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和様

索引 和様

和様(わよう)とは、日本風あるいは、日本様式の事物を意味し、中国風・中国様式を意味する唐様に対して用いられる。狭義では和様建築を指して用いられる場合が多いが、書道をはじめとして絵画や彫刻など、日本美術史において日本風が顕著になった平安時代中期から後期にかけての作品に対して広く用いられる用語である。ただし、和様とされるものの多くは純粋な意味での日本古来のものではなく、その原形は飛鳥・奈良時代に唐から受容された文物を日本の風土と日本人の感性に合わせる形で改良することによって成立した文化様式である。 9世紀半ば以後、中国を支配してきた唐の衰退に伴って遣唐使が派遣されることが無くなり(894年に正式に廃止)、代わって日本独自の文化(国風文化)が登場するようになった。特に日本語表記が確立された点が大きく、平仮名の使用は長い間女性に限定されていたと言われてきたが、実際には和歌を中心として男性が非公式の場において平仮名を用いる事もあり、日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』も平仮名交じりの文体が採用されている。日本語の表記において漢字と仮名が交用されていく中で漢字の点画も平仮名のような曲線を帯びるようになっていった。こうした中で書道において、和様の書道が形成されるようになる。王羲之の書法を範としながらも新たな書法を生み出した小野道風をはじめ、藤原行成・藤原佐理らによって上代風とも呼ばれる新たな書風を生み出し、後に法性寺流・世尊寺流などの和様書法が出現した。また、大仏様などの大陸の影響を受けた寺院の建築様式に代わって日本独自の要素を取り込んだ和様建築が出現するようになった。.

31 関係: 大和絵世尊寺行尹三筆三跡弘前東照宮土佐神社和の文化和風和様建築元禄文化光悦流王羲之禅林墨跡隠津島神社 (二本松市)鎌倉文化草書体藤原行成若狭神宮寺院政期文化桃山文化持明院流本山寺 (三豊市)日本の文化日本の書道史日本を意味する和の一覧日本美術日本美術史扇面法華経冊子書家書道書道用語一覧

大和絵

源氏物語絵巻(東屋)徳川美術館蔵 大和絵(やまとえ)は日本絵画の様式概念の1つ。中国風の絵画「唐絵」(からえ)に対する呼称であり平安時代の国風文化の時期に発達した日本的な絵画のこと。「やまと絵」「倭絵」「和絵」などとも表記され、「日本画」と書いて「やまとえ」と読むこともある。源氏物語絵巻などの絵巻物に典型的に見られる。土佐派などの流派に受け継がれ、近代・現代の日本画にも影響を及ぼしている。狩野派は大和絵の伝統と、中国の水墨画の技法・主題を統合したと評される。.

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世尊寺行尹

世尊寺 行尹(せそんじ ゆきただ、弘安9年(1286年) - 正平5年/貞和6年1月14日(1350年2月21日))は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての公卿、能書家。従二位・経尹の第4子で、世尊寺家第12代当主となり、官位は従三位・宮内卿に至る。後世、藤原行成・世尊寺行能とともに世尊寺流の三筆と称された村上翠亭 pp..116-117小松茂美(上) pp..226-227。.

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三筆

空海(三筆の領袖神田喜一郎 p.21) 三筆(さんぴつ)とは、日本の書道史上の能書のうちで最も優れた3人の並称であり、平安時代初期の空海・嵯峨天皇・橘逸勢の3人を嚆矢とする春名好重 pp.106-107。その他、三筆と尊称される能書は以下のとおりであるが、単に三筆では前述の3人を指す。.

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三跡

三跡(さんせき)は、書道の大御所三人のこと。三筆は各時代にいるが、この三跡ほどの影響を後世まで与えた人物はいない。字は三蹟とも表記する。また、入木道の三蹟(じゅぼくどうのさんせき)とも言う。.

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弘前東照宮

弘前東照宮(ひろさきとうしょうぐう)は、青森県弘前市笹森町に鎮座する神社(東照宮)である。旧県社。法人名は東照宮。.

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土佐神社

土佐神社(とさじんじゃ)は、高知県高知市一宮(いっく)しなねにある神社。式内社(大社)、土佐国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。.

