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八九式中戦車

索引 八九式中戦車

八九式中戦車(はちきゅうしきちゅうせんしゃ)は、1920年代後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の戦車(中戦車)。日本初の国産制式戦車として開発・量産された。秘匿名称「イ号」(「ロ号」は九五式重戦車、「ハ号」は九五式軽戦車)。.

62 関係: 原乙未生十一年式平射歩兵砲十一年式軽機関銃吉川和篤大発動艇大日本帝国陸軍兵器一覧太原作戦上海陸戦隊上海海軍特別陸戦隊中村桜中戦車三年式機関銃三式中戦車一式三十七粍戦車砲九七式中戦車九七式五糎七戦車砲九三式戦車地雷九一式重戦車九二式五屯牽引車九二式重装甲車九五式十三屯牽引車九五式軽戦車九五式重戦車九四式37mm速射砲九四式四号丙無線機九四式軽装甲車九〇式五糎七戦車砲ノモンハン事件ルノー FT-17 軽戦車ルノーNC型戦車ワールドタンクミュージアムヴィッカース 6トン戦車ビッカースC型中戦車アメリカ陸軍兵器博物館ガールズ&パンツァー動態保存神州丸特二式内火艇独立混成第1旅団狙撃砲百武俊吉装甲作業機装甲艇西住小次郎試製中戦車 チニ試製中戦車 チセ試製七糎半対戦車自走砲 ナト試製一号戦車試製九八式中戦車高橋清伍...陸上自衛隊武器学校Forgotten Hope Secret Weapon機動艇機甲戦汽車製造戦車戦車一覧戦車第10連隊戦車第3連隊手投火焔瓶時代別戦車一覧89式 インデックスを展開 (12 もっと) »

原乙未生

原 乙未生(はら とみお、1895年6月12日 - 1990年11月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。日本の戦車開発の黎明期に中心的役割を果たし「日本戦車の父」と呼ばれている。.

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十一年式平射歩兵砲

十一年式平射歩兵砲(11ねんしきへいしゃほへいほう)とは、旧日本陸軍が大正11年(1922年)に制式化した口径37mmの歩兵砲。同時期に開発された狙撃砲と同じく直射による機関銃陣地撲滅を目的としていた。.

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十一年式軽機関銃

十一年式軽機関銃(じゅういちねんしきけいきかんじゅう)は、大日本帝国で1910年代から1920年代前期にかけて開発・採用された軽機関銃。日本軍が初めて制式採用した軽機関銃であり、1941年(昭和16年)までに計約29,000挺が生産された。.

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吉川和篤

吉川和篤(よしかわ かずのり、1964年3月 - )は、日本の軍事研究家、イラストレーター。デチマ・マスRSI戦友会協会会員、震洋会準会員。 『イタリア軍入門』の著書を始め、イタリア軍関係の記事を多く執筆している。また、ドイツ軍装関係の解説記事やミリタリーイラストも商業誌に掲載。かつては『ストーミングイーグルス』(大日本絵画)の表紙カバーイラストも手掛けた。現在『MILITARY CLASSICS』誌で「Benvenuto!知られざるイタリア将兵録」を、『タミヤニュース』で「第二次大戦イタリア軍装備解説」を連載中。.

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大発動艇

大発動艇(だいはつどうてい)は、1920年代中期から1930年代初期にかけて開発・採用された大日本帝国陸軍の上陸用舟艇。通称は大発(だいはつ)。また、陸軍の技術協力によって相当数の大発を運用した海軍においては、十四米特型運貨船(じゅうよんめーとるとくがたうんかせん)の名称が使用されている。.

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大日本帝国陸軍兵器一覧

大日本帝国陸軍兵器一覧(だいにほんていこくりくぐんへいきいちらん、英:List of Imperial Japanese Army Equipment)は、第二次世界大戦終結にかけ大日本帝国陸軍が保持していた兵器・武器の一覧。.

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太原作戦

太原作戦(たいげんさくせん)とは、日中戦争中の1937年(昭和12年)9月から11月までの間、日本の北支方面軍及び関東軍部隊によって行われた、山西省太原への進攻作戦である。太原攻略戦、山西作戦(さんせいさくせん)などとも呼ばれる。中国側呼称は太原会戦。.

