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西国筋郡代

索引 西国筋郡代

西国筋郡代(さいごくすじぐんだい)とは、江戸時代に4ヶ所設置された郡代の一つ。西国郡代とも呼ばれる。.

64 関係: 南海部郡塩見 (日向市)塩谷正義 (代官)塩谷氏大分県天領宇佐平野宇佐郡富高県山陰・坪谷村一揆崇久寺川路聖謨下毛郡九州探題平岩幕末の人物一覧久留島通靖広瀬淡窓広津和郎井上清直応誉児湯郡玖珠郡窪田鎮勝窪田鎮章筏場眼鏡橋鎮西探題西国西海道談綺諸県郡高橋誠種豊後国豊後高松藩豊前国豆田町財光寺越後騒動郡代蒲池鎮之丞蒲池鑑盛蒲池氏臼杵郡長崎街道良清寺陣屋柳河藩東諸県郡東臼杵郡森藩永山城...江口秀種江口鎮俊減封朝倉街道戊辰戦争日向市日向国日田天領水日田市日田祇園祭日田県日田郡日本最後の一覧旗本 インデックスを展開 (14 もっと) »

南海部郡

大分県南海部郡の位置(水色:後に他郡から編入した区域) 南海部郡(みなみあまべぐん)は、大分県にあった郡。.

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塩見 (日向市)

塩見(しおみ)は、宮崎県日向市北部の地域である。現行行政地名は大字塩見。大字区域内の地区名としては中村、新財市、千束口、塩見ケ丘、奥野、永田、権現原がある。郵便番号は883-0033(日向郵便局管区)。.

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塩谷正義 (代官)

塩谷 正義(しおのや まさよし)は、江戸時代の武士。塩谷義通流塩谷氏の七代目。塩谷大四郎の名で広く知られている。.

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塩谷氏

塩谷氏(しおやし・しおのやし・しおたにし・えんやし 等)は、日本の氏族。氏姓における塩谷の読み方については、一般的には「しおや」だが、下野国塩谷郡を発祥とする塩谷氏が「しおのや」と名乗っているほか、「しおたに」「えんや」と呼称する塩谷氏もある。宇多源氏の塩冶氏(えんやし)とは別である。.

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大分県

大分県(おおいたけん)は、日本の九州地方東部に位置する県。県庁所在地は大分市である。 全国的に知名度が高い別府温泉や、由布院温泉をはじめとする温泉は源泉数(4,538ヶ所)、湧出量(291,340L/分)ともに日本一で、また地熱発電の発電量でも日本一でありさらに栽培、養殖などの産業、食文化、美容やと医療に至るまで豊かな温泉の恵みが幅広く活かされている。「日本一のおんせん県おおいた」をキャッチフレーズに温泉をアピールしている。.

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天領

天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地の俗称で、このほか幕府直轄領、徳川幕府領、徳川支配地、幕府領、幕領など様々な呼称があり、必ずしも絶対的な単一の歴史用語ではない村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び、年貢収取の対象となる田畑以外に交通・商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。 幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代である。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、江戸時代に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所、支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。 大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっており、全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている。.

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宇佐平野

宇佐平野(うさへいや)は、大分県北部の宇佐市に広がる平野である。.

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宇佐郡

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富高県

富高県(とみだかけん)は、1868年(慶応4年)に日向国内の幕府領を管轄するために明治政府によって設置された県。管轄地域は現在の宮崎県の全域に分布する。.

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山陰・坪谷村一揆

山陰・坪谷村一揆(やまげ・つぼやむらいっき)は、1690年(元禄3年)に九州東部の延岡藩で起きた農民の逃散による一揆である。山陰一揆、山陰騒動とも呼ばれる。.

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崇久寺

崇久寺(そうきゅうじ)とは、福岡県柳川市東蒲池にある臨済宗妙心寺派の寺院。本尊は十一面観音。.

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川路聖謨

川路 聖謨(かわじ としあきら)は、江戸時代末期(幕末)の武士(旗本)。号は敬斎。 豊後日田代官所の役人の息子に生まれ、御家人出身ながら勘定吟味役、佐渡奉行、小普請奉行、大阪町奉行、勘定奉行などの要職を歴任した。和歌にも造詣が深く、『島根乃言能葉』などの歌集も遺している。.

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下毛郡

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九州探題

九州探題(きゅうしゅうたんだい)とは、室町幕府の軍事的出先機関である。当初は鎮西管領(ちんぜいかんれい)とも称された。.

