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ヴァリャーグ (防護巡洋艦)

索引 ヴァリャーグ (防護巡洋艦)

ヴァリャーグ(ヴァリャーク、ワリヤーグ;ロシア語:Варягヴァリャーク)は、ロシア帝国海軍の防護巡洋艦(Бронепалубный крейсер)で同型艦はない。本艦は日露戦争で仁川沖海戦の際に大日本帝国海軍との交戦で大破した時に、艦長が降伏より自沈を選んだことでその武勇を称賛された。自沈後に大日本帝国で修理を受けて「宗谷」として就役したが第一次世界大戦時にロシア帝国に返還されて旧名に復したという希有な艦歴を持つ武勲艦である。竣工時の艦名は、古代ルーシ時代の「ヴァリャーグ」に因む。.

26 関係: 大日本帝国海軍の歴史大日本帝国海軍艦艇一覧宗谷宗谷 (船)宗谷 (防護巡洋艦)山本五十六丹後 (戦艦)仁川沖海戦ヴァリャーク (ミサイル巡洋艦・2代)ヴァリャーグ (空母)ヴァリャーグ (曖昧さ回避)ボヤーリン (防護巡洋艦)フセヴォロド・ルードネフウラジオストク巡洋艦隊ウィリアム・クランプ・アンド・サンズコレーエツ (航洋砲艦・初代)ソ連・ロシア海軍艦艇一覧白石葭江防護巡洋艦阿蘇 (装甲巡洋艦)World of Warships村上格一新井有貫日韓議定書日露戦争1904年の政治

大日本帝国海軍の歴史

この大日本帝国海軍の歴史(だいにほんていこくかいぐんのれきし)は、日本の海軍史における大日本帝国海軍の歴史に焦点をあてたものである。.

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大日本帝国海軍艦艇一覧

大日本帝国海軍艦艇一覧(だいにっぽんていこくかいぐんかんていいちらん、List of Japanese Imperial Navy Naval ship)は、明治維新から太平洋戦争(大東亜戦争、第二次世界大戦)終結の間に、大日本帝国海軍が保有または、保有を計画した艦艇の一覧である。現段階で、この一覧は全艦艇の網羅には程遠いものである。この一覧はウィキペディア内に記事があるかを確認する便宜のためにあり、新規記事が到着したときにはここに追加される。 なお、陸軍船舶兵が保有していた船舶は大日本帝国陸軍兵器一覧#船舶を参照 なお、艦種類別及び等級については、基本的に竣工時とする。終戦までに廃止された類別についてはその限りではない。また特記すべき変更がある場合はより重要と思われる類別に分類し、航空母艦への改造など変更前後の両方とも重要な場合は両方に分類する。日本海軍の艦種類別の変遷、大日本帝国海軍艦艇要目解説については、別稿で記述する。未成艦・計画艦には斜線で表記する。.

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宗谷

宗谷(そうや).

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宗谷 (船)

宗谷(そうや)は、数奇な運命をたどった日本の砕氷船である。海上保安庁の巡視船としての船番号は PL107。昭和期の多くの歴史的事件に関わり、特に1956年から1962年まで南極観測船(初代)を務め日本の南極観測事業の礎を築いたことで知られる。海上保安庁の船としては現存する唯一の保存船で他に志賀があったが、1998年に解体されて現存しない。、1940年から1945年まで大日本帝国海軍の特務艦日本補助艦艇物語232-233頁『(4)運送艦(雑用)宗谷(二代)』として活躍した、現存する数少ない(見方によっては唯一の三笠は、ワシントン海軍軍縮条約によって軍艦籍から除かれた後、岸壁に固定され「工作物」の扱いとなっている。)帝国海軍艦船でもある。.

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宗谷 (防護巡洋艦)

宗谷」(そうや)は、大日本帝国海軍の保有した防護巡洋艦である。艦名は宗谷海峡に因む明治38年8月10日付 海軍大臣官房発行 官房第3040号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C06091630000 で閲覧可能。。日本海軍での公式類別は二等巡洋艦。元はロシア帝国の 1 等防護巡洋艦「ヴァリャーグ」で、日露戦争の際に日本軍によって捕獲された。.

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山本五十六

山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。.