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上海陸戦隊

『上海陸戦隊』(シャンハイりくせんたい)は東寶映畫株式会社が製作した日本の戦争映画。昭和14年(1939年)公開。.

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上海海軍特別陸戦隊

ヴィッカース・クロスレイ装甲車や三年式機関銃を中心に上海で交戦中の海軍陸戦隊。 上海海軍特別陸戦隊(シャンハイかいぐんとくべつりくせんたい、旧字体:上海特別陸戰隊)とは、大日本帝国海軍が上海に権益保護のために駐留させていた陸戦隊のことである。第一次上海事変、第二次上海事変で激しい市街戦を行った。1932年(昭和7年)以降、日本海軍唯一の常設の陸上戦闘部隊となった。略称は上陸(シャンりく)。.

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中村桜

中村 桜(なかむら さくら、11月25日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。アトミックモンキー出身。現在はマウスプロモーション所属。.

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中戦車

中戦車(ちゅうせんしゃ)は、戦車の種別の一つで、軽戦車と重戦車の中間に位置するもの。主に対戦車戦闘を含む機動戦に用いられる。 どの程度の重量の戦車を中戦車とするのかは国や時代によって大きく異なる。戦車は第二次世界大戦中に、驚異的な進化を遂げ、重量や能力が加速度的に増加したため、同じ中戦車とされる戦車でも差が大きい。 また、イギリスは巡航戦車と歩兵戦車という独自の区分を用いていたので、重・中・軽という重量分類は行っていない。 第二次大戦後、軽戦車は、装輪走行車の技術が発達したため、その機動性と歩兵直協能力が兵員輸送車の能力と合わさる形で歩兵戦闘車や偵察戦闘車に代わり、軽戦車が担っていた役割は別の戦闘車両という形で継承された。また、高性能な装甲車に切り替わったことにより、部隊運用の変化が起き、戦車部隊以外で運用されることが多くなり、主力車種としては軽戦車が扱われることは事実上消滅した。 中・重戦車は、エンジン技術の発達、装甲材質の強度向上と軽量化技術の発達で、中戦車並みの機動力と重戦車並みの攻撃力、防御力を併せ持つ事が可能となり、主力戦車(MBT)として、かつての中・重戦車を統合する存在として汎用的に使われるようになった。そのため中戦車という分類は概念や表現上使うことはあっても、事実上消滅している。たとえばソ連のT-54/55は当初中戦車として採用されたが、今日では第一次世代の主力戦車とみなされている。.

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三年式機関銃

三年式機関銃(さんねんしききかんじゅう)は、1914年(大正3年)に制式化された、大日本帝国陸軍(以下陸軍という)の制式機関銃である。生産は当初東京砲兵工廠で行われ、後に東京瓦斯電気会社に生産委託、推定3000挺が作られた。大日本帝国海軍でも三年式機砲及び三年式機銃の名称で使用されていた。.

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三式中戦車

三式中戦車 チヌ(さんしきちゅうせんしゃ チヌ)は、第二次世界大戦後期に登場した大日本帝国陸軍の戦車(中戦車)。.

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一式三十七粍戦車砲

一式三十七粍戦車砲(1しき37みりせんしゃほう)とは、大日本帝国陸軍が1941年(皇紀2601年)に開発を開始した口径37mmの戦車砲。二式軽戦車の主砲として使用された。また五式中戦車の副砲(車体前面に装備)としても使用される予定だった。海軍では特二式内火艇の主砲として採用されている。.

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九七式中戦車

九七式中戦車 チハ(きゅうななしきちゅうせんしゃ チハ)は、1930年代中後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の中戦車。 1938年(昭和13年)から1944年(昭和19年)にかけて総計2,123輌が生産され、九五式軽戦車 ハ号とともに第二次世界大戦における日本軍の主力戦車として使用された。.

