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歌人

索引 歌人

歌人(かじん)とは、和歌または短歌を詠む人物のことをいう。歌詠み(うたよみ)ともいう。.

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加納諸平

加納 諸平(かのう もろひら、文化3年(1806年)-安政4年6月24日(1857年8月13日))は、江戸時代後期の国学者。通称は小太郎。別名は兄瓶(えみか)。号は柿園(しえん)。.

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加賀

加賀(かが).

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加藤千蔭

加藤 千蔭(かとう ちかげ、享保20年3月9日(1735年4月1日) - 文化5年9月2日(1808年10月21日))は、江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人・書家。父は加藤枝直。姓を橘氏とすることから、橘千蔭とも称する。通称は又左衛門。字は常世麿。号は芳宜園など。.

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加藤千恵 (歌人)

加藤 千恵(かとう ちえ、1983年11月10日 - )は北海道旭川市出身の歌人、小説家。通称、ニックネームは、かとちえ。.

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加藤孝男

加藤 孝男(かとう たかお、1960年11月20日 - )は、日本の歌人、身体哲学研究者。東海学園大学教授。歌誌「まひる野」所属。.

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加藤克巳

加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、歌人。.

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加藤磐斎

加藤 磐斎(かとう ばんさい、寛永2年(1625年) - 延宝2年8月11日(1674年9月10日)は、江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。出生地は摂津国山田。通称は新太郎。踏雪・臨淵の軒号、冬木斎・等空・磐斎などの号を用いた。なお、「盤斎」は誤りである。 伊勢物語新抄、土佐日記見聞抄、清少納言枕草子抄、方丈記抄、徒然草抄、諷増抄、百人一首抄、新古今増抄、三部抄増註、俳諧歌(俳論書)などを著す。.

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加藤美樹

加藤 美樹(かとう うまき、享保6年(1721年) - 安永6年6月10日(1777年7月14日))は、江戸時代中期の国学者・歌人。名は宇万伎とも書く。姓は藤原氏。通称は大助。号は静舎・静廼舎。 美濃国大垣新田藩主戸田家の奥医師河津家に婿として入ったが、辞去後、幕府の大番与力となり、大阪城と二条城の勤番を勤めた。国学者賀茂真淵に学び、将来を託された、大阪在番中に上田秋成の入門を受け、京阪地域に真淵の学問が浸透する機会を作った。 著書に「雨夜物語だみことば」「土佐日記解」「静廼舎歌集」などがある。 Category:江戸幕府幕臣 Category:江戸時代の歌人 Category:国学者 Category:18世紀の学者 Category:1721年生 Category:1777年没.

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加藤由香

加藤 由香(かとう ゆか、1974年4月19日 - )は、CBCテレビ(CBC)のアナウンサー。生まれは東京都江東区門前仲町。幼少期に福島県福島市に移住し、その後も出身地は福島県としている(現在の本籍地は仙台市)。福島市立蓬莱中学校、福島県立福島女子高等学校、中央大学卒業。.

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加藤英彦

加藤 英彦(かとう ひでひこ、1954年9月30日 - )は、歌人。短歌誌「Es」編集・発行人。日本文藝家協会会員。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ会員。FLYING KIDSのギタリストは同姓同名の別人。 広島県生まれ。1972年に短歌誌「創作」に、1976年に短歌誌「氷原」に入会。1988年、同人誌「DOA」創刊に参加。1998年に退会した後、2001年より短歌誌「Es」同人。2007年、第1歌集「スサノオの泣き虫」で第13回日本歌人クラブ新人賞を受賞。.

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加藤枝直

加藤 枝直(かとう えなお、元禄5年12月11日(1693年1月16日) - 天明5年8月10日(1785年9月13日))は、江戸時代中期の幕臣・歌人。本姓は橘氏。初名は為直、後に枝直と書いて「えだなほ」と訓むが「えなほ」と改め、要南甫とも書く。通称は又左衛門、又兵衛。号は南山・常世庵・芳宜園。加藤千蔭の父。.

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加藤正明

加藤 正明(かとう まさあき).

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加藤治郎 (歌人)

加藤 治郎(かとう じろう、1959年11月15日 - )は、日本の歌人。歌誌「未来」選者。.

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城陽市

城陽市(じょうようし)は、京都府南部に位置する市で、京都市と奈良市のほぼ中間に位置する。 正道官衙遺跡(国の史跡)や久世神社、水度神社(いずれも本殿は国の重要文化財)などの歴史的建築物を擁する。 また、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する京都サンガF.C.のホームタウンの一つであり、サンガの練習場である京都サンガF.C.東城陽グラウンド(サンガタウン城陽)が市内に位置している。なお、京都府が計画している球技専用スタジアムの建設予定地に立候補したが、最終的に落選した(詳細は京都スタジアムを参照)。 金銀糸の生産高では、日本国内の約60%を占めている。 人口は約8万人で、同じ京都府にある福知山市とほぼ同水準であるが、城陽市は市域が狭いため、人口密度は福知山市の約17倍となっている。 当市発祥のスポーツとしてエコロベースがある。 市名は、城陽町設置の際に公募。「山城国南部、陽の当たる豊かな土地」という意味。.

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基世王

基世王(もとよおう、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての皇族・貴族。大宰帥・仲野親王の三男。官位は従四位下・因幡権守。.

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埼玉師範学校

埼玉師範学校 (さいたましはんがっこう) は新制埼玉大学教育学部の前身の一つとなった師範学校である。.

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埼玉県出身の人物一覧

埼玉県出身の人物一覧(さいたまけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する埼玉県出身の人物の一覧である。さいたま市出身の人物一覧も参照。.

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埼玉県立浦和西高等学校

埼玉県立浦和西高等学校(さいたまけんりつ うらわにしこうとうがっこう)は、埼玉県さいたま市浦和区木崎三丁目にある公立高等学校。通称は「西高」(にしこう)。全日制課程に普通科を設置している。県内公立校としては数少ない私服校。.

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埼玉県立浦和高等学校の人物一覧

埼玉県立浦和高等学校(さいたまけんりつうらわこうとうがっこうのじんぶついちらん) 埼玉県立浦和高等学校の主な教職員・出身者・関係者などの一覧。.

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埼玉村

埼玉村(さきたまむら)は、埼玉県の北部北埼玉郡に属していた村である。 埼玉県(さいたまけん)の県名発祥の地であるが、この埼玉は「さきたま」と読む。.

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埃吹く街

『埃吹く街』(ほこりふくまち、草木社、1948年2月10日)は、日本の歌人、近藤芳美の最初の個人歌集。装幀は上野省策。本文182頁、歌数447首。.

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厚見王

厚見王(あつみおう/あつみのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代の皇族・歌人。知太政官事・舎人親王の子とする系図がある。官位は従五位上・少納言。.

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原久胤

原 久胤(はら ひさたね、1792年(寛政4年) - 1844年10月30日(天保15年9月19日))は江戸時代後期の国学者及び歌人。号は契月(けいげつ)及び五十槻舎(いつきのや)。通称は新左衛門(しんざえもん)。別名に平 久胤(たいら ひさたね)。.

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原知一

原 知一(はら ともかず、1910年5月 - 2004年3月31日)は、日本の歌人、作詞家。山形市出身。.

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原理日本社

原理日本社(げんりにほんしゃ)は、戦前日本の右翼団体。.

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原田謙次

原田 謙次(はらだ けんじ、1893年8月8日 - ?)は、日本の歌人、小説家。 長崎市生まれ。第一高等学校中退、東京外国語学校イタリア語専修をへて、1920年早稲田大学英文科卒。吉江喬松、島崎藤村に師事し、歌人、詩人となる。小説一編のほかイタリア文学の翻訳もある。.

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原田憲雄

原田憲雄(はらだ のりお/けんゆう、1919年 - )は、日本の詩人、歌人、中国文学者。弟は歌人の原田禹雄。 京都市の日蓮宗・妙徳寺の生まれ。1941年龍谷大学文学部卒、尾上柴舟門下の歌人となる。1953年雑誌『方向』を発刊。漢詩を軸に古典中国文学を多く翻訳。 唐代詩人の『李賀研究』を、個人雑誌で拠点に発刊、長年かけその作品を全訳注解した『李賀歌詩編』で、日本翻訳文化賞を1999年に受賞した。.

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原阿佐緒

原 阿佐緒(はら あさお、女性、1888年6月1日 - 1969年2月21日)は、日本の歌人である。本名原 浅尾(はら あさお)。.

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おほつぶね

おほつぶね(おおつぶね、生没年不詳)は、平安時代前期の女流歌人。 『後撰和歌集』や『大和物語』などによれば、在原棟梁の娘で、「おほつぶね」は幼名という。あるいは藤原敦忠母の妹とも、藤原敦忠母と同一人物とも言われる。陽成院の側妾だったこともあったらしい。 勅撰和歌集では『後撰和歌集』に3首入集。平貞文・貞元親王らと交流があったらしい。.

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お茶の水女子大学の人物一覧

お茶の水女子大学の人物一覧はお茶の水女子大学に関係する人物の一覧記事。.

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つるぎ町

つるぎ町(つるぎちょう)は、徳島県北西部に位置する町。.

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てい子内親王

媞子内親王(ていし(やすこ)ないしんのう、承保3年4月5日(1076年5月10日) - 嘉保3年8月7日(1096年8月27日))は、第72代白河天皇の第1皇女。母は中宮藤原賢子。伊勢斎宮、のち同母弟堀河天皇の准母・中宮。女院号は郁芳門院(いくほうもんいん)。.

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なみの亜子

なみの 亜子(なみの あこ、1963年11月28日 - )は、日本の歌人。「塔」短歌会所属。本名、大井亜紀子『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.460。.

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ながらみ現代短歌賞

ながらみ現代短歌賞(ながらみげんだいたんかしょう)は、ながらみ書房が主催していた賞。中堅以上の歌人による優れた歌集に贈られた。1993年、同社が発行している短歌総合誌「短歌往来」の創刊3周年を記念して、ながらみ書房から刊行された書籍の中から最優秀のものに与えられるながらみ書房出版賞と同時に創設された。 前年一年間に刊行された歌集の中から、第二歌集以降かつ歌集として新機軸を出したものに与えられる。第一歌集および評論集などは対象とならない。選考委員は第1回から第5回までが石川不二子、大島史洋、三枝昂之、小池光の四名。第6回から第10回までが石川不二子、大島史洋、永田和宏、坂井修一の4名だった。 2002年に第10回をもって終了し、発展させる形で前川佐美雄賞に継承された。.

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ばい子内親王 (後朱雀天皇皇女)

子内親王(ばいし(みわこ)ないしんのう、長暦3年8月19日(1039年9月10日) - 嘉保3年9月13日(1096年10月1日)は、後朱雀天皇の第4皇女。母は中宮・藤原嫄子、同母姉に祐子内親王。後冷泉天皇朝賀茂斎院、号六条斎院。.

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まほろば薫

まほろば 薫(まほろば かおる)は日本の歌人。 雙葉学園、学習院大学卒業。 1997年11月に神戸国際展示場で開催された「地球環境フェアin神戸'97」ではイベントの一環として「まほろば薫環境短歌ライブショー」を開催する。 1997年12月に京都で開催された地球温暖化防止会議(COP3)では、当時の環境庁(現環境省)監修のもとに環境事業団より英訳付きの和綴じの環境和歌集『夢紅葉』を発刊する。 2005年12月にカナダで開催された地球温暖化防止会議でも現地で各国政府関係者に自作の短歌と小学生たちの短歌をまとめた歌集、『たまゆら―永遠の刻(とき)』を配る。 2015年文化の日には、東久邇宮文化褒賞を受賞。.

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みだれ髪

『みだれ髪』(みだれがみ)は、日本の歌人・与謝野晶子作の処女歌集である。1901年(明治34年)8月15日、東京新詩社と伊藤文友館の共版として発表。表紙装丁デザインは藤島武二。女性の恋愛感情を素直に詠んだ斬新な作風は当時賛否両論を巻き起こした。 1973年(昭和48年)に、孫の与謝野馨(後の第74代内閣官房長官)によって主婦の友社から復刊されている。.

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じゅ子内親王

璹子内親王(じゅしないしんのう、弘安10年(1287年) - 延慶3年10月8日(1310年10月30日))は、鎌倉時代後期の皇族、女院、歌人。女院号は朔平門院(さくへいもんいん)。伏見天皇の第1皇女。母は左大臣・洞院実雄の娘・季子(顕親門院)。後伏見天皇の異母姉。花園天皇の同母姉。同母弟妹には他に寛性法親王(仁和寺御室)、延子内親王(延明門院)がいる。 永仁元年(1293年)1月24日、7歳で内親王宣下を受ける。延慶2年(1309年)6月27日、23歳で准三宮となる。同日、院号宣下を受けて朔平門院と称する。翌年10月8日薨去。享年24。 歌をよくし、勅撰和歌集では『玉葉和歌集』と『風雅和歌集』に計10首入集。.

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あの人に会いたい

『あの人に会いたい』(あのひとにあいたい)は、2004年4月11日からNHKで10分間放送されている教養番組である。放送上のタイトルは『NHK映像ファイル あの人に会いたい「(出演者名)」』。.

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あまねそう

あまね そう(天昵 聰、1976年9月2日 - )は、東京都足立区出身の歌人。歌人集団「かばん」所属。.

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あめつちの歌

あめつちの歌(あめつちのうた)とは、誦文あめつちの詞を詠み込んだ和歌のこと。平安時代の歌人源順の作が知られているが、同様の和歌は女流歌人の相模も残している。.

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あらたま (歌集)

『あらたま』は、日本の歌人、斎藤茂吉の個人歌集。春陽堂から1921年1月1日に刊行された。本文286頁、「あらたま編輯手記」16頁、歌数746首。.

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こむぞう

『こむぞう』とは、小宮山雄飛、UMU、大橋慶三の3人の鼎談によるポッドキャスト(インターネットラジオ)番組。ポッドキャスティング創成期の2005年7月4日より毎日配信中のポッドキャスト番組である(毎週収録貯め録り)。こ(5)むぞうが、いい(11)ね、と君が言ったから、5月11日は、こむぞう記念日としている。.

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いしゃ先生

『いしゃ先生』(いしゃせんせい)は、2016年全国公開の日本の映画作品。医師で歌人の志田周子を描いた。.

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さいたま市立浦和中学校・高等学校

埼玉県さいたま市在住生徒限定の入学 さいたま市立浦和中学校・高等学校(さいたましりつ うらわちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、埼玉県さいたま市浦和区元町一丁目にある市立中学校・高等学校。中高一貫制共学校である。.

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かおり風景100選

かおり風景100選(かおりふうけいひゃくせん)は、2001年(平成13年)10月に環境省が日本各地の自然や生活、文化に根ざした香りのある地域を全国から募集し、応募された600件の中から100件を選定したものである。.

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かげろふの日記

『かげろふの日記』(かげろうのにっき)は、堀辰雄の中編小説。全8章から成る。平安時代の女流日記『蜻蛉日記』を原典にした作品である「解題」(『堀辰雄全集第2巻』)(筑摩書房、1977年)『蜻蛉日記』の上・中巻を原典としている。。愛されることはできても、愛することを知らない男に執拗に愛を求めつづけ、その不可能を知るに及び、せめてその苦しみを男に解らせようとするが、遂にはそれにも絶望し、自らの苦しみの中に一種の慰藉を求めるにいたる不幸な女の物語堀辰雄「山村雑記」(のち「七つの手紙」)(新潮 1938年8月号に掲載)。堀が日本古来の王朝女流文学に深い傾倒を示した作品群の一作目にあたり、リルケ体験を通して日本の古典文学を現代に蘇らせて、「恋する女の永遠の姿」を描いている丸岡明「解説」(文庫版『かげろふの日記・曠野』)(新潮文庫、1955年)縄田一男「作品解題」(『純愛――時代小説の女たち』)(角川書店、1992年)p.396『新潮日本文学アルバム17 堀辰雄』(新潮社、1984年)。また、『聖家族』などに見られる「苦しめ合う愛」のモチーフも見受けられる作品でもある山本裕一「堀辰雄『かげろふの日記』小論――他者の自覚」(別府大学国語国文学、2004年12月)。.

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すっきりソング

すっきりソング(すっきりそんぐ)は、かつて存在した日本のお笑いコンビ。SMA NEET Project所属。2015年結成、2018年4月14日に解散表明。.

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半井卜養

半井 卜養(なからい ぼくよう、慶長12年(1607年) - 延宝6年12月26日(1679年2月7日))は、江戸時代前期の医師および狂歌師、俳人、歌人。祖父は連歌師の牡丹花肖柏。名は慶友。出身は和泉国堺。 俳諧を松永貞徳に学び、その後、医師として幕府に仕えるようになり、江戸鉄砲洲に住まいを与えられた。俳諧のほか、特に狂歌を読みその他和歌、連歌にも通じていた。 主な歌集に『卜養狂歌集』がある。 Category:狂歌師 Category:江戸時代の医師 Category:江戸時代の歌人 Category:江戸時代の俳人 Category:1607年生 Category:1679年没.

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十六夜日記

『十六夜日記』(いざよいにっき)は、藤原為家の側室・阿仏尼によって記された紀行文日記。中世三大紀行文(ほかに『海道記』、『東関紀行』)のうちの一つ。内容に所領紛争の解決のための訴訟を扱い、また女性の京都から鎌倉への道中の紀行を書くなど他の女流日記とは大きく趣きを異としている。鎌倉時代の所領紛争の実相を当事者の側から伝える資料としても貴重である。一巻。大別すると鎌倉への道中記と鎌倉滞在期の二部構成。弘安6年(1283年)ころ成立か。 阿仏尼自筆の原本は下冷泉家(安土桃山時代まで播磨国細川庄を伝領していた公家)に伝来していた。 成立当初、作者はこの日記に名前をつけておらず、単に『阿仏日記』などと呼ばれていたが、日記が10月16日に始まっていることを由来として後世に現在の名前が付けられた。.

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即成院

即成院(そくじょういん)は、京都府京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつで、本尊は阿弥陀如来。山号は光明山。毎年10月に行われる「二十五菩薩練供養」の行事で知られ、山内には那須与一の墓がある。通称は那須の与一さん。泉山七福神巡り1番(福禄寿)札所。.

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千家俊信

千家 俊信(せんげ としざね、宝暦14年1月16日(1764年2月17日) - 天保2年5月7日(1831年6月16日))は、日本の国学者であり歌人。第七十六代出雲国造千家俊秀の弟。出雲国神門郡杵築村宮内(現島根県出雲市)生まれ。のちに分家して千家日古主と名乗ったり、清主と改名したりした。 明治の文豪小泉八雲の妻セツは玄孫にあたる。.

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千代國一

千代 國一(ちよ くにいち、1916年1月30日 - 2011年8月29日)は、日本の歌人。.

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千代田区立番町小学校

千代田区立番町小学校(ちよだくりつ ばんちょうしょうがっこう)は、東京都千代田区六番町にある公立小学校。.

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千々和久幸

千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )は、歌人、詩人。.

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千々和竜策

千々和 竜策(ちぢわ りゅうさく、1969年5月27日 - )は日本の男性声優。東京都出身。血液型はA型。父は、歌人、詩人の千々和久幸。所属はフリー。既婚。 以前は同人舎プロダクション、マウスプロモーション(2005年 - 2009年) 、ガジェットリンク 、アプトプロに所属していた。東京演劇学院声優科、東京アナウンスアカデミー声優養成コース/実践コース、マウスプロモーション附属俳優養成所卒業。.

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千種家

千種家(ちぐさけ)は、羽林家の家格を有する公家。村上源氏久我流岩倉家庶流。堂上源氏十家の一つ。久我晴通の孫で、岩倉具尭の四男有能を家祖とする。家名は、南北朝時代に六条家から分家した千種忠顕に因むか(別系を参照のこと)。.

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千種顕経

千種 顕経(ちぐさ あきつね)は、南北朝時代の公卿・武将。参議千種忠顕の四男。雅光は猶子である。南朝に仕えた。.

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千種有功

千種 有功(ちぐさ ありこと、寛政8年11月9日(1796年12月7日) - 嘉永7年8月28日(1854年10月19日))は、江戸時代の公卿、歌人。正三位権中将。本姓は源氏。家系は村上源氏六条家の流れを汲む千種家。号は千々廼舎(ちぢのや)、鶯蛙園(おうけいえん)、在琴。千種有条の次男。 はじめ一条忠良、次いで有栖川宮織仁親王、久世通理らに入門して和歌を師事、守旧の二条派の作風を脱した新想の和歌を多く詠んだ。和歌のみならず書画も能筆であり、また公家ながら刀剣を愛好し、その収集に飽き足らず自ら刀を鍛え、自作の歌(『やすきたちは さやにをさめて ますらをの こころますます とくへかりけり』が多い)をその刀身に陰刻するなどしていた。2000年代でもその遺作は蒐集家に人気がある。子に有名(中院通知からの養子)、左近衛少将有文など三男二女がある。 東京都新宿区須賀町にある須賀神社に肖像・大岡雲峰画、歌・千種有功筆の三十六歌仙図が社宝として伝わっており、新宿区指定有形文化財(絵画)に指定されている。.

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千田憲

千田 憲(せんだ けん、1889年2月15日 - 1974年12月23日)は、日本の国文学者。元京都女子大学教授。 専門は上代文学。芳賀矢一の学統をつぎ、とくに万葉集の校訂などに成果をあげた。歌人として短歌・俳句も嗜んだ。.

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千葉大学の人物一覧

千葉大学の人物一覧は千葉大学に関係する人物の一覧記事。 ※多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する。.

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千葉県出身の人物一覧

千葉県出身の人物一覧(ちばけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する千葉県出身の人物の一覧である。.

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千葉県立多古高等学校

千葉県立多古高等学校(ちばけんりつ たここうとうがっこう)は、千葉県香取郡多古町多古にある公立高等学校。.

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千葉県立安房高等学校

千葉県立安房高等学校(ちばけんりつ あわこうとうがっこう)は、千葉県館山市八幡に所在する公立の高等学校。.

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千葉県立我孫子高等学校

千葉県立我孫子高等学校(ちばけんりつ あびここうとうがっこう)は、千葉県我孫子市若松にある県立高等学校。.

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千葉聡

千葉 聡(ちば さとし、1968年9月4日 - )は、日本の歌人、高校教諭。短歌同人誌「かばん」所属。.

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千本松原 (静岡県)

東側の香貫山から望む千本松原と駿河湾 西側から望む富士市の田子の浦港周辺から東へ延びる千本松原 沼津市、千本松原内 千本松原(せんぼんまつばら)は静岡県沼津市の狩野川河口から、富士市の田子の浦港の間約10kmの駿河湾岸(正式名称富士海岸、通称千本浜)に沿って続いている松原。 松林越しに富士山を望むことが出来る。数々の文人たちに愛されたということでも知られている。中でも大正15年(1926年)には歌人若山牧水が静岡県の伐採計画に対し新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち計画を断念させた話は有名である。日本百景、日本の白砂青松100選にも選ばれている。 千本とはいうものの、現在は30数万本以上あるという。 1976年に東海地震説が発表されてから、駿河湾の海岸では津波対策が盛んに行われるようになった。松原と海岸の間には堤防が築かれ、景観を損ねているという意見もある(東海地震については#現在も参照)。.

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南山大学の人物一覧

南山大学の人物一覧(なんざんだいがくのじんぶついちらん)は、南山大学に関係する人物の一覧記事。.

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南関町

南関町(なんかんまち)は、熊本県の北西部に位置する山に囲まれた町。町名は古代よりこの地に置かれた関所に由来する。 近隣の玉名市等と合併協議していたが、2004年11月断念した。.

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南陽市

南陽市中心部周辺の空中写真。画像下部中央の市街地が赤湯地区。画像左上部の市街地が宮内地区。画像右の水田に見える小さな湖は白竜湖。1976年撮影の28枚を合成作成。国土航空写真。 南陽市(なんようし)は、山形県の南東にある人口約3万2千人の市。北に丘陵、南に沃野が広がり、鶴の恩返しの民話が伝わる里で知られる。.

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南朝五百番歌合

南朝五百番歌合(なんちょうごひゃくばんうたあわせ)は、南北朝時代に南朝で催行された歌合。天授元年(1375年)成立。単に五百番歌合とも。.

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古川薫

古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018年5月5日)は、日本の小説家。妻は歌人の森重香代子。.

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古今伝授の里フィールドミュージアム

古今伝授の里フィールドミュージアム(こきんでんじゅのさとフィールドミュージアム)は、岐阜県郡上市(旧・郡上郡大和町)にある和歌文化をテーマとした野外博物館である。 大和町が1993年(平成5年)7月に開設したもので、開設には国文学者の島津忠夫が関与した。第三セクターの郡上大和総合開発株式会社が指定管理者として運営を行なっている。 2012年(平成24年)10月6日には歌人で国文学者の佐佐木幸綱が名誉館長に就任している。.

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古来風体抄

『古来風体抄』(こらいふうていしょう)は、鎌倉時代初期に成立した歌学書。初撰本(1197年成立)と再撰本(1201年成立)がある。 初撰本は後白河院の皇女である式子内親王(1149年-1201年)が、公卿で歌人の藤原俊成(1114年-1204年)に依頼して執筆されたものとされる。再撰本も式子内親王の依頼によるものと見られている。なお、初撰本と再撰本との間には初撰本を改稿したと見られる撰本が残されている。 『万葉集』から191首、『千載和歌集』までの勅撰和歌集から395首(再撰本では398種)を抄出しており、和歌の歴史を述べるとともに、和歌を詠むことは題材の対象の本性を明らかにするということであるとしている。.

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古泉千樫

古泉 千樫(こいずみ ちかし、1886年9月26日 - 1927年8月11日)は、日本の歌人。本名は幾太郎。 貧困と病弱に苦しみながら創作を続けたことで知られる。.

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古浦千穂子

古浦 千穂子(こうら ちほこ、1931年〈昭和6年〉 - 2012年〈平成24年〉7月3日)は、日本の作家(詩人、小説家)。広島県安芸郡海田町出身。旧姓は浜野千穂子。作家業の傍ら、「広島文学資料保全の会」の代表として文学資料の保護運動に努めた人物である。.

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只野真葛

只野 真葛(ただの まくず、宝暦13年(1763年) - 文政8年6月26日(1825年8月10日))は、江戸時代中期・後期の女流文学者で国学者。父の影響で蘭学的知見にも通じ、ときに文明批評家杉本(1977)p.32-40や女性思想家と評されることもある。『赤蝦夷風説考』の筆者工藤平助の娘で、別号は綾女。本名は工藤あや子(綾子)、または単にあや(綾)。「工藤真葛」、「真葛子」、「真葛の媼(おうな)」とも称される。只野は婚家の姓。読本の大家として知られる曲亭馬琴とも親交があった。馬琴に批評をたのんだ経世論「独考(ひとりかんがへ)」、俗語体を駆使して往時を生き生きと語った随筆『むかしばなし』、生まれ育った江戸を離れて仙台に嫁してからの生活を綴った『みちのく日記』など多数の著作がある。.

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召人

召人(めしうど)は、貴人のそばに召し使う人のこと。日本の平安時代においては、特に主人と男女の関係にある女房のことをさす。また、朝廷の和歌所に務め、和歌の選定をする寄人のこと、コトバンク、2016年3月16日閲覧。。現代でも歌会始において、天皇から特に選ばれて招かれ和歌を詠む、「広く各分野で活躍し貢献している」人物のことを指し、歌人として活動する者などが選ばれる。 愛人としての召人とは、阿部秋生によると、自分の家や妻の家の女房であり、主人との関係は、家の中の者にはもちろんのこと家の外の者にも知られているが、その関係は公然の秘密であり、当人の前ではそのことを口に出さないことが暗黙の了解となっていた。北の方には、召人の存在を黙認することが暗に求められていた。実質的には妻であるが、局住まいをしていて、表向きの身分はあくまでも女房であった。.

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右近 (歌人)

右近(うこん、生没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。父は右近衛少将藤原季縄。 醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房で、元良親王・藤原敦忠・藤原師輔・藤原朝忠・源順(みなもとのしたごう)などと恋愛関係があった。960年(天徳4年)と962年(応和2年)の内裏歌合・966年(康保3年)の内裏前栽合(だいりぜんざいあわせ)などの歌合に出詠、村上天皇期の歌壇で活躍した。 『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『新勅撰和歌集』に入集している。.

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号(ごう、旧字体は號)とは、; - 号(接尾辞として).

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名古屋大学の人物一覧

名古屋大学の人物一覧(なごやだいがくのじんぶついちらん)は、名古屋大学に関係する人物の一覧記事。.

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名古屋学芸大学

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名古屋市短歌会館

名古屋市短歌会館(なごやしたんかかいかん)は、愛知県名古屋市中区錦二丁目に所在する会館。.

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名古屋市立北山中学校

名古屋市立北山中学校(なごやしりつ きたやまちゅうがっこう)は、愛知県名古屋市昭和区鶴舞三丁目9-23にある公立中学校。.

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名古屋市立鶴舞小学校

名古屋市立鶴舞小学校(なごやしりつ つるましょうがっこう)は、愛知県名古屋市昭和区鶴舞一丁目にある公立小学校。 鶴舞中央図書館が立地する鶴舞公園に隣接しており、図書館・公園を活用した教育活動を実施している。また、近くに八幡山古墳がある。.

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名取忠愛

名取 忠愛(なとり ちゅうあい / ただよし、慶応2年10月19日(1866年11月25日) - 昭和23年(1948年)8月21日)は、日本の政治家・実業家・名望家・歌人。貴族院議員、甲府市長(官選第10・12代)。号は楓園。.

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名久井直子

名久井 直子(なくい なおこ、1976年2月10日 - )は、岩手県盛岡市生まれの装丁家・グラフィックデザイナー・同人活動家である。 岩手県立盛岡第一高等学校、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業後、外資系広告代理店にアートディレクターとして勤務。在職中に友人の歌人・錦見映理子の歌集の装幀を手がけたことをきっかけに注目を浴び始める。2005年に装幀家として独立して以降は、「名久井の装幀」であることが読書家へのアピールになるほどの人気を得ており、年間にデザインを手がける本は100冊を超える。 同人作家としても活動しており、長嶋有、福永信、柴崎友香、法貴信也と結成した同人サークル「ブックスゴニングミ」に参加し、「メルボルン1」「イルクーツク2」といった同人誌を刊行している。.

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同志社大学の人物一覧

同志社大学の人物一覧(どうししゃだいがくのじんぶついちらん)は、同志社大学に関係する人物の一覧記事。.

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同志社女子大学

記載なし。

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同志社中学校・高等学校

同志社中学校・高等学校(どうししゃちゅうがっこう・こうとうがっこう、)は、京都府京都市左京区に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。.

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合気道

合気道(あいきどう・合氣道)は、武道家・植芝盛平が大正末期から昭和前期にかけて創始した武道。植芝盛平が日本古来の柔術・剣術など各流各派の武術を研究し、独自の精神哲学でまとめ直した、体術を主とする総合武道である。 (植芝盛平が創始したもの以外の「合気道」は→“「合気道」の名称について” にて詳述。).

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吉岡信敬

吉岡信敬 吉岡 信敬(よしおか しんけい、1885年(明治18年)9月1日 - 1940年(昭和15年)12月7日)は日本の応援団員。早稲田大学の応援隊長として「虎鬚彌次将軍」の通称で知られ、当時は乃木希典、葦原金次郎と並んで「三大将軍」と呼ばれたほどの人気者だった。 なお、名前の正式な読みは「のぶよし」であるが、一般的には「しんけい」と呼ばれており、また本人もそう称していた。.

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吉岡生夫

吉岡 生夫(よしおか いくお、1951年4月8日 - )は、歌人。「短歌人」同人、現代歌人協会会員、日本文藝家協会会員。龍谷大学文学部仏教学科を卒業。徳島県出身、兵庫県川西市在住。2002年度半どんの会文化賞受賞。近世狂歌を現代の口語短歌の源流として位置づける独自の短歌史理論を展開し、「文語体」と「口語短歌」に替えて「古典語短歌」と「現代語短歌」という呼称を提唱している。歌集のタイトルは全て『草食獣』で統一しており、これは小池光の命名による。いわゆる「草食系男子」という言葉が作り出されるよりも20年以上先んじていた。.

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吉川宏志

吉川 宏志(よしかわ ひろし、1969年1月15日 - )は、日本の歌人。塔短歌会主宰。妻は歌人の前田康子 。 宮崎県東郷町出身。宮崎県立宮崎大宮高等学校、京都大学文学部国文学科卒業。高校の教諭だった志垣澄幸の紹介で「塔」に入会し、永田和宏に師事。「京都大学短歌会」復興メンバーとなり、梅内美華子、島田幸典、林和清らとともに活動する。京都新聞歌壇選者。.

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吉川氏

吉川氏(きっかわし)は、藤原南家工藤流の流れを汲む日本の氏族。.

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吉川泰雄

吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉 - 2000年〈平成12年〉1月31日)は、日本の言語学者、国語学者、歌人。國學院大學名誉学長。.

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吉井幸蔵

吉井 幸蔵(よしい こうぞう、1856年1月2日(安政2年11月25日) - 1927年10月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。伯爵。海軍少佐、貴族院議員。水難救済会会長。.

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吉井勇

吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、大正期・昭和期の歌人、脚本家である。華族(伯爵)でもあった。.

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吉田兼敬

吉田 兼敬(よしだ かねゆき)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿・神道家・歌人。吉田神社の祠官、吉田家当主。.

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吉田正俊

吉田 正俊(よしだ まさとし、1902年4月30日 - 1993年6月23日)は、歌人、実業家。 福井県出身。福井中学校(現福井県立藤島高等学校)、東京帝国大学法学部卒業。石川島造船所自動車部門に入社し、のちにいすゞ自動車専務を務めた。1925年「アララギ」に入会、土屋文明に師事し、のち選者、発行人。1976年『流るる雲』で第27回読売文学賞、1988年『朝の霧』で第23回迢空賞受賞。1993年、歌会始召人。.

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吉田武 (歌人)

吉田 武(よしだ たけし、1911年6月27日 - 1990年4月13日)は、昭和時代後期日本の歌人。福島県出身。.

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吉田漱

吉田 漱(よしだ すすぐ、1922年3月11日 - 2001年8月21日)は、日本の歌人、浮世絵研究家。筆名・利根光一。.

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吉野

吉野(よしの)は、大和国南部(現在の奈良県南部)一帯を指す地名である。特に吉野山から大峰山にかけての山岳地帯をいう。狩りに適した良い野という意味である。吉野は口吉野と奥吉野に分かれる。奥吉野は山々が連なる山岳地帯で、古くは大峰とよばれ、厳密には吉野に含まれなかった。大峰の山々は熊野まで連なる。大峰への道は修験者によって、熊野から開かれた。 記紀には応神や雄略の吉野での狩りの伝承が載せられている。.

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吉野秀雄

吉野 秀雄(よしの ひでお、1902年(明治35年)7月3日 - 1967年(昭和42年)7月13日)は、近代日本の歌人、書家、文人墨客。号は艸心。多病に苦しみながら独自の詠風で境涯の歌を詠んだ。.

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吉野裕之

吉野 裕之(よしの ひろゆき、1961年8月1日 - )はプログラムオフィサー、歌人、俳人。堂号は空蝉庵。歌人の髙橋みずほは妻。同じく歌人の髙橋俊人は妻の祖父。.

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吉野昌夫

吉野 昌夫(よしの まさお、1922年12月19日 - 2012年7月1日)は、歌人。 東京都生まれ。東京大学農学部農業経済学科卒業。府立高等学校(現・首都大学東京)在学中の1942年、北原白秋創刊の歌誌『多磨』に入会し、木俣修に師事。翌年、学徒出陣。1953年、歌誌『形成』創刊に参加、編集に当たり、1983年の木俣没後は責任編集者を務めた。1997年、歌集『これがわが』で第4回短歌新聞社賞受賞。 職業としては、大学を卒業後、農林省に入り、その後、農林漁業金融公庫設立と同時に、農林省を退職し、入庫(三十歳)。名古屋に二回ほど転勤。六十歳で、退職。最後の役職は理事。.

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吉植庄一郎

吉植 庄一郎(よしうえ しょういちろう、1865年10月27日(慶応元年9月8日) - 1943年(昭和18年)3月10日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲政友会)、ジャーナリスト。子は歌人・衆議院議員の吉植庄亮。.

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吉植庄亮

吉植 庄亮(よしうえ しょうりょう、1884年4月3日 - 1958年12月7日)は、日本の歌人、政治家。.

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吉永小百合

吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年3月13日別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.22.

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吉澤義則

吉澤 義則(よしざわ よしのり、1876年8月22日 - 1954年11月5日)は、日本の国語学者、国文学者、歌人。 氏名の表記は吉沢義則とされることも多い。.

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坊門忠信

坊門 忠信(ぼうもん ただのぶ)は、鎌倉時代前期の公卿・歌人。名は信能とも。内大臣・坊門信清の長男。官位は正二位・大納言。.

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坊門親忠

坊門 親忠(ぼうもん ちかただ)は、南北朝時代の公卿。参議坊門清忠の子。父と同じく、南朝に仕えた。.

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坪内祐三

坪内 祐三(つぼうち ゆうぞう、1958年5月8日 - )は日本の評論家、エッセイスト。東京都出身。.

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坪野哲久

坪野哲久(つぼの てっきゅう、1906年9月1日-1988年11月9日)は、日本の歌人。本名、坪野久作。妻は歌人の山田あき。.

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坂口弘

坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は、日本の新左翼活動家、元連合赤軍中央委員会書記長(連合赤軍のナンバー3)、歌人、テロリスト。確定死刑囚。.

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坂口謹一郎

坂口 謹一郎(さかぐち きんいちろう、1897年11月17日 - 1994年12月9日)は、日本の農芸化学者。発酵、醸造に関する研究では世界的権威の一人で、「酒の博士」として知られた。東京大学応用微生物研究所初代所長および同大学名誉教授、理化学研究所副理事長。日本学士院会員。愛称は「坂謹(さかきん)」。.

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坂上氏

坂上氏(さかのうえうじ)は、「坂上」を氏の名とする氏族。坂上直姓、坂家とも。 代表的な人物に征夷大将軍の坂上田村麻呂がいる。田村麻呂の後には史書に見える中で陸奥守や陸奥介、鎮守府将軍や鎮守府副将軍など、陸奥国の高官が多く輩出されている。また清水寺別当、、右兵衛督、大和守、明法博士、左衛門大尉、検非違使大尉等を世襲した。.

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坂上望城

坂上 望城(さかのうえ の もちき、生年不詳 - 天元3年(980年)8月?)は、平安時代中期の貴族・歌人。加賀介・坂上是則の子。官位は従五位下・石見守。.

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坂上是則

坂上 是則(さかのうえ の これのり、生年不詳 - 延長8年(930年))は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。右馬頭・坂上好蔭の子。子に望城がいる。官位は従五位下・加賀介。三十六歌仙の一人。.

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坂井修一

坂井 修一(さかい しゅういち、1958年11月1日 - )は、日本の歌人、情報理工学者、東京大学教授。愛媛県出身。 短歌結社「かりん」に所属。科学者としての視点を生かしながら人間的な振幅を示す表現が特徴。現在、「かりん」編集人、現代歌人協会理事。 また、情報理工学の分野でも活躍し、電子技術総合研究所(現:産業技術総合研究所)に勤務していたときに、汎用性があるという意味で世界初といわれている高並列データ駆動計算機「EM-4」の開発に携わる。その後マサチューセッツ工科大学招聘研究員、筑波大学助教授、東京大学工学部助教授、同大学情報理工学系研究科教授。情報処理学会フェロー、電子情報通信学会フェロー、 放送倫理・番組向上機構(BPO)理事、日本学術会議連携会員などでもある。 妻は同じく歌人の米川千嘉子。.

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坂門人足

坂門 人足(さかと の ひとたり、生没年不詳)は、飛鳥時代の歌人。 系譜・経歴など不詳。大宝元年(701年)9月、持統上皇の紀伊国行幸に従駕し、大和国巨勢(現在の奈良県御所市古瀬)で歌を詠んだ(『万葉集』1-54)。.

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坂本信幸

坂本 信幸(さかもと のぶゆき、1947年3月26日 - )は、日本の国文学者(上代国文学。とくに万葉集の研究)、歌人。高知県出身。奈良女子大学名誉教授。高岡市万葉歴史館館長。.

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均子内親王

均子内親王(きんしないしんのう、寛平2年(890年) - 延喜10年2月25日(910年4月7日))は、平安時代の皇族・皇女。父親は宇多天皇(源定省)、母親は藤原温子。藤原温子の一人娘である。後に異母兄である敦慶親王の妃となる。 日本の歌物語『伊勢物語』には、藤原温子・春澄洽子・伊勢・藤原高経女と共に和歌の集まりに参加する姿が描かれており、歌人としても名を残している。.

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堺市出身の人物一覧

堺市出身の人物一覧(さかいししゅっしんのじんぶついちらん)は、大阪府堺市出身の人物およびゆかりの人物の一覧。.

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堺区

堺区(さかいく)は、堺市を構成する7行政区のうちのひとつ。中世以来の環濠都市であった地域を含み、市役所、裁判所などの官庁やシティホテル、商店などが集積している堺市の中心部である。.

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堺雅人

堺 雅人(さかい まさと、1973年10月14日 - )は日本の俳優・声優。宮崎県宮崎市出身。 血液型O型。身長172cm、体重60kg。靴のサイズは27cm。3人兄弟の長男。田辺エージェンシー所属。妻は女優・菅野美穂。.

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堀口大學

堀口 大學(ほりぐち だいがく、新字体:堀口 大学、1892年(明治25年)1月8日 - 1981年(昭和56年)3月15日)は、明治から昭和にかけての詩人、歌人、フランス文学者。訳詩書は三百点を超え、日本の近代詩に多大な影響を与えた。雅号は十三日月。葉山町名誉町民。.

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堀口捨己

堀口 捨己(ほりぐち すてみ、1895年1月6日 - 1984年8月18日)は、日本の建築家。ヨーロッパの新しい建築運動に心惹かれ、東大同期生らと従来の様式建築を否定する分離派建築会を結成。後に日本の数寄屋造りの中に美を見出し、伝統文化とモダニズム建築の理念との統合を図った。 論文「利休の茶」で北村透谷賞を受賞。また歌人として、さらには日本庭園の研究家としても知られる。日本の建築と庭園の関係を「空間構成」としてとらえ、昭和戦前期より庭園に関する資料を収集し、1962年に神代雄一郎と共著で外国人向けに『Tradition of Japanese Garden』を、1965年に庭園論集『庭と空間構成の伝統』を出版、1975年に出版された自らの作品集の名称は『家と庭の空間構成』としている。 1984年8月18日死去。本人の意向により、その事実は公にされなかった。関係者の間ではうすうす死亡したのではないかと噂されていたが、1995年1月28日に開催された「堀口捨己生誕100周年記念行事」の際に初めて公にされた。.

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堀之内町 (新潟県)

堀之内町(ほりのうちまち)は、新潟県北魚沼郡にあった町。小出町への通勤率は10.7%(平成12年国勢調査)。2004年11月1日に小出町、湯之谷村、広神村、守門村、入広瀬村との合併により魚沼市となった。.

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堀田季何

堀田 季何(ほった きか、1975年12月21日 - )は、日本の歌人、俳人、翻訳家。東京都文京区本郷生まれ。本名、勤務・所属先(文芸関係以外)非公開。.

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堀江景用

堀江 景用(ほりえ かげもち)は、室町時代後期の武将。朝倉氏の家臣。.

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堀河天皇

堀河天皇内裏跡 堀河天皇(ほりかわてんのう、承暦3年7月9日(1079年8月8日) - 嘉承2年7月19日(1107年8月9日))は平安時代後期の第73代天皇(在位:応徳3年11月26日(1087年1月3日) - 嘉承2年7月19日(1107年8月9日))。諱は善仁(たるひと)。 白河天皇の第二皇子、母は藤原師実の養女・中宮賢子。准母に同母姉媞子内親王(郁芳門院)。.

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堀河局

堀河局または堀川局(ほりかわのつぼね)は、女房名の一つで、主に平安時代後期から鎌倉時代にかけて、歴史上の実在人物に用例が見られる。文献上、「河」「川」の字は、区別されず表記されることが多い。.

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堀河院中宮上総

堀河院中宮上総(ほりかわのいんのちゅうぐうのかずさ、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人である。.

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塚崎進

塚崎進(つかさきすすむ、1918年 - 2007年9月27日)は、日本の国文学者、民俗学者、歌人。筆号は東籬男(とう りお) 1941年慶應義塾大学文学部国文学科卒業。折口信夫から国文学、民俗学、短歌作法を学び、折口春洋より短歌実作の指導を受ける。同時に柳田國男にもつき日本民俗学会に属す。.

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塚本邦雄

塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。 寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した。若い頃の別名に碧川瞬、火原翔(この二つは、日本現代詩歌文学館にて確認 )、菱川紳士( 士 は省かれる場合もある )等があり、晩年の教授時代の学生たちとの歌会では鴻池黙示を好んで使った。それでも、著書目録にある単行本や文庫本には、これらの著者名で出版されたものはない。 長男は作家の塚本靑史。.

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塩谷朝業

塩谷 朝業(しおのや ともなり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・御家人・歌人。宇都宮成綱の子。母は平忠正の長子の新院蔵人長盛(新院は崇徳天皇の事)の娘。実父と養父の名を取って朝業と名乗る。下野宇都宮氏の生まれだが、当代の清和源氏流塩谷氏当主朝義に子が無かったことから、朝義の娘婿となり塩谷氏の名跡を継ぐ。系図では、子に塩谷親朝、笠間時朝、26歳で出家して親鸞の弟子となった塩谷朝貞(賢快・肥前法師)、三人の男子の間に一人ずつ娘(第二子、第四子)がいる。.

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増基

増基(ぞうき、生没年不詳)は、平安時代の僧・歌人。増基法師と称されることもある。.

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増原惠吉

増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年(明治36年)1月13日 - 1985年(昭和60年)10月11日)は、日本の内務・防衛官僚、政治家。香川県知事(官選、公選)、参議院議員(自民党)『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』566頁、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、防衛庁長官を歴任した。.

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壬生忠岑

壬生 忠岑(みぶ の ただみね)は、平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。.

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壬生忠見

壬生 忠見(みぶ の ただみ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。右衛門府生・壬生忠岑の子。父・忠岑とともに三十六歌仙の一人に数えられる。.

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多田親愛

多田親愛 多田 親愛(ただ しんあい、天保11年11月15日(1840年12月8日) - 明治38年(1905年)4月18日)は、明治時代の歌人、書家。本名も親愛であるが「ちかよし」と読む。号には翠雲、雲亭がある。.

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多留姫の滝

多留姫の滝(たるひめのたき)は、長野県茅野市にある滝。樽姫の滝とも書く『茅野市史 下巻 近現代 民俗』1069 - 1070ページ。。茅野市指定文化財。.

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多治比屋主

多治比 屋主(たじひ の やぬし、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。大納言・多治比池守の子。子に乙麻呂がいる。『万葉集』巻8-1442。官位は正五位下・左大舎人頭。.

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多治比国人

多治比 国人(たじひ の くにひと、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。中納言・多治比縣守の子。官位は従四位下・遠江守。.

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多摩市指定文化財一覧

多摩市指定文化財一覧(たまししていぶんかざいいちらん)は、東京都多摩市が指定した文化財の一覧である。本項では、文化財調査資料、文化財保護審議会委員等についても記述する。.

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大原門部

大原 門部(おおはら の かどべ、生年不詳 - 天平17年4月23日(745年5月28日))は、奈良時代の皇族・貴族・歌人。もと門部王を称し、臣籍降下後の氏姓は大原真人。敏達天皇の後裔、筑紫大宰帥・河内王の子。官位は従四位上・大蔵卿。.

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大原桜井

大原 桜井(おおはら の さくらい、生没年不詳)は、奈良時代の皇族・貴族・歌人。もと桜井王を称し、臣籍降下後の氏姓は大原真人。敏達天皇の後裔「音石山大僧都伝」『日本高僧伝要文抄』第3、筑紫大宰帥・河内王の子。官位は従四位下・弾正尹。.

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大口周魚

大口 周魚(おおぐち しゅうぎょ、元治元年4月7日(1864年5月12日) - 大正9年(1920年)10月13日)は、名古屋生まれの歌人、書家、古筆研究家、宮内省御歌所寄人。本名は鯛二(たいじ)、本名の「鯛」の字を分けて周魚と号した。.

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大口玲子

大口 玲子(おおぐち りょうこ、1969年11月17日 - )は日本の歌人。歌誌「心の花」所属。宮崎県宮崎市在住。本名、宮下玲子。.

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大友淑江

大友 淑江(おおとも しくえ)は、福岡県出身の社会福祉法人創始者・元理事長。歌人。知的障害を持つ児童の教育に専念した女性。.

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大塚寅彦

大塚 寅彦(おおつか とらひこ、1961年5月17日 - )は、日本の歌人。2004年より中部短歌会主幹、歌誌「短歌」編集発行人。.

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大塚金之助

大塚 金之助(おおつか きんのすけ、1892年5月15日 - 1977年5月9日)は日本の経済学者。一橋大学名誉教授。近代経済学から始め、ベルリン大学留学後、マルクス経済学者となり、治安維持法で検挙された。日本の降伏後復帰し、日本学士院会員、日本ドイツ民主共和国友好協会会長等を務めた。フンボルト大学名誉哲学博士、ドイツ国立図書館名誉終身閲覧者。.

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大塚雅春

大塚雅春(おおつか まさはる、1917年3月12日‐2000年5月1日)は、小説家・歌人。 高知県土佐山田町生まれ。本名・忠雄。1934年高知県立高知工業高等学校卒業。1949年大衆文芸賞受賞。歴史・時代小説を書いた。妻は歌人の大塚布見子。.

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大学 (曖昧さ回避)

大学(だいがく).

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大山捨松

大山 捨松(おおやま すてまつ、安政7年2月24日(1860年3月16日)- 大正8年(1919年)2月18日)は、日本の華族、教育者。大山巌の妻。旧姓は山川(やまかわ)、幼名はさき、のち咲子(さきこ)。愛国婦人会理事。赤十字篤志看護会理事。.

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大岡博

大岡 博(おおおか ひろし、1907年3月9日 - 1981年10月1日)は、日本の歌人。.

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大岡信

大岡 信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 2017年4月5日)は、日本の詩人、評論家。東京芸術大学名誉教授。日本ペンクラブ元会長。一ツ橋綜合財団理事。.

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大島

大島(おおしま、おおじま、おしま)は、漢字文化圏の地名、なかでもとりわけ日本語で多く用いられる地名であり、地名に由来する日本語姓やその他の名称でもある。 「島」には「嶋」「嶌」「㠀」「隝」「嶹」など数多くの異体字があることから、「大島」にも「大嶋」「大嶌」の他、希に「大隝」「大㠀」「大嶹」などの別表記がある。 「大きな島」を原義とすることから、英語圏の地名 "'''Big Island''' (ビッグアイランド)" やフランス語圏の地名 "'''Grande Île''' (グランディル)などと対比できる。.

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大島史洋

大島 史洋(おおしま しよう、1944年7月24日 - )は、歌人。本名読み、ふみひろ。岐阜県中津川市出身。歌誌「未来」選者・運営委員長。現代歌人協会理事長。歌人としての実作活動のみならず、「未来」誌の編集実務を取り仕切る編集者としても活躍。マガジンハウスで「鳩よ!」などの編集長を務めた大島一洋は兄。.

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大島弓子

大島 弓子(おおしま ゆみこ、1947年(昭和22年)8月31日 - )は、日本の漫画家。萩尾望都・山岸凉子・竹宮惠子達と24年組と呼ばれる一人である。.

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大中臣定長

大中臣 定長(おおなかとみ の さだなが、生年不詳 - 康治元年12月9日(1142年12月27日))は、平安時代後期の歌人。大中臣定登の子で、叔父(父の末弟)の従二位祭主大中臣公長の養子となった。子に大中臣清長がいた。 保延4年(1138年)、養父公長が殺人の罪に問われて職務を停止されたため、定長も連座して神事供奉を停止された。その後、権大副(神祇官の次官)に転任し、康治元年12月9日卒去した。詠歌が『金葉和歌集』に1首収録されている(歌番号672)。.

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大中臣頼基

大中臣 頼基(おおなかとみ の よりもと、仁和2年(886年)頃? - 天徳2年(958年)?)は、平安時代中期の歌人・貴族。備後掾・大中臣輔道の子。官位は従四位下・神祇大副。三十六歌仙の一人。.

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大中臣輔親

大中臣 輔親(おおなかとみ の すけちか、天暦8年(954年) - 長暦2年6月2日(1038年7月6日))は、平安時代中期の貴族・歌人。神祇大副・大中臣能宣の長男。官位は正三位・祭主・神祇伯。中古三十六歌仙の一人。四条または岩出を号す。.

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大中臣能宣

大中臣 能宣(おおなかとみ の よしのぶ、延喜21年(921年)正暦2年(991年)8月)は、平安時代中期の貴族・歌人。神祇大副・大中臣頼基の子。三十六歌仙の一人。官位は正四位下・祭主・神祇大副。.

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大中臣氏

大中臣氏(おおなかとみうじ)は、「大中臣」を氏の名とする氏族。日本古代の中央政権において祭祀をつかさどった貴族である。.

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大中臣清麻呂

大中臣 清麻呂(おおなかとみ の きよまろ、大宝2年(702年) - 延暦7年7月28日(788年9月6日))は、奈良時代の公卿。名は清万呂・浄万呂とも書く。氏姓は中臣朝臣のち大中臣朝臣。中納言・中臣意美麻呂の七男。官位は正二位・右大臣。.

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大三島

大三島(おおみしま)は、愛媛県今治市に属する芸予諸島の中の1つの有人島。愛媛県の最北に位置し、同県に属する島の中では最大である。大山祇神社がある「神の島」として知られている。 大三島は島とついているが、地理上の島に由来するわけではなく、各地にある「三島」と由来を同じくする。かつて、三島神社の総本社である大山祇神社のことを「大三島」と呼んでおり、後にそれが島全体を指す様になった。.

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大下一真

大下 一真(おおした いっしん、1948年7月2日 - )は、日本の歌人、臨済宗円覚寺派の僧侶。瑞泉寺住職。.

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大久間喜一郎

大久間 喜一郎(おおくま きいちろう、1917年(大正6年)12月13日 - 2012年(平成24年)3月24日北日本新聞2012年3月31日)は、国文学者、歌人、明治大学名誉教授。若い頃にはラジオアナウンサーを務めた経歴も持つ。.

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大庭将

大庭 将(おおば まさる、1958年5月30日 - )は、日本の歌人。書道にて雅号「啓山(けいざん)」を使用することもある。.

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大井信為

大井 信為(おおい のぶため、享禄3年(1530年) - 天文18年7月25日(1549年8月18日))は、戦国時代の武将・歌人。甲斐武田氏の家臣。正室は武田信虎と信虎側室・楠浦氏との娘である亀御料人。信為は武田信玄の義兄弟かつ従弟にあたる。 享禄3年(1530年)、西郡国衆である大井信業の長男として生まれる。幼名は次郎。大井氏は信為の祖父にあたる信達期に駿河今川氏と結び守護武田氏と抗争していたが、信達は武田信虎と和睦して武田家臣団に加わっていた。父の信業は享禄4年(1531年)に甲斐国衆今井氏らと信虎に反旗して戦死したが(「一蓮寺過去帳」)、信為が幼少であったことから家督は一時的に信業の弟・大井信常が代行した。天文7年(1538年)に信常が死去したため(信常の没年には異説がある)、家督を継いで当主となる。 父の信業は信虎の正室・大井の方の実兄であり、その縁から信為にも信虎の娘が正室として迎えられるなどしたが、天文18年(1549年)7月25日に死去した。享年20。「武田御位牌帳」によれば、法名は天叟道清大禅定門。なお、室の亀御料人も天文21年(1552年)5月26日に死去している。.

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大弐三位

大弐三位 大弐三位歌碑、有馬山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする、京都市上京区廬山寺内 大弐三位(だいにのさんみ、長保元年(999年)頃? -永保2年(1082年)頃?)は、平安時代中期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原宣孝の娘、母は紫式部。本名は藤原賢子(ふじわら の かたいこ/けんし)。藤三位(とうのさんみ)、越後弁(えちごのべん)、弁乳母(べんのめのと)とも呼ばれる。.

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大伴坂上郎女

大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ、生没年不詳)は、『万葉集』の代表的歌人。大伴安麻呂と石川内命婦の娘。 大伴稲公の姉で、大伴旅人の異母妹。大伴家持の叔母で姑でもある。『万葉集』には、長歌・短歌合わせて84首が収録され、額田王以後最大の女性歌人である。 13歳頃に穂積皇子に嫁ぐが霊亀元年(715年)に死別。一説に宮廷に留まり命婦として仕えた。この頃、首皇子(聖武天皇)と親交を持ったらしく、後年には個人的に歌を奉げている。その後に藤原麻呂の恋人となるが、麻呂とも早くに死別する。養老末年頃、異母兄の大伴宿奈麻呂の妻となり、坂上大嬢と坂上二嬢を産んだものの、彼とも33歳頃に死別したと思われる。その後は、任地の大宰府で妻を亡くした大伴旅人のもとに赴き、大伴家持、大伴書持を養育したといわれる。帰京後は佐保邸に留まり、大伴氏の刀自(主婦)として、大伴氏の一族を統率し、家政を取り仕切ったのだろう。その作風は多分に技巧的でありながらも、豊かな叙情性をも兼ね備えている。しかし、彼女の数多い男性との相聞歌は、恋の歌になぞらえて、彼らへの親しみを表したものであったり、実体験ではないのではないかとも言われている。 坂上郎女の通称は坂上の里(現・奈良市法蓮町北町)に住んだためという。.

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大伴家持

大伴 家持(おおとも の やかもち)は、奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。 『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残すを生き延び、延暦年間には中納言まで昇った。.

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大伴三依

大伴 三依(おおとも の みより、生年不詳 - 宝亀5年5月25日(774年7月8日))は。奈良時代の貴族・歌人。名は御依とも記される。大納言・大伴御行の子。官位は従四位下・出雲守。.

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大伴池主

大伴 池主(おおとも の いけぬし、生年不詳 - 天平勝宝9年7月(757年7月))は、奈良時代の歌人・官人。官職は式部少丞。.

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大伴旅人

大伴旅人(菊池容斎・画、明治時代) 大伴 旅人(おおとも の たびと、天智天皇4年(665年) - 天平3年7月25日(731年8月31日)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族・歌人。名は多比等とも記される。大納言・大伴安麻呂の長男。官位は従二位・大納言。.

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大分県立中津北高等学校

大分県立中津北高等学校(おおいたけんりつなかつきたこうとうがっこう)は、大分県中津市中央町一丁目にある県立高等学校である。.

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大和宣旨

大和 宣旨(やまと の せんじ、生没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。中納言平惟仲の娘。母は藤原忠信女。配偶者は藤原道雅、のち、藤原義忠。藤原妍子に仕えた。後拾遺集に3首選ばれている。.

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大和町

大和町(たいわちょう)は、宮城県中部、黒川郡に属する町である。 2010年代の全国の市区町村で人口減少傾向のところが多い中で、人口増加率が高い。.

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大神女郎

大神女郎(おおみわのいらつめ、生没年不詳)は、奈良時代の女流歌人。 大神氏(おおみわし)の出身。大神氏は大物主神(大三輪神)の子大田田根子を始祖とする、神別氏族で、大神神社(奈良県桜井市三輪)の祭祀を司った。天平年間に大伴家持に贈った歌2首が『万葉集』に載り、家持と何らかの交流があったと考えられる。.

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大田垣蓮月

大田垣 蓮月(おおたがき れんげつ、寛政3年1月8日(1791年2月10日) - 明治8年(1875年)12月10日)は、江戸時代後期の尼僧・歌人・陶芸家。俗名は誠(のぶ)。菩薩尼、陰徳尼とも称した。.

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大田美和

大田 美和(おおた みわ、1963年1月15日 - )は、歌人、英文学者。中央大学文学部教授。専門は19世紀英国小説。夫は歌人の江田浩司。.

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大熊信行

大熊 信行(おおくま のぶゆき、1893年2月18日 - 1977年6月20日)は、経済学者、評論家、歌人。福田徳三門下。.

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大隈言道

大隈 言道(おおくま ことみち、寛政10年(1798年) - 慶応4年7月29日(1868年9月15日))は、江戸時代後期の歌人。 門下に幕末の勤王歌人の野村望東尼が居る。 父は商家大隈言朝。福岡の出身。池萍堂(萍堂)・篠廼舎、観水居などと号した。 二川相近に師事して和歌を学び、30歳代半ばで独自の歌風を築いた。また、広瀬淡窓に師事して漢学を学んでいる。佐佐木弘綱、萩原広道などとも交友があった。 歌集に「草径集」、「続草径集」がある。 Category:江戸時代の歌人 Category:筑前国の人物 Category:1798年生 Category:1868年没.

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大西民子

大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)は、昭和期の日本の歌人である。本名菅野民子。日常の風景をあらわした短歌で知られる。.

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大谷和子

大谷 和子(おおたに かずこ、1955年6月5日 - )は歌人。歌誌「花笑み」代表。夫は俳人の遠藤若狭男。.

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大黒富治

大黒 富治(おおぐろ とみじ、1893年11月15日 - 1965年12月18日)は秋田県出身の歌人、農業研究家。旧姓丹波。 (昭和28年、仁別務沢、植物園にて撮影).

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大辻隆弘

大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )は、歌人、高校教諭(国語科)。現代歌人協会会員、現代歌人集会理事、日本文藝家協会会員、中部日本歌人会副委員長、三重県歌人クラブ委員長、『未来』選者、同人誌「レ・パピエ・シアン・Ⅱ」代表。 元皇學館大学講師。現三重県立津西高等学校国語科教諭。.

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大阪大学の人物一覧

※なお、2007年に統合した大阪外国語大学(現・外国語学部)の人物は大阪外国語大学の人物一覧を参照。.

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大阪府立寝屋川高等学校

大阪府立寝屋川高等学校(おおさかふりつ ねやがわこうとうがっこう、英称:Neyagawa Upper Secondary School)は、大阪府寝屋川市本町に所在する公立の高等学校。全日制課程と定時制課程がある。高校の略称は「寝屋高」(ねやこう)。.

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大阪府立北野高等学校の人物一覧

大阪府立北野高等学校人物一覧(おおさかふりつきたのこうとうがっこうじんぶついちらん) 大阪府立北野高等学校の主な出身者・教員・関係者など。.

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大阪府立池田高等学校

大阪府立池田高等学校(おおさかふりつ いけだ こうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Ikeda High School)は大阪府池田市にある公立高等学校。全日制普通科を設置する。.

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大阪星光学院中学校・高等学校

大阪星光学院中学校・高等学校(おおさかせいこうがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう、英称:Osaka Seiko Gakuin Junior/Senior High school)は、大阪府大阪市天王寺区に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間において、第1学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校である。.

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大阪教育大学附属高等学校池田校舎

大阪教育大学附属高等学校池田校舎(おおさかきょういくだいがく ふぞくこうとうがっこう いけだこうしゃ、英称:Ikeda Senior High School attacched to Osaka Kyoiku University)は、大阪府池田市にある国立高等学校。大阪教育大学の附属学校。略称は「附高(ふこう)」、「池附(いけふ)」。.

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大門寺

大門寺(だいもんじ)は、大阪府茨木市大門寺にある真言宗御室派の仏教寺院。山号は神峯山。院号は金剛院。 本尊は如意輪観世音菩薩(秘仏)。本尊像と四天王像はともに平安時代の仏像で重要文化財に指定されている(1987年指定)。紅葉の名所としても知られている。.

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大藤ゆき

大藤 ゆき(おおとう ゆき、1910年〈明治43年〉3月11日 - 2001年〈平成13年〉11月1日)は、日本の民俗学者、歌人。大藤時彦の妻。.

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大野喜月

大野 喜月(おおの きづき、1863年(文久3年)1月1日 - 1942年(昭和17年)7月20日)は、日本の詩人、俳人、歌人。岐阜県出身。養子に周市。.

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大野道夫

大野 道夫(おおの みちお、1956年 - )は日本の歌人、社会学者。竹柏会「心の花」編集委員。大正大学人間学部教授。曾祖父は佐佐木信綱。佐佐木幸綱は母の従兄弟にあたる。 神奈川県立湘南高等学校、東京大学文学部国史学科卒業。同大学院教育学研究科教育社会学専攻博士課程満期退学。東大俳句会OBで、俳誌「天為」に所属して俳人としても活動する。1989年、「思想兵・岡井隆の軌跡―短歌と時代・社会との接点の問題」で第7回現代短歌評論賞受賞。1990年、谷岡亜紀、加藤孝男、大辻隆弘らと同人誌『ノベンタ』を創刊。2006年、東京大学本郷短歌会を創立。歌人としての活動のほか、歌壇を社会学の見地から分析した本も上梓している。.

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大松達知

大松 達知(おおまつ たつはる、1970年12月30日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」選者・編集委員・О先生賞選考委員。同人誌「COCOON」発行人。現代歌人協会会員。高野公彦に師事。中野区在住。.

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大森静佳

大森 静佳(おおもり しずか、1989年5月11日 - )は、歌人。岡山県出身、京都市在住。「塔」編集委員。 岡山県立岡山朝日高等学校在学時に短歌に出会い、2年次より「毎日歌壇」への投稿を始める。高校3年時に毎日歌壇賞を受賞。京都大学文学部入学と同時に京都大学短歌会に入会、のちに同会代表を務める。 大学在学中の2010年に作品「硝子の駒」50首で第56回角川短歌賞受賞。 2013年、第1歌集『てのひらを燃やす』を刊行し、第39回現代歌人集会賞受賞。翌2014年、同歌集で第20回日本歌人クラブ新人賞、第58回現代歌人協会賞を受賞。なおいずれの賞でも史上初の平成生まれの受賞者である。.

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大橋淡雅

大橋淡雅像(部分) 椿椿山筆 大橋 淡雅(おおはし たんが、天明8年(1788年) - 嘉永6年5月17日(1853年6月23日))は江戸の豪商。書画コレクター・書の鑑定家として知られ渡辺崋山・佐藤一斎などの文人・画人と交遊した。 名は知良・字を温卿・通称孝兵衛のち良左衛門。晩年に淡雅と号した。別号に東海享軒。下野国の生まれ。.

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大正三美人

大正三美人(たいしょうさんびじん)とは、大正時代に美人と言われた3人のことである。.

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大江千里

大江 千里.

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大江千里 (歌人)

大江千里(百人一首より) 大江 千里(おおえ の ちさと、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族・歌人。参議・大江音人の子。一説では従四位下・大江玉淵の子。官位は正五位下・式部権大輔。中古三十六歌仙の一人。.

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大江匡衡

大江 匡衡(おおえ の まさひら、天暦6年(952年) - 寛弘9年7月16日(1012年8月6日))は、平安時代中期の儒者・歌人。中納言・大江維時の孫で、左京大夫・大江重光の子。官位は正四位下・式部大輔。中古三十六歌仙の一人。.

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大江匡房

大江 匡房(おおえ の まさふさ)は、平安時代後期の公卿、儒学者、歌人。大学頭・大江成衡の子。官位は正二位・権中納言。江帥(ごうのそつ)と号す。藤原伊房・藤原為房とともに白河朝の「三房」と称された。小倉百人一首では前中納言匡房。.

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大江嘉言

大江 嘉言(おおえ の よしとき、生年不詳 - 寛弘6年(1009年)?)は、平安時代中期の歌人。氏姓は弓削朝臣のち大江朝臣。大江千古の孫にあたる大隅守・弓削仲宣の子。官位は従五位上・対馬守。中古三十六歌仙の一人。.

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大江公景

大江 公景(おおえ の きんかげ、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての貴族・歌人。大江公盛の子。没年については、『勅撰作者部類』は「元久元年(1204年)に至る」とし楠橋『平安時代史事典』、『明月記』には同2年2月27日条に彼が「飲水脚病」にかかっていた事が記され、その2年後の承元元年(1207年)4月28日条までその名前が見える中村、2005年、P406。正五位下隼人正。 久寿2年12月29日(1156年1月23日)に内舎人となり、以後後白河院・高倉院に仕える。建久2年(1191年)に行われた若宮社歌合には「従五位下大和守」として登場する。その後、建久9年(1198年)に後鳥羽院が院政を開始した際には北面武士の1人に加えられた。和歌にも優れており、『千載和歌集』に2首載せられている他、和歌所の歌合にも度々参加している。また、藤原定家とも親交があり、『明月記』には公景がしばしば定家の元を訪問して後鳥羽院の動向について話したことが記されている。.

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大江為基

大江 為基(おおえ の ためもと、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族・歌人。大江斉光の次男(一説には長男)で、母は桜嶋忠信の娘。妻は高階成忠の娘で藤原伊周兄弟の叔母にあたる。法号は寂定とされる。 文章博士や三河守を経て従五位下摂津守になるも、病のために図書権頭に遷される。更に妻の死をきっかけに出家して浄土信仰の道に進んだ。『続本朝往生伝』には、死んだ後に一度は蘇生したが、死後に極楽往生できるものの、最下層の「下品下生」に留まることを知って無念の気持ちを表したと伝えている。『拾遺和歌集』など、勅撰和歌集に6首採録されている。また、結婚以前は赤染衛門と恋愛関係にあったとされ、『赤染衛門集』に為基の歌が多数採録されている。.

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大江正言

大江 正言(おおえ の まさとき、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族・歌人。氏姓は弓削朝臣のち大江朝臣。大隅守・弓削仲宣の子。官位は従五位下・大学允。.

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大池唯雄

大池 唯雄(おおいけ ただお、1908年10月30日 - 1970年5月27日 )は、日本の作家。本名は小池忠雄(こいけ ただお)。.

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大河原町

大河原町(おおがわらまち)は、宮城県南部の柴田郡に属する町である。仙南圏の中央に位置する。.

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大滝和子

大滝 和子(おおたき かずこ、1958年11月1日 - )は、歌人。本名、矢口和子。.

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大滝貞一

大滝貞一(おおたき ていいち、1935年9月3日-2016年7月23日)は、歌人。 新潟県出身。1958年東洋大学文学部国文科卒、日本放送教育協会編集局に勤務、60年博報堂に入る。PR本部ディレクター、営業担当部長など。大学在学中「大学歌人会」で活動、『花実』『古今』に参加し、福田栄一に師事。『雲珠』を主宰。.

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大木雄二

大木 雄二(おおき ゆうじ、1895年5月7日 - 1963年7月21日)は、日本の歌人、児童文学者。.

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大悟法利雄

大悟法 利雄(だいごぼう としお、1898年12月23日 - 1990年11月26日)は、日本の歌人。.

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大教院

大教院(だいきょういん)は、大教宣布運動の高揚を図るため教部省が1872年に神仏合併を行う教導職の道場として設置した半官半民の中央機関である。.

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大手前大学の人物一覧

大手前大学の人物一覧は大手前大学に関係する人物の一覧記事。.

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大曲市

大曲市(おおまがりし)は、秋田県に存在していた市である。2005年(平成17年)に周辺の町村と合併して大仙市となった。.

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天王寺区

天王寺区(てんのうじく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。.

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天田愚庵

天田 愚庵(あまだ ぐあん、嘉永7年7月20日(1854年8月13日) - 明治37年(1904年)1月17日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての武士、歌人。 本名、天田五郎、1881年から1884年まで山本五郎。漢詩や和歌に優れ、俳人正岡子規と交流があった。.

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天道なお

天道 なお(てんどう なお、1979年4月26日 - )は、歌人。千葉県出身。 早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。高校3年生時の自由研究の時間に「簡単なものを選べば楽できるかな」という理由で短歌創作を選択したことから作歌を始める。大学在学中に早稲田大学短歌会に入会、水原紫苑の短歌創作ゼミを受講。2000年、短歌研究社主催「うたう」作品賞候補作。2001年、『午後光』で第2回大西民子賞奨励賞。2003年、「未来」短歌会に入会し、加藤治郎に師事。 毎日新聞 Women interactive カモミールにて連載されていた、短歌+イラストの動画配信サービス「テノヒラタンカ」に参加。.

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天野慶

天野 慶(あまの けい、1979年10月19日 - )は歌人。「短歌人」所属。東京都三鷹市出身。 日常における様々な“言葉にならない思い”を言葉にする現代歌人。繊細な感性と力強い表現力で、新しい時代の短歌をつくり続けている。近年は百人一首関連の著書が多い。.

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天津風

天津風(あまつかぜ)とは、「空高く吹き抜ける風」を表した単語である。 平安時代の僧にして歌人、遍昭(僧正遍昭)の和歌、「天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ乙女の姿しばしとどめむ」に歌われているものが有名である。.

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天文 (元号)

天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.

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太子町 (兵庫県)

太子町(たいしちょう)は、兵庫県南西部(西播磨地域)に位置する町で、唯一揖保郡に属する。西播磨県民局管轄区域。 江戸時代の地誌『播磨鑑』により、町内宮本は宮本武蔵出生地として有力な候補の一つとされている。.

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太田一郎

太田 一郎(おおた いちろう、1924年5月27日 - )は、日本の経済学者、歌人、評論家。 東京四谷生まれ。3歳で父を失う。第一高等学校でいいだもも、中村稔らを知るが、1945年空襲で家を焼かれ、戦後肺結核を発病し清瀬療養所に入る。ここで結城昌治、福永武彦を知る。退院後1952年東京大学経済学部卒業、国民金融公庫に入る。かたわら吉行淳之介らと雑誌『世代』に短歌、評論を寄稿。国民金融公庫では調査部長、総務部長、理事を務め、1983年帝京大学経済学部教授。1995年定年。.

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太田絢子

太田 絢子(おおた あやこ、1916年3月17日 - 2009年10月31日)は、歌人。太田青丘の妻。旧姓近藤。 北海道生まれ。実践女子専門学校(現実践女子大学)国文科卒。同校助手を経て北海道岩見沢農業高等学校、北海道小樽潮陵高等学校などの教員を歴任。歌誌『新墾』に入社、のち『潮音』に参加。小田観螢の媒酌により太田青丘の後妻に入る。1996年に夫の太田青丘が没してから『潮音』を主宰。信濃毎日新聞や読売新聞地方版「よみうり文芸」の歌壇選者を務めた。.

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太田青丘

太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 1996年11月15日)は、日本の歌人、漢文学者、法政大学名誉教授。 長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)生まれ。本名・兵三郎。太田水穂の兄の子で、のち水穂・四賀光子の養子となる。1928年水穂の歌誌『潮音』に入会。旧制武蔵高等学校を経て、1934年東京帝国大学文学部支那文学科卒。大学院をへて文部省国民精神文化研究所所員。1949年法政大学教授。1955年「日本歌学と支那詩学との交渉」で東京大学文学博士。1965年『潮音』代表者。1980年法政大学定年。1984年編者として『太田水穂全歌集』(短歌新聞社)を刊行。妻は歌人の太田絢子。.

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太田静子

太田 静子(おおた しずこ 1913年(大正2年)8月18日 - 1982年(昭和57年)11月24日)は、滋賀県出身の歌人、作家。太宰治の愛人の一人。『斜陽』に材料を提供したことで知られている。 作家の太田治子は、太田静子と太宰治の娘。.

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太田資清

太田 資清(おおた すけきよ)は、室町時代中期から戦国時代前期の武将。相模守護代、扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の一門太田氏出身。長尾景仲とともに「関東不双の案者(知恵者)」と称された。父は太田資房。正室は長尾景仲の娘。子に資長(道灌)、資忠など。法号は道真(どうしん)。.

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太田水穂

太田 水穂(おおた みずほ、1876年(明治9年)12月9日 - 1955年(昭和30年)1月1日)は、日本の歌人、国文学者。本名は太田貞一、別号・みづほのや。.

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夜はぷちぷちケータイ短歌

『夜はぷちぷちケータイ短歌』(よるはぷちぷちケータイたんか)は、NHKラジオ第1放送で2008年4月から2012年4月1日まで毎週日曜21時5分から21時55分に放送された短歌を題材としたラジオ番組である。2009年4月5日以降は、同日開始された若者向けワイド番組「渋マガZ」(毎週日曜19:20 - 21:55)の20時台の内包コーナーとして放送された。.

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夜桜お七

夜桜お七」(よざくらおしち)は、1994年9月7日に発売された坂本冬美のシングル。発売元は東芝EMI。.

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外波山文明

外波山 文明(とばやま ぶんめい、1947年1月11日 - )は日本の声優、俳優、演出家。「椿組」主宰、ジェイ・クリップに業務提携として所属。 かつては演劇集団変身に所属していた。また、「はみだし劇場」を主宰していた。日本演出者協会会員。.

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夕暮れ

夕暮れ(ゆうぐれ)とは、日が暮れる頃のこと。→夕を参照。.

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奥田亡羊

奥田 亡羊(おくだ ぼうよう、1967年6月5日 - )は、日本の歌人。現代歌人協会理事。相模女子大学講師。篤志面接委員。本名は奥田 尚良(おくだ たかよし)。.

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奥田証券

奥田証券(おくだしょうけん)は、明治末期から昭和にかけて存在した三重県最大の証券会社である。.

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奥村晃作

奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は、歌人。歌誌「コスモス」選者。.

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奨子内親王

奨子内親王(しょうし(まさこ)ないしんのう、弘安9年9月9日(1286年9月28日) - 正平3年11月2日(1348年11月23日))は、鎌倉時代後期から室町時代初期(南北朝時代)にかけての皇族、歌人。後宇多天皇第1皇女。生母は参議五辻忠継の娘、典侍忠子(談天門院)。後醍醐天皇は同母弟にあたる。伊勢斎宮、のち非妻后の皇后(尊称皇后)、女院。院号は達智門院(たっちもんいん)。.

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女房名

女房名(にょうぼうな)は、主に平安時代から鎌倉時代にかけて、貴人に出仕する女房が仕える主人や同輩への便宜のために名乗った通称、またその形式。 当時はまだ女子の諱を公にすることは忌避されており、宮中での歌合の記録などにも女性の実名が記されることはなく、系図の上にすら実名を垣間見ることは稀だった。そのため、和歌や文学の世界における活躍が広く知られた女房でも、その実名は判明していないという例がほとんどである。 女房名は、父・兄弟・夫など、本人の帰属する家を代表する者の官職名を用いることが多い。すなわち、紫式部の「式部」(父藤原為時が式部大丞だった)、清少納言の「少納言」(兄弟に少納言となった者がいたという)、伊勢(父が伊勢守)、相模(夫が相模守)などがこれに当たる。ただしこれのみでは同名の者が多出して不便なため、その者の特性を端的に表す字を冠することで区別をした。清少納言の「清」は清原氏の出自であることを示す。紫式部も当初は同じように藤原氏の「藤」を冠して「藤式部」(とうしきぶ)と呼ばれていたが、やがてその著作『源氏物語』が有名になると登場人物の紫の上にちなんで「紫」を冠すようになったという経緯がある。また和泉式部のように夫の官職(和泉守)と父の官職(式部大丞)を合わせた例や、大弐三位のように夫の官職(大宰大弐)と本人の位階(従三位)を合わせた例もある。小式部内侍は母の和泉式部と同時期に一条天皇の中宮・藤原彰子に出仕していたため、母式部と区別するために「小」を冠して小式部と呼ばれるようになったとみられる。 それでも時代が下ると、歌人や物語作者として後代にまで名を残した女房の女房名が、異なる時代に同じ女房名を使った別人とまぎらわしくなることが多くなった。そこでこれを避けるため、女房名に主人の名や主人の家名を冠することが院政期の頃から始まり、これが以後の主流となっていった。祐子内親王家紀伊、六条斎院宣旨(禖子内親王家宣旨)、待賢門院堀河、二条院讃岐、皇嘉門院別当、殷富門院大輔、宜秋門院丹後(摂政家丹後)、後鳥羽院下野、後深草院少将内侍、藻璧門院少将など、その例には枚挙に暇がない。.

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女房三十六歌仙

女房三十六歌仙(にょうぼうさんじゅうろっかせん)は、鎌倉中期に成立した『女房三十六人歌合』に歌を採られた女性歌人三十六人を指す。当該歌合は、藤原公任の「三十六人撰」に模倣して作られ、左方に小野小町から相模までの中古歌人を、右方に式子内親王から藻璧門院少将までの中世初頭の歌人を配し、一人三首ずつ番わせた紙上の歌合である。 「女房三十六人歌合」のうち「伊勢」「宮内卿」 寛文年間 清原雪信筆 MIHO MUSEUM蔵.

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奈良県出身の人物一覧

奈良県出身の人物一覧(ならけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する奈良県出身の人物の一覧である。.

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奈良県立奈良高等学校

奈良県立奈良高等学校(ならけんりつならこうとうがっこう、英語表記:Nara Prefectural Nara Senior High School)は、 奈良県奈良市に所在する男女共学の公立高等学校で、公立高校のトップに位置する。西日本の名門国立大学である京都大学、大阪大学、神戸大学の三大学に120名以上の生徒が進学するほか、ほぼすべての生徒が進学(大学、短期大学・看護など医療系専門学校)を希望し進学する。1990年以降は進学実績が大きく伸び続けており、中和地区と南和地区の名門公立高校である畝傍高校や郡山高校から大きく抜きんでた進学実績を誇る。創立以来生徒の自主性を重んじる校風で、文化祭や研修旅行などは生徒が中心となって企画する。 部活動も盛んであり、文武両道の精神を貫いている。 通称「奈高(なこう)」。 文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されている。.

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奈良県立竜田公園

遊歩道 奈良県立竜田公園(ならけんりつたつたこうえん)は奈良県斑鳩町南西部にある都市公園。.

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姫路市

姫路市(ひめじし)は、近畿地方西部、兵庫県の南西部(播磨地方)に位置する市。 中核市に指定されており、周辺自治体を含めて約74万人の姫路都市圏を形成する。中播磨県民センターの管轄。.

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姉小路基綱

姉小路 基綱(あねがこうじ もとつな)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿・大名・歌人。飛騨国司。姉小路家(古川家)当主。.

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姉小路済継

姉小路 済継(あねがこうじ なりつぐ/さだつぐ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿・大名・歌人。飛騨国司。姉小路家(古川家)当主。.

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子規

子規.

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子貝諸文

子貝 諸文(おがい もろぶみ、1842年(天保13年8月) - 1922年(大正11年)11月28日)は、幕末から大正期の歌人。号は鑑古堂。 尾張国(現愛知県)出身。尾張国熱田中瀬町で魚問屋を営む傍ら、小出粲(宮内省文学御用掛・御歌所寄人・主事)、中村守手(国学者)、八田知紀(宮中歌所所長)の門人でもあり、歌人として活動していた。.

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孝行猿

『孝行猿』(こうこうざる)は、長野県伊那市に伝わる民話。伊那市指定無形民俗文化財。.

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孤蓬万里

孤蓬 万里(こほう ばんり、1926年4月1日 - 1998年12月15日 )は、台湾の作家、歌人。本名呉 建堂。旧制台北高等学校在学中に、万葉集研究で知られる犬養孝に師事。戦後、医師の本業のかたわら、日本統治下で学んだ日本語で和歌や俳句の創作を行った。1993年には台湾で創作された和歌を『台湾万葉集』として刊行し、大岡信らの絶賛を得る。1996年には『台湾万葉集』が菊池寛賞を受賞。台湾人として日本の文学賞を獲得した第一号となった。.

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学習院大学の人物一覧

学習院大学の人物一覧(がくしゅういんだいがくのじんぶついちらん)は学習院大学に関係する人物の一覧記事。.

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定家仮名遣

定家仮名遣(ていかかなづかい)とは、仮名遣いの一種。平安時代末から鎌倉時代初期にかけての公家藤原定家がはじめたもので、明治に至るまで一定の支持を得た。.

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実材母

実材母(さねきのはは、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人である。『権中納言実材卿母集』の作者。西園寺公経の五男実材を産んだことからこの名で呼ばれる。また、歌人となった佐分親清の娘達の母でもある。 白拍子の舞姿(義経の前で舞う静御前を描いた肉筆画。葛飾北斎筆、北斎館蔵、文政3年(1820年)頃).

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宝徳寺 (盛岡市)

宝徳寺(ほうとくじ)は、岩手県盛岡市渋民にある曹洞宗の寺院。山号は万年山。本尊は釈迦如来。明治期の詩人・歌人石川啄木ゆかりの寺として知られる。.

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宣仁親王妃喜久子

宣仁親王妃 喜久子(のぶひとしんのうひ きくこ、1911年(明治44年)12月26日 - 2004年(平成16年)12月18日)は、日本の皇族で、高松宮宣仁親王の妃。 旧名、徳川喜久子(とくがわ きくこ)。公爵・徳川慶久慶久も有栖川宮織仁親王の曾孫に当たる。の次女で、母は有栖川宮威仁親王の第二王女である實枝子女王。身位は親王妃。お印は初めが亀(かめ)、結婚後は撫子(なでしこ)。.

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宣阿

宣阿(せんあ)は、江戸時代中期の武士、歌人。諱は景継(かげつぐ)。.

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宮城学院女子大学

記載なし。

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宮城県宮城第一高等学校

宮城県宮城第一高等学校(みやぎけん みやぎだいいちこうとうがっこう)は、宮城県仙台市青葉区八幡一丁目にある県立高等学校である。通称は「宮一」(みやいち)あるいは「宮城一高」(みやぎいちこう)、または女子校時代の校名を取った「一女」(いちじょ)。 明治時代に高等女学校として設立されて以来、平成に至るまで女子校であったが、2008年度(平成20年度)から男女共学となり、旧称の「宮城県第一女子高等学校」から改称された。.

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宮城県出身の人物一覧

宮城県出身の人物一覧(みやぎけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する宮城県出身の人物の一覧表である。.

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宮城県鼎が浦高等学校

宮城県鼎が浦高等学校(みやぎけんかなえがうらこうとうがっこう)は、宮城県気仙沼市に存在した県立高等学校である。2005年度(平成17年度)より、既存で男子校の宮城県気仙沼高等学校と女子校の本校が統合され、共学校の宮城県気仙沼高等学校となった。.

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宮城野

宮城野(みやぎの).

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宮原積

宮原 積(みやはら つもる / せき、1823年(文政6年)- 1884年(明治17年)『鳥取県大百科事典』929頁。)は、幕末の鳥取藩士・歌人、明治期の内政官僚。高山県知事、福島県権令。通称・大輔、号・海宇。.

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宮崎市

ェラトン・グランデ・オーシャンリゾート(154m、43階)。2016年現在、九州一の高さを持つ超高層建築物となっている。 宮崎市(みやざきし)は、宮崎県の南東部にある都市で同県の県庁所在地である。 フェニックス・シーガイア・リゾート、青島、プロ野球・プロサッカーキャンプといった数多くの観光資源を持つ観光都市であり、九州・沖縄地方では長崎市に次いで7番目に人口が多い。1998年(平成10年)から中核市に指定されている。.

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宮崎信義

宮崎 信義(みやざき のぶよし 1912年2月24日 - 2009年1月2日)は、日本の歌人。口語自由律短歌(いわゆる新短歌)の隆盛に努めた。短歌雑誌「未来山脈」代表。京都歌人協会委員長。新短歌人連盟会長。現代歌人協会会員。.

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宮崎県立宮崎大宮高等学校

宮崎県立宮崎大宮高等学校(みやざきけんりつみやざきおおみやこうとうがっこう)は、宮崎県宮崎市に所在する県立高等学校。.

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宮崎県立延岡高等学校

宮崎県立延岡高等学校(みやざきけんりつ のべおかこうとうがっこう)は、宮崎県延岡市古城町三丁目に所在する県立の高等学校。通称は「延高」(のべたか)。.

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宮崎郁雨

宮崎 郁雨(みやざき いくう、1885年(明治18年)4月5日 - 1962年(昭和37年)3月29日)は、日本の歌人。本名は大四郎(だいしろう)。 石川啄木夫人・節子の妹の夫。啄木の生前から啄木一家を物心両面にわたって支え、啄木の死後も墓碑建立、「啄木を語る会」を発足させるなどの実績がある。.

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宮田美乃里

宮田 美乃里(みやた みのり、1970年(昭和45年)11月23日 - 2005年(平成17年)3月28日)は、日本の歌人。元ダンサー。静岡県生まれ。.

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宮田用水

宮田用水(みやたようすい)は、岐阜県各務原市と愛知県犬山市の県境である木曽川犬山頭首工を取水源とする農業用水である。濃尾用水(羽島用水、宮田用水、木津用水)の一つである。宮田導水路ともいう。 宮田用水自体は、延長10kmに満たない用水であるが、丹羽郡扶桑町と江南市の農業用水という役割のみでなく、大江用水、新般若用水、奥村用水に水を供給する役割が大きい。これらの用水網は、愛知県尾張地方北部~西部に網羅される。 宮田用水土地改良区や東海農政局などは、大江用水、新般若用水、奥村用水も宮田用水系の用水路として管理している。 2006年(平成18年)、濃尾用水として疏水百選に選定される。.

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宮道潔興

宮道 潔興(みやじ の きよき、生没年不詳)は、平安時代前期の官人・歌人。名は潔樹とも記される『勅撰作者部類』。修理少進・宮道真継あるいは主計頭・宮道弥益の子とする系図がある。官位は正六位下中田憲信『皇胤志』1・越前権少掾。.

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宮英子

宮 英子(みや ひでこ、1917年2月23日-2015年6月26日)は、歌人。夫は宮柊二。 富山県出身。旧姓・瀧口。瀧口修造の従妹にあたる。東京女子高等師範学校卒。1937年、歌誌「多磨」に入会し、北原白秋に師事。同門の宮柊二と結婚し、1953年に「コスモス」創刊に参加。1986年の柊二没後、後を継いで「コスモス」発行人となった。2008年宮中歌会始で召人を務めた。2005年『西域更紗』で第20回詩歌文学館賞受賞、2013年『青銀色』で第36回現代短歌大賞受賞。.

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宮柊二

宮 柊二(みや しゅうじ、1912年(大正元年)8月23日 - 1986年(昭和61年)12月11日)は、昭和時代に活躍した歌人。本名は宮肇(はじめ)。 妻は同じく歌人の宮英子(旧名、瀧口英子)。.

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家集

家集(か-しゅう)は王朝和歌の世界において、個人または一家の和歌をまとめて収めた歌集を指す。「家の集」ともいい、家集の語はこれを漢語ふうに表現したもの。自撰・他撰の別は問わないが、初期には子孫が先祖の家集を編むことが多く、自撰家集が盛んになるのは院政期から新古今期前後にかけてである。鎌倉時代には勅撰集と並んで盛行した。 家集のもっとも古い例は10世紀前半ごろに編纂されたと思われる人丸集・赤人集・家持集・猿丸集の四種で、これらはいずれも万葉集巻十四以降あたりから、当該歌人の作品を抜き出して編まれたものである。が内容的には、その名を冠された歌人以外の作品も含まれるなど不備は多いものの、和歌が撰集形式ではなく、個人の著作物として鑑賞される機運が高まってきたことを示す重要な事例であるといえる。人麻呂・赤人が歌聖として崇拝されたところから、このような家集の意識が生れてきたものと考えることができる。 Category:和歌.

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宜秋門院丹後

宜秋門院丹後 - 寛文年間 清原雪信 宜秋門院丹後(ぎしゅうもんいんのたんご、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人である。女房三十六歌仙の一人。丹後守源頼行の娘。源兼綱らの兄妹。源頼政は伯父にあたり、従姉妹に二条院讃岐がいる。摂政家丹後、丹後少将、丹後禅尼とも呼ばれる。.

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宜湾朝保

宜湾 朝保(ぎわん ちょうほ、道光3年(尚灝20年・1823年)3月5日 - 光緒2年(尚泰29年・1876年)8月6日)は、琉球王国末期の著名な政治家で歌人。当時の正式な呼称は宜湾親方朝保。琉球の五偉人の一人。 小禄御殿の支流である向氏宜湾殿内(系祖・六世前川親方朝年)の12世。首里の生まれである。唐名は向有恆。父の宜野湾親方朝昆(唐名は向廷楷)は、尚育王時代の三司官であった。父が亡くなり、朝保は13歳で家をつぎ、宜野湾間切を領した。当初は、宜野湾の家名を名乗っていたが、1875年(明治8年)に尚泰王の次男・尚寅が宜野湾間切を賜り宜野湾王子と称するようになったため、宜野湾の名を避け、宜湾と称するようになった。 和漢洋の学問に通じ、英語をよくした。接貢船修甫奉行となり、その後、異国船御用係、学校奉行、系図奉行を経て三司官となった。当時は清、フランス、アメリカ、オランダと通商し、琉球は国事多端の時であったが、献身的に尚泰王を助け、信任を得た。ヤマトに派遣されること6たび、遣清は2たび、また伊江王子朝直の副使となって東京に行き、琉球藩を設け尚泰を藩王とする命を拝したが、帰琉後、強い排斥を受け、隠退した。 幕末は、鹿児島に使し、歌人の八田知紀に和歌を学び、帰琉して別業を営み、悠然亭と命じ、自分は松風斎と号し、歌を講じた。のち福崎季連と相携え、琉球歌壇の基礎を築いた。明治5年(1872年)、東京滞在中、吹上離宮の歌会に陪侍し、「水石契久 動きなき御世を心のいはかねにかけてたえせぬ滝の白糸」と詠み、天皇のお褒めを頂いた。一説に、上り口説、下り口説、四季口説は朝保の作であるという。 大正4年(1915年)、従四位追贈。著書に、「遺稿松風集」「沖縄三十六歌仙」「沖縄集」「琉球解釈」「上京日説」「宜湾朝保書」など。 伊波普猷・真境名安興『琉球の五偉人』(1916年)で、琉球の五偉人の一人に選ばれている。.

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守屋栄夫

守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884年)11月8日 - 昭和48年(1973年)2月1日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士、歌人。衆議院議員、宮城県塩竈市長。宮城県平民『人事興信録.

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守屋武昌

守屋 武昌(もりや たけまさ、1944年(昭和19年)9月23日 - )は、日本の元防衛官僚。宮城県塩竈市出身、新潮社。東北大学法学部卒。1971年(昭和46年)、防衛庁入庁。1996年(平成8年)、内閣審議官として普天間問題に係わる。長官官房長・防衛局長を務めた後、2003年(平成15年)、防衛事務次官。2007年(平成19年)8月に防衛省を退職。のち、在任中の収賄などによって逮捕され、有罪判決を受けた。.

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守中高明

守中 高明(もりなか たかあき、1960年3月1日 - )は、日本の詩人、早稲田大学法学学術院教授。専門は、現代フランス文学・思想、比較詩学。浄土宗の僧侶でもある(専念寺・前住職)。妻は「未来」所属の歌人・守中章子(豊崎光一の妻であった。)。.

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宗不旱

宗 不旱(そう ふかん、1884年5月14日 - 1942年5月末)は、歌人。万葉調の歌をよみ、漂泊の歌人と称された。.

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宗牧

宗牧(そうぼく、? - 天文14年9月22日(1545年10月27日))は、戦国時代の連歌師。父母については不詳であるが、姓は谷氏。越後国一乗谷の生まれ。号は孤竹斎。子に、連歌師となった宗養がいる。 連歌師の宗長・宗碩に師事し、各地を旅した。また、公家で歌人の三条西実隆の邸宅や摂関家の一つ近衛家に出入りし、1536年(天文5年)には連歌宗匠となっている。1544年(天文13年)、宗養とともに東国旅行に向かう。途中、後奈良天皇から委託された奉書を尾張国の織田信秀に届けている。だが、京都への帰還中に下野国佐野で没した。この旅の記録が「東国紀行」で、その当時の豪族達の状況が分かる資料の一つになっている。連歌の相伝書を集大成し、後世の連歌や俳諧に影響を与えた。 作品には師の宗長と詠んだ「矢島小林庵百韻」やいくつかの「宗牧句集」が残されている。 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:戦国時代の人物 (日本) Category:1545年没.

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宇努男人

宇努 男人(うぬ の おひと、生没年不詳)は、奈良時代の官人・歌人。姓は首。官位は正六位上・豊前守。.

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宇多天皇

宇多天皇(うだてんのう、貞観9年5月5日(867年6月10日) - 承平元年7月19日(931年9月3日))は、日本の第59代天皇(在位:仁和3年8月26日(887年9月17日) - 寛平9年7月3日(897年8月4日))。 諱は定省(さだみ)。後の佐々木氏などに代表される宇多源氏の祖先にもあたる(詳細は皇子女の欄参照)。.

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宇佐美祐次

宇佐美 祐次(うさみ すけつぐ、文久2年3月20日(1862年4月18日) - 昭和22年(1947年)12月26日)は、明治期から昭和にかけての農本主義者、歌人、農政政治家。.

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宇和島市

宇和島市(うわじまし)は、愛媛県の南部(南予地方)に位置する都市。南予地方の中心都市で、宇和島城を中心に発展した闘牛で有名な旧城下町でもある。.

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宇田道隆

宇田 道隆(うだ みちたか、1905年1月13日 - 1982年5月10日)は昭和期の海洋物理・水産海洋学者。.

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宇田栗園

宇田 栗園(うだ りつえん、文政9年(1826年) - 明治34年(1901年)4月17日)は、幕末の勤王家・医師・漢詩人、歌人。 字は淵(ふかし)。号は栗園、静観亭(せいかんてい)、健斎など。.

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宇都宮大潔

宇都宮 大潔(うつのみや おおきよ、文化元年8月(1804年) - 明治8年1月18日(1875年))は、江戸時代末期から明治時代初期の土御門家の陰陽師、歌人。播磨飾磨英賀(現在の姫路市飾磨区)の生まれ。大潔は諱であり、名は昌斎、字を大進、号は鐸綱、隠居後に鍬斎とした。 若い頃より国学・和歌に興味を持ち、大江広海に師事して万葉集を学んだ。本居宣長を独学したが、のちに加茂季鷹に和歌・国学・書などの教えを受ける。宇都宮家は高持百姓として石高を得ていたが、それ以外に家相の診断や和歌の指導などで収入を得ていた。 『菅野屋集』・『青藍集』・『鰒玉集』などに和歌が載せられている。学問は博識で郷土史研究に貴重な研究を遺している。 教育熱心な姿勢を貫き、明治維新の後、70歳の高齢で小学校の教師をしている。 享年72。その死を悼み、多くの門弟が墓碑を建立している。.

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宇都宮頼綱

宇都宮 頼綱(うつのみや よりつな)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武士・御家人・歌人。藤原姓宇都宮氏5代当主。伊予国守護を歴任。歌人としても著名で藤原定家との親交が厚く京都歌壇、鎌倉歌壇に並ぶ宇都宮歌壇を築いた。.

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宇都宮泰綱

宇都宮 泰綱(うつのみや やすつな)は、鎌倉時代前・中期の人物。藤原姓宇都宮氏第6代当主。官位は正五位下で下野守、修理亮を歴任。鎌倉御家人でもあり評定衆、美濃国守護に任じられた。宇都宮歌壇の歌人としても著名。宇都宮頼綱の子で宇都宮景綱の父。母は北条時政の娘。.

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宇治谷孟

宇治谷 孟(うじたに つとむ、1918年 - 1992年11月5日)は、日本の歴史学者、国文学者。はじめて『日本書紀』の現代語訳を行ったほか、『続日本紀』の現代語訳も担当した。.

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宇津峰宮

宇津峰宮(うづみねのみや、生没年不詳)は、南北朝時代の南朝の皇族。諱・系譜ともに不詳であるものの、近世の俗書においては、後醍醐天皇の孫で、中務卿尊良親王の王子に当たるという守永親王(もりながしんのう)に比定されることが多い。宮号は、北畠顕信に奉じられて陸奥宇津峰城に拠ったことに由来する。.

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安嶋弥

安嶋 弥(安嶋 彌、やすじま ひさし、1922年9月23日 - 2017年12月9日)は、日本の文部官僚、歌人、教育学者。.

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安佐南区

安佐南区(あさみなみく)は、広島市を構成する8つの行政区のひとつ。.

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安嘉門院甲斐

安嘉門院甲斐(あんかもんいんのかい、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人である。「長有朝臣の妹」や葉室光俊の弟定嗣の娘「安嘉門院女房」のこととも言うが不詳。.

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安嘉門院高倉

安嘉門院高倉(あんかもんいんのたかくら、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人。父は興福寺別当となった法印親縁(源通親の子)とされる。.

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安倍清行

安倍 清行(あべ の きよゆき/きよつら、天長2年(825年) - 昌泰3年(900年))は、平安時代前期の貴族・歌人。大納言・安倍安仁の子。官位は従四位上・讃岐守。.

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安立スハル

安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - 2006年2月26日)は、歌人。京都市東山区出身。 1940年、京都府立桃山高等女学校卒業。1941年、歌誌「多磨」入会。1949年、宮柊二に初めて会い、指導を受けるようになる。1949年、歌誌「コスモス」創刊に参加。1964年、第一歌集『この梅生ずべし』を刊行。.

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安田尚義

安田 尚義(やすだ なおよし、 1884年4月19日 - 1974年12月24日 )は、日本の歌人・歴史学者。 宮崎県児湯郡上江村(現高鍋町)に、父・義信、母・アグリの長男として生まれる。先祖は寛文17年(1667年)より高鍋藩秋月氏に仕えた狩野派の絵師である安田義成で、代々高鍋藩の絵師を務めた家柄。 1907年、早稲田大学を卒業。大学時代には同県出身の若山牧水と親交を深めた。卒業後、函館商業学校・旧制第一鹿児島中学校で教鞭をとる。1922年、歌誌「潮音」に入会し太田水穂に師事。30年以上にわたり教職を務めるかたわら、歌誌『山茶花』の創刊を主宰する文筆活動も行った。1940年、鹿児島県史蹟主事となるも、1945年に故郷の高鍋に帰郷する。1949年、宮崎地方裁判所司法委員、宮崎家庭裁判所参与並びに調停委員に就任する。1952年、日向文庫第二編として『上杉鷹山』を発行して以降は、宮崎の地方史研究に情熱を注いだ。晩年宮崎県文化賞を受賞し、高鍋町名誉町民の称号が贈られた。 歌人・詩人の浜田到は旧制中学での教え子であり、その後『山茶花』にも参加した。.

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安田章生

安田 章生(やすだ あやお、1917年(大正6年)3月24日 - 1979年(昭和54年)2月13日)は、日本の歌人、国文学者。 尾上柴舟門下の歌人・安田青風の長男として兵庫県に生まれる。東京帝国大学卒。1946年、父と歌誌『白珠』を創刊。国文学者としては藤原定家、西行研究の大家であった。大阪樟蔭女子大学助教授、教授、1966年甲南大学教授。1978年「心の色」30首で第14回短歌研究賞受賞。子の安田純生が『白珠』代表を継承している。.

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安達長景

安達 長景(あだち ながかげ)は鎌倉時代中期の鎌倉幕府の御家人。安達氏の一族で、父は安達義景。安達泰盛の異母弟。.

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安藤美保

安藤 美保(あんどう みほ、1967年1月1日 - 1991年8月28日)は、歌人である。東京都練馬区出身。.

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安永蕗子

安永 蕗子(やすなが ふきこ、1920年(大正9年)2月19日 - 2012年(平成24年)3月17日)は、熊本県熊本市御徒町(現・中央区安政町)出身の歌人・宮中歌会始選者。熊本県熊本市名誉市民。「春炎」の号を持つ書家でもあり、毎日書道展名誉会員。ノンフィクション作家の永畑道子は妹。.

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安法

安法(あんぽう、生没年不詳)は、平安時代中期の僧・歌人。俗名は源趁(みなもとのしたごう)。嵯峨源氏で左大臣・源融の曾孫にあたる。内蔵頭・源適の六男。母は大中臣安則の娘。中古三十六歌仙の一人。.

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安成二郎

安成 二郎 (やすなり じろう、1886年9月19日 - 1974年4月30日)は、日本の歌人、小説家。評論家安成貞雄の弟にあたる。秋田縣立大舘中學校を中退した後に上京し、徳田秋声の門下生になった。短歌の創作を行う一方で、実業之世界社や平凡社の編集記者でもあった。内田魯庵、大杉栄らと交流を持ち、大杉の回想録「無政府地獄 - 大杉栄襍記」を戦後発表した。.

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寺山修司

寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年(昭和10年)12月10日 - 1983年(昭和58年)5月4日)は日本の歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。 「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった。.

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寺本勲

寺本 勲(てらもと いさお、1978年1月16日 - )は、日本の男性声優。青二プロダクション所属。青二塾大阪校20期生。大阪府堺市出身。大阪府立泉陽高等学校卒業。特技は泉州弁。.

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富士見駅

駅舎内 富士見駅(ふじみえき)は、長野県諏訪郡富士見町富士見にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の駅である。 特急「スーパーあずさ」はすべて通過するが、特急「あずさ」の一部とすべての普通列車が停車する。塩尻方面への折り返しの列車が少数ながら設定されている。.

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富小路禎子

富小路 禎子(とみのこうじ よしこ、1926年8月1日 - 2002年1月2日)は、歌人。敗戦で没落した旧華族に生きる青春の歌などで知られる。.

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富山県

富山県(とやまけん)は、日本の都道府県の一つ。中部地方の日本海側、北陸地方のほぼ中央に位置する。県庁所在地は富山市。.

