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昭和研究会

索引 昭和研究会

昭和研究会(しょうわ けんきゅうかい、1933年(昭和8年)12月27日設立 – 1940年(昭和15年)11月19日廃止)は、近衛文麿の私的ブレーントラスト(政策研究団体)。主宰者は近衛のブレーンの一人だった後藤隆之助。ただし正式な組織として発足手続が取られたのは1936年(昭和11年)11月に入ってからである。.

67 関係: 加田哲二反共主義古野伊之助堀江邑一大西斎大政翼賛会尾崎秀実山川端夫岸道三帆足計三木清三浦銕太郎一橋大学の人物一覧平和問題談話会平貞蔵京都大学の人物一覧京都大学吉田寮井川忠雄企画院事件佐多忠隆佐島敬愛佐々弘雄後藤基夫後藤隆之助志賀直方和田耕作アジア主義スパイ・ゾルゲゾルゲ諜報団国土計画矢部貞治矢次一夫社会技術神奈川大学竹内洋笠信太郎第1次近衛内閣精神科学研究所総務庁 (満州国)緒方竹虎羽生三七真珠湾攻撃陰謀説由田浩益田豊彦革新官僚蝋山政道風見章風早八十二養成施設西安事件...角田順高橋亀吉近衛上奏文近衛文麿酒井三郎林達夫東亜協同体論東畑精一村田省蔵森戸事件橋本清之助池田勇人内閣の政策河合徹 (政治家)清水幾太郎朝食会朝日新聞有沢広巳 インデックスを展開 (17 もっと) »

加田哲二

加田 哲二(かだ てつじ、1895年(明治28年)11月26日 - 1964年(昭和39年)4月24日)は、大正・昭和時代の植民政策学者、言論人、社会学者、東亜協同体論者、経済学博士。慶應義塾大学経済学部名誉教授、昭和研究会委員、大日本言論報国会理事。本名は忠臣(ちゅうしん)。.

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反共主義

反共主義(はんきょうしゅぎ)または反共産主義(はんきょうさんしゅぎ、Anti-communism)とは、共産主義に反対する思想や運動のこと。短く反共とも。対義語は容共だが、その定義は不明。 広義には共産主義や社会主義全体への反対だが、狭義には共産主義内部を含めた特にマルクス主義やレーニン主義(マルクス・レーニン主義)や共産党などへの反対を指す。反共産主義の組織的な発達は共産主義の台頭の反動によるもので、特に1917年にロシアで共産主義者のボリシェヴィキが権力を奪取した十月革命以降である。.

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古野伊之助

古野 伊之助(ふるの いのすけ、1891年(明治24年)11月13日 - 1966年(昭和41年)4月24日)は「同盟通信社」を運営した通信事業経営者。.

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堀江邑一

堀江 邑一(ほりえ むらいち、1896年12月18日 - 1991年11月24日)は、日本の経済学者。専攻はソ連経済、マルクス経済学。妻は元日本共産党衆議院議員の苅田アサノ。日ソ協会(現・日本ユーラシア協会)顧問などを務めた。.

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大西斎

大西 斎(おおにし いつき(ひとし、さい)、1887年12月 - 1947年12月20日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞副主筆。.

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大政翼賛会

大政翼賛会(大政翼贊會、たいせいよくさんかい)は、1940年(昭和15年)10月12日から1945年(昭和20年)6月13日まで存在していた日本の公事結社。左右合同の組織である。.

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尾崎秀実

尾崎 秀実(おざき ほつみ、1901年(明治34年)4月29日 - 1944年(昭和19年)11月7日)は日本の評論家・ジャーナリスト・共産主義者。朝日新聞社記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務める。 近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。 共産主義者であり、革命家としてリヒャルト・ゾルゲが主導するソビエト連邦の諜報組織「ゾルゲ諜報団」に参加し、スパイとして活動し、最終的にゾルゲ事件として1941年(昭和16年)発覚し、首謀者の1人として裁判を経て死刑に処された。 共産主義者としての活動は同僚はもちろん妻にさえ隠し、自称「もっとも忠実にして実践的な共産主義者」として、逮捕されるまで正体が知られることはなかった。.