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九七式五糎七戦車砲

九七式五糎七戦車砲(97しき5せんち7せんしゃほう)とは、大日本帝国陸軍が1937年(皇紀2597年)に開発した口径57mmの戦車砲。九七式中戦車の主砲として使用された。.

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九三式戦車地雷

九三式戦車地雷(きゅうさんしきせんしゃじらい)は、第二次世界大戦中に日本陸軍によって使用された円形の対戦車地雷である。1933年から使用された。追加の爆薬を地雷の下部に加えることで、破壊力を増大させることができる。.

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九一式重戦車

九一式重戦車(きゅういちしきじゅうせんしゃ)または試製九一式重戦車(しせいきゅういちしきじゅうせんしゃ)とは、大日本帝国陸軍が1931年(昭和6年)(皇紀2591年.

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九二式五屯牽引車

九二式五屯牽引車(きゅうにしきごとんけんいんしゃ)は、大日本帝国陸軍が1933年(昭和8年)に仮制式した砲兵用牽引自動車である。初期にはガソリンエンジンを搭載した甲型が生産され、後期からはディーゼルエンジンを搭載した乙型が生産された。牽引能力は約5tである。.

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九二式重装甲車

九二式重装甲車(きゅうにしきじゅうそうこうしゃ)は、日本で開発され、1932年に正式採用された装甲車。実質的には豆戦車であり、騎兵部隊や戦車部隊で使用された。.

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九五式十三屯牽引車

九五式十三屯牽引車は、1930年代に大日本帝国陸軍が大型重砲牽引用として開発した牽引車である。本車は九二式八屯牽引車・九二式五屯牽引車と同系列であり、より大型化された車輌である。同系列とすることで操縦教育の容易さや補給しやすさに考慮した。性能としては七年式三十糎榴弾砲の分解輸送に際し、榴弾砲の長砲身を搭載した運搬車の総重量は29tに達したが、これを不整地であっても牽引可能だった。また九六式二十四糎榴弾砲を牽引する能力を持つ。 機関にはガソリンエンジンまたはディーゼルエンジンを搭載した。前者は九五式十三屯牽引車(甲)、後者は九五式十三屯牽引車(乙)と呼ばれた。採用当初は牽引力が不十分であること、エンジンと走行装置の故障、操作に大きな力が必要であることなどが欠点とされたが、後の改修によってこれらは改善された。.

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九五式軽戦車

九五式軽戦車(きゅうごしきけいせんしゃ)は、1930年代中期に開発・採用された大日本帝国陸軍の戦車(軽戦車)。秘匿名称「ハ号」(「イ号」は八九式軽戦車、「ロ号」は九五式重戦車)。 日本戦車としては最多の2,378輛が生産され、九七式中戦車 チハ(チハ車)とともに第二次世界大戦で活躍し、日本軍の代表的な軽戦車として知られている。.

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九五式重戦車

九五式重戦車(きゅうごしきじゅうせんしゃ)は日本陸軍が1935年(昭和10年)(皇紀2595年)に制式化した重戦車である。「九五式」の名は皇紀の下二桁から取られている。秘匿名称「ロ号」(「イ号」は八九式軽戦車、「ハ号」は九五式軽戦車)。.

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九四式37mm速射砲

九四式三十七粍砲(きゅうよんしきさんじゅうななみりほう)は、1930年代初中期に大日本帝国陸軍が開発・採用した対戦車砲(速射砲)。俗称は九四式三十七粍速射砲(きゅうよんしきさんじゅうななみりそくしゃほう)。 開発当初から発達しつつある装甲戦闘車両への対処に主眼が置かれており、帝国陸軍初の本格的な対戦車砲として日中戦争(支那事変)・ノモンハン事件・太平洋戦争(大東亜戦争)で使用された。.