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富山県立南砺福野高等学校

富山県立南砺福野高等学校(とやまけんりつ なんとふくのこうとうがっこう)は、富山県南砺市(旧東礪波郡福野町)苗島に所在する県立高等学校。公立男女共学校で普通科、農業環境科、福祉科を設置している。.

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富川盛奎

富川 盛奎(とみかわ せいけい、1832年11月28日(道光12年10月7日) - 1890年(明治23年)7月)は、琉球王国の政治家・歌人、最後の三司官の一人。唐名は毛鳳来。 毛氏富川殿内家の男として首里儀保村(現・那覇市首里儀保町)に生まれる。1872年、検使(監査役)を任命し、宮古・八重山に渡航し、在地の法制を監査した。翌年、首里に帰る。 1875年に三司官に就任、1879年までの4年間その任にあった。琉球処分では沖縄県庁の顧問となり、明治政府に協力した。1882年、日清間の分島増約案(先島に清国へ割譲)に反対して、王大業(国場親雲上)とともに清国へ脱出、琉球王国の復旧を陳情した。しかし果せず、帰郷を拒否、清国で客死した。.

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富ヶ岡公園

富ヶ岡公園(とみがおかこうえん)は宮城県富谷市富谷に明治時代に開園された公園である。.

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富田睦子

富田 睦子(とみた むつこ、1973年6月8日 - )は、日本の現代歌人である。.

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富田砕花

富田 砕花(とみた さいか、1890年11月15日 - 1984年10月17日)は、日本の詩人、歌人。.

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富永村 (宮城県)

富永村(とみながむら)は、昭和25年(1950年)まで宮城県遠田郡の北西部にあった村。現在の大崎市古川富長・古川上埣・古川狐塚・古川長岡針・古川淵尻・古川馬放・古川休塚にあたる。.

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寂念

寂念(じゃくねん)は、平安時代後期の僧・貴族・歌人。俗名は藤原 為業(ふじわら の ためなり)。藤原北家長良流、丹後守・藤原為忠の次男。官位は従五位上・皇后宮大進。通称は伊賀入道。.

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寂然

寂然(じゃくせん/じゃくねん)は、平安時代後期の僧・貴族・歌人。俗名は藤原 頼業(ふじわら の よりなり)。藤原北家長良流、丹後守・藤原為忠の四男(末子)。官位は従五位下・壱岐守。.

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寂超

寂超(じゃくちょう)は、平安時代後期の僧侶・貴族・歌人。俗名は藤原 為経(ふじわら の ためつね)。藤原北家長良流、丹後守・藤原為忠の三男。.

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寂蓮

寂蓮(じゃくれん、1139年(保延5年)? - 1202年8月9日(建仁2年7月20日))は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶である。俗名は藤原定長。.

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尚侍家中納言

後嵯峨院中納言典侍 - 寛文年間 清原雪信 尚侍家中納言(ないしのかみけちゅうなごん、生没年不詳)は、鎌倉時代に活躍した歌人である。女房三十六歌仙の一人。藤原北家高藤流右大弁藤原光俊(葉室光俊・法号真観)の娘、藤原親子(ふじわらのちかこ、または、ふじわらのしんし)。共に勅撰歌人である大僧都定円、鷹司院帥は兄弟姉妹。後嵯峨院中納言典侍(ごさがいんのちゅうなごんのてんじ)とも呼ばれた。.

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小口みち子

小口 みち子(おぐち みちこ、1883年2月8日 - 1962年7月27日)は、兵庫県出身の日本の美容家、婦人運動家、小説家。 出生名は寺本 みち子(てらもと みちこ)、号は美留藻(みるも)。夫は映画監督の小口忠。.

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小口太郎

小口太郎(おぐち たろう、1897年(明治30年)8月30日 - 1924年(大正13年)5月16日)は、長野県岡谷市生まれの科学者、歌人。第三高等学校、東京帝国大学理学部物理学科卒業後、同大学航空研究所入所。大学在学中に電信電話に関する発明をし、日本を始め諸外国に特許申請をし、許可を得ている。 科学者以外の彼を有名にしたのは、「琵琶湖周航の歌」の作詞者としてである。1918年、三高ボート部員として琵琶湖周航中、故郷諏訪湖に思いを馳せながら詩情豊かに作詞した「琵琶湖周航の歌」は、吉田千秋(新潟出身、歴史地理学者吉田東伍の次男)の「ひつじぐさ」の原曲により現在まで広く歌われ続けている。この二人はお互いを知らず、それぞれ26歳と24歳で死去している。.

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小大君

上畳本 歌仙絵 小大君(こおおきみ、天慶3年(940年)から天暦4年(950年) - 寛弘2年(1005年)もしくは寛弘8年(1011年)頃)は、平安時代中期の女流歌人。系譜が伝わらず父母については不明である。三十六歌仙、および女房三十六歌仙の一人。 はじめ円融天皇の中宮藤原媓子に女房として仕え、のち三条天皇(居貞親王)の東宮時代に下級の女房である女蔵人(にょくろうど)として仕え、東宮左近とも称された。藤原朝光と恋愛関係があったほか、平兼盛・藤原実方・藤原公任などとの贈答歌がある。 『拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に20首が入集し、特に『後拾遺和歌集』では巻頭歌として採られている。家集に『小大君集』がある。散逸家集『麗華集』の断簡「香紙切」や、三十六人集の断簡「御蔵切」の筆者に擬せられているものの、研究の進展でこれらは院政期の筆跡と考えられている。.

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小太刀右京

小太刀 右京(こだち うきょう、1979年4月1日 - )はゲームデザイナー集団チーム・バレルロール代表。フリーのゲームデザイナー、ライター、小説家。大阪府枚方市出身。 主にテーブルトークRPG(TRPG)関係の記事の執筆で知られる。コンシューマゲームのシナリオやノベライズも手がけている。歌人の春日井建は大叔父にあたる。.

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小宰相

小宰相/江戸時代『前賢故実』より。画:菊池容斎 小宰相(こざいしょう、嘉応元年(1164年)? - 寿永3年2月14日(1184年3月27日))は平安時代末期の女性。父は刑部卿藤原憲方、母は按察使藤原顕隆の娘。平通盛の妻。 一ノ谷の戦いでの通盛の死と小宰相が後を追って入水したエピソードは、『平家物語』で一章が割かれ、一ノ谷の戦いでの象徴的な悲話になっている。.

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小山市

思川 八幡町近辺(2006年7月) 国道50号に立ち並ぶロードサイドショップ(2007年5月) 小山市(おやまし)は、栃木県南部にある市。旧下都賀郡(境界変更を除く)。市域は首都圏に含まれ、人口は約16万7千人。2005年(平成17年)12月に宇都宮市に次いで栃木県第2位の人口をもつ都市となった。また、城南地区、美しが丘地区などの開発中のニュータウン地域もあり、周辺の市町と比較して労働人口が多く、人口増加がこれからも見込まれる都市である。 栃木県南部の中心都市であるとともに、東北新幹線・東北本線(宇都宮線)・両毛線・水戸線が通じ、東京方面と当地周辺部、栃木県南部及び茨城県西部を相互に結ぶ「結節点」、いわゆる玄関口となっている。 周辺の3市で小山都市圏を形成しており、その中心都市である。.

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小島なお

小島 なお(こじま なお、1986年8月31日 - )は、日本の歌人。本名、横井直子。「コスモス」短歌会所属。母は歌人の小島ゆかり。.

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小島ゆかり

小島 ゆかり(こじま ゆかり、1956年9月1日 - )は、歌人である。本名:横井ゆかり。.

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小川博三

小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 1976年1月17日)は日本の都市計画家・交通計画の研究者、歌人。 岩手大学や北海道大学教授を歴任した。.

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小川佳世子

小川 佳世子(おがわ かよこ、1960年5月31日 - )は、歌人、能楽研究者。京都府出身。.

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小川真理子

小川 真理子(おがわ まりこ、1970年3月15日 - )は、歌人。東京都品川区出身。 明治大学大学院文学研究科仏文学専攻博士前期課程修了。渋沢孝輔に師事。明治大学仏文科4年時に早稲田大学での佐佐木幸綱の講義を聴講したことがきっかけで、1994年に短歌結社竹柏会「心の花」に入会し、佐佐木幸綱に師事。2001年に「盗めざる宝石」20首で第1回心の花賞受賞、「逃げ水のこゑ」30首で第44回短歌研究新人賞を受賞。 生業であるフランス語教師としての立場から、言葉や文字に目を向けた作風が特徴。第一歌集のタイトルとなっている「母音梯形(トゥラペーズ)」とは、「ある言語の母音を発音する際に、口をどのように開き舌をどこに置くかなどということを、一つの梯形で図示したもの」だという。.

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小中英之

小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 2001年11月21日)は、歌人。 海軍士官だった父の勤務地・京都府舞鶴市に生まれる。戦後は海上保安庁に勤めた父に従って小樽市、釧路市、江差町と移り住む。北海道江差高等学校卒業後、上京して文化学院文科に入学するも中退。1955年の春より、詩人・俳人の安東次男に師事。1961年、歌誌「短歌人」に入会。斎藤史を慕っての入会だったが、歌誌「原型」を創刊して脱会した動きには同調しなかった。 若くから結核などの病に苦しみ、死と背中合わせの日常の中で作歌を続けた。生前には二冊の歌集しか残さず、歌壇的な交流も少ない孤高の歌人であった。1997年から2000年まで、角川短歌賞選考委員を務めた。2001年11月21日、虚血性心不全にて死去。.

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小平市

小平市(こだいらし)は、東京都の多摩地域北部にある市である。.

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小平市立小平第十三小学校

小平市立小平第十三小学校(こだいらしりつこだいらだいじゅうさんしょうがっこう)は東京都小平市小川西町にある小平市立の小学校。2017年時点の全児童数は380名。.

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小久保晴行

小久保 晴行(こくぼ はるゆき、昭和11年(1936年)7月20日 - )は、日本の作家、洋画家、歌人、評論家、経営学博士。 公益財団法人 えどがわボランティアセンター理事長、一般財団法人 国際江戸川文化福祉財団理事長、社会福祉法人 つばき土の会理事長。株式会社トーヨー会長、株式会社エフ・イー・アイ会長。江戸川区文化会会長、江戸川区美術会会長、江戸川区芸能文化協会会長、江戸川区福祉ボランティア団体協議会会長、江戸川区友好団体連絡会会長、江戸川明るい社会づくりの会会長、江戸川第九を歌う会会長、江戸川区ドッジボール協会会長、八代目橘家円蔵一門を励ます会会長。江戸川区短歌連盟顧問、江戸川区都市計画審議会委員、江戸川区民生委員推薦会委員。一般社団法人 日本経済協会理事、一般財団法人 日本ベトナム文化交流協会評議員、社会福祉法人 厚生会評議員。公益社団法人 日本文芸家協会会員、一般社団法人 日本ペンクラブ会員、一般社団法人 日本美術家連盟会員、一般社団法人 日本評論家協会会員、一般社団法人 日本旅行作家協会会員、日本短歌協会会員、日本歌人クラブ会員、一般社団法人 日本外国特派員協会協賛会員、東京江戸川ロータリークラブ会員、国際ロータリー第2580地区(東京・沖縄)パストガバナー。.

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小弁

小弁(こべん、生没年不詳)は、平安時代後期の女流歌人。祐子内親王家小弁(ゆうしないしんのうけのこべん)・一宮小弁(いちのみやのこべん)・宮の小弁(みやのこべん)とも呼ばれる。祐子内親王家紀伊の母。 藤原南家巨勢麻呂流の正五位下越前守藤原懐尹の娘で、母は越前守源致書女とされる。高倉一宮こと祐子内親王 (後朱雀天皇皇女)に仕えた。 長元5年(1032年)上東門院菊合・長久2年(1041年)源大納言家歌合・永承4年(1049年)六条斎院歌合・永承5年(1050年)祐子内親王家歌合などの歌合に出詠し、また物語『岩垣沼の中将』(いわがきぬまのちゅうじょう)を著して天喜3年(1055年)六条前斎院(禖子内親王)物語歌合に提出している。また源経信から歌を贈られたことがある。 著書には前述の物語『岩垣沼の中将』の他、家集もあったが、いずれも散逸して伝わらない。『後拾遺和歌集』以降の勅撰和歌集に47首入集している。 娘である祐子内親王家紀伊の父親については、散位平経重あるいは従五位上民部大輔平経方と言われるが、定説はない。.

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小式部内侍

小式部内侍(こしきぶ の ないし、長保元年(999年)頃 - 万寿2年(1025年)11月)は平安時代の女流歌人。掌侍。女房三十六歌仙の一人。父は橘道貞、母は和泉式部。母の和泉式部と共に一条天皇の中宮・彰子に出仕した。そのため、母式部と区別するために「小式部」という女房名で呼ばれるようになった。.

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小佐野彈

小佐野 彈(おさの だん、1983年(昭和58年)5月21日 -)は、日本の歌人・実業家である。国際興業グループ創業者の小佐野賢治は大伯父にあたる。東京都世田谷区出身、台湾台北市在住。歌人集団「かばん」所属。カミングアウト済みのゲイであり、セクシュアリティをテーマとしている。.

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小佐野賢治

小佐野 賢治(おさの けんじ、1917年(大正6年)2月15日 - 1986年(昭和61年)10月27日)は、日本の実業家である。国際興業グループ創業者。.

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小侍従

小侍従(こじじゅう)は、女房名の一つで、主に平安時代から戦国時代にかけて、歴史上の実在人物や、物語中の登場人物に用例が見られる。.

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小嵐九八郎

小嵐 九八郎(こあらし くはちろう、1944年7月31日 - )は、秋田県能代市出身の小説家、歌人。 本名、工藤永人。 神奈川県立川崎高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。大学在学中から新左翼運動に身を投じ、社青同解放派で活動し、通算5年の服役経験を持つ。歌人としての筆名は米山信介だったが、現在は小嵐九八郎に統一。「未来」短歌会にて岡井隆に師事。方言を大胆に取り入れた軽快な作風を、小説においても短歌においても統一している。.

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小倉強

小倉 強(おぐら つよし、1893年3月7日 - 1980年2月23日)は日本の建築家、建築史家。東北地方の民家についての調査を精力的に行ったことで知られ、仙台の歴史的建造物の保存にも影響を与えた。.

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小倉伸吉

小倉 伸吉(おぐら しんきち、1884年 - 1936年11月1日)は、日本の海洋学者、潮汐学者。.

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小倉百人一首の歌人の一覧

小倉百人一首の歌人の一覧(おぐらひゃくにんいっしゅのかじんのいちらん)は、小倉百人一首に集められている歌人の一覧である。.

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小倉謙 (植物学者)

小倉 謙(おぐら ゆずる、1895年6月26日 - 1981年3月18日)は、日本の植物学者。専門分野は植物形態学・植物解剖学。.

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小倉進平

小倉 進平(おぐら しんぺい、1882年6月4日 - 1944年2月8日)は、日本の言語学者。朝鮮語研究、日本語研究。日本語研究にも多くの業績があるが、特に朝鮮語研究においてその後の研究の礎を築いた。.

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小笠原賢二

小笠原 賢二(おがさわら けんじ、1946年4月15日 - 2004年10月4日)は文芸評論家。北海道増毛町出身。.

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小田島孤舟

小田島孤舟(おだしま こしゅう、1884年3月1日 - 1955年12月4日)は、岩手県和賀郡小山田村(現花巻市)出身の歌人・教育家・書道家。「岩手歌壇の父」と言われる。本名は小田島理平治。旧姓は佐々木。.

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小町

小町(こまち).

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小畑庸子

小畑 庸子(おばた ようこ、1933年11月29日 - )は歌人。歌誌「水甕姫路」主宰。.

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小西英夫

小西 英夫(こにし ひでお、1892年(明治25年)12月23日 - 1955年(昭和30年)7月23日)は、歌人、詩人。.

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小馬命婦

小馬命婦(こうまのみょうぶ/こまのみょうぶ、生没年不詳)は、平安時代円融朝の女流歌人。生没年及び系譜不詳。馬古曽(むまこそ)とも呼ばれた。 関白藤原兼通及び藤原媓子(兼通の娘・円融天皇皇后)に女房として仕える。天元2年(979年)に媓子が崩御した後、出家した。元良親王・藤原高遠・紀以文・清原元輔らと交流があった。 家集に「小馬命婦集」があり、「拾遺和歌集」「新古今和歌集」などの勅撰和歌集に7首入集している。.

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小高賢

小高 賢(こだか けん、1944年7月13日 - 2014年2月10日)は、日本の編集者、歌人。本名・鷲尾賢也。.

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小鯛王

小鯛王(おだいのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代中期の歌人。置始工・置始多久美(おきそめのたくみ)とも呼ばれる。 生没年・出自・経歴など不詳。 『万葉集』巻16の「夕立の雨うち降れば春日野の尾花が末の白露思ほゆ」(万葉集16-3819)「夕づく日さすや川辺に作る屋の形をよろしみ諾(うべ)よさえけり」(同16-3820)の2首の歌の左注に「小鯛王は更の名を置始多久美といふ、この人なり(小鯛王者更名置始多久美、斯人也)。」と記述されており、『藤原家伝』武智麻呂伝に神亀年間の風流侍従の1人として名前が見える置始工(おきそめのたくみ)と同一人物と見られる。.

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小谷博泰

小谷 博泰(こたに ひろやす、1944年1月9日 - )は、日本の国語学者、歌人、甲南大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ 1966年甲南大学経済学部卒、74年同大学院文学研究科国文学科博士課程満期退学、同助手、76年講師。奈良教育大学講師、助教授、甲南大学文学部教授。2011年退任、名誉教授。短歌は安田章生に師事、結社「白珠」同人、「鱧と水仙」同人。.

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小谷心太郎

小谷 心太郎(こたに しんたろう、1909年1月18日 - 1985年6月18日)は、岡山県出身の昭和時代の歌人。 福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、東京帝国大学へ進み、東大在学中に「アララギ」に入会。斎藤茂吉に師事。終戦の後「新泉」、「アザミ」に入り活動する。 1977年に「宝珠」で第4回日本歌人クラブ賞を受賞。1985年死去、享年76。.

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小野小町

小野小町(『前賢故実』菊池容斎画、明治時代) 歌碑(京都随心院)「花の色は」の歌が刻まれている。 小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。.

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小野市

小野市の全景北播磨総合医療センターより 小野市(おのし)は、兵庫県の中南部・東播磨のほぼ中心に位置する市で、兵庫県北播磨県民局に区分されている。.

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小野勝美 (評論家)

小野 勝美(おの かつみ、1944年9月14日 - )は、日本の作家、評論家。宮城県白石市生まれ。 山形大学を経て、立教大学大学院日本文学修士課程修了。歌人についての伝記などを書いているが、久和数美の別名で釣りをテーマにした小説も執筆する。.

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小野綱手

小野 綱手(おの の つなて、生没年不詳)は、奈良時代の貴族・歌人。皇后宮大夫・小野牛養の子。官位は従五位下・上野守。子に当澄がいた。.

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小野美材

小野 美材(おの の よしき、生年不詳 - 延喜2年(902年))は、平安時代前期の貴族・文人・能書家。参議・小野篁の孫。大内記・小野俊生または大内記・小野忠範の子。官位は従五位下・大内記。.

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小野町

小野町(おのまち)は、福島県田村郡にある町。小野小町の生誕伝説がある町として知られる。.

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小野貞樹

小野 貞樹(おの の さだき、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人。.

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小野茂樹

小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。.

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小野興二郎

小野 興二郎 (おの こうじろう、1935年 - 2007年10月28日)は歌人。歌誌「泰山木」主宰。.

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小野葉桜

小野 葉桜(おの はざくら、 明治12年(1879年)6月15日 - 昭和17年(1942年))は、日本の歌人。 本名・岩治(いわじ)。.

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小野老

小野 老(おの の おゆ、生年不詳 - 天平9年6月11日(737年7月17日))は、奈良時代の歌人、貴族。系譜は明らかでないが一説では中納言・小野毛野の子。官位は従四位下・大宰大弐。.

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小野柄通

小野柄通(おのえどおり)は兵庫県神戸市中央区の町名。現行行政地名は小野柄通一丁目から小野柄通八丁目。郵便番号は651-0088。.

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小野滋蔭

小野 滋蔭(おの の しげかげ、生年不詳 - 寛平8年(896年))は、平安時代前期の貴族・歌人。官位は従五位下・掃部頭。.

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小野春風

小野春風 /『前賢故実』より 小野 春風(おの の はるかぜ、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族・歌人。従五位上・小野石雄の子。子に小野清如がいる。官位は正五位下・右近衛少将。.

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小林存

小林 存(こばやし ながろう、1877年(明治10年)6月6日 - 1961年(昭和36年)3月10日)は、日本のジャーナリスト、民俗学研究家、歌人、俳人。名は「ぞん」とも読む。号は粲楼(さんろう)、粲楼学人、烏啼(うてい)。新潟県中蒲原郡横越村(現・新潟市江南区)出身。.

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小林寂鳥

小林 寂鳥(こばやし じゃくちょう、本名:島袋俊一、1902年9月11日 - 1965年9月17日)は歌人。沖縄県国頭郡伊江村出身。 Category:歌人 Category:琉球大学の教員 Category:沖縄県出身の人物 Category:1902年生 Category:1965年没.

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小松弘愛

小松弘愛(こまつ ひろよし、1934年11月13日- )は、日本の詩人。 高知県生まれ。高知大学卒。高知学芸高等学校の国語教師を長く務め、教え子には歌人の谷岡亜紀などがいる。1967年より詩作を開始。1972年、詩集『異物』を私家版で刊行。1980年、詩集『狂泉物語』でH氏賞受賞。1995年、詩集『どこか偽者めいた』で日本詩人クラブ賞。「兆」「火牛」同人。高知新聞文芸・詩壇選者。土佐弁の研究も行う。.

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小池光

小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日 - )は、日本の歌人。学位は理学修士(東北大学)。本名は小池 比加兒。仙台文学館館長(第2代)。.

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小沢蘆庵

小沢 蘆庵(おざわ ろあん、享保8年(1723年) - 享和元年7月11日(1801年8月19日))は、江戸時代中期の歌人、国学者。父は小沢喜八郎実郡(実邦ともいわれる)。一時、本庄家に養子に入り本庄八郎と称した。名は玄仲(はるなか)、玄沖。通称は帯刀。別号は観荷堂・図南亭・孤鴎・七十童・八九童。難波で生れ、京都に住んだ。平安和歌四天王の一人。 30歳頃、冷泉為村に入門、武者小路実岳にも学ぶが、独自の歌学に目覚め「ただごと歌」を主張したことから、為村から破門された。伴蒿蹊(ばんこうけい)・本居宣長・上田秋成・蒲生君平などとも交遊している。 武士としては尾張藩家老の家臣であり、国学者としては尊王論を展開した。 法号:寂照院月江蘆庵居士。.

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小沢書店

株式会社小沢書店(おざわしょてん)は、かつて東京都豊島区雑司が谷に存在した文芸出版社。歴史的仮名遣いで出版の場合、小澤書店と表記していた。.

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小泉苳三

小泉苳三(こいずみ・とうぞう、1894年4月4日 - 1956年11月27日)は大正・昭和期日本の歌人、国文学者。本名は小泉藤造。別号は小泉藤三。.

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小浜市

小浜市(おばまし)は、福井県南西部(嶺南)、旧若狭国の市である。.

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小日山直登

小日山 直登(こびやま なおと、1886年(明治19年)4月26日 - 1949年(昭和24年)8月28日)は、昭和期日本の実業家、政治家。南満洲鉄道総裁を務め、第二次世界大戦末期の鈴木貫太郎内閣に入閣。ポツダム宣言受諾の意思を示した。.

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小手川ゆあ

小手川 ゆあ(こてがわ ゆあ、1月12日 - )は、日本の女性漫画家である。大分県出身、熊本県熊本市育ち。山羊座O型。代表作に『おっとり捜査』、『死刑囚042』、『ARCANA』など。.

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尭孝

尭孝(ぎょうこう、明徳2年/元中8年(1391年)- 享徳4年7月5日(1455年8月17日))は、室町時代中期の僧・歌人。武家の二階堂氏。父は僧で歌人の尭尋。和歌四天王の一人頓阿の曾孫にあたる。養子に僧で歌人の尭憲、弟子に尭恵・三条西公保がいる。 曽祖父の代から引き継いだ和歌所を預かった。二条派の歌壇の中心的歌人となり、冷泉派の清巌正徹に対抗した。永享5年(1433年)和歌所開闔(かいこう)に任じられ、勅撰和歌集の「新続古今和歌集」を撰出している。 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:二階堂氏 Category:1391年生 Category:1455年没.

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尭尋

尭尋(ぎょうじん、生年不詳 - 応永19年(1412年)?)は、南北朝時代から室町時代中期にかけての僧・歌人。武家の二階堂氏。祖父は和歌四天王の一人頓阿。父は僧で歌人の経賢。子に同じく僧で歌人の尭孝がいる。 仁和寺常光院に住し、権大僧都に任じられた。尭阿とも称し、応永19年(1412年)に没したとも伝えられる。祖父・父ともに二条派の家風を継ぐ歌人であり、尭尋も『新後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に和歌が入集している。 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:二階堂氏.

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尭恵

尭恵(ぎょうえ、1430年 - 没年不詳)は、室町時代中期の天台宗の学僧・歌人。「藤の坊法印」と呼ばれた。 加賀白山や京都青蓮院と関係が深く、諸国をめぐり『善光寺紀行』『北国紀行』などの紀行文を著している。信州の戸隠山にも登っているところからも、白山信仰とのむすびつきが指摘される。 二条派の歌人で仁和寺常光院に住した尭孝に師事して歌道に関する諸々の口伝を受け、歌道に関する注釈書を著している。家集に『下葉和歌集』がある。 僧侶だけではなく、一条兼良・冷泉政為などの公家や、細川成之、東常和などの武家と広く交流した。弟子には猪苗代兼載などがいる。 Category:天台宗の僧 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:1430年生 Category:没年不明.

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尭憲

尭憲(ぎょうけん、生没年不詳)は、室町時代の僧・歌人。清水谷実久の弟。号は三省。 二条派の歌人で僧の尭孝の養子となり仁和寺常光院を継承した。寛正6年(1465年)、和歌所開闔(かいこう)に任じられるが、応仁の乱が勃発すると越前国に下り朝倉氏の元に身を寄せた。 Category:清水谷家 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:生没年不詳.

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尾山篤二郎

尾山 篤二郎(おやま とくじろう、1889年12月15日 - 1963年6月23日)は、日本の国文学者、歌人。.

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尾崎まゆみ

尾崎 まゆみ(おざき まゆみ、1955年1月17日 - )は、愛媛県今治市生まれの歌人。本名は尾﨑。兵庫県神戸市在住。 早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業。1991年、「微熱海域」で第34回短歌研究新人賞受賞。塚本邦雄が創刊した歌誌『玲瓏』の編集委員で選者を務める。神戸新聞文芸短歌選者。.

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尾崎左永子

尾崎 左永子(おざき さえこ、1927年11月5日 - )は、歌人、随筆家。歌誌「星座」主筆。本名は尾崎磋瑛子(読みは同じ)。.

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尾上柴舟

尾上 柴舟(おのえ さいしゅう/しばふね 1876年(明治9年)8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人、歌人、書家、国文学者。.

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少将内侍

少将内侍(しょうしょう(の)ないし)は、内裏に内侍として出仕した女性の女房名の一つで、主に平安時代中期から江戸時代前期にかけて、歴史上の実在人物に用例が見られる。近い年代で複数の該当人物がいる場合には、主として仕えた天皇の院号を付記して区別する場合がある。.

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少年受領

少年受領(しょうねんじゅりょう)とは、平安時代後期にみられた年少にして受領に任ぜられた者。文献上は「少年之受領」「幼少之人」「年少人」などと呼称された。.

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専修大学の人物一覧

専修大学の人物一覧(せんしゅうだいがくのじんぶついちらん)は、専修大学に関係する人物の一覧記事。.

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専修大学本源氏物語系図

専修大学本源氏物語系図(せんしゅうだいがくほんげんじものがたりけいず)とは、古系図に分類される源氏物語系図の一つ。現在専修大学図書館に所蔵されているためにこの名称で呼ばれる。.

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山城正忠

山城 正忠(やましろ せいちゅう、1884年(明治17年)11月1日 - 1949年(昭和24年)11月22日)は、明治から昭和にかけて活動した歌人、小説家。唐名は胡 之忠。.

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山口茂吉

山口 茂吉(やまぐち もきち、1902年4月11日 - 1958年4月29日)は、昭和期の日本の歌人。.

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山名康郎

山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2015年6月18日)は、歌人。北海道南富良野町生まれ。.

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山名義豊

山名 義豊(やまな よしとよ)は、江戸時代の旗本、歌人。 大身旗本で交代寄合の山名豊政の子。書院番を務める。飛鳥井雅章の門人で、妹婿の本多重世に師事し、2万5千首を詠んだといわれているが、伝わっていない。江戸の武家の歌人の私撰集の編纂を発意した。しかし、その夢果たせず、従弟の戸田茂睡が遺志を継ぎ「鳥の迹」として編纂した。なお、全830首のうちの3割以上が彼の歌が占めている。子孫は300俵の旗本として存続した。 よしとよ Category:江戸幕府旗本 Category:江戸時代の歌人 Category:1623年生 Category:1695年没.

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山崎朋子

山崎 朋子(やまざき ともこ、1932年1月7日 - )は、女性史研究家、ノンフィクション作家。.

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山崎方代

山崎 方代(やまざき ほうだい、1914年(大正3年)11月1日‐1985年(昭和60年)8月19日)は、日本の歌人。.

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山川京子

山川京子(やまかわ きょうこ、1921年8月25日-2014年3月20日)は、歌人。 東京出身。旧姓・田中。松本清張の父・峯太郎の弟・田中嘉三郎の娘で、つまり清張の従妹にあたる。國學院大學文学部国文科卒。中河幹子、折口信夫に師事した。同じく折口門下の詩人・山川弘至と結婚するが、45年夫が戦死。「をだまき」をへて1954年「桃」を創刊。伝統性を尊重しロマン主義をめざす。大本の信者で、教団の教育機関・梅松塾の第三代塾長を務めた。.

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山川弘至

山川 弘至(やまかわ ひろし、1916年9月10日 - 1945年8月11日)は、歌人、詩人、国文学者。 岐阜県奥美濃の郡上市生まれ。國學院大學文学部国文科卒。折口信夫に師事。林富士馬らと文芸同人誌を興す。田中京子(山川京子)と結婚後5日目に召集され、敗戦直前に台湾で爆撃のため28歳で死去。.

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山川登美子

山川登美子(やまかわ とみこ、1879年(明治12年)7月19日 - 1909年(明治42年)4月15日)は、歌人である。本名・とみ。弟は小説家の山川亮。.

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山川登美子記念館

山川登美子記念館(やまかわとみこきねんかん)は、福井県小浜市にある文学館。明治時代に活躍した、小浜出身の女流歌人山川登美子を顕彰する施設である。.

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山上伊豆母

山上 伊豆母(やまかみ いずも、1923年(大正12年)7月9日 - )は、日本の民俗学者。 京都生まれ。父は神官、歌人の山上忠麿(1887年 - 1965年)。國學院大學卒、立命館大学卒、同志社大学大学院、帝塚山大学教養学部教授。74年「古代祭祀伝承の研究」で國學院大學文学博士。94年定年退任。.

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山上次郎

山上 次郎(やまがみ じろう、1913年(大正2年)1月1日- 2010年(平成22年))は、日本の歌人・文筆家。別名「童馬堂人」。.

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山上憶良

山上 憶良(やまのうえ の おくら、斉明天皇6年(660年)? - 天平5年(733年)?)は、奈良時代初期の貴族・歌人。名は山於 億良とも記される。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。.

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山中貞則

山中 貞則(やまなか さだのり、1921年(大正10年)7月9日 - 2004年(平成16年)2月20日)は、日本の政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村大字深川(現曽於市)出身。位階勲等は正三位勲一等。称号は沖縄県名誉県民、竹富町名誉町民。 衆議院議員(17期)、沖縄開発庁長官(初代)、防衛庁長官(31代)、自由民主党政務調査会長(23代)、通商産業大臣(43代)などを歴任した。 税制のスペシャリストとして長年にわたり自民党税調に君臨し、「税調のドン」と呼ばれた。ニックネームは「ヤマサダ」、「ヤマテイ」。浜田幸一や一部の官僚達からは「テイソク」と呼ばれた。.

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山中智恵子

山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 2006年3月9日)は日本の歌人。 愛知県名古屋市出身。三重県鈴鹿市に居住した。京都女子専門学校(現・京都女子大学)卒業。21歳のとき「日本歌人」に入会し、前川佐美雄 に師事。深い古典教養と幻想性を混交させた作風から「現代の巫女」とも評された。女流における前衛歌人の代表的存在である。斎宮の研究でも知られる。 1956年、第1回日本歌人賞を受賞。1978年、『青章』で第3回現代短歌女流賞を受賞。1984年、「星物語」(歌集『星醒記』に収録)で第20回短歌研究賞を受賞。1985年、『星肆』で第19回迢空賞を受賞。2005年、『玲瓏之記』で第3回前川佐美雄賞を受賞。.

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山下陸奥

山下 陸奥(やました むつ、1895年(明治28年)12月24日 - 1967年(昭和42年)8月29日)は、歌人。.

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山形師範学校

山形師範学校 (やまがたしはんがっこう) は新制山形大学教育学部 (現・地域教育文化学部) の前身の一つとなった師範学校である。.

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山田孝雄

山田 孝雄(やまだ よしお、1873年(明治6年)5月10日(実際には1875年(明治8年)8月20日) - 1958年(昭和33年)11月20日)は、日本の国語学者、国文学者、歴史学者。 独学の人として知られる。「契沖、真淵、宣長以来の国学の伝統に連なる最後の国学者」とも評される。.

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山田富士郎

山田 富士郎(やまだ ふじろう、1950年11月4日 - )は、歌人。新潟県出身・在住。「未来」選者。本名、山田富士雄。 立教大学文学部日本文学科卒業。在学中は井上宗雄に学んだ。藤田湘子に師事して俳句を作った後、短歌に転向。1985年に未来短歌会に入会し、岡井隆に師事。1987年、作品「アビー・ロードを夢みて」で第33回角川短歌賞を受賞。1991年、歌集『アビー・ロードを夢みて』で第35回現代歌人協会賞を受賞。2001年、歌集『羚羊譚』で第6回寺山修司短歌賞と第1回短歌四季大賞を受賞。「歌壇」にて、新潟県出身の歌人・會津八一の評伝を連載している。.

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山田兼士

山田 兼士(やまだ けんじ、1953年7月4日 -)は日本のフランス文学者、評論家、詩人。.

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山田航

山田 航(やまだ わたる、1983年8月22日 - )は、日本の歌人。.

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山田消児

山田 消児(やまだ しょうじ、1959年10月31日 - )は歌人。.

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山隅衛

山隅 衛(やまずみ まもる、1894年〈明治27年〉6月25日 - 1960年〈昭和35年〉4月25日)は、日本の歌人、教員。広島県佐伯郡廿日市町(後の廿日市市)出身。 1914年(大正3年)に小学校の教員職につく。1916年(大正5年)に短歌を始め、1921年(大正10年)に文芸月刊雑誌『晩鐘』を創刊。自身も「間茂留」名義で短歌、俳句、童謡を掲載した。1944年(昭和19年)に広島県国民詩歌協会を設立し、理事長職についた。 1945年(昭和20年)には広島市への原子爆弾投下に遭うが、九死に一生を得る。戦後は広島実践高等女学校(後の鈴峰女子高等女学校)で国語を教える傍ら、同学校自治会文芸部の機関誌『鈴峯』の指導、同誌への短歌の寄稿、学年別教育誌『ぎんのすず』の執筆、広島刑務所の受刑者への短歌指導も行なった。『晩鐘』は一時休刊したものの、山隅の没後も刊行され続け、創刊から約80年後の2001年(平成13年)終刊に至るまで、多くの歌人を輩出した。原爆歌人として知られる正田篠枝も『晩鐘』に所属し、山隅に師事した歌人の1人である。 地方文化の発展に寄与し、広島歌壇の元老との評価もある人物だが、山隅自身は「歌人」の名で特別な人間として扱われることを嫌っていたという。歌集に『遍路』『虚仮』、没後の1992年(平成4年)に刊行された『山隅衛全歌集』がある。廿日市市桜尾本町の桂公園内には「山隅衛歌碑」が建立されている。.

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山部赤人

山部赤人像/ 蜷川式胤所蔵品 山部 赤人(やまべ の あかひと、生年不詳 - 天平8年(736年)?)は、奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。大山上・山部足島の子とし、子に磐麻呂がいたとする系図がある鈴木真年『諸系譜』第二冊、山宿禰。官位は外従六位下・上総少目。後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。.

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山野一

山野 一(やまの はじめ、1961年4月2日 - )は、日本の漫画家である。福岡県小倉市出身。立教大学文学部卒。本名は橋口 保夫(はしぐち やすお)。 『月刊漫画ガロ』1983年12月号掲載の「ハピネスインビニール」でデビュー。貧困や差別、電波、畸形、障害者などを題材にした反社会的な作風を得意とする特殊漫画家で「ガロ系」と呼ばれる日本のオルタナティヴ・コミック作家のなかでも極北に位置する最も過激な作風の鬼畜系漫画家であった。 前妻は同じく漫画家のねこぢる。彼女の生前は共同創作者の役割を務め、彼女の死後は「ねこぢるy」のペンネームでその作品を受け継いだ。.

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山梨師範学校

山梨師範学校 (やまなししはんがっこう) は第二次世界大戦中の1943年 (昭和18年) に、山梨県に設置された師範学校である。 本項は、山梨県師範学校・山梨県女子師範学校などの前身諸校を含めて記述する。.

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山梨市

笛吹川から見た市街 笛吹川 山梨市(やまなしし)は、山梨県にある市。甲府盆地の東部に位置する 山梨市オフィシャルサイト。面積は289.80km2であり、県内第4位である。甲州ワインの産地として知られる。 国宝の仏殿を有する清白寺、古今和歌集「しほの山差出の磯にすむ千鳥君が御代をば八千代とぞなく」を代表に多くの歌人にも詠まれた名勝地差出の磯(さしでのいそ)、武田信玄の隠し湯ともいわれる県内最古の温泉である岩下温泉などがある。.

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山梨県立甲府南高等学校

山梨県立甲府南高等学校(やまなしけんりつ こうふみなみこうとうがっこう)は、山梨県甲府市南部にある県立の高等学校である。文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校でもある。普通科と理数科を設置。地元では「南高」(なんこう)と略称される。校歌は草野心平作詞。学園祭は緑陽祭と呼ばれている。「frontierspirit」は、初代校長日向譽夫が提唱したものである。今年で創立年を迎える。.

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山梨県立甲府第一高等学校の人物一覧

山梨県立甲府第一高等学校人物一覧(やまなしけんりつこうふだいいちこうとうがっこうじんぶついちらん) 山梨県立甲府第一高等学校の主な出身者・教員・関係者など。.

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山本宣治

山本 宣治(やまもと せんじ、1889年(明治22年)5月28日 - 1929年(昭和4年)3月5日)は、日本の戦前の政治家、生物学者。京都府出身。 山本宣治を略して山宣(やません)と呼ぶこともある。.

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山本春正

初代山本 春正(やまもと しゅんしょう、慶長15年1月25日(1610年2月18日) - 天和2年9月8日(1682年10月8日))は、江戸時代初期の蒔絵師、地下歌人、国文学者。通称は次郎三郎、次郎兵衛、治三郎。舟木と号する。蒔絵師山本家の祖となった。.

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岐阜県立中津高等学校

岐阜県立中津高等学校(ぎふけんりつ なかつこうとうがっこう)は、岐阜県中津川市中津川にある公立高等学校。2007年(平成19年)4月に岐阜県立恵那北高等学校を統合し、全日制普通科単位制の高校として改編された。.

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岡しのぶ

岡 しのぶ(おか しのぶ、1976年12月28日- )は北海道恵庭市出身の女流歌人。 中学3年の時に旭川市に移住し、旭川工業高等専門学校2年の時から短歌を作り始める。デビューするや、早熟な女流歌人として大きく評価を得た。 容姿や歌はまさしく早熟な女流歌人としての評価を得るに相応しかった。卒業後は札幌テレビ放送に入社し、「岡しのぶの明日への伝言板」というラジオ番組のパーソナリティも担当していた。 その後結婚出産などで執筆活動から離れていたが、現在は徳長しのぶに名を改め「塔」短歌会に所属して活動している。.

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岡山市出身の人物一覧

岡山市出身の人物一覧(おかやまししゅっしんのじんぶついちらん)は、岡山県岡山市出身の人物およびゆかりの人物の一覧。.

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岡山県出身の人物一覧

岡山県出身の人物一覧(おかやまけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する岡山県出身の人物の一覧表である。.

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岡山県立和気閑谷高等学校

国宝・閑谷学校講堂 岡山県立和気閑谷高等学校(おかやまけんりつわけしずたにこうとうがっこう, Okayama Prefectural wake sizutani High School)は、岡山県和気郡和気町尺所に所在する県立高等学校。江戸時代に創立された閑谷学校をルーツに持つ。.

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岡山県立高梁高等学校

岡山県立高梁高等学校(おかやまけんりつ たかはしこうとうがっこう)は、岡山県高梁市内山下にある県立の全日制高等学校。.

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岡崎市

乙川と岡崎市街地遠景 岡崎市中心部(康生地区) 西康生通り 岡崎市中心部を通る国道1号 岡崎市(おかざきし)は、愛知県の旧三河国のほぼ中央に位置する市。全国的には「八丁味噌」の産地として知られ、豊田市とともに西三河を代表する都市。中核市に指定されている。.

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岡崎裕美子

岡崎 裕美子(おかざき ゆみこ、1976年10月12日 - )は日本の歌人。.

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岡井隆

岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - )は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。.

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岡田光興

岡田 光興(おかだ みつおき、1957年 - )は、日本の東洋・西洋神秘学研究家、実践言霊道宗家継承者、歌人。「未来潮流研究会」主宰。.

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岡麓

岡 麓(おか ふもと、1877年(明治10年)3月3日 - 1951年(昭和26年)9月7日)は、歌人、書家。東京本郷生まれ。本名・三郎。 東京府立一中(現東京都立日比谷高等学校)中退。1899年(明治32年)正岡子規に入門、1903年(明治36年)「馬酔木」編集同人となる。長塚節、斎藤茂吉らと知り、1916年(大正5年)より『アララギ』に歌を発表。26年処女歌集『庭苔』を刊行、戦後1948年(昭和23年)日本芸術院会員。.

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岡部史

岡部 史(おかべ ふみ、1951年 - )は、日本の翻訳家、食文化研究者、児童文学作家、歌人。山形県出身。塔短歌会所属。.

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岡部桂一郎

岡部 桂一郎(おかべ けいいちろう、1915年(大正4年)4月3日 - 2012年(平成24年)11月28日)は歌人。.

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岡部文夫

岡部 文夫(おかべ ふみお、1908年〈明治41年〉4月25日 - 1990年〈平成2年〉8月9日)は、歌人。 石川県志賀町出身。二松学舎専門学校中退。日本専売公社に勤務し、北信越各地を転々とした。退職後は福井県春江町に住んだ。1927年同郷の坪野哲久の影響を受けて歌誌「ポトナム」に入会、1928年「短歌戦線」の創刊に参加、プロレタリア歌人となる。第一歌集「どん底の叫び」および第二歌集「鑿岩夫」は発禁処分も受けた。同郷の藤澤清造と交流があり「鑿岩夫」の序文をもらっているが、借金の無心をされ断ったことを機に絶交したという 。その後はプロレタリア歌人同盟を脱退し、古泉千樫系の歌誌「青垣」にて橋本徳壽に師事。 戦後1948年「海潮」を創刊、主宰。1981年「晩冬」で第8回日本歌人クラブ賞、1983年「雪」「鯉」で第19回短歌研究賞、1987年「雪天」で第21回迢空賞受賞。.

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岡野弘彦

岡野 弘彦(おかの ひろひこ、1924年(大正13年)7月7日 - )は、日本の歌人。日本芸術院会員、文化功労者、國學院大學名誉教授。.

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岡野雄一

岡野 雄一(おかの ゆういち、1950年1月11日 - )は、日本の漫画家。自著においては自身のことをペコロスと名乗る。既婚で息子がいる。.

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岡本かの子

岡本 かの子(おかもと かのこ、1889年3月1日 - 1939年2月18日)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。本名カノ。東京府東京市赤坂区(現東京都港区)青山南町生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」を送ったことで知られる。.

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岡本太郎

岡本 太郎(おかもと たろう、1911年(明治44年)2月26日 - 1996年(平成8年)1月7日)は、日本の芸術家。血液型はO型新潮社「岡本太郎が、いる」"フェミニスト・自由人"より。1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも接触した。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文土器論や沖縄文化論を発表するなど文筆活動も行い、雑誌やテレビなどのメディアにも1950年代から積極的に出演した。1960年代後半にメキシコに滞在していた頃、壁画運動などから影響を受けたとされる。大阪の太陽の塔と渋谷駅に設置された壁画「明日の神話」などが代表的な作品。.

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岡本一平

岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年(明治19年)6月11日 - 1948年(昭和23年)10月11日)は、日本の漫画家、作詞家。妻は小説家の岡本かの子。画家・岡本太郎の父親である。 また同じく風刺漫画家かつ洋画家の池部鈞の義兄。.

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岡本勝 (法学者)

岡本 勝(おかもと まさる、1947年11月11日 - )は、日本の法学者、歌人。東北大学名誉教授。専攻は、刑法、近代ドイツ刑法史、犯罪論と刑法哲学。宮城県出身。.

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岩崎輝弥

岩崎 輝弥(岩崎 輝彌、いわさき てるや、1887年6月18日 - 1956年9月17日)は、日本の実業家で、日本における鉄道趣味の先駆者である。.

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岩崎英二郎

岩﨑 英二郎(いわさき えいじろう、1922年4月29日 - 2017年7月11日)は、日本のドイツ語学者で、慶應義塾大学名誉教授。専門は、ドイツ語の不変化詞の研究。.

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岩田正

岩田 正(いわた ただし、1924年4月30日 -2017年11月3日)は、歌人。妻は歌人の馬場あき子。 東京世田谷生まれ。早稲田大学国文科卒。1946年に早稲田大学短歌会に入会し、同年歌誌「まひる野」創刊に参加。窪田空穂、窪田章一郎に師事。1978年に馬場あき子とともに歌誌「かりん」を創刊。朝日カルチャーセンター、角川短歌通信講座などで短歌を指導。1974年、第1回「短歌」愛読者賞を受賞(同期受賞は山崎方代)。その後は長らく実作を離れ短歌評論に専念していたが、1990年代に入ってから実作に復帰する。 2000年『和韻』で第28回日本歌人クラブ賞、2006年『泡も一途』で第40回迢空賞、2011年『岩田正全歌集』で第34回現代短歌大賞受賞。 2017年11月3日、心不全のため、自宅で入浴中に死去。。.

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岩間正男

岩間 正男(いわま まさお、1905年(明治38年)11月1日 - 1989年(平成元年)11月1日)は、日本の政治家、歌人である。.

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岩津資雄

岩津 資雄(いわつ もとお、1902年(明治35年)10月16日 - 1992年(平成4年)3月13日)は、日本の歌人、国文学者。 三重県宇治山田市出身。号は不言舎(いわずのや)。斎藤拙堂の外孫である岩津海三郎の長男。1921年早稲田高等学院に入り、早稲田大学国文科に進む。在学中より窪田空穂に師事し、稲垣達郎、尾崎一雄、都筑省吾らと短歌文芸誌『槻の木』創刊に参加。1933年第二早稲田高等学院講師、49年早大教授。73年定年退任、名誉教授。.

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岩本素白

岩本 素白(いわもと そはく 、1883年8月17日 - 1961年10月2日)は、国文学者、随筆家。本名は堅一(けんいち)。東京府麻布に生まれる、父竹次郎は旧丸亀藩士で海軍勤務であった。 東京専門学校(現:早稲田大学)文学部国文科卒業。母校の麻布中学教諭(恩師は創立者の江原素六)を経て、昭和7年(1932年)より、早稲田大学文学部国文科講師(のち教授)で随筆文学講座を担当。 戦災で自宅蔵書を失い、信州に疎開した。昭和29年(1954年)に定年退職後は、麻布高校、跡見学園短期大学でも教えた。自宅書斎で執筆中に倒れ、約一ヶ月後に亡くなった。 義理堅く潔癖な性格のため、自身の著書公刊には積極的では無く、『素白全集 (全3巻)』も少部数しか刷られなかった(ゆえに揃いの古書値は高価)。近年になり著作や人となりが、識者に見直され新版再刊されている。 早稲田大学での同僚に、歌人の窪田空穂がおり、主宰する歌誌『槻(つき)の木』に参加し、短歌や随筆を発表した。同じく歌人・東洋美術史学者の會津八一も友人であった。.

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岩手県立盛岡第一高等学校

岩手県立盛岡第一高等学校(いわてけんりつ もりおかだいいちこうとうがっこう, Iwate Prefectural Morioka Daiichi High School)は、岩手県盛岡市上田三丁目にある県立高等学校。.

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岩手県立盛岡第二高等学校

岩手県立盛岡第二高等学校(いわてけんりつ もりおかだいにこうとうがっこう, Iwate Prefectural Morioka Daini High School)は、岩手県盛岡市上ノ橋町に位置する県立高等学校。地元では「二高」(にこう)の略称で呼ばれている。.

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岩手県立水沢農業高等学校

岩手県立水沢農業高等学校(いわてけんりつ みずさわのうぎょうこうとうがっこう)は、岩手県奥州市にある公立の農業高等学校。 地元での略称は水農(みずのう)、農学校、農業。胆江地区最古の歴史を有する高等学校である。.

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岸上大作

岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10月21日 - 1960年(昭和35年)12月5日)は、日本の歌人。兵庫県神崎郡田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。.

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島内景二

島内 景二(しまうち けいじ、1955年7月15日 - )は、国文学者、文芸評論家、電気通信大学教授。博士(文学)。専門は、古典文学、とくに『源氏物語』。 長崎県生まれ。1979年東京大学文学部国文科卒、1984年同大学院博士課程単位取得満期退学、電気通信大学専任講師、1988年助教授、2003年教授。2001年『源氏物語の影響史』で東京大学より博士号を取得。 『源氏物語』を中心とする中古文学が専門だが、話型学という方法を用い、ミヒャエル・エンデや『宮本武蔵』、夏目漱石、森鴎外なども論じ、2002年頃から文芸評論家を名乗る。塚本邦雄に師事した歌人でもある。妻は中世文学専攻の島内裕子。.

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島秋人

島 秋人(しま あきと、本名中村 覚(なかむら さとる)、1934年6月28日 - 1967年11月2日)は、新潟県で強盗殺人事件を引き起こした元死刑囚であり、1960年の一審の死刑判決後、1967年の死刑執行までの7年間、獄中で短歌を詠みつづけた歌人である。1963年に毎日歌壇賞を受賞。.

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島田幸典

島田 幸典(しまだ ゆきのり、1972年5月27日 - )は、日本の政治学者、歌人。京都大学大学院法学研究科教授。専門は比較政治学、比較国制史。 歌人としては、高校在学中の1990年より短歌結社「牙」にて石田比呂志に師事。石田死去による「牙」解散後は、2012年より阿木津英とともに「八雁」を創刊。京大在学中には吉川宏志、梅内美華子、林和清らとともに京都大学短歌会に所属した。現在は同会顧問。.

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島田修三

島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 - )は、歌人、日本古典文学研究者、愛知淑徳大学学長。 神奈川県横浜市生まれ。歌誌「まひる野」運営委員。1975年横浜市立大学文理学部日本文学専攻卒業、「まひる野」に入会。1982年早稲田大学大学院博士課程中退。専攻は万葉集。在学中に武川忠一が顧問を務める「短歌研究会」に所属し、内藤明、小島ゆかり、米川千嘉子らと活動した。愛知淑徳大学文化創造学部教授、副学長を経て、2011年より学長。学生時代に吉野秀雄『寒蝉集』の影響を受け、窪田章一郎に師事。中日新聞歌壇選者。「まひる野」では若手の多いマチエール欄の選歌を担当。ゼミ出身者には後藤由紀恵、富田睦子、飛鳥井千砂(小説家)などがいる。.

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島田修二

島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19日 - 平成17年(2004年)9月12日)は、日本の歌人。宮中歌会始選者も務めた。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。.

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島田章三

島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2016年11月26日)は、日本の洋画家、版画家。愛知県立芸術大学学長。兄は歌人の島田修二。.

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島津忠宗 (越前家)

島津 忠宗(しまづ ただむね)は、鎌倉時代後期の武将・歌人。知覧(院)氏の祖。 和歌に優れ、『続千載和歌集』、『新後撰和歌集』に詠歌が残る。これらの作品は島津氏宗家4代当主・島津忠宗の作品とされる場合が多いが、『勅撰作者部類』には「惟宗(島津)忠宗 常陸介忠景男」と明記があり、また父・島津忠景、子・忠秀が共に勅撰作者である家系的な側面から考えても、越前家の忠宗の作とみる方が自然である。.

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島津忠秀 (越前家)

島津 忠秀(しまづ ただひで)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将・歌人。宇宿氏、宇留氏、信濃島津氏赤沼家の祖。.

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島津忠景

島津 忠景(しまづ ただかげ)は、鎌倉時代中期の武将・歌人。鎌倉幕府御家人。薩摩国知覧院(現在の鹿児島県南九州市)地頭。但馬国朝来郡粟鹿大社(規模100町)地頭(「弘安5年(1285年)但馬国大田文」・『兵庫県史』所収)。.

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島木赤彦

下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館) 島木 赤彦(しまき あかひこ、1876年(明治9年)12月16日 - 1926年(大正15年)3月27日)は、明治・大正時代のアララギ派歌人。本名は久保田俊彦。別号、柿乃村人。.

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崎村夏彦

崎村 夏彦(さきむら なつひこ、Nat Sakimura、1965年 - )は、デジタルアイデンティティ研究者。OpenID Foundation理事長、Kantara Initiative理事、野村総合研究所上席研究員。インターネット上のアイデンティティやプライバシー上の課題や標準化に造詣が深く、多数の仕様策定に関わっている他、OpenIDファウンデーション・ジャパン 、Kantara Initiative や Open Identity Exchange などのアイデンティティ関連団体の設立にも寄与している。父は歌人の秋村功(本名、崎村久夫)。.

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川場村

川場村(かわばむら)は、群馬県利根郡の村。.

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川島喜代詩

川島 喜代詩(かわしま きよし、1926年10月29日‐2007年4月24日)は昭和から平成期の日本の歌人である。出版業に携わりながら佐藤佐太郎門下で活躍した。後「歩道」を離れ「運河」を結成、同人として活躍した。.

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川上喜久子

川上 喜久子(かわかみ きくこ、1904年(明治37年)11月23日 - 1985年(昭和60年)12月4日)は、日本の小説家。旧姓は篠田。.

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川端康成

川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家、文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。 大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。西欧の前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目され、詩的、抒情的作品、浅草物、心霊・神秘的作品、少女小説など様々な手法や作風の変遷を見せて「奇術師」の異名を持った原善「川端康成」()。その後は、死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品、連歌と前衛が融合した作品など、伝統美、魔界、幽玄、妖美な世界観を確立させ、人間の醜や悪も、非情や孤独も絶望も知り尽くした上で、美や愛への転換を探求した数々の日本文学史に燦然とかがやく名作を遺し、日本文学の最高峰として不動の地位を築いた羽鳥徹哉「作家が愛した美、作家に愛された美―絶望を希望に転じ、生命の輝きを見出す」()羽鳥徹哉「川端文学の世界――美についての十章」()。日本人として初のノーベル文学賞も受賞し、受賞講演で日本人の死生観や美意識を世界に紹介した。 代表作は、『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など。初期の小説や自伝的作品は、川端本人が登場人物や事物などについて、随想でやや饒舌に記述している。そのため、多少の脚色はあるものの、純然たる創作(架空のできごと)というより実体験を元にした作品として具体的実名や背景が判明し、研究・追跡調査されている「第三章 精神の傷あと―『みち子もの』と『伊豆の踊子』―」()。 川端は新人発掘の名人としても知られ、ハンセン病の青年・北條民雄の作品を世に送り出し、佐左木俊郎、武田麟太郎、藤沢桓夫、少年少女の文章、山川彌千枝、豊田正子、岡本かの子、中里恒子、三島由紀夫などを後援し、数多くの新しい才能を育て自立に導いたことも特記できる「新感覚――『文芸時代』の出発」()「第一編 評伝・川端康成――非情」()「第二部第五章 新人才華」()。また、その鋭い審美眼で数々の茶器や陶器、仏像や埴輪、俳画や日本画などの古美術品の蒐集家としても有名で、そのコレクションは美術的価値が高い。 多くの名誉ある文学賞を受賞し、日本ペンクラブや国際ペンクラブ大会で尽力したが、多忙の中、1972年(昭和47年)4月16日夜、72歳でガス自殺した(なお、遺書はなかった)「『美しい日本の私』――ノーベル賞受賞」()「第三部第八章 末期」()。.

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川田順

川田 順(かわだ じゅん、1882年(明治15年)1月15日 - 1966年(昭和41年)1月22日)は、歌人、実業家。住友総本社常務理事。 漢学者川田甕江の三男。女優・歌手の佐良直美は従曾孫娘。.

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川越市

川越市(かわごえし)は埼玉県南西部に位置する人口約35万人の市である。埼玉県内ではさいたま市、川口市に次ぐ第3位の人口を擁し、中核市と業務核都市、保健所政令市に指定されている。旧武蔵国入間郡。.

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川越市の歴史

川越市の歴史(かわごえしのれきし)は、埼玉県川越市の市域における歴史、自治体史である。.

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川野里子

川野 里子(かわの さとこ、1959年5月27日- )は、歌人。本姓・高橋。.

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川村ハツエ

川村ハツエ(かわむら ハツエ、1931年11月24日 - 2012年2月11日)は、歌人、翻訳家。 茨城県大宮町(現常陸大宮市)生まれ。茨城大学文理学部英文科卒。英語教諭を経て1970年「茨城歌人」に入会。1980年「かりん」に入会、馬場あき子に師事。埼玉純真女子短期大学、戸板女子短期大学、流通経済大学講師などをしながら歌作を行った。また英語による日本文学研究の翻訳や短歌の国際化活動にも携わり、日本歌人クラブ発行の英語短歌誌「TANKA JOURNAL」の編集長を務めた。歌集『孔雀青』で茨城新聞社賞、日本歌人クラブ北関東ブロック優良歌集賞受賞。著書『TANKAの魅力』で日本英学史学会豊田実賞、茨城文学賞受賞。茨城新聞歌壇選者などを務めた。.

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工藤平助

工藤平助(くどう へいすけ、享保19年(1734年) - 寛政12年12月10日(1801年1月24日))は江戸時代中期の仙台藩江戸詰の藩医で経世論家。『赤蝦夷風説考』の筆者で、若き日の林子平に影響を与えた人物。医師としては工藤周庵(くどうしゅうあん)、還俗後は平助を名乗った。名(諱)は球卿(きゅうけい)、字は元琳(げんりん)。号は万光(ばんこう)で、万幸、晩幸とも表記する。.

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左京区

左京区(さきょうく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。.

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巨勢利和

巨勢 利和(こせ としまさ、明和4年6月20日(1767年7月15日) - 天保5年3月17日(1834年4月25日))は、江戸時代後期の幕臣、国学者、歌人。旗本松平信直の四男。諱は「としより」とも読む。 巨勢至親の養子となり、1786年(天明6年)至親が没したため家督を継承。1789年(寛政元年)に使番として出頭した後、小普請組、小姓組、書院番の番頭を歴任した。加藤千蔭や清水浜臣の元で学んで歌道を習熟し、千蔭の著作の序文を認めるなどしている。浜臣の覚えは良かったらしく、彼の死後、蔵書の管理を委任された。また『うつほ物語』の考究を推進し、『新治抄』10巻を認めるなどの業績を残している。.

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巽聖歌

巽 聖歌(たつみ せいか、1905年2月12日 - 1973年4月24日)は、日本の児童文学者、歌人。本名は野村 七蔵(のむら しちぞう)。童謡「たきび」の作詞者として知られる。 北原白秋に師事し、佐藤義美・与田凖一と並び称された。また新美南吉を世に送り出すことに尽力した。『赤い鳥』出身の童謡詩人・『多磨』出身の歌人として、童謡・少年詩・近代短歌の歴史の上に業績を残した。 短歌においては、持田勝穂、木俣修、宮柊二、玉城徹の同門に当たり、白秋の没後、玉城徹を指導した。また、出身地である紫波町立日詰小学校の校歌をはじめ、全国的に多くの校歌の作詞をしている。.

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上司海雲

上司 海雲(かみつかさ かいうん 1906年(明治39年)2月15日 - 1975年(昭和50年)1月25日)は昭和の華厳宗の僧侶。第206世東大寺別当(住職)。文化人サロンを形成し「観音院さん」の名で親しまれた。.

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上山市

葉山 上山市(かみのやまし)は、山形県南東部にある市。江戸時代には上山藩の城下町や羽州街道の宿場町として栄え、現在は上山温泉で知られる。城下町・宿場町・温泉街の3つを兼ね備えた都市は、全国的にも珍しいとされる。.

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上刈ミカン

フォッサマグナミュージアム前庭の上刈ミカンの若木(2016年7月17日) 上刈ミカン(うえかりミカン)は、新潟県糸魚川市の上刈(うえかり)地区を中心に栽培されていたミカンの品種で、別名を糸魚川ミカン(いといがわミカン)ともいう。日本での食用ミカン栽培北限の品種とされ、糸魚川の出身で詩人・歌人として知られる相馬御風は、1936年に作詞した『糸魚川小唄』の一節で、「こうじ蜜柑の色づく頃は濡らすまいぞえ稲架(はさ)の稲」と詠っている『新潟県の地理散歩 上越編』133頁。 2012年1月29日閲覧。 2012年1月29日閲覧。。「ミカン巻き」(ほだ巻き)といわれる木の冬囲いや、寒空の下でのミカン露店売買風景は、糸魚川地方の冬の風物詩であった 2012年1月29日閲覧。『新潟県の地理散歩 上越編』137-138頁。 2012年1月29日閲覧。。温州ミカンの普及による商品価値の下落や、原木の老齢化による枯死、寒害などの影響によって絶滅が危惧されるほどに木の数が減少しているが、近年保護が図られている『新潟県の地理散歩 上越編』138-140頁。 2011年11月29日11時50分更新 2012年1月29日閲覧。。.

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上田ちか子

上田ちか子(うえだちかこ、ちか女とも)は、幕末の祇園の芸妓、歌人(生没年不詳)。 生まれは裕福な青楼(置屋、もしくはお茶屋を指すか)の娘であったが自ら望んで芸妓となった。 国学者、長澤伴雄の深い馴染みとなり、長澤のもとで和歌を学ぶ。のちに、長澤の窮状においてはなにかと力になることもあった。 大田垣蓮月の歌友の一人であり、蓮月、桜木太夫とともに自らの身分を詠み合った歌が残っている。 蓮月    さそふ水あるにはあらで浮草の 流れて渡る身こそやすけれ ちか女     さそふ水あらばといはぬ色ながら 下ゆく水に花の亂るゝ さくら木   さそふ水あらばあらばと川竹の 流のこのみ浮草にして Category:幕末の女性 Category:芸妓 Category:江戸時代の歌人 Category:京の花街.

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上田三四二

上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、日本の歌人、小説家、文芸評論家。.

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上田公長

上田 公長(うえだ こうちょう、天明8年(1788年) - 嘉永3年7月21日(1850年8月28日))は、江戸時代に活躍した大坂の絵師。当時板行された人名録や絵師番付には、必ずといっていい程名が見られ、近世の大阪画壇を語る上で欠かせない人物の一人である。.

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上田秋成

上田 秋成(うえだ あきなり、享保19年6月25日(1734年7月25日) - 文化6年6月27日(1809年8月8日))は、江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人。怪異小説『雨月物語』の作者として特に知られる。.

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上田正昭

上田 正昭(うえだ まさあき、1927年4月29日 - 2016年3月13日 毎日新聞 2016年3月13日)は、日本の歴史学者、小幡神社宮司、歌人。京都大学名誉教授、大阪女子大学名誉教授、西北大学名誉教授。専攻は日本古代史。勲二等瑞宝章。修交勲章崇禮章(韓国から)。従四位。 .

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上東門院小馬命婦

上東門院小馬命婦(じょうとうもんいんこまのみょうぶ、生没年不詳)は、平安時代の女流歌人。円融朝の歌人で、家集『小馬命婦集』で知られる同名の小馬命婦とは別人。 『尊卑分脈』の系図より藤原南家・藤原棟世の娘であることが、また『範永朝臣集』の詞書より母が『枕草子』の著者として知られる清少納言であることが知られ、一条天皇の皇后・上東門院彰子に仕えたことから円融朝の小馬命婦と区別し上東門院小馬命婦と称される。 『後拾遺和歌集』に以下の1首が採られている。.

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上村典子 (歌人)

上村 典子(うえむら のりこ、1958年11月16日 - )は、歌人。 山口県山口市出身。サビエル高等学校を経て、ノートルダム清心女子大学文学部国文学科卒業。高校時代より作歌を始める。1985年、音短歌会に入会。1990年、作品「通過列車の風」50首で第36回角川短歌賞佳作。1991年、作品「貝寄風」50首で第37回角川短歌賞佳作。2005年、歌集『貝母』にて第14回ながらみ書房出版賞を受賞。山口県歌人協会理事を務める 。.

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上村武男

上村 武男(うえむら たけお、1943年(昭和18年)2月28日 - )は、日本の文芸評論家、歌人、神官。 兵庫県尼崎市生まれ。1969年國學院大學文学部中退。水堂須佐之男神社宮司。水堂幼稚園長、水堂学園理事長。2005年度尼崎市文化功労賞(文学)受賞。.

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上智大学の人物一覧

上智大学の人物一覧(じょうちだいがくのじんぶついちらん)は上智大学に関係する人物の一覧記事。.

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与謝野秀

与謝野 秀(よさの しげる、1904年7月7日 - 1971年1月25日)は、日本の外交官。.

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与謝野道子

与謝野 道子(よさの みちこ、旧姓:坂内、1915年6月26日 - 2000年10月31日)は、日本の評論家、随筆家。.

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与謝野達

与謝野 達(よさの とおる)は、日本の金融家。.

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与謝野馨

與謝野 馨(よさの かおる、1938年〈昭和13年〉8月22日 - 2017年〈平成29年〉5月21日)は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。学校法人文化学院院長・理事。報道や政治活動においては新字体で与謝野 馨(よさの かおる)と表記されることが比較的多い。 衆議院議員(10期)、衆議院議院運営委員長(第50代)、文部大臣(第117代)、内閣官房副長官、通商産業大臣(第63代)、自由民主党政務調査会長(第46代)、内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策、規制改革、男女共同参画、少子化対策)、内閣官房長官(第74代)、拉致問題担当大臣(第2代)、財務大臣(第11代)などを歴任した。.

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与謝野鉄幹

与謝野 鉄幹(正字: 與謝野 鐵幹、よさの てっかん, 1873年(明治6年)2月26日 - 1935年(昭和10年)3月26日)は、日本の歌人。本名は与謝野 寛(よさの ひろし)。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。.

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与謝野晶子

与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。 雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となった。.

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師成親王

師成親王(もろなりしんのう)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝皇族・歌人。後村上天皇の第五皇子で、長慶天皇・後亀山天皇の弟と推定される。母は不詳。出家後の道号は竺源(じくげん)、法諱は恵梵(えぼん)。雲子(らんうんし)と号した。.

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中城ふみ子

中城 ふみ子(なかじょう ふみこ、1922年(大正11年)11月15日〈戸籍上は11月25日〉 - 1954年(昭和29年)8月3日)は、日本の歌人。北海道河西郡帯広町(現・帯広市)出身。本名は野江富美子。妹の野江敦子(1932年7月21日 -)も歌人。中城は離婚した夫の姓。戦後の代表的な女性歌人の一人で、後進に大きな影響を与えた。.

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中原中也

中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年(明治40年)4月29日 - 1937年(昭和12年)10月22日)は、日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。 代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待され、小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟がかぜにより病死したことで文学に目覚めた。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。その一部は、結婚の翌年刊行した処女詩集『山羊の歌』、および、中也の死の翌年出版された第二詩集『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』や数は少ないがアンドレ・ジイドの作品などフランス人作家の翻訳もしている。日本大学予科、中央大学予科などを経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部修了。.

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中原清重

中原 清重(なかはら の きよしげ)は平安時代末期の官人。中原光重の子。位階は正六位上か。 二条天皇の時代に右衛門少志と兼ねて蔵人所の出納を務め、六条天皇践祚時にも留任している(『山槐記』)。安元年間には検非違使に転じているが、治承三年の政変では六位官人ながら後白河法皇の近臣とみなされて解官されている。養和元年11月28日(1182年1月4日)には左衛門少志・検非違使として復職(『吉記』)。建久2年(1191年)に行われた若宮社歌合には「正六位上左衛門少尉」として登場する。歌人としても活躍して『千載和歌集』に2首採録されている他、後白河法皇から今様を伝授されたという。.

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中原文夫

中原 文夫(なかはら ふみお、1949年8月15日 - )は、日本の小説家。 広島県広島市生まれ。本名・田部知恵人。一橋大学商学部卒業。文藝春秋社に勤務し、出版部長、編集委員などを歴任する。1994年「不幸の探究」で第111回芥川賞候補。句誌「風鈴」、歌誌「短歌人」に所属する俳人・歌人でもある。日本文藝家協会会員。元早稲田大学大学院政治学研究科非常勤講師。 「神隠し」所収の『不定期バスの客』は「世にも奇妙な物語」で映像化されたほか、ダンカン主演・脚本の映画『生きない』の原案にもなった。.

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中家菜津子

中家 菜津子(なかいえ なつこ、1975年- )は、日本の歌人、詩人。歌誌「未来」会員。.

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中山兼宗

中山 兼宗(なかやま かねむね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。内大臣・中山忠親の長男。官位は正二位・按察使、権大納言。中山家2代。.

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中山正男

中山正男(なかやま まさお、1911年1月26日-1969年10月22日)は、日本の小説家、実業家。 北海道佐呂間町出身。専修大学法科中退。1933年陸軍画報社を設立、『陸軍画報』を発行。中国戦線従軍記『脇坂部隊』で知られ、戦争を鼓吹。戦後公職追放となり、のち新理研映画社社長、日本ユースホステル協会会長を務めた。小説「馬喰一代」で第26回直木三十五賞候補となる。同作は1951年、木村恵吾監督、三船敏郎主演で映画化、63年に三国連太郎主演で再度映画化、ほかにも映画化作品がある。 歌人・小説家の金子きみは義妹であり、『陸軍画報』の部下と結婚させている。.

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中山明

中山 明(なかやま あきら、1959年3月18日 - )は、日本の歌人。.

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中島広足

中島 広足(なかじま ひろたり、1792年4月25日(寛政4年3月5日) - 1864年2月28日(文久4年1月21日))は、江戸時代後期の熊本藩士、国学者、歌人。橿園(かしぞの、きょうえん)と号した。 肥後国熊本城下(現・熊本市)に、代々細川家の家臣の家に生まれる。11歳の時、父・惟規が亡くなったため家督を継ぎ、15歳で御小姓役となり細川斉茲に仕えた。病気により24歳で家督を妹婿に譲り、本居宣長に国学を学んだ長瀬真幸に師事し、国学を研究した熊本日日新聞社編『熊本人物鉱脈』熊本日日新聞社、1961年、6-8頁。 30歳の頃、長崎に移り住み、長崎諏訪神社の神官らと交流を持ち家塾を開いて和歌や国学などを教えた。のち大坂に移り過ごしたが、晩年は熊本に戻り藩校時習館の国学教授となって多くの門弟を育てた。著書に、『橿園集』、『志能数多礼』(しのすだれ)などがある。.

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中島歌子

中島 歌子(なかじま うたこ、1845年1月21日(弘化元年12月14日) - 1903年(明治36年)1月30日)は、日本の歌人。和歌と書を教える私塾「萩の舎」を主宰し、明治時代の上流・中級階級の子女を多く集め、成功した。歌人としてより、樋口一葉、三宅花圃の師匠として名を残している。.

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中川すがね

中川 すがね(なかがわ すがね、1960年(昭和35年)6月 - )は、日本の歴史学者。愛知学院大学教授。専門は日本史、経済史。 香川県生まれ。大阪大学卒業後、同大学で文学博士号を修得。大阪大学、甲子園大学を経て2012年より愛知学院大学の教授を務めている。.

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中川一政

中川一政美術館(真鶴町) 中川 一政(なかがわ かずまさ、1893年(明治26年)2月14日 - 1991年(平成3年)2月5日)は、東京府生まれの洋画家、美術家、歌人、随筆家。.

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中川佐和子

中川 佐和子(なかがわ さわこ、1954年11月5日 - )は、歌人。兵庫県西宮市出身。神奈川県横浜市在住。「未来」選者・編集委員、NHK学園短歌講座専任講師、横浜歌人会会員、神奈川県歌人会会員。 早稲田大学第一文学部日本文学科卒業。20代半ばの頃に河野愛子の歌と出会い、1984年に「未来」に入会、河野愛子に師事。河野没後は大島史洋選歌欄に投歌。天安門事件を題材とした歌で、1989年度朝日歌壇賞受賞。1992年、「夏木立」50首で第38回角川短歌賞受賞。2000年、評論集「河野愛子論」で第10回河野愛子賞受賞。2014年、第五歌集『春の野に鏡を置けば』で第22回ながらみ書房出版賞受賞。同年10月より、歌誌「未来」選者に就任。.

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中京大学の人物一覧

中京大学の人物一覧(ちゅうきょうだいがくのじんぶついちらん)は、中京大学に関係する人物の一覧記事。.

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中西石陰

中西 石陰(なかにし せきいん、1821年(文政4年)- 1900年(明治33年))は、幕末から明治期の国学者・歌人。従八位。号は杉園・巌影。 京都出身。香川景樹の門人で、平野神社・水無瀬神社などの宮司を務めた。.

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中西悟堂

中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人。文化功労者。天台宗僧侶。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。.

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中郡二十六カ町村組合立奈珂中学校

中郡二十六カ町村組合立奈珂中学校(なかぐんにじゅうろっかちょうそんくみあいりつなかちゅうがっこう)または金目村外二十六カ町村組合立奈珂中学校は、神奈川県中郡大根村(秦野市)にあった公立旧制中学校であり、中郡六カ町村組合立育英学校の後身、神奈川県立秦野高等学校の前身である。.

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中郡六カ町村組合立育英学校

中郡六カ町村組合立育英学校(なかぐんろっかちょうそんくみあいりついくえいがっこう)は、神奈川県中郡金目村に存在した公立学校であり、私立育英学校の後身、神奈川県立秦野高等学校の前身である。.

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中関白家

中関白家(なかのかんぱくけ)は、藤原北家の中の、平安時代中期の関白藤原道隆を祖とする一族の呼称。.

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中間市

中間市(なかまし)は、福岡県の北部にある市。筑豊炭田の一角をなし、エネルギー革命による炭坑の閉山等で一時人口が大きく落ち込んだが、その後北九州都市圏のベッドタウンとして再生した。旧遠賀郡。.

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中野嘉一

中野 嘉一(なかの よしかず/かいち、1907年4月21日 - 1998年7月23日)は、日本の詩人、歌人、精神科医。.

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中臣宅守

中臣 宅守(なかとみ の やかもり、生没年不詳)は、奈良時代の貴族・歌人。刑部卿・中臣東人の子。官位は従五位下・神祇大副「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)。.

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中院家

中院家(なかのいん け)は、大臣家の家格を持つ公家。村上源氏久我家支流。内大臣源通親(土御門通親)の五男通方を家祖とする。家名は、嫡流久我家の4代雅定が中院町(六条室町)に住んで中院右大臣と称したことに拠るが、狭義にはその曾孫通方から分かれた後を中院家と呼ぶ。またこれとは別に、村上源氏久我流の六条家から分かれた別系の中院家もあった。.

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中院通勝

中院 通勝(なかのいん みちかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての公家・歌人・和学者。中院通為の三男。 天正7年(1579年)正三位権中納言に至る。はじめ伯父の三条西実枝に師事して歌を学んだ。翌天正8年(1580年)、正親町天皇の勅勘を蒙り丹後国舞鶴に配流、細川幽斎に学んで和歌・和学を極めた。慶長4年(1599年)に赦されている。 日記に『継芥記』、著書に『中院通勝集』や源氏物語の注釈書である『岷江入楚』などがある。 みちかつ Category:室町・安土桃山時代の公家 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:江戸時代の公家 Category:江戸時代の歌人 Category:1556年生 Category:1610年没.

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中院通為

中院 通為(なかのいん みちため)は、室町時代後期の公卿。権中納言中院通胤の子で、母は姉小路済継の女である。父祖と同じく、たびたび加賀に下向・在国し、家領額田庄などの直務支配に努めた。本名は通右・通量。.

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中院通顕

中院 通顕(なかのいん みちあき)は鎌倉時代後期の公卿、歌人。内大臣、正二位。内大臣中院通重の子。.

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中院通躬

中院 通躬(なかのいん みちみ)は江戸時代中期の公卿、歌人。中院家(家格は大臣家)第18代当主。.

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中院通茂

中院 通茂(なかのいん みちしげ)は、江戸時代前期から中期の公卿・歌人。権大納言中院通純の子。.

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中院通村

中院 通村(なかのいん みちむら)は、江戸時代前期の公卿。村上源氏中院家の当主。後水尾天皇の第一の側近で、反幕府派の公卿。権中納言中院通勝の子。小倉藩主細川忠興とは義兄弟。最終官職の唐名から中院内府とも呼ばれる。.

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中条長秀

中条 長秀(ちゅうじょう ながひで)は南北朝時代の人。挙母城主。 剣術流派・中条流の創始者であり室町幕府の評定衆。 足利義満の剣術指南役を務めた剣豪としても知られる。.

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中村亜裕美

中村 亜裕美(なかむら あゆみ、1985年3月20日 - )はエフエム東京(TOKYO FM)契約アナウンサー。富山県出身。元クリエイティブ・メディア・エージェンシー所属のフリーアナウンサー。.

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中村徳也

中村 徳也(なかむら とくや、1895年6月10日 - 1939年10月28日)は、日本の歌人である。.

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中村覺

中村 覺、中村 覚.

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中村憲吉

中村 憲吉(なかむら けんきち、1889年5月14日 - 1934年5月5日)は、歌人。 広島県三次郡上布野村(現・三次市)生まれ。三次中学、七高、東京帝国大学法科大学経済科卒。大阪毎日新聞の経済部記者を経て、実家の酒造業に携わる。伊藤左千夫に師事。1909年『アララギ』に参加、斎藤茂吉や古泉千樫らと交流を持つ。1913年島木赤彦との合著歌集『馬鈴薯の花』刊行。『中村憲吉全集』がある。1934年、肺結核と急性感冒のため尾道市の仮寓で死去。戒名は林泉院釈浄信憲吉居士。 広島県尾道市に保存されている中村憲吉旧居.

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中沢直人

中沢 直人(なかざわ なおと、1969年11月22日 - )は、日本の歌人、憲法学者。専門は英米法、憲法。成蹊大学法学部法律学科教授。本名、安部圭介。 福岡県福岡市出身。久留米大学附設高等学校、東京大学法学部卒業、ハーバード大学法科大学院修了。博士(法学)。 1999年に歌誌「未来」「かばん」に入会し、岡井隆に師事。2002年より「未来」編集委員。2003年に作品「極圏の光」で第14回歌壇賞、未来年間賞を受賞。2010年、第1歌集『極圏の光』で第16回日本歌人クラブ新人賞を受賞。.

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中河与一

中河与一 (なかがわ よいち, 1897年(明治30年)2月28日 - 1994年(平成6年)12月12日) は、香川県生まれの小説家・歌人である。横光利一、川端康成と共に、新感覚派として活躍した。正字で中河與一と表記される場合もある。中河哀秋という筆名も持つ。.

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中河幹子

中河 幹子(なかがわ みきこ、1897年7月30日 - 1980年10月26日)は、日本の国文学者、歌人。中河与一の妻。旧姓は林。 香川県坂出市生まれ。津田英学塾卒。在学中の1920年に中河与一と結婚をする。女性文芸誌『ごぎやう』を創刊し、後に短歌誌『をだまき』と改め主宰となる。門下に高瀬一誌、蒔田さくら子らがいる。共立女子大学教授を務め、共立女子学園歌の作詞も手がけている。.

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中澤系

中澤 系(なかざわ けい、1970年9月22日 - 2009年4月24日)は、歌人。本名、中澤圭佐。 神奈川県茅ヶ崎市出身。神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校、早稲田大学第一文学部哲学科卒業。 1997年、未来短歌会に入会し、岡井隆に師事。1998年、連作「Uta0001.

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中濱絲子

中濱 いと(なかはま いと、1881年(明治14年)12月25日 - 1964年(昭和39年)8月14日)は、月刊文芸誌「明星」を中心に活躍した明治時代の女流歌人。「白藤の君」と謳われた。.

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帯広畜産大学の人物一覧

帯広畜産大学の人物一覧は帯広畜産大学に関係する人物の一覧記事。.

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丸尾文六

丸尾 文六(まるお ぶんろく、1832年8月26日《天保3年8月1日》 - 1896年《明治29年》5月1日)は、日本の実業家、政治家。 浜松県民会議員、浜松県民会幹事、静岡県会議員、静岡県会副議長(第2代)、静岡県会議長(第2代)、衆議院議員などを歴任した。.

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丸岡莞爾

丸岡 莞爾(まるおか かんじ、1836年7月11日(天保7年5月28日) - 1898年(明治31年)3月6日)は、幕末の土佐藩士、明治期の官僚、歌人。官選県知事。旧姓・吉村、字・山公。通称・三太、長俊。号・建山、掬月、蒼雨など。.

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丸岡桂

丸岡 桂(まるおか かつら、1878年10月7日 - 1919年2月12日)は、歌人、能楽研究者、能楽書林創業者。.

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常総市

常総市(じょうそうし)は、茨城県南西部にある市である。.

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常盤井宮直明王

常盤井宮 直明王(ときわいのみや なおあきらおう、生没年不詳)は、室町時代の皇族。亀山天皇玄孫で、満仁親王の王子。常盤井宮家4代当主。.

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常見千香夫

常見 千香夫(つねみ ちかお、1908年(明治41年)10月31日 - 1988年(昭和63年)1月4日)は、埼玉県浦和町(現・さいたま市)出身の歌人。.

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丸谷喜市

丸谷 喜市(まるや きいち、1887年(明治20年)10月3日 - 1974年(昭和49年)7月10日)は、日本の経済学者。神戸経済大学(現・神戸大学)初代学長、神戸大学名誉教授。.

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丸木政臣

丸木 政臣(まるき まさおみ、1924年10月10日 - 2013年6月6日)は、日本の教育評論家、歌人、和光学園園長。熊本県生まれ。.

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丹波忠守

丹波 忠守(たんば の ただもり、文永7年(1270年)? - 康永3年/興国5年6月22日(1344年8月1日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての医師・官人・歌人。典薬頭・丹波長有の長男。子に雅守がいる。官位は四位・宮内卿。.

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七理重恵

七理 重恵(しちり じゅうけい、1887年 - 1965年5月22日)は日本の歌人、学者。雅号は紫水。兵庫県二方郡高末村(現美方郡新温泉町)出身。 法政大学、立教大学、帝国女子専門学校(現在の相模女子大学の前身)の教授を歴任した。一方、1919年に中国人留学生のために「留学生の会」(後に「中日親和会」に改称)を設立し日中親善に尽力した。 1965年5月に没したが、その生誕地である新温泉町高末地区に歌碑が建立された。.

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布留今道

布留 今道(ふる の いまみち、生没年未詳)は、平安時代前期の貴族・歌人。物部日向の後裔で、布留常名または布留浄直の子とする系図がある。官位は従五位下・三河介。.

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七条院大納言

七条院大納言(しちじょういんのだいなごん、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人である。 正三位権中納言三条実綱と三河内侍の間に生まれる。高倉天皇の典侍として出仕したとする説があるが、典侍であったのは姉妹であり、当人ではないと見られる。ただし、高倉院もしくは建礼門院等に仕えていた可能性が指摘されている。後に七条院藤原殖子の女房となる。歌才を評価されて後鳥羽院歌壇で歌合に参加し、『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』に入集している。私家集は伝存しない。 『建礼門院右京大夫集』の一部伝本の奥書によれば、同書は作者自筆本から七条院大納言が筆写し、承明門院小宰相に伝えられたとされる『建礼門院右京大夫集』正元二年本系統(九州大学図書館所蔵本・宮内庁書陵部蔵本等)に、「自筆なりけるを七条院大納言さりかたきゆかりにてこのさうしを見せられたりけるをうつされたるとなん」「以承明門院小宰相本正元二年二月二日筆写畢」との奥書がある。。また同書によると、あるとき、建礼門院右京大夫が高倉天皇の笛の音をほめたところ、どうせ心にもないことを言っているのだろうと天皇に言われ、私ごときの気持ちなんか無にされるのかと悲しくなって、「さもこそはかずならずとも一すじに 心をさへもなきになすかな」とつぶやいた歌が、「大納言君と申しは 三條内大臣の御女ときこえし」人物から天皇の耳に入り、「笛竹のうきねをこそはおもひしれ 人のこゝろをなきにやはなす」と返歌をもらったという。この三条公教の女の「大納言君」は七条院大納言と同一人物と考えられており、このことから祖父公教の養女として出仕し、建礼門院右京大夫と交流が深かったことが知られるこのエピソードに七条院大納言が登場する背景として、叔父の滋野井実国が高倉天皇の笛の師であること(『懐竹抄』)も指摘されている。。.

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七条院権大夫

七条院権大夫(しちじょういんのごんのだいぶ、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の歌人である。左京権大夫藤原光綱の娘。母は能書家で知られる藤原伊行の娘。建礼門院右京大夫の姪にあたる。.

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世尊寺行能

世尊寺 行能(せそんじ ゆきよし、治承3年(1179年) - 建長7年(1255年)?)は、鎌倉時代前期の公卿・能書家・歌人。太皇太后宮亮・藤原伊経の長男。母は法橋増宗の娘。法号は寂然。世尊寺家の第8代目当主。「世尊寺」の家名は行能の代より用いられたとされている。官位は従三位・右京大夫。.

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世尊寺行房

世尊寺 行房(せそんじ ゆきふさ、生年不詳 - 延元2年/建武4年3月6日(1337年4月7日))は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての公卿・能書家・歌人。世尊寺家第11代当主。従二位・世尊寺経尹または少納言・世尊寺経名の子。官位は四位・左近衛中将。一条とも号した。.

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世田谷学園中学校・高等学校の人物一覧

"世田谷学園中学校・高等学校の人物一覧"(せたがやがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこうのじんぶついちらん)は私立世田谷学園中学校・高等学校の主な出身者・教員・関係者などについての一覧である。.

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世界三大美人

世界三大美人とは、世界史上において特に美人とされる三人の女性のこと。他の三大の大半と同様に、日本以外の国では知られておらず、日本起源のものと考えられる。 一般に以下の三人の女性を指す。.

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市川大門町

市川大門町(いちかわだいもんちょう)は、山梨県南部、西八代郡にあった町。 甲府盆地の最南端に位置する。中世以来の和紙生産と江戸期以来の市川花火で知られ、毎年、8月上旬に開催される神明の花火大会が有名である。2005年10月1日に、同じ西八代郡の三珠町・六郷町と合併し、「市川三郷町」となった。.

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市立小樽文学館

市立小樽文学館(しりつおたるぶんがくかん)は、北海道小樽市の文学館。市町村立の文学館としては日本国内で初めて開館した。小樽市分庁舎(旧小樽地方貯金局)にあり、市立小樽美術館を併設している。 小林多喜二や伊藤整をはじめ、 小樽ゆかりの小説家、詩人、歌人、俳人の著書や資料を収蔵、展示している。文学館の行う事業や資料の購入などを市民団体(小樽文學舎)が行っている。.

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市村宏

市村宏(いちむら ひろし、1904年 - 1989年11月10日)は、日本の国文学者、歌人。 長野県生まれ。東洋大学文学部国文学科卒業。新村出の委嘱により「広辞苑」の編集主任を務めた。東洋大学国文学科教授、1973年退任、名誉教授。1961年「萬葉集考」で東洋大学文学博士。.

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万葉学者

万葉学者(まんようがくしゃ)とは、日本最古の歌集『万葉集』を研究の対象とする研究者の事である。.

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万里小路惟房

万里小路 惟房(までのこうじ これふさ、永正10年(1513年) - 元亀4年6月9日(1573年7月7日))は室町時代の公卿。歌人。万里小路秀房の子。子は万里小路輔房、娘(伏見宮貞康親王御息所)、娘(今出川晴季室)など。正室は畠山家俊の娘。号は崇恩院。正二位。.

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万里集九

万里集九(ばんりしゅうく、1428年10月17日(正長元年9月9日) - 没年不詳)は、室町時代の禅僧、歌人。近江国の速水氏の出自。「万里」は道号、「集九」は諱で、「集」は一山派の太清宗渭の法系であることを示す一字。.

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三宅千代

三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月30日)は、日本の歌人・作家。.

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三宅花圃

三宅 花圃(みやけ かほ、1869年2月4日(明治元年12月23日) - 1943年(昭和18年)7月18日)は、明治時代の小説家、歌人。著書『藪の鶯』は、明治以降に女性によって書かれた初の小説。.

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三宅雪嶺

三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日(万延元年5月19日) - 1945年(昭和20年)11月26日)は、日本の哲学者、評論家。国粋主義者。右翼。加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎.

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三井修

三井 修(みつい おさむ、1948年7月21日 -)は、日本の歌人。 石川県金沢市出身。石川県立七尾高等学校、東京外国語大学アラビア語学科を卒業後、三井物産に入社。2000年に退社するまで中東関係の業務に従事。海外(中東)駐在も2回経験している。 退社後、一橋大学大学院言語社会研究科中退。 30代から短歌を始め、「長風」を経て「塔」入会、現選者。北陸中日新聞歌壇選者。東京外国語大学非常勤講師。 現代歌人協会会員。日本文芸家協会会員。.

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三井甲之

三井 甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。.

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三ヶ島葭子

三ヶ島 葭子(みかじま よしこ、本名:三ヶ島よし→倉片よし、1886年(明治19年)8月7日 - 1927年(昭和2年)3月26日)は、日本の女流歌人。生涯で6000首以上の短歌を残したという。 俳優の左卜全(本名:三ヶ島一郎、1894年 - 1971年)は、異母弟にあたる。.

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三国玲子

三国 玲子(三國 玲子:みくに れいこ、1924年(大正13年)3月31日 - 1987年(昭和62年)8月5日)は、歌人。 東京都出身。日展評議員も務めた彫刻家・三国慶一の長女。川村女学院卒。本名・中里玲子。鹿児島寿蔵に師事し、『潮汐』同人となる。1954年歌集『空を指す枝』を刊行、第2回新歌人会賞を受賞。1979年『永久にあれこそ』で短歌研究賞受賞、1987年3月『鏡壁』で現代短歌女流賞を受賞するが、7月鬱病のため入院し、同病院で飛び降り自殺した。.

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三熊野詣

『三熊野詣』(みくまのもうで)は、三島由紀夫の短編小説。全6章から成る。 歌人で国文学博士の老教授と、先生を崇拝する弟子の寡婦が熊野詣に旅する物語。亡き初恋の人の名前を象る三つの櫛を熊野三山の内庭に埋める先生に同道しながら、様々な想いが錯綜する静かな女の心理と、彼女を証人にして自らの物語を創造しようとする孤独な人間の姿が、荘厳な熊野の風景を背景に描かれている。民俗学者の折口信夫をモデルにした作品である「第五章 文と武の人」()鎌田東二「三熊野詣」()。 1965年(昭和40年)、雑誌『新潮』1月号に掲載され、同年7月30日に新潮社より単行本刊行された井上隆史「作品目録――昭和40年」()山中剛史「著書目録――目次」()。同書には他に3編の短編が収録されている。文庫版は新潮文庫の『殉教』で刊行されている。翻訳版は ジョン・ベスター訳(英題:Acts of Worship)をはじめ、イタリア(伊題:Atti di adorazione)、ポルトガル(葡題:Actos de adoração)で行われている。.

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三郡共立学校

三郡共立学校(さんぐんきょうりつがっこう)は、神奈川県大住郡(のち中郡)金目村(現在の神奈川県平塚市)に存在した学校であり、五郡共立小田原中学校の後身、神奈川県立秦野高等学校および神奈川県立平塚農業高等学校の前身である。.

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三重県立上野高等学校

三重県立上野高等学校(みえけんりつ うえのこうとうがっこう)は、三重県伊賀市上野丸之内にある公立高等学校。略称は「上高」(うえこう)。.

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三重県立松阪高等学校

三重県立松阪高等学校(みえけんりつ まつさかこうとうがっこう)は、三重県松阪市垣鼻町にある公立高等学校。.

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三重県立津高等学校

三重県立津高等学校(みえけんりつ つこうとうがっこう)は、三重県津市新町三丁目にある公立高等学校。2007年4月よりスーパーサイエンスハイスクール指定校となった。通称は津高(つこう)。.

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三枝昂之

三枝 昂之(さいぐさ たかゆき、1944年1月3日 - )は日本の歌人・文芸評論家。歌誌「りとむ」主宰。日本歌人クラブ会長。山梨県立文学館館長。宮中歌会始の選者でもある。山梨県甲府市生まれ。父・清浩は窪田空穂門下の歌人。五人兄弟の四男。歌人の今野寿美は妻、同じく歌人の三枝浩樹は弟(五男)。.

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三枝浩樹

三枝 浩樹(さいぐさ ひろき、1946年(昭和21年)10月17日 - )は歌人。本名は三枝 亨。河野裕子(1946年 - 2010年)、永田和宏(1947年 - )、小池光(1947年 - )、道浦母都子(1947年 - )らと共に、団塊世代を代表する歌人の一人。.

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三条西実枝

三条西 実枝(さんじょうにし さねき)は、戦国時代から安土桃山時代の公家・歌人・古典学者。.

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三条西実条

三条西 実条(さんじょうにし さねえだ、旧字体:三條西 實條 )は、安土桃山時代から江戸時代初期の公家。三条西家(家格は大臣家)当主。祖父は三条西実枝。.

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三条西家

三条西家(さんじょうにし け)は、藤原北家 閑院流 嫡流・転法輪三条家の分家である正親町三条家のそのまた分家で、大臣家の家格を持つ公家。西三条家(にしさんじょう け)ともいう。正親町三条家の分家でありながら家格は本家のそれをしのぎ、三大臣家の中でも別格とみなされていたばかりか、室町時代から江戸時代初期にかけて右大臣をたびたび出したため、その家格は清華家とほぼ同格とみなされていた。閑院家嫡流の転法輪三条家にもたびたび養子を出したため、戦国時代以後の転法輪三条家の直接の血統は三条西家のものとなっている。江戸時代の家禄は502石。 維新までは三条西と西三条の双方を比較的自由に使っており、明治になって17代公允が伯爵に授爵されたのを機にこれを西三条に一本化したが、しばらくしてこれを三条西に替えている。通字は「公」「実」「季」。分家に押小路家・武者小路家・高松家がある。.

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三条西公条

三条西 公条(さんじょうにし きんえだ)は、戦国時代の公卿・歌人・和学者。孫に三条西公国、外孫に中院通勝、玄孫に春日局が、甥に九条稙通がいる。称名院と号する。.

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三木 (曖昧さ回避)

三木(みき、さんぼく)とは「三本(三柱)の木」を意味する言葉。もしくは日本の地名のひとつ。あるいは、これらに由来する日本人の氏姓のひとつ。.

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三木露風

三木 露風(みき ろふう、1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。 近代日本を代表する詩人・作詞家として、北原白秋と並んで「白露時代」を築いた。若き日は日本における象徴派詩人でもあった。.

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三浦光世

三浦光世(みうら みつよ、1924年4月4日 - 2014年10月30日)は東京都生まれ、北海道出身の歌人。小説家・三浦綾子の夫であり、財団法人三浦綾子記念文化財団理事長、三浦綾子記念文学館館長を務めた。.

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三浦綾子記念文学館

三浦綾子記念文学館(みうらあやこきねんぶんがくかん)は、北海道旭川市神楽7条8丁目にある作家・三浦綾子の偉業の数々を展示している北海道の登録博物館。運営は、公益財団法人三浦綾子記念文化財団。.

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三浦義同

三浦 義同(みうら よしあつ)は、戦国時代初期の武将。東相模の小大名。一般的には出家後の「三浦道寸」の名で呼ばれることが多い。 北条早雲の最大の敵であり、平安時代から続いた豪族・相模三浦氏の事実上の最後の当主である。.

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三浦為春

三浦 為春(みうら ためはる)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。三浦長門守家初代当主。妹に徳川家康の側室・養珠院(於万)。紀州藩祖・徳川頼宣と水戸藩祖・徳川頼房の伯父に当たる。.

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三浦敏明

三浦 敏明(みうら としあき、1936年7月28日 - )は、日本の英文学者・英語学者・歌人。東洋大学名誉教授。 父の任地東京府(現稲城市)生まれ。徳島県阿波市出身。1961年東洋大学文学部英米文学科卒業。67年同大学院文学研究科博士課程修了。東洋大学工学部助教授、教授、文学部教授。2007年定年退任、名誉教授。R・L・スティーヴンスンの研究、日本文体論学会、日本英語学会、国際異文化学会。湖笛会会員。.

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下の句かるた

下の句かるた(しものくかるた)は、北海道で遊ばれる独特のかるた遊び。百人一首歌がるたの一種である。読み札は一般的な百人一首と同じく歌人の肖像・名・和歌が書かれた紙の札を用いるが、読み上げるのは下の句のみであるためこの名で呼ばれる。取り札はホオノキなどの木製で、独特な書体の変体仮名で下の句が書かれている。「板かるた」とも呼ばれている。.

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下市町

下市町(しもいちちょう)は、奈良県南部の町。.

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下田歌子

下田 歌子(しもだ うたこ、出生名:平尾 鉐(ひらお・せき)、安政元年8月9日(1854年9月30日) - 昭和11年(1936年)10月8日)は、日本の明治から大正期にかけて活躍した教育者・歌人。女子教育の先覚者で、生涯を女子教育の振興にささげ、実践女子学園の基礎も築いた。美濃国恵那郡岩村(現在の岐阜県恵那市)出身。.

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下駄

一般的な下駄 下駄(げた)は、鼻緒があり、底部に歯を有する日本の伝統的な履物 特許庁。足を乗せる木板に「歯」と呼ばれる接地用の突起部を付け(歯がないものもある)、「眼」と呼ぶ孔を3つ穿って鼻緒を通す。足の親指と人差し指の間に鼻緒を挟んで履く(歴史的には、人差し指と中指の間に鼻緒を挟む履き方もあった)。.

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下諏訪町

下諏訪町(しもすわまち)は、長野県諏訪郡の町。平安時代には土武郷と呼ばれていた。 諏訪湖や八島ヶ原湿原、下諏訪温泉、諏訪大社などがある観光地かつ鳥居前町。かつては中山道、甲州街道が分岐する宿場として栄えていた。.

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下谷区

下谷区(したやく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の台東区の西部に位置していた。.

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下野宇都宮氏

下野宇都宮氏(しもつけうつのみやし)は藤原北家道兼流の名族・宇都宮氏の嫡流である。代々下野国司を務め、鬼怒川(当時は毛野川)流域一帯を治めた大身。奥州を見据える要衝の地・宇都宮及び日光の地を治める社務職(宇都宮検校等)を務め、京都との繋がりが強かった。 下野国は宇都宮氏の発祥地であり、当地の宇都宮氏が嫡流。庶流として豊前宇都宮氏(城井氏)があり、さらに伊予宇都宮氏、筑後宇都宮氏(蒲池氏)などがある。それらと区別するため本貫の下野の地名を付けて下野宇都宮氏と呼ばれる。.

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下村宏

下村 宏(しもむら ひろし、1875年(明治8年)5月11日 - 1957年(昭和32年)12月9日)は、明治・大正・昭和の官僚、新聞経営者、政治家、歌人。号は海南(かいなん)。 玉音放送の際の内閣情報局総裁であり、ポツダム宣言受諾の実現に尽力したことでも知られている。拓殖大学第6代学長。.

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下河辺長流

下河辺 長流(しもこうべ ちょうりゅう/しもこうべ ながる、寛永4年(1627年)? - 貞享3年6月3日(1686年7月22日))は、江戸時代前期の歌人・和学者。姓は片桐氏の家臣小崎氏であるが、母方の姓である下河辺氏を名乗る。名は共平。通称は彦六。別号は長龍、吟叟居。大和国立田の生まれとも、宇多の生まれともいう。 木下長嘯子に私淑し、俳諧連歌の祖西山宗因に連歌を学ぶ。三条西家に青侍として仕え、『万葉集』の書写・研究に努めた。その後、徳川光圀から『万葉集』の注釈を依頼されたが、病気のため没し、その後は交流のあった契沖に引き継がれた。1670年(寛文10年)に編修・刊行した「林葉累塵集(りんようるいじんしゅう)」は、最初の地下(じげ=一般庶民)の歌人による撰集である。戸田茂睡とともに江戸時代初期における国学の先駆者となった。 著書に「万葉管見」「万葉集名寄」、歌集に「晩花和歌集」がある。 ちようりゆう Category:江戸時代の青侍 Category:江戸時代の歌人 Category:国学者 Category:17世紀の学者 Category:1627年生 Category:1686年没.

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一ノ谷の戦い

一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦い。治承・寿永の乱(源平合戦)における戦いの一つ。.

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一色直朝

一色 直朝(いっしき なおとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、歌人、画家。古河公方、後北条氏の家臣。.

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一色持信

一色 持信(いっしき もちのぶ)は、室町時代の武将、歌人。.

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一握の砂

『一握の砂』(いちあくのすな、英語表記:A Handful of Sand)は、歌人・石川啄木の第一歌集。 石川啄木 序文を書いた「藪野椋十」こと渋川玄耳.

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一条ぎょく子

一条 頊子(いちじょう ぎょくし/たまこ、文永5年(1268年) - 建武5年/延元3年3月26日(1338年4月16日))は鎌倉時代後期の女官、歌人。摂政関白・一条実経の娘で、母は平成俊の娘。院号は万秋門院。 17歳年下の後二条天皇の後宮に入り、乾元2年(1303年)3月5日、従三位・尚侍となる。子女はなかった。天皇の崩御により徳治3年(1308年)閏8月に落飾。元応2年(1320年)准三宮となり、万秋門院の院号が与えられた。建武5年/延元3年(1338年)3月26日、71歳で死去。『新後撰和歌集』以下の勅撰和歌集には31首が入集しており、歌人としての活動も見られる。 『増鏡』では、後二条天皇がまだ幼少だった頃より上臈局として仕え、堀川基俊(後二条天皇の叔父)と深い仲だったが、基俊が関東に下った後に、後宇多上皇(後二条天皇の父)の寵愛を受けたとある。.

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一条内経

一条 内経(いちじょう うちつね、正応4年7月17日(1291年8月12日) - 正中2年10月1日(1325年11月7日))は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。父は内大臣一条内実、母は内実の父である一条家経の異母妹(すなわち内実の叔母)。妻は西園寺公顕の娘。号は芬陀利華院関白(ふんだりかいん かんぱく)。 正安元年(1301年)に元服して翌年に公卿に列する。嘉元2年(1304年)、父の急死によって14歳で一条家を継いだ。『玉葉和歌集』以下の勅撰和歌集や『文保御百首』・『続現葉集』などに採録される優れた歌人であったが、政治的な才には乏しかったという。それでも文保2年(1318年)には従一位関白・藤氏長者に昇ったが、35歳の若さで病死する。法号は、芬陀利華院。 一条家の菩提所として東福寺に芬陀院(ふんだいん)を建立した。 Category:摂関 Category:鎌倉時代の公家 Category:鎌倉時代の歌人 うちつね うちつね Category:1291年生 Category:1325年没.

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一条能清

一条 能清(いちじょう よしきよ)は鎌倉時代前期から中期にかけての公卿、歌人。非参議・藤原頼氏の次男。.

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九州大学の人物一覧

九州大学の人物一覧(きゅうしゅうだいがくのじんぶついちらん)は、九州大学および2003年に合併統合した九州芸術工科大学に関係する人物の一覧記事。前身の旧制福岡高等学校出身者については、福岡高等学校 (旧制)#著名な出身者参照。 ※多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア内に既に記事が存在する人物のみを記載する。.

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九条基家

九条 基家(くじょう もといえ)は、鎌倉時代中期の公卿・宮廷歌人。正二位内大臣。後九条内大臣、または鶴殿と号す。摂政太政大臣九条良経の三男。九条道家の異母弟。.

