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戸坂潤

索引 戸坂潤

戸坂 潤(とさか じゅん、1900年9月27日 - 1945年8月9日)は、日本の哲学者。.

59 関係: こぶし文庫 戦後日本思想の原点古在由重吉田傑俊多磨霊園大谷大学小林秀雄 (批評家)尾関周二岡邦雄島田昭仁中岡哲郎中野重治丸山眞男常識世界大思想全集 (春秋社)三枝博音三木清京都大学の人物一覧京都学派土人ピエール・ジャン・ジョルジュ・カバニスイデオロギー唯物論唯物論研究会勁草書房現代日本文学大系社会技術第一高等学校 (旧制)の人物一覧真下信一白井晟一青空文庫青木文庫西田幾多郎見田石介認識論近代日本思想大系都新聞舩山信一阿佐ヶ谷文士村開成中学校・高等学校の人物一覧自由自証技術論論争林淑美村山知義杉並区杉敏介毎日出版文化賞永田広志法政大学の人物一覧港区立青南小学校...戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表)戸坂文転日本の哲学者1900年1930年代1932年1945年9月27日 インデックスを展開 (9 もっと) »

こぶし文庫 戦後日本思想の原点

『こぶし文庫 戦後日本思想の原点』(こぶしぶんこ せんごにほんしそうのげんてん)は、1995年(平成7年)1月から2014年9月にかけてこぶし書房によって刊行された、全60巻の思想叢書である。単に『こぶし文庫』とも。.

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古在由重

古在 由重(こざい よししげ、1901年5月17日 - 1990年3月6日)は、日本の哲学者。元名古屋大学教授。.

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吉田傑俊

吉田 傑俊(よしだ まさとし、1940年7月29日 - )は、日本の哲学者、法政大学名誉教授。専攻は哲学、思想史。元唯物論研究協会委員長。 大阪市生まれ。1965年京都大学文学部哲学科卒業。67年同大学院修士課程修了、神戸大学文学部助手、鹿児島大学教育学部講師、助教授、教授、法政大学社会学部教授、1996年唯物論研究協会委員長。2011年名誉教授。.

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多磨霊園

噴水塔 多磨霊園(たまれいえん)は、東京都府中市および小金井市をまたいだ場所にある都立霊園。日本初の公園墓地であり、以後の日本の墓地のありかたのひな型となった。面積は都立霊園としては最大の128万0237平方メートルで、東京ドーム27個分に相当する。 関東大震災直前の1923年(大正12年)、東京市により、北多摩郡多磨村に開園。当初は多磨墓地といい、1935年(昭和10年)に多磨霊園と改称された。 長い歴史を持ち緑の多い公園墓地であり、著名人の墓地も多数所在する。.

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大谷大学

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小林秀雄 (批評家)

小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日 - 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家。.

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尾関周二

尾関 周二(おぜき しゅうじ、1947年2月18日 - )は、日本の哲学者、東京農工大学名誉教授。元唯物論研究協会委員長。専攻は環境哲学・コミュニケーション哲学。戸坂潤賞受賞。.

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岡邦雄

岡 邦雄(おか くにお、1890年(明治23年)1月15日 - 1971年(昭和46年)5月22日)は科学史家。山形県米沢市生まれ。東京物理学校(現在の東京理科大学)卒。1924年旧制第一高等学校(現在の東京大学教養学部)助教授。文化学院大学部設立に助力し、教師も務める。1932年に共産主義活動を理由に一高を解雇され、同年、戸坂潤らとともに唯物論研究会の創立に参加した。治安維持法により1938年に逮捕されたが終戦後に釈放され、鎌倉アカデミアで教えた。技術論論争の論客としても知られる。1936年には糟糠の妻と6人の子を捨て、26歳のロシア語翻訳者桝本セツとの恋愛に走ったことで世間を騒がせ、新聞には、自らが唱えた新しきモラルの実践か、と揶揄された。息子に元日本労働組合総連合会社会政策局長の桝本純。.

