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チベット語

索引 チベット語

チベット語(チベットご)は、ユーラシア大陸の中央、およそ東経77-105度・北緯27-40度付近で使用されているシナ・チベット語族(支那-蔵系)のチベット・ビルマ語派チベット諸語に属する言語。 形態論において孤立語に分類されるが膠着語的な性質ももつ。方言による差はあるが、2種ないし4種の声調をもつ。チベット高原における約600万人、国外に移住した約15万人のチベット人が母語として使用している。 ラサ方言を含む中央チベット方言、カム・チベット方言、アムド・チベット方言は通常は同一の言語の方言とみなされ、この3方言を総称してチベット語といわれる。特にラサ方言は標準チベット語と呼ばれる。本記事は標準チベット語を中心に記述するが、他方言についても言及する。 チベット語に含まれない周辺のチベット系言語についてはチベット諸語を参照。.

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劉曼卿

劉 曼卿(りゅう まんけい)は、中華民国の女性。チベット生まれ。父は清末の駐蔵大臣やパンチェン・ラマ9世の秘書をつとめた劉華軒(漢族系回教徒(回族))、母はチベット族 。イスラム教徒。.

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ひとつ (alanの曲)

『ひとつ』は、チベット族中国人女性歌手、alanの日本における2ndシングル。.

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側面音

側面音(そくめんおん、lateral)とは、子音を調音する際、舌の中央部分(側面を除く一部分)を上顎に密着させて口腔内の声道の中央部分の空気の流れを塞いだまま、舌の脇(片側または両側)を開放して起こす音。側音(そくおん)とも呼ばれる。 通過する空気の摩擦音を生ぜずに声を共鳴させる音を側面接近音(そくめんせっきんおん)と呼ぶ。一般的に単に側面音または側音と言う場合は側面接近音のみを指すことが多い。側面接近音は多くの場合有声音であるが、ビルマ語やチベット語のように無声の側面接近音を音素として持つ言語も存在する。 側面接近音にくらべて舌の脇の開きが小さい場合、空気が通る際に摩擦音が生じる。これを側面摩擦音(そくめんまさつおん)と呼ぶ。 無声の側面摩擦音と無声の側面接近音はしばしば区別されずに記述されるが、音声学的に両者を区別することは可能である。フーパ語ではこの両方が現れる。 短く調音した側面音を側面はじき音ということがある。.

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さらば恋人よ

さらば恋人よ(イタリア語:Bella ciao)」とは、の時に創作され、によって歌われた歌曲である。この曲は、やがて反ファシスト党による自由とレジスタンスの賛美歌として、国際的に歌われるようになった。.

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偉大なるチベット国の国歌

偉大なるチベット国の国歌(いだいなるちべっとこくのこっか、བོད་རྒྱལ་ཁབ་ཆེན་པོའི་རྒྱལ་གླུ(bod rgyal khab chen po'i rgyal glu))はガンデンポタンがチベットの国歌として制定した歌。 「プーギェルカプチェンポー・ギェルル(བོད་རྒྱལ་ཁབ་ཆེན་པོའི་རྒྱལ་གླུ, bod rgyal khab chen po'i rgyal glu))」の「プーギェルカプ(bod rgyal khab)」は「チベット国」、「チェンポ(chen po)」は形容詞「偉大なる〜」、「 'i (イ)」は属格助詞、「ギェルル(rgyal glu)」は国(ギェル, rgyal)、歌(ル, glu)の意である。 「ギェルル(རྒྱལ་གླུ་, 「国のうた」の意)」として知られる現在のチベット国歌は、1950年、ティジャン・リンポチェによって作詞された。この国歌は、チベット亡命政府により使用されているが、チベット人居住地域を含む中華人民共和国内では厳しく禁止されている。  チベットの最初の国歌は、タシツェリンによれば、ある著名なチベット人学者によって、ダライラマ七世の在位期間、ポラネーの治世の1735年より1746年の間に作詞された。.

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十七か条協定

十七か条協定(じゅうななかじょうきょうてい)は、中華人民共和国がチベット東部を軍事制圧した後、1951年5月23日、北京において締結された中華人民共和国とチベットの間の政治的取り決めである。 正式呼称は中央人民政府と西藏地方政府のチベット平和解放に関する協議。十七か条の条文を有することから、「十七か条協定」と略称される。.

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句読点

句読点(くとうてん、英:punctuation)とは、句点(。)と読点(、)の総称である。最も狭義には終止符(.)とカンマ()のみを指すが、より広く疑問符(?)や感嘆符(!)、省略符を含む場合、さらに広義には括弧、カギ括弧などの文章に使う様々な記号(約物)を含む場合がある。 句読点は、その置き方により構文上の重大な変化を起こしうる。例えば、"eats, shoots and leaves"(食って撃って逃げる)と"eats shoots and leaves"(芽と葉を食べる)の場合、カンマを入れることによって意味が変化する。日本語では分かち書きの習慣がないため、さらに誤解が起きやすく(アフガン航空相撲を参照)、誤解を防ぐために読点を多く打つことがある。読点を分かち書きの代わりに使うせいで、文構造や節の切れ目などを明示する機能が損なわれている。ドイツ語などでは正書法の一部門としてカンマを使う場所がかなり厳密に定められているが、日本語の場合個人の好みに任されており、ほとんど読点やカンマを使わない人から文節の切れ目のほぼすべてに読点やカンマを使う人まで差が大きい。また日本語では「:」や「;」がほとんど使われず、文の途中ではすべて「、」あるいは「,」を使うため、文の階層的構造がわかりにくい。 多くの言語では、文の構造を示したり、曖昧さの回避のために重要な要素となっている。 同一とみなされる言語でも、国や地域によって正書法が異なることもある。例えば英語では、英国式では引用符で句を括った場合に、その引用に属さない句読点は引用符の外に出すが、米国式では中に入れる。.

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台湾国際放送

台湾国際放送(たいわんこくさいほうそう、中国語(国語):中央廣播電台・台北國際之聲、Radio Taiwan International. 略称:RTI)とは、中華民国(台湾)の国際放送である。国営放送局である財団法人中央広播電台(中央放送局・中国語(国語):中央廣播電台)が、台北を拠点として、中国大陸(中華人民共和国)を含む海外に向けて、11言語で短波ラジオ放送及びデジタルラジオ放送を行っている。.

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吐蕃

吐蕃(とばん、拼音:TŭbōまたはTŭfān、チベット語:、ワイリー転写:Bod chen po)は、7世紀初めから9世紀中ごろにかけてチベットにあった統一王国。.

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吐蕃王朝の国王一覧

吐蕃王朝の国王一覧では、吐蕃王朝の統治者の伝統的な一覧を紹介する。この表には42人の統治者が出てくる。最初の26人の統治者は実在が確認できず、伝説ではないかと考えられている。現代の学者は27代目から32代目までを実在の人物と考えている。さらに33代目から43代目まではチベット語、中国語、その他の言語を含め多くの文献が残されている。 31代目、32代目、33代目のときには統一されたチベット国家の王は存在しなかった。ヤルン王朝として知られる初期の統治者は、おそらくヤルン谷の地域での王であり、全チベットの皇帝ではなかったと考えられる。 伝統的なチベット人王族の名前にはツェンポ(皇帝)やlhase(神の子)を示す言葉がよく入っているSamten Karmay, in McKay 2003, pg.

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同仁県

同仁県(どうじん-けん)は中華人民共和国青海省黄南チベット族自治州に位置する県。チベット語ではレプゴンとも呼ぶ。.

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合作市

合作市(がっさく-し)は中華人民共和国甘粛省甘南蔵族自治州の県級市。州人民政府所在地として地域政治・経済の中心である。国家扶貧開発工作重点県の一つ。.

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各国の公用語の一覧

各国の公用語の一覧は、国ごとの公用語をまとめた一覧。.

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坂口安吾

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。 戦前はファルス的ナンセンス作品『風博士』で文壇に注目され、一時低迷した後、終戦直後に発表した『堕落論』『白痴』により時代の寵児となり、太宰治、織田作之助、石川淳らと共に、無頼派・新戯作派と呼ばれ地歩を築いた奥野健男「坂口安吾――人と作品」(文庫版『白痴・二流の人』)(角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)『新潮日本文学アルバム35 坂口安吾』(新潮社、1986年)。歴史小説では黒田如水を主人公とした『二流の人』、推理小説では『不連続殺人事件』が注目された都筑道夫「安吾流探偵術」(『日本探偵小説全集10 坂口安吾集』)(東京創元社、1985年)。 坂口安吾の文学作品には、途中で放棄された未完の長編や失敗作も多く、小説家としての技量や芸術性・完璧性の観点からは器用な作家とはいえないが、その作風には独特の不思議な魅力があり、狂気じみた爆発的性格と風が吹き通っている「がらんどう」のような風格の稀有な作家だといわれている三枝康高「作品解説」(文庫版『白痴・二流の人』)(角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)三島由紀夫「内容見本」(『坂口安吾全集』推薦文)(冬樹社、1967年)。 晩年に生まれた一人息子の坂口綱男は写真家である。またアンコウを共食いと言い好んで食べた。坂口安吾『明日天気になれ』.

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多羅菩薩

多羅菩薩(たらぼさつ、梵名: )は、仏教で信仰される女性の尊格(チベット語名:སྒྲོལ་མ་、、、漢字名:多羅,多羅仏母、救度仏母)。手に青い蓮の花を持つ。種字は、チベット仏教ではターム(ཏཱཾ 、 ཏཱྃ)、日本仏教ではタン (तं)等。 三十三観音の一尊で、多羅観音あるいは多羅尊観音とも。.

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多田等観

Tokan Tada 西船寺境内にある多田等観の墓 多田 等観(ただ とうかん、1890年(明治23年)7月1日 - 1967年(昭和42年)2月18日)は僧侶、仏教学者。 明治末から大正にかけてチベットに入り、チベット仏教を修行。日本への帰国に際して多数の仏典、文献を持ち帰り、斯界の学識経験者として活躍した。.

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多言語

多言語(たげんご、multilingual)とは、複数の言語が並存すること。また、一個の人間、国家・社会、文書、コンピュータ、ウェブサイトやソフトウェアなどが、複数個の言語に直面したり対応したりすること。多重言語ともいう。.

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多言語国家

多言語国家(たげんごこっか)とは、複数の公用語が存在する国家。複数の言語圏、文化圏にまたがった国々で見られる。あるいは、国内の少数民族への配慮が必要な場合にも考えられることである。.

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大威徳明王

大威徳明王(だいいとくみょうおう)、梵名ヤマーンタカ(यमान्तक )は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。五大明王のなかで 西方の守護者とされる。.

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大乗非仏説

大乗非仏説(だいじょうひぶっせつ)は、大乗仏教の経典は釈尊の直説ではなく、後世に成立したものだという説である。.

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大乗起信論

『大乗起信論』(だいじょうきしんろん)は、大乗仏教に属する論書。二本の漢訳が現存し、著者は馬鳴(アシュヴァゴーシャ)と伝えられているが、中国撰述説もある。.

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大阪外国語大学

1921年に大阪市で大阪外国語学校として創立、1949年に大阪外国語大学として大阪市天王寺区上本町において設立され、1979年に箕面市へ移転、2007年10月に大阪大学と統合した。.

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大集経

『大集経』(だいじっきょう、だいしゅうきょう、Mahāsaṃnipāta-sūtra, マハーサンニパータ・スートラ)は、詳しくは『大方等大集経』(だいほうどうだいじっきょう)とは、中期大乗仏教経典の1つ。釈迦が、十方の仏菩薩を集めて大乗の法を説いたもので、空思想に加えて密教的要素が濃厚である。 原題は、「マハー」が「大」(mahā)、「サンニパータ」(saṃnipāta)が「集合」、「スートラ」(sūtra)が「経」、総じて「集合させた大きな経」の意。 隋代に僧就(そうじゅ)が、北涼の曇無讖訳の大集経二十九巻に加えて、隋の那連提耶舎(なれんだいやしゃ)訳の『月蔵経』十二巻、『日蔵経』十五巻などを合わせて一つの経典、六十巻としたものである。 中国仏教では、『般若経』・『華厳経』・『涅槃経』・『大宝積経』と共に、大乗仏教五部経の1つに数えられ、大蔵経の構成にも影響を与えている。.

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夜長姫と耳男

『夜長姫と耳男』(よながひめとみみお)は、坂口安吾の短編小説書籍にして約50-60頁の長さの物語である。講談社文芸文庫(1997年)、岩波文庫(2009年)でそれぞれ53、57頁。。飛騨の匠の弟子である耳男と、無邪気さと残酷さを併せ持つ長者の娘・夜長姫を中心として説話風に語られており、同じく説話風に書かれた『桜の森の満開の下』と並ぶ傑作として評価されている。作品執筆の背景には、随筆「飛騨・高山の抹殺―安吾の新日本地理・中部の巻―」(『安吾新日本地理』の一篇)などに描かれた、安吾の古代史とこの地方への興味・関心がある。また批評・研究においては、しばしば安吾の芸術観、恋愛観が色濃く反映された作品と見なされている。 1952年(昭和27年)、雑誌『新潮』6月号(第9巻第6号)の「小説」欄にて発表され、翌1953年(昭和28年)12月10日に単行本刊行された。同書には、他6編が収録されている。.

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外名

外名(がいめい、)とは、第三者による特定の土地・民族の呼称のこと。対義語は内名(ないめい、)。.

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孤立語

孤立語(こりつご、isolating language)とは、形態的類型論における古典的な類型の1つで、接辞などの形態論的手段を全く用いず、1語が1形態素に対応する言語である。.

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孔子

孔夫子の像 孔子(こうし、くじ、、공자〈〉、蔵: ;、紀元前552年9月28日‐紀元前479年3月9日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の名で知られている。読みの「こうし」は漢音、「くじ」は呉音。 有力な諸侯国が領域国家の形成へと向かい、人口の流動化と実力主義が横行して旧来の都市国家の氏族共同体を基礎とする身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなした。孔子と弟子たちの語録は『論語』にまとめられた。 3000人の弟子がおり、特に「身の六芸に通じる者」として七十子がいた。そのうち特に優れた高弟は孔門十哲と呼ばれ、その才能ごとに四科に分けられている。すなわち、徳行に顔回・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語に宰我・子貢、政事に冉有・子路、文学(学問のこと)に子游・子夏である。その他、孝の実践で知られ、『孝経』の作者とされる曾参(曾子)がおり、その弟子には孔子の孫で『中庸』の作者とされる子思がいる。 孔子の死後、儒家は八派に分かれた。その中で孟軻(孟子)は性善説を唱え、孔子が最高の徳目とした仁に加え、実践が可能とされる徳目義の思想を主張し、荀況(荀子)は性悪説を唱えて礼治主義を主張した。『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』といった周の書物を六経として儒家の経典とし、その儒家的な解釈学の立場から『礼記』や『易伝』『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』といった注釈書や論文集である伝が整理された(完成は漢代)。 孔子の死後、孟子・荀子といった後継者を出したが、戦国から漢初期にかけてはあまり勢力が振るわなかった。しかし前漢・後漢を通じた中で徐々に勢力を伸ばしていき、国教化された。以後、時代により高下はあるものの儒教は中国思想の根幹たる存在となった。 20世紀、1910年代の新文化運動では、民主主義と科学を普及させる観点から、孔子及び儒教への批判が雑誌『新青年』などで展開され、1949年に成立した中華人民共和国では、1960年代後半から1970年代前半の文化大革命において、毛沢東とその部下達は批林批孔運動という孔子と林彪を結びつけて批判する運動を展開。孔子は封建主義を広めた中国史の悪人とされ、林彪はその教えを現代に復古させようと言う現代の悪人であるとされた。近年、中国では、中国共産党が新儒教主義また儒教社会主義を提唱し(儒教参照)、また、「孔子」がブランド名として活用されている(孔子鳥、孔子学院を参照)。.

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山口益

山口 益(やまぐち すすむ、1895年1月27日 - 1976年10月21日)は、仏教学者、大谷大学教授・学長。京都府京都市生まれ。.

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岩崎克己

岩崎 克己(いわさき かつみ、1905年1月21日 - 1993年11月20日)は日本の言語学者、歴史学者。東洋史等を研究、戦時中には、義経.

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川久保玲

川久保 玲(かわくぼ れい、女性、1942年10月11日 -)は、日本のファッションデザイナーで、ファッションブランド「コムデギャルソン」の創始者。株式会社コムデギャルソンの創業者にして設立から現在に至るまで代表取締役社長を務めるオーナーデザイナー。.

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中央人民広播電台

中央人民広播電台(ちゅうおうじんみんこうはでんたい、簡体字:中央人民广播电台、英語:China National Radio、略称:“CNR”)は、中国大陸における国内向けのラジオ放送局である。国家新聞出版広電総局直属の国営放送組織で、略称は“央广”。日本のマスメディアでは「中央人民ラジオ」「中国中央人民放送」などとも呼ばれる。.

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中国チベットサイト

中国西蔵サイト(ちゅうごくちべっとさいと、英:China Tibet Online)は、中国北京市に本社を置く中国の一番大きなチベットに関する専門総合サイトである。.

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中華人民共和国国家標準

中華人民共和国国家標準は、中国の国家標準化団体によって承認され、公的に発表された国家規格である。 中国国家標準(national standard)は、中国語における略称「国標」のピンイン表記がGuóbiāoとなることから、その頭文字を取ってGBあるいはGB規格とも呼ばれている。 国際標準化機構及び国際電気標準会議に中国代表として参加している中国国家標準化管理委員会によって発行される。 1994年以前に登録された標準規格の標準番号は、末尾に登録年(西暦年号)の下2桁が付加されているが、1995年以降に登録されたものは4桁すべて付加されている。.

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中陰

中陰(ちゅういん、中有(ちゅうう)または中蘊(ちゅううん)とも、antarā-bhava, 蔵: ))は、仏教において下記の2つの意味がある。.

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三昧耶戒

三昧耶戒(さんまやかい)とは、仏教の教えの一つである「後期大乗仏教」に分類される密教において、その教えを学ぶ前に結縁や許可を目的とする灌頂の儀式を通じて、これから密教を学ぶための資格と義務として、信者や僧侶・瑜伽行者らに与えられる「密教独自の戒律」を指して言う。三昧耶(samaya:サマヤ)とはサンスクリット語で「約束」や「契約」を意味し、三昧耶戒は「(仏との)約束に基づく戒め」、あるいは「密教における誓約」というような意味になる。.

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三浦順子

三浦 順子(みうら じゅんこ、1957年 - )は、日本のチベット語の翻訳家。 西宮市生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。インドのダラムサラに滞在し、チベット難民と共に4年間を過ごす。帰国後からチベット関係の翻訳や通訳にたずさわる。.

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九竜県

九竜県(きゅうりゅう-けん、蔵:ギェスル、brgyed zur)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州東南端に位置する県。.

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平岡宏一

平岡 宏一(ひらおか こういち 、1961年 - )は、大阪府出身の教育者、チベット密教研究者。学校法人清風学園専務理事。 学校法人清風学園専務理事であるとともに清風中学校・高等学校の校長で、平岡英信(学校法人清風学園理事長)の長男。大阪商業大学講師。清風高校普通科、推薦入学で早稲田大学第一文学部入学、同卒業。1985年,種智院大学の訪問団の一員として、インド南部カルナータカ州バンガロール郊外フンスールにあるギュメ密教大学を訪問。宏一よりギュメの窮状を知らされた英信は施主(檀越、僧伽を支えるパトロン)としてギュメの支援に乗り出す。1988年〜1989年にかけてギュメに留学、ロプサン・ガワン(1937-2009, ギュメ管長(位2000-2003))に師事。高野山大学大学院博士課程(密教学専攻)単位取得後退学。 チベット密教に関する著書、論文、寄稿多数。また、チベット語の語学力は、チベット僧の講演において通訳を担当したほどである(真言宗泉湧寺派大本山 浄土寺HPを参照)。 平岡英信の著書「人を『育てる』ということ」によると、基本的には学園の経営は宏一に任されているがそれでも理事長である英信の発言権は大きいようだ(琉球新報ニュースの記事を参照)。.

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康定情歌

康定情歌(こうていじょうか)は中華人民共和国四川省康定市に伝わる民謡。.

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康家語

康家語(こうかご、拼音:Kāngjiāyǔ)は、青海省黄南蔵族自治州尖扎県の回族である康家人が使用するモンゴル諸語に属する言語。.

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人民元

人民元(じんみんげん)は、中華人民共和国の中央銀行である中国人民銀行が発行している通貨である人民幣(じんみんへい、人民币、、レンミンビィ)のことである張(2012年)40ページ。略号はRMB、またはISO 4217での通貨コードのCNY。通貨数量の前に¥(円記号)を用いる。なお、香港とマカオでは、それぞれ独自の通貨単位である香港ドルおよびマカオ・パタカが発行されている。.

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亜東

亜東(ヤー・ドン、Ya Dong)とはチベット東部のカム地方出身の歌手。本名は尼瑪沢仁・亜東。代表曲に『向往神鷹』がある。.

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五屯語

五屯語(ごとんご)は青海省東部、黄南チベット族自治州同仁県隆務公社五屯下庄大隊、五屯上庄大隊及び江査麻大隊で使用される特殊言語。形容詞が名詞の後ろに置かれる、状語が述語の前面に置かれる、名詞に格変化が存在するなどの特徴がある。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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強巴林

強巴林(チャンバリン)は、名古屋市守山区青葉台に所在するチベット仏教の寺院。.

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張コン

張琨(ちょう こん、、1917年12月17日 - 2017年4月3日)は、中国出身のアメリカ合衆国の言語学者。チベット語や中国語の研究で知られる。.

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佐々木月樵

佐々木 月樵(ささき げっしょう、旧姓山田、1875年(明治8年)4月13日 - 1926年(大正15年)3月6日)は、日本の仏教学者、教育者。.

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彝泰

彝泰(いたい、チベット語: skyid rtag、「長楽」の意味)は吐蕃においてティツク・デツェン王(可黎可足賛普)の治世で使用されたとされる年号の漢訳。現在吐蕃で使用が確認されている唯一の年号である。815年 - 838年?。 その存在は『新唐書吐蕃伝』及び「唐蕃会盟碑」を典拠としているが、吐蕃は漢文を常用しておらず、暦法における位置づけと用法は中国とは異なっていたことが予想される。「彝泰」はティツク・デツェン王の王名の漢訳(彝泰賛普)としても用いられること、陳寅恪など中国の学者は考証に当たって年号使用の末年を王の在位の末年と同一視していることから、中国式の元号ではなく、王の在位中の改元を想定しない在位紀年(後世の一世一元の制に近い)である可能性もある。.

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当曲

当曲(とうきょく)、もしくはダムチュ(འདམ་ཆུ)は、中華人民共和国青海省(チベットアムド地方)を流れる長江の上流。長江の源流には三つの川があるが、一番の源流が沱沱河(トト河)、北の源流が楚瑪爾河(チュマル河)、そして南の源流がこの当曲とされている。チベット高原の北東部、青海省ザトェ県とディトェ県内を通っている。 タンラ山脈(唐古拉山脈)の東の部分、霞舍日阿巴山(5,395メートル)の東麓に発する。タンラ山脈北の青海省側へ向かい、東に曲がって青海省南部の高原地帯の峡谷を流れ、沱沱河と合流して「通天河」(長江上流の名称)となる。川の長さは352キロメートル、流域面積は30,219平方キロメートル。河口流量は220立方メートル/秒で、長江の本来の源流とされる沱沱河よりも数倍多く、三本の源流の中で最も水量が多い。 「当曲」(ダムチュー)とはチベット語で「沼沢地の河」を意味する。当曲の源流は「多朝能」という一本の小川で、地下水の豊富な沼地を流れている。この沼地は世界でも最も標高の高い沼地のひとつで、無数の大小の沼が一面に広がりあちこちで地下水が湧き出している。 当曲の支流には、沱沱河源流同様の氷河地帯から流れてくる布曲(ブチュ、)、および尕爾曲(ガルチュ、)があり、これらの流入で水量も速度もさらに大きくなっている。.

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得栄県

得栄県(とくえい-けん、デロン、sde ron)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州南西端に位置する県。.

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忠穆王

忠穆王(ちゅうもくおう、1337年 - 1348年)は第29代高麗王(在位:1344年 - 1348年)。姓は王、名は昕。蒙古名は八思麻朶児只(モンゴル語:、padma dorji)。諡号は忠穆顕孝大王。忠恵王の嫡子。母は元の皇族である徳寧公主。 世子として禿魯花(人質)に行き、父の死去に伴い1344年に8歳で王位に就き、12歳で死亡した。 征東行中書省の左丞相と高麗国王に封じられている。具体的には開府儀同三司征東行中書省左丞相上柱国高麗国王。.

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地名・人名データベース (チベット語)

地名・人名データベース」(チベット語)は、星泉(言語学・チベット語)が「」のコンテンツのひとつとして提供するツール。「なるべくチベット語の原音に近く、しかも全体として一貫性があり、外来語のカナ表記の範囲内で、出版物や公共放送等で使用した場合にあまり違和感のない表記」を目標としている。.

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化身ラマ

化身ラマ(けしんラマ)は、チベット仏教の教義上において、この世の衆生を教え導くために、如来、菩薩、過去の偉大な仏道修行者の化身(応身)としてこの世に姿を現したとされるラマ(師僧)を指す。転生ラマと表記されることもある。.

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北国の春

北国の春」(きたぐにのはる)は、1977年4月5日に発売された千昌夫のシングルレコードである。発売元はミノルフォンレコード・徳間音楽工業(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)。品番はKA-1050。.

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ペマ

ペマ (Pema).

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ナムチャバルワ

ナムチャバルワ(Namcha Barwa / Namchabarwa)は、チベットのヒマラヤ山脈に属する山である。インダス川からブラマプトラ川に至る、伝統的に定義されたヒマラヤ山脈において、この山は東部における主だった山稜であり、ナムチャバルワ・ヒマル (Namcha Barwa Himal) の山々の中での最高峰であるとともに、標高7600mを越える山としては、(東半球において)最も東に位置している。 「ナムチャバルワ」はチベット語であるが、その意味には複数の解釈があり、「燃えるような雷電」、「天空に突き刺す長矛」、「天から落ちた石」などと説明されることがある。日本語では「ナムチャ・バルワ」、「ナムジャグバルワ」などと表記されることもある。.

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ナムリン県

ナムリン(南木林)県(‐けん)は中国チベット自治区シガツェ市の県の一つ。県名はチベット語で「勝利」を意味する。県政府所在地はナムリン鎮(南木林鎮)。.

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ナムツォ

ナムツォ(納木錯)(チベット語:གནམ་མཚོ་ gNam-mTsho;中国語簡体字:纳木错)はナム湖とも呼ばれ、中国チベット自治区内にある湖の一つ、中国第二の面積にして、標高が世界一の塩水湖である。北緯30度30分~30度35分、東経 90度16分~91度03分の間に位置する。海抜4718m。東西70km強、南北30km強。面積1920km2強。最大深度33m。 チベット自治区のダムシュン県とパングン県にまたがっており、ラサの北100kmにある。 ナムツォはヤムドク湖とマーナサローヴァル湖と共にチベットの三つの聖なる湖と呼ばれ、チベット語で天の湖という意味である。モンゴル語名テングリノールも同義。未年のサカ・ダワの祭りの期間になると多くの人が巡礼に訪れる。湖の南西にはタシドル寺がある。 ニェンチェンタンラ山脈で最も美しい場所として知られている。そこの岩窟の庵は何世紀もの間、巡礼者が集まった。2005年には道の舗装が完成し、ラサからのアクセス・観光インフラ開発が容易となった。 湖水はニェンチェンタンラ山脈からの雪解け水からなる。気候は突然変わることが多く、ニェンチェンタンラ山脈の反対側では吹雪がよく起こる。.

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ペンバル県

ペンバル県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。県名はチベット語で「吉祥の光」の意。ニェンチェンタンラ山脈の南の渓谷地形に属す。 県政府所在地は草卡鎮。.

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ナンパ・ラ

ナンパ・ラは、ネパールと中国チベット自治区の国境にある峠。チョ・オユーから西に数キロメートルの地点に位置し、エベレストからは北西に約30キロメートルの地点に位置する 。標高は5806メートル。 ナンパ・ラはクーンブのシェルパ族とチベット人を結ぶ、伝統的な通商・巡礼ルートとして使われてきた。 「ナンパ」はチベット語で仏教徒を意味し、「ラ」は峠を意味する。 この峠から東側にはヒマラヤのマハラングル地域が広がる。マハラングル地域には西から順にチョ・オユー、ギャチュンカン、エベレスト、アマ・ダブラム、マカルーがあり、その東端はアルン川の渓谷地帯である。峠から西側と南西側にはガウリシャンカール、メンルンツェを含むローワリング地域が広がる。 2006年には中国人民武装警察部隊の国境警備員が非武装のチベット難民に向かって発砲したナンパ・ラ銃撃事件が起きた。.