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和の文化

和の文化(わのぶんか)、あるいは、和の精神(わのせいしん)、和の心(わのこころ)とは、一部の(保守的な)知識人・評論家・思想家らが日本の精神文化・社会特性を説明するときに用いる用語、およびその用語を用いた日本の文化に関するナラティブ(日本人論)の一つである。「日本民族の文化の本質は、個性重視とする文化ではなく、集団の秩序と安寧、また礼儀と作法を重視した文化である。」といったものである。但し「同調圧力」という言葉もあり、風潮自体は日本に限られたものではない。.

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和風

和風(わふう)は、音楽・美術・建築などの芸術や衣食住などの文化において「日本的」特色や味わいを形容する言葉。この言葉は常に他の国からの影響と対比して用いられる。類語には和様(わよう)、和式(わしき)、「日本式」、「和風テイスト」、「日本テイスト」などがある。和風の中でも「純和風」や「モダン和風」と細かく区別して用いられることもある。書や寺院建築の分野では「和様」を用いることが多い。.

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和様建築

西明寺本堂(滋賀県、国宝) 鎌倉時代初期 側柱を長押で固め、蔀戸を多用した典型的な和様仏堂 霊山寺(奈良県、国宝)弘安6年(1283年)伝統的な和様を順守した保守的な建築。 霊山寺本堂の細部 組物は尾垂木付きの二手先とする。頭貫の木鼻には大仏様の要素がみられる 和様建築(わようけんちく)とは、鎌倉時代に中国から伝わった建築様式(大仏様、禅宗様)に対して、それまで日本で寺院建築に用いられてきた寺院建築の様式を指す。単に和様(わよう)とも呼ばれた場合には和様建築のことを指す場合もある。.

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元禄文化

尾形光琳筆 「燕子花図屏風」 元禄文化(げんろくぶんか)とは、江戸時代前期、元禄年間(1688年 - 1704年)前後の17世紀後半から18世紀初頭にかけての文化。 17世紀中ごろ以降の日本列島は、農村における商品作物生産の発展と、それを基盤とした都市町人の台頭による産業の発展および経済活動の活発化を受けて、文芸・学問・芸術の著しい発展をみた深井(2012)pp.12-15高埜「元禄の社会と文化」(2003)pp.85-90。とくに、ゆたかな経済力を背景に成長してきた町人たちが、大坂・京など上方の都市を中心にすぐれた作品を数多くうみだした深谷(2000)pp.80-89。そこでは庶民の生活・心情・思想などが出版物や劇場を通じて表現された。ただし、その担い手は武士階級出身の者も多かった尾藤『元禄時代』(1975)pp.16-25。また、同じ上方でも京より大坂に重心がうつると同時に、文化の東漸運動も進展し、江戸・東国が文化に占める重要性が高まっていく端緒となった原田 他(1981)p.247。 元禄文化は、しばしば「憂き世から浮世へ」と称せられるように、現世を「浮世」として肯定し、現実的・合理的な精神がその特徴とされる尾藤『元禄時代』(1975)pp.26-51小澤(1993)pp.60-69。もとより貴族的な雅を追求する芸術の成果も一方には存在したが、「民勢さし潮のごとく」と評された民衆の情緒を作品化したものが多く、世間(社会)の現実をみすえた文芸作品もうみ出された。とりわけ、小説の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門は日本文学史上に燦然と輝く存在である。また、実証的な古典研究や実用的な諸学問が発達し、芸術分野では、日本的な装飾画の様式を完成させたとされる尾形光琳や浮世絵の始祖といわれる菱川師宣があらわれ、従来よりも華麗で洗練さを増した美術工芸品もまた数多くつくられた。音楽では生田流箏曲や新浄瑠璃、長唄などの新展開がみられた。さらに、音曲と組み合わせて視聴覚に同時に訴えかける人形浄瑠璃や歌舞伎狂言も、この時代に姿がととのえられた。元禄時代は、めざましい創造の時代だったのである。 なお、日本における1960年代の高度経済成長期の文化隆盛を指すものとして、「昭和元禄」(しょうわげんろく)という言葉が生まれている1964年に政治家福田赳夫が言いだした、経済成長下での天下泰平・奢侈安逸の風潮を評した言葉。。.

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光悦流

光悦流(こうえつりゅう)は、和様書道の流派のひとつ。.

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王羲之

王羲之 王 羲之(おう ぎし、、303年 - 361年)は、中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である。 曾祖父は王覧(王祥の弟)、祖父は王正、父は王曠(東晋の淮南郡太守)。子に王玄之(長男)、王凝之(次男)、王渙之(三男)、王粛之(四男)、王徽之(五男)、王操之(六男)、王献之(七男)がいる。子孫に王楨之(徽之の子)、智永らがいる。.

