10 関係: 平宗清、平知盛、嘉応の強訴、六波羅、六波羅蜜寺、藤原惟方、法住寺 (京都市)、洛中、清閑寺、12世紀。
平宗清
平 宗清(たいら の むねきよ)は、平安時代末期の武将。伊勢平氏の傍流、平季宗の子。.
平知盛
平 知盛(たいら の とももり)は、平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の四男。母は継室の平時子で、時子の子としては次男となる。同母兄に平宗盛、同母妹に平徳子がいる。世に新中納言と称された。.
嘉応の強訴
嘉応の強訴(かおうのごうそ)は、嘉応元年(1169年)12月23日(1170年1月18日)、延暦寺の大衆が尾張国知行国主・藤原成親の配流を求めて起こした強訴。後白河法皇は成親を擁護したが、上流貴族や平氏の非協力的態度により事態は紛糾した。後白河と平氏の政治路線の対立が、院政開始後に初めて表面化した事件である。.
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六波羅
六波羅(ろくはら)は、京都の鴨川東岸の五条大路から七条大路一帯の地名。現在の京都市東山区の一部。六原とも記される。.
六波羅蜜寺
本堂正面 弁財天堂 六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院である。山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。開基(創建)は空也。西国三十三所第17番札所。.
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藤原惟方
藤原 惟方(ふじわら の これかた、天治2年(1125年) - 没年不詳)は平安時代末期の公家。藤原北家勧修寺流、藤原顕頼の次男。従三位・参議。通称を粟田口別当という。.
法住寺 (京都市)
法住寺(ほうじゅうじ)は、日本の京都市東山区にある天台宗の仏教寺院である。.
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洛中
#中国、洛陽城の京域内のこと。.
清閑寺
清閑寺(せいかんじ、旧字体:淸閑寺)は、京都市東山区にある真言宗智山派の寺院。山号は歌中山(うたのなかやま)。本尊は十一面千手観音、開基(創立者)は紹継。『平家物語』の悲恋で知られる高倉天皇と小督局ゆかりの寺院である。.
12世紀
アンコールの地にアンコール朝の王スーリヤヴァルマン2世はアンコール・ワットの建設を行い、続くジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムを築いた。画像はアンコール・トムのバイヨン四面像(観世菩薩像)。 12世紀(じゅうにせいき)とは、西暦1101年から西暦1200年までの100年間を指す世紀。.
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六波羅第。