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九四式四号丙無線機

九四式四号丙無線機(きゅうよんしきよんごうへいむせんき)は大日本帝国陸軍が開発した車輌用無線機である。八九式中戦車、九七式中戦車など日本軍の装甲戦闘車輌に多く搭載された。通話距離は約1km。不使用時、この無線機の全ての器材は箱に収容して運搬できた。全備重量は90kgである。 戦車用としての無線機が開発開始されたのは大正14年である。まず列国が当時採用していた器材の調査からはじめ、大正15年には「マルコニー」SA1型超短波無線電信電話機を調査した。しかしこの無線機は、戦車用乙機としては実用能力にやや不足があった。この無線機は戦車隊内通信用であり、視号通信と併用された。 昭和2年、参考用器材の調達が遅れ、審査の実施が行えなかった。 昭和3年、「マルコニー」SB1型超短波無線電信電話機を研究器材に使用。また戦車用甲機が模索された。これは師団内に装備されている諸無線機と対向して通信が行え、また戦車隊内の通信も行える無線機という仕様であり、改三号無線電信機などが研究されたが、所期の性能を発揮しなかった。 昭和4年、一時審査を中止した。これは戦車無線に関して関係各部門の意見が一致しなかったためである。昭和5年中は研究のみが続行された。 昭和6年、甲機について十号無線電信機、乙機について十三号無線電話機とすることが決定された。また審査方針が修正され、戦車相互間、または協力部隊との連絡に用いること、通信距離は1km、戦車内の装備として適することと変更された。 昭和7年、必要度が少ないことから十号無線機が審査項目から消去された。さらに研究方針が変更され、戦車の装備として適すること、戦車通信に用いるものであること、超短波または短波を使用すること、通信距離は戦車相互間1km、副通信法に電信を採用することが決められた。 昭和8年、研究試験の結果方針が修正された。戦車用無線機としては中短波を使用すること。これは超短波が地形や建築物などに強い影響を受けるためであった。戦車用無線電話機には十三号甲無線電話機の送信部と、十三号乙無線機の受信部を組み合わせ、これの形状と寸度を改修して車内装備に適合させることが決められた。さらに器材の諸元の決定に当たって関係各部門の意見が参考とされた。 昭和9年、満州北部での冬期試験が行われ、能力不十分であること、通信距離が目標に達しないこと、特に戦車が走行中の通話が困難なことが確認された。この結果を踏まえて改良と研究を続行し、おおむね所期の性能を発揮するに至った。8月、満州北部での雨期・炎熱試験を実施。電信性能は実用に達したが、行動間の無線電話機能は特殊な手段を講じない限りなおも実用が困難だった。 昭和10年1月、満州北部での冬期第二試験を実施。防寒その他諸装置に若干の改善が必要と認められた。電話、電信機能はおおむね実用に達したことが認められた。3月、兵器採用試験の実績から短期に製造可能と認められた。7月、戦車第二連隊の八九式中戦車に試作器材を搭載した。試験結果はおおむね所期の性能を発揮できることが確認できた。11月、陸軍技術本部に本無線機に関する意見を求め、異論がないことから仮制式制定の上申が認められた。12月、上申が行われた。.

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九四式軽装甲車

九四式軽装甲車 TK(きゅうよんしきけいそうこうしゃTK)は、1930年代前期に開発された大日本帝国陸軍の装甲車(装甲牽引車)。.

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九〇式五糎七戦車砲

九〇式五糎七戦車砲(90しき5せんち7せんしゃほう)とは、大日本帝国陸軍が1930年(皇紀2590年)に開発した口径57mmの戦車砲。八九式中戦車の主砲として使用された。.

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ノモンハン事件

ノモンハン事件(ノモンハンじけん)は、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと。1930年代に日本(大日本帝国)とソビエト連邦の間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)のひとつ。満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。.

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ルノー FT-17 軽戦車

ルノー FT-17 軽戦車(ルノー FT-17 けいせんしゃ、ルノー FT モデル 1917年式)は、フランスのRenault S.A.)で開発された軽戦車である。 FTは、フランス語で「軽量」を表す「Faible Tonnage」の略であるとされることも多いが、実際にはそれ自体に意味はない、ルノー社内の識別記号であったらしい。ちなみにフランス語で軽戦車はChar legerと書く。.