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平岩

平岩(ひらいわ)は、宮崎県日向市中部の地域である。現行行政地名は大字平岩。大字区域内の地区名としては平岩、笹野東、笹野中、笹野西、金ケ浜、籾木、鵜毛、曙、秋留、本宮、美砂がある。郵便番号は883-0022(日向郵便局管区)。.

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幕末の人物一覧

幕末の人物一覧(ばくまつのじんぶついちらん) 幕末に活躍した人物の一覧。幕末の期間には明確な定義はないが、原則としてペリーアメリカ軍の黒船 来航の1853年~(嘉永6年)から1868年(慶応4年・明治元年)大政奉還まで活躍していた人物。 江戸時代の人物一覧・明治時代の人物一覧と一部重複する。.

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久留島通靖

久留島 通靖(くるしま みちやす、1851年6月13日(嘉永4年5月14日)- 1879年(明治12年)2月23日)は、豊後国森藩の第12代(最後)の藩主。 第11代藩主久留島通胤の長男。正室は黒田長元の四女・毛登子(離婚)。子に久留島通寛(みちひろ、児童文学者・久留島武彦の父)。官位は従五位下。伊予守。 安政7年(1860年)閏3月11日、父の死去により家督を継いだ。文久3年(1863年)12月26日、従五位下伊予守に叙任する。慶応2年(1866年)2月21日、藩主就任以来一度もお国入りをしていないため、幕府に帰藩を願う。同年5月19日、幕府から江戸警備を命じられる。同年12月23日、幕府はようやく帰藩を許可する。 幕末期において薩摩藩と密かに接近して尊王論に傾倒し、藩論を尊王論で取りまとめた。そして慶応3年(1867年)の大政奉還後の12月13日、入京して新政府側に与している。ちなみにこれは、豊後国内で唯一の行動である。慶応4年(1868年)、西国筋郡代窪田鎮勝が日田の西国筋郡代代官所を放棄するとこれを占拠し、のちに朝廷より岡藩とともに警備を任された。 明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により知藩事に就任する。明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県で免官された。同年9月23日、東京に移住した。明治12年(1879年)2月23日、29歳で死去した。法号は舜岳院。 通靖の嫡男・通寛は病弱だったため、弟の通簡が家督を継いでいる。 みちやす *12 Category:幕末の大名 Category:日本の華族 Category:1851年生 Category:1879年没.

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広瀬淡窓

広瀬 淡窓(ひろせ たんそう、天明2年4月11日(1782年5月22日) - 安政3年11月1日(1856年11月28日))は、江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。豊後国日田の人。淡窓は号である。通称は寅之助のちに求馬(もとめ)。諱は建。字は廉卿あるいは子基。当初の号は別号は青渓。死後、弟子たちにより文玄先生とおくり名されたという。末弟に広瀬旭荘、弟・広瀬久兵衛の子孫に、日田市長、衆議院議員だった広瀬正雄、その子息の広瀬勝貞は現大分県知事。.

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広津和郎

広津 和郎(廣津 和郎、ひろつ かずお、1891年(明治24年)12月5日 - 1968年(昭和43年)9月21日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家である。明治期に活動した硯友社の小説家・広津柳浪の子。.

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井上清直

井上 清直(いのうえ きよなお、文化6年(1809年) - 慶応3年12月25日(1868年1月19日))は、幕末の江戸幕府御家人(後に旗本)。 内藤歳由の三男、母は高橋誠種の娘。家禄現米八十石の幕府御家人・井上新右衛門の養子。同じく旗本の川路聖謨は実兄。江戸幕府最後の西国郡代の窪田鎮勝(蒲池鎮克)は従弟。幼名は松吉。通称は新右衛門、官位は信濃守。.

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応誉

応誉(おうよ、円蓮社応誉上人雲冏和尚)は、江戸時代前期の浄土宗の僧。筑後国瀬高の来迎寺の住職。柳川の良清寺の開祖。蒲池統安の子。 天正6年(1578年)の耳川の戦いにおいて大友氏方として参陣した祖父蒲池鑑盛と父統安の戦死や、柳川城主の伯父蒲池鎮漣が龍造寺氏に謀殺され蒲池氏が滅ぶと、応誉は菩提を弔うため僧籍に入り、後に瀬高上荘の来迎寺の第4世住職となった。 その後、柳川藩祖の立花宗茂が正室の誾千代の菩提寺を建てる時、応誉が呼ばれ良清寺を開く。以後、応誉の子孫は良清寺を預かり代々住職を出すと共に、蒲池の名跡を再興し、立花氏の家老格の家となった。 なお、幕末に江戸幕府最後の西国郡代となった旗本の蒲池鎮克(蒲池鎮漣の娘の蒲池徳子の子孫)と、蒲池氏菩提寺である蒲池村の崇久寺で面談した記録のある柳川藩士の蒲池鎮之は、この応誉の子孫であり、歌手の松田聖子(本名・蒲池法子)の高祖父にあたる。.