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九条しゅん子

九条 竴子(くじょう しゅんし/よしこ、承元3年旧5月22日(1209年6月25日)- 天福元年旧9月18日(1233年10月22日))は、鎌倉時代の后妃、国母、女院。後堀河天皇の中宮で、四条天皇と皞子内親王の母。女院号は藻璧門院(そうへきもんいん)。父は摂政関白左大臣九条道家、母は太政大臣西園寺公経女・掄子(綸子)。摂政関白左大臣九条教実、二条家の祖となった関白左大臣二条良実、鎌倉幕府第4代将軍・藤原頼経、一条家の祖となった摂政関白左大臣一条実経らは同母弟にあたる。.

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九条師教

九条 師教(くじょう もろのり)は、鎌倉時代後期の公卿。関白九条忠教の一男で、母は西園寺公相の女。正室は亀山天皇皇女(欠名)で、子に道教・覚尊(興福寺別当)がいる他、実弟房実を養子とした。号に己心院。浄土寺摂政。.

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九条武子

200px 九条 武子(くじょう たけこ、1887年(明治20年)10月20日 - 1928年(昭和3年)2月7日)は、教育者・歌人、後年には社会運動活動家としても活動した。.

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平基綱

平 基綱(たいら の もとつな、生没年不詳)は平安時代後期の貴族。歌人。桓武平氏高棟王流、紀伊守・平教成の子。子に家能がある。官位は従五位下・伊勢守。 父教成・叔父棟仲ともに歌人であった。康和4年(1102年)の放生会にて藤原忠実の使いとして馬を献上しているが、このとき伊勢守在任中であった。その他に蔵人を務め、従五位下に至った。勅撰和歌集には『金葉和歌集』に1首が入集する。.

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平将門

平 将門(たいら の まさかど、-將門)は、平安時代中期の関東の豪族。 平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。第50代桓武天皇の5世子孫祖父・平高望の父が葛原親王の場合は4世子孫。。 下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。 しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。 死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。武士の発生を示すとの評価もある。合戦においては所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使した。.

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平中物語

『平中物語』(へいちゅうものがたり/へいぢゅうものがたり。平仲物語とも書く)は、平安時代に成立した歌物語。作者や成立年は不詳。主人公の「平中」は、平安時代中期の歌人、平貞文(たいらのさだふみ(さだぶん))。『伊勢物語』の影響が大きい作品であるが伊勢物語に比べ地文が多いという。.

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平中興

平 中興(たいら の なかき、生年不詳 - 延長8年(930年))は、平安時代前期の貴族・歌人。桓武平氏高棟王流、右大弁・平季長の長男。神祇伯・忠望王の養子。官位は従五位上・左衛門権佐。.

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平希世

平 希世(たいら の まれよ、生年不詳 - 延長8年6月26日(930年7月24日))は、平安時代初期から中期にかけての貴族・歌人。仁明平氏、左馬頭・雅望王の子。官位は従四位下・右中弁。.

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平忠度

平 忠度(たいら の ただのり)は、平安時代の平家一門の武将。平忠盛の六男。平清盛の異母弟。.

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平忠盛

平 忠盛(たいら の ただもり)は、平安時代末期の武将。平清盛の父。烏帽子親は義兄の源義忠。 伊勢平氏で初めて昇殿を許された。北面武士・追討使として白河院政・鳥羽院政の武力的支柱の役割を果たすとともに、諸国の受領を歴任し、日宋貿易にも従事して莫大な富を蓄えた。その武力と財力は次代に引き継がれ、後の平氏政権の礎となった。歌人としても知られ、家集『平忠盛集』がある。.

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平出修

平出 修(ひらいで しゅう、1878年(明治11年)4月3日 - 1914年(大正3年)3月17日)は、日本の小説家・作家・歌人・弁護士。幸徳事件(大逆事件)で弁護人をつとめた。.

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平兼盛

平兼盛(菊池容斎画/江戸時代) 平 兼盛(たいら の かねもり、生年不詳 - 正暦元年12月28日(991年1月16日))は、平安時代中期の歌人・貴族。臣籍降下前は兼盛王と称す。光孝平氏、大宰大弐・平篤行の三男。官位は従五位上・駿河守。三十六歌仙の一人。.

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平元規

平 元規(たいら の もとのり、生年不詳 - 延喜8年(908年)?)は、平安時代前期の貴族、歌人。桓武平氏高棟王流、播磨介・平中興の子。官位は従五位下・左衛門大尉。.

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平福百穂

平福百穂(ひらふく ひゃくすい、1877年(明治10年)12月28日 - 1933年(昭和8年)10月30日)は、日本画家、歌人。.

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平篤行

平 篤行(たいら の あつゆき、生年不詳 - 延喜10年(910年)1月)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。光孝平氏、山城守・興我王の次男。子に兼盛がいる。官位は従五位上・筑前守。.

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平経盛

平 経盛(たいら の つねもり)は、平安時代末期の平家の武将。平忠盛の三男。平清盛の異母弟。平敦盛らの父。.

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平経正

平 経正(たいら の つねまさ)は、平安時代末期の平家一門の武将。歌人。平経盛の長男で、平敦盛の兄。平清盛の甥にあたる。.

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平田佐矩

平田 佐矩(ひらた すけのり、1895年(明治28年)9月26日 - 1965年(昭和40年)12月6日)は、富田一色平田家の4代目当主。平田紡績の4代目社長。2代目平田佐次郎の3男。三重県四日市市出身の政治家でもあり富洲原町会議員を経て第11代四日市市長となった。実業家(平田紡績社長)に加えて趣味として和歌や短歌を創作する歌人・俳句を創作する俳人などの文芸活動をする文化人でもある。四日市コンビナートを誘致して四日市市(四日市港周辺の臨海部)を重工業化させた功労者である反面、四日市ぜんそくを発生させた四日市公害の責任者でもある。.

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平行盛

平 行盛(たいら の ゆきもり)は、平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の次男である平基盛の長男。.

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平親清女・平親清女妹・平親清四女・平親清五女

鎌倉時代中期の武士・歌人であった佐分親清(平親清)には、歌人として活躍した複数の娘がいたことが知られているが、文献により呼び名が異なり各々の詳細な伝記も明らかではないことから、それらの間の同定も人数の確定も困難である。本項目では、該当する複数の歌人をまとめて記述する。 伝冷泉為相筆断簡 - 中央に平親清四女集の歌 - なくなくも みやまにふかく いるしかの なみたやのこる のへのしら露 - が見える.

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平貞文

平 貞文(たいら の さだふみ/さだふん、貞観14年(872年)? - 延長元年9月27日(923年11月8日))は、平安時代中期の貴族・歌人。名は定文とも記される。桓武天皇の玄孫。右近衛中将・平好風の次男。官位は従五位上・左兵衛佐。中古三十六歌仙の一人。一般に平中(へいちゅう/へいぢゅう)と呼ばれた。.

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平賀元義

平賀 元義(ひらが もとよし、寛政12年7月3日(1800年8月22日) - 慶応元年12月28日(1866年2月13日))は、幕末期岡山の国学者、歌人、書家。 賀茂真淵に私淑し独学により国学を修め、中国地方の地理歴史、神社史研究に打ち込んだが、本人は余技とした万葉調の和歌により名を知られる。また、その独特の筆跡で能書家としても愛好されている。元の姓は平尾、幼名は猪之介、後に七蔵とした。喜左衛門、丹介とも称す。名は直元、長元、義元とも言う。また、祖母の姓を借り、興津(沖津)姓を名乗ったこともあった。号は源猫彦(ねこのひこ)、吉備雄、備前処士等。友人に同じく国学者、歌人の萩原広道がいる。.

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平野万里

平野 万里(ひらの ばんり、1885年5月25日 - 1947年2月10日)は、歌人、詩人である。本名は平野久保(ひさやす)八角真、明治大学教養論集、1968-03。 埼玉県北足立郡大門町(現:さいたま市緑区)の甚三の次男として生まれる。1890年一家が上京し、本郷森川町三二番地に住んだ。実家は煙草屋を営み、生まれたばかりの森於莵を5歳まで預かった。 本郷区立駒本尋常高等小学校を経て、当時、錦城、共立、日本中学と並んで、東京の四大私立学校の一つに数えられていた有名校郁文館中学に学ぶ。同校を1901年卒業の年、新詩社入社、翌年9月一高入学。1905年東京帝大工科大学応用化学科に進んだ。「明星」に短歌・詩・翻訳などを多数発表している。1907年、歌集『わかき日』刊行。 1908年に大学を卒業、その翌年横浜の会社に入り、1910年満鉄中央試験所の技師として大連に赴任する。その間「明星」廃刊のあと、石川啄木らと「スバル」創刊に尽し、同誌に小説・戯曲を発表している。1912年末から1915年までドイツに留学、帰国後農商務省技師となり、1938年商工省退官まで勤めた。大正前期作歌は一時中断したが、1921年第二次「明星」創刊に参画してから、与謝野夫妻が没するまで与謝野鉄幹、与謝野晶子夫妻と相伴うようにして協力し、同行して作品を発表した。1923年には、『鴎外全集』の編集子も務めている。 妻で歌人の玉野花子とともに、多磨霊園に眠る。.

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平重義

平 重義(たいら の しげよし、生没年不詳)は平安時代中期の貴族。桓武平氏高棟王流、参議・平親信の子。官位は従四位下・安芸守。子に教成・棟仲がいた(ともに歌人)。 主に摂関家の許で活動し、東三条院判代官、上野介、安芸守を歴任する。長和4年(1015年)藤原道長の家司として従四位下に叙せられた。万寿2年(1026年)頃までの活動が見られるが、没年は不明。.

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平棟仲

平 棟仲(たいら の むねなか、生没年不詳)は平安時代中期から後期にかけての貴族。歌人。桓武平氏高棟王流、安芸守・平重義の子。官位は従五位上・周防守。周防内侍の父。 史料上の初見は万寿2年(1025年)7月で、藤原能信の雑人の狼藉を訴えている。当時、丹生使に任ぜられており、蔵人・検非違使を務めていた。その後、周防守・因幡守を歴任。位階は従五位上に至った。長暦2年(1039年)並びに長久2年(1041年)に「権大納言師房歌合」に出詠。同家の歌合では講師も務めたという。長暦4年(1040年)には内侍所御神楽に歌人として召されている。和歌六人党のひとりであったが、勅撰和歌集への入集は『後拾遺和歌集』の2首のみであった。.

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幻戯書房

幻戯書房(げんきしょぼう)は、文芸書を中心とした日本の出版社である。.

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乾政彦

乾 政彦(いぬい まさひこ、1876年11月 - 1951年4月)は、奈良県出身の法学者、弁護士、貴族院議員。弟の東季彦と共に佐佐木信綱門下の歌人としても知られた。.

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乗鞍岳

乗鞍岳(のりくらだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)南部の長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる剣ヶ峰(標高3,026m)を主峰とする山々の総称。山頂部のカルデラを構成する最高峰の剣ヶ峰、朝日岳などの8峰を含め、摩利支天岳、富士見岳など23の峰があり、広大な裾野が広がる。飛騨側の高山市街地などから大きな山容を望むことができ、親しまれてきた山である垣外富士男 (2002)、186頁。.

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乗阿

乗阿(じょうあ、天文9年(1540年)- 元和5年7月19日(1619年8月28日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての時宗の僧・歌人。号は一華堂。甲斐国の出身で、甲斐国の武将武田信虎の猶子となる。 1547年(天文16年)駿河国長善寺の体光について学び、長善寺の住持を継いだという。その後上洛して連歌師の里村紹巴と交流し、また公家三条西公条・三条西実澄から源氏物語、伊勢物語、古今和歌集などを学んだ。 1602年(慶長7年)最上義光の連歌師として山形に招かれる。後に京の七条道場金光寺に戻り1605年(慶長10年)には後陽成天皇に進講している。 Category:時宗の僧 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:江戸時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:江戸時代の歌人 Category:甲斐国の人物 Category:1540年生 Category:1619年没.

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久山秀子

久山 秀子(ひさやま ひでこ、1896年(明治29年)12月11日 - 1976年(昭和51年)12月5日)は、日本の探偵小説家。 覆面作家であり、女性名義で作品を発表していたが、実際は男性である。本名は片山 襄(かたやま のぼる)、のち改名し芳村 升(よしむら のぼる)。別名義に久山千代子、富田達観、片山秀。 代表作は、女スリ師の隼お秀(はやぶさ おひで)こと久山秀子を主人公とする、「隼お秀」シリーズ。.

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久保猪之吉

久保 猪之吉(くぼ いのきち、1874年12月26日 - 1939年11月12日)は日本の医学博士、歌人・俳人。京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学、現九州大学)教授。.

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久喜市

久喜市(くきし)は、埼玉県東部に位置する市。人口は狭山市に次ぐ県内12位。2017年(平成29年)7月1日現在の人口は154,033人(男性76,884人、女性77,149人)。.

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久々湊盈子

久々湊 盈子(くくみなと えいこ、1945年2月10日 - )は歌人。歌誌「合歓」編集発行人。千葉県歌人クラブ会長。.

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久米広縄

久米 広縄(くめ の ひろただ/ ひろつな、生没年不詳)は、奈良時代中期の歌人・官人。姓(カバネ)は朝臣。官職は越中掾.

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久留米大学附設中学校・高等学校

久留米大学附設中学校・高等学校(くるめだいがくふせつちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、福岡県久留米市野中町20番2号に所在し、中高一貫教育を提供する学校法人久留米大学が運営する私立中学校・高等学校。高等学校においては、中学校から入学した生徒と高等学校から入学した生徒との間では第2学年で混合したクラスを編成する併設混合型中高一貫校。 略称は久留米大附設、あるいは単に附設(「付設」は本来誤表記だが、新聞記事ではこちらが用いられる)。 「附属中」と間違われることがあるが、この場合同じ久留米市内の「福岡教育大学附属久留米中学校」を指すことになる。市内を走る久留米市内を走る西鉄バスの行先表示機では、当校は「附設高」、附属久留米中学校は「附属校前」という風に略称を変えて混同を防いでいる。.

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久松潜一

久松 潜一(ひさまつ せんいち、1894年12月16日 - 1976年3月2日)は、日本の国文学者。文学博士。.

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久木田真紀

久木田 真紀(くきだ まき)は、日本の歌人。1989年の第32回短歌研究新人賞を「時間(クロノス)の矢に始めはあるか」30首で受賞した。藤沢螢の別名がある。.

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久我通光

久我 通光(こが みちてる)は、鎌倉時代前期の公卿・歌人。内大臣・源通親の三男であるが、後鳥羽天皇の乳母・藤原範子所生のため嫡男の扱いを受ける事になった。範子の連れ子で異父姉の承明門院が土御門天皇を生んでいる。一般的には久我家の祖と考えられている。官位は従一位・太政大臣。後久我太政大臣と号す。新三十六歌仙の一人。.

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座敷

座敷(ざしき)は、日本における居住空間の呼称の一つであり、以下に示すような複数の語義がある。.

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京都大学吉田寮

京都大学 吉田寮(きょうとだいがく よしだりょう)は京都大学吉田キャンパス吉田南構内にある学生寄宿舎, CNN Travel, By Roy Berman 4 May, 2010 。吉田寮自治会によって運営される自治寮でもある。築104年の吉田寮現棟は第三高等中学校・京都帝国大学の遺構にして、日本最古の現役学生寮現存する最古の学生寮として建てられた建物は龍谷大学南北黌(1879年竣工・重要文化財)だが、今は学生寮として使用されていない。学生寮の機能を維持しているのは吉田寮が最古である。そういう意味で「日本最古の現役学生寮」、築128年の吉田寮食堂は第三高等中学校の遺構にして、京大最古の大学建築物以前は第三高等中学校物理学実験場が京大最古の大学建築物と言われていたが、吉田寮食堂が四ヶ月早く竣工したことがわかったである。 京都大学の規程での名称は「京都大学学生寄宿舎吉田寮」。京都大学に他の学生寮がなかった時代は「学生寄宿舎」「京大寄宿舎」などと呼んでいた 京都大学大学文書館 2009年 所収 河西秀哉「『吉田寮関係資料について」。.

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京都大学短歌会

京都大学短歌会(きょうとだいがくたんかかい)は、京都大学の学生が中心になって創設した短歌会である。「京大短歌」とも呼ばれる。京都大学に限らず関西の各大学から部員が集まる。 現顧問は短歌会OBで京都大学教授の島田幸典(政治学者、歌人)。前顧問はOBで京都大学名誉教授の永田和宏(細胞生物学者、歌人)。塔短歌会との関係が深い。.

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京都女子大学の人物一覧

京都女子大学の人物一覧(きょうとじょしだいがくのじんぶついちらん)は、京都女子大学に関係する人物の一覧記事である。.

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京都女子中学校・高等学校

京都女子中学校・高等学校(きょうとじょし ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、京都府京都市東山区今熊野北日吉町にある浄土真宗本願寺派(西本願寺派)の私立中学校・高等学校。通称、「京女」。.

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京都府立嵯峨野高等学校

京都府立嵯峨野高等学校(きょうとふりつ さがのこうとうがっこう)は、京都府京都市右京区常盤段ノ上町に所在する府立高等学校。 ユネスコスクール、スーパーグローバルハイスクール、スーパーサイエンスハイスクールに加盟している。.

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京極

京極(きょうごく)は、平安京における東西の果てである。.

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京極為兼

京極 為兼(きょうごく ためかね)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。名前の読みを「ためかぬ」とする説もある。.

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京極為教

京極 為教(きょうごく ためのり)は、鎌倉時代中期の公卿・歌人。藤原北家御子左流、権大納言藤原為家の三男。京極家の祖。.

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庭田経有

庭田 経有(にわた つねあり)は、室町時代前期の公家。権大納言庭田重資の子。姉資子が崇光天皇の典侍として伏見宮栄仁親王を生んで以来、宮家との関わりが深く、その家司を務めた。後花園天皇の外祖父に当たる。 詳しい経歴は不明であるが、叙爵を受けた後、正平19年/貞治3年(1364年)1月正五位下に叙され、間もなく従四位下・右少将に至る。伏見宮家司を務め、その御領である近江山前北荘を拝領した。応永5年(1398年)5月栄仁親王の落飾に先立ち出家。法名を明堯という。同19年(1412年)5月15日に卒し、伏見に葬られた。享年は60代か。 後花園天皇の外祖父に当たることから、33年忌の文安元年(1444年)5月6日に左大臣・従一位を追贈されたが、当時は出家した人物への贈官は希有な例とされた。『新続古今和歌集』に1首入集した歌人である他、琵琶も嗜んでいる。また、日記の自筆断簡(応永5年5月18日~26日記)が宮内庁書陵部所蔵の伏見宮御記録の中に現存する。.

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亮子内親王

亮子内親王(りょうし(あきこ)ないしんのう、久安3年(1147年) - 建保4年4月2日(1216年4月27日))は、第77代後白河天皇の第1皇女。母は藤原成子(高倉三位。藤原季成の女)。伊勢斎宮、のち安徳天皇・後鳥羽天皇の准母・皇后宮、女院。院号は殷富門院(いんぷもんいん)、法名は真如観。同母弟妹に守覚法親王・以仁王・好子内親王・式子内親王・休子内親王がいる。.

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康珍化

康 珍化(かん ちんふぁ、1953年6月24日 - )は、日本の作詞家。在日韓国人2世である。森田 記(モリタ シルス)の名義でも山本譲二、南野陽子などのアーティストに作詞を提供している。 静岡県浜松市出身。静岡県立浜松西高等学校、早稲田大学文学部卒業。大学在学中、藤原龍一郎らと早稲田大学短歌会で活躍。.

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二上山 (富山県)

二上山(ふたがみやま、ふたがみさん)は、富山県の高岡市と氷見市に跨がる標高274mの山。高岡市の最高峰である。.

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二条為定

二条 為定(にじょう ためさだ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿・歌人。(為通)の子。 父は早くに死去し、元亨3年(1323年)に参議となる。叔父のの感化を受け、正中2年(1325年)に後継者として『続後拾遺和歌集』を撰集した。はじめ姉妹の権大納言三位局(懐良親王らの母)が宮人として仕えていた後醍醐天皇に近侍したが、元弘の変以後は天皇に従わず、北朝側に通じて延文4年/正平14年(1359年)に『新千載和歌集』(二条良基や足利尊氏の推挙による)を撰出し、南北朝動乱の時期の歌道師範の家を守った。なお、文和4年/正平10年(1355年)8月17日に出家し釈空と称するようになった。 為定の和歌は、『玉葉和歌集』以下の勅撰和歌集や『続現葉和歌集』以下の私撰和歌集に多数入集し、『文保御百首』などの定数歌もある。彼の詠歌を集めた『為定集』は2系統あり、一方は私撰集で、他方は為定の家集だが、いずれも為定自身ではなく、後人の撰によるものである。 ためさた Category:鎌倉時代の公家 Category:室町・安土桃山時代の公家 Category:鎌倉時代の歌人 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:1293年生 Category:1360年没.

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二条為世

二条 為世(にじょう ためよ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての公卿・歌人。歌道二条派の祖二条為氏の長男。極官が権大納言だったので藤大納言とも呼ばれた。.

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二条為遠

二条 為遠(にじょう ためとお)は、南北朝時代から室町時代にかけての公卿・歌人。二条為定の子。「二条為遠」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社。 貞治3年(1364年)に参議となる。応安2年(1369年)に権中納言となる。応安6年(1373年)に従二位となる。永和4年(1378年)に権大納言となる。 後光厳天皇に重用されて順調に出世をするが、関白二条良基に疎まれ、庶流の二条為重が後円融天皇・足利義満など実力者に重用されるようになりしだいに歌壇での立場があやくなった。 永和元年(1375年、義満の推薦により『新後拾遺和歌集』の撰者に任ぜられたが、為遠の怠惰により作業が遅々として進まず度々義満より叱責を受けた。酒に溺れて未完のまま病没した。.

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二条為氏

二条 為氏(にじょう ためうじ)は、鎌倉時代中期の公卿・歌人。藤原北家御子左家の嫡流で、権大納言藤原為家の長男。和歌の家である二条家(二条派)の祖。.

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二条良基

二条良基邸・二条殿址・京都市中京区両替町通御池上る東側 二条良基邸・二条殿御池址・京都市中京区室町通押小路下る東側 二条 良基(にじょう よしもと)は、の公卿、歌人であり連歌の大成者である。従一位。摂政、関白、太政大臣。 最初の関白は在任13年間の長期にわたり、死の間際まで通算5度(数え方によっては4度(理由は後述))にわたって北朝4代の天皇の摂政・関白を務めた。.

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二条院三河内侍

二条院三河内侍(にじょういんのみかわのないし 、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人である。伊賀入道寂念こと加賀守藤原為業の娘(為業の子範玄の娘とも)。三条実綱との間に七条院大納言、従五位下侍従三条公仲を産んでいる。女御家兵衛佐とも呼ばれた。歌人としては、単に三河内侍で二条院三河内侍を指す。.

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二条院讃岐

二条院讃岐 - 土佐光貞画 芝山持豊筆 文化五年版百人一首 二条院讃岐(にじょういんのさぬき、生没年不詳:1141年(永治元年)頃 - 1217年(建保5年)以降)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人である。女房三十六歌仙の一人。父は源頼政。母は源斉頼の娘。同母兄に源仲綱があり、従姉妹に宜秋門院丹後がある。内讃岐、中宮讃岐とも称される。.

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二条満基

二条 満基(にじょう みつもと)は、室町時代中期の公卿・関白。.

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二条持基

二条 持基(にじょう もちもと)は、室町時代中期の公卿・歌人。.

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二条教基

二条 教基(にじょう のりもと)は、南北朝時代の公卿・歌人。関白左大臣二条師基の子。南朝に仕えた。.

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二条教頼

二条 教頼(にじょう のりより)は、南北朝時代の公卿・歌人。系譜は明らかでないが、関白左大臣二条師基の子にして、関白左大臣二条教基の弟と推定される。あるいは教忠や教嗣(のりつぐ)と同一人か。南朝に仕えた。.

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二条教良

二条 教良(にじょう のりよし)は鎌倉時代中期の公卿。二条と号した。従一位、権大納言。 関白左大臣二条良実の二男。兄弟に二条道良、二条師忠、二条兼基、二条経通らがいる。二男とされているが実は良実の嫡男二条道良と同い年である可能性が高い。母の出自の差により、兄道良が早世したあとは弟の師忠が家嫡にたてられたと考えられる。娘である二条教良女は歌人として名高い。.

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広坂安伸

広坂 安伸(ひろさか やすのぶ、1963年10月1日 - )は、NHK神戸放送局のシニアアナウンサー。.

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広坂早苗

広坂早苗(ひろさか さなえ 1965年 - )は日本の歌人。愛知県名古屋市生まれ。.

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広島大学附属中学校・高等学校の人物一覧

広島大学附属中学校・高等学校の人物一覧(ひろしまだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこうのじんぶついちらん) 広島大学附属中学校・高等学校の出身者、教職員などの関係者一覧。.

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広島県出身の人物一覧

広島県出身の人物一覧(ひろしまけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する広島県出身の人物の一覧表である。.

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広島県立三次高等学校

広島県立三次高等学校(ひろしまけんりつ みよしこうとうがっこう)は、広島県三次市南畑敷町に所在する公立の高等学校。略称は「三高」(さんこう)。.

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広島県立広島観音高等学校

広島県立広島観音高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまかんおんこうとうがっこう)は、広島県広島市西区南観音町にある県立の高等学校。全日制課程・定時制課程を有している。.

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広谷鏡子

広谷 鏡子(ひろたに きょうこ、1960年12月17日 - )は、日本の小説家。 香川県丸亀市生まれ。香川県立丸亀高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業後、NHKに入局。NHK放送文化研究所専任研究員などを務める。1995年、「その如月の望月のころ」(「不随の家」と改題)で第19回すばる文学賞受賞、1997年、「げつようびのこども」で第118回芥川賞候補。丸亀市文化観光大使。文楽好きであり、同じく文楽愛好家である歌人・松平盟子が主宰する短歌誌「プチ☆モンド」に連載を持つ。.

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広野三郎

広野 三郎(ひろの さぶろう、1897年(明治30年)4月10日 - 1968年(昭和43年)4月4日)は、歌人。 東京出身。國學院大學卒。1915年『アララギ』に入会し、島木赤彦、斎藤茂吉に師事。1926年東京帝国大学史料編纂所業務嘱託、1927年史料編纂官補、1946年事務官、1954年東京大学史料編纂所助手、1958年講師、1962年退官。歌人としては1950年『白埴』を創刊、1953年『草苑』と合同して『久木』を主宰。.

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広橋兼勝

広橋 兼勝(ひろはし かねかつ、永禄元年10月23日(1558年12月2日) - 元和8年12月18日(1623年1月18日))は、安土桃山時代、江戸時代初期の公家、歌人。藤原北家日野流、家格は名家で、広橋国光の子。母は高倉永家の娘。兄に日野輝資、弟に日禎(本圀寺16世、常寂光寺開山)がおり、兄が本家筋の日野家を継いだことで兼勝が広橋家の嫡子(跡取り)となった。子に広橋総光(- ふさみつ)、油小路隆基(あぶらのこうじ たかもと)、鷲尾隆量、新遍、観助、広橋局、樋口信孝室、中御門宗保室、裏辻季福室。号は後是称院。一字名は貢。法名は快寂。官位は権大納言(慶長2年叙任)、従一位内大臣(元和4年叙任)。勧修寺光豊とともに江戸幕府初代の武家伝奏(慶長8年(1603年) - 元和5年(1619年))。 慶長8年(1603年)、徳川家康に征夷大将軍の内示を与えた。大坂冬の陣でも両軍の和睦を尽力する。武家伝奏として朝廷と幕府の融和に努め、「出頭無双」といわれその権勢は大きかったが、幕府に譲歩も強いられ「奸佞の残賊」と罵られる存在でもあったという。 また1609年には、猪熊事件に関与した娘の広橋局が、伊豆新島に配流されている。.

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五島美代子

五島 美代子(ごとう みよこ、1898年(明治31年)7月12日 - 1978年(昭和53年)4月15日)は、日本の歌人。東京出身。本名は美代。父は歌人・動物学者の五島清太郎。夫は歌人・経済史学者の五島茂。 1915年佐佐木信綱の『心の花』に入会。1925年、東京大学文学部聴講生。1929年には茂、前川佐美雄、栗原潔子らと新興歌人連盟を結成、短歌雑誌『尖端』を創刊し、坪野哲久らが結成したプロレタリア歌人同盟にも加盟。新興歌人連盟解散後、茂とともに歌誌『立春』を主宰した。1940年、伝説的な合同歌集「新風十人」(八雲書林)に参加。戦後は葛原妙子、森岡貞香、長沢美津らとともに「女人短歌会」に参加した。 成長する我が子に対する愛情、喜びなどを歌にし、「母の歌人」と呼ばれる。後の急逝した長女を歌った、哀惜の情あふれる歌も多い。1958年には第9回読売文学賞を「新輯母の歌集」で受賞。1959年より皇太子妃美智子の御歌指南。1971年、紫綬褒章。 墓所は豊島区駒込の染井霊園。.

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五島茂

五島 茂(ごとう しげる、1900年12月5日 - 2003年12月19日)は、日本の歌人、経済史学者。.

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五島清太郎

五島 清太郎(ごとう せいたろう、1867年9月15日(慶応3年8月18日) - 1935年(昭和10年)7月20日)は日本の動物学者。東京帝国大学教授。寄生虫関連の研究で知られる。歌人 五島美代子の父。.

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五味保義

五味 保義(ごみ やすよし、1901年8月31日 - 1982年5月27日)は、長野県下諏訪町出身の歌人、万葉学者である。 旧制諏訪中学卒業。東京高等師範学校文科を出て、京都帝国大学国文科卒業。中学時代より同郷の島木赤彦の影響を受け、短歌の道を志した。1929年上京後、齋藤茂吉、土屋文明の指導を受けながら歌誌「アララギ」の発行に携わり、特に戦後は、世田谷区奥沢の自宅を「アララギ」発行所として専念した。数多くの学校で教壇に立ち、日本女子大学の教授も勤めた。末弟はやはり万葉学者の五味智英。 初期の歌風は、赤彦の影響により自然詠が主体であったが、中期は文明の指導で現実に即した生活詠も作るようになった。晩年は病を得たこともあり、写実に加え人間味ある歌風の新境地に入った。文明の万葉集研究を手伝ったことから自らも万葉集の研究に深く係わった。 .

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五味智英

五味 智英(ごみ ともひで、1908年11月30日 - 1983年3月9日)は、日本の文学者(上代文学)、万葉集の権威である。 長野県下諏訪町出身。旧制諏訪中学、第一高等学校を経て、1935年、東京帝国大学文学部国文科卒業。旧制第一高等学校教授、東京大学教授、文学部長、同名誉教授。学習院大学教授。上代文学会会長等歴任。 1980年11月3日叙勲二等授瑞宝章。 長兄はアララギ歌人でやはり万葉学者の五味保義。.

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五条局

五条局(ごじょうのつぼね、生年不詳 - 建久4年2月13日(1193年3月17日)『俊成家集(長秋草)』/松野陽一・𠮷田薫『藤原俊成全歌集』2007年, 笠間書店(ISBN 978-4305703286))は、平安時代後期から鎌倉時代初期の女房・歌人。父は若狭守藤原親忠、母は美福門院の乳母伯耆(美福門院伯耆)。実名は不詳であり、一般に美福門院加賀(びふくもんいんのかが)と呼ばれる。.

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五所美子

五所 美子(ごしょ よしこ、1944年10月1日 - )は歌人。.

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庄武憲太郎

庄武 憲太郎(しょうたけ けんたろう、1893年2月22日 - 1952年5月27日)は、昭和時代戦前の日本の作詞家、歌人、旧制中学校教諭。号は春鳥(しゅんちょう)大分合同新聞社百年史、116ページ。。大分県出身。.

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井上奈奈

井上 奈奈(いのうえ なな)は、京都府舞鶴市出身の日本の現代アーティスト・絵本作家。.

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井上孚麿

井上 孚麿(いのうえ たかまろ、1891年(明治24年) - 1978年(昭和53年))は、日本の歌人・法学者。台北帝国大学教授、法政大学教授、亜細亜大学教授。.

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井上羽城

井上 羽城(いのうえ うじょう、1871年3月29日(明治4年2月9日) - 1947年(昭和22年)9月30日)は、福井県出身の歌人。新聞記者(徳島毎日新聞)。.

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井上通女

井上 通女(いのうえ つうじょ、万治3年6月11日(1660年7月18日) - 元文3年6月23日(1738年8月8日)) は、江戸時代の歌人。幼名は「初」。別名に振、玉、感通。井上儀左衛門の娘。 父親の儀左衛門は朱子派の儒者であった。母親は渡辺孫左衛門の娘栄林尼(名前は栄)。 母親から和歌、堀江治部斎から書道を学び、年齢1桁の若い頃から学問に通暁、16~17歳の時、著書「処女賦」・「深閏記」を執筆。 22歳の時、当時の丸亀藩主・京極高豊の母・養性院に出仕することとなり、彼女に随伴して江戸へ向かう。この道中で「東海日記」を執筆。江戸での在住中に「江戸日記」を執筆する。 30歳の時、養性院が没する。それに伴い、帰郷する。道中、「帰家日記」を執筆した。 帰郷後、丸亀藩士・三田宗寿(茂左衛門)と結婚。彼との間には三男二女を儲ける。 1710年、夫宗寿が没する。家の名跡は三田宗衍が継承した。通女はその後、末子の三田義勝を貢献しながら文芸活動を続ける。1738年、79歳で没。墓所は、丸亀市南条町の法音寺にある。 通女の執筆した「東海日記」「江戸日記」「帰家日記」は、三日記と呼ばれ、「江戸文学の粋」と称された。この三日記は、その後、丸亀市により150万円で購入され、2014年1月から3月まで期間限定で公開されたこともある。.

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井上通泰

井上 通泰(いのうえ みちやす、1867年1月26日(慶応2年旧暦12月21日) - 1941年(昭和16年)8月15日)は、主に明治時代に活躍した桂園派の歌人・国文学者、また眼科を専門とする医師でもあった。名は故実読みでツウタイともいう。幼名は松岡泰蔵。雅号に南天荘。 実弟の一人に民俗学を大成した柳田國男がいる。.

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井伊文子

井伊 文子(いい ふみこ、1917年5月20日 - 2004年11月22日)は、尚昌の子女で琉球国王尚泰の曾孫。日本の歌人、随筆家。聞得大君(19代)。.

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井伏鱒二

井伏 鱒二(いぶせ ますじ、1898年(明治31年)2月15日 - 1993年(平成5年)7月10日)は、日本の小説家。本名は井伏 滿壽二(いぶし ますじ)。広島県安那郡加茂村(現・福山市)生まれ。筆名は釣り好きだったことによる。.

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井出一太郎

井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 1996年6月2日)は日本の政治家。.

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井辻朱美

井辻 朱美(いつじ あけみ、1955年12月12日 - )は日本の翻訳家、ファンタジー小説家、歌人。東京大学理学部生物学科卒・同大学院人文系研究科比較文学比較文化専攻修了。白百合女子大学文学部児童文化学科教授。 トールキンなどの正当ファンタジーの愛好家として出発し石堂藍「挑戦するファンタジー」『幻想文学58 特集 女性ファンタジスト2000』、幻想文学企画室 編集、アトリエOCTA、2000年、英米のファンタジー小説を多く翻訳する。また自身も、ロード・ダンセイニなどの英米ファンタジーの世界観の影響を受けたファンタジー小説を多数著している。作風は軽やかで明るいものが多い。ファンタジー評論家の石堂藍は、言葉への深いこだわりを持ち、徹底して空想的な世界を描く作家と評し、山尾悠子と好一対のファンタジストと述べている。児童文学総合雑誌「ネバーランド」(てらいんく刊行)編集委員。 歌人としては短歌結社「詩歌」にて、前田夕暮の長男である前田透に師事した後、1984年より歌人集団「かばん」創刊メンバーとして所属。本人がFT短歌(ファンタジー短歌)と呼ぶ独特の世界観を持ったファンタジックな短歌を詠む。詩人・翻訳家の原葵は「壮大なスペース・ロマンが短歌の中で繰りひろげられている。どの歌もすべて物語の予感にみちている。」と評している。現在、同誌発行人。 オペラが趣味でドイツ語に長じ、NHK-BSで字幕を手がけた経験もある。裏千家茶道準教授、藤間流の日舞名取でもある。夫は哲学者の黒崎政男。.

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井関隆子

井関 隆子(いせき たかこ、1785年(天明5年)6月21日 - 1844年(天保15年)11月1日)は、江戸時代後期から幕末にかけて活躍した歌人、日記作者、物語作者。.

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井沢純

井澤 純(いざわ じゅん、1925年(大正14年) - 1996年(平成8年)5月12日)は、日本の図書館司書、評論家、作家、歌人。 旧制中学校教諭、東京大学文学部卒。1958年専任司書教諭。国立科学博物館附属自然教育園園長。道徳教育、図書館学についての著作のほか、小説、短歌をものした。.

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今川範政

今川 範政(いまがわ のりまさ)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての守護大名・歌人。駿河今川氏の第4代当主。 武将として上杉禅秀の乱の鎮圧をはじめとする多くの功績を挙げた一方で、和歌や書にも秀でた才能を示した。『源氏物語提要』などの著書がある。.

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今井健彦

今井 健彦(いまい たけひこ、1883年(明治16年)7月22日 - 1966年(昭和41年)1月20日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、文部政務次官、商工政務次官、農林参与官。ジャーナリスト。歌人の今井邦子は妻『人事興信録』。.

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今井康子

今井 康子(いまい やすこ、明治25年(1892年) - 昭和53年(1978年))は、日本の歌人。雅号葵明。.

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今井邦子

今井 邦子(いまい くにこ、明治23年(1890年)5月31日 - 昭和23年(1948年)7月15日、旧姓山田、本名くにえ)は、徳島市出身の「アララギ」の歌人、小説家。後に短歌誌「明日香」を創刊した。元通産省事務次官の両角良彦は甥にあたる。.

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今出河院近衛

今出川院近衛(いまでがわいんのこのえ、生没年不詳)は、鎌倉時代中期の女流歌人。今出河院近衛とも表記される。 藤原北家師実流大炊御門家庶流の鷹司家の出身で、父は大納言鷹司(藤原)伊平。陰明門院大炊御門麗子(土御門天皇中宮)は大叔母にあたる。今出川院西園寺嬉子(亀山天皇中宮)に仕える。 『続古今和歌集』以下の勅撰和歌集に26首入集。『和漢兼作集』には和歌だけでなく漢詩をも載せる。『徒然草』67段に以下のような記述があり、彼女が当時の歌壇において名声を得ていたことがわかる。 「今出川院近衛とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書きて、手向けられけり。まことにやんごとなき誉れありて、人の口にある歌多し。作文・詞序など、いみじく書く人なり。」 (今出川院近衛という名の歌人は、多くの歌集に歌を選ばれた女性であるが、若い頃から常に百首の歌を詠むような才媛で、岩本神社と橋本神社の前の水で墨をすって歌を書いて、神社に奉納していた。これらの神社の本当に素晴らしいご利益があって、人の口にのぼるような良い歌を多く詠んだという。彼女は漢文や漢詩の序文なども上手に書く優れた人であった).

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今野寿美

今野 寿美(こんの すみ、1952年5月10日 - )は、歌人。夫は同じく歌人の三枝昂之。2015年から宮中歌会始の選者を務めている。 東京都生まれ。本姓・三枝。横浜市立大学文理学部卒。1976年「まひる野」入会。1978年、「かりん」創刊に参加。馬場あき子に師事。1992年より「りとむ」短歌会編集人。.

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今橋愛

今橋 愛(いまはし あい、1976年 - )は、歌人。大阪府大阪市出身。 京都精華大学人文学部卒業。在学中に岡井隆の講義を受講し、23歳の頃から作歌をはじめる。2002年、『O脚の膝』で第1回北溟短歌賞(石川啄木賞の前身)を、穂村弘から高く評価され受賞。歌誌 、snell(雪舟えまとの二人誌)、未来短歌会、六本木詩人会に所属。ひらがなや多行書きを多用し、現代詩のような独特の表現スタイルを用いる。.

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今治市河野美術館

今治市河野美術館(いまばりしこうのびじゅつかん)は、愛媛県今治市にある美術館である。.

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仏教伝道文化賞

仏教伝道文化賞(ぶっきょうでんどうぶんかしょう)は財団法人仏教伝道協会(現在は、公益財団法人仏教伝道協会)が、仏教の普及・伝道に功績あった者に授与する賞。.

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廣瀬誠

廣瀬 誠(ひろせ まこと、1922年 - 2005年10月10日)は、日本の郷土史研究家。専門は富山県の郷土史。元富山県立図書館長・越中史壇会副会長・富山女子短期大学教授。富山県図書館協会顧問・立山博物館顧問・高岡市万葉歴史館運営協議会委員・立山カルデラ砂防博物館運営委員などを務めた。.

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令子内親王

令子内親王(れいしないしんのう、承暦2年5月18日(1078年6月30日) - 天養元年4月21日藤原頼長『台記』 天養元年四月廿六日条(1144年5月25日))は、平安時代後期の皇女、賀茂斎院である。白河天皇の第3皇女。母は中宮藤原賢子(六条右大臣源顕房の娘、関白藤原師実養女)。同腹の姉に、郁芳門院媞子内親王、弟に堀河天皇。二条大宮、二条太皇太后とも呼ばれた。 上醍醐陵(醍醐寺上醍醐境内).

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仲町六絵

仲町 六絵(なかまち ろくえ、1977年 - )は日本の小説家。.

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延岡城

延岡城(のべおかじょう)は宮崎県延岡市本小路に築かれた城である。もと「縣城(あがたじょう)」。別名「亀井城」。.

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建礼門院右京大夫

建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ、保元2年(1157年)? - 没年未詳)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての女流歌人。父は藤原(世尊寺)伊行。母は大神基政の娘で箏の名手である夕霧。名は伊子という説がある。 承安3年(1173年)高倉天皇の中宮建礼門院平徳子に右京大夫として出仕。藤原隆信、平資盛と恋愛関係にあり、資盛の死後、供養の旅に出たという。建久6年(1195年)頃後鳥羽天皇に再び出仕した。 家集に隆信、資盛との恋の歌を中心とする「建礼門院右京大夫集」がある。 山路の露の作者であるとする説がある。.

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建部氏

建部氏(たけべうじ)は、「建部」を氏の名とする氏族。.

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建春門院中納言

建春門院中納言(けんしゅんもんいんちゅうなごん、保元2年(1157年) - 没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女房・歌人。藤原俊成の娘。母は美福門院加賀。藤原定家の同母姉にあたる。この一家の例に漏れず才媛であった。 通称は健御前(藤原定家『明月記』による)。 女房名は中納言。出家後は九条尼と呼ばれた。.

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建春門院伯耆

建春門院伯耆(けんしゅんもんいんのほうき、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の歌人である。近江守卜部基仲の娘。神祇伯仲資王の妻。業資王・資宗王の母。内裏伯耆とも呼ばれた。.

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任天童子

『任天童子』(にんてんどうじ)は、かつて任天堂が行っていた会員サービス「クラブニンテンドー」のゴールド会員・プラチナ会員向けの特典として2013年4月3日にダウンロード配信されたローグライクゲーム。ニンテンドーDSiウェアだがニンテンドーDSiからはダウンロードできず、ニンテンドー3DSシリーズでのみプレイ可能。 2014年5月よりクラブニンテンドーのポイント交換グッズにも追加され、一般会員も入手できるようになった。しかし、2015年9月30日をもってクラブニンテンドーのサービスが終了したため現在は入手不可。.

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他阿

他阿(たあ、嘉禎3年(1237年)- 文保3年1月27日(1319年2月17日))は、鎌倉時代後期の時宗の僧。遊行上人2世。正しくは他阿弥陀仏と称し、他阿と略する。法諱は真教(ただし同時代史料にはみえず、初出は『本朝高僧伝』。燈心文庫に真教と署名のある文書があり、他阿に同定する説あり)。俗姓は源氏久我家ともいわれる。.

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仙覚

仙覚(せんがく)は鎌倉時代初期における天台宗の学問僧。権律師。中世万葉集研究に大きな功績を残した。建仁3年(1203年)生れとする説が有力。没年不詳。文永9年(1272年)、70歳の年まで存命したことは確実であるが、その生涯の伝記的事項には不明な部分が多い。.

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仙波龍英

仙波 龍英(せんば りゅうえい、1952年3月30日 - 2000年4月10日)は歌人。本名、仙波 龍太。.

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伊勢 (歌人)

佐竹本三十六歌仙絵巻より 伊勢(百人一首より) 伊勢 (いせ、872年(貞観14年)頃 - 938年(天慶元年)頃)は平安時代の日本の女性歌人。三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。藤原北家真夏流、伊勢守藤原継蔭の娘。伊勢の御(いせのご)、伊勢の御息所とも呼ばれた。.

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伊勢大輔

伊勢大輔(いせのたいふ/いせのおおすけ、永祚元年〈989年〉頃? - 康平3年〈1060年〉頃?)は、平安時代中期の日本の女流歌人。大中臣輔親の娘。高階成順に嫁し、康資王母・筑前乳母・源兼俊母など優れた歌人を生んだ。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。 '''伊勢大輔'''(小倉百人一首より).

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伊勢寺

伊勢寺(いせじ)は、大阪府高槻市にある曹洞宗の寺院である。山号は金剛山。本尊は聖観音菩薩。.

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伊勢市

伊勢市(いせし)は、三重県南東部に位置する都市である。市域の大半は旧度会郡であり、一部に旧多気郡域を含む。.

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伊勢集

伊勢集(いせしゅう)は平安時代の歌人伊勢の私家集。 宇多天皇の中宮藤原温子に仕えた女房、伊勢の家集である。伊勢は、『古今和歌集』の撰者時代の代表的歌人であり、同集には女性として最多の二十二首が入集している。また三十六歌仙、『小倉百人一首』の入選者の一人でもある。 伊勢集の諸本は三系統ある。最も古態を残すとされ、諸注が底本に用いているのは西本願寺本であり、他の二系統は歌仙家集本および群書類従本である。冒頭部分は自伝性が強い物語風の記述となっており、のちの『和泉式部日記』などに代表される女流日記文学に先駆けた内容となっている。本歌集収録の歌は、『新古今和歌集』や『小倉百人一首』にも採用されている。 Category:平安時代の歌集.

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伊馬春部

伊馬 春部(いま はるべ、1908年(明治41年)5月30日 - 1984年(昭和59年)3月17日)は日本の作家、劇作家。本名は高崎英雄。旧筆名は伊馬鵜平。戦前から戦後にかけてユーモア小説やラジオドラマなどの分野で活躍。釈迢空門下の歌人としても知られる。.

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伊賀少将

伊賀少将(いがしょうしょう、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人。藤原北家道隆流。藤原顕長(藤原伊周の子)の娘。祐子内親王 (後朱雀天皇皇女)の女房として仕えた。呼び名の伊賀少将は、父顕長が伊賀守だったことに因む。『後拾遺和歌集』に2首(歌番号119・946)、『金葉和歌集』二度本に1首(歌番号462)、それぞれ入集する。.

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伊藤史隆

伊藤 史隆(いとう しりゅう、1962年10月25日 - )は、朝日放送テレビ(ABC)ゼネラルアナウンサー。.

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伊藤左千夫

伊藤 左千夫(いとう さちお、1864年9月18日(元治元年8月18日) - 1913年(大正2年)7月30日)は日本の歌人、小説家。本名 幸次郎。.

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伊藤一彦

伊藤 一彦(いとう かずひこ、1943年9月12日 - )は、歌人。宮崎県立看護大学客員教授、宮崎県立図書館名誉館長。「心の花」所属。「現代短歌・南の会」代表。.

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伊藤平治郎

伊藤 平治郎(いとう へいじろう、1880年(明治13年)5月18日 - 1941年(昭和16年)1月三重県三重郡富洲原町(現在の四日市市富洲原地区)富田一色出身の政治家・実業家・歌人。.

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伊藤生更

伊藤 生更(いとう せいこう、1884年(明治17年)6月28日 - 1972年(昭和47年)7月27日)は、アララギ派の歌人。短歌結社「美知思波(みちしば)」創立者。山梨県北巨摩郡(現・韮崎市)出身。本名は、伊藤基胤(もとつぐ)。妹の権藤はなよ(権藤花代)は、唱歌「たなばたさま」の作詞者で童謡詩人。.

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伊藤文學

伊藤 文學(いとう ぶんがく、1932年3月19日 – )は、日本の実業家、出版社の経営者、雑誌編集者。日本初のゲイ雑誌『薔薇族』の創刊者・編集長として知られる。 祖父は救世軍士官で廃娼運動(女郎の解放運動)を行った伊藤富士雄、父は第二書房の創立者である伊藤禱一。先妻は前衛舞踏家の伊藤ミカ、末の妹はノンフィクション物語『限りある日を愛に生きて』『ぼくどうして涙がでるの』に登場する伊藤紀子(後に草薙紀子)。 趣味は西洋アンティークや古着の収集で、ロマンの泉美術館の設立、同館での蔵書票の展示などにも携わった。.

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会津八一

会津 八一(あいづ やいち、會津八一、1881年(明治14年)8月1日 - 1956年(昭和31年)11月21日)は、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人、渾斎。1951年に新潟市名誉市民。 .

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弁内侍

弁内侍が晩年隠棲したhttp://oginosato.jp/ 仰木の里付近の里山(滋賀県大津市) 弁内侍(べんのないし、生没年不詳)は、鎌倉時代初期に活躍した歌人である。『弁内侍日記』の作者。女房三十六歌仙の一人。藤原信実の娘。藻璧門院少将の妹、後深草院少将内侍の姉。後深草院弁内侍(ごふかくさいん の べんのないし)とも呼ばれた。.

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弁内侍日記

『弁内侍日記』(べんのないしにっき)は、鎌倉時代の女流歌人で、藤原信実の娘にあたる弁内侍によって記された日記である。.

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式乾門院御匣

式乾門院御匣(しきけんもんいんのみくしげ、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人。女房三十六歌仙の一人。太政大臣久我通光の娘。後深草院二条の叔母。安嘉門院三条とも呼ばれた。また、如月の法名で呼ばれ、嘉元2年(1304年)に没した通光の娘と同一人物とも言われる。.

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伏見天皇

伏見天皇(ふしみてんのう、文永2年4月23日(1265年5月10日) - 文保元年9月3日(1317年10月8日))は日本の第92代天皇(在位:弘安10年10月21日(1287年11月27日) - 永仁6年7月22日(1298年8月30日))。諱は熈仁(ひろひと)。書道の伏見院流の祖、京極派の有力歌人としても知られる。 後深草天皇の第二皇子。母は、左大臣洞院実雄の娘、愔子(玄輝門院)。.

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伴蒿蹊

伴蒿蹊(ばん こうけい、享保18年10月1日(1733年11月7日) - 文化3年7月25日(1806年9月7日))は、江戸時代後期の歌人・文筆家。名を資芳(すけよし)と称し、別号を閑田蘆と号した。生家は近江八幡出身の京都の商家で、8歳で本家の近江八幡の豪商伴庄右衛門資之の養子となった。18歳で家督を継ぎ家業に専念したが、36歳で家督を譲り隠居・剃髪し、その後は著述に専念した。著書『主従心得草』は近江商人の典型的な家訓、他に『閑田詠草』、『閑田耕筆』、『閑田次筆』など。『近世畸人伝』は、著名・無名な人物達の生活と意見が述べられ、17.18世紀江戸時代を知るのに有益な伝記集である。.

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伴林光平

伴林 光平(ともばやし みつひら/ばんばやし みつひら、文化10年9月9日(1813年10月2日) - 文久4年2月16日(1864年3月23日))とは、幕末の国学者、歌人、勤王志士。幼名は信丸、後に左京。通称、六郎。一時、並木春蔵の変名を使用。法名は大雲坊周永。号は破草鞋道人、八丘、斑鳩隠士、蒿斎、岡陵など。伴林の名は、生家近くの伴林氏神社(祭神:高御産巣日神、天押日命、道臣命。大伴氏の祖神を祀る)にちなむ。.

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似雲

似雲(じうん、寛文13年1月2日(1673年2月18日)- 宝暦3年7月8日(1753年8月6日))は、江戸時代中期の浄土真宗の僧・歌人。俗姓は河村氏。通称は金屋吉右衛門。安芸国の出身。.

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弘川寺

弘川寺(ひろかわでら)は、大阪府南河内郡河南町弘川にある仏教寺院で、真言宗醍醐派の準別格本山である。山号は竜池山。本尊は薬師如来。大阪みどりの百選に選定されている。.

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弘前大学の人物一覧

弘前大学の人物一覧は、弘前大学に関係する人物の一覧記事。.

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弓削皇子

弓削皇子(ゆげのみこ、? - 文武天皇3年7月21日(699年8月21日))は、飛鳥時代の皇族。天武天皇の第九皇子(第六皇子とも)。冠位は浄広弐。.

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住友友成

住友 友成(すみとも ともなり、1909年(明治42年)2月20日 - 1993年(平成5年)6月14日)は住友家16代当主で、最後の住友本社社長。アララギ派の歌人でもあり、斎藤茂吉、川田順(住友本社の重役)とも交流があった。歌人の雅号は「泉幸吉」。幼名は厚。男爵。.

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住友吉左衛門

住友 吉左衛門(すみとも きちざえもん)は、住友財閥の創業家・住友家が3代目から代々、襲名した名前。名乗り始めた3代目以降、14代目と当代(17代目)以外は名前に「友」の字を持つ者が襲名している。.

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住田町

住田町(すみたちょう)は、岩手県東南部に位置する町。 近年過疎化が進み、高齢者の人口に占める割合が高い。豊富な森林資源と木材加工施設が整備されていることから「森林・林業日本一の町」を目指している。気仙(けせん)郡は住田町と旧三陸町とで構成されていたが、現在は旧三陸町が大船渡市と合併したため、住田町のみで構成されている。.

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住谷三郎

住谷 三郎(すみや さぶろう、1900年1月10日 - 1967年1月21日)は歌人。.

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佐山哲郎

佐山 哲郎(さやま てつろう、1948年 - )は、日本の編集者、文筆家、歌人、住職、浄土宗僧侶、官能小説家、漫画原作者。エルシー企画・群雄社出版編集局長。スタジオジブリ製作の長編アニメーション映画『コクリコ坂から』原作者。通称S(エス)。別名は麻耶 十郎(まや じゅうろう)。 1970年代から1980年代にかけて明石賢生の右腕として自販機本・ビニ本業界の雑誌編集者や官能小説家として活動した。.

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佐久間宣行

佐久間 宣行(さくま のぶゆき、1975年11月23日 - )はテレビ東京所属制作局CP制作チーム部主事プロデューサー、演出家である。兼コンテンツビジネス局コンテンツビジネス部兼任)。.

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佐久良東雄

佐久良 東雄(さくら あずまお、文化8年3月21日(1811年5月13日) - 万延元年6月27日(1860年8月13日))は日本の幕末時代の国学者、歌人。本姓は飯島。東雄の他の通称に靱負(ゆきえ)、寛、静馬、健雄。雅号は薑園(きょうえん)。尊皇攘夷の志士として活動した。.

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佐伯仁三郎

佐伯 仁三郎(さえき じんざぶろう、明治33年(1900年)9月27日 - 昭和49年(1974年)7月31日)は日本の歌人、国文学者。文学博士。 祖父は儒学者正墻適処。兄は歌人佐伯新一郎。.

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佐伯裕子

佐伯 裕子(さえき ゆうこ、1947年6月25日 - )は歌人。歌誌「未来」選者。 未来では、さいとうなおこより4歳下で、4年後に入会。同年代では、かりんの日高堯子らと交流がある。 また、少し若い世代では。藤原龍一郎に門下の歌集の栞を頼むなど、友好関係がある。.

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佐佐木幸綱

佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )は、日本の歌人、国文学者、日本芸術院会員。「心の花」主宰・編集長。現代歌人協会理事長。早稲田大学名誉教授。曽祖父の佐々木弘綱、祖父で文化勲章受章者の佐佐木信綱、父の佐佐木治綱、母の佐佐木由幾、長男の佐佐木頼綱、次男の佐佐木定綱も歌人である。 本名は佐々木幸綱で、祖父、父に倣って「佐佐木」を称する。.

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佐佐木信綱

佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位勲六等文学博士。.

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佐佐木治綱

佐佐木 治綱(ささき はるつな、1909年2月20日 - 1959年10月8日)は、歌人、国文学者。 佐佐木信綱の三男として東京に生まれる。1935年東京帝国大学文学部国文科卒業。父と斎藤瀏に師事し、1940年「鶯」を創刊。1944年「心の花」と合併し、1952年から編集責任者。白百合短期大学教授。妻の佐佐木由幾も歌人。長男は歌人の佐佐木幸綱。.

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佐分親清

佐分 親清(さぶり ちかきよ)は、鎌倉時代中期の武士・歌人。桓武平氏高棟王流。皇后大進平信親の子で、北条重時の被官として活躍した。正五位下、蔵人、加賀守。法明は親願。子に宗俊、平親清女(歌人)らがある。.

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佐々木一陽

佐々木 一陽(ささき かずあき)は、江戸幕府旗本。石野広通の六男。次兄佐々木万彦の養嗣子となる。 目付、勘定奉行(1843年)、小普請奉行を歴任する。万彦とともに歌人で、『梅花百題和歌』の編者は一陽とされる。安政2年(1855年)死去、享年69。.

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佐々木重徳

佐々木 重徳(ささき しげのり、1934年4月21日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは二塁手。.

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佐賀県立佐賀西高等学校の人物一覧

'佐賀県立佐賀西高等学校人物一覧(さがけんりつ さがにし こうとうがっこう じんぶついちらん)は、佐賀県立佐賀西高等学校及びその前身校の出身者・関係者の一覧である。 ※ 佐賀高等学校1回生は1950年(昭和25年)卒業、 佐賀西高等学校1回生は1966年(昭和41年)卒業にあたる。.

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佐賀県立武雄青陵中学校・武雄高等学校

佐賀県立武雄青陵中学校・武雄高等学校(さがけんりつ たけおせいりょうちゅうがっこう・たけおこうとうがっこう, 英称:Saga Prefectural Takeo Seiryo Junior High School and Takeo High School)は、佐賀県武雄市武雄町に所在する県立中学校・高等学校。併設型中高一貫校。高校の略称は「武高」(ぶこう)。.

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佐藤さとる

佐藤 さとる(さとう さとる、1928年2月13日 - 2017年2月9日)は、日本の童話作家。本名の佐藤暁(さとうさとる)日外アソシエーツ現代人物情報名義による作品もある。既婚。日本文芸家協会会員日外アソシエーツ現代人物情報。.

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佐藤弓生

佐藤 弓生(さとう ゆみお、女性、1964年2月15日 - )は、日本の歌人、翻訳家。石川県金沢市生まれ。関西学院大学社会学部卒業。夫は作家・評論家の高原英理。井辻朱美の影響により作歌を始め、1998年より歌誌「かばん」所属。 2001年、作品「眼鏡屋は夕ぐれのため」50首で第47回角川短歌賞受賞。幻想的な作風。.

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佐藤佐太郎

佐藤 佐太郎(さとう さたろう、1909年(明治42年)11月13日 - 1987年(昭和62年)8月8日)は、日本の歌人。日本芸術院会員。妻の佐藤志満も歌人。.

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佐藤志満

佐藤 志満(さとう しま、1913年(大正2年)- 2009年(平成21年))は福岡県出身の歌人。夫の佐藤佐太郎も歌人。昭和20年代後半の5年間の作品を収めた第一歌集「草の上」では、戦後の貧しい日常生活を抒情豊かに詠じた。歌誌「歩道」の発行に力を注ぎながら生涯にわたり精力的に作歌を続け、晩年には、文芸評論家梶木剛が「志満調」と呼んだ、自宅庭前を中心とする独自の歌風を確立した 。.

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佐藤モニカ

佐藤 モニカ(さとう モニカ、1974年8月21日 ‐ )は、日本の歌人・詩人・小説家。千葉県出身。沖縄県名護市在住。 竹柏会「心の花」会員。佐佐木幸綱に師事。琉球新報カルチャーセンター講師。「識名園歌会」選者。ブラジル移民を題材とした児童文学・小説も執筆している。 落語家の柳亭市楽は弟。.

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佐藤羽美

佐藤 羽美(さとう うみ、1980年3月25日 - )は、歌人、社交ダンス指導員。青森県青森市出身・在住。 弘前大学人文学部(社会学専攻)卒業。2002年に作歌を始める。2003年、短歌サイト『ヒナウタ』を開設。2004年、「甘い日々」で第47回短歌研究新人賞候補に選ばれる。2005年に未来短歌会に入会し、加藤治郎に師事。2009年、2008年度未来賞次席に選ばれる。同年、作品「ここは夏月夏曜日」で第20回歌壇賞を受賞。.

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佐藤真由美 (歌人)

佐藤 真由美(さとう まゆみ、1973年(昭和48年) - )は、歌人、女性誌編集者。 新潟県出身。上智大学外国語学部英語科卒業。出版社にて女性誌の編集者をつとめているとき、仕事で出会った歌人・枡野浩一に影響を受け、作歌を開始。2000年、『高円寺南4丁目16-13』30首で短歌研究社主催「うたう」作品賞入選。現代女性の感性を生かした歌風で人気を集め、エッセイなどにも表現の幅を広げつつある。また、MISIAの曲の作詞をいくつか手がけている。既婚者で三児の母。.

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佐藤誠 (歌人)

佐藤 誠(さとう まこと、1908年1月1日 - 1989年10月27日)は歌人。茨城県日立市生まれ。.

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佐藤通雅

佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、日本の歌人、評論家。元高校教師。岩手県出身。東北大学教育学部卒業。 歌誌『短歌人』を経て、1966年文学思想個人編集誌『路上』を創刊。短歌、詩、評論、児童文学研究などの分野で編集。宮沢賢治論、北原白秋論が多い。2011年の第120号にて第1期を終刊、第2期へと移行した。河北新報歌壇選者。 1965年、「青海」で第11回角川短歌賞候補。1971年『新美南吉童話論』で第4回日本児童文学者協会新人賞受賞。1986年『日本児童文学の成立・序説』で日本児童文学学会賞奨励賞。2000年『宮沢賢治 東北砕石工場技師論』で第10回宮沢賢治賞受賞。2012年歌集『強霜』で第27回詩歌文学館賞短歌部門を受賞。.

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彦根市

彦根市(ひこねし)は、滋賀県の北東部に所在する市である。滋賀県北部、東部の中心となる都市である。 旧坂田郡鳥居本村と旧愛知郡稲枝町を除き、かつては犬上郡に属していた。.

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作者 (曖昧さ回避)

作者(さくしゃ).

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佛教大学の人物一覧

佛教大学の人物一覧(ぶっきょうだいがくのじんぶついちらん)は佛教大学に関係する人物の一覧記事。.

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依田仁美

依田 仁美(よだ よしはる、1946年1月25日 - )は、日本の歌人、詩人。現代短歌、評論、エッセイのほか、現代詩、視覚詩(Hyper-verbalism)、現代俳句を書く。.

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御子左家

御子左家(みこひだりけ)は、藤原北家嫡流藤原道長の六男・権大納言 藤原長家を祖とする藤原氏の系流。御子左流(みこひだりりゅう)ともいう。ただし「御子左」を家名として名乗った者はない。 「御子左」は、醍醐天皇の第十六皇子で左大臣に上った兼明親王の通称「御子左大臣」(みこさだいじん、御子=皇子)に由来する。親王の邸宅・御子左第を伝領した長家が「御子左民部卿」と呼ばれたことから、彼以後その流れをこう呼ぶようになった。.

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御伽草子

『御伽草子』(おとぎぞうし)は、鎌倉時代末から江戸時代にかけて成立した、それまでにない新規な主題を取り上げた短編の絵入り物語、およびそれらの形式。お伽草子、おとぎ草子とも表記する。 広義に室町時代を中心とした中世小説全般を指すこともあり、室町物語とも呼ばれる。.

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御木白日

御木 白日(みき しらひ、女性、1929年(昭和4年)12月1日 - )は、日本の歌人。愛媛県松山市生まれ。1956年学習院大学文学部仏文科卒、ソルボンヌ大学に学ぶ。1959年大正大学大学院文学研究科修了。1965年短歌芸術賞受賞。1985年、「日本近代史とリズム」により、大正大学より文学博士を取得。PL学園女子短期大学の学長も歴任した。.

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御春有輔

御春 有輔(みはる の ありすけ、生没年未詳)は、平安時代前期の官人・歌人。名は有助とも記される。主計助・御春豊宗の子とする系図がある。官位は六位・左衛門権少尉。.

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徳大寺実定

徳大寺 実定(とくだいじ さねさだ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。右大臣・徳大寺公能の長男。官位は正二位・左大臣。後徳大寺左大臣(ごとくだいじの さだいじん)として知られる。.

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徳島市

徳島市(とくしまし)は、日本の四国北東部に位置する都市で、徳島県の県庁所在地である。 徳島市のブランドステートメントは、心おどる水都・とくしま。.

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徳島市立高等学校

徳島市立高等学校(とくしましりつ こうとうがっこう)は、徳島県徳島市北沖洲一丁目に所在する市立の高等学校。通称は「市高」(いちこう)。徳島市の旧総合選抜6校の1つである。.

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徳島県立城南高等学校

徳島県立城南高等学校(とくしまけんりつ じょうなんこうとうがっこう, Tokushima Prefectural Jonan High School)は、徳島県徳島市城南町二丁目にある公立高等学校。.

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徳田白楊

徳田 白楊 (とくだ はくよう、本名:森下文夫、1911年5月28日 - 1933年1月19日)は、昭和初期のアララギ派の歌人である。アララギ派の天才と呼ばれ、将来を有望されていた歌人。 1911年(明治44年)5月28日、大分県大野郡上緒方村(現豊後大野市緒方町)に生まれる。 病弱で21年間の殆どを病と闘ったのではないかと思われるほど病む日の歌が多い。1933年(昭和8年)1月19日、21歳にて死去。 緒方町の隣町、竹田市の豊後竹田駅前には、白楊歌碑が設置されている。.

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徽子女王

徽子女王(きし(よしこ)じょおう、延長7年(929年) - 寛和元年(985年))は平安時代中期の皇族、歌人。式部卿宮・重明親王の第1王女(醍醐天皇の皇孫)。母は藤原忠平の次女・寛子。朱雀天皇朝の伊勢斎宮、のち村上天皇女御。斎宮を退下の後に女御に召されたことから、斎宮女御と称され、また承香殿女御、式部卿の女御とも称された。三十六歌仙および女房三十六歌仙の1人。.

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徽安門院一条

徽安門院一条(きあんもんいんのいちじょう、生没年不詳)は、南北朝時代の宮廷女官・女流歌人。本名は不詳。 正親町公蔭の娘で、母は北条久時の娘。徽安門院寿子内親王(花園天皇皇女・光厳天皇妃)に仕えて一条局と名乗る。その後、光厳院の寵愛を受けて義仁親王(正親町宮)を産む。 後期京極派の歌人で、興国4年(1343年)冬以前の院六首歌合に出詠。また貞和百首・延文百首にも和歌が収録されている。『風雅和歌集』以下の勅撰和歌集に22首入集。家集『徽安門院一条集』を残す。.

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後堀河院民部卿典侍

後堀河院民部卿典侍(ごほりかわいんのみんぶきょうのすけ、1195年(建久6年)- 没年不詳)は、鎌倉時代前期の歌人である。藤原定家の娘、藤原因子(ふじわらのいんし/よるこ)。母は藤原実宗の娘。.

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後白河院京極局

後白河院京極局(ごしらかわいんきょうごくのつぼね、?-治承5年閏2月24日(1181年4月9日)は、平安時代の女房・歌人。藤原俊成の娘で母は藤原為忠の娘(寂念・寂超・寂然の姉妹)。藤原定家の異母姉にあたる。実名不詳。.

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後鳥羽天皇

後鳥羽天皇(ごとばてんのう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての第82代天皇(在位:寿永2年8月20日(1183年9月8日) - 建久9年1月11日(1198年2月18日))。諱は尊成(たかひら・たかなり)。高倉天皇の第四皇子。母は、坊門信隆の娘・殖子(七条院)。後白河天皇の孫で、安徳天皇の異母弟に当たる。 文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られる。鎌倉時代の1221年(承久3年)に、鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げたが、この承久の乱で朝廷側が敗北したため、隠岐に配流され、1239年(延応元年)に同地で崩御した。.

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後鳥羽院宮内卿

宮内卿(くないきょう)または後鳥羽院宮内卿(ごとばのいんくないきょう、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の歌人である。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。父は右京権大夫源師光(大納言師頼の子)、母は後白河院の女房安芸。兄に源泰光、源具親がいる。 後鳥羽院宮内卿 - 寛文年間 清原雪信.

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後鳥羽院下野

日吉社小比叡(東本宮) 後鳥羽院下野(ごとばのいんのしもつけ、生没年不詳)は、鎌倉時代初期に活躍した歌人である。女房三十六歌仙の一人。日吉社小比叡禰宜祝部允仲の娘。源家長の妻。源家清、藻璧門院但馬の母。信濃とも呼ばれた。.

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後藤安彦

後藤 安彦(ごとう やすひこ、1929年5月28日 - 2008年2月16日)は、日本の翻訳家、歌人。本名、二日市 安。兵庫県西宮市生れ。 生来の脳性麻痺のため、堺市立熊野国民学校卒業後は自宅で暮らす。少年期から青年期にかけては幽閉同然に大分県で育った。1958年に桐三樹夫の推挙で短歌結社「中央線」入会。1964年に結社新人賞、1972年に作品賞を受賞。などを独学で数か国語を学び、翻訳家となる。ジョン・ガードナーやトマス・チャステイン(Thomas Chastain)など、推理小説を翻訳。障害者運動にも積極的に活動した。「車椅子の国会議員をつくる会」を立ち上げて代表をつとめようとしたこともあるが、すぐにつぶれたという。 代表的な著書に、小説家で前妻の仁木悦子をつづったエッセイ『猫と車イス 思い出の仁木悦子』がある。 また足利光彦の名でポルノ小説の翻訳をしていた。.

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後藤純男

後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日)は、日本画の画家。 昭和5年(1930年)、千葉県東葛飾郡関宿町(現野田市)に生まれる。昭和7年(1932年) に埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)へ転居。昭和61年(1986年)に内閣総理大臣賞を受賞、昭和63年(1988年)から平成9年(1997年)まで東京藝術大学美術学部の教授を務めた。平成18年(2006年)に旭日小綬章を受章する。平成28年(2016年)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞する。歌人の米川千嘉子は姪。 2016年10月18日、敗血症により逝去。86歳没。.

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後藤由紀恵

後藤 由紀恵(ごとう ゆきえ、1975年1月18日 -)は、日本の現代歌人である。.

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後藤直満

後藤 直満(ごとう なおみち、生年不明 - 文政2年(1819年))は、日本の商人、歌人。鳥取県米子市内町の後藤家当主(6代)。初名直僖、号桃の舎、通称市郎右衛門。寛政~文化期における米子の代表的な文化人だった。.

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後深草院少将内侍

木製の櫛(明治〜大正期の装飾品) 後深草院少将内侍(ごふかくさのいんのしょうしょうないし、生年不詳 - 1265年(文永2年)頃没)は、鎌倉時代初期に活躍した歌人である。女房三十六歌仙の一人。藤原信実の娘。藻璧門院少将、弁内侍の妹。花山源氏の資光王の妻。.

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後愚昧記

『後愚昧記』(ごぐまいき)は、南北朝時代の公卿・三条公忠の日記。『公忠公記』(きんただこうき)・『後押小路内府記』(のちのおしのこうじだいふき)とも。.

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徒然草

徒然草の作者 吉田兼好(『前賢故実』 菊池容斎画 明治時代) 『徒然草』(つれづれぐさ)は、吉田兼好(兼好法師、兼好、卜部兼好)が書いたとされる随筆。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つと評価されている。.

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待宵の小侍従

小侍従の顕彰碑(中央)と供養塔(右奥)- 大阪府三島郡島本町 小侍従(こじじゅう、生没年不詳:1121年(保安2年)頃 - 1202年(建仁2年)頃)は、平安時代後期から鎌倉時代の歌人である。女房三十六歌仙の一人。石清水八幡宮護国寺別当光清の娘。母は小大進。太皇太后藤原多子の女房として出仕したため太皇太后宮小侍従あるいは大宮小侍従と呼ばれ、また『平家物語』等に記されたエピソードから待宵の小侍従(まつよいのこじじゅう)として知られる。『源平盛衰記』では、高倉天皇の在位中は阿波の局と名乗っていたとする。.

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俊恵

俊恵(しゅんえ、永久元年(1113年) - 建久2年(1191年)頃?)は、平安時代末期の僧・歌人。父は源俊頼。母は橘敦隆の娘。早くに東大寺の僧となり、俊恵法師とも呼ばれる。 十七歳のときに父と死別してから、約二十年もの間、作歌活動から遠ざかっていた。現在、俊恵作と伝えられている歌は千百首あまりであるが、その多くは四十歳以降に詠まれたものである。白川の自坊を「歌林苑」と名付け、そこに藤原清輔・源頼政・殷富門院大輔など多くの歌人を集めてさかんに歌会・歌合を開催し、衰えつつあった当時の歌壇に大きな刺激を与えた。鴨長明の師で、その歌論は『無名抄』などにもみえる。 風景と心情が重なり合った象徴的な美の世界や、余情を重んじて、多くを語らない中世的なもの静かさが漂う世界を、和歌のうえで表現しようとした。同じく幽玄の美を著そうとした藤原俊成とは事なる幽玄を確立したといえる。 「詞花和歌集」以下の勅撰集に入集。「歌苑抄」「歌林抄」などの選集を編集し、家集には「林葉和歌集」がある。 なお、無名抄の俊成自讃歌事によると、自らの自讃歌は、 み吉野の 山かき曇り 雪ふれば ふもとの里は うちしぐれつつ(新古今和歌集 冬) で「もし世の末におぼつかなく云ふ人もあらば、かくこそいひしかと語り給へ」とある。.

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保科千代次

保科千代次(ほしな ちよじ、1906年(明治39年) - 1997年(平成9年))は、日本の文学者。歌人。作詞家。徳島県勝浦郡勝浦町出身。.

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保明親王

保明親王(やすあきらしんのう、延喜3年11月20日(903年12月16日) - 延喜23年3月21日(923年4月14日))は、平安時代の皇族。醍醐天皇の第二皇子でその皇太子となる。母は藤原穏子(藤原基経の娘)。朱雀天皇・村上天皇の同母兄。初名は崇象(むねかた)。諡は文献彦太子。.

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信州大学の人物一覧

信州大学の人物一覧は信州大学および諸前身校に関係する人物の一覧記事。 ※ウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する。.

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応永

応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.

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心敬

心敬(しんけい、1406年(応永3年) - 1475年5月20日(文明7年4月16日))は、室町時代中期の天台宗の僧、連歌師である。連海、心恵、心教ともいう。 紀伊国に生まれる。幼いときに出家し、比叡山で修行。44あるいは45歳のころ園城寺仏地院に住し、のち京都清水寺付近の十住心院の住持となり、権大僧都、法印に叙せられる。僧正徹に師事して冷泉派の歌人として知られる一方、1433年(永享5年)、「北野社万句」の座に列するなど、連歌作者として次第に時代を代表する存在となる。 作風は、正徹から受け継いだ新古今風を基礎に、表現対象の凝視と表現主体の沈潜とを重視する独特のもので、「ひえやせたる」風趣のうちに得意な感覚の冴え方を示している。和歌及び連歌の修行を仏道の修行と究極的に同一視する連歌論は、主著である『ささめごと』のほか『老のくり言』『ひとり言』(1468年)などに強調され、次代の宗祇、猪苗代兼載、侘び茶の村田珠光ら茶人にも影響を与える。戦乱を避けて晩年を関東で過ごし、70歳で死去。 連歌集・歌集として『心玉集』、『心敬僧都十体和歌』などがあるほか、宗祇編『竹林抄』に入集する連歌七賢の一人である。『新撰菟玖波集』に最多数の入集を見る。 Category:天台宗の僧 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:紀伊国の人物 Category:1406年生 Category:1475年没.

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俵万智

俵 万智(たわら まち、1962年12月31日 - )は、日本の歌人。本名、同じ。結社「心の花」所属。所属事務所は東京コンサーツ。父は希土類磁石の研究者の俵好夫。.

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志田周子

志田 周子(しだ ちかこ、1910年(明治43年)10月28日 - 1962年(昭和37年))は山形県出身の女医、歌人。.

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志貴皇子

志貴皇子(しきのみこ、? - 霊亀2年8月11日(716年9月1日))は、飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての皇族。芝基皇子または施基皇子、志紀皇子とも記す。天智天皇の第七皇子。位階は二品。 皇位とは無縁で文化人としての人生を送った。しかしその薨去から54年後に、息子の白壁王(第49代光仁天皇)が即位し、春日宮御宇天皇の追尊を受けることとなった。現在の皇室は志貴皇子の子孫となる。.

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志賀町

志賀町(しかまち)は、石川県羽咋郡にある町。本州の日本海側にある能登半島の、ほぼ中央に位置する。.

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土屋浩子

土屋 浩子(つちや 浩子、1941年5月16日 - 2008年11月1日)は、日本の歌人。 長野県佐久市出身。1973年(昭和48年)3月、「短歌新潮」入会、丸山忠治に師事。その後同人となり、歌誌編集と後進の指導に携わった。1985年(昭和60年)12月、第一歌集「風花」を出版。2007年(平成19年)6月、第二歌集「水辺の秋」を出版。元シンガーソングライターの土屋竜一は長男。2008年(平成20年)11月1日没。.

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土屋文明

土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)は、日本の歌人・国文学者。.

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土岐善麿

土岐 善麿(とき ぜんまろ、1885年(明治18年)6月8日 - 1980年(昭和55年)4月15日)は、日本の歌人・国語学者。.

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土岐頼貞

土岐 頼貞(とき よりさだ)は、鎌倉時代から南北朝時代の武将、守護大名。土岐光定の七男。母は鎌倉幕府の執権北条貞時の娘。室町幕府の初代美濃守護。子に頼清、頼遠、長山頼基、頼兼、頼明など。.

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土師道良

土師 道良(はじ の みちよし、生没年不詳)は、奈良時代の官人・歌人。 土師氏の出身だが、父母の名は不詳。史生(ししょう)在職時に、越中守当時の大伴家持の邸宅で宴に参列して歌を詠んでいる(『万葉集』17-3955)。.

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土御門院小宰相

後嵯峨天皇の問いに答え、人妻からの返信の真意を解き明かす小宰相 - 奈与竹物語絵巻 土御門院小宰相(つちみかどのいんのこさいしょう、生没年不詳)は、鎌倉時代に活躍した歌人である。女房三十六歌仙の一人。従二位藤原家隆の娘。藤原隆祐の姉妹(どちらが年長かは不明)。承明門院小宰相とも呼ばれた。.

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土田耕平

土田 耕平(つちだ こうへい、1895年(明治28年)6月10日 - 1940年(昭和15年)8月12日)は、日本の歌人、童話作家。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)出身。18歳で両親を失う。1911年旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を中退、同郡玉川村立玉川小学校の代用教員となる。ここで島木赤彦に師事し『アララギ』に投稿、編集に携わる。上京し、1915年旧制東京中学校(現東京高等学校)卒。1921年まで伊豆大島で病気療養、のち上諏訪へ帰り、長野県内各地を頻繁に転居。1924年信濃毎日新聞の歌壇撰者となる。 後半生の大半を不眠症の療養、短歌、童話の創作に費やした。1940年下伊那郡鼎町で心臓病で死去。戒名は智誉耕法幽玄居士。.

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土肥原賢二

土肥原 賢二(どいはら けんじ、明治16年(1883年)8月8日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は大将。謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離工作に中心的役割を果たす。 極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯となり死刑判決を受け処刑される。.

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土浦市

土浦駅前 東真鍋町) 土浦市(つちうらし)は、茨城県南部に位置する市。業務核都市、国際会議観光都市。.

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土曜の夜はケータイ短歌

『土曜の夜はケータイ短歌』(どようのよるはケータイたんか)は、NHKラジオ第1放送で生放送されていたリスナー参加型のラジオ番組。.

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在原元方

在原 元方(ありわら の もとかた、生没年不詳)は、平安時代の歌人。在原業平の孫で、筑前守・在原棟梁の子。大納言・藤原国経の養子。官位は正五位下・美作守。中古三十六歌仙の一人。 歌人として、勅撰和歌集では『古今和歌集』に14首、『後撰和歌集』に8首、『拾遺和歌集』に2首が入集し、以後『新古今和歌集』以下の勅撰和歌集にも9首が採録されている。また、和歌作品が『古今和歌集』の巻頭の歌に採られている。家集に『元方集』があるが、断片的に伝わるのみである。.

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在原行平

在原 行平(ありわら の ゆきひら、弘仁9年(818年) - 寛平5年7月19日(893年9月6日))は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人。平城天皇の第一皇子である弾正尹・阿保親王の次男(または三男)。官位は正三位・中納言。在中納言・在民部卿とも呼ばれた。小倉百人一首では中納言行平。.

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在原棟梁

在原 棟梁(ありわら の むねはり、嘉祥3年(850年)頃 - 昌泰元年(898年))は、平安時代前期の貴族・歌人。平城天皇の後裔で、右近衛中将・在原業平の長男。官位は従五位上・左衛門佐。中古三十六歌仙の一人。.

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在原業平

在原 業平(ありわら の なりひら)は、平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。 六歌仙・三十六歌仙の一人。別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる。 全百二十五段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。.

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在原滋春

在原 滋春(ありわら の しげはる、生没年不詳)は、平安時代前期の歌人。右中将・在原業平の子。在次君とも称される。官職は少将。 和歌作品が勅撰和歌集(『古今和歌集』(6首)、『新勅撰和歌集』1首)に7首入集。歌物語である『大和物語』の作者とも言われているが定かではない。甲斐国和戸で死去したという。.

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北原由夫

北原 由夫(きたはら よしお、1930年(昭和5年) - )は、歌人、日本文学研究者、江戸川短期大学名誉教授・元学長。 長野県高遠町出身。東洋大学卒。東京文化短期大学教授、江戸川女子短期大学教授、2003年江戸川短期大学学長、同名誉教授。島木赤彦研究会名誉会長。新井章に兄事した。.

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北原白秋

北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野でも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を代表する詩人である。 弟はそれぞれ出版人となり、北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、北原義雄は美術系のアトリエ社を創業し、従弟の北原正雄も写真系の玄光社を創業した。.

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北小路功光

北小路 功光(きたこうじ いさみつ、1901年(明治34年)4月23日 - 1989年(平成元年)2月27日)は昭和時代の歌人。元子爵。父は子爵・北小路資武(すけたけ)。母は歌人として知られる柳原白蓮(柳原燁子)。昭和天皇は又従兄弟。.

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北久保まりこ

北久保 まりこ(きたくぼ まりこ、1959年10月4日 - )は、日本の歌人。英語短歌の創作や短歌の国際化運動に取り組んでいる。.

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北畠師重

北畠 師重(きたばたけ もろしげ)は、鎌倉時代後期の公卿。権大納言北畠師親の子で、母は法勝寺執行宗顕法印の女である。北畠親房の父。北畠家は代々大覚寺統への忠誠に篤く、師重も後宇多院の側近として仕えた。.

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北畠顕統

北畠 顕統(きたばたけ あきもと/― あきむね)は、南北朝時代の公卿・歌人。参議冷泉持房の二男にして、伯父親房の養子となった。南朝に仕え、官職は内大臣。暦術に通じ、能筆であったと伝えられる。冷泉顕統とも。.

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北畠顕能

北畠 顕能(きたばたけ あきよし)は、南北朝時代の公卿・武将。准三后北畠親房の三男で、顕家や顕信の弟とするのが通説だが、一説には中院貞平の子で、親房の養子になったともいう。建武政権期に父兄とともに伊勢国へ下り、同国司に任じられた後、多気を拠点に退勢著しい南朝軍事力の支柱として武家方に対抗した。伊勢北畠氏の祖。.

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北畠顕成

北畠 顕成(きたばたけ あきなり)は、南北朝時代の公卿。贈右大臣北畠顕家の嫡男である。南朝に仕えたが、事績には不明な点が多い。後世の所伝では、『太平記』作者の一人、また浪岡氏や村上水軍の祖に擬せられる。.

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北条久時

北条 久時(ほうじょう ひさとき)は、鎌倉時代後期の北条氏の一門。父は赤橋流の北条義宗。赤橋 久時(あかはし ひさとき)とも。.

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北村季吟

北村 季吟(きたむら きぎん、寛永元年12月11日(1625年1月19日) - 宝永2年6月15日(1705年8月4日))は、江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。名は静厚、通称は久助・再昌院、別号は慮庵・呂庵・七松子・拾穂軒・湖月亭。.

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北村祐庵

北村 幽安(きたむら ゆうあん、慶安元年(1648年) - 享保4年(1719年))は、江戸時代の茶人。美食家としても有名。諱は政従(まさより)、通称佐太夫(さだゆう)と言う。別に道遂(どうずい)と号す。近江の生まれ。.

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北村湖元

北村 湖元(きたむら こげん、延宝4年(1676年) - 寛延2年5月4日(1749年6月18日))は、江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。通称は季根、湖源、別号は信安斎、再昌院。北村季吟の孫。.

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北村湖春

北村 湖春(きたむら こしゅん、慶安3年(1650年) - 元禄10年1月15日(1697年2月6日))は、江戸時代前期から中期にかけての歌人・俳人、北村季吟の子。名は季順。.

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北沢郁子

北沢 郁子(きたざわ いくこ、1923年8月22日- )は、歌人。 長野県出身。松本高等女学校(現・長野県松本蟻ヶ崎高等学校)卒。1948年、歌誌『古今』に参加、福田栄一に師事する。 1960年、森村浅香らと同人誌『藍』を創刊、発行人となる。1984年、歌集『塵沙』で第9回現代短歌女流賞受賞。2014年、歌集『道』で第48回迢空賞候補。.

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北海道大学の人物一覧

北海道大学の人物一覧(ほっかいどうだいがくのじんぶついちらん)は、北海道大学に関係する人物の一覧記事。.

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北海道室蘭栄高等学校

北海道室蘭栄高等学校(ほっかいどうむろらんさかえこうとうがっこう、Hokkaido Muroran Sakae High School)は、北海道室蘭市にある公立(道立)の高等学校。.

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北海道帯広三条高等学校

北海道帯広三条高等学校(ほっかいどうおびひろさんじょうこうとうがっこう、Hokkaido Obihiro Sanjo High School)は、北海道帯広市にある公立(道立)の高等学校。 現在は1学年7学級を有し、一学級40名程度。文武両道の校風を目指している。 新制高校発足時、高等女学校の歴史を持つ当校と、旧制中学の歴史を持ち当時隣接していた現在の北海道帯広柏葉高等学校とで生徒の一部を互いに交換した。毎年開かれる「三柏戦」は両校の生徒だけで開かれる体育大会である。 夏に開かれる「三条祭」では、縦割りのチームごとでグラウンドに立てた鉄骨に装飾を施したアーチをシンボルに、街をねり歩く仮装パレード、中夜祭、文化祭、体育祭が行われる。.

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北海道帯広農業高等学校

北海道帯広農業高等学校(ほっかいどう おびひろのうぎょうこうとうがっこう、Hokkaido Obihiro Agricultural High School)は、北海道帯広市稲田町西にある道立農業高等学校。.

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北海道ハイテクノロジー専門学校

北海道ハイテクノロジー専門学校(ほっかいどうハイテクノロジーせんもんがっこう)は北海道恵庭市恵み野に所在する専門学校である。運営は学校法人産業技術学園(滋慶学園グループ)。地元からは「ハイテク」と呼ばれている。.

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北海道駒ヶ岳

北海道駒ヶ岳(ほっかいどうこまがたけ)は、北海道森町、鹿部町、七飯町にまたがる標高1,131 mの活火山(成層火山)である。渡島国・渡島半島のランドマークとなっている。蝦夷駒ヶ岳(えぞこまがたけ)、渡島駒ヶ岳(おしまこまがたけ)とも呼ばれる。江戸時代の旧称は内浦岳。富士山型の紡錘状の山容から谷元旦が描いた絵画が渡島富士(おしまふじ)と呼ばれ、郷土富士となっている。「北海道」を冠するのは全国に多数存在する同名の山と区別するためであり、地元・北海道では単に駒ヶ岳と呼ばれる。.

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北海道江差高等学校

北海道江差高等学校(ほっかいどうえさしこうとうがっこう、Hokkaido Esashi High School)は、北海道檜山郡江差町に位置する道立高等学校。.

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北海道札幌真栄高等学校

北海道札幌真栄高等学校(ほっかいどうさっぽろしんえいこうとうがっこう、Hokkaido Sapporo Shinei High School)は、北海道札幌市清田区にある公立(道立)の高等学校。全日制普通科。 授業の一環として毎年行われる、シイタケ栽培が有名である。.

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北海道札幌西高等学校

北海道札幌西高等学校(ほっかいどう さっぽろにしこうとうがっこう)は、北海道札幌市中央区宮の森4条8-1に位置する公立(道立)高校である。全日制普通科、定時制普通科を併設。.

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北海道旭川北高等学校

北海道旭川北高等学校(ほっかいどうあさひかわきたこうとうがっこう、Hokkaido Asahikawa Kita High School)、は北海道旭川市にある公立(道立)の高等学校。通称「旭北」、「北高」、「旭川北」。過去には英語科があった。野球部は過去2度の夏の甲子園出場と7度の北北海道大会出場をしている。.

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北海道教育大学の人物一覧

北海道教育大学の人物一覧(ほっかいどうきょういくだいがくのじんぶついちらん)は北海道教育大学に関係する人物の一覧記事。.

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ミュンヘン一揆

ミュンヘン一揆(ミュンヘンいっき、München Putsch)は、1923年11月8日から9日に、ドイツのミュンヘンでエーリヒ・ルーデンドルフ、アドルフ・ヒトラーらナチス党員が参加したドイツ闘争連盟が起こしたクーデター未遂事件。半日あまりで鎮圧され、ヒトラーら首謀者は逮捕された。.

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ミッドナイトステージ館

ミッドナイトステージ館( -かん)は、NHK衛星第2テレビジョン(BS2)が毎週土曜日0時45分から放送した演劇・舞台芸術の番組である。2007年3月までは毎週月曜日0時55分から放送された。2011年3月31日にBS2の閉局とともに、放送が終了した。これを引き継いだNHK BSプレミアムでは、毎月原則第1日曜日深夜にかかる月曜日0時台から5時まで「プレミアムステージ」を放送している.

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ハナカツミ

ハナカツミは、『万葉集』を始め、古くから和歌などに多く詠まれた花。後に陸奥国の安積沼と結びつけられ、能因法師、前田利益、松尾芭蕉が現地を訪れて探したことで有名である。平安時代中期の歌人能因法師はイネ科のマコモをハナカツミとしているが、定説とはならず、古来どの植物を指しているのか論議となっている。 前田利益は「此沼のかきつばたなり」と記し、芭蕉は『奥の細道』で、「かつみ、かつみと尋ね歩き」と、日が暮れるまで尋ね歩いたが、結局「更に知る人なし」と記し結論を得なかった。1974年には郡山市がヒメシャガをハナカツミとして市の花に指定し、芭蕉と曾良がハナカツミを探し歩いた安積山公園にはヒメシャガが植えられた。また高澤等は四条家で用いた田字草紋が「花かつみ紋」と称されたことなどから、デンジソウを花勝見として論考している 。 万葉集   をみなへし 佐紀沢に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも(4巻675 中臣女郎) 古今和歌集   みちのくの あさかのぬまの 花かつみ かつ見る人に こひやわたらむ(巻第14恋歌4・677 読人不知).

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バチェラー八重子

バチェラー八重子(バチェラーやえこ、1884年6月13日 - 1962年4月29日)は、アイヌの歌人・キリスト教伝道者。「バチラー八重子」とも、表記される。.

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バルーニング (動物)

バルーニングとは、クモ類の幼体が糸を使って空を飛ぶことである。.

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ムクゲ

ムクゲ(木槿、学名: )はアオイ科フヨウ属の落葉樹。別名ハチス、もくげ。庭木として広く植栽されるほか、夏の茶花としても欠かせない花である。 和名は、「むくげ」。「槿」一字でも「むくげ」と読むが、中国語の木槿(ムーチン)と書いて「むくげ」と読むことが多い。また、『類聚名義抄』には「木波知須(きはちす)」と記載されており、木波知須や、単に波知須(はちす)とも呼ばれる。『万葉集』では、秋の七草のひとつとして登場する朝貌(あさがお)がムクゲのことを指しているという説もあるが、定かではない。白の一重花に中心が赤い底紅種は、千宗旦が好んだことから、「宗丹木槿(そうたんむくげ)」とも呼ばれる。 中国語では「木槿/木槿」(ムーチン)、韓国語では「무궁화」(無窮花; ムグンファ)、木槿;モックンという。英語の慣用名称の はヘブライ語で書かれた旧約聖書の雅歌にある「シャロンのばら」に相当する英語から取られている 。.

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メイコ

メイコは、日本人の女性の名前の一つ。漢字では明子、芽衣子、茗子となる。.

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ラジオ深夜便のコーナー一覧

ラジオ深夜便のコーナー一覧(ラジオしんやびんのコーナーいちらん)は、NHKのラジオ第1放送・FMラジオ放送・ラジオ国際放送で放送されている深夜放送番組内で行われているコーナーを示している。なお曜日は基本的に午前5時を基点とした放送上の曜日で記しており、午前0時をまたぐコーナーはそれぞれ実際には翌日の曜日であることを留意されたい。.

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ブラウン大学

ブラウン大学(英語: Brown University)は、米国ロードアイランド州プロビデンス市に本部を置く、イギリス植民地時代(1764年)に設立された私立大学。アイビー・リーグの一校である研究大学である。 ブラウン大学は、7人のノーベル賞受賞者、一人のフィールズ賞(数学のノーベル賞)受賞者、57人のローズ奨学制度獲得者、5人の受賞者、8人の1000億円以上の所得保有者、10人のアメリカ国家科学賞受賞者を輩出している。.

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ブッチホン

ブッチホンとは、「プッシュホン」のもじりで、当時内閣総理大臣であった小渕恵三の「渕」(ぶち)と電話(telephone/テレフォン)の「フォン」を掛け合わせた造語。 総理大臣の小渕が『首相支配』 126-127頁。著名人にかけた電話のことを指し、それがあまりにも唐突でフランクなために電話を受けた相手が当惑したという。小渕は国民の支持を獲得するために、国民と同じ目線で話し合えば自分の人間的な考え方への理解が深まるのではないかと考え、国民との接触機会を増やしていた。小渕内閣は発足当初、国民から期待されておらず、新聞や雑誌の論調もきわめて辛辣だったからである。ブッチホンの多くはお礼や相談、情報収集、依頼のためであった。数多くの人にかけただけでなく、秘書を通さず小渕自身がかけたことは異例であった『首相支配』 122頁。小渕はこの言葉で1999年度の新語・流行語大賞(年間大賞)を受賞している『首相支配』 122頁。。小渕は、極力電話は自分でかけるようにしていた。なぜなら、「人に与えられた時間というものは決まっている。なのに電話をかけるとき、まず秘書にかけさせる。すると向こうも秘書が出る。それから相手が出て、最後にやっと自分が出る、なんてことをやっていたら一本の電話に四人が使われてしまう。こんなに無駄なことはない」というのが持論だったからである。ブッチホンにより小渕に対する親しみが増したと言われている。こうした努力が実り、発足当初は戦後最低の支持率を記録した小渕内閣は、1999年5月に支持率が不支持率を上回り、同年9月には51%まで上昇した。しかし、ブッチホンを初めとする職務は体に負担をかけ、心臓に持病があった小渕の体は徐々に蝕まれていった。ついに、2000年4月1日、小渕は脳梗塞を発症し、昏睡状態のまま5月14日に生涯をとじた。第20回イノブタダービーで、出走するイノブタのうち1頭に「ブッチホン」と命名したが、小渕の病状悪化にともない「シンキロウ」(由来は森喜朗)に変更した。.

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ドゥマンギテ

『ドゥマンギテ』は、日本の男性音楽グループ「きいやま商店」の3枚目のオリジナル・アルバム。2012年8月15日発売。発売元は、フライング・ハイ。.

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ダックァーセ!

『ダックァーセ!』は、日本の男性音楽グループ「きいやま商店」の4枚目のオリジナル・アルバム。2013年8月7日発売。発売元は、フライング・ハイ。.

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初夜権

Jules Arsène Garnier、1847年 - 1889年)が1872年に発表した絵画「初夜権(Le Droit du Seigneur)」。中央に領主と新婦(妻)、左側に新郎(夫)と説得する神父、周辺に警護する家臣やそれらを見物する民衆が描かれている。ガルニエが初夜権の様子を想像して描いた絵画である。 初夜権(しょやけん)とは、主に中世のヨーロッパにおいて権力者が統治する地域の新婚夫婦の初夜に、新郎(夫)よりも先に新婦(妻)と性交(セックス)することができたとする権利である。世界各地で散見されたという伝説や伝承は多く残っているが、その実在については疑問視する声もある。.

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初井しづ枝

初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月29日 - 1976年(昭和51年)2月15日)は、日本の歌人。兵庫県姫路市出身。.

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別離 (若山牧水の歌集)

『別離』(べつり)は、若山牧水の歌集である。1910年4月10日、東雲堂書店発行。装頓は石井柏亭青春の哀歓を謳歌した抒情歌が多く、自然主義の歌人として牧水の名を広め、ついには歌壇的地位を獲得するまでに至った。.

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利根軌道

| 利根軌道(とねきどう)は、かつて群馬県の渋川から沼田の間を現在の上越線に並行するルートで結んでいた鉄道である。 1911年4月に渋川 - 沼田間を馬車鉄道として開業させた後、1918年には全線を電化し、電気機関車が馬車鉄道時代の客車を牽引する電気鉄道となった。 国道17号に沿ったルートで敷設され、上越線清水トンネルの資材輸送のための軽便線が沼田 - 土合間に敷設されてそれとの連携によりトンネル工事の資材輸送を行ったこともあるが、1924年の上越線(当時の呼称は「上越南線」)開業により使命を終え、開業の翌日休止、1925年廃止となった。なお、渋川 - 鯉沢間に関しては1912年に鯉沢 - 中之条間を開業させていた吾妻軌道に引き続がれて運行が続けられ、1933年に廃線となった。.

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嘉喜門院

嘉喜門院(かきもんいん、生没年不詳)は、南北朝時代の女院・歌人。南朝後村上天皇の女御にして、長慶天皇の生母と推定されるが、加えて後亀山天皇の生母でもあるか。正平23年(1368年)の後村上天皇崩御の後、女院号宣下を受け、間もなく落飾した。近世の南朝系図によって、関白近衛経忠の女で、名は勝子(かつこ/しょうし)とされることが多いが、それを裏付ける史料はない。ただ、関白二条師基の猶子となったことはほぼ確実である。琴の名手と伝えられる。三位局とも。.

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嘉陽門院越前

伊勢の神事(皇大神宮 神御衣祭) 嘉陽門院越前(かようもんいんのえちぜん、生没年不詳)は、鎌倉時代初期に活躍した歌人である。女房三十六歌仙の一人。伊勢神官大中臣公親の娘。伊勢女房、七条院越前とも呼ばれた。.

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嵯峨直樹

嵯峨 直樹(さが なおき、1971年9月15日 - )は、日本の歌人。ミュージシャンの宙也は叔父。.

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喜多昭夫

喜多 昭夫(きた あきお、1963年1月10日 - )は歌人、俳人、文芸評論家。石川県文芸協会事務局長、石川県歌人協会幹事、つばさ短歌会主宰。.

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喜撰

喜撰(きせん).

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喜撰山ダム

喜撰山ダム(きせんやまダム)は、京都府宇治市、淀川水系寒谷川に建設されたダム。 高さ91メートルのロックフィルダムで、関西電力(関電)の揚水式水力発電所・喜撰山発電所の上池を形成。下池・天ヶ瀬ダム(鳳凰湖)との間で水を往来させ、最大46万6,000キロワットの電力を発生する。.

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周防内侍

周防内侍(『大日本國風會編小倉百人一首』) 周防内侍(すおうのないし、1037年(長暦元年)頃 - 1109年(天仁2年)以後 1111年(天永2年)以前)は、平安時代後期の歌人である。女房三十六歌仙の一人。本名は平 仲子(たいらの ちゅうし)。掌侍 正五位下に至る。父は「和歌六人党」の一人、桓武平氏の周防守 従五位上 平棟仲。母は加賀守 従五位下 源正職の女で、後冷泉院の女房となり小馬内侍と呼ばれた者だという。.

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和田厳足

和田 厳足(わだ いずたり、天明7年(1787年) - 安政6年4月27日(1859年5月29日))は江戸時代後期の歌人。肥後熊本藩士。旧姓は弓削。本姓は橘氏。通称は震七郎、別名は千尋、真震(まゆり)。号は釣竜翁。 長瀬真幸に国学を学んで万葉調の歌を詠み、特に長歌に長じた。熊本藩士としては、熊本を追われて八代、更に佐敷へと左遷され、不遇な経歴を辿った。.

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和田周

記載なし。

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和田維四郎

和田 維四郎(わだ つなしろう、安政3年3月17日(1856年4月21日) - 大正9年(1920年)12月20日)は日本の鉱物学者、書誌学者、貴族院議員。.

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和田繁二郎

和田 繁二郎(わだ しげじろう、1913年(大正2年)2月26日 - 1999年(平成11年)7月)は、日本近代文学研究者、歌人。 京都市生まれ。立命館大学法文学部国文学科卒。立命館大学助教授、教授を経て、1976年「近代文学創成期の研究 リアリズムの生成」で立命館大文学博士。1979年退任、名誉教授、大谷女子大学教授。1983年退職。歌誌『ポトナム』同人。筆名・周三。小泉苳三に師事。門下に上田博など。.

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和達清夫

和達 清夫(わだち きよお、1902年(明治35年)9月8日 - 1995年(平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。子息に物理学者・和達三樹がいる。.

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和歌

和歌(わか)とは、短歌型式の古典詩。古典短歌。広義には『万葉集』に所収される歌体の総称。 「和歌」の訓は「やまとうた」である。「和」の代わりに「倭」の字が、「歌」の代わりに「謌」、「哥」の字が宛てられたこともある。なお、歌謡と混同されるおそれがない文脈においては「歌」「うた」と表記され、呼ばれることもある。 長連歌、俳諧、狂歌、川柳風狂句は定型の古典詩であるが、和歌には含まれない。また、明治の和歌革新家とその後継者の短歌作品、すなわち近現代短歌は「短歌」と称され、「和歌」とは称されない。近現代短歌はこの項では取り上げない。.

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和歌集

和歌集(わかしゅう)とは、和歌を編集したもの。単に歌集(かしゅう)ともいう。.

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和泉式部

菊池容斎『前賢故実』より 小倉百人一首56番「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」 和泉 式部(いずみ しきぶ、天元元年(978年)頃 - 没年不詳)は平安時代中期の歌人である。越前守・大江雅致の娘。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。.

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和泉式部日記

『和泉式部日記』(いずみしきぶにっき)は和泉式部によって記された日記であり、女流日記文学の代表的作品である。.

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りとむ

りとむは日本の短歌結社誌。1992年創刊。.

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わろてんか

『わろてんか』は、2017年度下半期放送のNHK「連続テレビ小説」第97作目の作品である。2017年10月2日から2018年3月31日まで放送されていた。.

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われらが愛する北海道

われらが愛する北海道」(われらがあいするほっかいどう)は、1908年(明治41年)に発表された日本の楽曲である。作詞・石森和男(1860年 - 1916年)、作曲・田村虎蔵(1873年 - 1943年)。.

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アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター

アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター (Inter-University Center for Japanese Language Studies) は、神奈川県横浜市西区みなとみらいにある日本語教育機関。日本研究者、日本専門家の育成に焦点を絞った上級日本語教育を特色とする。.

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アリス出版

アリス出版は、かつて存在した自動販売機雑誌の編集プロダクション。1970年代から1980年代にかけて自販機本の最大手出版社だった。創設者は備前焼陶芸家の小向一實(こむかい かずみ)。旧社名は平和出版。.

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アドニス会

アドニス会(アドニスかい、英:ADONIS SOCIETY)は、戦後間もなく日本で発足した会員制の男性同性愛サークルであり、別名「ギリシャ研究会」ともいわれた。1952年(昭和27年)9月10日には、日本初の会員制のゲイ雑誌『ADONIS』を創刊している。.

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キリスト教功労者

リスト教功労者(キリストきょうぶんかこうろうしょう)は、財団法人日本キリスト教文化協会(深町正信理事長)が1964年から、キリスト教文化の振興、発展のために貢献した人に与える「キリスト教功労者顕彰」である。.

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ススキ

(芒、薄、)とは、イネ科ススキ属の植物。尾花ともいい秋の七草の一つ。また茅(かや。「萱」とも書く)と呼ばれる有用植物の主要な一種。 野原に生息し、ごく普通に見られる多年生草本である。.

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セレクション歌人

レクション歌人(せれくしょんかじん)は、邑書林が出版している中堅歌人の選集の叢書である。姉妹企画として『セレクション俳人』(全22巻、別冊1)、『セレクション柳人』(全20巻、別冊1、番外1)がある。.

