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メデューズ号の筏

索引 メデューズ号の筏

『メデューズ号の筏』(メデューズごうのいかだ、Le Radeau de la Méduse)は1818年〜1819年、フランスロマン主義派の画家・版画家テオドール・ジェリコーによる油彩画で、フランスパリのルーブル美術館に所蔵されている。ジェリコーが27歳の時の作品であり、フランス・ロマン主義の象徴となった。本作は、大きさ 491 cm × 716 cm 、実物大の絵画で、フランス海軍のフリゲート艦メデューズ号が難破した際に起きた事件を表している。 メデューズ号は、1816年7月5日、今日のモーリタニア沖で座礁した。少なくとも147人の人々が、急ごしらえの筏で漂流しなければならなかった。そのほとんどが救出までの13日間で死亡し、生き残った15人も、飢餓、脱水、食人、狂気にさらされることになった。事件は国際的スキャンダルとなり、フランス復古王政の当局指揮下にあったフランス軍指揮官の、無能が遠因になったとされた。 ジェリコーは、依頼を受けてからこの絵を描いたのではない。最近起きたばかりの有名な悲劇的事件を、意識的に主題に選んだことで、この絵は世間の関心を大いに呼び、ジェリコーの名も世に知られるようになった"" ルーブル美術館。2008年11月19日。。 若い芸術家は事件に惹きつけられ、ジェリコーは事前に様々な事柄を調べてスケッチを繰り返し、いくつも習作を作製してから本作に取り組んだ。彼は生存者の2名に取材し、筏の精密な縮尺模型を作った。死体置き場や病院に赴き、死んだ人や死にかけた人の肌の色や質感をじかに観察した。ジェリコーが予測したように、『メデューズ号の筏』は1819年のサロン・ド・パリで激しい論争の的となり、熱のこもった賞賛と非難とを同時に巻き起こした。これによりジェリコーは国際的な名声を確立し、今日ではフランス絵画の初期ロマン派画家として広く知られている。 『メデューズ号の筏』は歴史絵画の伝統にしたがってはいるが、主題の選択とその劇的演出において、当時一般的だった新古典主義派の平静と秩序からの脱却を意味している。ジェリコーの作品は、最初の展示からすぐに広く関心を呼び、その後はロンドンでも公開された。ジェリコーが32歳で早逝すると、すぐにルーブル美術館に買い取られた。絵の影響は、ウジェーヌ・ドラクロワ、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、ギュスターヴ・クールベ、エドゥアール・マネに見られる。 画面中央が『メデューズ号の筏』。かなり大きな作品である。.

19 関係: いかだ印象派ミレーヌ・ファルメールミニョネット号事件チャンセラー号の筏メデューズ (帆走フリゲート)メアリー・セレストメキシコ湾流 (美術)パンブフテオドール・ジェリコーエジプシャン・ホールカニバリズムクロード・ジャドゼロ THE MAN OF THE CREATIONサロン・ド・パリ西洋美術史週刊 歴史のミステリー海難事故19世紀

いかだ

いかだ(筏・桴)は、木材・竹など浮力を持つ部材をつなぎ合わせ、蔓などで結びつけた、水上構造物である。 航行や養殖の目的に用いられており、用途に応じて船舶または浮きの集合体とみなされる。.

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印象派

モネ『印象・日の出』 印象派(いんしょうは)または印象主義(いんしょうしゅぎ)は、19世紀後半のフランスに発した絵画を中心としたであり、当時のパリで活動していた画家たちのグループが起源である。フランスの保守的な美術界からの激しい批判にさらされながらも、独立した展覧会を連続して開催することで、1870年代から1880年代には突出した存在になった。この運動の名前はクロード・モネの作品『印象・日の出』に由来する。この絵がパリの風刺新聞「」で批評家ルイ・ルロワの槍玉に挙げられ、その結果「印象派」という新語が生まれた。 印象派の絵画の特徴としては、小さく薄い場合であっても目に見える筆のストローク、戸外制作、空間と時間による光の質の変化の正確な描写、描く対象の日常性、人間の知覚や体験に欠かせない要素としての動きの包摂、斬新な描画アングル、などがあげられる。 印象派は登場当初、この時代には王侯貴族に代わって芸術家たちのパトロン役になっていた国家(芸術アカデミー)にも評価されず、印象派展も人気がなく絵も売れなかったが、次第に金融家、百貨店主、銀行家、医者、歌手などに市場が広がり、さらにはアメリカ合衆国市場に販路が開けたことで大衆に受け入れられていった。ビジュアルアートにおける印象派の発展によって、他の芸術分野でもこれを模倣する様式が生まれ、印象主義音楽や として知られるようになった。 ドガ『舞台の踊り子』(1878年、オルセー美術館).

