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日比野丈夫

索引 日比野丈夫

日比野 丈夫(ひびの たけお、1914年(大正3年)3月4日 - 2007年(平成19年)7月2日) は、日本の東洋学者、歴史学者(歴史地理学)。京都市生まれ。祖先は高須藩(現在の岐阜県海津市)に代々仕えた漢学者の家柄。.

24 関係: 大手前大学の人物一覧外山軍治宮島詠士小野勝年中国の歴史 (講談社)京都大学の人物一覧京都府立洛北高等学校・附属中学校の人物一覧羽田明燕・古朝鮮戦争須山卓衛氏朝鮮西村睦男訃報 2007年7月松田壽男森鹿三歴史家の一覧水経注水野清一漢口事件漢四郡朱熹日本の地理学者の一覧日本学士院賞7月2日

大手前大学の人物一覧

大手前大学の人物一覧は大手前大学に関係する人物の一覧記事。.

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外山軍治

外山 軍治(とやま ぐんじ、1910年 - 1999年9月7日)は、日本の東洋史学者、大阪外国語大学名誉教授。 大阪市生まれ。1933年、京都帝国大学文学部史学科卒。渤海国研究に参加、戦後、大阪外国語大学教授。1962年、「金朝史の研究」で京都大学文学博士。1974年、定年退官、名誉教授。愛泉女子短期大学教授、堺女子短期大学教授。北方異民族を研究したほか、書史の研究もおこなった。.

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宮島詠士

宮島 詠士(みやじま えいし、慶応3年10月20日(1867年11月15日) - 昭和18年(1943年)7月9日)は、明治から昭和前期にかけて活躍した能書家、教育家(中国語)。山形県米沢の出身。名は吉美、通称は大八(だいはち)、詠士は字で、号に詠而帰廬主人がある。 詠士は明治37年(1904年)に中国語の教科書『官話急就篇』を刊行し、中国語の私塾 善隣書院を創設して生涯その経営にあたるなど、戦前の中国語教育に大きな足跡を残した。また書家としても著名で、代表作『犬養公之碑』は日本書道史に異彩を放つ楷書碑として尊い。書の門弟に上條信山、藤本竹香がいる上條信山 pp..111-112横山淳一 p.227渡部清 p.111。.

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小野勝年

小野 勝年(おの かつとし、1905年12月1日 - 1988年12月20日)は、日本の歴史家(東洋史・仏教史)。.

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中国の歴史 (講談社)

『中国の歴史』(ちゅうごくのれきし)は講談社から刊行された中国通史の叢書であり、これまで同じタイトルの叢書が3次にわたり刊行されている。.

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京都大学の人物一覧

京都大学の人物一覧(きょうとだいがくのじんぶついちらん)は、京都大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・役員・名誉教授・公職者等は除く)。.

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京都府立洛北高等学校・附属中学校の人物一覧

京都府立洛北高等学校・附属中学校の人物一覧(きょうとふりつらくほくこうとうがっこうふぞくちゅうがっこうのじんぶついちらん)は、京都府立洛北高等学校・附属中学校の関係者一覧である。.

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羽田明

羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日- 1989年12月27日)は、歴史学者。研究分野はアジア史。京都大学名誉教授。 羽田亨の子。東京大学教授の羽田正は息子。.

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燕・古朝鮮戦争

燕・古朝鮮戦争(えん・こちょうせんせんそう)は、紀元前4世紀後半、封建国の燕による古朝鮮への侵攻。軍事作戦は、 が主導した。侵攻は、燕による遼東半島の征服に帰着した。 燕は、紀元前222年に秦の始皇帝に滅ぼされるまで、現在の河北省を根拠地に南満州から北朝鮮まで勢力範囲に収めていた森鹿三「分裂の時代」『東洋の歴史4』人物往来社、1967年、p367。燕は、内地からの避難民をかかえこみ、これを利用して満州南部や朝鮮半島に進出した日比野丈夫「秦漢帝国」『東洋の歴史3』人物往来社、1966年、p295。 燕が秦に滅ぼされると、亡命者が満州や朝鮮に流入した。秦の始皇帝が中国を統一した際、紀元前226年に燕の国都を陥れ、逃亡する燕王たちを追跡して遼東に進み、5年目に捕虜としたとき、多数の燕の遺民たちが朝鮮半島に逃げこんだことは疑いない。 秦の末年から前漢の初めにかけても、戦乱を避けて大量の難民が朝鮮へ移動した。秦が滅び楚漢戦争が始まると、中国人の流入するものはますます多くなり、衛氏朝鮮を建国した衛満が中国から亡命して平壌に都を定め、朝鮮国を立てたのはこのような地盤があったからである。.

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須山卓

山 卓(すやま たく、1910年 - 1981年)は、日本の経済学者、長崎大学名誉教授。 熊本県生まれ。1934年、法政大学法文学部卒。1958年、「華僑社会経済史研究」で拓殖大学経済学博士。満鉄東亜経済調査局副参事。大東文化大学教授、奥州大学教授。クアラルンプールJETRO事務局長、長崎大学経済学部教授、1977年、定年退官、九州産業大学教授。.

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衛氏朝鮮

衛氏朝鮮(えいしちょうせん 紀元前195年? - 紀元前108年)は、その実在について論争のない朝鮮半島の最初の国家である。中国の燕に出自を持つ中国人亡命者である衛満(『史記』及び『漢書』には名のみ「満」と記す。姓を「衛」と記すのは2世紀頃に書かれた王符の『潜夫論』以降)が今の朝鮮半島北部に建国した。.