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セント・メリーズ・インターナショナル・スクール

ント・メリーズ・インターナショナル・スクール(St.

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セクシートラベル

『セクシートラベル』は、泉大八による日本の官能小説作品。1986年に桃園文庫(桃園書房)より刊行された。.

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タイムマシン部

『タイムマシン部』(タイムマシンぶ)は、白井良がパーソナリティを務める、インターネットラジオ番組。ポッドキャストで配信されていた。2016年2月現在、最新回はYoutubeとPodcastにて配信されている。 本項では、2009年4月10日から2011年9月27日まで配信された「タイムマシン部」と、2012年2月29日から2012年12月21日まで配信された「タイムマシン部2」。2013年2月6日より配信されている「タイムマシン部G」について記述する。 タイトルについては白井良の話によると、特に理由はないとのことであり、偶然入ったDVDレンタル店のDVDから番組名を取り「部」を付けて命名したという。.

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よみ人しらず

よみ人しらずは、古代、中世の日本の和歌集において、作者(よみ人)が不明、あるいは匿名であることを示す表現。詠み人知らず、読み人知らずとも書く。 この表現が用いられるのは、.

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もどり川

『もどり川』(もどりがわ)は、1983年公開の日本映画。連城三紀彦の小説「戻り川心中」の映画化作品である。.

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やまだ紫

やまだ 紫(やまだ むらさき、1948年9月5日 - 2009年5月5日)は、日本の漫画家・エッセイスト・詩人。京都精華大学マンガ学部専任教授。東京都世田谷区出身。本名は白取 三津子(しらとり みつこ)(旧姓:山田)。2人目の夫は、元『ガロ』副編集長の白取千夏雄で、年齢は17歳下である。.

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備前市

備前市(びぜんし)は、岡山県南東部にある市。東部は兵庫県に隣接する。備前焼と耐火煉瓦と漁業の町である。 市の中心部は片上(かたかみ)地区で、ここに行政の中心がある。また、伊部地区に備前焼の作家・陶芸店が集中している。.

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冷泉為守

冷泉 為守(れいぜい ためもり、文永2年(1265年) - 嘉暦3年11月8日(1328年12月9日))は、鎌倉時代後期の公家・歌人。藤原為家の子。母は阿仏尼。法名は暁月房(ぎょうげつぼう)。 官位は正五位下侍従に昇るが、40歳頃に出家して鎌倉など東国に住んだ。連歌に優れ、北条貞時や夢窓疎石などとも親交があった。伝説によれば狂歌を初めて詠んだ人物とされ、「狂歌の祖」ともされている。 ためもり Category:鎌倉時代の公家 Category:鎌倉時代の歌人 Category:1265年生 Category:1328年没.

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冷泉為尹

冷泉 為尹(れいぜい ためまさ)は、南北朝時代から室町時代にかけての公卿・歌人。従二位権中納言・冷泉為秀の子。官位は正二位権大納言。冷泉家3代当主。.

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冷泉為久

冷泉 為久(れいぜい ためひさ)は、江戸時代中期の公卿・歌人。上冷泉家14代当主。.

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冷泉為広

冷泉 為広(れいぜい ためひろ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿・歌人。権大納言・冷泉為富の子。官位は正二位・権大納言。上冷泉家6代当主。.

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冷泉為任

冷泉 為任(れいぜい ためとう、1914年3月4日 - 1986年7月8日)は、日本の歌人。上冷泉家の第24代当主。 西四辻公堯の子。第22代当主冷泉為系の長男為臣が1944年(昭和19年)に戦死し、為臣に子がなかったので、昭和21年(1946年)に為系の娘の冷泉布美子に西四辻家から婿入りし、この時名前も公順から為任に改めた。実家の西四辻家も歌道の家であり、西四辻公業も藤原定家の流れをくむ二条派(三条西家一門)の歌人であった。娘は冷泉貴実子。娘婿は冷泉為人。 1981年(昭和56年)、財団法人冷泉家時雨亭文庫を作る。これによって、冷泉家に伝わる古文書や典籍の調査研究がはじめられて、貴重な資料が公開されるようになった。 実弟に、滋賀プラスチック代表取締役でスケベ椅子の開発者である西四辻公敬がいる『平成新修旧華族家系大成』下巻。。評論家の川本三郎は甥にあたる。.

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冷泉為和

冷泉 為和(れいぜい ためかず)は、戦国時代の公卿・歌人。正二位権大納言・冷泉為広の子。上冷泉家7代当主。官位は正二位・権大納言。.

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冷泉為理

冷泉 為理(れいぜい ためただ)は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿・歌人。上冷泉家20代当主。.

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冷泉為秀

冷泉 為秀(れいぜい ためひで)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿・歌人。官位は従二位・権中納言。冷泉家2代当主。.

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冷泉為章

冷泉 為章(れいぜい ためふみ)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿・歌人。上冷泉家17代当主。.

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冷泉為系

冷泉 為系(れいぜい ためつぎ、1881年 - 1946年)は、日本の歌人。伯爵。上冷泉家22代当主。父は冷泉為紀。妻は水無瀬忠輔の娘・恭子。子は冷泉為臣、冷泉布美子。婿養子に冷泉為任。.

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冷泉為純

冷泉 為純(れいぜい ためずみ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿・武将。歌人。細川庄を領したので細川 為純(ほそかわ ためずみ)と呼ばれることもあるが、室町幕府管領の細川氏との関係はない。.

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冷泉為紀

冷泉 為紀(れいぜい ためもと、嘉永7年1月11日(1854年2月8日) - 明治38年(1905年)11月24日)は、日本の歌人。上冷泉家21代当主。父は冷泉為理。子は冷泉為系。 明治17年(1884年)7月7日、伯爵を授かり、明治23年(1890年)より貴族院議員を務めた。明治31年(1898年)から死去まで伊勢神宮の大宮司をつとめた。.

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冷泉為益

冷泉 為益(れいぜい ためます)は、戦国時代の公卿・歌人。上冷泉家8代当主。.

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冷泉為相

冷泉 為相(れいぜい ためすけ)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿・歌人。冷泉家の祖。権大納言民部卿・藤原為家の晩年の子。母は『十六夜日記』作者として知られる阿仏尼(安嘉門院四条)。官位は正二位・権中納言。.

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冷泉為村

冷泉 為村(れいぜい ためむら)は、江戸時代中期の公卿・歌人。権大納言・冷泉為久の子。官位は正二位・権大納言。上冷泉家15代当主。上冷泉家中興の祖とされている。.

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冷泉為満

冷泉 為満(れいぜい ためみつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿・歌人。正二位権中納言・冷泉為益の子。官位は正三位・権大納言。上冷泉家9代当主。.

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冷泉為景

冷泉 為景(れいぜい ためかげ)は、江戸時代前期の貴族・歌人。官位は正四位下・左近衛中将。下冷泉家8代当主。実の姪・貞子は後光明天皇の典侍である事でも知られる。.

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冷泉持為

冷泉 持為(れいぜい もちため)は、室町時代中期の公卿・歌人。権大納言・冷泉為尹の子。官位は正三位・権大納言。下冷泉家の祖。.

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円空

円空(えんくう、寛永9年(1632年) - 元禄8年7月15日(1695年8月24日))は、江戸時代前期の修験僧(廻国僧)・仏師・歌人。特に、各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる。 円空は一説に生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5,300体以上の像が発見されている。円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県までおよぶ。多くは寺社、個人所蔵がほとんどである。その中でも、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。そのうち愛知県内で3,000体以上、岐阜県内で1,000体以上を数える。また、北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多い。多作だが作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。円空仏以外にも、多くの和歌や大般若経の扉絵なども残されている。.

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円融天皇

円融天皇(えんゆうてんのう、天徳3年旧3月2日(959年4月12日) - 正暦2年旧2月12日(991年3月1日); 在位:安和2年旧9月23日(969年11月5日) - 永観2年旧8月27日(984年9月24日))は、第64代天皇。諱は守平(もりひら)。 村上天皇の第五皇子で、母は右大臣藤原師輔の娘・中宮安子。冷泉天皇の同母弟。.

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円通寺 (倉敷市)

円通寺(えんつうじ)は、岡山県倉敷市西部の玉島にある曹洞宗の寺院。山号は補陀落山。本尊は聖観音菩薩。中国三十三観音霊場7番札所、山陽花の寺二十四か寺17番札所、備中国浅口三十三観音霊場一番札所、百八観音霊場第九番札所。 御詠歌:ひび一に まるいこころは えんつうじ みちびきたまえ ひとりゆくみち.

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円楽寺

円楽寺(えんらくじ)は、山梨県甲府市右左口町にある寺院。真言宗智山派の寺院で、山号は七覚山。 本尊は薬師如来。明治に神仏分離が行われるまで、五社権現の別当寺であった。.

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内山真弓

内山 真弓(うちやま まゆみ、天明6年(1786年) - 嘉永5年5月28日(1852年7月15日))は江戸時代後期の国学者、歌人。諱は国章、通称は理兵衛。別号に眉生、聚芳園。 信濃国安曇郡十日市場村(長野県北安曇郡池田町)生まれ。池田学問所に入り、文化7年(1810年)上洛して香川景樹親子に和歌を学ぶ。天保10年(1839年)から江戸で高島章貞とともに活動したのち、天保13年(1842年)帰郷し、安曇野の桂園派の主流となり、家塾「聚芳園」を起した。 師の景樹没後の天保14年(1843年)、桂園派唯一の体系的歌論書とされる『歌学提要』を著した。.

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内山晶太

内山 晶太(うちやま しょうた、1977年1月9日 - )は、歌人。千葉県八千代市出身。妻は第28回歌壇賞を受賞した、歌人の大平千賀。 1992年より作歌をはじめる。1998年、「風の余韻」で第13回短歌現代新人賞受賞。2012年、第1歌集『窓、その他』を刊行。翌2013年、同歌集で第57回現代歌人協会賞を受賞。短歌結社「短歌人」および歌誌「pool」に所属。2017年、「短歌人」編集委員に就任。.

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内田弘

内田 弘(うちだ ひろし、1939年2月11日- )は、日本の経済学者・思想史学者、専修大学名誉教授。専門は『資本論』形成史・自由時間・三木清。.

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内裏相模

内裏相模(だいりさがみ、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の歌人である。.

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内藤正範

内藤 正範(ないとう まさのり、延享4年(1747年) - 没年不明)は、江戸時代中後期の旗本、歌人。政次郎。通称、外記。官途は従五位下安芸守、甲斐守。内藤政利の次男として生まれ、内藤正雄の末期養子となった。妻は松平忠寄の娘、後妻は内藤信庸の娘。 江戸に生まれた。明和6年(1769年)に養父・正雄の跡を継ぐ。小姓番頭、書院番頭など歴任し文化2年(1805年)駿府城代となった( - 文化4年(1807年))。冷泉家、日野家門下に和歌を学び、石野広通、横瀬貞臣と合わせて近世武家の三歌人といわれた。家集に「春草」がある。ほかに享和元年(1801年)、東海道を通り江戸から難波に赴いた紀行文「蘆の仮寝廼記」がある。.

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内藤明

内藤 明(ないとう あきら、1954年8月10日 - )は、日本の国文学者、万葉学者、歌人。早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授。 宮中「歌会始の儀」選者。.

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内野光子

内野光子(うちの みつこ、1940年 - )は、日本の歌人、評論家。歌誌「ポトナム」所属。阿部静枝に師事。夫は東京大学名誉教授、醍醐聰。動画開始3分40秒後に夫婦で登場(右端人物が内野光子) https://www.youtube.com/watch?v.

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凡河内躬恒

凡河内躬恒(百人一首より) 凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね、貞観元年(859年)? - 延長3年(925年)?)は、平安時代前期の歌人・官人。姓は宿禰『三十六人歌仙伝』。一説では淡路権掾・凡河内諶利の子。官位は六位宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年・和泉大掾。三十六歌仙の一人。.

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凡河内氏

凡河内氏(おうしこうちうじ)は、主に畿内を中心として勢力があった古代豪族。凡河内忌寸、凡川内国造、河内国造とも書かれる。隅田八幡宮人物画像鏡に見られる「開中費直」の文言を「河内直(かわちのあたい)」と解釈する説がある。 天津彦根命の後裔(息子の天戸間見命、五世孫乎田部連、国造本紀による彦己曾保理命等)と天穂日命の後裔(十三世孫可美乾飯根命)、あるいは渡来系(後漢孝献帝の息子白龍王等)の3系統がある。 上代の凡河内国、すなわち後世の摂津、河内、和泉にわたる広い地域に勢力を持っていた。摂津国菟原郡には河内国魂神社(五毛天神)があり、凡河内氏が奉祀していたと考えられる。天平19年(747年)の「法隆寺伽藍縁起并流記資財帖」には、会下山の付近に凡河内寺山の名が見られる。記紀には、宣化天皇の妃に大河内稚子媛の名が見える。 続日本紀によると、慶雲3年(706年)10月には摂津国造凡河内忌寸石麻呂を従七位上から位一階進める、の記事があり、摂津の国造も出していた様である。 しかし、奈良時代にはかつての勢力は衰えていたと考えられる。 平安時代前期の 歌人凡河内躬恒はこの氏族出身と思われる。.

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出羽弁

出羽弁(でわのべん、寛弘4年(1007年)頃? - 没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。読み方についてはいでわのべんともいう。父については出羽守平季信とも、加賀守平秀信ともされる。 一条天皇の中宮上東門院彰子・その妹で後一条天皇の中宮威子、その娘章子内親王に仕えた。1033年(長元6年)には源倫子の70歳の祝賀で屏風歌を進詠したほか、多くの歌合で活躍した。 「後拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。家集に「出羽弁集」がある。なお、「栄花物語」続編の巻31から巻37までは出羽弁の作という説がある。また「六条斎院禖子内親王家物語合」によれば、物語「あらば逢ふ夜の」の作者とされる。 Category:平安時代の女性 Category:平安時代の歌人 Category:堂上平氏.

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出観集

『出観集』(しゅっかんしゅう)は、平安時代末期の歌人・覚性法親王の家集である。.

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入内雀

月岡芳年『新形三十六怪撰』より「藤原実方の執心雀となるの図」 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「入内雀」 入内雀(にゅうないすずめ)または実方雀(さねかたすずめ)とは、平安時代の歌人である藤原実方の伝承にある怪鳥。.

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入江為守

入江 為守(いりえ ためもり、1868年5月12日(慶応4年4月20日) - 1936年(昭和11年)3月19日)は、明治 ‐ 昭和時代前期に活躍した日本の貴族院議員、官僚、歌人講談社刊 『日本人名大辞典』 2001年12月6日発行 ISBN 978-4-06-210800-3。位階・勲等は、正二位勲一等。子爵 。昭和天皇の侍従長を務めた入江相政は為守の三男講談社刊 『日本人名大辞典』 2001年12月6日発行 ISBN 978-4-06-210800-3。.

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入江相政

入江 相政(いりえ すけまさ、1905年(明治38年)6月29日 - 1985年(昭和60年)9月29日)は、日本の官僚、歌人・随筆家である。昭和天皇の侍従・侍従長を長く務めた。従二位勲一等旭日大綬章、勲一等瑞宝章、紺綬褒章・賞杯。 堂上華族の入江家出身入江家は、藤原北家・長家流御子左家の支流、冷泉家(上冷泉家)の分家で、旧家格は羽林家である。鎌倉時代初期の歌人・藤原定家の子孫。。歌人・柳原白蓮の甥であり、元岩崎勝商事社長・岩崎勝太郎は相政の義弟にあたる。柳原前光の孫である。.

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全国高校生短歌大会

全国高校生短歌大会(ぜんこくこうこうせいたんかたいかい)は、岩手県盛岡市が主催し、2006年から開催している高校生(高等専門学校は在学3年以内、特別支援学校は高等部在籍のみ参加可能)を対象とした短歌の全国大会。通称は短歌甲子園。開催地は岩手県盛岡市。開催時期は毎年8月下旬。.

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全真

全真(ぜんしん、仁平元年(1151年) - 没年未詳)は、平安時代末期の天台宗の僧。藤原北家勧修寺流の出身で父は参議藤原親隆。母は平時信の娘。 母方の伯母にあたる平時子の猶子となり、平氏政権の下で立身。治承2年(1178年)には権少僧都となる。時子が従二位であった関係から、世上「二位の法眼」と呼称された。 寿永2年(1183年)、平家一門の都落ちに従って西海に赴き、元暦2年(1185年)の壇ノ浦の戦いにおいて伯父の平時忠らとともに捕虜となる。詮議の末に安芸国へと配流され、以後文治5年(1189年)に赦免されるまで同国にて過ごした。赦免後は帰洛し、大原に隠棲中の建礼門院徳子を訪問して「今日かくてめぐり逢ふにも恋しきは此の世隔てし別れなりけり」の一首を詠んだたことなどが知られるが、その後の足跡については未詳。 歌人としても知られ、『玉葉和歌集』にその作が収録されている。.

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八条宮智仁親王

八条宮智仁親王(はちじょうのみや としひとしんのう)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての皇族・歌人。八条宮(桂宮)家の初代。正親町天皇の孫にして、誠仁親王の第六皇子。母は勧修寺晴右の女・新上東門院(藤原晴子)。同母兄に後陽成天皇・興意法親王らがいる。幼称は六宮・胡佐麿(古佐麿)・員丸、通称は幸丸・友輔。一般には八条の皇子と呼ばれた。.

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八条院高倉

八条院高倉が出家して住した法華寺(1601年(慶長6年)再建の本堂) 八条院高倉(はちじょうのいんのたかくら、生没年不詳:1176年(安元2年)頃 - 1248年(宝治2年)以後 1251年(建長3年)以前)は、鎌倉時代初期に活躍した歌人である。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人。藤原南家貞嗣流、藤原通憲(信西)の孫で安居院法印澄憲の娘。.

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八木 (広島市)

八木(やぎ)は広島県広島市安佐南区の地名。一丁目から九丁目までが設置されている。郵便番号731-0101。2010年11月30日現在の人口は13,724人。.

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八木沼丈夫

八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) - 1944年(昭和19年)12月12日)は、日本の陸軍軍属、歌人。日中戦争(支那事変)において日本軍が本格的に宣撫官を導入するきっかけとなった人物。.

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八戸市

八戸市(はちのへし)は、青森県東部に位置し、太平洋に面する中核市。青森市・弘前市と共に、青森県主要3市の一角を構成する。 三八地域県民局が設置されており、三戸郡を包含する八戸圏域連携中枢都市圏の中心となっている。.

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公平 (曖昧さ回避)

公平(こうへい).

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公胤

公胤(こういん、久安元年(1145年)- 建保4年閏6月20日(1216年8月5日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての天台宗の僧・歌人。村上源氏出身で、父は中院右少将源憲俊。号は明王院。従兄弟に俊寛がいる。 園城寺(三井寺)に入って叔父行顕に天台・密教を学び、阿闍梨となる。1183年(寿永2年)律師に任じられている。源氏将軍家の帰依を受け、度々鎌倉に下向した。後に北条政子の願いにより源頼家の遺児である公暁を弟子として預かった。一方で後鳥羽上皇の信望も厚く、園城寺長吏・法勝寺別当・僧正に任じられている。当初は1198年(建久9年)法然が「選択本願念仏集」を著したとき、これを批判した「浄土決疑抄」を著した。曹洞宗の祖道元に臨済宗の栄西への入門を勧めたことでも知られる。 歌人でもあり、『新古今和歌集』に1首(歌番号1935)入集している。.

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六百番歌合

六百番歌合(ろっぴゃくばんうたあわせ)とは、鎌倉時代に藤原良経主催でなされた歌合。判者藤原俊成の判詞「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」などで知られ、後の千五百番歌合とならび歌合の最高峰と評される。.

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六条有房

六条 有房 (ろくじょう ありふさ)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。太政大臣・久我通光の孫にして、左中将・六条通有の子。庶流出身で、父と同様に昇進は難渋したが、後宇多上皇の厚遇を得て内大臣に昇った。六条家2代当主。.

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六条斎院宣旨

六条斎院宣旨(ろくじょうさいいんのせんじ、長保頃 - 寛治6年2月22日(1092年))は、平安時代後期の女流歌人・作家。父は源頼国。兄弟に頼弘、頼資、頼実、実国、頼綱、国房、師光らがある。六条斎院(禖子内親王)家女房。 主家である禖子内親王家で催された「六条斎院歌合」に16度出詠したことが確認される。はじめ藤原高定の妻となったが、後に源隆国と再婚したものと推測されている。天喜3年(1055年)の「六条斎院禖子内親王家物語合」では物語「玉藻に遊ぶ権大納言」を提出した。また『狭衣物語』の作者であると考えられている。 その詠歌は『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に入集している。.

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六歌仙

六歌仙の図、喜多川歌麿画。 六歌仙(ろっかせん)とは、『古今和歌集』の序文に記された六人の代表的な歌人のこと。僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の六人を指す。ただし「六歌仙」という名称そのものは後代になって付けられたものである。.

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兼覧王

兼覧王(かねみおう/― のおおきみ、貞観8年(866年)? - 承平2年(932年))は、平安時代前期の皇族・歌人。文徳天皇の皇孫で、弾正尹・惟喬親王の子『古今和歌集目録』。一説には上野太守・国康親王の子『中古歌仙三十六人伝』。官位は正四位下・宮内卿。中古三十六歌仙の一人。.

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元良親王

元良親王(もとよししんのう、890年(寛平2年) - 943年9月3日(天慶6年7月26日))は、平安時代中期の皇族、歌人。三品兵部卿にまで昇った。 陽成天皇の第1皇子で、父帝の譲位後に生まれた。母は藤原遠長の娘。同母弟に元平親王。異母兄は源清蔭。妻室には、神祇伯藤原邦隆女・修子内親王(醍醐天皇皇女)・誨子内親王(宇多天皇皇女)らがいる。子に佐材王・佐時王・佐頼王・佐兼王・源佐芸・源佐平・源佐親らがいた。 延喜3年(903年)及び延喜7年に、当年巡給により年給を賜る。延長7年(929年)10月、彼の四十の算賀に際して妻の修子内親王は紀貫之に屏風歌を作らせた。承平6年(936年)3月、右大臣藤原仲平らともに醍醐寺に塔の心柱を施入した。天慶6年7月26日に薨去。 色好みの風流人として知られ大和物語や今昔物語集に逸話が残るが、とくに宇多院の妃藤原褒子との恋愛が知られる。 後撰和歌集に20首入集した他、『元良親王集』という歌集も後世になって作られている。 Category:日本の親王 Category:平安時代の男性皇族 Category:平安時代の歌人 Category:小倉百人一首の歌人 Category:890年生 Category:943年没.

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兵庫県立姫路東高等学校

兵庫県立姫路東高等学校(ひょうごけんりつ ひめじひがしこうとうがっこう)は、日本国の兵庫県姫路市本町に所在する公立の高等学校。姫路西高とは兄弟校。愛称・略称は「東高」(ひがしこう)。.

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兵庫県立西宮北高等学校

兵庫県立西宮北高等学校(ひょうごけんりつにしのみやきたこうとうがっこう)は、兵庫県西宮市にある公立の高等学校。.

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兵庫県立柏原高等学校

兵庫県立柏原高等学校(ひょうごけんりつ かいばらこうとうがっこう, Hyogo Prefectural Kaibara High School)は、兵庫県丹波市にある公立の高等学校。略称は「柏高」(はっこう)。応援歌においても「はっこう」と歌われるなど、親しまれている。.

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兵衛内侍

兵衛内侍(ひょうえのないし)は、内裏に内侍として出仕した女性の女房名の一つで、主に平安時代中期から鎌倉時代にかけて、歴史上の実在人物に用例が見られる。近い年代で複数の該当人物がいる場合には、主として仕えた天皇の院号を付記して区別する場合がある。.

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光栄

光栄(こうえい、旧字体で光榮).

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光栄堯夫

光栄 堯夫(みつはな たかお、1946年12月22日 - )は歌人、文芸評論家。.

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光森裕樹

光森 裕樹(みつもり ゆうき、1979年5月26日 - )は日本の歌人。.

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光泉寺

光泉寺(こうせんじ)は、群馬県吾妻郡草津町にある真言宗豊山派の寺院である。山号は草津山。関東薬師霊場第四十四番札所。.

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光本恵子

光本 恵子(みつもと けいこ、1945年10月24日 -)は鳥取県出身の歌人。 日本ペンクラブ会員、日本文芸家協会会員、現代歌人協会会員。「未来山脈」編集発行人。.

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前川佐美雄

前川 佐美雄(まえかわ さみお、1903年2月5日 - 1990年7月15日)は、歌人。日本芸術院会員。妻の前川緑、長男の前川佐重郎も歌人。.

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前川佐美雄賞

前川佐美雄賞(まえかわさみおしょう)は、ながらみ書房主催の短歌賞。2003年に前川佐美雄の生誕100周年に合わせて創設された。前年1年間に刊行された短歌関連の書籍の中から、最もスリリングで優れた歌集・歌書に主として授与される。ただしユニークと思われる短歌関係の辞典、雑誌の特集・企画なども対象となることがあり、短歌全般の広い範囲をカバーしているのが特徴。無差別級の短歌賞を標榜している。中堅以上の歌人による歌集を対象としたながらみ現代短歌賞がその前身。選考委員は、創設以来現在に至るまで、佐佐木幸綱、三枝昂之、佐々木幹郎、俵万智、加藤治郎の5名。受賞者には賞状と賞金50万円(2013年度)が授与される。.

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前田夕暮

前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 長男の前田透も歌人であり、歌誌『詩歌』を引き継いだ。.

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前田康子

前田 康子(まえだ やすこ、1966年7月30日 - )は、日本の歌人。「塔」短歌会所属(「選者」2015年より)。夫は塔短歌会主宰の吉川宏志 。.

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前田利定

前田 利定(まえだ としさだ 1874年12月10日 - 1944年10月2日)は、日本の政治家、華族(子爵)。逓信大臣(第26代)、農商務大臣(第34代)を務めた。東京府出身。.

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前田利建

前田 利建(まえだ としたつ、1908年(明治41年)1月15日 - 1989年(平成元年)9月19日)は、加賀前田家17代当主。17代当主前田利為の子で、母は漾子(前田利嗣長女)。夫人は侯爵で鳥類学者だった黒田長禮の長女、政子。嫡男は18代前田家当主前田利祐。 従四位侯爵。異母妹弟に酒井美意子、前田利弘がいる。宮内省式部官兼主猟官をつとめた。 夫人の政子は歌人でもあった。 石川県七尾市には『よもゝとせ過ぎにし昔しのびつゝ つといて祝ふ今日のよろこひ』の歌碑が建立されている。.

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前田透

前田 透(まえだ とおる、大正3年(1914年)9月16日 - 昭和59年(1984年)1月13日)は、歌人。.

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前登志夫

前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)4月5日)は、日本の歌人。本名、前 登志晃(まえ としあき)。日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。.

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創価大学の人物一覧

創価大学の人物一覧(そうかだいがくのじんぶついちらん)は創価大学に関係する人物の一覧記事。.

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勝瑞城

勝瑞城(しょうずいじょう)は、徳島県板野郡藍住町勝瑞(阿波国板野郡勝瑞)にあった日本の城(平城)。平城跡と居館跡が2001年(平成13年)に国の史跡に指定され、その後の発掘で新たに確認された部分が2007年(平成19年)に追加指定された。阿波国の守護所であり、近年の発掘調査でその繁栄の一端をうかがうことができた。現在も断続的に発掘調査が行われている。.

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勝間田長清

勝間田 長清(かつまた ながきよ、生没年不詳、藤原 長清とも。)は、鎌倉時代後期の武士。遠江国蓁原郡勝田(かつまた)郷(静岡県牧之原市榛原)の勝間田川流域一帯)を領する勝間田氏の頭領で、勝間田城城主。歌人として『夫木和歌抄』を編纂したことで知られる。.

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勝野かおり

勝野 かおり(かつの かおり、女性、1969年12月18日『短歌年鑑 平成27年度版』 (『短歌』1月号増刊、角川学芸出版、2014年12月発行) 巻末「全国短歌人名録」 より -)は、日本の現代歌人。.

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勘解由小路資忠

勘解由小路 資忠(かでのこうじ すけただ、寛永9年1月6日(1632年2月25日) - 延宝7年1月12日(1679年2月22日)は、江戸時代前期の公家、歌人。父は公家烏丸光広。官位は正三位参議。兄弟に烏丸光賢、六角広賢(幕府高家)、烏丸親広、浄土真宗西光寺照貞室。子女は勘解由小路韶光、阿部正春継室。 正保元年(1644年)、藤原北家日野流・勘解由小路家を興した。男子に恵まれず烏丸光雄の子、勘解由小路韶光を養子とした。 Category:江戸時代の公家 Category:江戸時代の歌人 すけたた Category:烏丸家 Category:1632年生 Category:1679年没.

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勘解由小路資生

勘解由小路 資生(かでのこうじ すけより『平成新修旧華族家系大成』上巻、428頁。 / すけなり『明治維新人名辞典』278頁。、1827年3月29日(文政10年3月3日)- 1893年(明治26年)1月25日)は、幕末の公家・歌人、明治期の官僚・政治家。貴族院子爵議員。.

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因幡万葉歴史館

因幡万葉歴史館(いなばまんようれきしかん)は鳥取県鳥取市国府町にある歴史系博物館。.

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国冬本源氏物語

国冬本源氏物語(くにふゆほんげんじものがたり)は、鎌倉時代末期の住吉大社の神主で歌人としても知られる津守国冬(1270年(文永7年)-1320年(元応2年))による書写とされる源氏物語の写本のことである。津守国冬による書写とされる源氏物語の写本は、断片的なものを含めるといくつか知られているが、通常「国冬本源氏物語」というときには、現在天理大学天理図書館に所蔵されている津守国冬の書写による巻を含む取り合わせ本をいう。.

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四字熟語

四字熟語(よじじゅくご)とは、日本において漢字4文字で作られた熟語を指す用語。学術的な用語ではなく、4字の熟語や成語を指す概念として自然発生的に現れた比較的新しい用語である。最広義には漢字4字で構成される言葉の全てを指すものとして解釈できるが、最近では、より狭い範囲をもって四字熟語とすることも一般的であり、しかもその定義は人によって一定でない。本項目では、この狭義の四字熟語について解説する。 敬天愛人(けいてんあいじん) - 「天を敬い人を愛する」という意味。画像は西郷隆盛の書。 四字漢語高島(2009), p.18、四字成語高島(2009), p.15、四文字熟語(よんもじじゅくご)とも呼ばれる。一般的に「四字」は「しじ」と読むことはまれ(#「四字」の読みについてを参照)。。-->.

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四丁目の夕日

『四丁目の夕日』(よんちょうめのゆうひ)は、『ガロ』1985年7月号から1986年7月号まで連載された山野一による日本の漫画作品。山野一の初期の代表作にして初の連載作品であり、不幸が不幸を呼ぶ工場労働者の悲惨な環境と人間の負の部分を描く。 青林堂より1986年12月に単行本化されたが、現在も入手できるのは扶桑社による文庫版のみである。 文庫版初版帯のキャッチコピーは「人間、どう不幸になったってここまで不幸になれるものじゃない」。.

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四谷区

四谷区(よつやく)は、かつて東京都にあった区。.

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四賀光子

四賀光子(しが みつこ、1885年4月21日 - 1976年3月23日)は、歌人。本名は有賀みつ。夫は太田水穂。「四賀」は父の出身地諏訪郡四賀村から。 長野県上水内郡長野町(現長野市)出身。長野師範学校女子部卒業後、長野で教師を務めているときに太田水穂と出会い、「この花会」に参加して作歌を始める。東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)卒業。1909年水穂と結婚。東京の成女高等女学校(現・成女学園中学校・成女高等学校)、東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鴎高等学校・附属中学校)で教える。若山牧水主宰の歌誌『創作』を経て、1915年水穂の歌誌「潮音」創刊に参加。1955年水穂没後より同誌主宰。養子に太田青丘。門下に葛原妙子、山名康郎など。.

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四辻善成

四辻 善成(よつつじ よしなり)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての公家・学者・歌人。従一位左大臣。順徳天皇の曽孫。四辻宮尊雅王の子。関白・二条良基の猶子となり、その庇護を受けた。.

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四条家

四条家(しじょうけ)は、羽林家の家格を有する公家。藤原北家魚名流の嫡流。藤原家成の一男隆季を家祖とする。家名は、隆季が四条大宮に構えた邸宅により、大宮とも称した。分家に山科家・鷲尾家・西大路家・油小路家・櫛笥家がある。.

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四条隆親

四条 隆親(しじょう たかちか)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿・歌人。大納言・四条隆衡の二男。官位は正二位・権大納言。善勝寺長者(四条家当主)。.

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「私の八月十五日」の会

私の八月十五日」の会とは2002年、戦争の記憶を持つ漫画家・作家の有志を中心として結成された任意団体である。2007年2月現在、会員(出品者)総数125名。.

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倉敷市

倉敷市(くらしきし)は、日本の中国地方、岡山県の南部に位置する市。白壁の町並みが残る倉敷美観地区や本州と四国を結ぶ瀬戸大橋などで知られる。中国地方で三番目の人口を擁し、中核市に指定されている。.

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犬島

島(いぬじま)は瀬戸内海に位置する島のひとつである。犬島諸島最大の島であり、行政上は岡山県岡山市東区犬島に属する。犬島本島とも呼ばれる。岡山市内唯一の有人離島でもある。郵便番号は704-8153。2016年9月30日現在で人口49人9月末のデータを使用。。2010年10月1日時点で35世帯。 古くから銅の製錬業と採石業などで隆盛をきわめてきた歴史があり、現在も残る当時の遺構が独特の雰囲気と景観を醸し出している。また、2008年(平成20年)の犬島精錬所美術館開館、2010年(平成22年)の瀬戸内国際芸術祭以降は、現代アートの島としても知られるようになっている。.

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犬島精錬所

島精錬所(いぬじませいれんしょ)は、岡山県邑久郡朝日村犬島(当時、現在の岡山市東区)にかつて存在した銅の精錬所。最盛期は2000人を超える従業員がいた。しかし、銅価格の暴落などにより1919年(大正8年)には操業を停止、1925年(大正14年)に廃止になった小林伸一郎『廃墟遊戯』(2008年1月18日 メディアファクトリー)。.

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皇學館大学の人物一覧

皇學館大学の人物一覧は皇學館大学に関係する人物の一覧記事。.

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皇覚

皇覚(こうかく、生没年未詳)は、平安時代後期の天台宗の僧。歌人として著名な藤原基俊の子。法橋。.

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矢巾町

巾町(やはばちょう)は、岩手県のほぼ中心部に位置する紫波郡に属する町である。幣懸(ぬさかけ)の滝・南昌山・矢巾温泉・徳丹城跡など、町内に名所旧跡は多い。.

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矢田部名実

部 名実(やたべ の なざね、生年不詳 - 昌泰3年(900年))は、平安時代前期の官人。矢田部稲吉の子とする系図がある。官位は六位・大内記。.

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矢掛町

掛町(やかげちょう)は、岡山県小田郡にある地方公共団体(町)である。県南西部に位置し、旧山陽道の宿場町で、中心市街地には現在も往時の町並みが残る事で知られる。 近年はホタルの里として東京や大阪の百貨店などに、町内で飼育されたホタルを持ち込み「ホタル展」を行うなどPR活動を行っている。 また、2006年(平成18年)10月10日から、倉敷市、浅口市、笠岡市、井原市などとともにご当地ナンバーである「倉敷ナンバー」が導入された。.

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短歌

短歌(たんか)とは、和歌の一形式で五・七・五・七・七の五句体の歌体のこと。ただし短歌は古より詠まれている歌体であるが、この項目では明治以降の短歌すなわち近代短歌と現代の短歌について取り上げる。.

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短歌研究社

短歌研究社(たんかけんきゅうしゃ)は日本の出版社。1932年(昭和7年)創刊の短歌総合誌「短歌研究」の出版を、1962年(昭和37年)10月より手がけている。中堅以上の実力ある歌人を顕彰する短歌研究賞のほか、短歌研究新人賞や現代短歌評論賞を主催し、新しい才能の発掘・育成にも力を注いでいる。1954年(昭和29年)に「短歌研究五十首詠」で中城ふみ子や寺山修司がデビューしたことでも知られている。講談社の関連企業の1つ。.

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石原純

石原 純(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、日本の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。.

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石原正明

石原正明(いしはら まさあき)は、日本の国学者・歌人。.

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石塚俊明

石塚俊明(いしづか としあき、1950年2月2日 - )は東京生まれのドラマー、パーカッショニスト。頭脳警察のメンバー。.

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石塚倉子

石塚 倉子(いしづか くらこ、1686年(貞享3年10月)- 1758年(宝暦8年12月6日))は江戸時代中期の歌人。名は玖羅(くら)で号は春秋亭(しゅんじゅうてい)といった。また存命中は今小町と称されたという。.

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石岡市

石岡市(いしおかし)は関東地方北東部、茨城県南部の市である。.

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石川

石川(いしかわ).

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石川不二子

石川 不二子(いしかわ ふじこ、1933年11月22日 - )は、歌人。神奈川県藤沢市出身。岡山県吉備中央町在住。歌誌「心の花」選者。本名は黒井不二子。.

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石川啄木

石川 木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は、日本の歌人、詩人。本名は石川 一(いしかわ はじめ)。.

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石川啄木記念館

旧渋民尋常小学校 旧斉藤家住宅 石川啄木記念館(いしかわたくぼくきねんかん)は岩手県盛岡市渋民にある文学館。近代を代表する歌人石川啄木の顕彰施設として1970年に開館した。敷地内には本館のほか、啄木縁の旧斉藤家住宅、旧渋民尋常小学校が移築され、当館の施設として公開されている 。.

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石川啄木賞

石川啄木賞(いしかわたくぼくしょう)は、日本にあった歌人・俳人・詩人・エッセイスト(随筆家)のための、公募のコンクールによる総合的な文芸の新人賞。最大時は、短歌・俳句・詩(散文詩・自由詩・現代詩)・エッセイ(随筆)の4部門があった。岩手日報文学賞の啄木賞や啄木風短歌全国公募の啄木賞とは異なる。.

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石川美南

石川 美南(いしかわ みな、1980年5月7日 - )は、歌人。神奈川県横浜市出身。 16歳の時に作歌をはじめ、「短歌朝日」などに投稿する。神奈川県立柏陽高等学校を経て2000年、早稲田大学の短歌実作ゼミで水原紫苑に学ぶ。同年、同人誌「punch-man」に参加(翌年、同誌解散)。2002年、『祖父の帰宅/父の休暇』で第1回北溟短歌賞(石川啄木賞の前身)次席。2003年、東京外国語大学卒業。一貫して短歌結社には属さず、同人誌を拠点として活動している。歌誌「pool」および に所属。 海外文学の影響を受けた綺想的作風が特徴。柴田元幸に見出され文芸誌「モンキービジネス」に作品を発表し、2008年のsummer vol.2に掲載された連作『眠り課』は大森望が注目し年刊日本SF傑作選「超弦領域」に収録された。豊崎由美、北村薫、北村想など歌壇外の愛読者も多い。2008年から2年に渡って「すばる」に短歌エッセイ『ききみみはひだり耳』を連載した。.

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石川県立七尾高等学校

石川県立七尾高等学校(いしかわけんりつ ななおこうとうがっこう)は、石川県七尾市西藤橋町に所在する公立の高等学校。通称ななこう。.

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石川県立金沢泉丘高等学校

石川県立金沢泉丘高等学校(いしかわけんりつ かなざわいずみがおかこうとうがっこう)は、石川県金沢市泉野出町三丁目に所在する公立高等学校。文部科学省によりスーパーサイエンスハイスクールに指定されている。.

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石川恒夫

石川 恒夫(いしかわ つねお、1919年2月16日 - 2011年2月27日)は、愛知県西加茂郡三好村(現・みよし市)出身の実業家・歌人。中京テレビ放送社長・会長。2011年(平成23年)に「石川家住宅」はみよし市指定有形文化財(建造物)に指定された。.

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石上露子

石上 露子(いそのかみ つゆこ、1882年(明治15年)6月11日 - 1959年(昭和34年)10月8日)は、日本の作家、歌人。大阪府富田林市出身。 雅号はゆふちどり。新詩社の社友となり、「明星」等に短歌、詩、小説等を発表した。本名杉山 孝(すぎやま たか)。代表作は「小板橋」。.

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石下町

在の常総市役所石下庁舎(常総市新石下4310-1) 石下町(いしげまち)は、かつて茨城県結城郡に存在した町である。 2006年1月1日に合併により水海道市に編入され、水海道市はそれと同時に改称し常総市となった。.

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石像寺

本堂の釘抜の絵馬 石像寺(しゃくぞうじ)は京都市上京区にある浄土宗の寺院。山号は家隆山(かりゅうざん)。詳名は家隆山光明遍照院石像寺(かりゅうざん こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)である。本尊は地蔵菩薩。地元では通称の釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)で知られている。.

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石出帯刀

石出 帯刀(いしで たてわき)は、江戸幕府伝馬町牢屋敷の長官である囚獄(牢屋奉行)の世襲名。.

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石田比呂志

石田 比呂志(いしだ ひろし、1930年10月27日 - 2011年2月24日)は、歌人。福岡県出身。本名は裕志。.

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石黒清介

石黒 清介(いしぐろ せいすけ、1916年3月17日 - 2013年1月27日)は、歌人、編集者、出版人。短歌新聞社元社長。 新潟県三条市生まれ、栃尾市育ち。本名は清作。1940年内藤鋠策と『抒情詩』を復刊する。1943年応召を受け、中国、仏領インドシナなどで従軍。戦後、郷里新潟県で「越後短歌」を創刊。 1953年東京で短歌新聞社を創立、月刊短歌情報誌『短歌新聞』を発刊。1977年に月刊短歌総合誌『短歌現代』を創刊した。以後、2011年12月の廃業まで一貫して社長を務めた。名歌集を安価で読める「短歌新聞社文庫」、新鋭歌人による「現代歌人叢書」「現代女流短歌全集」の創刊や、短歌現代新人賞の創設、『短歌現代』編集長に高瀬一誌を起用するなどの施策を打ち出し、戦後短歌に大きな影響を与えた。 1997年『雪ふりいでぬ』で第24回日本歌人クラブ賞を受賞。2002年第4回島木赤彦文学賞を受賞。2009年第32回現代短歌大賞特別賞を受賞。2012年『短歌新聞』『短歌現代』を長年発行した業績により第3回日本歌人クラブ大賞受賞。.

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石薬師寺

石薬師寺(いしやくしじ)は、三重県鈴鹿市石薬師町にある、真言宗東寺派の仏教寺院。山号は高富山(たかとみざん)。院号は瑠璃光院(るりこういん)。本尊は薬師如来。.

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石野広通

石野 広通(いしの ひろみち、享保3年5月9日(1718年6月7日) - 寛政12年5月21日(1800年7月12日))は、江戸時代中後期の旗本、歌人、国学者。旗本で大番役をつとめた石野広包の子。本姓は中原、通称は平蔵。家禄300石。官途は従五位下遠江守。号は大沢(だいたく)、蹄渓、花月堂、通翁。妻の勇子も「霞関集」に納められている歌人。 江戸に生まれた。冷泉為村、冷泉為泰父子に師事して和歌を学び、ほかに武者小路公野、高松重季にも学んだ。また、有職故実を伊勢貞丈に学んだ。田安宗武、萩原宗固、賀茂真淵、内山伝蔵と合わせて明和六歌仙といわれ、内藤正範、横瀬貞臣と合わせて近世武家の三歌人といわれた。納戸番、膳奉行、納戸頭を歴史し、天明元年に佐渡奉行となる。在任期間に天明の大飢饉が起こり、相川市中の治安強化を目的としそれまで47箇所あった木戸を73箇所に増設、また夜番(自身番)を増強するなどした。天明4年においては特に深刻で相川にある御蔵詰米が不足となり、諸役人の扶持米支給を止めて銭で支給した。また、食料の島外持ち出しを禁止し食料確保を図った。寛政3年に普請奉行となる。寛政12年、83歳で没した。墓所は東京都中野区万昌院(旧牛込築土八幡町)、諡名は如是縁齋大澤雲岩蹄渓居士。.

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石榑

石榑(いしぐれ、いしくれ).

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石本隆一

石本 隆一(いしもと りゅういち、1930年12月10日 - 2010年3月31日)は、歌人。.

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玉城徹

玉城徹(たまき とおる、1924年5月26日―2010年7月13日)は、歌人、評論家。長女は歌人の花山多佳子、孫の花山周子も歌人。 宮城県仙台市生まれ。1931年東京府吉祥寺に転居。1939年北原白秋主宰の『多磨』に入会。白秋没後は巽聖歌に師事する。1944年第二高等学校卒、東京帝国大学文学部美学美術史科卒。東京の高校教師を務めるかたわら作歌をおこない、1972年『樛木』で第24回読売文学賞受賞。1977年歌誌「うた」創刊、戦後の前衛短歌から距離を置いた独自のスタンスを保ち続け、2003年まで続けた。1980年『われら地上に』で第13回迢空賞、2000年の『香貴』で短歌新聞社賞・現代短歌大賞受賞。.

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玉川大学の人物一覧

玉川大学の人物一覧(たまがわだいがくのじんぶついちらん)は玉川大学に関係する人物の一覧記事。.

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玉川重機

玉川 重機(たまがわ しげき)は、高知県出身の日本の漫画家。.

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玉井清弘

玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は、歌人。歌誌「音」選者・編集運営委員会代表。香川県高松市在住。.

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玉津島神社

鳥居 玉津島神社(たまつしまじんじゃ、玉津嶋神社とも書く)は、和歌山県和歌山市和歌浦に鎮座する神社。国史見在社。.

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獅子内謹一郎

獅子内謹一郎 獅子内 謹一郎(ししうち きんいちろう、1884年(明治17年)3月25日 - 1941年(昭和16年)10月29日)は日本のアマチュア野球選手。早稲田大学野球部の中心選手だった。また、岩手県や満州で後進の育成に努め、「岩手野球の父」とも呼ばれる。守備位置は外野手、三塁手、投手。.

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現代歌人協会賞

代歌人協会賞(げんだいかじんきょうかいしょう)は、歌人の職能団体である現代歌人協会が主催する、新人の歌集を対象にした賞。1957年に設立。非公募の新人賞としては最も伝統と権威があるとされ、有名歌人への登竜門とみなされている。 前年に刊行された非会員かつ新人の歌集(第一歌集に限らない)のうち、現代歌人協会員の投票および選考委員の合議によって決定される。受賞者には賞状と賞金20万円ならびに現代歌人協会への入会資格が自動的に与えられる。2017年度の選考委員は坂井修一(委員長)、沖ななも、奥田亡羊、久我田鶴子、栗木京子、内藤明、御供平佶。.

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碓田のぼる

碓田 のぼる(うすだ-、1928年2月5日 - )は、歌人、教育運動家。長野県生まれ。本名・登(教育関係の著作には本名を用いる)。 東京物理学校卒。高校教諭を経て、全国私教連委員長、全教副議長などを歴任。渡辺順三に師事。新日本歌人協会全国幹事、日本民主主義文学会員、国際啄木学会会員。歌集『花どき』で多喜二・百合子賞受賞。左翼的な立場から短歌、石川啄木についての文芸評論を行う。 日本共産党の党員でもあり、1992年・1995年の参院選に比例区から出馬している。.

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神奈川大学の人物一覧

奈川大学の人物一覧(かながわだいがくのじんぶついちらん)は神奈川大学に関係する人物の一覧記事。.

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神奈川県立厚木高等学校

奈川県立厚木高等学校(かながわけんりつ あつぎこうとうがっこう)は、神奈川県厚木市戸室二丁目に所在する公立の高等学校。通称は「厚高」(あつこう)。国のSSH指定校(平成30年3月迄)で、神奈川県の学力向上進学重点校に指定されている。100年以上の歴史をもつ、県内有数の名門・伝統校の1つである。.

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神奈川県立平塚農業高等学校

奈川県立平塚農業高等学校(かながわけんりつ ひらつかのうぎょうこうとうがっこう)は、神奈川県平塚市達上ヶ丘に本校を構える公立の農業高等学校。三浦市初声町和田に初声分校を持つ。.

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神奈川県立秦野高等学校

奈川県立秦野高等学校(かながわけんりつはだのこうとうがっこう。愛称は秦高)は、旧制神奈川県立秦野中学校を前身とする神奈川県秦野市下大槻に所在する公立の高等学校。学区制施行下の旧秦野伊勢原学区トップ校であったが2005年に学区制が廃止された。その後2010年時点、県内18校が指定を受ける学力向上進学重点校の一つに選ばれる進学校として存続している。しかし、2018年現在は学力向上進学重点校の指定から外れてる。.

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神奈川県立柏陽高等学校

奈川県立柏陽高等学校(かながわけんりつ はくようこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市栄区柏陽1番1号にある県立高等学校。全日制普通科が設置されている。.

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神奈川県立横須賀高等学校

奈川県立横須賀高等学校(かながわけんりつ よこすかこうとうがっこう)は神奈川県横須賀市公郷町三丁目にある県立高等学校。.

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神奈川県立湘南高等学校の人物一覧

奈川県立湘南高等学校人物一覧(かながわけんりつしょうなんこうとうがっこうじんぶついちらん) 神奈川県立湘南高等学校の主な出身者・教員・関係者など。.

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神作光一

作 光一(かんさく こういち、1931年10月4日 - )は、日本の歌人、国文学者、東洋大学名誉教授。専門は平安朝文学。元東洋大学学長。日本歌人クラブ名誉会長。短歌結社誌「花實」代表。市川市文化振興財団理事。.

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神戸女学院大学の人物一覧

この記事では、神戸女学院大学に関係する人物の一覧を示す。.

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祐子内親王 (後朱雀天皇皇女)

祐子内親王(ゆうし(すけこ)ないしんのう、長暦2年4月21日(1038年5月27日) - 長治2年11月7日(1105年12月15日))は後朱雀天皇第3皇女、母は中宮・藤原嫄子(敦康親王女で藤原頼通養女)。別名高倉一宮あるいは高倉殿宮(高倉宮)。同母妹に禖子内親王。藤原師通を養子とした。 生後2ヶ月で内親王宣下を受ける。母后・嫄子の死後は頼通に養育され、長久元年(1040年)10月に着袴と共に准三宮。頼通とともに高倉第に住んでいたため、高倉一宮あるいは高倉殿宮と呼ばれた。延久4年(1072年)出家。承保元年(1074年)、甥・白河天皇から二品を授けられたが辞退した。長治2年(1105年)11月7日、68歳で薨去。 祐子内親王は歌合を盛んに催すなど一大サロンを形成し、歌人の祐子内親王家紀伊や菅原孝標女などが仕えたことで知られる。 Category:日本の内親王 category:平安時代の女性皇族 Category:1038年生 Category:1105年没.

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祐子内親王家紀伊

子内親王家紀伊/近世の百人一首かるた 祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけ の きい、生没年不詳)は、平安時代院政期の日本の女流歌人で、後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房。女房三十六歌仙の一人。一宮紀伊、紀伊君とも呼ばれる。従五位上民部大輔春宮亮平経方の娘とも、藤原師長の娘である堀河院御乳母典侍紀伊三位師子と同一人物ともいわれており父親は定かではない。母は「岩垣沼の中将」の作者祐子内親王家小弁(こべん)。紀伊守藤原重経(素意法師)は兄とも夫とも言われている。.

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祐子内親王家駿河

子内親王家駿河(ゆうしないしんのうけ の するが、生没年未詳)は、平安時代後期の女官・女流歌人。清和源氏満政流。駿河守源忠重の娘。兄弟に定宗、定重らがある。一宮駿河とも呼ばれる。 母は美濃国の出身といわれ、後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えた。歌人としては『夫木和歌抄』巻22に所収される歌から、祐子内親王家歌合に出詠したことが推察されている。『後拾遺和歌集』に1首が入集。.

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祝子内親王

祝子内親王(しゅくし(のりこ)ないしんのう、生没年不詳)は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族、歌人。 花園天皇の第5皇女で、母は従三位・葉室頼任の娘、頼子(冷泉局)。貞和2年(1346年)2月20日に内親王となるが、その他の動向についてはよくわかっていない。父や異母姉の儀子内親王と同じく京極派の歌人として活躍し、『風雅和歌集』に十首が入る。 『花園天皇宸記』には、元亨3年(1323年)8月28日に「女王」が着袴を行ったという記事が見えるが、この女王を祝子と同一人物とすれば正和4年(1315年)生まれで、後伏見天皇の生母五辻経子に養育され、元亨4年(1324年)の経子の死去を受けて10歳で出家したことになる。.

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祥子内親王

祥子内親王(しょうし(さちこ)ないしんのう、生没年不詳)は、鎌倉時代後期から室町時代初期(南北朝時代)にかけての皇族、歌人。後醍醐天皇第2皇女、母は阿野廉子(新待賢門院)。後村上天皇の同母姉妹。伊勢斎宮(最後の斎宮として知られる)。.

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祇園梶子

祇園梶子(ぎおんかじこ、生没年不明)は江戸時代中期の歌人。本名は梶。本姓不明。梶女とも。 梶子は京都祇園の八坂神社近くで茶店を営む店主であった。幼少の頃より、草子や歌物語を好み、特別な師を持たなかったが、歌才に恵まれ、公家の冷泉為村から和歌を贈られるほどであった。 宝永3年(1706年)に歌集『梶の葉』を出版。挿絵は友禅染めで有名な宮崎友禅斎が描いた。和歌を口ずさむ店主がいる珍しい店として、梶子の和歌目当てに訪れた客で茶店は繁盛し、梶子の歌名は、洛中のみならず全国に知られたという。また、町絵師でもあった友禅斎が絵を描いた扇子に、客の頼みで梶子が和歌を書き、客がそれを京都の土産にすることもあったという。 梶子は生涯独身であったが、百合という養女を貰い、茶店を継がした。百合も養母梶子と同じく歌才に恵まれ、歌集『佐遊李葉』を残している。百合は旗本徳山氏との間に一女町をもうけており、この町が後に池大雅と結婚し自らも画家として知られる玉蘭である。梶子、百合、町の三人で祇園三女として知られた。.

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福岡県出身の人物一覧

福岡県出身の人物一覧(ふくおかけんしゅっしんのじんぶついちらん)では、Wikipedia日本語版に記事が存在する福岡県出身の人物、ならびに他都道府県出身ながら福岡県に特に深い縁を持った人物を一覧表にしてまとめる。 ※出身市町村名は現在の呼称を優先。なお、名前の前に★が付いている人物は故人である。.

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福岡県立小倉西高等学校

福岡県立小倉西高等学校(ふくおかけんりつ こくらにしこうとうがっこう, Fukuoka Prefectural Kokura Nishi High School)は、福岡県北九州市小倉北区下到津五丁目にある県立高等学校。100年以上の伝統と歴史をもつ。略称は「西高」(にしこう)。.

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福岡県立京都高等学校

福岡県立京都高等学校(ふくおかけんりつ みやここうとうがっこう, Fukuoka Prefectural Miyako High School)は、福岡県行橋市南大橋4丁目5番1号にある公立高等学校。文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール(SGH)指定校となる。略称は、京都(みやこ)。.

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福岡県立伝習館高等学校

福岡県立伝習館高等学校(ふくおかけんりつ でんしゅうかんこうとうがっこう)は、福岡県柳川市本町にある県立高等学校。略称は「伝習館」(でんしゅうかん)、「伝習」(でんしゅう)、「伝館」(でんかん)。伝習館の生徒は「伝習生」(でんしゅうせい)とよばれる。ふくおかスーパーハイスクール(FSH)指定校。.

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福岡県立修猷館高等学校の人物一覧

福岡県立修猷館高等学校人物一覧(ふくおかけんりつしゅうゆうかんこうとうがっこうじんぶついちらん)では、福岡県立修猷館高等学校の主な出身者・教員・関係者などを列挙する。.

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福岡県立筑紫丘高等学校

福岡県立筑紫丘高等学校(ふくおかけんりつ ちくしがおかこうとうがっこう)は、福岡県福岡市南区野間二丁目にある県立高等学校。福岡県第五学区に属する(以下、「筑紫丘高校」と記す)。ふくおかスーパーハイスクール(FSH)指定校。.

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福岡県立育徳館中学校・高等学校

福岡県立育徳館中学校・高等学校(ふくおかけんりつ いくとくかんちゅうがっこう・こうとうがっこう, Fukuoka Prefectural Ikutokukan Junior and Senior High School)は、福岡県京都郡みやこ町豊津にある県立中学校・高等学校。.

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福島大学の人物一覧

福島大学の人物一覧は福島大学に関係する人物の一覧記事。.

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福島県立福島高等学校

福島県立福島高等学校(ふくしまけんりつ ふくしまこうとうがっこう)は、福島県福島市森合町に本拠を置く県立高等学校。通称「福高(ふくこう)」。.

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福島県立橘高等学校

福島県立橘高等学校(ふくしまけんりつ たちばなこうとうがっこう)は、福島県福島市に所在する県立高等学校。略称は「橘(たちばな)」。.

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福島泰樹

福島 泰樹(ふくしま やすき、1943年3月25日 - )は日本の僧侶、歌人、朗読家、ナレーター。東京都台東区下谷の法華宗本門流法昌寺住職。「短歌絶叫コンサート」と称する感情を込めた力強い声色を多用する朗読パフォーマンスで知られる詩人。早稲田大学理工学部非常勤講師、日本大学芸術学部非常勤講師。.

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福崎町

福崎町(ふくさきちょう)は、兵庫県の南西部、播磨(中播磨)に位置する町である。面積は45.82km2で、東西は10.1km、南北は11.5km。町章は、カタカナの「ク」を二つ組み合わせて「フク」とし図案化したもの(1957年7月制定)。町花はサルビア、町木はクロガネモチ(共に1972年12月に制定)。本項では町制前の名称である福崎村(ふくざきむら)についても述べる。.

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福井市橘曙覧記念文学館

橘曙覧記念文学館(たちばなあけみきねんぶんがくかん)は福井県福井市にある文学館。.

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福井県出身の人物一覧

福井県出身の人物一覧(ふくいけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する福井県出身の人物の一覧表である。.

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福井県立藤島高等学校の人物一覧

福井県立藤島高等学校人物一覧 (ふくいけんりつふじしまこうとうがっこうじんぶついちらん) 福井県立藤島高等学校の主な出身者・関係者など。.

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福井県立若狭高等学校

|校名.

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福羽美静

福羽 美静(ふくば びせい、「よししず」とも天保2年7月17日(1831年8月24日) - 明治40年(1907年)8月14日)は日本の武士・津和野藩士、国学者、歌人。通称は文三郎、号は木園、硯堂。子爵。貴族院議員、錦鶏間祗候。.

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福生市

市域の衛星写真 在日アメリカ空軍横田基地、第2ゲート(メインゲート) 在日アメリカ空軍横田基地南端付近より、北方を望む 市の上空を飛ぶ、アメリカ空軍機 蛍が生息していたことを示す。今は500メートルほど下流の崖下(玉川上水は人工河川なので高いところを流れている)にあるほたる公園で養殖し、ほたる祭で放たれる。 福生市(ふっさし)は、東京都の多摩地域中部に位置する市である。都心からは約40kmの位置にあり、東西は約3.6km、南北が約4.5kmである。.

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福田廣宣

福田廣宣 福田廣宣(ふくだ ひろのぶ、1912年1月5日 - )は、日本の歌人。.

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福田正名

福田 正名(ふくだ まさな、1804年(文化元年) - 1862年(文久2年))は、下野国都賀郡上草久村(現・栃木県鹿沼市上草久)出身の歌人。字は「彌五八(やごはち:弥五八とも)」で、字を入れた「福田彌五八正名(ふくだ やごはち まさな)」として知られる。.

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福澤桃介

福澤 桃介(ふくざわ ももすけ、慶應4年6月25日(新暦:1868年8月13日) - 1938年(昭和13年)2月15日)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本の実業家。 旧姓は岩崎で、福澤諭吉の婿養子となり福澤姓を名乗る。相場師として日露戦争後の株式投機で財を成し、その後実業界に転ずる。主として電気事業に関与し、名古屋電灯を買収して社長となり木曽川などで水力開発を手がけ、後に大手電力会社大同電力の初代社長となった。これらの電気事業での活動により「電気王」「電力王」と呼ばれるに至る。また、実業家としての活動の傍ら、一時期衆議院議員(1期)も務めたことがある。.

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私立育英学校

私立育英学校(しりついくえいがっこう)は、神奈川県中郡金目村に存在した私立学校であり、中郡立中郡農業学校の後身、神奈川県立秦野高等学校の前身である。.

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秦野市

野市(はだのし)は、神奈川県中西部に位置する市である。.

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秋山佐和子

秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 山梨県東山梨郡後屋敷村(現山梨市)生まれ。旧姓、堀内。山梨英和中学校・高等学校、國學院大學文学部卒。岡野弘彦に師事し、1974年「人」短歌会入会。1985年、「応答に抑揚ひくき日本語よ―宮柊二の歌とともに」で第3回現代短歌評論賞次席。日本語教師として働くかたわら、1990年の第5回「現代短歌を評論する会」にて「フェミニズムを体現した歌人たち」のテーマで研究発表。以後、三ヶ島葭子などの女性歌人を中心に「青鞜」の女性運動について研究を行うようになる。 1993年、「人」解散に伴い藤井常世主宰の「笛」に参加。2002年、「玉ゆらの会」を結成、主宰となる。2003年、『歌ひつくさばゆるされむかも 歌人三ヶ島葭子の生涯』で第1回日本歌人クラブ評論賞を受賞。2012年、「青鞜」に関わった歌人原阿佐緒と三ヶ島葭子の研究で第8回平塚らいてう賞を受賞。.

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秋山律子

秋山 律子(あきやま りつこ、1940年11月23日 - )は歌人。.

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秋田県出身の人物一覧

秋田県出身の人物一覧(あきたけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する秋田県出身の人物の一覧表である。.

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秋葉四郎

秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人、文芸評論家、随筆家、教育者、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(前会長)。千葉県出身。.

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秋村功

秋村 功(あきむら いさお、1932年7月24日 - 1990年7月4日)は、宮崎県宮崎市出身の歌人・短歌評論家、環境問題を専門とする国際公務員(元国際連合環境計画(UNEP)支援措置部長)である。一橋大学商学部卒。本名崎村久夫。 未来短歌会の同人で、我妻泰(田井安曇)の「未来手帖」のあとを継ぎ、洗練された文章を記していた。その我妻泰と歌誌『河』を編む。岡井隆が吉本隆明と定型論争を繰り広げた際は、アメリカ社会学や社会心理学の知識を授けてブレーンとなった。 1958年、「短歌散文化の性格」で第3回現代短歌評論賞受賞。 晩年は環境問題に取り組み、国際湖沼委員会などの設立に尽力した。 野村総合研究所上席研究員の崎村夏彦は長男。.

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稲垣千穎

垣 千穎(いながき ちかい、1845年(弘化4年)8月 - 1913年(大正2年)2月9日)は、国学者、教育者、歌人、唱歌作詞者、教科書編集者。東京師範学校教諭として和文教育を行い、多数の和文教科書を編纂したほか、音楽取調掛として、『蛍の光』・『蝶々』2番など多数の唱歌を作詞した。通称は真二郎。.

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稲田定雄

定雄(いなだ さだお、1909年7月1日 - 1993年12月)は、日本のロシア文学者、歌人、作家。福岡県八幡市生まれ。1934年大阪外国語学校ロシア語科卒。日本ロシア文学会理事。国鉄門司鉄道局勤務、実業之世界社および日露通信社の記者、陸軍航空通信学校教官などの経歴を有し、交通新聞に私小説的な作品である『或る女の横顔』を連載。姉妹編として短編集『妻の体温』がある。また「創作」(若山牧水が創始者)に参加した歌人でもあり、昭和万葉集に作品が収められている。.

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稲葉三右衛門

葉 三右衛門(いなば さんえもん、天保8年(1837年)9月21日 - 大正3年(1914年)6月)は、現在の三重県四日市市の築港者。四日市港を近代港湾にした功労者。明治時代の四日市の近代化に貢献した公共事業家。.

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稲葉京子

葉京子(いなば きょうこ、1933年6月1日 - 2016年11月19日)は、歌人。歌誌「短歌」選者。 愛知県江南市生まれ。本姓・大竹。1952年愛知県立尾北高等学校卒。小学校教師となるが、体力がなく翌年退職。童話を書くようになり、与田準一の紹介で同人誌「童話」に入会。1957年『婦人朝日』に投歌、選者の大野誠夫の薦めで「砂廊」(のち「作風」)入会。同年、「中部短歌会」にも入会。1958年銀行員と結婚。 童話を書いていた経験から、初期作品は少女の夢想のような物語性が濃い。第一歌集『ガラスの檻』は青井史に「現代のメルヘン」と評された。後年は人生の悲哀を深く見つめた作風へと変化した。.

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稲森宗太郎

森 宗太郎(いなもり そうたろう、1901年(明治34年)7月12日 - 1930年(昭和5年)4月15日)は、三重県名張市出身の歌人。.

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穂積生萩

穂積 生萩(ほづみ なまはぎ、1926年 - )は日本の女流歌人。本名澤木数枝。 山林地主澤木再吉の末娘として秋田県男鹿に生まれる。1928年、東京府荏原郡田園調布(東京都大田区田園調布)に移住。1943年、高等女学校を卒えて鈴木亨のもとで古事記を学ぶ。叔父澤木四方吉(慶應義塾大学部文学科教授)が折口信夫の旧友だった影響により、折口に傾倒。 1944年4月、戦災を避けて秋田に帰郷。1948年、折口の媒酌により、酒類評論家で技術士の穂積忠彦と結婚。1952年、折口から「生萩」の号を受ける(故郷秋田のナマハゲに由来)。 1975年4月、穂積と離婚。1978年、朝日新聞本社学芸部にいた昔の初恋の男性の勧めで『私の折口信夫』を書き、反響を呼ぶ。反面、加藤守雄や池田弥三郎など一部の同門者からは反撥を買った。 1987年、男鹿に折口の歌碑を建立。 著書に『私の折口信夫』『折口信夫呪術の世界』、歌集に『貧しい町』がある。 Category:歌人 Category:秋田県出身の人物 Category:1926年生.

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穂積隆信

積 隆信(ほづみ たかのぶ、本名;鈴木 隆信、1931年7月20日 - )は、日本の俳優及び声優。所属事務所はマウスプロモーション。静岡県伊豆の国市(旧:田方郡大仁町)出身。身長172cm、血液型はA型。静岡県立韮山高等学校卒業。.

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穂積老

積 老(ほづみ の おゆ)は、飛鳥時代後期から奈良時代中期にかけての貴族・万葉歌人。穂積咋の曾孫で、直広肆・穂積虫麻呂の子。.

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穂村弘

村 弘(ほむら ひろし、1962年5月21日 - )は、日本の歌人。歌誌「かばん」所属。 加藤治郎、荻原裕幸とともに1990年代の「ニューウェーブ短歌」運動を推進した、現代短歌を代表する歌人の一人。批評家、エッセイスト、絵本の翻訳家としても活動している。.

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窪俊満

夜景、堀の内外」 大判3枚続の内右2図。天明末期、大英博物館など所蔵 窪 俊満(くぼ しゅんまん、宝暦7年〈1757年〉 - 文政3年9月20日〈1820年10月26日〉)とは、江戸時代の浮世絵師、戯作者、歌人。北尾重政の門人で、同門の北尾政演(山東京伝)、北尾政美(鍬形蕙斎)と並び、代表的な弟子である。.

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窪田空穂

(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)は、日本の歌人、国文学者。日本芸術院会員。本名は窪田 通治。息子に、同じく歌人の窪田章一郎がいる。.

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窪田空穂記念館

記念館(くぼたうつぼきねんかん)は、長野県松本市和田にある記念館。国文学者で歌人ある窪田空穂の生家に隣接して造られた文学館である。松本市立博物館の分館。.

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窪田章一郎

一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 - 2001年4月15日)は、歌人。窪田空穂の長男として東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)南榎町に生まれる。旧制私立豊山中学校(日本大学豊山高等学校)四年修了後、早稲田大学文学部国文科卒。1943年、武川忠一らが創設した早稲田大学短歌会に指導役として参加。そこから発展した歌誌『まひる野』を創刊主宰した。早稲田大学講師、教授、名誉教授を歴任。国文学者としては西行研究の第一人者であった。 1980年、「素心臘梅」で第14回迢空賞受賞。1988年、「窪田章一郎全歌集」で第11回現代短歌大賞受賞。1995年、「定型の土俵」で第2回短歌新聞社賞および第10回詩歌文学館賞受賞。 門下に馬場あき子、岩田正、橋本喜典、篠弘、島田修三など。.

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竹山広

竹山 広(たけやま ひろし、1920年(大正9年)2月29日 - 2010年(平成22年)3月30日)は、日本の歌人。本名は竹山 廣(たけやま ひろし)。.

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竹山修身

竹山 修身(たけやま おさみ、1950年5月30日 - )は、日本の政治家。大阪府堺市長(第19代)、大阪広域水道企業団企業長。.

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立山

立山(たてやま)は日本の飛騨山脈(北アルプス)北部、立山連峰の主峰で、中部山岳国立公園を代表する山の一つである(環境省)、2010年12月16日閲覧。。雄山(おやま、標高3,003 m)、大汝山(おおなんじやま、標高3,015 m)、富士ノ折立(ふじのおりたて、標高2,999 m)の3つの峰の総称である。雄山のみを指して立山ということもあるが、厳密には立山連峰に立山と称する単独峰は存在しない。剱岳、鹿島槍ヶ岳とならび、日本では数少ない、氷河の現存する山である。.

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立命館大学の人物一覧

立命館大学の人物一覧(りつめいかんだいがくのじんぶついちらん)は立命館大学に関係する人物の一覧記事。 ※多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する。.

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立教大学の人物一覧

立教大学の人物一覧(りっきょうだいがくのじんぶついちらん)は立教大学に関係する人物の一覧記事。.

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笠縫邑

縫邑(かさぬいむら、かさぬいのむら)とは、崇神天皇6年に、宮中に奉祀していた天照大神を移し、豊鍬入姫命に託して祀らせた場所。同時に宮中を出された倭大国魂神は渟名城入媛命に託して、後に大和神社に祀ったとされる。 笠縫邑は大嘗祭、豊明節会の起源に関係する土地との説もある。垂仁天皇紀25年3月丙申条に、倭姫命は天照大神を磯城の厳橿の本に祀ったとあり、厳橿は神霊の神木で、崇神朝に磯堅城の神籬を立てた。(崇神紀6年条)。古語拾遺には「磯城の神籬」とあり、「磯城の厳橿の本」と「磯堅城の神籬」は同所とも考えられる。 比定地については、檜原神社(桜井市 三輪)、多神社(磯城郡 田原本町多)、笠縫神社(磯城郡田原本町秦荘、秦楽寺境内南東隅)、笠山荒神社(桜井市笠)、多神社摂社の姫皇子神社、志貴御県坐神社(桜井市金屋)、小夫天神社(桜井市小夫)、穴師坐兵主神社(桜井市穴師)、飛鳥坐神社(高市郡 明日香村飛鳥)、長谷山口坐神社(桜井市初瀬手力雄)、等々。 檜原神社、笠山荒神社、小夫天神社(笠山荒神社よりもさらに東の山間部)、穴師坐兵主神社等はまさに山の中である。 また、笠縫神社に関係する秦楽(じんらく)という名が、築山古墳(大和高田市築山字城山)の前方部眼下に広がる平地にも神楽(じんらく)という名で存在する。この神楽は、古くは秦楽と書いたとの説もある。何らかの関係を示唆しているかも知れない。 多神社から、摂社の屋就神命神社(やつぎかみのみことじんじゃ、やつき?しんめいじんじゃ:祭神 天明豊玉命)の方角を見ると、神楽、築山古墳の方角となる。実際には、理由はよく判らないが地元住民によって大切に残された「矢継ぎの森(やつぎのもり:屋就神命神社の杜でもある)」に隠されて見えない。 また、もしかすると、昔は、多神社から姫皇子神社の方向を見ると、箸墓が見えたのかもしれない。元々、姫皇子神社は、多神社の奥(北:上座)に位置していたので、前(南:下座)に移転させられている可能性がある。 多神社を笠縫邑の位置と比定するなら、これら古墳が、鏡に映した様に南北及び東西が逆になるが、大嘗祭の悠紀殿(千木は伊勢神宮外宮の様に外削ぎ)、主基殿(千木は伊勢神宮内宮の様に内削ぎ)の起源とも関係している可能性がある。.

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笠郎女

郎女(かさのいらつめ)は奈良時代中期の歌人。生没年未詳。一説には笠金村の娘。大伴家持とかかわりのあった十余人の女性のひとりで、同時代では大伴坂上郎女とならび称される女性歌人。『万葉集』巻三、巻四、巻八に計29首の歌が収載されている。内訳は、譬喩歌3首、相聞歌24首、春および秋の相聞各1首。いずれも家持に贈った歌である。.

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笠金村

金村(かさ の かなむら、生没年不詳)は、奈良時代の歌人。姓は朝臣。吉備笠垂の子とする系図がある。官職は越前守。.

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第49回NHK紅白歌合戦

『第49回NHK紅白歌合戦』(だいよんじゅうきゅうかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1998年(平成10年)12月31日にNHKホールで行われた、通算49回目の『NHK紅白歌合戦』である。20時から21時25分および21時30分 - 23時45分にNHKで生放送された。.

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第三高等学校 (旧制)の人物一覧

三高等学校 (旧制)人物一覧(だいさんこうとうがっこうじんぶついちらん) 第三高等学校 (旧制)の主な出身者・教員・関係者など。.

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第二高等学校 (旧制)

片平にある煉瓦造りの校門と碑(東北大学片平キャンパス) 旧制第二高等学校(きゅうせいだいにこうとうがっこう)は、1887年(明治20年)4月に宮城県仙台区(現・仙台市)に設立された旧制高等学校。略称は「二高」(にこう)である。.

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第八高等学校 (旧制)

旧制第八高等学校(きゅうせいだいはちこうとうがっこう)は、愛知県名古屋市にかつて存在した官立旧制高等学校である。1908年(明治41年)3月に設置された。略称は「八高」(はちこう / はっこう)。現在の名古屋大学情報学部の前身である。.

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笹井宏之

笹井 宏之(ささい ひろゆき、1982年8月1日 - 2009年1月24日)は、歌人。歌誌「未来」所属。本名、筒井宏之。実父の筒井孝司は碗琴奏者。.

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笹公人

笹 公人(ささ きみひと、1975年7月8日 - )は、歌人並びにミュージシャン。東京都出身・在住。戦国時代の武将可児吉長の末裔。文化学院文学科卒業。大正大学客員准教授。文化学院講師。NHK学園講師。現代歌人協会理事。日本文藝家協会会員。.

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筏井嘉一

筏井 嘉一(いかだい かいち、1899年(明治32年)12月28日 - 1971年(昭和46年)4月21日)は、富山県高岡市出身の歌人。父は俳人の筏井竹の門で、長男として生まれた。 高岡中学校を卒業し、1914年(大正3年)に詩人、童謡作家、歌人であった北原白秋の巡礼詩社、短歌雑誌『日光』に入会する。 1928年(昭和3年)、歌人の坪野哲久、前川佐美雄らと共に新興歌人連盟を結成。また、歌誌『香蘭』の選者を担当した。 1940年(昭和15年)に近代主義に移り、坪野哲久、前川佐美雄、佐藤佐太郎、加藤将之、五島美代子、斎藤史、館山一子、常見千香夫、福田栄一と共に合同歌集『新風十人』(八雲書林)に参加。同年『エスプリ』『立春』を著し、嘉一に師事していた児童文学作家、翻訳家、教育評論家の森比左志が『蒼生』(現:創生)を発行した。 同年、ヒューマンな感情と流麗なロマン性が話題となった - Yahoo!百科事典、日本大百科全書、2012年12月9日閲覧。歌集『荒栲』を創刊した。 1965年(昭和40年)、歌集『籬雨荘雑歌』を著した。 1971年(昭和46年)4月21日に71歳で死去。.

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筏井竹の門

筏井 竹の門(いかだい たけのかど、1871年(明治4年)10月16日 - 1925年(大正14年)3月29日)は、石川県出身の日本の俳人、俳画家。別号に北雪、四石、此君、雪の村人、松杉窟など。旧姓は向田、本名は虎次郎。長男は歌人の筏井嘉一。.

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筑紫歌壇賞

筑紫歌壇賞(ちくしかだんしょう)は日本の短歌の賞。主催はNPO法人国際科学技術文化振興会。後援は太宰府市・太宰府市教育委員会・本阿弥書店・西日本新聞社。 前年の1月1日から12月31日までに出版された、60歳以上の作者による第一歌集が対象。賞の名称は、万葉集に登場する歌人・大伴旅人、山上憶良らがいわゆる筑紫歌壇を形成して活躍したのが大宰府であり、その年齢が60歳代であったことから名づけられた。 選考委員は伊藤一彦、小島ゆかり、山埜井喜美枝の3名。選考過程は総合短歌誌「歌壇」に掲載される。贈賞式は毎年9~10月に、福岡県太宰府市の大宰府館にて行なわれる。 正賞として人形師である三宅隆による博多人形「万葉の月」、副賞として賞金30万円が授与される。.

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筒井富栄

井 富栄(つつい とみえ、1930年6月22日 - 2000年7月23日)は歌人。.

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箱根町

箱根町全域のCG画像 箱根町(はこねまち)は、神奈川県西部、箱根峠の東側に位置する町である。足柄下郡に属する。.

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篠弘

弘(しの ひろし、1933年3月23日 - )は、歌人、近代短歌研究者。短歌結社「まひる野」代表。日本現代詩歌文学館館長、日本文藝家協会理事長。.

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範玄

(はんげん、保延3年(1137年) - 正治元年6月1日(1199年6月25日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の真言宗の僧侶・歌人。藤原為業の子で、姉妹に三河内侍がいる(範玄の娘とする説もある)。 久安5年(1149年)頃に興福寺の覚珍の元に弟子入りし、その没後は同寺の玄縁の門人となった。嘉応2年12月30日(1171年2月6日)には法橋に叙され、承安3年(1173年)に権律師に任ぜられた。この頃に後白河法皇の信任を得て、その意向によって興福寺一乗院の院主に任ぜられ、安元元年(1175年)に元興寺別当になる。 ところで、本来摂関家の子弟が独占していた一乗院の院主に範玄が任命されたのは、承安3年に発生した興福寺衆徒の多武峰焼討事件をきっかけに院権力が興福寺への介入を強めようとした結果と考えられている。だが、これに反発する興福寺の衆徒は反範玄の動きを強め、身の危険を感じた範玄は治承元年6月1日(1177年6月28日)に院を逐電し、7月16日には反対派の衆徒が範玄の住房を破壊した。この反対派の動きは摂関家の支持を背景にしたものであったが、範玄を支持する衆徒も存在したため事態は緊迫した。これに対して朝廷は8月16日に範玄を一乗院院主と元興寺別当を解任し、権律師の地位を剥奪した。だが、翌治承2年(1178年)3月に行われた雷別社歌合には追われている筈の範玄が参加し、10月には権律師に復帰、治承3年(1179年)3月には権少僧都に進んだ。その後、以仁王の挙兵に関与した疑いで治承4年8月17日(1180年9月8日)に権少僧都の解任と所領の没収が行われた。間もなく復帰が許されたものの、この年の12月には平家政権の南都焼討によって興福寺が焼失している。その後遅くても養和元年(1181年)までに法眼に叙せられたものの、寿永2年12月4日(1184年1月18日)には今度は法住寺合戦に関連して木曽義仲の要求によって解任され、義仲没落後の元暦元年5月21日(1184年6月30日)に復帰している。文治元年1月13日(1185年2月14日)には権大僧都に任ぜられ、文治4年5月28日(1188年6月24日)には法印に叙せられている。度々の失脚にも関わらず範玄が復帰できた背景には、後白河法皇による各種の仏事における導師としての参仕や円勝寺・蓮華王院などの法皇ゆかりの修理事業などに深く関わってその信任が篤かった他に彼が興福寺の衆徒の中に自派を拡大させてきたことによる。この時期になると、興福寺の再建問題をきっかけとしてかつて反範玄派衆徒を支持してきた摂関家の九条兼実と範玄が急速に接近するようになった。 文治5年5月28日(1189年7月13日)に興福寺権別当、建久2年8月27日(1191年9月17日)に法隆寺別当、建久6年12月25日(1196年1月26日)に興福寺別当に補任され、南都仏教界の中心的存在となった。後白河法皇崩御後もその権力は衰えず、建久9年(1199年)3月に権僧正に任ぜられたが、同年11月に興福寺と和泉守平宗信の対立に際し、後鳥羽上皇は範玄の子・玄俊を興福寺の衆徒を扇動したとして佐渡に配流する。その直後の12月に範玄は権僧正と興福寺別当を「中風」を理由として辞任して籠居した。範玄の辞任は玄俊の件による責任の追及とそれに伴う健康悪化にあった可能性が高い。それから半年後に没した。 歌人としても優れており、『千載和歌集』に4首、『続後撰和歌集』に1首採録されている。また、自房でも歌合を開き、京都・奈良両方の歌壇で主導的な役割を果たした1人でもあった。.

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築地正子

築地 正子(ついじ まさこ、1920年(大正9年)1月1日 − 2006年(平成18年)1月27日、享年八十六)は、日本の歌人。本名は築地 正(ついじ まさ)。.

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米山久

米山 久(よねやま ひさ、1897年1月 - 1981年2月9日)は、日本の政治家。石川県出身の婦人運動家。歌人。衆議院議員(1期)。本名は米山 久子。.

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米川千嘉子

米川 千嘉子(よねかわ ちかこ、1959年10月29日 - )は、日本の歌人。 千葉県野田市生まれ。千葉県立東葛飾高等学校、早稲田大学第一文学部日本文学科卒業、早稲田大学国語国文学専攻科修了。 大学在学中に武川忠一が顧問を務める「短歌研究会」に所属し、内藤明、島田修三、小島ゆかりらと活動した。1979年、短歌結社「かりん」に入会し馬場あき子に師事。「慎重、丁寧な心づかいから生れる物言いに柔軟さと芯の強さをみせる歌人」「一つの歌材に対して深く思い入り、時間をかけて自分のものにするところに信頼がもてる」とは、その馬場による米川評である。 毎日新聞、信濃毎日新聞他歌壇選者。角川短歌賞、短歌研究新人賞選考委員。「かりん」編集委員。現代歌人協会、日本文藝家協会、日本歌人クラブ各会員。 夫は同じく歌人の坂井修一。また日本画家の後藤純男は叔父にあたる。.

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米田利昭

米田 利昭(よねだ としあき、1927年1月6日 - 2000年4月13日)は、歌人、日本文学研究者。 東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区西ヶ原)生まれ。東京大学文学部国文学科卒業、同大学院を経て、宇都宮大学助教授、教授。1992年定年、駒沢女子大学教授を務めた。 主に詩歌を論じたが、闊達な語り口で「リショー氏」と呼ばれた。.

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米田登

米田 登(よねだ のぼる、1919年6月29日 - 1993年3月20日)は、昭和期・平成期の歌人。.

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米田靖子

米田 靖子(こめだ やすこ、1947年2月18日 - )は、歌人。奈良県高市郡出身。コスモス短歌会所属。現代歌人協会会員。 1995年、コスモス短歌会同人による同人誌「棧橋」に参加。南葛城郡吐田郷村(現御所市)で農業に従事するかたわら作歌を行う。2000年、大阪女子大学日本語日本文学専攻社会人入学。2004年、同校卒業。2006年、作品「水ぢから」30首で第17回歌壇賞受賞。.

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米田雄郎

米田雄郎(よねだ ゆうろう)は、大正・昭和前期の歌人。1891年(明治24年)11月1日に奈良県にて生まれた。1959年(昭和34年)死去。歌人の米田登は次男。.

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米沢市

米沢市(よねざわし)は、山形県置賜地方に位置する市である。置賜地方最大の都市で、県内人口は第4位。置賜総合支庁の所在地である。上杉氏の城下町として知られる。.

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粟田口忠良

粟田口 忠良(あわたぐち ただよし)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。藤原北家近衛家、摂政・近衛基実の次男。官位は正二位、大納言。鳴滝大納言と号す。粟田口を家号とし、粟田口家の祖となる。.

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粟田女王

粟田女王(あわたじょおう/あわたのおおきみ、生年不詳 - 天平宝字8年5月4日(764年6月7日))は、奈良時代の皇族・女官・歌人。正三位。 出自不詳だが、初叙が従四位下であることから天皇の三世王(皇曽孫)と推察される。 養老7年(723年)1月、従四位下に初叙される。天平11年(739年)1月、従四位上に昇叙される。天平16年(794年)、左大臣橘諸兄が自邸に元正上皇を招いた宴において河内女王(天武天皇孫)らと参席し歌を詠んだ(『万葉集』18-4060)。天平20年(748年)3月、正四位上に昇叙される。天平宝字5年(761年)6月、光明皇太后の周忌斎会に奉仕し従三位に昇叙され、その後正三位に進む。同年10月、保良宮遷都に伴い、県犬養夫人(県犬養広刀自)と共に稲4万束を賜わる。同8年5月4日に薨去。 『万葉集』に1首の歌が載る。.

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素意

素意(そい、生年不詳 - 嘉保元年(1094年))は、平安時代中期から後期にかけての僧・歌人。俗名は藤原重経または成経。藤原南家を出自とし、越前守・藤原懐尹の子、または、宮内少輔・藤原成尹の子で、権中納言・藤原重尹の養子。女流歌人の祐子内親王家紀伊の夫とされる。官位は従五位下・紀伊守。官職が紀伊守であったことから紀伊入道とも称される。 「六条斎院歌合」などに参加。康平7年(1064年)に出家し、延久3年(1071年)大和国多武峰に移っている。永保3年(1083年)には和泉国に寂静寺を開いている。なお「多武峰往生院歌合」の判者も務めている。 『後拾遺和歌集』に7首、『千載和歌集』に1首が入集している。.

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素性

素性法師(百人一首より) 素性(そせい、生年不詳 - 延喜10年(910年)?)は、平安時代前期から中期にかけての歌人・僧侶。桓武天皇の曾孫。遍照(良岑宗貞)の子。俗名は諸説あるが、一説に良岑玄利(よしみねのはるとし)。 三十六歌仙の一人。.

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紫式部

紫式部 (土佐光起筆 石山寺蔵) 紫式部(むらさきしきぶ、生没年不詳)は、平安時代中期の女性作家、歌人。正確な誕生年は特定できないが、近年の研究では、970年(天禄元年)から978年(天元元年)の間に生まれ、1019年(寛仁3年)までは存命したことがわかっている上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK出版「100分de名著」ブックス 紫式部『源氏物語』P26(2015/12/25発行)。。 「源氏物語」の作者とされ、藤原道長の要請で宮中に上がった際に宮中の様子を書いた「紫式部日記」も残している。源氏物語と紫式部日記の2作品は、後に「源氏物語絵巻」、「紫式部日記絵巻」として絵画化された。また、歌人である紫式部には、子供時代から晩年に至るまで自らが詠んだ歌から選び収めた「紫式部集」がある。「小倉百人一首」にも和歌が収められており、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人でもある。 父の藤原為時は、官位は正五位下と下級貴族ながら上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、花山天皇に漢学を教えた漢詩人、歌人である。紫式部は藤原宣孝に嫁ぎ、一女(大弐三位)を産んだ。1001年(長保3年)に結婚後3年程で夫が死去する。その後「源氏物語」を書き始め紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その評判を聞いた藤原道長に召し出されて、一条天皇の中宮であり藤原道長の娘でもある中宮彰子(藤原彰子)に仕えている間に「源氏物語」を完成させた。 なお、「紫式部集」には、夫の藤原宣孝の死去に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている和歌の意「夫が火葬により煙となった夜から塩釜をとても身近に思う」(塩釜:海藻を焼き塩を取ることで知られる地名で、現在の宮城県塩竈市)。.

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紫綬褒章の受章者一覧

紫綬褒章の受章者一覧(しじゅほうしょうのじゅしょうしゃいちらん)では、紫綬褒章の受章者を部門別に列挙する。全てを網羅しているわけではない。(五十音順一覧は:Category:紫綬褒章受章者を参照).

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紫波町

紫波町(しわちょう)は、盛岡都市圏の南部、岩手県の中部に位置する紫波郡の町である。.

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細川幽斎

細川 幽斎(ほそかわ ゆうさい)/ 細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。歌人。幽斎は雅号。法名を玄旨という。 初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は15代将軍・足利義昭の擁立に尽力するが、後に織田信長に従い、長岡 藤孝(ながおか ふじたか)を名乗って丹後宮津11万石の大名となった。本能寺の変の後、主君・信長の死に殉じて剃髪し、家督を忠興に譲るが、その後も豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世大名肥後細川家の礎となった。また、二条流の歌道伝承者・三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもあった。.

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細川光洋

細川 光洋(ほそかわ みつひろ、1967年4月 - )は、日本の国文学者(日本近代文学・国語科教育法)。学位は修士(教育学)(早稲田大学・1994年)。静岡県立大学国際関係学部教授・大学院国際関係学研究科教授。 高知工業高等専門学校総合科学科准教授などを歴任した。.

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細谷雄二

細谷 雄二(ほそや ゆうじ、1897年9月14日 - 1967年3月30日)は、日本の生理学者。大阪市立大学名誉教授。医学博士。アララギ派の歌人でもある。山形県西村山郡谷地町(現・河北町)生まれ。 同じく医学博士で俳人の細谷雄太(俳号・細谷不句)は長兄。ソニー名誉会長の井深大は義弟にあたる。息子に元産経新聞編集局長、元日本工業新聞社長の細谷洋一。娘婿に宗教学者の井門富二夫。.

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細溝洋子

細溝 洋子(ほそみぞ ようこ、1956年10月12日 - )は、歌人。愛知県名古屋市出身。.

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純白の夜

『純白の夜』(じゅんぱくのよる)は、三島由紀夫の3作目の長編小説。既婚者同士の恋と、そのかけひきの心理を高雅で怜悧なタッチで描いた恋愛小説。純粋なヒロインの悲劇的で不条理な結末までの愛と苦悩が繊細に綴られている。 1950年(昭和25年)、雑誌『婦人公論』1月号から10月号に連載された井上隆史「作品目録――昭和25年」()佐久間保明「純白の夜」()。三島にとって初の長期連載物である小池真理子「解説」()。単行本は同年12月20日に中央公論社より刊行された山中剛史「著書目録――目次」()。発表の翌年1951年(昭和26年)8月31日には、木暮実千代主演で映画も封切られた。映画には三島もエキストラで出演している山中剛史「映画化作品目録」()。文庫版は1956年(昭和31年)7月30日に角川文庫で刊行された。翻訳版は、中国(中題:純白的夜)で行われている。.

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紀の川市

紀の川市(きのかわし)は、和歌山県の北部に位置する市である。.

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紀友則

紀友則(百人一首より) 紀 友則(き の とものり、承和12年(845年)? - 延喜7年(907年))は、平安時代前期の歌人・官人。宮内権少輔・紀有友(有朋)の子。官位は六位・大内記。三十六歌仙の一人。.

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紀夏井

紀 夏井(き の なつい、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。大納言・紀古佐美の曾孫。美濃守・紀善峯の三男。母は石川氏。官位は従五位上『日本三代実録』貞観8年9月22日条・右中弁。.

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紀利貞

紀 利貞(き の としさだ、生年不詳 - 元慶5年(881年))は、平安時代前期の貴族、歌人。甲斐守・紀貞守の子。官位は従五位下・阿波介。.

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紀秋峰

紀 秋峰(き の あきみね、生没年不詳)は、平安時代前期の歌人。参議・紀広浜の孫。美濃守・紀善峯の子。位階は六位。 寛平年間(889年-898年)に催された皇太夫人班子女王歌合などの歌合に出詠。勅撰和歌集には『古今和歌集』に2首入集している(歌番号158・324)。.

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紀貫之

紀 貫之(き の つらゆき)は、平安時代前期の歌人・貴族。下野守・紀本道の孫。紀望行の子。『古今和歌集』の選者の一人で、三十六歌仙の一人。.

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紀野恵

紀野 恵(きの めぐみ、1965年3月17日 - )は、歌人である。「未来」「七曜」所属。岡井隆、柏原千恵子に師事。 徳島県麻植郡生まれ。徳島市立高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。高校在学中の1982年に「異郷にて」で第28回角川短歌賞次席。1983年、「荷風氏のくしゃみ」で第26回短歌研究新人賞次席。古典和歌調の典雅で技巧的な作風であり、選考会の場では熟練したベテランの作品と思われていたため早熟の天才少女歌人として衝撃的なデビューを果たした。同様に古典和歌風の作風である水原紫苑とともに「新古典派」と称される。大学卒業後は帰郷して高校教諭を務める。徳島新聞歌壇選者。 大和和紀との共著『イラスト古典枕草子』(学習研究社 1990)がある。.

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紀氏

紀氏(きうじ)は、「紀」を氏の名とする氏族。 大和国平群県紀里(現在の奈良県生駒郡平群町上庄付近)を本拠とした古代豪族である。姓は初め臣(おみ)であり、天武天皇13年(684年)八色の姓制定に伴い朝臣へ改姓した。.

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紀淑望

紀 淑望(き の よしもち、生年不詳 - 延喜19年(919年))は、平安時代中期の貴族・儒者・歌人。中納言・紀長谷雄の長男。官位は従五位上・大学頭。.

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紀本道

紀 本道(き の もとみち、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。右兵衛督・紀興道の子。官位は従五位下・下野守。.

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紀有友

紀 有友(き の ありとも、生年不詳 - 元慶4年(880年))は、平安時代前期の貴族、歌人。名は有朋、有明とも表記される。下野守・紀本道あるいは右兵衛督・紀興道の子。官位は従五位下・宮内少輔。.

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紀文幹

紀 文幹(き の ふみもと、生年不詳 - 天慶7年9月2日(944年9月21日))は、平安時代中期の貴族・歌人。参議・紀淑光の子。官位は従五位下・信濃守。 天慶7年(944年)信濃国に国司(信濃守)として下向したが、到着した当日は暴風雨が吹き荒れており、国衙が倒壊し、その下敷きとなり圧死した。『拾遺集』春の部に承平4年(934年)詠じた屏風の歌一首が掲載されている。.

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紀時文

紀 時文(き の ときぶみ、延喜22年(922年)? - 長徳2年(996年)?)は、平安時代中期の歌人。父は三十六歌仙の一人紀貫之。極官は従五位上・大膳大夫。 天暦5年(951年)梨壺の五人の一人に選ばれ、『万葉集』の訓読、『後撰和歌集』の撰集にあたった。 書に秀でていたが、歌の力量は父貫之には及ばなかったようで、勅撰和歌集には『拾遺和歌集』以下に5首が入集されているに過ぎず、家集も伝わっていない。恵慶・清原元輔・源順・大中臣能宣などの歌人と交流があった。.

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綾部光芳

綾部 光芳(あやべ みつよし、1934年10月17日 - )は、日本の歌人。響短歌会主宰。歌誌「響」(隔月刊)編集人。日本短歌協会副理事長。現代短歌協会会員。日本歌人クラブ会員。埼玉県歌人会理事。牧水研究会会員。埼玉県飯能市出身。.

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綜子内親王

綜子内親王(そうしないしんのう、宝治元年10月9日(1247年11月7日) - 文永6年3月1日(1269年4月3日))は、鎌倉時代中期の皇族・女院・女流歌人。女院号は月華門院(げっかもんいん)。後嵯峨天皇の第一皇女。母は中宮・西園寺姞子(大宮院)。後深草天皇の同母妹で、亀山天皇の同母姉。.

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美郷町 (宮崎県)

美郷町(みさとちょう)は、宮崎県の北部にある町であり東臼杵郡に属する。九州山地の中にある自然豊かな町である。.

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群馬県立土屋文明記念文学館

群馬県立土屋文明記念文学館(ぐんまけんりつつちやぶんめいきねんぶんがくかん)は歌人・土屋文明を顕彰して設立された文学施設。 群馬県高崎市の土屋文明の生地近くに1996年7月に開館した。短歌を中心に、群馬県関連の文学資料の収集や、詩歌文学・近代文学の展示を行う。群馬県文学全集や紀要、企画展の図録などの出版も行っている。.

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群馬県立高崎商業高等学校

群馬県立高崎商業高等学校(ぐんまけんりつたかさきしょうぎょうこうとうがっこう)は、群馬県高崎市にある公立商業高等学校。県内最古参の商業高校である。男女共学。略称は高商(たかしょう)。硬式野球部は甲子園出場の常連であり、夏の甲子園出場が多いことから『夏の高商』と呼ばれている。最近では2009年春の第81回選抜にライバルの前橋商業とともに出場している。.

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羽田利見

羽田 利見(はねだ としみ、生没年不詳)は、幕末の幕臣、歌人。通称は龍助。 西丸裏門番頭、勘定吟味役(弘化元年12月3日から海防掛兼帯)を勤めたのち、嘉永3年(1850年)8月24日に佐渡奉行を拝命し、同4年4月24日に相川に着任した。柏崎にて病となり、同6年3月に江戸に帰着、そのまま病のため免職となり家督を子の正見に譲り隠居となった。佐渡奉行在任中は、知行200俵、役料1500俵100人扶持。利見は歌人でもあり優れた歌を残しており、最後の佐渡奉行鈴木重嶺とともに並び称される。.

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真中朋久

真中 朋久(まなか ともひさ、1964年6月2日 - )は、歌人、気象予報士。茨城県出身。朝日カルチャーセンター講師、毎日新聞「兵庫文芸」選者。 京都大学理学部卒業、同大学院地球物理学専攻修士課程修了。1991年に「塔」入会、現選者。2002年に第1歌集『雨裂』で第46回現代歌人協会賞を受賞。2010年には第3歌集『重力』で第15回寺山修司短歌賞を受賞。.

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猪熊葉子

葉子(いのくま ようこ、1928年8月16日 - )は、日本近代文学、英近代文学、児童文学者、翻訳家、聖心女子大学名誉教授。.

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猪股静弥

股 静弥(いのまた しずや、1924年(大正13年)8月12日 - 2009年(平成21年)9月8日)は日本の文学研究者、歌人。帝塚山短期大学名誉教授、専門は上代文学(万葉集)、寧楽短歌会代表。.

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猫啼温泉

猫啼温泉(ねこなきおんせん)とは、福島県石川郡石川町(旧国陸奥国・明治以降の旧磐城国)にある温泉のことである。.

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烏丸家

烏丸家(からすまるけ)は、藤原北家日野氏流の公家である。家格は名家。室町時代の権大納言日野資康(裏松資康)の三男・贈内大臣豊光を祖とする。家業は歌道。江戸時代の石高は1153石。 豊光の子・資任は准大臣。室町幕府8代将軍足利義政の生母日野重子の従弟にあたり、義政の養育に努めて成長後はその寵臣となる(義政が成長するまで、資任の屋敷である烏丸殿が将軍の御所として用いられた)。今参局、有馬持家とともに権勢を振るい、「おいま・ありま・からすま」の3人で「三魔」と呼ばれ恐れられた。 江戸時代初期の光広は、歌人、能書家として知られた文化人であり、細川幽斎から古今伝授を受けている。 幕末・明治維新では、光徳が尊皇攘夷派として活躍し、明治維新後は参与、初代東京府知事等を務めた。光徳の二男・光亨は、華族令施行により伯爵に叙せられた。光徳の三男・光臣は、大審院長を務めた南部甕男の養子となり男爵。内務官僚となり群馬県知事、貴族院議員、宮中顧問官等を務めた。.

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烏丸光広

烏丸 光広(からすまる みつひろ)は、江戸時代前期の公卿・歌人・能書家。准大臣烏丸光宣の長男。官位は正二位権大納言。細川幽斎から古今伝授を受けて二条派歌学を究め、歌道の復興に力を注いだ。.

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烏丸光栄

烏丸 光栄(からすまる みつひで、元禄2年8月3日(1689年9月16日) - 延享5年3月14日(1748年4月11日))は江戸時代の公卿、歌人。烏丸宣定の子。正室は松平綱昌の娘。子に烏丸尹光、日野資総、勘解由小路資望、裏松光世、日野資枝、娘(烏丸光胤室)、娘(松平定賢室)らがいる。 累進して、正二位内大臣に至る。なお、烏丸家で内大臣にまで至ったのは、この光榮だけである。号は、不昧真院。法名は、海院浄春。和歌を霊元天皇をはじめ中院通躬や武者小路実陰に師事した。また和歌の門下には有栖川宮職仁親王や桜町天皇がおり、天皇は光栄から古今伝授を受けた。また、三上藩主である遠藤胤忠にも古今伝授を授けた。 優れた歌人であり、「栄葉和歌集」や「詠歌覚悟」などの著書がある。.

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烏丸資慶

烏丸資慶像(土佐光成画) 烏丸 資慶(からすまる すけよし、元和8年5月11日(1622年6月19日) - 寛文9年11月28日(1670年1月19日))は、江戸時代前期の公家・歌人。烏丸家11代当主であり家格は名家。官位は正二位権大納言。父は烏丸光賢。母は正室細川忠興の娘まん。正室は清閑寺共房の娘。兄弟は飛鳥井雅章室、吉田兼起室、裏松資清(裏松家祖)、細川光尚室やや。子女は、烏丸光雄、順光、阿部正春室・深達院、七条隆豊室、熊本藩筆頭家老・八代城主松井直之室・房。 歌道に秀でていた為、後水尾上皇から後西天皇・中院通茂とともに、古今伝授を受けた。また、細川家と深い姻戚関係にあり、細川幽斎より伝授された聞書・切紙等を伝領していたので、上皇より伝授されたそれらを進上するように命じられた。また、弟子の遠藤常友より依頼され、東常縁の和歌を編集して『常緑集』として編集にとりかるも没し資慶死後は光雄が受け継ぎ、2代に渡って寛文11年(1671年)に完成させている。所領のあった太秦に法雲院を造営し、祖父・烏丸光広を祀った。 Category:江戸時代の公家 Category:江戸時代の歌人 すけよし Category:1622年生 Category:1670年没.

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結城哀草果

結城 哀草果(ゆうき あいそうか、1893年10月13日 - 1974年6月29日)は、歌人、随筆家。.

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結社

結社(けっしゃ、英語:association)は、共通の目的のために組織される継続的な団体のこと。なお、associationは協会と訳されることが多いが、協会は結社の一形態である。.

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統子内親王

統子内親王(むねこないしんのう、大治元年7月23日(1126年8月13日) - 文治5年7月20日(1189年9月2日))は、平安時代後期の皇族。初名は恂子。鳥羽天皇第2皇女、母は中宮・藤原璋子(待賢門院)。同母兄弟に崇徳天皇、後白河天皇、覚性入道親王、禧子内親王らがいる。崇徳朝賀茂斎院。後白河天皇の准母・皇后宮、のち女院。院号は上西門院(じょうさいもんいん)。法名は金剛親・真如理。 大治元年(1126年)8月17日に内親王宣下があり、同年12月27日に着袴。間もなく斎院に卜定され、翌大治2年4月6日准三后に叙される。大治4年(1129年)4月19日、紫野院に入るが、長承元年(1132年)6月29日病をえたことにより退下した。 長承3年(1134年)6月16日、名を統子に改める。保元3年(1158年)2月3日、後白河天皇の准母として立后。翌保元4年2月13日に院号宣下。永暦元年(1160年)2月17日、母の待賢門院から相続していた仁和寺法金剛院で出家。寿永元年(1182年)7月8日には、没落した前摂政関白松殿基房の次男・藤原家房を猶子としている。 文治5年(1189年)7月20日、六条院において64歳で崩御。花園東陵に葬られた。.

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経賢

経賢(けいけん、生没年不詳)は、南北朝時代の僧・歌人。武家の二階堂氏。父は僧で歌人の頓阿。子に僧で歌人の尭尋がいる。 1364年の『新拾遺和歌集』の撰定では父頓阿を補助をつとめている。また、年中行事歌合、新玉津島社歌合などの歌合にたびたび参加している。父の没後は仁和寺にあった山荘葵花園(さいけえん)と常光院を継承し、その後法印・大僧都に任じられた。 『新続古今和歌集』以下の勅撰和歌集に和歌が入集している。 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:二階堂氏 Category:生没年不詳.

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絵入源氏物語

『絵入源氏物語』(えいりげんじものがたり)は、江戸時代に出版された『源氏物語』の版本である。江戸時代には多くの『源氏物語』の版本が出版されたが、『絵入源氏物語』は『源氏物語』の版本としては最も早い時期に出され、広く流布したものである。.

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瑞泉寺 (鎌倉市)

泉寺(ずいせんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の寺院。山号は錦屏山(きんぺいさん)。本尊は釈迦如来で、開基は二階堂道蘊である。鎌倉随一の花の寺、紅葉の名所としても知られている。.

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生没同日

生没同日(せいぼつどうじつ)は、誕生日と命日が同じ日であること。.