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丹後 (戦艦)

丹後(たんご)は、大日本帝国海軍に所属した戦艦#達明治38年8月p.8『達第百十一號 戰利軍艦「ペレスウエート」外四隻左ノ通命名セラル 明治三十八年八月二十二日 海軍大臣男爵山本権兵衛|戰艦「ペレスウエート」 相摸/戰艦「ポルタワ」 丹後/一等巡洋艦「バヤーン」 阿蘇/二等巡洋艦「ワリヤーグ」 宗谷/二等巡洋艦「パルラダ」 津輕』。 元は、ロシア帝国海軍が建造したペトロパブロフスク級戦艦(ポルタヴァ級艦隊装甲艦)の1隻ポルタワ#福井戦艦物語壱108頁『◇丹後―ポルタワ』、ポルタヴァ(Полтава)である#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ67(原本101頁)『丹後(たんご) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、丹後國に採る。艦歴舊露國軍艦、原名「ボルタワ」。明治31年進水、露國聖彼得堡造船所にて建造。日露戰役中露國太平洋艦隊として明治39年8月10日黄海々戰に参加、後ち旅順港打ちに於て破壊沈没。同38年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日)我が海軍之が収容引揚に着手、同年8月22日帝國軍艦と定め「丹後」と命名、同年12月戰艦の等級を廢せらる。大正元年一等海防艦に編入、同年3年乃至9年戰役(日獨)從軍:同3年8月第二艦隊第二戰隊に属し青島戰に参加(艦長大佐秋澤芳馬)、同5年4月5日露國政府へ譲渡す。―要目― 長367呎/幅69呎/吃水25.6呎/排水量10,960噸/機關 直立三汽筩三聯成汽機2基、宮原式罐/馬力11,000/速力16/乗組人員750/船材 鋼(甲帶406粍)/兵装 12吋砲 4/6吋砲 12/3吋砲 10/47粍砲 4/發射管 4/起工 明治25/進水 同27-11-6/竣工 同31/建造所 露國セント・ピータースブルグ』。 姉妹艦にペトロパブロフスクとセヴァストポリがあるが、ともに日露戦争において沈没。本艦も旅順攻囲戦で大破、着底した。 その後、旅順要塞降伏時に日本海軍によって鹵獲され、戦利艦として「丹後」と改名してから再就役した。艦名は丹後国に由来する。 明治天皇に奏聞した候補艦名に「讃岐」があった。.

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仁川沖海戦

仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)は日露戦争での日本海軍とロシア海軍との間の海戦。旅順港への奇襲と並行して行われ、日露戦争の口火を切った戦いとして知られる。.

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ヴァリャーク (ミサイル巡洋艦・2代)

ヴァリャーク(ロシア語:Варягヴァリャーク)は、ロシア連邦のミサイル巡洋艦(Ракетный крейсер)である。1164.1号計画「アトラーント」型(スラヴァ級)ミサイル巡洋艦の3番艦。 艦名は「ワリャーク」とも表記される。.

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ヴァリャーグ (空母)

ヴァリャーグ(ヴァリャーク、Варя́г)は、ソビエト連邦(以下、ソ連)で設計された航空母艦である。ソビエト連邦海軍(以下、ソ連海軍)では重航空巡洋艦(тяжёлый авианесущий крейсер)に分類され、1143.5設計重航空巡洋艦(「アドミラル・クズネツォフ級航空母艦」)の事実上の2番艦である1143.6設計重航空巡洋艦を構成する唯一の艦であった。 ソ連崩壊後、ロシア海軍が保有権を放棄しウクライナ海軍に編入されたが完成せず、廃艦となった。未完成の艦体は中華人民共和国(以下、中国)へ売却され、「遼寧」となった。.

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ヴァリャーグ (曖昧さ回避)

ヴァリャーグまたはヴァリャーク、ワリャーグ、ワリャーク(Варяг, Varyag).

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ボヤーリン (防護巡洋艦)

ボヤーリン(ロシア語:Бояринバヤーリン)は、ロシア帝国の二等防護巡洋艦(бронепалубный крейсер II-ранга)である。艦名は先代のコルベットから受け継いだもので、中世ルーシの世襲貴族「ボヤーリン」に由来している。ロシア帝国海軍では珍しい、デンマーク製の軍艦である。.

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フセヴォロド・ルードネフ

フセヴォロド・ルードネフ(ロシア語:Всеволод Федорович Рудневフスィェーヴァラト・フョーダラヴィチュ・ルードニェフ、1855年8月19日 - 1913年7月7日)は、帝政ロシアの軍人、海軍少将である。日露戦争開戦直後の仁川沖海戦時の一等防護巡洋艦「ヴァリャーグ」の艦長であった。日本に降伏しなかったことで、ロシアでは彼と巡洋艦「ヴァリャーグ」は英雄視されている。.