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ルノーNC型戦車

ルノーNC型戦車(ルノーNCがたせんしゃ)は、戦間期のフランスで開発された戦車である。第一次世界大戦で登場したルノー FT-17 軽戦車の発展型で、本格的な量産は行われずに終わったが、後のルノー D1戦車の元となった。少数が海外に輸出され、特に日本では陸軍が約10輌を購入、満州事変で実戦投入された。.

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ワールドタンクミュージアム

ワールドタンクミュージアム (World Tank Museum) は、株式会社タカラトミーが発売しているミニチュア戦車シリーズの食玩である。造形の企画制作は株式会社海洋堂。 コンビニエンスストアを中心に商品展開がなされ、Series 01が2002年5月に発売が開始され、2006年4月に発売されたSeries 09を以って、リリースを「休止」した。 2013年にエフトイズより塗装済み組み立てキットとして『ワールドタンクミュージアムキット Vol.1ドイツ電撃戦編1940』の販売が開始され、復活となった。.

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ヴィッカース 6トン戦車

ヴィッカース 6トン戦車(ヴィッカース 6トンせんしゃ)は戦間期にイギリスのヴィッカース・アームストロング社が開発した戦車で、ヴィッカース Mark E(Mk. E)の名でも知られる。1928年に完成、イギリス陸軍には採用されず海外輸出用として生産され、多くの国で戦車部隊の基礎となっただけでなく、いくつかの国では独自の発展型も生み出された。第二次世界大戦においても、なお数カ国では現役であった。.

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ビッカースC型中戦車

ビッカースC型中戦車(ビッカースCがたちゅうせんしゃ、Vickers Medium Tank Mk.C、ヴィッカースC型中戦車)は戦間期の1926年にイギリスのヴィカーズ(Vickers)社が開発した戦車である。.

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アメリカ陸軍兵器博物館

アメリカ陸軍兵器博物館(アメリカりくぐんへいきはくぶつかん、)は、アメリカ合衆国メリーランド州アバディーンのアバディーン性能試験場 (APG) にある武器・弾薬の博物館である。免税非営利法人である兵器博物館財団が運営している。日本ではアバディーン戦車博物館とも呼ばれる。.

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ガールズ&パンツァー

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動態保存

北海道遺産でもある雨宮21号 キハ11 動態保存(どうたいほぞん)とは、関連する業界内においてその機械類がほとんど運用されないような状態において、機械類が本来の用途としての動作・運用可能な状態で保存されている場合、もしくはその状態そのもののことである。動作・運用が可能ではない状態で保存する場合は静態保存という。 なお、鉄道の動態保存においては、個々の車両の保存では動いている状態とは言えず、廃線となった路線という運営システム自体を保存し旧式の車両を走らせる場合を保存鉄道と呼ぶ。ただし、動態保存について「保存鉄道」と呼ぶ場合もあり、区別は曖昧である。.

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神州丸

州丸(神洲丸、しんしゅうまる)は、大日本帝国陸軍が建造・運用した揚陸艦(上陸用舟艇母船)。存在秘匿のためにR1、GL、MT、龍城丸(りゅうじょうまる)等の名称も使用されている。帝国陸軍では特種船に分類され、その第1号(第1船・1番船)となり同型船は無い。 事実上の世界初の先進的なドック型揚陸艦として上陸用舟艇である大発動艇(大発)・小発動艇(小発)多数および、それらの護衛砲艇たる装甲艇(AB艇)、高速偵察艇たる高速艇甲(HB-K)を搭載し極めて高い上陸戦遂行能力を持ち、日中戦争(支那事変)最初期から太平洋戦争(大東亜戦争)末期に至るまで数々の上陸作戦・揚陸作戦を成功に導いた。また、計画段階より搭載航空機による上陸部隊の支援攻撃が考慮されていたため、後身の発展型であるあきつ丸と同じく現在の強襲揚陸艦の先駆的存在であった。.

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特二式内火艇

特二式内火艇 カミ車(とくにしきないかてい、もしくはうちびてい カミしゃ)は日本海軍(海軍陸戦隊)の水陸両用戦車。1942年(昭和17年/皇紀2602年)に制式採用された。昭和以降の兵器の呼称様式に従い皇紀の下2桁を取って「二式」と呼ばれる。.