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山川端夫

山川 端夫(やまかわ ただお、1873年12月15日 - 1962年3月2日)は、日本の海軍・外務官僚、政治家、国際法学者。法学博士、貴族院議員、法制局長官。.

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岸道三

岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962年3月14日)は、日本の実業家・財界人。経済同友会代表幹事(第10代)・日本道路公団初代総裁。.

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帆足計

帆足 計(ほあし けい、1905年9月27日 - 1989年2月3日)は、大分県出身の官僚、財界人、政治家。.

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三木清

三木清 三木 清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.

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三浦銕太郎

三浦 銕太郎(みうら てつたろう、1874年3月20日 - 1972年5月8日)は、日本のジャーナリスト、評論家。東洋経済新報社主幹として小日本主義を唱え、石橋湛山・高橋亀吉らを鍛え上げた。 静岡県志太郡相川村(現・焼津市)出身。.

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一橋大学の人物一覧

一橋大学の人物一覧(ひとつばしだいがくのじんぶついちらん)は、一橋大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・総長・名誉教授・公職者等は除く)。.

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平和問題談話会

平和問題談話会(へいわもんだいだんわかい)は、日本の市民団体である。 結成のきっかけとなったのは「戦争をひきおこす緊迫の原因に関して、ユネスコの八人の社会科学者によってなされた声明」であり、これに示唆を受けた約50名の学者が『戦争と平和に関する日本の科学者の声明』の発表を経て、49年に東京平和問題談話会および京都平和問題談話会を組織した。さらに1950年1月15日『講和問題についての声明』を発表、全面講和を要望した。 会の中心は安倍能成・大内兵衛・仁科芳雄であり、とくに安倍・大内は「オールド・リベラル」と称される大正デモクラシー世代の著名知識人で、初期の『世界』の中心的執筆者となっており、彼らに加え旧・昭和研究会メンバーの蝋山政道・笠信太郎・清水幾太郎も参加している。会の実質的な仕切り役となったのは清水で、丸山は「清水親分」「絶対君主で、常に権力の均衡の上に座をしめている」と述べている。これに関連して竹内洋は、もし仮に昭和研究会の頭目の三木清が弾圧死することなく戦後長く生き延びていたなら、平和問題談話会の代表格の地位を占めていたはずであり、清水幾太郎や丸山真男の出る幕は減った可能性が高いのではないかと推測している。.

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平貞蔵

平 貞蔵(たいら ていぞう、1894年8月7日 - 1978年5月28日)は日本の思想家。新人会、昭和研究会に参加。昭和塾を設立。.

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京都大学の人物一覧

京都大学の人物一覧(きょうとだいがくのじんぶついちらん)は、京都大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・役員・名誉教授・公職者等は除く)。.

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京都大学吉田寮

京都大学 吉田寮(きょうとだいがく よしだりょう)は京都大学吉田キャンパス吉田南構内にある学生寄宿舎, CNN Travel, By Roy Berman 4 May, 2010 。吉田寮自治会によって運営される自治寮でもある。築104年の吉田寮現棟は第三高等中学校・京都帝国大学の遺構にして、日本最古の現役学生寮現存する最古の学生寮として建てられた建物は龍谷大学南北黌(1879年竣工・重要文化財)だが、今は学生寮として使用されていない。学生寮の機能を維持しているのは吉田寮が最古である。そういう意味で「日本最古の現役学生寮」、築128年の吉田寮食堂は第三高等中学校の遺構にして、京大最古の大学建築物以前は第三高等中学校物理学実験場が京大最古の大学建築物と言われていたが、吉田寮食堂が四ヶ月早く竣工したことがわかったである。 京都大学の規程での名称は「京都大学学生寄宿舎吉田寮」。京都大学に他の学生寮がなかった時代は「学生寄宿舎」「京大寄宿舎」などと呼んでいた 京都大学大学文書館 2009年 所収 河西秀哉「『吉田寮関係資料について」。.