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ナンカルツェ県

ナンカルツェ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区山南市の県の一つ。 県名はチベット語で「白い鼻先」の意。県政府所在地はナンカルツェ鎮(浪卡子鎮)。 ラサとシガツェを結ぶ幹線道路ができてからは旧街道沿いの町となったが、後に旧街道も舗装され、付近のヤムドク湖、カロー峠の観光拠点として中国人観光客が激増している。.

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ナン県

ナン県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ニンティ市の県の一つ。県名はチベット語で「顕現」を意味する。県政府所在地はナン鎮(朗鎮)。.

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ノルブリンカ

ノルブリンカ(チベット語:ནོར་བུ་གླིང་ཀ་;ワイリー方式:nor bu gling ka, 中国語:罗布林卡公园)は、中国・チベット自治区の首府ラサにある離宮とその庭園。ダライ・ラマ7世によって1755年より建設され、1950年代に中華人民共和国に接収されるまで夏期の離宮として機能した。敷地全体が現在では公園になっており、ラサの人々の憩いの場になっている。ラサ中心地にあるポタラ宮から西へ約3キロ。総面積約36万平米。 「ノルブリンカ」は宝(ノルブ)の庭(リンカ)という意味である。 園内には歴代のダライ・ラマがそれぞれの建物を建造した。ダライ・ラマ14世の住居として1954年に建てられた「タクテン・ポタン」は二階建ての豪奢な建物で、当時の家具やラジオ、レコードプレーヤーなどが残されている。他には、「チェンセル・ポタン(ダライ・ラマ13世の離宮)」、「ツォキル・ポタン(湖中楼)」、「ケルサン・ポタン(ダライ・ラマ8世の離宮)」、13世の図書館、博物館、動物園などがある。 2001年にはラサのポタラ宮の歴史的遺跡群の一部としてユネスコ世界遺産に追加された。 毎年8月にはチベット仏教の最大の祭りである「ショトゥン祭(ヨーグルト祭、夏安居明け祭り)」があり、この時期はノルブリンカでチベタン・オペラ(アチェ・ラモ)がチベット各地から集まった劇団により行われる。特にこの時期はピクニックをするチベット人で賑わう。 1959年3月に中華人民共和国の人民解放軍がラサに入った際、ダライ・ラマ14世が密かに脱出し、難を逃れたが、その際の脱出の舞台になった王宮がここである。.

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マルカム県

マルカム県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。東経98度00分~99度05分、北緯28度37分~30度20分に位置する。東は金沙江を隔てて四川省バタン県、南は雲南省デチェン県、西は瀾滄江(メコン川上流)を挟みゾガン県、北はゴンジョ県、ダクヤプ県に隣接。金沙江と瀾滄江の分水嶺であるマルカム山脈(芒康山脈、寧静山脈)が走っている。 県名はチベット語で「善妙なる地域」の意。井塩を産することで名高い。清末には寧静県が置かれ、後に芒康宗(芒康県、または江卡宗)と改名した。1960年には塩井宗(塩井県)と合併して寧静県となったが、1965年にまた現在の名となった。.

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マンソン・マンツェン

マンソン・マンツェン(チベット語:、650年 - 676年)は、古代チベットである吐蕃の王、在位年は650年 - 676年。 650年、祖父ソンツェン・ガンポの崩御により僅か1歳で即位し、宰相(ロンチェン、)ガル・トンツェンユルスン、、ガル・ティンリンツェンジュが相次ぎこれを補佐させた。663年、ガル・トンツェンが軍を率いて、吐谷渾を征圧する。 Category:チベットの皇帝 Category:チベットの幼君 Category:650年生 Category:676年没.

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マニ車

マニ車(ネパールでのもの) マニ車(マニぐるま、摩尼車)とは、主にチベット仏教で用いられる仏具である。転経器(てんきょうき)とも訳す。 チベット語ではマニコロ()と呼ぶ。「マニ」は如意宝珠()の略で、単独では「宝珠」の意味。「コロ」はチャクラの意味。 ボン教でも同様のものが用いられるが、ボン教では「マシモ車」という。.

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チャンパ (遊牧民)

チャンパ (Changpa, Champa) は、おもにインド北部ラダックのや他のジャンムー・カシミール州内で、半遊牧の生活を送るチベット人。また、少数が中華人民共和国のチベット自治区西部に居住しており、その一部は、の設定にともなって、移住させられた。1989年当時には、50万人ほどの遊牧民がチャンタン地域で生活していた。.

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チャン族

チャン族(羌族、ピンイン:Qiāng Zú)は、中華人民共和国の少数民族のひとつ。人口は約30.6万人(2000年)。主に四川省アバ・チベット族チャン族自治州内の茂(マオ)県,汶川(ウェンチュアン、ウントン)県,理(リ)県及び松潘(ソンパン、スンチュ)県、更に綿陽(ミエンヤン)市内の北川チャン族自治県に集団で住んでいる。.

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チャクラ

チャクラ(चक्र,; chakra)は、サンスクリットで円、円盤、車輪、轆轤(ろくろ)を意味する語である。ヒンドゥー教のタントラやハタ・ヨーガ、仏教の後期密教では、人体の頭部、胸部、腹部などにあるとされる中枢を指す言葉として用いられる。 輪(りん)と漢訳される。チベット語では「コル.

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チュシュル県

チュシュル県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ラサ市の県の一つ。チュシュー。 県政府所在地はチュシュル鎮(曲水鎮)。 県名はチベット語で「流水溝」を意味する。ラサ川の下流、ヤルンツァンポ川中流北岸に位置する。.

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チュシ・ガンドゥク

チュシ・ガンドゥク( ワイリー方式:chu bzhi sgang drug)はチベットの東部カム地方の別称。またこの土地出身のチベット人たちが1958年6月16日に結成し1950年代末から1970年代初頭にかけてゲリラ戦を展開した、中華人民共和国(中国)によるチベット支配の打倒を試みる抗中統一ゲリラ組織の名称。「チュシ」は「4つの河」、「ガンドゥク」は「6つの山脈」の意。.

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チュスム県

チュスム(曲松)県(‐けん)は中国チベット自治区山南市の県の一つ。県名はチベット語で「3つの川」を意味する。県政府所在地はチュスム鎮(曲松鎮)。.

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チョネ県

チョネ県(―けん)は中国甘粛省甘南チベット族自治州に位置する県。県人民政府は柳林鎮にある。.

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チワン族

チワン族(壮族)(チワンぞく、チワン語: Bouxcuengh, 旧表記 Bouчcueŋь, ポウシューン)は、主に中国南部やベトナム北部に住居する原住民族である。中国では広西チワン族自治区中西部や雲南省南西部、広東省東部、貴州省南部、湖南省南部などの山間部に約1,854万人(2010年の第6回全国人口調査統計による)が住み、中国最大の少数民族となっている。言語はタイ・カダイ語族に属するチワン語を話す。壮族(そうぞく)、チョワン族、チュアン族と言う日本語表現もある。.

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チベット

チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.

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チベットの領域に関する認識と主張

チベットの領域に関する認識と主張では、「チベット」の記事の下方単位として、チベット亡命政府および中華人民共和国政府それぞれの主張するチベットの範囲を中心として、「チベットの領域」についての認識について紹介する。.

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チベット十三万戸

チベット十三万戸( - じゅうさんばんこ)はチベット語で「プー・ティコル・チュクスム(bod khri skor bcu gsum)」、中央チベットもしくはチベット全土の総称として用いられるチベットの地理的区分法式の一つ。単に「十三万戸(ティコル・チュクスム)」とも。モンゴル帝国期、チベット各地の有力領主たちが万戸制に基づく「ティ・プン」(万戸長)に任じられたことに由来する呼称。.

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チベット大蔵経

チベット大蔵経(-だいぞうきょう)は、8世紀末以後、主にサンスクリット語仏典をチベット語に訳出して編纂されたチベット仏教経典が、集成されたもの。 インド本国において最終的に紛失・散逸してしまった後期仏教の経典の翻訳を数多く含み、その訳出作業も長年の慎重な校訂作業によって絶えず検証、再翻訳され続けてきたため信頼性が高く、サンスクリット原本がない場合などは、チベット訳から逆に翻訳し戻す作業などによって、原本を推定したりして、世界の仏教学者の研究のよりどころとなっている。.

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チベット三州

チベット三州(チベットさんしゅう)は、チベット語で「プー・チョルカ・スム(བོད་ཆོལ་ཁ་གསུམ་, bod chol kha gsum)」と言い、チベット全土(チベット高原)を以下のように三分する、チベットの地理的区分法式の一つ。単に「三州(チョルカ・スム)」とも言う。.

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チベット仏教

チベット仏教(チベットぶっきょう)は、チベットを中心に発展した仏教の一派。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。 教義としては、智慧と方便を重視する。インド後期密教の流れを汲む無上ヨーガ・タントラが実践されている。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在するが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が保存されていることが特徴である。 ラマと呼ばれる高僧、特に化身ラマを尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、ややもすると、仏教とは異質な宗教と見なす向きもあったが、その実態が一般の認識を得るにつれ、ラマ教という呼称は不適切だとして、現在では使用されなくなっている。.

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チベット仏教普及協会

チベット仏教普及協会、通称ポタラ・カレッジ(Potala College)は、東京都千代田区に所在する、本格的なチベット仏教の教理・実践の講習を行っている団体。 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所に勤務していたゲシェー・ソナム・ギャルツェン、クンチョック・シタル、齋藤保高3名の発願により、チベット仏教の正しい情報・理解の普及を目的として、1998年に設立された。 チベット語から顕教・密教に至るまでのチベット仏教の本格的かつ総合的な講習を、東京の事務所を中心に、静岡・京都・広島、名古屋・大阪、通信などで行っている。書籍やCDの販売も行っている。.

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チベット・ビルマ語派

チベット・ビルマ語派(チベット・ビルマごは)は、シナ・チベット語族の一語派。シナ語派(中国語)とともにこの語族を構成し、。 チベットからヒマラヤ・アッサム・中国南西部・ミャンマー・タイにかけて分布。.

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チベット問題

チベット問題は、チベットに対する中華人民共和国の支配・統治にともなって生じる各種の問題である。特にチベット人による独立運動への弾圧、弾圧にともなう中国軍によるチベット人の大量虐殺や人権侵害が大きな争点である。 本記事ではチベット問題について中国政府の見解とチベット亡命政府の主張を対照させながら、概説する。.

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チベット系民族

チベット系民族(チベットけいみんぞく)とは、言語学上としてのチベット・ビルマ語派(Bodish languages)を用いるモンゴロイド系諸族の総称である。北部は騎馬民族(遊牧民)が多く、南部は農耕民族が多い。 チベット高原を起源とするが、カシミール(ラダック)地方のパキスタン側バルティスターンの住人のように、必ずしも「チベット系民族の一員」としての自意識を持っていない集団を含む場合がある。 チベット系民族の一部のうち、北インドのカシミールやネパール(ネパール人)では、古くからコーカソイドに属するインド・アーリア系との混血があり、中央アジアにいたチベット系民族の一部は現地のテュルク系と同化していった(サラール族など)。.

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チベット語のラテン文字表記法

チベット語のラテン文字表記法(チベットごのラテンもじひょうきほう)は、チベット語をラテン文字で表記するときの表記法である。 チベット語の音声をラテン文字で記すための転写と、チベット文字表記をラテン文字化するための翻字の両方が必要になる。チベット語は通常チベット文字で表記されるが、チベット文字の正書法は表記と発音のずれが非常に大きいため、チベット文字をラテン文字に翻字しただけでは、チベット語正書法に通じた人間以外にはそれがどのような音を表すのかわからない。.

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チベット語のカタカナ表記について

チベット語のカタカナ表記について」は、今枝由郎によって2005年に提案された、チベット語をカタカナ表記するための転写方式。 仏教学者の小野田俊蔵の原案に「部分的な修正・追加をほどこしたもの」で、「チベット語の人名、地名、固有名詞などを、できるだけ日本人に抵抗のない形で日本語に定着させることを念頭において(中略)作った」とされ、今枝が訳者となったロラン・デエ『チベット史』の巻末付録として最初に発表された。提案者の今枝は、チベット・ブータン中世史の研究者で、ゾンカ語(チベット語の南方方言で、ブータンの国語)テキストの著作もある。.

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チベット諸語

チベット諸語(Tibetic languages、)は、主にチベット民族によって話される、相互理解不可能な一群の諸言語のことである。チベット諸語の話者はインド亜大陸に接する東中央アジアのチベット高原を含む広い地域、インド亜大陸北部のバルティスターン、ラダック、ネパール、シッキム、ブータンに住んでいる。古典チベット語がこの地方の主要な文章語であり、とくに仏典において用いられる。 ラサ方言を含むウー・ツァンチベット語、カム・チベット語、アムド・チベット語は通常単一の言語の方言と見なされている(とくに同一の文章語を持つため)が、ゾンカ語、シッキム語、シェルパ語、ラダック語は通常チベット語とは別の言語とされる。 チベット諸語の話者人口は約800万である。チベット仏教が世界的に広がったことにより、チベット語は西洋世界にも拡散し、多くの仏典やチベット語文献を翻訳するためにこの言語を学ぶ西洋人もある。ラサの外で、ラサ方言はチベットからインド他の地域に亡命した約20万人の人々によって話されている。チベット語はまたチベット民族の近くに数世紀にわたって住んでいながら自らの言語と文化を保ちつづけている少数民族の集団によっても話される。 中国政府はカム地方のチャン族を民族的にはチベット族の中に入れているが、はチベット諸語ではなく、シナ・チベット語族の中で独自の語派を形成している。 古典チベット語は声調を持たないが、ウー・ツァンチベット語やカム・チベット語などの言語変種では声調を発達させている。アムド・チベット語やラダック語・には声調は存在しない。チベット諸語の形態論は一般的に膠着語に属する。.

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チベット関係記事の一覧

チベット関係記事の一覧(チベットかんけいきじのいちらん).

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チベット自治区

チベット族 チベット自治区(チベットじちく、チベット語: プー・ランキョン・ジョン, )、或いは西蔵自治区(せいぞうじちく)は、中華人民共和国(以下、「中国」)の西南部を占める区域自治区である。.

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チベット民族

ダライ・ラマ14世 チベット民族(チベットみんぞく、Tibetan peopleまたはTibetans)は、ユーラシア大陸中央部のチベット高原上に分布する民族。チベット語を話す。人種的にはモンゴロイドに属する。.

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チベット文字

北京の雍和宮の額に書かれた、満州文字・漢字・チベット文字・モンゴル文字(右から) チベット文字(チベットもじ)は、チベット語・ゾンカ語の表記に用いる文字である。.

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チベタン・マスティフ

チベタン・マスティフ (Tibetan Mastiff) は中国チベット高原を原産地とする超大型犬。その名が示すように俗にチベット犬とも呼ばれる希少種である。中国語では「藏獒」(Zàng áo) あるいは「西藏獒犬」(Xīzàng áoquàn) となり、「東方神犬」の異名もある。チベット語ではདོ་ཁྱི།(ドーキー)と呼ばれている。.

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ネドン区

ネドン区(‐く)は中華人民共和国チベット自治区山南市の市轄区。区名はチベット語で「象鼻山の先の前」を意味する。区政府は沢当鎮乃東居委会。.

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ネイティブスピーカーの数が多い言語の一覧

この項目は、言語を母語人口の多い順に配列した一覧である。100万人以上の母語話者を擁する言語のみを対象とするが、いくつかのデータは第二言語の話者も含む。 いくつかの言語は、相互の疎通が難しい方言・派生言語があるにもかかわらず、単一の言語として扱われている場合がある(例:中国語、アラビア語)。他のケースでは、相互に意志疎通しやすいが、国の公用語とは別に、地域の公用語が定められているような場合ないし地域・民族アイデンティティの確立・主張の手段として言語を使い分ける場合がある。そういった場合、この一覧では別言語扱いとなっている(例:スカンジナビア諸語(北ゲルマン語群)、ヒンディー語とウルドゥー語、マレー語とインドネシア語)。全てのデータは最新のものではない。語族は確定したものではないので、参考にとどめられたい。 話者の少ない言語および絶滅の危機に瀕している言語については「消滅危機言語の一覧」が参考となる。.

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ハダカムギ

ハダカムギ(裸麦、Naked barley, hulless barley、学名: var.

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ハインリヒ・アウグスト・イェシュケ

ハインリヒ・アウグスト・イェシュケ(、1817年5月17日 – 1883年9月24日)は、ドイツ出身のモラヴィア兄弟団の宣教師で、チベット語の研究者。 イェシュケの編集したチベット語・英語辞典は現在も使われている代表的なチベット語辞典のひとつである。.

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バオアン族

バオアン族 (保安族、英語:Bonan)は中華人民共和国に居住するモンゴル系民族、中国政府によって認定された55個の少数民族の一つである。日本語ではボーナン族とも表記する。大半がスンニー派イスラム教、一部青海省に住む少数がチベット仏教を信仰する。2000年の第5次全国人口普査統計では人口は16,505人で、中国政府が公認する56の民族の中で46番目に多い。人口の大半が甘粛省臨夏回族自治州積石山保安族東郷族撒拉族自治県、少数が同州内のその他の県及び青海省循化県に居住している。.

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バター茶

碗に注いだバター茶 バター茶(バターちゃ、(スーヨウチャー、))は、主にチベット、ブータンを中心としたアジア中央部の遊牧民族や住民が日常飲んでいる茶飲料。ヤクの乳脂肪、塩を加えるため、塩バター茶とも言われる。チベット語ではプージャ()、ラダック(インド・ジャンムー・カシミール州)ではグルグル・チャ、ブータンではスージャ(suja)と呼ばれる。.

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ポメ県

ポメ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ニンティ市の県の一つ。県名はチベット語で「祖先」を意味する。県政府所在地は扎木鎮。.

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ポア (オウム真理教)

ポア(Phowa、འཕོ་བ་ pho ba)とは日本のカルト宗教であったオウム真理教における教義のひとつである。殺人を正当化する為に使用したものとされる。本来のチベットにおけるポワとは、死に瀕した者の耳元で経文を唱えてあげるなどして、死後に迷う事なく良い来世(人界、天界)に向かわせる為の特殊な作法の事を言う。.

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ムスタン王国

色がムスタンの領域 ローマンタン ガンダキ川 ムスタン王国(Mustang kingdom)(チベット語の音からMun Tanとも綴られる)は、かつて存在したネパール領の自治王国で、2008年まで存続した。首都はローマンタン(Lo-Manthang)。ムスタンとはチベット語で「肥沃な平原」の意味。現在はネパール連邦民主共和国ダウラギリ県ムスタン郡。.

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メルド・グンカル県

メルド・グンカル県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ラサ市の県の一つ。県名はチベット語で「メルド(ナーガの王)の住まう白き中央」を意味する。ラサ川の中上流に位置する。メト・コンカー。メドグンカル。.

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メンリン県

メンリン県(‐けん)は中国チベット自治区ニンティ市の県の一つ。県名はチベット語で「薬洲」の意。前身は則拉崗宗。南部は国境係争地帯であるインドのアルナーチャル・プラデーシュ州の一部として実効支配されている。ローバ族の居住地域である。.

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メンパ族

メンパ族(མོན་པ)は、チベット系民族である。主にインドのアルナーチャル・プラデーシュ州に住んでいるが、チベット自治区のメトク、ニンティ、ツォナなどにも居住している。一部はメド地区に住んでいる。.

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メトク県

メトク県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ニンティ市の県の一つ。県名はチベット語で「花」の意。県政府所在地はメトク鎮(墨脱鎮)。南部は国境問題が未解決で、インドの実効支配区域(アルナーチャル・プラデーシュ州)である。.

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メコン川

メコン川(メコンがわ、Mekong River、แม่น้ำโขง(ラテン文字転写:Mae Nam Khong)、Sông Cửu Long/瀧九龍)は、東南アジアを流れる河川。東南アジアで最長、アジア全体でも7番目に長い川である。.

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モンゴル人の名前

本記事では、モンゴル人の名前の原理について解説する。.

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モンゴル国の教育

モンゴル国の教育(モンゴルこくのきょういく)では、モンゴルの教育について述べる。.

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モンゴル文字

ンの勅…」とある モンゴル文字(モンゴルもじ、蒙古文字〔もうこもじ〕/モンゴル語キリル文字表記:、モンゴル文字:、モンゴル文字ローマ字(ラテン文字)転写:)は、13世紀ごろウイグル文字から派生した文字で、主にモンゴル語を表記する。フドゥム、胡都木とも。専ら縦書きされ、行は左から右へ綴られる(左縦書き)。 現在は主に中華人民共和国内モンゴル自治区で使われているが、モンゴル国では 1994 年以降義務教育化され、歴史と伝統・文化の象徴として書道やクラフトアートをはじめとした芸術作品に活用されている。.

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ヤブユム

ヤブユム(チベット語: Yab-yum、逐語的には「父上-母上」)は、インド、ブータン、ネパール、チベットの仏教美術においてよく見られる、男性尊格が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボルである。男女両尊、父母仏、男女合体尊とも。 男性尊格が蓮華座にて座し、伴侶がその腿に腰かける座位の構図が一般的である。この交合の表現をもって空性の智慧(女性原理、自利)と慈悲の方便(男性原理、利他)との一致を体現した仏陀の境地=大楽を表している。交合とその快楽そのものを悟りの境地と紐付ける解釈は密教系のカルト宗教に多く、明確な誤りである。.

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ヤク

ヤク(家畜化された種としての学名はBos grunniens、野生種はBos mutus)は、ウシ目(偶蹄目)ウシ科ウシ属に分類される偶蹄類。.

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ユマ・サーマン

ユマ・サーマン(Uma Thurman, 本名: Uma Karuna Thurman, 1970年4月29日 - )は、アメリカ合衆国の女優。マサチューセッツ州ボストン出身。身長181cm。.

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ユリウス・ハインリヒ・クラプロート

ユリウス・ハインリヒ・クラプロート(Julius Heinrich Klaproth、1783年10月11日 - 1835年8月27日)は、19世紀のフランスで活躍したドイツ出身の東洋学者。父は化学者・鉱物学者であるマルティン・ハインリヒ・クラプロート(Martin Heinrich Klaproth,1743 – 1817)。.

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ユグル族

ユグル族(Yugur, Yughur)、またはユイグー族(中国語: 裕固族; 漢語ピンイン: Yùgù Zú)は、中華人民共和国に居住するテュルク系・モンゴル系民族、中国政府によって認定された55個の少数民族の一つ。2000年の人口調査で人口が13,719人。 ユグル族は90%以上が甘粛省の粛南ユグル族自治県、少数が酒泉市黄泥堡裕固族郷に居住している。人種はモンゴロイドに属する。.

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ヨハン・グリューバー

ヨハン・グリューバー(1621年/1623年10月28日 - 1680年9月30日)は、オーストリア出身のイエズス会士。ベルギー出身のイエズス会士アルベール・ドルヴィーユとともに、初めてラサに到達したヨーロッパの人間として知られる『シルクロード事典』、357-359頁ポマレ『チベット』、86-87頁。日本語ではグリューベルとも表記される。.

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ヨーガ

ヨーガ(योग, )は、古代インド発祥の伝統的な宗教的行法で、心身を鍛錬によって制御し、精神を統一して古代インドの人生究極の目標である輪廻転生からの「解脱(モークシャ)」に至ろうとするものである。ヨガとも表記される。漢訳は瑜伽(ゆが)。 1990年代後半から世界的に流行している、身体的ポーズ(アーサナ)を中心にしたフィットネス的な「現代のヨーガ」は、宗教色を排した身体的なエクササイズとして行われているが、「本来のヨーガ」はインドの諸宗教と深く結びついており、バラモン教、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の修行法でもあった。.

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ラマ (チベット)

ラマ(チベット語:བླ་མ་,, ローマ字慣用表記:, 漢語表記:喇嘛)とは、チベット仏教における僧侶の敬称の1つ。「上師」と訳されることがある。 チベット語で上人(しょうにん)あるいは聖人という意味で、サンスクリット語のグル(師匠)に相当する。 チベット仏教の僧侶を総称してラマ僧と呼ぶことがあるが、本来ラマとは(自らの)師匠たる僧を指す語で、修行僧を一般的にラマ僧と呼ぶのは誤りである。必ずしも化身ラマ(チベット語ではトゥルク)であるとは限らず、転生継承ではなく修行によってラマとなる者もいる。このように漠然と宗教上の師を指す語であり、日本語で俗に言う和尚に近いニュアンスである。 高僧に対する尊称としてはリンポチェ(至宝者)という称号も多く用いられる。.

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ラリ県

ラリ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ナクチュ市に位置する県。県名はチベット語で「神山」の意。県政府所在地は阿扎鎮。.

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ラン・ダルマ

ラン・ダルマ(チベット語:、ワイリー転写:Glang dar-ma、 803年佐藤『中世チベット史研究』、35頁/809年山口『チベット』下、47-49頁 - 842年/43年)は、古代チベットである吐蕃の王(在位? - 842年/43年)。護教王として有名なチツク・デツェンの弟で、兄の死後、王位についた。名前の「ラン」は「牡牛」を意味し、体格とぼんやりした性格に由来すると考えられているが、後世に仏教年代記の影響によって「廃仏を行った牡牛のような暴君」という意味が付加された。 後代に編纂された仏教年代記には仏教の弾圧を行った王と記されているが、こうした史書の記述は疑問視されている。中国で編纂された史書には飲酒と狩猟を好む残忍な君主と記述されているが、中国の史書では亡国の君主は概ね悪しく書かれる傾向より、佐藤長は信憑性に疑問を呈している。 13世紀末にプトゥンが作成した仏教書の目録ではラン・ダルマが中観について述べた著作を残したことを確認でき、また敦煌文献にはラン・ダルマの長寿を願う祈祷文が収められている。廃仏についても、本来はラン・ダルマは仏教に対して理解のある人物だったが、周囲に押されてやむなく行ったと考える意見も存在する。 842年ごろ、ラン・ダルマは宰相によって暗殺された。暗殺の理由は不明であるが、ラン・ダルマ在位中の吐蕃では軍事中心・仏教偏重の政策からの転換が必要とされており、こうした中で起きた権力闘争に巻き込まれて殺害されたと考えられている。 ラン・ダルマの死後、吐蕃はバー氏と外戚のブロ氏を中心とする2つの政権に分裂する。.

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ランジャナー文字

ランジャナー文字()は、ランツァ文字とも呼ばれ、11世紀に発達したアブギダに属する書記体系である。ランジャナー文字は、現在のネパールでは主にネワール語の表記に用いられるが、サンスクリットにも用いる。ネパール以外にチベット・モンゴル・中国などの仏教寺院でも用いられる。通常は左から右へと書かれるが、クタークシャルと呼ばれる形式では上から下へと書かれる。ランジャナー文字は標準的なネパールのカリグラフィーの文字とも考えられている。.

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ラークシャスタール湖

ラークシャスタール湖(サンスクリット語:राक्षस ताल、チベット語:ལག་ངར་མཚོ lag-ngar mtsho、中国語:拉昂错、英語:Lake Rakshastal)は、中国のチベット自治区プラン県に存在する湖。インダス川支流サトレジ川の水源である。 東にマーナサローワル湖、南にカイラーシュ山がある。ラークシャスタールとはサンスクリット語で「悪魔の湖」を意味する。.

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ラツェ県

ラツェ(拉孜)県(‐けん)は中国チベット自治区シガツェ市の県の一つ。県名はチベット語で「神の頂」の意。県政府所在地は曲下鎮。.

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ラダック

ラダック (Ladakh,チベット語:ལ་དྭགས་ la dwags) はインドのジャンムー・カシミール州東部の地方の呼称。広義にはザンスカールおよび、現在パキスタンの支配下となっているバルティスターンを含む、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれた一帯を指し、カシミールの東側半分以上を占める。かつてはラダック王国という独立した仏教国であったが、19世紀にカシミールの藩王国に併合された。現在では行政区画の名称としては使用されていない。中華人民共和国との国境に接し、アフガニスタン北部にも近い。中国が実効支配するアクサイチンも、かつてはラダックの支配下であった。 チベット文化圏に属するラダックは、よく小チベットと称されチベット仏教の中心地の一つとして有名である。文化大革命で破壊された中華人民共和国のチベット自治区よりも古い文化が良く残っていると言われる。 特に曼荼羅美術の集積はチベットを凌ぐとされる。 中心都市はレー (Leh)。.

