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リュクルゴス (スパルタ王)

索引 リュクルゴス (スパルタ王)

リュクルゴス(Λυκοῦργος、Lycurgus、在位:紀元前219年-紀元前210年)は、スパルタ末期のスパルタ王である。 リュクルゴスは王家の血筋にないにもかかわらず、紀元前219年にアゲシポリス3世と共にスパルタ王に選ばれた。これによってクレオメネス3世の亡命以降混乱状態にあったスパルタは再び王政に戻った。ポリュビオスによれば、リュクルゴスが王位に就けたのは監督官への賄賂によるものである。 即位後、リュクルゴスは精力的にメッセニア、アカイア同盟、そしてその争いに介入してきたマケドニア王国と戦った。即位の年に彼はメガロポリス領のアテナイオンを包囲した。 翌紀元前218年にはメッセニア、続いてテゲアに攻め込んだが、大した成果もなく戻った。しかし、歩兵2,000と騎兵200からなるメッセニア軍がラコニアとアルゴスの境まで接近してくると、リュクルゴスはそれを迎え撃って敗走させた。彼は余勢を駆ってペロポネソスにいるマケドニア王ピリッポス5世と戦おうとし、アミュークライ(スパルタ市の南)へと向かった。そこでリュクルゴスはエウロタス川を挟んだアミュクライの対岸のメネライオンに2,000を切る兵士と共に着陣し、残りの部隊はのろしが上がれば出撃するよう指示してアミュクライに残した。北進したピリッポスは傭兵、盾兵、イリュリア人の部隊を率いて川を渡り、リュクルゴスの拠る丘に攻撃をかけた。当初ピリッポスは傭兵だけを戦わせ、この時はリュクルゴスは優勢に戦ったが、ピリッポスが次いで盾兵とイリュリア人と順次戦力を投入すると、リュクルゴスはその二倍の兵力差の前に押し潰され、敗走した。スパルタ軍は数百人の戦死者とそれを上回る捕虜を出した。 紀元前217年、彼が革命を目論んでいるという噂が広がったためリュクルゴスはアイトリアへと逃亡した。しかし、後に噂は嘘であることが判明したため、彼は呼び戻された。その後、彼はアイトリアのピュリアスと手を結び、メッセニアに同時攻撃を仕掛けようとしたが、ピュリアスが早々と敗退したために計画は失敗した。 紀元前215年、リュクルゴスは共同統治者のアゲシポリスを廃位し、単独の支配者となった。しかし、紀元前210年にリュクルゴスは王位を狙ったケファロンなる者によって殺された。しかし、ケファロンの計画は失敗したため、王位はリュクルゴスの子のペロプスとその後見人マカニダスによって継がれた。.

7 関係: ペロプス (スパルタ王)ナビス戦争マカニダスリュクルゴスアゲシポリス3世エウクレイダススパルタ王

ペロプス (スパルタ王)

ペロプス(希:Πέλοψ、ラテン文字転記:Pelops、在位:紀元前210年-紀元前206年)はスパルタ末期の王である。 ペロプスは先王リュクルゴスの子であり、紀元前210年の父の死に伴って王位に就いた。しかし、ペロプスの治世は長くは続かなかった。紀元前207年に後見人のマカニダスがアカイア同盟との戦い(マンティネイアの戦い)で敗死すると、マカニダスの地位にはナビスが就き、国政を縦にした。ナビスは成長したペロプスが自身に取って代わることを恐れ、彼を政権奪取の翌年に処刑した。.

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ナビス戦争

ナビス戦争(ナビスせんそう、Guerra contro Nabide)は、ギリシアのポリスであるスパルタと共和政ローマ、アカイア同盟、アッタロス朝(ペルガモン王国。以下はペルガモンと記載)、ロドスおよびアンティゴノス朝(マケドニア王国。以下はマケドニアと記載)の連合軍の間で行われた戦争である。 ラコニア戦争やローマ・スパルタ戦争とも称されるこの戦争の結果により、スパルタは実質的に独立国家として終焉を迎えた。また、共和政ローマはこの戦争における勝利により、紀元前146年まで続くギリシア征服の足掛かりを作ることとなった。.

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マカニダス

マカニダス(Μαχανίδας、Machanidas、?-紀元前207年、在位:紀元前210年-紀元前207年)は、スパルタ王ペロプスの後見人で、スパルタの僭主である。 マカニダスは先王リュクルゴスの死に伴い、ペロプスの後見人になった。彼は軍を率いてアルゴスの国境を巡視し、これがアカイア同盟を刺激したため、その援助の要請を受けたマケドニア王ピリッポス5世のギリシアへの介入を招いた。 マカニダスは紀元前207年にマンティネイアに侵攻した。同年の夏にマンティネイアにてフィロポイメン率いるアカイア同盟軍とマンティネイアの戦いで戦った。この戦いでスパルタ軍は敗れ、マカニダスはフィロポイメン自身によって討ち取られた。マカニダスの地位にはナビスが就いた。.

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リュクルゴス

リュクルゴス、リュクールゴス(Lycurgus, ギリシア語:Λυκοῦργος).

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アゲシポリス3世

アゲシポリス3世(希:Ἀγησίπολις、英:Agesipolis III、?-紀元前183年、在位:紀元前219年-紀元前215年)はアギス朝の最後のスパルタ王である。 アゲシポリス3世はクレオメネス2世の孫のアゲシポリス(彼は王にはならなかった)の子である。先王クレオメネス3世の亡命後の数年の空位期間の後、彼は未成年にもかかわらず監督官によって王に選ばれ、叔父クレオメネスの後見を受けた。しかし、アゲシポリスはすぐに共同統治者の王リュクルゴスによって廃位された。 次に彼が歴史の表舞台に立つのは紀元前195年に彼がスパルタより追放され、同年フラミニヌスのスパルタの僭主ナビスとの戦い(:en:War against Nabis)に加わった時である。その後、紀元前183年にアゲシポリスはスパルタからローマに赴いた使節の一人となったが、その途中随行者もろとも海賊に捕まり殺された。.

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エウクレイダス

ウクレイダス(希:Ευκλείδας、ラテン文字転記:Eucleidas、在位:紀元前227年-紀元前222年)はエウリュポン朝の最後のスパルタ王である。パウサニアスは彼の名をエピクレイダスとしている。 エウクレイダスはレオニダス2世の子であり、アギス朝の王クレオメネス3世の弟である。エウクレイダスはアギス朝の王族であったが、エウリュポン朝の王アルキダモス5世が暗殺されたため、兄クレオメネスによってエウリュポン朝の彼の共同統治者としてその王位に据えられた。登位後のエウクレイダスの唯一の事績は兄とともにクレオメネス戦争のセラシアの戦い(紀元前222年)に参加し、同盟軍を率いたことである。戦死したと明言されてはいないが、セラシアで彼の部隊はフィロポイメンの攻撃を受けて壊滅し、戦死した。.

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スパルタ王

パルタ王(スパルタおう)は、古代ギリシアにおいてペロポネソス半島のラコニア地方にあった都市国家スパルタの君主の称号である。.

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