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生沼義朗

生沼 義朗(おいぬま よしあき、1975年1月29日 - )は、歌人。東京都新宿区出身。 日本大学芸術学部在学中の1994年に「短歌人」入会。当初は蒔田さくら子、後に中地俊夫の選歌を受ける。1998年、第43回短歌人新人賞を受賞。2000年、「祭都」30首で第11回歌壇賞候補。2002年に第1歌集『水は襤褸に』を刊行。翌2003年、同歌集で第9回日本歌人クラブ新人賞を受賞。2004年、第49回短歌人賞受賞。2005年、歌誌創刊に参加。2007年より「短歌人」会務委員兼公式サイト管理担当。2011年より2013年まで、詩歌梁山泊〜三詩形交流企画サイト「詩客」実行委員。2017年より「短歌人」編集委員、日本歌人クラブ広報部委員。.

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生方たつゑ

生方 たつゑ(うぶかた たつえ、1905年2月23日 - 2000年1月18日)は、歌人。沼田市名誉市民。.

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生方美智子

生方美智子(うぶかた みちこ、1928年5月7日 - )は、日本の料理研究家。 群馬県沼田に、歌人・生方たつゑと、のち国家公安委員となる生方誠(せい)の長女として生まれる。日本女子大学卒業後、飯田深雪に師事。1968年独立、テレビ、新聞、雑誌で料理研究家として活動。74年夫の生方(旧姓・鹿島)慶三(よしみ)を失う。86年林雅子の設計で蔵を活用して生方記念文庫を開館。サロン・ド・ウブカタを主宰。.

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生方誠

生方 誠(うぶかた せい、1894年(明治27年) - 1979年(昭和54年))は、日本の政治家、行政委員。群馬県利根郡沼田町(現:沼田市)出身。妻は歌人の生方たつゑ、長女は料理研究家の生方美智子。.

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田口益人

口 益人(たぐち の ますひと、斉明天皇4年(658年) - 養老6年11月20日(723年1月1日))は、飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての貴族・歌人。氏姓は石川朝臣のち田口朝臣。官位は正五位上・右兵衛率。.

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田中寒楼

中 寒楼(たなか かんろう、1877年2月16日 - 1970年3月12日)は、日本の俳人・歌人。 明治10年(1877年)、現鳥取市河原町小畑に生まれる。中学在学中より俳句に親しみ、新聞『日本』の投稿などで正岡子規より「因幡に寒楼あり」と注目された。小学校代用教員から校長になるも、その奇行と放浪癖から退職となる。京都で同郷の画家中島菜刀との共同生活を始めてから全国を転々と漂浪して奔放な哲学的人生を生き、晩年は鳥取市で過ごし昭和45年(1970年)、93歳で歿した。特異な宇宙観から時空を語り、俳句をはじめ短歌・書画など多岐に渡る作品を数多く残す。.

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田中章義

中 章義(たなか あきよし、1970年4月19日 - )は、日本の歌人・作家。静岡県静岡市出身・在住。慶應義塾大学総合政策学部卒業。所属事務所は三桂。.

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田中綾

中綾(たなか あや、1970年2月11日 - )は、日本の文芸評論家、歌人。北海学園大学人文学部教授。専門は日本近現代文学(特に詩歌史)。博士(文学)(北海学園大学)。.

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田中隆尚

中 隆尚(たなか たかひさ、1918年12月7日 - 2002年10月21日)は、歌人、ギリシャ文学者。 山口県豊浦郡長府町生まれ。1947年東京帝国大学文学部卒。群馬大学教養部にてドイツ語教授を務めた。歌人としては斎藤茂吉に師事し、1957年文芸誌「ももんが」を創刊、主宰。独学でギリシャ語を習得し、ギリシアやイタリアで日本の歴史や上代文化について講演活動を行った。1991年11月、ギリシャ政府のフェニックス勲章を受章。.

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田中道麿

中道麿(たなか みちまろ、享保9年(1724年) - 天明4年10月4日(1784年11月16日))は江戸時代中期の国学者、歌人。幼名は茂七。通称は庄兵衛。晩年は榛木翁(はりのきのおじ)と号した。法号は道全。諡号は言霊有功老翁(ことだまいさおのおじ)。 日本の古典文学、特に『万葉集』の研究に心血を注いだ。本居宣長最初期の門人として知られる。.

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田中順二

中順二(たなか じゅんじ、1912年 - 1997年)は、日本の歌人、国文学者。 東京生まれ。1936年京都帝国大学国文科卒。同志社女子大学教授、82年定年、奈良大学教授。歌誌『ハハキギ』を主宰。.

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田中裕明

中 裕明(たなか ひろあき、1959年10月11日 - 2004年12月30日)は、大阪府出身の俳人。波多野爽波に師事、「青」に拠ったのち、「ゆう」を創刊・主宰。1983年に角川俳句賞を史上最年少の22歳で受賞。俳句の伝統をふまえた瑞々しい句風で、俳壇のニューウェーブとして活躍したが、白血病により早世した。.

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田中重太郎

中 重太郎(たなか じゅうたろう、1917年7月7日 - 1987年5月16日)は、日本の国文学者(文学博士)。京都市出身。戦後、平安文学研究会を主宰し、「平安文学研究」全80輯(1949年-1988年)を刊行、当時の中古文学研究者に研究成果公表の誌面を提供した。 娘の田中雅子(2011年没)は「塔」短歌会に所属する歌人であった。.

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田中濯

中 濯(1976年 - )は、歌人。福岡県福岡市出身。 福岡県立筑紫丘高等学校、京都大学農学部卒業。「塔」所属。2007年に作品「フォトグラフ」で第18回歌壇賞次席、作品「プラットホーム」で第53回角川短歌賞佳作。2011年、第1歌集『地球光』で第17回日本歌人クラブ新人賞を受賞。.

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田中拓也

中 拓也(たなか たくや、1971年12月22日 - )は、歌人。短歌結社竹柏会「心の花」所属。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ会員。茨城県歌人協会会員。千葉県柏市生まれ。現在、茨城県水戸市在住。全国高校生短歌大会審査員。.

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田形皇女

形皇女(たかたのひめみこ、? - 神亀5年3月5日(728年4月18日))は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけての皇族。天武天皇の皇女。母は夫人(おほとじ)大蕤娘(蘇我赤兄の女)。同母兄姉に穂積皇子、紀皇女がいる。伊勢斎王。 慶雲3年8月29日(706年10月10日)、当時の斎王泉皇女に代わる次期斎王として卜定された。伊勢への群行及び退下して平城京に帰った時期は明らかではないが、おそらく慶雲4年6月15日(707年7月18日)に文武天皇が崩御したあとと思われる。その後、六人部王(詳細は不明)と結婚(時期は不明)、後に歌人となる笠縫女王を生んだ。神亀元年2月6日(724年3月5日)に、二品に叙せられる。同5年(728年)3月5日に没した。 田形皇女自身は歌を残していないが、夫の六人部王と娘の笠縫女王の歌が『万葉集』に残されている。.

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田端文士村記念館

端文士村記念館(たばたぶんしむらきねんかん)は、東京都北区田端にある文学館および公民館。田端アスカタワー()内にあり、公益財団法人北区文化振興財団によって管理・運営されている。1993年11月開館。.

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田谷鋭

谷 鋭(たや えい、1917年12月15日 - 2013年11月6日)は、歌人。 千葉県千葉市寒川町生まれ。千葉関東商業学校(現敬愛学園高等学校)卒業後、国鉄に勤務。つつましさ、はじらいを特徴とする。1934年北原白秋が顧問の「香蘭」に入会。1935年白秋創刊の「多磨」に移る。1939年4月、応召、習志野陸軍病院に衛生兵として勤務。1942年1月召集解除、国鉄に復帰。1953年3月宮柊二の「コスモス」創刊に参加。1958年『乳鏡』で第2回現代歌人協会賞受賞。1973年刊行の『水晶の座』で第8回迢空賞、第1回日本歌人クラブ賞受賞。1978年『母戀』で第30回読売文学賞受賞。1984年紫綬褒章受章。2013年11月6日、肺炎のため死去。95歳没。.

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田辺福麻呂

辺 福麻呂(たなべ の さきまろ、生没年不詳)は、奈良時代の万葉歌人。姓は史(ふひと)。 田辺氏(田辺史)は百済系渡来氏族で、西文氏のもとで文筆・記録の職掌についた史部の一族と想定される。 748年(天平20年)橘諸兄の使者として越中守・大伴家持のもとを訪れている。福麻呂の和歌作品は『万葉集』に44首が収められている。巻18に短歌13首があり、巻6・巻9にある長歌10首とその反歌21首は「田辺福麻呂の歌集に出づ」とある。それらの歌は用字・作風などから福麻呂の作と見られている。.

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田捨女

捨女または、田 ステ女(でん すてじょ/すてめ、1634年(寛永11年) – 1698年9月13日(元禄11年8月10日))は、江戸時代の女流歌人・俳人。貞門派の女流六歌仙(六俳仙)の1人。 氏名は田ステで、「女」は名の一部ではなく女流歌人の名に添える接尾辞である。法名は貞閑で、貞閑尼とも呼ぶ。.

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田村元 (歌人)

村 元(たむら はじめ、1977年2月11日 - )は、日本の歌人。.

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田江岑子

江 岑子(たえ みねこ、1925年(大正14年) 3月15日日外アソシエーツ『新訂現代日本人名録2002』第三巻、2002年、日外アソシエーツ、p.44- )は日本の歌人。岩手県宮古市出身で盛岡市に在住。.

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田波御白

波御白(たなみ みしろ、本名:庄蔵(しょうぞう)、明治18年(1885年)11月8日-大正2年(1913年)8月25日)は、栃木県小山市出身の歌人。初期の号は「水韻」。.

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由谷一郎

由谷一郎(ゆたに いちろう、1919年(大正8年)-)は、和歌山県生まれの歌人。 第一歌集『砕氷搭』は、生業の遠洋漁業経営の日常を静かに見つめた清明な作品を特色とする。以後第7歌集『秋茜』まで、一貫して佐藤佐太郎の純粋短歌論を軸とする作品を発表、清澄静謐な歌風を持ち味とする。佐藤佐太郎に関する論考や作品鑑賞を収めた著書数冊がある。.

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甲村秀雄

村 秀雄(こうむら ひでお、1941年7月2日 - )は、日本の歌人。 愛知県出身。國學院大學文学部日本文学科卒業、同大学院日本文学研究科修士課程修了。 大学入学前から作歌を始め、大脇月甫主宰の歌誌「青虹」に入会。香川進、岡野弘彦に師事。前田夕暮の流れを汲み、「地中海」を経て、「ナイル短歌工房」代表。 日本文藝家協会会員、現代歌人協会会員、國學院大學国文学会会員、日本短歌協会理事長。テレビ朝日のドラマ『相棒』2011年11月2日放送の「晩夏」では短歌監修を担当した。日光東照宮400年記念式年大祭記念文墨奉納祭「短歌」選者。また、日本短歌協会の事業の一環として、『歌人年鑑-光と影の(青)の帆船』(2009年)を創刊、以降毎年発刊するなど、歌人の社会的活動の基盤作りに貢献。.

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甲斐神社 (大和郡山市)

斐神社(かいじんじゃ)は、奈良県大和郡山市田中町にある神社。旧社格は村社『奈良県の地名』469頁。.

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町田市

市(まちだし)は、東京都の多摩地域南部にある市。.

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町資藤

資藤(まち すけふじ/すけひさ)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての公卿・歌人。日野町資藤とも。町家の祖。.

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甘酒

酒(あまざけ、カンシュ、醴)は日本の伝統的な甘味飲料の一種で、見た目はどぶろくに似て混濁している。甘粥(あまがゆ)とも呼ばれる。 主に米こうじと米、あるいは酒粕を原料とする。酒という名がつくものの、アルコール含有はわずかで、市販されている商品はソフトドリンク(アルコール度数1%未満)に分類される。.

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熊王徳平

王 徳平(くまおう とくへい、1906年(明治39年)6月15日 - 1991年(平成3年)8月1日)は、日本の作家(農民文学者)・歌人。ペンネームに「五十嵐竜吉」を用いた。.

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熊谷直好

谷 直好(くまがい なおよし、天明2年2月8日(1782年3月21日) - 文久2年8月8日(1862年9月1日))は、江戸時代後期の歌人。初名は信賢。通称は八十八・助左衛門。号は長春亭・軽舟亭・桃屋。周防国岩国藩士。なお、平安時代末期の武将熊谷直実の24世と称した。.

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熊谷龍子

谷 龍子 (くまがい たつこ、1943年7月7日 - )は、日本の歌人。宮城県生まれ。.

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熊谷武雄

谷 武雄 (くまがい たけお、1883年11月2日- 1936年8月21日)は、日本の歌人(明治~昭和時代前期)。歌人の熊谷龍子は孫。.

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熊澤一衛

澤 一衛(くまざわ いちえ) 1877年(明治10年)11月1日-1940年(昭和15年)2月14日は、三重県四日市市出身の大正時代~昭和時代の戦前期の実業家。歌人。伊勢電鉄社長。『校本萬葉集』刊行を支援した伊勢人である。.

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熊本大学の人物一覧

本大学の人物一覧(くまもとだいがくのじんぶついちらん)は、熊本大学に関係する人物の一覧記事。.

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熊本師範学校

本師範学校 (くまもとしはんがっこう) は第二次世界大戦中の1943年 (昭和18年) に、熊本県に設置された師範学校である。 本項は、熊本県師範学校・熊本県女子師範学校などの前身諸校を含めて記述する。.

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熊本市出身の人物一覧

本市出身の人物一覧(くまもとししゅっしんのじんぶついちらん)は、熊本県熊本市出身の人物の一覧表である。熊本県全体の出身人物一覧については熊本県出身の人物一覧を参照のこと。 太字は故人.

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熊本県の歴史

本県 本項では、熊本県の歴史(くまもとけんのれきし)を概説する。 九州の中央部に位置する熊本県は、古代の「肥の国(火の国、ひのくに)」が前後二分された際の東側、旧国名のいわゆる肥後国が占めた領域とほぼ一致する。これは、近世江戸時代の幕藩体制期において球磨郡の一部などが別藩の領土とされるなど、また逆に肥後国天草郡に属していた長島が現在では鹿児島県に編入されているなどの一部例外はあるが、府県制施行によって置かれた九州各県のうち宮崎県(日向国)とともに伝統的な国制をほぼ維持した例にあたる。 熊本県の風土的特色は、菊池川・白川流域を中心とし阿蘇山を含む県北部域、人吉盆地を主軸にした球磨川流域、天草諸島の三つの地域に大別することができる。この区分はそれぞれ熊本藩・人吉藩・天領天草という幕藩体制下の三つの区域と対応しており、それぞれ個別の特色を持つ。 熊本県の歴史をかいつまむと、多くの遺跡や古墳に見られる豊かな自然環境とそれを一変させる火山活動、律令制下から武士の勃興。南北朝を経て国衆割拠そして加藤清正の入部、細川忠利の入部を経て幕末の動乱から西南戦争、戦後の公害問題までが大まかな流れとなる。そして全体を通して、大和朝廷の成立後、周辺の位置にあった肥後国そして熊本県の歴史は、常に中央政権からの影響を受けつつ綴られた。.

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熊本県出身の人物一覧

本県出身の人物一覧(くまもとけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する熊本県出身の人物の一覧表である。.

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熊本県立八代中学校・高等学校

本県立八代中学校・高等学校(くまもとけんりつ やつしろちゅうがっこう・こうとうがっこう, Kumamoto Prefectural Yatsushiro Junior and Senior High School)は、熊本県八代市永碇町にある公立中学校・高等学校。略称は「八高」(はちこう)。.

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熊本県立第一高等学校

本県立第一高等学校(くまもとけんりつ だいいちこうとうがっこう, Kumamoto Prefectural Daiichi High School)は、熊本県熊本市中央区古城町にある公立高等学校。略称は「一高」(いっこう)、または「熊本一高」、「第一」。 熊本四高(熊本県高校受験において、熊本市内の上位偏差値高 熊本、済済黌、第一、第二の4高)の一角を占める。 戦前の高等女学校を前身とし、戦後の学制改革により、男女共学の新制高等学校となったが、1976年(昭和51年)4月に男子の入学者数が0となり、1978年(昭和53年)3月の卒業生を最後に、2012年(平成24年)3月までの34年間男子の在籍はなかった。2012年(平成24年)4月に男子生徒70名が入学、2013年(平成25年)4月には102名の男子生徒が入学した。.

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畠山重篤

山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日 - )は、日本の養殖漁業家、エッセイスト、京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授。「牡蠣の森を慕う会(現「特定非営利活動法人森は海の恋人」)」代表。.

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留萌市

留萌市(るもいし)は、北海道留萌管内の中心市で、留萌振興局が置かれる。主な産業は貿易などのその他商業、土木業、水産加工業である。留萌港では現今においてもニシンが水揚げされ、その魚卵であるカズノコの国内最大の加工地である。 市名の由来はアイヌ語「ルルモッペ」(潮が奥深く入る川)から。.

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片山広子

片山広子/松村みね子 片山 広子(片山 廣子、かたやま ひろこ、1878年(明治11年)2月10日 - 1957年(昭和32年)3月19日)は、日本の歌人、随筆家、アイルランド文学翻訳家(松村みね子名義)。 外交官・吉田次郎の長女として東京麻布で生まれる。妹は次子、弟は精一と東作。東洋英和女学校卒。佐佐木信綱に師事して歌人として活動。 また、松村みね子の筆名で、ジョン・ミリントン・シング、レディー・グレゴリー、W・B・イェーツ等のアイルランド文学を中心に翻訳も行う。 芥川龍之介晩年の作品『或阿呆の一生』の37章で「才力の上にも格闘できる女性」と書かれ、『相聞』で「君」と歌われたのは片山広子の事だと言われている。堀辰雄の『聖家族』の「細木夫人」、『菜穂子』の「三村夫人」のモデルとも言われている。晩年の随筆集『燈火節』で、1954年度日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。.

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片岡寛光 (国学者)

片岡 寛光(かたおか ひろみつ、生年不詳 -天保9年1月15日(1838年2月9日)は、江戸時代後期の国学者・歌人で、江戸神田佐久間町の名主。通称は周輔・権太郎・仁左衛門。号は郁子園(むべぞの)・桂満(かつらまろ)・蔦垣内(つたのかきつ)など。.

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片岡松燕プロダクション

片岡松燕プロダクション(かたおかしょうえん-、1926年 設立 - 1926年 解散)は、かつて存在した日本の映画会社である。日活大将軍撮影所から独立した女形・美形男優、片岡松燕の主演するサイレント映画を製作した。.

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片桐はいり

片桐 はいり(かたぎり はいり、1963年1月18日 - )は、日本の女優。本名、片桐 由美(かたぎり ゆみ)。東京都大田区出身。スターダストプロモーション芸能1部所属。.

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片桐顕智

片桐 顕智(かたぎり あきのり、1909年8月23日 - 1970年1月29日)は、日本の歌人、評論家。.

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牛込区

牛込区(うしごめく)は、現在の東京都東部にかつてあった東京15区時代から35区時代までの区。.

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狐の嫁入り

の嫁入り(きつねのよめいり)は、日本の本州・四国・九州に伝わる怪異。「狐の嫁入り」といわれるものには、昭和中期頃までの嫁入り行列の提灯の群れを思わせる夜間の無数の怪火、俗にいう天気雨、古典の怪談、随筆、伝説などに見られる異様な嫁入り行列などがある。いずれも伝承上で人間を化かすといわれたキツネと密接な関連があり、平成以降の現代においても、それらにちなんだ神事や祭事が日本各地で開催されている。本項ではそれぞれについて述べる。.

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狂歌

歌(きょうか)とは、社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)。.

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相馬御風

御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)は日本の詩人・歌人・評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県糸魚川市出身。早稲田大学文学部哲学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。 歌舞伎研究者の相馬皓は三男。.

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盛岡市

盛岡市(もりおかし)は岩手県の県庁所在地。中核市に指定されている。.

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瀬戸夏子

戸夏子(せと なつこ、1985年- )は、日本の歌人。.

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発想

想(はっそう)(idea、conception)とは、考え、着想、見解、思いつき、概念、想像力、理解のこと。.

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白井勇

白井 勇(しらい いさみ、1898年(明治31年)6月19日 - 1984年(昭和59年)4月12日)は、日本の政治家、参議院議員。 全国食糧検査協会理事長を務めるなど食糧行政の権威として重きを成した。.

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白井重遠

白井 重遠(しらい しげとお、天保8年2月18日(1837年3月24日) - 大正2年(1913年)9月4日)は、日本の政治家、西田川郡西郷村村長、庄内藩新徴組取扱役。号は右為衛門。.

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白井重麿

白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12日 - 1984年(昭和59年)11月25日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第10代市長、満州国官吏。栄典は正六位・勲四等・旭日小綬章。.

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白仁秋津

白仁 秋津(しらに あきつ、1876年 - 1948年)は、日本の歌人。本名、勝衛。.

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白鷹町

白鷹町(しらたかまち)は、山形県の中部にある人口約1万5千人の町。ホップの産地である。(主にキリンビールへ出荷される。).

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白浜久

白浜 久(しらはま ひさし、1957年3月18日 - )は、日本のロック・ミュージシャン。福岡県出身。ARBのギタリストとしての活躍が有名だが、他にもソロ活動、ベーシスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、「Pandars Label」運営など、様々な分野で活躍している。.

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百人一首

人一首のかるた読み札(天智天皇) 百人一首(ひゃくにんいっしゅ、ひゃくにんしゅ)とは、100人の歌人の和歌を、一人一首ずつ選んでつくった秀歌撰(詞華集)。 中でも、藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる小倉百人一首(おぐら-ひゃくにんいっしゅ)は歌がるたとして広く用いられ、通常、百人一首といえば小倉百人一首を指すまでになった。本記事では主に、この小倉百人一首について解説する。.

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百瀬慎太郎

慎太郎(ももせ しんたろう、1892年 - 1949年)は、長野県大町市出身の登山家、事業家、歌人。.

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芝中学校・高等学校

芝中学校・高等学校(しばちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都港区芝公園三丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校。校長は武藤道郎、理事長は小林正道。.

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芝区

芝区(しばく)は、1878年から1947年にかけて東京に存在した区。.

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芦田高子

芦田 高子(あしだ たかこ、1907年(明治40年)10月1日 - 1979年(昭和54年)3月13日)は、日本の歌人。.

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花山多佳子

花山 多佳子(はなやま たかこ、1948年3月5日 - )は、日本の歌人。歌人の玉城徹は実父。娘の花山周子も歌人。 東京都出身、千葉県在住。同志社大学文学部在学中に京都大学短歌会および「塔」に入会し、高安国世に学ぶ。現在、選者。河北新報「河北歌壇」、NHK短歌(2011年-2012年度)選者。.

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花山周子

花山 周子(はなやま しゅうこ、1980年5月18日 - )は、日本の歌人、画家、装幀家。 東京都出身。武蔵野美術大学油絵科卒業。1999年に「塔」に入会。2007年に第1歌集『屋上の人屋上の鳥』を出版し、第16回ながらみ書房出版賞を受賞。同人誌「豊作」「sai」にも所属。祖父の玉城徹、母の花山多佳子も歌人。父はビジネス小説家の杉田望。歌集を中心に装幀も多く手がけている。母として、子との触れ合いを歌った歌が近年多い。.

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花山院家賢

花山院 家賢(かざんいん いえかた)は、南北朝時代の公卿・歌人。贈太政大臣花山院師賢の子で、母は花山院家定の女(妙光寺内大臣母)。長親らの父。初め北朝に仕えたが、失脚後は南朝で栄達した。妙光寺と号する。.

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花山院師兼

花山院 師兼(かざんいん もろかね)は、南北朝時代の公卿・歌人。出自に関しては明確な史料を欠き、一般には内大臣花山院家賢の子と推定されているが、他に権中納言花山院兼信の子とする説もある。南朝に仕えた。.

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花山院師賢

花山院 師賢(かざんいん もろかた)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。内大臣花山院師信の二男で、母は僧恵一(五辻忠継の子)の女である。後醍醐天皇の討幕計画に参加したが、幕府に拘束されて配所の下総で没した。.

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花山院長親

花山院 長親(かざんいん ながちか)は、南北朝時代から室町時代にかけての公卿・学者・歌人・禅僧。贈太政大臣花山院師賢の孫で、内大臣花山院家賢の子。母は出自不詳だが、歌人の「花山院長親母」である。南朝に歴仕、やがて出家して子晋明魏(ししんみょうぎ)と号し、将軍足利義持から厚遇された。別号の耕雲(こううん)でも著名。.

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花山院長親母

花山院長親母(かざんいん ながちか の はは、嘉暦元年(1326年)頃 - 没年不詳)は、南北朝時代の女流歌人。出自及び本名は明らかでない。内大臣花山院家賢の室で、長賢・長親(耕雲)・簡中元要を生んだ。北朝で失脚した夫とともに南朝へ移り、正平後期以降の南朝歌壇で活躍。後年出家して春山と号する。 『新葉和歌集』には女流歌人として最多の26首が入集した。同集の詞書によれば、家賢邸で催された百首歌に詠進(恋一・688など)、正平22年/貞治6年(1367年)家賢一周忌には後村上天皇と贈答を交わし(哀傷・1378)、文中3年/応安7年(1374年)入明した元要との離別を惜しんでいる(離別・531)。歌風はどれも二条派で、本歌取りや掛詞などの修辞には優れているが、実感に即した歌が弱く、独特の情操を見出しにくいと評される。天授元年/永和元年(1375年)頃の『住吉社三百六十番歌合』にも出詠し、50歳になった心境を述懐した。元中3年/至徳3年(1386年)長親・師兼とともに『法門四十七首和歌』に詠進しているが、以後の消息は不明である。.

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花園左大臣家小大進

小大進と小侍従母娘に縁の深い岩清水八幡宮(上院参道の石灯籠群) 花園左大臣家小大進(はなぞのさだいじんけのこだいしん、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人である。式部大輔・菅原在良の娘。母は三宮大進。石清水別当光清の妻。小侍従と石清水別当成清の母。三宮小大進、内大臣家小大進とも呼ばれる。.

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芳賀秀次郎

芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1日 - 1993年(平成5年)5月9日)は、日本の教育者。詩人。歌人。.

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芳賀道也

芳賀 道也(はが みちや、1958年3月2日 - )は、YBC山形放送のアナウンサーを経て同社報道制作局制作部専任部長。.

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隔冥記

蓂記(かくめいき)は、金閣寺の住職、鳳林承章が1635年~1668年に書き綴った日記。後水尾天皇時代の上流文化を知る貴重な資料として知られる。 鳳林承章は、茶の湯などを通じて、公家から武士・町人まで幅広い人脈を持ち、そうした上流階級の趣味や暮らしを43歳から33年間にわたって綴った。登場人物は茶人、絵師、学者、歌人など多岐にわたり、華やかな寛永文化を彩る名だたる文化人の豊富な記録になっている。主な登場人物は、後水尾上皇、千宗旦、小堀遠州、金森宗和、片桐石州、桑山一玄、野々村仁清、粟田宮作兵衛、池坊専好、狩野守信、山本友我、林羅山、本阿弥光甫、曽谷宗喝、糸屋十右衛門など。.

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隆弁

隆弁(りゅうべん、承元2年(1208年)- 弘安6年8月15日(1283年9月7日))は、鎌倉時代中期の天台宗寺門派の僧侶・歌人。父は四条隆房・母は葉室光雅の娘。初名・光覚。通称・大納言法印、如意寺殿、聖福寺殿。鶴岡八幡宮・園城寺別当・長吏、大僧正・大阿闍梨。北条得宗家と結びついて園城寺を再興し、「鎌倉の政僧」の異名を持った。.

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銀杏散りやまず

『銀杏散りやまず』(いちょうちりやまず)は、辻邦生の小説。1982年(昭和57年)から翌1983年にかけて新潮社の雑誌『新潮』(4月号〜12月号)に発表された。全18章。単行本は同社から1989年(平成元年)9月20日に刊行、底本は1993年に岩波書店から出版された『辻邦生歴史小説集成』第11巻。『辻邦生全集』では「睡蓮の午後」とともに第13巻に収録。同時期の連載には雑誌『文学界』に『フーシェ革命暦』第二部、『海』に『ある生涯の七つの場所』、『中央公論』に『パリの時』がある。『銀杏散りやまず』は1994年に清水研作の作曲によりモノオペラ作品となる。また、辻は『銀杏散りやまず』により1990年には山梨日日新聞の主催する野口賞を受賞した。.

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芙蓉部隊

芙蓉部隊(前2列目中央無帽の人物が美濃部) 芙蓉部隊(ふようぶたい)とは太平洋戦争末期における、日本海軍第一三一航空隊所属の3個飛行隊(戦闘八〇四飛行隊、戦闘八一二飛行隊、戦闘九〇一飛行隊)の通称である。関東海軍航空隊の指揮下にあったが、実質的に一三一空所属の美濃部正少佐が指揮を取っていた。芙蓉部隊は戦闘機隊とはいえ、沖縄方面の敵飛行場・艦船に対する爆撃、機動部隊に対する索敵を主体とし、特攻が主体になっていた当時において、夜襲戦法を用いて活躍した。芙蓉部隊所属の搭乗員は、フヨウの花の色である薄紅色のマフラーを着用していた。.

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韓国起源説の一覧

韓国起源説の一覧(かんこくきげんせつのいちらん)では、韓国起源説の主張事例の一覧である。 本項で取り上げる事例は、次の基準による。.

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遍昭

遍昭(へんじょう、弘仁7年(816年) - 寛平2年1月19日(890年2月12日))は、平安時代前期の僧・歌人。俗名は良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)。大納言・良岑安世の八男。官位は従五位上・左近衛少将。花山僧正とも号す。六歌仙および三十六歌仙の一人。.

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遠藤若狭男

遠藤若狭男(えんどう わかさお、1947年4月29日-)は、俳人。.

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職能団体

職能団体(しょくのうだんたい)とは、法律や医療などの専門的資格を持つ専門職従事者らが、自己の専門性の維持・向上や、専門職としての待遇や利益を保持・改善するための組織である。同時に、研究発表会、講演会、親睦会の開催や、会報、広報誌などの発行を通して、会員同士の交流などの役目も果たす機関でもある。.

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職業一覧

職業一覧(しょくぎょういちらん)は、職業(プロフェッショナル)に関係する記事を集める所です。日本の資格については日本の資格に関する一覧の一覧から参照してください。 濁音・半濁音及び長音は無視し、拗音・促音は直音に変換(ゃ→や、っ→つ)した読みを用いて、さらに同音がある場合には清音→濁音→半濁音の順序で、五十音順あるいはABC順に配列してあります。尚、上記の基準で読むと同音異義語となる場合は、総画数の小さい順に配列してあります。(読みの例:映画プロデューサー→えいかふろてゆさ) †印の記事はリダイレクト等によりその内容を内含する記事へリンクしています。.

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聖光学院中学校・高等学校

聖光学院中学校・高等学校(せいこうがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県横浜市中区滝之上に所在し、中高一貫教育を提供するカトリック系私立中学校・高等学校。高校からの生徒募集をしない完全中高一貫校。最寄駅は、JR東日本根岸線の山手駅。.

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道命

道命(どうみょう、天延2年(974年) - 寛仁4年7月4日(1020年7月26日))は、平安時代中期の僧・歌人。父は藤原道綱。母は源近広の娘。阿闍梨、天王寺別当。中古三十六歌仙の一人。 若くして出家し、天台座主・良源の弟子となった。長和5年(1016年)天王寺別当。 花山上皇と親しく、上皇の死を悼む歌が残されている。『宇治拾遺物語』などには、和泉式部と親しかったという説話がある。『後拾遺和歌集』(16首)以下の勅撰和歌集に57首が入集。家集に『道命阿闍梨集』がある。読経の声に優れていたという。.

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道昭 (天台宗)

道昭(どうしょう、弘安4年(1281年)- 文和4年12月22日(1356年1月24日))は、天台宗の僧侶、歌人である。.

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道浦母都子

道浦 母都子(みちうら もとこ、1947年9月9日 - )は、歌人。『未来』選者。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府吹田市在住。大阪府立北野高等学校を経て、1972年早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。大学在学中の1971年短歌結社『未来』に入会し、近藤芳美に師事。1980年、全共闘運動に関わった学生時代を歌った歌集『無援の抒情』を発表し、第25回現代歌人協会賞を受賞する。2008年、和歌山県文化賞受賞。静岡新聞、中国新聞、信濃毎日新聞歌壇選者。2003年から2011年まで、吹田市教育委員を務めた。.

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違星北斗

違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) - 1929年(昭和4年)1月26日)はアイヌの歌人・社会運動家。 アイヌ民族の地位向上のための運動に一生を捧げ、その思想を新聞や雑誌に短歌の形で発表して、同時代のアイヌの青年たちに影響を与えた。また道内のアイヌコタンを廻って、まずアイヌ自身が自覚し、団結することが必要であると説いた。 バチラー八重子、森竹竹市と並ぶ、「アイヌ三大歌人」の一人。「アイヌの啄木」と称されることもある。著作に『違星北斗遺稿 コタン』(昭和5年・希望社、現在は草風館より復刊)がある。.

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荷田春満

荷田 春満(かだ の あずままろ、寛文9年1月3日(1669年2月3日)- 元文元年7月2日(1736年8月8日))は、江戸時代中期の国学者・歌人。通称は、斎宮(いつき)。初名は信盛と称し、のちに東丸。賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に国学の四大人の一人とされる。.

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荻原裕幸

荻原 裕幸(おぎはら ひろゆき、1962年8月24日 - )は、日本の歌人。.

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荻田庄五郎

荻田 庄五郎(おぎた しょうごろう、1903年(明治36年)5月9日 - 1983年11月2日)は、日本の英文学者、関西学院大学教授、旧制兵庫県立柏原中(現兵庫県立柏原高等学校)教諭。英国の詩人、パーシー・ビッシュ・シェリー研究の第一人者。.

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荒尾為就

荒尾 為就(あらお ためなり)は、江戸時代後期の鳥取藩家老。倉吉荒尾家8代。.

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草加市

草加市(そうかし)は、埼玉県南東部に位置する人口は約25万人の市。所沢市に次いで県内6位の人口を有する。施行時特例市。南側を東京都足立区と接する。草加松原や草加煎餅で知られる。.

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草柳繁一

草柳 繁一(くさやなぎ しげいち、1922年1月21日 - 2017年4月17日)は歌人。.

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草津温泉

草津温泉(くさつおんせん)は、日本の群馬県吾妻郡草津町草津界隈(江戸時代における上野国吾妻郡草津村界隈、幕藩体制下の上州御料草津村界隈〈初期は沼田藩知行〉)に所在する温泉である。草津白根山東麓に位置する。 日本を代表する名泉(名湯)の一つであり、万里集九と林羅山は日本三名泉の一つに数えた (cf. 1502,1662)。江戸時代後期以降何度も作られた温泉番付の格付では、当時の最高位である大関(草津温泉は東大関)が定位置であった (cf. 1817)。.

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鍋島光茂

鍋島 光茂(なべしま みつしげ)は、江戸時代前期の大名・歌人。肥前国佐賀藩2代藩主。二条流の歌道の宗匠である三条西実教より古今伝授を受けた。.

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菊池知勇

菊池 知勇(きくち ちゆう、1889年4月7日 - 1972年5月8日)は、日本の教育者、歌人。 岩手県東磐井郡渋民村(現一関市)出身。岩手師範学校卒。慶応幼稚舎教員。1910年若山牧水の『創作』の創刊に参加、1926年初めての綴方専門誌『綴方教育』を創刊。1927年口語短歌誌『ぬはり』を創刊した。幼稚舎での教え子に詩人の薩摩忠がいる。.

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鏡王女

鏡王女(かがみのおおきみ、生年不詳 - 天武天皇12年7月5日(683年8月2日))は、飛鳥時代の歌人。藤原鎌足の正妻。『万葉集』では鏡王女、『日本書紀』では鏡姫王と記されている。『興福寺縁起』・『延喜式』では鏡女王。『興福寺縁起』では藤原不比等の生母(後世の創作とする説もある)。また後述するが「鏡王女」と「鏡姫王」を別人とする説もある。.

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華族ゆかりの人物・団体

華族ゆかりの人物・団体(かぞくゆかりのじんぶつ・だんたい)では、1869年(明治2年)から1947年(昭和22年)まで存在した日本近代の貴族階級である華族にゆかりをもつ著名人と団体・会社について解説する。.

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菱川善夫

菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 2007年12月15日)は日本の歌人・文芸評論家、国文学者。北海学園大学名誉教授。戦後の前衛短歌運動を批評の立場から推し進めた。.

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菅原在良

菅原 在良(すがわら の ありよし、長久2年(1041年) - 保安2年10月23日(1121年12月4日)または長久4年(1043年) - 保安3年10月23日(1122年11月23日))は、平安時代中期から後期にかけての貴族、歌人。和泉守大学頭・菅原定義の子。菅原孝標女は叔母。官位は従四位上・式部大輔。菅原氏長者。贈従三位。.

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菅原道真

菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。 忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。 小倉百人一首では菅家。.

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菅原資忠

菅原 資忠(すがわら の すけただ、承平6年(936年) - 永祚元年10月5日(989年11月6日))は、平安時代中期の貴族。右大臣・菅原道真の曾孫で、左少弁・菅原雅規の子。官位は従四位下・右中弁.

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菅原輔正

菅原 輔正(すがわら の すけまさ)は、日本の平安時代中期の公卿・歌人。右中弁・菅原淳茂の孫。勘解由長官・菅原在躬の長男。中古三十六歌仙の一人。.

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菅原文時

菅原 文時(すがわら の ふみとき、昌泰2年(899年)- 天元4年9月8日(981年10月8日))は、平安時代中期の文人・政治家。右大臣・菅原道真の孫で、大学頭・菅原高視の次男。官位は従三位・式部大輔。菅三品と称される。.

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菅野真道

菅野 真道(すがの の まみち、天平13年(741年) - 弘仁5年6月29日(814年7月23日))は、平安時代初期の公卿。津山守の子。姓は津連のち菅野朝臣。官位は従三位・参議。.

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菅野高世

菅野 高世(すがの の たかよ、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。参議・菅野真道の子。官位は従五位下・周防守。.

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萩原広道

萩原 広道(はぎわら ひろみち、文化12年2月19日(1815年3月29日) - 文久3年12月3日(1864年1月11日))は、江戸時代末期の歌人・翻訳家・作家・国学者である。号は蒜園(にらぞの)。備前(現・岡山市中区網浜)出身。代表作は、『源氏物語評釈』。.

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萩原元克

萩原 元克(はぎわら もとえ、1749年12月14日(寛延2年11月5日) - 1805年8月3日(文化2年7月9日))は、日本の国学者、歌人、歌学研究者。「元克」は諱で、通称は徳兵衛、後に士譲。号は静斎、萩の屋。弟に萩原貫斎がいる。.

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萩原慎一郎

萩原 慎一郎(はぎはら しんいちろう、1984年9月16日 - 2017年6月8日)は日本の歌人、詩人。.

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落合直文

落合 直文(おちあい なおぶみ、1861年12月16日(文久元年11月15日) - 1903年(明治36年)12月16日)は、日本の歌人、国文学者。元の名は鮎貝盛光といい、初代気仙沼町長の鮎貝盛徳は長兄、朝鮮語学者の鮎貝房之進:(号:槐園,かいえん)は実弟。.

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青山学院大学の人物一覧

青山学院大学の人物一覧(あおやまがくいんだいがくのじんぶついちらん)は青山学院大学に関係する人物の一覧記事。.

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青山学院女子短期大学

記載なし。

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青山脳病院

青山脳病院(あおやまのうびょういん)は、かつて東京の青山に所在した精神病院である。1907年(明治40年)に開院すると「ローマ式建築」の威容が地元の名物となり、昭和時代に医師で歌人の斎藤茂吉が院長を務めたことでも知られる。.

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青嶋貞賢

青嶋貞賢(あおしま さだかた、文政3年(1820年)8月16日 - 明治29年(1896年))は、江戸時代後期から明治前半の国学者、歌人。雅号は柳坪、篠乃屋。甥に漢詩人の有泉米松(蘆堂)がいる。.

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青空 (雑誌)

『青空』(あおぞら)は、日本の文芸雑誌。1925年(大正14年)1月に、東京帝国大学在学中の梶井基次郎、中谷孝雄、外村茂らが創刊した同人雑誌である「『青空』と友人たち」()。誌名は、快晴の青空を見たことと、武者小路実篤の詩の一節「さわぐものはさわげ、俺は青空」にちなんで付けられた平林英子「梶井基次郎」(『青空の人たち』皆美社、1969年12月)。に部分所収「第七章 天に青空、地は泥濘――本郷と目黒にて」()「第一部 第一章 同人たち」()鈴木貞美「梶井基次郎年譜」()。梶井基次郎の代表作となる「檸檬」「城のある町にて」が、活字で掲載された最初の出版雑誌として知られる「第一部 第六章 『青空』創刊」()。 参加した同人には、稲森宗太郎、淀野隆三、飯島正、三好達治、北川冬彦、阿部知二、古澤安二郎などがいた「第八章 冬至の落日――飯倉片町にて」()。アマチュアの同人雑誌として創刊されながらも、多様なメンバー構成の点などからも近代文学史の中で果たした役割は大きく、意義のある雑誌である紅野敏郎「解説」(復刻版『青空』近代文学館、1970年)。に抜粋掲載野村吉之助(忽那吉之助)「回想 梶井基次郎」(群女国文 1971年4月号、1972年4月号)。に所収。.

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青森市

青森市(あおもりし)は、青森県の中央部に位置する市である。津軽地方・東青地域に属する。同県の県庁所在地であり、中核市に指定されている。青森湾に臨む交通の要地。中心市街は江戸初期に建設された港町に由来。三内丸山遺跡や青森ねぶた祭が知られる。.

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青森県立八戸高等学校

青森県立八戸高等学校(あおもりけんりつ はちのへこうとうがっこう, Aomori Prefectural Hachinohe High School)は、青森県八戸市長者四丁目にある全日制共学の県立高等学校。略称「八高」(はちこう)。.

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青森県立青森高等学校

青森県立青森高等学校(あおもりけんりつ あおもりこうとうがっこう, Aomori Prefectural Aomori High School)は、青森県青森市桜川八丁目にある県立高等学校。通称「青高(せいこう)」。.

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青木じょう子

青木 穠子(あおき じょうこ)は愛知県の歌人。女流漢詩人白川琴水娘。御歌所大口鯛二に和歌を学び、めざまし会、このはな会を創立、明鏡短歌会主宰、中部日本歌人会副会長を務めた。生家は名古屋市短歌会館となっている。 「穠」は「花木の盛にしげるさま」を意味する。.

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蝉丸

蝉丸(百人一首より) 蝉丸(せみまる、生没年不詳)は、平安時代前期の歌人、音楽家。古くは「せみまろ」とも読む。.

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須永朝彦

永 朝彦(すなが あさひこ、1946年(昭和21年)2月5日 - )は、歌人、小説家、評論家。幻想的な作風が特徴。栃木県足利市出身。 少年時代から和歌・短歌・俳句・詩などに親しみ、在原業平、和泉式部、式子内親王、藤原良経、藤原定家、與謝蕪村、與謝野寛、與謝野晶子、北原白秋、木下杢太郎、日夏耿之介、安西冬衛などを愛誦。日本古典は『源氏物語』などの王朝物語や戦記から中世の短篇物語、江戸文芸全般に至るまで広く親しむ一方、能・浄瑠璃や歌舞伎など。近代文学は森鴎外・幸田露伴・泉鏡花・谷崎潤一郎・佐藤春夫・稲垣足穂・三島由紀夫など。外国文学はE.T.A.ホフマン、スタンダール、メリメ、トーマス・マンなどを愛読。17歳の頃、三島の評論・エッセイから澁澤龍彦、森茉莉、ジャン・ジュネ、テネシー・ウィリアムズ、サドなどの文芸を教えられ、眼を灼かれる。 1964年、栃木県立足利高等学校卒業。詩作を試みていたが、1965年に詩人高橋睦郎を訪ねて面談、「詩よりも短歌に向いているのでは」との指摘を受け、現代最高の歌人として塚本邦雄と葛原妙子の存在を教えられる。二人の歌集を需めて熟読する傍ら短歌の制作に没頭、1966年2月、手作りの木版刷歌集を作成し、堀口大學・澁澤龍彦・塚本邦雄など数名に献呈。塚本より返書あり、師事を許される。師の奨めを受け同人誌「喜望峰」に参加、8月初めて短歌36首を公表。師の縁にて葛原・森岡貞香・山中智恵子・中井英夫・松田修・春日井建・寺山修司・加藤郁乎・堂本正樹・高柳重信・永田耕衣・種村季弘・相澤啓三などと相識ることを得る。1971年、「話の特集」「ミステリマガジン」「海」などから散文の原稿依頼を受ける。また村上一郎の慫慂を容れて評伝『鉄幹と晶子』を紀伊國屋新書から上梓、作家専業となる。 1971年に古典芸能学者の郡司正勝と出会い、以後27年間、郡司の逝去まで交友を続け、その間『古典芸能 鉛と水銀』『かぶき夢幻』【郡司正刪定集(全六巻)】等の編集に従う。1972年に歌集『東方花傳』を上梓、漸次短歌の制作から遠ざかり、1974年刊『就眠儀式』以降、小説やエッセイの刊行を重ねる。佐藤春夫、稲垣足穂などの影響を受けた独特の作品世界を形成と評されるも果たして正鵠を得たものか、少なからず疑問が残る。散文の先達として日影丈吉・澁澤龍彦・多田智満子を三絶として敬い、追悼文を草している。 1983年、歌舞伎への親炙が機縁となり、坂東玉三郎の日生劇場ギリシア悲劇公演『メディア』の翻訳潤色台本を担当する。1980年代以降は『幻想文学』誌にしばしば寄稿、また幻想文学関連の叢書・選集・アンソロジー等の編集にも携わり、内外古典の翻訳も数多く手がけており、この仕事に関しては相応の評価を得ている。.

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頓阿

頓阿(二階堂貞宗) 頓阿(とんあ / とんな、正応2年(1289年) - 文中元年/応安5年3月13日(1372年4月17日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代の僧・歌人。父は二階堂氏一族の二階堂光貞(みつさだ)とされるが、藤原師実の子孫という説もある。俗名は二階堂貞宗(にかいどう さだむね、「貞」字は父・光貞または生まれた当時の執権北条貞時の1字、「宗」字は光貞の父・二階堂宗実(むねざね)の1字と思われる)。子に僧・歌人の経賢がいる。 若い頃に比叡山で篭居して天台教学を学び、その後高野山でも修行。20歳代後半に金蓮寺の真観に師事し時衆となった。西行を史蹟を慕って諸国を行脚、京都東山双林寺の西行の旧跡に草庵を構えるなど隠遁者の生活を送った。二条為世に師事して活躍、二条派(歌道)再興の祖とされ、20歳代で慶運・浄弁・吉田兼好とともに和歌四天王の一人とされた。地下(じげ)の歌人であり、歌壇での活躍は晩年であった。「新拾遺和歌集」撰進の際には撰者二条為明(ためあき、為世の次男・為藤の子)が選集の途中で亡くなったことから、頓阿がそれを引き継いで完成させたが、撰者となったのは76歳の時である。北朝の実力者二条良基(二条派とは別系の五摂家の一つ、二条家の当主)の保護を受けた。 『続千載集』以下の勅撰和歌集に44首が入集。著書に『井蛙抄』、『愚問賢註』などがある。 Category:鎌倉時代の僧 Category:鎌倉時代の歌人 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:南北朝時代の人物 (日本) Category:二階堂氏 Category:1289年生 Category:1372年没.

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順徳院兵衛内侍

昆陽池 - 五月雨に小篠か原を見わたせは ゐなのにつゝくこやの池水 - 新後拾遺和歌集 巻第三 夏歌 順徳院兵衛内侍(じゅんとくいんのひょうえのないし、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の歌人。似せ絵の名手として知られた藤原隆信の娘。中山忠定の妻。.

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額井岳

額井岳(ぬかいだけ)は、奈良県宇陀市と奈良市の境に位置する山である。標高812.3m。別名は大和富士。関西百名山の一つである。 南東山麓に奈良時代の歌人・山部赤人の墓がある。.

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額田王

額田王(ぬかたのおおきみ、ぬかたのきみ、生没年不詳)は、飛鳥時代の日本の皇族・歌人。天武天皇の妃(一説に采女や巫女)。 額田王(『万葉集』)の表記が一般的であるが、額田女王、額田姫王(『日本書紀』)、額田部姫王(『薬師寺縁起』)とも記される。.

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衣笠家良

衣笠 家良/藤原 家良(きぬがさ/ふじわらの いえよし)は鎌倉時代初期から中期にかけての公卿、歌人。大納言・粟田口忠良の次男。衣笠内大臣(内府)と号す。新三十六歌仙の一人。.

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行尊

行尊(ぎょうそん、天喜3年(1055年)- 長承4年2月5日(1135年3月21日))は、平安時代後期の天台宗の僧侶・歌人。平等院大僧正とも呼ばれる。.

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行田市

行田市(ぎょうだし)は、埼玉県北部にある人口約8万人の市である。旧・武蔵国埼玉郡。 「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」が日本遺産に認定されている。映画「のぼうの城」、小説・ドラマ「陸王」の舞台にもなって、放送期間中に大きな経済効果があった。.

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行遍

行遍(ぎょうへん、生没年未詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した熊野新宮の社僧。『新古今和歌集』の歌人としても有名。19代熊野別当行範の6男で、母は源為義女・鳥居禅尼(「たつたはらの女房」)。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝は母方の従兄弟にあたる。.

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風媒社

有限会社風媒社(ふうばいしゃ)は、日本の出版社。設立は1963年(昭和38年)で、愛知県名古屋市に本拠地を置く地方出版社である。出版社団体であるNR出版会、日本出版者協議会に所属する。また、中部大学発行書籍の発売元にもなっている。 創業者である稲垣喜代志は1933年(昭和8年)、愛知県刈谷市に生まれた。法政大学文学部に入学後、3年次に法学部に転部した。在学中は学生運動が盛んであり活動に明け暮れた。その後学生社に入社するが、日本読書新聞に転職し、記者として当時の編輯長の巌浩の元で学んだ。日本読書新聞では同僚に、作家の渡辺京二や詩人の三木卓らがいた。1963年、退社し名古屋に移って風媒社を設立した。その後は名古屋を代表する出版社として社会科学書、ノンフィクション、文学を中心に出版活動しているが、近年では尾張地方を題材にしたガイドブックの刊行も目立つ。稲垣は2011年(平成23年)に代表を退き、会長に就任した。後任の社長は山口章が務めている。現編輯長は在日韓国人三世の劉永昇である。 出版第1号は小児麻痺患者の歌人・新堂広志『はるかなる陽ざし 新堂広志歌集』であり、短歌関係の出版物も多い。2003年(平成15年)から2007年(平成19年)にかけて荻原裕幸責任編集の「短歌ヴァーサス」を刊行し、若手歌人たちの登場の場となった。.

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風神雷神図

雷神図(ふうじんらいじんず)とは、風袋から風を吹き出し、下界に風雨をもたらす風神と、太鼓を叩いて雷鳴と稲妻をおこす雷神の活動の姿を描写する絵画である。 俵屋宗達筆の屏風画が有名で、琳派の絵師をはじめ、多くの画家によって作られた模作や模写が多数ある。.

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袋草紙

袋草紙(ふくろぞうし)は、平安時代後期の保元年間(1156年-1159年)頃に公家で六条家流の歌人であった藤原清輔が著した歌論書である。4巻および遺編1巻からなる。.

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飯富季貞

飯富 季貞(おぶ すえさだ/源 季貞(みなもと の すえさだ)、生没年不詳)は、平安時代末期の武将・歌人。清和源氏の河内源氏義忠流とも満政流、満快流ともいう。清和源氏の一族でありながら平家の侍大将であり、文武両道に秀でた武将。本拠地飯富庄(現千葉県)に由来し、飯富氏を称した。通称は源大夫判官。子孫に飯富虎昌がいる。.

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飛鳥井雅庸

飛鳥井 雅庸(あすかい まさつね)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公家・歌人。飛鳥井家13代当主。.

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飛鳥井雅章

飛鳥井 雅章(あすかい まさあき)は、江戸時代前期の公家・歌人。飛鳥井家15代当主。.

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飛鳥井雅経

飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公家・歌人。刑部卿・難波頼経の次男。二条または明日香井を号す。飛鳥井家の祖。小倉百人一首では参議雅経。.

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飛鳥井雅量

飛鳥井 雅量(あすかい まさかず)は、戦国時代の公家、歌人、蹴鞠道家。.

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飛鳥井雅有

飛鳥井 雅有(あすかい まさあり)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公家・歌人。飛鳥井家3代当主。父・飛鳥井教定と共に関東祗候雲客諸大夫の一員として、鎌倉幕府に信用され、京都・鎌倉で活動した。.

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飛鳥井教定

飛鳥井 教定(あすかい のりさだ)は、鎌倉時代の公卿・歌人。参議・飛鳥井雅経の子。飛鳥井家2代当主。二条を号す。.

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西岡瑠璃子

西岡 瑠璃子(にしおか るりこ、1934年7月22日 - )は、日本の政治家、歌人。元日本社会党参議院議員(1期)。.

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西崎憲

西崎 憲(にしざき けん、1955年 - )は、日本の小説家、翻訳家、作曲家。音楽レーベル「dog and me rocords」主宰。文学ムック『たべるのがおそい』(書肆侃侃房)編集長。 青森県つがる市生まれ。青森県立鰺ヶ沢高等学校卒業。ミュージシャンを目指して上京し、1985年にうしろゆびさされ組『女学生の決意』(秋元康作詞、アニメ『ハイスクール!奇面組』EDテーマ)で作曲家デビューを果たす。 英米の幻想文学や恐怖小説を愛読しており、それが高じて自ら翻訳を行うようになる。本格的に英語の勉強を始めたのは27歳の時で、当初は"thought"は"think"の過去形であることを知らなかったレベルだったというが、勉強の末に出版社に翻訳の企画を持ち込み認められるまでになる。ジェラルド・カーシュの作品を多く手がけている。 2002年『世界の果ての庭』で第14回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、小説家としてもデビュー。また、80年代から歌誌「かばん」に所属して歌人としても活動している。その関係から穂村弘と長い交友があり、彼のエッセイにしばしば登場する。堀江由衣や野中藍のアルバムにもアレンジャーとして携わっている。 2015年、第一回日本翻訳大賞を創設して、みずから選考委員に。歌人集団『かばん』購読会員として「フラワーしげる」名義で歌人としても活動。.

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西川久壽男

西川 久壽男 (にしかわ くすお、1908年 - 2008年)は、長野県の教育者、書家。雅号は秋象(しゅうしょう)。.

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西園寺実遠

西園寺 実遠(さいおんじ さねとお、永享6年(1434年)‐明応4年11月25日(1495年12月11日))は、室町時代の公卿、歌人。後花園天皇(102代)と後土御門天皇(103代)の二帝に仕え、従一位左大臣まで昇った。父は太政大臣西園寺公名。子に右大臣西園寺公藤がいる。 嘉吉2年(1442年)に叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、左近衛中将・讃岐介をへて文安5年(1448年)には従三位となり公卿に列する。その後も権中納言・権大納言・右近衛大将などを経て、文正元年(1466年)に内大臣に任じられた。応仁元年(1467年)に従一位となり、内大臣を辞職。文明13年(1481年)に右大臣に任じられ、さらに文明15年(1483年)には左大臣に昇り、長享元年(1487年)まで務めた。 和歌や書をよくし、和歌集「新莵玖波知集」を著した。.

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西園寺公経

小倉百人一首より 西園寺 公経(さいおんじ きんつね、正字体:西園寺公經)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。西園寺家の実質的な祖とされている。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経・関白二条良実・後嵯峨天皇の中宮姞子の祖父、四条天皇・後深草天皇・亀山天皇・5代将軍藤原頼嗣の曾祖父となった稀有な人物である。また、姉は藤原定家の後妻で、定家の義弟でもある。 小倉百人一首では入道前太政大臣。.

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西園寺公重女

西園寺公重女(さいおんじ きんしげ の むすめ、生没年不詳)は、南北朝時代の女性。長慶天皇の中宮に比定される。父は太政大臣西園寺公重。 南朝の長慶天皇に中宮が存在したことは『新葉和歌集』によって明白だが、その詳細に関しては知られるところがなく、ただわずかに宮内庁書陵部蔵の吹上本『帝王系図』の巻末付紙において、「寛成」(長慶天皇)の子の行悟に「御母女院公重公女」との袖書(注記)が見えることから、西園寺公重の女であろうと推定されているに過ぎない。もっともこの付紙に関しては、江戸時代初期の写であることに加えて、他史料による傍証を全く欠いているため、信憑性に疑問を呈する向きもある。 また、立后の時期については、『嘉喜門院集』に見える詞書と贈答歌とによって、建徳2年/応安4年(1371年)9月末以降の間もない頃と推測される。 すなわち、建徳2年(1371年)9月末、女御から紅葉を進上された嘉喜門院(後村上天皇の女御)は、女御が早く秋の宮居(中宮)となることを期待する意の歌を詠み、これに対して内の御方(長慶天皇)は、女院の長寿を祈念する意の返歌を詠んだというが、その実は女院の期待に沿うことを了承する意であろう。この二首は『新葉和歌集』秋下・400-401にも採られており、その詞書に「中宮 女御にておましましける比」と見えることによって、先の女御が後の中宮と同一人なのは明白であるから、この贈答をきっかけに女御は立后宣下を受けて中宮に冊立されたことが分かる。小木喬は、この年の冬か遅くとも翌年(1372年)中には立后が実現したと考えている。 天授3年/永和3年(1377年)皇子行悟を出生。南朝歌壇においては、吉野行宮百首歌に詠進し、『新葉和歌集』には「中宮」として15首入集する。卓抜した歌人ではないが、女性らしい細やかな感情をしみじみと詠み上げたものが多い。長慶天皇の中宮だけあって、源氏物語に対する造詣が窺える作もある(秋上・251)。 なお、近世には、『新葉集』中の長慶天皇「御製」を全て後亀山天皇の作と取り違えたため、「中宮」も後亀山天皇の中宮のことと誤解されていた。.

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西ヶ原

西ヶ原(にしがはら)は、東京都北区の町名。現行行政地名は西ヶ原一丁目から西ヶ原四丁目。住居表示実施地域。郵便番号は114-0024。.

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西和賀町

西和賀町(にしわがまち)は岩手県中西部に位置する和賀郡に属する町である。 三方を標高1,000m級の奥羽山脈に囲まれ、残りの一方は秋田県横手盆地に向かって開かれている点が特色である。この地形によって冬季は10m以上の累積降雪量となり、豪雪地帯対策特別措置法に基づく特別豪雪地帯に指定されている。天気予報は隣接する秋田県南地方の天気予報がその範疇にある。この町の居住の歴史は古く、旧石器時代の大台野遺跡が町内から発見されている。 西和賀町として合併する前の旧沢内村は、高齢者の医療費無料化と乳児死亡率0%を日本で初めて達成した自治体である。 町内の白木野の国道107号沿いに日本一の大きさを誇る藁人形(背丈5m、幅4.3m)が置かれている。.

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西王燦

西王 燦(にしおう さん、1950年12月29日 - )は、歌人。短歌結社誌『短歌人』の元編集委員。 妻の武下奈々子も歌人で、1983年に短歌研究新人賞を受賞している。また、実娘は枡野浩一「かんたん短歌の作り方」の常連投稿者であった。.

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西田政史

西田 政史(にしだ まさし、1962年- )は、日本の歌人。.

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西行

西行像(MOA美術館蔵) 西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月31日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。 勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』(六家集の一)『山家心中集』(自撰)『聞書集』、その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と目される。.

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西角井正慶

西角井 正慶(にしつのい まさよし、1900年5月22日 - 1971年1月22日)は、埼玉県生まれの国文学者、民俗学者。歌人としても著名で、見沼 冬男(みぬま ふゆお)のペンネームを持つ。折口信夫に師事し、折口信夫の五博士のうちの一人である。國學院大學教授。文学博士。 西角井家は明治以前は代々、大宮氷川神社の社家を務め、埼玉県大麻(おおぬさ)頒布事務所を務める名門であった。父・正男は國學院大學卒業後、埼玉師範学校教諭、一時は町長も務め、さらに氷川神社禰宜から上総一宮玉前神社宮司になっていた。母・佐登子は、國學院大學学長河野省三の姉で、女子学習院では貞明皇后と同期であった。西角井正慶は、折口信夫より「よい星の下に生まれた人」といわれた。.

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西郷村 (宮崎県)

西郷村(さいごうそん)は、宮崎県にあった村で、東臼杵郡に属する。 2006年1月1日、南郷村および北郷村と合併(新設合併)して美郷町となったことから地方公共団体としては消滅し、現在は地域自治区「西郷区」となっている。.

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西洞院時慶

西洞院 時慶(にしのとういん ときよし)は、安土桃山時代から江戸時代初期の公家・歌人・医者。西洞院家26代目当主。権大納言・飛鳥井雅綱の孫。安居院僧正・覚澄の子。官位は従二位、参議。号は松庵。.

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覚助法親王

覚助法親王(かくじょほっしんのう、宝治元年(1247年) - 延元元年9月17日(1336年10月22日))は鎌倉時代から建武の新政、南北朝時代初頭にかけての天台宗の僧、歌人。後嵯峨天皇の皇子で、母は刑部局・藤原孝時の娘、博子。 幼くして聖護院に入って文永3年(1266年)に門跡に就任、園城寺長吏、天王寺別当などを歴任した。正安2年(1300年)二品に叙され、後に一品に至る。建武の新政崩壊後の延元元年(1336年)9月17日に90歳で薨去。 歌人としても活躍し、権大納言・二条為世などと交流があった。また、『続拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に89首が残っている。自邸でも歌会を開いたという。.

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覚性入道親王

覚性入道親王(かくしょうにゅうどうしんのう、大治4年閏7月20日(1129年9月5日) - 嘉応元年12月11日(1169年12月30日))は、平安時代後期の皇族・僧・歌人。俗名は本仁親王。父は鳥羽天皇。母は藤原公実の娘待賢門院藤原璋子。真言宗仁和寺の第5世門跡。紫金台寺御室・泉殿御室とも称された。.

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馬加康胤

加 康胤(まくわり やすたね)は、室町時代前期の武将。千葉 康胤(ちば やすたね)とも。第14代当主・千葉満胤の次男。 享徳の乱に乗じて、千葉氏宗家を攻め滅ばして19代当主となる。下総千葉郡馬加村(現在の千葉県千葉市花見川区幕張町)に居を構えたことから「馬加」と称した。また、『千学集抜粋』によれば、常陸国の大掾満幹の養子になったという中根正人「室町中期の常陸大掾氏」(初出:『千葉史学』62号(2013年)/所収:高橋修 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一六巻 常陸平氏』(戒光祥出版、2015年)ISBN 978-4-86403-167-7)。.

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馬場あき子

場 あき子(ばば あきこ、1928年(昭和3年)1月28日 - )は、東京都出身の歌人、文芸評論家。短歌結社「かりん」主宰。日本芸術院会員。朝日歌壇選者。古典や能に対する造詣が深く、喜多実に入門、新作能の制作も行っている。また、『鬼の研究』など民俗学にも深い知識を持つ。本名:岩田暁子(いわた あきこ)。夫は歌人の岩田正。 日本女子専門学校(現・昭和女子大学)国文科卒業。門下には梅内美華子、坂井修一、米川千嘉子、今野寿美、日高堯子、松村由利子、日置俊次など。.

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馬場昭徳

場 昭徳(ばば あきのり、1948年(昭和23年)7月17日 −)は、短歌結社竹柏会「心の花」の歌人。長崎市出身で、同人誌「場」を主宰。.

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馬内侍

馬内侍(うまのないし、生没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。源時明の娘であるが、実父は時明の兄致明(むねあきら)と考えられている。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。 斎宮女御徽子女王(村上天皇女御)、円融天皇中宮媓子、賀茂斎院選子内親王、東三条院詮子(円融天皇女御)、一条天皇皇后定子に仕えた。藤原朝光・藤原伊尹・藤原道隆・藤原道兼など権門の公家と恋愛関係があり、華やかな宮廷生活を送った。 「拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。家集に「馬内侍集」がある。 Category:平安時代の女性 Category:平安時代の歌人.

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馬国人

国人(うま の くにひと、生没年不詳)は、奈良時代の官人・歌人。右京の人。氏姓は馬史のち武生連。 馬氏(馬毘登・馬史)は馬養部・午人等の伴造で、朝廷の馬匹に関する職掌に就いていた氏族。西文氏の一族にあたる渡来氏族。 天平勝宝8年(756年)3月7日時点の官職は散位。天平宝字8年(764年)10月従六位上より外従五位下に昇叙される。天平神護元年(765年)12月に国人及び同族の益人ら合わせて44人が武生連を賜姓された。 『万葉集』に1首入集。.

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香取市

香取市(かとりし)は、千葉県北東部にある人口約7万人の市。成田市への通勤率は12.7%(平成22年国勢調査)。 2006年(平成18年)3月27日に、佐原市と香取郡小見川町、山田町、栗源町が合併して成立。.

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香取秀真

香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954年1月31日)は日本の鋳金工芸作家、歌人である。学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章。東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授、芸術院会員。帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員、国宝保存会常務委員、文化財審議会専門委員などを歴任。秀真は雅号で、本名は秀治郎。金工の人間国宝である香取正彦は長男。.

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香山滋

香山 滋(かやま しげる、1904年(明治37年)7月1日 - 1975年(昭和50年)2月7日)は小説家で、探険小説や幻想的な小説で活躍した他、映画『ゴジラ』の原作者としても知られる。本名は山田鉀治(やまだ こうじ)。東京都出身。.

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香川ヒサ

香川 ヒサ(かがわ ひさ、1947年3月1日 - )は日本の歌人。.

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香川美人

香川 美人(かがわ よしと、1915年(大正4年)― 2008年(平成20年))は愛媛県大三島出身の歌人。実兄の香川末光,甥の香川哲三も歌人。1930年(昭和5年)、「満州短歌」(後の「短歌中原」)に入会し八木沼丈夫に師事した。終戦後、郷里の愛媛県大三島に引き揚げ、1948年(昭和23年)に香川末光・藤原弘男らと「うづしほ短歌会」を結成した。1954年(昭和29年)に「歩道短歌会」に入会し佐藤佐太郎に師事した。「満州短歌」及び「短歌中原」時代の作品を纏めた歌集『碧落』、「歩道」入会後の作品を収めた歌集『風濤』、歌集『海光』がある。写生に立脚した精緻な対象描写と日常生活を柔軟な感性で捉えた歌風に特色がある。.

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香川県立多度津高等学校

香川県立多度津高等学校(かがわけんりつ たどつこうとうがっこう)は、香川県仲多度郡多度津町栄町一丁目に位置する県立の工業高等学校と水産高等学校である。通称は、多高。.

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香川県立丸亀高等学校

香川県立丸亀高等学校(かがわけんりつまるがめこうとうがっこう、Kagawa Prefectural Marugame High School)は、香川県丸亀市六番丁にある公立高等学校。通称は「丸高(まるこう)」。.

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香川進

香川進(かがわ すすむ、1910年7月15日-1998年10月13日)は、歌人。.

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香川氏

香川氏(かがわし、かがわうじ)は、日本の氏族。香河とも書かれることがある。本姓は平氏。家系は桓武平氏のひとつで鎌倉景政を祖とする武家である。主たる家系として安芸香川氏と讃岐香川氏の2流がある。.

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香川末光

香川末光(かがわ すえみつ、1911年(明治44年) - 2003年(平成15年))は愛媛県出身の歌人。弟の香川美人、長男の香川哲三も歌人。1929年(昭和4年)八木沼丈夫主宰の「満州短歌」に入会し、昭和11年頃以降より終刊号まで「満州短歌」の発行者となる。「満州短歌」終刊後は「短歌精神」「短歌中原」に所属した。終戦後、愛媛県大三島に帰郷し農業に従事、1948年(昭和23年)には藤原弘男・香川美人らとともに「うづしほ短歌会」を結成した。1961年(昭和36年)に「歩道短歌会」。 に入会し佐藤佐太郎に師事した。「歩道」入会後の作品を収めた『叢島』『冬果』2冊の歌集があり、瀬戸内の風光と蜜柑づくりを対象とした抒情豊かな生活詠を特色とする。.

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香川景嗣

香川 景嗣(かがわ かげつぐ、寛政4年(1792年) - 慶応元年12月23日(1866年2月8日))は、江戸時代末期の歌人。初名は景礼、通称は木工、清三郎など。梅月堂五世。先代の梅月堂四世・香川景柄(香川黄中)の養子となった。 寛政4年(1792年)、伏田家の一族として京都に生まれる。長じて香川景柄の門人となった。香川景柄は養子の香川景樹の才能に不信を抱き、景樹に別家を立てさせ、景嗣を養子として迎えた。家集に「残香集」などがある。.

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香川景柄

香川 景柄(かがわ かげもと、延享2年8月29日(1745年9月24日) - 文政4年9月28日(1821年10月23日))は、江戸時代中期の歌人。実父は山城国京都の松田対馬。養父は香川景平。養子に香川景樹、香川景欽、香川景嗣。通称は俊蔵や府生等多数。号は黄中。法名は浄阿。香川景平の養子となり梅月堂四世を継ぐ。.

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香川景樹

香川 景樹(かがわ かげき、明和5年4月10日(1768年5月25日)天保14年3月27日(1843年4月26日))は、江戸時代後期の歌人。父は鳥取藩藩士荒井小三次。初名は、純徳・景徳。通称は銀之助・真十郎・式部・長門介。号は桂園(けいえん)・東塢亭(とううてい)・梅月堂・観鶩亭(かんぼくてい)・臨淵社・万水楼・一月楼。出仕した徳大寺家では「景樹」を「かげしげ」と呼んでいたが、景樹自身は自身の署名で「かげき」の読みを使っており、こちらの呼称が一般に通用している。.

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香川景欽

香川 景欽(かがわ かげよし、天明3年(1783年) - 天保2年9月18日(1831年10月23日))は、江戸時代後期の歌人。字は敬夫、後に君朋。号は雪屋。後に佐々木雅楽助、佐々木景欽と称した。 佐佐木直枝の子として広島で生まれる。長じて京都に上り、香川景柄の門人となり、後にはその才能を認められ養子となった。しかし、景柄は後に景欽を離縁した。そのため景欽は、佐々木の名字に復し、歌人として仙洞御所に仕え、烏丸佛光寺北に住まいを構えた。文政5年(1822年)の正月、新年御題の懐紙・短冊を取り揃えて、光格上皇に披露。それを賞賛されて、字を君朋と賜わった。 門人に中臣俊嶺らがいる。 天保2年(1831年)没。高倉正行寺に葬る。法諡法樹院雪山景欽居士。.

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駿州往還

『富嶽三十六景 身延川裏不二』における駿州往還 駿州往還(すんしゅうおうかん)は、甲斐国(山梨県)と駿河国(静岡県)を結ぶ街道のひとつ。なお、「駿州往還」とは甲斐側からの呼び方で、本来は東海道側(静岡側)からの甲州往還(こうしゅうおうかん)が正式な呼称。(後述).

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駒場東邦中学校・高等学校

駒場東邦中学校・高等学校(こまばとうほうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東邦大学が1957年に設置した東京都世田谷区池尻四丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校である。通称は「駒東(こまとう)」。.

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角宮悦子

角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 2016年3月22日 東京新聞 2016年3月24日)は歌人。歌誌「はな」代表。.

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角川歴彦

角川 歴彦(かどかわ つぐひこ、1943年9月1日 - )は、日本の実業家。株式会社KADOKAWA取締役会長、カドカワ株式会社取締役会長、KADOKAWA Contents Academy株式会社取締役会長、株式会社ところざわサクラタウン代表取締役会長、一般財団法人角川文化振興財団理事長、一般社団法人アニメツーリズム協会理事長。学校法人角川ドワンゴ学園理事。東京メトロポリタンテレビジョン株式会社取締役。 株式会社メディアワークス代表取締役社長、株式会社角川書店代表取締役社長、株式会社角川グループホールディングス代表取締役会長、日本雑誌協会理事長、日本映像ソフト協会会長、コンテンツ海外流通促進機構代表幹事、東京国際映画祭チェアマン、内閣官房知的財産戦略本部本部員などを歴任した。.

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角盥漱

鳥山石燕『百器徒然袋』より「角盥漱」 角盥漱(つのはんぞう)は、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪。.

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角鹿尚計

角鹿 尚計(つのが なおかづ、旧姓と歌号:足立 尚計(あだち しょうけい)、1960年 - )は、日本の歴史学者、神道学者、歌人、エッセイスト、神職。福井市立郷土歴史博物館館長・学芸員。日本文藝家協会会員。日本ペンクラブ会員。『短歌人』同人。月光の会(福島泰樹主宰)所属。氣比神社(福井県越前町気比庄)宮司を勤める。大阪市生まれ(実家の先祖は山口県萩市出身)日外アソシエーツ株式会社編集・発行 新訂 現代日本人名録2002 1.

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駒澤大学の人物一覧

駒澤大学の人物一覧(こまざわだいがくのじんぶついちらん)は、駒澤大学に関係する人物の一覧記事。.

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訃報 2005年6月

本項訃報 2005年6月は、2005年(平成17年)6月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2006年12月

本項訃報 2006年12月は、2006年12月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2006年6月

本項訃報 2006年6月は、2006年6月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2007年10月

本項訃報 2007年10月は、2007年10月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2007年2月

本項訃報 2007年2月は、2007年2月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2008年10月

本項訃報 2008年10月は、2008年10月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2008年11月

本項訃報 2008年11月は、2008年11月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2008年4月

本項訃報 2008年4月は、2008年4月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2008年9月

本項訃報 2008年9月は、2008年9月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2009年10月

本項訃報 2009年10月は、2009年10月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2009年12月

本項訃報 2009年12月は、2009年12月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2009年1月

本項訃報 2009年1月は、2009年1月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2009年7月

本項訃報 2009年7月は、2009年7月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2010年10月

本項訃報 2010年10月は、2010年10月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2010年3月

本項訃報 2010年3月は、2010年3月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2010年4月

本項訃報 2010年4月は、2010年4月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2010年5月

本項訃報 2010年5月は、2010年5月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2010年7月

本項訃報 2010年7月は、2010年7月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2010年8月

本項訃報 2010年8月は、2010年8月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2011年2月

本項訃報 2011年2月は、2011年2月に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2011年3月

本項訃報 2011年3月は、2011年3月に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2011年4月

本項訃報 2011年4月は、2011年4月に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2012年4月

本項訃報 2012年4月は、2012年4月に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2013年8月

訃報 2013年8月は、2013年8月に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2015年6月

訃報 2015年6月は、2015年6月に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2016年11月

訃報 2016年11月(ふほう 2016ねん11がつ)では、2016年11月に物故した、または物故が報じられた人物をまとめる。.

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訃報 2016年4月

訃報 2016年4月(ふほう 2016ねん4がつ)では、2016年4月に物故した、または物故が報じられた人物をまとめる。.

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訃報 2017年11月

訃報 2017年11月(ふほう 2017ねん11がつ)では、2017年11月に物故した、または物故が報じられた人物をまとめる。.

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訃報 2017年12月

訃報 2017年12月(ふほう 2017ねん12がつ)では、2017年12月に物故した、または物故が報じられた人物をまとめる。.

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訃報 2017年2月

訃報 2017年2月(ふほう 2017ねん2がつ)では、2017年2月に物故した、または物故が報じられた人物をまとめる。.

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訃報 2017年3月

訃報 2017年3月(ふほう 2017ねん3がつ)では、2017年3月に物故した、または物故が報じられた人物をまとめる。.

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訃報 2017年6月

訃報 2017年6月(ふほう 2017ねん6がつ)では、2017年6月に物故した、または物故が報じられた人物をまとめる。.

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訃報 2018年1月

訃報 2018年1月(ふほう 2018ねん1がつ)では、2018年1月に物故した、又は物故が報じられた人物を纏める。.

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詩人

詩人(しじん)とは、詩を書き、それを発表する者。また、そのことを職業にしている者。 後者でも詩作のみで生活している人はほとんどおらず、多くの場合、評論、随筆、翻訳、小説、音楽、絵画、演劇、漫画、歌の作詞など他の分野の創作活動を並行して行っていたり、あるいは(文学と縁遠い)他の職業を持っている。たとえば高村光太郎は彫刻家としても多数の作品を残しているし、草野心平にはバーや居酒屋の経営をしていた時期がある。アルチュール・ランボーは10代に残した業績によって詩人と呼ばれているが、詩作を止めた後は貿易商などさまざまな仕事に捧げた。 シンガーソングライターが詩人としても高い評価を得、詩集を出すまでに至る例もある。ボブ・ディラン、パティ・スミスなどがその例である。 また、詩人は古くから聴衆を前に自身の詩を朗読するのを常としていたが、その行為を、ポエトリーリーディングという表現形態において現代社会に甦らせた動きが、欧米のみならず、日本においても1990年代の半ば以降見受けられる、フランスのパリのレーベルで自身のポエトリーリーディングのCDを出している詩人であり美術家でありポエトリーリーディングアートパフォーマーである千葉節子等がその代表的な例である。 詩を書く者以外に対しても「詩人」という言葉が使われることがある。新明解国語辞典第六版(三省堂)にもそのような広義の意味が書かれているし、三好達治は『詩を読む人のために』(至文堂、1952年)の中で「誰かもいったように」と前書きした上で「詩を読み詩を愛する者は既に彼が詩人」であると書いている。 歌の歌詞の作者のことは一般に作詞家と呼ばれる。.

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誠拙周樗

誠拙周樗(せいせつ しゅうちょ、延享2年6月29日(1745年7月28日)- 文政3年6月28日(1820年8月6日))は、江戸時代中期から後期にかけての臨済宗の僧・歌人。伊予国の出身。無用道人と号し、諡号は大用国師。 鎌倉円覚寺仏日庵の東山周朝に師事してその法を継ぎ、1783年(天明3年)円覚寺前堂首座に就任した。晩年は京都相国寺に移っている。和歌を香川景樹に学び、歌集に「誠拙禅師集」がある。 Category:日本の禅僧 (臨済宗) Category:江戸時代の僧 Category:江戸時代の歌人 Category:伊予国の人物 Category:1745年生 Category:1820年没.

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高向利春

向 利春(たかむこ の としはる、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族・歌人。讃岐権守・高向公輔の子。大内記・小野美材の養子。官位は従五位下・甲斐守。.

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高宮王

宮王(たかみやのおおきみ/たかみやおう、生没年不詳)は、奈良時代の歌人・官人。 名前に「王」が付いているところから皇族出身と推察されるが、詳しい系譜などは不明。『万葉集』に2首の歌が載る。.

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高安国世

安 国世(たかやす くによ、男性、1913年8月11日 - 1984年7月30日)は、日本の歌人、ドイツ文学者。専門はリルケであり、多くの作品を翻訳している。短歌結社「塔」創設者。 大阪府大阪市道修町出身。父高安道成は医師、母やす子はアララギの歌人、叔父に高安月郊。母の影響を受けて短歌を志し、アララギに入会、土屋文明に師事する。リアリズムに基礎を置きながらも、現実には存在しないものを表現の対象に求めるなど、常に新しい表現を求め続けた。 京都大学短歌会の顧問もつとめ、永田和宏や栗木京子を育てた。三男高安醇は画家。 評伝に、水沢遥子『高安国世ノート』(不識書院、2005年)、松村正直『高安国世の手紙』(六花書林、2013年)がある。.

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高山鉄男

山 鉄男(たかやま てつお、1935年1月18日 - )は、日本のフランス文学者、慶應義塾大学名誉教授。.

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高島章貞

島 章貞(たかしま しょうてい/あきさだ、1804年 - 1869年)は、江戸時代の医師、桂園派歌人、幕末の志士。幼名を挹武、字を以徳、歌人としては星園と号した。.

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高島裕

島 裕(たかしま ゆたか、1967年9月28日 - )は歌人。.

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高崎市

崎市(たかさきし)は、関東地方の北西部、群馬県中部よりやや南西に位置する中核市。1900年(明治33年)の市制施行当時の区域は旧:群馬郡。現在の市域は、旧:群馬郡・碓氷郡・甘楽郡・多野郡(多胡郡・緑野郡)の区域で構成される。中核市に指定されており、群馬県内では最大の人口を擁する都市である。.

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高崎正秀

崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - 1982年3月2日)は、富山県生まれの国文学者、万葉学者、歌人。國學院大學名誉教授。國學院大學栃木短期大学名誉学長。文学博士。 折口信夫に師事(著書『折口学への招待』(桜楓社)がある)、折口信夫の五博士のうちの一人である。主著に『高崎正秀著作集』(桜楓社、全8巻)がある。.

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高嶋健一

嶋 健一(たかしま けんいち、1929年4月14日 - 2003年5月18日)は、日本の教育学者(教育心理学)、歌人。静岡県立大学名誉教授。 池田市教育研究所所員、兵庫県立湊川高等学校教諭、静岡女子短期大学助教授、静岡女子大学文学部教授、水甕選者、水甕運営委員長などを歴任した。.

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高丘河内

丘 河内(たかおか の かわち/こうち、生没年不詳)は、奈良時代の貴族、文人、歌人。氏姓は楽浪(無姓)のち高丘連。官位は正五位下・大学頭。.

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高市黒人

市 黒人(たけち の くろひと、生没年不詳)は、飛鳥時代の官人・歌人。姓は連。.

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高知学芸中学校・高等学校

知学芸中学校・高等学校(こうちがくげいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、高知県高知市槙山町にある私立中学校・高等学校(中高一貫校)。中高一貫教育を実施している。.

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高知県の文学史

知県の文学史(こうちけんのぶんがくし)では、高知県における文学の歴史、すなわち高知の人々、あるいは高知を訪れた人々の手になる文学作品を通史的に解説する。.

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高田保馬

保馬(たかた やすま、1883年(明治16年)12月27日 - 1972年(昭和47年)2月2日)は日本の経済学者、社会学者。文学博士。歌人。文化功労者。京都大学名誉教授。大阪大学名誉教授。.

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高畠式部

高畠 式部(たかばたけ しきぶ、天明5年(1785年) - 明治14年(1881年)5月28日)は、日本の幕末期から明治初期にかけての女性歌人。本名は刀美。式部は雅号である。 伊勢国松坂の商家に生まれる。 香川景樹から桂園流の歌を学び、景樹の歿後は千種有功に師事。和歌以外に書画、彫刻、琵琶、笙、茶道等も学んだ。 歌集に、『麦の舎集』、『式部蓮月二女和歌集』などがある。 墓は、京都市東山区円山町626の時宗寺院、黄台山長楽寺にある。 Category:江戸時代の歌人 Category:江戸時代の文人 Category:江戸時代の女性 Category:幕末の女性 Category:明治時代の人物 Category:伊勢国の人物 Category:三重県出身の人物 Category:1785年生 Category:1881年没.

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高瀬一誌

髙瀬 一誌(たかせ かずし、1929年12月7日 - 2001年5月12日)は歌人。.

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高瀬善夫

善夫(たかせ よしお、1930年5月20日 - 1999年1月28日)は、日本のジャーナリスト、評論家、歌人。福島県若松市(現・会津若松市)出身.

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高瀬荘太郎

荘太郎(たかせ そうたろう、旧字体:髙瀨莊太郎 1892年3月9日 - 1966年9月4日)は会計学者、政治家。正三位勲一等瑞宝章。.

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高階経重

階 経重(たかしな の つねしげ、生没年不詳)は、平安時代後期の貴族。伊予守・高階明順の子。子に経忠(藤原経任の養子)、藤原行房室がいる。官位は従四位上・大和守。.

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高階敏忠

階 敏忠(たかしな の としただ、生没年不詳)は平安時代中期の貴族。右近衛中将・高階師尚の孫で、宮内卿・高階良臣の子。官位はは従五位上・右衛門権佐。.

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高遠

遠.

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高遠町

遠町(たかとおまち)は、長野県中部の上伊那郡に属した町。高遠城址公園はコヒガンザクラの名所として知られている。高遠藩の城下町であった。 2006年(平成18年)3月31日、高遠町は(旧)伊那市、長谷村と合併して(新)伊那市となり、117年の歴史に幕を閉じた。なお、旧町域には市町村の合併の特例に関する法律(合併特例法)に基づく地域自治区が2016年3月30日を期限として設置された。.

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高野公彦

野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )は日本の歌人。歌誌「コスモス」編集人、選者。本名は、日賀志康彦。.

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高柳蕗子

柳蕗子(たかやなぎ ふきこ、1953年 - )は、歌人。 前衛俳句の旗手であった俳人・高柳重信と、重信最初の妻山本篤子との長女として、埼玉県戸田市に生まれる。明治大学文学部卒。歌誌『かばん』同人。性教育評論家の高柳美知子は叔母。.

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高松公祐

松 公祐(たかまつ きんさち)は、江戸時代後期の公卿・歌人。正二位・権中納言。 著書『松葉集』がある。武者小路実陰の子孫である。.

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高村光太郎

村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年(昭和31年)4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。 日本を代表する彫刻家であり、画家でもあったが、今日にあって『道程』、『智恵子抄』等の詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。著作には評論や随筆、短歌もある。能書家としても知られる。弟は鋳金家の高村豊周。甥は写真家の高村規で、父である高村光雲等の作品鑑定も多くしている。.

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高梁市

あたごループ橋付近から眺めた市中心部 高梁市(たかはしし)は、岡山県にある市である。県中西部に位置し、広島県と境を接する。.

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高槻市

槻市(たかつきし)は、日本の大阪府北部の北摂三島地域に位置する市。中核市に指定されている。「水とみどりの生活文化都市」がキャッチフレーズ。本項では発足時の名称である高槻村(たかつきむら)、市制前の名称である高槻町(たかつきちょう)についても述べる。 政令指定都市である大阪市と京都市とのちょうど中間に位置し、二大都市のベッドタウンとして発展している。市章も、京都市と大阪市の市章を融合させたデザインとなっている。また、市章は街区表示板にも描かれている。.

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高橋みずほ

髙橋 みずほ(たかはし みずほ、1957年2月12日 - )は歌人。祖父は歌人の髙橋俊人、父は植物育種学者の髙橋成人、夫は歌人の吉野裕之。.

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高橋一起

橋 一起(たかはし いっき、1941年 - )は、日本の小説家、著作家。 広島県広島市生まれ。広告代理店でコピーライターを務める。1983年「犬のように死にましょう」で文学界新人賞受賞。その後広告制作会社を経営し執筆活動から離れていたが、2005年から作家活動を再開する。 父の高橋武夫は弁護士・歌人で、広島原爆で被爆した体験を短歌に詠み、大江健三郎「ヒロシマ・ノート」にも引用されている。.

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高橋俊人

髙橋 俊人(たかはし としんど、1898年8月4日 - 1976年1月13日)は日本の歌人、郷土史家。.

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高橋睦郎

橋 睦郎(たかはし むつお、1937年12月15日 - )は、日本の詩人、歌人、俳人。文化功労者・日本芸術院会員。.

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高橋虫麻呂

橋 虫麻呂(たかはし の むしまろ、生没年不詳)は、奈良時代の歌人。姓は連。.

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高津区

津区(たかつく)は、川崎市を構成する7行政区のうちの一つである。溝の口駅(東急田園都市線)・武蔵溝ノ口駅(JR東日本南武線)駅周辺を中心として東側の土地が主に再開発され、川崎市中部の中心商業地として発展している。.

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高津柿本神社

津柿本神社(たかつかきのもとじんじゃ)は、島根県益田市高津町に鎮座する旧県社。歌聖柿本人麿を祀る神社で、正式名称は柿本神社。柿本人麿を祀る柿本神社は日本各地に存在するが、その本社を主張している。鎮座地は丸山の東に張り出した尾根筋の鴨山(高角山)山頂に位置し、境内を含めた一帯は祭神にちなんで、昭和50年代から島根県立万葉公園として整備されている。.

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高清水町

清水町(たかしみずまち)は、宮城県北部にあった町である。2005年4月1日に栗原郡内全町村が合併し、栗原市となった。.

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高木きよ子

木 きよ子(たかぎ きよこ、1918年6月23日 - 2011年1月3日 )は、日本の宗教学者、歌人。.

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高木佳子

木 佳子(たかぎ よしこ、1972年11月7日 - )は日本の歌人。神奈川県生まれ。福島県いわき市在住。短歌結社「潮音」所属。.

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鬼頭白雨

頭白雨遺作集----参照 鬼頭白雨遺作集----参照 鬼頭白雨(1901年(明治34年)11月16日 - 1977年(昭和52年)10月4日) は、三重県津市出身の歌人。.

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魚歌

『魚歌』(ぎょか、ぐろりあ・そさえて、1940年8月)は、日本の歌人、斎藤史の最初の個人歌集。装幀は棟方志功。序文は前川佐美雄。本文148頁、歌数373首。.

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魚沼市

魚沼市(うおぬまし)は、新潟県の中越地方の南東に位置する市。 周囲を山に囲まれた盆地で、冬期は2mから3mの積雪がある特別豪雪地帯である(気象・環境参照)。上越新幹線で新潟駅から40分、東京駅から90分の位置にあり、冬季のスキーは重要な産業で、また南魚沼市、小千谷市、十日町市共々、魚沼地方は稲作が盛んで、魚沼産コシヒカリの産地の一つとしても知られる。 平成16年11月1日に、北魚沼郡に属した堀之内町、小出町、湯之谷村、広神村、守門村、入広瀬村の6つの自治体が合併して誕生した魚沼市HP。参考:旧堀之内町地区は、かつて三国街道の宿場町(堀之内宿)として栄えた 。東西約37km、南北約52km、面積946.76km2で新潟県の面積の約7.5%にあたり市内の84.25%は森林である。.

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鮎貝房之進

鮎貝 房之進(あゆかい ふさのしん、文久4年1月4日(1864年2月11日) - 昭和21年(1946年)2月24日)は、日本の言語学者・歴史学者・歌人。号は槐園(かいえん)。.

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谷山花猿

谷山 花猿(たにやま かえん、1932年(昭和7年)3月 - )は、満州国奉天省(現在の遼寧省瀋陽市)出身の日本の俳人、大学教授。本名は伊牟田敏充で法政大学名誉教授、遼寧大学名誉教授。月刊『俳句人』編集長、新俳句人連盟会長(1998-1999年)、現代俳句協会副幹事長を歴任。第7回新俳句人連盟賞受賞。.

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谷岡亜紀

谷岡 亜紀(たにおか あき、男性、1959年11月19日 - )は、歌人。.

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谷川健一

谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日、満92歳没)は、日本の民俗学者、地名学者、作家、歌人。日本地名研究所所長。 在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもとめた「南島文学発生論」などの業績をあげ、文化功労者に選出されるなど高く評価された。.

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谷邦夫

谷 邦夫(たに くにお、1904年5月12日『栃木県紳士録 昭和58年度版』,564頁 - 1991年11月23日)は、日本の政治家、歌人。 本名は谷 国夫(たに くにお)。.

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豊後大野市

豊後大野市(ぶんごおおのし)は、大分県の南部に位置する人口約3万6000人の市。.

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豊田三郎 (小説家)

豊田 三郎(とよだ さぶろう、1907年(明治40年)2月12日 - 1959年(昭和34年)11月18日)は、日本の小説家。本姓は森村。妻は歌人の森村浅香、作家の森村桂は長女。.

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豊饒の海

『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)は、三島由紀夫の最後の長編小説。『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で「『豊饒の海』について」(毎日新聞夕刊 1969年2月26日号)。、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」である「第十二回 究極の小説『豊饒の海』(一)」「第十三回 究極の始まり『豊饒の海』(二)」()。最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した(三島事件)。 第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男性とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬などの東洋の伝統を踏まえた作品世界となっている。また様々な「仄めかし」が散見され、読み方によって多様な解釈可能な、謎に満ちた作品でもある佐藤秀明「〈作品解説〉豊饒の海」()。 〈豊饒の海〉とは、月の海の一つである「Mare Foecunditatis」(ラテン語名)の和訳で、〈月修寺〉のモデルとなった寺院は奈良市の「圓照寺」である。なお、最終巻の末尾と、三島の初刊行小説『花ざかりの森』の終り方との類似性がよく指摘されている「大団円『豊饒の海』」()井上隆史「豊饒の海」()。.

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豊橋公園

豊橋公園(とよはしこうえん)は、愛知県豊橋市中心部の今橋町にある城址公園である。野球、テニス、陸上競技等の大会が行われるほか、豊橋まつり、炎の祭典、納涼祭り(夜店)等、市内イベントの会場としても利用される。また、災害時は市役所の指定する広域避難場所でもある。.

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貞心尼

貞心尼(ていしんに、寛政10年(1798年) - 明治5年2月11日(1872年3月19日))は、江戸時代後期の曹洞宗の尼僧。良寛の弟子。歌人。俗名は奥村ます。法名は孝室貞心比丘尼(こうしつていしんびくに)、孝室貞心尼(こうしつていしんに)。.

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貞登

貞 登(さだ の みのる/ のぼる、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。仁明天皇の皇子。母は三国町(三国氏の娘)。官位は正五位下・紀伊権守。.

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貞門派

貞門派(ていもんは)は、江戸時代前期の歌人・俳人で連歌も行った松永貞徳(1571年-1654年)によって提唱された俳諧の流派。 貞徳は、俳諧が和歌・連歌を詠むにあたっての基礎であると考え、俗語や漢語などのいわゆる俳言(はいごん)を使うことを主唱した。貞門派の俳風は言葉遊びの域を出ず、その後西山宗因が主張した談林派俳諧に押されるようになるが、江戸時代後期まで影響力を有した。.

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鳥取市立西郷小学校

鳥取市立西郷小学校(とっとりしりつ さいごうしょうがっこう)は、鳥取県鳥取市河原町牛戸にある公立小学校。.

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鳥居 (歌人)

鳥居(とりい)は、日本の歌人。三重県生まれ。 セーラー服を着た歌人として知られる。両親の離婚、母の死、養護施設での虐待、ホームレス生活を体験したのち、短歌を独学で学んだ。第61回現代歌人協会賞受賞。.

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鳥海昭子

鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年 - 2005年10月9日)は、歌人、エッセイスト。.

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鳩よ!

『鳩よ!』(はとよ)は、かつて存在した日本の文芸雑誌。1983年12月から2002年5月まで、マガジンハウスより発行された。.

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賀古鶴所

賀古 鶴所(かこ つるど、1855年2月18日(安政2年1月2日) - 1931年(昭和6年)1月1日)は、明治期から昭和初期の医師。日本陸軍軍医で日本に耳鼻咽喉科学をもたらした。歌人として常盤会を開催する。遠江国の出身。恩賜財団済生会病院の発起人の一人。.

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賀茂女王

賀茂女王(かもじょおう/かものおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代後期の皇族・歌人。父は長屋王、母は側室の阿倍大刀自(中納言阿倍広庭の娘)。 神亀5年(728年)頃、大伴三依(大納言大伴御行の子)に恋の歌を贈っている(万葉集4-556)。神亀6年(729年)の長屋王の変以後の消息は不明。 『万葉集』に3首の歌を載せる。.

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賀茂真淵

賀茂 真淵(かも の まぶち)は、江戸時代中期の国学者、歌人。通称三四。真淵は出生地の敷智(ふち)郡にちなんだ雅号で、淵満(ふちまろ)とも称した。 荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされ、その門流を「県居(あがたい)学派」、あるいは「県門(けんもん)」と称した。.

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鴨島 (島根県)

島(かもしま)は、現在の島根県益田市高津・中須沖の日本海にあったとされる島である矢富 (1952)、63頁; 矢富 (1963)、98頁; 池田 (1979)、48頁。。諸説ある柿本人麻呂の終焉地とされるうちの一つであり、1026年(万寿3年)の万寿地震によって海中に没し、地元で「大瀬」と呼ばれている暗礁が水没した鴨島の跡だとされるが、伝説に過ぎないとする説もある。近年、学術調査が行われており、鴨島が実在したことの直接的な証拠は見つかっていないものの「」『読売新聞』 2009年2月16日。、地震や津波が発生したことは間違いないとみられることから、一概に否定することはできないと考えられている藤岡 (1981)、48頁。。.

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鴨祐為

(かも の すけため、元文5年〈1740年〉 - 享和元年6月17日〈1801年7月27日〉)とは、江戸時代の京都の神官・歌人。梨木祐為とも称す。下鴨社祠官家、正三位・鴨祐之の孫。官位は正四位下・上総介。.

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越前市

越前市(えちぜんし)は、福井県嶺北地方の中南部に位置する市。.

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足代弘訓

足代 弘訓(あじろ ひろのり、天明4年11月26日(1785年1月6日) - 安政3年11月5日(1856年12月2日))は、日本の江戸時代後期の国学者、歌人。号は寛居(ぬたい)。通称は式部・権太夫。父は伊勢外宮祠官足代弘早。伊勢国の人。 伊勢内宮の荒木田久老に国学を学び、久老の没後は本居春庭・本居大平の門に入った。伊勢国山田の鈴屋の師道者とし活躍した。京阪や江戸に出て多くの文人と交流している。神宮内では祠官の堕落に対して弊風を粛清する運動を展開、天保の大飢饉に際しては窮民救済の運動を行った。幕末期には、多くの志士と交流し、一方で弟子の教育にあたった。 門下に正住弘美、志田義貫、生川正香、白井重固、渡辺政香。友人に大塩平八郎。.

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足立尚計

足立 尚計(あだち しょうけい、本名:角鹿 尚計(つのが なおかづ)、1960年 - )は、日本の歴史学者、神道学者、歌人、エッセイスト、神職。福井市立郷土歴史博物館館長・学芸員。日本文藝家協会会員。日本ペンクラブ会員。『短歌人』同人。月光の会(福島泰樹主宰)所属。氣比神社(福井県越前町気比庄)宮司を勤める。大阪市生まれ(実家の先祖は山口県萩市出身)日外アソシエーツ株式会社編集・発行 新訂 現代日本人名録2002 1.

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足立区

足立区(あだちく)は、東京都区部(23区)の一つで、その北部に区分され、23区で最北端に位置する。 郵便番号上3桁は120・121・123である。.

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足羽山公園口駅

足羽山公園口駅(あすわやまこうえんぐちえき)は、福井県福井市毛矢にある、福井鉄道福武線の電停。駅番号はF20。.

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鶴岡市

岡市(つるおかし)は、山形県の日本海沿岸(庄内地方)南部にある人口約13万人の都市である。2005年10月の市町村合併により県内人口が第2位となり、市の面積は東北地方で最も広く全国7位となった。 江戸時代には鶴岡藩(通称庄内藩)の城下町として盛えた庄内南部の街であり、郊外には庄内米やだだちゃ豆の農地が広がる。出羽三山神社には東北地方で唯一、皇族(蜂子皇子)の墓がある。.

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鷲尾悦也

鷲尾 悦也(わしお えつや、1938年(昭和13年)9月20日 - 2012年(平成24年)2月26日)は、日本の労働運動家。日本社会事業大学理事長。旭日大綬章(2009年)。 日本労働組合総連合会会長(第3代)、日本鉄鋼産業労働組合連合会会長を歴任。2010年、日本社会事業大学理事長に就任。.

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鷹司基忠

鷹司 基忠(たかつかさ もとただ)は鎌倉時代初期から後期にかけての公卿、歌人。従一位、関白、太政大臣。号に円光院関白、円光院入道関白。.

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鷹司冬平

鷹司 冬平(たかつかさ ふゆひら 、 建治元年(1275年) - 嘉暦2年1月19日(1327年2月11日))は、鎌倉時代後期の公卿、歌人。後照念院関白と号す。 延慶元年11月10日(1308年12月22日) - 延慶4年3月15日(1311年4月4日)に摂政を務めた後、同年同日 - 正和2年7月12日(1313年8月4日)、正和4年9月22日(1315年10月20日) - 正和5年8月23日(1316年9月10日)、正中元年12月27日(1325年1月12日) - 嘉暦2年1月19日(1327年2月11日)の3回にわたって関白を歴任した。.

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鷹司院帥

鷹司院帥(たかつかさいんのそち、生没年不詳)は、鎌倉時代に活躍した歌人である。藤原北家高藤流右大弁藤原光俊(葉室光俊・法号真観)の娘。共に勅撰歌人である大僧都定円、尚侍家中納言(藤原親子)は兄弟姉妹。 鞘堂.

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鷹司院按察

鷹司院按察(たかつかさいんのあぜち、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人である。後鳥羽院側近として承久の乱により処刑された葉室光親の娘。葉室光俊(真観)や定嗣は、異母兄弟。兵衛督とも呼ばれた。.

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鹿児島寿蔵

鹿児島 寿蔵(かごしま じゅぞう、1898年12月10日 - 1982年8月22日)は、人形作家、歌人。 福岡市生まれ。有岡米次郎に博多人形製作を学ぶ。1932年紙塑人形を創始、1933年日本紙塑藝術研究所を開き、1934年人形美術団体甲戌会を結成する。1936年帝展に入選する。アララギ派の歌人でもあり、島木赤彦・土屋文明に師事。1945年短歌雑誌『潮汐』を創刊する。1961年紙塑人形の人間国宝となる。1968年、『故郷の灯』他で第2回迢空賞受賞。勲三等瑞宝章。門下に三国玲子など。.

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鹿児島県立加治木高等学校

鹿児島県立加治木高等学校(かごしまけんりつかじきこうとうがっこう)は、鹿児島県姶良市加治木町仮屋町にある同県立の高等学校。略称は「加高(かこう)」。同窓会は「龍門会」と呼ばれている。在籍者数約950名(各学年8クラス、2015年現在)。.

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麹町区

麹町区(こうじまちく)は、かつて東京都にあった区。現在の千代田区。.

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躑躅ヶ崎館

躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、山梨県甲府市古府中(甲斐国山梨郡古府中)にあった戦国期の居館(または日本の城)。甲斐国守護武田氏の居館で、戦国大名武田氏の領国経営における中心地となる。.

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車持千年

車持 千年(くらもち の ちとせ、生没年不詳)は、飛鳥・奈良時代の歌人。姓は朝臣。主殿属・車持馬人の子で、子に門主がいたとする系図がある。 車持氏(車持君・車持朝臣)は上毛野氏の同族で、上野国の地方豪族。千年は元正天皇・聖武天皇に宮廷歌人として仕えたらしく、行幸に従駕した折の歌8首が『万葉集』に掲載されている(6‐0913・0914、0931・0932、0950~0953)。.

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軽部真一

軽部 真一(かるべ しんいち、1962年10月8日 - )は、フジテレビアナウンサー。 既婚。.

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黒川真頼

黒川真頼(1899年) 黒川 真頼(くろかわ まより、文政12年11月12日(1829年12月7日) - 明治39年(1906年)8月29日)は、江戸時代・明治時代の国学者・歌人である。旧姓は金子、幼名は嘉吉。.

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黒川春村

黒川 春村(くろかわ はるむら、寛政11年6月9日(1799年7月11日) - 慶応2年12月26日(1867年1月31日))は、江戸時代末期の江戸の国学者にして歌人。.

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黒田淑子

黒田 淑子(くろだ よしこ、1929年(昭和4年)9月9日 - )は、日本の歌人。岐阜県生まれ。岐阜女子専門学校(現岐阜市立女子短期大学)卒業。第一歌集『丘の外燈』は、繊細な感覚の働いた抒情性の高い作品を特色とする。佐藤佐太郎の純粋短歌論に立脚しながら詩情を中心に据えた作歌活動を今日まで続けている。また、女子受刑者に対する短歌指導を長年続けており、藍綬褒章などを受章している。.

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黒田清綱

黒田 清綱(くろだ きよつな、1830年4月13日(天保元年3月21日) - 1917年(大正6年)3月23日)は、幕末の薩摩藩士。明治期期の官吏・歌人・正二位・勲一等・子爵。薩摩藩士黒田清直の嫡男。母はお守(小倉氏)。通称は新太郎・嘉右衛門・嘉納。雅号は滝園。庶子に黒田清秀・養嗣子に黒田清輝(弟の実子)。同じ薩摩藩出身の黒田清隆との直接の血縁は無い。.

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黒瀬珂瀾

黒瀬 珂瀾(くろせ からん、1977年7月22日 - )は歌人。 大阪府豊中市生まれ。大阪星光学院高等学校卒業後、大阪大学文学部比較文学専攻卒、同大学院文学研究科修士課程修了。在学中は京都大学短歌会に参加したほか、阪大下の古書店・太田書店でアルバイトをしていた。 師・春日井建の影響を強く受けた耽美的世界観が特徴的だった初期の歌風から、岡井隆の影響が濃い修辞主体の写生的な作風に変貌しつつある。また、オタク文化を始めとするサブカルチャーに造詣が深いことでも知られる。浄土真宗本願寺派の僧籍を持ち、富山県富山市の寺院の住職。 妻は金沢大学准教授の鈴木暁世。富山市在住。.

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黄霊芝

霊芝(こう れいし、1928年6月20日 - 2016年3月12日)は、主に日本語で創作活動を行う台湾の小説家、俳人、歌人、詩人、童話作家、彫刻家。 台南市東門町(現・東門路)生まれ。本名は黄天驥(こう てんき)。第二次世界大戦後、日本語の公の場での使用が禁止された台湾で、日本語による創作活動を開始。厳しい風当たりの中、日本語での創作を続けた。1970年には台北俳句会を創立し、その当初から主宰をつとめている。日本語のほかに中国語、フランス語での創作もある。 日本では「黄霊芝」名義のほか、日本統治時代の日本名である国江春菁(くにえ しゅんせい)という名義での著作も出版されている。.