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児湯郡

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玖珠郡

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窪田鎮勝

鎮勝(くぼた しげかつ、 文化5年(1808年) - 明治11年(1878年)は、幕末の旗本(2000石)、江戸幕府最後の西国郡代。通称治部右衛門(じぶえもん)。戦国時代の柳川城主の蒲池氏の流れを汲み、晩年には先祖の蒲池姓から蒲池 鎮克(かまち しげかつ)と改名する。号は克斎。備前守窪田鎮章の父。扱心流体術の達人としても知られる。.

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窪田鎮章

鎮章(くぼた しげあき、文政10年(1827年) - 慶応4年1月4日(1868年1月28日))は、江戸時代末期(幕末)の武士。窪田鎮勝(蒲池鎮克)の子。大身旗本(2,000石)、幕府歩兵隊連隊長。通称は泉太郎。備前守。.

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筏場眼鏡橋

筏場眼鏡橋(いかだばめがねばし)は、大分県日田市高井町の筑後川水系内河野川に架かる石造単アーチ橋である。大分県の有形文化財に指定されている。.

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鎮西探題

鎮西探題(ちんぜいたんだい)は、鎌倉時代に幕府が西国(九州)の統括のために設置した機関である。行政・訴訟(裁判)・軍事などを管轄した。.

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西国

近畿地方 九州地方 西国(さいごく、せいごく、さいこく、せいこく)とは、日本西部の諸地域である。.

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西海道談綺

『西海道談綺』(さいかいどうだんき)は、松本清張の長編伝奇小説。『週刊文春』に連載され(1971年5月17日号 - 1976年5月6日号、連載時の挿絵は岩田専太郎)、1976年12月から1977年4月にかけて、全5巻の単行本が文藝春秋より刊行された。文春文庫版は全8巻(1981年1月 - 4月)、同文庫新装版は全4巻(1990年10月 - 11月)。『松本清張全集』(文藝春秋)では全3巻(第52巻 - 第54巻、1983年9月 - 11月)。 1983年にテレビドラマ化されている。.

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諸県郡

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高橋誠種

高橋 誠種(たかはし ますたね)は、幕末の豊後国日田代官所勤務の幕臣。幕末の外国奉行の川路聖謨・井上清直や、西国郡代窪田鎮勝らの祖父。通称は小太夫。 高橋光種の流れを汲む筑後国の高橋氏の一族。誠種の次男の秀種が窪田鎮勝の父。誠種の娘が川路聖謨・井上清直兄弟の母(聖謨・清直の父は、日田代官所属吏の内藤吉兵衛歳由)。 Category:江戸幕府幕臣 ますたね Category:生没年不詳.

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豊後国

豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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豊後高松藩

豊後高松藩(ぶんごたかまつはん)は、江戸時代に豊後国に置かれた藩。藩主は大給松平忠昭。藩庁は高松陣屋(現:大分県大分市日岡2丁目。跡地には大分市立日岡小学校が所在)。本項では藩主・領域を同じくする前身の亀川藩と中津留藩についても記述する。.

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豊前国

豊前国(ぶぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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豆田町

草野本家近辺(三丁目)の町並み。下図のクランクカーブ(通称御幸ノ辻)の真ん中から撮影したもの。左の建物が草野本家。 豆田町(まめだまち)は、大分県日田市市街地北部の花月川沿いにある地区。江戸時代以降に建てられた建築群が現存し、国の重要伝統的建造物群保存地区(以下「重伝建地区」という)に選定されている。本項ではかつて同地域に所在した同名の自治体についても述べる。.

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財光寺

財光寺(ざいこうじ)は、宮崎県日向市中部の地域である。山下、長江団地、往還、切島山1~2、松原、比良、川路団地、山下町1丁目、往還町、 沖町、比良町1~5丁目がある。.

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越後騒動

越後騒動(えちごそうどう)は、江戸時代前期に越後国高田藩で起こったお家騒動。藩政を執っていた首席家老小栗美作と、これに敵対するお為方を称する一族重臣とが争い、将軍徳川綱吉の裁定で両派に厳しい処分が下され、高田藩は改易となった。.