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ウラジオストク巡洋艦隊

ウラジオストク巡洋艦隊(ウラジオストクじゅんようかんたい、 ヴラヂヴァストークスキイ・アトリャート・クリイスィローフ)「巡洋する艦隊」ではなく「巡洋艦の隊」という意味。は、ロシア帝国の極東・太平洋方面における戦術的艦隊合同である。ウラジオストクに根拠地を置いたロシア帝国海軍バルト艦隊の分遣隊「отряд」は「分遣隊」という意味であるが、日本語文献ではこの隊に限り「艦隊」と意訳している。のひとつで、一等巡洋艦4隻(装甲巡洋艦3隻と防護巡洋艦1隻)と補助巡洋艦1隻を主力として編成された。一般に、ウラジオストク艦隊()とも呼ばれる。日本では浦塩艦隊(うらじおかんたい)とも呼ばれた。1903年に編成され、1906年に解隊した。.

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ウィリアム・クランプ・アンド・サンズ

ウィリアム・クランプ・アンド・サンズ造船 (William Cramp & Sons Shipbuilding Company)は、アメリカ合衆国の造船会社。1825年にウィリアム・クランプによって設立され、19世紀における主要な造船所であった。 アメリカン・シップ・アンド・コマース社 (American Ship & Commerce Corporation) が1919年に造船所を買収したが、1923年の海軍力制限条約に伴ってアメリカ海軍からの受注が減少し、1927年に閉鎖している。1940年に海軍は巡洋艦と潜水艦を建造するため2,200万ドルを費やし造船所を再開した。 主な艦艇にはバラオ級潜水艦などがある。しかしクランプ社製のバラオ級潜水艦は同社の技術力不足のためか工期延長を発生させることが多く、一部の艦では工作不良も生じた。こうしたことから海軍の評価は高くなく、工作不良が原因ではないものの、ランセットフィッシュの海没事故を契機として発注されていたバラオ級潜水艦は多くがキャンセルとなった。クランプ造船所は1947年に閉鎖され、デラウェア川に面する同造船所の敷地は工業団地となった。.

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コレーエツ (航洋砲艦・初代)

レーエツまたはコレーツ()はロシア帝国海軍の航洋砲艦。コレーエツ級砲艦の1番艦。同型艦は8隻。日露戦争の仁川沖海戦において、僚艦ヴァリャーグと共に日本海軍の浅間、千代田などと戦闘し、最終的に仁川港内で爆破、自沈した。艦名の由来はロシア語の「韓国」という意味を持つから。.

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ソ連・ロシア海軍艦艇一覧

連・ロシア海軍艦艇一覧は、ロシア帝国海軍、南ロシア軍、ロシア軍、赤色海軍、ソビエト社会主義共和国連邦海軍並びにロシア連邦海軍などが過去保有した、または現在保有する、または将来保有する予定の、未完成・計画中止を含めた歴代艦艇一覧である。国境軍の所属艦艇についてはソ連・ロシア国境軍艦艇一覧参照のこと。 なお、ロシア語では「級」と「型」を区別なく「тип」(「タイプ」に相当する語)で表すため、場合によっては「級」と「型」の訳語は入れ替わる場合がある。この他、「класс」(「クラス」に相当する語)や「серия」(「シリーズ」に相当する語)についても日本語では訳し分けが難しく、結局区別せずに「級」と訳す場合が多い。一方、英語で付けられたNATOコードネームは通常は「級」と訳される「class」という単語を用いているが、。計画番号・名称については原語では「型」に相当する単語は含まれていないが、日本語としての便宜上「проект xxx "ABCDE"」については「xxx号計画「ABCDE」型」のように意訳する。 こうした翻訳に関する諸事情があるが、日本語においては日本以外の艦船については一般にネームシップを旨とする類別には「艦級」、計画名(プロジェクト名)やコードネームなどネームシップを旨としない類別には「艦型」を用いているので、この一覧ではその日本語側の基準に順ずることとする。ただし、潜水艦についてはページが統一的に「級」で立てられているため、そちらに順ずる。 '凡例.

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白石葭江

| 氏名.