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ラダック語

ラダック語()は、シナ・チベット語族チベット・ビルマ語派に属する言語である。ラダキとも呼ばれる。ラダックで話されている。ラダック語はチベット諸語に属する言語であるが、標準チベット語とは相互に意思疎通はできない。インドのジャンムー・カシミール州のや中国チベット自治区に話者が多く存在する。.

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ラジオ・フリー・アジア

ラジオ・フリー・アジア(Radio Free Asia、略称:RFA)は、1994年にアメリカ合衆国議会が立法した「国際放送法」()に基づき、1996年に米国議会の出資によって設立された短波ラジオ放送局である。自由アジア放送(じゆうアジアほうそう)とも呼ばれている。.

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ラサ

ラサ(,lha sa)は吐蕃時代の7世紀に成立したチベットの古都。吐蕃時代(7世紀 - 842年)やダライ・ラマ政権時代(1642年 - 1959年)に政権の本拠地がおかれて政治的中枢となり、また政権の変遷をこえて文化的中枢でありつづけた。チベット、モンゴル、満州などの諸民族から構成されるチベット仏教文化圏の中枢でもある。 トゥルナン寺のチョカン(本殿)をとりまくナンコル、トゥルナン寺の境内をとりまくパルコル、パルコルを東の中心、ポタラ宮があるマルポリの丘・薬王山チャクポリを西の中心とする楕円状をなすリンコルの、三重の環状巡礼路をメインストリートとし、ダライ・ラマ政権の末期には、古都ラサの市長「ミプン」はリンコルの内部を管轄していた。 1960年、中国政府により、古都ラサと郊外、ウー地方北部諸県を領域とする地級市拉薩市(ラサ市)が設置された。 中国の統治下で、リンコルの西縁をはさんでマルポリ・チャクポリの周辺に新市街が開発された。 表記はチベット語:ལྷ་ས་ ワイリー方式:lha sa/蔵文ピンイン:Lhasa、中国語簡体字:拉萨/繁体字:拉薩、英語:Lhasa。.

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ラサ市

ラサ市(ラサし)は、中華人民共和国チベット自治区の中央部に位置し、同自治区を構成する「地級市」のひとつ。中国政府がチベットの古都ラサとその周辺地域をあわせて1960年に設置した。 市域はチベットの古都ラサとその郊外からなる「城関区」とトゥールン・デチェン区の2つの市轄区、その周辺の6つのゾン(県)で構成されている。「地級市」は、中国の行政区画制度において、二級行政区画に分類される行政体の一種である。自治区人民政府は城関区内に設置されている。本市の東方に位置するロカ市とともに、中央チベット東部の「ウー地方」を構成する。 総面積3万平方キロ、市区面積523平方キロ。 人口37.3万人、非農業人口14万人。チベット族が87%を占める。.

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ラサ・クンガ空港

ラサ・クンガ空港(ラサ・クンガくうこう ལྷ་ས་གོང་དཀར་རྫོང་)は中華人民共和国チベット自治区ロカ市クンガ県甲竹林鎮に位置する空港。「ラサ空港」あるいは、所在地「クンガ」のチベット名をとって「ゴンカル空港」とも表記される。標高3,500メートルあまりという世界有数の高標高に位置する空港である。.

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ラサ・シガツェ鉄道

ラサ・シガツェ鉄道(ラサ・シガツェてつどう)は、中華人民共和国チベット自治区の首都ラサと第二の都市シガツェを結ぶ鉄道である。2014年8月16日に運行を開始した。 青蔵鉄道のラサ駅を起点にラサ川沿いを南進、ヤルンツァンポ川沿いに西進し、ヤルツァンポ大峡谷を跨ぎ、に至る。総延長251km、14駅が設置され、最高速度は120km/hである。ラサからシガツェまでは片道40元、1日1便運行されている。 2020年までに、鉄道はシガツェからネパールの国境に近いニャラム県まで西に延伸する計画があり、2018年6月21日に訪中したネパールのK.P.シャルマ・オリ首相はシガツェとカトマンズを結ぶ計画で中国と合意したことを中国国営紙などは報じた。.

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リメ運動

リメ運動は19世紀の東チベットで興った超宗派運動である。リメ(Rimé、リメーとも)とはチベット語で「偏り無し」という意味である。.

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ルンツェ県

ルンツェ県(‐けん)は中国チベット自治区山南市の県の一つ。県名はチベット語で「万事順利、実力雄厚」の意。県政府所在地はルンツェ鎮吉塘。南部はインドの実効統治下(アルナーチャル・プラデーシュ州)にあり領土問題が未解決である。.

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ルンドゥプ県

ルンドゥプ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ラサ市の県の一つ。県政府所在地は甘丹曲果鎮。 県名はチベット語で「天然に形成された地方」の意。.

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レー (インドの都市)

レーパレス レーのメインストリート。奥に見えるのがレーパレス レー(チベット語:གླེ་;、ワイリー方式:Gle、英:Leh)は、インド北部ラダック地方(ジャンムー・カシミール州)最大の中心都市。ラダック自治山間開発会議の議会がある旧王都である。.

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レッサーパンダ

レッサーパンダ(Ailurus fulgens)は、哺乳綱食肉目レッサーパンダ科レッサーパンダ属に分類される食肉類。本種のみでレッサーパンダ属を構成する。別名アカパンダ。.

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ロバ

バ(驢馬、馿馬)は哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属ロバ亜属 (Asinus) の総称、もしくは、その1種 Equus asinus。以下では主に Equus asinus について述べる。 別名うさぎうま(兎馬)。漢語では驢(ろ)。古代より家畜として使用される。現生ウマ科の中で一番小型だが、力は強く、記憶力も良い。学名 Equus asinus(エクゥス・アシヌス)は、ラテン語で「馬・ロバ」の意。.

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ロロン県

ン県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県の一つ。県名はチベット語で「南の谷」の意。 東経95°20'-96°32',北緯30°15'-31°15'に位置する。東はパシュー県,南はポメ県,西はバンバル県,北はテンチェン県、リウォチェ県に接する。県政府所在地は孜托鎮。 1959年に洛隆宗と碩督宗が合併して成立した。.

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ローマンタン

right ローマンタン()は、ネパール連邦民主共和国ダウラギリ県ムスタン郡の町。2008年まではネパール領内の自治邦であるムスタン王国の首都だった。 標高3,760mの城郭都市で、周囲1km、高さ11m〜15mの塀で囲まれている。チベット語で、「薬草の豊かな町」という意。人口は876人、住宅数は178(1999年)。 1350年、ムスタン王国の初代国王アメパルによってつくられた。チベットの岩塩をインドへ運ぶ「塩の道」の中継地点として栄える。城壁内部は、ゾンと呼ばれ、藩王の王宮のほか、チベット仏教寺院およびゴンパ(僧院)があり宗教的な意味合いもある。さらに城壁を取り囲むようにチベットから難民などの層が住む。ローマンタンを含むアッパームスタンは、ロ王国として2008年まではネパールの高度な自治地域で、国王は普段はカトマンズに住み、祭などの時にローマンタンに来ていた。 1991年秋にアッパームスタンが開放されたが、入域が制限されるほか、外国人が入域するには、ムスタンの文化の保護の為、10日あたり$700をネパール政府に支払わなければならない。 Category:ネパールの都市 Category:ネパールの古都 Category:ネパールの国境.

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ローバ族

ーバ族(中国語:珞巴族)は主に中華人民共和国チベット自治区、山南地区、ニンティ市やインド北東部の少数民族のひとつ。ロパ族とも和訳される。全人口は中国国家民族事務委員会発表では1980年代頃は約30万人であったが、現在は約60万人としている。 中国国内のチベット自治区に居住する人口は2000人台と少ない。チベット仏教を信仰していないという点で、チベット族とは異なる。そもそもローバの意味自体が、チベット族からみて「南方の人」を表現する言葉に由来する。.

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ロー・ラ

ー・ラは、ネパールと中国チベット自治区の国境にある峠であり、エベレスト山頂から西に約5kmの地点にある。またエベレストとその西側にあるクーンブツェを結ぶ稜線の最低鞍部でもある。標高は6006メートル。チベット語で「ロー」は南、「ラ」は峠という意味である。.

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ローツェ

ベレスト(左)とローツェ(右) ローツェ(Lhotse ལྷོ་རྩེ; ल्होत्से)は、ヒマラヤ山脈のエベレストの南に連なる山。標高は8,516mで世界第4位。主峰の他に中央峰(8,414m )、シャール峰(8,383 m、東峰)がある。ローツェはチベット語で「ロー=南、ツェ=峰」の意で、エベレストの南峰であることを意味する。ローツェの頂上とエベレストの頂上は、直線で約3kmほどしか離れていない。.

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ロブサン・ランパ

ブサン・ランパ(Tuesday Lobsang Rampa、1910年4月8日 – 1981年1月25日)は、偽書『第三の眼』(だいさんのめ、The Third Eye)の著者として知られる人物。本名はシリル・ヘンリー・ホプキンズ(Cyril Henry Hoskin)で、後述する様に生粋のイギリス人である。.

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ロイ・アンドリュー・ミラー

イ・アンドリュー・ミラー(、1924年9月5日 – 2014年8月22日)はアメリカ合衆国の言語学者。 日本語およびチベット・ビルマ語族を研究した。とくに日本語とアルタイ語族の親縁関係の研究で知られる。.

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ワイリー

ワイリー (Wily, Wylie, Wiley) は、英語圏の姓、男性名。.

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ワイリー方式

ワイリー方式(ワイリーほうしき、英:Wylie transliteration)はチベット文字による綴りをラテン・アルファベットに翻字するための方式のひとつ。1959年にタレル・ワイリーにより考案され、チベット研究における翻字の標準的な表記法となった。.

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ヴァルター・ジーモン

ルンスト・ユーリウス・ヴァルター・ジーモン(、1893年6月10日 – 1981年2月22日)は、ドイツの言語学者、中国学者、司書。 中国名は西門華徳()。中国語の音韻史研究で知られ、ベルンハルド・カールグレンに影響を与えた。またチベット語の研究も行った。.

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ヴィルヘルム・グルーベ

ヴィルヘルム・グルーベ(Wilhelm Grube、1855年8月17日 - 1908年7月2日)は、ロシア帝国出身のドイツの言語学者、中国学者。中国以外にツングース語族の諸言語の研究でも知られる。.

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ヴィクター・メア

ヴィクター・ヘンリー・メア(、1943年3月25日生まれ)は、アメリカ合衆国の中国学者。 中国名は梅維恒()。中国の俗文学や東西文化の伝搬に関する研究で知られる。.

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ヌプツェ

ヌプツェ(Nuptse)は、ヒマラヤ山脈のエベレストの西南に連なる山。主峰のヌプツェI(標高7,861m)の他に、ヌプツェII(標高7,827m)や、ヌプツェ・シャールI峰(標高7,804m)など、7つの峰が東西に連なる。ヌプツェはチベット語で「ヌプ=西、ツェ=峰」の意で、エベレストの西峰であることを意味する。ローツェから西へのびる尾根上約5kmの位置にある。.

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ボイス・オブ・アメリカ

label.

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トンレン

トンレン (蔵)とはチベット語で 「与えること」と「受け取ること」を意味する、 チベット仏教で用いられる瞑想法である。 実践法としては、他者の苦しみを自分が受け取り、 自分の幸福と功徳を他者に与えるとイメージする。 この方法は、利他心を訓練するためのもっとも優れた手段として、重要視されている。 この瞑想法によって、以下のような効果が得られるとされる。.

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トンドゥプ・ワンチェン

トンドゥプ・ワンチェン(Dhondup Wangchen, 1974年 - )は、チベットの人物で、記録映像“Leaving Fear Behind”の製作者。2008年3月に青海省西寧市で中国政府に逮捕され、2008年12月に「分離主義を扇動」した罪で6年の懲役刑を宣告された。.

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トーロン族

トーロン族(中国語独龍族、ピン音Dúlóngzú トーロン族またはトールン族)は中国の漢族・チベット族系の少数民族。中国政府に認定されている民族である。人口の大半は雲南省怒江リス族自治州貢山トーロン族ヌー族自治県のサルウィン川河口に居住している。人口は約7400人。.

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トゥルパ

トゥルパ()は、チベット語で一般に、変化身(応身)や化身(トゥルク)を指す言葉として用いられ、サンスクリットの निर्मित 〔ニルミタ〕または निर्माण 〔ニルマーナ〕(すなわち化・変化・化現・化成・化作)に相当する。つまり仏教本来の言葉では単に化身、化現、化作を意味する。化作は「魔術的顕現」「喚起されたもの」「幻像」などとも訳することができる。化作は修行の結果意識的にできるようになる。それを特殊に誤解し純粋な霊的・精神的訓練のみによって作り出される存在ないし“もの”をあらわす言葉と捉え何か魔術やオカルト的な意味に誤解されている。以下、本項ではその誤解された意味を中心に記述する。 旅行家の『チベットの神秘家と呪術師』 (Mystiques et magiciens du Tibet, 1929)日本語版:A・デビッドニール 『チベット魔法の書』 林陽訳、徳間書店、1997年。 によると、トゥルパは「強力な凝念による魔術的形成物」である。トゥルパは「物質的形体として受け取られた、具現化した思念」であり、「思念形態」(thoughtform;思念体、想念形体とも)と同義とみなされるのが通例である Eileen Campbell, et al (1994), Body Mind & Spirit.

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トゥルク (曖昧さ回避)

トゥル.

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トゥンカル

トゥンカル(チベット語:དུང་དཀར་ dung dkar)はチベット語で「白い法螺貝」を意味する。梵語で法螺貝を意味するシャンカ()とも呼ばれる。白い法螺貝の上に鏤められた錫や青銅の象眼細工や良きエネルギーを表す明色のビーズによって飾りがなされている。 インド史を通じ、法螺貝は大いなる力・権力・威信の象徴であった。インドの叙事詩の英雄達はみな名を持った白い法螺貝を持っていた。英雄が白い法螺貝を鳴らすとき敵軍は恐怖に慄き、それは戦いの始まりを意味した。この古の信仰はチベット音楽における、白い法螺貝の平和と良きエネルギーの神聖なる象徴というイメージへ影響していると考えられる。 トゥンカルは有史以来宗教楽器としてチベットの宗教音楽において使われてきた。チベットでは仏教の到来以前、シャーマニズムであるボン教が信仰されていて、トゥンカルは霊を呼び起こして家畜や作物の成長を助けたり、病や破滅を齎す悪霊を消し去るために使われていた。今となってはトゥンカルは主に仏教寺院か興行において見られ、非宗教的な使い方は非常に稀である。.

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トゥールン・デチェン区

トゥールン・デチェン区(‐く)は中華人民共和国チベット自治区ラサ市の市轄区の一つ。区名はチベット語で「上谷極楽」の意。ラサ川が南に曲がるところ、ヤルンツァンポ川中流に位置する。区政府所在地は東嘎鎮。.

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トゥ族

トゥ族()は、中国のモンゴル系少数民族。中国政府が認定する民族である。人口の大半は青海省・甘粛省全般に居住している。人口は中国政府が2000年に行った国勢調査で約24.1万人。.

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ヘーヴァジュラ・タントラ

『ヘーヴァジュラ・タントラ』(Hevajra Tantra)とは、仏教の後期密教経典、いわゆる無上瑜伽タントラの1つ。母タントラの代表的経典。チベット仏教においては、サキャ派が所依とする。 「ヘーヴァジュラ」とは、この教典に登場する尊格の名であり、一般的には「ヘー」は呼びかけの言葉、「ヴァジュラ」は「金剛」を意味すると解釈され、漢字では「呼金剛」「喜金剛」と訳される。したがって、この経典自体も『呼金剛タントラ』『喜金剛タントラ』等とも訳される。ただし、歴史的経緯から言えば、この「ヘーヴァジュラ」は、「ヘールカ」という狭義にはシヴァ神を模した尊格の1つの発展形態であり、「ヘールカ・ヴァジュラ」の略称だと解釈するのが自然である。 サンスクリット原典、チベット語訳、漢訳いずれもが現存し、漢訳は宋代の法護によって10世紀後半に訳された『仏説大悲空智金剛大教王儀軌経』(大正蔵密教部第18巻No.892)がそれに相当する。.

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ブラマプトラ川

ブラマプトラ川(ブラマプトラがわ、英:Brahmaputra River, ヒンディー語:ब्रह्मपुत्र Bramhaputra, ベンガル語:ব্রহ্মপুত্র Brohmoputro) はチベットに発しバングラデシュでガンジス川と合流し、ベンガル湾へ注ぐ河川である。チベットではヤルンツァンポ川(表記によってはヤル・ツアンポー川とも。チベット語:ཡར་ལུང་གཙང་པོ་ Yar-lung gTsang-po, 中国語:雅鲁藏布江)、バングラデシュではジョムナ川(英:Jamuna River, ベンガル語:যমুনা Jomuna)と呼ばれている。.

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ブラーフミー系文字

ブラーフミー系文字(ブラーフミーけいもじ、Brahmic scripts)、または、インド系文字(Indian scripts)とは、マウリヤ・インドのブラーフミー文字から派生し、南アジア、東南アジア、チベットで使われているアブギダ(文字体系)の一族の総称である。.

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ブライアン・ホートン・ホジソン

ブライアン・ホートン・ホジソン(Brian Houghton Hodgson、1800年2月1日 - 1894年5月23日英国人名辞典)は、イギリスの外交官、博物学者、民族学者、東洋学者。ネパール駐在公使(Resident)をつとめ、ヒマラヤの動物に関する記録を残した。また、チベット・ビルマ語族の諸民族の言語と文化を調査し、仏教写本を収集した。.

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ブータン

ブータン王国(ブータンおうこく、)、通称ブータンは、南アジアの国家。北は中国、東西南はインドと国境を接する。国教は仏教(ドゥク・カギュ派)。民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語はゾンカ語。首都はティンプー。 国旗はその模様が複雑で、竜のうろこが細かく描かれている。国花はメコノプシス=ホリドゥラ、国樹はイトスギ、国獣はターキン、国鳥はワタリガラス、国蝶はブータンシボリアゲハ。 長年鎖国政策をとっていたが、1971年に国際連合加盟。翌年に国民総幸福量という功利主義を採用した。.

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ブータンの国民

祭りに集まった民族衣装姿のブータンの人々 ブータンの国民では、ブータンの民族と言語及び民族問題について記す。 ブータンの民族は出自、宗教、言語、居住地域などから3つの集団に大別され、言語は方言を含め20前後が確認されているが、系統立った言語調査は実施されていない。.

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ブータンの国旗

ブータンの国旗は、19世紀の頃から現在のものと似たものがあったが、現在の形になったのは、1969年頃である (at WebCite)。 龍は、ドゥク(Druk、雷龍の意)と呼ばれるものであり、それはブータンがチベット語の方言で「龍の地」として知られていることを暗示している。龍の爪についているのは宝石で、富を象徴している。龍が白色なのは純粋さと忠誠心を表しているからである。背景は2つの色に分けられており、それぞれ世俗の君主政治(黄色)と仏教(オレンジ)を象徴している。 龍の鱗が1つ1つ細かく描かれており、世界的にも複雑な国旗の1つである。 このほか、ブータンの国営航空会社ロイヤルブータン航空では、垂直尾翼に国旗のデザインを描いている。.

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プンツォ・ナムゲル

プンツォ・ナムゲル(チベット語: ཕུན་ཚོགས་རྣམ་རྒྱལ、ワイリー方式:phun tshogs rnam rgyal、英語:Phuntsog Namgyal、1604年 - 1670年)は、インド、シッキム王国(ナムゲル朝)の初代君主(在位:1642年 - 1670年)。.

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プンツォク・ワンギャル

プンツォク・ワンギャル(チベット語: ཕུན་ཚོགས་དབང་རྒྱལ།, ワイリー方式: phun tshogs dbang rgyal, 蔵文拼音: pun tsok wang gyel, 1922年1月2日 - 2014年3月30日)は、チベット・バタン出身の革命家。中国語表記では平措汪傑、あるいは平措旺傑。通称、平汪(プンワン)。解放と言う名の中国人民解放軍によるチベット侵略への抵抗。チベット共産党の結党。大チベット構想を打ち立てる。 長征中にチベット東部(カム地方)を通過した中国共産党の影響を受け『東チベット自治同盟』を結成、雲南との国境地帯で中華民国の支配に対する武装蜂起を起こした後、中国支配に抵抗した英雄として、チベット貴族支配下にあるラサで公然と反体制的な活動を行う。この時すでに中国共産党員であり、民族派的マルキストだったという。 日本では、チベットに滞在した日本人、木村肥佐生の著書に登場することで知られ、木村とは親しく交流していたようである。木村は明治維新を革命モデルとしてチベットに適用するアイディアを彼に提案し、彼は明治憲法をモデルにチベットの新憲法の草案を練っていたという。 1949年、保守派貴族によってインドへ追放される。帰国後、中国共産党の下部機関に組み込まれるが、文化大革命では民族主義者として弾圧を受け、18年間投獄される。 文化大革命の終焉とともに政治の表舞台へ復帰し、全国人民代表大会常務委員、中央民族委員会副主任などのポストを歴任する。 結果から見れば彼はチベット共産化を手助けした人物ということになるが、彼が求めていたのはチベット政治の革新であり、中国化の推進が目的ではなかったことは、明らかである。また、カム地方がチベット政府の圧政に苦しんでいたことも、彼の思想・行動と無縁ではなかったと思われる。 なお、現在の彼の主張は、中国からの独立ではなく高度な地方自治を求めるものである。.

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プーと大プー

プーと大プー(プーとだいプー)は、チベット語で「プー・タン・プーチェンボ(བོད་དང་བོད་ཆེན་པོ、bod dang bod chen po)」と言い、チベット全域に対する地理的な区分方法の一つ。チベットの古典文献においてチベットの地域的な区分の様々なバリエーションが列挙・提示される場合に、その一種として登場する。 インド人がチベットを呼ぶ際、インドに近い部分を「ボータ(Bhota)」と、インドから遠い部分を「マハー・ボータ(大ボータ, Mahabhota)」と、それぞれ読んだ区分法に対応した表現であり、チベット人の間では、「インドの学者による用法」として認識されている。.

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プトゥン

プトゥン(チベット語: བུ་སྟོན་རིན་ཆེན་གྲུབ་, ワイリー方式: Bu-ston Rin-chen Grub, プトゥン・リンチェン・ドゥプ、1290年-1364年)とは、チベット仏教の学者。プトンとも。.

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パンチェン・ラマ

パンチェン・ラマ(蔵: 、Panchen Lama、漢字表記: )は、チベット仏教ゲルク派においてダライ・ラマに次ぐ高位の化身ラマへの称号である。無量光仏(阿弥陀如来に相当)の化身とされ、転生 (生まれ変わり) によって後継者が定められる。 チベットのシガツェ市のタシルンポ寺の座主である。チベット仏教ゲルク派で序列2位とされ、ゲルク派内での宗教上の格式はダライ・ラマにも匹敵する。「天に太陽と月があるように、人間にはダライ・ラマとパンチェン・ラマがいる」と表現されることもある。ただし、ダライ・ラマが宗教的権威であるとともにチベット国王を兼ねる政治的最高指導者であるのに対して、パンチェン・ラマの権限は基本的には宗教的なものである。タシルンポ寺には歴代のパンチェン・ラマの霊塔が配置されている。 当代はパンチェン・ラマ11世であるが、ダライ・ラマ14世とガンデンポタンから認定された11世である ゲンドゥン・チューキ・ニマと、中華人民共和国国務院(中国共産党による一党独裁)が認可した11世であるギェンツェン・ノルブのふたりが併立する事態となっている。.

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パンチェン・ラマ9世

パンチェン・ラマ9世、トゥプテン・チューキ・ニマ師(蔵: 、1883年 - 1937年6月23日、在位1888年 - 1937年)は、第9代のパンチェン・ラマである。清帝国チベット出身。チベット人。.

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パントグラフィア

パントグラフィア (Pantographia)、正式名称:「パントグラフィア:世界の有名なすべての文字体系の正確な書写:すべての変わった文字に英語の説明をつけて」は、によって1799年に制作された文字体系とタイポグラフィに関する書物であり、同時代にイギリスの活字製作者に広く読まれた書物である。 パントグラフィアの見開きページの左側には世界各国の文字体系が記されており、右側にそれぞれの文字の説明が記されている。フライは16年をかけて世界各国の文字を調査し、200以上の文字体系の見本と説明をつけている。アビシニアからニュージーランドに至るまでの文字体系を紹介しており、20個カルデア語、39個のギリシア語、8個のエジプト文字、11個のヘブライ語、7個のアイルランド語、6個のグランタ文字、7個のペルシア語、7個のフェニキア語、7個のサマリア語、1個のチベット語、2個のウェールズ語など様々な文字・言語について解説している。.

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パングン県

パングン県(‐けん )は中華人民共和国チベット自治区ナクチュ市の県の一つ。県名はチベット語で「吉祥の守護神」の意。ナムツォと色林錯の二つの湖の間に位置する。.

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パーリ仏典

パーリ仏典(パーリ語仏典、パーリ聖典、)、あるいはパーリ三蔵(Tipiṭaka, ティピタカ、三蔵のこと)は、南伝の上座部仏教に伝わるパーリ語で書かれた仏典である。北伝の大乗仏教に伝わる漢語・チベット語の仏典と並ぶ三大仏典群の1つ。 パーリ経典(パーリ語経典)とも呼ばれることがあるが、これだと仏典よりも狭い限定的な意味のニュアンスを持った表現となる。 日本でも戦前に輸入・翻訳され、漢訳大蔵経(北伝大蔵経)、チベット大蔵経に対して、『南伝大蔵経』『パーリ大蔵経』(パーリ語大蔵経)などとしても知られる。.

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パスパ文字

パスパ文字(パスパもじ、八思巴文字、дөрвөлжин үсэг、dörvöljin üseg、〔モンゴル文字:〕 「方形文字」、ཧོར་ཡིག་གསར་པ་、hor yig gsar pa 「モンゴル新字」、中国語:蒙古新字 Měnggǔ xīnzì、八思巴字 Bāsībā zì)は、13世紀にモンゴル語など、大元ウルス(元朝)の各種言語表記に用いるために制定された表音文字。上から下へと縦に綴る。パクパ文字、方形文字(ほうけいもじ)とも呼ばれる。 パスパ文字は発明から100年間ほどしか使われなかったが、チベットでは1642年に発足したガンデンポタン政権のもとで、ダライ・ラマがチベット・ハルハ・オイラトなどの諸国のモンゴル人王公たちに称号を授与する際、印章に称号を刻むための文字として採用された。.

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ヒハツ

ヒハツ(畢撥 )とは、コショウ科のツル性木質植物。 果実はコショウに似た風味を持っており、コショウと同様にスパイスとして利用される。そもそもコショウを意味する英語 “pepper”は、サンスクリットでヒハツを表す“pippali”に由来している。(和名の「ヒハツ」は漢語由来の同源の名称である。)なお、英語で“long pepper”と呼ばれる植物には同属のヒハツモドキ (;沖縄県では「ピパーチ」等の名で利用され「ヒハツ」と呼ばれることもある) もあるが、こちらはインドネシアジャワ島に自生する別種である。.

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ビル県

ビル県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ナクチュ市に位置する県。 県名はチベット語で「雌ヤクの群れ」の意。怒江上流に位置する。県政府所在地はビル鎮(比如鎮)。.

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ツァン

ツァン(チベット語: གཙང་, 転写: gtsang)は、チベットの一地方。チベット高原の南部、ヤルンツァンポ河流域に位置し、ウー地方とともに、まとめて中央チベットあるいはウー・ツァン地方などと呼ばれる。中心都市はシガツェ(gzhis ka rtse、日咯則)、ギャンツェ、サキャなど。 Category:チベット自治区の地理.

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ツァンパ

ツァンパ ツァンパ(་ rtsam pa、、 )とは、主にオオムギの変種であるハダカムギ(裸麦、学名:Hordeum vulgare L. var. nudum Hook.

