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玉虫厨子

索引 玉虫厨子

玉虫厨子 玉虫厨子(たまむしのずし)は奈良県斑鳩町の法隆寺が所蔵する飛鳥時代(7世紀)の仏教工芸品。装飾に玉虫の羽を使用していることからこの名がある。国宝に指定されている。.

25 関係: 厨子大般涅槃経奈良県立斑鳩高等学校宮殿 (厨子)密陀絵上原和帝釈天平塚武二ジャータカタマムシ国宝への旅国宝絵画の一覧国宝探訪四十八体仏石田尚豊玉虫色西岡常一錣屋根正家廃寺法隆寺法隆寺の仏像截金日本の国旗日本美術日本美術史

厨子

玉虫厨子(法隆寺・国宝) 厨子(ずし)は、仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置する仏具の一種である。広義では仏壇も厨子に含まれる。.

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大般涅槃経

『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう、महापरिनिर्वाणसूत्र(Mahāparinirvāṇa Sūtra、マハーパリニルヴァーナ・スートラ)、महापरिनिब्बानसुत्तन्त Mahaaparinibbaana Sutta(nta)(マハーパリニッバーナ・スッタ(ンタ))は、釈迦の入滅(=大般涅槃(だいはつねはん))を叙述し、その意義を説く経典類の総称である。阿含経典類から大乗経典まで数種ある。略称『涅槃経』。 大乗の『涅槃経』 は、初期の『涅槃経』とあらすじは同じだが、「一切衆生悉有仏性」を説くなど、趣旨が異なる。 涅槃経を宗旨とする宗派涅槃宗が中国で興ったが、日本には直接伝来しなかった。.

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奈良県立斑鳩高等学校

奈良県立斑鳩高等学校(ならけんりついかるがこうとうがっこう, Nara Prefectural Ikaruga High School)は、奈良県生駒郡斑鳩町高安二丁目にあった公立高等学校。 2005年(平成17年)に奈良県立片桐高等学校と統合され、奈良県立法隆寺国際高等学校となった。.

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宮殿 (厨子)

宮殿(くうでん)は、仏教の礼拝対象である仏像、祖師像などを収める厨子の一種。「厨子」との区別は必ずしも明確でないが、構造、形式、形態、技法など、実際の社寺建築に準じて製作されたものを「宮殿形厨子」ないし「宮殿」と称することが多い。「空殿」とも書かれるが当て字である。   奈良時代以前の日本では、「厨子」と言う言葉がまだ使われておらず、仏堂形式の厨子を「宮殿」と呼んだ。宮殿形厨子の日本最古の遺構は法隆寺の「玉虫厨子」であり、ついで同寺の「橘夫人念持仏厨子」がある。.

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密陀絵

密陀絵(みつだえ)は、日本の油彩絵画技法の一つ。あるいは漆器や陶磁器の上絵装飾技法の一種。また、その技法で製作された絵や装飾のこと。.

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上原和

上原 和(うえはら かず、1924年12月30日 - 2017年2月9日)は、日本の美術史家。成城大学名誉教授。専門は美学美術史。.

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帝釈天

帝釈天(たいしゃくてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。天主帝釈・天帝・天皇ともいう。バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)でヒッタイト条文にも見られるインドラ(इंद्र、इन्द्र)と同一の神。妻は阿修羅の娘であるシャチー(舎脂)。梵天と一対の像として表されることが多く、両者で「梵釈」ともいう。朝鮮の檀君神話では釋提桓因(しゃくだいかんいん)とも記載される。釋は字(あざな)、提桓因は天主のこと。 別名三十二天とも呼称される。また、仏教では東南西北のそれぞれに、持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)が仕えることから四天王天と呼ばれることがある。.

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平塚武二

平塚 武二(ひらつか たけじ、1904年7月24日 - 1971年3月1日)は、日本の児童文学作家。 神奈川県横浜市中区末吉町生まれ。父親は土木会社「平塚組」社長で、遊園地「本牧花屋敷」をつくった、平塚福太郎。 1927年、青山学院高等部英文科卒。鈴木三重吉に師事。1929年赤い鳥社に入社し与田準一とともに雑誌「赤い鳥」復刊の準備を行う『更級日記』童心社、著者紹介。のち「赤い鳥」の編集にたずさわる。「赤い鳥」の廃刊で一時逼塞し、海事新聞記者となる。1942年、童話集『風と花びら』を上梓して童話作家としての地歩を確立した。 戦後も活動を続け、古典や神話、歴史に取材した作品に優れたものがあり、『馬ぬすびと』『ものがたり日本れきし』で知られる。「太陽よりも月よりも」など無国籍童話と呼ばれた風刺的な童話を書く一方、「玉むしのずしの物語」など唯美主義的な童話にも才能を示した。また“願望性虚言症”といわれるほど自分の願望と現実とを一緒にしてしまう性癖があり、児童文学界の奇人として知られた。 1964年に横浜文化賞を受賞。死去後の1980年、「絵本玉虫厨子の物語」(画/太田大八)が絵本にっぽん賞を受賞。 弟子に佐藤さとる、長崎源之助、神戸淳吉がいる。.