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井川忠雄

井川 忠雄(いかわ ただお、男性、1893年2月15日 – 1947年2月18日)は、日本の大蔵官僚、政治家。太平洋戦争開戦前、日米民間人交渉に携わった人物として知られる。.

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企画院事件

企画院事件(きかくいんじけん)は、1939年から1941年にかけて、多数の企画院職員・調査官および関係者が左翼活動の嫌疑により治安維持法違反として検挙・起訴された事件。企画院事件は、1939年以降の「判任官グループ」事件、および1940年以降の「高等官グループ」事件の複合体である。.

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佐多忠隆

佐多 忠隆(さた ただたか、1904年6月4日 - 1980年4月23日)は、日本の政治家。参議院議員。.

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佐島敬愛

佐島 敬愛(さじま よしなり、1904年2月23日-1990年7月20日)は日本の企業家。戦前は岩畔豪雄に協力し、国策会社である昭和通商の運営に深く関わる一方で、渋沢敬三とともに日本の民族学の初期を資金的に支えた。また第三高等学校 (旧制)に今西錦司とともに山岳部をつくり、加藤泰安の就職に関与するなど、京都大学の探検大学の基礎となる多くの探検には佐島の影響があった。戦後は渋沢敬三の経済界での活動を支えるだけでなく、引き続き民族学への協力を続け、国立民族学博物館設立に関与するなどもした。.

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佐々弘雄

佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年(明治30年)1月23日 - 1948年(昭和23年)10月9日)は、日本の政治学者、ジャーナリスト、参議院議員。.

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後藤基夫

後藤 基夫(ごとう もとお、1918年10月20日 - 1983年4月5日)は日本のジャーナリスト、朝日新聞社常務取締役。.

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後藤隆之助

後藤 隆之助(ごとう りゅうのすけ、1888年12月20日 - 1984年8月21日)は、日本の政治活動家。近衛文麿のブレーンとして彼を支え、大政翼賛会の組織局長を務めた。.

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志賀直方

志賀直方(しが なおかた、なおまさ、1879年(明治12年) - 1937年(昭和12年)11月28日)は、日本の政治運動家。小説家・志賀直哉の叔父。.

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和田耕作

和田 耕作(わだ こうさく、1907年1月18日 - 2006年7月4日)は、日本の政治家。元民社党衆議院議員。高知県出身。1984年勲二等旭日重光章受章。.

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アジア主義

アジア主義(アジアしゅぎ)、または汎アジア主義(はんアジアしゅぎ、)とは、日本と他のアジア諸邦の関係や、アジアの在り方についての思想ないし運動の総称である。19世紀後半に活発となった欧米列強のアジア侵出に対抗する方策として展開された。.

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スパイ・ゾルゲ

『スパイ・ゾルゲ』は、2003年6月14日公開の日本映画。実在のスパイ、リヒャルト・ゾルゲの半生を描いた、全編3時間を越える大作である。.

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ゾルゲ諜報団

ゾルゲ諜報団(ゾルゲちょうほうだん)は、リヒャルト・ゾルゲを筆頭に、昭和期の日本を中心に極東で活動したソ連のスパイグループ。日本でゾルゲ事件を引き起こした後、一斉検挙された。ゾルゲ国際諜報団、ゾルゲ・グループなどとも呼ばれ、ゾルゲのコードネームにちなみラムゼイ機関ともいう。.

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国土計画

国土計画とは、国土の利用、整備、保全に関する計画。日本の国土形成計画法に基づく国土形成計画や国土利用計画法に基づく国土利用計画などがこれに当たる。なお、改正前の旧国土総合開発法に基づく全国総合開発計画も含む。地域計画と区別して国土計画という場合、全国を対象とした計画を意味することが多い。.