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島田昭仁

島田 昭仁(しまだ あきひと、1965年 - )は、日本の都市工学者。法政大学大学院社会科学研究科修士課程、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻博士課程修了、工学博士。専門は都市計画、まちづくり、コミュニティオーガニゼーション、コミュニティアセスメント、小集団の会話分析。.

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中岡哲郎

中岡 哲郎(なかおか てつろう、1928年7月12日- )は、技術史学者、大阪市立大学名誉教授。 妻・百合は経済学者浅沼万里の妹。次男の中岡俊介は経済学者で国士舘大学准教授。.

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中野重治

中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月25日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の小説家、詩人、評論家、政治家。福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。 四高時代に窪川鶴次郎らを知り、短歌や詩や小説を発表するようになる。東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年に転向する。 戦後再び日本共産党に入り、また『新日本文学』の創刊に加わった。平野謙、荒正人らと「政治と文学論争」を引き起こし、戦後文学を確立させた。1947年から50年まで参議院議員を務める。 しかし1964年には日本共産党と政治理論で対立をして除名された。神山茂夫とともに『日本共産党批判』を出版している。 代表作に小説『歌のわかれ』『むらぎも』『梨の花』『甲乙丙丁』、評論『斎藤茂吉ノオト』、詩集『中野重治詩集』など。 詩人の中野鈴子は実妹、女優の原泉は妻。.

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丸山眞男

丸山 眞男(まるやま まさお、1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日)は、日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。新字体で丸山真男とも表記される。 丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ、経済史学者・大塚久雄の「大塚史学」と並び称された。.

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常識

常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。対義語は非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。.

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世界大思想全集 (春秋社)

『世界大思想全集』(せかいだいしそうぜんしゅう)は、春秋社が1927年から1937年にかけて刊行した全153巻(第1期全124巻(1927年 - 1937年)、第2期全29巻(1929年 - 1933年))の叢書である。いわゆる「円本」全集の一つである。なお、戦後に河出書房から出版された同名の全集とは無関係である。.

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三枝博音

三枝 博音(さいぐさ ひろと、1892年(明治25年)5月20日 - 1963年(昭和38年)11月9日)は、日本の哲学者。 思想史、科学史や技術史についての研究も多い。.

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三木清

三木清 三木 清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.

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京都大学の人物一覧

京都大学の人物一覧(きょうとだいがくのじんぶついちらん)は、京都大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・役員・名誉教授・公職者等は除く)。.

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京都学派

京都学派の人々が思想を育んだ哲学の道 京都学派(きょうとがくは)とは、一般に西田幾多郎と田邊元および彼らに師事した哲学者たちが形成した哲学の学派のことを指すが、京都大学人文科学研究所を中心とした学際的な研究を特色とした一派も、京都学派、あるいは哲学の京都学派と区別するために、新・京都学派とも称する。その他にも様々な学問分野において『京都学派』と呼ばれるグループが存在している。.

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土人

土人(どじん)とは、律令制度の「本貫地に居住している人(土人) 」。「其の地に生まれ住む人。土地の人。 」「原住民、現地人 」 、現代では「原始的生活をする、土着の人種 」、土人形・土偶、「未開地域の原始的な生活をしている住民を侮蔑していった語」を第二語義とする辞書もある。.

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ピエール・ジャン・ジョルジュ・カバニス

ピエール・ジャン・ジョルジュ・カバニス (Pierre Jean Georges Cabanis, 1757年6月5日 - 1808年5月5日『岩波 西洋人名辞典 増補版』(1981年12月10日増補版発行)p.348) はフランスの医師、哲学者。現代的の創始者の一人である。ジョルジュ・カバニス (Georges Cabanis) とも。.