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ジャータカ

『ジャータカ』(skt及びPl:Jātaka、漢訳音写:闍陀迦、闍多伽など)とは、仏教でいう前世の物語のこと。パーリ語版は、パーリ語経典経蔵小部に収録され、漢訳『本生経』(ほんしょうきょう)は、大蔵経の本縁部に各種の話が収録されている。.

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タマムシ

''Metaxymorpha gloriosa'' ''Crysochroa fulgidissima 背面'' ''Crysochroa fulgidissima 側面'' タマムシ(玉虫、吉丁虫)とは、コウチュウ目タマムシ上科(Buprestoidea)に属する昆虫の総称、または日本に於ける代表的な種Chrysochroa fulgidissimaの和名である。 カミキリムシやハムシの属するハムシ上科に比較的近縁なグループであり、その多くは幼虫が生木、または枯死木の材を食害する。上翅と下翅のサイズ、面積が大きく違わず、翅を閉じる際には下翅を折りたたむことなく上翅の下に収納する。また、下翅を展開する必要がない分だけ、翅を開いてから飛び立つまでに要する時間も短くて済む。.

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国宝への旅

『国宝への旅』(こくほうへのたび)は、1986年から1989年までの毎年上半期の木曜日にNHK総合テレビで放送された、日本各地の国宝を紹介する番組である。主にNHK大阪放送局が製作した。.