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矢部貞治

部 貞治(やべ ていじ、明治35年(1902年)11月9日 - 昭和42年(1967年)5月7日)は、日本の政治学者、評論家。東京帝国大学法学部教授、拓殖大学総長などを歴任した。従三位勲一等。政治学博士。旧姓横山。 第二次世界大戦前・戦後を問わず現実政治への関与を行い、戦前は近衛文麿のブレーントラスト「昭和研究会」に参加し、外交部会長を務めた。戦後では東大時代に指導した中曽根康弘の相談役であったことで知られる。中曽根は度々師であったと公言している。 自身の来歴から、近衛に関する多くの伝記研究を編纂執筆している。 政治史研究に関する一次史料として、矢部日記が没後刊行されている。私蔵文書類は憲政記念館が所蔵していたが、現在は一部が政策研究大学院大学に移管され、整理・公開されている。なお他にも、多数の重要な史料を憲政記念館で所蔵しており、遺族からも史料の寄贈を受けているが未整理・非公開のままとなっている。.

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矢次一夫

次 一夫(やつぎ かずお、1899年7月5日 - 1983年3月22日)は、大正・昭和期の日本の、労働運動家・浪人政治家・フィクサー。 昭和研究会と並ぶ、民間の国策研究機関「国策研究会」の創立者の一人。大宅壮一は彼を「昭和最大の怪物」と評した。.

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社会技術

会技術(しゃかいぎじゅつ)は、多様で幅広い関係者の対話や協働を通して社会と技術の関係を俯瞰し、社会問題の解決に資する技術のことである。ここでの技術は通常の意味での技術と異なり、より幅広い概念を表すことが多い。通俗的に言えば、《社会による》(対話・協働)、《社会の中の》(俯瞰)、《社会のための》(問題解決志向)技術が社会技術であり、周囲の環境や自らの立場、将来の予見に従って不断に構築されるものである。.

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神奈川大学

建学の精神は.

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竹内洋

竹内 洋(たけうち よう、1942年(昭和17年)1月8日 - )は、日本の社会学者(教育学博士(京都大学))。専門は、教育社会学。京都大学教育学部名誉教授。関西大学名誉教授。.

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笠信太郎

信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - 1967年12月4日)は、日本のジャーナリスト。社長不在時代の朝日新聞で常務取締役論説主幹をつとめ、信夫韓一郎、永井大三とトロイカ体制をしいた。また、昭和研究会メンバーなどもつとめ、政界のフィクサーや、CIA協力者としても活動した。.

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第1次近衛内閣

記載なし。

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精神科学研究所

精神科学研究所(せいしんかがくけんきゅうじょ)は、1940年代に存在した日本の民間シンクタンク団体。略称は精研。.

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総務庁 (満州国)

総務庁(そうむちょう)とは、満州国の国務総理大臣が自らの職務権限に基づく事務を処理するために設けた機関。.

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緒方竹虎

緒方 竹虎(おがた たけとら、1888年(明治21年)1月30日 - 1956年(昭和31年)1月28日)は、日本のジャーナリスト、政治家。朝日新聞社副社長・主筆、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを歴任。栄典は正三位勲一等旭日大綬章。三男の緒方四十郎は元日本銀行理事。.

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羽生三七

羽生 三七(はにゅう さんしち、明治37年(1904年)1月13日 - 昭和60年(1985年)12月30日)は、大正、昭和期の日本の政治家、社会運動家。日本社会党参議院議員。「参議院の良心」と呼ばれた論客であった。.

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真珠湾攻撃陰謀説

真珠湾攻撃陰謀説(しんじゅわんこうげきいんぼうせつ)は、1941年12月8日(現地時間は7日)の大日本帝国海軍の真珠湾攻撃を、アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトが、事前察知をしながらそれをわざと放置した、という説である。この説は戦時中の日本や、終戦後のアメリカでも唱えられていた。現代では前任者フーヴァーやマッカーサーなどのルーズベルト非難が明らかになっている。.

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由田浩

由田 浩(よしだ ひろし、1913年2月23日 - 1977年10月3日)は日本の教育者。由田学園理事長、横浜事件の関係者。.

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益田豊彦

豊彦(ますだ とよひこ、1900年5月22日 - 1974年7月11日)は、日本のジャーナリスト。.