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イデオロギー

イデオロギー(Ideologie, ideology)とは、観念の体系である。文脈によりその意味するところは異なり、主に以下のような意味で使用される。観念形態、思想形態とも呼ばれる。意味内容の詳細については定義と特徴の項目を参照。 通常は、政治や宗教における観念を指しており、政治的意味や宗教的意味が含まれている。.

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唯物論

唯物論(ゆいぶつろん、Materialism、Materialismus)とは、 観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方岩波 哲学・思想事典 p.1616【唯物論】。 対義語は観念論(イデアリズム、Idealism)で、精神のほうが根源的で、物質は精神の働きから派生したとみる。.

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唯物論研究会

唯物論研究会(ゆいぶつろんけんきゅうかい)は、1932年(昭和7年)に戸坂潤、三枝博音、岡邦雄らによって創立された研究団体。略称は『唯研』。治安維持法による取締りを避けるため、マルクス主義者による団体という形態をとらず、あくまで唯物論について広く研究することを目的とした団体として創立されたため、必ずしもマルクス主義の立場にはない科学者などの参加もあった(寺田寅彦など)。しかし、1938年には解散へと追い込まれた。 活動期間は短かったとはいえ、『唯物論全書』を刊行したことなどによって、当時の思想界のみならず、戦後日本の唯物論研究に多大な影響をあたえた。機関誌は『唯物論研究』で、1932年11月の創刊号から、1938年3月の第65号まで刊行された。解散後の後継誌として『学芸』を翌4月から発行したが、11月号まで刊行したところで再び取締りにあい、12月号(通算74号)は、発行直前に当局に押収され、そのまま廃刊に追い込まれた。(復刻版が青木書店から刊行されているが、この12月号は収録が不可能であった) 戸坂潤の影響下での客観主義的思考と思惟の明晰さが、この研究会の思想の特徴であるといわれる。.

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勁草書房

株式会社 勁草書房(けいそうしょぼう)は、東京都文京区水道に本社を置く出版社。.

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現代日本文学大系

代日本文学大系(げんだいにほんぶんがくたいけい)は、1968年から73年にかけて、筑摩書房から発行された明治維新以降の日本文学作品の全集である。.

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社会技術

会技術(しゃかいぎじゅつ)は、多様で幅広い関係者の対話や協働を通して社会と技術の関係を俯瞰し、社会問題の解決に資する技術のことである。ここでの技術は通常の意味での技術と異なり、より幅広い概念を表すことが多い。通俗的に言えば、《社会による》(対話・協働)、《社会の中の》(俯瞰)、《社会のための》(問題解決志向)技術が社会技術であり、周囲の環境や自らの立場、将来の予見に従って不断に構築されるものである。.

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第一高等学校 (旧制)の人物一覧

一高等学校の人物一覧(だいいちこうとうがっこうのじんぶついちらん)では、第一高等学校 (旧制)の主な出身者・教員・関係者などを記述する。.

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真下信一

真下 信一(ました しんいち、1906年10月24日 - 1985年2月9日)は日本の哲学者、名古屋大学名誉教授。 京都府福知山市生まれ。京都府立一中、第三高等学校から京都帝国大学文学部哲学科に学ぶ。中学の同期には湯川秀樹がいた。三高時代には武田麟太郎と親交を結んだ。大学の同窓には戸坂潤がいた。大学院に進学、1933年の滝川事件のときには院生代表として活動する。院修了後は同志社大学勤務、のち教授。 1935年中井正一らと雑誌『世界文化』を創刊、反ファシズムの立場で活動したが、1937年11月治安維持法違反の容疑で検挙された。 戦後は、民主主義科学者協会に所属しながら唯物論哲学の立場で発言、名古屋大学助教授、教授。1970年退官後、多摩美術大学学長。日本学術会議会員。 青木書店から全5巻の著作集が刊行されている。.

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白井晟一

試作小住宅 (1953年、東京都世田谷区/秋田県湯沢市に移築) 湯沢酒造会館(秋田県湯沢市) 旧雄勝町役場(秋田県湯沢市・現存せず) 白井 晟一(しらい せいいち、1905年(明治38年)2月5日 - 1983年(昭和58年)11月22日)は、日本の建築家。.