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ツォメ県

ツォメ県(‐けん)は中国チベット自治区山南市の県の一つ。県名はチベット語で「湖の下流」を意味し、その名の通り哲古湖の下流にある。東はルンツェ県、南はロダク県、西はナンカルツェ県、北はチョンギェー県、ネドン区に接する。県政府所在地は措美鎮当許。.

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ティンプー

ティンプー(ゾンカ語:ཐིམ་ཕུ、Thimphu)は、ブータン王国の首都。ブータン最大の都市。 ブータン西部、ヒマラヤ山脈の南東にある盆地の底に位置している。標高は2,320m。ティンプー県に属する。.

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ティ・ドゥーソン

ティ・ドゥーソン(チベット語:、676年 - 704年)は、古代チベットである吐蕃の王、在位年は676年 - 704年。漢文史料では器弩悉弄と表記される。 34代国王マンソン・マンツェンを父に持ち、ブロ氏族のティマルを母とする。676年、マンソン・マンツェンの崩御により僅か1歳で即位し、宰相(ロンチェン、)ガル・ティンリンツェンジュ、実母と共にこれを補佐させた。678年、唐の中書令、が18万の兵で青海へ侵攻してきたが、ティンリンはこれを撃退した。 699年、王は東部に割拠して国政を王と二分していたガル一族の粛清を目論み、軍を率いてガル氏の拠点を襲撃し、宰相のティンリンを自殺に追い込んだ。704年、自らがジャンに侵攻し、討死した。 Category:チベットの皇帝 Category:チベットの幼君 Category:676年生 Category:704年没 Category:戦死した人物.

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ティツク・デツェン

ティツク・デツェン(チベット語:、802年 - 836年)は、古代チベットである吐蕃の王(在位:815年 - 836年)。彼はレルパチェン()の綽名も知って、ソンツェン・ガンポ、ティソン・デツェンとともに「チベットの護教王」と呼ばれる。漢文史料では可黎可足、彝泰賛普と表記される。 在位中、チベットは仏教を国教とし始め、大蔵経(一切経)をチベット語に翻訳、編纂を始めた。821年、長安に使節を送り、唐の大臣たちと和解の盟約(長慶会盟)を行う。ラサの大昭寺の前に唐蕃会盟碑を建立した。 836年、ティツク・デツェン王は大論(宰相)らに絞殺され、その兄弟ラン・ダルマ王が即位する。 Category:チベットの皇帝 Category:チベットの幼君 Category:802年生 Category:836年没 Category:暗殺された人物.

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ティティ

ティティ(तिथि tithi 『朔望日』)とは、インドやチベットなどの暦で使われる時間の単位。チベット語では tshes zhag と呼ぶ。 古くは、朔から望まで及び望から朔までの期間を、それぞれ15等分した各々の期間とされた。平均すれば、1朔望月の、すなわち 0.984353日.

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ティデ・ツグツェン

ティデ・ツグツェン(チベット語:、704年 - 755年)は、古代チベットである吐蕃の王(在位:705年 - 755年)。彼はメー・アクツォム()の綽名も知ってる。中国語では棄隸蹜賛、尺帯珠丹と表記される。 708年、吐蕃は唐に対し公主を迎えたいと申し出、唐の中宗も王女の入嫁に同意した。唐は吐蕃の要求を受け入れ、710年、ティデ・ツグツェンの妃として中宗の娘金城公主が迎え入れられた。 Category:チベットの皇帝 Category:チベットの幼君 Category:704年生 Category:755年没.

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ティデ・ソンツェン

ティデ・ソンツェン(チベット語:、761年 - 815年)は、古代チベットである吐蕃の王。在位年は800年 - 815年。彼はセナレク()の綽名も知っている。 Category:チベットの皇帝 Category:761年生 Category:815年没.

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ティソン・デツェン

ティソン・デツェン(チベット語:、ワイリー転写:Khri srong lde brtsan、 742年 - 797年金子「ティソン・デツェン」『アジア歴史事典』6巻、413頁/98年デエ『チベット史』、58頁)は、 古代チベット王朝である吐蕃の王(在位:755年/56年デエ『チベット史』、55頁 - 797年/98年)。37代国王ティデ・ツグツェンを父に持ち、ナナム氏族のマンポジェシティンを母とする。 唐で起きた安史の乱に乗じて唐の首都・長安を占領し、西域に駐屯する唐軍の弱体化に乗じて勢力を拡大した梅村「オアシス世界の展開」『中央ユーラシア史』、130-131頁。 ティソン・デツェンの在位中にチベットの支配領域は最大に達するフランソワーズ・ポマレ『チベット』(今枝由郎監修, 後藤淳一訳, 「知の再発見」双書, 創元社, 2003年12月)、57-60頁。後世には、軍事的功績と神話的な要素が入り混じったティソン・デツェンの伝承が作り出された。 また、ティソン・デツェンの時代にチベットの仏教文化は顕著な発展を見せる。ティソン・デツェンはサムイェー寺の大伽藍を建立し、779年に仏教を国教に制定した山口『チベット』下、30頁。後世の人間はティソン・デツェンをソンツェン・ガンポ、ティツク・デツェン(レルパツェン)と並ぶ仏教王の一人に数えた。.

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テウォ県

テウォ県(―けん)は中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州に位置する県。.

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デチェン・チベット族自治州

デチェン・チベット族自治州(デチェンチベットぞくじちしゅう、, デチェン・プーリー・ランキョン・クル)は中華人民共和国雲南省西北部に位置するチベット族自治州でありチベット族が人口の33%を占めている。チベットの伝統的な地域区分ではカム地方南部に位置する。 迪慶(てきけい)はチベット語のデチェンを音写したもので、「デ(bde)」は「安楽」を意味する名詞、「チェン(chen)」は「大いなる」を意味する形容詞で、合わせて「大いなる安楽」を意味する。.

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デムチュクドンロブ

デムチュクドンロブ(モンゴル語: 転写:Demčugdongrub、キリル文字:Дэмчигдонров Demchigdonrov、1902年2月8日 - 1966年5月23日)は、南モンゴルの政治家。通称徳王(とくおう)。中国語における字は希賢。1930年代から日本軍に協力し、モンゴル人の自治政権蒙古聯合自治政府の主席を務めた。.

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デプン寺

デプン寺(チベット語:འབྲས་སྤུངས་དགོན་པ'bras-spungs dgon-pa)はガンデン寺とセラ寺と共にチベット仏教ゲルク派の3大寺院の1つ。正式名称は、チューデナムキツォボ・ペルデンデプン・チョータムチェレーナムパルギャルワ(chos sde rnams kyi gtso bo dpal ldan 'bras spungs phyogs thams cad las rnam par rgyal ba)。漢字表記は「哲蚌寺」。 チベットの寺で最大で、最盛期には世界中のどの宗教の寺院・僧院よりも大きかった。1416年にゲルク派の開祖ツォンカパの直弟子ジャムヤンチュージェ・タシーパルデンの弟子ケンチェン・レクデンパの発願で開基された。ラサの西郊5kmのガンポ・ウツェ山の下に位置する。 この寺の「兜卒殿(ガンデンポタン)」は、スーナム・ギャツォが1578年にダライラマの称号をモンゴルの首長アルタン・ハーンより受けてから、17世紀にチベットの元首となったダライ・ラマ5世がポタラ宮へ居を移すまで、歴代のダライラマの拠点であり、1642年に発足したダライラマ政権のチベット政府の固有名詞「諸方に勝利せるガンデンポタン」は、この殿舎に由来する。 化身ラマの名跡「ダライラマ」は、五世の時、1642年を境に、「他の名跡と交代で本寺やセラ寺の座主に就くゲルク派の有力名跡のひとつ」から「宗派を超えたチベット仏教最高の宗教的権威」へと位置づけをかえたが、その後も歴代ダライラマはデプン寺で修行を積んだ。 1959年のチベット侵攻以前にはこの寺には15000人もの修行僧があった。 中国の侵攻や文化大革命の中で伽藍は破壊され、僧侶たちも数多く殺害、拘束、追放された。 寺院組織と僧のほとんどは亡命し、南インドカルナータカ州のムンゴッド(Mundgod)のチベット人居留地に本殿・僧坊を再建、5,000人を越える修行僧を擁して活動している。 1980年代以降、チベットに残留した人々によって堂于の一部が修復され、細々と宗教活動を再開しているが、中国政府の弾圧により、現在チベットに住むこの寺の僧は数百人に満たない。そのためほとんど巡礼地や観光地としての役割しか果たしておらず、かつての様な修行の場は取り戻せていない。.

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ディチュ河

ディチュ河(འབྲི་ཆུ ワイリー拡張方式のチベット語表記: 'bri chu)は、チベット高原の中央部を、西から横断し、東南方向へ流れる長江のチベット語名。なお、中国語の金沙江(きんさこう)は長江の上流部のみを指し、チベット名ディチュ河とも部分的に重なっているが、チベット人がディチュ河と呼ぶ区間は遙か下流までであり、その区間は完全には一致していない。 国際的には長江の一部、または金沙江(Jinsha River)とされることが多く、ディチュ河の名が使われることは少ない。 青海省西部で発した後、南の崑崙山脈へ向かい、青海省とチベット(西蔵)自治区の境界をなすタンラ山脈の北麓を流れ、チベット東部のカム地方を東西に二分している。東経97度、北緯27-37度付近では、中国の行政区分でいう「西蔵自治区」と「四川省」の境界となっている。 Category:チベット自治区の河川 Category:青海省の地形 Category:四川省の河川 Category:雲南省の河川 Category:長江.

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フョードル・イポリトビッチ・シチェルバツコイ

フョードル・イポリトビッチ・シチェルバツコイ、シシェルバツコイ、スチェルバツキーもしくはスチェルバッコイ(Fyodor Shcherbatskoy、F. 、露:Фёдор Ипполи́тович Щербатско́й、1866年10月1日 - 1942年3月12日)は、ロシアのインド学者。西洋における仏教および仏教哲学の研究機関の設立に貢献した。.

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フィリップ・エドゥアール・フーコー

フィリップ・エドゥアール・フーコー(Philippe Édouard Foucaux、1811年9月15日 - 1894年5月20日)はフランスのチベット学者。フランス語で最初のチベット語文法書を出版し、西洋で最初のチベット学教授に就任したLe Calloc'h (1987) p.41。.

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フォスコ・マライーニ

フォスコ・マライーニ(Fosco Maraini、1912年11月15日 - 2004年1月8日)は、イタリアの写真家、登山家、人類学者、東洋学者。長女のダーチャ・マライーニは詩人・作家。.

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ドルジ

ドルジは、チベット語"ドルジェ རྡོ་རྗེ་ rdo rje"に由来する、モンゴル、チベット、ブータン、中央アジア人の男性名。.

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ドゥク

ドゥク(འབྲུག་, 'brug)は、竜に対するチベット語による名称。ラテン文字では「Drug」と表記ワイリー表記の 'brug は文字綴りからの転写であるのに対し、druk は発音に基づいた表記である。語頭の"dr"は二重子音ではなく、そり舌音を表わしている。なお、ゾンカ口語での発音は語尾の"k"が抜けて dru となる(今枝由郎『ゾンカ口語教本』参照)。。神話的動物の竜である。雷鳴は、竜の鳴き声であると信じられている。あるいは雷そのものを指す場合もあり、雷は「竜の声」('brug skad または 'brug sgra)と表現される。また、チベット暦にも十二支があり、中国・日本・朝鮮などの旧暦の辰年には、チベット暦でも「ドゥクの年」がくる。また、後述の経緯によりチベット仏教ドゥク派およびブータンを指す言葉としても使われる。一方、龍神(ナーガ)は「ル」(klu)と呼ばれる。.

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ドグソミーン・ボドー

ドグソミーン・ボドー(Догсомын Бодоо、Dogsomyn Bodoo、1885年 - 1922年8月31日)は、モンゴルの政治家。1921年から1922年まで首相を勤めた。ラマ僧からモンゴル民族主義者、革命家となり、モンゴル人民革命党を結成した「最初の7人」の一人。1921年4月16日から1922年1月7日まで暫定政権の首相に就任したが、1922年に権力闘争に破れ処刑された。.

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ニマ県

ニマ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ナクチュ市の西北部にある県の一つ。ニマはチベット語で「太陽」の意。平均海抜6460m。北部は広大な無人地帯。県政府所在地はニマ鎮(尼瑪鎮)。.

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ニンティ市

ニンティ市(林芝市=ニンティし)は中華人民共和国チベット自治区に位置する地級市)。ニャンティ(nyang kri)とも呼ばれ、「ニャン」とはニャン河(nyang chu)一帯を指す地名、「ティ」とは「褥」、「座」等を意味する。中国名はチベット名を音写した命名。日本では、チベット語に基づく「ニンティ」のほか、漢字表記からの重訳である「リンチー」などの表記がみられる。.

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ニェモ県

ニェモ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ラサ市の県の一つ。県政府所在地は塔栄鎮。.

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ニェンロン県

ニェンロン(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区ナクチュ市に位置する県。県名はチベット語で「耳に心地よい谷」の意。県政府所在地はニェンロン鎮(聶栄鎮)。.

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ニコラ・トゥルナドル

ニコラ・トゥルナドル()は、フランスの言語学者。 主に能格構文および時制・アスペクト・法・証拠性の文法的意味論を研究している。チベット語の専門家であり、1986年以来、チベット高原・ヒマラヤ・カラコルム・中国・インド・ブータン・ネパール・パキスタンの諸言語を研究した。.

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ホーム (GOING UNDER GROUNDのアルバム)

『ホーム』は、GOING UNDER GROUNDのアルバム。ビクターエンタテインメントより2002年9月11日発売。.

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ホーリーネーム

ホーリーネーム(Holy name)とは、オウム真理教の出家信者に与えられた教団内での祝福名。ある一定の「ステージ」に到達したときに、麻原彰晃本人から授与された。.

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ホータン市

ホータン市(-し、和田市)は、中華人民共和国新疆ウイグル自治区ホータン地区に位置する県級市。高品質の軟玉の産地として知られる。.

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ホータン王国

紀元前1世紀の西域諸国。 ホータン王国(ガンダーラ語:コータンナ、Kingdom of Khotan)はシルクロードの一つ西域南道沿いにあった仏教王国。タリム盆地のタクラマカン砂漠の南に位置する。現在では中華人民共和国新疆ウイグル自治区にあたる。漢語では于闐(うてん)、于寘(うてん)。コータン王国とも書かれる。.

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ホシュート

ホシュート( カルムイク語:Хошут、モンゴル語:Хошууд、中国語:和碩特)は、モンゴル系遊牧民族オイラトの一部族(ホシュート部)で八部オイラトの一つ。一時期はオイラト部族連合の盟主となるほど強盛を誇った。呼称はカルムィク語(オイラト語)に準じたホシュートのほか、現代モンゴル語に準じたホショード、チベット語に準じたホショトの名でも呼ばれる。.

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ダナン県

ダナン(扎嚢)県(‐けん)は中国チベット自治区山南市の県の一つ。県名はチベット語で「柵の内」の意。県政府所在地は扎塘鎮。.

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ダムシュン県

ダムシュン県(‐けん)は中華人民共和国がチベット自治区ラサ市を構成する県の一つとして1959年に設置した県級の地方自治体。県政府所在地はタンチュカ鎮(当曲卡鎮)。 自治区の中部、ナムツォの東南に位置する。.

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ダライ・ラマ

ダライ・ラマ (Dalai Lama, ཏཱ་ལའི་བླ་མ་, taa-la’i bla-ma) は、チベット仏教ゲルク派の高位のラマであり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマの名跡である。その名は、大海を意味するモンゴル語の「ダライ」と、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせたものである。 ダライ・ラマは17世紀(1642年)に発足したチベット政府(ガンデンポタン)の長として、チベットの元首の地位を保有し、17世紀から1959年までの間のいくつかの特定の時期において、チベットの全域(1732年以降は「西藏」を中心とする地域)をラサから統治するチベット政府を指揮することがあった。現ダライ・ラマ14世は、チベット動乱の結果として1959年に発足した「チベット臨時政府(のち中央チベット行政府、通称チベット亡命政府)」において、2011年3月14日に引退するまで政府の長を務めていた。現在のチベット亡命政府では、「チベットとチベット人の守護者にして象徴」という精神的指導者として位置づけられている。.

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ダライ・ラマ10世

ダライ・ラマ10世ツルティム・ギャツォ(、1816年3月29日 - 1837年9月30日)は、チベット仏教ゲルク派の有力な転生系譜で観音菩薩の化身とされるダライ・ラマの10代目として認定された人物である。名はツゥルティムギャムツォ、ツルティム・ギャムツォ、ツルティム・ギャンツォとも表記される。1826年から1837年まで、ガンデンポタンを行政府とするダライラマ政権の首長の座にあった。22歳に達する前に亡くなった4人のダライ・ラマ(9世〜12世)のうちの1人である。.

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ダライ・ラマ11世

ダライ・ラマ11世ケードゥプ・ギャツォ(、1838年11月1日 - 1856年1月31日)は、チベット仏教ゲルク派の有力な転生系譜で観音菩薩の化身とされる勝者王(ダライ・ラマ)の11代目ダライ・ラマ(ཏཱ་ལའི་བླ་མ་) は、チベット仏教ゲルク派の高位のラマであり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマの名跡である。その名は、大海を意味するモンゴル語の「ダライ Далай,ཱ་ལའི」と、師(上人)を意味するチベット語の「ラマ བླ་མ་」とを合わせたものである。デエ(2005)p.127。ケードゥプ・ギャムツォ、ケードゥブ・ギャムツォ、ケードゥプ・ギャンツォとも表記される。東部チベットのガルタル(ガサール、現在は中華人民共和国四川省カンゼ・チベット族自治州道孚県)の生まれ。父はツェタン・ドンドゥップ、母はユンドゥン・ブーティ。1842年から死去する1856年までのあいだ、ガンデンポタンを行政府とするダライ・ラマ政権の首長の座にあったガンデンポタンとは、1642年にダライ・ラマを国主としてチベットに成立したダライ・ラマ政権の行政機関のことである。。22歳に達する前に亡くなった4人のダライ・ラマ(9世〜12世)のうちの1人である。.

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ダライ・ラマ12世

ダライ・ラマ12世ティンレー・ギャツォ(、1857年1月26日 - 1875年4月25日)は、チベット仏教ゲルク派の有力な転生系譜で観音菩薩の化身とされる勝者王(ダライ・ラマ)の12代目ダライ・ラマ(ཏཱ་ལའི་བླ་མ་) は、チベット仏教ゲルク派の高位のラマであり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマの名跡である。その名は、大海を意味するモンゴル語の「ダライ Далай,ཱ་ལའི」と、師(上人)を意味するチベット語の「ラマ བླ་མ་」とを合わせたものである。デエ(2005)p.127。ティンレ・ギャツォ、ティンレー・ギャムツォ、ティンレー・ギャンツォとも表記される。チベットのウー・ツァン地方の生まれ。1860年から死去する1875年までのあいだ、ガンデンポタンを行政府とするダライ・ラマ政権の首長の座にあったガンデンポタンとは、1642年にダライ・ラマを国主としてチベットに成立したダライ・ラマ政権の行政機関のことである。。22歳に達する前に亡くなった4人のダライ・ラマ(9世〜12世)のうちの最後である。.

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ダライ・ラマ14世

ダライ・ラマ14世(1935年7月6日(チベット暦5月6日) - 、在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマである。法名はテンジン・ギャツォ()。 1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていたが、1959年にインドへ亡命して政治難民となり、インドのダラムサラに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。亡命後は、法的には領する国土をもたない亡命政権の長という地位にありながら、世界中にちらばるチベット民族に対して政教両面において指導的立場にある人物と目されている。また、欧米でもチベット仏教に関心のある人や複数の著名人の支持を得、ノーベル平和賞を受賞したことでその国際的影響力はさらなる広がりを見せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する人物とみなされるようになった。2011年には、自身の政治的権限を委譲したいという意向を表明し、政府の長から引退することになった。これを承けた亡命チベット人憲章改定案では「チベット国民の守護者にして保護者であり、チベット人のアイデンティティと統合の象徴である」と規定され、ダライ・ラマがチベットの政教両面の権威者の座に即くというダライ・ラマ5世以来の伝統を終わらせることになった。 世界的に著名な仏教指導者の一人であり、チベット仏教のゲルク派において最高位の仏教博士号(ゲシェ・ラランパ)を持つ僧侶である。歴史上のダライ・ラマはゲルク派の正式な長ではなく、ゲルク派の教勢が伸長して他派との摩擦が生じた時代に事実上の最高指導者となった学僧ゲンドゥン・ギャムツォ、そしてその転生者に認定されたスーナム・ギャムツォに始まる、ゲルク派の統合の象徴とされた転生系譜であったが、1642年以降(ダライラマ五世の時代)、モンゴルなどを含むチベット仏教圏に影響力をもつ宗教的権威とチベットを統べる政治的権威とを兼ね備えた地位となった。一方、現在のダライ・ラマである14世は亡命後にチベット人全体の政教両面の指導者とみなされるようになったが、この事態はそれまでのダライ・ラマとは異なり、ある種の政治的事情が背景にあるという意見もある(#チベット仏教内の関係参照)。また、本人は「自分は一介の比丘にすぎない」と語ることが多い。世俗的な称号としては、パリ名誉市民「ダライラマ14世を名誉市民に」『朝日新聞』2008年4月22日夕刊2頁参照。、名誉博士(ニューヨーク州立大学バッファロー校)などがある。.

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ダージリン

ダージリン(、、)は、インドの西ベンガル州のの中心都市である。人口は107,530人(2001年)。ヒマラヤ山脈低部のシワリク丘陵に位置し、平均標高は約 2,134 m である。北方に標高世界第3位の高峰カンチェンジュンガが遠望できる。 ダージリンはインドの平野部に比べて冷涼な気候であり、夏は過ごしやすい。イギリス領の時代には、インドに住むイギリス人のための避暑地として栄えた。ダージリンの元の名称はチベット語の「ドルジェ・リン」(雷の地、)である。19世紀初頭まではシッキム王国が支配していたが、ネパールのゴルカ王国が、度重なる侵攻により、19世紀初頭には、ティースタ川までシッキムを駆逐し、テライを併合していた。1814-1816年のグルカ戦争の結果として、ゴルカ王国によりイギリス東インド会社に割譲された。イギリスの植民地時代にイギリス人が呼びやすい呼称にしたのがダージリンである。 ダージリンはダージリン・ティーの栽培で国際的に有名である。ダージリンでの紅茶の栽培は19世紀中頃のイギリスによる開発、ロバート・フォーチュンによるチャノキの中国からの移入に遡る。この地域特有の栽培品種と発酵技術から生産された茶葉をブレンドした紅茶は、世界で最高級の紅茶とされる。 この一帯では、西ベンガル州からグルカランドの分立・独立を求めるグルカ族の民族運動が起きている。その一環であるストライキにより、紅茶の生産にも影響が出ている。 ダージリンと平野部のニュー・ジャルパイグリを繋ぐダージリン・ヒマラヤ鉄道は、インドに残る蒸気機関車が走る数少ない路線の一つであり、1999年にユネスコの世界遺産に登録された。.

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ダツァン

ダツァン(Дацан、Datsan)は、ロシア連邦領内におけるチベット仏教の寺院の一形態。語源はチベット語で「人里から離れていない寺院」を意味するタツァン(チベット語:གྲྭ་ཚང་、発音:grwa tshang)。 ロシアでは極東を中心にモンゴル族(ブリャート)の信仰するゲルク派のダツァンが近世以降建設されている。ダツァンは20世紀初頭まではバイカル湖以東にのみその姿を見せるにすぎなかったが、欧州における最初のダツァンとして帝政末期のロシアで1903年からグンゼチョイネイ・ダツァンの建築が始まり、1913年に竣工した。 ロシアでダツァンが公認されるようになったのは帝政初期の1734年のことだった。その後1853年に出された法令により、イルクーツク州で2院、ザバイカル州32院、計34院のダツァンが州知事により認可された。 しかし帝政が倒れソビエト連邦の時代になると宗教関連の施設は教義を問わず軒並み弾圧を受けるようになり、この頃までにザバイカルのブリャート居住地域で47院を数えるまでに発展していたダツァンのすべてが取り壊されたり閉鎖されたりしている。その後1945年にはイヴォルギンスキー・ダツァンが開かれ、長い年月を経てアギンスキー・ダツァンも活動を再開した。1991年にはさらに10のダツァンが開かれた。.

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ダクヤプ県

ダクヤプ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区チャムド市の県。県名はチベット語で「岩穴」の意。.

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ベルトルト・ラウファー

ベルトルト・ラウファー(Berthold Laufer、1874年10月11日 - 1934年9月13日)は、ドイツ生まれのアメリカ合衆国の人類学者、東洋学者、博物館員。 とくに中国とその周辺のさまざまな文物に関する研究が多い。当時のアメリカには中国研究者といえる人物がほとんどいない中、ラウファーの研究は異彩をはなっていた。.

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ベンガル文字

ベンガル文字(ベンガルもじ、বাংলা লিপি Bangla lipi)は主にベンガル語とアッサム語を表記する文字。ほかにマニプル語でも使用する。デーヴァナーガリーと同じように一つの単語内でつなげられる文字は上の棒でつなげて書く。 ベンガル文字はアブギダであり、子音につく母音をチベット文字のように附属記号で表記する。これがない場合は日本語のOより少し口を大きく開いたような発音になる。.

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善勇猛般若経

『善勇猛般若経』(ぜんゆうみょうはんにゃきょう、Suvikrāntavikrāmi-paripṛcchā-prajñāpāramitā Sūtra, スヴィクラーンタヴィクラーミ・パリプリッチャー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)とは、大乗仏教の般若経典の1つ。 原題は、「スヴィクラーンタヴィクラーミ」()が「勇敢」を意味する語を重ねた、漢訳で「善勇猛」(ぜんゆうみょう)と訳される菩薩の名で、「パリプリッチャー」()が「問い」、「プラジュニャーパーラミター」()が「般若波羅蜜(智慧の完成)」、「スートラ」()が「経」、総じて「善勇猛菩薩が問う般若波羅蜜(智慧の完成)の経」の意。.

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善悪因果経

『善悪因果経』(ぜんあくいんがきょう)とは6世紀に中国で成立した偽経である。.

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アバ・チベット族チャン族自治州

アバ・チベット族チャン族自治州(アバ・チベットぞくチャンぞくじちしゅう)は、中華人民共和国四川省西北部に位置するチベット族とチャン族の自治州。 チベット語の発音に由来する「ガパ(rnga ba)」あるいは「ガワ(ngawa)」と表記されることもあり、これらは「収穫」の意味を持つチベット語である。中国語表記の「阿壩」はその音写であり、日本で主に使用されている「アバ」は漢字表記の日本語の音読みである。州都はバルカム(馬爾康, 'bar khams)。チベット人の伝統的地理区分では、アムド地方の東南部にあたる。.

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アバ県

アバ県(アバけん)は、中華人民共和国四川省アバ・チベット族チャン族自治州に位置する県。県政府所在地は阿壩鎮にある。 チベット語の発音に由来する「ガパ (rnga ba, ンガバ)」あるいは「ガワ(ngawa)」と表記されることもあり、これらは「収穫」の意味を持つチベット語である。中国語表記の「阿壩」はその音写であり、日本で主に使用されている「アバ」は漢字表記の日本語の音読みである。.

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アムネマチン

アムネマチンは中華人民共和国青海省ゴロク・チベット族自治州(チベットアムド地方南部)にある山々で、崑崙山脈の東部に属しており、最高峰の海抜は6,282 mである。チベット語でアムネは老人、マチンは活仏の従者を意味する。 チベット民族の四大聖地のひとつで、黄河の源流近くにある。 現地住民により長く登頂が妨げられていたが、1981年5月22日に日本の渡辺義一郎(副隊長)ら上越山岳会協会アムネマチン峰友好登山隊が初登頂した。.

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アムド・チベット語

アムド・チベット語はチベット語アムド方言とも呼び、チベット語三大方言の一つである。大きな特徴としてアムド方言では古代の子音クラスターが残っていること、声調が存在しないことなどがあげられる。.

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アムド県

アムド県(アムドけん)は中華人民共和国チベット自治区ナクチュ市の県の一つ。県名はチベット語で「末尾」または「下部」の意。県政府所在地は帕那鎮。 雁石坪鎮は全域、青海省ゴルムド市の飛び地(タンラ山鎮)内にある飛び地(二重飛び地)である。.