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革新官僚

革新官僚(かくしんかんりょう)とは、革新主義政策をめざし、または実行した官僚たちの呼称である。 特に1937年に内閣調査局を前身とする企画庁が、日中戦争の全面化に伴って資源局と合同して企画院に改編された際、同院を拠点として戦時統制経済の実現を図った官僚層のことをさす。のちに国家総動員法などの総動員計画の作成に当たった。.

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蝋山政道

蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。.

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風見章

見 章(かざみ あきら、1886年(明治19年)2月12日 - 1961年(昭和36年)12月20日)は、日本の昭和期の政治家。立憲民政党、国民同盟、日本社会党に所属の衆議院議員。当選9回。第1次近衛内閣で内閣書記官長、第2次近衛内閣で司法大臣。茨城県豊田郡水海道町(のち常総市)出身。旧水海道市名誉市民。.

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風早八十二

早 八十二(かざはや やそじ、1899年8月10日(戸籍上は8月24日) - 1989年6月18日)は、日本の法学者。専門は刑事法、社会政策。衆議院議員(1949年1月-1952年7月)、弁護士(登録は1949年12月8日)。岡山県出身。1922年、東京帝国大学法学部卒業。.

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養成施設

養成施設(ようせいしせつ)とは、職業人や職能者、人材等を育成・養成する施設に用いられることが多い名称である。他に用いられることが多い名称として、養成機関(ようせいきかん)や養成所(ようせいじょ)などがある。 「養成施設」、「養成機関」、「養成所」という名称自体には法令の定めがなく、法令による名称の使用制限もない。しかし、資格等の取得に関連して、法令により養成施設等が規定されているものがある(例:保育士を取得するための指定保育士養成施設が児童福祉法に規定されている)。 法令の定めがない施設の場合は、様々な設置者が様々な目的で設置している。例えば、芸能事務所や制作プロダクションなどが俳優や声優の養成を目的として設置する俳優養成所や声優養成所では、俳優や声優としての知識・演技力を教授している。これらの養成所は学校教育法に規定された施設ではないため、卒業しても学歴には該当せず、また、職歴にも該当しない場合もあり、履歴書には記載されないことがほとんどである。但し、芸歴には該当し、個々の公開プロフィールなどには記載されることが多い。.

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西安事件

西安事件(せいあんじけん)は、1936年(民国25年)12月12日に中華民国西安で起きた、張学良・楊虎城らによる蒋介石拉致監禁事件。中国では西安事変と呼ばれる。事件収束に至る真相の詳細はいまだ不明だが、この事件によって、その後の共同抗日と国共合作が促されたとされる。.

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角田順

角田順(かくた じゅん/つのだ じゅん/すみだ じゅん).

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高橋亀吉

橋 亀吉(たかはし かめきち、古い文書では「髙橋龜吉」とも、1891年(明治24年)1月27日(戸籍上では1894年(明治27年)9月23日) - 1977年(昭和52年)2月10日)は、経済評論家・経済史研究者。石橋湛山と並ぶ、日本の民間エコノミストの草分け的存在である。新平価解禁派。文化功労者。.

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近衛上奏文

近衛上奏文(このえじょうそうぶん)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文。.

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近衛文麿

近衞 文麿(このえ ふみまろ、1891年(明治24年)10月12日 - 1945年(昭和20年)12月16日)は、日本の政治家。栄典は勲一等公爵。 貴族院議員、貴族院副議長(第10代)、貴族院議長(第9代)、内閣総理大臣(第34・38・39代)、外務大臣(第57代)、拓務大臣(第13代)、班列、農林大臣(臨時代理)、司法大臣(第43代)、国務大臣、大政翼賛会総裁(初代)などを歴任した。.

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酒井三郎

酒井三郎(さかい さぶろう、1907年4月7日 - 1993年1月23日)は、昭和時代の団体職員。昭和研究会、大政翼賛会、住友通信機、参議院緑風会を経て、日本民間放送連盟創立に参画。.