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齋藤芳生

齋藤 芳生(さいとう よしき、1977年2月20日 - )は歌人。本名は齋藤周子(さいとうちかこ)。.

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辰巳泰子

辰巳 泰子(たつみ やすこ、1966年1月10日 - )は、歌人。 大阪市東淀川区(現・淀川区)生まれ。13歳から歌作を開始する。1985年に高瀬一誌の導きにより「短歌人」に入会。大阪府立北野高等学校を経て、1987年京都府立大学女子短期大学部国語科卒。同年、『家族の季』で第33回角川短歌賞佳作。教材制作会社の営業をするが体調を崩し退職。89年まで大阪市立中学校国語講師。90年第1歌集『紅い花』で第34回現代歌人協会賞を当時最年少の24歳で受賞。98年夫と編集プロダクション海門イデア設立。99-2001年文芸誌「月鞠」を発行。2008年より結社「月鞠の会」として再出発し、主宰となる。.

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辰野町

辰野町(たつのまち)は、長野県上伊那郡の町である。伊那谷の北端に位置し、古くから県央部を結ぶ交通の要衝として発展した。上伊那郡に属しているが、市外局番は諏訪MA(0266)、CATVは諏訪地域を拠点とするLCVとであり、実質的に諏訪地域、塩尻市との結びつきが強い。東日本随一といわれるホタルの名所松尾峡が有名であり、観光の目玉となっている。.

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迢空賞

迢空賞(ちょうくうしょう)は、日本の歌人・民俗学者・国文学者の釈迢空(折口信夫)にちなんで設けられた短歌の賞。.

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近畿大学の人物一覧

近畿大学の人物一覧は、近畿大学に関係する人物の一覧記事。 ※多数の卒業生・関係者が存在する関係で、ウィキペディア日本語版内において記事が存在する人物のみ記載する。.

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近藤芳美

近藤 芳美(こんどう よしみ、男性、1913年5月5日 - 2006年6月21日)は、日本の歌人である。 本名は近藤 芽美(読みは同じ)。戦後の歌壇を牽引する歌人として活動し、文化功労者に選ばれた。長年「朝日歌壇」(朝日新聞)の選者を務めたことで知られるほか、建築家としての顔も持ち、ゼネコンや大学に籍を置く。.

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近藤達子

近藤 達子(こんどう みちこ、1958年2月17日『短歌年鑑 平成19年度版』(『短歌』1月号増刊、角川学芸出版、2006年12月発行) 巻末「全国短歌人名録」より -)は、日本の現代歌人である。愛知県出身、神戸市在住。.

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近江八景

近江八景(おうみはっけい)は、日本の近江国(現・滋賀県)にみられる優れた風景から「八景」の様式に則って8つを選んだ風景評価(作品の場合は題目)の一つである。.

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霊元天皇

霊元天皇(れいげんてんのう、承応3年5月25日(1654年7月9日) - 享保17年8月6日(1732年9月24日))は、江戸時代前期の第112代天皇(在位:寛文3年1月26日(1663年3月5日)- 貞享4年3月21日(1687年5月2日))。幼名は高貴宮(あてのみや)、諱は識仁(さとひと)。「仙洞様」とよばれることが多い(譲位後の期間が長いため)。歌人、能書家でもある。.

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霞城館

霞城館(かじょうかん)は、兵庫県たつの市龍野町にある文学館。矢野勘治記念館(やのかんじきねんかん)を併設する。事業主体は、公益財団法人霞城館。.

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錦三郎

錦 三郎(にしき さぶろう、1914年 - 1997年5月8日)は、日本のエッセイスト、歌人、蜘蛛研究家、特にバルーニングの研究で著名。山形県山形市出身。山形師範学校卒業。.

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茨城県立真壁高等学校

茨城県立真壁高等学校(いばらきけんりつ まかべこうとうがっこう)は、茨城県桜川市真壁町飯塚に所在する公立の高等学校。桜川市真壁町原方333番地に12.5haの稲荷原農場を持つ""(ハイスクールガイド2008)。.

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茨城県立水戸第一高等学校

茨城県立水戸第一高等学校(いばらきけんりつ みとだいいちこうとうがっこう)は、茨城県水戸市三の丸三丁目にある県立高等学校。普通科全日制のみの男女共学校。2005年(平成17年)から単位制を導入している。.

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茨城県立水海道第一高等学校

かめT(かめてぃー) 茨城県立水海道第一高等学校(いばらきけんりつ みつかいどうだいいちこうとうがっこう)は、茨城県常総市水海道亀岡町字亀岡にある県立高等学校。尚、当記事では、沿革・学校所在地・学校施設等共通事項以外は、主に全日制普通科について記述する。.

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蜷川親元

蜷川 親元(にながわ ちかもと、永享5年(1433年) - 長享2年5月25日(1488年7月4日))は、室町時代の幕府官僚・歌人。足利義政・足利義尚将軍期の政所代。蜷川新右衛門親当(智蘊)の子で、法名は道寿、号は不白。また、蜷川氏当主は代々「新右衛門尉(しんえもんのじょう)」を名乗っている。子に親孝。 政所執事伊勢貞親・貞宗に仕える。文明5年(1473年)8月に政所執事代に就任し、将軍家の家産を司った。能書家として知られ、武家故実にも通じていた。日記に『親元日記』がある。 ちかもと Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:日本の能書家 Category:1433年生 Category:1488年没.

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蜷川親長

蜷川 親長(にながわ ちかなが)は、戦国時代の奉公衆。安土桃山時代の文人、歌人。江戸時代初期の旗本。.

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茅野雅子

茅野 雅子(ちの まさこ、1880年5月6日 - 1946年9月2日、旧姓増田)は、大阪市出身の歌人である。 1880年、大阪市道修町の「増田順血湯」本舗で知られた薬種問屋の次女として生まれる。相愛女学校退学。1900年与謝野鉄幹が主宰する「新詩社」に加入、「明星」へ投稿。1904年上京して日本女子大学に入学。1905年、与謝野晶子、山川登美子と3人で歌集「恋衣」を刊行、明星派3才媛として雅子の名を世に広めた。1907年、明星同人で東京帝国大学独文科の学生であった茅野蕭々の熱烈な求婚を受け、親の反対に遇ったが、絶縁を覚悟の上で、女子大学卒業後に結婚。「明星」廃刊の後、北原白秋、吉井勇、石川啄木らと「スバル」に参加、「青鞜」、「婦人の友」等にも短歌、随筆等を発表するなど意欲的に活動した。1921年日本女子大学の教授となり晩年まで勤めた。また、「春草会」、「茅花会」などの短歌会を主宰した。1946年、東京大空襲で被災した翌年、夫蕭々の病死した4日後、後を追うようにこの世を去った。.

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能因

能因(のういん、永延2年(988年) - 永承5年(1050年)あるいは康平元年(1058年))は、平安時代中期の僧侶・歌人。俗名は橘永愷(たちばな の ながやす)。法名は初め融因。近江守・橘忠望の子で、兄の肥後守・橘元愷の猶子となった。子に橘元任がいた。中古三十六歌仙の一人。.

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都築直子

都築 直子(つづき なおこ、1955年8月12日 - )は歌人、小説家、スカイダイビング・インストラクター。.

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都良香

都 良香(みやこ の よしか、承和元年(834年) - 元慶3年2月25日(879年3月21日))は、平安時代前期の貴族・文人。姓は宿禰のち朝臣。初名は言道。主計頭・都貞継の子。官位は従五位下・文章博士。.

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背奈行文

背奈 行文(せな の ゆきふみ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族・歌人。姓は公(キミ)のち王(コニキシ)。高句麗系渡来人である背奈福徳の子『続日本紀』延暦8年10月17日条。官位は従五位下・大学助。.

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舎人吉年

舎人吉年(とねりのきね/えとし/よしとし、生没年不詳)は、飛鳥時代の女官・歌人。名の吉年は、「きね」「えとし」「よしとし」などの読み方がある。 舎人氏の出身の女官。天智天皇10年(671年)12月、天智天皇の大殯(おおあらき)のときに額田王らと共に挽歌を詠む(『万葉集』2-152)。また田部櫟子(たべのいちいこ)という人物が大宰府に赴任する際に別れを惜しむ歌を贈っていることから、彼と親密な関係にあったと考えられる(『万葉集』4-492)。.

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舎人娘子

舎人娘子(とねりのおとめ、生没年不詳)は、飛鳥時代の女官・歌人。舎人氏出身と考えられる。 大宝2年(702年)、持統上皇の三河行幸に従駕した(『万葉集』1-61)。また、舎人親王(天武天皇皇子)との相聞歌を贈答している(『万葉集』2-118)。『万葉集』に3首の歌が載る。.

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舎人親王

舎人親王(とねりしんのう)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。舎人皇子(とねりのみこ)とも記される。天武天皇の皇子。淳仁天皇の父。 天武天皇の諸皇子の中で最後まで生き残り、奈良時代初期に長屋王とともに皇親勢力として権勢を振るう。『日本書紀』の編集も総裁した。子孫の清原氏は高市皇子裔の高階氏と共に、天武系後裔氏族として長く血脈が続いた。.

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鈴鹿俊子

鈴鹿 俊子(すずか としこ、1909年9月18日 - 2008年2月20日)は、日本の歌人、随筆家。川田順の妻。本名・川田俊子。 京都生まれ。同志社女子専門学校(のち同志社女子大学)中退。京都帝国大学教授(経済学者)中川与之助と結婚。1942年「ハハキギ」に入会。1944年から川田順に師事するが恋となり、1948年川田は苦しんで自殺未遂を起こし「老いらくの恋」として世間を騒がせるが、中川が離婚を承諾し、1949年結婚。女人短歌会会員。.

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鈴木重嶺

鈴木 重嶺(すずき しげね)は、江戸時代後期の旗本、明治期の官僚、歌人。最後の佐渡奉行。.

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與謝野久

與謝野 久(よさの ひさし、1946年 - )は、日本の建築家。公益社団法人JIA日本建築家協会フェロー・正会員、2006~2010年理事・副会長、2004年国土交通大臣表彰、2011年博士(工学)、2015年紺綬褒章受章。人間の創造思考におけるダイナミズムの構造について、数多の設計実務実績をもとに実践研究。2017年10月東日本大震災禍災供養他の趣旨で般若心経の写経弐千巻を京都・法然院に納経。継続的に、人間の創造思考生成の流れについての独特の「生の哲学」にもとづく広い文化的視座で思索執筆。大阪府生まれ。.

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阪正臣

阪 正臣(ばん まさおみ、安政2年3月23日(1855年5月9日) - 昭和6年(1931年)8月25日)は、 歌人、書家、古筆研究家、宮内省御歌所寄人。現在の愛知県名古屋市生まれ。 幼名、政之介、字は従叟、号は茅田、観石、桃坪など、居を樅屋と称す。.

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阿久根市

阿久根市(あくねし)は、鹿児島県の北西部に位置する市である。.

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阿仏尼

阿仏尼(あぶつに、阿佛尼, 貞応元年(1222年)? - 弘安6年4月8日(1283年5月6日))は鎌倉時代中期の女流歌人。女房名は安嘉門院四条(あんかもんいんのしじょう)または、右衛門佐(うえもんのすけ)。実父母は不明。奥山度繁(おくやまのりしげ)の養女となる(ただし奥山度繁の養女ではなく実の娘であるとする見解もある)。.

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阿保経覧

阿保 経覧(あぼ の つねみ、生年不詳 - 延喜12年1月7日(912年1月28日))は、平安時代前期の官人・歌人。勘解由次官・阿保今雄の子。官位は外従五位下・主税頭。.

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阿倍虫麻呂

阿倍 虫麻呂(あべ の むしまろ)は、奈良時代の貴族・歌人。氏は安倍とも記される。従四位下・阿倍安麻呂の子とする系図がある。官位は従四位下・中務大輔。.

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阿部広太郎

阿部 広太郎(あべこうたろう、1986年3月7日 - )は、日本のコピーライター。.

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阿部静枝

阿部 静枝(あべ しずえ、1899年2月28日 - 1974年8月31日)は、日本の歌人、評論家。 宮城県出身。旧姓は二木。本名は志つえ。東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)卒。在学中、尾上柴舟に師事し、1921年歌誌『水甕』入社。1922年『ポトナム』創刊に参加。仙台の高等女学校教諭ののち上京、弁護士で後に社会民衆党代議士となる阿部温知と結婚する。1927年、赤松常子、赤松明子らとともに社会民衆婦人同盟を結成、婦人参政権運動に参加する。1938年に夫と死別。戦後は女人短歌会創立に加わったほか、民社党の豊島区議会議員を3期務めた。随筆・評論家としても活動。弟子に内野光子がいる。.

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阿野実顕

阿野 実顕(あの さねあき)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公卿・歌人。阿野実時(内山上乗院道怡。還俗して休庵と号する)の子だが、祖父・右少将阿野季時の名跡を継いで阿野家を再興した。初名は実政(さねまさ)、一時実治(さねはる)とも。官位は正二位・権大納言。阿野家16代当主。.

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阿野廉子

阿野 廉子(あの れんし/やすこ/かどこ、正安3年(1301年) - 正平14年/延文4年4月29日(1359年5月26日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての後宮・女院。後醍醐天皇の寵妃にして、後村上天皇(義良親王)・恒良親王・成良親王・祥子内親王・惟子内親王などの母である。院号宣下を受けて、新待賢門院と号し、また三位局とも呼ばれた。 父は右近衛中将・阿野公廉、母は不詳だが、後に洞院公賢の養女となった。実家の阿野家は藤原北家閑院流の公家であり、阿野全成の外孫・実直を始祖としている。.

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阿氏奥島

阿氏 奥島(あし の おくしま、あうじ の おくしま、生没年不詳)は、奈良時代の官人、歌人。.

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阿木津英

阿木津 英(あきつ えい、1950年1月25日 - )は日本の歌人。短歌結社「八雁(やかり)」主宰。本名は末永英美子(すえなが えみこ)。現代短歌にフェミニズム思想を導入し、女歌運動に影響を与える。.

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赤光

『赤光』(しゃっこう)は、大正2年(1913年)10月に東雲堂書店から刊行された斎藤茂吉の処女歌集。そのロマンチシズムあふれる清新な歌風によって歌壇・文壇に大きな影響を与え、一躍著者の名を高からしめた。茂吉のもっとも代表的な歌集とされ、明治38年(1905年)~大正2年(1913年)にかけての創作が収録されている。 歌集名の「赤光」は『仏説阿弥陀経』の『地中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔・・・』の部分からとったもので、初販の作者の跋には「予がまだ童子の時分に遊び仲間に雛法師がいてしきりにお経を暗唱していた。梅の実をひろうにも水を浴びるにも『しゃくしき、しゃっこう、びゃくしき、びゃっこう』と誦していた。『しゃっこう』が『赤い光』のことであると知ったのは東京に来て、新刻訓点浄土三部妙典という赤い表紙の本を買った時 分であって、・・・」と記されている。 初版は834首が収録され、逆年代順に配列している。大正10年(1921年)発行の改選版では760首にまで削られ、年代順に改められた。 刊行当時茂吉は31歳であり、東大教室および巣鴨病院にて医師としてつとめていた。生母・いくと師・伊藤左千夫を相次いで喪った直後に出された。「悲報来」「おひろ」「死にたまふ母」といった著名な一連は同書に収められている。 現在は新潮文庫、岩波文庫などから単著として発行されている。 Category:歌集 Category:和歌 Category:1910年代の書籍 Category:20世紀の詩.

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赤染衛門

赤染衛門 『前賢故実』より '''赤染衛門'''(小倉百人一首より) 『やすらはで寝なましものを 小夜ふけて かたふく迄の月を見しかな』(月岡芳年『月百姿』) 赤染衛門(あかぞめえもん、天暦10年(956年)頃? - 長久2年(1041年)以後)は、平安時代中期の女流歌人。大隅守・赤染時用の娘。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。.

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赤木健介

赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 1989年11月7日)は、日本の詩人、歌人、編集者、歴史家 20世紀日本人名事典。本名・赤羽 寿(あかばね ひさし)、別名・伊豆 公夫(いず きみお)。.

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鵜飼康東

康東(うかい やすはる、1946年6月20日 - )は、日本の経済学者、歌人。関西大学名誉教授。President, The Society of Socionetwork Strategies。現代歌人協会会員。日本文藝家協会会員。滋賀県出身。.

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関蝉丸神社

関蝉丸神社(せきせみまるじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社。社格は旧郷社。上社(旧称関大明神蝉丸宮)と下社(旧称関清水大明神蝉丸宮)からなり、また当神社の分社となっている蝉丸神社と3社を併せて蝉丸神社と総称することもある。.

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関西外国語大学の人物一覧

関西外国語大学の人物一覧は関西外国語大学に関係する人物の一覧記事。.

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関西学院大学の人物一覧

関西学院大学の人物一覧(かんせいがくいんだいがくのじんぶついちらん)は関西学院大学に関係する人物の一覧記事。 (関西学院中学部・高等部の出身者も、参照).

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閑院宮美仁親王

閑院宮美仁親王(かんいんのみや はるひとしんのう、宝暦7年11月25日(1758年1月4日) - 文政元年10月6日(1818年11月4日))は、江戸時代の皇族。弾正尹。華光五院。世襲親王家、閑院宮第3代当主。 宝暦13年(1763年)に親王宣下、明和5年(1768年)に元服。文化12年(1815年)に一品。 歌道に造詣が深く、歌人の日野資矩などとも交流があった。.

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間島弟彦

間島 弟彦(まじま おとひこ/つぎひこ、1871年 - 1928年)は、明治〜昭和時代前期の銀行家、歌人である。.

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間島冬道

間島 冬道(まじま ふゆみち、文政10年(1827年) - 明治23年(1890年))は、江戸時代後期から明治時代の武士。勤皇の志士として活動した。また歌人であり、政治家、銀行家である。初名は正興、正休。通称は万次郎。子に銀行家で歌人の間島弟彦他。孫に閨秀画家の池田蕉園がいる。.

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藤原助信

藤原 助信(ふじわら の すけのぶ)は、平安時代中期の貴族・歌人。権中納言・藤原敦忠の子。.

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藤原基家

藤原 基家(ふじわら の もといえ).

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藤原基俊

藤原基俊(小倉百人一首) 藤原 基俊(ふじわら の もととし、康平3年(1060年)- 永治2年1月16日(1142年2月13日))は、平安時代後期の公家・歌人。父は右大臣藤原俊家。 藤原氏の主流である藤原北家の出身で藤原道長の曾孫にあるが、官位には恵まれず従五位上左衛門佐にとどまった。1138年(保延4年)に出家し、覚舜(かくしゅん)と称した。.

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藤原好風

藤原 好風(ふじわら の よしかぜ、生没年未詳)は、平安時代前期の貴族・歌人。名は好風とも記される。藤原南家、伊勢守・藤原興世の孫。陸奥守・藤原滋実の子。一説では散位・藤原正野の子ともされる。官位は従五位下・出羽介。.

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藤原季経

藤原 季経(ふじわら の すえつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公家・歌人。藤原北家末茂流、左京大夫・藤原顕輔の子。官位は正三位・宮内卿。.

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藤原季能

藤原 季能(ふじわら の すえよし)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。藤原北家末茂流、非参議・藤原俊盛の子。官位は正三位・兵部卿。.

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藤原季通

藤原 季通(ふじわら の すえみち、生没年未詳)は平安時代末期の廷臣、歌人。権大納言藤原宗通の三男。母は六条修理大夫藤原顕季の女。同母兄弟に伊通(太政大臣)、成通、重通らがある。正四位下、左少将、備後守、肥後守。 和歌の才のみならず、琵琶、笛、箏などの管弦に巧みであり、白河上皇の信任が篤かった。しかし、若年時に箏の弟子である藤原璋子(待賢門院、鳥羽天皇中宮)と密通したとの嫌疑を受け、その影響から官途の面では不遇であった。康治元年(1142年)には、弟の成通、重通より官位が余りにも劣っていたことを藤原頼長に憐れまれ、そのはからいによって正四位下に叙せられたという(『台記』)。保元3年(1158年)頃までは生存していたというが、その没年も明らかではない。 幼少の頃、兄の伊通とともに伯母の藤原全子の元を訪れた際、全子は「兄の方は将来大臣になるが、弟は凡愚で終わるだろう」と評したという(『古事談』)。果たして、政治面では生涯を通して非才・不遇であり、専ら文化・芸術面でのみ名を遺した人物となった。歌人としては永久4年(1116年)の鳥羽殿北面歌合に出詠。『千載和歌集』などに入選するほか、家集として『季通朝臣集』がある。 すえみち Category:平安時代後期の貴族 Category:平安時代の歌人.

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藤原定家

藤原 定家(ふじわら の さだいえ/ていか)は、鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と音読みされることが多い。小倉百人一首の撰者で権中納言定家を称する。.

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藤原定信

藤原 定信(ふじわら の さだのぶ)は、平安時代後期の廷臣・書家。藤原定実の長男で、世尊寺家第5世となり能書家として重んじられた。官位は従四位下、宮内権大輔。.

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藤原定頼

藤原 定頼(ふじわら の さだより)は平安時代中期の公家・歌人。権大納言・藤原公任の長男。中古三十六歌仙の一人。小倉百人一首では権中納言定頼。.

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藤原定方

藤原 定方(ふじわら の さだかた、貞観15年(873年) - 承平2年8月4日(932年9月11日))は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。内大臣・藤原高藤の次男。醍醐天皇の外叔父。官位は従二位・右大臣、贈従一位。三条右大臣と号する。.

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藤原実家

藤原 実家(ふじわら の さねいえ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿・歌人。徳大寺公能の次男。藤原俊成は母方の伯父にあたる。.

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藤原実光

藤原 実光(ふじわら の さねみつ)は平安時代後期の公卿、儒学者、漢詩人、歌人。右中弁・藤原有信の長男。日野実光とも。日野家11代当主にあたる。.

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藤原実綱

藤原 実綱(ふじわら の さねつな)は平安時代中期から後期にかけての貴族、歌人、漢詩人。従三位・藤原資業の次男。官位は正四位下・式部大輔。別称、日野実綱。正字体:實綱。.

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藤原実頼

藤原 実頼(ふじわら の さねより)は、平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。藤原北家、関白・藤原忠平の長男。 村上天皇の時に左大臣として右大臣の弟・師輔と共に朝政を指導して天暦の治を支えた。しかし、後宮の争いでは師輔に遅れをとり、外戚たる事ができなかった。冷泉天皇が即位すると、その狂気のために関白職が復活し実頼が任じられた。次いで円融天皇が即位すると摂政に任じられている。また、有職故実に通じ、小野宮流を創始した。.

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藤原実方

藤原 実方(ふじわら の さねかた)は、平安時代中期の貴族・歌人。左大臣・藤原師尹の孫、侍従・藤原定時の子。官位は従四位上・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。.

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藤原家経

藤原 家経(ふじわら の いえつね)は平安時代中期から後期にかけての貴族・学者・歌人・漢詩人。藤原北家真夏流、参議・藤原広業の長男。官位は正四位下・式部権大輔。字は不明。.

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藤原家通 (権中納言)

藤原 家通(ふじわら の いえみち)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。藤原北家難波家、中納言・藤原忠基の子。官位は正二位・権中納言・左衛門督。六角小路に邸宅があったことから「六角」と号する。.

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藤原家房

藤原家房(ふじわら の いえふさ、仁安2年(1167年) - 建久7年7月22日(1196年8月17日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。父は摂政松殿基房、母は内大臣三条公教の娘。兄藤原隆忠の母とは姉妹。傍流とされたため、「松殿」は名乗らなかった。 寿永元年(1182年)に従五位上に叙され、侍従・左近衛中将などを歴任して文治3年1月23日(1187年3月4日)に従三位に叙される。建久6年(1195年)に従二位権中納言に昇進したが、翌年に30歳の若さで没した。 和歌・漢詩に優れ盟友である九条良経とともに九条家の文芸集団の中心にあった。早世のため遺された作品は少ないが、勅撰和歌集においては『新古今和歌集』と『新続古今和歌集』に採録されている。 いえふさ Category:平安時代後期の貴族 Category:鎌倉時代の公家 Category:平安時代の歌人 Category:鎌倉時代の歌人 Category:1167年生 Category:1196年没.

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藤原師実

藤原 師実(ふじわら の もろざね)は、平安時代中期から後期(院政期)にかけての公卿・歌人。藤原北家、関白・藤原頼通の六男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣。.

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藤原師綱

藤原 師綱(ふじわら の もろつな)は、平安時代末期の貴族・歌人。藤原北家小一条流、刑部少輔・藤原尹時の長男。官位は正四位下・宮内卿。.

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藤原師輔

藤原 師輔(ふじわら の もろすけ)は、平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。藤原北家、関白太政大臣・藤原忠平の次男。官位は正二位・右大臣。 有職故実・学問に優れた人物として知られ、村上天皇の時代に右大臣として朝政を支えた。師輔の没後に長女・中宮安子所生の皇子が冷泉天皇・円融天皇としてそれぞれ即位し、師輔の家系は天皇の外戚として大いに栄えた。.

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藤原師氏

藤原 師氏(ふじわら の もろうじ)は、平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。関白太政大臣・藤原忠平の四男。邸宅名の桃園第に因んで桃園大納言、あるいは枇杷大納言と称される。.

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藤原三守

藤原 三守(ふじわら の ただもり/みもり)は、平安時代初期の公卿。藤原南家の祖である左大臣・藤原武智麻呂の曾孫。阿波守・藤原真作の五男『続日本後紀』承和7年7月7日条。官位は従二位・右大臣、贈従一位。後山科大臣と号す。.

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藤原仲平

藤原 仲平(ふじわら の なかひら)は、平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。藤原北家、摂政関白・藤原基経の二男。官位は正二位・左大臣。左京一条にある枇杷第を伝領した事から、枇杷左大臣と呼ばれる。.

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藤原仲文

藤原 仲文(ふじわら の なかふみ)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原式家、信濃守・藤原公葛の三男『三十六人歌仙伝』。官位は正五位下・上野介。三十六歌仙の一人。.

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藤原伊尹

藤原 伊尹(ふじわら の これただ/これまさ)は、平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家、右大臣・藤原師輔の長男。 妹の中宮・安子が生んだ冷泉天皇・円融天皇の即位に伴って栄達し、摂政・太政大臣にまで上り詰めたが、まもなく病気により早逝した。孫に書家として名高い藤原行成がおり、子孫は世尊寺家として書道を世業とした。.

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藤原伊経

藤原 伊経(ふじわら の これつね/いけい、生年不詳 - 嘉禄3年1月3日(1227年1月21日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての貴族。世尊寺家の第7代目当主。宮内少輔・藤原伊行の子で建礼門院右京大夫の兄。官位は正四位下・太皇太后宮亮。.

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藤原伊衡

藤原 伊衡(ふじわら の これひら)は、平安時代前期から中期にかけての公卿、歌人。左近衛中将・藤原敏行の三男。.

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藤原佐忠

藤原 佐忠(ふじわら の すけただ)は平安時代中期の貴族、歌人。藤原北家魚名流、出羽守・藤原連茂の子。.

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藤原彰子

藤原 彰子(ふじわら の しょうし/あきこ、永延2年(988年) - 承保元年10月3日(1074年10月25日)は、第66代一条天皇の皇后(号は中宮)。第68代後一条天皇・第69代後朱雀天皇の生母(国母)、女院。院号を上東門院(じょうとうもんいん)といい、のちには大女院(おおにょいん)とも呼ばれた。 女房に『源氏物語』作者の紫式部、王朝有数の歌人として知られた和泉式部、歌人で『栄花物語』正編の作者と伝えられる赤染衛門、続編の作者と伝えられる出羽弁、そして「古の奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬる哉」の一句が有名な歌人の伊勢大輔などを従え、華麗な文芸サロンを形成していた。.

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藤原俊家

藤原 俊家(ふじわら の としいえ)は平安時代中期の公卿、歌人。右大臣藤原頼宗の次男。正二位・右大臣。大宮右大臣と号す。中御門流の祖であり、子孫からは中御門家(松木家)・持明院家を始めとして、9家の堂上家(羽林家)を出した。.

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藤原俊忠

藤原 俊忠(ふじわら の としただ)は平安時代後期の公卿、歌人。藤原北家御子左流、大納言藤原忠家の次男。従三位・権中納言。二条を号す。.

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藤原俊蔭

藤原 俊蔭(ふじわら の としかげ)は、平安時代前期の貴族・歌人。名は後蔭とも表記される。藤原北家末茂流、中納言・藤原有穂の次男。官位は従四位下・備前権守。.

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藤原俊成

藤原俊成歌碑「又や見む交野の御野の桜狩 花の雪散る春の曙」(枚方市) 愛知県蒲郡市竹島園地の藤原俊成卿像。『吾妻鏡』(元暦二年二月十九日条)に竹谷・蒲形荘(現在の蒲郡市)の開発領主として「散位俊成」の名がある蒲郡市ホームページ(http://www.city.gamagori.lg.jp/site/museum/shunzei.html)久曽神昇「特別展『藤原俊成の古典』に寄せて」(蒲郡市博物館『特別展 藤原俊成の古典』、1991年 p.62-64) 藤原 俊成(ふじわら の としなり)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。はじめ勧修寺流・藤原顕頼の猶子となり顕広(あきひろ)を名乗ったが、後に実家の御子左家に戻り、俊成と改名した。法名は釈阿。最終官位は正三位・皇太后宮大夫。『千載和歌集』の撰者として知られる。.

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藤原俊成女

皇太后宮大夫俊成女 - 嘉永四年版女百人一首 藤原俊成女(ふじわら-の-としなり/しゅんぜい-の-むすめ、生没年不詳:1171年(承安元年)頃 - 1251年(建長3年)以後)は、鎌倉時代前期の歌人である。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人。実父は藤原北家末茂流(善勝寺流)出身の尾張守藤原盛頼。実母は藤原俊成の娘、八条院三条。祖父俊成の養女となった。堀川大納言源通具の妻。皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女の名で歌壇で活躍、後には侍従具定母、三位侍従母、晩年出家してからは嵯峨禅尼、越部禅尼と呼ばれた。また、藤原定家の明月記においては、後鳥羽院出仕以降出家までは、俊成女の住んだ押小路万里小路宅から押小路女房と記されている。.

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藤原俊憲

藤原 俊憲(ふじわら の としのり、保安3年(1122年) - 仁安2年4月10日(1167年4月30日))は、平安時代後期の公家・学者。藤原南家、少納言・藤原通憲(信西)の長男。藤原北家真夏流、参議・藤原顕業の養子。官位は従三位・参議。.

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藤原保昌

藤原 保昌(ふじわら の やすまさ)は、平安時代中期の貴族。藤原南家巨勢磨流、右京大夫・藤原致忠の子。官位は正四位下・摂津守。摂津守となり同国平井に住したことから平井 保昌とも呼ばれる。.

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藤原忠君

藤原 忠君(ふじわら の ただきみ)は、平安時代中期の貴族・歌人。名は忠尹とも記される。藤原北家、右大臣・藤原師輔の五男。官位は正四位下・右兵衛督。冷泉天皇・円融天皇の外叔父。.

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藤原忠行

藤原 忠行(ふじわら の ただゆき、生年不詳 - 延喜6年11月1日(906年11月19日))は、平安時代前期の貴族・歌人。藤原南家、近江権守・藤原有貞の子。官位は従五位下・若狭守。.

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藤原忠通

藤原 忠通(ふじわら の ただみち)は、平安時代後期から末期にかけての公卿・歌人。藤原北家、関白・藤原忠実の次男。官位は従一位・摂政 関白・太政大臣。通称は法性寺関白(ほっしょうじ かんぱく)。小倉百人一首では法性寺入道前関白太政大臣。.

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藤原忠房

藤原 忠房(ふじわら の ただふさ)は、平安時代前期の貴族・舞楽家・歌人。藤原京家、右京大夫・藤原興嗣の子。官位は従四位上・右京大夫。中古三十六歌仙の一人。.

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藤原忠教

藤原 忠教(ふじわら の ただのり)は、平安時代後期の公卿・歌人。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原師実の五男。官位は正二位・大納言。難波家の祖。.

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藤原信実

藤原 信実(ふじわら の のぶざね)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公家・画家・歌人。藤原北家長良流、左京権大夫・藤原隆信の子。官位は正四位下・左京権大夫。.

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藤原北家

藤原北家(ふじわらほっけ)とは、右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系。藤原四家の一つ。藤原房前の邸宅が兄の藤原武智麻呂の邸宅よりも北に位置したことがこの名の由来。.

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藤原冬嗣

藤原 冬嗣(ふじわら の ふゆつぐ)は、平安時代初期の公卿・歌人。藤原北家、右大臣・藤原内麻呂の次男。官位は正二位・左大臣、贈正一位・太政大臣。閑院大臣と号す。.

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藤原公実

藤原 公実(ふじわら の きんざね)は、平安時代の後期の公卿、歌人。正二位、権大納言に至り、三条大納言と称す。.

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藤原公任

藤原 公任(ふじわら の きんとう)は、平安時代中期の公卿・歌人。関白太政大臣・藤原頼忠の長男。小倉百人一首では大納言公任。.

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藤原公光

藤原 公光(ふじわら の きんみつ)は平安時代後期の公卿。歌人。権大納言・藤原季成の長男。.

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藤原公経

藤原 公経(ふじわら の きんつね、生年不明 - 承徳3年7月23日(1099年8月18日)))は、平安時代中期から後期にかけての貴族。藤原南家、宮内少輔・藤原成尹の長男だが、叔父の権中納言・重尹の養子となる。官位は従四位上・主殿頭。.

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藤原兼三

藤原 兼三(ふじわら の かねみ)は、平安時代前期または中期の貴族・歌人。藤原北家魚名流、中納言・藤原山蔭の子。山蔭の子である藤原遂長の子ともいわれる。官位は従四位下・陸奥守。 『後撰和歌集』に入首している歌人であった。しかし、この時代の史料は乏しく詳しい任官経歴は不明である。従四位下・陸奥守まで昇ったという。.

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藤原兼平

藤原兼平(ふじわら の かねひら).

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藤原兼光

藤原 兼光(ふじわら の かねみつ)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。藤原北家真夏流日野家、権中納言・藤原資長の子。官位は従二位・権中納言。姉小路と号す。日野家13代。.

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藤原兼綱

藤原 兼綱(ふじわら の かねつな)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家、関白右大臣・藤原道兼の三男。官位は正四位下・紀伊守。.

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藤原兼輔

藤原 兼輔(ふじわら の かねすけ、元慶元年(877年) - 承平3年2月18日(933年3月21日))は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、右中将・藤原利基の六男。官位は従三位・中納言。また賀茂川堤に邸宅があったことから堤中納言とよばれた。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言兼輔。.

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藤原兼茂

藤原 兼茂(ふじわら の かねもり/ かねもち)は、平安時代前期の公卿・歌人。右近衛中将・藤原利基の四男。.

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藤原兼房 (中宮亮)

藤原 兼房 (ふじわら の かねふさ)は、平安時代中期から後期にかけての貴族・歌人。藤原北家、中納言・藤原兼隆の長男。官位は正四位下・讃岐守。.

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藤原元真

藤原 元真(ふじわら の もとざね、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人・貴族。藤原南家、右大臣・藤原三守の曾孫。甲斐守・藤原清邦の三男。官位は従五位下・丹波介。三十六歌仙の一人。.

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藤原光家

藤原 光家(ふじわら の みついえ、元暦元年(1184年) - 没年不詳)は、鎌倉時代初期の公家・歌人。初名は定継のち清家(正治元年改名)。法号は浄照房。藤原北家御子左流、権中納言・藤原定家の長男。官位は従五位上・侍従。.

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藤原勝臣

藤原 勝臣(ふじわら の かちおん)は、平安時代前期の官人・歌人。藤原北家、大和守・藤原長岡の孫。越後介・藤原発生の子。官職は阿波権掾。.

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藤原因子

藤原 因子(ふじわら の いんし/よるこ)は、日本の女性の名前。主に鎌倉時代から江戸時代にかけて、歴史上の実在人物に見られる。.

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藤原国経

藤原 国経(ふじわら の くにつね)は、平安時代前期の公卿・歌人。藤原北家、権中納言・藤原長良の長男。官位は正三位・大納言。陽成天皇の外伯父。.

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藤原倫寧

藤原 倫寧(ふじわら の ともやす)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家、権中納言・藤原長良の孫にあたる左馬頭・藤原惟岳の子。官位は正四位下・伊勢守。.

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藤原知家

藤原 知家(ふじわら の ともいえ)は、鎌倉時代前期の公家・歌人。藤原北家末茂流、正三位・藤原顕家の子。官位は正三位・中宮亮。大宮三位入道等とも呼ばれる。新三十六歌仙の一人。.

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藤原秀康

藤原 秀康(ふじわら の ひでやす)は、鎌倉時代前期の武将。承久の乱での後鳥羽上皇側の大将軍。.

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藤原秀能

藤原 秀能(ふじわら の ひでよし/ひでとう)は、鎌倉時代前期の武士・廷臣・歌人。.

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藤原範永

藤原 範永(ふじわら の のりなが)は、平安時代中期から後期にかけての貴族・歌人。和歌六人党の一人。藤原北家長良流、内匠頭・藤原中清(仲清)の子。官位は正四位下・摂津守。.

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藤原義孝

藤原 義孝(ふじわら の よしたか)は、平安時代中期の公家・歌人。摂政太政大臣・藤原伊尹の三男(または四男)。中古三十六歌仙の一人。子に三蹟の一人藤原行成がいる。.

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藤原義忠

藤原 義忠(ふじわら の のりただ)は、平安時代中期の貴族・歌人・儒学者。藤原式家、大和守・藤原為文の子。権左中弁、正四位下、大和守。贈参議・従三位。.

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藤原経家 (非参議)

藤原 経家(ふじわら の つねいえ)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。六条を号し、六条三位とも称された。.

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藤原璋子

藤原 璋子(ふじわら の しょうし / たまこ、康和3年(1101年)久安元年8月22日(1145年9月10日))は、平安後期の国母。鳥羽天皇の中宮で、崇徳・後白河両天皇の母。女院号は待賢門院(たいけんもんいん)。.

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藤原為家

藤原 為家(ふじわら の ためいえ)は、鎌倉時代中期の公家・歌人。正二位・権中納言藤原定家の三男。官位は正二位・権大納言。.

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藤原為忠

藤原 為忠(ふじわら の ためただ)は、平安時代後期の貴族・歌人。皇后宮少進・藤原知信の子。大原三寂・常磐三寂の称で知られる藤原為業(寂念)・為経(寂超)・頼業(寂然)兄弟の父。 白河院の近臣。官位こそ高くなかったが、祖父・知綱は白河院の乳母子、父・知信は郁芳門院の乳母子、母は後三条天皇の落胤とされる藤原有佐の娘といった天皇家との深い関係や、安芸守・三河守・丹後守など地方官を歴任して蓄えた豊かな財力を背景に隠然たる勢力を持ち、院に対して殿舎を造進する一方『』、歌人に対してはパトロン的な役割をも担い、数奇的生活を送った。.

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藤原為頼

藤原 為頼(ふじわら の ためより、天慶2年(939年)? - 長徳4年(998年))は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家良門流、刑部大輔・藤原雅正の長男。官位は従四位下・摂津守。紫式部の伯父にあたる。.

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藤原為時

藤原 為時(ふじわら の ためとき)は平安時代中期、一条朝の貴族、歌人、漢詩人。藤原北家良門流、中納言・藤原兼輔の孫で、刑部大輔・藤原雅正の三男。紫式部の父。官位は正五位下・左少弁。.

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藤原相如

藤原 相如(ふじわら の すけゆき、生年不詳 - 長徳元年5月29日(995年6月29日))は平安時代中期の貴族、歌人。藤原北家、右近衛中将・藤原助信の子。官位は正五位下・出雲守。.

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藤原盛房

藤原 盛房(ふじわら の もりふさ)は、平安時代後期の貴族・歌人。藤原北家山蔭流、越後守・藤原定成の子。官位は従五位下・肥後守。.

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藤原盛方

藤原 盛方(ふじわら の もりかた、保延3年(1137年) - 治承2年12月12日(1179年1月21日))は、平安時代末期の貴族・歌人。勧修寺流・藤原顕時の子。母は平忠盛の娘。 14歳の時には六位蔵人(『本朝世紀』久安6年8月8日条)となり、出雲・出羽の国守を務める少年受領になるという典型的な院近臣の子弟として昇進を遂げ、自身も後白河法皇の院近臣となる。だが、嫡男ではなかった盛方の昇進は院近臣でかつ平家の縁戚でありながら次第に停滞しがちとなり、仁安3年(1168年)に従四位下に叙され、翌年に民部少輔を辞任した後は散位のままで終わり、晩年は歌人や右大臣九条兼実の家司としての活動が目立っている。歌人としては、『千載和歌集』に4首、『新古今和歌集』に2首など、勅撰和歌集に計10首採録されている。また、最古の『万葉集』の注釈と言われる『万葉集抄』の著者とも言われている。.

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藤原隆信

藤原 隆信(ふじわら の たかのぶ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての貴族・歌人・画家。藤原北家長良流、長門守・藤原為経(寂超)の子。官位は正四位下・左京権大夫。母・美福門院加賀の再婚相手である藤原俊成に育てられる(歌人・藤原定家は異父弟にあたる)。.

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藤原隆祐

藤原 隆祐(ふじわら の たかすけ)は鎌倉時代前期から中期にかけての貴族、歌人。歌人として名を挙げた従二位・藤原家隆の子。はじめ歌人として将来を嘱目されたが、宮廷歌壇では恵まれずに大成しなかった。.

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藤原隆経

藤原 隆経(ふじわら の たかつね)は、平安時代中期の貴族、歌人。藤原北家魚名流、右衛門佐・藤原頼任の子。官位は正四位下・美濃守。.

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藤原隆房

藤原 隆房(ふじわら の たかふさ)は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家善勝寺流の出身で藤原隆季の長男。母は藤原忠隆の娘。正二位・権大納言。四条隆房、冷泉隆房とも。.

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藤原道信

藤原 道信(ふじわら の みちのぶ)は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、太政大臣・藤原為光の三男。官位は従四位上・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。.

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藤原道綱

藤原 道綱(ふじわら の みちつな)は、平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の次男。官位は正二位・大納言。.

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藤原道綱母

藤原道綱母(百人一首より) 藤原道綱母(ふじわら の みちつな の はは、承平6年(936年)? - 長徳元年5月2日(995年6月2日))は、平安時代中期の歌人。藤原倫寧の娘。 『尊卑分脈』に「本朝第一美人三人内也(=日本で最も美しい女性三人のうちの一人である)」と書かれているが、尊卑分脈は間違いも多く根拠は判然としない。なお、『榻鴫暁筆』(室町時代後期)によれば、他の2人は、藤原安宿媛(光明皇后)と藤原明子 (染殿后)である。 藤原兼家の妻の一人となり一子道綱を儲けた。また、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取り養女にしている。兼家との結婚生活の様子などを『蜻蛉日記』につづった。晩年は摂政になった夫に省みられる事も少なく寂しい生活を送ったと言われているが詳細は不明。『蜻蛉日記』は没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。 小倉百人一首では右大将道綱母とされている。.

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藤原道経 (和泉守)

藤原 道経(ふじわら の みちつね)は、平安時代後期の貴族・歌人。藤原北家道綱流、丹波守・藤原顕綱の子。官位は従五位上・和泉守。.

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藤原道雅

藤原 道雅(ふじわら の みちまさ)は、平安時代中期の公卿・歌人。儀同三司・伊周の長男。小倉百人一首では左京大夫道雅。.

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藤原菅根

藤原 菅根(ふじわら の すがね、斉衡3年(856年) - 延喜8年10月7日(908年11月3日)は、平安時代前期の貴族・学者。藤原南家、右兵衛督・藤原良尚の四男。官位は従四位上・参議、贈従三位。.

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藤原頼宗

藤原 頼宗(ふじわら の よりむね)は、平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家、摂政太政大臣・藤原道長の次男。官位は従一位・右大臣。堀河右大臣と号す。.

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藤原頼通

藤原 頼通(ふじわら の よりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿・歌人。藤原北家、摂政太政大臣藤原道長の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣、准三宮。 父・道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受ける。父の死後は朝政の第一人者として後朱雀天皇・後冷泉天皇の治世にて、関白を50年の長きに亘って務め、父道長と共に藤原氏の全盛時代を築いた。現代に残るその栄華の象徴が頼通が造営した平等院鳳凰堂である。 しかし、天皇の后にした娘が男子に恵まれなかったばかりか、刀伊の入寇・平忠常の乱・前九年の役など戦乱が相次ぐなど、朝廷の内外からそれまでの絶対的な権力体制を揺さぶられる事態が生じた。そこに加えて晩年には頼通と疎遠な後三条天皇が即位したこともあり、摂関家の権勢は衰退へ向かい、やがて院政と武士の台頭の時代へと移ることになる。.

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藤原顕季

藤原 顕季(ふじわら の あきすえ) は、平安時代後期の貴族・歌人。藤原北家魚名流、正四位下美濃守・藤原隆経の次男。官位は正三位・修理大夫。六条修理大夫と号した。歌道家の流派の一つ六条藤家の祖。善勝寺流初代。.

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藤原顕家

藤原 顕家(ふじわら の あきいえ)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。従三位・藤原重家の次男。九條を号す。.

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藤原顕綱

藤原 顕綱(ふじわら の あきつな)は、平安時代中期から後期にかけての貴族・歌人。藤原北家道綱流、参議・藤原兼経の三男。官位は正四位下・丹波守、讃岐守、但馬守。.

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藤原顕輔

藤原 顕輔(ふじわら の あきすけ)は、平安時代後期の公家・歌人。修理大夫・藤原顕季の三男。官位は正三位・左京大夫。六条と号す。小倉百人一首では左京大夫顕輔。六条藤家2代。.

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藤原褒子

藤原 褒子(ふじわら の ほうし、生没年不詳)は、平安時代中期の宇多天皇の御息所。藤原時平の娘。名はよしことも。京極御息所、富小路御息所と呼ばれた。.

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藤原親子

藤原 親子(ふじわら の しんし、または、ふじわら の ちかこ、1021年(治安元年) - 1093年11月12日(寛治7年10月21日))は、平安時代の女官である。魚名流藤原氏大和守・藤原親国の娘。東宮大進・藤原隆経の妻。六条修理大夫藤原顕季の母。.

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藤原親盛 (左衛門尉)

藤原 親盛(ふじわら の ちかもり)は、平安時代末期の武士・歌人。藤原北家長良流。官位は従五位下、左衛門尉、大和守。後藤親盛とも称した。.

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藤原高光

藤原 高光(ふじわら の たかみつ)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家、右大臣・藤原師輔の八男。官位は従五位上・右近衛少将。三十六歌仙の一人。.

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藤原高経

藤原 高経(ふじわら の たかつね)は、平安時代前期の貴族・歌人。藤原北家、権中納言・藤原長良の四男。官位は正四位下・右兵衛督。.

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藤原高遠

藤原 高遠(ふじわら の たかとお)は、平安時代中期の公卿・歌人。参議・藤原斉敏の子。中古三十六歌仙の一人。.

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藤原豊主

藤原 豊主(ふじわら の とよぬし)は、平安時代初期の貴族。藤原京家、神祇伯・藤原大継の子。官位は従四位下・播磨権守。.

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藤原資仲

藤原 資仲(ふじわら の すけなか)は平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人、漢詩人。大納言・藤原資平の二男。.

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藤原資長

藤原 資長(ふじわら の すけなが)は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿、歌人、漢詩人。権中納言・藤原実光の次男。日野家12代当主。日野民部卿と称す。.

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藤原資房

藤原 資房(ふじわら の すけふさ)は、平安時代中期の公卿。大納言・藤原資平の長男。五位蔵人時代から晩年に至るまでの日記『春記』、蔵人の除目奉仕についてまとめた『資房抄』を編んでいる。.

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藤原麻呂

藤原 麻呂(ふじわら の まろ)は、奈良時代の公卿。名は万里とも記される。右大臣・藤原不比等の四男で、藤原四兄弟の末弟。官位は従三位・参議。藤原京家の祖。.

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藤原輔相

藤原 輔相(ふじわら の すけみ、生没年不詳)は、平安時代中期の官人・歌人。藤原北家、権中納言・藤原長良の孫で越前権守・藤原弘経の子。無官であった。藤六と号す。.

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藤原龍一郎

藤原 龍一郎(ふじわら りゅういちろう、1952年1月18日 - )は、歌人、俳人。福岡県出身。歌誌「短歌人」編集人。.

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藤原能信

藤原 能信(ふじわら の よしのぶ)は、平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家、摂政太政大臣・藤原道長の四男。官位は正二位・権大納言、贈正一位、太政大臣。.

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藤原興風

藤原 興風(ふじわら の おきかぜ)は、平安時代前期の歌人・官人。藤原京家、参議・藤原浜成の曾孫。相模掾・藤原道成の子。官位は正六位上・下総大掾。三十六歌仙の一人。.

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藤原重家 (刑部卿)

藤原 重家(ふじわら の しげいえ)は、平安時代後期の公卿・歌人。藤原北家末茂流、左京大夫・藤原顕輔の子。官位は従三位・大宰大弐。初名は光輔。六条を号す。六条藤家4代。.

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藤原長実

藤原 長実(ふじわら の ながざね)は、平安時代末期の公家・歌人。藤原北家末茂流、修理大夫・藤原顕季の長男。官位は正三位・権中納言、贈正一位・左大臣。八条を号した。.

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藤原長家

藤原 長家(ふじわら の ながいえ)は、平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家、摂政太政大臣・藤原道長の六男。官位は正二位・権大納言。大宮または三条を号す。御子左家の祖。母は源明子(高松殿)であるが、後に道長の嫡妻源倫子の養子となった。.

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藤原長能

藤原 長能(ふじわら の ながとう/ながよし)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家長良流、伊勢守・藤原倫寧の子。官位は従五位上・伊賀守。中古三十六歌仙の一人。.

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藤原長方

藤原 長方(ふじわら の ながかた)は、平安時代末期の公卿・歌人。父は権中納言・藤原顕長(「夜の関白」藤原顕隆の子)。また母は藤原俊忠女であるため、藤原俊成の甥、藤原定家の従兄に当たる。.

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藤原雅正

藤原 雅正(ふじわら の まさただ)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家良門流、中納言・藤原兼輔の長男。官位は従五位下・刑部大輔。.

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藤原通俊

藤原 通俊(ふじわら の みちとし)は、平安時代後期の公家・歌人。従三位大宰大弐・藤原経平の次男。.

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藤原通房

藤原 通房(ふじわら の みちふさ)は、平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家、関白・藤原頼通の長男。官位は正二位・権大納言、右近衛大将。.

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藤原清輔

藤原 清輔(ふじわら の きよすけ)は、平安時代末期の公家・歌人。藤原北家末茂流、左京大夫・藤原顕輔の次男。官位は正四位下・太皇太后宮大進。初名は隆長。六条を号す。六条藤家3代。.

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藤原清正

藤原 清正(ふじわら の きよただ、生年未詳 - 天徳2年(958年)7月)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家良門流、中納言・藤原兼輔の次男。官位は従五位上・紀伊守。三十六歌仙の一人.

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藤原滋幹

藤原 滋幹(ふじわら の しげもと)は、平安時代前期の貴族・歌人。藤原北家、大納言・藤原国経の子。官位は従五位上・左近衛少将。.

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藤原朝忠

藤原 朝忠(ふじわら の あさただ、延喜10年(910年) - 康保3年12月2日(967年1月15日))は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、三条右大臣・藤原定方の五男。三十六歌仙の一人。官位は従三位・中納言。土御門中納言または堤中納言と号する。小倉百人一首では中納言朝忠。.

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藤原朝光

藤原 朝光 (ふじわら の あさてる/あさみつ)は、平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家、関白太政大臣・藤原兼通の四男(三男とも)。官位は正二位・大納言、左近衛大将。.

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藤原有家

藤原 有家(ふじわら の ありいえ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。従三位・藤原重家の三男。初名は仲家。官位は従三位・大蔵卿。.

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藤原有信

藤原 有信(ふじわら の ありのぶ)は平安時代中期から後期にかけての貴族、漢詩人、歌人、儒学者。藤原北家真夏流、式部大輔・藤原実綱の三男。官位は従四位下・右中弁。日野有信とも。.

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藤原有文

藤原 有文(ふじわら の ありふみ)は、平安時代前期の貴族・歌人。藤原北家、右大臣・藤原氏宗の子。官位は正五位下・上野介。.

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藤原惟成

藤原 惟成(ふじわら の これしげ/これなり)は、平安時代中期の貴族・歌人。初名は惟賢。字は式太。藤原北家魚名流、右少弁・藤原雅材の長男。官位は正五位上・権左中弁。.

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藤原浜成

藤原 浜成(ふじわら の はまなり)は、奈良時代の公卿・歌人。藤原京家、参議・藤原麻呂の嫡男。官位は従三位・大宰員外帥。.

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藤原斉信

藤原 斉信(ふじわら の ただのぶ)は、平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家、太政大臣・藤原為光の次男。官位は正二位・大納言。四納言の一人。.

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藤原敏行

藤原 敏行(ふじわら の としゆき、生年不詳 - 延喜7年(907年)または延喜元年(901年))は、平安時代前期の歌人・書家・貴族。藤原南家、藤原巨勢麻呂の後裔。陸奥出羽按察使・藤原富士麻呂の子。官位は従四位上・右兵衛督。三十六歌仙の一人。.

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藤原敦忠

藤原 敦忠(ふじわら の あつただ)は、平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。藤原北家、左大臣・藤原時平の三男。官位は従三位・権中納言。三十六歌仙の一人。通称は枇杷中納言・本院中納言。小倉百人一首では権中納言敦忠。.

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藤原敦信

藤原 敦信(ふじわら の あつのぶ)は、平安時代中期の貴族・歌人。概ね10世紀末頃から11世紀中頃までにかけて活動していた。藤原式家。因幡守・藤原令茂(合茂)の子。官位は正五位下(または正四位下)・山城守。.

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藤原敦頼

藤原 敦頼(ふじわら の あつより、寛治4年(1090年) - 寿永元年(1182年)頃?)は、平安時代後期の歌人。法名は道因。藤原北家高藤流、正三位・藤原惟憲の曾孫。治部丞・藤原清孝の子。官位は従五位上・右馬助。.

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藤原教長

藤原 教長(ふじわら の のりなが)は、平安時代後期から末期にかけての公卿・歌人。藤原北家難波家・飛鳥井家始祖、大納言・藤原忠教の次男。官位は正三位・参議。.

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藤女子大学の人物一覧

藤女子大学の人物一覧は藤女子大学及び藤女子短期大学に関係する人物の一覧記事。.

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藤岡武雄 (歌人)

藤岡 武雄(ふじおか たけお、1926年2月14日 - )は、歌人、日本近代文学研究者、日本大学名誉教授。歌誌『あるご』主宰。斎藤茂吉研究の権威として知られる。 山口県大津郡日置村(現長門市)生まれ。山口師範学校を経て、日本大学文学部国文科卒。同大学院修士課程修了。日大文理学部助教授、教授を歴任。1990年『評伝斎藤茂吉』で日大文学博士。1996年定年退任、名誉教授。2003年「書簡にみる斎藤茂吉」で第14回斎藤茂吉短歌文学賞、第1回日本歌人クラブ評論賞受賞。2017年『斎藤茂吉―生きた足あと』を中心とした永年の功績に対して第8回日本歌人クラブ大賞受賞。.

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藤島秀憲

藤島 秀憲(ふじしま ひでのり、1960年10月9日 - )は、歌人。 埼玉県上尾市出身。法政大学経営学部卒業。歌誌「心の花」所属。佐佐木幸綱に師事。2002年、「路地生活者」で第48回角川短歌賞佳作。2007年、落語を引用しながら短歌に使われる日本語オノマトペを考察した『日本語の変容と短歌-オノマトペからの一考察』により、第25回現代短歌評論賞を受賞。2010年、老父母の介護や自らの失業などの日常をユーモラスに描いた第一歌集『二丁目通信』により、第54回現代歌人協会賞および第18回ながらみ書房出版賞を受賞。2014年、父の介護と死、長年住んだ家への訣別を描いた第二歌集『すずめ』により、芸術選奨新人賞および第19回寺山修司短歌賞を受賞。.

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藤嶺学園藤沢中学校・高等学校

藤嶺学園藤沢中学校・高等学校(とうれいがくえん ふじさわちゅうがっこう・こうとうがっこう)は神奈川県藤沢市西富に所在し、中高一貫教育を提供する私立の男子中学校・高等学校。高等学校においては、中学校から入学した内部進学生と高等学校から入学した外部進学生徒との間では、3年間別クラスになる併設型中高一貫校(旺文社)の「ワンポイント情報」の冒頭に「●内部進学生とは3年間別クラス。」と掲載されている。。1915年(大正4年)に創立認可された。.

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藤井常世

藤井 常世(ふじい とこよ、女性、1940年12月3日 - 2013年10月30日)は、歌人。 折口信夫門下の歴史学者・藤井貞文の娘として東京都に生まれる。弟は藤井貞和。「常世」は本名で、折口が名付け親。國學院大學文学部文学科卒業。香川進の歌誌『地中海』を経て、1972年岡野弘彦の歌誌『人』創刊に参加。1993年『笛の会』を結成、代表となる。現代歌人協会会員。2002年「NHK歌壇」選者。2013年10月30日、急性心不全のため死去。72歳没。.

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藤井喬

藤井 喬(ふじい たかし、1909年 - 2001年12月5日)は、日本の郷土史家で歌人。.

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藤井高尚

藤井 高尚(ふじい たかなお、明和元年(1764年) - 天保11年8月15日(1840年9月10日))は、江戸時代後期の国学者・歌人・神官。本居宣長の門人として文章で最も秀でた。.

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藤井貞和

藤井 貞和(ふじい さだかず、1942年4月27日 - )は日本の詩人で日本文学者。東京大学名誉教授。専門は古代文学・中古文学・物語文学。文学博士。.

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藻璧門院少将

藻璧門院少将(そうへきもんいんの しょうしょう、生没年不詳)は、鎌倉時代初期に活躍した女流歌人。新三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人。勅撰歌人・藤原信実の次女。弁内侍(後深草院弁内侍)と後深草院少将内侍の姉にあたる。 朝を告げる雄鶏の鳴き声に一夜を共にした男女のしばしの別れのつらさを代弁させた「己が音」の恋歌が絶賛されたことでその名を馳せた。この代表作によって彼女は己が音の少将(おのがねの しょうしょう)の異名を取るにいたった。 なお二字目の「ヘキ」は「完璧」の「璧」(下のつくりが「玉」)が正しい字だが、「岸壁」の「壁」(下のつくりが「土」)を用いた「藻壁門院少将」とした文献も古来より非常に多く見られるため注意を要する少将が女房として仕えたことからその女房名の一部として用いられるようになった女院・藻璧門院の院号は、平安京大内裏の外郭十二門のひとつ藻壁門(西中御門)の名称に由来するものだが、藻が絡みついた土壁を想わせるその字面は不気味で女院の院号としては不吉ではないかということで、あえて「壁」を別字ながら同音でしかも形もよく似た「璧」(意味は「宝石」)に差し替えたという経緯がある。したがって門の名称としては「藻壁門」正しく、女院の院号としては「藻璧門院」が正しい。そしてその女院に仕える女房が女院の院号を自らの通称に冠することで独自の呼称とした女房名も、やはり「藻璧門院少将」が正しい。しかし時代と筆写を重ねるごとに、草書体ではその判別が難しい「璧」と「壁」の二字は混同され、その結果数多くの権威ある文献においてすら藻璧門院少将の名は藻壁門院少将と記されて今日に伝わることになった。なお「藻壁」か「藻璧」かについては、そもそもその女院の院号定めの時から相当の混乱と混同があったことが藤原定家の日記『明月記』の中にも記されている(天福元年四月廿五日條)。→ 詳細は「九条竴子」項を参照。。.

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藻璧門院但馬

藻璧門院但馬(そうへきもんいんのたじま、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の歌人である。父は『新古今和歌集』の撰者の一人でもある勅撰歌人の源家長『新古今和歌集』に3首、『新勅撰和歌集』に8首、『続後撰和歌集』に7首、『続古今和歌集』に2首、その他の勅撰集に計15首、都合35首が勅撰集に入集している。、母はやはり勅撰歌人の後鳥羽院下野『新古今和歌集』に2首、『新勅撰和歌集』に2首、『続後撰和歌集』に6首、『続古今和歌集』に6首、その他の勅撰集に計14首、都合30首が勅撰集に入集している。。 なお、二字目の「ヘキ」は「完璧」の「璧」(下のつくりが「玉」)が正しい字だが、「岸壁」の「壁」(下のつくりが「土」)を用いた「藻壁門院但馬」とした文献も古より非常に多く見られるため注意を要する但馬が女房として仕えたことからその女房名の一部として用いられるようになった女院・藻璧門院の院号は、平安京大内裏の外郭十二門のひとつ藻壁門(西中御門)の名称に由来するものだが、藻が絡みついた土壁を想わせるその字面は不気味で女院の院号としては不吉ではないかということで、あえて「壁」を別字ながら同音でしかも形もよく似た「璧」(意味は「宝石」)に差し替えたという経緯がある。したがって門の名称としては「藻壁門」正しく、女院の院号としては「藻璧門院」が正しい。そしてその女院に仕える女房が女院の院号を自らの通称に冠することで独自の呼称とした女房名も、やはり「藻璧門院但馬」が正しい。しかし、時代と筆写を重ねるごとに、草書体ではその判別が難しい「璧」と「壁」の二字は混同され、その結果数多くの権威ある文献においてすら藻璧門院但馬の名は藻壁門院但馬と記されて今日に伝わることになった。なお、「藻壁」か「藻璧」かについては、そもそもその女院の院号定めのときから相当の混乱と混同があったことが藤原定家の日記『明月記』の中にも記されている(天福元年四月廿五日條)。→ 詳細は「九条竴子」項および「藻璧門院少将」項を参照。。.

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著作家

著作家(ちょさくか)とは、文章を書くことを職業とする人。著述家(ちょじゅつか)、文筆家(ぶんぴつか)、作家(さっか)、小説家(しょうせつか)、執筆屋(しっぴつや)、ライター (writer) 、物書き(ものかき)などともいう。.

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葉室光俊

葉室 光俊(はむろ みつとし、1203年(建仁3年) - 1276年7月21日(建治2年6月9日))は、鎌倉時代に活躍した歌人である。新三十六歌仙の一人。父は藤原北家高藤流権中納言葉室光親。母は順徳天皇の乳母としても知られる藤原経子。同腹の兄に後嵯峨院の院司葉室定嗣がいる。子に大僧都定円、娘に尚侍家中納言(藤原親子)、鷹司院帥がおり共に勅撰歌人である。出家して真観と称した。右大弁入道等とも呼ばれる。.

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葛城市

(かつらぎし)は、奈良県中西部に位置し、大阪府と境を接する市。.

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葛原妙子

葛原 妙子(くずはら たえこ、1907年(明治40年)2月5日 - 1985年(昭和60年)9月2日)は、歌人、潮音社友、日本歌人クラブ会員、女人短歌会会員。現代歌人協会発起人。南日本新聞歌壇選者。現代短歌女流賞選考委員。 東京出身。父、外科医の山村正雄、母、つね。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鴎高等学校)卒業。夫の葛原輝は外科医。長女は児童文学者の猪熊葉子。 戦後の歌壇に大きな影響を与えた代表的歌人の一人である。日常のうちに「見てはならぬものを視、聞いてはならぬものを聴きだし」(菱川善夫)、その景色を自ら「表現の我儘についてゆるし得る限界」とする破調の歌に詠むその歌風から、「現代の魔女」「球体の幻視者」(中井英夫)、「幻視の女王」(塚本邦雄)と称される。.

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葛原りょう

葛原 りょう(くずはら りょう、1978年 - )は、日本の詩人、歌人、俳人。 歌人・俳人としては髙坂 明良(こうさか あきら)として活動している。.

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葛原繁

葛原 繁(くずはら しげる、1919年8月25日 - 1993年1月7日)は、歌人、実業家。 広島県呉市出身。東京工業大学電気工学科卒。1938年『多磨』に入会、北原白秋に師事。1953年宮柊二の『コスモス』創刊に参加、のち編集人。1981年『玄』で第32回読売文学賞受賞。日新運輸倉庫(現・日新)取締役を務めた。童謡詩人の葛原しげるとは別人。.

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蒲生貞秀

蒲生 貞秀(がもう さだひで)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将・歌人。.

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蒲池氏

蒲池氏(かまちし)は、鎌倉時代以来の筑後国の一族。鎌倉時代は地頭職、室町時代は大身の国人領主、戦国時代は筑後十五城の旗頭の大名分で柳川城主であった。 蒲池氏は歴史的に見ると、嵯峨源氏そして嵯峨源氏渡辺党松浦氏族の「前蒲池」時代(鎌倉時代~南北朝時代)と、藤原氏系宇都宮氏族の「後蒲池」時代(室町時代~戦国時代)がある。.

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蒔田さくら子

蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - )は歌人。本名・浜高家さくら子。東京都豊島区目白生まれ。 東京府立第三高等女学校(現在の東京都立駒場高等学校)卒業。1946年(昭和21年) 「をだまき」に入社。高瀬一誌らと中河幹子(小説家・中河与一の妻)に師事。その後、「短歌人」に入会し小宮良太郎に師事した。1953年(昭和28年)、「短歌人」が編集委員制度移行の際、編集委員に就任。以後55年間に渡って編集に携わる。1982年(昭和57年)歌集『紺紙金泥』で第9回日本歌人クラブ賞。1994年(平成6年)、歌集『鱗翅目』で第15回ミューズ女流文学賞。1983年(昭和58年)より1987年(昭和62年)まで現代歌人協会理事。1985年(昭和60年)より1996年(平成8年)まで「短歌人」発行人。2002年(平成14年)度「NHK歌壇」(現・「NHK短歌」)選者。2014年、歌集『標のゆりの樹』およびこれまでの全業績により第37回現代短歌大賞受賞。.

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蓮玉庵

蓮玉庵(れんぎょくあん)は、東京都台東区上野二丁目にある江戸時代後期に創業のそば屋店舗。.

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蓮華峰寺

蓮華峰寺(れんげぶじ)は、新潟県佐渡市にある真言宗智山派の寺院。大同元年(806年)、真言宗の開祖、空海の開山という伝承をもつ。山号は小比叡山(こびえさん)。金剛寺、室生寺とともに真言の三大聖地の一つとされる。佐渡四国八十八札所の第六番札所。資料によって「蓮華峯寺」と記すものもある。.

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鄭龍超

鄭龍超(ていりゅうちょう、1968年6月19日 - )は、日本の歌人。神戸中華同文学校卒業。主に英文での短歌の活動をしている。日本歌人クラブ、短歌カナダ、アメリカ短歌ソサエティ、英国詩歌協会所属。また英文短歌集としては初めて英国ロイヤル図書館に著書が収蔵された。英文短歌と白黒写真とを融合させたポエトグラフィという新しいジャンルで活動の場をアメリカ、カナダ、英国などの画廊での展示を広げるなか、神戸市長田区にあるマルチナショナルラジオ局のFMわいわいの番組「華声」のパーソナリティもしている。.

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脇坂安元

脇坂 安元(わきざか やすもと)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名・歌人。伊予国大洲藩2代藩主、のち信濃国飯田藩初代藩主。播磨国龍野藩脇坂家2代。 当時の将軍徳川家光の信任が厚い下総国佐倉藩主・堀田正盛の次男・安政を養子とすることを願い出て許されたことにより、外様の小藩であった脇坂家は譜代大名となることができた。なお、安元は2代・安政より以前に、実弟・安経、次いで堀田正盛の弟・安利を養子としていたが、いずれも早世した。.

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醍醐聰

醍醐 聰(だいご さとし、1946年 - )は、日本の会計学者。専門分野は財務会計。東京大学名誉教授。妻は歌人・内野光子。 動画開始3分40秒後に夫婦で登場(右端人物が妻・内野光子) https://www.youtube.com/watch?v.

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野口あや子

野口 あや子(のぐち あやこ、1987年5月23日 - )は日本の歌人。.

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野口猛 (作詞家)

野口 猛(のぐち たけし、1906年4月22日兵庫県名士録(1959), p355 - 1972年5月3日)は日本の作詞家、歌人、初等・中等教育教員。.

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野口恵子

野口 恵子(のぐち けいこ、1975年 - )は、歌人。 東京都出身。早稲田大学理工学部卒業後、IT関連企業に勤務する。田島邦彦が講師を務めていた短歌教室に通い始めたのがきっかけで2003年に歌誌「開放区」に参加。.

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野田市

野田市(のだし)は、千葉県北西部の東葛地域に位置する都市。人口約15.5万人で、千葉県内では12位。東京都特別区部への通勤率は13.0%(平成22年国勢調査)。.

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野村千春

野村 千春(のむら ちはる、1908年(明治41年)4月6日 - 2000年(平成12年)2月12日)は、長野県岡谷市出身の洋画家である。夫は児童文学者、歌人の巽聖歌。結婚後、東京都日野市に居住し、創作活動を行なった。.

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野村望東尼

野村 望東尼(のむら もとに、ぼうとうに - 日本経済新聞朝刊女性面 2013年7月20日 - 福岡市の文化財(福岡市経済観光文化局文化財保護課))、文化3年9月6日(1806年10月17日) - 慶応3年11月6日(1867年12月1日))は、幕末の女流歌人・勤王家。福岡藩士・浦野重右衛門勝幸の娘(三女)で、幼名は"モト"。贈正五位。.

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重兼芳子

重兼 芳子(しげかね よしこ、1927年3月7日 - 1993年8月22日)は、小説家。北海道空知郡上砂川町生まれ。福岡県立田川高等女学校(現・福岡県立西田川高等学校)卒業。 1946年、プロテスタントの洗礼を受ける。1947年に結婚し主婦となる。1969年に「一路」短歌会に入会し歌人として文学活動を出発。同人雑誌『まくた』に参加、日本民主主義文学同盟の「文学教室」や駒田信二の小説教室に通い、1978年、『まくた』に載せた「ベビーフード」、「髪」で続けて芥川賞候補となり、『文學界』掲載の「やまあいの煙」で1979年、芥川賞受賞、主婦作家として話題になった。 しかしその後、がん宣告を受けて大手術の後夫を失うという経験を経て、老い、病、死についての著作を精力的に執筆、がんの再発により66歳で死去した。.

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臣籍降下

臣籍降下(しんせきこうか)は、皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りることをいう。賜姓降下(しせいこうか)とも言い、そのような皇族を俗に賜姓皇族という。皇族女子が臣下に嫁すことで皇族でなくなる場合は臣籍降嫁(しんせきこうか)とも言った。また日本国憲法施行後は皇籍離脱(こうせきりだつ)の語が用いられる。.

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釧路新聞

釧路新聞(くしろしんぶん)、釧路新聞社が発行している地方紙。釧路総合振興局管内と根室振興局管内を発刊エリアとする。通称釧新(せんしん)。 明治期の歌人石川啄木が勤務した「釧路新聞」は現在の北海道新聞の前身であり、現在の釧路新聞社とは関係はない。.

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自由律短歌

自由律短歌(じゆうりつたんか)は、五・七・五・七・七の定型にとらわれずに作られた短歌。大正13年(1924年)に、石原純の発表した歌が、歌壇において注目を集めた自由律の最初であろう。石原は、その後、自由律短歌論を展開。やがて、この名称を定着させた。石原の自由律短歌は旧来の文語体ではなく口語体を採用していたため、自由律短歌はそのまま口語短歌運動と結び付き、口語自由律短歌として発展してゆく。 昭和時代になると、金子薫園、土岐善麿、前田夕暮も参加し、口語自由律短歌は興隆期を迎える。特に、前田は、主宰する結社全誌をあげて自由律を提唱し、自由律短歌集を次々と刊行して、口語自由律短歌の代表作を残した。 しかし、昭和10年代半ばには、全員、定型歌に復帰している。 昭和末期、ライトヴァース短歌と呼ばれた、加藤治郎、荻原裕幸、穂村弘らが発表した、記号短歌や、散文に近い、字余り・字足らずの多い短歌群は、昭和初期の口語自由律に通じるものとも言えよう。.

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自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧

自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧(じさつ・じけつ・じがいしたにっぽんのちょめいじんぶついちらん)では、自ら命を絶った日本の著名な人物または自ら命を絶ったとされる著名な人物を一覧する。.

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金原省吾

金原 省吾(きんばら せいご、1888年9月1日 - 1958年8月2日)は、日本の美学者、美術史学者。旧姓は河西。.

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金原瑞人

金原 瑞人(かねはら みずひと、1954年11月29日 - )は、翻訳家・児童文学研究家・法政大学社会学部教授。学位は文学修士(法政大学)。芥川賞作家金原ひとみの実父。.

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金子きみ

金子きみ(かねこ-、1915年2月12日 - 2009年6月23日)は、日本の小説家、歌人。本名・キミ。 北海道湧別町生まれ。両親は山形県からの入植者。上芭露小学校卒業後、農業に従事。10代の頃から口語自由律短歌をつくりはじめ、並木凡平の「新短歌時代」に寄稿。1938年に歌集『草』を出版、「農民短歌」として評判になる。1940年に結婚するまで、夏は北海道でハッカ製造に従事し、農閑期には東京の姉夫婦のもとで暮らすという生活を送った。義兄は陸軍画報社の社長を務めた中山正男であり、彼の紹介により陸軍画報の編集者と結婚した。 1957年に小説『裏山』で「婦人生活」懸賞小説で一位となり、小説家としてデビュー。1982年、小説『東京のロビンソン』で第11回平林たい子文学賞受賞。 2009年6月23日、肺炎のため奈良県大和郡山市内の病院にて死去。額安寺に眠る。同じ口語自由律歌人であった宮崎信義とは深い親交があり、彼の弟子である光本恵子によって評伝『金子きみ伝』『わたしの骨にとまる蝶』が書かれている。.

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金子健造

金子 健造(かねこ けんぞう) 以下の日本の歌人。.

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金子健造 (夢短歌会)

金子 健造(かねこ けんぞう、1905年6月12日 - 1992年6月17日)は、昭和時代日本の歌人。作詞家としての別名義に金子 健(かねこ けん)がある西日本新聞、1975年11月2日付12面「そんなものあった? 市歌を忘れた福岡市民」。。 コスモス短歌会所属の歌人でO先生賞受賞者の金子健造(1915年 - 1988年)は同姓同名の別人。.

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金子健造 (コスモス短歌会)

金子 健造(かねこ けんぞう、1915年9月8日 - 1988年7月14日)は、昭和時代日本の歌人。 夢短歌会所属の歌人で「福岡市歌」作詞者(「金子健」名義)の金子健造(1905年 - 1992年)は同姓同名の別人。.

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金子元臣

金子 元臣(かねこ もとおみ、明治元年12月1日(旧暦)(1869年1月) - 1944年(昭和19年)2月28日)は、日本の国文学者、歌人。.

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金子薫園

金子 薫園(かねこ くんえん、1876年11月30日 - 1951年3月30日)は、日本の歌人。.

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金子有道

金子 有道(かねこ ありみち、1869年1月18日(明治2年8月29日『平成新修旧華族家系大成』上巻、443-444頁。)- 1938年(昭和13年)1月16日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』68頁。)は、日本の政治家、歌人、神職、華族。貴族院男爵議員。旧名・健麿。.

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金光岩齋

金光 岩齋(かなみつ がんさい、寛政9年(1797年) - 天保12年7月5日(1841年11月7日))は、岡山藩士。通称は初め岩松のち岩齋。諱は不明。 御野郡西古松村(岡山市北区西古松)の出身であり、金光太郎右衛門の孫・与次郎の末裔という。但し、「御奉公之品書上 金光岩齋」では代々百姓をしていたと言うので、与次郎以降の与次郎家当主の庶子の末裔ではないかと思われる。(下級武士の家では、庶子が妻子を持っても公認・法律婚によるもので無く、子供は武士の子と認められず、町人・百姓となる者が多かったからである。) 文化12年6月22日(1815年)に召抱。文政2年3月9日(1819年)、御城代支配下に属する。 文政4年11月15日(1821年)、拾五俵弐人扶持(四公六民の年貢の基準で言えば、40石程度の価値に相当)御具御坊主となり、名も「岩松」改め「岩齋」と改める。 天保2年11月1日(1831年)、伊部方定役御小道具方兼御屏風方となる。天保5年1月8日(1834年)、池田斉輝(池田斉政の嫡子)の正室・寛彰院(池田知子。歌人。関白・一条忠良の娘。文政2年(1819年)に斉輝が逝去した後、剃髪した。)への御用を務める。天保6年8月18日(1835年)、参俵壱人扶持加増・輿坊主格となる。以後の家禄・役職は不明。 江戸詰めには四度命ぜられ、御番方役などをしていた。 跡目は、子の鐵松が相続した。.

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金田一京助

金田一 京助(きんだいち きょうすけ、1882年(明治15年)5月5日 - 1971年(昭和46年)11月14日)は、日本の言語学者、民俗学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。日本学士院会員。日本言語学会会長(二代目)。東京帝国大学より文学博士。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。盛岡市名誉市民。歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。 長男の春彦、孫の真澄や秀穂も言語学者。.

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金沢大学の人物一覧

金沢大学の人物一覧(かなざわだいがくのじんぶついちらん)は、金沢大学に関係する人物の一覧記事。.

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金沢治

金沢 治(かなざわ おさめ、1899年 - 1982年)は日本の言語学者。歌人。徳島県出身。 徳島県方言学会に所属しており、方言に関する本を多く書いている。.

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蕨真一郎

蕨真一郎(わらび しんいちろう、1876年(明治9年)8月20日 - 1922年(大正11年)10月14日)は、日本の歌人、造林家。号は蕨真(けっしん)、礎山(そざん)。上総国武射郡埴谷村(現在の千葉県山武市)出身。 1901年(明治34年)、正岡子規の門下生となる。子規死後の1903年(明治36年)、根岸短歌会の機関誌『馬酔木』の編集委員となる。1906年(明治42年)に埴岡短歌会を設立し、地元歌人の作品を『馬酔木』上で紹介するようになった。1908年(明治44年)には伊藤左千夫により、千葉県の真一郎の自宅で『阿羅々木』(翌年『アララギ』と改名)が発刊された。1912年(大正元年)まで創作活動を続け、その後は自らが設立した埴岡農林学校の運営や林業経営に努めた。.

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長塚節

長塚 節(ながつか たかし、1879年(明治12年)4月3日 - 1915年(大正4年)2月8日)は、歌人、小説家。.

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長塚節文学賞

長塚節文学賞(ながつかたかしぶんがくしょう)は、日本の文学賞。.

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長崎大学の人物一覧

長崎大学の人物一覧は長崎大学に関係する人物の一覧記事。.

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長崎高等商業学校

長崎高等商業学校(ながさきこうとうしょうぎょうがっこう)は、1905年(明治38年)3月に設立された旧制専門学校であり、略称は「長崎高商」(-こうしょう)である。 この項目では、改称後の「長崎経済専門学校」(-けいざいせんもんがっこう)についても扱う。 旧・長崎高等商業学校研究館(現・長崎大学瓊林会館).

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長嶋亜希子

長嶋 亜希子(ながしま あきこ、旧姓:西村、1943年1月5日JR東日本相談役の大塚陸毅と同じ生年月日 - 2007年9月18日)は、読売ジャイアンツの終身名誉監督である長嶋茂雄夫人で主婦、会社役員。夫・茂雄の個人事務所である株式会社オフィスエヌの代表取締役を務めていた。.

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長井貞広

長井 貞広(ながい さだひろ)は、大江姓長井氏の人物。鎌倉時代と南北朝時代に一人ずついる。.

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長秋詠藻

長秋詠藻(ちょうしゅうえいそう)は、平安時代末期の歌人藤原俊成の家集(個人歌集)。3巻。六家集の一。俊成の自選により1178年(治承2年)、守覚法親王に謙譲された。俊成が皇太后宮大夫であったので、皇太后宮を長秋宮というのにちなんで命名。 伝本は4類に分けられる。1類本は俊成自撰の原型本で、480首。筑波大学蔵本がある。2類本は藤原定家によって『右大臣家百首』でのものを加えた計580首。書陵部本(私家集大成3,岩波古典大系80『平安鎌倉私家集』)、陽明文庫本(陽明叢書)があり専修大学蔵本(専修大学蔵古典籍影印叢刊)もこの系統。3類本はこれに72首を加えた652首。国会図書館本がある(新編国歌大観4)。4類本は更に『千五百番歌合』での100首を加えた752首。六家集版本として広く流通したのはこの末流本文である(国歌大系10、続国歌大観、日本古典全集)。 専修大学本(1296年藤原為世写)、日本大学蔵本(鎌倉後期写)が国の重要文化財に指定されている。.

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長田王

長田王(ながたのおおきみ/― おう)は、日本古代の皇族(諸王)。奈良時代から平安時代にかけて同名異人が散見する。.

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長谷川利行

長谷川 利行(はせがわ としゆき 明治24年(1891年)7月9日? - 昭和15年(1940年)10月12日)は京都府出身の洋画家、歌人。名の読みは「りこう」とも。.

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長谷川謹介

長谷川 謹介(はせがわ きんすけ、安政2年8月10日(1855年9月20日) - 大正10年(1921年)8月27日)は、鉄道官僚、技術者。.

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長野師範学校

長野師範学校(ながのしはんがっこう)は、かつて長野県が設置していた師範学校。新制信州大学の発足に伴い、その教育学部の一部となった。.

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長野県諏訪二葉高等学校

長野県諏訪二葉高等学校(ながのけんすわふたばこうとうがっこう)は、長野県諏訪市にある公立高等学校である。.

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長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校

長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校(ながのけん すわせいりょうこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、長野県諏訪市清水一丁目にある公立高等学校・中学校。.

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長野県松本深志高等学校

長野県松本深志高等学校(ながのけん まつもとふかしこうとうがっこう)は、長野県松本市蟻ケ崎三丁目にある県立高等学校。.

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長沢美津

長沢 美津(長澤 美津、ながさわ みつ、女性、1905年11月14日 - 2005年4月26日)は、歌人、国文学者。.

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長沢規矩也

長沢 規矩也(ながさわ きくや、正字は長澤、1902年(明治35年)5月14日 - 1980年(昭和55年)11月21日)は、日本の中国文学者、書誌学者。号は静盦(せいあん、「ふた」の字)、書斎号は学書言志軒(がくしょげんしけん)。歌人長澤ちづは養女。.

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長澤ちづ

長澤 ちづ(ながさわ ちづ、1946年7月15日 - )は、歌人。長崎県佐世保市出身。歌誌「ぷりずむ」創刊、主宰。日本歌人クラブ中央幹事、会誌「風」編集並びに広報担当、北関東ブロック担当。NHK学園講師、朝日カルチャーセンター講師、曹洞歌壇選者、相模女子大学非常勤講師。 佐世保港を見下ろす母の実家で生まれたが、暮らしたことはない。種々の理由で、熊本・東京(九段)・松本・天草・市川・東京(渋谷)・茅ヶ崎と転居しつつ育つ。東京都立新宿高等学校卒業後、国立図書館短期大学(現筑波大学図書館情報学群)を経て法政大学文学部卒業。20代は養父長澤規矩也に従い、漢和辞典(三省堂『明解漢和辞典』)および和刻本漢籍目録編纂の助手を務める。1976年氷原短歌会入会、石本隆一に師事。2005年より氷原短歌会代表。2013年6月「氷原」終刊に伴い、同8月に「ぷりずむ」を創刊、主宰。.

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長澤一作

長澤 一作(ながさわ いっさく 1926年 - 2013年)は、日本の歌人。佐藤佐太郎の初期の弟子にあたる。.

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酒井人真

酒井 人真(さかい の ひとざね、生年不詳 - 延喜17年(917年)4月)は、平安時代前期の官人・歌人。官位は外従五位下・土佐守。.

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酒井忠良 (伯爵)

酒井 忠良(さかい ただなが、1888年9月22日 - 1962年2月12日)は、旧庄内藩主酒井家16代当主、庄内藩11代藩主の酒井忠篤の次男で、最後の藩主・酒井忠宝(忠篤の弟)の養子。正三位、伯爵、詩人、歌人、書家、財団法人致道博物館の創設者。.

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酒井忠明

酒井 忠明(さかい ただあきら、1917年(大正6年)1月30日 - 2004年(平成16年)2月28日)は、旧庄内藩主 酒井家17代当主、写真家、書家、歌人、財団法人致道博物館名誉館長。鶴岡市名誉市民。栄典は勲五等双光旭日章。  .

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良寛

良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。.

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良岑秀崇

良岑 秀崇(よしみね の ひでおか)は、平安時代前期の貴族・歌人。越前守・良岑木蓮の子とする系図がある。官位は従五位下・伯耆守。.

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良暹

良暹(りょうぜん、生没年不詳)は、平安時代中期の僧・歌人。 出自・経歴については不明であるが、比叡山(天台宗)の僧で祇園別当となり、その後大原に隠棲し、晩年は雲林院に住んだといわれている。一説では、康平年間(1058年 - 1065年)に65歳ぐらいで没したともいわれている。 歌人の友として、賀茂成助・津守国基・橘為仲・素意法師などがいた。1038年(長暦2年)9月の「権大納言師房家歌合」などいくつかの歌合に出詠している。「良暹打聞」という私撰集を編んだというが現存していない。 歌は「後拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に入集している。.

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若山牧水

若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。.

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若山牧水賞

若山牧水賞(わかやまぼくすいしょう)は、歌人・若山牧水の業績を顕彰するため、短歌文学の分野で傑出した功績を挙げた者に贈られる賞。宮崎県・宮崎県教育委員会・宮崎日日新聞社・延岡市・東郷町(現・日向市)で構成される若山牧水賞運営委員会が主催している。 年1回発表されている。選考を決定する年の前年の10月1日から当年9月30日までに刊行された歌集及び若山牧水論の著者の中から選ばれる。受賞者には正賞として賞状、副賞として100万円とトロフィが授与される。 青磁社から、『シリーズ牧水賞の歌人たち』が出版されている。.

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若林牧春

若林 牧春(わかばやし ぼくしゅん、男性、1886年9月11日 - 1974年6月29日)は、明治・大正・昭和期の日本の歌人、詩人、教育者。本名は岡部 軍治文献によっては、名前を「軍二」としているものもある。たとえば、倉間勝義ほか編『多摩の人物史 古代より現代まで800人』(武蔵野郷土史刊行会、1977年)、横山吉男『多摩の文学碑 百三十碑余の詳細解説』(武蔵野郷土史刊行会、1981年)、横山吉男『多摩文学散歩 文学碑・墓碑を歩く』(有峰書店新社、1996年、ISBN 4-87045-215-4)など。(おかべ ぐんじ)。他の雅号に暁花、星骨がある。.

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苦楽園

苦楽園(くらくえん)は、兵庫県西宮市にある地名である。 同市の北中部から西部に至る山手側の地域を示し、苦楽園一番町から苦楽園六番町と分かれ、荘厳で閑静なお屋敷街を形成している。 西宮市内の甲陽園、甲東園など「園」がつく地域から成る西宮七園の一つに数えられ、関西屈指の高級邸宅街である。西宮七園の中でも最も山手(六甲山麓)に位置しており、財界人、文化人の豪邸が多く建てられている。市境を挟んで苦楽園五番町の西隣には同じく高級邸宅街で著名な芦屋市の六麓荘町がある。 苦楽園四番町、苦楽園五番町、苦楽園六番町にかかる山手一帯は芦屋市六麓荘町に隣接しており、数百、数千坪の豪邸が軒を連ね、企業家・資産家が多く住む界隈である。.

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雁部貞夫

雁部 貞夫(かりべ さだお、1938年12月16日 - )は、歌人、登山家。 東京向島生まれ。早稲田大学教育学部卒。東京都立高校教諭を務める。1966年、ヒンドゥ・クシュ主稜でパキスタン側から日本人初の登山活動を行ない、サラグラール峰山群とブニ・ゾムを試登した。1968年夏、未踏峰のヒンドゥ・ラジ山脈の最高峰コヨ・ゾムに試登し、イシュペル・ドームとフラッテロ・ゾムに初登、その後十数度これらの山域を踏査した。近年はヤルフーン河原流域を踏査し、1997年と2003年の夏、ヒンドゥ・クシュ山系の最大の氷河、チアンタール氷河を縦断し、未踏の六千メール峰を多数撮影して多くの資料をもたらした。 また、宮地伸一の影響により学生時代から『アララギ』会員として作歌、1997年に終刊した「アララギ」の後継誌「新アララギ」の編集委員、選者を務める。2011年、歌集『ゼウスの左足』で第13回島木赤彦文学賞受賞。日本歌人クラブ大賞2013年度選考委員。ヒマラヤン・クラブ会員。日本山岳会会員。.

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難波頼輔

難波 頼輔(なんば よりすけ)は、平安時代後期から末期にかけての公卿・歌人。藤原北家花山院流、大納言・藤原忠教の四男。蹴鞠の二大流派、難波・飛鳥井両家の祖。.

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雨宮亘

宮 亘(あめみや わたる、明治2年7月26日(1869年9月2日) - 大正7年(1918年)9月4日)は日本の実業家。 明治2年(1869年)7月26日山梨県七里村広瀬久光の三男として生れる(国立国会図書館デジタルコレクション)。弟に実業家衆議院議員の若尾璋八がいる。帝国大学(現在の東京大学)を首席で卒業。明治27年(1894年)3月に雨宮敬次郎の婿養子となる。敬次郎は工学士である亘に岩手県の仙人鉄山(仙人製鉄所)の経営をまかせた。明治34年(1901年)横川目村の国有林の払下げを受け製鉄所までのトロッコを建設。やがて製品輸送のため製鉄所から黒沢尻駅まで軌道を敷設し一般にも利用できる和賀軽便人車軌道(→和賀軽便軌道)となった。敬次郎が明治44年(1911年)に亡くなると大日本軌道などの事業を引き継ぎ大正6年(1917年)古河と組んで旭電化工業を創立するも大正7年(1918年)9月4日早逝した。従六位を叙する。同じ養子の豊次郎が事業を継ぐが大日本軌道各支社は次々と独立し、鉄道車輌製造部門の大日本軌道鉄工部(→大正8年(1919年)雨宮製作所)も関東大震災により壊滅。息子の雨宮四朗も早逝し、子供たちは幼くその財産や事業を失い、その後雨宮家は没落した。 華道家の池田佳子(佳甫)と歌人の雨宮雅子は孫にあたる。.

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雨宮雅子

宮 雅子(あめみや まさこ、1929年3月28日 - 2014年10月25日)は、日本の歌人。.

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雪舟えま

雪舟 えま(ゆきふね えま、1974年10月7日 - )は、日本の小説家、歌人。北海道札幌市生まれ。.

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集外三十六歌仙

集外三十六歌仙(しゅうがいさんじゅうろっかせん)は、室町時代から江戸時代初頭にかけての歌人を三十六歌仙に倣って取り上げたもの。「集外」は二十一代集に載せられなかったという意味である。後水尾天皇の勅撰と伝えられる。 公家歌人が撰ばれず、武将歌人や連歌師が多いのが特徴である。 姫路市立美術館に、酒井抱一が描いた集外三十六歌仙の画帖が収蔵されている。.

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雅成親王

雅成親王(まさなりしんのう、正治2年9月11日(1200年10月20日) - 建長7年2月10日(1255年3月19日))は、鎌倉時代初期の日本の皇族。後鳥羽天皇の皇子で、母は修明門院、後に宣陽門院の養子となる。順徳天皇は同母兄にあたる。妻は久我通光の娘。新三十六歌仙の一人。通称:六条宮又は但馬宮。 建仁4年(1204年)に親王宣下を受け、建暦2年(1212年)に元服して三品親王となる。翌年には結婚した。将軍源実朝が暗殺された直後、鎌倉幕府から親王を次期将軍に迎えたいとする要請が出されるが、鎌倉幕府打倒を決意していた後鳥羽上皇に拒絶される。承久3年(1221年)、承久の乱に加担したとして但馬国に流刑となり、同国城崎郡高屋(現在の兵庫県豊岡市)に幽閉された。その後、嘉禄2年(1226年)に出家する。 ところが、父である後鳥羽上皇の死後に幕府から赦免が出されたらしく、寛元2年(1244年)に生母の修明門院と一緒に京都で暮らしていることが記録されている。その後同4年(1246年)に修明門院の最大の支援者であった当時の朝廷の実力者・九条道家が息子である将軍九条頼経と結んで、執権北条時頼とその後押しを受けた後嵯峨天皇を退けて雅成親王を次期天皇に擁立しようとしているとする風説が流される。時頼はその動きに先んじて九条親子を失脚させるとともに、雅成親王を但馬高屋に送り返した。親王はそのまま同地で病死して葬られた。 歌人としても優れており、家集『雅成親王集』がある他、『続後撰和歌集』などの勅撰和歌集にも採録されている。.

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逢坂藍水

逢坂 藍水(おうさか らんすい、1878年(明治11年)11月13日 - 1949年(昭和24年)2月11日)は、徳島県美馬郡つるぎ町(旧半田町)出身の歌人。 歌人・与謝野鉄幹の『明星』創刊より参加。戦後「徳島短歌」の創刊に参加した。主な作品として短歌『逢坂蘭翠歌集』がある。.

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逸見久美

逸見久美(いつみ くみ、1926年7月12日 - )は、歌人、日本近代文学研究者。 翁久允の娘として兵庫県芦屋に生まれる。1947年青山学院女子専門部国文科卒、1950年早稲田大学文学部国文科卒、1953年同大学院修士課程修了、1973年実践女子大学大学院国文科博士課程満期退学、1977年「評傳與謝野鐵幹晶子」で実践女子大文学博士。女子聖学院短期大学教授、徳島文理大学教授、聖徳大学教授。 1948年勁草書房を創立した逸見俊吾(富山県出身、1923-2002)の妻。俊吾はのち青林書院を設立するが1961年倒産。.

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逗子八郎

逗子 八郎(ずし はちろう、1903年2月23日 - 1991年7月7日)は日本の歌人、情報局官僚。本名、井上司朗。新短歌運動を推進し、1929年、短歌誌「短歌と方法」を主宰した。.

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虚淵玄

虚淵 玄(うろぶち げん、男性、1972年12月20日 - )は、日本のシナリオライター、小説家。株式会社ニトロプラス取締役。.

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陣崎草子

陣崎草子(じんさき そうこ、1977年- )は、日本の絵本作家、児童文学作家、歌人。歌人集団「かばん」会員。.

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陽成天皇

陽成天皇(ようぜいてんのう、貞観10年12月16日(868年1月2日) - 天暦3年9月29日(949年10月23日))は、平安時代前期の第57代天皇(在位:貞観18年11月29日(876年12月18日) - 元慶8年2月4日(884年3月4日))。諱は貞明(さだあきら)。.

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LGBT史年表

LGBT史年表(LGBTしねんぴょう)では、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の歴史に関する年表を示す。.

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NHK短歌

NHK短歌(エヌエイチケイたんか)は、NHK Eテレ、NHKワールド・プレミアムの短歌番組である。 元々はNHK歌壇と題して1997年4月11日から放送されたが、2005年4月2日以降は当タイトルに変更された。また2012年4月1日からは、毎月第4日曜放送分が初心者向けの短歌講座「短歌de胸キュン」としてリニューアルされた。.

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S

Sは、ラテン文字(アルファベット)の19番目の文字。小文字は s 。ギリシャ文字のΣ(シグマ)、キリル文字のСと同系の文字である。.

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YASCORN

YASCORN(やすこーん、1月26日 - )は、日本の漫画家、クリエイターまんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、202-203頁。別名義「杉木 ヤスコ(すぎき やすこ)」。血液型B型。青森県出身。東京都在住。.

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折口信夫

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。 歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。.

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柊野

柊野地域一帯 柊野(ひらぎの)柊野に「ひいらぎの」とルビを振られることがままある。しかし、公的にも地元においても「ひらぎの」以外の呼称は用いられない。は、京都市北区の鴨川(賀茂川)左岸、上賀茂地域西北部の名称である賀茂川右岸、上賀茂十三石山地内を含む。。.

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柚木圭也

柚木 圭也(ゆずき けいや、1964年5月11日 - )は歌人。.

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柳原白蓮

柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎燁子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)、北小路(きたこうじ)、伊藤(いとう)。大正三美人の1人。白蓮事件で知られる。 父は柳原前光伯爵。母は前光の妾のひとりで、柳橋の芸妓となっていた没落士族の娘父の新見正興は大身旗本で、咸臨丸で知られている1860年(万延元年)の遣米使節団長であったが、明治維新直後に早世している。奥津りょう。東京に生まれた。 大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。.

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柳宣宏

柳 宣宏(やなぎ のぶひろ、1953年4月23日 - )は、日本の歌人、高等学校教員(国語科)。 神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、窪田章一郎主宰の「まひる野」に入会(現在、同誌編集委員)。1990年、谷岡亜紀、大野道夫、大辻隆弘らと同人誌「ノベンタ」を創刊。2010年、歌集『施無畏』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 現在、函嶺白百合学園中学・高等学校教頭補佐を務める。.

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柳田國男

柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、最晩年に名誉町民第1号となった。没後に正三位勲一等。当時の池田勇人首相が「民間人とはいえ、これだけの人物に瑞宝章では軽い」と発言し旭日大綬章が供えられた。帝国憲法下の農務官僚で貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官に就いた牧田茂『柳田國男』(中公新書、1972年)。 「日本人とは何か」その答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者で、多数の著作は今日まで重版され続けている。.

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柳田國男・松岡家顕彰会記念館

柳田國男・松岡家顕彰会記念館(やなぎたくにお・まつおかけけんしょうかいきねんかん)は、兵庫県神崎郡福崎町にある町立の文学館・美術館。.

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柳澤美晴

柳澤 美晴(やなぎさわ みはる、1978年12月31日 - )は、歌人。北海道旭川市出身。 北海道教育大学旭川校卒業。「学校で児童がほっとできる場をつくりたい」と養護教諭を志し、臨時採用の養護教諭として札幌、小樽、苫前などを転々とする。その後 本採用となり、小学校の養護教諭として勤務。 大学在学中に和歌の講義に熱中し、大学4年生で作歌を始める。 2001年に未来短歌会に入会。岡井隆、加藤治郎に師事。 2006年に作品「モノローグ」で未来賞を受賞。同年、作品「WATERFALL」で49回短歌研究新人賞次席入選。 2008年に作品「硝子のモビール」で第19回歌壇賞受賞。 第一歌集『一匙(ひとさじ)の海』で2011年に第12回現代短歌新人賞および第26回北海道新聞短歌賞(当時最年少受賞)を、2012年に第56回現代歌人協会賞をそれぞれ受賞。 樋口智子や山田航らとともに、同人誌『アークレポート』を発行している札幌の短歌勉強会「アークの会」の主要メンバーの一人。.

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柳澤桂子

柳澤 桂子(やなぎさわ けいこ、1938年1月12日)は、東京出身の研究者、生命科学者、サイエンスライター、ジャーナリスト、エッセイスト、歌人、お茶の水大学名誉博士。夫は柳澤嘉一郎。.

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柴生田稔

柴生田 稔(しぼうた みのる、1904年6月26日 - 1991年8月20日)は、日本の歌人、国文学者。.

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柴田宵曲

柴田 宵曲(しばた しょうきょく、1897年(明治30年)9月2日 - 1966年(昭和41年)8月23日)は、日本の俳人、歌人、随筆家、書誌学者。本名は泰助。博識で、談話筆記・編集・校正に長じ、知友の著書の刊行に貢献した。.

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柴田トヨ

柴田 トヨ(しばた トヨ、1911年(明治44年)6月26日 - 2013年(平成25年)1月20日)は、日本の詩人。栃木県栃木市出身。.

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柿本人麻呂

柿本人麻呂(百人一首より) 柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、斉明天皇6年(660年)頃 - 神亀元年(724年)3月18日)は、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。.

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柿本神社 (明石市)

柿本神社(かきのもとじんじゃ)は兵庫県明石市人丸町にある神社。人丸山の頂上に鎮座するが、山名も当神社に因むものである。旧社格は県社。旧くは「人丸神社」と称し、地元では「人丸さん」とも呼ばれる。.

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染野太朗

染野 太朗(そめの たろう、1977年10月21日 - )は、歌人。茨城県生まれ、埼玉県に育つ。福岡市在住。 高校生のときに短歌を始め、1995年に歌誌「まひる野」入会。国際基督教大学教養学部卒業後、国語の教員免許を取得するために早稲田大学第二文学部に学士入学、「早稲田大学短歌会」に参加する。2004年より私立中高一貫校教員として勤務。2012年、第1歌集『あの日の海』で第18回日本歌人クラブ新人賞を受賞。2015年4月より1年間、NHKテレビ「NHK短歌」選者を担当。2018年、第2歌集『人魚』で第48回福岡市文学賞を受賞。.

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枡野浩一

枡野 浩一(ますの こういち、1968年9月23日 - )は、歌人。東京都杉並区西荻窪生まれ。 コピーライター、フリーライターを経て1997年、短歌集『てのりくじら』『ドレミふぁんくしょんドロップ』で歌人デビュー。短歌小説『ショートソング』は約10万部のベストセラーとなり、小手川ゆあによって漫画化される。短歌以外にも現代詩、作詞、漫画評、演劇評、エッセイ、小説などさまざまなジャンルで作品を発表している。漫画家の南Q太は元妻。芸人トリオ「詩人歌人と植田マコト」の元メンバー。 芸人活動休止後は漫画家の古泉智浩とポッドキャスト番組「本と雑談ラジオ」のパーソナリティーとして活動。ババロア研究家。阿佐ヶ谷「枡野書店」店主。.

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林あまり

林 あまり(はやし あまり、女性、1963年1月10日 - )は、日本の歌人、エッセイスト、作詞家である。本名、真理子。.

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林古渓

林 古渓(はやし こけい、1875年7月15日 - 1947年2月20日)は歌人、作詞家、漢文学者、立正大学教授、東洋大学講師。本名は竹次郎。東京・神田出身。哲学館(現・東洋大学)教育学部卒。「浜辺の歌」(成田為三作曲)の作詞をした事でも知られる。.

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林和清

林 和清(はやし かずきよ、1962年3月14日生まれ - )は、歌人。京都府京都市出身・在住。佛教大学文学部国文学科卒業。「玲瓏」選者、現代歌人集会理事長、現代歌人協会会員。既婚。 大学では中世和歌を専攻。また、京都大学短歌会に所属し、梅内美華子、吉川宏志、島田幸典らとともに活動。23歳で創刊まもない「玲瓏」に入会、塚本邦雄に師事。1989年、「未来歳時記」30首で第32回短歌研究新人賞次席。1991年、第一歌集『ゆるがるれ』で現代歌人集会賞受賞。NHK文化センター、毎日文化センター、よみうり文化センターなどのカルチャーセンターで、万葉集、源氏物語、枕草子などの講座を担当している。 阪神ファン。.

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林道倫

林 道倫(はやし みちとも、1885年12月21日 - 1973年3月28日)は、日本の精神医学者、教育者。新制岡山大学の初代学長を務めた。.

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林武

林 武(はやし たけし、1896年(明治29年)12月10日 - 1975年(昭和50年)6月23日)は、東京都出身の日本の洋画家。本名は武臣(たけおみ)といった。大正末期から洋画家として活動を始め戦後には原色を多用し絵具を盛り上げた手法で女性や花、風景などを描き人気を得た。晩年には国語問題審議会の会長も務めている。なお、孫に元衆議院議員の林潤がいる。.

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恩納村

恩納村(おんなそん)は、沖縄県内、沖縄本島の中央部に位置する村である。 日本屈指のリゾート地であり、東シナ海の海岸に沿って走る国道58号線沿いには多くの大型リゾートホテルが立ち並ぶ。アメリカ合衆国のビル・クリントン大統領やロシアのプーチン大統領などの世界の首脳も、2000年の九州・沖縄サミットの際には当村のホテルに滞在した。.

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恵泉女学園中学校・高等学校

恵泉女学園中学校・高等学校(けいせんじょがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都世田谷区船橋にある私立の女子中学校、高等学校。完全中高一貫校。.

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恵慶

恵慶(えぎょう、生没年不明)は平安時代中期の日本の僧、歌人。恵慶法師とも。中古三十六歌仙の一。 出自・経歴は不詳。播磨国分寺の講師をつとめ、国分寺へ下向する際に天台座主尋禅から歌を送られた。歌人としては『拾遺和歌集』に初出する。962年(応和2年)ごろより歌合などで活動し、986年花山院の熊野行幸に供奉した記録がある。また、大中臣能宣・紀時文・清原元輔など中級の公家歌人と交流していた。 小倉百人一首にも歌が取られている。家集に『恵慶法師集』がある。.

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恋衣

『恋衣』(こいごろも、本郷書院、1905年1月1日)は、日本の歌人、山川登美子、増田雅子、与謝野晶子による共著の詩歌集。本文152頁。歌数、登美子「白百合」131首、雅子「みをつくし」114首、晶子「曙染(あけぼのぞめ)」148首。詩の数、晶子6編。.

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李正子

李 正子(이정자、1947年3月3日 - )は、三重県伊賀市出身の在日コリアン二世の女性歌人である。未来短歌会所属。最終学歴は三重県立上野高等学校卒業。.