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青空文庫

青空文庫(あおぞらぶんこ)は、著作権が消滅した作品や著者が許諾した作品のテキストを公開しているインターネット上の電子図書館である。富田倫生、野口英司、八巻美恵、らんむろ・さてぃの4人が呼びかけ人となって発足した。日本で著作権切れ作品をオンライン公開する動きの先駆者。2017年の年間アクセス数の合計は920万件以上。 収録作品はボランティアの手によりJIS X 0208漢字の範囲で青空文庫形式テキストファイルやHTMLとして電子化されている。また、「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に従い自由に利用出来るため、その収録作品はパーソナルコンピュータのみならずPDAや携帯電話などの環境でも利用されている。テキストファイルである事から、大きな文字で印刷したり、テキストを読み上げるソフトウェアと組み合わせるなど、視覚障害者向けとしても利用が期待されている。 青空文庫として閲覧ソフトウェアを開発したり提供したりはしていないが、電子辞書やiPhoneアプリなどで専用ビューアーがサードパーティによって開発されている。.

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青木文庫

青木文庫(あおきぶんこ)は、青木書店が発行していた文庫本である。 1950年代はじめ、青木書店は、総合的な文庫本を企画し、青木文庫を発刊した。自社出版物からは、長谷部文雄訳の『資本論』などの社会・経済分野のものを文庫化し、文学では日本のプロレタリア文学や、外国の革命文学の作品を多く刊行した。特に、戦前に発表された後再刊されていなかった、黒島伝治の『武装せる市街』の復刊や、田岡嶺雲の評論集などの、近代文学の埋もれた作品の発掘にも力をいれた。小林多喜二やマクシム・ゴーリキーの作品も多く文庫にされた。 1950年代から60年代にかけては、多くの在庫をもち、総合的文庫として定着していたが、70年代にはいると在庫もしぼり、新刊も、戸坂潤の論文集や宮本顕治・宮本百合子の往復書簡『十二年の手紙』や蔵原惟人の『芸術書簡』などわずかになった。 1980年代に刊行を停止した。その後、判型をやや大きくした新装版として、峠三吉の『原爆詩集』や服部之総の明治維新に関する著作などを刊行した時期もあった。.

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西田幾多郎

哲学の道(春)哲学の道にある歌碑 西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日(明治3年4月19日) - 1945年(昭和20年)6月7日)は、日本を代表する哲学者である。京都大学教授、名誉教授。京都学派の創始者。学位は文学博士(京都大学・1913年)。 同郷の鈴木大拙(本名 貞太郎)、山本良吉、藤岡作太郎とは石川県専門学校(第四高等中学校の前身、のちの第四高等学校)以来の友人であり、西田、鈴木、藤岡の三人は「加賀の三太郎」と称された。 石川県の女生徒として最初の帝国大学生(東北帝国大学)となった高橋ふみは西田の姪で、西田の論文をドイツ語に訳した。.

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見田石介

見田 石介(みた せきすけ、1906年4月23日 - 1975年8月9日)は、日本の哲学者、マルクス主義経済学者、ヘーゲル研究者。.