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独立混成第1旅団

立混成第1旅団(どくりつこんせいだいいちりょだん)は、大日本帝国陸軍の独立混成旅団の一つ。1934年(昭和9年)と、1939年(昭和14年)に編成された。.

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狙撃砲

狙撃砲(そげきほう)とは、大日本帝国陸軍が第一次世界大戦後に開発した口径37mmの歩兵砲。直射による機関銃陣地撲滅を目的として開発された。.

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百武俊吉

武 俊吉(ひゃくたけ しゅんきち、1897年7月17日 - 1937年10月6日)は大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は大尉。満州事変の際派遣された臨時派遣第1戦車隊の隊長となり、創成期の日本陸軍機甲部隊を率いた人物として知られる。.

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装甲作業機

装甲作業機(そうこうさぎょうき)とは、大日本帝国陸軍が工兵用近接戦闘器材として開発した戦闘工兵車である。付属装備を交換することにより、トーチカ攻撃用、地雷処理用、架橋戦車、火炎放射戦車などとして使用できる。甲型から戊型までの5種が生産され、日中戦争や太平洋戦争で実戦使用された。漢字表記は装甲作業器とも書き、装甲と作業のイニシャルからSS機(SS器)とも略称された。.

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装甲艇

装甲艇(そうこうてい)は、大日本帝国陸軍の砲艇/戦闘用舟艇。支那事変(日中戦争)や太平洋戦争(大東亜戦争)で使用された。AB艇とも。.

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西住小次郎

西住 小次郎(にしずみ こじろう、1914年〈大正3年〉1月13日 - 1938年〈昭和13年〉5月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸士46期。最終階級は陸軍歩兵大尉。勲五等功四級菊池(1995)、p.175。熊本県上益城郡甲佐町仁田子出身。 日中戦争(支那事変)における第二次上海事変から徐州会戦に至るまで、八九式中戦車をもって戦車長として活躍。戦死後、軍部から公式に「軍神」として最初に指定された軍人として知られる。.

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試製中戦車 チニ

試製中戦車 チニ(しせいちゅうせんしゃ チニ)とは1937年に試作された大日本帝国陸軍の中戦車である。.

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試製中戦車 チセ

試製中戦車 チセ(しせいちゅうせんしゃ チセ)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍が構想・計画した戦車である。.

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試製七糎半対戦車自走砲 ナト

試製七糎半対戦車自走砲 ナトは、太平洋戦争(大東亜戦争)期における大日本帝国陸軍の装甲戦闘車両である。既存の弱火力の日本軍対戦車砲から脱却し、アメリカ軍戦車が持つ装甲を撃ち抜くために作られた。.

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試製一号戦車

試製一号戦車(しせいいちごうせんしゃ)とは、大日本帝国陸軍によって1927年(昭和2年)に開発された戦車。日本が独自に開発した初めての戦車である。.

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試製九八式中戦車

試製九八式中戦車 チホ(しせいきゅうはちしきちゅうせんしゃ ちほ)とは、日本陸軍参謀本部の命で開発され、1939年(昭和14年)7月に完成した試作中戦車。「チホ」は中戦車(チュウセンシャ)として5番目(イ、ロ、ハ、ニ、ホ)に設計されたことを示している。.

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高橋清伍

橋 清伍(たかはし せいご、1908年(明治41年)2月21日‐1945年(昭和20年)2月7日)は、日本陸軍の軍人。陸士41期。最終階級は少佐、死後中佐。旧姓:森山。.

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陸上自衛隊武器学校

上自衛隊武器学校(りくじょうじえいたい ぶきがっこう、JGSDF Ordnance School)は、土浦駐屯地(茨城県阿見町)に所在する陸上自衛隊の防衛大臣直轄機関のひとつ。武器科隊員に対する教育訓練を主要任務としている。阿見町立施設である「予科練平和記念館」に隣接している。.

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Forgotten Hope Secret Weapon

『Forgotten Hope Secret Weapon』(フォーガットン・ホープ・シークレット・ウェポン, 略称:FHSW)は、FPSである『BF1942』において、有志の開発チームが製作しているトータルコンバージョンMOD。.