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ミレーヌ・ファルメール

ミレーヌ・ファルメール (Mylène Farmer、1961年9月12日 -) はカナダ・モントリオール生まれのフランスの女性歌手、作詞家、作曲家。.

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ミニョネット号事件

ミニョネット号事件(ミニョネットごうじけん)とは、19世紀に漂流船上で起きた食人のための殺人事件とイギリスで行われた裁判を総称していう。.

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チャンセラー号の筏

『チャンセラー号の筏』(チャンセラーごうのいかだ、原題 Le Chancellor )は、1875年に刊行されたジュール・ヴェルヌの海洋冒険小説。.

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メデューズ (帆走フリゲート)

メデューズ(Méduse)は、フランス海軍のパラス級40門帆走フリゲート。1810年進水、就役。ナポレオン戦争後期、1809年から1811年にかけてのモーリシャス侵攻に参加し、またカリブ海でも活動した。メデュース号、メデューサ号などと表記されることもある。 ブルボン王政復古後の1816年、輸送船並みの武装に改修され、植民地の返還を受けにセネガルのサンルイに赴くフランス官僚を輸送することになった。しかし艦長は政治的理由で任命された亡命貴族で、海軍士官として不適格であり、メデューズはその不適切な航海指揮によってアルガン岩礁に乗り上げ、破壊された。難破の後、乗員乗客は筏を作ってそれに乗り移ったが、艦の端艇が牽引を放棄したため、筏は漂流することとなった。この試練を生き延びたものはわずか15名だった。 筏の運命は大衆の関心を呼び、メデューズの事件は帆船時代における最も有名な海難事故のひとつとなった。画家テオドール・ジェリコーはこの事件に取材して、フランスロマン主義絵画の象徴とされる『メデューズ号の筏』を描いた。.

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メアリー・セレスト

メアリー・セレスト(Mary Celeste)は、1872年にポルトガル沖で、無人のまま漂流していたのを発見された船である。.

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メキシコ湾流 (美術)

『メキシコ湾流』(メキシコわんりゅう、)は、ウィンスロー・ホーマーの1899年の油彩画である。これは、舵の無い小型漁船に乗って海の波と戦っている男を描き、そして10年間にわたって自分に関心を持たせたテーマに関する美術家の最後の表明であった。ホーマーはしばしば、フロリダ、キューバ、そしてカリブ海で休暇を過ごした。.

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パンブフ

パンブフ (Paimbœuf)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、ロワール=アトランティック県のコミューン。.

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テオドール・ジェリコー

The 1821 Derby at Epsom テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault、1791年9月26日 - 1824年1月26日)は、19世紀前半に活動したフランスの画家。同時代に起きた生々しい事件を題材とした『メデューズ号の筏』が代表作である。ジェリコーの作品はドラクロワなどにも影響を与え、ロマン派絵画の先駆者と見なされるが、画業半ばの32歳で早世している。.

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エジプシャン・ホール

プシャン・ホール(Egyptian Hall)は、19世紀のイギリスに存在した建築物。設計者はG・F・ロビンソン。 1812年、探検家で元宝石商のウィリアム・ブロックによって建てられた。ロンドンの繁華街ピカデリーに「ロンドン・ミュージアム&パンテリオン」として開館し、数年後にはエジプシャン・ホールという呼び名が定着した。 外観は古代エジプトの神殿を思わせるつくりになっており、古代エジプト人の像(彫刻家ゲイハーゲンによる)やスカラベ、スフィンクスの紋章などもある。 1万5千点以上のもの(美術品など)が展示されていたが、余分なホールでは各種のショーが催されており、その内容はフリーク・ショーや絵画・珍発明の展示、ジオラマなどさまざまであった。奇術(ステージマジック)もよく演じられていた。具体的には、「ペッパーの幽霊」「スフィンクス」など(詳細はイリュージョン (奇術)を参照)。また演じたマジシャンはジョン・ネヴィル・マスケリン、ストダー大佐、アンリ・ロバン、ドコルタなどであり、マスケリンはエジプシャン・ホールのことをホーム・オブ・ミステリーと呼んでいた。アレキサンダー・ハーマンは、1869年に1000日連続で公演を行ったという記録を残している。 他に話題を呼んだものといえば、1816年1月から公開されたナポレオンの馬車、1820年6月から公開されたフランスの画家テオドール・ジェリコーの『メデューズ号の筏』、1844年にサーカス王P・T・バーナムが演じた『親指トム将軍』など。 入館料は1シリング、開館時間は午前10時から午後10時までだった。エジプシャン・ホールは1904年に閉館し取り壊された。.