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禅林墨跡

圜悟克勤筆、東京国立博物館蔵、国宝) 虚堂智愚筆、東京国立博物館蔵、国宝) 与円爾印可状』(無準師範筆、東福寺蔵、国宝) 宗峰妙超筆、妙心寺蔵、国宝) 禅林墨跡(ぜんりんぼくせき)とは、禅林高僧の真跡のこと。印可状・字号・法語・偈頌・遺偈・尺牘などがある。単に墨跡ともいい、墨蹟・墨迹とも書く。 墨跡という語は中国では真跡全般を意味するが、日本においては禅僧の真跡という極めて限った範囲にしか使わない習慣がある。その二義を区別するため、近年、後者を多くは禅林墨跡といい、その書風を禅宗様という(本項で単に墨跡は禅林墨跡を指す)中西慶爾 p.595峯岸佳葉(決定版 中国書道史) pp..127-128小松茂美 pp..26-27。.

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隠津島神社 (二本松市)

津島神社(おきつしまじんじゃ)は福島県二本松市木幡に鎮座する神社。かつては弁才(財)天宮と称しており、現も「木幡の弁天様」と呼ばれて親しまれる。12月に行われる木幡の幡祭りが国(日本)の重要無形民俗文化財に指定されている。旧社格は県社。 県の中部一帯(中通り)の北部、阿武隈山脈の西斜面における丘陵地帯の東端に円錐形の姿で聳える木幡山の8合目に巨岩を背に鎮座する。木幡山全域を境内地とし、山麓には遙拝殿もある。木幡山は古くから神霊の籠る山として「御山(おやま)」とも称され信仰の対象とされた為に、山中に鎮座する当神社を指して「御山」と呼ぶ場合もある佐藤洋一「隱津嶋神社」(『式内社調査報告』)。。.

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鎌倉文化

運慶作「世親像」 「六道絵」(聖衆来迎寺蔵) 鎌倉文化(かまくらぶんか)は、鎌倉幕府の成立した12世紀末から幕府が滅亡した14世紀前半にかけての日本の文化。王朝国家からの自立を指向する本格的な武家政権が東国に開かれた時代であり、各方面で新しい文化的所産が生まれた。.

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草書体

草書体(そうしょたい)は、漢字の書体の一つ。.

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藤原行成

藤原 行成(ふじわら の ゆきなり/こうぜい)は、平安時代中期の廷臣。藤原北家、右少将・藤原義孝の長男。官位は正二位・権大納言。一条朝四納言(「寛弘の四納言」)の一。世尊寺家の祖。 当代の能書家として三蹟の一人に数えられ、その書は後世「権蹟」(ごんせき)と称された。書道世尊寺流の祖。.

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若狭神宮寺

境内風景 若狭神宮寺(じんぐうじ)は福井県小浜市にある天台宗の寺院。山号は霊応山、本尊は薬師如来坐像。東大寺二月堂への『お水送り』が行われる寺である。.

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院政期文化

『'''普賢菩薩像'''』(東京国立博物館蔵)普賢菩薩は法華経信者を守護するため白い象に乗って東方より現れると説かれていた。彩色や截金の美麗さに加え余白の情感が幻想的で優美だとされる。銀泥も素材の仲間入りをするが、酸化して黒ずんで見える。国宝。12世紀制作。 院政期文化(いんせいきぶんか)または平安末期文化(へいあんまっきぶんか)とは、平安時代末葉の11世紀後半から鎌倉幕府成立に至る12世紀末にかけての日本の文化。院政期は、日本社会史上、貴族勢力の衰退と武士勢力の伸長という過渡期に位置しており、文化の面でもこのような時代の気風を反映した新しい動きがみられた。.