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郡代

郡代(ぐんだい)とは室町時代から江戸時代にかけての幕府・諸藩に置かれた職名。郡奉行(こおりぶぎょう)とも。 時代によって厳密な意味合いは異なるが、一般には、その土地の領主に代わって徴税・司法・軍事等の職務を、郡といった広い単位で担当した地方行政官、すなわち郡単位の代官(郡奉行なら奉行)のことを指す。.

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蒲池鎮之丞

蒲池 鎮之(かまち しげゆき、生没年不詳)は、幕末の柳河藩士。 柳川城主の蒲池鑑盛の孫であり、蒲池統安(塩塚城主)の子である円蓮社応誉上人雲冏和尚の子孫。応誉は後に柳川藩祖正室の菩提寺として良清寺を創建し、この子孫が蒲池家の名跡を再興することとなる。良清寺を預かる蒲池家は代々の住職を出し、また武家として立花氏柳川藩の家老格に遇された。 鎮之丞は、先祖を同じくする窪田鎮勝(蒲池鎮克)が、柳川郊外の蒲池村にある蒲池氏の菩提寺である崇久寺を参った時、何度か面談している。 松田聖子(本名・蒲池法子)の直接の先祖で高祖父にあたる。.

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蒲池鑑盛

蒲池 鑑盛(かまち あきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。筑後国南部の戦国大名。蒲池氏16代・後蒲池7代当主。諱の「鑑」の字は、父蒲池鑑久同様に大友義鑑から賜ったもの。法名は宗雪(そうせつ)。.

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蒲池氏

蒲池氏(かまちし)は、鎌倉時代以来の筑後国の一族。鎌倉時代は地頭職、室町時代は大身の国人領主、戦国時代は筑後十五城の旗頭の大名分で柳川城主であった。 蒲池氏は歴史的に見ると、嵯峨源氏そして嵯峨源氏渡辺党松浦氏族の「前蒲池」時代(鎌倉時代~南北朝時代)と、藤原氏系宇都宮氏族の「後蒲池」時代(室町時代~戦国時代)がある。.

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臼杵郡

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長崎街道

元禄頃の長崎街道 (ケンペル『日本誌』、ロンドン、1727年刊) 出島商館長一行 (ケンペル『日本誌』) 常盤橋 黒崎地区) 長崎県の日見峠 後世になり塩田宿入口に設置された碑 佐賀宿西側。街道はのこぎり型に細かく折れ曲がっており、わざと見通しを悪くして佐賀城下の防衛を行ったと言われている。 長崎街道(ながさきかいどう)は、江戸時代に整備された脇街道の一つで、豊前国小倉(福岡県北九州市小倉北区)の常盤橋を始点として、肥前国長崎(長崎県長崎市)に至る路線である。57里(約223.8km)の道程で、途中に25の宿場が置かれた。 また現代においては、江戸時代の長崎街道に沿って走る国道200号や国道3号および国道34号の通称としても用いられる。.

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良清寺

良清寺(りょうせいじ)は、福岡県柳川市西魚屋町にある浄土宗寺院。柳川藩祖・立花宗茂の正室・誾千代の菩提寺。寺の名は、誾千代の院号の「光照院殿泉誉良清大禅定尼」に由来。.

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陣屋

復元された兵庫県佐用郡佐用町乃井野の旧三日月藩政庁三日月陣屋 兵庫陣屋絵図/神戸市立博物館蔵 陣屋(じんや)は、江戸時代の幕藩体制における、大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷、また徳川幕府直轄領の代官の住居および役所が置かれた建物のことである。.

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柳河藩

柳河藩(柳川藩、やながわはん)は、筑後国に存在した藩。藩庁は柳川城(現:福岡県柳川市)。当初は筑後一国を支配する大藩であったが、のちに久留米藩の成立により筑後南部のみを領有する中藩となった。.

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東諸県郡

宮崎県東諸県郡の位置(1.国富町 2.綾町 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域) 東諸県郡(ひがしもろかたぐん)は、宮崎県の郡。 以下の2町を含む。.

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東臼杵郡

宮崎県東臼杵郡の位置(1.門川町 2.諸塚村 3.椎葉村 4.美郷町 薄緑:後に他郡から編入した区域) 東臼杵郡(ひがしうすきぐん)は、宮崎県の郡。 以下の2町2村を含む。.