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来嶋靖生

来嶋 靖生(きじま やすお、1931年8月28日 - )は、日本の歌人、編集者。.

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東大寺学園中学校・高等学校

東大寺学園中学校・高等学校(とうだいじがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、奈良県奈良市山陵町(みささぎちょう)に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では第2学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校。東大寺が経営母体である。.

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東季彦

東 季彦(あずま すえひこ、1880年(明治13年)1月 - 1979年(昭和54年)7月18日)は、日本の法学者、出版事業家。旧姓乾(いぬい)。商法の権威として知られた。佐佐木信綱門下の歌人でもある。.

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東常縁

東 常縁(とう つねより)は、室町時代中期から戦国時代初期の武将、歌人。美濃篠脇城主。官職が下野守だったため一般には東野州(とうやしゅう)と称される。生年については、応永12年(1405年)説、同14年(1407年)説もある。 東氏は千葉氏一族の武士の家柄であったが、先祖の東胤行は藤原為家の娘婿にあたり、藤原定家の血を受け継いでいる。.

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東京号泣教室 〜ROAD TO 2020〜

『東京号泣教室 〜ROAD TO 2020〜』(とうきょうごうきゅうきょうしつ ロード・トゥ・トゥエンティトゥエンティ)は、キューブが製作するバラエティ番組。2013年10月から放送。キャッチフレーズは「スペシャリストが一流の技を伝授! 30分間のプチ学バラエティ!」。.

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東京外国語大学の人物一覧

東京外国語大学の人物一覧は、東京外国語大学に関係する人物の一覧記事。.

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東京女子大学の人物一覧

東京女子大学の人物一覧(とうきょうじょしだいがくのじんぶついちらん)は東京女子大学に関係する人物の一覧記事。.

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東京学芸大学附属高等学校

東京学芸大学附属高等学校(とうきょうがくげいだいがくふぞくこうとうがっこう, Tokyo Gakugei University Senior High School)は、東京都世田谷区下馬にある国立高等学校。通称「学附(がくふ)」、「附高(ふこう)」。 東京学芸大学の附属学校である。.

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東京理科大学の人物一覧

東京理科大学の人物一覧は東京理科大学に関係する人物の一覧記事。.

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東京農工大学の人物一覧

東京農工大学の人物一覧は東京農工大学に関係する人物の一覧記事。.

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東京都立図書館

東京都立図書館(とうきょうとりつとしょかん)は、東京都が運営する公共図書館である。2009年(平成21年)に都立日比谷図書館が千代田区に移管されて以降は、中央図書館(港区)および多摩図書館(国分寺市)の2館によって構成される。 『東京の未来を拓く力となる 知の集積・発信』を使命として掲げ、「首都東京の中核的公立図書館の役割を担い、図書館資料及び図書館内外の情報の整備・充実に努め、都民及び利用者に対し、等しく良質な図書館サービスを提供することにより、東京の社会、経済、産業、教育、文化等の発展に貢献する」ことを運営の方針とする。これを支えるため、中央図書館では約188万冊、多摩図書館では約55万冊と、国内の公立図書館では最大級の蔵書数を有する『日本の図書館―統計と名簿 2015』(日本図書館協会、2016年2月)によると、東京都立中央図書館の蔵書数は約193万冊で、公立の公共図書館のなかでは大阪市立中央図書館の約220万冊、大阪府立中央図書館の約205万冊に次いで国内第3位である。一方、個人への資料の館外貸出は行っていない。これは当図書館の業務が個人利用者に対する閲覧や調査支援などのほかに、都内公立図書館に対するレファレンス支援や資料の貸出などを主とするためであり、当館から利用者へ直接の貸出は行わないが、区市町村立図書館が所蔵していない資料で利用者の貸出要望があるものについては、区市町村立図書館を通じて借りることができる。中央図書館が中心的な役割を担い、多摩図書館と機能を分担しながら一体的な運営を行うとされており、組織上は中央図書館長の下に置かれた管理部の下に多摩図書館が位置する。.

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東京都立白鴎高等学校・附属中学校

東京都立白鴎高等学校・附属中学校(とうきょうとりつ はくおう こうとうがっこう・ふぞく ちゅうがっこう、英称:Tokyo Metropolitan Hakuo Senior High School - Junior High School)は、東京都台東区元浅草に所在する都立中学校・高等学校。.

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東京都立戸山高等学校の人物一覧

東京都立戸山高等学校人物一覧(とうきょうとりつとやまこうとうがっこうじんぶついちらん)は、東京都立戸山高等学校の著名な学校長・教職員・出身者の一覧である。.

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東京都立日比谷高等学校の人物一覧

東京都立日比谷高等学校人物一覧(とうきょうとりつひびやこうとうがっこうじんぶついちらん)は、東京都立日比谷高等学校およびその前身校の主な出身者・教員・関係者などについての一覧である。 ※全般的に多数につき各分野内において省略した。括弧内は卒業年。ただし、中途退学者等は例外あり。.

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東京薬科大学の人物一覧

東京薬科大学の人物一覧は東京薬科大学に関係する人物の一覧記事。.

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東京難民

『東京難民』(とうきょうなんみん)は、福澤徹三による日本の小説。光文社の『小説宝石』に2007年11月号から2011年1月号まで隔月で連載された。 2014年に佐々部清監督、中村蒼主演で映画化された。.

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東北学院大学の人物一覧

東北学院大学の人物一覧(とうほくがくいんだいがくのじんぶついちらん)は東北学院大学に関係する人物の一覧記事。.

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東直子

東 直子(ひがし なおこ、1963年12月23日 - )は、日本の歌人、小説家、脚本家。 広島県安佐郡安佐町(現・広島市安佐北区)生まれ。神戸女学院大学家政学部食物学科卒業。姉の小林久美子も歌人。.

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東郷久義

東郷 久義(とうごう ひさよし).

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東郷町 (宮崎県)

道の駅とうごう周辺 東郷町地域自治センター(旧東郷町役場) 東郷町(とうごうちょう)は、宮崎県の北部にある日向市西部から南部にかけての地域である。歌人若山牧水の生誕地。 旧東臼杵郡東郷町で、2006年(平成18年)2月25日、日向市へ編入され、地域自治区となる。.

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東重胤

東 重胤(とう しげたね)は鎌倉時代初期の武将。東胤頼の嫡男。鎌倉幕府3代将軍源実朝の側近。千葉氏の庶流である東氏の二代目に当たる。歌人であった。.

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東洋大学の人物一覧

東洋大学の人物一覧は東洋大学に関係する人物の一覧記事。.

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東洋大学現代学生百人一首

東洋大学現代学生百人一首(とうようだいがくげんだいがくせいひゃくにんいっしゅ)は、1987年(昭和62年)に東洋大学が始めたイベント。 もともとは当時東洋大学の学長を務めていた歌人である神作光一が大学の知を社会へ還元する東洋大学創立100周年記念事業としてはじめたものである。でもあった。「現代学生のものの見方・生活感覚」をテーマに日本全国の小学生・中学生・高校生・高等専門学校生・大学生・短期大学生・専門学校生・専修学校生・各種学校生・および予備校生が歌った短歌を申し込み対象としている。 毎年60000首を超える応募があり、教育の一環として学校全体で取り組むケースも増えている。 入選作が発表されると共同通信社・時事通信社が全世界へ向けて記事を配信するほか、朝日新聞の天声人語などの新聞コラムや日本テレビ系列のTHE・サンデーなど、さまざまなメディアで取り上げられている。最近ではBLOGで入選作を引用して自分なりの意見を書く人も多く、第一生命のサラリーマン川柳、住友生命の創作四字熟語、日本漢字能力検定協会の今年の漢字、自由国民社の新語・流行語大賞と並んで、現代の世相を反映する一つの指標、特に現代の児童・生徒・学生が何を考えているのかを判断する指標として使われることが多い。 選考は、東洋大学「現代学生百人一首」選考委員会が行う。当初、選考委員長は発案者である神作光一が務めていたが、現在は神田重幸が務めている。 入選作はウェブ上に掲載されるほか、毎年東洋大学から入選作品を収録した冊子が発行される。.

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東海学園大学の人物一覧

東海学園大学の人物一覧(とうかいがくえんだいがくのじんぶついちらん)は東海学園大学に関係する人物の一覧記事。.

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東日本大震災

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。 発生した日付から3.11(さんてんいちいち)、311(さんいちいち)と称することもある。 津波によって浸水した宮城県仙台市宮城野区沿岸(2011年3月12日)。津波火災も発生した。 津波によって破壊された岩手県陸前高田市小友町(2011年4月3日).

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松山市

本館 松山を代表する偉人の一人である正岡子規の句碑(JR松山駅前) 松山市(まつやまし)は、愛媛県の中部に位置する市。同県の県庁所在地であり、四国地方で最大の人口を擁し、中核市に指定されている。.

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松山市立番町小学校

松山市立番町小学校(まつやましりつばんちょうしょうがっこう)は、愛媛県松山市にある小学校。 市庁舎裏に立地し、銀天街、大街道を含む松山市の中心市域が学区内である。このため、高度経済成長期にはドーナツ化現象の影響を受け、児童数を減らした。.

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松岡静雄

松岡 静雄(まつおか しずお、1878年5月1日 - 1936年5月23日)は、日本の海軍軍人、言語学者、民族学者。最終階級は海軍大佐。兄に柳田國男がいる。.

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松岡映丘

松岡 映丘(まつおか えいきゅう、1881年7月9日 - 1938年3月2日)は、大正・昭和初期にかけ活動した日本画家。本名は輝夫。.

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松岡操

松岡 操(まつおか みさお、1832年(天保3年) - 1896年(明治29年)9月5日)は、日本の儒者、医師。柳田國男ら「松岡5兄弟」の実父。松岡賢次と命名されるが、明治初期に、改名の自由が許されるようになり操に改名した。号を約斉という。.

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松島町

松島町(まつしままち)は、日本の東北地方の一角である宮城県の沿岸地域中部に所在する町。松島湾によって太平洋に面する地域で、日本三景の一つ「松島」の観光拠点として広く知られている。 現在は七ヶ浜町および利府町と共に宮城郡を形成する。.

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松下竜一

松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 - 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。.

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松平修文

松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 - 2017年11月23日)は、画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。.

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松平盟子

松平 盟子(まつだいら めいこ、1954年7月24日 - )は、愛知県岡崎市生まれの歌人。 南山大学文学部国語国文学科卒業。国語教師を経て、コスモス短歌会に入会する。1977年、「帆を張る父のやうに」で角川短歌賞を受賞した。1990年、『プラチナ・ブルース』で河野愛子賞を受賞した。歌誌『プチ☆モンド』を主宰する。.

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松井如流

松井如流(まつい じょりゅう、1900年3月31日-1988年1月16日)は、歌人、書家。.

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松井芒人

松井 芒人(まつい ぼうじん、本名: 源衛、1895年1月25日 - 1980年12月27日)は、日本の歌人、教育者である。.

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松風村雨堂

松風村雨堂(まつかぜむらさめどう)は、兵庫県神戸市須磨区離宮前町1丁目にある平安時代の多井畑の村長の娘「もしほ」(松風)と「こふじ」(村雨)が在原行平を慕い建てた庵の跡。.

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松阪市

松阪市(まつさかし)は、三重県の中部に位置し、伊勢湾に面する市である。松阪牛の生産で知られる。気候は比較的温暖。 江戸時代は伊勢商人を輩出した商業町であり、現在も紀勢本線や近鉄大阪線・山田線沿線を後背地に持つ三重県の経済拠点の1つである。江戸時代は紀州藩領であった。.

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松野志保

松野 志保(まつの しほ、1973年2月10日 - )は、歌人。山梨県出身。 山梨県立甲府南高等学校、東京大学文学部日本語日本文学専修卒業。高校在学中より短歌を作り始め、雑誌に投稿。1993年、短歌結社「月光の会」に入会し、福島泰樹に師事。2000年、「永久記憶装置」で第43回短歌研究新人賞候補。2003年より短歌同人誌「Es」に参加。ボーイズラブを好み、短歌にもそのテイストを持ち込むことを特徴としている。第一歌集『モイラの裔』では萩尾望都、高河ゆん、森茉莉などからエピグラフの引用を行っている。.

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松村由利子

松村 由利子(まつむら ゆりこ、1960年9月14日 - )は、日本の歌人。.

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松村英一

松村 英一(まつむら えいいち、1889年12月31日 - 1981年2月25日)は、歌人。本名は英一(ひでかず)。 東京府生まれ。16歳より新聞の短歌欄に投稿を始め、窪田空穂の選を受ける。空穂選歌欄を母体として組織された「十月会」に参加。そこから発展した歌誌『国民文学』を引き継いで主宰した。小学校を中退後、職を転々としながら短歌や小説の執筆に励む。生涯にわたって定職は持たず、短歌雑誌の編集などに従事。1917年、尾山篤二郎とともに史上初の短歌の総合誌『短歌雑誌』刊行にも参画した。1959年、『松村英一全歌集』で第5回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)特別賞受賞。門下に山本友一、千代國一、生方たつゑなど。.

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松村正直

松村 正直(まつむら まさなお、1970年9月3日 - )は、歌人。東京都町田市出身。京都市在住。歌誌「塔」編集長。妻の川本千栄も歌人。 駒場東邦高等学校、東京大学文学部独文科卒業後、8年間フリーターをしながら全国の地方都市を移り住む。1996年に石川啄木の影響で短歌をはじめ、翌年「塔」入会。1999年「フリーター的」で第45回角川短歌賞次席。2000年毎日歌壇賞受賞。2002年第1歌集『駅へ』で第10回ながらみ書房出版賞受賞。2011年評論集『短歌は記憶する』で第9回日本歌人クラブ評論賞受賞。2014年第3歌集『午前3時を過ぎて』で第1回佐藤佐太郎短歌賞受賞。NHKラジオ「夜はぷちぷちケータイ短歌」にも選者として出演経験を持つ。.

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松永周二

松永 周二(まつなが しゅうじ、1884年(明治17年)6月6日 - 1972年(昭和47年)2月11日)は、徳島県徳島市出身の歌人。.

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松永貞徳

松永 貞徳(まつなが ていとく、元亀2年(1571年) - 承応2年11月15日(1654年1月3日))は、江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者。名は勝熊、別号は長頭丸(ちょうずまる)・逍遊軒(しょうゆうけん)・延陀丸(えんだまる)・保童坊・松友など。他に五条の翁・花咲の翁とも称し、明心居士の号もある。子は朱子学者の松永尺五。 父は松永永種で、母は藤原惺窩の姉。永種は松永久秀の子であったという説がある。また、永種は入江氏の出(入江政重の子)で、久秀の養子であったとも言われる。永種は出家して各地を放浪中であったため、久秀の死に巻き込まれることはなかった。キリシタンとして名を残した内藤如安は、久秀の弟・松永長頼の子であるため、貞徳とは従兄弟という関係になる。.

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松木秀

松木 秀(まつき しゅう、1972年1月14日 - )は、歌人、川柳作家。北海道登別市出身・在住。 北海道室蘭栄高等学校、札幌学院大学法学部卒業。1996年に川柳、1997年に短歌をはじめる。1998年に歌誌「短歌人」および川柳誌「川柳さっぽろ」に入会。2001年、「川柳展望」に入会および第46回短歌人新人賞を受賞。2006年、第1歌集『5メートルほどの果てしなさ』で第50回現代歌人協会賞を受賞。川柳の影響を受けたシニカルで風刺的な作風。 第1歌集の『5メートルほどの果てしなさ』は加藤治郎のプロデュースにより設立されたオンデマンド印刷形式の歌集専門レーベル「歌葉」からの出版であり、同レーベルの歌集として初めて現代歌人協会賞を受けた。.

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松本市

松本市(まつもとし)は、長野県中信地方に位置する市。国際会議観光都市に指定されている。.

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松本幹一

松本 幹一(まつもと もとかず、嘉永3年10月16日(1850年11月19日) - 大正4年(1915年)2月27日)は、江戸時代末期から明治時代における、出版人・国文学者・漢学者。幼名を嘉市郎と称する。号は轟軒、または晩翠。娘の松本初子(河杉初子)は歌人として知られる。.

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松本典子 (歌人)

松本 典子(まつもと のりこ、1970年2月6日 - )は、歌人。千葉県鴨川市出身。 千葉県立安房高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、国立能楽堂を経て国立劇場に勤務する。1997年に短歌をはじめ、同年短歌結社「かりん」入会、馬場あき子に師事。2000年、第20回かりん賞、第46回角川短歌賞受賞。2003年、第一歌集『いびつな果実』で第4回現代短歌新人賞受賞。現代歌人協会会員。.

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松本英子

松本 英子(まつもと えいこ).

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板宮清治

板宮清治(いたみや せいじ、1935年(昭和10年)2月22日『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.442 - )は、岩手県生まれの歌人。 昭和30年代の農村生活と自然を主な内容とする第一歌集『麥の花』は、青春期のみづみづしい作品を特色とする。現在までに六冊の歌集を発行しており、何れも東北の風土に根差した鋭敏な感性と清新な詠風によって貫かれている。病を克服して後の作品を収めた『杖』により、平成18年度の日本歌人クラブ賞を受賞。 地元の金ケ崎町立図書館には特設文庫として「板宮文庫」があり、板宮寄贈による現代歌人の歌集を中心とした書籍が収められている。.

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村山道雄

村山 道雄(むらやま みちお、1902年3月31日 - 1981年12月10日)は日本の政治家。山形県知事や参議院議員を務めた。また、アララギ派の歌人でもあった。.

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村岡みどり

村岡 みどり(むらおか みどり、1932年9月13日 - 1994年)は、日本の翻訳家、歌人。日本国際児童図書評議会会員。東京市大森区(現、東京都大田区)出身。『赤毛のアン』などの翻訳で知られる翻訳家・村岡花子の養女。東洋英和女学院、青山学院大学卒業。.

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村岡美枝

村岡 美枝(むらおか みえ、1960年 - )は、日本の英文学者、翻訳家。村岡花子の義理の娘(実の姪)・みどりの娘として東京都に生まれる。日本女子大学大学院博士課程前期修了。アメリカ文学専攻。一男一女の母。.

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村崎凡人

村崎 凡人(むらさき ただひと、1914年(大正3年)1月12日 - 1989年(平成1年)5月10日)は、日本の国文学者、歌人、教育者。徳島文理大学等を経営する村崎学園理事長。 旧制徳島中学校、早稲田大学文学部を卒業。徳島県徳島市出身。息子は現在の村崎学園理事長である村崎正人。.

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村上一郎

村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月24日 - 1975年(昭和50年)3月29日)は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。日本浪曼派に共感した。 東京で生まれ、父はホーリネス教会派のクリスチャンだった桶谷秀昭筑摩書房。栃木県宇都宮市で育つ。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)予科に進学。高島善哉ゼミ出身。 1943年に大学を卒業後、短期現役士官として海軍に入隊。小島直記らは同期生にあたる。主計大尉として終戦を迎え、戦後は三菱化成(現三菱ケミカルホールディングス)に入社したがやがて退社。その後、高島善哉の紹介で日本評論社編集部に入るが、『日本評論』の連載が連合国軍最高司令官総司令部のプレスコードに反し退社した。 中野重治の一文に感激し日本共産党に入党したがのち脱党した。吉本隆明、谷川雁らとともに雑誌『試行』の編集などをしている。だが、1975年に武蔵野市の自宅で日本刀により頸動脈を切り自殺を遂げた。享年54。墓所は小平市の小平霊園にある。 『北一輝論』は三島由紀夫に高く評価された。二・二六事件を肯定する面では三島と同様か、またそれ以上であるが、三島の二・二六事件観はあくまで忠誠心の発露、至純の精神への感銘にすぎないが、村上はその理念にまで心を及ばせていた。二・二六事件の失敗、滅びを前提にする三島と異なり、二・二六事件がもし成功したら歴史は変わっていたと肯定論を更に進めて考える。 村上の死に際しては思想的立場が大きく異なる丸山眞男からも悔やみの手紙が寄せられた(『磁場』の臨時増刊村上一郎追悼特集号に掲載)。 内田信也(内田汽船設立者)は母方の叔父、窪田四郎(日魯漁業(現マルハニチロ)社長や富士製紙第5代社長等を歴任)は母方の伯父。石野信一(大蔵省事務次官や神戸銀行頭取を歴任)は村上の従兄にあたる。.

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村田春海

村田 春海(むらた はるみ、延享3年(1746年) - 文化8年2月13日(1811年3月7日))は、江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人。本姓は平氏。通称は平四郎。字は士観(さちまろ)。号は織錦斎(にしごりのや)・琴後翁(ことじりのおきな)。賀茂真淵門下で県居学派(県門)四天王のひとり。.

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村野次郎

村野 次郎(むらの じろう、1894年3月19日 - 1979年7月16日)は歌人。.

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村松友次

村松 友次(むらまつ ともつぐ、1921年(大正10年)1月30日 - 2009年(平成21年)3月16日)は、国文学者、俳人。 長野県小県郡丸子町(現上田市)生まれ。1944年から長野県および東京都にて小・中学校教諭。1962年東洋大学国文学科(二部)卒業、1967年同大学院博士課程満期退学。東洋大学短期大学助教授、教授、学長、名誉教授。1985年「芭蕉の手紙」で第4回俳人協会評論賞受賞。1987年「曽良本『おくのほそ道』の研究」で東洋大学文学博士。放送大学客員教授。俳句を高濱虚子・高野素十に師事、俳号紅花、『ホトトギス』同人。俳誌『雪』主宰を経て、2006年『葛』主宰。近世俳諧が専門。俳諧研究、俳句の後継者に、谷地快一、池田俊朗、久保田敏子、真下良祐など。歌人に江田浩司。 1987年、東洋大学 文学博士。論文内容は「おくのほそ道諸本(所持・柿衛、曽良、河西本)の性格: 特に曽良本本文の重要性について/曽良本『おくのほそ道』の検討/河西本『おくのほそ道』(影印)解説」。.

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村松以弘

村松 以弘(むらまつ いこう、安永元年(1772年) - 天保10年(1839年)は江戸時代後期の南画家・歌人。 名は維孝、字は以弘。 号は笠斎・小笠山房主人など。通称は奥五郎。遠州掛川 十九首の生まれ。.

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村澤徳風

村澤 徳風(むらさわ のりかぜ、安永元年(1772年) - 天保13年6月11日(1842年7月18日))は、江戸時代後期の歌人、信濃飯田藩士。通称は介之丞。徳風と号した。.

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杉本秀太郎

杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 - 2015年5月27日)はフランス文学者・文芸評論家・エッセイスト。国際日本文化研究センター名誉教授、京都女子大学名誉教授。日本芸術院会員。.

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杉浦翠子

杉浦 翠子(すぎうら すいこ、1885年(明治18年)5月17日 - 1960年(昭和35年)2月16日)は、明治から昭和にかけての歌人。旧姓は岩崎翠。日本のグラフィックデザインの礎を築き多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)の初代学長となった杉浦非水の妻でもある。洋画家の岩崎勝平は甥。.

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杉敏介

杉 敏介(すぎ としすけ、1872年5月28日 - 1960年7月2日)は、日本の教育者。第一高等学校、国文教授 - 校長。通称は"びんすけ"。夏目漱石『吾輩は猫である』の津木ピン助のモデル。歌人としても知られ、号は烏山。.

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栗原市

栗駒地区は稲屋敷に広がる水田地帯2005年9月撮影。 栗原市(くりはらし)は、宮城県北西部に位置する市。市全域で栗駒山麓ジオパークをなす。.

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栗田土満

栗田 土満(くりた ひじまろ、元文2年(1737年) - 文化8年7月8日(1811年8月26日))は、日本の国学者、歌人。号は岡廼舎(おかのや)。.

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栗杖亭鬼卵

栗杖亭 鬼卵(りつじょうてい きらん、1744年〈旧暦延享元年〉 - 1823年4月4日〈旧暦文政6年2月23日〉)は、日本の武士、浮世絵師、戯作者。盈果亭 栗杖(えいかてい りつじょう)、栗杖亭 陶山(りつじょうてい とうざん)、大須賀 鬼卵(おおすか きらん)とも名乗った。本名は伊奈 文吾(いな ぶんご)であったが、のちに改名し大須賀 周蔵(おおすか しゅうぞう)となった。晩年は仏卵(ぶつらん)と号した。なお、文献によっては栗枝亭 鬼卵(りっしてい きらん)と表記されていることもあるが、誤字であると推察されている。.

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栗木京子

栗木 京子(くりき きょうこ、本名:中原 京子(旧姓・山本)、1954年10月23日 - )は、日本の歌人。栗木は母方の姓。 愛知県名古屋市出身。京都大学在学中に「コスモス」に入会し、また京都大学短歌会顧問であった高安国世の指導を受ける。1981年に「塔」入会、現選者。「読売新聞歌壇」選者。 初期は代表歌「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」に象徴されるような、清新な青春歌を持ち味とした。結婚後は教養ある主婦が身辺をつぶさに歌う日常詠へと作風が変化している。.

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桜川のサクラ

桜川のサクラ(さくらがわのサクラ)は、茨城県桜川市磯部にあるサクラである。磯部稲村神社の参道沿いと隣接する磯部桜川公園の丘陵地一帯約5,000m2にヤマザクラやソメイヨシノなど約800本のサクラが植栽されている。日本国の天然記念物であるとともに「桜川(サクラ)」の名で日本国の名勝に重複指定されている。 「西の吉野、東の桜川」と並び称されたサクラの名所であり、世阿弥の謡曲「桜川」の舞台となった場所である。.

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桜井登世子

桜井 登世子(さくらい とよこ、1930年10月13日 - )は日本の歌人。歌誌「未来」選者。.

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桃澤如水

桃澤 如水(ももざわ にょすい、1873年(明治6年)1月14日 - 1906年(明治39年)8月29日)は、歌人で日本画家。本名は桃澤 重治(ももざわ しげはる)、画名は如水(にょすい)または桃画史(とうがし)、歌名を茂春(もしゅん)といい、筆名を三六、三六軒、子脩(ししゅう)などと称した。その祖に江戸時代中期の歌人である桃澤夢宅がいる。.

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桑原正紀

桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )は歌人。.

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桑折宗臣

桑折 宗臣(こおり むねしげ、寛永11年12月21日(1635年2月8日) - 貞享3年3月3日(1686年3月26日))は、江戸時代の俳人、歌人。宇和島藩家老で、藩主伊達秀宗の四男。百助、親左衛門。妻は宍戸定清の娘。 寛永17年(1640年)に桑折宗頼の養子となり、承応元年(1652年)に家老職に就任する。寛文4年(1664年)頃に家老職を義弟の宗邑に譲り、隠居する。俳諧は北村季吟を師とした。このように、家老職にあったものの実働期間は短く、若くして隠居しているため、文化人としての活躍が目立ち、多くの著書を残している。 墓所は、愛媛県宇和島市の等覚寺。.

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桂葉清水

桂葉清水(かつらはしみず)は、宮城県栗原市高清水長福寺26にある桂の木の大木の根元から湧き出る湧水であり、1985年(昭和60年)名水百選のひとつに選定された。地元では「かつらっぱ」と親しまれて呼ばれている。.

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桂浜

下竜頭岬より上竜頭岬を望む 坂本龍馬像 桂浜(かつらはま)は、高知県高知市浦戸に位置し太平洋に臨む海岸。土佐民謡「よさこい節」にも詠われ、そして太平洋を望んで立つ坂本龍馬の銅像がある浜辺は、高知を代表する名所の一つとして知られる。.

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梶原さい子

梶原 さい子(かじわら さいこ、1971年1月16日 - )は、日本の歌人。「塔短歌会」所属。宮城県出身。.

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梶原景時

梶原 景時(かじわら かげとき)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。鎌倉幕府の御家人。 石橋山の戦いで源頼朝を救ったことから重用され侍所所司、厩別当となる。教養があり、和歌を好み、武家百人一首にも選出されている。頼朝の信任厚く、都の貴族からは「一ノ郎党」「鎌倉ノ本体ノ武士」と称されていた。一方で、源義経と対立し頼朝に讒言して死に追いやった「大悪人」と古くから評せられている。鎌倉幕府では権勢を振るったが頼朝の死後に追放され、一族とともに滅ぼされた(梶原景時の変)。.

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梶井基次郎

梶井 基次郎(かじい もとじろう、1901年(明治34年)2月17日 - 1932年(昭和7年)3月24日)は、日本の小説家。感覚的なものと知的なものが融合した簡潔な描写と詩情豊かな澄明な文体で20篇余りの小品を残し、文壇に認められてまもなく、31歳の若さで肺結核で没した「生い立ち」()「文章読本――短篇小説の文章」(婦人公論 1959年1月号付録)。、に所収高橋英夫「存在の一元性を凝視する」()。 死後次第に評価が高まり、今日では近代日本文学の古典のような位置を占めている平田次三郎「解説」(『現代文学代表作全集第1巻』万里閣、1948年6月)。「III 反響と残映――資料編」()。その作品群は心境小説に近く、散策で目にした風景や自らの身辺を題材にした作品が主であるが、日本的自然主義や私小説の影響を受けながらも、感覚的詩人的な側面の強い独自の作品を創り出している。 梶井基次郎は当時のごくふつうの文学青年の例に漏れず、夏目漱石や森鴎外、有島武郎や志賀直哉などの白樺派、大正期デカダンス、西欧の新しい芸術などの影響を受け、表立っては新しさを誇示するものではなかったが、それにもかかわらず、梶井の残した短編群は珠玉の名品と称され、世代や個性の違う数多くの作家たち(井伏鱒二、埴谷雄高、吉行淳之介、伊藤整、武田泰淳、中村光夫、川端康成、吉田健一、三島由紀夫、中村真一郎、福永武彦、安岡章太郎、小島信夫、庄野潤三、開高健など)から、その魅力を語られ賞讃されている。.

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梗概書

梗概書(こうがいしょ)とは、物語の梗概(概要・ダイジェスト)を記した書のことである。日本文学において特に何も指定せずに「梗概書」というときには『源氏物語』の梗概書のことを指す。.

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梅内美華子

梅内 美華子(うめない みかこ、1970年4月28日 - )は、歌人。短歌結社「かりん」所属。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校、同志社大学文学部文化学科卒業。 小学生の頃より作歌を開始し、1988年、高校生の時に「歌林の会」入会、馬場あき子に師事。同年、作品「放物線」50首で第34回角川短歌賞最終候補となる。大学生時代は京都大学短歌会に所属。吉川宏志、島田幸典、林和清らとともに京大短歌黄金時代のひとつを彩った。1991年、作品「横断歩道(ゼブラ・ゾーン)」50首で第37回角川短歌賞を受賞する。2001年、『若月祭』で第1回現代短歌新人賞を受賞。NHK歌壇の司会もつとめる。2008年より角川短歌賞選考委員。2012年、『エクウス』で芸術選奨新人賞および第8回葛原妙子賞を受賞。「あぢさゐの夜」20首で第48回短歌研究賞を受賞。2013年、青森県褒章。 第一歌集『横断歩道(ゼブラ・ゾーン)』の頃は俵万智の影響がみられるが、「自立した女性像」を青春の叙情とともに描いた芯の強い歌風に特色がある。第二歌集『若月祭』以降には巧みな叙景を用いた重厚さのある歌が多く詠まれるようになった。.

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棚木恒寿

棚木 恒寿(たなき こうじゅ、1974年5月25日 - )は、歌人。.

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森岡貞香

森岡 貞香(もりおか さだか、女性、1916年3月4日 - 2009年1月30日)は、歌人。.

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森竹竹市

森竹 竹市(もりたけ たけいち、1902年2月23日 - 1976年8月3日)は、昭和時代の歌人。アイヌ三大歌人に数えられる。筑堂と号する。.

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森真章

森 眞章(もり まくす、1919年(大正8年)8月6日 - 2000年(平成12年)5月6日)は、日本の医学博士。文豪・森鴎外の孫である。.

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森田孟

森田 孟(もりた たけし、1939年9月30日 - )は、日本の英文学者、歌人、筑波大学名誉教授。日本統治時代の台湾台北市生まれ。1962年東京教育大学英文科卒、66年同大学院博士課程中退、大東文化大学講師、名古屋大学教養部助教授、1976年筑波大学助教授、教授、2003年定年退官、名誉教授、成城大学教授。2010年退職。専攻はアメリカ文学。ウィリアム・フォークナー、ナサニエル・ホーソーン、ハーマン・メルヴィル、マーク・トウェインなど。マリアン・ムーア、フレデリック・ゴダード・タッカーマンの詩業を全訳。また、近藤芳美に師事する歌人でもあり、「未来」同人、「双峰会」主宰。.

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森田豊香

森田 豊香(もりた とよか、生年不詳 - 文政11年(1828年)1月16日)は、江戸時代の歌人、国学者。武蔵国児玉郡本庄宿(現在の埼玉県本庄市)の名主。代々助左衛門を襲名していた豪商の森田(素封)家に生まれ、通称を安平治(正式には森田助左衛門豊香)。豊香は四代目に当たる。幼名は千代松。号は、橘廼屋、松陰居とも号した。没した歳に関しては、生前に交流があった清水浜臣の子である清水光房が、豊香は50代の頃に亡くなったと伝えている。.

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森田雷死久

森田 雷死久(もりた らいしきゅう、1872年(明治5年)1月26日-1914年(大正3年)6月8日)は、日本の俳人、僧侶。愛媛県生まれ、本名は愛五郎、僧名は貫了 愛媛の句碑めぐり。.

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森賀まり

森賀 まり(もりが まり、1960年6月6日 - )は俳人。夫は俳人の田中裕明。姉は歌人の坂原八津。.

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森脇一夫

森脇 一夫(もりわき かずお、1907年(明治40年)5月10日 - 1978年(昭和53年)3月25日)は、歌人、国文学者。 広島生まれ。日本大学国文科卒。1960年「万葉の美意識」で日本大学文学博士。日本大学教授、77年定年。若山牧水系の歌人で、1928年菊池知勇の『ぬはり』に参加。.

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森比左志

森 比左志(もり ひさし、1917年 - )とは日本の児童文学作家、翻訳家、教育評論家。もりひさし名義を用いることもある。本名、森久保 仙太郎(もりくぼ せんたろう)。神奈川県藤野町出身。.

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森本治吉

森本 治吉(もりもと じきち、1900年1月10日 - 1977年1月12日)は、歌人・国文学者、文学博士。二松学舎大学名誉教授。歌人の槇弥生子は子の妻。歌人の森本平は孫。.

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森於菟

森 於菟(もり おと、1890年(明治23年)9月13日 - 1967年(昭和42年)12月21日)は、日本の医学者。専門は解剖学。専門書の他に、父・森鴎外の回想記と随筆を著した。.

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植竹三右衛門 (1854年生の実業家)

先代 植竹 三右衛門(うえたけ さんえもん、1854年3月23日(安政元年2月25日)39頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月23日閲覧。 - 1933年(昭和8年)7月6日)は、日本の政治家・貴族院議員う26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月23日閲覧。、実業家、資産家、篤農家。農業。味噌醤油醸造業ウ34-35頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月23日閲覧。。栃木県多額納税者う47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月23日閲覧。。栃木県農工銀行頭取108頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月24日閲覧。。東海銀行副頭取。氏家銀行、宇都宮瓦斯、日本製麻、下野新聞各取締役。東洋薬品監査役。宇都宮商業会議所特別議員。栃木県地主会顧問。族籍は栃木県平民。.

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植竹喜四郎

植竹 喜四郎(うえたけ きしろう、1884年(明治17年)1月う47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月26日閲覧。 - 1963年(昭和38年))は、日本の歌人(筆名・岸良雄)、実業家。下野鉄工、東野電力、植竹商業各取締役。.

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植松寿樹

植松 寿樹(うえまつ ひさき、明治23年(1890年)2月16日 - 昭和39年(1964年)3月26日)は、大正昭和期の歌人。『沃野』を創刊・主宰した。.

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楠見朋彦

楠見 朋彦(くすみ ともひこ、1972年10月10日 - )は日本の小説家、歌人である。.

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楫取魚彦

楫取 魚彦(かとり なひこ、享保8年3月2日(1723年4月6日) - 天明2年3月23日(1782年5月5日))は、江戸時代中期の国学者・歌人。本姓は伊能氏で、父は伊能景栄(かげまさ)。名は景良。通称は茂左衛門。号は青藍・茅生庵(ちぶあん)。生れは下総国香取郡佐原(現香取市)。同郷で遠縁の親族が測量家の伊能忠敬(伊能三郎右衛門家)である。.

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業平橋

業平橋(なりひらばし)は、『伊勢物語』の主人公とみられている歌人・在原業平にちなんだ橋である。.

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業平橋 (芦屋市)

芦屋警察署西に架かる橋から業平橋を見る。右の尖塔屋根はカトリック芦屋教会https://www.google.co.jp/maps/@34.728422,135.3032975,3a,75y,343.3h,94.15t/data.

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楓渓

楓渓(もみじだに)は、三重県四日市市水沢町(すいざわちょう)の山の坊(現在の宮妻)にあるもみじの名所。楓谷とも書く。.

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槇弥生子

槇 弥生子(まき やよいこ、1931年7月13日 - 2015年5月19日)は、歌人。東京都生まれ。二松学舎大学文学部国文科卒業。本名・森本早百合。歌人・万葉学者の森本治吉は夫の父、歌人の森本平は息子。 1946年、万葉講座にて森本治吉と出会い、後日「白露」に入会、1953年、「醍醐」に入会「開耶」第43号(2016年1月)。その後、「醍醐」選者を経て、2004年に「開耶(さくや)」を創刊、主宰。この間、日本歌人クラブ中央幹事(1990年-1993年)。1975年、歌集『ふりむくことなし』にて第1回短歌公論処女歌集賞受賞。2015年5月19日、誤嚥性の窒息のため死去。.

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横山由清

横山 由清(よこやま よしきよ、文政9年5月『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』234-236頁。(1826年) - 明治12年(1879年)12月2日)は、江戸時代・明治時代の国学者・歌人である。本姓は小野『明治過去帳』新訂初版、136頁。『江戸文人辞典』406頁。。従六位。通称は保三、号は月舎。.

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横山林二

横山 林二(よこやま りんじ、1908年(明治41年)12月20日-1973年(昭和48年)2月25日)は、日本の自由律俳句の俳人。層雲の荻原井泉水に師事、のちプロレタリア俳句運動に転じ、新興俳句弾圧事件により投獄された。戦後は新俳句人連盟常任委員、現代俳句協会会員。東京都生まれ、本名は吉太郎。.

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横山未来子

横山 未来子(よこやま みきこ、1972年1月9日 - )は、歌人。東京都出身。 生来病弱で養護学校に通う生活を送る。1990年大学受験資格検定試験合格。三浦綾子をきっかけに短歌に関心を持ち始める。20歳のときにプロテスタントの洗礼を受ける。1994年に短歌結社竹柏会「心の花」に入会し、佐佐木幸綱に師事。1996年に「啓かるる夏」30首で第39回短歌研究新人賞を受賞。2008年に歌集「花の線画」で第4回葛原妙子賞を受賞。2011年、『短歌研究』(短歌研究社)7月号より同誌上にて「うたう☆クラブ」コーチを担当。2012年より日本文藝家協会会員。.

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横井時冬

横井 時冬(よこい ときふゆ、安政6年12月14日(1860年1月6日)- 明治39年(1906年)4月18日)は、明治の歴史学者。日本経済史において先駆的な研究を行った。尾張藩士横井時相の子。兄は歌人横井時逸。江戸時代中期の国学者・横井千秋は同族にあたる。.

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横瀬夜雨

横瀬 夜雨(よこせ やう、1878年(明治11年)1月1日 - 1934年(昭和9年)2月14日)は、日本の詩人、歌人。 茨城県真壁郡横根村(現・下妻市)生まれ。本名・虎寿(とらじゅ)。別号に利根丸、宝湖。幼時、くる病に冒されて歩行の自由を失い、生涯苦しんだ。『文庫』に民謡調の詩を発表し、1905年詩集『花守』を刊行して、浪漫的な色彩で人気を博し、1907年河井酔茗主催の詩草社に参加した。地方の文学少女たちがその境遇への同情から夜雨の妻になると言って数名やってきたことは、水上勉『筑波根物語』に詳しい(伊藤整『日本文壇史』の記述は連載終了後単行本化されなかった水上の著を参考にしたもの)。 その後結婚し、昭和期には幕末・明治初期の歴史について研究した。「処寿(しょすみ)」の名も用いた。1934年、急性肺炎により下妻の自宅で死去。56歳没。戒名は真如院文誉慈潤夜雨清居士。.

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横瀬貞臣

横瀬 貞臣(よこせ さだおみ)は、江戸時代中期の高家旗本・歌人。高家横瀬氏(表高家)4代当主。近世武家三歌人の筆頭。.

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横瀬氏

横瀬氏(よこせし)は、日本の氏族。上野国の戦国大名である。戦国時代に由良氏(ゆらし)と改姓した。明治維新以前は由良氏 新田氏も名乗っている。.

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横須賀市

横須賀市(よこすかし)は神奈川県南東部の三浦半島に位置する都市である。中核市に指定されている。.

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横須賀線電車爆破事件

横須賀線電車爆破事件(よこすかせんでんしゃばくはじけん)とは、1968年(昭和43年)に国鉄(現在の東日本旅客鉄道(JR東日本))横須賀線で発生した爆弾事件。警察庁広域重要指定事件107号。.

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横浜市立大学の人物一覧

横浜市立大学の人物一覧は横浜市立大学に関係する人物の一覧記事。.

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横浜市立桜丘高等学校

横浜市立桜丘高等学校(よこはましりつ さくらがおかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区桜ヶ丘二丁目にある学年制の市立高等学校。.

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横浜市立戸塚高等学校

横浜市立戸塚高等学校(よこはましりつ とつかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市戸塚区にある市立高等学校である。 略称は戸高(とっこう / とこう)。全日制保護者会を「光陵会」といい、定時制同窓会を「櫻陰会」という。9月下旬に開催される文化祭は「戸高祭」。横浜市に合併される以前の鎌倉郡戸塚町立の高等女学校以来の伝統を持ち、戸塚区内最古の高校である。 戦後しばらくは一区一校制のもと、東京大学など有名校への進学者を輩出していたが、神奈川県の県立高校百校計画の煽りを受けるなどして、ある時期―横浜市立全日制普通科高校では例外的に―低迷状況にあった。現在では、単位制への転換や校舎一新、制服ブレザー化、交通アクセスの改善によって顕著な回復を遂げている。定時制については市議会などにおいて存廃の議論が続いている。.

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横浜国立大学教育学部附属横浜小学校

横浜国立大学教育学部附属横浜小学校(よこはまこくりつだいがくきょういくにんげんかがくぶふぞくよこはましょうがっこう)は、神奈川県横浜市中区立野にある国立小学校。横浜国立大学教育学部の附属小学校の一つである。.

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横浜国立大学教育学部附属横浜中学校

横浜国立大学教育学部附属横浜中学校(よこはまこくりつだいがくきょういくがくぶふぞくよこはまちゅうがっこう)は、神奈川県横浜市南区大岡二丁目にある国立中学校。横浜国立大学教育学部の附属学校である。.

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樺美智子

樺 美智子(かんば みちこ、1937年11月8日 - 1960年6月15日)は、学生運動家。安保闘争で死亡した東京大学の女子学生。 曽祖父は鳥取県出身の数学者樺正董。父は社会学者の樺俊雄。.

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樋口美世

樋口 美世(ひぐち みよ、1925年4月16日 - )は、日本の歌人。.

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樋口覚

樋口 覚(ひぐち さとる、1948年1月20日 - )は、日本の文芸評論家。2005年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。.

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樋口智子

樋口 智子(ひぐち・ともこ、 Tomoko HIGUCHI 1986年5月1日 - )は日本の女性ファッションモデル。.

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樋口智子 (歌人)

樋口 智子(ひぐち さとこ、1976年2月18日 - )は、歌人。北海道岩見沢市出身、札幌市在住。 北海道ハイテクノロジー専門学校在学中の1997年に作歌を始める。北海道新聞の「日曜文芸」に投稿を始め、松川洋子に師事。同じ選歌欄に投稿していた田村元、雪舟えまらと知り合う。 1999年、歌誌「りとむ」に入会。2006年に作品「夕暮れを呼ぶ」で第17回歌壇賞を受賞。2009年、第1歌集「つきさっぷ」で第15回日本歌人クラブ新人賞、第24回北海道新聞短歌賞佳作をそれぞれ受賞。柳澤美晴や山田航らとともに札幌の短歌勉強会「アークの会」に参加している。本職は視能訓練士。.

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橘広房

橘 広房(たちばな の ひろふさ、生年不詳 - 天永2年(1111年))は、平安時代後期の官人・歌人。陸奥守・橘以綱の子。官位は正五位下・信濃守。橘氏長者。.

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橘仲遠

橘 仲遠(たちばな の なかとお、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族・学者・歌人。下総守・橘佐臣の子。官位は従四位上・播磨守。.

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橘俊綱

橘 俊綱(たちばな の としつな)は、平安時代中期から後期にかけての貴族・歌人。藤原北家、関白・藤原頼通の次男。官位は正四位上・修理大夫。讃岐守・橘俊遠の養子。.

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橘公頼

橘 公頼(たちばな の きみより、元慶元年(877年) - 天慶4年2月20日(941年3月25日))は、平安時代の貴族。贈中納言・橘広相の子。官位は従三位・中納言。.

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橘元任

橘 元任(たちばな の もととう、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族・歌人。橘永愷(能因)の子。官位は従五位下・少内記。.

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橘則季

橘 則季(たちばな の のりすえ、万寿2年(1025年) - 康平6年6月28日(1063年7月26日))は、平安時代中期の貴族。越中守・橘則長の子。官位は正五位下・陸奥守。.

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橘則長

橘 則長(たちばな の のりなが、天元5年(982年) - 長元7年(1034年)4月『勅撰作者部類』)は、平安時代中期の歌人。父は陸奥守橘則光、母は清少納言。官位は正五位下、越中守。.

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橘糸重

橘 糸重(たちばな いとえ、1873年10月18日 - 1939年9月1日)は、音楽家。.

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橘義通

橘 義通(たちばな の よしみち、生年不詳 - 治暦3年2月17日(1067年4月3日))は平安時代中期から後期にかけての貴族、歌人。丹波守・橘為義の子。官位は正四位下・筑前守。.

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橘為仲

橘 為仲(たちばな の ためなか、長和3年(1014年)頃 - 応徳2年10月21日(1085年11月11日))は、平安時代後期の公家・歌人。筑前守・橘義通の子。官位は正四位下・太皇太后宮亮。.

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橘長盛

橘 長盛(たちばな の ながもり、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族・歌人。大膳大夫・橘春成の孫。尾張守・橘秋実の七男。官位は従五位下・長門守。.

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橘正通

橘 正通(たちばな の まさみち、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人、漢詩人。右大臣・橘氏公の玄孫『尊卑分脈』である大舎人頭・橘実利の子。官位は正四位下・宮内卿。 大学寮にて学び、源順に師事する。加賀掾・宮内少丞を歴任。具平親王の侍読を務め、門下に紀斉名らを育てた。 『本朝神仙伝』によると、晩年は高麗へと渡ったという。天禄3年(972年)の「女四宮歌合」などへの出詠が知られ、『詞花和歌集』『本朝文粋』『類聚句題抄』『善秀才宅詩合』などにその詩作が残っている。.

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橘清樹

橘 清樹(たちばな の きよき、生年不詳 - 昌泰2年(899年)3月)は、平安時代前期の貴族 ・歌人。弾正大弼・橘長谷麻呂の孫。遠江守・橘数雄の子。官位は従五位下・阿波守。.

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橘曙覧

橘 曙覧(たちばな あけみ、文化9年(1812年)5月 - 慶応4年8月28日(1868年10月13日))は、日本の歌人、国学者。身近な言葉で日常生活を詠んだ和歌で知られる。.

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橋健三

橋 健三(はし けんぞう、1861年2月11日(万延2年1月2日) - 1944年(昭和19年)12月5日)は、日本の漢学者。開成中学校校長(第5代)。夜間中学・開成予備学校(のちに昌平中学)の校長。 作家三島由紀夫の祖父。橋倭文重の父。.

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橋健行

橋 健行(はし けんこう、1884年(明治17年)2月6日 - 1936年(昭和11年)4月18日)は日本の精神科医。医学博士。正五位。 作家・三島由紀夫の伯父。橋倭文重の兄。.

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橋田東聲

橋田 東聲(はしだ とうせい、1886年12月20日 - 1930年12月20日)は、日本の歌人、経済学者。.

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橋本喜典

橋本 喜典(はしもと よしのり、1928年11月11日 - )は、歌人。東京生まれ。早稲田大学第一文学部国文学専修卒業後、早稲田中学校・高等学校教諭。大学在学中は早稲田大学短歌会に参加し、後輩の篠弘や来嶋靖生らとともに活動した。窪田章一郎に師事。篠弘と『まひる野』を創刊し、発行編集人を務める。1995年、歌集『無冠』で第22回日本歌人クラブ賞受賞。2004年、歌集 『一己』で第4回短歌四季大賞受賞。2009年、歌集『悲母像』で第24回詩歌文学館賞と短歌新聞社賞を受賞。2015年、「わが道」で第51回短歌研究賞受賞。2017年、歌集『行きて帰る』で第28回斎藤茂吉短歌文学賞、第51回迢空賞を受賞。2018年、旭日小綬章受章。.

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櫟原聰

櫟原 聰(いちはら さとし、1953年6月1日 - )は歌人、東大寺学園中学校・高等学校前教頭。奈良県大和郡山市出身。奈良市在住。「ヤママユ」「木霊」「京大短歌」所属。「ヤママユ」編集委員。前登志夫に師事。日本ペンクラブ・現代歌人協会・現代歌人集会理事。萬葉学会・上代文学会・萬葉語学文学研究会・古代談話会・歌謡研究会所属。.

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正宗敦夫

正宗 敦夫(まさむね あつお、明治14年(1881年)11月15日(戸籍上は11月30日) - 昭和33年(1958年)11月12日)は日本の国文学者、歌人。.

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正富汪洋

正富 汪洋(まさとみ おうよう、明治14年(1881年)2月20日 - 昭和42年(1967年)8月14日)は、岡山県邑久郡本庄村(現:瀬戸内市)生まれの日本の詩人、歌人。哲学館大学(現:東洋大学)教育部卒業。 尾上柴舟・若山牧水ら共に「車前草社」を結成している。 清水橘村との共著の『夏ひさし』、『小鼓』がある。 大正7年『新進詩人』を創刊している。 戦後、日夏耿之介・西條八十と共に日本詩人クラブを結成。 妻は与謝野鉄幹の元妻の林滝野。 Category:日本の詩人 Category:東洋大学出身の人物 Category:岡山県出身の人物 Category:明治時代の人物 Category:1881年生 Category:1967年没.

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正岡子規

松山市にある子規記念博物館 正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。.

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正広

正広(しょうこう、1412年 - 1493年?)は、室町時代中期の僧・歌人。号は招月庵。法号ははじめ正晄・正晃と称した。日比(ひごろ)の正広とも称された。没年については1494年ともされる。 初め飛鳥井家のもとで歌道を学んだが、その後東福寺の清巌正徹の有心歌風に傾倒してその門弟になり、1459年(長禄3年)正徹がなくなると、招月庵を継いだ。応仁の乱(1466年-1476年)では難を避けるため京都を離れたが、師正徹の歌集である「草根集」の編纂や歌会の指導を行ったりしている。家集『松下集』があり、他に『正広詠歌』や文明5年(1473年)に駿河国に下った際の紀行文である『正広日記』等もある。 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:1412年生 Category:1493年没.

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正徹

正徹(しょうてつ、永徳元年(1381年) - 長禄3年5月9日(1459年6月9日))は、室町時代中期の臨済宗の歌僧。道号(字)は清巌(岩)で、法諱は正徹、庵号は招(松)月庵。清巌正徹。俗名は正清。 石清水八幡宮に仕える祀官一族の出身で、父は小松(または小田)康清といわれ、備中国(現岡山県)小田郡の小田荘を知行していた。.

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正徹本源氏物語

正徹本源氏物語(しょうてつほんげんじものがたり)は、室町時代中期の歌人・僧侶である正徹が書写しその旨の奥書を書き加えた源氏物語の写本。またそれをもとに書写された源氏物語の写本。.

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正則学園高等学校

正則学園高等学校(せいそくがくえんこうとうがっこう)は、東京都千代田区神田錦町三丁目にある私立男子高等学校である。学校法人正則学園が、運営している。 東京都港区芝公園にある正則高等学校とは、一切関係がない。.

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正田篠枝

正田 篠枝(しょうだ しのえ、1910年12月22日 - 1965年6月15日)は、日本の歌人、平和運動家。本名は正田シノエ。広島県安芸郡江田島村字秋月(後の江田島市)出身。広島市への原子爆弾投下による被爆者の1人。被爆経験を詠んだ多数の短歌により「原爆歌人」として知られており、中でも原爆批判に対する厳しい統制下で出版された歌集『さんげ』が、原爆文献中でも随一の稀覯本として知られている。弟に経済学者の正田誠一、又従兄弟に作家の小久保均がいる。.

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正田誠一

正田 誠一(しょうだ せいいち、1915年〈大正4年〉5月10日 - 1974年〈昭和49年〉10月11日)は、日本の経済学者。広島県安芸郡江田島村(後の江田島市)出身。原爆歌人として知られる正田篠枝の実弟。 広島県立第一中学校(後の広島県立広島国泰寺高等学校)、旧制広島高等学校を経て、九州大学法文学部経済学科を卒業。広島高時代は同校始まって以来の秀才との評判を得ていた。その後、日本鉄鋼連合会調査部、宇品内燃機有限会社、不二越鋼材株式会社の勤務を経て、1946年(昭和21年)に九州大学の講師に就任し、後に助教授、さらに教授に昇任した。 教授職においては工業政策や社会政策講座を担当する傍ら、九州の石炭産業の分析・研究に関する論文を多く執筆した。戦後に発表した論文がアメリカ陸軍防諜部隊の忌諱に触れ、厳しい追及を受けたことが何度かある。その経緯から、姉の篠枝が広島原爆をテーマとした歌集の発行を志した際には、検閲による姉の処罰を危惧し、発行を思い留まるよう忠告したというエピソードを持つ。 1964年(昭和39年)、文部省在外研究員としてイギリスへ出張。翌1965年(昭和40年)に帰国後、九州大学経済学部長、同労働研究所長を歴任。1972年(昭和47年)、日本学術会議の会員となり、沖縄問題特別委員長を務めた。 没後、蔵書と論文が八幡大学(後の九州国際大学)に「正田文庫」として保管された。著書に『九州石炭産業史論』がある。.

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正親町公蔭

正親町 公蔭(おおぎまち きんかげ)は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。正二位権大納言。権大納言正親町実明の子として生まれるが、京極為兼の養子となり、京極家の後継者と目されていた。しかし、為兼の失脚により正親町家を継いだ。後期京極派の歌人として活躍。.

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正親町町子

正親町 町子/田中 町子(おおぎまち まちこ/たなか まちこ、延宝3年(1675年)? - 享保9年3月11日(1724年4月4日))は、江戸幕府の大老格・柳沢吉保の側室・歌人・文学者。初名は弁子。 出自については権大納言・正親町実豊と側室の田中氏との間の娘とする説があり、正親町公通の異母妹とされる。一方で正親町公通を実父とし、公通と水無瀬氏信の娘の間の子とする説もある。16歳で江戸に下り、将軍徳川綱吉の側近である柳沢保明(のち吉保)の側室となる。一大名の側室としては家格が高すぎるため、母方の姓である田中氏を名乗ったという。吉保との間に柳沢経隆・柳沢時睦の二男がいる。 町子の実父を正親町公通にする説に立つと、公通は霊元天皇の使者としてたびたび江戸へ赴いており、柳沢吉保は霊元天皇から和歌の添削を受け、六義園十二境を定められ参禅録の題を授けられるなど、霊元天皇は吉保に文芸面において影響を及ぼしている。また、この場合に町子の母となる水無瀬氏信の娘は新上西門院房子(鷹司房子)の侍女として「常磐井」を名乗り、房子の伯母にあたる浄光院殿信子(鷹司信子)が将軍綱吉の御台所として江戸へ下向すると、常磐井は「右衛門佐局」と改名して信子に従い江戸へ赴き、江戸条大奥総取締役を務めている。このため、正親町公通を町子の実父とする説に立つと、町子はこうした両親の縁を背景に吉保の側室となったとも考えられている。 なお、享保末年以降に成立した『柳営婦女伝系』では町子の出自について、右衛門佐局の養子となった浪人の田中半蔵(のちに桃井内蔵助と改名)が後妻の姪を養女にしたもので、実父も分からない妓女であると記述されている。 町子は公家的な教養をもつ文学者としても知られ、吉保一代の半生を平安朝の『源氏物語』に倣って記した日記文学『松蔭日記(松家気)』を記している。江戸時代から秘本として知られていた。江戸時代における宮廷文化の残滓として注目されている。「松家気(松かげ)」は松と松に絡みつき花を咲かせる藤を指し、天皇や将軍・吉保など一連の人物を松の木と藤に例え繁栄を願った意図があると考えられている。 『松蔭日記』の刊本には1979年刊行の古谷知新編『江戸時代女流文学全集』本や、2004年に刊行された上野洋三校注の岩波文庫本がある。 墓所は東京都新宿区河田町の月桂寺。.

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正親町院右京大夫

正親町院右京大夫(おおぎまちいんのうきょうのだいぶ、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人である。.

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正親町院左京大夫

正親町院左京大夫(おおぎまちいんのさきょうのだいぶ、生没年不詳)は、鎌倉時代の歌人である。.

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武川忠一

武川 忠一(むかわ ちゅういち、1919年(大正8年)10月10日 - 2012年(平成24年)4月1日)は、日本の歌人。.

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武田信宗

武田 信宗(たけだ のぶむね)は、鎌倉時代の武将。甲斐源氏武田氏の第9代当主。第8代当主・武田時綱の子。母は名越朝時の娘と伝わる。第10代当主・武田信武の父。.

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武田穂佳

武田 穂佳(たけだ ほのか、1997年12月5日 - )は、日本の歌人。「いつも明るい」で第59回短歌研究新人賞を受賞しデビュー。.

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武藤信堯

武藤 信堯(むとう のぶたか、?-天文19年(1550年))は、戦国時代の甲斐武田氏家臣・歌人。甲斐の国人・大井信達の三男。『武田源氏一統系図』によれば通称は五郎左衛門とされるが、三郎左衛門尉の誤記とする説もある。 武田晴信(信玄)の生母・大井夫人の兄弟で、兄に信業・信常がいる。後に武田家親族衆・武藤氏を継承した。和歌に優れ、天文15年(1546年)あるいは翌天文16年に甲斐国を訪れた三条西実澄と交流を持ち、その帰京の際には兄の大井信常とともに見送りをしている。実澄の『甲信紀行の歌』には主君・晴信らとともに信堯の和歌5首が採録されている。 『一統系図』によれば、信玄の下で信濃小県郡の村上氏との戦いに参加し、天文19年(1550年)の砥石崩れの際に戦死した。 信堯の子に竹千代丸がいる。永禄年間には「武藤三郎左衛門尉」の活動が見られ、『甲斐国志』ではこれを信堯に比定しているが、活動時期から竹千代丸に比定する説がある。三郎左衛門尉は叔父の武藤常昭から家督を譲られているがまもなく死去したと考えられており、武田家の他国衆・真田幸綱の子・昌幸が「武藤喜兵衛」を称して武藤氏を継承している。.

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武蔵中学校・高等学校の人物一覧

武蔵中学校・高等学校人物の一覧(むさしちゅうがっこう こうとうがっこうのじんぶついちらん)は、新制武蔵中学校・高等学校と前身の旧制武蔵高等学校に関係する人物の一覧である。.

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武蔵野大学の人物一覧

武蔵野大学の人物一覧(むさしのだいがくのじんぶついちらん)は武蔵野大学に関係する人物の一覧記事。.

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武蔵野美術大学の人物一覧

武蔵野美術大学の人物一覧は武蔵野美術大学に関係する人物の一覧記事。.

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武者小路実陰

武者小路 実陰(むしゃのこうじ さねかげ)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿・歌人。官位は従一位・准大臣。武者小路家2代当主。.

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歌合

歌合(うたあわせ)とは、歌人を左右二組にわけ、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊び及び文芸批評の会。.

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歌壇賞

歌壇賞(かだんしょう)は、日本の歌人のための、公募のコンクールによる短歌の新人賞。.

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歌人一覧

歌人一覧(かじんいちらん)は、著名な歌人の一覧。.

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歌枕

歌枕(うたまくら)とは、古くは和歌において使われた言葉や詠まれた題材、またはそれらを集めて記した書籍のことを意味したが、現在はもっぱらそれらの中の、和歌の題材とされた日本の名所旧跡のことをさしていう。.

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殷富門院大輔

殷富門院大輔 - 1989年(明治22年)刊 銅版百人一首 殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ、生没年不詳:大治5年(1130年)頃 - 正治2年(1200年)頃)は、平安時代末期に活躍した歌人である。女房三十六歌仙の一人。父は藤原北家勧修寺流従五位下藤原信成。母は従四位式部大輔菅原在良の娘。一説に道尊僧正の母ともされる。.

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毎月抄

『毎月抄』(まいげつしょう)は、1219年(承久元年)歌人藤原定家が著した歌論書。 形態は、ある人が毎月定家に和歌の添削を請い、それに対し定家が和歌の作法について10種類の有り様(有心体、幽玄な様、事の然るべき様、麗しい様、長高な様、見様、面白い様、一節ある様、濃い様、鬼拉体)を説きながら指導したもので、特に有心体を重要視したものである。 Category:鎌倉時代の文学 Category:鎌倉時代の書籍 Category:歌論 Category:藤原定家 Category:13世紀の書籍.

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水原紫苑

水原 紫苑(みずはら しおん、1959年2月10日- )は、日本の歌人。 神奈川県横浜市生まれ。父は陸軍士官学校卒の軍人で戦時中は皇居にいた。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒業、同大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。1986年「中部短歌会」に入会し、以後春日井建に師事。1987年に『しろがね』で第30回短歌研究新人賞候補。1989年に第1歌集『びあんか』を刊行し翌年現代歌人協会賞受賞。第3歌集『客人(まらうど)』で第1回駿河梅花文学賞受賞。第4歌集『くわんおん(観音)』で第10回河野愛子賞受賞。第7歌集『あかるたへ』で第5回山本健吉文学賞・第10回若山牧水賞を受賞。2017年、「極光」30首で第53回短歌研究賞受賞。 世代的には穂村弘、加藤治郎ら「ニューウェーブ」と重なるが、水原の作風は端正な古典文法を駆使した伝統的和歌の衣鉢を受け継ぐものであり、紀野恵らとともに「新古典派」と称された。 テレビにも出演し、1999-2000年には『太陽』で、文化人女性へのインタビュー「美女論」を連載した。歌舞伎好きとしても知られる。また小説を『すばる』にいくつか発表したことがある。.

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水上勉

水上 勉(みずかみ つとむ、1919年(大正8年)3月8日 - 2004年(平成16年)9月8日)は、日本の小説家。福井県大飯郡本郷村(現:おおい町)生まれ。一時「みなかみ」と読まれ、またそれをペンネームとしていたが、のちに本人の意向で本名の「みずかみ」に統一した。社会派推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。.

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水俣市

水俣市(みなまたし)は、熊本県の最南部に位置する市である。西は不知火海に面して天草の島々を望み、もともと海の幸、山の幸に恵まれた風光明媚な土地である。重く長い公害の歴史を経て、2017年現在では環境都市づくりを推進している。.

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水葬物語

『水葬物語』(すいそうものがたり、メトード社、1951年8月7日)は、日本の歌人、塚本邦雄の最初の個人歌集。本文116頁、歌数245首。全24冊の序数歌集のうちの第1歌集である。.

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水沢市

水沢市(みずさわし)は、岩手県の内陸南部にかつて存在した市。 商人の街、偉人の街、天文台の街、鋳物の街、みちのくの小京都として知られる。 周辺自治体と合併し、現在は奥州市の中心部に位置する。.

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永井陽子

永井 陽子(ながい ようこ、1951年4月11日 - 2000年1月26日)は日本の歌人。歌集に『樟の木のうた』、『ふしぎな楽器』、『モーツァルトの電話帳』、『小さなヴァイオリンが欲しくて』など。音楽に関連した言葉と「柔らかな音色」の作品が特徴的。 愛知県瀬戸市城屋敷町に生まれ、1967年に愛知県立瀬戸高等学校入学。その頃より古典に強く心を惹かれ、作歌を開始。当時の学習雑誌の詩や歌の欄へ投稿。1969年には短歌結社「短歌人」へ入会して現代短歌を作り続ける。1970年に愛知県立女子短期大学(愛知県立大学)国文科入学。学内文芸同好会誌「轍」に参加。1971年、『太陽の朝餉』で角川短歌賞候補。1972年1月、短歌人新人賞受賞。同年3月短大卒業後、1974年4月より愛知県立芸術大学音楽学部勤務。1975年10月東洋大学国文学科に編入学し司書資格取得。 1978年に『なよたけ拾遺』(短歌人会刊)で第4回現代歌人集会賞受賞。1980年9月に大学卒業後、11月に短歌人賞受賞。翌年4月より愛知県立図書館勤務。短歌人編集委員、現代歌人協会会員となった。 1989年4月から2年間愛知県立女子短期大学非常勤講師。1994年4月から愛知芸術文化センター勤務。翌年3月退職。同年4月より愛知文教女子短期大学助教授。7月に『てまり唄』(砂子屋書房)を刊行し、翌年第6回河野愛子賞受賞。1999年2月から40日間肝炎により入院し、10月から休職。2000年1月26日に死去。享年48。自殺と記してある文献もある。.

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永田和宏

永田 和宏(ながた かずひろ、1947年5月12日 -)は、日本の歌人、細胞生物学者、京都産業大学教授、京都大学名誉教授。短歌結社「塔」前主宰。夫人は歌人の河野裕子。長男永田淳、長女永田紅も歌人。滋賀県出身。.

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永田紅

永田 紅(ながた こう、1975年5月31日 - )は、日本の生化学研究者、歌人。京都大学助教。滋賀県出身。.

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永田淳

永田 淳(ながた じゅん、1973年8月20日 - )は、歌人、出版社「青磁社」代表。短歌結社「塔」編集委員。父永田和宏、母河野裕子、妹永田紅、妻植田裕子も歌人。滋賀県出身。 1988年、父の主宰する短歌結社「塔」に入会。同志社大学文学部英文学科卒業後、釣り雑誌の記者を経て出版社を立ち上げる。2009年、第一歌集『1/125秒』で第35回現代歌人集会賞を受賞。史上初となる親子二代での受賞となった。.

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永畑道子

永畑 道子(ながはた みちこ、1930年(昭和5年)9月27日 - 2012年(平成24年)6月24日)は、日本の女性史家、ノンフィクション作家。.

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気仙沼市

震災前の気仙沼市中心部周辺の空中写真。1977年撮影の14枚を合成作成。国土航空写真。 気仙沼市(けせんぬまし)は、宮城県北東端の太平洋沿岸に位置する市である。.

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民部卿典侍

民部卿典侍(みんぶきょうのすけ)は、内裏に内侍として出仕した女性の女房名の一つで、主に鎌倉時代から江戸時代にかけて、歴史上の実在人物に用例が見られる。近い年代で複数の該当人物がいる場合には、主として仕えた天皇の院号を付記して区別する場合がある。.

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江南市

江南市(こうなんし)は、愛知県北部にある市である。.

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江口きち

江口 きち(えぐち きち、1913年11月23日 - 1938年12月2日)は、大正から昭和時代前期にかけての日本の歌人。河井酔茗と島本久恵に師事。貧困のなかで多くの歌を詠んだ。「薄幸の天才歌人」「女啄木」と呼ばれた。群馬県利根郡川場村出身。.

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江口章子

江口 章子(えぐち あやこ、1888年(明治21年)4月1日 - 1946年(昭和21年)12月29日)は、歌人、詩人。北原白秋の2番目の妻。.

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江田浩司

江田 浩司(えだ こうじ、1959年7月2日 - )は、日本の歌人、批評家。妻は英文学者で歌人の大田美和。.

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江戸雪

江戸 雪(えど ゆき、1966年12月12日 - )は日本の歌人。本名同じ。「塔」短歌会所属(「選者」2015年より)。大阪府大阪市在住。現代歌人協会会員。.

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池田はるみ

池田 はるみ(いけだ はるみ、1948年3月5日 - )は、歌人。和歌山県生まれ、大阪府豊中市出身。NHK学園短歌講座専任講師、現代歌人協会会員、「未来」選者・編集委員。 京都女子大学短期大学部国語専攻卒業。1985年、作品「白日光」で短歌研究新人賞を受賞。1987年に未来短歌会に入会し、岡井隆に師事。1991年に歌集『奇譚集』を刊行。1997年、歌集『妣が国(ははがくに) 大阪』を刊行。翌1998年、同歌集でながらみ現代短歌賞・現代歌人集会賞を受賞。2001年、歌集『ガーゼ』を刊行。翌2002年、同歌集で河野愛子賞を受賞。2002年・翌2003年、NHK全国短歌大会ジュニアの部選者。大の好角家であり、相撲をテーマにしたエッセイも執筆している。.

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河合恒治

河合 恒治(かわい つねはる、1911年1月31日 - 2005年)は、日本の歌人。徳島県出身。1994年に徳島ペンクラブ5代目会長に就任。2000年に第26回徳島県文化賞受賞。.

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河内国司

河内国司(かわちこくし)は河内国の国司で、大国であるため、養老律令の職員令にて守・介・大掾・少掾・大目・少目の各1名が定員とされたが、それぞれの権官が置かれることもあった。官位相当は守(従五位上)、介(正六位下)、大掾(正七位下)、少掾(従七位上)、大目(従八位上)、少目(従八位下)。このほか、官位相当外の下級官人として史生3名が定められた。 河内国は藤原京、平城京、長岡京、平安京などの各時代の都の隣国という位置にあり、都と海を繋ぐ要衝の地であったために重要視され、都に近いことから権力の中枢にある権力者の与党が任命されたり兼務することが多かった。.

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河内王

河内王(かわちのおおきみ/― おう)は、日本古代の皇族(諸王)であるが、飛鳥時代から平安時代にかけて同名異人が散見する。川内王とも。.

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河内方

河内方(かわちがた)とは、鎌倉時代に歌壇や源氏学(源氏物語研究)の世界で大きな影響力を持った一派・一族である。.

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河出書房新社

株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本の出版社である。本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にある。 3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1-3(短歌研究社、2004-06)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。.

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河路由佳

河路 由佳(かわじ ゆか、1959年8月 - )は、日本の日本語教育学者、歌人。専門は日本語教育学、日本語教育史。学校法人江副学園言語教育研究所主席研究員。博士(学術)(一橋大学)。現代歌人協会、日本文藝家協会会員。.

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河野裕子

河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年7月24日 - 2010年8月12日 訃報:河野裕子さん 64歳=歌人 - 毎日jp(毎日新聞))は、日本の歌人。「塔」選者。夫は歌人の永田和宏。長男永田淳、長女永田紅も歌人。.

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河野愛子

河野 愛子(こうの あいこ、1922年10月8日 - 1989年8月9日)は、歌人。栃木県宇都宮市出身。 広島女学院高等女学校卒。1947年、「アララギ」に入会。1951年、『未来』創刊に参加。以後その中心女流歌人として、鋭いメタフィジカルな作風で活躍。門下に中川佐和子、干場しおりなど。 1982年、『リリヤンの笠飾』で第18回短歌研究賞受賞。1983年、『黒羅』で第8回現代短歌女流賞受賞。.

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沼波万里子

沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - )は、日本の女性の歌人である。父は国文学者の沼波瓊音(本名: 沼波 武夫)。母は神戸女子薬学専門学校(現神戸薬科大学)元理事の沼波たき。また、名付け親は、安井哲(元東京女子大学学長)。.

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沼波瓊音

沼波 瓊音(ぬなみ けいおん、1877年10月1日 - 1927年7月19日)は、明治・大正期の国文学者・俳人・右翼。本名は武夫(たけお)。名古屋市出身。.

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沖ななも

沖 ななも(おき ななも、1945年9月24日 - )は歌人。歌誌「熾」代表。本名は中村眞理子。.

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沖の島 (高知県)

沖の島(おきのしま)は、日本の四国・高知県の南西部、宿毛湾および大月半島の南西沖、北緯32度43分・東経132度32分の太平洋上に所在する島である。面積10.5km2。海岸線長約17km、東西約3.5km、南北約5.8km。最高所(妹背山頂)標高は 404.1m。 孤立小型離島で外海離島、有人島で有人離島2007年時点で全国合わせて461、基準見直し後の2013年時点で254を数える有人離島の一つ。、離島振興法指定離島指定年月日は不明。高知県では沖の島と鵜来島の2島が指定を受けている(2017年時点)。で一次離島一次離島とは、本土(※この定義下での「本土」は、北海道・本州・四国・九州・沖縄本島という5区域それぞれの本島。そのいずれか)と直の交通手段を有する離島を指す公文書用語。法的に定義されていない語ではあるが、実用されている。。 東に蒲葵島と幸島日外アソシエーツ編『島嶼名 漢字よみかた辞典』蒲葵島(びろうじま)は、大月半島先端と沖の島の間に位置する太平洋上の無人島。幸島(こうしま)は、蒲葵島と大月半島の間に位置する太平洋上の無人島。現在行政上は、両島とも高知県幡多郡大月町に所属する。、北に裸島沖の島に最寄りの裸島(はだかじま)は、沖の島の北に位置する無人島。現在行政上は高知県宿毛市沖の島町に所属する。なお、同名の島は少なくとも日本国内に(沖の島最寄りの島を含めて)17箇所もある。と二並島沖の島に最寄りの二並島(ふたならびじま)は、裸島の北に位置する無人島。現在行政上は高知県宿毛市沖の島町に所属する。同名の島が豊後水道上にもあり、こちらは2島からなる無人島で、現在行政上は愛媛県宇和島市に所属する。、北西に鵜来島鵜来島(うぐるしま)は、沖の島の北西に位置する太平洋上の有人島。現在行政上は高知県宿毛市沖の島町に所属し、行政区画名は高知県宿毛市沖の島町鵜来島である。、西に三ノ瀬島三ノ瀬島(さんのせじま)は、沖の島と姫島のちょうど中間地点にある無人島。現在行政上は高知県宿毛市沖の島町に所属する。・姫島沖の島に最寄りの姫島(ひめしま)は、三ノ瀬島の西に位置する無人島。現在行政上は高知県宿毛市沖の島町に所属する。四万十層群のうちの白亜紀四万十帯に属する砂岩泥岩互層(タービダイト)からなり、周囲は50~100mの海食崖に囲まれている。・水島沖の島に最寄りの水島(みずしま)は、姫島の北に位置する無人島。現在行政上は高知県宿毛市沖の島町に所属する。があり、これらの島々の中で沖の島が最も大きい。 地理的に最も近い四国本土の地域は大月半島(高知県幡多郡大月町)であるが、現在行政上では、大月町の北に位置する宿毛市に属し、裸島・二並島・沖の島・鵜来島・三ノ瀬島・姫島・水島の7島などで沖の島町(おきのしまちょう。宿毛市の成立以前に存在した'''沖ノ島村'''と地域的変更なし)を構成する(有人島は鵜来島と沖の島のみ)。沖の島内の行政区画は北の「沖の島町母島(もしま)」と南の「沖の島町弘瀬(ひろせ)」に分かれるこれは「沖の島内」という限定条件下での説明。行政区域としての両者と鵜来島には最寄りの無人島が割り振られている。「沖の島町弘瀬」には姫島の南部が、「沖の島町鵜来島」には姫島の北部が、「沖の島町母島」にはその他すべての無人島が属している(※それぞれの区域名をGoogle地図検索にかければ、一部不完全ながら、区域が赤線で表示される)。。 足摺宇和海国立公園指定地域の一つ。島内集落は「島の宝100景」選定地域の一つ。 古称は「いもせのしま(妹兄島、妹背島)」であった可能性が高い(:いもせじま)。日外アソシエーツ編『島嶼名 漢字よみかた辞典』は、別名として、沖ノ島(おきのしま)、土佐沖の島(とさおきのしま)、妹背島(いもせじま)を挙げている。.

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沖積舎

株式会社沖積舎(ちゅうせきしゃ)は文芸書・美術書を中心とした日本の出版社。.

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泰阜村

泰阜村(やすおかむら)は、長野県下伊那郡の南部に位置する村である。.

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泰成親王

泰成親王(やすなりしんのう)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝の皇族。後村上天皇第四皇子にして、長慶天皇・後亀山天皇の弟と推定される。母は嘉喜門院か。官職は大宰帥。通説では後亀山天皇の東宮に比定されるが、これには近年異論も出されている。.

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法師温泉

法師温泉(ほうしおんせん)は、群馬県利根郡みなかみ町永井(旧国上野国)にある一軒宿の温泉。1999年4月20日、湯宿温泉・川古温泉と共に国民保養温泉地に指定されている。.

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法政大学の人物一覧

法政大学の人物一覧(ほうせいだいがくのじんぶついちらん)は、法政大学(東京法学校・東京仏学校・和仏法律学校)に関係する人物の一覧記事である。.

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法曹至要抄

法曹至要抄(ほうそうしようしょう)は、日本の平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、法曹官僚の坂上氏により記された法律書である。原型を坂上明兼(中原明兼)が造り、その孫である明基が完成させたといわれる。全3巻。.

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洞院公泰

洞院 公泰(とういん きんやす)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿・歌人。左大臣洞院実泰の三男だが、後宇多法皇の養子となる。公賢・公敏の庶弟、守子(後醍醐天皇妃)の同母弟。冷泉(れいぜい)と号した。.

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津守小黒栖

津守 小黒栖(つもり の おぐるす、生没年不詳)は、奈良時代の防人・歌人。下野国の人。姓は宿禰。下野目・津守首古の子とする系図がある。 天平勝宝7歳(755年)2月、防人として筑紫に派遣される。『万葉集』に1首入集。.

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津守国基

津守国基(つもり の くにもと、治安3年(1023年)- 康和4年7月17日(1102年7月28日))は、平安時代後期の歌人。津守基辰または津守信国「住吉系図」(太田亮『姓氏家系大辞典』所収)、『津守氏系図』(東京大学史料編纂所蔵)による。または津守忠康『勅撰作者部類』の子。位階は従五位下。住吉神社神主。藤井(戸)神主と号す。 1060年(康平3年)住吉神社の第39代神主となり、神社経営に成果を挙げた。1069年(延久元年)従五位下に叙せられている。 1084年(応徳元年)白河天皇の勅願により荘厳浄土寺を再興。 広く京の歌人たちと交流し、歌合にも盛んに参加していた。『万葉集』を重んじるなど当時としては新しい試みを行っている。『後拾遺和歌集』の撰者通俊に小鯵を送って入集を願ったので後拾遺集は小鯵集の異名で呼ばれたという逸話が残されている。『後拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に和歌20首が入集している。また、家集に『津守国基集』(『国基集』)がある。箏にも優れていただけでなく、競馬の騎者、神楽の人長・舞の師として各方面から重宝がられた。.

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津守国冬

津守 国冬(つもり の くにふゆ)は鎌倉時代中期から後期にかけての神官・歌人。住吉神社神主・津守国助の子。国冬も住吉神社神主となった。.

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津田青楓

津田 青楓(つだ せいふう、1880年9月13日 - 1978年8月31日)は京都府出身の画家、書家、随筆家、歌人。良寛研究家としても知られる。本名、津田亀治郎。旧姓、西川。津田は母方の姓。最初の妻の山脇敏子も洋画家である。.

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津軽英麿

津軽 英麿(つがる ふさまろ、1872年4月2日〈明治5年2月25日〉- 1919年〈大正8年〉4月5日)は、日本の伯爵、貴族院議員。旧姓は近衛。.

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洲本市

洲本市中心部周辺の空中写真。1974年撮影の3枚を合成作成。国土航空写真。 洲本市(すもとし)は、淡路島の中部西から南東に貫き、淡路市、南あわじ市および紀淡海峡を隔てて和歌山県和歌山市と接する市である。.

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洛星中学校・高等学校

洛星中学校・高等学校(らくせいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、京都市北区に所在し、中高一貫教育を行う私立の男子中学校・高等学校。カトリック系ミッションスクール。高等学校では生徒を募集しない完全中高一貫校。.

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深作光貞

深作 光貞(ふかさく みつさだ、1925年9月27日 - 1991年10月24日)は、日本の文化人類学者、評論家、歌人。 京都大学文学部仏文科卒、東京大学大学院で石田英一郎に文化人類学を学ぶ。パリ留学、東南アジアでのフィールドワークの後、ワシントン州立大学客員教授、京都精華短期大学教授、学長、京都精華大学教授、奈良女子大学教授などを歴任した。カンボジアの地域研究を専門とした。 歌人でもあり、初期には短歌評論も書いた。プロレタリア短歌の雑誌「人民短歌」などに作品を発表。中井英夫と組んで伝説的な歌誌「ジュルナール律」の編集兼発行人となり、村木道彦を世に出すなどの功績を残した。自ら資金を提供して寺山修司、塚本邦雄、菱川善夫などに執筆の場を与え、前衛短歌のフィクサーとして活動した。また、岡井隆を京都精華大学教授に招いた。.

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渡忠秋

渡 忠秋(わたり ただあき、1811年3月4日(文化8年2月10日) - 1881年(明治14年)6月5日)は、幕末から明治初期の歌人。御歌所御用掛。.

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渡辺徹 (心理学者)

渡辺 徹(わたなべ とおる、1883年9月7日 - 1957年1月12日)は日本の心理学者で、日本におけるパーソナリティ心理学(人格心理学)の開拓者。1912年にドイツの心理学者ヴィルヘルム・シュテルンの人格学を日本に紹介した。また、没年に至るまで、「個性心理学」という名で独創的な講義をした。心理検査にも早くから関心を示し、この方面での先駆的な業績といわれる「国民知能検査」を開発した。 心理学史の研究では、江戸時代の心学者・鎌田鵬(鎌田柳泓)を「本邦最初の経験的心理学者」として発見した。 心理学の応用に熱心で、日本応用心理学会の設立に際して中心的役割を果たした。 1924年に私学では最初(東京帝国大学・京都帝国大学・東北帝国大学に次いで日本では4番目)の心理学専攻課程を日本大学に創設した(現在の日本大学文理学部心理学科)。蔵書は「渡辺文庫」として日本大学文理学部心理学研究室に保存されている。 1937年 松本亦太郎、楢崎浅太郎らと「重度戦傷者職業指導研究会」を結成。 個人的には、国学者としても一家言を持ち、歌人でもあった。.

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渡辺綱光

渡辺 綱光(わたなべ つなみつ)は、江戸時代中期から後期にかけての武士・歌人。尾張藩士。渡辺半蔵家9代当主。.

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渡辺直己

渡辺 直己(わたなべ なおき、1908年(明治41年)6月4日 - 1939年(昭和14年)8月21日)は、広島県呉市出身の歌人。 広島高等師範学校(現:広島大学)卒業。 広島県呉市立高等女学校(現:広島県立呉三津田高等学校)の教師でもあった。 1935年(昭和10年)、歌人の伊藤左千夫を中心にして1908年(明治41年)に作られた短歌誌『アララギ』に入会し、歌人、国文学者の土屋文明に師事した。 奉職中に1937年(昭和12年)、日中戦争のため応召され、中国に第五師団歩兵第十一連隊陸軍少尉として送られる。 河北省天津市、山東省済南市、湖北省漢口(現:武漢市)に転戦したが、発熱のため入院し、その後は再び天津市に警備にあたった。 1939年(昭和14年)8月21日、中国河北省天津市にて洪水により戦死した。 翌年の1940年(昭和15年)に『渡辺直己歌集』が刊行された。 直己は戦う知識人として思想的苦悩、写実的な戦争に関する短歌を詠み、後々まで広い影響を与えた。 2012年現在、広島城外に、記念碑がある。.

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渡辺順三

渡辺 順三(わたなべ じゅんぞう、1894年9月10日-1972年2月26日)は、日本の歌人である。.

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渡辺松男

渡辺 松男(わたなべ まつお、1955年5月13日 - )は、歌人。.

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港文館

港文館(こうぶんかん)は、北海道釧路市にある港湾休憩所および歌人石川啄木の資料を展示する文学館である。.

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清原元輔

清原 元輔(きよはら の もとすけ、延喜8年(908年)- 永祚2年(990年)6月)は、平安時代中期の歌人・貴族。内蔵允・清原深養父の孫で元輔の父を深養父とする説もある。、下総守・清原春光の子父の名を「顕忠」とする系図もあるが、藤原元輔の父・藤原顕忠と混同した誤りと考えられている。。娘に清少納言がいる。三十六歌仙の一人。.

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清原深養父

清原深養父(百人一首より) 清原 深養父(きよはら の ふかやぶ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人・貴族。豊前介・清原房則の子。官位は従五位下・内蔵大允。中古三十六歌仙の一人。.

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清原春光

清原 春光(きよはら の はるみつ、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。内蔵允・清原深養父の子。官位は従五位下・下総守。.

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清少納言

清少納言(せいしょうなごん-->、康保3年頃〈966年頃〉 - 万寿2年頃〈1025年頃〉)は、平安時代中期の女流作家、歌人。随筆『枕草子』は平安文学の代表作の一つ。.

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清少納言集

『清少納言集』(せいしょうなごんしゅう)は、平安時代の女流作家・歌人である清少納言の家集。 自撰ではなく、後人の撰で平安時代後期から鎌倉時代中期頃に成立したと見られる。流布本(31首、内1首は連歌)と異本(42首)の2系統が有り、いずれも宮内庁書陵部蔵となっている。.

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清胤

清胤.

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清胤 (天台宗)

清胤(しょういん(「清因(せいいん)」とも)、天慶6年(943年)- 長徳元年5月8日(995年6月8日))は、平安時代の天台宗の僧侶・歌人。父は参議大江朝綱。 比叡山延暦寺で修行をした後に摂津国に居を構える。永祚元年(989年)に権律師、翌年には少僧都に昇った。詞花集に2首、金葉和歌集の三奏本の追加分に1首和歌を残している。.

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清水崑

清水 崑(しみず こん、本名:清水 幸雄、1912年9月22日 - 1974年3月27日)は昭和の漫画家。長崎県長崎市出身。妻は歌人の清水恒子、その姉は俳人の石橋秀野(山本健吉夫人)。.

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清水一憲

清水 一憲(しみず かずのり、1977年7月26日 - )は、群馬県藤岡市出身の文人、歌人、NPO研究者(活動家)、会社役員、政策プランナー、まちづくりコンサルタント、イベントプロデューサーである。多数のNPO法人役員を兼職しており、中央省庁や地方自治体の公職にも委嘱されている。 これまでに縁結び七夕神社、LOVEフェスタ、エコステーション、群馬モーターショー、エクストリームバイクサーカス、BMXショーなどの個性的なイベントを世に送り出し、それぞれ数千から数万の集客を達成。これらが続々と各種メディアに取り上げられた波及効果により、その観光振興策に基づく交流人口増大の経済効果は累計で200億円以上とも試算されている。.

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清水区

清水区(しみずく)は、静岡市に3つある行政区のひとつ。2005年4月1日の政令指定都市移行と同時に発足。当初は旧清水市のほぼ全域を区域とし、その後2006年3月31日には旧蒲原町域が、2008年11月1日には旧由比町域が区の一部となった。.

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清水谷実業

清水谷 実業(しみずだに さねなり)は、江戸時代前期から中期にかけての西園寺家一門の公家・歌人。.

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清水比庵

清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。晩年は「今良寛」と呼ばれた。.

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清水房雄

清水 房雄(しみず ふさお、1915年8月7日 - 2017年3月3日)は、歌人。.

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清水浜臣

清水 浜臣(しみず はまおみ、安永5年(1776年) - 文政7年閏8月17日(1824年10月9日))は、江戸時代後期の医師、歌人、国学者。通称は玄長。号は泊洦舎、月齋など。姓は藤原。子に清水光房。.

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湧玉池

湧玉池(わくたまいけ)は静岡県富士宮市にある湧泉である。国の特別天然記念物に指定されている(1952年(昭和27年)指定)。富士山本宮浅間大社の境内に位置する。平成の名水百選の1つでもある。.

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湯原王

湯原王(ゆはらおう/ゆはらのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代の皇族・歌人。天智天皇の孫で、二品・志貴皇子の子。無官位か。.

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湯田町

湯田町(ゆだまち)は、岩手県の中西部に位置し、湯田温泉峡で知られていた町である。2005年(平成17年)11月1日に沢内村と合併し、西和賀町となった。.

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湯沢市

湯沢市(ゆざわし)は、秋田県南部に位置する市。 古くから秋田(羽後国)の南の玄関口として発展してきた。小野小町生誕の地と自称しており、あきたこまちや秋田新幹線こまちの由来になっている。.

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湯浅真沙子

湯浅 眞沙子(ゆあさ まさこ、生没年不詳)は日本の歌人。「湯浅真砂子」とも表記。正体は今日に至るまで一切わからず、著書は川路柳虹が編んだ歌集『秘帳』一巻のみである。自らの性体験を赤裸々に短歌に託したものである。.

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湖月抄

『湖月抄』(こげつしょう)は、北村季吟が著した『源氏物語』の注釈書である。延宝元年(1673年)成立。『源氏物語湖月抄』(げんじものがたりこげつしょう)と呼ぶこともある。.

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源季広

源 季広(みなもと の すえひろ、?-正治元年(1199年)?)は平安時代後期の貴族・歌人。源季兼の子、源長俊の父。正五位下下野守。初名は清季。 父は藤原忠通の、子は九条兼実の近臣として知られ、子孫は九条家の諸大夫・信濃小路家として続くが、季広自身の官位は振わず、歌人としての活動が知られる。久安5年(1149年)に六位蔵人(『本朝世紀』)、仁平元年(1151年)に左衛門尉に任ぜられて(『台記』)、同年9月4日に叙爵される(『本朝世紀』)。久寿年間に季広と改名。保元元年(1156年)に松殿基房が元服するとその職事となり、侍所を管轄した。後に基房の子・家房の乳父となっている。保元2年(1157年)に飛騨守となる。基房失脚後の養和元年(1181年)に九条兼実の家司に召されて、文治元年(1185年)に下野守に任じられて一時任国に下向しており、その際に藤原頼輔と和歌のやりとりをしている(『続千載和歌集』)。だが、この時期にはもっぱら、嫡男の長俊の活動が目立つようになる。『明月記』正治元年9月8日条に「人云、季弘死去了、未聞其仔細」と記されている“季弘”が藤原定家と同じ兼実の家司であった季広のことであった可能性がある。 『千載和歌集』をはじめとする勅撰和歌集に12首採録され、『続詞花和歌集』・『月詣集』・『今撰集』・『楢葉和歌集』などの私撰集にも多くの和歌が採録され、当時の歌合でも度々参加が記録されている。.

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源季遠

源 季遠(みなもと の すえとお、生没年不詳)は平安時代後期の武士・歌人。実父は源義忠の三男源忠宗。後に源重時の養子に入った。子に光季(光遠とも、豊後守)、飯富季貞がいる。 平忠盛や清盛の郎党として近侍し右兵衛尉、安芸守、信濃守を歴任した。久寿2年(1155年)、後白河天皇の時代には北面武士、二条天皇が立太子されると帯刀舎人となった。 著名な歌人ではないが、勅撰和歌集(詞花和歌集)に入選している(子の季貞は千載和歌集に入選している)。.

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源定房

源 定房(みなもと の さだふさ)は、平安時代後期の公卿・歌人・能書家。権中納言・源雅兼の子。官位は権大納言・従二位。堀川大納言と号す。.

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源実

源 実(みなもと の さね、生年不詳 - 昌泰3年(900年))は、平安時代前期の貴族・歌人。嵯峨源氏、参議・源舒の次男。 官位は従五位上・信濃守。.

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源実基

源 実基(みなもと の さねもと、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族、歌人。醍醐源氏、権中納言・源経房の長男。官位は正四位下・左近衛中将。.

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源実朝

源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。 鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男頼朝の子としては第6子で四男、北条政子の子としては第4子で次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。官位の昇進も早く武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。 歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。.

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源家長

源 家長(みなもと の いえなが、嘉応2年(1170年)? - 文暦元年(1234年))は、鎌倉前期の貴族・歌人。醍醐源氏高明流、大膳亮・源時長の子。官位は従四位上・但馬守。新三十六歌仙の一人。.

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源宗城

源 宗城(みなもと の むねざね、生年不明 - 承平3年5月12日(933年6月7日))は平安時代中期の貴族・歌人。二品兵部卿・敦固親王の次男。官位は従四位下・侍従。名は宗成または巨城とも表記される。 延長6年(928年)従四位下に初叙。当時は宗城王と名乗っていた。その後、臣籍降下。侍従に任ぜられた。しかし、承平3年(933年)5月、民部史生諸藤(姓は不明)に母とともに殺害された。殺害に至る経緯は不明である。 歌人として活躍。平中興の娘と交わした歌など、『後撰和歌集』以下の勅撰和歌集に2首が入集している。.

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源宗于

源 宗于(みなもと の むねゆき、生年不詳 - 天慶2年11月23日(940年1月5日)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。光孝天皇の孫。式部卿・是忠親王の子。官位は正四位下・右京大夫。三十六歌仙の一人。 源宗于朝臣(百人一首より).

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源師仲

源 師仲(みなもと の もろなか、永久4年(1116年) - 承安2年5月16日(1172年6月9日))は、平安時代後期の公卿、歌人。村上源氏の権中納言源師時(左大臣源俊房の子、『長秋記』作者)の三男。母は待賢門院の女房であった源師忠の女。従二位権中納言に列し、称号を「伏見源中納言」といった。室は石清水別当光清の女紀家子、子には源雅仲がいる。 後白河上皇の院政に参画、その一翼を担う有力な廷臣となるが、信西と対立したことからその政敵である藤原信頼に接近する。信西打倒のための武力蜂起計画が進行する過程で、伏見の自領を信頼の武芸の訓練のために提供するなど、深く謀議に関与している。 平治元年(1159年)、かねてからの計画通り信頼や源義朝らとともに挙兵(平治の乱)。上皇と上西門院を内裏に幽閉するに当たり、その護送用の車を用意するという任務を果たしている。 当初、戦局は信頼方に有利に展開するが、藤原惟方・藤原経宗らが敵方に寝返り二条天皇を内裏から脱出させたことから状況は一変、上皇も脱出し、信頼らは一転して賊軍としての立場に追い込まれる。こうした情勢を見て師仲は、味方陣中にあった三種の神器の一つである八咫鏡などを自らの手中に納め、早くも降伏を想定した保身行動に入っていたとされる。 やがて信頼・義朝らの敗戦を見届けた後、神鏡を姉小路東洞院にあった自邸に保管し、自らは六波羅に出頭する。しかし八咫鏡を守った功による減刑は認められず、永暦元年(1160年)3月31日に下野国に配流となった。この際、配所に赴く途上で詠んだ歌が、後に勅撰集『千載和歌集』に収録されている。 仁安元年(1166年)に赦され、3月29日に帰洛。戦前の地位である正三位に復位し、翌年従二位に進んでいる。しかし散位に留められて官職に就くことはなかった。承安2年(1172年)5月16日に57歳で没した。 Category:平安時代後期の貴族 もろなか Category:1116年生 Category:1172年没.

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源師俊

源 師俊(みなもと の もろとし、承暦4年(1080年) - 永治元年12月7日(1142年1月5日))は、平安時代後期の公卿・歌人。村上源氏、左大臣・源俊房の子。大納言・源師忠の養子。官位は従三位・権中納言。.

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源師光

源師光(みなもと の もろみつ).

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源師頼

源 師頼(みなもと の もろより、治暦4年(1068年) - 保延5年12月4日(1139年12月26日))は、平安時代後期の公卿・歌人。村上源氏、左大臣・源俊房の嫡男。修理大夫・橘俊綱の養子。官位は正二位・大納言。小野宮大納言と号す。.

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源師賢

源 師賢(みなもと の もろかた)は平安時代中期から後期にかけての貴族・歌人。.

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源師房

源 師房(みなもと の もろふさ)は、平安時代中期の公卿・歌人。村上源氏中院流の祖。村上天皇の皇子具平親王の子。従一位・右大臣。土御門右大臣と号した。幼名は万寿宮。.

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源師時

源 師時(みなもと の もろとき、承暦元年(1077年) - 保延2年4月6日(1136年5月8日))は、平安時代後期の公卿・歌人。村上源氏、左大臣・源俊房の次男。白河上皇・鳥羽上皇に信任され、正三位・権中納言に至るが、父祖の官位に達することはなかった。日記『長秋記』は院政期初期の重要史料の一つとして重んじられている。 詩歌に優れ、和歌では『金葉和歌集』(5首)以下の勅撰和歌集に20首が入集、また兄の源師頼とともに『堀河百首』の詠み手の一人である。漢詩においても師である大江匡房から「この君は、詩の心得て、よく作り給ふ」と賞賛されている。父俊房を継いで有職故実に通じ、源有仁等にも教導した。また、作庭をよくし、鳥羽殿の庭園の造営を手がけたという。.

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源常

源 常(みなもと の ときわ)は、平安時代初期の公卿。嵯峨天皇の子(嵯峨第三源氏)。官位は正二位・左大臣、贈正一位。東三条左大臣とも呼ばれる。.

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源久曾

源 久曾(みなもと の くそ、生没年不詳)は、平安時代前期の女流歌人。名は屎とも表記される。姓は源朝臣であるが詳しい系譜は不明。 詳しい経歴は不明だが、『古今和歌集』に誹諧歌が1首入る。.

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源庶明

源 庶明(みなもと の もろあきら/もろあき)は、平安時代中期の公卿・歌人。宇多天皇の孫で、兵部卿・斉世親王の三男。.

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源仲綱

源 仲綱(みなもと の なかつな)は、平安時代末期の武将・歌人。源頼政の嫡男。母は源斉頼女。官位は正五位下、隠岐守、伊豆守。.

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源仲頼

源 仲頼(みなもと の なかより、生没年不詳)は、平安時代末期の貴族。卜部兼仲の子で源資遠の養子。従五位下筑後守。 鳥羽法皇・後白河法皇の北面武士として活躍し、保元2年(1157年)に左衛門少尉となり、承安年間には検非違使となる。『尊卑分脈』の柱には平清盛の訴えで讃岐国に配流されたと記されている。記録上の裏付けは取れないものの、院近臣として反平家活動に加担していた可能性は否定できない。その後、源頼朝にも接近し、文治元年(1185年)の勝長寿院供養に参列して鎌倉幕府の御家人として認識されている。この頃、叙爵を受け(『玉葉』文治2年10月20日条)、建久年間に筑後守に任ぜられた。『千載和歌集』に2首採録されるなど、歌人としても知られた。.

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源仲政

源 仲政(みなもと の なかまさ)は、平安時代後期の武将・歌人。三河守源頼綱の次男。馬場仲政(ばば の なかまさ)ともいう。.

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源延光

源 延光(みなもと の のぶみつ)は平安時代中期の公卿、歌人。代明親王の第3王子。枇杷大納言と号す。.

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源弼

源 弼(みなもと の たすく、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。嵯峨天皇の孫で、大納言・源弘の四男。官位は従四位下・宮内卿。.

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源当純

源 当純(みなもと の まさずみ、生没年不詳)は平安時代初期から中期にかけての貴族、歌人。文徳源氏、右大臣・源能有の五男。官位は従五位上・少納言。.

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源俊隆

源 俊隆(みなもと の としたか、生没年不詳)は平安時代後期の貴族。村上源氏、大蔵卿・源師隆の子。官位は正五位下・皇太后宮亮。歌人として有名な皇嘉門院別当の父。 元永元年(1118年)10月2日に藤原忠通のもと開かれた「内大臣家歌合」に名前がある。『中右記』の記録によれば、元永3年(1120年)当時治部少輔を務めていたようである。.

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源俊頼

源 俊頼(みなもと の としより、天喜3年(1055年) - 大治4年1月1日(1129年1月22日))は、平安時代後期の官人・歌人。宇多源氏。大納言・源経信の三男。官位は従四位上・木工頭。.

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源忠重

源 忠重(みなもと の ただしげ)は、平安時代中期の武士・官人。源満政の長男。.

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源信宗

源 信宗(みなもと の のぶむね)は平安時代中期から後期にかけての貴族。歌人。.

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源信明

源 信明(みなもと の さねあきら、延喜10年(910年) - 天禄元年(970年))は、平安時代中期の貴族・歌人。光孝源氏、右大弁・源公忠の子。官位は従四位下・陸奥守。父と同じく三十六歌仙の一人。.

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源公忠

源 公忠(みなもと の きんただ、寛平元年(889年)- 天暦2年10月28日(948年12月1日))は、平安時代中期の貴族・歌人。光孝天皇の孫。大蔵卿・源国紀の次男。官位は従四位下・右大弁。三十六歌仙の一人。滋野井弁と号す。.

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源具親

源 具親(みなもと の ともちか、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の貴族・歌人。村上源氏俊房流、右京権大夫・源師光の次男。官位は従四位下・左近衛少将。小野宮少将と号す。新三十六歌仙の1人。.

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源兼俊母

源兼俊母(みなもと の かねとし の はは、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人。筑前守高階成順の娘。母は伊勢大輔。姉妹に康資王母・筑前乳母らがいた。宇多源氏の源経宗の室となり、笙・和琴の名手源兼俊を産んだ。彼女自身も『後拾遺和歌集』に2首入集する歌人だった。.

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源兼澄

源 兼澄(みなもと の かねずみ、生没年不詳)は平安時代中期の貴族、歌人。光孝源氏、鎮守府将軍・源信孝の子で、祖父は同じく歌人して活躍した源公忠。官位は正五位下・加賀介。名は兼隆とも表記される。 東宮帯刀を経て、五位蔵人に補任される。一条天皇の御世にて陪膳を務め、永延2年(988年)時に蔵人・左衛門尉・検非違使であった。右馬允・式部丞・若狭守・加賀守・介を歴任して正五位下に至った。歌人として活躍し、長保5年(1003年)5月に『藤原道長家歌合』に出詠。寛弘9年(1012年)の大嘗会にて和歌を詠進する。『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に11首が入り、周囲の歌人とも多く交流した。家集に『兼澄集』がある。.

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源兼昌

小倉百人一首の読み札に描かれた源兼昌の肖像 関守稲荷神社にある歌碑(神戸市須磨区) 源 兼昌(みなもと の かねまさ、生没年不詳)は、平安時代中期から後期にかけての歌人・官人。宇多源氏で、美濃介・源俊輔の子。子に昌快、前斎院尾張がいる。官位は従五位下・皇后宮少進。.

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源光行

源 光行(みなもと の みつゆき)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての政治家・文学者・歌人。源氏物語の研究者であり、河内方の創始者に位置付けられる。.

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源国信

源 国信(みなもと の くにざね)は、平安時代後期の公卿、勅撰歌人。村上源氏で、右大臣・源顕房の四男または三男。.

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源精

源 精(みなもと の くわし、生没年不詳)は、平安時代前期から中期にかけての貴族。嵯峨源氏、大納言・源定の子。官位は従四位上・大和守。.

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源経仲

源 経仲(みなもと の つねなか)は、平安時代後期の貴族・歌人。権中納言・藤原経通の子。権中納言・源経房の養子となる。.

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源経信

源 経信(みなもと の つねのぶ)は、平安時代後期の公家・歌人。宇多源氏、権中納言・源道方の六男。官位は正二位・大納言。桂大納言と号す。小倉百人一首では大納言経信。.

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源道済

源 道済(みなもと の みちなり、生年不詳 - 寛仁3年(1019年))は、平安時代中期の貴族・歌人。光孝源氏、陸奥守・源信明の孫。能登守・源方国または伊豆守・源有国の子。官位は正五位下・大宰少弐。中古三十六歌仙の一人。.

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源頼実

源 頼実(みなもと の よりざね)は、平安時代中期の官人・歌人。源頼国の三男。和歌六人党の一人。.

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源頼家 (摂津源氏)

源 頼家(みなもと の よりいえ)は、平安時代中期の官人・歌人。源頼光の次男。後に叔父頼範の養子となっていたとされる。『尊卑分脈』による官位は従四位下、蔵人、筑前守。.

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源頼俊

源 頼俊(みなもと の よりとし、生没年不詳)は、平安時代後期の武将・歌人。加賀守源頼房の長男。.

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源頼国

源 頼国(みなもと の よりくに)は、平安時代中期の武将・官人。源頼光の長男。.

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源頼綱

源 頼綱(みなもと の よりつな)は、平安時代後期の武将・歌人。美濃守源頼国の五男。母は尾張守藤原中清女。多田頼綱(ただ の よりつな)とも呼ばれる。.

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源頼政

源 頼政(みなもと の よりまさ)は、平安時代末期の武将・公卿・歌人。兵庫頭源仲政の長男。朝廷で平家が専横を極める中、それまで正四位下を極位としていた清和源氏としては突出した従三位に叙せられたことから源三位(げんざんみ)と称された。また、父と同じく「馬場」を号とし馬場頼政(ばば の よりまさ)ともいう。 保元の乱と平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まった。平清盛から信頼され、晩年には武士としては破格の従三位に昇り公卿に列した。だが、平家の専横に不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで挙兵を計画し、諸国の源氏に平家打倒の令旨を伝えた。計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、そのまま平家の追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れ自害した(以仁王の挙兵)。.