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桃山文化

武田(1969)p.135。昭和天皇崩御後は御物(皇室所有品)ではなく国有(三の丸尚蔵館保管)となっている。) 桃山文化(ももやまぶんか)または安土桃山文化(あづちももやまぶんか)は、織田信長と豊臣秀吉によって天下統一事業が進められていた安土桃山時代の日本の文化である尾藤(2000)pp.150-151。この時代、戦乱の世の終結と天下統一の気運、新興大名・豪商の出現、さかんな海外交渉などを背景とした、豪壮・華麗な文化が花ひらいた。 なお、「桃山文化」の呼称は、主として美術史の分野において多用される時期区分であり、その場合は徳川家康による江戸幕府開幕後の17世紀初頭も含めることが多い家永三郎は、文化史のうえでは、寛永年間(1624年-1644年)ころまでを桃山時代として扱うのが適切であるとしている。家永(1982)pp.163-164。本項でも、この時期区分に準じ、16世紀後半から17世紀初めにかけての文化事象について、その概略を述べる。.

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持明院流

持明院流(ぢみょういんりゅう)は世尊寺流17代世尊寺行季が享禄2年(1529年)に没し、世尊寺家および、世尊寺流が全く滅亡することになった。それをうけ、後奈良天皇が、世尊寺流の滅亡を惜しまれたが故、持明院基春に、その業を独立継承発展させた書流。 持明院家は、世尊寺流の筆頭門人格であったためと思われる。.

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本山寺 (三豊市)

本山寺(もとやまじ)は香川県三豊市にある高野山真言宗の寺院で、山号は、七宝山(しっぽうざん)院号は持宝院。鎌倉時代再建の本堂は国宝で、本尊は絶対秘仏馬頭観音菩薩。四国八十八箇所霊場第七十番札所。 本尊真言:おん あみりと どはんば うん はった そわか ご詠歌:もとやまに 誰が植えける 花なれや 春こそたおれ 手向けにぞなる.

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日本の文化

本項では日本の文化全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。 分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。.

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日本の書道史

日本の書道史(にほんのしょどうし)では、有史以来、現在までの日本における書道の歴史を記述する。この記事では時代ごとに、その背景・書風・筆跡・書人・教育など書に関連した事跡を記す。.

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日本を意味する和の一覧

日本を意味する和の一覧(にほんをいみするわのいちらん)は、日本を意味する「和」を含む単語を一覧にしたものである。 漢字としての「和」には、様々な意味があるが、ここでは日本に関係する「和」(日本の古い名として、日本語の略称として、日本を意味する文化的概念としての「和」)を記述する。.

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日本美術

仏教美術(興福寺の阿修羅、734年) 日本美術には実に多様な種類がある。陶磁器、彫刻、絵画など、その種類は非常に多い。また長い歴史をもっており、日本に人間が住み始めた紀元前10000年頃から現在まで継承されている。.

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日本美術史

日本美術史(にほんびじゅつし)とは、日本の美術の流れ、様式の変遷、各時代の代表的な作品や作家の研究、相互の影響関係、作品や作家を生んだ時代背景(政治、経済、信仰、風俗、社会、文学などとの関連)などについて述べたもの、またはそうした分野を研究する学問のこと。 本項では日本美術史の概観を述べるにとどめ、各時代の美術についてはそれぞれ別項目を設けて詳説する(予定)。.

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扇面法華経冊子

四天王寺蔵 扇面法華経冊子(せんめんほけきょうさっし)または扇面古写経(せんめんこしゃきょう)は、大阪市・四天王寺に伝来した装飾経の遺品。扇形に切った料紙(扇面)に絵を描いて2つに折り、折り目で貼り合わせて冊子とし、そこに法華経・無量義経・観普賢経の経典の経文を書写したものである。.

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書家

『蘭亭序』(部分)神龍半印本 王羲之 宸筆 書譜』(部分)孫過庭書 書家(しょか)は、書における高度な技術と教養を持った専門家のこと。日本では書人ともいい、近年、異称であるが書道家ともいわれるようになった。中国語では、書法家(繁体字)という。独自の感性で墨文字アート、墨象画を手掛けている書き手は、書家とは異なる。.

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書道

京都・東寺蔵 『蘭亭序』(部分)王羲之 書道(しょどう)または書(しょ)とは、書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術である。カリグラフィーの一種。中国が起源であるが、日本語圏においては漢字から派生した仮名、ベトナム語圏では同じく漢字から派生したチュノムやローマンアルファベットを使用するクォック・グーなどでも創作活動が行われている。2009年に中国の書道が、ユネスコの無形文化遺産に登録された。 本項では主に中国語圏及び日本語圏の書道について述べる。その他の文字・地域における書道は他の文字による書道を参照。.

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書道用語一覧

書道用語一覧(しょどうようごいちらん)は、書道に関する用語の一覧である。.

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