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アレクサンドル・ドラグノフ

アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・ドラグノフ(、1900年3月6日(ユリウス暦2月21日) – 1955年2月21日)は、ソビエト連邦の言語学者。 中国では竜果夫()と呼ばれる。中国語の音韻史・文法・方言・ラテン文字表記のほか、研究範囲は非常に広い。.

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アレクサンドル・コジェーヴ

アレクサンドル・コジェーヴ(Alexandre Kojève、1902年4月28日 - 1968年6月4日)は、ロシア出身のフランスの哲学者である。フランス現代思想におけるヘーゲル研究に強い影響を与えた。.

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アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝

『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』(アンチャーテッド かいぞくおうとさいごのひほう、原題:Uncharted 4: A Thief's End)は、ノーティードッグが開発し、ソニー・インタラクティブエンタテインメントより2016年5月10日に発売されたPlayStation 4専用アクションアドベンチャーゲーム。アンチャーテッドシリーズ通算5作目にしてシリーズの最終章となる。略称は『UC4』『アンチャ4』。当初は2015年内に発売予定だったが、その後2016年の春に延期された後、2016年3月18日に日本を含め全世界で同時発売される予定となったが、その後「さらなるクオリティのブラッシュアップ」を目的に2016年4月26日に発売日が変更され、その後さらに「万全の体制を整える」ことを理由に5月10日に発売日が変更された。.

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アンチャーテッドシリーズ

アンチャーテッドシリーズ(Uncharted Series)は、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)から発売されているアクションアドベンチャーゲームのシリーズである。ゲーム関連のアワードにおいて数多くの賞を獲得しているシリーズであり、シリーズ世界累計出荷数は2015年5月時点で2,100万本を超える。日本での略称としては『アンチャ』が広く使われ、海外では『UC』を用いることが多い。 この項目では以下の略称を用いる。.

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アンドリュー・スコット・ウォー

ー・アンドリュー・スコット・ウォー少将 (Andrew Scott Waugh、1810年2月3日 - 1878年2月21日)は、イギリス陸軍の士官、測量官で、後にはもっぱら世界最高峰の山に、インド測量局長官 (Surveyor-General of India) の前任者サー・ジョージ・エベレストに因んだ命名(エベレスト)をしたことで知られた。.

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アティーシャ

アティーシャ(Atīśa、蔵: 〈アティシャ〉、অতীশ দীপঙ্কর、982年 - 1054年) は主にチベットで活躍したインド・ヴィクラマシーラ大学僧院長の仏教僧。本名は月蔵、法名は燃灯吉祥智(Dīpaṃkaraśrījñāna、)。サキャ派のコンチョ・ギェルポ、カギュ派のマルパと共にランダルマ王以降衰退していた中央チベット仏教の中興の祖の一人である。.

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アウグスト・コンラーディ (中国学者)

アウグスト・コンラーディ(、1864年4月28日 – 1925年6月4日)は、ドイツの言語学者、中国学者。.

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アジア

アジア アジアの地図 東南アジア アジア(ラテン語: Asia古典ラテン語では「アシア」だが、現代ラテン語では「アジア」とも発音する。)は、世界の大州のひとつ。現在では一般的にヨーロッパを除くユーラシア大陸全般を指すが、政治的・経済的な立場の違いにより、様々な定義がなされる場合がある。亜州。 アッシリア語で東を意味する「アス」に語源をもつ。古代では現在の小アジアを指した。.

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アサラクチ史

『アサラクチ史』は、1677年に外ハルハ、サイン・ノヤン部のシャンバ・エルケ・ダイチン(Šamba erke dayičing,善巴)によって編纂されたモンゴル年代記。.

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イヴォルギンスキー・ダツァン

イヴォルギンスキー・ダツァン イヴォルギンスキー・ダツァン イヴォルギンスキー・ダツァン(Иволгинский Дацан Ivolginskiy Datsan)はロシア連邦ブリヤート共和国ウラン・ウデから23km離れたヴェルフニャヤ・イヴォルガ村にある仏教寺院。.

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イェシュケ

イェシュケ(Jäschke, Jaeschke, Jeschke)およびヤシュケ(Jaschke)は、ドイツ語圏の姓。イェシケとも。.

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ウ・ツァンチベット語

ウ・ツァンチベット語または中央チベット語はチベット語三大方言の一つ。主にラサ市を中心とする地区で話される。標準チベット語の基となっている。 またカム方言とも似ており、声調は4つあり、声調と声母、韻母は制約関係にある。声母は送気音と不送気音が対応しており、母音は元の発音より長短が変わったりする。また、文法上の規則により綴字が変化して声調が変化することもある。 ウ・ツァンチベット語は大きく三つに分けられる。.

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ウー (チベット)

ウー(チベット語: དབུས་, 転写: dbus)は、チベットの一地方。チベット高原の南部、ヤルンツァンポ河流域に位置し、ツァン地方とともに、まとめて中央チベットあるいはウー・ツァン地方などと呼ばれる。中心都市はラサ。中国による行政区分では、ラサ市(拉薩市)の一部、山南地区(ロカ)の一部などに相当。.

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ウー・ツァン

ウー・ツァン(Ü-Tsang、、ワイリー方式:Dbus-gtsang、中国語:卫藏 衛藏 Wèizàng)またはツァン・ウーは、アムドやカムと共にチベットを構成する地方の一つ。地理的にウー・ツァンはチベット文化圏の中部と西部にあたり、ヤルンツァンポ川流域を含むほか、西部地域はカイラス山山麓を囲み、北部は広大なチベット高原の大部分を占めている。ウー・ツァンの南境界はヒマラヤ山脈で定められる。現在のチベット自治区はおおよそ旧来のウー・ツァンとカム西部の領域と一致する。 ウー・ツァンはウーとツァンの二地域を統合して形成された。ウーは中央チベットに位置し、初期の歴代ダライ・ラマを擁するチベット仏教ゲルク派によって統治されていた。ツァンはギャンツェ以西に広がり、サキャ派によって統治されていた。ダライ・ラマ5世による軍事的勝利により、17世紀には両地区の政権は統合された。 ウー・ツァンはチベット民族の文化的中心地であった。歴代のダライ・ラマたちはラサにあるポタラ宮とノルブリンカからチベットを統治した。チベット仏教のもっとも神聖な寺とも言われるジョカンもラサにある。ラサで話されるチベット語方言がウー・ツァン地方のチベット人の「リングワ・フランカ」として使用されている。また、亡命チベット人の共通語の大部分もラサ方言によっている。 Category:チベット自治区の地理.

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ウィリアム・ウッドヴィル・ロックヒル

ウィリアム・ウッドヴィル・ロックヒル ウィリアム・ウッドヴィル・ロックヒル(William Woodville Rockhill, 1854年4月1日 - 1914年12月8日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、東洋学者である。.

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エドワード・デニソン・ロス

ー・エドワード・デニソン・ロス(Sir Edward Denison Ross、1871年6月6日 - 1940年9月20日)は、イギリスの東洋学者、アジアの諸言語を専門とした言語学者。49の言語を読むことができ、そのうち30言語を話すこともできた。イギリス情報部近東局 (the British Information Bureau for the Near East) の局長を務めた。.

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エベレスト

ベレスト、エヴェレスト(Everest)、またはチョモランマ(ཇོ་མོ་གླང་མチベット文字による表記。環境によっては「ཇོ་མོ་ག」と字化けして表示される。 Chomolungma, Qomolangma)、サガルマータ(सगरमाथा Sagarmāthā)は、ヒマラヤ山脈にある世界最高峰である。 山頂は、ネパールと中国との国境上にある。 エベレストはインド測量局(Survey of India)で長官を務めたジョージ・エベレストにちなんで命名された。 1920年代から長きにわたる挑戦の末、1953年にイギリス探検隊のメンバーでニュージーランド出身の登山家であるエドモンド・ヒラリーとネパール出身のシェルパであるテンジン・ノルゲイによって初登頂がなされた。 エベレストの標高については諸説あり、1954年にインド測量局が周辺12ヶ所で測定しその結果を平均して得られた8,848 mという数値が長年一般に認められてきた。1999年、全米地理学協会はGPSによる測定値が8,850mだったと発表した。厳密には地殻変動などの影響によって標高は年々変動していると考えられている。 エベレストの南麓に位置するネパールのサガルマータ国立公園はユネスコの世界遺産に登録されている。.

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オルバ・ツォ

ルバ・ツォ(チベット語: འོར་པ་མཚོ、ワイリー方式: or pa mtsho、蔵文拼音:Orba Co; 、拼音: Wōěrbā cuò)は、中華人民共和国・チベット自治区の北西にあるガリ地区のルトク県にある湖である。海抜 にあり、の北東にある。この湖は、地球上最も標高が高いいくつかの島々を有する。.

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オットー・カール・ユリウス・ローゼンベルク

ットー・カール・ユリウス・ローゼンベルク(Оттон Оттонович Розенберг、Otto Rosenberg。1888年7月7日、フリードリヒスシュタット(ラトビアのヤウニェルガヴァ(Jaunjelgava))生まれ。1919年11月26日没)は、ロシアの学者。現在は四角号碼(しかくごうま)と呼ばれる漢字の辞書分類方法を考案した。 サンクトペテルブルク大学において中国語、日本語、チベット語、サンスクリット語、モンゴル語など多くの東洋の言語を学び、1910年に同大学を卒業。インド哲学の師のシチェルバツコイにより、仏教に対する興味を持つ。1912年から1917年まで日本に留学し、西洋の禅宗の初期の研究者の一人となった。 世親の論書とくに倶舎論に見えるアビダルマ思想の理解を根底において、ひろく仏教哲学を「ダルマの理論」の展開として見てゆこうとする著作「仏教哲学の諸問題」が、1924年に出版された。.

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カチン語

チン語はミャンマー北部に居住するカチン族の言語である。ジンポー語という名称でも知られる。系統的にはシナ・チベット語族 (Sino-Tibetan) チベット・ビルマ語派 (Tibeto-Burman) に属する言語であり、中国語、ビルマ語、チベット語などの言語と親縁性を示す。話者の大部分はミャンマー北部に位置するカチン州およびシャン州北部に居住する。また、話者の一部は中華人民共和国雲南省徳宏タイ族チンポー族自治州およびインドのアッサム州とアルナーチャル・プラデーシュ州にも居住する。特に中国の方言は景颇语 (チンポー語)、インドの方言はシンポー語 (Singpho) という名称で知られる。.

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カム・チベット語

ム・チベット語(チベット語:ཁམས་སྐད་ khams skad)はチベット東部(カム)で話されるチベット語の方言。チベット自治区東部、青海省南部、四川省西部、雲南省の一部にかけて分布する。 ISO/DIS 639-3コードはkhg。.

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カルマパ

ルマパ(チベット語: ཀརྨ་པ་, ワイリー方式:, Karmapa)は、チベット仏教の四大教派のひとつカギュ派の最大支派であるカルマ・カギュ派の教主である化身ラマの名跡である。チベット仏教全体の中でも最高位の格式を持つ僧である。正装の際に黒帽を着用することからカルマ黒帽ラマの異名を持つ。また、ギャルワ・カルマパ ((チベット語: རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་, ワイリー方式:, Gyalwa Karmapa))とも呼ばれる。観音菩薩の化身と信じられており、初代カルマパ(トゥースム・キェンパ)はガムポパの高弟であった。 カルマパのことを、俗に「ダライ・ラマ、パンチェン・ラマに続く、チベット仏教の序列第3位である」と言われることがある。チベット仏教全体の指導者であるダライ・ラマがより高位であることは確かだが、ダライ・ラマもパンチェン・ラマもチベット仏教ゲルク派に属していてカルマパとは宗派が違うため、「序列3位」という表現は正確ではない。ただ、チベット仏教におけるカルマ・カギュ派の勢力の大きさや、カルマパ17世の亡命のニュースが世界的な話題となったことなどから、ダライ・ラマやパンチェン・ラマに次ぐ知名度を持つことは事実である。 ただし、カルマパ16世の死去後にその後継者となるカルマパ17世の認定についてカルマ・カギュ派の内部の意見が対立し、カルマパ17世が複数存在するとともに、カルマ・カギュ派はふたつに分裂するという事態が勃発した。すなわち、カルマ・カギュ派の多数派がカルマパ17世としてウゲン・ティンレー・ドルジェを選出し、ダライ・ラマ14世と中国政府の承認を得た。しかし、カルマ・カギュ派の筆頭摂政(副教主)であったシャマル・リンポチェ(カルマ赤帽ラマ)はそれを認めず、別の候補者であったティンエー・タイェ・ドルジェをカルマパ17世として即位させた。その後、ティンレー・タイェ・ドルジェは主として欧米で独自の布教活動をくりひろげていたけれども、2016年3月25日に彼はインドのニューデリーで女性と結婚式を挙げ、僧位を放棄することを宣言し、シャマル派は教主を失うこととなった。 なお、2001年にもシッキム出身のダワ・サングポ・ドルジェ(1977年-)がカルマパ17世を自称したが、一般には支持されなかった。 当代であるカルマパ17世ウゲン・ティンレー・ドルジェについては、カルマパ17世の項を参照。.

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カルドゥン・ラ

ルドゥン・ラ(Khardung La, カルドン・ラ, ラはチベット語で「峠」の意味。海抜5359m)は、インドのジャンムー・カシミール州、ラダック地方にある峠である。国際的にはKhardung Laという綴りで記述されるが、地元ではKhardong Laという綴りが用いられている。 レーの北部にあるラダック山脈を越えるこの峠は、シャヨク川流域やヌブラ谷への入口である。峠を越えた先にはシアチェン氷河がある。峠は1976年に開通し、1988年には自動車での通過が可能となった。これ以降、自動車やオートバイ、マウンテンバイクなどで訪れる旅行者が数多く見られるようになった。この峠はインド軍により整備されており、シアチェン地方に生活必需品を運ぶために使われるため戦略的にも重要な峠である。カルドゥン・ラは、レーと中国西部の都市カシュガルとを結ぶ主要な交易路の途中に位置しており、歴史的にも重要な峠である。かつては一年に一万頭もの馬やラクダが峠を越えており、現在でも峠の北部にわずかに生息しているフタコブラクダが往時の賑わいを現在に伝えている。第二次世界大戦中には、このルートを通じて中国に物資を供給する動きもあった。 カルドゥン・ラは、レーから道路に沿って37kmの地点に位置している。チェックポイントであるサウス・プリュ(South Pullu)までの最初の24kmは舗装路であり、そこから峠を越えた先にあるチェックポイント、ノース・プリュ(North Pullu)までの約15kmは浮石のある未舗装路であり、時おり雪解け水の流れる小川を越える。しかしこの峠は、周囲にある他の峠(タグラン・ラ)などよりもよく修繕されている。ノース・プリュからヌブラ谷までの道路は(まれに起きる路面流出や落石の場所を除いて)非常によくメンテナンスされている。ヌブラ谷へ旅行するには通常、タクシー(二輪または四輪駆動)、トラックまたはオートバイで移動する。ただし旅行には特別な許可書が必要となる場合がある。.

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カンチェンジュンガ

ンチェンジュンガ(Kangchenjunga कञ्चनजङ्घा; कंचनजंघा; シッキム語:ཁང་ཅེན་ཛོཾག་)は、ネパール東部のメチ県タプレジュン郡とインドのシッキム州との国境にあるシッキム・ヒマラヤの中心をなす山群の主峰。標高8,586mはエベレスト、K2に次いで世界第3位。.

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カンチェンゾンガ国立公園

ンチェンゾンガ国立公園 (Khangchendzonga National Park) は、インドのシッキム州にある国立公園であり、ネパール語でカンチェンジュンガ大元はチベット語の「5つの大きな雪の蔵(宝庫)」の意味である(『日本大百科全書』『ブリタニカ国際大百科辞典・小項目電子辞書版』)。と呼ばれる世界3位の高峰(8,586 m)の、インド領内の一帯を対象としている。カンチェンジュンガ生物圏保護区 (Kanchenjunga Biosphere Reserve) として生物圏保護区にもなっている。旧表記はカンチェンジュンガ国立公園 (Kanchenjunga National Park) で、日本では現在名のKhangchendzonga National Park に対してもその名で表記されることがある。2017年7月17日にUNESCOの世界遺産リストに登録され、インドの世界遺産では初の複合遺産となった。 この公園はヤルン、タルン、カンチェンジュンガ、など多くの氷河を擁しており『日本大百科全書』電子辞書版『ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書版』2015年版、ジャコウジカ、ユキヒョウ、ウンピョウ、ヒマラヤタールなどが棲息している。.

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カンカル

#カンカル(フランス・地名) (フランス語:Cancale、ブルトン語:Kankaven、ガロ語:Cauncall)は、フランス、ブルターニュ地域圏、イル=エ=ヴィレーヌ県のコミューン。.

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カンゼ・チベット族自治州

ンゼ・チベット族自治州(カンゼ・チベットぞくじちしゅう)は、中華人民共和国四川省に位置する自治州。チベット語名の「カンゼ(dkar mdzes)」とは、「白く美しい」の意で、中国語名の「甘孜」はその音写である。 日本語ではチベット語にもとづく「カンゼ」というカナ転写のほか、漢字の表記を音写した「カンツー」などの表記例が見られる。漢字名の音読みは「かんし」。「プーリー」は「チベット民族」、「ランキョン」とは「自治」の意で、クルは州に相当する地方行政単位。チベットの伝統的な地理区分ではカム地方の東部に相当する。.

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カシミール

ミールあるいはカシュミール(کٔشِیر / कॅशीर, Kashmir, کشمیر)は、インド北部とパキスタン北東部の国境付近にひろがる山岳地域である。標高8000m級のカラコルム山脈があり、パキスタンとの国境には世界第2の高峰K2がそびえる。.

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ガリ地区

リ地区(ガリちく)は中華人民共和国チベット自治区に位置する地区のひとつ。自治区の西部を占める。ガリー(མངའ་རིས་ mnga' ris)はチベット高原西部地域を指す歴史的地域名。日本語ではチベット語に基づく「ガリ地区」、「ンガリ」、漢字表記「阿里」からの重訳の「アリ地区」という表記が見られる。英語表記では Ngari。 平均海抜4500m。政治経済上の中心都市は、。 古くは、シャンシュン王国、グゲ王国があり、西部チベットの中心であった。.

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ガリック文字

リック文字またはガリグ文字(ガリックもじ、галиг үсэг)はアリガリ文字(али гали үсэг)ともいい、モンゴル文字に文字を追加して他の言語の音を正確に表記できるようにしたものを言う。 アリガリのアリは母音を、ガリは子音を意味する(モンゴル人名事典)。 サンスクリットやチベット語の音を正確に転写するために、1587年にアヨーシ・グーシ(Аюуш гүүш)によって考案された。1602年から1607年にかけて、アヨーシ・グーシらはチベット大蔵経のカンギュルをモンゴル語に翻訳した。現在では改訂された版のガリック文字が中国語をモンゴル文字で表記するために使われている。.

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ガル・トンツェンユルスン

ル・トンツェンユルスン(チベット語:または、590年 - 667年)は、古代チベット帝国(吐蕃)の政治家、軍人。ツェンポ(王)のソンツェン・ガンポ、マンソン・マンツェンの2代を補佐し政治を取り仕切った。漢文史料は禄東賛、論東賛、大論東賛などを名前に付けた。.

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ガワン・ナムゲル

ワン・ナムゲル(チベット語:ངག་དབང་རྣམ་རྒྱལ་、ワイリー式:ngag dbang rnam rgyal、1594年 - 1651年)は、ブータンの君主、チベットの僧侶。ブータンでは初代シャブドゥン(チベット語:ཞབས་དྲུང་、ワイリー式:zhabs drung、政教両面の統治者)として国内に強力な政権を樹立した。日本語表記としては「ガワン」は「ンガワン」、「ナムゲル」は「ナムギャル」と表記されることもある。.

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ガンデン寺

ンデン寺(蔵: )はセラ寺、デプン寺と共にチベット3大ゲルク派(黄教)寺院の1つ。「ガンデン」は兜率天(弥勒菩薩の修行する浄土)を意味する。.

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ガンデンポタン

ンデンポタンは、ダライ・ラマを長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベットの政府。1959年、チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出、現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置する。.

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ガンガイン・ウルスハル

『ガンガイン・ウルスハル』(Гангын урсгал, 転写:Gangga-yin urusqal)は、1725年にゴムボジャブによって編纂されたモンゴル年代記。現在、この写本はロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルク支部図書館に1本だけ所蔵されている。.

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ガッシャーブルムI峰

ッシャーブルムI峰(Gasherbrum I, گاشر برم -1)は、中国とパキスタンの国境のカラコルム山脈にある山。ガッシャーブルム山塊の最高峰である。カラコルム山脈の主要なアプローチルートであるバルトロ氷河からはガッシャーブルムII~VI峰に遮られ山体が見えないことからヒドゥン・ピーク(Hidden Peak)とも呼ばれる。 標高8068mで、世界第11位。「ガッシャーブルム」は「輝く峰」の意味だと言われることが多いが実際は(現地のチベット語方言)で「美しい山」("rgasha" (美しい) + "brum" (山))の意である。 インドの測量局のカラコルム測量時の測量番号はK5。.

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ガッシャーブルムII峰

ッシャーブルムII峰(Gasherbrum II, گاشر برم -2)は、中国とパキスタンの国境のカラコルム山脈・ガッシャーブルム山塊にある山である。 標高8,035mで、世界第13位。「ガッシャーブルム」はチベット語で「輝く峰」の意味であるといわれることが多いが、実際はバルティ語(現地のチベット語方言)で「美しい山」("rgasha" (美しい) + "brum" (山))を意味する。 インドの測量局のカラコルム測量時の測量番号はK4。.

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ガッシャーブルムIV峰

ッシャーブルムIV峰(Gasherbrum IV)は、中国とパキスタンの間のカラコルム山脈・ガッシャーブルム山塊にある山。標高7,925mで、世界で17番目に高い。山頂は、中国とパキスタンとの国境上にある。 「ガッシャーブルム」はチベット語で「輝く峰」の意味であるといわれることが多いが、実際はバルティ語(現地のチベット語方言)で「美しい山」("rgasha" (美しい) + "brum" (山))を意味する。.

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キョウライ山脈

邛崍山脈の南部 四姑娘山山麓 四姑娘山付近の双橋溝・枯樹灘 邛崍山脈(きょうらいさんみゃく、、、Qionglai Mountains)は中華人民共和国南西部の山脈。四川省西部の山脈の一つで、チベット高原の東を南北に走る褶曲山脈・横断山脈に属する。 邛崍山脈のほとんどは四川省北西部のアバ・チベット族チャン族自治州内にあり、南北方向へ250kmにわたって伸びている。西には大渡河が、東には岷江が険しい峡谷を刻みながら南へと流れている。2つとも長江の支流である。 最高峰は、山脈中南部の小金県・汶川県県境にそびえる四姑娘山(スーグーニャンシャン)で、標高は6,250mに達する。4つの峰が組み合わさった高峰であるが、その名の由来はチベット語の「sku bla」が音訳され「四姑」という字を当てられたことにある。その他の主な峰には覇王山、巴朗山、夾金山、二郎山などがある。.

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キョウ煌城

城(きょう こうじょう、1934年12月10日 – 2010年9月11日)は、台湾の言語学者。 シナ・チベット語族比較言語学、西夏語、および中国語音韻史に関する研究で知られる。.

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ギャンツェ県

ャンツェ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区シガツェ市の県の一つ。全称は「傑卡爾孜」で、「至高無上の王宮」を意味する。ヒマラヤ山脈の麓に位置する、チベットの歴史上の第三の大都市である。1994年に中国政府から国家歴史文化名城の称号を授与された。.

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クンドゥン

『クンドゥン』(原題: )は、ダライ・ラマ14世の半生を描いた、1997年のアメリカ映画。マーティン・スコセッシ監督、メリッサ・マシスン脚本。 1998年のアカデミー賞に於いて4部門がノミネートされた。.

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グンサンノルブ

ンサンノルブ(モンゴル語:、貢桑諾爾布)は清末民初の政治家、モンゴル族の王族。字は楽亭、号は夔庵。清末民初において内モンゴルの教育・産業振興に多大な貢献をなした人物である。チンギス・カンの功臣ジェルメの末裔。.

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グゲ王国

王国または古格王国(チベット語:གུ་གེ་རྒྱལ་རབས)(842年 - 1630年)は、吐蕃の王族の一部が西チベットで建国した王国。.

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ケンポ・ツルティム・ロドゥ

ンポ・ツルティム・ロドゥ(Tsultrim Lodrö、慈诚罗珠、1962年 - )(堪布)はチベット仏教において高位の学僧に与えられる称号名。はチベット仏教の僧侶で仏教学者。ラルン五明仏学院の副学院長を務める。.

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ケンポ・ソダルジェ

ンポ・ソダジ(チベット語:མཁན་པོ བསོད་དར་རྒྱས;英語:Khenpo Sodargye;中国語:索達吉堪布) チベット・カム方言で「ソダルジェ」と発音するが、リンポチェのご出身である遊牧民特有のRを発音しないアクセントでは「ソダジ」と発音される。呼び方については様々あるが、リンポチェ自身の根本ラマであるキャブジェ・ケンチェン・ジグメ・プンツォク・リンポチェから常に「ソダジ」と呼ばれていたため、自身も自らをソダジと名乗りたいとのご説明があり、正式名称を「ケンポ・ソダジ・リンポチェ」とする。.

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ケーレシ・チョマ・シャーンドル

ーレシ・チョマ・シャーンドル(シェフト・アゴストン (Schöfft Ágoston) によるリトグラフ画) ケーレシ・チョマ・シャーンドル(Kőrösi Csoma Sándor, 1784年4月4日 - 1842年4月11日)またはアレクサンダー・チョーマ・ド・ケーレス(Alexander Csoma de Kőrös, 出版物では印刷上の制約により Körös または Koros と書かれることが多い)は、ハンガリーの東洋学者で、西洋のチベット学の祖。 ケーレシは出身地、チョマが姓、シャードルが名である。.

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ケサル王伝

ル王伝(ケサルおうでん、གེ་སར་རྒྱལ་པོ་ 、Гэсэр Хаан、格薩爾王傳 / 格萨尔王传)あるいはゲセル・ハーン物語(ゲセル・ハーンものがたり)は、チベットおよび中央アジアにおける主要な叙事詩である。現在でも140名あまりのケサル吟遊詩人 (チベット人、モンゴル人、ブリヤート人、トゥ族など)によって歌われており、現存する数少ない叙事詩のひとつとしても価値が高い。この叙事詩は約1,000年前のものと推定され、勇胆の王ケサルと彼が治めたという伝説の国家リン王国 (、発音:Ling)について語られている。なお、ケサルとゲセルはそれぞれこの物語の主人公名のチベット語読みとモンゴル語読みである。 この叙事詩は、現存するものの中では世界最長の文学作品と考えられている。現在のところ最終稿と呼べるものはないが、仮に最終稿が完成した場合、話数は約120編、韻文詩の数は100万以上、単語数は2,000万語以上という膨大なものになると推定されている。これは、140ページあたりに単語が5万語入ると仮定すると、全体では5万6千ページとなる計算である。.

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ゲオルク・フォン・デア・ガーベレンツ

ハンス・ゲオルク・コーノン・フォン・デア・ガーベレンツ(Hans Georg Conon von der Gabelentz、1840年3月16日 - 1893年12月11日)は、ドイツの言語学者。一般言語学および中国語の研究で知られる。 ドイツ初の中国学教授であり、主著に『中国語文法』(『漢文経緯』の名でも知られる)、『言語学』がある。.

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コルラ (巡礼)

ルラ(kor ra)は「ぐるりと回り歩くこと」を意味するチベット語であり、同時に宗教的行為を表す。コルラはチベット仏教、あるいはボン教における巡礼のひとつの形であり、一種の瞑想的儀式、実践である。コルラは聖地や神聖視される自然物、人工物の周りを実践者がぐるりと歩くことで完遂され、通常この行為は巡礼のなかの一部として、または式典や祭事、儀式の一部として行われる。広義ではチベット文化圏で行われる巡礼すべてを指してコルラと呼ばれる。.

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ココシリ (映画)

『ココシリ』(原題:)は、陸川(ルー・チュアン)監督による2004年に制作された中国映画。 チベット高原北部のココシリに棲息するチベットカモシカを狙う密猟者を取り締まるため、有志によって行われていたパトロール活動に基づいた作品。.

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ゴンカル県

ンカル(貢嘎)県(‐けん)は中国チベット自治区山南市の県の一つ。県名はチベット語で「山頂の白色」の意。県政府所在地は吉雄鎮。.