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認識論

認識論(にんしきろん、Erkenntnistheorie、Epistemology、Épistémologie)は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論(theory of knowledge)とも呼ばれる。日本語の「認識論」は独語の訳語であり、日本ではヒト・人間を考慮した場合を主に扱う。英語と仏語の語源は「知」(epistēmē) + 「合理的な言説」(logos)。フランスでは「エピステモロジー」という分野があるが、20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。 哲学はアリストテレス以来その領域を諸科学によって置き換えられていったが、最後に狭い領域が残り、それが大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きている。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚を通じていかに認識していくかが問題視される。認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが存在論である。しかし、哲学における方法論は思弁に尽きるため、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった。哲学論は基本的に仮設の羅列に過ぎず、単に主観的な主張であった。客観性の保証が全くない内観法が哲学者の主たる武器であった。19世紀末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させるが、初期にはもっぱら内観や内省を方法論とし、思弁哲学と大差はなかったため、のちにアームチェア心理学と呼ばれた。やがて、思弁を排し客観的、科学的方法論をもとに実験心理学が登場し、認識の一部は、心理学に取り込まれていった。錯覚現象などがその研究対象になった。実験心理学では、データの統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。それを嫌い人間の主観を排し、実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。このため、認識論の問題は比較的最近まで客観科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。しかし、脳科学の進歩によって急速に、認識論と存在論の2つの世界は大きく浸食されつつある立花隆『脳を究める』(朝日新聞社 2001年3月1日)。.

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近代日本思想大系

近代日本思想大系(きんだいにほんしそうたいけい)は、1975年から1990年にかけて、筑摩書房から刊行された日本思想史の叢書。全36巻。.

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都新聞

都新聞(みやこしんぶん)は、かつて存在した日本の日刊新聞。1942年、新聞事業令により國民新聞と合併して東京新聞となった。.

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舩山信一

舩山 信一(ふなやま しんいち、1907年7月29日 - 1994年3月16日)は日本の哲学者・マルクス主義者。立命館大学名誉教授。マルクス、ヘーゲル、フォイエルバッハの研究を通じて人間学的唯物論を確立した。船山信一とも書かれる。.

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阿佐ヶ谷文士村

阿佐ヶ谷文士村(あさがやぶんしむら)は、昭和時代を中心に東京府豊多摩郡杉並町阿佐ヶ谷(現在の杉並区阿佐ヶ谷地域)に文士などが集い、いわゆる文士村が形成された地域の呼称であるやなどが示しているように阿佐ヶ谷文士村の特徴として文士は阿佐ヶ谷界隈に集ったものの、鉄道(中央線)が利用できるため居住地は阿佐ヶ谷以外にも隣の高円寺駅や荻窪駅など比較的近隣にも分散していた。その例として、中心人物である井伏鱒二は阿佐ヶ谷によく顔を出していたものの、居住地は荻窪である。が示している通り、「阿佐ヶ谷文士村」という呼称は杉並区立阿佐谷図書館が開館した1993年に杉並区によって命名された比較的新しい名前である。。.

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開成中学校・高等学校の人物一覧

開成中学校・高等学校人物一覧(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこうじんぶついちらん)は、私立開成中学校・高等学校の主な出身者・教員・関係者などについての一覧である。.

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自由

自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。.

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自証

自証(じしょう)とは、一般に、存在論的な意味での自意識のこと。学者学説によって多様に定義される。.

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技術論論争

技術論論争(ぎじゅつろんろんそう)とは、技術なるものをめぐって、社会科学あるいは人文科学的にいかに捉えるべきか、いかに分析するべきか、そして生産・消費や労働などと技術がいかに関係するか、技術はいかに発展するかといった問題に対して日本で行われた論争である。 この論争は1930年代に唯物論研究会(唯研)での議論を発端として開始されたといえる。この唯研内での戸坂潤、岡邦雄、永田広志、相川春喜らの論争を経た結果として技術を労働手段の体系として捉えるいわゆる「手段体系説」が打ち出された。また、彼らはこの立場から大河内正敏の「科学主義工業」や宮本武之輔の「生産工学」に対して批判を行いながら手段体系説を深化させた。しかし、唯研の弾圧や相川の転向によって、この論争は戦後に至るまで停滞を余儀なくされた。だが、終戦の直前に戸坂は獄死し、戦後になっても永田・相川はまもなく死去するなどしたため手段体系説の深化はさらに停滞せざるをえなかった。 そのため終戦直後には、武谷三男や星野芳郎によって打ち出された「技術とは人間実践(生産的実践)における客観的法則性の意識的適用である」(武谷三男、『弁証法の諸問題』技術論から引用)とするいわゆる「意識的適用説」が論壇でもてはやされることとなった。この結果として、戦後の論争は手段体系説と意識的適用説の対立を主軸として進められて行くことになった。 戦後論争では「第二次産業革命論」や「技術革新論」などについての議論が重ねられ、さらには公害と技術の関係についてなども論じられた。この間の論争に対しては種々の評価があるが、意識的適用説の側から主張された「第二次産業革命」や「技術革新」なるものが恣意的な概念にすぎず、技術を意識的適用とする立場からは公害と技術の関係も分析しえないことが手段体系説の側から指摘された。 この論争は現在も「技術の内的発達法則」などをめぐって進行中であるが、意識的適用説はほぼその影響力を失ったといえる状況にある。.