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森藩

森藩(もりはん)は、江戸時代に豊後国日田郡・玖珠郡・速見郡内を領した藩。藩庁として森(現在の大分県玖珠郡玖珠町)に森陣屋が置かれた。.

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永山城

永山城(ながやまじょう)は、大分県日田市丸山町にあった城である。通称、月隈城(つきくまじょう)ともいうが誤りとされる。旧称は丸山城(まるやまじょう)。以下は、日田陣屋を併記する。.

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江口秀種

江口 秀種(えぐち ひでたね)は、江戸時代の柔術家。通称は源次郎。江戸幕府最後の西国郡代の窪田鎮勝(蒲池鎮克)の父。幕臣の高橋誠種の子で、幕末の外国奉行の川路聖謨・井上清直兄弟の叔父。 江口鎮俊の娘の須美の婿養子となり、肥後国熊本藩の扱心流体術の江口道場を継ぐ。 ひてたね Category:筑後高橋氏 Category:武術家 category:柔術 Category:江戸時代の武士 Category:肥後国の人物 Category:生没年不詳.

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江口鎮俊

江口 鎮俊(えぐち しげとし)は、 江戸時代後期の人物。江口吉太夫、蒲池鎮俊とも。 蒲池鎮漣の6代後の蒲池鎮康の娘・苗伊の婿となり家を継ぎ蒲池鎮俊となる。久留米藩士・堀尾氏の出で、もとは堀尾鎮俊という。筑後国上妻郡江口村に住み、江口鎮俊と名のる。 肥後に移り、熊本藩の扱心流体術の師範となる。四天流星野道場、竹内三統流矢野道場と共に肥後三柔術道場の一つとされる扱心流江口道場の祖で、江口秀種が継いだ。 孫に江戸幕府最後の西国郡代の窪田鎮勝(蒲池鎮克)がいる。.

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減封

減封(げんぽう)は、江戸時代においては大名、旗本などの武士に課せられた刑罰を意味し、武士の身分を剥奪して所領と城・屋敷の一部を削減することをいう。また所領を分割相続することを分封、所領を没収されることを改易という。以下、江戸時代の減封について叙述する。.

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朝倉街道

朝倉街道(あさくらがいどう)は、筑前国博多(福岡藩)と豊後国日田(西国郡代)を結んでいた街道。現在の福岡県朝倉市で秋月街道(現・国道322号)と交わる。この交差点一帯は交通の要衝であるため、秋月藩でなく福岡藩が管理していた。 現在の福岡県道・大分県道112号福岡日田線(福岡県筑紫野市からは国道386号と重複)とほぼ一致する。.

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戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

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日向市

日向市(ひゅうがし)は、宮崎県の北東部に位置する市である。.

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日向国

日向国(ひゅうがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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日田天領水

日田天領水(ひたてんりょうすい)は、大分県日田市の地中約1,000mの水源から採取されるミネラルウォーター。また、株式会社日田天領水は、同市に本社を置き、日田天領水等を製造・販売する私企業である。.

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日田市

日田市(ひたし)は、大分県の北西部に位置する市である。.

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日田祇園祭

八坂神社前に集合した山鉾 日田祇園祭(ひたぎおんまつり)は、大分県日田市で行われる曳山行事を含む厄除け神事である。.

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日田県

日田県(ひたけん)は、1868年(慶応4年)に豊前国及び豊後国(現在の大分県全域及び福岡県東部)の幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県。管轄地域は、豊前国、豊後国全域にわたって分布し、後には日向国(現在の宮崎県全域)に分布する地域も編入された。.

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日田郡

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日本最後の一覧

日本最後の一覧(にほんさいごのいちらん)は、日本で最後となった物事、もしくは日本人として最後となった物事の一覧。 なお、現在も可能であるが数十年あるいはそれ以上の長期間にわたって実例がなく、今後も実際に発生する可能性が著しく低いような物事も含めるが、単に「日本最後」と呼ばれるだけのものは除外している。.

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旗本

旗本(はたもと)は、中世から近世の日本における武士の身分の一つ。主として江戸時代の徳川将軍家直属の家臣団のうち石高が1万石未満で、儀式など将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格を持つ者の総称。旗本格になると、世間的には「殿様」と呼ばれる身分となった。旗本が領有する領地、およびその支配機構(旗本領)は知行所と呼ばれた。 元は中世(戦国時代)に戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味しており、主家からすると最も信頼できる「近衛兵」の扱いであった。.

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