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源順

源 順(みなもと の したごう、延喜11年(911年) - 永観元年(983年))は、平安時代中期の学者・歌人・貴族。嵯峨源氏、大納言・源定の曾孫。左馬允・源挙(みなもと の こぞる)の次男。官位は従五位上・能登守。.

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源行宗

源 行宗(みなもと の ゆきむね)は平安時代後期の公卿。歌人。参議・源基平の子。.

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源顕仲

源 顕仲(みなもと の あきなか)は、平安時代後期の公卿、歌人。村上源氏、右大臣・源顕房の子。.

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源顕国

源 顕国(みなもと の あきくに)は平安時代後期の貴族、歌人。村上源氏、権中納言・源国信の長男。.

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源顕雅母

源顕雅母(みなもとのあきまさのはは、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人。右大臣源顕房の側室。藤原北家良門流・藤原兼輔の後裔で、信濃守藤原伊綱の娘。兄弟に藤原伊季・藤原有忠・仁季(延暦寺)・慶幸がいた。 『金葉和歌集』(二度本・歌番号589)に和歌が1首入集する勅撰歌人。篤子内親王(堀河天皇中宮)に仕えた女官だったらしい。顕房の妻となって源信雅・権大納言源顕雅・東大寺権少僧都覚樹の母となった(但し、信雅の母については異説がある)。嘉承2年(1107年)9月21日、篤子内親王が出家したのと同じ日に出家した(『中右記』より)。 Category:良門流 Category:平安時代の女性 Category:平安時代の歌人.

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源顕房

源 顕房(みなもと の あきふさ)は、平安時代後期の公卿・歌人。村上源氏。右大臣源師房の次男。兄は源俊房。妻は源隆俊の娘・隆子。六条右大臣とも称される。生年は1026年説もある。.

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源親行

源 親行(みなもと の ちかゆき、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の文人政治家・古典学者・歌人。いわゆる河内方のひとり。大和守源光行の子。清和源氏義忠流。子に源義行。.

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源資綱

源 資綱(みなもと の すけつな)は平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人。醍醐源氏、権中納言・源顕基の長男。.

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源重之

源 重之(みなもと の しげゆき、生年未詳 - 長保2年(1000年)頃?)は、平安時代中期の歌人・貴族。清和源氏、上野太守・貞元親王の孫で、三河守・源兼信の子。伯父の参議・源兼忠の養子。官位は従五位下・筑前権守。三十六歌仙の一人。.

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源重光

源 重光(みなもと の しげみつ)は平安時代中期の公卿、歌人。代明親王の長男。致仕大納言と称す。.

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源重時

源 重時(みなもと の しげとき)は、平安時代後期の武将。佐渡守源重宗の三男。.

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源致方

源 致方(みなもと の むねかた、天暦5年(951年) - 永延3年3月19日(989年4月27日))は平安時代中期の貴族、歌人。宇多源氏、左大臣・源重信の長男で、母は中納言・藤原朝忠の娘。藤原伊尹の娘を妻とした。官位は正四位下・右大弁。 左大臣重信の一男として生まれ、早く天延2年(974年)に右衛門佐に任ぜられる。その後、天延4年(976年)5月の除目で右少弁に任ぜられ、同年従五位上に昇叙、翌貞元2年(977年)に円融天皇の五位蔵人に補任された『蔵人補任』。。天元3年(980年)に従四位下に叙せられ、天元4年(981年)には東大寺俗別当・権左中弁となった。 永延元年(987年)頃に右大弁に昇任するが、公卿昇進を目前として永延3年(989年)3月父に先立って急逝した。享年39。最終官位は右大弁正四位下。 歌人として活動し、『拾遺和歌集』には藤原実資との連歌、『安法法師集』にも致方の和歌が載せられている。また、日記『致方記』があったが散逸。.

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源英明

源 英明(みなもと の ふさあきら/つねよし、延喜11年(911年)? - 天慶2年(939年))は、平安時代中期の歌人。宇多源氏の出で、三品斉世親王の子。従四位上・左近衛中将。 昌泰の変により、父斉世親王が舅である菅原道真に連座して出家。それに伴い、幼年時代は不遇であった。16歳で従四位、翌年侍従に叙せられた。醍醐天皇の信任厚く右近衛中将・左近衛中将を経て、延長5年(927年)蔵人頭に任ぜられる。7月頃から病となり、翌年の2月に卒したといわれるが、天慶2年(939年)に卒去した説と、天慶3年(940年)に卒去した説が有る。 父の遺言で『慈覚大師伝』を完成した。また、家集『源氏小草』(全五巻)があったとされるが伝わらず、『扶桑集』などに数十首の作品が残る。.

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源雅定

源 雅定(みなもと の まささだ)は平安時代後期の公卿、歌人。中院右大臣と号す。右大臣、正二位、左近衛大将。源雅実の次男。.

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源雅頼

源 雅頼(みなもと の まさより)は平安時代後期の公卿、歌人。権中納言・源雅兼の三男。または四男。壬生、猪熊源中納言、綾小路と号す。.

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源雅重

源 雅重(みなもと の まさしげ)は平安時代後期の貴族。歌人。.

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源雅通

源 雅通(みなもと の まさみち)は、平安時代後期の公卿。権大納言源顕通(1081-1122)の次男。 幼少時に父を失い、叔父の右大臣源雅定の養嗣子となる。兵部権大輔・近江権介・皇后宮権亮・備後権守などを歴任し、久寿2年(1155年)大嘗会国司賞として従三位となる。また、奨学院別当・検非違使別当なども務めた。正二位内大臣まで昇進したが、嘉応元年(1169年)以降は病気になり、承安5年(1175年)に久我別荘にて薨去した。享年58。 歌人としては、『千載和歌集』以下の勅撰集に10首入集する他、『続詞花集』などの私撰集にも入集がある。.

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源雅通 (宇多源氏)

源 雅通(みなもと の まさみち、生年不詳 - 寛仁元年7月10日(1017年8月4日))は、平安時代中期の官人・歌人。宇多源氏敦実親王流。左大臣源雅信の孫。権左少弁源時通の子。母は但馬守源堯時女。子に源雅孝(従五位下)・念真(東寺阿闍梨)・行源(延暦寺阿闍梨)・雅尊(延暦寺阿闍梨)・念尊(園城寺阿闍梨) らがいる。丹波中将と呼ばれた。 永延元年(987年)父が出家した後、祖父雅信の養子になる。そして雅信の死後は藤原穆子(雅信の室)に養育された(『栄花物語』巻12)。また、叔母にあたる源倫子(藤原道長室)の縁故から、道長夫妻の庇護をも受けた。長徳4年(998年)右近衛権将監に任ぜられ、その後、右近衛権中将・五位蔵人・敦成親王(後一条天皇)家別当・木工頭・冷泉院御厨別当・丹波守・中宮(藤原妍子)亮などを歴任した。寛仁元年(1017年)7月10日、当時流行していた疫病によって卒去したが、最終官位は従四位下右近衛中将だった。 人柄は正直で人に媚びることはなかったが、春秋の逍遥遊戯に惹かれ、狩猟に耽り、栄華を好むなど罪業を積んだが、道心あって平素より法華経を読んだことから往生を得ることができたとされる(『本朝法華験記』ほか)。歌人でもあり、『後拾遺和歌集』に1首、『和泉式部集』に1首、『伊勢大輔集』に2首の和歌が収録されている。.

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源通能

源 通能(みなもと の みちよし、生年不明 - 承安4年12月24日(1175年1月18日))は平安時代中期の貴族、歌人。村上源氏の一族で、権中納言・源雅兼の子。源師能の養子になる。官位は正四位下・右近衛中将。 主に二条天皇の時代に歌人として活躍し、勅撰和歌集には『千載和歌集』に二首が入る。久寿元年(1154年)に式部大夫であったことが知られ、同年12月に養父・師能が左中弁を辞したため、代わりに少納言に任じられた。久寿2年(1155年)2月3日に養父・師能が卒し喪に服す。喪が明けた後、5月24日に初めて参内している。二条天皇践祚直後の保元3年(1158年)12月29日に少納言を辞し、永暦元年(1160年)頃に右近衛少将に任官。同年清輔朝臣家歌合の判者を務める。仁安2年(1167年)正月5日、正四位下に叙せられた。その後、出家して承安4年12月(1175年1月)に卒去。和歌のほかに琵琶にも長じ、二条天皇にも琵琶を教えているが、当代随一の琵琶の達人であった藤原師長が保元の乱で配流されたための代理であり、台頭した中原有安には及ばなかったとする説もある。.

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源恵

源 恵(みなもと の ほどこす、生年不詳延長9年(931年))は、平安時代前期の貴族・歌人。名は忠とも記される。嵯峨源氏、大納言・源弘の孫。但馬守・源弼の長男。官位は正五位下・右衛門権佐。.

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源氏物語の写本

本記事では、源氏物語の写本について説明する。.

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源氏釈

『源氏釈』(げんじしゃく)は、『源氏物語』の注釈書である。藤原伊行によって平安時代末期に著された現存する最も古い『源氏物語』の注釈書であり、『弘安源氏論議』においても『源氏物語』の注釈の始まりは「宮内少輔が釈」と呼ばれている本書であるとされている。これに続く『源氏物語』の注釈書である藤原定家の『奥入』においても『源氏釈』は非常に重要視されており、数多く引用されている。但し常に従っているわけではなく、批判を加えている部分もある。.

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源泰光

源 泰光(みなもと の やすみつ)は、鎌倉時代中期の公卿・歌人。大納言・源師頼の孫、右京権大夫・源師光の長男。.

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源清蔭

源 清蔭(みなもと の きよかげ、元慶8年(884年) - 天暦4年7月3日(950年8月18日))は、平安時代前期から中期にかけての公卿、歌人。陽成天皇の第一皇子。官位は正三位・大納言。.

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源朝任

源 朝任(みなもと の あさとう)は平安時代中期の公卿。大納言・源時中の七男。二條別當を号す。.

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源景明

源 景明(みなもと の かげあきら、生没年不詳)は、平安時代中期の官人・歌人。光孝源氏是忠親王流。源兼光の子。右衛門尉・長門守などを務め、従五位下に至った。 源兼澄や中務らの歌集に彼の名前が見え、彼ら有名歌人とも交流があったと推測される。藤原頼忠の依頼で歌を詠んだこともあり、その時の歌が『拾遺和歌集』(歌番号173及び243)に収録されている。『拾遺和歌集』に6首、『新古今和歌集』(歌番号1066)に1首入集している。.

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満州唱歌

満州は一般に地図中の濃い赤の地域(中国東北部)を指す 満州唱歌(まんしゅうしょうか)とは、1924年(大正13年)から太平洋戦争終戦にかけて満州で発行されていた教科書(唱歌集)『満州唱歌集』・『満州小学唱歌集』・『ウタノホン』に収録された歌の総称。.

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満誓

満誓(まんぜい / まんせい、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族・僧・歌人。俗名は笠 麻呂(かさ の まろ)。姓は朝臣で、吉備笠垂の子とする系図がある。官位は従四位上・右大弁。古代吉蘇路(木曽路)の開削者である。.

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滝沢幸助

滝沢 幸助(たきざわ こうすけ、1925年 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。.

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滋賀大学の人物一覧

滋賀大学の人物一覧は滋賀大学に関係する人物の一覧記事。.

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滋賀県出身の人物一覧

滋賀県出身の人物一覧(しがけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する滋賀県出身の人物の一覧表である。旧近江国の出身者も合わせて記述する。.

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滋野井実国

滋野井 実国(しげのい さねくに、實國)は平安時代末期の公卿、歌人。滋野井家の祖。三条大納言と号す。藤原実国とも。.

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潟沼

潟沼(かたぬま)は、宮城県大崎市鳴子温泉にあるカルデラ湖。湖水は世界でもトップクラスの酸性度を持つ。.

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澁谷宗光

澁谷宗光(しぶやむねみつ 1917年6月 - 1974年9月)は、日本の国語教育学者、日本語学者。 専門は、国語教育、国語学、江戸・明治期の歌学。荷田在満、小山田与清、八田知紀などの歌人について研究の研究著書もある。昭和30年代に国語教育史学会を西原慶一、古田拡、渡辺茂、岩島公など組織し、活動した。.

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澤村斉美

澤村 斉美(さわむら まさみ、1979年5月7日 - )は、歌人。岐阜県岐阜市出身。「塔」短歌会所属。 京都大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程中退。1999年、京都大学短歌会に入会し歌作を始める。2006年に「黙秘の庭」50首で第52回角川短歌賞受賞。2007年、毎日新聞社に校閲記者として入社。2008年、第一歌集『夏鴉』にて第34回現代歌人集会賞、第9回現代短歌新人賞をそれぞれ受賞。.

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澄月

澄月(ちょうげつ、正徳4年(1714年) - 寛政10年5月2日(1798年6月15日))は、江戸時代中期の僧・歌人。俗姓は西山氏。出家して智脱と称した。別号を垂雲軒・酔夢庵・融阿と称した。備中国玉島(現・岡山県倉敷市)の出身。小沢蘆庵・伴蒿蹊・僧慈延と共に平安和歌四天王の一人と称せられ、諸文人と交流した。 13歳で上洛、当初比叡山延暦寺に登り天台教学を修めたが、その後浄土教に転宗した。諸国行脚の後、京都岡崎に隠棲し武者小路実岳に和歌を学んで、二条家の奥義を極めた。歌集に「垂雲和歌集」や「澄月法師千首」がある。また、歌学書に「和歌為隣抄(いりんしょう)」がある。 法号は白蓮社雪誉融阿上人。.

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濱梨花枝

濱 梨花枝(はま りかえ、本名:榎本美佐夫、1912年 - )は、日本の歌人・作詞家。埼玉県北埼玉郡埼玉村(現在の行田市)出身。.

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持明院基哲

持明院 基哲(じみょういん もとあき、1865年3月9日(慶応元年2月12日『平成新修旧華族家系大成』上巻、755-756頁。)- 1925年(大正14年)6月19日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』44頁。)は、明治・大正期の歌人、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・石野、幼名・浅麿。.

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服部真里子

服部 真里子(はっとり まりこ、1987年7月31日 - )は、歌人。神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業。 高校時代は演劇活動を行い、北区つかこうへい劇団で戯曲を学んだ。2006年、早稲田大学の新入生勧誘で早稲田短歌会のチラシを受け取ったのがきっかけで同会に入会、作歌を始める。2009年、早稲田短歌会、京都大学短歌会出身者で集まった同人誌「町」に参加。2011年、解散。 2012年より未来短歌会所属、黒瀬珂瀾に師事。同年、「行け広野へと」30首で第55回短歌研究新人賞次席。 2013年に作品「湖と引力」30首で第24回歌壇賞受賞。同年、作品「いつの日か君がなくしてしまうライター」20首で未来賞を受賞。 2014年、第1歌集『行け広野へと』を刊行。翌2015年、同歌集で第21回日本歌人クラブ新人賞、第59回現代歌人協会賞を受賞。.

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朝井まかて

朝井 まかて(あさい まかて、1959年8月15日 - )は、日本の小説家。女性。大阪府羽曳野市生まれ。甲南女子大学文学部国文学科卒業。ペンネームは沖縄県出身の祖母・新里マカテの名に由来する。.

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朝日峠

朝日峠(あさひとうげ)は、茨城県土浦市と石岡市の境にある標高282mの峠。筑波連山南東部に掛かる峠の一つで、雪入山(390.7m)の西側に位置する。表筑波スカイラインに、山越えの広域営農団地農道八郷線が合流する。冬季はしばしば凍結により通行止めとなるため迂回路の朝日トンネルが建設され、2012年11月12日に開通した。.

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朝日新聞社

株式会社朝日新聞社(あさひしんぶんしゃ、英語:The Asahi Shimbun Company)は、全国紙『朝日新聞』を発行する日本の新聞社である。新聞以外に雑誌・書籍の出版や芸術作品の展示・公演、スポーツ大会の開催などの事業活動も行う例えば、全国高等学校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)を日本高等学校野球連盟と共に主催している。。 新聞販売店の名称は「ASA」(朝日新聞サービスアンカー, Asahi Shimbun Service Anchor)であり、日本全国で約3000か所、従業員数約7万8,000人を擁する。日本ABC協会の調査によると海外を含む。 創立は1879年(明治12年)1月8日、日本国内の本支社数は5社、取材拠点は293か所、印刷拠点は24か所であり、日本国外機関は34拠点存在する。.

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木原実 (政治家)

木原 実(きはら みのる、1916年3月1日 - 2010年1月18日)は、日本の歌人、詩人、政治家。 愛媛県生まれ。1931年愛媛県立今治中学校中退。十代から労働運動に関わり、1935年治安維持法違反で逮捕。1942年応召、ソ満国境で敗戦を迎える。 1947年全国農業会主事補、日本農民組合中央執行委員、社会タイムス政経部長、日本社会党総務部長。1957年日中復交国民会議常任理事。 1967年の第31回衆議院議員総選挙において千葉県第1区で当選し、日本社会党の衆議院議員となる(以後1979年の第35回衆議院議員総選挙まで5回当選)。 1968年3月10日に成田空港問題を巡って市街地での衝突が発生した時には、空港建設反対派を支援する立場から「警察側の実力行使は完全に警察権行使の行き過ぎ」などとして、警察幹部の免職を求めた。 1969年には静岡県に代替空港を作るとした「木原私案」を出したが、前年には既に地元住民の条件賛成派との用地買収の覚書が交わされており、その頃には空港用地の測量も終わっていた。 1971年の成田空港予定地の代執行(第二次代執行)中に新東京国際空港公団分室を訪問した時に警備員が木原を反対派と誤認して排除し、その際に負傷する。 1973年党千葉県本部委員長、1976年党顧問。1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。.

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木下家定

木下 家定(きのした いえさだ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名。備中足守藩初代藩主。足守木下氏初代。晩年は出家し、法名は浄英(紹英)。.

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木下幸文

木下 幸文(きのした たかふみ、安永8年(1779年) - 文政4年11月2日(1821年11月26日))は、江戸時代後期の歌人。父は木下義綿。初名は義壽・義方・義質。通称は民蔵。号は朝三亭・亮々舎(さやさやのや)・蓼園・風漪亭・風漪温者・渚の笹屋などと称した。備中国浅口郡長尾村(現・岡山県倉敷市)の生まれ。 16歳の時小野猶吉に伴われて上洛し、澄月・慈延に師事して和歌を学び、その後桂園派の祖香川景樹に入門して、桂門下の俊秀として活躍した。 歌集に「亮々遺稿」、随筆に「亮々草紙」がある。 category:江戸時代の歌人 category:備中国の人物 Category:1779年生 Category:1821年没.

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木下延俊

木下 延俊(きのした のぶとし)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、茶人。豊後日出藩初代藩主。初名は勝忠とも云う。官位は従五位下右衛門大夫で、通称も右衛門大夫。.

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木下利玄

木下利玄歌碑(足守・近水園) 木下 利玄(きのした りげん、1886年(明治19年)1月1日 - 1925年(大正14年)2月15日)は日本の歌人、子爵。本名は利玄(としはる)。.

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木下利房

木下 利房(きのした としふさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて武将、大名。備中足守藩第2代藩主。官途は従五位下宮内少輔。初名は勝義。諱は惟俊とする史料もある。.

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木下勝俊

木下 勝俊(きのした かつとし)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名、歌人。 若狭小浜城(後瀬山城)主で、官位が従四位下式部大夫、左近衛権少将であったので、通称を若狭少将と言う。一時期はキリシタンでもあって洗礼名は「ペテロ」と伝わる。歌人としては長嘯(ちょうしょう)または長嘯子(ちょうしょうし)、あるいは挙白(きょはく)、天哉爺(てんかおう)など様々の称を用いた。一般には木下長嘯子の名が高名。 関ヶ原の戦いでは東軍に属して伏見城留守居の将とされたが、鳥居元忠に退去を迫られ、これに従った結果、敵前逃亡したと戦後に責められて改易された。次いで父家定の備中足守藩を継いで第2代藩主となったが、異母弟利房と遺領を争って公儀の沙汰で所領没収とされた。以後、京の東山に隠棲して文人となった。作風は近世初期における歌壇に新境地を開いたものとされ、その和歌は俳諧師松尾芭蕉にも影響を与えた。.

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木下龍也

木下 龍也(きのした たつや、1988年1月12日 - )は、日本の歌人。山口県周南市出身。.

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木俣修

木俣 修(きまた おさむ、1906年(明治39年)7月28日 - 1983年(昭和58年)4月4日)は日本の歌人。本名は修二。.

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木俣冬

木俣 冬(きまた ふゆ)は、日本のフリーライター、著作家。女性。東京都生まれ。演劇・映画関係のルポルタージュやテレビドラマのノベライズなどを手がける。宇野常寛主宰「PLANETS」のドラマ班担当。日本ペンクラブ会員。歌人・木俣修は大叔父。Twitterでのプロフィールによれば、彦根藩筆頭家老の木俣氏の末裔である。.

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木喰

木喰(もくじき 1718年(享保3年)- 1810年7月6日(文化7年6月5日)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。 日本全国におびただしい数の遺品が残る、「木喰仏」(もくじきぶつ)の作者である。生涯に三度改名し、木喰五行上人、木喰明満上人などとも称する。特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修業した仏教者を行者あるいは遊行僧(ゆぎょうそう)などと称したが、木喰はこうした遊行僧の典型であり、日本全国を旅し、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納した。 木喰の作風は伝統的な仏像彫刻とは全く異なった様式を示し、ノミの跡も生々しい型破りなものであるが、無駄を省いた簡潔な造形の中に深い宗教的感情が表現されており、大胆なデフォルメには現代彫刻を思わせる斬新さがある。日本各地に仏像を残した遊行僧としては、木喰より1世紀ほど前の時代に活動した円空がよく知られるが、円空の荒削りで野性的な作風に比べると、木喰の仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いのも特色である。.

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木皮成

木皮 成(きがわ せい、1990年6月16日 - )は、日本のダンサー、振付師、演出家、お笑い芸人。 多摩美術大学映像演劇学科卒業。俳優を経てダンサーに転身。主に小劇場界の振付家として活動する。ダンサーとして出演する際には"SEI"と表記することもある。歌人である枡野浩一とお笑いコンビ「ゾロメガネン」を結成したこともある。 たびたび俳優から振付家に転身した理由を聞かれると「滑舌が悪かったから」と答えている。 2015年より、カンボジアでの活動も開始。同年、8月カンボジア最大のショッピングモールイオンモールプノンペンでのフラッシュモブの演出を手がけ、成功を収める。.

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木辺孝慈

木邊 孝慈(きべ こうじ、1881年(明治14年)4月11日 - 1969年(昭和44年)1月23日)は、真宗木辺派の僧侶。男爵。 西本願寺21世法主 明如(大谷光尊)の次男、22世法主 鏡如(大谷光瑞)の弟。妹に歌人の九条武子がいる。 当時、真宗木辺派に後継者がいなかったので、17歳で本山・錦織寺に入り第20代法主を継ぐ。法隆寺の佐伯定胤に唯識の講義を受けている。学徳共に秀で人望も厚かった。1940年(昭和15年)、大日本仏教会初代会長となる。.

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木村二瓶子

木村 二瓶子(きむら にへいし、1903年 - 1994年 )は、日本の陶芸家、歌人である''木村二瓶子''、公式ウェブサイト、2012年9月28日閲覧。。本名木村 一男(きむら かずお)。7代目木村 清山(きむら せいざん)であり、その工房は「清山草房」である。生誕・死没ともに京都市。.

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木村光久

木村 光久(きむら みつひさ、1930年 京都市 - 1996年9月10日 京都市)は、日本の漫画家である。のちに剪紙作家となり木村 祥刀(きむら しょうとう)を名乗る。本名木村 祥一(きむら しょういち)、漫画家としてのペンネームはほかに木村 ただし(きむら ただし)、京 さゆり(きょう さゆり)などがあり、近年再評価の気運にある劇画作家木村 仁(きむら じん)と同一人物である、木村祥刀・切り絵の世界、公式ウェブサイト、2012年9月30日閲覧。、木村祥刀・切り絵の世界、公式ウェブサイト、2012年9月30日閲覧。。.

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木村立哉

木村 立哉(きむら たつや、1964年 京都市 - )は、日本の映画プロデューサー、エッセイストであり、葛飾 ホックニー(かつしか-)の名で、音楽プロデューサー、イヴェント・オーガナイザーとして「Picture Yourself Sound School」を組織、またCMディレクターの遅塚勝一とのDJトークユニット「亜湖派とかほり派 (あこはとかほりは)」のメンバーとしても活動、超絶記憶力を駆使した歌謡曲トークの名手としても知られる。演劇やサウンドドラマの脚本や原案の発表作もある。.

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木村草弥

木村 草弥(きむら くさや 1930年2月7日-)は、日本の歌人、詩人。 本名は重夫(しげお)。.

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木村重信

木村 重信(きむら しげのぶ、1925年8月10日 -2017年1月30日)は、日本の美術史家。京都市立芸術大学・大阪大学名誉教授、兵庫県立美術館名誉館長。民族芸術学、近現代美術史を専攻。従四位。.

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木浦市

木浦市(モクポし、モッポし)は韓国全羅南道西南部の市。日本語読みも同じく「もっぽ」である。.

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末永節

末永 節(すえなが みさお、明治2年11月12日(1869年12月14日) - 1960年(昭和35年)8月18日)は、日本の政治運動家・大陸浪人・武道家。 玄洋社社員、肇国会(ちょうこくかい)会長、全日本少林拳武徳会初代宗家。号は狼嘯月(ろうしょうげつ)、晩年は無庵。.

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末永純一郎

末永 純一郎(すえなが じゅんいちろう、慶応3年3月2日(1867年4月6日) - 1913年(大正2年)12月31日)は、日本のジャーナリスト。.

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本多俊民

本多 俊民(ほんだ としたみ、文政7年3月27日(1824年4月26日) - 明治20年(1887年)3月18日)は、幕末・明治の尾張藩士・歌人。通称は熊之進、忠左衛門、藤太。雅号は葵苑・風翁など、字は伯章(ただし、後に中国の慣例であるとしてこれを廃した)。 本多俊茂の子。10歳の頃より馬場守信・氷室長翁に和歌を、植松茂岳に国学を学ぶ。後に間島冬道・羽島春隆と深く結んだ。嘉永5年(1853年)に家督を継いで250石を与えられ、使番格書院番頭・旗奉行などを歴任、第1次長州征伐や戊辰戦争に参加、廃藩置県後は若宮八幡社祀官を務めた後に三河国碧海郡に帰農して和歌に勤しんだ。.

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本多稜

本多 稜(ほんだ りょう、1967年10月17日 - )は、歌人。静岡県浜松市出身。歌誌「短歌人」所属。 関西学院大学商学部卒業、ロンドン経済政治学院(LSE)修士課程修了。外資系金融機関に勤務しながら作歌活動を行う。1998年に「蒼の重力」で第9回歌壇賞を受賞。2004年に第1歌集「蒼の重力」で第48回現代歌人協会賞を受賞。2008年には第2歌集「游子」で第13回寺山修司短歌賞を受賞。2017年から「短歌人」編集委員。登山やスキューバ・ダイビングを題材とした、躍動的でスケールの雄大な歌を得意とする。.

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本庄市

本庄早稲田駅 本庄市(ほんじょうし)は、埼玉県の北西部に位置する市である。 中山道の宿場・本庄宿が置かれた。本庄宿は中山道の中で最大の宿場町として栄え、明治時代には本庄への遷都が推薦されていた事がある。.

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本田一弘

本田 一弘(ほんだ かずひろ、1969年3月14日 - )は、歌人、高校教員。短歌結社竹柏会「心の花」に所属し、佐佐木幸綱に師事。現代歌人協会会員、日本文藝家協会会員。.

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本郷区

本郷区(ほんごうく、)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の文京区の東部に位置していた。.

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本所区

本所区(ほんじょく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の墨田区の南部に位置していた。.

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札幌光星中学校・高等学校

札幌光星中学校・高等学校(さっぽろこうせいちゅうがっこう・こうとうがっこう、Sapporo KOSEI Junior & Senior High School)は、北海道札幌市東区にある私立中学校・高等学校。学校法人札幌光星学園が運営するカトリックのマリア会系ミッションスクールである。.

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月に吠えらんねえ

『月に吠えらんねえ』(つきにほえらんねえ)は、清家雪子による日本の漫画作品。講談社『月刊アフタヌーン』にて2013年11月号より連載中。公式略称は「月吠」。.

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月夜野町

月夜野町(つきよのまち)は、群馬県の北部、利根郡にあった町である。2005年10月1日、水上町、新治村と合併し、みなかみ町となり消滅した。.

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月待つ女

『月待つ女』(つきまつおんな)は、平安時代に成立したと見られる日本の物語。作者不詳。現存する写本は無く、逸書となっている。『風葉和歌集』には本作からの採録は見られない。 『枕草子』の「物語は」の段(日本古典文学大系第212段)で『住吉物語』(現存する写本は鎌倉時代以降の改作と見られる)や『うつほ物語』と共に名を挙げられている。また、歌人・祐子内親王家紀伊が家集『一宮紀伊集』に「月まつ女といふものがたりをみて」の詞書を添えて以下の歌を詠んでおり、満たされない悲恋の物語であったことが窺える。.

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月光荘

月光荘(げっこうそう)は、1917年(大正6年)に創業した日本の画材店。店名は歌人の与謝野鉄幹、妻の与謝野晶子と創業者 橋本兵藏が名付けた。.

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有田町

有田町(ありたちょう)は、佐賀県の西部に位置する町で、西松浦郡に属する。日本の伝統工芸品の1つ、有田焼の産地として知られている。.

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有職読み

有職読み(ゆうそくよみ)は、日本において古来からの慣例に従って、漢字で書かれた語を特別な読み方で読むこと。.

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有沢螢

有沢 螢(ありさわ ほたる、1949年 - )は、歌人。東京都出身。 6歳から独学で歌を作る。聖心女子大学を経て、早稲田大学大学院文学研究科日本文学修士課程修了。 専門歌人としてのデビューは遅く、2000年に第一歌集『致死量の芥子』を出版してから「短歌人」に入会、歌壇で活躍する。その後、超結社歌会「白の会」(世話人・黒瀬珂瀾)に参加。2007年に第二歌集『朱を奪ふ』により日本歌人クラブ東京ブロック優良歌集賞受賞。2011年、連作「ありすの杜へ」により第56回短歌人賞受賞、同年、第三歌集『ありすの杜へ』刊行。「短歌人」会務委員。.

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有本芳水

岡山市東区上道地区、丸山公園内にある有本芳水の詩碑 有本芳水の歌碑(和歌山県紀の川市・粉河寺) 有本 芳水(ありもと ほうすい、1886年(明治19年)3月3日 - 1976年(昭和51年)1月21日)は日本の詩人・歌人である。.

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最上川 (曲)

最上川」(もがみがわ)は日本の都道府県の一つ、山形県の県民歌である。歌詞は昭和天皇の御製であり、作曲は島崎赤太郎が行った。.

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惟宗広言

惟宗 広言(これむね の ひろこと)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての歌人・官人。日向守・惟宗基言の子。.

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惟成親王

惟成親王(これなりしんのう)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝の皇族・禅僧。後村上天皇第三皇子であり、長慶天皇と後亀山天皇の弟と推定される。官位は二品・中務卿。後に出家して、道号は梅隠(ばいいん)、法諱は祐常(ゆうじょう)という。近年の小川剛生の研究によれば、南朝末期に後亀山天皇の東宮(皇太弟)に立ち、南北朝合一後に護聖院宮家を興して、その初代親王になったとする説が有力である。護聖院宮の項目も参照のこと。.

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成尋阿闍梨母

成尋阿闍梨母(じょうじんあじゃり の はは、永延2年(988年)? - 没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。源俊賢の娘とされるが、京都大雲寺の縁起によれば、堤大納言の娘とされる。陸奥守藤原実方の子貞叙に嫁し、僧成尋・成尊ら2子を生む。 夫とは1014年 - 1015年頃、早くして死別。家集「成尋阿闍梨母集」(宮崎荘平訳注、講談社学術文庫ほか)は、中国(宋)へ渡る子の成尋を思う母親の心情を詠んだものとして有名である。この歌集は日記的なもので、1073年(延久5年)5月で終わっていることから、これ以降に没したとみられている。 Category:平安時代の女性 Category:平安時代の歌人.

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成毛滋

成毛 滋(なるも しげる、1947年1月29日 - 2007年3月29日)は日本のギタリスト、キーボーディスト。東京都出身。1960年代後半から1970年代を中心として国内のロックシーンで活躍。ブリヂストン創業者である石橋正二郎の孫で、妹は漫画家の成毛厚子(1952年10月16日 - )。鳩山威一郎の甥で、鳩山由紀夫・邦夫兄弟は従兄弟。 2007年3月29日、大腸がんのため死去。享年60。.

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成沢未来

成沢 未来(なるさわ みらい、1986年4月23日 - )は、日本の歌人、エッセイスト日本歌人クラブ会員、「白夜」短歌会同人。.

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戸田市

戸田市(とだし)は、埼玉県南部に位置する人口約14万人の市。人口は深谷市に次ぐ県内15位。荒川を境に東京都と接する。.

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戒秀

戒秀(かいしゅう、生年不詳 - 長和元年(1015年)閏6月)は、平安時代の日本の僧・歌人。肥後守・清原元輔の子で、姉妹に清少納言がいる。子に定額がいたとする系図がある。.

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明石賢生

明石 賢生(あかし けんせい、1943年 - 1996年)は、日本の編集者・実業家・カメラマン。エルシー企画・群雄社出版社長。アリス出版副社長。 自販機本・ビニ本・アダルトビデオといった各時代のエロメディアにおいて活躍した。.

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明石海峡

記載なし。

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明治製菓

明治製菓株式会社(めいじせいか)は、医療用専業の医薬品メーカーであるMeiji Seika ファルマの2011年3月31日までの商号である。 社名の通り、菓子類を中心とした各種食品の製造販売業者として一般に広く認知されていた一方、現行事業である薬品部門についても有数の規模を持つという特色のある企業であり、薬品部門が売上高で全体の28%、営業利益ベースでは59%(2010年3月期)を占めるまでになっていた。 2009年4月1日には、グループ企業ではなかったものの、同根(同門)企業である明治乳業と共同持株会社「明治ホールディングス株式会社」を設立し、明治製菓は明治ホールディングスの完全子会社となった。経営統合後はブランドマークも変更され、2009年7月から明治グループ共通スローガン「明日をもっとおいしく」が導入された。 さらに2011年4月1日より明治乳業との間で事業再編を行い、菓子・食品・一般用医薬品(主にイソジンうがい薬など)事業については、明治乳業から商号変更した株式会社 明治へ移管され、明治製菓は医療用医薬品事業に特化した、Meiji Seika ファルマ株式会社へ商号変更した。この一連の経営統合・事業再編によって、明治グループの食品事業は株式会社 明治に一本化されることになった。.

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春道列樹

春道列樹(百人一首より) 春道 列樹(はるみち の つらき、生年未詳 - 延喜20年(920年))は、平安時代前期の官人・歌人。主税頭(一説に雅楽頭『勅撰作者部類』)・春道新名の子。官位は六位・壱岐守。.

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春見朔子

春見 朔子(はるみ さくこ、1983年5月2日 - )は、日本の小説家。.

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春澄洽子

春澄 洽子(はるすみ の あまねいこ、生没年不詳)は平安時代の女官、歌人。.

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春日井建

春日井 建(かすがい けん、1938年12月20日 - 2004年5月22日)は、日本の歌人。父・春日井瀇、母・春日井政子はともに太田水穂に師事した歌人であり、建も実質「潮音」系と云える。作家・ゲームデザイナーの小太刀右京は大甥にあたる。第99回 全国高校野球選手権大会(甲子園)に出場した早稲田佐賀高等学校の春日井湧も大甥。 初期は幻想・耽美的かつ背徳的な作風で知られるが、次第に肉体と精神の観念を中心とした美学に移り、死病を得た晩年は、病と対峙する劇化された自己および現実に近い場面を均整のとれた文語体で詠んだ。前衛短歌運動の一人とされることもある。.

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春日倉老

春日倉 老(かすがのくら の おゆ、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族・僧侶・歌人。氏は春日蔵・春日椋とも記される。姓は首。官位は従五位下・常陸介。.

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春日真木子

春日 真木子(かすが まきこ、1926年2月26日 - )は、歌人。歌誌『水甕』代表。尾上柴舟系の歌誌の親睦団体「柴舟会」会長。娘の春日いづみ(1949年- )も歌人。.

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春日昌預

春日 昌預(かすが まさやす、1751年3月17日(寛延4年2月20日) - 1836年7月17日(天保7年6月4日))は、江戸時代の町人・歌人。甲府町年寄の「山本金右衛門」と同一人物。通称は助三郎。.

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昭和天皇

昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位: 1926年〈昭和元年〉12月25日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)。 幼少時の称号は迪宮(みちのみや)・諱は裕仁(ひろひと)。お印は若竹(わかたけ)。.

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昭和女子大学

設置者は学校法人昭和女子大学。.

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昭和女子大学の人物一覧

昭和女子大学のキャンパス 昭和女子大学の人物一覧(しょうわじょしだいがくのじんぶついちらん)は昭和女子大学に関係する人物の一覧記事。.

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是心寺 (平戸市)

是心寺(ぜしんじ)は、長崎県平戸市田平町山内免にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は海印山(かいいんざん)。.

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浦和実業学園中学校・高等学校

浦和実業学園中学校・高等学校(うらわじつぎょうがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう、英称:Urawa Jitsugyo Gakuen Junior & Senior High School)は、埼玉県さいたま市南区に所在し、中高一貫教育を提供する男女共学の私立中学校・高等学校。高等学校においては、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では3年間別クラスになる併設型中高一貫校。略称は浦実(うらじつ)、浦和実業。学校法人九里(くのり)学園が運営する。.

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浪速区

浪速区(なにわく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。.

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浮島堂

浮島堂(うきしまどう)は、静岡県掛川市にある仏堂。浮島観音堂(うきしまかんのんどう)とも呼ばれる。.

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海城中学校・高等学校の人物一覧

海城中学校・高等学校人物一覧(かいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこうじんぶついちらん)は、海城中学校・高等学校の創立者・教員・出身者・関係者などの一覧である。.

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海やまのあひだ

『海やまのあひだ』(うみやまのあいだ)は、日本の歌人、釈迢空の最初の個人歌集。276頁、歌数691首。1925年5月30日に改造社より出版。.

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海野碧

海野 碧(うみの あお、1950年 - )は、日本の小説家、推理作家、歌人。.

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海野游翁

海野 遊翁(うんの ゆうおう、寛政6年11月14日〈1794年12月6日〉 - 嘉永元年11月11日〈1848年12月6日〉)は、江戸時代後期の国学者、歌人。松江藩儒、幕臣。名は幸典(ゆきのり)、通称源兵衛頼致。号は柳園または遊翁。.

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海量

海量(かいりょう、享保18年8月14日(1733年9月21日) - 文化14年11月21日(1817年12月28日))は、江戸時代後期の浄土真宗の僧、教育者、歌人。字は寳器、または奉張。.

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海星中学校・高等学校 (長崎県)

海星中学校・高等学校(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう, Kaisei Junior and Senior High School)は、長崎県長崎市東山手町にある私立中高一貫校。 フランス系カトリック・マリア会によって運営されているミッションスクールである。2017年に創立125周年を迎えた。.

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浜名理香

浜名 理香(はまな りか、1963年〈昭和38年〉6月11日 − )は、日本の歌人。熊本市出身で、短歌結社「石流」を主宰。.

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浜田康敬

浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - )は、日本の歌人。短歌結社には無所属。.

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浄弁

浄弁(じょうべん、生年不詳 - 延文元年/正平11年(1356年)頃?)は、鎌倉時代の天台宗の僧・歌人。出自については不詳。尊円法親王の庇護を受け青蓮院別当となった。和歌四天王の一人慶運の父で、浄弁も和歌四天王の一人に数えられる。 「古今集」証本の書写をはじめ、子の慶運や九州の赤橋英時・大友貞宗らに家説を伝授相伝するなど、二条流歌学の保持に尽くした。 勅撰和歌集の「続千載和歌集」以下にも入集。家集は「浄弁並慶運歌集」がある。 Category:天台宗の僧 Category:鎌倉時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:鎌倉時代の歌人 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:南北朝時代の人物 (日本) Category:生没年不詳.

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浄光寺 (葛飾区)

浄光寺(じょうこうじ)は、東京都葛飾区東四つ木1丁目にある天台宗の寺院。木下川薬師(きねがわやくし)として知られる。.

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浅草区

浅草区(あさくさく、)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の台東区の東部に位置していた。.

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浅野保

浅野 保(あさの たもつ、1886年 - 1955年)は、岐阜県羽島郡江吉良村出身の歌人。.

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斎藤史

斎藤 史(齋藤史、さいとう ふみ、1909年(明治42年)2月14日 - 2002年(平成14年)5月26日)は、日本の歌人。東京都四谷生まれ。福岡県立小倉高等女学校(現・福岡県立小倉西高等学校)卒業。.

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斎藤利綱

斎藤 利綱(さいとう としつな)は室町時代から戦国時代の武将・歌人。 斎藤利永の子。兄弟に斎藤妙純、長井利安、長井利隆。通称は弾正忠、式部大輔・伊豆守。.

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斎藤紀一

斎藤 紀一(さいとう きいち、斉藤喜一郎とも、1861年9月5日(文久元年8月1日) - 1928年(昭和3年)11月17日)は、日本の医師、精神科医であり、政治家である。 同じく精神科医で歌人である斎藤茂吉の養父としても知られる。.

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斎藤瀏

斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年4月16日 - 1953年7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。最終階級は陸軍少将。長女の斎藤史は同じく歌人。.

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斎藤茂吉

斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年(明治15年)5月14日 - 1953年(昭和28年)2月25日)は、日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院(現在の都立梅ヶ丘病院や斉藤病院)の院長を務めた。長女は百合子、次女は晶子。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。.

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斎藤茂吉短歌文学賞

齋藤茂吉短歌文学賞(さいとうもきちたんかぶんがくしょう)は、日本の歌人・齋藤茂吉にちなんで設けられた短歌の賞。山形県が生んだ近代短歌の巨星である齋藤茂吉が短歌文学の発展振興に寄与した功績を記念し、短歌の分野において優れた業績をあげた者を顕彰する全国レベルの賞として、平成元年(1989年)度に創設された。主催は山形県などが運営する齋藤茂吉短歌文学賞運営委員会。前年1月1日から12月31日までに発行された歌集・歌論・歌人研究等の著作物が対象。受賞作には正賞および副賞50万円が贈られる。2014年度の選考委員は、三枝昂之、永田和宏、小池光、馬場あき子の4名。贈呈式は齋藤茂吉の生誕日である5月14日に最も近い日曜日に、山形県上山市で行われる斎藤茂吉記念全国大会の席上で行われる。.

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斎藤茂太

斎藤 茂太(さいとう しげた、1916年3月21日 - 2006年11月20日)は、日本の精神科医、随筆家である。愛称はモタさん。.

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新古今和歌集

『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)とは、鎌倉時代初期に編纂された勅撰和歌集。全二十巻。いわゆる八代集の最後を飾るもの。略称を『新古今集』(しんこきんしゅう)と称す。.

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新宣陽門院

新宣陽門院(しんせんようもんいん、生没年不詳)は、南北朝時代の南朝の皇族・女院・女流歌人。近世の南朝系図では、後村上天皇第一皇女で中宮・顕子(北畠親房の女)所生の憲子内親王(けんしないしんのう)に比定するが、それを裏付ける史料はない。近年は後醍醐天皇皇女に比定する説も有力である(後述)。 院号宣下以前には、一品宮(いっぽんのみや)・一品内親王と称した。.

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新宿区立愛日小学校

新宿区立愛日小学校(しんじゅくくりつ あいじつ しょうがっこう)は、東京都新宿区北町にある小学校。.

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新宿ゴールデン街

新宿ゴールデン街(しんじゅくゴールデンがい)は、東京都新宿区歌舞伎町1丁目にある飲食店街。.

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新居守村

新居 守村(あらい もりむら、1808年(文化5年)8月15日 - 1893年(明治26年)4月19日)は、日本の神道家、皇典学者、歌人である。.

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新三十六歌仙

新三十六歌仙(しん-さんじゅうろく/っ-かせん)は、歌人に関する名数の一種。またその秀歌を集めた集の名。.

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新井章 (歌人)

新井 章(あらい あきら、1924年(大正13年)10月12日 - 2001年(平成13年)6月11日)は、日本の歌人、文芸評論家。 長野県生まれ。國學院大學卒。歌誌『水門』主宰。江戸川大学教授、1995年定年、名誉教授。新井正彦(1957年 - )は子。.

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新間進一

新間 進一(しんま しんいち、1917年9月3日 - 2005年12月11日)は、国文学者、青山学院大学名誉教授。 兵庫県神戸市出身。東京芝生まれ。父は神戸市日蓮宗妙法華院住職・新間智啓。神戸一中、六高を経て、1940年東京帝国大学文学部国文学科卒、同大副手。佐佐木信綱に師事した歌人でもある。46年白百合女子専門学校教授、50年北海道大学文学部助教授、57年文部省教科書調査官、66年青山学院大学教授、86年定年、名誉教授。中古・中世和歌と近代短歌を研究、特に「梁塵秘抄」と与謝野晶子研究で知られる。2005年、呼吸不全のため88歳で死去。息子に新間一美(京都女子大学教授、中古文学・和漢比較文学)。.

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新葉和歌集

『新葉和歌集』(しんようわかしゅう)は、南北朝時代に成立した准勅撰和歌集。撰者は宗良親王。弘和元年/永徳元年(1381年)12月3日奏覧。新葉集とも。.

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新温泉町

新温泉町(しんおんせんちょう)は、兵庫県の北部に位置する美方郡の町。但馬県民局の管轄地域で、2005年10月1日に浜坂町と温泉町が合併して発足した。.

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新潟市

新潟市(にいがたし)は、新潟県の北東部(下越地方)に位置する市で同県の県庁所在地。愛知県名古屋市に次ぐ、中部地方で2番目の最大人口を擁する。本州の日本海側最大の都市で、唯一の政令指定都市であり、甲信越地方における文化芸術や政治経済の中心的役割をしている。日本一長い川である信濃川は新潟市で日本海に流れる。「新潟」の表記については「新潟県#「潟」の字について」を参照。.

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新潟県立新潟高等学校の人物一覧

新潟県立新潟高等学校の人物一覧(にいがたけんりつにいがたこうとうがっこうのじんぶついちらん)とは、新潟県立新潟高等学校の主な出身者・関係者の一覧である。.

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新潟新聞

新潟新聞(にいがたしんぶん)は、1877年から1941年にかけて新潟新聞社が発行していた日刊新聞である。.

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文屋康秀

文屋康秀(百人一首より) 文屋 康秀(ふんや の やすひで、生年不詳 - 仁和元年(885年)?)は、平安時代前期の歌人。文琳とも。縫殿助・文屋宗于または大舎人頭・文屋真文の子。子に文屋朝康がいる。官位は正六位上・縫殿助。六歌仙および中古三十六歌仙の一人。.

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文屋朝康

(文屋 朝康百人一首より) 文屋 朝康(ふんや の あさやす、生没年不詳)は、平安時代前期の官人・歌人。縫殿助文屋康秀の子。子に康永がいる。官位は従六位下・大膳少進。.

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文中

文中(ぶんちゅう)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方にて使用された。建徳の後、天授の前。1372年から1375年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が長慶天皇、北朝方が後円融天皇。室町幕府将軍は足利義満。.

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文化人

文化人(ぶんかじん)とは、文化の創造的な面に携わる人物のこと。芸術家や著作家、思想家、学者など、主に芸術や学問の分野で働く者。.

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文馬養

文 馬養(ふみ の うまかい、生没年不詳)は、奈良時代の歌人、貴族。名は馬甘とも書く。カバネは忌寸。左衛士府督・書根麻呂の子。位階は従五位下。.

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文明 (日本)

文明(ぶんめい)は、日本の元号の一つ。応仁の後、長享の前。1469年から1486年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政、足利義尚。.

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斉藤斎藤

斉藤 斎藤(さいとう さいとう、1972年5月7日 - )は、日本の歌人。東京都出身。斉藤斎藤という名前は本名であるとされている。.

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日向市

日向市(ひゅうがし)は、宮崎県の北東部に位置する市である。.

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日置俊次

日置俊次(ひおき しゅんじ、1961年)は、歌人、日本近代文学研究者、青山学院大学文学部教授。専門は横光利一、夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治、窪田空穂、井伏鱒二、太宰治、中島敦、正岡子規、村上春樹、泉鏡花などの作家論のほか、宮崎駿、細田守などを始めとする現代アニメーション論。また、馬場あき子、岩田正などを始めとする現代短歌論。 岐阜県中津川市生まれ。東京大学文学部国文学科卒業。在学中、サンケイ・スカラシップ奨学生としてフランスへ留学、エクス・マルセーユ第1大学にて言語学を専攻、その後東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程中退。フランス政府給費留学生としてソルボンヌのパリ第3大学大学院博士課程で比較文学専攻、DEA取得。帰国後、東京医科歯科大学教養部に専任講師として着任、のちに助教授。日本学術振興会海外特別研究員として、再び渡仏し、パリ第3大学にて研究に従事。その後、青山学院大学文学部日本文学科助教授、のちに教授。在外研究員として、台湾大学で研究に従事。馬場あき子に師事し、短歌作品を発表。歌誌『かりん』編集委員。2000年朝日歌壇賞、2002年第22回かりん賞、2004年「ノートル・ダムの椅子」50首で第50回角川短歌賞次席、2006年歌集『ノートル・ダムの椅子』で第50回現代歌人協会賞受賞。.

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日高堯子

日高 堯子(ひたか たかこ、1945年6月29日 - )は、日本の歌人。歌誌「かりん」編集委員。同人誌「鱧と水仙」同人。.

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日高昭二

日高昭二(ひだか しょうじ、1945年5月15日 - )は、日本近代文学研究者、神奈川大学名誉教授。妻は歌人の日高堯子。 茨城県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。藤女子大学助教授、神奈川大学外国語学部助教授、教授。2016年定年、名誉教授。日本近代文学会代表理事。.

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日野市

日野市(ひのし)は、東京都の多摩地域南部にある市である。.

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日野俊光

日野 俊光(ひの としみつ)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。日野家17代当主。正二位権中納言・日野資宣の子。官位は権大納言兼右衛門督。.

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日野資実

日野 資実(ひの すけざね)は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿、歌人。日野家の第14代当主。.

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日野資矩

日野 資矩(ひの すけのり、宝暦6年8月22日(1756年9月16日) - 文政13年7月9日(1830年8月26日))は江戸時代の公卿。歌人。日野家37代当主。官位は従一位権大納言。日野資枝の子。母は広橋勝胤の娘。正室は柳原光綱の娘、継室は壬生基貫の娘。子供に日野永光、日野資雄、日野資愛、大宮良季、娘(広幡経豊室)、娘(鍋島直与室)、娘(勘解由小路資善室)、養女(毛利匡邦室)がいる。 父資枝と同じく和歌に優れ、『先考御詠』を編した。金沢千秋が著した『川めぐり日記』の批評を行った。また、歌道をして天皇家はじめ皇族に重用され宮中で催される歌会に参加する。とくに後桜町天皇に和歌の指導を受け、光格天皇とも深い親交があった。この時代を代表する堂上歌人である。 Category:江戸時代の公家 Category:江戸時代の歌人 すけのり Category:1756年生 Category:1830年没.

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日本の上代文学史

日本の上代文学史(にほんのじょうだいぶんがくし)は、上代(およそ奈良時代まで)の日本文学の歴史である。.

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日本の物理学者の一覧

日本の物理学者の一覧(にほんのぶつりがくしゃのいちらん)は、日本の物理学者を一覧する。 物理学者の一覧、:Category:日本の物理学者も参照。なお、日本国外に国籍を移動した者も含めている。.

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日本大学山形高等学校

日本大学山形高等学校(にほんだいがくやまがたこうとうがっこう、Nihon University Yamagata Senior High School)は、山形県山形市鳥居ヶ丘にある私立高等学校。通称は「日大山形高」「日大高」「日大山高」。 日本大学の付属校である。校歌(作詞:神保光太郎)の歌い出しは「ボーイズビーアンビシャス」。 なお、1989年から2014年まで併設されていた日本大学山形中学校(にほんだいがくやまがたちゅうがっこう)についてもここで述べる。.

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日本大学豊山中学校・高等学校の人物一覧

日本大学豊山中学校・高等学校人物一覧は、日本大学豊山中学校・高等学校の出身者・関係者一覧。.

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日本大学文理学部・大学院文学研究科及び総合基礎科学研究科

日本大学文理学部(にほんだいがくぶんりがくぶ、College of Humanities and Sciences, Nihon University)は、日本大学にある14学部のうちの一つの大学の学部である。文学研究科・総合基礎科学研究科(ぶんがくけんきゅうか・そうごうきそかがくけんきゅうか)は文学と基礎科学の理論および応用を教育・研究する大学院の研究科である。略称して、日大文理(にちだいぶんり)と呼ばれる。 文理学部キャンパス入口 下高井戸駅から世田谷区桜上水(文理学部キャンパス)へと続く桜並木.

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日本学園中学校・高等学校

日本学園中学校・高等学校(にほんがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都世田谷区松原二丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校での募集があり、特別進学コース、総合進学コース、スポーツコースの3コースに分かれ、その一部が内部進学生と混合のクラス編成となる、併設混合型中高一貫校。.

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日本共産党

日本共産党(にほんきょうさんとう、Japanese Communist Party)は、日本の政党。英文略称はJCP。.

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日本橋区

日本橋区(にほんばしく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の中央区の北部に位置していた。.

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日本歌人クラブ大賞

日本歌人クラブ大賞は、日本で最大規模の歌人の親睦団体である日本歌人クラブが2010年に設立した賞。日本歌人クラブの伝統と蓄積を反映し、地道に励みかつ斯道に貢献した歌人個人の業績に対して与えられる。 日本歌人クラブ主催の他の賞と異なり、役員および会員向けの事前のアンケートは行わず、日本歌人クラブの中央幹事(理事に相当)から選ばれた選考委員がおのおの候補を推薦し、その中から受賞者を決定する。選考委員の任期は一年。2016年度の選考委員は三枝昂之、秋山佐和子、雁部貞夫、林田恒浩。大賞受賞者には正賞並びに副賞30万円が贈られる。 このほか、中堅・ベテラン歌人の歌集を対象にした日本歌人クラブ賞(2013年度で第40回)、60歳以下の作者の処女歌集を対象にした日本歌人クラブ新人賞(2013年度で第19回)、短歌や歌人に対する評論書や研究書を対象とした日本歌人クラブ評論賞(2013年度で第11回)がある。.

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日本歌人クラブ評論賞

日本歌人クラブ評論賞は、日本で最も古い歴史と最大の規模を持つ歌人の親睦団体である日本歌人クラブが主催する、短歌や歌人に対する評論書や研究書を対象とした賞。前年度に刊行された短歌関連の書籍から選ばれる。日本歌人クラブの創立55周年記念事業の一環として設立された。 選考は、日本歌人クラブの中央幹事(理事に相当)、地方ブロック(北海道・東北・北関東・南関東・東京・甲信越・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州の12ブロック)役員、過去の受賞者、名誉会員から事前にアンケートを募り、その結果を基に、日本歌人クラブの中央幹事および中央幹事会から指名された会員で構成された選考委員会が選考する。選考委員の任期は一年。2016年度の選考委員は三枝昂之、久保田登、中川佐和子、長澤ちづ。特に規定されてはいないが、新人よりは中堅もしくはベテラン歌人が受賞する傾向が強い。 このほか、長年に渉り地道に短歌に励み、斯道に貢献した歌人を顕彰する日本歌人クラブ大賞(2013年度で第4回)、中堅・ベテラン歌人の歌集を対象にした日本歌人クラブ賞(2013年度で第40回)、60歳以下の作者の処女歌集を対象にした日本歌人クラブ新人賞(2013年度で第19回)がある。.

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日本歌人クラブ賞

日本歌人クラブ賞は、日本で最も古い歴史と最大の規模を持つ歌人の親睦団体である日本歌人クラブが主催する、中堅・ベテランの歌集を対象にした賞。年一回、前年度に刊行された個人の単独歌集から選ばれる。1955(昭和30)年創設の「日本歌人クラブ推薦歌集」を名称変更し、1974(昭和49)年に改めて制定された。選考は、日本歌人クラブの中央幹事(理事に相当)、地方ブロック(北海道・東北・北関東・南関東・東京・甲信越・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州の12ブロック)役員、過去の受賞者、名誉会員から事前にアンケートを募り、その結果を基に、日本歌人クラブの中央幹事および中央幹事会から指名された会員で構成された選考委員会が選考する。選考委員の任期は一年。2016年度の選考委員は三枝昂之、沢口芙美、平山公一、御供平佶。受賞者には、賞状と賞金10万円(2016年度)が授与される。 このほか、長年に渉り地道に短歌に励み、斯道に貢献した歌人を顕彰する日本歌人クラブ大賞(2013年度で第4回)、60歳以下の作者の処女歌集を対象にした日本歌人クラブ新人賞と(2013年度で第19回)、短歌や歌人に対する評論書や研究書を対象とした日本歌人クラブ評論賞(2013年度で第11回)がある。.

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日本歌人クラブ新人賞

日本歌人クラブ新人賞は、日本で最も古い歴史と最大の規模を持つ歌人の親睦団体である日本歌人クラブが主催する、第一歌集を対象にした賞。本来日本歌人クラブには、中堅・ベテラン歌人が受賞対象の日本歌人クラブ賞があったが、それとは別に、新人の歌集を顕彰する目的で設立された。前年度に刊行された60歳以下の作者による第一歌集のうち、優れたものに送られる。 選考は、日本歌人クラブの中央幹事(理事に相当)、地方ブロック(北海道・東北・北関東・南関東・東京・甲信越・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州の12ブロック)役員、過去の受賞者、名誉会員から事前にアンケートを募り、その結果を基に、日本歌人クラブの中央幹事および中央幹事会から指名された会員で構成された選考委員会が選考する。選考委員の任期は一年。2016年度の選考委員は三枝昂之、岡﨑洋次郎、春日いづみ、鈴木英子。受賞者には、賞状と賞金10万円(2016年度)が授与される。 このほか、長年に渉り地道に短歌に励み、斯道に貢献した歌人を顕彰する日本歌人クラブ大賞(2014年度で第5回)、短歌や歌人に対する評論書や研究書を対象とした日本歌人クラブ評論賞(2014年度で第12回)がある。.

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日本映画大学

記載なし。

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早稲田大学

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり 東京専門学校 大正時代の早稲田大学の正.

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早稲田大学坪内逍遙大賞

早稲田大学坪内逍遙大賞(わせだだいがくつぼうちしょうようたいしょう)は、早稲田大学が主催する、文芸・文化・芸術のための賞である。早稲田大学文学科の創設者坪内逍遙の名を冠している(当時は東京専門学校)。隔年で実施され、大賞と奨励賞の各一名ずつ選出される。.

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早稲田大学短歌会

早稲田大学短歌会(わせだだいがくたんかかい)は、早稲田大学の学生が中心になって創設した短歌会である。「早稲田短歌会」、「わせたん」とも呼ばれる。現会長は、芥川賞・三島賞作家でフランス文学者の堀江敏幸早稲田大学教授(2009年(平成21年)4月より)。前会長は短歌会OBで歌人の佐佐木幸綱早稲田大学名誉教授。.

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早稲田大学第一文学部

早稲田大学第一文学部(わせだだいがくだいいちぶんがくぶ)とは、早稲田大学にかつておかれていた学部の一つ。.

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早稲田大学系属早稲田実業学校の人物一覧

早稲田大学系属早稲田実業学校人物一覧(わせだだいがくけいぞくわせだじつぎょうがっこうじんぶついちらん) 早稲田大学系属早稲田実業学校の主な教員・出身者・関係者など。.

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早稲田大学高等学院・中学部の人物一覧

早稲田大学高等学院・中学部の人物一覧(わせだだいがくこうとうがくいんのじんぶついちらん) 早稲田大学高等学院・中学部の主な出身者・教員・関係者など。.

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旅人

旅人(たびびと)とは、一般に旅をしている人を指す。また、自らの所属する社会を離れて、別の社会への移動過程にある人も指す。富山弁など北陸地方では放浪生活する者も含めて「旅の人(たびのひと)」とも呼ぶ。;旅人(たびびと).

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悲しき玩具

『悲しき玩具』(かなしきがんぐ、東雲堂書店、1912年6月20日)は、日本の歌人、石川啄木の個人歌集。本文136頁、あとがき(土岐哀果)3頁。歌数194首、エッセイ2編。.

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攻玉社工科短期大学

学生募集は2005年度まで平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』264頁、2008年12月19日廃校。.

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放送倫理・番組向上機構

放送倫理・番組向上機構(ほうそうりんり・ばんぐみこうじょうきこう、Broadcasting Ethics & Program Improvement Organization, BPO)は、日本放送協会(NHK)や日本民間放送連盟(民放連)とその加盟会員各社によって出資、組織された任意団体である。理事会、評議員会、事務局と3つの委員会(放送倫理検証委員会、放送と人権等権利に関する委員会(放送人権委員会)、放送と青少年に関する委員会(青少年委員会))によって構成されている。 ロゴマークは、錯視図形『ルビンの壷』の要領で、BとPの文字で横を向いた人の上半身を浮かび上がらせたものである。.

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愛媛県立松山工業高等学校

愛媛県立松山工業高等学校(えひめけんりつまつやまこうぎょうこうとうがっこう)は、愛媛県松山市真砂町1番地にある工業高等学校。略称は松工(まつこう)。 学科数、生徒数が多く、2004年(平成16年)度から2006年(平成18年)度までスーパーイングリッシュランゲージハイスクールの指定を受けていた。.

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愛媛県立松山東高等学校の人物一覧

愛媛県立松山東高等学校の人物一覧(えひめけんりつ まつやまひがしこうとうがっこうのじんぶついちらん) 愛媛県立松山東高等学校およびその前身校(藩校明教館、旧制松山中学校等)の主な出身者、教員、関係者など。ただし、1949-1952年に設置された松山東高商業科(現・愛媛県立松山商業高等学校)の関係者は除く。.

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愛媛県議会

愛媛県議会(えひめけんぎかい)は、愛媛県の県議会である。.

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愛知県立岡崎北高等学校

正門 愛知県立岡崎北高等学校(あいちけんりつ おかざききたこうとうがっこう)は、愛知県岡崎市石神町にある県立高等学校。.

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愛知県立瀬戸高等学校

愛知県立瀬戸高等学校(あいちけんりつ せとこうとうがっこう)は、愛知県瀬戸市東山町一丁目にある公立高等学校。.

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愛知県立春日井商業高等学校

愛知県立春日井商業高等学校(あいちけんりつ かすがいしょうぎょうこうとうがっこう)は、愛知県春日井市大泉寺町に所在する公立の商業高等学校。在校生・卒業生などの間での略称は「春商」。.

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愛知県立旭丘高等学校の人物一覧

愛知県立旭丘高等学校人物一覧(あいちけんりつあさひがおかこうとうがっこうじんぶついちらん) 愛知県立旭丘高等学校の主な教員、出身者、関係者など。.

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愛知淑徳大学の人物一覧

愛知淑徳大学の人物一覧は愛知淑徳大学及び愛知淑徳短期大学に関係する人物の一覧記事。.

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愛知淑徳短期大学

学生募集は1999年度まで。2000年度より愛知淑徳大学コミュニケーション学部・文化創造学部の設置により短期大学は学生募集を停止し、2002年7月31日平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』275頁廃止。淑徳大学および淑徳大学短期大学部、淑徳学園短期大学との繋がりはない。.

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懽子内親王

懽子内親王(きんし(よしこ)ないしんのう、正和4年10月16日(1315年11月13日) - 正平17年5月7日(1362年5月30日))は、鎌倉時代後期から室町時代初期(南北朝時代)にかけての皇族、歌人。後醍醐天皇第2皇女、母は中宮・西園寺禧子(後京極院)。伊勢斎宮、のち光厳上皇妃、女院。院号は宣政門院。 元応元年(1319年)6月26日、内親王宣下。同年10月、一品に叙される。正中2年(1325年)8月16日、裳着。元徳2年12月19日(1331年2月4日)、16歳で父後醍醐天皇の斎宮に卜定。翌元弘元年(同じく1331年)1月、准三宮。同年8月20日、野宮に入る。まもなく元弘の変で後醍醐天皇が退位、隠岐へ配流のため、同年斎宮退下。元弘3年(1333年)12月、光厳上皇の後宮に19歳で入内。建武2年(1335年)2月2日、院号宣下。延元4年(1340年)5月29日、保安寺に入り出家。正平17年(1362年)5月7日、48歳で崩御。 『新千載和歌集』等に、懽子内親王(宣政門院)の詠歌が残っている。.

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敏馬神社

敏馬神社、敏馬神社(みぬめじんじゃ)は、神戸市灘区岩屋中町にある神社。式内社で、旧社格は県社。 国道2号と 国道43号が東から西へ1本に重なる道路に北接する丘の上に鎮座する。阪神電鉄 岩屋駅の南東約150m。.

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敦道親王

敦道親王(あつみち しんのう、天元4年(981年) - 寛弘4年10月2日(1007年11月14日))は、平安時代中期の皇族・歌人。冷泉天皇の第四皇子。母は藤原兼家の娘・超子。三条天皇の同母弟。官位は三品・大宰帥。.

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敦慶親王

敦慶親王(あつよししんのう)は、平安時代中期の皇族。宇多天皇の第四皇子。光玉宮と号した。.

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敬愛学園高等学校

敬愛学園高等学校(けいあいがくえんこうとうがっこう)は、千葉県千葉市稲毛区穴川一丁目にある私立高等学校。学校法人千葉敬愛学園が運営している。.

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敷島艦行進曲

敷島。 敷島艦行進曲(しきしまかんこうしんきょく)は、1902年(明治35年)に発表された大日本帝国海軍の軍歌である。軍艦行進曲や愛国行進曲の作曲者として知られる瀬戸口藤吉が作曲し、阪正臣が作詞した。1900年(明治33年)の戦艦敷島の竣工を記念して製作された。.

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教導職

教導職(きょうどうしょく)とは、明治初期の宗教政策で大教宣布(神道国教化)運動のために設置された宗教官吏である。明治5年(1872年)から明治17年(1884年)まで存続した。大教宣布運動は困難を極め、政府が政教分離の方針を取ったために廃止された。教導職は半官半民の任命制であり、神官・神職、僧侶などの宗教家を始め、落語家や歌人、俳人なども教導職に任命された。.

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教部省

教部省(きょうぶしょう)は、明治初期の太政官制度のもと、宗教統制による国民教化の目的で設置された中央官庁組織である。.

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慶運

慶運(けいうん、きょううん、永仁年間(1293年 - 1299年) - 正平24年/応安2年(1369年)頃)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての天台宗の僧・歌人。青蓮院法印浄弁の子。父浄弁とともに和歌四天王の一人に数えられる。 京都青蓮院との関係が深く祇園別当目代を3度務めている。 二条家流の歌人であるが、晩年は冷泉派に近づいたといわれている。叙景歌に優れ、歌は「風雅和歌集」「新後拾遺和歌集」「新続古今和歌集」に入集している。 家集には「慶運法印集」「浄弁並慶運集」がある。 Category:鎌倉時代の僧 Category:室町・安土桃山時代の僧 Category:天台宗の僧 Category:鎌倉時代の歌人 Category:室町・安土桃山時代の歌人 Category:南北朝時代の人物 (日本).

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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慈延

慈延(じえん、寛延元年(1748年)- 文化2年7月8日(1805年8月2日))は、江戸時代中期から後期にかけての天台宗の僧・歌人。父は儒医兼漢学者塚田旭嶺。尾張藩明倫堂の督学を務めた儒学者塚田大峯の弟。字は大愚。号は吐屑庵。 信濃国善光寺町生まれ。比叡山で出家して天台教学を学び、円教院に住した。歌学を冷泉為村・冷泉為恭に学び、小沢蘆庵・澄月・伴蒿蹊とともに平安和歌四天王の一人に数えられた。編著に『慈延和歌聞書』、『廿一代集概覧』、『堀川院初度百首抄』などがある。.

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打田町

打田町(うちたちょう)は、和歌山県の北部、那賀郡の中央にあった町。2005年11月7日、粉河町、那賀町、桃山町、貴志川町と合併し、紀の川市となった。.

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扇畑忠雄

扇畑 忠雄(おうぎはた ただお、1911年 - 2005年7月16日)は歌人、国文学者。東北大学名誉教授。現中華人民共和国の旅順出身。広島一中、広島高校、京都帝国大学文学部国文学科卒。 19歳の時「アララギ」に入会。アララギ派の歌人となり、斎藤茂吉、土屋文明、中村憲吉に師事。1946年東北アララギ会『群山』を創刊。第二高等学校、東北大学の教授を歴任し、万葉集の研究を専門とした。 1983年4月29日勲三等旭日中綬章受章。1993年、『冬の海その他』により第29回短歌研究賞受賞。1996年には『扇畑忠雄著作集』(全8巻)により、第19回現代短歌大賞を受賞。2002年には歌会始の儀で召人に招かれるなど、歌人として活動した。日本現代詩歌文学館の第2代館長もつとめた。2005年7月16日に死去した。死亡原因は扇畑の遺言により非公表となっている。享年94。叙従四位。 Category:歌人 Category:万葉学者 Category:日本文学研究者 Category:日本の文学研究者 Category:東北大学の教員 Category:京都大学出身の人物 Category:日本の引揚者 Category:勲三等旭日中綬章受章者 Category:1911年生 Category:2005年没.

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所三男

所 三男(ところ みつお、1900年11月3日 - 1989年6月30日)は、歴史学者・歌人。.

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曽禰好忠

曽禰 好忠(そね の よしただ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。出自については未詳。中古三十六歌仙の一人。官位は六位・丹後掾『勅撰作者部類』。長く丹後掾を務めたことから曾丹後(そたんご)とも曾丹(そたん)とも称された。.

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景式王

景式王(かげのりおう、生没年不詳)は、平安時代前期の皇族・歌人。文徳天皇の孫で、上総太守・惟条親王の子。位階は従四位下。.

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時田則雄

時田 則雄(ときた のりお、1946年9月24日 - )は、歌人。北海道帯広市生まれ。北海道帯広農業高等学校、帯広畜産大学別科草地畜産専攻修了。歌誌『辛夷』主宰を長く務めた。野原水嶺に師事。十勝にて農業を経営しながら文芸活動を行っている農民歌人。佐佐木幸綱の男歌の影響のもとに北海道の風土を描いた、躍動的でスケールの大きな歌風が特徴。道新歌壇選者。特定非営利活動法人十勝文化会議理事。.

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晋樹隆彦

晋樹 隆彦(しんじゅ たかひこ、1944年〈昭和19年〉5月9日 - )は日本の歌人、出版人、編集者。ながらみ書房社長。歌誌「心の花」選者。本名および編集者としての名義は及川隆彦(おいかわ たかひこ)。.

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1001年

11世紀および2千年紀における最初の年である。.

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1005年

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1007年

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1008年

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1012年

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1013年

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1014年

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1016年

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1019年

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1020年

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1023年

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1025年

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1026年

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1029年

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1037年

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1038年

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1041年

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1045年

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1047年

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1053年

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1054年

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1055年

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1060年

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1062年

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1064年

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1069年

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1073年

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1077年

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1079年

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1082年

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1085年

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1090年

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1094年

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1097年

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1099年

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10月13日

10月13日(じゅうがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から286日目(閏年では287日目)にあたり、年末まであと79日ある。.

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10月15日

10月15日(じゅうがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から288日目(閏年では289日目)にあたり、年末まであと77日ある。.

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10月21日

10月21日(じゅうがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から294日目(閏年では295日目)にあたり、年末まであと71日ある。.

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10月23日

10月23日(じゅうがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から296日目(閏年では297日目)にあたり、年末まであと69日ある。.

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10月24日

10月24日(じゅうがつにじゅうよっか、じゅうがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から297日目(閏年では298日目)にあたり、年末まであと68日ある。.

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10月26日

10月26日(じゅうがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から299日目(閏年では300日目)にあたり、年末まであと66日ある。.

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10月28日

10月28日(じゅうがつにじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から301日目(閏年では302日目)にあたり、年末まであと64日ある。.

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10月3日 (旧暦)

旧暦10月3日(きゅうれきじゅうがつみっか)は旧暦10月の3日目である。六曜は赤口である。.

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10月5日

10月5日(じゅうがついつか)はグレゴリオ暦で年始から278日目(閏年では279日目)にあたり、年末まであと87日ある。.

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10月6日

10月6日(じゅうがつむいか)はグレゴリオ暦で年始から279日目(閏年では280日目)にあたり、年末まであと86日ある。.

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10月8日

10月8日(じゅうがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から281日目(閏年では282日目)にあたり、年末まであと84日ある。.

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1102年

記載なし。

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1103年

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1104年

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1107年

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1111年

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1112年

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1113年

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1114年

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1115年

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1116年

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1118年

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1119年

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1122年

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1123年

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1124年

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1125年

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1126年

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1128年

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1129年

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1131年

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1133年

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1135年

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1139年

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1142年

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1144年

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1145年

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1146年

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1148年

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1149年

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1150年

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1155年

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1157年

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1158年

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1161年

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1162年

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1163年

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1164年

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1167年

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1169年

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1170年

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1171年

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1172年

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1175年

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1180年

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1188年

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1189年

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1190年

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1191年

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1192年

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1193年

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1194年

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1196年

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1198年

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11月11日

11月11日(じゅういちがつじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から315日目(閏年では316日目)にあたり、年末まであと50日ある。.

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11月13日

11月13日(じゅういちがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から317日目(閏年では318日目)にあたり、年末まであと48日ある。.

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11月14日 (旧暦)

旧暦11月14日は旧暦11月の14日目である。六曜は赤口である。.

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11月15日 (旧暦)

旧暦11月15日は旧暦11月の15日目である。六曜は先勝である。.

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11月16日

11月16日(じゅういちがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から320日目(閏年では321日目)にあたり、年末まであと45日ある。.

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11月19日

11月19日(じゅういちがつじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から323日目(閏年では324日目)にあたり、年末まであと42日ある。.

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11月21日

11月21日(じゅういちがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から325日目(閏年では326日目)にあたり、年末まであと40日ある。.

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11月26日

11月26日(じゅういちがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から330日目(閏年では331日目)にあたり、年末まであと35日ある。.

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11月2日

11月2日(じゅういちがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から306日目(閏年では307日目)にあたり、年末まであと59日ある。.

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11月2日 (旧暦)

旧暦11月2日(きゅうれきじゅういちがつふつか)は旧暦11月の2日目である。六曜は赤口である。.

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11月30日 (旧暦)

旧暦11月30日は旧暦11月の30日目である。年によっては11月の最終日となる。六曜は仏滅である。.

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11月8日

11月8日(じゅういちがつようか)はグレゴリオ暦で年始から312日目(閏年では313日目)にあたり、年末まであと53日ある。.

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11月9日

11月9日(じゅういちがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から313日目(閏年では314日目)にあたり、年末まであと52日ある。.

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1201年

記載なし。

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1202年

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1203年

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1204年

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1208年

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1216年

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1221年

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1222年

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1227年

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1234年

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1237年

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1238年

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1240年

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1241年

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1242年

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1244年

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1249年

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1250年

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1254年

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1256年

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1260年

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1265年

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1268年

記載なし。

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1270年

記載なし。

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1274年

記載なし。

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1275年

記載なし。

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1279年

記載なし。

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1280年

記載なし。

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1281年

記載なし。

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1282年

記載なし。

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1283年

記載なし。

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1285年

記載なし。

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1286年

記載なし。

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1289年

記載なし。

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1291年

記載なし。

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1293年

記載なし。

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12月10日

12月10日(じゅうにがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から344日目(閏年では345日目)にあたり、年末まであと21日ある。.

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12月11日 (旧暦)

旧暦12月11日は旧暦12月の11日目である。六曜は仏滅である。.

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12月12日

12月12日(じゅうにがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から346日目(閏年では347日目)にあたり、年末まであと19日ある。.

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12月12日 (旧暦)

旧暦12月12日(きゅうれきじゅうにがつじゅうににち)は、旧暦12月の12日目である。六曜は大安である。.

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12月16日

12月16日(じゅうにがつじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から350日目(閏年では351日目)にあたり、年末まであと15日ある。.

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12月17日

12月17日(じゅうにがつじゅうななにち、じゅうにがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から351日目(閏年では352日目)にあたり、年末まであと14日ある。.

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12月1日

12月1日(じゅうにがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から335日目(閏年では336日目)にあたり、年末まであと30日ある。.

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12月21日

12月21日(じゅうにがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から355日目(閏年では356日目)にあたり、年末まであと10日ある。.

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12月22日 (旧暦)

旧暦12月22日は旧暦12月の22日目である。六曜は先負である。.

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12月23日

12月23日(じゅうにがつにじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から357日目(閏年では358日目)にあたり、年末まであと8日ある。.

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12月28日 (旧暦)

旧暦12月28日は旧暦12月の28日目である。六曜は先負である。.

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12月29日

12月29日(じゅうにがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から363日目(閏年では364日目)にあたり、年末まであと2日ある。.

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12月2日

12月2日(じゅうにがつふつか)は、グレゴリオ暦で年始から336日目(閏年では337日目)にあたり、年末まであと29日ある。.

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12月31日

12月31日(じゅうにがつさんじゅういちにち)はグレゴリオ暦において年始・1月1日から365日目(閏年においては366日目)にあたり、12月の末日、1年の最終日(大晦日)である。この日の23時59分を過ぎると翌日0時0分から翌年1月1日となる。.

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12月5日

12月5日(じゅうにがついつか)はグレゴリオ暦で年始から339日目(閏年では340日目)にあたり、年末まであと26日ある。.

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12月7日

12月7日(じゅうにがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から341日目(閏年では342日目)にあたり、年末まであと24日ある。.

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12月8日

12月8日(じゅうにがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から342日目(閏年では343日目)にあたり、年末まであと23日ある。.

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1300年

記載なし。

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1301年

記載なし。

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1307年

記載なし。

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1310年

記載なし。

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1320年

記載なし。

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1322年

記載なし。

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1325年

記載なし。

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1327年

記載なし。

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1328年

記載なし。

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1332年

記載なし。

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1338年

記載なし。

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1341年

記載なし。

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1344年

記載なし。

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1350年

記載なし。

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1356年

記載なし。

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1360年

記載なし。

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1361年

記載なし。

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1366年

記載なし。

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1372年

記載なし。

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1388年

記載なし。

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1391年

記載なし。

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13世紀

チンギス・ハーン像。 モンゴル帝国の発展。 モンゴル帝国の最大領域。 13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀。.

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1401年

記載なし。

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1402年

記載なし。

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1409年

記載なし。

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1412年

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1417年

記載なし。

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1430年

記載なし。

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1433年

記載なし。

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1434年

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1444年

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1450年

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1455年

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1487年

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1488年

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1493年

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1495年

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1511年

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1534年

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1611年

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1625年

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1627年

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1635年

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1649年

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1654年

記載なし。

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1669年

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1697年

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1705年

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1734年

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1735年

記載なし。

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1758年

記載なし。

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1764年

記載なし。

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1768年

記載なし。

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1774年

記載なし。

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1777年

記載なし。

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1782年

記載なし。

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1791年

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1798年

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1802年

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1806年

記載なし。

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1811年

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1812年

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1813年

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1815年

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1831年

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1836年

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1840年

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1843年

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1854年

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1861年

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1864年

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1867年

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1872年

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1874年

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1875年

記載なし。

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1878年

記載なし。

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1879年

記載なし。

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1880年代

1880年代(せんはっぴゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1880年から1889年までの10年間を指す十年紀。.

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1881年

記載なし。

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1882年

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1883年

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1884年

記載なし。

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1885年

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1886年

記載なし。

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1887年

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1888年

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1889年

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1890年

記載なし。

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1893年

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1895年

記載なし。

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1896年

記載なし。

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1897年

記載なし。

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1900年

19世紀最後の年である。100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく、4で割り切れる平年となる。.

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1901年

20世紀最初の年である。.

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1902年

記載なし。

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1903年

記載なし。

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1904年

記載なし。

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1905年

記載なし。

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1906年

記載なし。

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1909年

記載なし。

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1912年

記載なし。

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1913年

記載なし。

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1914年

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1915年

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1920年

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1925年

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1926年

記載なし。

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1927年

記載なし。

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1928年

記載なし。

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1929年

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1930年

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1934年

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1935年

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1939年

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1946年

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1947年

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1950年

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1951年

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1953年

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1954年

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1955年

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1956年

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1957年

記載なし。

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1960年

アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることに因み、アフリカの年と呼ばれる。.

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1962年

記載なし。

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1963年

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1966年

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1967年

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1974年

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1978年

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1980年の日本

1980年の日本(1980ねんのにほん)では、1980年(昭和55年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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1981年の日本

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1982年の日本

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1983年の日本

1983年の日本(1983ねんのにほん)では、1983年(昭和58年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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1984年の日本

1984年の日本(1984ねんのにほん)では、1984年(昭和59年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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1986年の日本

1986年の日本(1986ねんのにほん)では、1986年(昭和61年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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1987年の日本

1987年の日本(1987ねんのにほん)では、1987年(昭和62年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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1989年の日本

1989年の日本(1989ねんのにほん)では、1989年(昭和64年/平成元年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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1990年の日本

1990年の日本(1990ねんのにほん)では、1990年(平成2年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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1994年の日本

1994年の日本(1994ねんのにほん)では、1994年(平成6年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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1995年の日本

1995年の日本(1995ねんのにほん)では、1995年(平成7年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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1月10日

1月10日(いちがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から10日目に当たり、年末まであと355日(閏年では356日)ある。誕生花は、スノードロップ。.

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1月14日

1月14日(いちがつじゅうよっか、いちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から14日目に当たり、年末まであと351日(閏年では352日)ある。誕生花はシクラメン、シンビジューム、スイートピー、サフラン。.

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1月15日

1月15日(いちがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から15日目に当たり、年末まであと350日(閏年では351日)ある。誕生花はオンシジューム、白いスミレ、黄色のチューリップ、サンザシ、トゲ。.

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1月15日 (旧暦)

旧暦1月15日は旧暦1月の15日目である。六曜は先負である。.

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1月19日

1月19日(いちがつじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から19日目に当たり、年末まであと346日(閏年では347日)ある。.

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1月19日 (旧暦)

旧暦1月19日(きゅうれきいちがつじゅうくにち)は、旧暦1月の19日目である。六曜は先勝である。.

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1月1日

1月1日(いちがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から1日目に当たり、年末まであと364日(閏年では365日)ある。誕生花は松(黒松)、または福寿草。 キリスト教においては生後8日目のイエス・キリストが割礼と命名を受けた日として伝えられる。.

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1月1日 (旧暦)

旧暦1月1日(きゅうれきいちがつついたち)は、旧暦1月の1日目である。六曜は先勝である。.

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1月21日

1月21日(いちがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から21日目に当たり、年末まであと344日(閏年では345日)ある。.

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1月22日

1月22日(いちがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から22日目に当たり、年末まであと343日(閏年では344日)ある。.

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1月25日

1月25日(いちがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から25日目にあたり、年末まであと340日(閏年では341日)ある。.

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1月26日

1月26日(いちがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から26日目に当たり、年末まであと339日(閏年では340日)ある。.

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1月28日

1月28日(いちがつにじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から28日目に当たり、年末まであと337日(閏年では338日)ある。.

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1月2日

1月2日(いちがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から2日目に当たり、年末まであと363日(閏年では364日)ある。誕生花は孟宗竹、または蝋梅。.

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1月30日

1月30日(いちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から30日目に当たり、年末まであと335日(閏年では336日)ある。.

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1月5日

1月5日(いちがついつか)はグレゴリオ暦で年始から5日目に当たり、年末まであと360日(閏年では361日)ある。誕生花はミスミソウ。.

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1月6日

1月6日(いちがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から6日目にあたり、年末まであと359日(閏年では360日)ある。誕生花はユズリハ。.

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1月6日 (旧暦)

旧暦1月6日(きゅうれきいちがつむいか)は旧暦1月の6日目である。六曜は赤口である。.

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1月7日

1月7日(いちがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から7日目に当たり、年末まであと358日(閏年では359日)ある。誕生花はチューリップ(白)。.

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1月8日 (旧暦)

旧暦1月8日(きゅうれきいちがつようか)は、旧暦1月の8日目である。六曜は友引である。.

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1月9日

1月9日(いちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から9日目に当たり、年末まであと356日(閏年では357日)ある。誕生花はパンジー。.

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2005年の日本

2005年の日本(にせんごねんのにほん)では、2005年(平成17年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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2008年の文学

2008年の文学では、2008年(平成20年)の文学に関する出来事について記述する。.

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2009年の文学

2009年の文学では、2009年(平成21年)の文学に関する出来事について記述する。.

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2010年の文学

2010年の文学では、2010年(平成22年)の文学に関する出来事について記述する。.

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2月10日

2月10日(にがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から41日目にあたり、年末まであと324日(閏年では325日)ある。.

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2月12日

2月12日(にがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から43日目にあたり、年末まであと322日(閏年では323日)ある。.

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2月14日

2月14日(にがつじゅうよっか、にがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から45日目にあたり、年末まであと320日(閏年では321日)ある。.

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2月15日

2月15日(にがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から46日目にあたり、年末まであと319日(閏年では320日)ある。.

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2月15日 (旧暦)

旧暦2月15日は旧暦2月の15日目である。六曜は仏滅である。.

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2月16日 (旧暦)

旧暦2月16日は旧暦2月の16日目である。六曜は大安である。.

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2月18日

2月18日(にがつじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から49日目にあたり、年末まであと316日(閏年では317日)ある。.

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2月1日

2月1日(にがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から32日目にあたり、年末まであと333日(閏年では334日)ある。.

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2月22日

2月22日(にがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から53日目にあたり、年末まであと312日(閏年では313日)ある。.

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2月23日

2月23日(にがつにじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から54日目にあたり、年末まであと311日(閏年では312日)ある。.

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2月25日

2月25日(にがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から56日目にあたり、年末まであと309日(閏年では310日)ある。.

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2月26日

2月26日(にがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から57日目にあたり、年末まであと308日(閏年では309日)ある。.

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2月29日

2月29日(にがつにじゅうくにち)は、太陽暦であるグレゴリオ暦の閏日2月24日を閏日とする地域もある。。年始から60日目に当たり、年末まであと306日である。閏日が入れられる年を閏年と言い、西暦で4の倍数の年十二支においては、子年・辰年・申年のいずれかに当たる。がこれに当たる。但し、西暦で100の倍数の年は、400で割り切れる年だけに存在し、400で割り切れない年には存在しない。.

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2月3日

2月3日(にがつみっか)はグレゴリオ暦で年始から34日目に当たり、年末まであと331日(閏年では332日)ある。.

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2月3日 (旧暦)

旧暦2月3日(きゅうれきにがつみっか)は旧暦2月の3日目である。六曜は仏滅である。.

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2月4日

2月4日(にがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から35日目に当たり、年末まであと330日(閏年では331日)ある。.

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2月5日

2月5日(にがついつか)はグレゴリオ暦で年始から36日目に当たり、年末まであと329日(閏年では330日)ある。.

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2月7日

2月7日(にがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から38日目に当たり、年末まであと327日(閏年では328日)ある。.

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2月8日

2月8日(にがつようか)はグレゴリオ暦で年始から39日目にあたり、年末まであと326日(閏年では327日)ある。.

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3月12日

3月12日(さんがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から71日目(閏年では72日目)にあたり、年末まであと294日ある。.

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3月13日

3月13日(さんがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から72日目(閏年では73日目)にあたり、年末まであと293日ある。.

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3月13日 (旧暦)

旧暦3月13日は旧暦3月の13日目である。六曜は先負である。.

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3月17日

3月17日(さんがつじゅうななにち、さんがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から76日目(閏年では77日目)にあたり、年末まであと289日ある。.

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3月18日 (旧暦)

旧暦3月18日は旧暦3月の18日目である。六曜は友引である。.

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3月1日

3月1日(さんがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から60日目(閏年では61日目)にあたり、年末まであと305日ある。.

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3月21日

3月21日(さんがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から80日目(閏年では81日目)にあたり、年末まであと285日ある。.

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3月23日

3月23日(さんがつにじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から82日目(閏年では83日目)にあたり、年末まであと283日ある。.

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3月25日

3月25日(さんがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から84日目(閏年では85日目)にあたり、年末まであと281日ある。.

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3月25日 (旧暦)

旧暦3月25日は旧暦3月の25日目である。六曜は先負である。.

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3月26日

3月26日(さんがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から85日目(閏年では86日目)にあたり、年末まであと280日ある。.

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3月27日

3月27日(さんがつにじゅうななにち、さんがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から86日目(閏年では87日目)にあたり、年末まであと279日ある。.

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3月27日 (旧暦)

旧暦3月27日は旧暦3月の27日目である。六曜は大安である。.

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3月29日

3月29日(さんがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から88日目(閏年では89日目)にあたり、年末まであと277日ある。.

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3月3日 (旧暦)

旧暦3月3日(きゅうれきさんがつみっか)は旧暦3月の3日目である。六曜は大安である。.

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3月5日

3月5日(さんがついつか)はグレゴリオ暦で年始から64日目(閏年では65日目)にあたり、年末まであと301日ある。.

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3月6日

3月6日(さんがつむいか)はグレゴリオ暦で年始から65日目(閏年では66日目)にあたり、年末まであと300日ある。.

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3月7日

3月7日(さんがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から66日目(閏年では67日目)にあたり、年末まであと299日ある。.

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3月9日

3月9日(さんがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から68日目(閏年では69日目)にあたり、年末まであと297日ある。.

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3月9日 (旧暦)

旧暦3月9日は旧暦3月の9日目である。六曜は大安である。.

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4月10日 (旧暦)

旧暦4月10日(きゅうれきしがつとおか)は、旧暦4月の10日目である。六曜は先勝である。.

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4月12日

4月12日(しがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から102日目(閏年では103日目)にあたり、年末まではあと263日ある。誕生花はアンズ、カタクリ。.

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4月13日

4月13日(しがつじゅうさんにち)はグレゴリオ暦で年始から103日目(閏年では104日目)にあたり、年末まではあと262日ある。誕生花はクマガイソウ、エビネ。.

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4月15日

4月15日(しがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から105日目(閏年では106日目)にあたり、年末まではあと260日ある。誕生花はモクレン、タンポポ。.

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4月15日 (旧暦)

旧暦4月15日は旧暦4月の15日目である。六曜は赤口である。.

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4月17日 (旧暦)

旧暦4月17日は旧暦4月の17日目である。六曜は友引である。.

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4月18日

4月18日(しがつじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から108日目(閏年では109日目)にあたり、年末まではあと257日ある。誕生花はアカツメクサ、ワスレナグサ。.

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4月20日

4月20日(しがつはつか、しがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から110日目(閏年では111日目)にあたり、年末まではあと255日ある。誕生花はシバザクラ、ルピナス。.

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4月22日 (旧暦)

旧暦4月22日は旧暦4月の22日目である。六曜は先勝である。.

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4月24日

4月24日(しがつにじゅうよっか、しがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から114日目(閏年では115日目)にあたり、年末まではあと251日ある。誕生花はシャクヤク。.

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4月26日

4月26日(しがつにじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から116日目(閏年では117日目)にあたり、年末まではあと249日ある。この日には地球が元日の時から2天文単位(地球の公転軌道の直径分)動いたことになる。誕生花はスカビオサ、ミヤコワスレ。.

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4月29日 (旧暦)

旧暦4月29日(きゅうれきしがつにじゅうくにち)は、旧暦4月の29日目である。年によっては4月の最終日となる。六曜は友引である。.

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4月2日 (旧暦)

旧暦4月2日(きゅうれきしがつふつか)は旧暦4月の2日目である。六曜は大安である。.

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4月30日

4月30日(しがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から120日目(閏年では121日目)にあたり、年末まではあと245日ある。4月の最終日である。誕生花はナシ、ムラサキハナナ。.

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4月3日

4月3日(しがつみっか)はグレゴリオ暦で年始から93日目(閏年では94日目)にあたり、年末まであと272日ある。誕生花はゼラニウム、ラナンキュラス。.

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4月5日

4月5日(しがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から95日目(閏年では96日目)にあたり、年末まであと270日ある。誕生花はカイドウ、コデマリ。.

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4月9日

4月9日(しがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から99日目(閏年では100日目)にあたり、年末まではあと266日ある。誕生花はアカシア、ウォールフラワー。.

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4月9日 (旧暦)

旧暦4月9日(きゅうれきしがつここのか)は、旧暦4月の9日目である。六曜は赤口である。.

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5月12日

5月12日(ごがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から132日目(閏年では133日目)にあたり、年末まではあと233日ある。誕生花はアスチルベ。.

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5月14日

5月14日(ごがつじゅうよっか、ごがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から134日目(閏年では135日目)にあたり、年末まではあと231日ある。誕生花はシラン。.

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5月18日

5月18日(ごがつじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から138日目(閏年では139日目)にあたり、年末まではあと227日ある。誕生花はアヤメ。.

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5月1日 (旧暦)

旧暦5月1日(きゅうれきごがつついたち)は旧暦5月の1日目である。六曜は大安である。.

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5月21日

5月21日(ごがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から141日目(閏年では142日目)にあたり、年末まではあと224日ある。誕生花はボリジ。.

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5月25日

5月25日(ごがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から145日目(閏年では146日目)にあたる。年末まで220日ある。誕生花はアスパラガス。.

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5月26日

5月26日(ごがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から146日目(閏年では147日目)にあたり、年末まではあと219日ある。誕生花はワサビ。.

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5月28日

5月28日(ごがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から148日目(閏年では149日目)にあたり、年末まではあと217日ある。誕生花はアマリリス。.

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5月28日 (旧暦)

旧暦5月28日は旧暦5月の28日目である。六曜は友引である。.

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5月29日

5月29日(ごがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から149日目(閏年では150日目)にあたり、年末まではあと216日ある。誕生花はナデシコ。.

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5月2日

5月2日(ごがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から122日目(閏年では123日目)にあたり、年末まではあと243日ある。誕生花はスズラン。.

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5月31日

5月31日(ごがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から151日目(閏年では152日目)にあたり、年末まであと214日ある。5月の最終日である。誕生花はルピナス。.

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5月4日

5月4日(ごがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から124日目(閏年では125日目)にあたり、年末まではあと241日ある。誕生花はヤマブキ。.

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5月5日

5月5日(ごがついつか)はグレゴリオ暦で年始から125日目(閏年では126日目)にあたり、年末まではあと240日ある。誕生花はハナショウブ。.

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5月7日 (旧暦)

旧暦5月7日(きゅうれきごがつなのか)は旧暦5月の7日目である。六曜は大安である。.

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5月8日

5月8日(ごがつようか)はグレゴリオ暦で年始から128日目(閏年では129日目)にあたり、年末まではあと237日ある。誕生花はオダマキ。.

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5月9日

5月9日(ごがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から129日目(閏年では130日目)にあたり、年末まではあと236日ある。誕生花はクレマチス。.

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660年

記載なし。

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683年

記載なし。

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6月15日

6月15日(ろくがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から166日目(閏年では167日目)にあたり、年末まであと199日ある。誕生花はタチアオイ、アジサイ。大西歯科医院.

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6月15日 (旧暦)

旧暦6月15日は旧暦6月の15日目である。六曜は友引である。.

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6月1日

6月1日(ろくがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から152日目(閏年では153日目)にあたり、年末まであと213日ある。誕生花はマトリカリア、クレマチス。.

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6月20日

6月20日(ろくがつはつか、ろくがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から171日目(閏年では172日目)にあたり、年末まであと194日ある。誕生花はオトメギキョウ、クリ。.

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6月21日

6月21日(ろくがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から172日目(閏年では173日目)にあたり、年末まであと193日ある。誕生花はツキミソウ、マツヨイグサ、サツキ、ウマゴヤシなどがある。.

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6月22日 (旧暦)

旧暦6月22日は旧暦6月の22日目である。六曜は先負である。.

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6月25日 (旧暦)

旧暦6月25日は旧暦6月の25日目である。六曜は赤口である。.

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6月27日 (旧暦)

旧暦6月27日は旧暦6月の27日目である。六曜は友引である。.

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6月29日

6月29日(ろくがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から180日目(閏年では181日目)にあたり、年末まであと185日ある。誕生花はアガパンサス、ペラルゴニウム。.

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6月3日

6月3日(ろくがつみっか)はグレゴリオ暦で年始から154日目(閏年では155日目)にあたり、年末まであと211日ある。誕生花はアマ、クローバー。.

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6月3日 (旧暦)

旧暦6月3日(きゅうれきろくがつみっか)は、旧暦6月の3日目である。六曜は友引である。.

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6月7日

6月7日(ろくがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から158日目(閏年では159日目)にあたり、年末まであと207日ある。誕生花はイワカガミ、カルセオラリア。.

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6月8日

6月8日(ろくがつようか)はグレゴリオ暦で年始から159日目(閏年では160日目)にあたり、年末まではあと206日ある。誕生花はクチナシ、ジャスミン、タイサンボクなどとされる。.

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6月8日 (旧暦)

旧暦6月8日(きゅうれきろくがつようか)は、旧暦6月の8日目である。六曜は先勝である。.

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708年

記載なし。

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715年

記載なし。

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718年

記載なし。

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724年

記載なし。

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731年

記載なし。

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733年

記載なし。

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737年

記載なし。

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757年

記載なし。

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764年

記載なし。

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766年

記載なし。

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775年

記載なし。

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785年

記載なし。

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790年

記載なし。

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7月13日

7月13日(しちがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から194日目(閏年では195日目)にあたり、年末まであと171日ある。誕生花はホテイアオイ、ニチニチソウ。.

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7月14日

7月14日(しちがつじゅうよっか、しちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から195日目(閏年では196日目)にあたり、年末まであと170日ある。誕生花はノウゼンカズラ、ハナトラノオ。.

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7月15日

7月15日(しちがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から196日目(閏年では197日目)にあたり、年末まであと169日ある。誕生花はネムノキ、カンナ。.

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7月16日

7月16日(しちがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から197日目(閏年では198日目)にあたり、年末まであと168日ある。誕生花はジンジャー、ツユクサ。.

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7月19日

7月19日(しちがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から200日目(閏年では201日目)にあたり、年末まであと165日ある。誕生花はトリカブト、ムギワラギク。.

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7月19日 (旧暦)

旧暦7月19日(きゅうれきしちがつじゅうくにち)は、旧暦7月の19日目である。六曜は先勝である。.

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7月21日

7月21日(しちがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から202日目(閏年では203日目)にあたり、年末まであと163日ある。誕生花はヤマユリ、アサガオ。.

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7月24日

7月24日(しちがつにじゅうよっか、しちがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から205日目(閏年では206日目)にあたり、年末まであと160日ある。誕生花はエンレイソウ、オシロイバナ。.

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7月24日 (旧暦)

旧暦7月24日は旧暦7月の24日目である。六曜は赤口である。.

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7月25日 (旧暦)

旧暦7月25日は旧暦7月の25日目である。六曜は先勝である。.

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7月26日

7月26日(しちがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から207日目(閏年では208日目)にあたり、年末まであと158日ある。誕生花はヒャクニチソウ、ヤマトナデシコ。.

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7月26日 (旧暦)

旧暦7月26日は旧暦7月の26日目である。六曜は友引である。.

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7月27日

7月27日(しちがつにじゅうななにち、しちがつにじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から208日目(閏年では209日目)にあたり、年末まであと157日ある。誕生花はフウロソウ、ホオズキ。.

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7月28日

7月28日(しちがつにじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から209日目(閏年では210日目)にあたり、年末まであと156日ある。誕生花はオシロイバナ、グロリオーサ。.

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7月30日

7月30日(しちがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から211日目(閏年では212日目)にあたり、年末まであと154日ある。誕生花はニチニチソウ、ホウセンカ。.

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7月3日

7月3日(しちがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から184日目(閏年では185日目)にあたり、年末まではあと181日ある。誕生花はハス、バラ。.

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7月8日

7月8日(しちがつようか)はグレゴリオ暦で年始から189日目(閏年では190日目)にあたり、年末まであと176日ある。誕生花はホオズキ、クロユリ。.

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7月9日

7月9日(しちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から190日目(閏年では191日目)にあたり、年末まであと175日ある。誕生花はギボウシ、ストケシア。.

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802年

記載なし。

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816年

記載なし。

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818年

記載なし。

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822年

記載なし。

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825年

記載なし。

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826年

記載なし。

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845年

記載なし。

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853年

記載なし。

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872年

記載なし。

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873年

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875年

記載なし。

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877年

記載なし。

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880年

記載なし。

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884年

記載なし。

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889年

記載なし。

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890年

記載なし。

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893年

記載なし。

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898年

記載なし。

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8月16日 (旧暦)

旧暦8月16日は旧暦8月の16日目である。六曜は大安である。.

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8月17日

8月17日(はちがつじゅうななにち、はちがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から229日目(閏年では230日目)にあたり、年末まであと136日ある。.

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8月18日

8月18日(はちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から230日目(閏年では231日目)にあたり、年末まであと135日ある。.

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8月18日 (旧暦)

旧暦8月18日(きゅうれきはちがつじゅうはちにち)は、旧暦8月の18日目である。六曜は先勝である。.

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8月19日

8月19日(はちがつじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から231日目(閏年では232日目)にあたり、年末まであと134日ある。.

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8月1日

8月1日(はちがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から213日目(閏年では214日目)にあたり、年末まではあと152日ある。.

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8月20日 (旧暦)

旧暦8月20日(きゅうれきはちがつはつか)は、旧暦8月の20日目である。六曜は先負である。.

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8月23日

8月23日(はちがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から235日目(閏年では236日目)にあたり、年末まであと130日ある。.

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8月24日

8月24日(はちがつにじゅうよっか、はちがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から236日目(閏年では237日目)にあたり、年末まであと129日ある。.

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8月25日

8月25日(はちがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から237日目(閏年では238日目)にあたり、年末まであと128日ある。.

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8月28日 (旧暦)

旧暦8月28日(きゅうれきはちがつにじゅうはちにち)は、旧暦8月の28日目である。六曜は大安である。.

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8月2日

8月2日(はちがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から214日目(閏年では215日目)にあたり、年末まではあと151日ある。.

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8月30日

8月30日(はちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から242日目(閏年では243日目)にあたり、年末まであと123日ある。.

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8月4日

8月4日(はちがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から216日目(閏年では217日目)にあたり、年末まであと149日ある。.

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8月7日

8月7日(はちがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から219日目(閏年では220日目)にあたり、年末まであと146日ある。.

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8月9日

8月9日(はちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から221日目(閏年では222日目)にあたり、年末まであと144日ある。.

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8月9日 (旧暦)

旧暦8月9日(きゅうれきはちがつここのか)は、旧暦8月の9日目である。六曜は仏滅である。.

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906年

記載なし。

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907年

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908年

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910年

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911年

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918年

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919年

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920年

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921年

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923年

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924年

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929年

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930年

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932年

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936年

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938年

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939年

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940年

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943年

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945年

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948年

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949年

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952年

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954年

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958年

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961年

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964年

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965年

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966年

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967年

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969年

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970年

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972年

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974年

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981年

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983年

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985年

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988年

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990年

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991年

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992年

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994年

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995年

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996年

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999年

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9月10日

9月10日(くがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から253日目(閏年では254日目)にあたり、年末まであと112日ある。.

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9月11日

9月11日(くがつじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から254日目(閏年では255日目)にあたり、年末まであと111日ある。.

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9月12日

9月12日(くがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から255日目(閏年では256日目)にあたり、年末まであと110日ある。.

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9月17日

9月17日(くがつじゅうななにち、くがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から260日目(閏年では261日目)にあたり、年末まであと105日ある。.

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9月17日 (旧暦)

旧暦9月17日(きゅうれきくがつじゅうななにち、きゅうれきくがつじゅうしちにち)は、旧暦9月の17日目である。六曜は先勝である。.

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9月18日

9月18日(くがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から261日目(閏年では262日目)にあたり、年末まであと104日ある。.

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9月1日

9月1日(くがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から244日目(閏年では245日目)にあたり、年末まではあと121日ある。.

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9月26日

9月26日(くがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から269日目(閏年では270日目)にあたり、年末まであと96日ある。.

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9月2日 (旧暦)

旧暦9月2日(きゅうれきくがつふつか)は旧暦9月の2日目である。六曜は仏滅である。.

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9月3日

9月3日(くがつみっか)はグレゴリオ暦で年始から246日目(閏年では247日目)にあたり、年末まであと119日ある。.

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9月4日

9月4日(くがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から247日目(閏年では248日目)にあたり、年末まであと118日ある。.

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9月6日

9月6日(くがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から249日目(閏年では250日目)にあたり、年末まであと116日ある。.

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9月7日

9月7日(くがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から250日目(閏年では251日目)にあたり、年末まであと115日ある。.

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9月9日

9月9日(くがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から252日目(閏年では253日目)にあたり、年末まであと113日ある。.

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