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機動艇

SS艇量産型の機動第十九号艇とその僚艇。戦後に撮影された写真。 機動艇(きどうてい)とは、第二次世界大戦期に日本陸軍が保有した揚陸艦のひとつである。海岸に直接乗り上げて、船首の渡し板から戦車などを上陸させる、ビーチング方式の戦車揚陸艦の一種にあたる。当初は特大汽艇と呼ばれていた。陸軍独自に開発した系列はSS艇、海軍設計のものはSB艇とも呼ばれる。.

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機甲戦

機甲戦または戦車戦とは、現代戦において装甲戦闘車輌を投入することである。これは戦争の現代の手法において主要な部分を成している。機甲戦の前提は、従来用いられる防衛線に、機甲部隊の機動力を使用し、これを穿貫突破する兵員の能力に基づく。 機甲戦の応用の多くは、戦車、および歩兵戦闘車、自走砲のような車輌の使用に依存している。機械化された戦闘工兵、および他の支援部隊も同様である。 機甲戦の戦闘教義は、第一次世界大戦の西部戦線で行われた塹壕戦の固定的な性質を打破するよう開発された。また、軍事戦略上の結果は19世紀の軍事学派の考えである機動と「会戦」の主張への回帰となった。.

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汽車製造

汽車製造(きしゃせいぞう)とは、1896年(明治29年)から1972年(昭和47年)まで存在した鉄道車両メーカーである。正式名称は汽車製造合資会社(1896年)→汽車製造株式会社(1912年会社組織変更により改称)で、汽車会社・汽車製造会社などとも呼ばれた。川崎重工業に吸収合併された。会社が消滅するまでは、現在の東京証券取引所に上場していた。.

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戦車

T-34/85 レオパルト2A5 74式戦車(左)と10式戦車試作車(右) 戦車(せんしゃ)は、戦線を突破することなどを目的とする高い戦闘力を持った装甲戦闘車両である。一般に攻撃力として敵戦車を破壊できる強力な火砲を搭載した旋回砲塔を装備し、防御力として大口径火砲をもってしても容易に破壊されない装甲を備え、履帯による高い不整地走破能力を持っている。.

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戦車一覧

戦車一覧(せんしゃいちらん)では、世界の戦車を挙げる。時代別の戦車一覧は時代別戦車一覧を参考のこと。.

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戦車第10連隊

戦車第10連隊(せんしゃだい10れんたい、戦車第十聯隊)は、大日本帝国陸軍の戦車連隊のひとつ。.

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戦車第3連隊

戦車第3連隊(せんしゃだい3れんたい、戦車第三聯隊)は、大日本帝国陸軍の戦車連隊のひとつ。 前身は、1933年(昭和8年)10月1日に久留米で編成され、関東軍の独立混成第1旅団に所属していた戦車第3大隊であり、1937年(昭和12年)7月に盧溝橋事件が発生すると独立混成第1旅団は華北に派遣されたが、戦車第3大隊は満州に残りこの間の8月1日に連隊に改編された。.

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手投火焔瓶

手投火焔瓶(てなげかえんびん)は、1943年(昭和18年)7月19日に制式制定された大日本帝国陸軍の火焔瓶である。対戦車・特火点に対して使用された。構造は直径69mm、全高140mmの専用のガラス瓶の口に常働信管を取り付けたもので、重量は540gである。燃料には「カ剤」が用いられた。付属品としてブリキ製のじょうごが用いられた。 手投火焔瓶が制式制定される以前には、サイダーの瓶などを用いた急造の火焔瓶が多数用いられていた。また、制定時の設計でも、既存の瓶に信管を装着して急造が可能なよう考慮されている。本項では制式制定された手投火焔瓶の他、日本軍が急造使用した火焔瓶と戦闘について記述する。.

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時代別戦車一覧

時代別戦車一覧(じだいべつせんしゃいちらん)は、世界の戦車を大まかに4つの時代に分けて挙げる。国家別の戦車一覧は戦車一覧を参考のこと。.

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89式

89式.

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