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林達夫

林 達夫(はやし たつお、1896年11月20日 - 1984年4月25日)は、日本の思想家、評論家。西洋精神史、文化史、文明史にわたる著作が多い。.

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東亜協同体論

東亜協同体論(とうあきょうどうたいろん)とは、1930年代末(日中戦争初期)の日本で、東アジア地域において民族・国家を超克する協同体の建設を主張した政治理論・思想のこと。当時の近衛文麿首相のブレイン集団である昭和研究会を中心に構想され、三木清・蝋山政道・尾崎秀実・新明正道・加田哲二・杉原正巳らが主要な論者となった。.

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東畑精一

東畑 精一(とうばた せいいち、1899年(明治32年)2月2日 - 1983年(昭和58年)5月6日)は、日本の農業経済学者。農学博士。.

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村田省蔵

村田 省蔵(むらた しょうぞう、1878年9月6日 - 1957年3月15日)は日本の実業家、政治家。大阪商船社長を経て、第二次世界大戦中、逓信大臣兼鉄道大臣や、フィリピン占領軍最高顧問などを務めた。戦後初代駐フィリピン特命全権大使に就くも、のち公職追放及びA級戦犯指定となった。追放解除後、外務省顧問、比島賠償会議担当特命全権大使等。.

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森戸事件

森戸事件(もりとじけん)は、大正9年(1920年)に起きた経済学者・森戸辰男の筆禍事件。.

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橋本清之助

橋本 清之助(はしもと せいのすけ、1894年(明治27年)2月9日 - 1981年(昭和56年)7月10日)は、日本の政治運動家。翼賛政治体制協議会・翼賛政治会事務局長。第二次世界大戦後は日本原子力産業会議初代事務局長を務める。 日本の原子力産業界において隠然たる力を発揮した人物として知られる。その一方で、「われわれ原子力関係者は社会と ファウスト的契約を結んだ。すなわち、われわれは社会に原子力という豊富なエネルギー源を与え、それと引きかえに、これが制御されないときに、恐るべき災害を招くという潜在的副作用を与えたのである」との言葉を残したと伝えられる。.

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池田勇人内閣の政策

池田勇人内閣の政策では、池田勇人を首班とする内閣(期間:1960年7月19日 - 1964年11月9日)の任期中の経緯、およびそのとった政策を記す。.

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河合徹 (政治家)

河合 徹(かわい とおる、1911年(明治44年) - 1992年(平成4年))は、日本の政策研究者、地方政治家。.

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清水幾太郎

1954年 清水 幾太郎(しみず いくたろう、1907年7月9日 - 1988年8月10日)は、日本の社会学者、評論家。.

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朝食会

朝食会(ちょうしょくかい)は、近衛文麿内閣の政策研究会、政治勉強会。朝食を共にして議論が交わされたのでこの名が付けられた。「朝飯会(あさめしかい)」とも。内閣総理大臣秘書官である牛場友彦と岸道三、そしてゾルゲ事件で死刑を宣告された内閣嘱託の尾崎秀実が主催した。牛場邸、万平ホテル、西園寺公爵邸で開かれ、近衛内閣の政策に大きな影響を与えた。「昭和研究会」と交わる部分がある。.

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朝日新聞

朝日新聞社の社旗(西日本版) 中之島にある朝日新聞大阪本社 中央区築地にある朝日新聞東京本社 栄にある朝日新聞名古屋本社 北九州市小倉北区リバーウォーク北九州にある朝日新聞西部本社 福岡市博多区博多駅前にある朝日新聞福岡本部 中央区にある朝日新聞北海道支社 朝日新聞(あさひしんぶん、The Asahi Shimbun)は、日本の日刊の全国紙。朝日新聞社が編集・発行する新聞で、同社のメイン新聞である。販売部数は、全国紙では読売新聞に次ぐ業界2位。.

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有沢広巳

有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年2月16日 - 1988年3月7日)は、日本の統計学者、経済学者。法政大学元総長。 東京大学名誉教授、法政大学名誉教授。統計学が専門分野で実証に徹した。.

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