ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

郡山遺跡

索引 郡山遺跡

郡山遺跡(こおりやまいせき)は、宮城県仙台市太白区郡山にある古代の官衙(役所)跡。国の史跡に指定されている(指定名称は「仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺跡」)。.

39 関係: 城柵名取団名取郡名生館官衙遺跡塩竈市多賀城多賀城市多賀神社 (宮城県名取郡)太白区奈良時代宮城県宮城県の神社一覧宮城郡宗禅寺横穴墓群丹取郡広瀬川 (宮城県)仙台の地形仙台市仙台市立郡山中学校仙塩土師器北海道・東北の史跡一覧国府国衙蝦夷蝦夷征討須賀古麻比留茂ヶ崎横穴墓群郡寺郡山城郡山堀長町副都心長町駅陸奥国陸奥国分寺柵戸渟足柵朝庭愛宕山横穴墓群

城柵

城柵(じょうさく)は、7世紀から11世紀までの古代日本において大和朝廷(ヤマト政権、中央政権)が築いた軍事的防御施設である。 現代の歴史学では特に北東と南西の辺境に置かれた政治行政機能を併せ持つものに限って言うことが多い。個々の城柵は、「多賀柵」など「柵」の字を付ける場合と、「多賀城」など「城」の字を付ける場合があり、城も柵も「き」と呼んでいた。北東は蝦夷、南西は隼人に対する備えとして置かれ699年(文武天皇3)12月には、のちの日向・大隅国府に近接した地点に三野(日向国児湯郡三納.

新しい!!: 郡山遺跡と城柵 · 続きを見る »

名取団

名取団(なとりだん)は、8世紀初めから10世紀まで日本の陸奥国(後の陸前国)名取郡に置かれた軍団である。正確な所在地は不明。9世紀以降は胆沢城の鎮守府の守備にあたった。.

新しい!!: 郡山遺跡と名取団 · 続きを見る »

名取郡

*.

新しい!!: 郡山遺跡と名取郡 · 続きを見る »

名生館官衙遺跡

名生館官衙遺跡(みょうだてかんがいせき)は、宮城県大崎市名生館・名小館・名生北館に所在し、多賀城創建以前に築かれた官衙遺跡である。.

新しい!!: 郡山遺跡と名生館官衙遺跡 · 続きを見る »

塩竈市

塩竈市(しおがまし、塩釜市)は、宮城県のほぼ中央、太平洋岸(仙台湾)に位置する都市である。日本有数の漁港を中心とする港町および志波彦神社・鹽竈神社の鳥居前町としての性格がある。.

新しい!!: 郡山遺跡と塩竈市 · 続きを見る »

多賀城

多賀城(たがじょう/たがのき、多賀柵)は、現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵。国の特別史跡に指定されている(指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」)。 奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・文化・軍事の中心地であった。なお、多賀城が存在した頃は「平安海進」により、周囲は現在と大きく異なる地形をしていたため注意が必要。.

新しい!!: 郡山遺跡と多賀城 · 続きを見る »

多賀城市

多賀城市(たがじょうし)は、宮城県のほぼ中央に位置する都市である。旧宮城郡。市の名称は陸奥国府「多賀城」に因む。 仙台市の北東側に隣接するため、そのベッドタウンとしての性格も持ち合わせている。仙台市への通勤率は43.2%(平成22年国勢調査)。.

新しい!!: 郡山遺跡と多賀城市 · 続きを見る »

多賀神社 (宮城県名取郡)

多賀神社(たがじんじゃ)は、宮城県旧名取郡にある神社である。 陸奥国延喜式式内社百座のうち名取郡にある二座のうちの一座「多加神社」であり、現在仙台市太白区富沢と名取市高柳に鎮座する二社が論社とされている。.

新しい!!: 郡山遺跡と多賀神社 (宮城県名取郡) · 続きを見る »

太白区

太白区(たいはくく)は、仙台市を構成する5区のうちの一つで、合併前の旧仙台市の南西部と旧名取郡秋保町からなる。.