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国宝絵画の一覧

本項では、日本国の文化財保護法により1951年以降に国宝に指定された絵画作品を国宝絵画の一覧(こくほうかいがのいちらん)として概説する。 日本では1897年以来、特に優れた有形文化財を「国宝」として指定してきた。国宝の定義、評価基準は年代とともに変化し、1950年に施行された文化財保護法のもと、それまでの国宝は重要文化財となり、重要文化財の中からあらためて国宝が指定されるようになった。同法に基づく国宝(いわゆる「新国宝」)の最初の指定は1951年6月9日に行われた。 国宝絵画は譲渡が制限されており、日本国外への輸出は文化財保護法第44条で禁止されている -->。所有者は絵画が損傷、紛失した場合には公表する義務があり、所有者の変更や、絵画の修復に必要な移動であっても、許可を得る必要がある 。 国宝は「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」として文部科学大臣が指定するもので、国宝絵画は8世紀の奈良時代から19世紀の江戸時代までの159件となっている(2012年9月指定分まで)。絵画で国宝指定されているのは159件だが、これは作品点数ではなく、文化財としての指定件数である。『十二天像』のように、複数の作品が1件の国宝に指定されている場合もあるため、実際の作品点数は159よりも多い。描かれている題材は、仏教画、山水画、肖像画、風俗画などがあり『源氏物語絵巻(隆能源氏)』のように特定の文学作品に取材した作品もある。中国から伝来した絵画も国宝に指定されている。国宝指定名称としての各絵画の題名は、『凍雲篩雪図』(浦上玉堂筆)など一部を除いて作者によるものではなく、各絵画の内容に基づいて後に命名されたものである。 6世紀半ばに百済から日本へ仏教が伝来し、同時に中国から仏教画ももたらされた。飛鳥時代前期から後期(白鳳期)にかけて(7世紀末頃まで)の日本絵画の遺品はきわめて少なく、法隆寺にある玉虫厨子(工芸品部門の国宝)の装飾画、絵画的表現を有するものとして中宮寺の天寿国繍帳(工芸品部門の国宝)などが挙げられるにすぎない。これら最初期の仏教画には中国の作風、特に南北朝時代から隋(581年 - 618年)の仏教画の影響がみられる。白鳳期から奈良時代(7世紀末から8世紀)に日本で描かれた絵画には唐(615年 - 907年)の影響が見られ、『'''高松塚古墳壁画'''』や『麻布著色吉祥天像』などは、典型的な唐様式の絵画となっている。奈良時代に描かれた現存する絵画のほとんどは仏教を主題としており、その作者は不明なものがほとんどである。奈良時代の芸術作品は、彫刻の現存するものが比較的多いのに対し、絵画の現存例は少ない。法隆寺金堂壁画(重要文化財)はこの期の作品であったが1949年に焼損した。9世紀はじめの平安時代以降、中国風の絵画は「唐絵」として日本絵画の中で一つの様式を形成するにいたった。。 8世紀から9世紀の平安時代初期には純粋密教である真言宗、密教の要素をもつ天台宗がそれぞれ空海と最澄によって唐からもたらされ、曼荼羅が多く描かれるようになる。浄土教の発展は来迎図の様式を発達させ、1053年に平等院の『鳳凰堂中堂壁扉画』に描かれた「九品来迎図」に見られるように、西方浄土の阿弥陀如来を題材とした絵画も多く描かれるようになった。平安時代中期にはそれまでの唐絵から、襖絵や屏風絵に見られるように日本独自の「大和絵」が主流になっていく。平安時代末期の1185年ごろには、大和絵が絵巻物の挿絵として描かれることが盛んになった。『源氏物語』を題材にした『源氏物語絵巻』が特に有名で、他にも応天門の変を描いた『伴大納言絵詞』などの歴史的事件を題材にしたものや『紙本著色餓鬼草紙』のように宗教を題材とした絵巻物が存在する。絵巻物は鎌倉時代(1185年頃 - 1333年)になるまで作成されていたが、奈良時代と同様に絵画よりも彫刻のほうが芸術作品としては好まれていた。 その後、宋、元の影響を受けた、墨のみの単色で描かれた水墨画が、それまでの多色絵巻物よりも隆盛を見せ始める。室町時代の14世紀終わりには、中国で様式が完成された山水画が、画僧によって日本独自の発展を遂げた。国宝指定の『竹斎読書図』、『山水図(水色巒光図)』の作者に帰される室町時代の禅僧の周文と、その弟子で『四季山水図巻(山水長巻)』ほか6点が国宝絵画に指定されている雪舟が、もっともよく知られる当時の画僧である。初期の日本絵画と同様に水墨画の多くは寺院のために描かれたものであったが、室町時代後期の1573年ごろには禅寺から散逸し、狩野派の画家たちの手本となっていった。 それまでの時代と対照的に、安土桃山時代(1568年 - 1603年)の絵画は金銀箔を大量に使用した、極彩色で雄大なものである。大規模な絵画が戦国大名の城郭の装飾として用いられた。この時代以降、有力武家の保護を受けた狩野派は300年にわたって日本絵画の主流を占めることになる。大規模で多色使いの絵画の流行は江戸時代(1603年 - 1868年)になっても続き、俵屋宗達、尾形光琳を代表とする琳派は、平安時代の古典的日本文学を主題とした題材を鮮やかな色使いで描き出している。18世紀には宋の文人画が日本にもたらされ、南画として成立した。南画の代表的な画家としては池大雅、与謝蕪村があげられる。.

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国宝探訪

『国宝探訪』(こくほうたんぼう)は、2000年4月1日から2003年4月5日までNHK教育テレビで放送されていた教養番組である。 毎回様々な国宝の魅力を、時代背景・風土・作者の意図といった多彩な視点から紹介していた。.

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四十八体仏

一光三尊像(143号) 四十八体仏(しじゅうはったいぶつ)は、東京都台東区の東京国立博物館が所蔵する、飛鳥時代から奈良時代にかけての49件(57体)の金銅仏(こんどうぶつ)の総称である(金銅仏とは、銅製鍍金の仏像の意)。その伝来から、法隆寺献納金銅仏、御物金銅仏などとも呼ばれる。これらの金銅仏は、もとは奈良県の法隆寺に伝来したもので、いずれも像高20センチから50センチ内外の小像であるが、飛鳥 - 奈良時代の仏像彫刻のまとまったコレクションとして他に類例がない。日本仏教彫刻史の貴重な資料であるとともに、中国大陸や朝鮮半島の仏像製作の技術や様式の日本への伝播を知るうえでも重要な作品群である。.

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石田尚豊

石田 尚豊(いしだ ひさとよ、1922年8月9日 - )は、日本の美術史学者。 東京府出身。東京大学文学部国史学科卒。1952年東京国立博物館に入り、文化財調査官、資料課長。1978年「曼荼羅の研究」で東大文学博士、日本学士院賞受賞。1981年青山学院大学教授、1991年聖徳大学教授。日本仏教美術史専攻。.