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ゴサインタン 神の座

『ゴサインタン -神の座-』(ゴサイタン かみのざ)は、篠田節子の長編小説。 双葉社の『小説推理』に1995年11月号から1996年2月号まで連載され、翌年の第116回直木三十五賞にノミネートされるも落選。その後第10回山本周五郎賞にノミネートされ真保裕一の『奪取』と共に山本賞初の2作同時受賞となった。 タイトルの“ゴサインタン”とはサンスクリット語で8000メートル峰の山『シシャパンマ』(中国名:希夏邦马峰、本来はチベット語)のこと。話の内容に合わせるが如く其々の地方で違う呼ばれ方をしていて、ゴサインタンとはネパール語で「神の住む所」、シシャパンマとはチベット語で「家畜が絶滅し麦も枯れる所」と、違う2つの意味が付けられている。.

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ザユル県

ユル県(‐けん)は中国チベット自治区ニンティ市の県の一つ。県名はチベット語で「人の居る地」の意。東は雲南省デチェン県、チベット自治区ゾガン県、南はミャンマーとインド、西はメトク県、北はゾガン県、パシュー県、ポメ県に隣接する。南部はインドの実効統治下(アルナーチャル・プラデーシュ州)にあり、国境問題が残っている。.

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ザンスカール

ンスカールの女性と子供たち。夏の間、女性と子供たちは放牧のために谷を出て生活する。同じような習慣はヨーロッパアルプスにも見られる。 ザンスカール (Zanskar) は、カルギル地方(インド北西部のジャンムー・カシミール州の一部)にある高地の地名である。チベット民族が住み、広義のラダックの一地方とも見なされる。ラダック王国に服属していたが、19世紀に同王国とともにカシミール王国へ併合された。また古くはグゲ王国 (Guge) や吐蕃王国の版図に属していた。ザンスカールはチベット語で「白い銅」を意味し、銅の産地として知られていたことに由来する。チベット文字ではཟངས་དཀར། (zangs dkar) と書き、ラダック語ではザンスカール、標準チベット語(ラサ方言)ではサンカルと読む。ザンスカール当地の方言でもザンカルに近い。 (dpa' gtum: Padum) がこの地方の中心都市である。.

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ザ・カップ

『ザ・カップ』(The Cup)は、1999年のブータン・オーストラリアによって共同制作された映画。製作はジェレミー・トーマス。ブータンの高僧ケンツェ・ノルブが脚本、監督を担当している。副題は『夢のアンテナ』。 インドにあるチベット仏教の僧院で少年僧たちが衛星放送を通じてワールドカップに夢中になる様子を描いた作品である。.

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ザイヌル・アービディーン (カシュミール・スルターン朝)

イヌル・アービディーン(Zain-ul Abidin, 生年不詳 - 1470年)は、北インド、カシュミール・スルターン朝の君主(在位:1420年 - 1470年)。 その治世はカシュミール・スルターン朝の最盛期であり、宗教的融和が保たれ、経済は発展し、領土は拡大したため、ザイヌル・アービディーンは「ブッド・シャー」(Bud Shah, 偉大な王)として語り継がれている。.

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シナ・チベット語族

ナ・チベット語族(シナ・チベットごぞく)は、言語の言語学上の分類単位の一種で、主に中国、東南アジアなどアジアの民族によって話される250余の諸言語のことである。 代表的な言語として、中国語、ビルマ語、チベット語がある。シナ・チベット諸語『講座 言語 第6巻 世界の言語』北村甫編、橋本萬太郎ら共著(大修館書店)『世界の言語と国のハンドブック』下宮忠雄(大学書林)ともいう。.

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シャマルパ

ャマルパ(チベット語 ཞྭ་དམར་པ་  ワイリー式転写Zhwa dmar pa) はチベット仏教カギュ派の活仏名跡であり、シャマル・リンポチェ、または正式にクンズィン・シャマル・リンポチェと呼ばれ、カルマ・カギュ赤帽派の指導者である。阿弥陀仏の化身とされる。本寺とするのはヤンパチェン寺である。至近のシャマルパ14世は1952年、カムのデルゲで誕生し、4歳でツルプ寺へ入門したときにカルマパ16世によって正式にシャマルパ14世として認定される。2014年6月11日、シャマルパ14世は遷化した。.

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シャンバラ

ャンバラ(サンスクリット:Śambhala、チベット語:བདེ་འབྱུང་ bde 'byung).

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シャングリラ (曖昧さ回避)

ャングリラ は、ジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』に登場する地名。転じて理想郷・桃源郷を意味する。詳細はシャングリラを参照。.

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シャングリラ市

ャングリラ市(シャングリラし、チベット語:སེམས་ཀྱི་ཉི་ཟླ་གྲོང་ཁྱེར།、、、)は中華人民共和国雲南省デチェン・チベット族自治州に位置する県級市。チベットではカム地方南部に当る。自治州の州政府の所在地であり、市政府は建塘鎮に位置している。 チベット語でギャルタンと称され、チベット文化圏の南東端にあたり、北は徳欽(ジョル)、南は麗江を連絡する滇蔵公路における要衝となっている。ソンツェリン寺や虎跳峡が有名。また獰猛な性格で知られるチベット犬の産地でもある。.

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シャーンタラクシタ

ャーンタラクシタを描いた19世紀の絵画 シャーンタラクシタ(Śāntarakṣita、蔵: 、?-787年頃、漢訳名:寂護、じゃくご)は、ナーランダ大僧院に所属していたインドの大乗仏教・中観派の僧.

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シリン

リン.

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シルヴァン・レヴィ

ルヴァン・レヴィ(Sylvain Lévi、1863年3月28日 - 1935年10月30日)は、フランスの東洋学者、インド学者。.

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シンハ

ンハ(Siṃha)は、サンスクリットでライオンを意味する語。漢訳仏典では「獅子、師子(しし)」と漢訳される。百獣の王として仏典に頻出することから、仏教圏では、仏教絵画、仏教彫刻などにおいて、様々に図像化された。仏教のふるさとインドにおいては、野生のインドライオンが生息することから、アショーカ王の柱頭に見えるシンハ像はきわめて写実的であるが、ライオンの生息しない諸国においては、狛犬状の形態にデフォルメされて描写された。 タイ語では h が黙字となりシン(สิงห์)となる。なお、タイ語で8月のことをシンハー・コム(สิงหาคม しし座の月の意味)という。チベット語ではセンゲ (sengge, seng ge) となまる。チベット亡命政府が国旗として採用している雪山獅子旗や国章には、向かい合う二頭のセンゲが描かれている。.

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シッキム州

ッキム州(Sikkim)は、インド北東部の州のひとつである。中国語(漢字)では錫金と表記し、ヒマラヤ南麓のネパールとブータンの間に位置する。かつてシッキム王国だった歴史的な経緯により、インド28州のうち人口最少、面積はゴア州に次いで2番目に狭い小さな州となっている。.

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シッキム王国

ッキム王国(シッキムおうこく、チベット語:སུ་ཁྱིམ་、英語:Kingdom of Sikkim、中国語:錫金王国)は、インド、シッキム地方(現シッキム州)に存在した王朝(1642年 - 1975年)。ナムゲル朝(Namgyal dynasty)とも呼ばれる。チベット仏教(ニンマ派)を信奉していた。.

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シッキム語

ッキム語(シッキムご)は、シッキム・チベット語、ブティヤ語、デンジョンケー( 「稲の谷の言葉」)、デンジョンカなどとも呼ばれ、南チベット諸語に属する。シッキム州とネパール北東部のブティヤ人によって話される。シッキム人は自らの言語をデンジョンケー、その土地をデンジョン( 「稲の谷」)と呼んでいる。.

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シェルパ

ェルパ(ཤར་པ、Sherpa)は、ネパールの少数民族のひとつ。2001年時点での人口は15万4622人で、ネパール総人口約2950万人(2008年)の0.5%を占める。 主な居住地は、エベレスト南麓に面したネパール東部サガルマタ県地方(エベレスト地方)で、他にインドのダージリン、シッキムやアルナーチャル・プラデーシュ州、ブータン、チベットのディンキェ県やニャラム県ダム鎮にも住む。 シェルパの居住地は、世界的な観光地であり、多くの一般観光客を相手に、1年を通してホテルなどの観光業が一大産業になっている。また、選ばれたごく少数のシェルパによるヒマラヤ登山支援も世界的に知られる。.

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シェートンムン県

ェートンムン県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区シガツェ市の県の一つ。県名はチベット語で「望みの見る喜び」の意。県政府所在地は卡嘎鎮吉丁。.

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ジャン王

ジャン王(じゃん-おう)は、麗江の領主木氏がチベット語史料に登場する場合の名称。ジャン・サータム・ギャルポ。チベット仏教カルマ派の大施主として知られ、17世紀前半の最盛期には、ギャルタン、リタン、バタンなどカム地方南部を支配した。 ジャンとは、過去の南詔、大理など雲南地方に存在した諸王国に対するチベット語の通時的な呼称で、中世から近世にかけてのチベットでは、麗江の木氏政権が、これらの諸王国の継承政権と見なされていた。 Category:チベットの歴史 Category:雲南の歴史.

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ジャカ・ガンボ

ャカ・ガンボ(J̌aqa Γambo,,,? - 1328年)は、ケレイト部族長オン・カン(トオリル)。娘にチンギス・カン家に嫁いだソルコクタニ・ベキ・ベクトゥトミシュらがおり、モンケ(モンゴル帝国第四代ハーン)・クビライ(第五代ハーン)・フレグ(イルハン朝初代君主)・アリクブケらを孫に持つ。.

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ジュゼッペ・ガスパロ・メゾファンティ

Giuseppe Gasparo Mezzofanti. ジュゼッペ・ガスパロ・メゾファンティ(Giuseppe Gasparo Mezzofanti、1774年9月19日 イタリア・ボローニャ - 1849年3月15日 ローマ)はイタリアの枢機卿、言語学者。.

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ジョージ・アダムスキー

ョージ・アダムスキー(George Adamski、1891年4月17日 - 1965年4月23日)は、UFO研究家、「宇宙人と会見した」と自称したの元祖として知られるポーランド系アメリカ人。宇宙人と空飛ぶ円盤との遭遇体験を書いた本はベストセラーになり(後述の著作を参照)、アダムスキーらコンタクティーによって新しいユーフォロジーの伝統が生まれ、数多のコンタクティーが現れた。宗教的ユーフォロジー、UFOカルト()の祖の一人である。彼が撮影した空飛ぶ円盤は、いわゆる「空飛ぶ円盤」の典型的なイメージとなっており、20世紀のポップカルチャーへの影響も大きい。.

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ジンポー語

ンポー語 (Jinghpaw、Jingpho) はミャンマー有数の民族の1つであるカチン族によって話される言語の1つである。この言語はカチン族の共通語として機能していることから、カチン語 (Kachin) という名称でも知られる。話者の大部分はミャンマー北部に位置するカチン州およびシャン州北部に居住する。また、話者の一部は中華人民共和国雲南省徳宏タイ族チンポー族自治州およびインドのアッサム州とアルナーチャル・プラデーシュ州にも居住する。特に中国の方言は景颇语 (チンポー語)、インドの方言はシンポー語 (Singpho) という名称で知られる。エスノローグによるとジンポー人の人口はおよそ90万人である。.

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スノー・ライオン

ノー・ライオン (Snow Lion) (、雪獅子とも表記される) はチベット仏教に登場する神聖な動物である。スノーライオンは大胆不敵、無条件の明朗さ、東や北を示すシンボルとして使用される。スノーライオンは山から山へと飛び移り、一般にトルコ石のような青いたてがみを持った白い姿で描かれることが多い。.

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センゲリンチン

ンゲリンチン(ᠰᡝᠩᡤᡝᡵᡳᠨᠴᡳᠨ senggerincin、Сэнхэрнцан、中国語:僧格林沁、嘉慶16年(1811年) - 同治4年4月24日(1865年5月18日))は、清の軍人。モンゴル族。 センゲとはチベット語で「獅子」、リンチンとはチベット語で「宝」を意味する。内モンゴルのホルチン左翼後旗の人。ボルジギン氏で、『蒙古世系』によるとチンギス・カンの次弟ジョチ・カサルの26代の子孫に当たるという。.

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セブン・イヤーズ・イン・チベット

『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(Seven Years in Tibet)は、1997年のアメリカ映画。ジャン=ジャック・アノー監督作品。 アイガー初登頂で知られるオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーの自伝の映画化。彼がチベットで過ごした7年間、彼と若きダライ・ラマとの交流を描く。.

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ソヨンボ文字

ヨンボ文字(モンゴル語 Соёмбо бичиг, soyombo bichig)はモンゴル語を表記するために、1686年に僧侶ボグド・ザナバザル(ジェプツンタンパ1世)が作成したアブギダ系の文字である。チベット語やサンスクリット語を表記するのにも用いることができた。 このソヨンボ文字の中でも、ソヨンボと呼ばれるシンボル(右の図を参照)はモンゴル国の国家の象徴となっている。1921年から国旗に、1992年から国章や紙幣、印璽などにも使用されている。.

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ソンツェン・ガンポ

ンツェン・ガンポ(チベット語:、ワイリー方式: 、581年山口『チベット』下、27頁? - 649年もしくは650年デエ『チベット史』、46頁)は、古代チベットの王(在位593年 - 638年、643年 - 649年もしくは650年)。チベット初の統一王国(吐蕃)を樹立し、チベットに初めて仏教を導入した人物として知られる。本名はティ・ソンツェン(、)であり、ソンツェン・ガンポは後世の人間による尊称である佐藤「ソンツェンガンポ」『世界伝記大事典 世界編』5巻、502-503頁。漢文史料では松賛干布、棄宗弄讃と表記される。 宰相のガル・トンツェン(ガル・トンツェンユルスン)の補佐を受けてチベット高原の大部分を支配下に置き、吐谷渾、パイラン(白蘭)、タングートなどの周辺の部族に勝利を収める。640年ごろまでに吐蕃は、北東はツァイダム地方、東は松州、西はラダック、南はヒマラヤ山脈に支配領域を広げた。 彼の事績は早い時代から伝説化され、転輪王にも擬せられた。.

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ゾン

パロのゾン ゾン とは、チベット文化圏に多く見られる城塞建築である。ブータンでは最上位の地方区分単位の庁舎であり、その庁舎が管轄する行政単位をゾンカク (རྫོ་ཁག།, rdzong khag) と称する。.

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ゾンカ語

ゾンカ語 (རྫོང་&#3905) は、ブータンの国語である。シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派 チベット・ヒマラヤ語群に属する言語で、チベット語の南部方言に分類される。話者数は約40万人(1991年)。ゾンカの「カ」が「言語」を表すことから、本来は、ゾン語という意味であり、「ゾンカ語」ではなく「ゾンカ」が用いられる場合も多い。.

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ゾクチェン

ゾクチェンは、主にチベット仏教のニンマ派(古派)と、チベット古来の宗教であるボン教に伝わる教えである。ゾクチェンという言葉はチベット語で「大いなる完成」を意味する「ゾクパ・チェンポ」の短縮形であり、人間を含むあらゆる生きもの(一切有情)の心性における本来の様態、またはあるがままで完成された姿のことを指している。 また、その姿を理解することにより、速やかに優れた覚醒の境地に至ることができるとされている。 漢訳は「大円満」あるいは「大究竟」、英語では Great Perfection などと訳される。アティヨーガとも呼ばれる。日本や欧米ではゾクチェンの修行者をゾクチェンパと呼称することもあるが、チベット仏教では一般的用法ではない。.

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タマン族

タマン族(たまんぞく 英:Tamang)はネパールの民族。.

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タルチョー

タルチョー(チベット語:དར་ལྕོག་ dar lcog)はチベットの五色の祈祷旗である。寺院や峠、端に見られる。.

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タレル・ワイリー

タレル・ヴァール・ワイリー(、1927年8月 – 1984年8月25日)はアメリカ合衆国のチベット学者、中国学者、教授であり、20世紀の主要なチベット研究者である。ワシントン大学で長期にわたってチベット語教授の職にあり、ワシントン大学のアジア言語・文学部の初代主任教授であった。ワイリーはワシントン大学で米国初となるチベット研究課程を築いた。ワイリーによるチベット語のローマ字翻字法はワイリー方式と呼ばれ、学術・歴史分野において用いられる主要なチベット語翻字方式となっている。.

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タンラ山脈

タンラ山脈(タンラさんみゃく)は、チベット高原の中央部を西北西より東南東の方向へ縦断している山脈の一つ。.

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タンラ・ユムツォ

タンラ・ユムツォ(当惹雍錯、チベット語:དྭངས་རྭ་གཡུ་མཚོ, ワイリー方式:dwangs rwa g.yu mtsho, 蔵文拼音:Tangra Yumco、中国語:当惹雍错 または 唐古拉雍木错)は中国チベット自治区ナクチュ市ニマ県のガンディセ山脈北麓中腹の断陥盆地内にある内陸塩湖。チベット高原で最も深い湖であり、中国国内では2番目となる。また、面積はチベットで3番目に大きい。チベットの土着宗教ボン教の信者にとっては最大の聖なる湖である。.

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タングート

タングート(Tangut)は、7世紀~13世紀ごろに中国西南部の四川省北部・青海省などに存在したチベット系民族である。 11世紀初めに西夏を建てた。中国語表記では党項。日本語ではタンガットという記法も散見される。同じくタングート族、タングート人とも。また。タングートの前身は羌である。 同時に、中国語表記で唐兀とも表記され、モンゴル化したテュルク民族とする説もある宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(2002年、刀水書房)137ページ、ドーソン(訳注:佐口透)『モンゴル帝国史1』(1989年、平凡社)309-311ページ(ただし、311ページでは「タングートは実はチベット系である」と記述されている)。。.

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タクツェ区

タクツェ区(‐く)は中華人民共和国チベット自治区ラサ市の市轄区の一つ。区名はチベット語で「虎峰」の意。ラサ川が南へ曲がったところ、ヤルンツァンポ川中流に位置する。区政府所在地はデチェン鎮(徳慶鎮)。.

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タシルンポ寺

タシルンポ寺(タシルンポじ、蔵:)はチベット・シガツェ市サムドゥプツェ区にあるゲルク派最大の寺院である。吉祥須弥寺、扎什倫布寺、タシルンボ寺(僧院)。 ラサの3大寺院であるガンデン寺、セラ寺、デプン寺と合わせてゲルク派四大寺院、それに青海省のタール寺と甘粛省のラプラン寺と合わせてゲルク派六大寺院と呼ばれる。 4世以降のパンチェンラマはここで宗教活動と政治活動を主に行った。シガツェの街の西にある尼色日山の山腹に建設され、50あまりの経堂と200あまりの部屋をもつ。.

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サムドゥプツェ区

ムドゥプツェ区(蔵:, 桑珠孜=そうじゅし-く)は中華人民共和国チベット自治区はシガツェ市に位置する市轄区。ツァン地方の宗教、政治、経済、文化の中心。ゲンドゥン・ギャツォ(ダライ・ラマ2世)の出身地であり、チベット仏教第二の指導者パンチェン・ラマが代々住まい、中国政府により国家歴史文化名城に指定された。.

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サムイェー寺

ムイェー寺(サムイェ寺、サムエ寺、チベット語:བསམ་ཡས bsam yas、中国語:桑耶寺)はチベットに建立された最初の仏教僧院。.

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サラール語

ラール語あるいはサラ語(撒拉語;Salar language)は、中華人民共和国の青海省、甘粛省などで話されているテュルク諸語の言語。少数民族サラール族(人口約10万人)のうちの約7万人が話している。トルコ語やトルクメン語などとともにオグズ語群(南西語群)に含まれ、地理的にはるか隔たったトルコ語との間でも相互理解がある程度可能である。サラール族の先祖は14世紀に西のサマルカンド方面から移住してきたとされている。 サラール語は2つの方言に分かれ、それらは各々チベット語と中国語、ウイグル語とカザフ語の影響を受けている。文字表記は、アラビア文字を用いていたが、2008年7月からは中国政府の制定したラテン文字表記も並立して存在している。現在は上記の他言語を使う人も多い。.

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サラール族

ラール族、またはサラ族(撒拉族、英語:Salar)は、中華人民共和国に居住するテュルク系民族で、少数民族の一つである。イスラム教を信仰し、2000年の第5次全国人口普査統計では人口は104,503人で、中国政府が公認する56の民族の中で36番目に多い。 サラール族は青海省の循化撒拉族自治県、化隆回族自治県、甘粛省の積石山保安族東郷族撒拉族自治県、新疆ウイグル自治区のイリ・カザフ自治州などに居住している。.

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サラト・チャンドラ・ダス

ラト・チャンドラ・ダス(Sarat Chandra Das、শরৎচন্দ্র দাস、1849年 - 1917年)は、インドのチベット学者で、チベット語とチベット文化を研究した。1879年と1881年 - 1882年のチベット旅行によって知られる。.

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サンリ県

ンリ県(‐けん)は中国チベット自治区山南市の県の一つ。県名はチベット語で「銅山」を意味する。 県政府所在地はサンリ鎮雪巴。.

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サンスクリット

Bhujimolという書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉)。 サンスクリット(संस्कृत、saṃskṛta、Sanskrit)は、古代インド・アーリア語に属する言語。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語。文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられた。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、母語話者は少ないが、現代インドの22の公用語の1つである。 サンスクリットは「完成された・洗練された(言語、雅語)」を意味する。言語であることを示すべく日本ではサンスクリット語とも呼ばれる。 漢字表記の梵語(ぼんご)は、中国や日本でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経など、サンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン(梵天)とするインドの伝承を基にした言葉である。.

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サキャ県

ャ県(‐けん)は中華人民共和国チベット自治区シガツェ市の県の一つ。県名はチベット語で「灰白土」の意。県政府所在地はサキャ鎮(薩迦鎮)。.

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サクル

ル (Sacul).

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唐蕃会盟碑

唐蕃会盟碑(とうばんかいめいひ、チベット語:、ワイリー方式:gtsug lag khang mdun gyi rdo rings、「トゥルナン寺の前の碑」の意)は、唐朝と吐蕃の間で成立した長慶会盟の内容を記載した石碑。9世紀に立てられた。 821年(唐:長慶元年、吐蕃:彝泰7年)、に唐朝の丞相である崔植、王播、杜元穎等17人と吐蕃の礼部尚書である論訥羅が長安西郊で締結された両国の講和条約に相当する長慶会盟の内容、会盟締結までの経緯、両国の使節氏名及び職位を刻字した石碑を両国の都城である長安、ラサ(邏些)及び、国境の日月山(ニンダーラ)の3カ所建てられた石碑の一つ。長安及び日月山のものは失われ、ラサのトゥルナン寺(ジョカン・大昭寺)の門前に立てられた碑のみが現存し、唐蕃会盟碑と称される。ただしこの碑も四方を石塀に囲まれ、近づいて直接碑文を確認することはできない。 東面はチベット語により両国による会盟締結の経緯が、西面は漢文とチベット語で会盟の内容として国境の確定、使節往来の際の迎接の手順、犯罪者の引き渡し、両国が紛争時に武力を用いない内容等が、南面は漢文とチベット語で会盟に参加した唐朝専使一覧が、北面は漢文とチベット語で会盟に参加した吐蕃専使一覧が記されている。条約では国号が「大唐」と「大蕃」、君主名が「文武孝徳皇帝」と「聖神賛普」というように両国での正式名を使い、文言で上下をつけぬよう配慮されている。さらに二国の関係を「蕃漢二国」と対等に表記し、両国の年号まで併記するなど、可能なかぎり唐と吐蕃を並び立たせる表現を採用しているのが特徴である。 この碑文で両国の対等な関係が強調された背景には、当時の国際情勢がある。十年におよぶ安史の乱で疲弊した唐にかわって北方の回鶻および南西の吐蕃が台頭をはじめ、763年には吐蕃軍が長安に入城することもあった。特に779年以降吐蕃対回鶻・唐連合の時代が続いたが、この東アジア三大勢力の対立を終わらせたのが821年の長慶会盟である。上述のとおり、歴史はあるが当時は三勢力のなかでもっとも弱体化していた唐と国威盛んな吐蕃とが和平を結ぶには、両者が対等であることを示す必要があった。 このように、唐蕃会盟碑は唐が実質的に吐蕃の下に立つことで成立した会盟を示すものであり、また中国とチベットの二か国間に走る国境線の画定も明記されている。中国政府はこの碑文を『唐と吐蕃が統一国家建設にむけて堅固な基盤を築いた』と解釈し、逆にチベット侵攻とそれに伴う十七か条協定(つまり中華王朝の後継者による中国とチベットの統一)の根拠としている。.

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円唇前舌半狭母音

円唇前舌半狭母音(えんしん・まえじた・はんせまぼいん)は母音の種類の一つで、基本母音の第10番。半狭前舌円唇母音(はんせま・まえじた・えんしんぼいん)ともいう。国際音声記号では と書く。 非円唇前舌半狭母音 の舌の形で唇を丸めた円唇母音で発音したもの。舌の最も高い位置が最も前にある前舌母音であり、口の開き方の違いによる音を聴覚印象で4等分して定めたもののうち2番目に狭い半狭母音である。 記号はノルウェー語、デンマーク語の Ø の小文字に由来する。.

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兪敏

兪 敏(ゆ びん、1916年11月 - 1995年7月2日)は、中国の言語学者。.

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公用語の一覧

公用語の一覧.

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六字大明呪

とは、仏教の陀羅尼(呪文)の1つ。サンスクリットの6つの字音からなる観世音菩薩の陀羅尼であり、チベット語で六文字となることから六字真言ともいう。観世音菩薩の慈悲を表現した真言であるため、。特に、チベット仏教圏のチベットやモンゴルの仏教徒が頻繁に唱える陀羅尼である。ほかに六字と名のつく真言陀羅尼には、文殊菩薩の六字陀羅尼、『請観音経』を典拠とする六字章句陀羅尼がある。.

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回族

道を行く回族の男女 清真)に従った食品を出すと書かれている。左上にはモスクの絵がある。 回族の老人 祈りを捧げる人々(寧夏回族自治区) 回族の一家。新年を祝っている(寧夏回族自治区)。 回族(かいぞく、ホウェイ族あるいはフェイ族、、 حواري)は、中国の少数民族の一つで、中国最大のムスリム(イスラム教徒)民族集団である。回族とされる人々は、言語・形質等は漢民族(漢族)と同じだが、イスラム教(イスラーム)を信仰する。中国全土に広く散らばって住んでおり、人口は2000年の時点で約980万人で、中国に住むムスリム人口のおよそ半数を占める。.

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固有語

固有語(こゆうご)とは、借用語(外来語)でない当該言語に固有の語または語彙を指す。日本語では和語(大和言葉)がこれに該当する。日本語の文例では、「わたくしは学校にいく」のうち、借用語は名詞の「学校」だけで、他の「わたくし」(代名詞)「いく」(動詞)「は」「に」(助詞)はいずれも固有語である和語である。 固有語は語彙論、特に借用を論ずるときのキーワードになる概念であるが、「固有性」をどうとらえるかによって、その定義と議論の方向は大きく分かれる。ここでは「客観主義(本質主義)的アプローチ」と「主観主義的アプローチ」に分けて述べる。「固有性」の定義については、歴史学及び文化人類学において、「民族」の定義をめぐる論争の中で早くから焦点となっており、「固有語」概念についてもほぼパラレルに把握することが可能である。.

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四姑娘山

四姑娘山(スーグーニャンシャン)は中華人民共和国の四川省アバ・チベット族チャン族自治州にあり、邛崍山脈の最高峰・幺妹山(ヤオメイシャン、標高6,250m、幺は「一」;幺妹は「末娘」の意味)がある。場所は東経102.9度、北緯31.1度。この南側に、四姑娘山三峰(三姑娘山、5,664m)、四姑娘山二峰(二姑娘山、5,276m)、四姑娘山大峰(大姑娘山、5,025m)の峰が並んでいる。その名の由来はチベット語の「sku bla」が音訳され「四姑」という字が当てられたため。 。.

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四無量心

四無量心(しむりょうしん、apramāṇya, appamaññā, 蔵: )とは、止(サマタ)の対象である四十業処の一部。他の生命に対する自他怨親なく平等で、過度の心配などのない、落ち着いた気持ちを持つことをいう。 四梵住(しぼんじゅう、梵,brahmavihāra)、四梵行(しぼんぎょう)ともいう。 『分別論註』によれば、無量(appamaññā)というのは、「対象となる衆生が無数であること」あるいは「対象とする個々の有情について(慈悲の心で)余すことなく完全に満たす」という遍満無量(pharaṇa-appamāṇa)の観点から、このように称する。.