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林淑美

林 淑美(りん しゅくみ、リン シュウメイ、1949年4月10日- )は、日本近代文学研究者。.

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村山知義

村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。 息子の村山亜土は児童劇作家。.

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杉並区

杉並区(すぎなみく)は、東京都の特別区のひとつで、23区西部に区分される。郵便番号(上3桁)166・167・168。.

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杉敏介

杉 敏介(すぎ としすけ、1872年5月28日 - 1960年7月2日)は、日本の教育者。第一高等学校、国文教授 - 校長。通称は"びんすけ"。夏目漱石『吾輩は猫である』の津木ピン助のモデル。歌人としても知られ、号は烏山。.

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毎日出版文化賞

毎日出版文化賞(まいにちしゅっぱんぶんかしょう)は、毎日新聞社が主催(特別協力大日本印刷株式会社)する、優秀な出版物を対象とした文学・文化賞である。1947年に創設。毎年11月に受賞者が発表され、授賞式が東京で行われる。.

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永田広志

永田 広志(ながた ひろし、1904年4月1日 - 1947年9月7日)は日本の哲学者である。マルクス主義の立場から活動した。.

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法政大学の人物一覧

法政大学の人物一覧(ほうせいだいがくのじんぶついちらん)は、法政大学(東京法学校・東京仏学校・和仏法律学校)に関係する人物の一覧記事である。.

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港区立青南小学校

港区立青南小学校(みなとくりつ せいなんしょうがっこう)は、東京都港区南青山四丁目にある公立小学校である。.

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戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表)

戦前・戦中期日本の言論弾圧の年表(せんぜん・せんちゅうきにほんのげんろんだんあつのねんぴょう)においては、戦前の日本における、左翼勢力・自由主義者・宗教団体に対する言論弾圧・粛清事件を年表にして示す。治安当局が行った弾圧事件・粛清や、弾圧・粛清と主張される事件の年表である。.

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戸坂

戸坂(へさか / とさか):.

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文転

文転(ぶんてん)とは、理系課程で学ぶ者が、文系課程の専攻に鞍替えする行為を言う。 日本では、高校時点で自らの意思で理数系コースに進級した生徒が、理数系の数学等でつまずきはじめ、やむを得ず、大学受験時に志望する学部を、理科系学部ではなく文科系学部にて受験する、といった消極的ニュアンスであることが多い。逆の事例は理転と呼ばれるが、一般的に理転をするには、現在の高等学校のカリキュラムでは困難を伴う場合が多いとされている。(以下を参照).

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日本の哲学者

日本の哲学者(にほんのてつがくしゃ)一覧を姓の50音順に挙げる(日本に在住し日本語で発表・著述する/した外国人哲学者を含む)。.

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1900年

19世紀最後の年である。100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく、4で割り切れる平年となる。.

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1930年代

1930年代(せんきゅうひゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1930年から1939年までの10年間を指す十年紀。.

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1932年

記載なし。

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1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

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9月27日

9月27日(くがつにじゅうななにち、くがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から270日目(閏年では271日目)にあたり、年末まであと95日である。.

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