新しい!!: 郡山遺跡と太白区 · 続きを見る »

奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

新しい!!: 郡山遺跡と奈良時代 · 続きを見る »

宮城県

地形図 宮城県(みやぎけん)は、日本の東北地方にある県。東は太平洋に面し、西は奥羽山脈に接する。県庁所在地は仙台市。.

新しい!!: 郡山遺跡と宮城県 · 続きを見る »

宮城県の神社一覧

宮城県の神社一覧(みやぎけんのじんじゃいちらん)は、宮城県の神社で宮城県神社庁が包括する本務社と兼務社を、市町村毎に一覧形式でまとめたものである。.

新しい!!: 郡山遺跡と宮城県の神社一覧 · 続きを見る »

宮城郡

*.

新しい!!: 郡山遺跡と宮城郡 · 続きを見る »

宗禅寺横穴墓群

宗禅寺横穴墓群(そうぜんじよこあなぼぐん)は、宮城県仙台市太白区根岸町にある横穴墓群である。宗禅寺横穴群とも呼ばれる。7世紀後半から8世紀後半に、広瀬川の右岸(南西岸)に作られた。総数は不明だが、発見された穴は15ある。.

新しい!!: 郡山遺跡と宗禅寺横穴墓群 · 続きを見る »

丹取郡

丹取郡(にとりぐん、にとりのこおり)は、8世紀前半の日本の陸奥国に置かれた郡である。713年に当時の陸奥国最北の郡として、現在の宮城県大崎市を中心に設置された。728年頃に分割、廃止された。.

新しい!!: 郡山遺跡と丹取郡 · 続きを見る »

広瀬川 (宮城県)

広瀬川(ひろせがわ)は、宮城県仙台市を流れる名取川水系名取川支流の一級河川である。.

新しい!!: 郡山遺跡と広瀬川 (宮城県) · 続きを見る »

仙台の地形

仙台の地形(せんだいのちけい)では、宮城県仙台市の地形、および、地形の制約による土地利用について説明している。.

新しい!!: 郡山遺跡と仙台の地形 · 続きを見る »

仙台市

仙台市(せんだいし)は、宮城県の中部に位置する同県の県庁所在地かつ政令指定都市。また東北地方最大の都市でもある。.

新しい!!: 郡山遺跡と仙台市 · 続きを見る »

仙台市立郡山中学校

仙台市立郡山中学校(せんだいしりつ こおりやまちゅうがっこう)は、宮城県仙台市太白区郡山五丁目にある公立中学校。通称は「郡中」(ぐんちゅう)。.

新しい!!: 郡山遺跡と仙台市立郡山中学校 · 続きを見る »

仙塩

仙塩(せんえん)とは、'''仙'''台市と'''塩'''竈市から1字ずつ採って名付けられた地域名。 「仙塩」が示す範囲には塩竈市が必ず入るが、仙台市が含まれない場合もある。これは、宮城県で用いられる地域名の「仙北(県北)」や「仙南」と同様である。.

新しい!!: 郡山遺跡と仙塩 · 続きを見る »

土師器

半坂峠南尾根支群1号墳(兵庫県豊岡市)から出土した古墳時代前期の壺(兵庫県立考古博物館蔵) 土師器(はじき)とは、弥生土器の流れを汲み、古墳時代~奈良・平安時代まで生産され、中世・近世のかわらけ(土器)・焙烙(ほうろく)に取って代わられるまで生産された素焼きの土器である。須恵器と同じ時代に並行して作られたが、実用品としてみた場合、土師器のほうが品質的に下であった。埴輪も一種の土師器である。.

新しい!!: 郡山遺跡と土師器 · 続きを見る »

北海道・東北の史跡一覧

北海道・東北の史跡一覧(ほっかいどう・とうほくのしせきいちらん)は北海道・東北にある史跡を一覧形式でまとめたものである。.