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倫敦の人狼

『倫敦の人狼』(Werewolf of London)は、ユニバーサル映画が製作し、1935年5月13日に公開したアメリカ映画。白黒、75分。.

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BO

BO.

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Common Locale Data Repository

共通ロケールデータリポジトリ(きょうつうロケールデータリポジトリ、Common Locale Data Repository、略語:CLDR)計画とは、ロケールデータをコンピュータのアプリケーションで使うためにXML形式で提供する、ユニコードコンソーシアムの計画である。 CLDRは、通常オペレーティングシステムがアプリケーションに提供するようなロケール固有の情報を含んでいる。CLDRはLDML (Locale Data Markup Language) で書かれている。その情報は現在International Components for Unicode (ICU)、アップルのmacOS、そしてOpenOffice.org、AIX、その他のアプリケーションやオペレーティングシステムで使われている。 CLDRは以下の種類のデータを含んでいる.

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王千源事件

王千源事件(おうせんげんじけん)とは、2008年4月9日、北京オリンピックの聖火リレーがサンフランシスコで行われた日のふるまいを原因として、アメリカのデューク大学に留学中の中国人学生、王千源 (Grace Wang Qianyuan) が「漢奸」としておもにインターネット上での人身攻撃(人肉捜索)を受け、個人情報が流出し、実家に被害が及んだ事件。.

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碧塔海

碧塔海(へきとうかい)またはペタツォ(བས་སཐའ་མཆོ།)は中華人民共和国雲南省デチェン・チベット族自治州シャングリラ市の高原に位置する断層湖。.

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秘密集会タントラ

『秘密集会タントラ』(ひみつしゅうえタントラ。Guhyasamāja tantra、グヒヤサマージャ・タントラ)とは、仏教の後期密教経典群、いわゆる無上瑜伽タントラに分類される経典の一つである。.

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種子 (密教)

子(しゅじ、बीजाक्षर )は密教において、仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)。チベット密教ではサポン(蔵: )と訳される。種子真言(しゅじしんごん)ともいう。 梵字で表記したものを、日本密教では特に種子字(しゅじじ)と言い、また種字(しゅじ)とも略称し、一般にはこの「種字」という表記が多用される。これは通常一文字で表記されるが、極めて稀に閉音節の物があり、この場合は二文字で表記される。 種子の例を挙げると、वं()は金剛界大日如来、ह्रीः()は阿弥陀如来、स()は聖観音、हां()は不動明王、सु()は弁才天を象徴するものである。種子は梵字の神秘的解釈(悉曇五十字門)から作られるほか、その仏尊の真言から一文字取ったり、仏尊の梵名の頭文字を取って作ることも多い。 これら種子は、密教の修法において本尊となる仏を想起するためのシンボルとなるので、これを植物の種に譬えて種子という。 また護符や曼荼羅などに、仏尊の絵姿の代わりに種子を書くことも多い。 これには、絵姿を描くより梵字で済ませた方が手間がかからないという実用的な意味もある。.

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稲城県

城県(とうじょう-けん、ダプパ、vdab-pa)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州の南端に位置する県。ダプパは歴史的には「稲壩」とも書かれ、チベット語で谷間に開けた地という意味。チベット高原の東南の縁にあたり、横断山脈の東側にあり高い峰々が連なる。海抜は2,000mから最高地点で6,032mにも達する、高山と峡谷の多い地形である。 稲城県内には亞丁自然保護区があり、希少な植物相や動物相が保たれ、また雪山を見る観光地でもある。三神山は中国の美しい「十大名山」の一つに数えられる。亞丁空港の建設を進めることでさらに多くの観光客を呼び観光資源の開発を進めようとしている。 ダプパの総人口のうちチベット族の割合は96%にも達する。曲嶺寺のような寺院も多い。ダプパはかつては吐蕃の勢力範囲でもあり、清朝はチベット族の土司たちを通じて間接支配を行ってきたが、清末期の1907年に理塘(リタン)土司の統治下にあったこの地に稲城県を置き、次第に直接支配を強めていった。清朝が崩壊した後、稲城は混乱の時期に入った。稲城は1930年代から50年代まで「土頭」と言う地域の指導者に支配された。.

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維摩経

『維摩経』 (ゆいまきょう、Vimalakīrti-nirdeśa Sūtra 藏:དྲི་མ་མེད་པར་གྲགས་པས་བསྟན་པ་ཞེས་བྱ་བ་མདོ ヴィマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ)は、大乗仏教経典の一つ。別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)。 サンスクリット原典と、チベット語訳、3種の漢訳が残存する。漢訳は7種あったと伝わるが、支謙訳『維摩詰経』・鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』・玄奘訳『説無垢称経』のみ残存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳である。 日本でも、仏教伝来間もない頃から広く親しまれ、聖徳太子の三経義疏の一つ『維摩経義疏』を始め、今日まで多数の注釈書が著されている。.

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翻訳借用

翻訳借用(ほんやくしゃくよう)とは、ある言語がほかの言語から語を借用するとき、借用元の語の意味をなぞり翻訳して取り入れることを指す。語の音形をなぞって取り入れる「音訳借用」(Homophonic translation)に対立する概念である。 翻訳借用は通例複合語の借用の際に問題となる現象だが(単純語を単純語に翻訳しても「借用」とは意識されない)、借用元の語の構成要素である形態素(または語)のひとつひとつを翻訳し、これを組み合わせて新しい複合語を作る場合(カルク(fr:calque)、なぞりともいう)がほとんどであり、翻訳借用の例(例えば"airport"→「空港」)としてしばしば挙げられるのもすべてカルクである。しかし、実際には後述の漢字語のようにカルクによらない訳例も見られるため、翻訳借用と「カルク」は完全には一致しない。 明確に借用であると分かる音訳借用とは違い、通常の翻訳による造語なのか翻訳借用(考え方・造語法の借用)なのか不明瞭な部分も大きく、両者の間に明確なラインを引けない面もある。.

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真如

真如(しんにょ、巴, tathatā、蔵: )は、「あるがままであること」という意味があり、真理のことを指す。 金剛般若経 のサンスクリット本に出て、「真如性」と訳されている。「真」とは真実、「如」とは如常の意味である。諸法の体性虚妄を離れて真実であるから真といい、常住であり不変不改であるから如と言うとされる。 真如はまた、自性清浄心、仏性、法身、如来蔵、実相、法界、法性、円成実性と同体異名であるとされる。.

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真田紐

真田紐(さなだひも)は、縦糸と横糸を使い機(はた)で織った平たく狭い織物の紐。漢語では「絛紐」(さなだひも)と書くこともある(wikt:絛)。 一重織り・袋織りがあり、材質は木綿・正絹を使う。 主に茶道具の桐箱の紐・刀の下げ緒・鎧兜着用時の紐・帯締め・帯留用の紐・荷物紐等に使用する。 特徴は伸びにくく丈夫なので重いものを吊ったり、しっかりと物を縛る事に使う。 数多くの柄があり、一部は家紋の様に家・個人の決められた柄があり個人・集団の認証・作品の真贋鑑定に使われている。.

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真言

真言(しんごん)とは、サンスクリット語のマントラ(मन्त्र )の訳語で、「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意。『大日経』などの密教経典に由来し、浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる呪術的な語句である。 漢訳経典では、「真言」の他に「密言」、「呪」、「明呪」等と訳される「呪」は「咒」と書かれることもあるが、「咒」は「呪」の異体字(俗字)であり意味の違いもない。。.

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(けん)とは、地方のための行政機関の一種。正字の「縣」は釣り下がる意。元は中国の地方行政の名称で官庁を指したが、県の長の管轄する範囲も表すようになった。 現在の日本では地方自治法(昭和22年4月17日法律第67号)施行後、市町村を包括する広域の地方公共団体となり、県の事務所は県庁といい、法人格を持つ。.

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経典

経典(きょうてん、きょうでん、sūtra, スートラ、sutta, スッタ、経)とは、仏教において釈迦が説いた教えを記録した聖典のこと。.

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田嶋隆純

嶋 隆純(たじま りゅうじゅん、1892年〈明治25年〉1月9日 - 1957年〈昭和32年〉7月24日)は、チベット語に訳された仏教文献の精査解読とそれに基づくチベット訳と漢訳の仏典対照研究の先駆けとなった仏教学者。大正大学教授。真言宗豊山派大僧正。 大正末期、日本におけるチベット語の先駆者河口慧海に師事しチベット語を修得。昭和初期にフランスに渡りソルボンヌ大学に留学。チベット訳の『大日経』や曼荼羅の研究に学績を残した。 また大戦後、花山信勝の後を受けて巣鴨拘置所の教誨師となり、刑場に臨む戦犯に寄り添い処刑に立ち会うとともにBC級戦犯の助命減刑嘆願にも奔走した。その「代受苦」(地蔵菩薩の身代りの徳)の活動が多くの戦犯から感謝され、「巣鴨の父」と慕われた。 田嶋が出版に尽力した『世紀の遺書』(1953、巣鴨遺書編纂会)は大きな反響を呼び、その益金の一部によって東京駅前広場(丸の内南口)に「世紀の遺書#アガペの像(愛の像) |愛(アガペ)の像」が建てられ、巣鴨で処刑された戦犯らの平和への想いの象徴となった。「愛の像」のなかには本書が納められた。.

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無声そり舌破裂音

無声そり舌破裂音(むせい・そりじた・はれつおん)は子音の種類の一つ。硬口蓋に舌をそらせて閉鎖を作って開放することによって起こる破裂の音。国際音声記号では、、IASTでは ṭ と記述される。.

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無声そり舌破擦音

無声そり舌破擦音(むせい・そりじた・はさつおん)は子音の種類の一つ。硬口蓋に舌をそらせて閉鎖を作ったのち、開放すると同時に隙間から生じる息の摩擦を伴う音。国際音声記号ではと記述されるが、略記してまたはとも表記される。.

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無声硬口蓋破裂音

無声硬口蓋破裂音(むせい・こうこうがい・はれつおん)は、子音の種類の一つ。前舌と硬口蓋で閉鎖を作って開放することによって起こる破裂の音。国際音声記号ではと記述される。.

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無声音

無声音(むせいおん)とは、言語音を調音する際、肺からの呼気が喉頭を通る時に喉頭上部にある声帯を震動させずそのまま通り抜けて出る音。国際音声記号では、 と表記する。 子音のうち、破裂音 p, p̪, t̪, t, ʈ, c, k, q 並びに摩擦音 ɸ, f, θ, s, ʃ, ʂ, ç, x, χ, ħ, h などが無声音である。.

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無声歯茎硬口蓋破擦音

無声歯茎硬口蓋破擦音(むせい・しけい・こうこうがい・はさつおん)とは子音の類型の一つ。舌尖が下歯茎についたまま盛り上がった舌端と歯茎から硬口蓋にわたる範囲で閉鎖を作り、ゆっくりと開放することによって隙間から生じる摩擦を伴う音。国際音声字母では のように二つの記号をタイで結んで表記する。かつては (U+02A8) と合字で書いていた。.

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無上瑜伽タントラ

無上瑜伽タントラ(むじょうゆがタントラ 、Anuttarayoga-tantra、蔵:、無上ヨーガ・タントラ)とは、8世紀後半以降に作られたインド後期密教経典群のチベット仏教における総称。.

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白鵬翔

白鵬 翔(はくほう しょう、1985年3月11日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で宮城野部屋所属の現役大相撲力士、第69代横綱(2007年7月場所 - )。本名はムンフバティン・ダワージャルガル(モンゴル語キリル文字表記:Мөнхбатын Даваажаргал、ラテン文字転写:Mönkhbatyn Davaajargal;日本相撲協会による公式表記は「ムンフバト・ダヴァジャルガル」)、モンゴル語での愛称は「ダワー」。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。身長192cm、体重156kg(2016年1月場所現在)、血液型はA型。好物は焼肉と納豆、プレーリードッグ。嫌いなものはあんこ、趣味は読書、チェス、テレビゲーム、ゴルフ。アジア初のユネスコ・スポーツ・チャンピオン。.

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白水社

株式会社白水社(はくすいしゃ)は、日本の出版社。語学書や翻訳書の出版を多く手がける。新人劇作家の登竜門といわれる岸田國士戯曲賞を主催していることでも知られる。 社名は、屈原の長詩「離騒」の註の「淮南子に言ふ、白水は崑崙(こんろん)の山に出で、これを飲めば死せずと。神泉なり」に由来する。.

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韓紅

韓 紅(かん こう、ハン・ホン、Han Hong、1971年9月26日 - )は、中華人民共和国の女性軍隊歌手。チベット語名央金卓瑪(ヤンチェンドルマ、Yāngjīn Zhuōmǎ)。A型。少数民族の一つである蔵族(チベット族)出身。チベット自治区チャムド地区チャムド県(昌都)生まれ。父親は漢族の知識青年で、母親はチベット族。 歌手としての活動の他、人民解放軍空軍政治部文工団副団長、中央国家機関青年連合会常任委員、中国人民政治協商会議委員、全国青年連合会常任委員、中華海外連誼会理事も務めている。.

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道孚県

道孚県(どうふ-けん、タウ、rta'u)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州東部に位置する県。東は丹巴県、西は新龍県、南は康定市と雅江県に、北は炉霍県と阿壩州の金川県・壌塘県に接する。 県城は鮮水鎮にあり、カンゼ州州都康定(タルツェムド)からは219km、四川省省都成都からは585km。タウ(道孚)はかつて「道塢」という漢字をあてられていた。これはチベット語で「馬」を意味する。.

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華厳経

『華厳経』(けごんぎょう、Avataṃsaka Sūtra, アヴァタンサカ・スートラ)、正式名称『大方広仏華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう、Buddhāvataṃsaka-nāma-mahāvaipulya-sūtra, ブッダーヴァタンサカ・ナーマ・マハーヴァイプリヤ・スートラ)は、大乗仏教経典の1つ。 経名は「大方広仏の、華で飾られた(アヴァタンサカ)教え」の意。「大方広仏」、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。 元来は『雑華経』(ぞうけきょう、Gaṇḍavyūha Sūtra, ガンダヴィユーハ・スートラ)、すなわち「様々な華で飾られた・荘厳された(ガンダヴィユーハ)教え」とも呼ばれていた。.

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青海省

青海省(せいかいしょう、中国語:青海省、拼音:Qīnghǎi Shěng、英語:Qinghai、チベット語: མཚོ་སྔོན་ཞིང་ཆེན།、 モンゴル語:)は、中華人民共和国の西部に位置する省のひとつ。省都は西寧市。1928年に青海省成立。省名は、省内に国内最大の湖沼である青海湖(チベット名ツォティショギャルモ、モンゴル名フフノール)があることにちなむ。.

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青海湖

宇宙から見た青海湖、1994年11月 青海湖(せいかいこ、チンハイフー)は、中華人民共和国青海省(チベット・アムド地方)にある湖。「チンハイこ」とも読まれる。モンゴル語ではココ・ノール( Хөхнуур/Köke naɣur「青い湖」の意)、チベット語ではツォ・ゴンポ(མཚོ་སྔོན་; mtsho sngon po)またはツォ・ティショル・ギャルモ(མཚོ་ཁྲི་ཤོར་རྒྱལ་མོ་; mtsho khri shor rgyal mo)と呼称される。.

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衆生

衆生(しゅじょう、sattva सत्त्व、、bahujana बहुजन、jantu、jagat)は、一切の生きとし生けるもの(生類)のこと。普通は、迷いの世界にある生類を指すが、広義には仏・菩薩をも含めることがある。.

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西夏語

西夏語(Tangut)は、古代の北東チベット・ビルマ語族の言語であり、西夏王朝においてかつて話されていた。言語学者によってはこの言語をチャン語・ギャロン語などとおなじに含めることがある。チベット語やビルマ語とは遠い親縁関係にあり、中国語とはさらに遠い親縁関係にある。 西夏語は11世紀はじめにタングート人によって建てられた西夏王朝(チベット語でミニャクと呼ばれ、漢字で「弥薬」と音訳される)の公用語であった。西夏は1226年にチンギス・ハーンの侵略によって滅亡した。 西夏語は専用の書記体系である西夏文字を持っていた。 西夏語で書かれた現存するもっとも年代の新しい文献は1502年の紀年のある石幢であり、このことは西夏滅亡後300年近くたってもまだ西夏語が使われていたことを示唆する。.

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西寧市

西寧市(せいねいし、中国語:西宁市、英語:Xining)は中華人民共和国青海省の省都。五区からなる市区と三つの県から構成される地級市のひとつ。チベット名はཟི་ལིང་(シリン)。省人民政府は本市の城中区にある。人口205万人、青海省全人口518万人の40%に当り、漢族、回族、チベット族、モンゴル族などの民族が住む。 現在西寧市に住んでいる人は近年他省から移住した人が多いため、普通話(中国語)を話す者が多い。また、チベット語話者も住んでいる。.

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西川一三

西川 一三(にしかわ かずみ、1918年9月17日 - 2008年2月7日)は、日本の情報部員。 日中戦争下に内モンゴルより河西回廊を経てチベットに潜行。戦後インドを経て帰国。.

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親指シフト

2010年に登場した、NICOLA規格準拠のPC用コンパクト親指シフトキーボード。ホームポジションに両手を添えれば、親指は自然と2つのシフトキーを触る。これらは変換/無変換キーとしても動作する。 2001年に登場した、NICOLA規格準拠のPC用コンパクト親指シフトキーボード。ホームポジションに両手を添えれば、親指は自然と2つのシフトキーを触る。その下に変換/無変換キーが位置するものの、これらは(USBの制限に合わせるために)真上のキーと同じ働きしかしない。 親指シフト(おやゆびシフト)とは、日本語の「かな」を入力するため、1979年(昭和54年)に、富士通が考案したキー配列規格の一種である。ほぼ同時期に確立したQWERTYローマ字入力や、それ以前から存在したJISかな入力などと同様に、親指シフト規格は「かな漢字変換」のためのかな入力手段(日本語入力)として使用される。 NICOLA(ニコラ)は、日本語入力コンソーシアムが親指シフト規格のうち一部仕様を変更した規格である。 親指シフトキーボード(おやゆびシフトキーボード)は、親指シフト規格またはNICOLA規格に準拠するキーボードのことである。.

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観無量寿経

『観無量寿経』(かんむりょうじゅきょう)は、大乗仏教の経典の一つ。別名『観無量寿仏経』、『無量寿仏観経』、『無量寿観経』ともいい、『観経』と略称される。 サンスクリット原典、 チベット語訳が発見されていないため中国撰述説もある。.

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言語の一覧

この言語の一覧(げんごのいちらん)は、五十音順の言語の一覧である。他の分類された一覧は関連項目を参照。 「エスノローグ」 (Ethnologue) は、主要約6,800の言語を名前順に一覧しており(外部リンク参照)、41,000の言語の変化形と方言を区別している。 この一覧は全ての言語を取り扱っているわけではなく、「自然言語」と、「人間が話す言語」だけを含んでいる。.

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言語学者の一覧

言語学者(げんごがくしゃ)とは、言語学を専攻する研究者のこと。広く言語について研究を行っている者を言うこともある。多くの言葉を話す人のことではない。 この項目は、日本及び外国の言語学者の一覧である。日本語学者も参照のこと。.

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言語帝国主義

言語帝国主義(げんごていこくしゅぎ)とは、ある地域で特定の外国語が、その政治・経済・文化・軍事力により圧倒的な影響力を持つこと。.

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言語類型論

言語類型論(げんごるいけいろん、英語:linguistic typology)とは、世界中の言語の特徴を収集し、それらの相違点、類似点を探ることにより、最終的にすべての言語に普遍的な要素を見つけ出そうとする学問のことである。 類型論は文法的な特徴に基づくものであり、歴史的系統関係、地理的分布、社会状況などに関する分類は通常、類型論の範疇に含まれない。歴史言語学(特に比較言語学)による系統上の分類は語族と呼ぶが、類型論的分類は類型と呼ぶ。 また、日本語と英語、英語とドイツ語というように、特定の言語を対象にするという点で対照言語学とも異なる風間喜代三ほか『言語学』東京大学出版会、1993年。.

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語族の一覧

語族の一覧(ごぞくのいちらん)は、世界の語族の一覧である。.

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論弓仁

論 弓仁(ろん きゅうじん、663年 - 723年4月5日)は、中国の唐の軍人。吐蕃のガル氏の出身。チベット名はガル・マンブジ()。ガル・トンツェンユルスン(禄東賛)の孫にあたる。.

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賢劫経

『賢劫経』(げんごうきょう、Bhadrakalpikasūtra)は、大乗仏教の経典。現在の劫(大劫)である賢劫(bhadrakalpa)に出現する千仏の名を羅列している。『大正新脩大蔵経』では経集部の冒頭(T14n0425)に収録する。.

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転生

転生(てんせい, てんしょう)とは、.

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黒水県

黒水県(こくすい-けん、チベット語:トチュ, khro chu、羌語北部方言:khǝtʂǝp)は中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州中部に位置する県。県内を流れる岷江支流の黒水河から県名がとられている。県は芦花区、知木林区、西爾区、維古区の四区に分かれている。 主な民族はチベット族と羌族で、チベット族は1988年時点で47,863人と県の人口の85%を占めていた。 黒水県のチベット族は三つの異なる言語を話す。芦花区ではギャロン語(嘉絨語)の東部方言、知木林区ではチベット語のアムド方言、西爾区と維古区では羌語の北部方言が使われている。 黒水県はチベット高原の東縁に位置し岷山山脈と邛崍山脈が交わる地域で、非常に高い山地と峡谷が走っている。主要な山脈には紅崗山脈、達索肯山、羊拱山脈、亜克夏山脈、峨太基山脈などがあり、主要な河川には黒水河、小黒水、毛爾蓋河の三つの大きな川のほか99本の渓谷があり、岷江水系の源流地帯である。.

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黙字

黙字(もくじ)とは、単語や文を表す綴りの中で、発音されない表音文字や、読み上げられることのない字素のこと。.

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日本で一般的な煎茶 抹茶を点てる様子 広見町) 茶(ちゃ)、チャノキ(学名: Camellia sinensis (L.) Kuntze)の葉や茎風味の違いなどから日本茶や中国茶、紅茶などは別の植物の葉であると誤解されることもあるが、種の違いを除き、分類学上はすべて同一(ツバキ目ツバキ科ツバキ属に分類される常緑樹)である。を加工して作られる飲み物である。 また、これに加えて、チャノキ以外の植物の部位(葉、茎、果実、花びら、根等)や真菌類・動物に由来する加工物から作られる飲み物(「茶ではない「茶」」の節、茶外茶を参照)にも「茶」もしくは「○○茶」と称するものが数多くある。.

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郷城県

郷城県(きょうじょう-けん、チャクテン、phyag phreng)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州南部に位置する県。 チャクテンという地名はチベット語で数珠を意味する。碩曲河と定曲河の間にまたがる様が宝石を連ねた串にたとえられたhttp://www.xzqh.org/quhua/51sc/3336xc.htm。チャクテンでは土司を通じた間接支配が行われていたが、清末期の光緒年間に定郷県が置かれ、1951年に郷城県となった。.

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能格言語

能格言語(Ergative language)とは文法において、自動詞の主語と他動詞の目的語が同じように扱われ、他動詞の主語だけが別の扱いを受けるという性質(能格性)をもつ言語のことDixon 1994: 6f.

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能海寛

能海寛 能海 寛(のうみ ゆたか、1868年(慶応4年、同年に明治改元) - 1903年(明治36年)?)は、チベットを探検した真宗大谷派の僧、仏教学者。.

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阿闍梨

阿闍梨(あじゃり、あざり、 アーチャーリヤ、阿舎梨・阿闍梨耶とも音写)とは、サンスクリットで「軌範」を意味し、漢語では師範・軌師範・正行とも表記するが、その意味は本来、正しく諸戒律を守り、弟子たちの規範となり、法を教授する師匠や僧侶のことである。.

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阿毘達磨倶舎論

『阿毘達磨倶舎論』(あびだつまくしゃろん)は、ヴァスバンドゥ(世親)を作者とするインドの仏教論書である。4〜5世紀頃の成立。サンスクリット本の題名は『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』(梵: Abhidharma-kośa-bhāṣyaAbhidharma-kośa-bhāṣyaを略してAKBh と表記することも。)単に『アビダルマ・コーシャ』(梵: Abhidharma-kośa)と呼称することも。。漢訳の際にアビダルマは「阿毘達磨」(あびだつま)、コーシャは「倶舎」(くしゃ)と音写された。 説一切有部の教義は、カーティヤーヤニープトラ(迦多衍尼子)の『ジュニャーナプラスターナ』(Jñānaprasthāna, 発智論)玄奘による『ジュニャーナプラスターナ』の漢訳は、によって確立する三枝充悳 『世親』P.91 II-1『倶舎論』における思想「概説」。この『ジュニャーナプラスターナ』を注釈した論書に『マハー・ヴィバーシャー』(『大毘婆沙論』)玄奘による『マハー・ヴィバーシャー』の漢訳は、がある。倶舎論は『大毘婆沙論』の厖大な内容厖大な内容 - 玄奘訳『阿毘達磨大毘婆沙論』は全200巻。を巧妙に収め説明している『岩波仏教辞典』P.250「『倶舎論』」。説一切有部の教理の行きすぎた点を経量部の立場より批判した点に特色がある。漢訳とチベット訳があり、漢訳本は真諦による『阿毘達磨倶舍釋論』22巻婆藪盤豆造 眞諦譯 『阿毘達磨倶舍釋論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1559)と、玄奘による『阿毘達磨倶舍論』世親造 玄奘譯 『阿毘達磨倶舍論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1558)30巻である。サンスクリット本と玄奘訳は『倶舎論』と略称され、真諦訳は『倶舎釈論』と略称される。なお、漢訳本の正式な原題表記は『阿毘達磨倶舍論』・『阿毘達磨倶舍釋論』である。 研究には玄奘訳がもちいられる。サンスクリット本が発見されてからは、漢訳に依らない原典からの研究もおこなわれている。.

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蔵文ピン音

蔵文拼音(ぞうぶんピンイン、中国語:藏文拼音 Zàngwén Pīnyīn、チベット語:བོད་ཡིག་གི་སྒྲ་སྦྱོར་ bod yig gi sgra sbyor)は中華人民共和国内において、ローマ字アルファベットを用いてチベット語の発音を写すために制定された公式の表記システム。国際連合のラテン文字による地名表記標準としても採用されている。 チベット語においては、チベット文字が表音文字として7世紀に成立して以降、発音と表記との乖離が著しく進んだ(参照:言語変化)ため、チベット語をローマ字アルファベットを用いて表記しようとする場合、発音を写し取ろうとする場合と、綴り字を写し取ろうとする場合とで、全く別個の体系を必要とする。この蔵文拼音は、ラサ方言を基礎としたチベット語の発音を写すよう工夫されている。発音を比較的正確に表現できるが、声調や母音の長短は表現されない。 チベット文字の綴り字をローマ字で転写するための体系についてはワイリー方式等を参照。.

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自性清浄

自性清浄(じしょうしょうじょう、prakṛti-prabhāsvara、prakṛti-pariśuddhi、蔵: )は、心は自性として(本来、生まれつき)清浄であるが、偶然の過失によって汚れているという考え方。自性清浄説、あるいは心性本浄、心性本浄説ともいう。.

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金剛頂経

『金剛頂経』(こんごうちょうぎょう、Vajraśekhara Sūtra/Tantra, ヴァジュラシェーカラ・スートラ/タントラ)は、大乗仏教の密教部経典。 後に『初会金剛頂経』(しょえこんごうちょうきょう)と分類される経典、すなわち『一切如来の真実を集めたものと名付ける大乗経典』(Sarvatathāgata-tattvasaṃgrahaṃ-nāma-mahāyāna-sūtraṃ)、略して『真実摂経』(しんじつしょうきょう、Tattvasaṃgraha Sūtra/Tantra, タットヴァサングラハ・スートラ/タントラ))を編纂したグループが、その後次々と作製・編纂していった「金剛頂経」系テキストの総称である。 通常は、不空の『金剛頂経瑜伽十八会指帰』(大正蔵869)の説明に従い、全十八会(部)・十万頌とする。.