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防護巡洋艦

防護巡洋艦(ぼうごじゅんようかん;Protected cruiser)は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて存在した巡洋艦の形式である。装甲艦や戦艦、装甲巡洋艦が舷側に鋼鉄の装甲を張って防御としていたのに対し、主機室の上の甲板を装甲し(これを防護甲板という)、舷側には装甲を持たない比較的軽防御の巡洋艦をいう。 チリ海軍がイギリスのアームストロング造船所に発注した巡洋艦「エスメラルダ」(1884年竣工)が世界最初の防護巡洋艦といわれる(同艦は1895年に日本海軍が購入し、二等巡洋艦「和泉」となった)。大型の装甲巡洋艦 1 隻の費用で小型高速の防護巡洋艦 3 隻が建造できるとされ、各国が競って装備した。しかし、実戦において防御力の不足が明らかになったこともあり、やがて廃れた。 装甲巡洋艦が巡洋戦艦に進化し、戦艦が前ド級艦からド級艦に移っていったのと同様に、防護巡洋艦も技術や環境の変化につれて軽巡洋艦、さらには重巡洋艦へと変化していった。.

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阿蘇 (装甲巡洋艦)

阿蘇」(あそ)は、日本海軍の保有した装甲巡洋艦#海軍制度沿革(巻8、1940)p.199『◎戰利軍艦相摸肥前命名ノ件 明治三十八年八月二十二日(達一一一)戰利軍艦「ペレスウエート」外四隻左ノ通命名セラル 戰艦「ペレスウエート」 相摸/戰艦「ポルタワ」 丹後/一等巡洋艦「バヤーン」 阿蘇/二等巡洋艦「ワリヤーグ」 宗谷/二等巡洋艦「パルラダ」 津輕』。日本海軍の正式な類別は 1 等巡洋艦#海軍制度沿革(巻8、1940)p.52『◎明治三十八年八月二十七日(達一一四)軍艦及水雷艇類別等級表中戰艦ノ欄一等ノ下「石見」ノ次ニ「相摸、丹後」ヲ、巡洋艦ノ欄一等ノ下「日進」ノ次ニ「阿蘇」ヲ、同二等ノ下「千歳」ノ次ニ「津輕、宗谷」ヲ加フ』。 元はロシア帝国のバヤーン級装甲巡洋艦1番艦「バヤーン」であり、日露戦争における旅順攻囲戦において沈没(大破着底)。旅順港を占領した日本海軍に鹵獲される。 浮揚修理後、日本海軍の軍艦籍編入時に「阿蘇」と改名した。 艦名は阿蘇山に依る#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.71『阿蘇(あそ) 艦種巡洋艦二等 二檣(信號用) 艦名考山名なり、肥後國阿蘇嶽に採る、此山は肥後國阿蘇郡の中央に在る活火山なり、標高5,577尺。艦歴舊露國軍艦、原名「バヤーン」、明治33年佛國「ラセーヌ」に於て進水。明治36年12月2日旅順に回航、同37年2月日露開戰後太平洋艦隊として旅順にありて活動し、其の高速力は我が驅逐隊の最も悩む所となる、同37年7月27日機雷に觸れ大損傷を蒙り、以來旅順港内に蟄居し出でず。復た後ち港内に於て破壊沈没、同38年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日)我が海軍之が収容引揚に着手、同年8月22日帝國軍艦と定め「阿蘇」と命名。大正3年乃至9年戰役從軍:同9年敷設艦に編入。―要目―(略)起工 /進水 明治33-5-12/竣工 同35/建造所 佛國セーヌ』(註:実際は6月12日進水)。 天皇に奏聞した候補艦名には「熊野」および「生野」があった。.

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World of Warships

『World of Warships』(、)とは、ベラルーシのWargaming.net社が開発し運営している、艦隊による海戦を扱ったオンライン海戦ストラテジーゲーム(MORPG)の名称である。.

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村上格一

村上 格一(むらかみ かくいち、文久2年11月1日(1862年12月21日) - 昭和2年(1927年)11月15日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。清浦内閣の海軍大臣。佐賀県出身。幼名は袈裟之助(けさのすけ)。養子に海軍少将・村上暢之助。また実娘は海軍少将・横井忠雄と結婚している。.

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新井有貫

新井 有貫(あらい ありつら/あらい ゆうかん、1849年12月24日(嘉永2年11月10日) - 1909年(明治42年)12月1日)は、日本の海軍軍人。運用、航海の大家で三浦功(以下「三浦」)とともに海軍士官の目標とされる存在であった『歴史と名将』81頁。旧名は鐘吉。最終階級は海軍中将。墓所は青山霊園。.

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日韓議定書

日韓議定書(にっかんぎていしょ)は、日露戦争中の1904年(明治37年)2月23日に、日本と大韓帝国(韓国)との間で締結された条約である。.

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日露戦争

日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война 、Russo-Japanese War、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。.

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1904年の政治

1904年の政治(1904ねんのせいじ)では、1904年(明治37年)の政治分野に関する出来事について記述する。.

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