新しい!!: 郡山遺跡と北海道・東北の史跡一覧 · 続きを見る »

国府

国府(こくふ、こう)は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市。 国府付近には国庁のほかにも国分寺・国分尼寺、総社(惣社)が設置され、各国における政治的中心都市であるとともに司法・軍事・宗教の中心部であった。なお『和名抄』によると、古くは「国」ではなく「島」とされた壱岐や対馬には「島府」が置かれたとされる(まだ確定はされていない)。 律令制の衰退にともない立地の優位性を失い廃れたり所在不明になった国府もある一方、いくつかの国府所在地は、現在でも静岡市・姫路市・岡山市・大分市など大きな都市として発展している。.

新しい!!: 郡山遺跡と国府 · 続きを見る »

国衙

国衙(こくが)は、日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画である。 国衙に勤務する官人・役人(国司)や、国衙の領地(国衙領)を「国衙」と呼んだ例もある。 各令制国の中心地に国衙など重要な施設を集めた都市域を国府、またその中心となる政務機関の役所群を「国衙」、さらにその中枢で国司が儀式や政治を行う施設を国庁(政庁)と呼んだ。.

新しい!!: 郡山遺跡と国衙 · 続きを見る »

蝦夷

蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)などに住む人々の呼称である。 中央政権の地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道・樺太・千島列島・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指す。 大きく、「エミシ、エビス(愛瀰詩、毛人、蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。.

新しい!!: 郡山遺跡と蝦夷 · 続きを見る »

蝦夷征討

蝦夷征討(えみしせいとう)とは、日本の古代において蝦夷に対して朝廷が行った征討である。中央史観の強かった時代には蝦夷征伐と呼ばれた。.

新しい!!: 郡山遺跡と蝦夷征討 · 続きを見る »

須賀古麻比留

賀 古麻比留(すが の こまひる、生没年不詳)は、8世紀前葉に日本の東北地方にいた蝦夷の有力者である。姓(カバネ)は君。霊亀元年(715年)に閇村に郡家を建てるよう求めて認められた。.

新しい!!: 郡山遺跡と須賀古麻比留 · 続きを見る »

茂ヶ崎横穴墓群

茂ヶ崎横穴墓群(もがさきよこあなぼぐん)は、7世紀後半から8世紀前半に作られた横穴墓群で、現在の宮城県仙台市太白区二ツ沢にある。1988年に東北工業大学二ツ沢キャンパスの造成工事中に発見され、25の横穴墓が確認・調査された。現存しない。.

新しい!!: 郡山遺跡と茂ヶ崎横穴墓群 · 続きを見る »

郡寺

郡寺論の端緒となったのは、1946年に発表された田中重久の「郡名寺院」論である 。郡名寺院とは、郡名で呼ばれる地方寺院のことである。その後、山中敏史は、郡衙の周辺に寺院が多数存在することに着目し、これらの寺院を考古学の見地から「評・郡衙周辺寺院」と呼んだ。また、櫻井真也は、日本史学の見地から「評・郡衙隣接寺院」と呼んだ。 こうした郡寺は各地の郡司層の関与のもとで造営されたと考えられるが、これらの寺院が公的な色彩を持っていたとする議論には批判もある。 郡寺の主要な諸説は以下のようなものがあるという。.

新しい!!: 郡山遺跡と郡寺 · 続きを見る »

郡山城

郡山城(こおりやまじょう).

新しい!!: 郡山遺跡と郡山城 · 続きを見る »

郡山堀

郡山堀(こおりやまぼり)は、仙台藩・陸奥国名取郡郡山村(現・宮城県仙台市太白区郡山付近)の灌漑のため、同村の肝煎であった小倉三五郎により1854年(安政元年)から1855年(安政2年)にかけて開削された用水路である。現在も同地区の農業用水として利用されている。1928年(昭和3年)から一部が暗渠化されている。.

新しい!!: 郡山遺跡と郡山堀 · 続きを見る »

長町副都心

広瀬橋交差点から市道原町広岡線を南へ望む。旧長町宿にあたる地区 長町副都心(ながまちふくとしん)とは、仙台市の副都心の1つで、かつ、同市太白区の中心部のことである。仙台市都心部から見て南に位置し、東日本旅客鉄道 (JR東日本) および仙台市地下鉄 (SS) の長町駅を中心として広がる。.