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長尾雅人

長尾 雅人(ながお がじん、1907年8月22日 - 2005年3月13日)は、日本の仏教学者、チベット学者。京都大学名誉教授。日本学士院会員。仏典に対する文献学的な研究を推し進め、また、チベット学の樹立に対しても貢献した。仙台市出身(父雲龍は広島の寺院住職)。.

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長江

長江(ちょうこう、中国語拼音字母: )は、青海省のチベット高原を水源地域とし中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川である。全長は6300kmで、中華人民共和国およびアジアで最長、世界でも第3位。 中国国外では、最下流部の異称である「揚子江」(ようすこう、Yangtze River)の名で良く知られる。古語では江(こう)。音訳する場合は「長」のみを音訳しチャン川 (Chang River) とすることもあるが、「江」が本来の河川名であることから、(他の中国の河川を「片仮名+川」とする場合でも)チャンチアンとすることもある。 青海省のタンラ山脈からチベット高原、四川盆地、三峡を経て湖北省宜昌市に至るまでが長江上流(最上流の通天河、四川西部の金沙江、四川東部の川江)、宜昌から江西省湖口県までが中流(荊江)、湖口から上海市の東シナ海河口までが下流(揚子江)にあたる。 その流域には成都、武漢、重慶などの重要工業都市、上海、南京などの商業都市を含む中国の19の省(市、自治区)があり、全流域の人口は4億5000万にも達している。古くから水上交易の盛んだった華中でも中心的な交通路として利用されてきた。.

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長澤實導

長澤 實導(ながさわ じつどう、1910年(明治43年)2月16日 - 1968年(昭和43年)12月20日)は、日本の仏教学者。サンスクリット語の仏教文献(梵本原典)とチベット語訳・漢訳との比較対照研究をもとに初期唯識から後期中観・密教に至るまで幅広い研究を行い、とくに瑜伽行中観派のジュニャーナガルバ(智蔵)の研究に先駆的学績を残した。 また、初代智山教化研究所所長として、学問的な裏付けにもとづいた布教教化の在り方や資料の出版につとめ、宗団教化の基礎を築いた。 智山教化研究所は現在の智山伝法院の前身。名古屋市出身。大正大学教授。文学博士。真言宗智山派満福寺第29世。権大僧正。.

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雪の外碑

ムネイル 雪の外碑(チベット語:、ワイリー方式:zhol-rdo-rings phyi-ma)は、チベット・ラサのポタラ宮にある記念碑(石柱)である。.

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雅江県

雅江県(がこう-けん、(ニャクチュ、nyag-chu、亜曲喀)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州南部に位置する県。ニャクチュとはチベット語で「河口」を意味する。歴史的に雅礱江の重要な渡し場であったことから県名が名付けられた。東西に貫く川蔵公路(318国道)をはじめ、雅道公路や雅新公路などの幹線が交わる。.

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陳寅恪

陳 寅恪(ちん いんかく、1890年7月3日 - 1969年10月7日)は、中華民国、中華人民共和国の歴史学者、中国文学研究者、中国語学者。祖籍は江西省南昌府義寧県(現在の九江市修水県)。.

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ISO 639-1コード一覧

このページは、ISO 639-1に登録されている言語の完全な一覧である。kuzey turk devletin同時に、それらの言語のISO 639-2、ISO 639-3、ISO 639-6コードも掲載している。 なお、ISO 639-2はTコードとBコードに分かれている。この2つは基本的に同じだが、同じでないものについては、Bコードを太字にして表す。 左端の列の色は、語族あるいは言語の系統によって分けられている。.

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ISO 639-2コード一覧

ISO 639は、言語の名前を短いコードで表すための国際基準である。以下の表は、その基準の第2部(ISO 639-2)の中で定義されている3文字コードおよび対応する2文字コード(ISO 639-1)の完全な一覧である。但し、2文字コードが存在しない言語もある。 なお、ISO 639-2コードが「/」で区切られて2つ載っているものは、「*」が付いている方がBコード、付いていない方がTコードである。.

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K2

K2(ケーツー)は、カラコルム山脈にある山。標高は8,611mで、エベレストに次ぐ世界第2位の高さである。パキスタンのギルギット・バルティスタン州(インドの主張によればインドカシミールのパキスタン占領地)と、中華人民共和国のウイグル自治区との国境に位置する。 K2という頭文字はKarakorum No.2 、つまりカラコルム山脈測量番号2号を意味する。 パキスタンの最高峰であり、カラコルム山脈の最高峰でもある。.

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Lang-8

Lang-8(らんげーと)は、株式会社Lang-8が運営する、言語学習者向けの相互添削型ソーシャル・ネットワーキング・サービス (SNS)である。.

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RAKA

『RAKA』(ラカ)は志方あきこの2ndアルバム。題名はサンスクリットで「満月の夜」を意味し、各曲に「月」というキーワードを織り込んで全体で「月」の持つ「神秘性」「幻想性」「癒し」「祈り」をテーマとしている。.

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SOV型

SOV型(SOVがた)とは、文を作るときに、一般に主語 (Subject) - 目的語 (Object) - 動詞 (Verb)の語順をとる言語のこと。例えば日本語の文の「私は りんごを 食べる。」では、"私は"が主語(S)、"りんごを"が目的語(O)、"食べる"が動詞(V)である。言語類型論による調査では、世界の言語の約45%がSOV型言語である。.

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Uniscribe

Uniscribeは、Microsoft Windowsにおいて、Unicodeによって符号化されたテキストを描画するためのレンダリングサービスである。「USP10.DLL」というダイナミックリンクライブラリとして実装されている。USP10.dllは、Windows 2000およびInternet Explorer 5.0以降、一般に利用できるようになった。さらに、Windows CE環境ではバージョン5.0からUniscribeに対応した。.

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接近音

接近音(せっきんおん、Approximant)は音声を調音する際、下の調音器官と上の調音器官を接近させてやや狭めの隙間を作り、そこに声帯音を共鳴させて作り出す無摩擦の子音である。隙間は摩擦音のように息の摩擦音が発生するほど狭くはない。接近音を空気が通る隙間を舌の中央部分に作る(中央的)接近音と舌の両脇に作る側面接近音(側面音)に分けて、この両者を含めて接近音ということもあるが、一般的に接近音と言えば、中央的接近音のみを指し、国際音声記号表でもそのように分類されている。 接近音は国際音声記号表では子音として扱われているが、日本語の「イ」(硬口蓋接近音)、「ウ」(軟口蓋接近音)および英語のworkの/r/(歯茎接近音)のように一定の持続時間をもつ場合は狭母音として母音に含め、日本語のや行音やわ行音の頭子音および英語のraceの/r/のように接近音‐‐‐それぞれ硬口蓋接近音、両唇接近音、歯茎接近音‐‐‐の構えから持続することなくすぐに別の母音に動いていく場合は半母音として子音に含める。なお、言語によっては母音の後の特定の短い接近音を半母音に含める場合がある。 接近音は多くが有声音であるが、アメリカ英語の や、チベット語の など、無声の接近音もある。.

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東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(とうきょうがいこくごだいがくあじああふりかげんごぶんかけんきゅうじょ)は、東京外国語大学に附置されている人文科学・社会科学系の共同利用・共同研究拠点である。略称はAA研、ILCAA。.

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東アジア

東アジア(ひがしアジア)は、ユーラシア大陸の東部にあたるアジア地域の一部を指す地理学的な名称である。北西からモンゴル高原、中国大陸、朝鮮半島、台湾列島、琉球諸島、日本列島などを含む。北東アジア(東北アジア)、極東、東亜などと呼ぶ場合もある。.

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東アジア言語

東アジア言語(ひがしアジアげんご)とは、狭義には中国語、日本語、朝鮮語、ベトナム語といった漢字文化の影響を受けた言語群(漢字圏)を指し、広義にはこれに東南アジアの他のシナ・チベット語族、タイ・カダイ語族、オーストロネシア語族、オーストロアジア語族、モン・ミエン語族を含めたものを意味する。.

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東洋大学の人物一覧

東洋大学の人物一覧は東洋大学に関係する人物の一覧記事。.

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東洋学

東洋学(とうようがく、Oriental Studies, Orientalics、Orientalistik)は、「東洋」と呼ばれる諸国・諸地域を対象とする学問・研究・史学のことである。 ロゼッタ石、碑面に刻まれた古代文字の解読が西洋における東洋学の成立につながった。現在、イギリスが所蔵し、エジプトは返還を求めている 世界の記述』 / 中世末期以降、東洋に対する西欧人の憧れを刺激した ナポレオンのエジプト遠征 / 戦争に並行して学術調査が行われ、エジプト学の誕生につながった シャンポリオン:古代文字の解読により「エジプト学の父」と呼ばれる W・ジョーンズ:インド学の創設者でありヨーロッパ諸語とインドの言語との類似を指摘した.

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東洋文庫

公益財団法人東洋文庫(とうようぶんこ)は、東京都文京区に所在する東洋学の専門図書館、研究所である。英語名はThe Oriental Libraryであるが、Toyo Bunkoとしても知られている。東洋史と文化に関する文献資料を収集した東洋学専門図書館であり、EU東洋学研究コンソーシアム、フランス極東学院、台湾中央研究院、ユネスコ東アジア文化研究センター、ハーバード燕京研究所などの海外の東洋学関連研究機関との提携も進んでいる。.

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楚瑪爾河

楚瑪爾河(そまじが、Chumaer river、, )、もしくはチュマル河は、中国を流れる長江の上流。長江の源流には三つの川があるが、一番の源流がタンラ山脈(唐古拉山脈)に発する沱沱河(トト河)、南の源流がタンラ山脈東部に発する当曲(ダムチュー)、そして北の源流がこのチュマル河とされている。チベット高原の北東部、青海省内を通っている。 チュマル河とはチベット語で「赤い水の河」を意味する。別名は曲麻莱河()、または曲瑪河とも。 チュマル河はチベット高原の北東部に横たわるフフシル山地(可可西里山またはその音写からココシリとも)の東部、黒脊山の南麓(海抜5,432メートル)に発する。東へ向けて流れ、途中で崑崙山脈南麓の氷河の水や雪解け水や地下水を大量に集める。フフシル南部で、青海省とチベットを結ぶ道路である青蔵公路と、青蔵鉄道がこの河を長大橋で渡る(青蔵鉄道の橋は長さ2,565メートル)。その後南へ折れ、曲麻莱県の西部にある楚拉地区で通天河(長江上流の名)に合流する。楚拉地区は、沱沱河と当曲が合流して通天河になる地点から200キロメートルほど下流に当たる。.

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極楽

極楽(ごくらく、sukhāvatī, スカーヴァティー、蔵;, デワチェン)とは、阿弥陀仏の浄土であり、サンスクリット語「スカーヴァティー」は「スカー」(sukhā)に「ヴァティー」(vatī)を加えたもので「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ」の意味。須呵摩提(しゅかまだい)、蘇珂嚩帝(そかばってい)、須摩提(しゅまだい)、須摩題などと音表され、安楽、極楽、妙楽などと訳出された。 『阿弥陀経』には「其の国の衆生、衆苦有ること無く、但だ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」という。.

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正覚

正覚(しょうがく)とは、仏教用語で、さとり、仏のさとり、正しいさとりのこと。また、宇宙の大真理をさとること中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、838頁。。真理をさとった人、仏、如来をも意味する。.

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歯茎側面接近音

歯茎側面接近音(しけい・そくめん・せっきんおん)とは子音の種類の一つ。舌端と歯茎で舌の中央に閉鎖を作り、舌の両脇から空気を通すことによって生じる音。国際音声字母では と書く。.

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歯茎接近音

歯茎接近音(しけい・せっきんおん)とは子音の種類の一つ。舌端が歯茎に接近することで作られた隙間から生じる音。国際音声記号でと書く。.

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歴史書一覧

歴史書一覧(れきししょいちらん)は歴史書の一覧。地域・年代順。一部厳密に分類すると「歴史物語」に属し、史料としては価値が劣るものも含むので取扱いについては注意する。なお、用語としての「歴史書」については歴史書の項目を参照。.

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毛主席語録

文革当時に壁に赤いペンキにて書かれた毛沢東語録の一節。「毛沢東語録:中国共产党是全中国人民的领导核心,没有这样一个核心,社会主义事业就不能胜利。」と、現在でもうっすらと残っている。 『毛主席語録』(もうしゅせきごろく)は、中華人民共和国を建国し、中国共産党中央委員会主席となった毛沢東の著作などから引用、編集された語録である。日本では一般に「毛沢東語録」としても知られる。表紙の赤色から、西側諸国では Little Red Book とも呼ばれる。 「毛沢東が全く新しい段階に高めたマルクス・レーニン主義」(毛沢東思想)を柱としている。.

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水名

水名(すいめい、hydronym)は、水域の固有名である。 hydronymの語源は、ギリシア語ὕδωρ(ラテン翻字: hydor:「水」) とὄνομα(ラテン翻字: onoma:「名前」)である。また水名学(すいめいがく、hydronymy)は地名学(地名の分類学的研究)の一分野であって、水域の名前の研究であり、それらの名前の起源とそれらがどのように歴史を通じて移転されていくのかの研究である。水名には河川、湖沼、さらには海洋要素の名前を含む場合がある。 言語項目としての水名は、ほとんどの地名より保守的で変化しにくい。 ある土地に新たにやって来た人々は、しばしば、自分たちの言語で名付け直す(rename)より、既存の水名をそのまま維持しようとする。例えば、ドイツのライン川はドイツ語の名前でなくケルト語の名前である。アメリカ合衆国の川名ミシシッピ川(Mississippi)はフランス語や英語名ではなくアニシナーベ語(Anishinaabe)オジブウェー語を参照の名前である。小さな川のローカル名はそうでもないが、特に大河川の名前はよく保存される。 したがって、水名学は過去の文化的相互作用、人口移動、改宗または、より古い言語を再構築するためのツールとなりうる。例えば、歴史学教授(エディンバラ大学)はアングロサクソンのイギリスへの侵入の物語と(侵入前の)土着文化の痕跡に適合するものに対して河川名のパターンを特定した。彼のブリテン島の地図はイギリスの居住地域を主要な3地域に分割していた。 東向きに流れている川の流域ではブリテン名(British name)は最大の川に限定してしか残っておらず、サクソン人居住地域では古くから、かつ濃密にブリテン名が残っていた。第3の地域である中央高地(highland spine)ではブリテン名は最小の小川にさえ残っている。 多くの場合、所与の水域は、その岸に沿って住んでいる異なった人々によって与えられた、いくつかの完全に異なる名前を持つことになる。例えば、とแม่น้ำโขง はそれぞれ、メコン川のチベット語名とタイ語名である。 様々な言語に由来する水名は、一つの共通の語源を共有している可能性がある 。例えば、 ドナウ川(Danube)、ドン川(Don)、ドニエストル川(Dniester)、ドニプロ川(Dnieper)とドネツ川(Donets)の名前はすべて「川」を表すスキタイ語(現代オセチア語 don「川の水」:を参照)を含んでいるMallory, J.P. and Victor H. Mair.

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民族出版社

民族出版社(みんぞくしゅっぱんしゃ)は中華人民共和国の出版社である。 1953年に中国政府の全国各民族を網羅した出版機関として設立された。主に中国諸民族の政治、経済、宗教、文化、芸術に関連した書籍と雑誌、電子書籍を出版。民族出版社には民族文字編集部門としてモンゴル文編集部、チベット文編集部、ウイグル文編集部、カザフ文編集部、朝鮮文編集部、2つの漢文編集部がある。出版分野の専門職に従事している職員は200余名、年間約1000種類の書籍を出版している。.

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河口慧海

河口 慧海(かわぐち えかい、1866年2月26日(慶応2年1月12日) - 1945年(昭和20年)2月24日)は、黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。幼名を定治郎という。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。 中国や日本に伝承されている漢語に音訳された仏典に疑問をおぼえ、仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意。日本人として初めてチベットへの入国を果たした。.

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波羅蜜

波羅蜜(はらみつ、、 パーラミー、、 パーラミター)とは、仏教において迷いの世界から悟りの世界へ至ること、および、そのために菩薩が行う修行のこと。到彼岸(とうひがん)、度(ど)、波羅蜜多(はらみった)などとも訳す。六波羅蜜と十波羅蜜があり、大乗仏教では実践を六波羅蜜にまとめている。.

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法句経

『法句経』(ほっくきょう)、または『ダンマパダ』(Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形で伝えた、韻文のみからなる経典である。語義は「真理(法。dhamma)の言葉(pada)」である。様々なテクストから仏陀の真理の言葉だけを取り出し、偈(詩)の形にしたもので、編纂者は法救(ほっぐ。Dharmatrāta)と考えられる。パーリ語仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。スッタニパータとならび現存経典のうち最古の経典といわれている。かなり古いテクストであるが、釈迦の時代からはかなり隔たった時代に編纂されたものと考えられている。.

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法王

法王(ほうおう)は宗教上の最高指導者などに用いられる呼称。以下に示すように、様々な用法がある。.

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法華経

法華経の 現代の解説書にはしばしば、このような写真とこのような主旨の解説が添えられている。。 『法華経』(ほけきょう、ほっけきょう)は、大乗仏教の代表的な経典。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に成仏できるという仏教思想の原点が説かれているNHK 100分de名著 法華経[新]第1回「全てのいのちは平等である」2018年4月2日放送。聖徳太子の時代に仏教とともに日本に伝来した聖徳太子によって著されたとされる法華経の注釈書「法華経義疏」は、三経義疏の1つである。。.

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消滅危機言語の一覧

消滅危機言語の一覧(しょうめつききげんごのいちらん)は、英語・スペイン語など広範囲で通用する言語に押され、使用人口(特に母語話者人口)が極めて少なく、近い将来の消滅が危惧される言語の一覧である。 現在、それを少しでも食い止めようとする様々な努力が世界中で行われているが、現在でもいくつもの言語の消滅が進行中である。 以下にその一例を示す(掲載はごく一部である。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の発表では、2009年2月時点で、世界で約2500の言語が消滅の危機にあるとされている。それぞれの言語の詳細については、それぞれのリンク先を参照)。.

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湟中県

湟中県(こうちゅう-けん)は中華人民共和国青海省西寧市に位置する県。なお、チベット語では「ツォンカ」と言い、チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパ(ツォンカの人という意味)の出身地として知られ、その地に建てられたゲルク派六大僧院のひとつクンブム・チャンパーリン寺(タール寺)の所在地として名高い。.

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満州語

満州語(滿洲語、まんしゅうご、ᠮᠠᠨᠵᡠᡤᡳᠰᡠᠨ、転写:manju gisun)は、満州族が話すツングース諸語に属する言語。.

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持金剛仏

持金剛仏(じこんごうぶつ、チベット語: རྡོ་རྗེ་འཆང་།  、वज्रधार )とは、チベット仏教のカギュ派・ゲルク派における信仰対象。新派(サルマ)において法身仏として扱われている。 元来は、五仏(五智如来)に続く第六尊として配置されていたが、その後、五仏の特性の全てを兼ね備えると同時に、五仏を統括する第六尊へと昇格した。法身普賢や金剛薩埵と並んで本初仏()として尊崇されている。.

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月輪賢隆

月輪 賢隆(つきのわ けんりゅう、1888年5月25日 - 1969年8月25日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本の仏教学者。秋田県仙北郡美郷町の浄土真宗本願寺派圓徳寺の住職、西本願寺(京都市下京区)の勧学『秋田のお寺』(1997)。.

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最初の書記記録が古い順の言語リスト

この記事では言語を(現存する)最古の書記記録の年代順にリストする。記録は完全な文を含むもののみを認める。未解読文字は記録として認めずリストに含まない。また単なる単語あるいは人名などが記録されていたとしてもその言語の記録としては認めない。 ある書記記録は口頭伝承の反映や失われた古い記録の複製などによってその言語のさらに昔の段階を表していることがあるが、ここでは現存する記録の年代のみを扱う。例として古事記に記載される内容はさらに古い書物の内容を含んでいる可能性があるが、日本語が最初に記録された年代としては現存する最古の資料である古事記の成立時期(712年)を採用する。 ある古い言語から派生した新しい言語が最初に記録された時期は慣習的な時代区分によって決定する。例えば古フランス語はラテン語から派生したがその変化は連続的であり、特定の年代を決めることは困難であるため、慣習的に842年のストラスブールの誓いを古フランス語の最古の記録と定める。同様にデンマーク語とスウェーデン語は共に12世紀に古東ノルド語から派生したとし、ノルウェー語は1300年前後に古西ノルド語から成立したとする。.

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成実論

『成実論』(じょうじつろん、Satyasiddhi-śāstra, Tattvasiddhi-śāstra)は、訶梨跋摩(かりばつま、Harivarman, ハリヴァルマン)によって著された、16巻の仏教論書である。.

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星泉

星 泉(ほし いずみ、女性、1967年11月 - )は、日本のチベット語学者、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。専門は、チベット語学、言語学。千葉県出身。母はチベット語学者の星実千代。.

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方広大荘厳経

『方広大荘厳経』(ほうこうだいしょうごんきょう、ललितविस्तर Lalitavistara)は、大乗仏教の経典のひとつで、釈迦の降生から初転法輪に至る(漢訳本ではカピラヴァストゥに帰るまで)前半生を記したもの。『大正新脩大蔵経』では巻3の本縁部に収録されている。『方広大荘厳経』より早い時期に漢訳された『普曜経』(ふようきょう、『方等本起経』とも)も基本的には同内容だが、かなりの違いがある。.

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施設論

『施設論』(せせつろん、Prajñapti-śāstra, プラジュニャプティ・シャーストラ)とは、部派仏教の説一切有部による初期論書(アビダルマ)群、いわゆる「六足論」の内の一論。『(阿毘達磨)施設足論』(あびだつま せせつそくろん)とも。 題名通り、様々な「概念」(施設, せせつ、prajñapti, プラジュニャプティ)について説明される。.

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文字体系別の言語の一覧

この項目は、文字体系別での言語の一覧を示す。.

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文成公主

文成公主(ぶんせいこうしゅ、蔵:、623年頃 - 680年)は、唐の皇女で、吐蕃のソンツェン・ガンポ王の第2皇后。.

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日本学士院学術奨励賞

日本学士院学術奨励賞(にっぽんがくしいんがくじゅつしょうれいしょう)とは日本学士院の賞である。日本学士院は学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。日本学士院による賞は、日本の学術賞としては最も権威ある賞である。日本学士院学術奨励賞は若手研究者を顕彰して今後の研究を奨励することを目的として、2004年に創設された。受賞者は、独立行政法人日本学術振興会の日本学術振興会賞受賞者の中から選ばれる。.

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日本語

日本語(にほんご、にっぽんご「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は日本国語大辞典など少数にとどまる。)は、主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語である。 日本は法令によって公用語を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令において日本語を用いることが規定され、学校教育においては「国語」として学習を課されるなど、事実上、唯一の公用語となっている。 使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。統計によって前後する場合もあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。 日本で生まれ育ったほとんどの人は、日本語を母語とする多くの場合、外国籍であっても日本で生まれ育てば日本語が一番話しやすい。しかし日本語以外を母語として育つ場合もあり、また琉球語を日本語と別の言語とする立場を採る考え方などもあるため、一概に「全て」と言い切れるわけではない。。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。 2017年4月現在、インターネット上の言語使用者数は、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、マレー語に次いで7番目に多い。.

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摩訶衍

摩訶衍(まかえん、蔵:)は、8世紀の唐の仏教僧の名で、招聘されて禅を吐蕃(チベット)に伝えた。 786年(貞元2年)、敦煌陥落の頃、ティソン・デツェン王は吐蕃に、この禅僧の摩訶衍(マハーヤーナ)を呼んで布教させた。 吐蕃でインド仏教系の僧は、シャーンタラクシタ(寂護、? - 787年)亡きあと、禅の教義に疑義を示し、文書による論争を重ね、禁教にいたらせた。 摩訶衍は無念・無想・無作意による悟得の教義を説いて791年には皇后(沒盧氏)を出家させた。 しかし、禅の信徒の抵抗で794年禁教が解かれた。 王はインドからカマラシーラ(蓮華戒)を呼び、サムエーのチャンチュプ院においてその面前で摩訶衍を論破させ、妙観察智を捨てた無念の禅を退けたので摩訶衍は敦煌に去り、インド仏教の正統性が認められ、主導権が確立されたと伝えられる(サムエー宗論、拉薩法諍)。.

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摂大乗論

『摂大乗論』(攝大乘論、しょうだいじょうろん、Mahāyāna-saṃgraha, マハーヤーナ・サングラハ)は、北インドの大乗仏教の僧侶・無著が5世紀頃に執筆した唯識の論書。 無着までの大乗仏教の教義をまとめたもので、『大乗阿毘達磨経』・『解深密経』・『十地経』・『般若経』が引用されている。中国ではこれを論拠として「摂論宗」が誕生した。.

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悲 (仏教)

悲(ひ、巴: karuṇā, 蔵:, compassion)とは、仏教の概念で人々(生きとし生けるもの)に苦しみをともにする同感(同情・共感)の心を持つこと。また、それらの苦痛を取り除いてあげたいという心を持つこと。「抜苦与楽」の「抜苦」に相当する。 四無量心(四梵住)としてまとめられる4つ徳目「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の2つ目。.

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敦煌文献

敦煌文献(とんこうぶんけん)とは、1900年に敦煌市の莫高窟から発見された文書群の総称である。長らく莫高窟の壁の中に封じられていたものが、道士・(おう えんろく、籙は竹冠に録)により偶然に発見された。唐代以前の貴重な資料が大量に保存されており、その学術的価値の高さより「敦煌学」と言う言葉まで生まれた。敦煌文書・敦煌写本などとも。.

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敬語

敬語(けいご、honorifics)とは、 主体(書き手、話し手など)とその相手(読み手、聞き手)やその話題中の人物との社会的関係(親疎、権力の大小)と態度を表す言語表現である。ポライトネスを実現する手段の1つであり、狭義には体系的に文法化されているものを指すが、広く敬称などの語彙的表現を含む場合もある。このため、敬語表現を含む言語「日本語など」では、会話において、常時、相手と自分の相対的な社会的地位を意識する必要があり、この表現を誤ると、聞き手に、この話し手は自分の地位を認めない無礼な人間だ、と思われる事が起こり得る。.

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教相判釈

教相判釈(きょうそう はんじゃく)とは、中国をはじめとする漢訳仏典圏において、仏教の経典を、判定し、解釈したもの。略して教判ともいう。釈迦は成道して、涅槃に入るまでの45年前後の間に、多くの教えを説いた。後々にそれが発展して経典として形成された。しかしそれらの多くの経典が、中国へ伝えられ、漢訳仏典として集成されると、中国的な仏伝の解釈に基づき、これらの諸経典の教えの相や時期を分けて判別して、それらから仏道修行の完全なる悟りを得ようとしたことにはじまる。これが北伝の仏教として日本や朝鮮、ベトナムなどに伝えられていった。.

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曼荼羅

曼荼羅(まんだら、梵語:मण्डल 、チベット語:མཎྜལ(めんでる, maNDal), དཀྱིར་འཁོར་(きんこる, dkyir 'khor))とは、密教の経典にもとづき、主尊を中心に諸仏諸尊の集会(しゅうえ)する楼閣を模式的に示した図像。ほとんどの密教経典は曼荼羅を説き、その思想を曼荼羅の構造によって表すので、その種類は数百にのぼる。古代インドに起源をもち、中央アジア、日本、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国などへ伝わった。21世紀に至っても、密教の伝統が生きて伝存するチベット、ネパール、日本などでは盛んに制作されている。 漢字による表記のバリエーションとして「曼陀羅」があるが、日本の重要文化財等の指定名称は「曼荼羅」に統一されており、ここでも「曼荼羅」と表記する。 日本では、密教の経典・儀軌に基づかない、神仏が集会(しゅうえ)する図像や文字列にも、曼荼羅の呼称を冠する派生的な用法が生じた。またチベットでは、須弥山を中心とする全世界を十方三世の諸仏に捧げる供養の一種を「曼荼羅供養」と称し、この供養に用いる金銅製の法具や、この法具を代替する印契に対しても、「曼荼羅」の呼称が使用されている。 画像:Mandala1 detail.jpg|胎蔵曼荼羅中央部の中台八葉院 画像:Vishnu Mandala.jpg|ヴィシュヌ神の曼荼羅 画像:Hokke mandala.jpg|文字曼荼羅(法華曼荼羅) 画像:Painted 19th century Tibetan mandala of the Naropa tradition, Vajrayogini stands in the center of two crossed red triangles, Rubin Museum of Art.jpg|金剛瑜伽女の曼荼羅(チベット仏教).

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