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カニバリズム

1557年にブラジルで行われたカニバリズムを描いた絵画 カニバリズム(cannibalism)とは、人間が人間の肉を食べる行動、あるいは習慣をいう。食人、食人俗、人肉嗜食、アントロポファジー(anthropophagy)ともいう。 文化人類学における「食人俗」は、社会的制度的に認められた慣習や風習を指し、一時的な飢餓による緊急避難的な食人や精神異常による食人は含まない吉岡(1989)pp255-257。また、生物学では種内捕食(いわゆる「共食い」)全般を指す。 転じて、マーケティングにおいて自社の製品やブランド同士が一つの市場で競合する状況や、また、航空機や自動車の保守で(特に部品の製造が終了し、入手困難である場合に)他の同型機から部品を外して修理に充てることなどもカニバリズム(共食い整備)と呼ぶ。.

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クロード・ジャド

ード・ジャド(Claude Jade, 1948年10月8日 - 2006年12月1日)は、フランスのディジョン生まれの女優。本名はクロード・マルセル・ジョレ(Claude Marcelle Jorré)。.

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ゼロ THE MAN OF THE CREATION

『ゼロ THE MAN OF THE CREATION』(ゼロ ザ マン オブ ザ クリエイション)は、原作:愛英史、絵:里見桂による日本の漫画。 単行本全78巻、また傑作選として『ゼロ Masterpiece Collection』5巻、『ゼロ The Special Edition』全5巻、『ゼロ The Great Selection』全3巻が集英社から刊行されている。.

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サロン・ド・パリ

ン・ド・パリ()は、フランスの王立絵画彫刻アカデミーが18世紀にパリで開催するようになった公式美術展覧会。その後、フランスの政体が変わりながらも1880年までアカデミーまたは政府によって開催され、官展ともいう。1881年以降は、が開催する民間のサロンに引き継がれた。.

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西洋美術史

西洋における美術の歴史について概説する。.

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週刊 歴史のミステリー

『週刊 歴史のミステリー』(しゅうかん れきしのミステリー)とは、デアゴスティーニ・ジャパンが発行している週刊誌。2008年1月15日創刊、1月29日から2009年12月22日まで毎週火曜日に発刊され(最終の101号のみ12月26日の土曜日刊行)、2012年5月15日より「改訂版」として再刊されている。A4変型のオールカラー32ページ構成。全101号(101号は索引)。定価は税込で560円(創刊号のみ190円)。 通説となっている歴史上の事柄について、根拠となる歴史書の信憑性が疑われるもの、多くが謎に包まれているものなどを、新旧の学説を交えて解説。.

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海難事故

2006年10月に鹿島灘で発生した香港船籍の貨物船「オーシャン・ヴィクトリー」の座礁事故当該船は鹿島港に入港していたが、荒天のために港外に避難したのち、操船不能に陥って座礁した。座礁後しばらくは引き出しが試みられたが、荒天が続いたため作業は難航、引き出せないでいるうちに船体が破断した。積荷は鉄鉱石であり、1/3強が避難出航までに荷下ろしが間に合わず搭載されたままになっていたが、オイルタンカーではなかったため重大な汚染は発生しなかった。 積丹半島 西の河原に残骸となって今なお残る難破船。積丹半島は、船の難所であった。 海難(かいなん)あるいは海難事故(かいなんじこ)とは、一般的に、平時に海上および隣接水域における船舶に関して生じた事故で、人や船舶や積荷に損傷を生じるもののことであるブリタニカ百科事典【海難】。難破(なんぱ)(シップレック shipwreck)とも言う。 。この意味の類義語として「水難事故」があり船舶以外の海水浴での事故などについて使うことも多い。--> 本項「海難事故」では、船舶に関する事故を中心に述べる。.

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19世紀

19世紀に君臨した大英帝国。 19世紀(じゅうきゅうせいき)は、西暦1801年から西暦1900年までの100年間を指す世紀。.

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