新しい!!: 郡山遺跡と長町副都心 · 続きを見る »

長町駅

JR長町駅 西口 長町駅(ながまちえき)は、宮城県仙台市太白区長町五丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)および仙台市地下鉄の駅である。仙台市地下鉄の駅番号はN15。.

新しい!!: 郡山遺跡と長町駅 · 続きを見る »

陸奥国

奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.

新しい!!: 郡山遺跡と陸奥国 · 続きを見る »

陸奥国分寺

奥国分寺(むつ こくぶんじ)は、宮城県仙台市若林区木下にある真言宗智山派の寺院。護国山医王院国分寺と号す。本尊は薬師如来。 聖武天皇の発願によって建立された国分寺の1つで、奈良時代の740年代頃に創建された。平安時代まで陸奥国の財政的支持を受けて大伽藍を維持したが、室町時代には著しく衰微した。真言宗になった時期は不明。17世紀初めに伊達政宗により再興され、1607年に再建された薬師堂を中心に25坊を擁する大寺院として栄えた。明治時代に僧坊は1つを残して廃絶したが、薬師堂をはじめとする中心堂宇は維持された。 薬師堂は国の重要文化財に、古代の寺院跡は国の史跡に指定されている。薬師堂の南西の准胝観音堂(準胝観音堂)は、江戸時代に設定された仙台三十三観音の第25番札所である。.

新しい!!: 郡山遺跡と陸奥国分寺 · 続きを見る »

柵戸

柵戸(さくこ、きのへ、きべ)は、7世紀から8世紀にかけて、城柵を維持するためにその中か周辺に置かれた人々をいう。関東地方、北陸地方と信濃国から、東北地方・北陸地方、九州地方の辺境域に設置された城柵に移住した。自ら土地を開墾して生活を立て、城柵の造営と修理にあたり、戦時には城柵の防衛にあたった。.

新しい!!: 郡山遺跡と柵戸 · 続きを見る »

渟足柵

渟足柵(ぬたりのき/ぬたりのさく)は、越国(高志国)にあった日本の古代城柵。「沼垂城」とも。 大化3年(647年)に築かれたとされる。詳細な所在地は不明だが、現在の新潟県新潟市東区にあったと考えられている。.

新しい!!: 郡山遺跡と渟足柵 · 続きを見る »

朝庭

長岡京朝堂院復元模型(向日市文化資料館)コの字に並んだ朝堂8堂に囲まれた広い空間が朝庭。奥に見える回廊に囲まれた殿舎が大極殿である 朝庭(ちょうてい)とは、古代日本の宮都において、「コ」の字に建てられた複数の朝堂殿舎に囲まれた長方形の広大な屋外空間。元日朝賀や天皇即位儀など朝儀のおりには文武百官や外国使などが立ち並び、大極殿上の高御座(たかみくら)に出御した天皇を拝謁する場であった。朝堂の中庭、大極殿からみて前庭にあたる。 その原型は、推古朝の小墾田宮に求められ、1177年(安元3年)の安元の大火による平安宮(大内裏)の朝堂院の焼亡までつづいた。とくに乙巳の変後の難波長柄豊碕宮、持統天皇による藤原宮はともに広大な朝庭をともなった。.

新しい!!: 郡山遺跡と朝庭 · 続きを見る »

愛宕山横穴墓群

愛宕山横穴墓群(あたごやまよこあなぼぐん)は、日本の宮城県仙台市太白区にある古墳時代の多数の横穴墓で、愛宕山の中腹に作られた。今も横穴として口を開いているものもあるが、土中から発掘されたもの、調査されないまま破壊されたものもあり、総数は不明である。そのうちの一つは、赤い顔料で玄室を彩った装飾墓であった。.

新しい!!: 郡山遺跡と愛宕山横穴墓群 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

仙台郡山官衙遺跡群

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »