオ州)

ウェランド(Welland)は、オンタリオ州のナイアガラ地域に位置し、人口4万8,402人の都市(2001年統計)。 鉄道と水の集まる場所として知られ、鉄道はバッファローからトロントやオンタリオ州南西部を繋ぎ、水上交通はウェランド運河やウェランド川(Welland River)があり、これらは街の発展に大きな役割を果たしてきた。 フランス語の話者の割合が多いことで知られ、州内の割合の平均を超える数少ない地域のひとつ。.

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エリー湖

リー湖(エリーこ、 、)は、北アメリカにある五大湖のうちの1つの湖。世界では13番目の面積をもつ淡水湖。英語の発音は「イャリー」に近い。25,8212の面積を持ち、4583の水を湛えている、平均の水深は18mと浅く、2.6年で水が循環する。 エリー湖に流れ込む主な川は、ヒューロン湖とセントクレア湖を源泉とするデトロイト川であり、流れ出た水はナイアガラ川とナイアガラの滝を経て、オンタリオ湖に流れ込む。エリー湖に流入、流出する他の主な川は、グランド川(Grand River)、レイスン川(River Raisin)、マウミー川(Maumee River)、カヤホガ川(Cuyahoga River)である。.

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オンタリオ州

ンタリオ州(Ontario 、Ontario)は、カナダの州の1つ。 カナダの州の中では最も人口が多く、国全体の人口の約3分の1がこの州に集まっており、カナダの政治・経済の中心となっている。カナダ中東部に位置し、州都はカナダ最大の都市トロント。連邦政府の首都オタワはイギリス系の当州とフランス系のケベック州との境界に位置するが、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.などのような中央政府直轄地ではなく、あくまでオンタリオ州に属する一都市という位置づけにある。.

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オンタリオ湖

ンタリオ湖(オンタリオこ、Lake Ontario)は、北アメリカ大陸にある五大湖のうちでは最小の湖である。しかし地球上では14番目の面積を持つ、氷河によって削られて形成されたと言われている淡水湖である。 オンタリオ湖の名前は、イロコイの言葉で「美しい湖」または「輝く水」に由来する。カナダのオンタリオ州は、この湖の名にちなんで名付けられた。 面積は19,0092あり、四国4県を合わせた大きさとほぼ同じ。東西の長さは310kmで、南北の長さは85km。水深は最も深い場所で244mある。 湖の北側はカナダのオンタリオ州に、南側はアメリカ合衆国のニューヨーク州と接している。主な流入河川は南西部のカナダとアメリカの国境で注いでいるナイアガラ川でエリー湖から流れてくる。他の流入河川にはドン川、ハンバー川、トレント川、ジェネシー川、オスウェゴ川、ブラック川などがある。北東からはセントローレンス川に湖水が流れ込み、大西洋へとつながっている。 沿岸の主要な都市としては、北岸東部のキングストン、北岸西部のトロント、西岸のハミルトン、南岸中央部のロチェスターなどがある。.

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カナダ

ナダ(英・、 キャナダ、 キャナダ、カナダ)は、10の州と3の準州を持つ連邦立憲君主制国家である。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国のひとつ。北アメリカ大陸北部に位置し、アメリカ合衆国と国境を接する。首都はオタワ(オンタリオ州)。国土面積は世界最大のロシアに次いで広い。 歴史的に先住民族が居住する中、外からやってきた英仏両国の植民地連合体として始まった。1763年からイギリス帝国に包括された。1867年の連邦化をきっかけに独立が進み、1931年ウエストミンスター憲章で承認され、1982年憲法制定をもって政体が安定した。一連の過程においてアメリカと政治・経済両面での関係が深まった。第一次世界大戦のとき首都にはイングランド銀行初の在外金準備が保管され、1917年7月上旬にJPモルガンへ償還するときなどに取り崩された。1943年にケベック協定を結んだ(当時のウラン生産力も参照)。1952年にはロスチャイルドの主導でブリンコ(BRINCO)という自然開発計画がスタートしている。結果として1955年と1960年を比べて、ウラン生産量は約13倍に跳ね上がった。1969年に石油自給国となる過程では、開発資金を供給するセカンダリー・バンキングへ機関投資家も参入したので、カナダの政治経済は機関化したのであった。 立憲君主制で、連邦政府の運営は首相を中心に行われている。パワー・コーポレーションと政界の連携により北米自由貿易協定(NAFTA)に加盟した。.

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セントローレンス海路

ントローレンス海路(セントローレンスかいろ、Saint Lawrence Seaway)は、大西洋から五大湖のスペリオル湖まで船が航行できる、一連の運河網を指す共通名である。法的にはモントリオールからエリー湖までで、ウェランド運河と五大湖水路を含んでいる。海路の名前は、オンタリオ湖から大西洋まで、海路がたどっているセントローレンス川から採られている。海路の区間は連続した運河ではなく、多くの閘門と天然の水路上にある難所を迂回する短い水路からなっている。.

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運河

運河(うんが)とは、船舶の移動のために人工的に造られた水路であり、河川・湖沼を利用しているものもある。鉄道同様経路中に、橋梁や隧道なども見られる。産業革命以前は船舶を騾馬などが牽引したため、経路に沿って曳舟道(トウパス、towpath、船曳道、牽引路)が設けられている。.

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閘門

イングランドにある閘門 オランダ、北東ポルダーにある閘門 Graveにある閘門と水門の複合施設 Trent-Severn Waterway)第一閘門 閘門(こうもん)は、水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置である。閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変えられることで、これに対して同じく船を上下させるための装置であるケーソン水門(Caisson lock)、船舶昇降機、運河用のインクライン(Canal inclined plane)などでは閘室自体を上下させる。.

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1824年

記載なし。

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1829年

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1833年

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1837年

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1839年

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1840年

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1913年

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1932年

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1967年

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1973年

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