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玉虫色

玉虫色(たまむしいろ)とは、光の干渉によって起こる金緑から金紫の色調変化をする染色や織色をさす。 また見る角度によって異なる色合いに見えることから、見方によってどのようにも解釈できるあいまいな(都合の良い)表現として、「玉虫色の〜」という。 ヤマトタマム.

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西岡常一

西岡 常一(にしおか つねかず、1908年(明治41年)9月4日 - 1995年(平成7年)4月11日)は、法隆寺専属の宮大工。.

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錣屋根

230px 錣屋根(しころやね)とは、屋根形状の一つ。その葺き方のことを錣葺き(しころぶき)という。.

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正家廃寺

正家廃寺(しょうげはいじ)は、美濃国恵那郡(現在の岐阜県恵那市)にかつて存在した古代仏教寺院。奈良時代に創建され平安時代中期には廃絶したと考えられ、法隆寺式伽藍配置の堂塔の遺構が残る。寺名が不明のため、正家廃寺と呼ばれている。寺跡は昭和34年(1959年)に岐阜県史跡に、平成13年(2001年)に国の史跡に指定されている。.

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法隆寺

法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。.

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法隆寺の仏像

本項法隆寺の仏像(ほうりゅうじのぶつぞう)では、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳太子ゆかりの寺院・法隆寺に伝来する仏像について説明する。 法隆寺の西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築として著名であり、「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録されている。法隆寺には建築のみならず、各時代の仏教美術品が多数収蔵されている。なかでも仏像に関しては日本彫刻史の第一頁を飾る優品の多くが法隆寺に集まっている。飛鳥時代の仏像としては、推古31年(623年)止利仏師作の銘を有する銅造釈迦三尊像をはじめ、百済観音の通称で知られる木造観音菩薩立像、東院夢殿本尊の木造観音菩薩立像(救世観音)などが著名である。奈良時代の仏像には、金銅仏(銅製鍍金)、塑像、乾漆像、押出仏(薄い銅板を打ち出したもの)など、各種の材質・技法を用いた作品が残っている。このように各時代・各技法の仏像が豊富に残されていることが、他寺院にない特色である。 本項では法隆寺に所在する国宝・重要文化財指定の彫刻作品について概観する。ただし、1878年に法隆寺から当時の皇室へ献納された、いわゆる「法隆寺献納宝物」中の仏像については「法隆寺献納宝物」及び「四十八体仏」の項を参照のこと。.

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截金

截金(きりかね、切金)は、細金(ほそがね)とも呼ばれ金箔・銀箔・プラチナ箔を数枚焼き合わせ細く直線状に切ったものを、筆と接着剤を用いて貼ることによって文様を表現する伝統技法である。細い線状の截金と、三角形・菱形・丸型などの形に切った截箔・切箔(きりはく)、箔をある形に截り透かした裁文(さいもん)、これらを単独あるいは組み合わせて表した文様を截金文様と呼ぶ。日本においては特に仏像・仏画の衣や装身具を荘厳するために発達してきた。現代では工芸品として利用されることも多く、京都市の伝統産業として京の手しごと工芸品に認定されている 。.

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日本の国旗

日本の国旗(にっぽんのこっき、にほんのこっき)は、法律上は日章旗(にっしょうき)と呼ばれ、日本では古くから、また今日でも一般的に日の丸(ひのまる)と呼ばれる旗である。 1999年(平成11年)に公布・施行された「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)の規定によれば、旗の形は縦が横の3分の2の長方形。日章の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心。色地は白色、日章は紅色とされている。上下・左右対称である。 日章と旭光を意匠化した旗については旭日旗を参照。.

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日本美術

仏教美術(興福寺の阿修羅、734年) 日本美術には実に多様な種類がある。陶磁器、彫刻、絵画など、その種類は非常に多い。また長い歴史をもっており、日本に人間が住み始めた紀元前10000年頃から現在まで継承されている。.

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日本美術史

日本美術史(にほんびじゅつし)とは、日本の美術の流れ、様式の変遷、各時代の代表的な作品や作家の研究、相互の影響関係、作品や作家を生んだ時代背景(政治、経済、信仰、風俗、社会、文学などとの関連)などについて述べたもの、またはそうした分野を研究する学問のこと。 本項では日本美術史の概観を述べるにとどめ、各時代の美術についてはそれぞれ別項目を設けて詳説する(予定)。.

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