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西村睦男

西村 睦男(にしむら むつお、1915年1月31日 - 2006年3月9日)は、日本の地理学者。 山口県宇部市出身。1938年京都帝国大学文学部地理学科卒。京都・嵯峨野高等女学校教員をへて、1951年京都大学教養部助教授、63年教授、1968年奈良女子大学文学部教授、1978年奈良大学教授、82年同学長。子はドイツ文学者の西村雅樹。.

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訃報 2007年7月

本項訃報 2007年7月は、2007年7月中に物故した人物の一覧である。.

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松田壽男

松田 壽男(まつだ ひさお、1903年11月15日- 1982年3月10日)は、東洋史学者。 中央・北アジア史、東西交渉史(シルクロード史)を研究し「乾燥アジア史」を提唱した。また歴史地理学の研究に、鉱物である水銀、辰砂を史料として丹生氏の植民進出を論証した「丹生の研究」を著した。.

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森鹿三

森 鹿三(もり しかぞう、1906年11月5日 - 1980年8月10日)は、日本の東洋史学者。 神戸市生まれ。1929年京都帝国大学文学部東洋史学科卒。京都大学人文科学研究所教授、所長。1961年「居延漢簡の古文書学的研究」で京大文学博士。70年定年退官、名誉教授、佛教大学教授。『水経注』の訳で知られた。.

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歴史家の一覧

歴史家の一覧.

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水経注

『水経注』(すいけいちゅう)は、中国北魏代の地理書である。40巻。撰者(注者)は酈道元(469年 - 527年)、延昌4年(515年)の成立と推定される。.

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水野清一

水野 清一(みずの せいいち、1905年3月24日 - 1971年5月25日)は、日本の考古学者。京都大学名誉教授。.

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漢口事件

漢口事件(かんこうじけん/はんこうじけん)とは、1927年(昭和2年)4月3日、国民革命軍の武漢攻略の際、一部の無秩序な軍隊と暴民が漢口の日本租界に侵入し、掠奪、破壊を行い、日本領事館員や居留民に暴行危害を加えた事件。漢口四三事件とも言う。日本海軍の軍人も傷害や暴行を加えられた。被害は150戸、被害見積額は92万円。共産党の扇動により発生した。日本海軍の水兵と中国の少年との口論を端緒に次第に拡大していったとされる。.

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漢四郡

漢四郡(かんのしぐん)は、朝鮮半島の中・西北部にあった衛氏朝鮮を滅ぼした前漢の武帝が紀元前108年に設置した楽浪郡・真番郡・臨屯郡、紀元前107年に設置した玄菟郡の郡(植民地との見方も存在する)のことである。各郡の位置については諸説ある。朝鮮四郡(ちょうせんしぐん)ともいう。 中国王朝は313年までおよそ400年もの間、朝鮮半島中部・北部を郡県により直接支配し、また朝鮮半島南部に対して間接統制を行った。漢四郡に先立って、紀元前128年に漢は蒼海郡を置いた。漢四郡のうち、真番郡と臨屯郡は早く廃され、玄菟郡は朝鮮半島から西に移ったが、204年には朝鮮半島に新たに帯方郡が置かれた。楽浪郡と帯方郡は313年まで存続した。紀元前107年に設置され、高句麗の攻撃により遼東に撤退した313年までの400年間、平壌の存在した楽浪郡を通じて中国王朝の政治的・文化的影響を朝鮮に与え、また朝鮮も主体的にそれを求め、中国文明が朝鮮にもたらされ、高句麗の発展は、玄菟郡への服属抵抗が大きな意義を持つという研究があり、楽浪郡・帯方郡の漢人が高句麗王権・百済王権に取り込まれ、高句麗・百済の発展に寄与した。 楽浪郡と帯方郡の故地には、5世紀まで土着の漢人や新移住者の漢人が住み続けた。.

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朱熹

朱 熹(しゅ き、1130年10月18日(建炎4年9月15日) - 1200年4月23日(慶元6年3月9日))は、中国南宋の儒学者。字は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄洲病叟・遯翁など。また別号として考亭・紫陽がある。謚は文公。と尊称される。祖籍は徽州婺源県(現在の江西省)。 南剣州尤渓県(現在の福建省)に生まれ、建陽(現在の福建省)の考停にて没した。儒教の精神・本質を明らかにして体系化を図った儒教の中興者であり、いわゆる「新儒教」の朱子学の創始者である。.

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日本の地理学者の一覧

日本の地理学者の一覧(にほんのちりがくしゃのいちらん)は、現在に至るまでの日本における地理学者の一覧である(地理に見るべき影響を与えた人物も含む)。.

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日本学士院賞

日本学士院賞(にっぽんがくしいんしょう, Japan Academy Prize)は、日本学士院が授与する1911年創設の賞。日本の学術賞としては最も権威ある賞である。毎年9件以内授賞する。 日本学士院は、学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。1947年の第37回まで名称は「帝国学士院賞」であった。本来は恩賜賞とは別個の賞であったが、1970年からは日本学士院賞の中から特に優れた各部1件乃至2件以内に恩賜賞も授賞されるものとなっている。.

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7月2日

7月2日(しちがつふつか)はグレゴリオ暦で年始から183日目(閏年では184日目)にあたり、年末まではあと182日ある。平年では1年のちょうど真ん中にあたる日である。誕生花はキンギョソウ、カラー。.

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